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2006年11月

2006年11月25日 (土)

『アブダクション』=『めぐみ 引き裂かれた家族の30年』初日レポート

渋谷シネマGAGA(公園通りディズニーストア上階)で初日を迎えた『アブダクション』=『めぐみ 引き裂かれた家族の30年』の二回目上映にいきました。

一回目の終わりと、二回目の始めに、横田夫妻、増元照明さんの舞台挨拶があると聞いて駆け付けてみました。

公園通りシネマGAGAは、コンパクトな上映館ですが、駅からも近く便利なところです。

映画は救出運動の初期から現在までを丁寧に追っており、2002年9月17日以前の厳しい戦いの様子も描かれています。

  舞台挨拶で、 滋さんは、「ここまで救出活動の支援をしてきてくださった心ある皆さんのおかげで頑張ってこれました。こうして映画というかたちでもっと多くの方々に知っていただく機会ができたことはありがたい。めぐみをはじめ拉致された人々全員を取り戻すまで応援をお願いします」と。早紀江さんは、「長い間、拉致の問題を無視放置してきたこの国は一体なんだったのでしょうか。この映画は、私たちが命がけで闘ってきたことや、拉致が日本や世界にとってどんなものなのかがお分かりいただけると思います。こうして皆さんの後押しで政府も本気で動くことになりました。これからもご支援をお願いします」と。 増元さんは、「この映画の話が出たとき、監督に個人の生活の場のシーンは困ると言ったのですが、熱意に押されて遂に応じました。出来上がってみると全体が一つの(本物の)物語になっており、初めて見る方にとっても、一体なにが起きたのか、如何に長い時間が費やされてきたのかをお分かりいただけると思う。私はアメリカで5回、日本で試写会を5回観ましたが、回数を重ねるごとに涙の量が増えています。 今後も拉致された姉や皆さんが全員帰国を果たすまで頑張ります」と述べられました。   

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これは、映画館で配付されているチラシ。

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  映画館外 Gaga2_1

 
 
 
 
 
 
  
 
 チケット売り場上部 Imgp1156
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 会場内メッセージボード

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  上記画像は、会場内で販売されているプログラム(一部1000円)
 わかりやすい内容で、記事も豊富、お奨めです。

出来るだけ多くの人がこの映画をみることで、更に関心を深めていただければと思います。

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『めぐみ-引き裂かれた家族の30年』上映スケジュール

11月25日から、シネマGAGAで上映される『めぐみ-引き裂かれた家族の30年』の
上映スケジュールです。早朝の上映が多いようですが、全国展開です。

上記画像で公式サイトに飛べます。

GAGAUSEN

東京      銀座テアトルシネマ        03-3535-6000
東京      シネマGAGA!             03-3462-2539
東京      テアトルタイムズスクエア 03-5361-1937
東京     T・ジョイ大泉                  03-5933-0141
神奈川    109シネマズMM横浜  045-664-0199
神奈川    109シネマズ川崎         044-520-0109
大阪      梅田ブルク7                  06-4795-7600
大阪      シネ・リーブル梅田     06-6440-5930
京都     MOVIX京都                 075-254-3240
兵庫   シネ・リーブル神戸          078-334-2126
愛知   ゴ-ルド劇場                  052-451-0815
愛知     109シネマズ名古屋         052-541-3121
福岡      シネテリエ天神               092-781-5508
北海道    スガイシネマプレックス札幌劇場     011-221-3802
東京   立川シネマシティ          0425-25-1251
千葉  エクスワイジー・シネマズ蘇我    043-209-3377
千葉   京成ローザ10                        043-225-6312
新潟   T・ジョイ新潟万代                   025-249-4555
新潟   ワ-ナ-・マイカルシネマズ新潟     025-230-8787
大阪  MOVIX堺                               072-226-4803
大阪  109シネマズ箕面                   072-723-6109
奈良    MOVIX橿原                          0744-20-1720
岡山  シネマ・クレール丸の内             086-231-0019
広島  広島バルト11                        082-561-0606

香川  高松ホ-ルソレイユ                 087-861-3366
福岡  T・ジョイ久留米                      0942-41-4158
福岡  T・ジョイリバーウォーク北九州    093-573-1569
佐賀    109シネマズ佐賀
熊本     熊本電気館                          096-352-2121
大分     T・ジョイパークプレイス大分    097-528-7677
宮崎    宮崎キネマ館                       0985-28-1162
鹿児島  鹿児島ミッテ10                099-812-6656

http://www.gaga.ne.jp/

◆上映時間早朝の一回のみのところが多いようです。
 各上映館に問い合わせをしてみてください。 

入場者が多ければ、上映回数が増えることもあります。
今後変更などもあるでしょうから、GAGAのサイトでチェックしてください。

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2006年11月23日 (木)

古川了子さん第8回行政訴訟報告会(1)

古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟報告会(第8回)
06.11.1 東京弁護士会館にて

『斉藤・二瓶両弁護士による裁判報告』

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(写真左は二瓶弁護士、右が斉藤弁護士)

★川人博弁護士

それでは始めたいと思います。
古川さんの拉致被害者の認定請求訴訟の報告会をします。
進行を行います弁護士の川人と申します。

まずですね、今日の内容について、大体皆さん法廷の中には入れたんでしょうか?
入れていない?
そうすると今日法廷の中に入れなかった方が多いと思いますので初めに法廷の内容について、今日証人尋問を担当した斉藤弁護士と二瓶弁護士の方からそれぞれお話・報告をしたいと思います。
それで、併せて証人台に立った安明進さんと竹下さんの方から挨拶をしていただきたいと思います。
じゃあまず、今日の法廷の内容の方から。
斉藤さん。

(写真左は二瓶弁護士、右が斉藤弁護士)

★斉藤健兒弁護士

弁護士の斉藤です。
安明進さんの証言の担当をしました。
安さんは今朝9時半でしたか?
ソウルの飛行場を発って今日の証言のために駆けつけてくれました。

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証言の中心は皆様のお手元にもあると思いますが、安さんが当時古川了子さんと思われる女性と遭遇した現場の略図、これは2002年12月の6日にソウルで竹下さんと荒木さんとそれから安さんとが初めて目撃情報の確認を行ったんですが、その時安さんが手書きでですね。
こういった地図を描いて説明した。
この図面をそのまま使いまして、その時どういう状況で会ったのか?というのをひとつひとつ証言してもらいました。
安さんは非情に韓国から中々来るのは大変な状況ですが、本当に貴重な証言を頂いてありがとうございます。
以上です。

★二瓶弁護士

原告の竹下さんの尋問を担当した弁護士の二瓶です。
法廷でお聞きになった方は大体流れがお分かりになったと思うんですけども、大体かいつまんで言いますと了子さんが失踪したときの状況ですね。
をまずは聞きまして、その後は了子さんが失踪した後の状況など。
これについては尋ね人で全国紙の朝日新聞に出したと。
あるいは当時蒸発コーナーだったんですけどご両親がテレビに出演して訴えをしたと。
しかし、全く情報は一切無い。
通常でしたら国内で起こった事件であれば、似たような人を見たとかですね。
それらしいものがあってもおかしくないが、そういうことも全く無い、いうことですね。

しかしながら古川さんの話は、了子さんは事故か事件に巻き込まれたと家族は思ってきたんですけども、その後ですね。
安明進さんが横田めぐみさんの事件でフジテレビに出て、それで証言をしていたと。
それを聞いてお母さんが「もしかしたら自分の娘も拉致されたのではないか?」というふうに初めてそのテレビを見て思ったんですね。
そして写真を添えて失踪したときの状況を書いて、それをテレビの担当者の方に手紙を出しましたですね。
そしてその手紙を出した事によって初めてですね。
重要な情報が浮かび上がった。
それはディレクターの方がわざわざ古川さんの家まで行って、「安さんに写真を見せたところ、自分が平壌の病院で見た女性と非常によく似ているということを証言した」という、そういう情報です。

それを安さんに対してですね。
1枚の写真を見せたのではなくて他に20人くらいの別人の写真を見せている。
そういう中から1枚の写真を取り出して「これは自分が平壌の病院で見た女性の写真だ」、こういう事なんです。
かなりそういう意味ではですね。
信憑性の高い情報だと当然考えられますし、その事によって是非安さんに直接会いたいとディレクターにお願いした。
そしてソウルでお会いしたとこういう流れになります。

そこで安さんに会ったところ、本当に瓜二つだったということで、お姉さんが了子さんときょうだい、まさに事実きょうだいなんですけどもきょうだいくらいに似ていた、本当に良く似ていると。
その話を・・・・(聞き取れず)いう事を・・・・(聞き取れず)。
いうふうなことでその経過については安さんも証言しているし、私どももそれを補充する形でですね。
証言をしました。

そういう形で一日も早くですね。
これだけ明白な事をですね。
日本政府は認定をしてですね。
そして早期救出に向かってですね。
是非早く働きかけをして欲しいという事を最後に強くお願いして来たわけですけども、大変分かりやすくですね。
皆さん聞いていてこの事件の本質を、あるいは家族の思いがどれくらいのものであるかと言うのをよく理解してもらえただろうというふうに思います。

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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古川了子さん第8回行政訴訟報告会(2)

   『安明進氏のお話』

★川人弁護士

どうしましょうか?
この甲29号証について、お持ちで無い方も多いと思いますが、もうちょっと詳しく・・・・・

★真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事

マスコミの方でお持ちでない方いますか?よろしいですか?
(証拠文書のコピーを会場に配る)

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★川人弁護士

安さんの方で、日本語を急速にマスターされまして、今日は法廷ですので通訳で行われましたけど、場合によったら時々通訳で。
今日法廷で話をしていただいた内容をもう一度話していただくのも恐縮なんですが、一番初めて古川了子さんを1991年に北朝鮮で目撃したときの模様について今日詳しく証言をしてもらったんですけども、もう一度ここでその話をしていただきたいと思います。

★安明進氏(通訳:荒木和博氏)

ちょっと簡単にご説明しようと思って描いたのでお恥ずかしいんですが、1991年の7月ないし8月だったと思いますが、古川了子さんを見たところを簡単に説明しようと思って描いたものです。
1997年に本を書いたときには45日間頭を一生懸命していたもので、そこまでちょっと手が回りませんでした。
それとお姉さんにお会いして今日はそこらへんの記憶を、本に書いたものではなく自分の記憶を全部辿ってお話をするようにしました。

その了子さんと思われる人はですね。
自分も医者とか看護婦さんから日本人がいるという話は聞いていましたけど、直接会った人が了子さんであってしかもその時自分も非常に拙かったものですから了子さんであると自信を持って言えます。
この915病院は私以外にも拉致された日本人が入院するところだという話は出ていると思います。

私が聞いた看護婦ですね。
北朝鮮のこの915病院の看護婦が了子さんと思われる女性に嫉妬していなければ、つまり例えば化粧品をいじると怒るとかですね。
そういう事の情報がもっと少なかっただろうと思います。

写真を見たときにですね。
やはりこの人だろうというふうに思ったんですが、やはり一番決定的だったのは2002年の冬にお姉さんにお会いしたときですね。
顔の下半分の部分がともかくそっくりだったと。
それでもう間違いないと思ったということです。
その時はですね。
お姉さんがたくさん昔の写真を持ってきたと記憶をしていますけども、その写真よりもお姉さんの方が似ていたというふうに感じました。

今も古川了子さんは私が本を書いたり文章を書いたり、あるいはこうやって裁判に出ている事をご存知のはずだと思います。
日本政府が認定するかどうか分かりませんけど、私はやはり自分が見た人としてこの古川了子さんをですね。
全力を尽くしたいというふうに思います。

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ここに書いてあるのは915病院です。
外部には病院だと言っていますが、連絡所として知られています。
この二つは学生が入院する学生病棟です。(図面左端の四角い建物を指差す)
ここは古川了子さんが入院した病棟です。(図面右側の四角い建物を指差す)
日本で出た本で、衛星写真でこの病院について上からハッキリと写っているのがあります。
その写真でもこの二つの病棟とそれから古川さんがいた病棟、そして本部の病棟、総合病棟のようなですね。
それが全部写っています。

元々外出はしてはいけない事になっているんですが、そこを外出しようとしたときに古川了子さんに見られてしまったので非常に緊張した状態で。
もし古川さんが完全な工作員教育を受けた工作員であれば帽子を被ってそして顔を隠していたわけですが、それをしていなかったから顔を覚えていたという事で、大変幸運だったと思います。

自分が夕食が終ってから、ここは鉄条網になっているわけですがここを乗り越えて出て行こうとしてですね。
この、なんていうか、獣道みたいなところですか?
そこを行ったときに古川了子さんが後ろから見えたので、古川了子さんはこっちへ(=古川さんのいた病棟の方角)行ったわけですけども、その後をついていったわけです。

もし戻って非常ベルみたいのを押してですね。
そして鉄条網の方から逃げていこうとしたという話になれば、これは自分自身が危険な状態になりますので、そして追いかけていって、ちょっとちょっとと言う形で声を掛けて止めたわけです。
自分がそこで古川さんと向き合って「私は学生で、報告しないでくれ」というふうにお願いをしました。
その時の印象はですね。
顔が非常に青白くてやっぱり患者だという印象を受けました。
翌日看護婦さんに聞いたらば胃が悪くて長い間入院しているという事を言っていました。

そこでもししゃべれらたらどうか?と思ったんですけど、結局結果的には自分自身を守ってくれたという事でですね。
言わないでくれたおかげで自分が助かったという、ありがたいという気持ちもあります。
それよりも一番大事な事は日本人拉致被害者を助けるために努力をする事が、人間としての道理であるというふうに私は思っています。
可能な限り日本人拉致被害者を救出しようという事で自分なりに努力をしてまいります。   

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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古川了子さん第8回行政訴訟報告会(3)

   『竹下珠路さん(古川了子さんの実姉)の挨拶』

★川人弁護士

どうもありがとうございました。
ご質問は後で若干時間を取ります。
竹下さんの方から、今日法廷で出ました尋ね人のこれは朝日新聞のコピーで、ちょっと報道の方へ。

★真鍋貞樹氏

お持ちで無い方いますか?(証拠として提出された尋ね人の新聞コピーを配る)

★川人弁護士

竹下さんの方から、裁判所で証言した感想を含めて。
今配ってもらっているのを含めて、初めに当時の状況などをお話していただいて、証言の感想など。

★竹下珠路さん(古川了子さんの姉)

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母が、古川了子が1973年の7月7日にいなくなってから、その年の秋に11月の4日だったと思いますけど、テレビ番組の蒸発と言う・・・・・・・・(聞き取れず)ました。
そしてその時に当時の番組担当だったテレビ局の方が分かりまして、・・・・(聞き取れず)に伺ったときにはだいたい画面に流れれば何か情報が来るものだけど、古川さんの場合は何も無いので特に際立った出演者でしたという事を覚えていてくださいました。

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それからこれはこういうふうに黄色くなってしまった新聞なんですけども、1986年5月1日、朝日新聞の尋ね人欄です。
当時母はずっと別の新聞を母の家では読んでいたんですけど、私とか姉の家では何人か朝日新聞を取っていたので、東京におります姉が勧めて、朝日新聞に尋ね人欄というのがあるから出してみたらどうか?と母に言って、母が一番了子らしいという写真を添えてここに載せたという事を当時も聞いております。
そしてこの写真が安明進さんにお渡しした最初の写真のはずなんです。
了子の最初の写真で私たち家族も、今ですから手元にございませんが、ニコニコ笑っている写真で一番私たちも妹らしいなと思う写真でした。

そしてこの写真と、恥ずかしいんですけど私が自分で忘れてしまうものですからこんなノートを、何冊目かになっているんですが、信友さんからご連絡を頂いたときの事を書いている。
信友さんから電話を頂いて、私は初めて母が手紙を差し上げた事・写真を送った事を初めて知ったんです。
同じ家に住んでおりましたけど、その事を母は何も言わなかったもんですから。
そして10月に信友さんから電話を頂いて、信友さんがすぐ家に来て安さんにお目にかかったときの話をして頂いて、それからようやく私は安さんから北朝鮮であったというお話をしていただいたんですけども。

もしかしたら1枚だけでは分からないし、それからすぐに市原警察署と言う最寄の警察署なんですが行ったときに「その頃では(拉致は)無いですよ」と。
「横田さんたちは昭和53年とかでちょっと早すぎるし、東京湾の方では千葉の方では(拉致は)無いですよ」という事だったのですが、もう一度次の写真と安さんにお目にかかれたらどこでも行きますからと、信友さんにその時お願いしてお別れしました。

そしてその次の年の3月の末に安さんの本が出版されまして、すぐに買って読んで信友さんから来た話と全く同じ事が安さんの著書に書かれていた事を確認しました。

そんな話を今日は二瓶弁護士の方からいなくなった時の当時から、二瓶弁護士が私が答えやすいように答えやすいようにと質問をしていただきまして。
実は珍しく私も緊張してまして、夕べは余り眠れなくて緊張していたんですが、終った途端に閉廷した途端にどっと汗が出て来まして、・・・・・・・・・・・・(聞き取れず)してましたけど。

安さんの今日の証言と私の証言と、それから先だっての荒木さんの証言とで、古川了子が拉致以外には考えられない事が裁判所の方にも分かっていただけたのでは無いかな?と思っております。
安さんにもお忙しいお体のところを裁判のために駆けつけてくださったり、皆様にも駆けつけていただいて本当にありがとうございました。   

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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古川了子さん第8回行政訴訟報告会(4)

   『川人博主任弁護士による補足と今後の裁判の進行についての説明』

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ちょっと補足しますとですね。
今日は反対尋問といいまして、被告の国側の質問はですね。
一切ありませんでした。
一切ありませんでした。
安明進さんに対しても質問をしませんでしたし、竹下さんに対しても質問をしませんでした。
従って、主尋問がほとんどでした。

それで裁判官の方がですね。
安明進さんに若干の質問をしたんですけども、特にですね。
裁判官からの質問の中で、安明進さんが良く覚えている理由についてですね。
つまり一度北朝鮮でお会いしたわけですが、その事について良く覚えている理由について説明して欲しいと、こういう裁判官からの質問があったんですが、それに対して安明進さんが工作員として訓練され、ある意味では生きるか死ぬかですね。
命をかけて訓練していると、その中で敵と味方を区別すると、そういう訓練を積んでいるので人間と会ったときにですね。
どういう人だったかという記憶ですね。
そういう点については大変自信を持っていると、そういう趣旨の証言をされまして、裁判官も納得をしたような顔をしておりました。

良く聞かれるんですよね。
一度だけお会いしただけでそこまで分かるのか?とそういう趣旨の疑問も出たりする。
質問に対して今申したような証言を安さんの方でされております。

いずれにしても日本の裁判所でですね。
この問題についてこういう形で古川さんの裁判が進行して初めなわけですけど、安さんが裁判所で証言したのは初めてでございます。
国会では一度委員会で話をされたんですけど、日本の司法の場で、裁判所の場で証言をですね。
そしてこれはきちんと反対尋問権も保障されたところで、あるいは裁判官質問も保障されたところで、公開の法廷で証言が行われてそれが公的な文書として、ずっと裁判の調書として記録として残ります。
そういう意味では大変ですね。
ある意味では歴史的な証言の内容だったと。
今日の証言というのはそういう意味でも大変画期的な意味を持っている、そのように私どもは考えております。

ここまででですね。
ご質問がありましたら、今後の進行の問題については後で説明しますが、とりあえず今までのところでご質問がありましたら受けますが、よろしいでしょうか?

そうしましたら最後に今後の問題なんですけども、裁判官の方からですね。
証拠調べは基本的には終了したと裁判所の方では考えていると。
厳密に言いますとですね、あとは証人申請している人で増元さんですね。
家族の会の事務局長をしている増元さんの証人尋問がされていないんですけど、裁判所としては基本的な証人尋問は終了したと考えているという事を言った上でですね。
裁判所としては和解を勧告したいということで、和解の場を持ちたいとこういう提案をしました。
で、次回の期日は11月の14日火曜日の午前10時で、解期日ですので原則非公開という事になりますが、11月14日の午前10時からそういう場が持たれます。

これ、一般の裁判の場合はですね。
証拠調べが終った段階で裁判所が和解勧告をする事は良くあるんですが、今日法廷が終ってからいくつかのマスメディアの方からですね。
「和解っていうのはこの場合どういう事があるんでしょうか?」と、こういう趣旨の質問を受けました。

それでですね、基本的に原告及び弁護団の考え方を申し上げておきますが、我々弁護団はですね。
当事者である竹下さんを初め、ご家族の方とこれまでも訴訟の進め方についてはなるたけ協議をしてきました。
それでですね、裁判所からこういう形で提案があるという可能性は有りますので、これについても多少議論はしてきました。
いずれにしても裁判所から和解協議の場の案があったらその場には乗ってですね。
それで話し合い・協議をするという立場でございます。
従って次回の期日もですね、そういう場で臨みたい、そういう姿勢で臨みたい。

この裁判自体がですね。
拉致の被害者の救出運動をどう前進させるのか?という事で被害者救出運動にプラスになるようにと考えて、この裁判が提訴されました。
これはご家族も古川さんの問題だけじゃなく、全体として政府に認定されていない方々の救出のためにどのようにこの裁判を活用できるのか?という事も含めて今回の裁判の闘争も続けて来たわけです。

従いまして、裁判所からの和解の勧告に対してもですね。
我々としては拉致の被害者の救出運動をどう進めるか。
本件の場合は政府が認定している以外の被害者について救出のためにどのようにですね。
運動を前進させる事ができるかと、こういう観点から和解の協議には臨むという事になると思います。

裁判所とは今後、今度の期日に向けてですね。
事前に何らかの連絡があるかもしれませんし、当日また話し合いという事になるかもしれませんが、いろんな場合を想定しながらですね。
今言った基本的な考え方に立って進めたいと思います。

繰り返しになりますけど、古川了子さんご自身の救出の問題と共にですね。
政府認定されていない方の救出をどのように前進させるのかと、こういう観点からこの問題を考えていく必要がある。
これが原告及び弁護団の考え方で、調査会の方もそういう考え方で、現在のところはここまで我々の基本的な姿勢としてご理解いただきたい。

では、ご質問等ございましたら、今の事も含めて。

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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古川了子さん第8回行政訴訟報告会(5)

   『質疑応答』

★質問者1

朝日新聞の○○です。
結局その和解というのはですね。
つまりこの裁判は古川了子さんの政府としての拉致認定を訴訟なわけですね?
和解をするのはその判断が出ないと、認定を求める事に対して認定をせよと言うか認定の必要がないと言うか、とにかくそういう棄却するか認めるという判決を出さない。
出さない和解になるわけですが、どういうふうな形の和解がですね。
原告側としては望ましいという事になるのか?ということなんですが?

★川人弁護士

ですので一貫してですね。
裁判当初からこの裁判の論点になっているですが、政府の認定被害者とですね。
そうでない人々の間に歴然とした差別があると。
この事が一番の問題だったわけですね、この裁判を提訴する際の。
ですので、政府が認定した被害者の救出のためにこの間、いろいろ努力をしているというふうに思いますが、やはり認定していない人との間では明確な差別があってですね。
こういうものをどよのように是正するか?というのがこの裁判の出発点であると思います。
そういう観点から我々のこの裁判で獲得するものが出てくると思いますし、和解と言うものが成立するとすればですね。
今言ったような観点から見て得るものがいくらかでも大きいという場合にはですね。
一般論としてはありうると考えています。

★質問者1

要するに政府が認定していない人についても、政府が認定されている拉致被害者と同様に扱う事が何らかの形で示されればとか、例えばそういう事ですか?

★川人弁護士

ハッキリしている事は古川さんだけはこういうふうにします、とかですね。
そういう事がこの裁判のもともとの目的ではないわけですね。
ですので、古川さんを含めてですね。
被害者の救出の運動に、あるいは被害者の家族の方々に対する政府の対応の仕方を含めてですね。
これまでと違った明確な前進があるという事が、和解が成立するとすればですね。
そういう条件が整うという事が前提になると思います
例えばそういう事が整わないのであればそれは当然和解というのは難しいと、こういう話になってきます。

★質問者1

安倍政権は拉致問題対策本部と言うのを政府官邸の方に設けたり、専任の大臣を置いたり補佐官を置いたりというような対応をしているので、現政権ならそういう可能性があるのかな?と言う印象もあるわけですけども。

★川人弁護士

正直言ってそれは今度の期日に・・・(聞き取れず)が何を言うか現時点ではまだ想定できませんので何とも言えません。
えっとすみません、調査会の方で安倍政権になってから何か新しい動きでも?(周囲の人に尋ねる、会場より小さな笑い声)

★質問者1

ここでこうして欲しいと出すという事が、政府としても新しい対応に影響してくる可能性があるんじゃないか?と。
だから聞いているんです。

★川人弁護士

はい分かりました。

★荒木和博 特定失踪者問題調査会代表

あのですね、ちょうど今聞いていただいた事を言いたいと思うんですけど(笑い声)、安倍政権が発足する前から、今特定失踪者ご家族それぞれがお集め頂いた署名とかですね。
それから調査会が作った署名簿等が結構こちらにございます。
新しい政権が出来たらそれを提出して政府に対して要請をしたいと、いうことをですね。
重ねて調整室を通してお願いをして参りました。
しかし、今に至るも政府からはですね。
一切、何時ごろ出来そうだとかいつやるとか、誰が出てくるとかいう話はありません。
我々としては何度もそれをお願いしていますけども、それは無い、という事であります。

家族会の人たちに対しては政権が発足した直後に官房長官そして総理大臣まで来てですね。
会って決意を表明しているにも拘らず特定失踪者、つまり拉致の可能性がある、しかし政府が認定していない人たちに対しては一切ですね。
以前からお願いをしているにも拘らず、一切何も、こうしますという事も無いというのは、果たして本気でやる気があるんだろうか?という事について、正直申し上げましてかなり疑問を感じているところでございます。
もし、何らかでもやる気があるんであるというのであれば、もう少し別の対応があって然るべきでは無いか?というふうに思っておりますので、今の状況であれば体制が作られようが何をしようが、それが本当の意味での拉致問題の完全解決につながるものではない、とすら、私は思っております。

で、政府は古川さんの裁判も今日傍聴していただいた方は分かると思いますけど、あれだけの証言が出ればですね。
通常であればやはり拉致だと認定するのが当然だと思った方が多いと思いますけど、それをしない。
しない理由と言うのはやはりですね。
もし違っていたらば責任を取らされるという事であろうと思います。

それはそれで結構ですが、ここで強調しておきたいのは、もし認定をしないで置いた人が曽我さんのように拉致だという事が後に分かったとした場合に、その責任を当然問われて然るべきである。
そして日にちは経っておりますので、もし例えばその間にですね。
命を落とすような人があれば、その責任と言うのはですね。
単に辞表を書いたくらいでは終らないという事は、当然政府の担当者には認識をしていただかなければいけない。
そのあたりに対する疑問をですね。
政府の方でちゃんと我々に納得がいくようにして頂かなければなければいけないのではなかろうか?という事を我々としては常に考えています。

今川人弁護士の方でも仰ったようにですね。
この問題と言うのは古川さんの一人の問題をやるという事ではなくて、古川さんに代表になっていただいてそしてですね。
未認定の拉致被害者すべての問題をやるという事ですので、それに対して我々なりそしてご家族なりが納得がいくと。
そして将来拉致被害者の方が帰って来たときに、あのときの政府の対応は正しかったんだというふうに納得してくれるものでなくては、それは認められるものではないというふうに思っております。

ちなみにもう一言、この事とはちょっと別のことになりますが、「しおかぜ」の件につきましても、今日までの時点で政府から一切何の返事もありません。
何をしてくれるという返事も聞いておりません。
大臣の答弁ですとかあるいは次官の記者会見とか言葉だけは出ておりますけども、それが今のところ現実にはなっていない、いう事でございまして本当にやる気があるのかどうかについて私としては疑問を感じております。

ちなみにもう一言言っておきますと、先日発表いたしました日高信夫さんにつきまして告発を来週月曜日11時に行います。
これはもちろん今までと同じように被疑者不詳の告発という事になりますが、この件に対しても含めましてすべての事を政府として動かしていただきたい。
改めて6日の午後行われます記者会見のときに、それもその間これから数日ありますが、一体政府がどのように対応するのか?という事を確認した上で、私どもの意思表示をしていきたい。
その線で、もちろんこれは我々調査会としての立場でございますので、実際の裁判の手続き上の問題とかそういうのは法律家の会にお任せをしてごさいますので、我々はあくまでもそれに従うつもりでございますので、一応今の時点での意思表示という意味では以上のことでございます。

★質問者2 西村幸祐氏(ジャーナリスト)

川人弁護士と荒木さんにお聞きしたいんですが、そもそもなぜ和解を勧告してきたのか?という、これについてはどういう事になるのか?ご意見を。

★川人弁護士

裁判官が判決を書きたくないんだと思います。
端的に言えば。
つまりですね、判決で拉致被害者として認定することについても、あるいはそうでないという結論を出すにしても、どちらについても裁判所としては非常に躊躇するという事だと思います。
それが端的に裁判所としての和解勧告の大きな意味合いだと思います。
今までもそういう雰囲気の言動はあったわけですけど、今日は・・・・・・・(聞き取れず)

★荒木和博氏

私も全く同じです。

★質問者3

すみません、先ほど川人弁護士のお話でですね。
荒木さんも言われたんですけど、古川さん一人の話では無いとは言われたんですが、古川さんの事が拉致認定と言うふうに裁判の判決文に書かれる事は一つの象徴であって、やはりそういうふうに書かれる事がやはり他の人たちへの影響も大きいんじゃないかと、そういうふうな見方も当然あると思うんですけれども、そこに拘るんでしょうか?拘らないんでしょうか?

★川人弁護士

それはですね、今後出てくる最終的な成立するかもしれない和解内容によるんだと思いますが、いま仰ったのはその通りなんです。
だから裁判提訴したわけです。

★荒木和博氏

私の方から言えば、ともかくこの裁判の目的と言うのは未認定の拉致被害者をすべて救い出すという事のための裁判で、もちろんその中に古川了子さんが入っているわけですね。
ですからそれに向かって何が一番選択肢として一番いいか?という基準で今後の結論が出るだろうと思います。

★安明進氏(通訳:荒木和博氏)

一言申し上げます。
最初から日本の政府が交渉するときに拉致被害者を救出するという事を目的としてやっていればですね。
もうちょっと違った結果が今までに出ていたのではないか?
交渉するときに日朝国交正常化というものを置いてですね。
やったがために、拉致被害者を70年代後半から80年代前半とか、そういうふうに縮小するような結果となったのではないか?と思います。
それが70年代から更に80年代のですね。
拉致をして場所としておかしくなくて、そして北朝鮮と日本側が納得するところだけについてやったという事だと思います。

工作機関で働いた者の個人的な意見としてはそれは何か政治家たちがですね。
この手で作業したような作り出したようなものであるような感じがしています。
実際にはもう60年代には北朝鮮の工作員はどんどん日本に入っていたわけですし、寺越さんなどの場合は60年代に起きた明らかな拉致であるにも拘らず、日本政府が拉致とは認めていない。
なんでそういうふうに主張するのか?と思います。
非常にそういうふうにして来た事の責任が重いので明らかに出来ないという事では無いかと思いますが、被害者の方の立場に立てばもう少し別の対応があるのでは無かろうか?と思います。

今日本の方々が知っている北朝鮮・金正日体制の犯罪行為は、100分の1、あるいは万分の1くらいにしかならないのではないかと思います。
これは遠からず金正日政権が崩壊すれば大部分が明らかになる事だろうと思います。

★質問者3

すみません、安さんにもう一つお聞きしたいんですけども、脱北者のお立場で日本の裁判所でこういうふうに証言されたということはやはり脱北者の証言、この重みという事に対しても非常に大きな意味を持つ事になると思うんですけど、それに関するご感想を一言いただけませんか?

★安明進氏(通訳:荒木和博氏)

今回はですね。
私自身は脱北者と言う立場を忘れて、ともかく可能な限り当時の記憶を取り戻そうとして努力をいたしました。
私自身はともかく古川了子さんに間違いないと思っていますが、出来るだけ一生懸命記憶を取り戻すという事が、その方に対する人間的な最大限の道義だろうというふうに思っています。

★川人弁護士

大体よろしいでしょうか?

今から4年半前くらいになるかと思うんですけど、いわゆる八尾恵証言ですね。
裁判が行われたんですね。
・・・・(聞き取れず)と思うんですが、そこで彼女が自ら法廷と言う場でですね。
自らの拉致への関与を含めてですね、証言をしたという事がやはりその後の、日本の拉致被害者救出運動に非常に大きな転機となったと。

裁判所で、公的にも明確に認めたという事が非常に大きなその後の救出運動の前進になり、それが多分ですね。
2002年9月以降の様々な進展につながったと思っておりますが、今日の安明進さんの証言が今後の日本の拉致被害者の救出、特に政府が認定していない人々の被害者の救出運動の大きな一つになるという事を我々としては期待したいと思っていますし、今日の証人尋問含めてですね。
今日の証言を通じて我々の目標は大きく前進をしていると、そのように考えています。

今後ですね、裁判自体は様々な展開がありうるわけですけど、是非関係者の皆さんの一層のご協力を訴えたいと思います。
今日はどうもお疲れ様でした。

★荒木和博氏

ありがとうございました。

・・・報告会終了・・・   

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東京連続集会22-(1)

核実験の暴挙・どうする救出運動 緊急集会(東京連続集会22)
06.10.19 友愛会館にて

※今回の集会はいつものようにお一人お一人順番に講演するのではなく、北朝鮮情勢についてフリートークで語り合う、という形で進行しました。
ですので、初めに登壇者のお名前をご紹介しておき、講演部分を全部で6分割にして紹介をします。
ただし、家族のコメント部分はいつものようにお一人ずつ紹介する形をとります。
テキストの紹介の仕方がいつもと少し違いますが混乱のありませぬよう、あらかじめご了承のほどよろしくお願い申し上げます。

◆講演部分の登壇者氏名

・恵谷治氏(ジャーナリスト)
・西岡力 救う会副会長
・安明進氏(元北朝鮮工作員)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『北朝鮮情勢について その1 (話し手:恵谷治氏・西岡力氏)』

★恵谷治氏

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どうもこんばんは。(「こんばんは」の声)
最大の関心事である核実験について、これはまずハッキリ言って失敗です。
別に誹謗中傷して言っているわけではなくて、根拠もある事で失敗して。
失敗した上に再実験があると言われていますが、その事も西岡さんが来たら詳しく話そうと思います。

私の個人的な感じでは再実験も難しいだろう。
それはですね、ご存知のように実験にはそれなりのコストがかかる。
もう、そういうコストも無いんじゃないか?と私は考えています。
ですから私の予想が外れて再実験があれば、まだ多少は金があるんだろう。
ですから今・・・(聞き取れず)をしますがともかくミサイル・テポドン2号の失敗に続いて、今回の核実験も失敗している。
当然もちろん開発責任者は・・・(聞き取れず)をしているでしょうし、逆に言えば姪yの回復でもう一度やりたいと思っているはずです。
しかし、もう本当にやる余力が無い。
逆に言えば、私は核実験が行われれば崩壊の秒読み段階に入ると解釈しますから、私は冗談抜きで秒読みに入ったと思っています。

まず核実験の前に、ミサイルの事を簡単に申し上げます。
7月5日に7発のミサイルが発射されましたが、ご存知のようにそのうちの1発はテポドン2号です。
それから残りの4発は、これはまだ様々な分析がありますが、私が把握している限りノドンが2発それからスカッドが2発、それからスカッドの改良型と思われるもの。
ある一定の地域に落ちたと、これはまぁ日本政府はそういうふうに発表していますが、ある一定の地域と言うのはですね。
数10キロの範囲、これも報道されています。
数10キロの範囲に命中したと言う言い方は間違っておりまして、着弾したと。
つまりミサイルはおそらく仮想ターゲットが決まっていてそこを狙って撃った結果が40~50キロの範囲だというふうに思われるわけで、という事はこれはもうミサイルの体を成していないと言いますか、命中精度その他話にならんと言う事です。

これが10キロ以内、あるいは数キロの範囲で着弾したとなれば、これは・・・・(聞き取れず)。
それでも近代戦には使えない物ですから、そのレベルにも達していないということはハッキリとしている。
しかしながら一方でそのテポドン2号を除く6発と言うのは、そのうちの1発は12時間遅れですが、きちんと発射しております。
命中精度その他は別としまして、ノドン、スカッドと言うのは車載型で、車に乗せて任意に移動してミサイルを立てて打ち上げる。
それがきちんと行われる。
と言う意味ではミサイル部隊と言うのは、いわば機能していると言う事がいえます。

一方でテポドン2号は爆発したとも言われていますし、ちょっとここは究明されてないんですが、いずれにしろ2段式のミサイルの2段目を分離する事が出来ずに着弾している。
その問題はですね。
存知のように98年、テポドン1号が発射された際、1段目と2段目がきちんと分離しました。
実は3段目に人工衛星を積んでおって、それが爆発して結果的に皆さんご存知のように人工衛星の投射というのは出来なくなったんですが、ご存知のように北朝鮮は未だに光明星1号が地球の周りを回っておると嘘八百を放送する。

人工衛星は失敗しましたが、1段目と2段目のブースターの切り離しは成功してます。
これはですね。
日本が最初に・・・(聞き取れず)をやったときは切り離しに5回も連続で失敗しています。
それを北朝鮮は一回で成功させています。
これは上手く行ったり行かなかったりという事がありますが、テポドン1号は成功してテポドン2号は失敗している。

僕はこう思います。
つまり私はですね、テポドン発射のいろんななぜあの時期にとかいろいろ言われますが、大きなバックグラウンドとしてはお分かりのように昨年9月からの金融制裁が始まって、アメリカに対する威嚇とまでは言いませんが力を示したいという中で、テポドン2号+6発のミサイルを発射しろと金正日が命令したと。

で、6発の方、つまりミサイル部隊は北朝鮮レベルでは上手く機能した成功したと、こういう事が言えると思います。
一方でテポドン2号と言うのは、核実験もそうですが、北朝鮮では第二自然科学院と言いますが、これは日本語的に言いますと国防科学院。
この機関で開発をしています。
つまり軍部隊の方はミサイルでは成功し、国防科学院の方がミサイルに続いて核実験も失敗したと言う事になります。

ここがポイントなんですよ。
この国防科学院と言うのはですね。
朝鮮労働党軍需工業部の直属の機関です。
あらゆる最優先で物資・資金最優先される。
そういう組織が行った実験が連続して失敗しています。
これはですね、偶然ではありません。

私が思うに、まず9月からの金融制裁。
それからご存知のように警視庁含めて国内で様々な家宅捜索を行って、そのターゲットは科協という、もちろん総連も含めてですがこの監視が非常に厳しい。
という事はどういう事か?と言いますと、まず外貨が動かせない。
プラスですね。
れは脱北者、ミサイル関連の人間から何回も聞いていますが、足らない部品の機番を書いて東京にFAXで送ればすぐに、万景峰号のみが初めて入港禁止になりましたが、各地に寄港している船が届けるんです。
ですからそれがそういう作業でいわば、開発が継続していた。
そのルートが断ち切られている。
これがミサイルの、テポドン2号の失敗および核実験の失敗につながっているというように私は考えます。

西岡さんが来られたので、これから二人で始めます。

★西岡力氏

大学の用事ですみません遅れましたが、今の話は大変重要なポイントがあるんですね。
まず二つの事を仰ったんですけど、一つ目からもう一度確認したいんですけど、つまり核実験は失敗だと。
ミサイル実験もアメリカまで届く弾道ミサイルテポドン2は失敗だと、と見てらっしゃるしそういう事でいいんですね?

★恵谷治氏

そうです。

★西岡力氏

アメリカをけん制するために、アメリカまで届くテポドン2を実験して失敗した。
そうだとするともう一回やらなきゃいけないんですよね?テポドン2を。
(失敗の)原因が分かればテポドン2をもう一回やらなくちゃいけない。
やってなかった。
で、今度は核実験をした。
核実験については恵谷さんが多分未熟爆発についてしてくださった?

★恵谷氏

いや、まだです。

★西岡力氏

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じゃあ核実験がなぜ失敗だったのか?と言う理由について説明してください。

★恵谷治氏

多分ご存知のように北朝鮮には濃縮ウランがまだありませんから、原料はプルトニウムです。
プルトニウムと言う物の起爆方式と言うのはご存知のように爆縮と言いますが、いわゆる球体を中心点に向かって 均等圧縮を一瞬のうちにドンッとして、プルトニウムと言うものが圧縮されてそれで臨界に達します。
その時の、つまりトマトを潰すときに上手く、まぁこれは不可能なんですが、ちょっとずらすと中身がブチッと出ます。
こういう潰し方では拙いんです。
上手く、中身が全然出ないようにきれいに潰す。

★西岡力氏

つまり皮が、均等に圧力をかけているから皮が破れないでぷすっと潰れる。

★恵谷治氏

ええ、それを爆縮と言うんです。

★西岡氏

それを通常の火薬でやるんですね?

★恵谷治氏

プルトニウムがある。
カバーで包んで、それに火薬をつけます。
その火薬を、球体ですからサッカーボールを考えていただけば、サッカーボール(の皮)が四角がありますね。
これはアメリカ式なんですが、ソ連でもそうですが、32面体です。
その32ヶ所に起爆装置があって、それを100万分の1秒の範囲で正確に同時に爆発させて。

※(1)-2へ続く   

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東京連続集会22(1)-2  投稿者:ぴろん  投稿日:11月13日(月)19時21分54秒    引用 
   ※(1)-1より続く

★西岡力氏

100万分の1ですね、100万分の1。

★恵谷治氏

と言うのは中性子が飛び出す速さと同じ正確さで爆縮をかけないと出来ない。
ですからこの起爆装置の製造するのが非常に難しい、いう事はあります。

★西岡力氏

北朝鮮は起爆実験をかなりたくさんやっていますね?

★恵谷治氏

はい。
で、私はですね。
この今言ったらとんでもないように思われますが、これはいわば60年前の、つまり長崎に落っことしたのと同じやり方で作れば出来るわけで、北朝鮮は私はこの起爆装置は完成させていた、いると。
しかもそれは80年代の終わりには完成していたと私は考えています。

★西岡力氏

それは100万分の1で爆縮する技術を北朝鮮が持っていたと?
その根拠はなんですか?

★恵谷治氏

この32面体を同時に電気雷管で爆発させるんですが、これは家庭のビデオの同調装置ですとかね。
ディスコのブラックライトとか、ある光がありますね。
ああいう機器をそれに使えるんですね。
60年前には大変苦労した事がですね。
今は簡単に出来るようになっています。

★西岡力氏

それは日本から出ているんですか?

★恵谷治氏

ええ私は、証拠はありませんが、そういうものは秋葉原経由で北朝鮮に行っていると。

★西岡力氏

それを先ほど恵谷さんが言及された在日朝鮮人科学技術者協会ですね。
科協が関係しているんですか?

★恵谷治氏

もちろんです。
北朝鮮の科学技術と言うのは、もちろん科協がソフトの面、様々な資料、それからハードの面、機械・部品、これは日本で調達と言っても過言ではありません。

★西岡力氏

当然そういう協力があって、アメリカが60年前長崎で落とした程度の、しかし100万分の1秒で爆縮する技術は北朝鮮は持っていたと。
持っていたのに、何で失敗したんですか?
起爆実験も何回もやっているのに、それをもう一度。

★恵谷治氏

現在はもうしていませんが、核実験は北朝鮮では平安北道の寧辺(ヨンビョン)と言われています。
その寧辺で83年からこの起爆装置の開発が始まりました。
その地域の北部で結構な川原の砂地がありますが、そこで爆縮実験、つまり爆縮実験と言うのは100万分の1秒でドンッと行くか?と言うのを70回もやってその実験は終っています。

★西岡力氏

寧辺で70回やったんですね?

★恵谷治氏

はい。
完成していなければ当然まだ続くわけですから、しかし89年を最後にその起爆実験を終っている。

★西岡力氏

83年から89年まで70回、起爆実験をやったと?

★恵谷治氏

その通りです。
その実験の終わりと同時にですね。
旧ソ連、KGBがですね。
90年の2月に、北朝鮮では核起爆装置が完成したという文書を当時ソ連中央委員会に提出しています。

★西岡力氏

89年に実験が終って、90年2月にソ連の情報機関が完成したと言う文書を出した?

★恵谷治氏

はい。

★西岡力氏

整合性ありますね?

★恵谷治氏

ソ連の民主化以後、そういう文書が明らかになっています。

★西岡力氏

しかしその後も起爆実験をしている。
恵谷さんはそれを衛星写真で見つけたんじゃないですか?

★恵谷治氏

はい。
実は今寧辺での起爆実験は停止、終りましたが、実は97年からですね。
平安北道亀城(クソン)市、亀の城と書きますが、亀城市の龍徳洞(りゅうとくどう)、ヨンドクドンと言う場所でですね。
また起爆実験が始まって、これが97年から2002年まで5年間、これも70回起爆実験をしています。

★西岡力氏

つまり89年に終ったのが別の亀城と言う場所で再開されて、また70回やっている。
そのときは北朝鮮は94年のジュネーブ合意で核開発を凍結すると言っていた時期ですよね?

★恵谷治氏

そうです、そのとおり。
今言われたように94年に核開発を凍結すると言っていて、舌の根も乾かない97年に起爆実験を再開した。
その事を考えますと、80年代末に完成した起爆装置とは別の起爆装置、つまり90年に完成したと言われる起爆装置というのは言葉で言う爆弾用の大型の物だと思います。
ところがこれをミサイルに積むには小型化をする必要があります。
ですから私の推測では91年から始まった起爆実験と言うのはですね。
小型化を目指したものだと思います。

★西岡力氏

じゃ、それを70回やったとするとそれも出来ていると見ているんですか?

★恵谷治氏

私の判断では大型は90年のときに出来て、2002年の起爆実験は終ってますが、それはこれは出来ないと判断をして停止したんじゃないか?と私は判断しています。

★西岡力氏

今回の核実験の話に戻しますが、そうすると今回失敗したと恵谷さん仰ったんですけども、今回使われた起爆装置は恵谷さんの見立てでは80年代に作られた大型のものだったのか?
97年から実験していた小型のものだったのか?
どちらですか?

★恵谷治氏

私は80年代の末に完成した大型のものが今回の実験に使われた。
プラス今言いました2002年に中止になった小型化についてはですね。
とてもこれは出来ないということで、今回は使われていないと言うのが私の判断です。

★西岡力氏

私聞き手なんですけど、私若干違う説があるんですがそれは時間があれば後で申し上げますが、話を進めまして、そうするとまた疑問が出てくる。
89年に70回も実験をしていて完成していた、ソ連も完成していたと言う秘密文書まで出していた起爆装置がなぜ今回上手く働かなかったのか?

★恵谷治氏

はい、ですからそこで、つまり技術確保を先ほど言いましたように、ミサイルを2段式の場合は分離できる。
そういう技術確保が終っているにも拘らず、つまり70回も実験をしてこれで問題ないといったにも拘らず、つまり予行演習では上手く行ったのに本番では上手く行かなかった。
これは本番と言うものが経済制裁、あるいは日本のそういう監視が強化された中で行われているというのが、私はその背景にある。
あるいは重要な原因だと見ています。

・・・その2に続く・・・ 

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東京連続集会22-(2)

  核実験の暴挙・どうする救出運動 緊急集会(東京連続集会22)
06.10.19 友愛会館にて

『北朝鮮情勢について その2 (話し手:恵谷治氏・西岡力氏)』

★西岡力氏

プルトニウムを入れて、出来上がった起爆装置に安心していて70回も実験していて絶対上手く行くと思ってボタンを押したけれども、するとあれですか?
トマトが少し漏れたと?皮が。

★恵谷治氏

そして次に推定ですが、まず彼らは威力はどの程度のものを作っていたのか?
それをまず補足する材料は、ご存知のように報道にもありますが中国に事前通報した。
30分前とも20分前とも言われていますが、その時に中国に対しては4キロトンの物を作った。
実験をするとこう通告をしている。
ですから4キロトンの物がですね。
現在の情報によりますと0・5キロトンしか威力を発揮しなかった。
つまり8分の1の威力だったと、まずいう事が言えます。

★西岡力氏

長崎の原爆も4キロトンくらいだったんですか?

★恵谷治氏

いや、長崎の場合20キロトンなんです。

★西岡力氏

元々小さい数字を言っていて、それにも。

★恵谷治氏

駄目だった。
これままだまだ議論をする余地があるんですが、失敗の原因がいろいろ考えられます。
私がいろいろと、この起爆に失敗したとすれば未熟爆発と言う言い方をしますが、早期爆発です。
本当に最後の臨界に行く圧縮をかける前に漏れて、中性子が飛び交って少し核分裂を起こしてブシュとして連鎖反応は止まります。

★西岡力氏

トマト(の皮)がこう切れた?

★恵谷治氏

そうするとですね、8分の1の威力ももう出ないんです。
非常に少ない威力です。
それが全体的に数字で言うと、0.5キロトンくらい。
0.5キロトンというのは500トン、もっと言ますと、ですから当初の新聞ではダミー実験だったんでは無いか?
1トン爆弾、そこそこでかいですけど、これを500発爆発させれば同じ震度になるという事です。

★西岡力氏

しかしそれは核物質が空中で採取されたのでダミーではなかったという事は間違いない。

★恵谷治氏

間違いないです。
ではどういう事か?と言いますと、実験報道の直後にですね。
新聞で読まれた方もいると思いますが、ロシアのイワノフ国防相、彼はですね。
5キロトンから15キロトン、で、我々独自の観測で得たデータであると言明をしました。
しかしもちろん15キロトンの計算も出来ないわけではないんですが、私個人的にはですね。
イワノフが本当に直後に言ったんですが、15キロトンと言う数字が頭にあったのは事前通報を先ほど中国に対しては20分か30分前に通報したんですが、モスクワには2時間前に通告しています。
その時に実験規模、威力を言ったはずですがそれは報道されていません。
で、今言ったイワノフ国防相の15キロトンと言うのは、おそらくモスクワに対してはですね。
おそらく15キロトンと言ったのではないか?
逆に言えば中国の4キロトンと言うのは正しいのかどうか?という問題もある。

★西岡力氏

元々北朝鮮は4キロトンではなくて、15キロトンの実験をしようとしていた?

★恵谷治氏

私はそう考えています。

★西岡力氏

と言うのが恵谷さんの考えですね?

★恵谷治氏

つまり通常のいわゆる、古い技術ですね。
作ればだいたい15キロトンから20キロトンの物が出来るはずで、その威力を小型化する。
これは先ほど言った起爆装置の問題とはまた別の問題です。
威力を小型化するというのは大変に高度な技術が必要です。
ですからもちろん4キロトンくらいではやってやれない事は無い。
北朝鮮で出来るかどうか?と言うくらいのところなんですが、いずれにしろ彼らの技術を考えると通常の作り方をすると通常の破壊力、つまり15キロトンから20キロトン。
その設計で実験をした結果、未熟爆発と言うブチッというのが0.5キロトンと言うというと非常に。

★西岡力氏

15キロトンと0.5キロで30分の1。

★恵谷治氏

それくらいであれば、いわゆる未熟爆発、早期爆発という事が言えると思います。
ですからこれは今お話したのは私の推測でありますが、おそらく北朝鮮としては15キロトンの物を、つまり中国が4キロトンと言っているのは無視をしてと言いますか。
私の考えでは北朝鮮は15キロトンの物を実験した結果、結果的に0.5キロトンの破壊力しか発揮できなかった。

★西岡力氏

とにかく0・5キロトンだった事は事実ですから、中国に4キロトンと言ったと。
あるいは15キロトンだと、どちらにしても想定した物が出てこなかったと。

★恵谷治氏

そういう事ですね。
想定した威力の物の何十分の1か。

★西岡力氏

恵谷さんの説だと30分の1だし、中国の言われている事が事実だとしても8分の1。

★恵谷治氏

その通りです。
ですからいわゆる設計どおりの威力が出なかった。
失敗した。
ただし、その未熟爆発でも曲がりなりにも名前は核分裂と言えますから、それなりの爆発が起きます。
その振動を当然現地では、報道されている豊渓里(プンゲリ=咸鏡北道吉州(キルジュ)郡豊渓里)と言う場所ですが、そこで地震を感じたはずですし、そこに立ち会った人間は成功したと思って第一報を平壌に送ったはずです。

★西岡力氏

そこでちょっと疑問なんですけど、北朝鮮は核実験をすると言って10月3日に発表して、テレビで何回もアナウンサーが言っていて、するするって言っていましたよね?
するすると言ってやったわけですから自信が無ければ出来ないはずですから、特にテポドン2が爆発してしまったと国際社会に言われている。
恥をかいたわけですね?一回。
国防科学院に対してね。
同じ部署ですよね?ミサイルと。
そうすると2発めのミサイル発射については原因究明が出来なくてやれなかったと私は思っているんですけど、とにかく一度ミサイル発射で失敗した同じ部署が、満を持して予告して核実験をしたと。
中国に対して4キロトンと言ったけど、少なくとも中国に対して言った物の8分の1しか出来なかった、失敗してしまった。
これは相当おかしなことじゃないですか?
なぜ失敗したんですか?

★恵谷治氏

ですからいろんな原因が考えられると思うんですが、その今言った32面体の配線が、分かりませんよ?
例えばの話ですが、配線が古くなったので実験用に新しく部品交換をするときに、本来なら届くはずのものが届かずに代用品を使って、本当に極端なたとえ話ですがこういった様々な物をもっと極論するとですね。
コピー用紙がない。
そうすると必要な指示を必要な部署に全部を配れない。
そうするとこっちは知っていてもこっちは知らない。
あらゆるシステム工学的な事を考えると、あらゆる事が完全に出来なかった。
そうするとこういう大規模プロジェクトで言えばですね。
どこかにミスがあってそれが連鎖で失敗したと、いうふうになります。

★西岡力氏

しかしそうなるとですね。
北朝鮮はミサイルを発射した・核実験をしたと言うのは、アメリカが金融制裁で締め付けをしてきたので、それを解かせようと思って威力を見せようとしたけれども、恵谷仮説で言うとアメリカの金融制裁や日本の取締りの結果、金融制裁に対して威力を見せようと思った核実験やミサイル実験が失敗してしまったと?

★恵谷治氏

はい。

★西岡力氏

という事になるとブッシュ大統領の思う壺にはまっていく事になりますか?

★恵谷治氏

私はそう思います。

★西岡力氏

追い込まれていて、追い込まれているところの脱出口を作ろうとしてミサイルと核をやったけれどそれも失敗した。
いよいよ追い込まれている?

※(2)-2に続く
   

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東京連続集会22(2)-2  投稿者:ぴろん  投稿日:11月14日(火)17時11分13秒    引用 
   ※(2)-1より続く

★恵谷治氏

そういう意味ではカウントダウンでありまして、先ほど最初に申し上げたように再実験ももうやる余力がない。
あるいはやるためにはですね。
完璧に今度は設計どおりに威力を発揮しないといけませんし、その準備あるいはそういう部品その他の調達、それに伴う資金、非常に厳しい状況にいるというように私は思います。

★西岡力氏

先ほど科協の話が出たのでもう一回、ここでは何度も話しましたけど、確認をしておきますけども。
つまり去年の秋以降、日本の警察が科協や総連の取締りを厳しくしている事が効いている、そういう事ですか?

★恵谷治氏

まさにその通りです。
逆に言うとそれは私の想像では、ワシントンとの協力関係で何が必要なのか?
もっと正確に言いますとですね。
この部品あるいはこの物資を日本のある企業が作っているとして、その移動・移転を監視しろと、個別にそこまで来ています。
ですからここだけの話ですが、そういう監視体制はもう完成しています。
ですから必要な部品が平壌には届かなくなっています。

★西岡力氏

去年の10月に科協本部の事務所が薬事法違反の容疑で家宅捜索されたときに、コンピュータが全部押収されたと。
恵谷さんが先ほどFAXと言いましたけど多分FAXは80年代の話で、北朝鮮から部品の調達はEメールで来ているはずです。

★恵谷治

ええそうです、その通り。

★西岡力氏

そのEメールのやり取りを全部日本の警察は去年の秋以降、掴んでしまった。

★恵谷治氏

ですからそういう影響でテポドン2号も失敗し、核実験も失敗している。
となればですね。
それを成功させることは出来ないと、こういう事です。

★西岡力氏

という事はアメリカの制裁だけでなくて安倍晋三さんが去年官房長官になって、拉致問題特命チームを作って法執行班を作って、今まで余りにも甘い法の適用を当たり前に厳しくするという事をやった結果、ミサイルと核が失敗したと。
恵谷仮説で言うとそういう。

★恵谷治氏

はい。

★西岡力氏

元々もっと早くやっていれば、こんなにはならない。(笑い声)

★恵谷治氏

本当にそうです。
と、もうひとつ、そういう意味で言えばテポドン2号が成功していればですね。
その前ご存知のように去年の2月に核保有宣言をしています。
ですから保有宣言をしてテポドン2号が実験に成功したとなれば、ワシントンに対して強い圧力がかかるから、そういう意味で核実験もまだしなかったと思います。
しかし見事に失敗した。
となればワシントンへのメッセージ・プレッシャーとしては、次はじゃあ核実験をやれと。
ご存知のミサイル実験の後ご存知のように40日、金正日は隠遁生活の好きな男ですから、40日姿をくらましていた時はですね。
そういう事を考えていたのではないか?と思います。

★西岡力氏

で、70回も起爆実験をしているから絶対に大丈夫だと。
満を持してカードを切ったと。
そしたらばぷしゅっとトマトがもれちゃったと。
この恵谷仮説が正しいかどうかと言うのは、つまりこの次核実験を近くするかどうか?
それで分かる?

★恵谷治氏

ええ、実験をしてそれで成功するかどうか。

★西岡力氏

それで成功するかどうか?
しかし、今すると2回目の制裁になっちゃいますよね?
2度やるんなら早く、次の日とかにやれば国連安保理の制裁決議がかかる前にやってしまえば1回の制裁で済むんですけど、今すると安保理決議がかかったのにまたやったという事になって圧力が高まっちゃいますよね?

★恵谷治氏

報道もそうなんですが、パキスタンは6回、二日に分けて5回と1回やりましたが、初日に5発やりました。
その記憶があるもんですから連続実験なんていいます。
あるいはいろいろな方が次々と実験するんではないか?と。
じゃあ北朝鮮にいくつ核爆弾があるのか?それをどんどん消費できるのか?いう問題があります。
逆に言えば中国が最初に核実験をやった77年、64年か。
ちょっとごめんなさい数字を覚えていない。
とにかく最初の核実験をやったのは1発で、1年置いてやって、つまり過去の例を見れば印パを除けばそんな連続実験なんかしていないんですね。

★西岡力氏

ただし、それは成功しているという事ですよね?
中国がやって1発目最初に。
成功しているから1年後に再実験。

★恵谷治氏

はい。
ですから、言いたいのはですね。
新聞報道でいくつも核実験が出来るような、つまりパキスタンも5つもやったんだから連続と言う報道があるんですが、それは全く見方が間違っています。
パキスタンの場合はですね。
1980年代にはもう何十発も作っておりまして、彼らは持っていると常に言っておりました。
しかし誰も信用していないと言いますか。
で、結果的にインドがやったがゆえに対抗措置として5発5連続でやった。
そういう事がなければ1発で十分だった。

★西岡力氏

パキスタンは未熟爆発は無かったんですか?

★恵谷治氏

パキスタンはすべて成功しています。

★西岡力氏

そうすると北朝鮮としては虎の子の何発しか無い、10発とか10何発かくらいのうちの二つをやるんだから、本当に絶対に成功すると思う起爆装置でやってるはずですよね?
さっきの話に戻っちゃうんですが、それが失敗しています。
物凄いダメージですよね?

★恵谷治氏

おそらく自信があったはずですから、がゆえにもちろん実験した。
あるいは事前通告もした。
それが見事に失敗したという事ですから相当なダメージです。

★西岡力氏

という、今までの話をまとめるとですね。
つまりアメリカが去年の9月から金融制裁をして、北朝鮮の核およびミサイル開発そして軍隊を維持するような資金の移動を止めることに関して、そして日本も去年の秋以降法律を厳しく適用すると言う制裁をして、日本の中から核の部品や技術指導がされていたのが、今はほぼ止めることが出来ている。
このまま続くと核・ミサイル開発も出来なくなりますし、軍隊も維持出来なくなるかもしれないし、それを解除してもらうための交渉をアメリカに要求しようとしていろいろ動いたけれども、アメリカは金融制裁は犯罪に対する法執行だから交渉の対象じゃないといって交渉を拒否している。

★恵谷治氏

それに補足して言いますと金融制裁というよりも法執行と言うのが正しいんですがそれは別として、言葉で言うと銀行間取引を停止させている。
そうすると商売はキャッシュでするしかない。
で、偽札もたくさん刷ってますからいくらでもキャッシュがあるんですが(笑い声)、こういう実話があります。

今年の2月にですね。
中国の東北部の瀋陽に北朝鮮の関係者が来てですね。
潤滑油を何万トンか、その数値は分かりません。
大量に買いたいと、でキャッシュはあるんだ、と持って来たそうです。
瀋陽の企業としてはですね。
いやいやこれだけのキャッシュを見てもこの中に偽の札があるかどうか分からないから、偽札検査をして確認をしたい。
でまぁ、ここは中国人だと思うんですが、商売が上手いと言いますか。
瀋陽には実は偽札鑑定機が無いんです。
おそらくそんなことは無い。
無いから北京から取り寄せると、その費用を全部お前のところで持てと、それを言ったら取引に応じると。
そうしますと当然ご存知のように厳しい財政事情の中で余分な経費なんか決済出来る権限なんかありませんから、ですからすごすごと帰っていったといいます。

つまり、そういう事が各地で起きている。
ですから先ほど言った部品どころか、日本からの重要な部品どころか、国営企業であれ研究室であれなんでもとにかく入手が出来ない状況がどんどん続いている。

★西岡力氏

偽札や麻薬だけじゃなくて通常の貿易が出来なくなっている。

★恵谷治氏

通常の貿易じゃなくて、通常の買い物が出来ない。(笑い声)
そういう影響が出ているわけです。

★西岡力氏

私が最近ソウルで聞いたのは、ゴムが買えなくて豚の皮で靴底を作っている。

・・・その3に続く・・・

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東京連続集会22-(3)

   核実験の暴挙・どうする救出運動 緊急集会(東京連続集会22)
06.10.19 友愛会館にて

『北朝鮮情勢について その3 (話し手:恵谷治氏・西岡力氏)』

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★恵谷治氏

ですからまぁ、そういう実態を見ればですね。
ミサイル発射あるいは核実験と言う巨大プロジェクト、現代で言うとシステム工学が要求されるものがこれはもう出来ないと言っても良いと思います。

★西岡力氏

そうなるとですね。
彼らにとっては最悪のシナリオで、失敗はしたけれども国際的には制裁が高まってしまった。
国連の安全保障理事会で中国もロシアも賛成した全会一致のミサイルでは非難決議、そして今回は制裁決議が通った。
日本も独自制裁を2度したと。
そして今度は国連決議に基づいて船舶に対する検査をするかどうかと言うところまで来ている。
しかし彼らは失敗してしまって、アメリカを脅すことは出来なくて2国間交渉にはならなくて、金融制裁を解いてもらおうと思ったら逆にもっと強まった。

★恵谷治氏

今の話を整理すると、まずアメリカの金融制裁。
それからご存知の日本独自の経済制裁。
それに今回の国連制裁。
プラス、私が記事に書いてご存知かどうか分かりませんが、米軍による5030という謀略作戦がある。
これは秘密作戦なんで中々表には出ません。

★西岡力氏

ちょっと待ってください。
まだ分からない人が多いです。
5030って数字の番号なんですか?

★恵谷治氏

はい。
これは米軍がというか太平洋軍の作戦計画が5000番台、あるいは中東軍だと7000番台とかいう。

★西岡力氏

米軍の作戦番号なんですか?

★恵谷治氏

はい。

★西岡力氏

太平洋軍は5000番台なんですね?

★恵谷治氏

そうです。
もちろん知られている限りは5026と言うものがありますが、これはですね。
90年代に核問題が浮上したときに、先ほど言いました寧辺の核施設を限定空爆する、と言う計画です。

★西岡力氏

それが5026、5026の限定爆撃。

★恵谷治氏

そういう作戦計画は出来たんですが、ただそれを考えているうちに、米軍側は限定だと思っていてもですね。
金正日側は攻撃されたら全面戦争だという、当然そういう反応がありうる。
であれば今度は全面戦争の作戦計画が必要だという事になりまして、次なる5027という作戦計画があります。

★西岡力氏

5027は全面戦争の作戦計画ですね?
報道で別なのが出来たと、ニューズウイークにも5027書いてありますよね?

★恵谷治氏

5027はまず米軍の地上軍が行って、まだ1990年代初めの作戦計画です。
ですがこの5027はもう現実的には米軍ではもう対応できません。
それよりもその作戦計画によるとですね。
朝鮮戦争当時と同じ50万の兵力を投入する、と言う計画ですからこれはもうこの21世紀は不可能。

★西岡力氏

で、恵谷さんはそうじゃなくて今5030と言ったんですけど、その間に何かあるんですか?

★恵谷治氏

ええありますが、いろいろとまず。

★西岡力氏

今26、27と言った、28、29ってあるんですか?

★恵谷治氏

28がきちんと、つまりこれはすべて機密作戦なわけです。
表に出ているはずが無いんですが、それは別として、5029と言うのがあります。
この29と言うのは何か?といいますと北朝鮮において何かが、北朝鮮の中でクーデターが起きる、あるいは暴動が起きる、あるいは大地震で大災害が起きる。
つまり在韓米軍あるいは韓国軍にとって重要な異変が起きたときに対処する作戦計画です。

★西岡力氏

北朝鮮の内部で何か起きたときに対処する。

★恵谷治氏

それが5029です。
5030と言うのは実は在韓米軍だけの作戦計画ですが、5029までは韓国軍と在韓米軍の共同作戦でした。
しかしこの29を策定するに当たってですね。
有事、北朝鮮が混乱したときをどう判断するか?
という事で韓国側と交渉が上手く行かず、この5029と言うのは韓国政府は承認していません。

★西岡力氏

在韓米軍と韓国軍の合同計画であるにも拘らず、韓国政府がそれを承認していない?

★恵谷治氏

そういう事です。

★西岡力氏

じゃあ、使えないじゃないですか?

★恵谷治氏

そうです。
ですから今のところ5029と言うのは宙に浮いた計画です。
それで最初に言いました5030を策定するに当たっては、在韓米軍独自でやる。
韓国を入れない、と言う作戦計画です。

★西岡力氏

それでその5030と言うのはどういう計画ですか?

★恵谷治氏

これは秘密作戦、謀略工作です。
ご存知のように皆さん有名なCIAというものがいろんな謀略を過去においてやってきました。
毒針で暗殺するとかですね、いろんな謀略をCIAがやっていました。
CIAではそういう悪面もあって、あるいはアメリカ政権内部のいろんな問題もありましたけど、非常に規模が縮小されています。
今また多少復活していますけど。

★西岡力氏

つまり5030はCAIでは無いという事ですね?

★恵谷治氏

はい。
その5030の特徴は今言ったイメージ、過去におけるそういった謀略工作をCAI・中央情報局ではなく、国防情報局、つまり米軍が行う。
という事がひとつ。

★西岡力氏

だから作戦番号が通し番号でついているわけですね。

★恵谷治氏

そうです。

★西岡力氏

軍の計画として謀略をする?

★恵谷治氏

これは本来は軍の仕事では無いといいますか、つまり戦闘兵器をもちいて戦闘する行為ではない。
本当の意味での秘密作戦。

★西岡力氏

具体的にそれが今の核やミサイル問題とどう関係するんですか?

★恵谷治氏

ですからこの5030の最大の目的は金正日政権を倒す。
その手段についてはあらゆる可能性を探る。
単純に言えばですね。
金正日の警護員を騙して暗殺させる。
出来る出来ないは別として、とにかく考えられる事を全部選択肢として、その中で今度は実行可能なものをやっていく。
例えば党の最高幹部を亡命させる。
あるいは軍に不満な人間がいれば、彼を支援する、彼のグループを支援する。
しかしもちろん、北朝鮮は厳しい監視社会ですから大変難しいですが、とにかく考えられる事はすべてやっていくというのが5030です。

★西岡力氏

それで思い出しましたけど、恵谷さんが確かSAPIOに書いたと思います。
呉国烈という幹部で今は党の作戦部長。
つまりテロや拉致をやる部署の責任者の息子がアメリカに亡命した、という情報ありましたよね?

★恵谷治氏

おそらく私の考えではテロの総責任者である、呉国烈を亡命させようとしたんではないかと思うんですね。
そのパイプ役に息子を使ったんじゃないか?と私は思っています。
これはもう秘密作戦ですから、詳しい結果はいずれ50年後60年後に分かるかもしれませんが、いずれにせよその呉国烈の息子が亡命したのは事実なんですが。

★西岡力氏

事実なんですか?
呉国烈の息子が亡命したのは?
アメリカに?

★恵谷治氏

はい。
その亡命方法が興味深いと言いますかね。
当然、韓国にも亡命されている方がたくさんいますが、可能であれば自分だけでなく家族あるいは親族と一緒に亡命したいと当然思います。
で、呉国烈の息子の場合はですね。
家族は当然一族郎党40人を一度に亡命、つまりその。

★西岡力氏

40人?

★恵谷治氏

40人です。
40人をですね。

★西岡力氏

家族とか知人とかそういう人たちを全部?

★恵谷治氏

親族です。

★西岡力氏

家族、親族ね。

★恵谷治氏

それでその船でたくさんの方が亡命していますが、彼らも一隻の小さな船に40人も乗り込んで上手く清津を出港して、その40人が通常であれば漂流して食料・水なんか無い状況でギリギリですから。
で、5030の担当者はですね。
とにかく携帯電話、無線も含めてすべて持って、その船をですね。
日本海の沖で米軍が潜水艦を出しました。

★西岡力氏

アメリカの潜水艦が亡命者を救い出す?

★恵谷治氏

その40人をすべて潜水艦に乗せて横須賀に着きまして、横須賀から飛行機でアメリカに行きました。

★西岡力氏

スパイ映画みたいですね。

★恵谷治氏

全くこれは、もっと言いますとその連絡役にどういう絡みか分かりませんが、中国人民軍の高官も絡み日本の暴力団も絡んでいると、いうくらい(笑い声)ちみもうりょう。
しかしそれくらいしないとそれくらいの計画は出来ません。

★西岡力氏

それは本当なんですか?

★恵谷治氏

これは本当に真面目にそれに携わった人間からも聞いていますし。
(会場より「何年何月ですか?」の声)2003年10月。
ですからこれは全く秘密作戦ですから、恵谷がああいう事を言っていたけど?と誰かに聞いてもすぐ否定されます。
そんなことは有り得ないと。
そういう作戦です。
ですから今言ったのは一つの例です。

★西岡力氏

NHKはソウル発の報道で亡命したと報じてますし、韓国の月間朝鮮も報道してますね。
報道は今みたいに具体的な話じゃないですけど亡命したと、名前が明らかになっています。
その呉国烈の息子が平壌から姿を消している事は事実で間違いが無い。
という事をやっている事と核・ミサイル、金融制裁とつまりどういう関係があるんですか?

★恵谷治氏

それは今言ったそういう中に当然、国防科学院の人間も・・・(聞き取れず)。
とにかく様々なことが、ですから私も分かりませんし具体的に説明できませんが、その5030という秘密工作・謀略工作によって今回のミサイル発射あるいは核実験と言うものが、つまり国防科学院が主管するプロジェクトのどこかに関わって。

★西岡力氏

では意図的にアメリカが何か謀略を仕掛けて、ミサイルや起爆装置が上手く作動しないようにしたっていう可能性さえ考えられると?

★恵谷治氏

私はそう思う。
ですからそれだけで先ほど言った様にまず金融制裁から日本の独自の制裁で、これが核実験を行う・・・(聞き取れず)
今後国連の制裁がありますし、その前にこの5030のこの3つの力でテポドンの発射が失敗したし、今度は国連と言う世界規模の力がかかりますから、何回も言うように2度目の核実験と言うのはとてもじゃないが出来ないんでは無いか?
逆に言ったらやったらまだまだ体力はある、というふうな判断基準になるんでは無いか。

★西岡力氏

内部矛盾がどんどん高まっていくという事だと思うんですが、だったら北朝鮮の内部はどうなっているか?と言う情報は無いですか?

★恵谷治氏

一番大きな変化はですね。
人民軍が自給自足になって久しいんですが、部隊で敷地で畑を作り・・・(聞き取れず)を蒔いて豚を飼ってと自給自足社会。
しかしそれ以外はですね。
言葉で言う、・・・・・(聞き取れず)ある程度の秩序は守られる。
しかしそれは今度国民の側から見るとですね。
人民軍が、部隊が来るととにかく当然女性は隠れなさいと言うような、あるいは民家に入って焼酎を造っていたのを出せ、あるいは豚の肉を出せと謀略無尽だったんですが、それがしかし現在はですね。

実は人民軍党内文書によりますと、今年に入ってから100件の武器盗難事件があった。
それは機密文書でその資料を元にこういう幹部の集まりで講義をする。
でその資料で、(隣で西岡氏が「1000件」の声)失礼、1000件。
1000件が発生して注意するように。
つまり単純に言うと人民軍が持っていたカラシニコフ1000丁が民衆側に隠匿されている。
これももちろん各地でバラバラですから、一ヶ所にあればもっと力になると思うんですが、いずれにしても過去にはそういう事件は起き得ない状況でした。
つまりですね、住民があそこに武器があるのは当然知っている。
しかしこれまではそれを盗むとかいう発想はありませんでした。

もう一つ同じような意味で、今年大水害がありました。
金正日にとっては年中自然に助けられて水害で援助をしてくれると、今回はほとんど集まらないんですがそれは別として、水害のところをニュース映像で見ますと人民軍の兵士がほとんど映っていない。

★西岡力氏

復旧作業に映っていないという事ですね?

★恵谷治氏

龍川(リョンチョン)の大爆発事件がありましたが、あのときには人民軍が飛んでいってすべて復旧作業に当たったんですがそれと正反対です。
聞く所によりますと大水害で人々は大混乱で、もちろん復旧も救護もありますが、人民軍は何をしていたか?というと、もう襲われるんでは無いか?と住民にですね。
武器庫・食料庫の守備防衛に当たっていて、復旧作業などとても出来ない。
それくらい緊張が高まっているというのが私に入っている情報です。

★西岡力氏

思った以上につまり金融制裁、あるいは日本の制裁、5030心理戦計画などが効いていると。
そしてアメリカはさっきの作戦部長と言うのは拉致をした責任者ですから、その呉国烈本人が来れば何人どこにいるか分かるくらいの重要な人物を亡命させようとして、少なくともその息子と一族郎党を40人を亡命させることは出来ている。

★恵谷治氏

ですから拉致問題のことで言いますとですね。
アメリカ政府との交渉で呉国烈、まぁ息子ですからどの程度の情報を持っているかどうか分かりませんが、接触して本人から直接話を聞くというのも一案ではないか?と。

★西岡力氏

呉国烈の息子にですね。

・・・その4に続く・・・   

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東京連続集会22-(4)

   核実験の暴挙・どうする救出運動 緊急集会(東京連続集会22)
06.10.19 友愛会館にて

『北朝鮮情勢について その4 (話し手:安明進氏・恵谷治氏)』

★西岡力氏

ちょうど安明進さんが来てくれたので、今ソウルで最近のですね。
今のと関係して北朝鮮の内部の話、内部矛盾が高まっているという事について新しい情報があると聞いているので、安さんに一言。

★安明進氏(通訳:西岡力氏)

(拍手、日本語で)皆さんこんばんは。(「こんばんは」の声、拍手)
(以下朝鮮語で)このような集まりにはいつも来て、皆さんにご挨拶したいと思っていたんですけど今日はちょっと遅刻してしまいました。
最近の北の核実験、そしてこちらからの経済制裁、また軍事作戦の話が出てくる中で、北の内部がいったいどうなっているのか?
普通の国であれば分かるわけですけど、隠されているその内部を我々知りたいと思うわけです。

実は核兵器についてはですね、私が北朝鮮にいた90年代の初めまでの時期でも実はすでに持っているんだ、という内部ではですね。
そのような自負心を皆持っていました。
今になって国際社会が北朝鮮の核兵器が脅威であると言って対応を始めるというのは、私から言わせると余りにも遅いんじゃないか?と言う気がします。
その核兵器がミサイルに乗って実際に周辺国に脅威を与えることが出来るかどうか?と言うのが関心を呼んでいると思いますが、それだけでなくその核兵器が実はテロリストの手に渡るという核拡散の問題も大きな問題だと思います。

北の住民たちはもう核兵器を持っているという自信感を持っていたので、今回の実験でやっと私たちは核保有国になったんだと言うような反応は無いです。
むしろ北の住民たちの中では核実験をした事によってより一層の国際的な孤立を呼び、国家が崩壊してしまうのではないか?と言う憂慮の声が高まっています。
特に大規模にこれまで北朝鮮を支えてきた中国からの支援が減少を見せ、また韓国の中でも北朝鮮に対するこれまでの支援を見直すべきだという声が高まっている事を受けて、北の内部でも二つの意見が対立している。
混乱状態になっています。

なぜ金正日がこのような時期に核実験をしたのか?と言うのは本人にしか分からない事でありますが、しかし彼の周囲にいる人間たちは、なぜ金正日が今の時期核実験の命令をしたのか?と言うことについて、やはり海外にある自分の個人資金が使えなくなったからではないか?と判断していると言う情報があります。
過去には金正日の個人資金は労働党の39号室が管理していましたが、今は金正日の家族・親戚が海外に直接出て行って管理をしている。

そしてまた張成沢という義理の弟が一時期金正日から遠ざけられていたのですが、また個人資金を管理しなければならないと言う必要が生まれて来て張成沢を再登用して中国へ送って、自分の個人資金の管理をさせていた。
しかし、中国当局が張成沢が来ても金正日の個人資金を完全に北側に渡す事はもうしなくなっている。
そういう中で張成沢の動向は今脚光を浴びて来ています。

外部ではですね。
北の中でハト派とタカ派がいて、タカ派が金正日に核実験をするように言ったとかそういう議論がありますが、北朝鮮の中で金正日に対して核実験をすべきだとかすべきではないとか、いうような事を言える立場の人間はいません。
ただし外部の勢力から大規模な物的な支援を引っ張ってくることが出来る人間が例えば朝鮮族で中国にいて、中国が核実験を止めればこれだけの支援をしてくれますよと言う形であれば、金正日に話をする事が出来る。

ある人は今回の核実験は北の軍部が指導したと言う人がいますが、北の社会と言うのは100ドル程度の外貨を使うのでも金正日の決済が無ければ出来ない。
すべての事は金正日の決済で行われている。
つまりこの核実験も金正日の命令で行われている事は間違いが無いという事。

外では今核実験について大変騒がしいですけど、北の住民たちはすでに核実験などと言っても無感覚になっています。
ただもう今日食べるもの、明日食べるものが確保出来るかどうか?
自分の生活だけに関心がある。

北朝鮮の核兵器の危険性と言うのは、つまり何人かの金正日及びその周辺の人間たちが危険な人間であって、その人間が自由にそれを使うことが出来るからこそ危険性が高まっている。
そしてまた今北朝鮮の状況の中で、最高指導部の中でもこのままこの危険な金正日と一緒に行けないと考えて、外部勢力と手を結ぼうと、あるいは外に逃げようという人たちが少しずつ姿を現しています。

金正日は馬鹿では無いから暴発なんかはしないだろうという議論もありますが、しかし金正日と言うのは自分のいない地球は必要ない。(笑い声)
朝鮮労働党がない地球は必要ないという事を公言する自己中心的な人間ですので、そのような人間が核を持っているのは危険であるのは間違いない。
この話を実は私がただ言っているんじゃなくて、実際1992年に北朝鮮の将軍たちの前で話した話だと。
また、そのときだけじゃなくて今もそのような話をしている。
自分の命が危なくなったらば世界も道連れにして核兵器も使って死のうという事を考える男であるという事。

北朝鮮は近く再び核実験をするという情報がありますが、私はすると見ています。
なぜなら国際社会は今回の核実験に対して北朝鮮を恐れなかったからで、馬鹿にしていると思った。
更にやらなけければならない。
実験場の場所には1回だけのための施設だけじゃなくて、2回3回4回が出来るような工事が同時になされていたからです。
もちろん今日の中国の代表団と金正日が会ってどんな説得をしたか分かりませんが、とにかく今回の事態が金正日の危険さを我々が分かる重要な機会だと思います。

★西岡力氏

最後に恵谷さんに、この今緊迫した状況の中で我々拉致問題に、日本人拉致被害者全員救出、それ以外の拉致被害者救出のために何をすべきなのか?
日本政府は何をすべきなのか?我々は家族会や救う会や国民は何をすべきなのか?という事を一言言っていただいて、それを受けて家族の人にコメントに移りたいと思います。

★恵谷治氏

正直言いまして、被害者を奪還する効果的な方法も今までありませんでしたが、安倍政権になって本当に私はですね。
安倍総理の言葉を聞いてご存知のように最後の一人、全員救出すると言われました。
これはですね。
日本的な言い方でありまして、最後の一人まで救出すると言うのはご存知のように金正日政権が倒れない限り不可能です。
逆を言えばあの表現は自分が任期中に倒れると。
で、別にそれは期待値ではなくて何らかの根拠、それは当然ながらワシントンでしょう。
そういった事を踏まえたうえであの発言になったと、こういうふうに私は思います。
それとは別に、ですから逆に言うと2年以内にはもう倒れる。
本当に秒読みで来年倒れてもおかしくないと私は思います。

★西岡力氏

2年でブッシュ大統領の任期が切れる。

★恵谷治氏

はい。
同時に安倍総理の任期も。

★西岡力氏

まぁ、自民党の総裁の任期ですから。

★恵谷治氏

それは別として、救う会家族会でどうするか?という事に関して言えば具体的に正直言ってありませんが、先ほど言ったように、押収物あるいは何度も申請したでしょうが、金賢姫その他ですね。
とにかく我々の手立てで第一情報と言うか、それをとにかく収集する。
逆に言えばそれは私は夜明けは近いというふうに確信しています。

で、ちょっと時間がなんですが、皆さんにこれを紹介します。
これは5万分の1の地図です。
この上に・・・・(聞き取れず)で見えませんが、最近は山に登られる方も2万5千分の1ですから、私は現役時代5万分の1ですからなじみがあるんですが、この3つのポイントが韓国、アメリカ、それからCTBTが確認した震源地です。
その中央に萬搭山と言う、2205メートルの山です。
皆さん衛星写真で見られたと思いますが、その場所というのがここです。

竪穴だ横穴だと言う議論がありましたが基本的に横穴で、先ほど安明進さんが言われましたが、ここからまた別の穴が伸びているはずで、とにかくこの直径は5キロ。
そこまでは絞り込まれていますがそれ以上は今のところはピンポイント出来ていないのと、実は今日アメリカからも情報で、先ほど0・5キロトン。
これは新聞報道ですが、聞くところによるとアメリカは0・55キロトンと分析しているそうです。
と同時に横穴を水平に掘って、あの衛星写真が写された場所は標高1200です。
1200で、萬搭山が2200です。

ですから単純言えば1000メーターあの中で爆発した。
水平坑道がL字型になっている。
つまりここで爆発したらこの坑道に爆風が出るわけですね。
しかしこちらには出ない。
もちろん塞ぐんですが、塞いでも吹っ飛びます。
そういう形でL字型になっているんですが、いうことだそうです。

あと最後についでながらというか、失礼ながらいました話は、最初の方に言った話は来週のSAPIOに書いてあります。
それには今の話が詳しく載っているので興味のある方はすみません。

★司会 平田隆太郎氏

恵谷さん、どうもありがとうございました。   

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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東京連続集会22-(5)

核実験の暴挙・どうする救出運動 緊急集会(東京連続集会22)
06.10.19 友愛会館にて

『横田滋 家族会代表のお話』

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皆さんこんばんは。(「こんばんは」の声)
前回、特に変わった事はありませんでしたが、「核実験を行います」と声明を出しまして、そしてその声明を中山補佐官が・・・(聞き取れず)をしました。
そして閣議で政府の制裁や安保理決議に拉致問題という事も入れて欲しいと・・・(聞き取れず)しました。
中山補佐官は、今回は制裁決議を満場一致で通すという事が目的なので入るかどうか分からないけど、努力しますと言うお話がありまして。
そして翌日塩崎官房長官から自宅に電話がありまして、昨日国連の大島大使に拉致という事も入れるようにと連絡しましたという事を伺いました。

そして今日この資料として配られましたものの中は・・・(聞き取れず)にありますけど、人道に対する国際社会の実現という形で拉致問題が織り込まれましたが、非常に政府の対応が迅速であって且つ国連の方でも素早くそれだけの決議がされたという事は、政府が如何に努力しているかの表れで、我々としてはありがたく思っております。

それからもう一枚のA版の方ですが、これは10月5日に東商ホールで関係試写会が行われまして。
そしてこの下の方に書いてありますけど11月25日に、GAGAの劇場とか109シネマズMM横浜とか109シネマズ川崎、新しくラゾーナと言うところが出来ましたんですが、ここの5階で公開されます。
・・・(聞き取れず)でも・・・(聞き取れず)でやるといっていますが、全国的に順次公開していくことが決まっております。
それから更にはこの前に11月の初旬には、例えば拉致議連だとか拉致された・・・(聞き取れず)等で試写会が開かれることになっております。

川崎では写真展が11月14日から開かれますがそれは駅の東口ですが、西口では2回同じ日に試写会が開かれることになっております。
それから先般も、横浜の瀬谷の集会に行ったんですね。
そこの公民館で集会が開かれましたけど、こういったものを公民会なんかで借り出して救う会で上映できないものだろうか?と言う質問がありましたんですが、それはGAGAの方に聞いてみましたらロードショー期間中というはそういったものに貸し出すことは出来ないという事で。
一般の劇場と同じ料金を取らなければ貸し出しはしないという事で、それは時期が過ぎると、だんだん安くなっていくという事を言っておりました。
各地でそういう上映の問い合わせが来ているという事で、また大勢の方が見てくださって、日本とはまた違った感覚で作った映画なので。

元々これは日本で公開する予定のなかった映画です。
日本人は皆拉致の事を知っているから、日本でやっても誰も興味を示さないだろうと思ったんですが、アメリカでの映画祭でずいぶんたくさん賞を取ったことから逆に争奪戦のような形になって、このGAGAと言う配給会社が権利を獲得したわけなんです。
それにアメリカでも試写会を、大使館か何かが後援か主催でそれでアメリカでも試写会をするという事になっております。
これによって、日本の人とは感覚は違いますけど、拉致の問題についてもまた新たな認識が広がるんじゃないかと期待しております。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※参考リンク

アブダクション=『めぐみ 引き裂かれた家族の30年』全国上映館リスト
   

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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東京連続集会22-(6)

   核実験の暴挙・どうする救出運動 緊急集会(東京連続集会22)
06.10.19 友愛会館にて

『横田早紀江さんのお話』

0001007m
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 

皆さんこんばんは。(「こんばんは」の声)
本当に長い間ご支援いただきましてありがとうございます。

皆様のご支援の中で、なんとか今日まで健康を持ちこたえながら活動を続けておりまして、おかげさまで本当に今回安倍総理が組閣で本当に拉致問題に対して熱心な方々が組み込まれてくださって。
ようやく私たちが望んでいた展開に、はっきりとした具体的な形で表してくださるようになって。
本当に私たちはいよいよ、西岡先生がいつも仰っていたように嵐の前の静けさという事を仰っていましたけど、本当にいよいよ嵐が吹いてきたなと言う状況になってきたんですが。

私たち家族会にとっては子供たちの命を預けているわけで、人質の人たちが向こうにいるわけですから、本当にこういう大変な状況の中でどんなふうになっていくのかな?と不安感を持っております。
本当に何とか無事に助け出されて欲しいと願っています。
結果は・・・(聞き取れず)皆様に頑張っていただいて私も頑張って来たのですから、本当に日本中が喜んで良かったって言えるような結果が出て欲しいと。
全部が全部、皆が生存しているか、どれだけの人がいるか、本当に分かりませんけど。
ある程度の覚悟はしながら、必ず少しでも元気な姿で帰ってきて欲しいと思っていますので、これは祈るしかないと、私はいつも一生懸命お祈りしているんですが。

なんとかこんなに分からなかった事がこんなにはっきりとした事に、少しずつですけど現れて。
めぐみの事だけでも死亡したと言われながら孫がいたり、夫だと言う人が北朝鮮の人だと言われていながら韓国人の被害者だったという事もはっきりと現れてきて、一つ一つの事が明らかにされてきたと言う事。

そして今いろんな事が、核の問題を通して北朝鮮と言う国が本当に恐ろしい。
本当にああいう国がある事が大変なんだという事が世界中が心から思うようになって、今どうしたらいいのかという事で考えてくださる。
本当に良いように、何とかあちらの心が変わってくれないか?と、それだけを願っています。
どうぞよろしくお願い致します。(拍手)   

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東京連続集会22-(7)

   核実験の暴挙・どうする救出運動 緊急集会(東京連続集会22)
06.10.19 友愛会館にて

『増元照明 家族会事務局長のお話』

0001008m

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

今、恵谷さんが核実験が失敗だったと仰って非常に心強く思いました。
あの、キチ、これは放送禁止用語で、精神異常の金正日がやはり核を持つのは非常に危険なことだと思いますので、失敗したことでまだ少し未来があるのかな?と思いました。

実は私、強硬な家族会の事務局長としては本当ならレジュームチェンジを言わなきゃいけないんですけど、それを言うと今まで反発が多いので余り言ってこなかったんです。
でも昨日ちょっと鹿児島でついつい、取材を受けていましてレジュームチェンジまで言ってしまった。
それが新聞に載ってしまいました。
ちょっと拙いかな?と思っているんですけども。
そこまでやらなきゃ、最後の特定失踪者の拉致被害者を取り戻すことは出来ないというのは私たちの共通認識です。

さらに北朝鮮問題の難民救援基金、守る会、皆さんの共通認識としてあの金正日政権があってはならないというのは共通認識なんです。
それを言うと本当にまだコンセンサスが得られないので、ここにいる方はほとんど皆さんお分かりだと思いますけど、その為には絶対に毅然とした姿勢で制裁を課していかなければならない。
そこで私たちが怯えていたら決してすべての拉致被害者の救出は出来ない、という事をこれから私たちは日本各地で皆さんにお願いするしかないんですけども。
安倍さんのやっている事を支持していただきたいという事をこれからも講演で言っていきたいと思います。

昨日の取材の中で私もちょっと不安になったんですけど、後ほど質疑応答されるでしょうけども、軍部の暴発と言うのが有り得るのか有り得ないのか?
金正日が自分の命が惜しいですから中々戦争に踏み切るという事は無いと私は思うんですが、ただ軍部が追い込まれて暴発する可能性と言うのは有るのか無いのか?と言うのを後ほどお教え願いたいと思っています。

とりあえず秒読み段階まで入ったと言うので期待をしながら、出来れば今年の冬を迎える前に解決してもらいたいと思っています。
ありがとうございました。(拍手)

すみません、29日からですね。
国連に行きまして、今国連決議では代表が先ほど仰ったように、国際的な人道の懸案でしたっけ?でしたね。
そういう文言で入っているんですが、拉致と言うこのハッキリした言葉で制裁決議をして頂きたいという、その要請に行って参ります。
実は1441号と言うイラクの経済決議のときも、クェート人拉致が入っていたように、それだったら日本人拉致それから12カ国に及ぶ拉致被害者が広がっているわけですから、日本人拉致だけではなくて世界中の問題であるという事を認識して頂くためにも、もう一度中国人とそれからタイ人とそれからマレーシア人それからレバノン、いろんな方たちが拉致されている事を国連大使たちに訴えて、北朝鮮による外国人拉致と言う文言をはっきり入れていただきたいというふうに思っています。

そうすれば核やミサイルが解決しても拉致の問題が残っている限り制裁決議は生きているわけですから、そこまでやはり私たちはやっていかなければならないと考えていますので、西岡さんたちと一週間ほど、ハードスケジュールになるかまだ分かりませんけども行って参ります。
よろしくお願いします。(拍手)

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東京連続集会22-(8)

   核実験の暴挙・どうする救出運動 緊急集会(東京連続集会22)
06.10.19 友愛会館にて

『本間勝さん(田口八重子さんの兄)のお話』

0001009m

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

皆さんこんばんは(「こんばんは」の声)
田口八重子の兄で本間勝と申します。

今の話の中でですね。
金正日が暴発するのかしないのかと言う問題が問われているんですけども、ただ国会の中でも自民党の内部でさえ暴発を招くから余り刺激するなとか、そのような声は出始めていますよね。
我々はそんな暴発なんか恐れていたら、この問題解決なんか出来ないんです。(拍手)
我々の家族が北朝鮮にいて本当に命は無事なのか?
もう心配しています、これ正直。

だけど、誰かはきっとね。
守ってくれる人がいるはずです。
全部北朝鮮の人民が悪いわけではないと思うんですよ。
本当に悪いのは金正日なんです。
あの人さえいなくなれば体制はね、変わるんです。(拍手)

もう本当にね。
この核問題が起きてね。
本当にこの拉致問題も一歩前進したとさえ私は思っています。
そこまで追い詰められたんだと、追い詰めなければあの国は何もしないんだと思っています。
引き続き、また支援をよろしくお願いします。(拍手)

それからちょっとお知らせなんですけど、我々川口で八重子の問題なんかも含めて特定失踪者の人たちが川口では8人もいるんですよね。
その問題でもって11月の19日に埼玉会館の小ホール、これはJRの浦和駅の西口にあるんですけども、「拉致問題を考える埼玉県民の集い」ということで、横田お父さん、めぐみさんのお父さんと我々の兄貴・飯塚繁雄、それと佐藤克己救う会の会長が来られて講話をしていただきます。
なにしろ会場が500人程度の狭いところなので、入れるか入れないかって言うくらいのところなんですけど、本当にそれを心配するくらいの人が来てくれればありがたいんですけど、ひとつこういう会もやりますので皆さんよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。(拍手)
   

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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東京連続集会22-(9)

   核実験の暴挙・どうする救出運動 緊急集会(東京連続集会22)
06.10.19 友愛会館にて

『北朝鮮情勢について その5(話し手:西岡力氏・恵谷治氏)』

★西岡力氏

今家族の方からですね。
同じような話があったんですが、これまではですね。
全員生存しているとその前提で交渉して欲しいと政府に言ってきたんですが、それはハッキリとかかってるんですね。
今後の是非政府にお願いしたい事は安全を確保したい。
全員救出と言うのはもちろんですが、今一番急がれる事は今生きている人の安全を確保するために出来る限りの手段を全部取って欲しい。
いう事を続けてお願いしていきたいと思っています。

どこにいるのか?と言う情報を取ることも大変大切なことですけども、それと同時に今ここまで我慢してもらって耐えて待ってている人たちが、混乱の中で怪我をしたりとか病気になっている人たちもいるかもしれないし、その中で治療が止まってしまったりという事が起きないように何が出来るのか?
是非、政府は体制を一新しまして総理が本部長ですから。
全閣僚が入っている対策本部が出来て、官房長官が議長で担当大臣で、私たちが一番安心している中山恭子さんがもう一度補佐官になって事務局長になってと言う、これ以上ない布陣であるとは思いますが、しかしだからと言って今直接北朝鮮にパイプがあるわけでは無いしラインがあって、今どこにいるか守ってくださいと言えるわけでは無いので。
是非情報室も出来まして、政策企画室も出来ていろんな事を考えていただける体制が出来ているので信頼をしているんですが、是非急いでですね。
安全を確保するために何が出来るのかと言う事を考えていただいて、この間中山補佐官にお会いしたときもお話をしました。

そしてその中でこれは増元さんが安倍総理に直接お話をしたりしたことですが、北朝鮮の内部に対する働きかけをして欲しいと。
短波放送を使うとかあるいはビラを入れるとか、口コミで脱北者から北の内部に情報を内部に入れるとか、あるいは日本の外交官が北朝鮮の人間にどこでもパーティとかで会ったらそういう事を言うとかですね。
いろんな形で日本の政府はすべての被害者を今生存を前提に救出活動に臨んでいると。
今生きている人たちに危害を加えたら絶対に日本国は許さないと。
その責任者を最後まで探し出して法の処罰を与える。
いう事をですね、繰り返し北朝鮮の内部に向けてメッセージを出して欲しいと。(拍手)
そして一方で守ってくれたり助けてくれたり、あるいは貴重な情報を提供してくれれば、政権が倒れた後や倒れる前に逃げ出してきたときに日本は褒賞すると。
傷つけたら許さないと、しかし守ってくれたり情報を出してくれたり助け出してくれたらお礼をするという事をですね。
北の内部に繰り返し繰り返し伝えて欲しいと。

米軍がベトナム戦争をしていたときにジョン・マケインさんと言う上院議員が捕虜になりました。
彼は5年捕まっていたんですね。
それ以外にも米軍の捕虜がたくさんいたんですが、例えば水の入っているプールに入れて、寝てしまうと溺れると言うようなところで寝ることも出来ないと言うようなところに入れられると言う待遇を受けていたとき、その中でアメリカは制空権を持っていましたからビラを撒いたんです。
「米軍は捕虜の米兵を捜している、最後まで捜している」
それを何らかの方法で見る事の出来た捕虜は、あるいは口コミでそういうビラが撒かれたと聞くことの出来た米兵は、「自殺しようかもう死んでしまおうかと思ったときに、頑張ろうと思えたんだ」という話をジョン・マケイン議員が、捕虜になった人たちがしている話を聞きました。

もちろん被害者に直接伝える。
荒木代表の特定失踪者問題調査会は「しおかぜ」と言う短波ラジオをやっていまして、そしてここでも来て貰いましたけども韓国にいる脱北者で金聖ミンさんたちがやっている自由北朝鮮放送では、私が毎週10分時間を持っていまして朝鮮語で今のような話をしているんですが、民間でちょぼちょぼやっているような状況なのか?と。
本当に、つまりやっていますと言う自己満足のためにやるんではなくて、本当に北の内部にどんどんどんどん伝わるような事を考えていただきたいという事をお願いしていまして。
で、相手のあることですからやったらばやる事に対してまた妨害電波が出たりしますので、余り具体的な事を表立って言わない方が良いことも有りますけども、それ以上手段や方法については言いませんが。
一部法務大臣の発言とかいろいろなことが有りましたけど、是非できる限りの事を政府として関係機関も考えていただきたい。

その第一の目標は安全の確保だ。
そして安全を確保していて最後に金正日政権が倒れる、あるいは倒れる直前に拉致問題で何か大きな譲歩をせざるを得なくなる。
自分の身の安全のために来る事が出来るかもしれない。
その時に本当の交渉が起きるかもしれないし、倒れた後誰が助けに行くのか?
倒れた後の政権に誰が一番早く話をして、倒れた後の政権が被害者を守るかどうかは、倒れた後に政権を取る候補の人たちに出来るだけ日本が本気であると。
国際社会が核とミサイルを差し出せば納得するかもしれないけれども、そうでは無いんだと。
実は国連の制裁決議に拉致問題が書き込まれていて、金正日政権が倒れた後核とミサイルが解決しても国際援助は来ないんだと。
めぐみさんたちが今生きているのが混乱の中で死んでしまったらば、日本は怒ってODAを絶対出さないと。

100人とか200人とかいう人を確保するのは、クーデターを起こす人たちにはそんなに難しいことではないと思いますが、優先順位が低いと思うんです。
しかしこれは何兆円と言うお金になると彼らが思っていれば、彼らはこれが解決しない限り国際制裁は解けないんだと思っていれば最優先で安全を確保するし、責任はすべて金正日のせいにすれば良い訳です。
その優先順位を上げるためにも、こちらが本気なんだと言う情報を内部に入れなければならない。
安全を確保して取り戻すためにも常に情報を我々が発信するという事。
荒木さんのところもなけなしのお金を無理して始めて、私も月一回韓国に行くって結構大変なことなんですが、普通の職場を持っていますから、是非出来る限りの事はやろうと思ってやってきたんですが、是非政府にも関係機関にも出来る事があるんであればやっていただきたいと。(拍手)

家族の人たちは今くたくたで活動されてますけども、早紀江さんがどこかで仰っていたのを聞きましたけど、出来る事をやらなかったと後悔したくない。
くたくたでも朝起きて出掛けるのは、今日出掛けなくて家で休んでいたら出来る事をやらなかったのではないか?と言うふうに思っていらっしゃるというのが、家族の率直な気持ちでそして安全の事を一番心配されていると思うんですが、その気持ちを安倍総理は分かってくださると思うんですが、ぜひ出来る事はやらなくて後悔するようなことだけにはならないで欲しい。
強くこの事を、先ほどの恵谷さんのお話を聞きながら考えましたし、もういよいよ嵐が来たわけですからその中で考えなくちゃいけない安全確保。
そして全員取り戻すためにそういう事を要求していきたいと思います。(拍手)

★司会 平田隆太郎氏

ありがとうございました。
・・・・・・・・(聞き取れず)質疑応答に行きたいと思うんですが、先ほど軍の暴発というご質問がありましたが、恵谷さん。

★恵谷治氏

暴発というのには、金正日の暴発と軍の暴発がありますが、まず軍の暴発と言うのは先ほど安明進さんも言われましたが、これは有り得ません。
金正日のサインがないと動けませんし、ミサイル発射も軍の暴発だったとか報道がありますが、これは北朝鮮の実態を知らない人の言葉です。

一方金正日の暴発については、これは先ほど安明進さんもあれなんですが。
いずれにしろですね。
現状・現在、これから来年再来年、それまでは持ち堪えないと思いますが、いずれにせよ現状では金正日が暴発仮にしたとして、日本に影響がある事はノドンが何発か飛んでくる。
ノドンと言うのは、私は西岡先生とは意見が違いまして、核弾頭は積んでいない。
ですからこれは通常1トン(爆弾)が降ってくる。
もちろん突然降りますから人的被害の可能性がありますから、心理的には大きな影響がありますが、先ほど皆さん言われたようにそういう事を恐れる必要は無い。

具体的に言いますと、1トンの弾道ミサイルと言うのはナチスドイツがロンドンに何千発も撃ちました。
その統計から見ますと一発につき死者5人・負傷者10人。
もちろんその中でも最大の死者は120人で、平均値で言うとそういう。
人口密度の濃いところに落ちればそういう事であって被害はその程度です。

ですから、ありうるとすればそれだけで、よく言われる南進があるとか冷戦思考で言われますが、もうソウルは金正日のものでありましてですね。
ソウルをわざわざ壊してまで手に入れる必要は(無い)。
無血入城が出来るわけですから、出来る現状になっていますから、そういう意味では暴発は無いと私は思います。

★西岡力氏

あとこれは安倍さんが官房長官だったときかな?
幹事長だったとき、国民大集会で言っていた事ですけどね。
ノドン一発撃ったらですね、彼が死ぬんです。
アメリカは5030計画の中でも、ステルス戦闘爆撃機を北朝鮮上空に入れて演習をしていますので。
ただ、アメリカは先制攻撃をしませんから。
しかし彼がどこにいてどういうふうに逃げるか?といろんな情報を取っていますし、死ななくてもフセイン大統領のような穴倉暮らしをずっと続けると。
贅沢なもの何も食べられなくて穴倉で暮らすことを覚悟しない限り。

一発(撃ったら)ミサイルと言うのはどこから撃ったかすぐ分かるんです。
北から来たと分かる。
と、もうアメリカは自衛権を発動するという事です。
命令者は金正日ですから、彼は命が無くなると。
彼は自分のいない地球は困ると言っています。
自分がいなくなる。(小さな笑い声)
先に彼が撃つという事はありえない。
それはもうハッキリしているので。

なぜ拉致をしたのか?と言うのも、テロをすると報復されるんですね。
だから自分がテロをしながら、日本人を拉致して日本人のせいにするために、わざわざこんな複雑な手続きをして大韓航空機を爆破したんです。
自分の工作員にさせればいいわけです、相手を嫌な気持ちにさせるのなら。
それを報復されて自分が殺されるのは嫌だ。
そして日本は拉致をしても報復してこないと思ったからされたんです。
当時の日本は。
実際しなかったわけです。

彼が臆病なのは明らかですから、自分がトロを食えなくなる。
ミサイル発射のときも制裁をしたら、先制攻撃も何も出来ないんです。
万景峰号が入って来れなくなっても何もしていないんです。
今回も日本が独自制裁をしても何もしていないんです。
次言うとすれば、「撃つぞ!」と口で言うくらい。(笑い声)
しかし、今回撃つぞと言っても乗せるものがトマトがべちゃっとなっちゃって、失敗したわけですよ。
怖いものは何もない。
怖くないんだと、制裁をかけた後怖くないんだと我々思えばいい。

そういう点で完全に彼は追い込まれていて、暴発論と言うのは逆に「暴発するぞ!」という事を日本の世論に言わせようとしているんです。
嫌な気持ちにさせることはできると思いますが、それは日本の中に工作員が100人くらい入っていて、何かテロをすると言う危険性はゼロでは無いですが、それもそれをやってしまえば一回使ってしまえばおしまいですから。

彼が日本の中に入っている工作員を使うときは、自分が殺される直前に、自分を爆撃に行くアメリカの爆撃機が行かないように滑走路に爆弾を仕掛ける。
自分の命を守るために使うか、朝鮮戦争で自分が勝ちそうになってソウルを取れそうになったとき以外に全員を使うことはありえない。
嫌な気持ちにさせるために、どこか煙が出たとか言うかもしれませんが、そういう事で野良犬と言うのはキャンキャン吠えますが怖くは無いという事です。
今まで彼らは実際に自分の身を危険にさらしてまで何かテロをしたことは無い。
逆にこちらが強く出たらいつも譲歩している。

金日成が謝ったのは「ポプラの木事件(※1)」と言う事件が1976年にあって、アメリカの米兵を殺したわけですけども、アメリカは戦争を覚悟して空母を送ったわけです。
そしたら彼らは謝った。
94年の第一次核危機のときも、アメリカは大変な被害が出ると言われても米兵を増強して戦争を覚悟したら向こうが折れてきた。
ギリギリまでは行きますけどギリギリ以上の事は出来なかったと言うのが今までの経験ですし、これからもそうだと。

特に今回はギリギリでやろうとした核もミサイルも失敗したと。
いよいよ怖くなくなって来ちゃった。
張子の虎が分かってきたという事を暴発だと言う人たちには言うべきだと思います。

・・・その6に続く・・・

※1ポプラ事件について    (★Wikipediaより)

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東京連続集会22(10)

   核実験の暴挙・どうする救出運動 緊急集会(東京連続集会22)
06.10.19 友愛会館にて

『北朝鮮情勢について その6(話し手:恵谷治氏・安明進氏)』

★恵谷治氏

今言われたようにですね。
暴発あるいは核の恐怖、あるいはノドンが降ってくる。
それはべつに工作員の教育を受けて普通に週刊誌等に書いている訳じゃないんですが、これこそが最高の工作なんですね。
勝手に思わせる。
何度もテレビでも、呼ばれてそういう事を言うんですが、当然そこはカットされる。(笑い声)
それプラス、「仮に東京に核が降ったらどういう被害がありますか?」と言うからしゃべったら、そこだけは使われてあれなんですが。

とにかく、まず暴発はありません。
核も降って来ません。
ノドンも飛んで来ません。

だけどもちろん先ほど相手は放送禁止用語とあれですが、私は正しい日本語を、相手は「狂人」ですから(笑い声)何が起こるかわからない。
それは一方でちゃんとする必要はあるんですが、とにかくまず北のそういう軍事的脅威は無いと。
あるいはあるあると騒がれて出るのはですね。
金正日はテレビを見て、これで良いんだと高笑いをしていると思います。
ですから少なくともここにいらっしゃる皆さんは、暴発とかそういうのはありえないと、根拠があるんです。
今言ってきましたように。
それだけを頭に入れてどなたかと話をするときもしていただければと思います。

★西岡力氏

安さんが一言言いたいそうですけど。

★安明進氏(通訳:西岡力氏)

金正日が判断を誤るような、そのような機会を国際社会は与えてはならないという事です。
今、北の中ではタカ派とハト派がいると、強硬派とソフト派がいるというような解説こそが金正日が判断ミスを犯させる契機になってしまう。
強硬派がいるということになれば、金正日がすべての悪辣な犯罪を犯した責任者であるにも関わらず、自分は責任を取らずに済むと彼は誤解をしてしまう。

ここにマスコミの方もいらっしゃいますけど、北の中では意見が分かれていて、金正日と関係のあることで何か行動が起こるというような報道は是非しないで欲しい。
すべて北朝鮮で悪い事が起これば金正日の責任であって、責任は追及されるというふうに彼に思わせるような報道をすれば彼は何も出来なくなる。
自分に責任の追及が来るんだと思わせなければならない。
金正日が一番悪い奴で、北がやっている悪い事はすべて金正日の責任だと言ういう事を忘れないでいただきたい。(拍手)

★司会 平田隆太郎氏

長くなりますからここで。
外へは暴発はしないという事で、内に向かってはあるかもしれませんね。
特に金正日に向かってこれはありえますよね?(笑い声)

★西岡力氏

5030というのはそういう事を誘導しようとしてやっている。

★恵谷治氏

ですからもっと言いますと、これまでですね。
クーデターと言うのは私の計算では、大体3年に1度くらい合議があり事件が発覚し首謀者が処刑。
これは過去に何度もあります。
その原因と言うかクーデターが出来ないのは、人民軍内部には3つの密通ライン。
いわば秘密警察あるいは軍の保衛部、あるいは党、その報告が上がるとそこに矛盾があればすぐ追及される。
というふうにきちっと情報管理、あるいは密告制度。
それが機能しているからこれまではクーデターはすべて発覚したんです。
ですから今後はですね。
そのラインが崩れるようになれば軍の・・・(聞き取れず)を作りますから、いわゆるクーデターのような動きはそれは当然これから有るかもしれない。

実は95年の大飢饉のとき配給がガタガタに、その前から配給制度は機能しなくなっていたんですけども、あれでガタガタになって結果的にご存知の通り300万人が餓死した。
そのときには当然末端のいわば密告者も、あるいは彼らをコントロールする人間にも、食料が無くなっていく。
そうするとこんな仕事はやっていられない。
で当然今まで自分が監視していたあるいは密告していたんですが、当然自分がやられるかも分からんといって逃げる。
そういう約束があるから、あるいはそういう物質的に人々に・・・・(聞き取れず)。
そういう仕事をしていたんですから。

あの飢饉のときに見事にそういうラインに届かなくなって監視体制が緩んでいたところに、100万トンの米が行きました。
それでそのラインにすべて行渡って、密告制度・監視体制と言うのが倒れ掛かったのが立ち直ったんですね。
あのときに米を出してなければですね。
完全に崩壊、崩壊まで行かないんですが、大変なことになっていたでしょう。
で、同じような状況が今後そういう事に出てくる。
となれば暴発は平壌に、金正日に向くという事は十分に考えられます。

と、もう一点ですからとにかくマスコミ、テレビ雑誌、新聞はさほどではありませんが、とにかく暴発あるいは核の恐怖・ノドンの飛来というふうに書いている方仰っている方の8割は聞かないようにする。(笑い声、拍手)

★司会 平田隆太郎氏

お一人かお二人質問がありましたら時間をとりますが。
はいどうぞ。

★質問者1

恵谷さん、産経新聞のですね。
4面か5面に、トンネル作ったわけですよね、核実験の。
そのトンネルを作りに行った人は全部生還していないと言う情報が出ておったんですけども、その辺どうなっているんですか?
分かりますか?

★恵谷治氏

私もその話は聞いたんですが、当然十分にありうる。
もっと言いますと、ある意味先ほどいった萬搭山という場所が収容所と考えていた人間がいるくらい。
つまりそこで穴を掘らされて、そうすると単純に掘っている人は別ですが、ある程度の設計その他構造が分かる人は消されていると言う可能性もある。

もうひとつ先ほど後の方で言いましたが、暴発、私は暴発なんかないからという事を言っても、それはニュースに映像にならないんです。
つまり暴発があるといえば放映される・活字になる。(笑い声)
しかし暴発が無いって言ったって別にニュースじゃないですから、暴発がないと言うヘッドラインは無いんですね。
暴発がある・核は怖いんだと言うんでヘッドラインになるんであって、そこらへんが全く、それで皆さん勘違いをして何度もそういう設けるんですが、無いんです。

★司会 平田隆太郎氏

(※音声が全体的に不明瞭のため、テキスト化を断念。内容は閉めの挨拶です)

・・・集会終了・・・   

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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2006年11月15日 (水)

古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟

古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟より 

             竹下珠路さんの証人尋問要旨 

   古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟(第8回)
06.11.1 東京地裁606号法廷にて

『竹下珠路さん(古川了子さんの実姉)の証人尋問要旨』

★原告側 二瓶弁護士

(陳述書を示しながら)了子さんは11歳、年の離れた妹ですね。

★竹下珠路さん

そうです。

★二瓶弁護士

了子さんは千葉県立千葉商業高校を卒業し、三井造船の・・・(了子さんの学歴・職歴などの経歴を読み上げる、書き取れず)
このときの年齢は18歳ですよね。

★竹下さん

そうです。

★二瓶弁護士

了子さんが失踪したのはいつですか?

★竹下さん

1973年7月の七夕です。

★二瓶弁護士

卒業して仕事を始めた年ですね。

★竹下さん

そうです。
7月7日は土曜日で会社は休みでした。
美容院へ行って、その後は母と浴衣を買いに行く約束でした。

★二瓶弁護士

美容院へは連絡を入れていたのですか?

★竹下さん

そうです。

★二瓶弁護士

予約が当日変更になった?

★竹下さん

7日の当日昼ごろ美容師さんから母のところへ、予約がキャンセルになった事と美容院のあと買い物の約束をしていたので、その都合も悪くなったからと母に伝えて欲しいと伝言の電話が入りました。
美容師さんはいつもと変わらず明るい声だと言っていました。

★二瓶弁護士

どこから美容院へ電話が入ったのですか?

★竹下さん

千葉駅にいると答えたそうです。

★二瓶弁護士

その話はお母さんから聞いたのですか?

★竹下さん

はい、そうです。

★二瓶弁護士

美容師さんからも直接聞きましたか?

★竹下さん

私も美容師さんから直接話は聞いています。

★二瓶弁護士

7月9日に捜索願を出していますね?

★竹下さん

家出をする理由が考えられないのです。
それまで無断で外泊をした事はないし、悩みも心当たりが無い。
失踪する前日に支給されたボーナスも全額机の中にありましたし、着替えも持ち出していない。
預金も持ち出していません。
事故か事件に巻き込まれたと家族は思いました。

★二瓶弁護士

その後の状況はどうでしたか?

★竹下さん

全く消息がありませんでした。

★二瓶弁護士

その年の11月にテレビのワイドショーに出たことはありますか?

★竹下さん

はい、あります。

★二瓶弁護士

情報は何か得られましたか?

★竹下さん

一切ありません。

★二瓶弁護士

(質問を書き取れず)

★竹下さん

これは母が朝日新聞の尋ね人に出した、古川了子を捜しているという写真入の記事です。(写真参照)

★二瓶弁護士

それで情報は寄せられましたか?

★竹下さん

情報は一切寄せられませんでした。

★二瓶弁護士

もしかすると北朝鮮による拉致ではないか?と思うきっかけはなんですか?

★竹下さん

19○○年(数字を書き取れず)の3月に元北朝鮮工作員と言うテレビ番組を見て、母がテレビ局に連絡を取ったのがきっかけです。

★二瓶弁護士

(質問を書き取れず)

★竹下さん

このテレビ番組を見て母が担当者に送った手紙です。
まだ母の手紙が残っていたので、FAXで私の自宅に送信してもらいました。

・・・その2に続く・・・   
古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟より 竹下珠路さんの証人尋問要旨 その2  投稿者:ぴろん  投稿日:11月 2日(木)10時08分16秒    引用
   ・・・その1から続く・・・

★二瓶弁護士

(質問を書き取れず)

★竹下さん

ノブトモナオコさんというプロデューサーから手紙に対する返事が来ました。
電話を貰って古川了子さんについて重大なお話があるので、お宅にお邪魔したいというお話がありました。

★二瓶弁護士

このノートはなんでしょうか?

★竹下さん

私の備忘録です。

★二瓶弁護士

このノートのここに貼り付けてあるこの名刺はその時にノブトモさんから貰ったものですね?

★竹下さん

そうです。
家に来たときに受け取りました。

★二瓶弁護士

ノブトモさんとはどんな話をしたのでしょうか?

★竹下さん

安明進さんに会った事、妹を含めた20枚の写真を見せたところ古川さんの写真を一枚だけ取り上げて、915病院で会ったと証言をした、と言う話です。

★二瓶弁護士

了子さんが失踪後、初めての情報ですね?

★竹下さん

そうです。

★二瓶弁護士

2002年の小泉訪朝の時北朝鮮は拉致を認めましたが、その報道に接してどう思いましたか?

★竹下さん

拉致はやっぱりあった。
曽我ひとみさんのように今まで知られていない被害者が出た事で、妹も北朝鮮にいると思いました。

★二瓶弁護士

安明進さんにソウルで会いましたか?

★竹下さん

会いました。
ノブトモさんが手配をしてくれました。

★二瓶弁護士

その時、了子さんのアルバムを安明進さんに見てもらいましたか?
安さんはその時何を言いましたか?

★竹下さん

どの女性よりもお姉さんが(安さんの目撃した)女性にそっくりですと言いました。

★二瓶弁護士

安明進さんの話を聞いて妹であると確信を深めましたか?

★竹下さん

そうです。

★二瓶弁護士

安さんの話を聞いてどう思いましたか?

★竹下さん

妹は北朝鮮で生きていると思いました。
ようやく消息をつかめたと思ってホッとしました。

★二瓶弁護士

帰国後どんな動きをしましたか?

★竹下さん

千葉県警に要請・告発をしました。
人権擁護委員会、日弁連にも申し入れをしました。

★二瓶弁護士

日弁連に人権救済の申し立てをしたのですね?

★竹下さん

妹の拉致を認め、外務省などへ救出への要望書を提出していただきました。

★二瓶弁護士

特定失踪者問題調査会の1000番台リストに古川了子さんは上げられていますか?

★竹下さん

はい。

★二瓶弁護士

1000番台リストとは何でしょうか?

★竹下さん

拉致の疑いの濃い人たちが1000番台リストに上げられていると理解しています。

★二瓶弁護士

救う会でも拉致被害者認定されていますか?

★竹下さん

はい。

★二瓶弁護士

政府が認定している被害者と扱いは同じでしょうか?

★竹下さん

違います。
日朝交渉の成果などは特定失踪者家族へは、政府から声を掛けてもらって報告などを聞いた事はありません。

★二瓶弁護士

被害者家族として呼び出されて説明を受けた事はありますか?

★竹下さん

ありません。

★二瓶弁護士

最後になりますが、裁判所に対して言いたい事があったら仰ってください。

★竹下さん

(やや声を詰まらせながら)妹は拉致をされてから33年も過ぎてしまいまして、母も90歳になりました。
母が生きているうちに会わせてやりたいのです。
拉致被害者として認定し、救出活動に向けて行動して欲しいです。
一日も早く認定して欲しいと切に願っています。

※原告側質問終了、被告側から質問なし、裁判官からも質問なし。
証人尋問を終了

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟

古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟より 

                 安明進氏の証人尋問要旨 その1    

特定失踪者・古川了子さんの拉致認定を求める第8回の行政訴訟は、今回安明進氏と実姉の竹下珠路さんの証人尋問が行われました。
法廷内でどのようなやり取りがあったかを、これからご紹介させていただきます。
尚、ご存知のように法廷内は録音禁止のため、手元のメモによる発言起こしとなります。
拾えたのは発言の7~8割程度で、言葉尻などに多少の違いがあることなどはあらかじめご理解いただき、おおよそこういう内容のやり取りがあったというレポートとしてお読みいただければと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟(第8回)
06.11.1 東京地裁606号法廷にて

『安明進氏の証人尋問要旨』

★原告側 斉藤健兒弁護士

(証拠の文書を示しながら)この二つの文書の署名は安明進さんの物ですか?

★安明進氏(裁判所の用意した通訳を通じての発言、以下同じ)

そうです。

★斉藤弁護士

陳述書の証人の経歴では1987~1993年、金正日政治軍事大学でスパイ養成教育を受けたとありますが、その通りですか?

★安明進氏

そうです。

★斉藤弁護士

朝鮮労働党直属軍事政治大学と言うのが正式名称でしょうか?

★安明進氏

そうです。

★斉藤弁護士

1994年4月に大韓民国へ亡命したのですか?

★安明進氏

そうです。

★斉藤弁護士

古川了子さんを目撃したという事で端的にお聞きします。
いつ目撃したのでしょうか?

★安明進氏

1991年のある夜だったと思います。

★斉藤弁護士

月はいつだったか分かりますか?

★安明進氏

7月か8月だったと思います。

★斉藤弁護士

場所はどこですか?

★安明進氏

行政上、場所は秘密とされている915病院です。

★斉藤弁護士

時刻は何時ごろだったでしょうか?

★安明進氏

夕食後6時から6時半くらいです。

★斉藤弁護士

915病院の正式名称は朝鮮労働党・・・・(書き取れず)ですか?

★安明進氏

そうです。

★斉藤弁護士

一般の病院との違いはなんでしょうか?

★安明進氏

公開されていないので、一般人は入れません。
入れるのはスパイ活動をしている人か、拉致された人です。

★斉藤弁護士

安さんはどうして915病院に行ったのですか?

★安明進氏

学校の訓練中に怪我をしてその治療のために入りました。

★斉藤弁護士

時期は覚えていますか?

★安明進氏

夏の7月か8月頃だったと思います。

★斉藤弁護士

陳述書だと8月となっていますが?

★安明進氏

ハッキリは覚えていません。
7月か8月頃だったと思います。

★斉藤弁護士

ソウルで古川了子さんのお姉さんの竹下珠路さんと会った事はありますか?

★安明進氏

はい、会いました。

★斉藤弁護士

それはいつ頃ですか?

★安明進氏

2002年の年末です。

★斉藤弁護士

当時救う会事務局長だった荒木さんも一緒でしたか?

★安明進氏

そうです。

★斉藤弁護士

(証拠文書を示す・写真参照)地図のようなものに日本語とハングルが書かれていますが覚えていますか?

★安明進氏

覚えています。

★斉藤弁護士

竹下珠路さんと会ったときに目撃の状況を説明するために書いたものですか?

★安明進氏

そうです。
字が汚くてすみません。

★斉藤弁護士

地図のところに鉄条網のような××が書かれていますが、こういった図面を描いたのはあなたですか?

★安明進氏

そうです。

★斉藤弁護士

地図の内容について説明してください。

★安明進氏

病院の説明です。
私のいた病院、私が行こうとしていた学校、古川さんがいた病棟と学校へ行く道を描きました。

★斉藤弁護士

ここはどういう人が入院する病院ですか?

★安明進氏

学生だけが入院できる病院です。

★斉藤弁護士

目撃した女性はどの病棟にいたのですか?

★安明進氏

ちょうどこの向い側の病棟です。

★斉藤弁護士

間に200メートルと書いてありますが荒木さんが書いたのですか?

★安明進氏

そうです。

★斉藤弁護士

(質問を書き取れず)

★安明進氏

この黒い点が二つあるのですが、ここに立って言葉を交わしました。
右側が古川さんで左が私です。

★斉藤弁護士

この現場に出かけていった理由はなんですか?

★安明進氏

入院中で腕が固定されていたので・・・・・・・・・・(書き取れず)
通信機器や乱数票を取りに学校へ行こうとしました。

★斉藤弁護士

図面で行くと学校はどちらの方向になりますか?

★安明進氏

この図面で行くと真上、北側にあります。

★斉藤弁護士

女性とはどんな出会い方をしたのでしょうか?

★安明進氏

私が食事を終え、患者服から軍服に着替え、患者服を着ていた古川了子さんとここら辺で会いました。

★斉藤弁護士

ここら辺というのは?

★安明進氏

学校へ行こうと・・・(書き取れず)散歩用の道です。
私は交差した所を上に歩いていくとき、二つの道が交差するところです。

★斉藤弁護士

大学へ行くために鉄条網を越えようとしていたのですか?

★安明進氏

私の行く道を進むと鉄条網が出てくるので、飛び越えていこうとしていました。

★斉藤弁護士

(質問を書き取れず)

★安明進氏

ちょっと悩みました。
その人が告げ口をしないかと思いました。
その人をその人が入院している病棟に追いかけて行きました。

★斉藤弁護士

(質問を書き取れず)

★安明進氏

その女性は(自分からは)特に何も話していません。
私の方から告げ口をしないでくれと言いました。
女性は笑顔で頷いていました。

★斉藤弁護士

(質問を書き取れず)

★安明進氏

当初は歩きながら声を掛けていました。
頼みごとをしたときは立ち止まって話をしました。

★斉藤弁護士

女性とは何か話をしましたか?

★安明進氏

私から相手に・・・・(書き取れず)私の話を理解してくれたようです。
そういう状況を良く知っていたようで、理解してくれました。

★斉藤弁護士

女性の年齢はどれくらいでしたか?

★安明進氏

確かな事は分かりませんが、20代後半から30代くらい、私より少し年上ではないかと思いました。

★斉藤弁護士

身長はどのくらいでしょうか?

★安明進氏

女性ですからヒールを履いていたので、160~160弱くらいだと思います。

★斉藤弁護士

ほかにどんな会話をしましたか?

★安明進氏

頼み事をする前に声を掛け、工作員ですか?と聞きました。

★斉藤弁護士

その質問に女性は答えましたか?

★安明進氏

うなづいていました。
でも実際は工作員ではなかった。

★斉藤弁護士

話をしていたのはどのくらいの時間でしょうか?

★安明進氏

当時、緊張していたので長く感じましたが、会話の中身を考えると5分くらいだと思います。

★斉藤弁護士

二人の距離はどれくらいでしょうか?

★安明進氏

すぐ近く、2~3メートルくらいです。

★斉藤弁護士

病院では顔に覆いをすることが義務付けられていたようですが、その時女性は覆いをしていましたか?

★安明進氏

人が多いところでは覆いを被りますが、散歩のときは被りません。
その女性は被っていなくて、覆いを手に持っていました。

★斉藤弁護士

その後、学校へは行きましたか?

★安明進氏

その女性を信じたいと思い学校へは行きました。

★斉藤弁護士

その女性が日本人と知ったのはいつですか?

★安明進氏

会った当日は知りませんでしたが、次の日看護婦さんから聞いて知りました。
女性の特徴を話して看護婦さんに知っているか?と聞くと、看護婦は「あの日本人が」と言いました。
私の方から工作員か?と聞いたら、そうではなく日本人だと言いました。

★斉藤弁護士

拉致された人か?と聞きましたか?

★安明進氏

私の方から質問したのではなく、看護婦さんの方から「拉致されたのでしょうね」と言いました。

★斉藤弁護士

他に看護婦さんから聞いた女性の特徴などは?

★安明進氏

看護婦さんは女性に良くないイメージを持っているようでした。
食事を偏食する、胃の病気が重い、神経質、長期入院しているという話をしました。

★斉藤弁護士

2002年、竹下珠路さんと会ったとき、同じ話をしましたか?

★安明進氏

そうです。

★斉藤弁護士

竹下さんは古川さんの写真を持ってきましたか?

★安明進氏

持って来ました。

★斉藤弁護士

それを見てどう思いましたか?

★安明進氏

写真を見る前に、ホテルに入ってくるお姉さんを見て頬の下の方が似ていてきょうだいではないか?と思いました。
写真を見て間違いないと思いました。
その女性が古川了子さんであると自信を持って言いました。

★斉藤弁護士

証言をしてからだいぶ時間がたちますが、古川さんについてどう思いますか?

★安明進氏

私は古川了子さんのお姉さんと古川さんの写真を見て、その女性は古川了子さんであると自信を持って言えます。
私が証言してから長期間経ち、まだ政府に認定されていません。
彼女が将来帰国した場合、事件が明るみになった場合、私は道義を尽くしていないという良心の呵責を感じます。

★斉藤弁護士

最後に裁判官に対して言いたい事があったら話してください。

★安明進氏

私は政府と裁判所にお願いしたい。
古川了子さんを認定して欲しい。
私の責任であると思う。
早く救出して欲しいと思う。

※原告側質問終了、被告側からの質問は無し。
裁判官からの質問に移る。

★関口裁判官

裁判官の関口といいます。
古川さんを良く覚えている一番の理由は何だと思いますか?

★安明進氏

私は7年間学校と病院で生活しました。
そこは1000人しかいないところで、そこでは相手を見て(瞬時に)敵か味方か見分けなければならない。
だから人の記憶については自信があります。

※安明進氏の証人尋問は以上で終了。引き続き竹下珠路さんの証人尋問へと続く。

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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那珂市集会(4) 飯塚繁雄氏-2

   北朝鮮拉致被害者救出!那珂市集会
06.10.15 那珂市総合センター・らぽーる にて

『飯塚繁雄 家族会副代表の講演 その2』

そういう事で帰りを待ち焦がれているんですけども、息子耕一郎もおかげさまでいっぱしの大人になりまして、こういった街頭ボランティアなんかも、あちこちで講演会でもお話が出来るようになったという事は、私としてはこれは一つの救いだと。
八重子が帰ってきたら、これがお前の長男の耕一郎だよという事で、抱かせてあげたいという事だけは・・・・・・(聞き取れず)ですね。
中々普通ですと兄弟げんかしたときも「お前なんかうちの子じゃない」なんて事でもあるとですね。
耕一郎が途中で変な情報を聞いてグレてしまっても困るわけですし。

今IT関係の技術者として立派にやっていますので会わせる準備は出来ているんですけど、それももう来年30になりますから、嫁さんも欲しい歳ですしね。
早く会わせてあげたいなぁと言う気持ちは私も一杯です。
当の耕一郎はそれよりも親父に先に会わせたいんだと。
それから親父の疲れている後姿を見ると自分もじっとしていられないから、どんどん活動に出るんだという事を言っているので、私もそれだけは良かったかなと。

そういう時にですね。
今年にかけていろんな動きがありまして、特に横田家に関する情報だけはどんどん出てくるんですね。
それも嘘がかなり含まれていますけど、金英男氏がめぐみさんと結婚して子供がヘギョンちゃんだという、いわゆる科学的な証明が出来ていますから、多分そうだと思うんですけども。
その件について、めぐみちゃんに関するいろんな情報なり写真なりそればっかり集中的に出てくる。
それ以外の被害者の情報は全く無かった。
これは金正日の狙いとしては、横田家を陥落させて早くこの問題を終わりにして幕を引きたい。
そして早く日朝を正常化して支援を貰いたいと言う思いだと思うんですね。

横田家の情報が出ている中で向こうの仕向け方としては、横田夫妻を北朝鮮に呼んで、キム・ヘギョンちゃんから「お父さん、実はお母さんが死んじゃったんだ」という事を言わせて諦めさせると。
それで家族会の代表ですから、代表がいなくなれば家族会もガタガタになる、いう目論見だったのではないか?と言うふうに思っているんですけども。
そこで横田家は踏ん張ってですね。
こうなる事をあらかじめ感知しているわけです。
これ、もし行けばこの問題が中途半端な形で幕引きになってしまってめぐみちゃんは永久に帰って来られない。
あるいは他の被害者も帰って来られなくなってしまうという事で、じっと堪えていますね。
確かに肉親ですから、行って抱いてあげたいと言う気持ちはね、分かりますけども。
今それをやったらどうなるか?という事を考えてますね、特に早紀江さんは。

そういう状態ですから、今回はあれで一応話としては打ち切りになっていますけども、今までのいろいろ状況から見ると何とか北はめぐみちゃんなり八重子なりを隠したいという事が明らかですね。
例えばうちの八重子については、北が大韓航空機の爆破事件を自らの責任だと認めない限り、出て来られない存在なんですね。
それでは田口八重子を出せばすべて北がやった仕業いう事が更に証言されるわけですし、この件についてはもうすでにね。
日本からも世界各国からも北の仕業とハッキリしているんですけども、ああいう強かな国ですから未だにそれを・・・(聞き取れず)にしていると。
しかもこの拉致問題はすべて解決済みだと未だに言っているわけですから、自分たちだけが言ってる話でご家族にはそんな事を言っていないし、当然北のそういった面での虚勢ですかね。
・・・(聞き取れず)とか・・・(聞き取れず)とか。

すべてそうですけどね。
向こうからいう事は何も信用出来ないですよ。
私たちが報告を頂いた死亡診断書とか事故状況とか結婚証明書とか全部見ましたけど、まったく捏造されたものと言うのは明らかですね。
例えば事故報告なんか見ましても、とにかく名前が無いんですよね。
誰の事故報告か分からない。
黒いマジックで消しちゃってあるんです、日にちと場所と名前。
誰か調査したのかも消しちゃってある。

こんなものを誰が信用するか?ってことです、誰が見ても分かる話です。
だいたいそんな報告書を配られた方が多いです。
田口八重子の死亡診断書は死亡確認書って言うんですけども、コピーをしてですね。
急いでコピーして急いで書いて、それで斉木さんに渡したという・・・(聞き取れず)た調査書で全くそれもハッキリしない。
まぁ遺骨もそうですね。
ですからそういう状況を見れば嘘をつく理由があるはずですから、これだけ嘘をつくって事は生きているという事ですね。
生きているから死んでる証拠は出せない。
それは私たちはもちろん政府も安倍さんも、今回被害者家族については生きていると言う前提で取り組むという事を確信しておりますし、この問題についてはこの安倍内閣のうちに何とか片付けようというそういう意気込みが感じられます。

先日、組閣が終って3日目にですね。
すぐに家族会の役員、救う会の役員と面会をしてもらいましてね。
当初安倍さんが来るとは思わなかったんですけど急遽来てくれて、私たちの前でこの問題を絶対に解決するんだと言う意気込みを見せて頂きました。
一つは先ほど荒木先生からも出ましたが、拉致問題対策本部と言うのを即作ってですね。
しかも対策本部長に総理自ら入る。
それから事務局長に以前活躍していただいた中山参与、中山、今度は首相補佐官ということで事務局長に入りましたし、それから前から言っている拉致問題特命チームという事も、幹事会と言う名前を変えて各関係省庁全部を把握した組織があるんですけども、そこにも鈴木副長官が入りますし、更には情報担当チームですとか、それから制作企画室ですとか、それから前からある連絡調整室。
今これ組織図だけですけど、名前をきちっと入った形で対応をすぐ始めましたね。

とにかく早いんですね、やる事が。
更にこの席上で感激したのは安倍総理がですね。
この話をしてくれて、たまたま今日は帰国者が帰ってから4年目ですけども、あのときにタラップの下で抱き合う姿と言うのは、被害者と家族が抱き合う姿と言うのは一時も忘れた事がない。
今回というか、今後もですね。
まだまだ帰って来られない家族の方があのタラップの下で抱き合う姿を夢見ている、・・・(聞き取れず)思い出している。
そのときね、声が詰まったです。
ハンカチで目を拭った。
涙出してたんですね。
ああいう姿を見たのは、もちろんマスコミには映らないんですけど、私も初めて見てこれは本当に心底、心の中からこの問題をやってくれているんだなぁという、そういう気持ちがしました。

従ってそれらのハードの部分とソフトの部分では、相当今回この問題に取り組む態度・気持ちは今までに無い強いものがあるな、と言うふうに感じております。
ですからこういった最高のレベルの組織、あるいは頼りになる人達が集まって来たので、変な話もうこれで政府に全部任せて私たち家族会あるいは救う会、家でじっと待っていようかと言う話もチラッとしたんですけども、総理曰く、「それはそれで皆さんが世論に訴える力と言うのも相当な物ですから、出来る限り無理をしない形で今までの活動を続けてください」と言う話もありましたですね。
そういう事もありましたので今度こそはという気が、毎年言うんですけども、今年今度こそはと言うそこに期待が今までの10倍くらいありますし、長くこうしている間にも待っている被害者を一日でも早く取り戻すと言う体制は出来ているというふうに感じております。

更には国際世論の高まり、国際社会の北朝鮮に対するいろんな対応についても、北がミサイルを撃ってくれたおかげで、それから北が核実験をやったと言ったおかげでですね。
変なあれなんですけども活動がハッキリとして来た。
対応がハッキリとして来た。
しかも中国が早い。
ですからこのきっかけは逃してはならないということで、国連ですとか国連の安保理、これも日本が議長国で議決案を提出して採択されましたけどね。

確かにこの中には拉致と言う文字は入っておりませんけども、人権に関する諸問題をも解決しなさいと、ちょっと私文字が正確じゃないんですけどそういった意味の言葉をきちっと入っています。
これは何だといえば拉致のことと直接理解できるような文言が入っております。
そういう事が国連として決議され、更なる制裁が加わると思うんですけども、これちょっと問題がですね。
我々核の問題も物凄い大きな問題でありますし、特に日本は隣の国ですから一番関心の高い問題ですし、これと拉致問題がどうやって上手く並行して進むのかな?と言う疑念はありますけども。
絶対に拉致・ミサイルそれから核、この3点は切り離せないというふうに固い決心で政府もおりますので、絶対にこれだけ切り離した形では進まないという事を我々いつも考えながら様子を見ております。

いずれにしましても、この問題というのは絶対にこんな事今後あってはならないという見方から、単なる我々家族だけではない。
我々家族は一応表に出て訴えてはいますけど、これが何百人もいる。
あるいは今後もこういった可能性がある。
そういった中でやっぱりここに至っては、やっぱり国としての重要課題というように捉えてですね。
国民の皆さんもあるいは政府の人たちも・・・(聞き取れず)の人たちもここがチャンスだと、外交も含めて日本の立場を国益をきちっと守っていく。
最も一番重要なのは皆さんの国民の暮らしと安全をしっかりと守っていくという事が当然あるんですから、これの狙いと言うのは相当大きな要素を含んでいるはずです。

ですからこの機会にですね。
更に更に国民の皆さんの応援・支援をお願いしていかなきゃならないなと思っています。
それが安倍政権に対する後押しとなる、大きな力となるし、出来ればもっともっと若い人にね。
30代20代の若い人に伝えながら、国民(からの)相当なパーセントでの支持を受けながら政府ならびに国際社会、更には北朝鮮に強いメッセージを上げて行かなければいけないなと言うふうに感じます。

北朝鮮が一番怖がっているのはですね。
日本の国民の世論なんですね。
その次に家族会だと。
家族会がだいたい突端になって広がったもんですから、いろいろな問題が。
北朝鮮から。
それから後は怖がっていたのは日本の今回の組閣人事、それから安倍総理、更に言えば中山参与。
あんなに強い外交官が日本にいるとは思わなかったというのが北の誤算だったらしいですね。

そういう話もありながら、ますます有利に展開していると言うのが私も実感していますし、多分そう前に前進すると言う前触れ、しかも今までより早い。
こういう事を期待しております。
ですからこの機会を失ったらばもう永久に帰って来ないし、また日本も沈没すると言うようなことにもになり兼ねない。
そんな大きな事も考えながらですね。
私たち身を粉にして全国飛び回っていますけどね。

横田夫妻については、もう横田さんが73、早紀江さんが70で体がやっと動くくらいですね。
皆さんの前ではあっちが痛いこっちが痛いと言いませんから、我慢して頑張っているという姿。
それでも私たち察知してですね。
なるべく全国の講演会とかなんかに、・・・(聞き取れず)平均して皆で担当を分け合ってやろうじゃないかと申し合わせはしています。
それでもやっぱり横田夫妻と言うのはこの拉致問題に対するシンボルですから、どこへ行っても横田さんの話を聞きたいというのが現状ですけどね。
横田さんについては全国回りましたし、全県知らない人はほとんどいない。
横田家に関するいろんな話もほとんどの人が知っているというふうになれば、もうそんなに何て言うんですかね。
身を削って回る事も無いだろうと言う私たちの考えもあります。

皆さんもその辺のところをちょっとご理解いただいてですね。
話を・・・・・・(聞き取れず)があると思いますけども、あと残った人たちでまた頑張りますし、いろんな形でご支援をお願いすることもありますが、皆さんの力でですね。
私たち一緒になって進むしかない。
それ・・・・・(聞き取れず)もありますので、相変わらずのご支援をよろしくお願いします。
頑張ります。
よろしくお願いします。(拍手)   

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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那珂市集会(3) 飯塚繁雄氏-1

   北朝鮮拉致被害者救出!那珂市集会
06.10.15 那珂市総合センター・らぽーる にて

『飯塚繁雄 家族会副代表の講演 その1』

那珂市の皆さんこんにちは。(「こんにちは」の声)
日頃からこの拉致問題につきまして、深いご理解とご支援を頂きまして本当にありがとうございます。

先ほど荒木先生の方からもお話があったように、この問題の一番力になるパワーと言うのは国民の皆さんの世論です。
それだと私も信じております。
当時、1997年に家族会が結成されて、そのときはまだ私は入っていなかったんですけども、いろいろ皆さんに訴えるべく署名活動なりあるいは議員会館なり国会の前なり、訴える機会はかなりあったんですけど、その頃は本当に冷たい白い眼で見られていまして、「なんだあいつらは?」と言うような感じでしたね。
もちろん国会議員の先生もあるいは・・・(聞き取れず)方もそういう感じでいたという事を聞いています。

それが、失った家族を思う残された家族の大きな力と言うか地道な努力によって、更にそれを助けるべく全国のボランティアの方々のおかげでようやくここまで来たという感じでございます。
ましてこの所、今年になってからですね。
特に安倍官房長官になってから、この問題を絶対に風化させてはいけないという強い意思の下に素早い対応を出して来ておりました。
そういう事では私も今までにない絶好のチャンスだというふうに私も感じていますけども、私たち被害者家族だけでは何も出来ません。
北との交渉・対応は政府が進めるしかないわけですから、私たちは政府にもお願いし、あるいは先ほど言ったようにパワーをより強くするために全国に飛び回り、皆さんにこの問題を解決するをご興味を頂きにお願いに参って来ております。

私も埼玉県の上尾と言うところに住んでいるんですけど、茨城はもう4回目でしたかね。
皆さんに訴え続けております。
最近特に横田めぐみさんの話題がほとんどを占めている状況の中で、まだまだ同じような目に遭った被害者の方がおります。
そういう中ご存知の通りですけど、私の妹・田口八重子をはじめとして、まだまだ認定者とそれ以外の特定失踪者の方がたくさんいるはずです。
そういう意味ではもっともっといろんな家族の人の話を聞いていただき、更なるご支援をいただきたいというふうに思うわけですけど。

ちょこっと若干、私の妹の話をしますと田口八重子、まぁ訳あって母子家庭を営んでおりまして、1歳の男の子と2歳半の女の子が当時いたんですけども、22歳のときに東京の池袋から失踪をしたわけです。
先ほど話がありましたように拉致被害者と言うのは何も海辺の海岸だけでは無い。
東京のど真ん中からでもそうやってさらわれてしまう。
これはですね、やはり北朝鮮が何かの工作・何かの企画をするためにそれを決行するために、足らないものは物だけでなく人をも連れて来い、言う工作だと思うんですけども。

例えば後でお話が出てくると思いますけども、私の妹につきましては、例の大韓航空機の爆破事件の金賢姫。
これを日本人化して日本人にして、日本の責任であの事件が起こったんだと言うふうな企みであったようですね。
それからこれも荒木先生の方からまとめております拉致被害者の人のマッピングと言いますか、どういう人たちが連れて行かれているか?と言う話の中で、私が今言ったような大韓航空機の事件の攻撃のために連れて行くと。
私の妹は結婚の経験もあり子供を生んだ経験もあり、あるいは女の人としてのファッションなり情報なり嗜好品なりなんかの全てそういった条件の持ち主だったという事が、たまたま白羽の矢を立てられたという事なんですけども。
その他、いわゆる偽ドル偽札つくりの印刷工、あるいはそれに関係する機械工、それから看護婦さんとかそれから銀行マン、それからIT技術に関する技能を持った人たち。
こういった人に狙いをつけて拉致して行ったというのがある程度分かっております。
そういう中で私の妹については、それこそ人口1億2千万分の1として白羽の矢が立ってしまったんですけども。

当時私たちは妹が失踪したときになんでいなくなったのか?と言うのが、全く分かりませんでした。
2~3日経てば帰ってくるだろうという事で、高をくくっていたわけですけども、何せ1歳と2歳の子供ですから放っておくわけにも行かない。
当時ベビーホテルと言うのに預けてあったんですが、そこへも置く訳にはいかないという事で我々きょうだいで子供を引き取ったわけですけども。
1週間経てば帰ってくるだろう、あるいは1ヶ月経てば帰ってくるだろうというような気持ちでいたんですけども、全然その情報がない。
例えば交通事故でしたらすぐ情報が入るでしょうし、何か犯罪に巻き込まれたとしてもそんなに時間がかからないうちにハッキリするでしょうし。

という事で情報も何もない中で、とりあえず子供だけは面倒を見て育てていかなければいけないという事で、当然常識でいってもまず子供だということで家族で話し合って、私が長男の耕一郎、私の2番目の妹が姉の、本名はあえて言えないんですけども、それを引き取ってずっと育ててきた。
育てるのはこれは並大抵のことでは無いんですけども、私も子供3人おりましたしもう一人来て4人と言う中で生活があの頃苦しいあの中で、女房もパートを辞めてまた子育てと言う中で何とか過ごして来たんですけども。

耕一郎については絶対にこの事は内緒だよという事を貫き通して来ました。
これは赤ちゃんのときは分かりませんけど、物心つくについて自分が養子だとか、後でわかったんですけども恐れ多くも北朝鮮に拉致されてしまったと、そういう物凄い大きなショックにさらされたらどうなるだろう?と言う私の心配がありまして、私の子供たちにもこの事は耕一郎が20歳になるまでは絶対に内緒にしておくんだと、しゃべってはならないぞと言ったんですね。
ただ子供たちは、たった一言「分かった」と言うだけで、それが20年も約束を守ってくれた。
これが一つの私もホッとした面ですけども、そういう事で無我夢中で育てて来ましたね。

これが妹の行方についてハッキリと分かったのは、先ほどからお話に出ているように大韓航空機の犯人の金賢姫が自殺に失敗して生き残ったという事で、自白・自供をしてくれたわけですね。
証言してくれたわけです。
言ってみれば、金賢姫が死んでしまったら未だに私の妹はどこいいるか分からない、いう事になるわけですけども。
それにしても物凄い事件に巻き込まれているんだなぁと実感がひしひしと迫ってまいりまして、当初はそんな大それた事になるはずがないとか、あるいはそういった事にはなりたくないとか、そういう気分的に拒否をしましたけども。
警察の調査、先に言いましたけど金賢姫の証言によってこれが徐々にハッキリして行った訳ですね。

金賢姫の先生は日本人女性で、リ・ウネと言う女性でした。
20ヶ月の間、一緒に過ごして来たという事ですべて彼女の事を知っていましてね。
それを彼女の出版した「忘れられない女(ひと)」という単行本に出てますけども、その中の概要については過去の調査と全く違わない。
その通りだという話を頂いてます。

捜査の段階で90年から91年ごろなんですけども、日本の警察あるいは政府が本人と面会していろんな調査をしたわけですが、日本人女性と言うだけで誰か分からない。
10枚の写真を持って行きましてですね。
金賢姫の前に並べて、「この中におりますか?」と言ったら、懐かしそうな顔をして「この人です」とハッキリと指差したのがうちの妹だった。

そのときは名前は実はさっき言ったようにリ・ウネと通していたので、これは工作用の専門的な名前なんですね。
ですから誰も知らない。
工作関係に携わった人でなければ誰も分からない名前でして、しかしながら金正日は「リ・ウネなんがいない、だけど田口八重子は拉致をした」というふうに言ってるんですよね。
全くこれが切り離された関係を維持していくためにそう言っているんでしょうけども、だったらなぜ田口八重子を拉致したんだ?という事にもなるんですけど、後の真相究明で多分分かると思う。

そういう中で私たちは更にびっくりしまして、そんな大それた事件に巻き込まれてこれからどうしよう?と慌てふためいたわけですけども、その発表があってから公開しましてからマスコミの皆さんも騒ぎ立てまして、もちろん私の家あるいはきょうだいの家にすべて夜討ち朝駆けで取材に参りましてですね。
いわゆる大韓航空機の犯人と言うそういう見方で記事を書いていたようです。
要するに興味本位ですね。

私が言うのは、私たちの妹はこんな大それた事をするような人ではないし被害者なんですから、という事をしきりに訴えてはいたんですが、やはり記事の内容を見ると大韓航空機を爆破した犯人の一味と言うようなイメージで書かれている。
非常にそれに苦しみまして、これとの戦いもあったわけです。
しかも、先ほど言いました耕一郎に分かっては困るということで、相当苦労はしましたですね。
その当時私のお袋も、要するに八重子の母親も生きていたわけですけども、それから2~3年経って「八重子がまだ帰ってこない、いつ帰って来るんだ?」というふうに、細々と言いながら亡くなってしまったと言う経過もありますけども。
これはある程度寿命だから仕方がないなと思う反面、自分が腹を痛めた子がまさか北朝鮮にいて苦しい思いに遭っているとは私は言いませんでしたが、特に。
「その内帰ってくるよ」と言う慰めの中で逝ってしまったんですが。

そういう状況の中で私たちは非常に苦しみながら時を待っているわけなんですけども、結局どう助けていいか?
私たちには出来ないんですね。
警察に届けたんですが、住所が池袋ですから豊島警察署に届けたんですが、届け人の所轄の警察署に行ってくれという事で上尾警察に行きまして「実はこういうことで私の妹が行方不明です」と出したんですけど、「はい、分かりました]]ってそれで終わりなんですね。
決して積極的には調べてくれない。
逆に、1年経ち2年経ち、1年ごとに「何か情報はありませんか?」と警察の方から聞きに来るんですね。
これじゃとてもじゃないけど分からないなという事では、半分諦めの状況でもあったんですけど。

何しろ倅の耕一郎に対しては非常にかわいそうな子だと思いながらも、絶対にこれを内緒にすると言う徹底した私たち家族の思いで、やっと29歳になったんですけども。
言ってみれば29年も帰って来ていないんですね、子供の元へ。
だからそういう事を考えると、ちょうど本人は人生の一番大事な22から今帰ってくれば50です。
この人生の大事な部分を北に束縛されてしまっていると。
未だに帰って来ない。
これは取り返しがつかないことなんですけども、今となっては早く取り返してそれを何とかかんとかして挽回させて上げたいなと、言うふうに思うわけですけども。
中々それも遅々として進まないと言うのが状況でございます。

向こうにいるときにですね。
帰って来た(地村)富貴恵さんとかですね。
あるいは蓮池さんなんかにも聞きますけども、田口八重子さんは一生懸命頑張っている。
何を頑張っているのか?と言うと、北朝鮮の指導部があるいは指導員が言う事に対して、いわゆる優等生になろうと。
少しでも信頼される者になろうと言うところで頑張っていると言うんですね。
そうすればいつか帰って来られる。

招待所にいる賄いのおばさん兼監視員の人が言うには、「私は日本人でここに連れて来られた人を何人も見ている。その中でワイワイ騒いだり金正日の悪い事を言ったり非難したりする人は山に行ってしまう」
山って言うのはね。
多分収容所と言う意味だと思うんですけども、「だからあなたは苦しいけれども今ここに来たらすぐに帰れない。だから頑張りなさい」という事を言われて富貴恵さんと一緒に頑張ったらしいですね。
だから邪険にもされない粗末にもされないという事につながるんでしょうけども、そういった事を思うにつけ本当にかわいそうだなと、全くこれは悲劇だなと言うふうに思うんですけどね。

いわゆるこの状況は86年の7月まで1年ぐらい、めぐみさんと一緒に過ごしたという事実が情報がハッキリしていますけども。
ちょうどめぐみさんが金英男と結婚させられるために、その3号招待所を出て行ったと同時に八重子も出て行ったんですね。
その時の噂ですけども、八重子も誰かと結婚するんではないか?というような話が来ているんですね。
誰と結婚するかは分かりませんけども、向こうで結婚するとすれば北朝鮮人とは結婚しないと言うのはこれは決まっていますし、韓国人の拉致被害者か誰かかな?というようには憶測はしますけども、それは事実としては全く信憑性の無い話なので、そういう事をしながらでもですね。
生き長らえていて、いつか帰りを待っていていられると言う事を私は望んでいます。

・・・その2に続く・・・ 

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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那珂市集会(2)荒木和博氏-2

   北朝鮮拉致被害者救出!那珂市集会
06.10.15 那珂市総合センター・らぽーる にて

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表の講演 その2』

で、これらの事は今日本で実は十分に出来る事です。
不思議なことですがこの国の中で拉致被害者の救出という話になったときに、自衛隊を使うとかそういう物理的な力を使って取り返すという事について、ほとんど誰もやっていませんでした。
常に話し合いでとかいう事でやって来た。

皆さん、「話し合い」と言うのはとってもきれいな言葉です。
話し合いで解決しよう、日本では何かとあれば必ずそう言います。
今回の制裁などについてももっと話し合いをいう事を口に出す。
それは結構です。
話し合いに応じる相手であれば話し合いをすればいい。
あるいは北朝鮮が「どうしても話し合いをしたいんだ」というふうに言って来たらば、そのときは応じるかどうかを考えればいい。
しかしこちらからいくら話し合い、話し合いと言ったって相手が応じる気がなければどうしようもありません。

大阪の池田小学校に刃物を持って入って来た宅間と言う男、あの男を前にして「話し合いをしよう」と言える勇気のある方はそういうふうにしたら良い。
相手が刃物を振りかざしてきてあるいは突き刺してきて、それでも私は話し合いをしたい、いうふうにいえる方はそういうふうにすれば良い。
しかし、もしそういうふうにしたとしても、ご自分が死ぬのは勝手ですがその後に後ろにいる子供たちがまた殺されていく。

この拉致と言うのは一種の戦争です。
個別の事件ではありません
私たちは戦争の中にいるんです。
この国は我々平和だと思って来ました。
確かにそれはそうです。
街中を夜の11時12時に女性が一人で歩いていても危なくないかもしれない。

しかしそういう事と言うのは本人が多少注意していればどうにかなるんです。
何の罪もない人が日本国内から外国の国家目的に従って連れて行かれる。
そのことに対して無力であったという事の方がよほど恐ろしいです。
これは個人が努力したってそう簡単に変えられる事ではない。
しかも更に始末の悪いことには日本政府はこのことについてず~っと隠し続けて来ました。

横田めぐみさんの事件が昭和52年の11月15日に起きた。
それから間もなくしてこの国のトップはこの事件について知っていたそうです。
横田めぐみが拉致をされたという事は当時、日本海にいた工作船の無線とか、そういう物から分かっていた。
しかし、その問題は伏せられてしまいました。

私たちがこの失踪者の調査で全国各地、沖縄から北海道まで参ります。
あちこちで聞きますが、警察のOBの方とかいろんな関係者の方から、
「あの事件は拉致だという事はほとんど分かっていたんだ。そういうふうに言ったんだけど上に上げたらみんな潰されてしまった」
いう話と言うのは、非常に多いんです。

皆さんもし例えば、すぐ近くまで台風がやって来ている。
天気予報で「明日も晴れますよ、明日もいい天気ですよ」と言われていたところに突然台風がやって来たらどうなるか?
日本は台風がたくさん来るところです。
そういう自然災害が多いところですけれど、台風であれば天気予報で大体いつごろ来るか?そういう事は分かる。
分かれば皆それに対して備えをするんです。
何にも言わないんです。
何も言わない状態で突然台風が来たら大変な事になります。
それと同じ事がこの拉致事件でずっと起きて来たんです。

政府が認定している16人、皆さんがお持ちの政府が作ったパンフレットがございます。
そこに16人の顔写真が入っていて、後ろの方にどういう状況かと言うのが書かれておりますが、この16人をどうやって政府が認定をしたのか?
半分はマスコミが最初に報道した。
そして田口八重子さんなどは工作員が捕まって、そして自供した事によって分かりました。
曽我ひとみさんに至っては北朝鮮が先に出している。

日本の政府が国民の誰も知らないときに「これは拉致ですよ、北朝鮮という国が拉致をしようとしているんですよ」というふうに言ったケースと言うのは実はただの一つもないんです。
皆工作員が自供したり、マスコミが書いてしまったり、そういう事でもう仕方が無いから拉致認定と言うのをやって来た。
いうのが、この国の現状です。

日本政府が初めて拉致を認めたのは昭和63年の3月、この茨城県出身の当時国家公安委員長の梶山静六さんが、国会答弁の中でした事が最初でございました。
それによって初めて拉致と、これはおそらく答弁をした方も相当の覚悟をした答弁だったんでしょうけども、しかし残念ながらその後が続かなかった。
「拉致の疑いが濃い」とまで言ったにも関らず、それでは「その人たちを救うためにはどうするか?」と言うところまでは、この国は残念ながら動きませんでした。
そしてその状態がずっと続いてしまったわけでございます。

現在の安倍政権もその流れの中にあります。
だから安倍さんご自身は確かに拉致問題を解決したいと思っている。
それは間違いがない。
私も安倍さんとは何度も話をしておりますし、それは感じております。
しかし、あの政権の中にはそれを支える者の中には、これまで拉致事件を隠蔽し続けてきた力と言うものが間違いなく働いているんです。
だから任せて置いてはダメなんです。
安倍政権になったというチャンスを利用して、そしてそれを物にするのは我々の力でやるしか方法がない、という事でございます。

で、これをやっていくためにはまず誰がどこにいるかという事を調べていくという事もしていかなければいけない。
それも警察では出来ません。
基本的には軍隊がやる役割であって、自衛隊がやるべき役割でございます。
そして見つかった人について何とかしてアクセスをして、もし例えば中国にでも逃がせるのであれば逃がす。
あるいは東海岸でも回収できるものであれば何とか回収をする。
そしてそういう人たちについて北朝鮮側に返せという事を制裁と共に強く申し入れると共に、北朝鮮の今の体制を倒していくという事をすること以外に、取り返す方法と言うのは無いんです。

今、北朝鮮の政権と言うのは日本人の拉致だけをやっているわけではありません。
韓国人の拉致被害者と言うのは、今韓国政府が認定しているだけで500人近くの数になります。
それ以外に10ヶ国以上の国から拉致をしている。
韓国の場合はそれだけではなくて、50年以上前の朝鮮戦争のときに捕虜にした人たちをまた未だに炭鉱に入れて働かせている。
そして北朝鮮の一般の人たちも世界で最悪の人権状況の中で苦しんでいます。
また・・・(聞き取れず)の方が何人も行っておりますけど、北朝鮮に帰国した在日朝鮮人、そしてその日本人妻をはじめとする日本人の家族なども北朝鮮の中で、あの酷い北朝鮮の中で最悪の状況で暮らしてしているわけでございます。
一言でも文句を言えば収容所に送られたり殺されたりしてしまう、いう状況です。
それをまとめて解決しなければ問題と言うのは全部・・・(聞き取れず)訳がない。

しかも拉致被害者の中には我々自身が気がついていない方もおられます。
今の政府認定者の中で、お手元の資料を見てお分かりになると思いますが、田中実さん・原敕晁さんそして久米豊さん。
この3人の拉致と言うのはすべて身寄りのない人を狙った拉致です。
身寄りのない人を狙った拉致が成功していれば、ご家族が声を上げることがありません。
つまり我々自身も、拉致と言うのは基本的にはご家族からお届けのあった人についての調査を中心としてやっていますから、全く誰も知らない拉致まで調べる事はとても出来ない。
しかし間違いなくその中で拉致をされている人がいるんです。

それから日本国籍を持っていない在日朝鮮人の拉致被害者と言うのもかなりの数います。
そういう方々は中々我々のところに来ない。
我々のリストに二人在日朝鮮人の方おられますけど、大部分の方はおそらく泣き寝入りをしているのであろうと思います。
そういう人たちも我々はすべて救う義務があるという事でございます。
そこまでしていかなければいけない。
そこまでする為にはどうしなければいけないのか?
あの今の金正日の体制をひっくり返すしか方法は無い、そういう事でございます。

今の金正日の体制は大変 曲がり角に差し掛かっています。
今、私自身が元々朝鮮半島の研究者ですが、4年前の5人を返して来た時と比べても全くリーダーシップが無くなったに等しいという状況です。
もう少し力を加えれば倒すことが出来る。
別に爆弾なんかを落とす必要は全くありません。
北朝鮮の中にもっともっと情報を入れて、そして今、金正日と最後まで手を結んでいるのか?
それともここで手を切って、北朝鮮の民主化とそして国民の安全、そして世界の平和のために立ち上がるのか?
どっちにするのか?と言う情報、そして宣伝活動を続けていけば自然とあの国は内部から倒れていきます。
そういうふうにしていかなければいけない。

私どもがやっております短波放送は一日朝夕30分ずつ1時間、毎日流れておりますけども、この中でも同様の事をずっと言い続けております。

「拉致被害者を返しなさい、そして我々自身も北朝鮮の民主化のために一生懸命努力をします、向かう道は同じです、一緒に立ち上がりましょう。
もし皆さんが拉致被害者を取り返すためにご協力をしてくれれば、我々は絶対にそれを忘れません。
しかし、もし皆さんが拉致被害者を取り返すことを邪魔するんであれば、私たちはそれも絶対に忘れません」

半ば脅迫みたいなものなんですが、しょちゅう北朝鮮からは脅迫みたいなことを言われていますから、たまに私が一言くらい脅迫しても別に罰は当たらないだろう、という事でやっているわけでございます。
そういうふうにしていくことで北朝鮮の体制を揺るがして、今もう周りから北朝鮮の事を何とか助けたいと思っている中国や韓国でさえ、それが出来なくなっている状況であります。
今このチャンスを絶対に逃してはいけないというふうに思っているわけでございまして、それを何とか我々としてはやっていく。

そして更に今丁度国会とかそういう所でですね。
私どもの放送についてNHKの施設を使って放送をさせてくれそうな雰囲気になって来ております。
総務省の次官がそういう事を検討するという事までわざわざ記者会見で言ってくれておりますので、我々としては何とかこれをFMを使ってやれる事はしていきたい。
この、どこだったか忘れましたが茨城県内に国際放送の送信施設があるんだそうです。
我々の放送は別の国から100kwで出していますが、その茨城の施設は500キロまで使える施設があるそうで、それを使って出せば現在北朝鮮で出している妨害電波も跳ね除けてですね。
一般の人たちに聴かせる事ができる

去年の初めにテレビ朝日の報道ステーションで流れましたのでご覧になった方もおられるかも知れませんが、平壌でも私どもの放送が聴こえたという事が確認されております。
そしてまたそれと別の情報で平壌でキム・ガクセイ(?)が聴いていて、北朝鮮の当局が問題視して何とかしろと言う通達まで出したとか言う話まで聞こえてきている次第でございまして、必ず拉致被害者の誰かは聴いていてくれると言うふうに思っております。
これを我々としてはともかくどんどんやっていく。

更にそれと併せまして韓国の北朝鮮の境のすぐ近くから風船でですね、ビラを飛ばすという作業もこれからしていくつもりです。
本当は今月中にやりたかったんですがちょっと間に合わなくなりそうなので、11月からですね。
我々のビラを北朝鮮に送っていくという事をやって、ともかく少しでも北朝鮮の中に情報を入れて、そしてあの体制をひっくり返して、あの北朝鮮に住んでいる2000万の人がそれぞれの立場で拉致被害者の人が自分の祖国に帰り、あるいは北朝鮮の人たちは中国に逃げている人たちは北朝鮮に戻ってきて安心して暮らせるようにしていくと。
あるいは在日朝鮮人の帰国者の人たちは戻りたいと言う意思があれば自由に日本に戻って来れるようにする。
そういう状況を何とかして作らなければいけない、いうふうに私どもは思っております。
これこそが解決でございます。

何度も言いますけども、あの北朝鮮の体制の間にいくら話し合いをしたって絶対に解決をしません。
もし例えば北朝鮮が援助したら拉致被害者を返してくれる。
一時的にはそれで評判は高まるかもしれません。
しかし現実にはその援助をもって、北朝鮮の金日体制は延命をしてしまう。
延命をすれば他の拉致被害者は更に苦しみを続ける。
他の一般の北朝鮮の人たちの中には、またこの冬を越せずにまた死んでいく人が増える。
それを許してはいけない。
我々としては、この千載一遇のチャンスに何とかして問題のすべてを解決していかなければいけないと言うふうに思います。
私自身、本年一杯でこの拉致問題を解決するという事を昨年来言い続けております。
それが実現しなければ自分なりの責任の取り方をするというふうにも申している次第でございますが、まさにその為の絶好のときに来たというふうに思うわけでございます。

皆さん、この日本と言う国は、もちろんこの那珂町もそうでございますけども、今住んでいる1億2千万の私たちだけのものではございません。
言うまでもなく国がこうやって豊かで安心して暮らせるようになるためには、何千年も何万年も前から私たちの祖先がこの国を作ってきて下さったわけでございます。
それがあり、あるいは戦争で命を落とし、あるいは災害で命を落とし、そういうふうにしていった人たちがいたから今日の日本があるのです。
そして私たちが死んだ後にはまた次の世代がこの地で生まれて、この日本を引き継いでいくわけでございます。
その過去と未来の日本人の数から比べれば、1億2千万と言うのはほんのわずかな数でしかありません。

私たちがやるべき事は何か?
私たちはその過去の我々の先輩たちと、そして後輩の中継ぎをするだけでございます。
私たちはこれまでこの国を作ってくださった先輩たちに恥ずかしい国にする事は出来ないし、そしてまた恥ずかしい国を次の世代に渡すことも出来ません。
私たちが何らかの犠牲を払うことがなければ、それは我々の時代を貶めるものになってしまうものだと言うふうに思います。
過去の私たちの先輩とそしてこれから生まれてくる世代も、今選挙権も何もありません。
ですから昔の人たちがどう思っていたとしてもそれを今言葉にすることは出来ない。
これから生まれてくる後輩たちも、もちろんそれを言う事は出来ません。
ですから私たちは過去と未来の言葉を聞き取って、そしてそれを私たちがやるべき事としてやっていかなければいけないと思います。

人一人の命はもちろん大切でございます。
しかし、あの中越地震の時に、岩の間に挟まれた自動車の中から子供を助け出したレスキュー隊の人たちは、一つ間違えれば自分たちが二次災害で亡くなっていたわけであります。
もし本当にただ命が大切なだけであれば、見ず知らずの子供なんか放ったらかしておけば良い。
自分が死ぬかもしれない。
自分にも子供はいるわけです。
放ったらかしておけば良い。
知らん顔をしていても別にいいじゃないですか。
生きているかどうかも別に保証も何もなかったわけであります。
しかし、あそこに行ったレスキュー隊の人たちはあの子を助け出した。
自分の命が亡くなる事も覚悟して。

やはりそういうものではないかと思います。
そういうふうにしてやって来たことの積み重ねが今日の日本。
ですから私たちも今拉致をされている方々、それが皆さんが帰って来てこの地を踏む。
それ自身が我々のためでもあり、そして次の世代のためでもあり、また過去の私たちの先輩に対して胸を張って「こんなにやりました」と言うふうに言える事だろうと思います。

バッターボックスに立っているのは皆さん自身、安倍総理ではありません。
皆さんの声がこれまでこの拉致問題を動かして参りました。
あと少しです。
絶対にあと少しで問題の解決に行きます。
最後までご協力をお願い致しまして、私の話を終らせていただきます。
ありがとうございました。(拍手)   

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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町田シンポジウム 第二部 家族のトークリレー(3)

   北朝鮮による拉致問題シンポジウム「救出してみせる!」
06.10.8 町田市民ホールにて

第二部 家族のトークリレー

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『飯塚繁雄 家族会副代表の訴え』

皆様、こんばんは。(「こんばんは」の声、拍手)
いつもながらこの問題に深いご理解とご支援を頂きまして本当にありがとうございます。
本日はまた、このシンポジウムに本当に真剣な心で参画をして頂いて、この雰囲気がひしひしと私の胸に刺さって来ております。

こうしている間もですね。
今早紀江さんの仰ったように、向こうにいる被害者は今か今かと助けを待っているわけですね。
従いまして私たちはいつも日本人はあなたたちを決して見捨てていないと、もちろん家族もそうです。
ですからこういった雰囲気が何かの形で待っている被害者の方たちに伝われば良いなと、いつもそう思っています。
多分いろいろな情報がある中で、短波放送「しおかぜ」もそうですけども、いろんな口伝えとかそういう形で日本は今こうやっている、こういう動きをしていると入っているはと思うんですけど。
やはりそれがまず今の時点で、彼ら被害者の方々に心を強く持っていただく一つの方法・きっかけであると思います。
ですから私たち、こういうあらゆる機会を捉えて「もう少しだ、もうちょっと頑張ってくれ」という気持ちを込めていつも活動をして参りました。

この問題に関しては皆様のおかげでようやくここまで来たって言う感があります。
これは今まで余りにも長い間何もしなかった政府の責任ではありますけども、皆さんの世論のおかげで政府をやっとここまで動かした、いう事だと思います。
今回の安倍総理の誕生もそうですし、それから安倍総理におかれましては、この問題を常日頃日本の重要課題として捉え、あるいは自分の総理としての責任として絶対に解決するんだという、そういう意気込みが全くぶれておりません。

従いまして組閣が終った3日後に私たち直接面会していただきまして、今までこんな事は無かったんですが、非常に総理のこの問題に対する解決するための意気込みというのを感じさせられました。
この対策本部を作ったということ、先ほども言っておりましたけど、これも早いです。
それから私たちが常に望んでおった拉致問題を専門に、24時間考える組織を作ってくださいと。
そこにきちっとした大臣を入れてくださいという話もして参りました。
それも実現しました。
従って、今回この問題に対する取り組みの最高レベルの組織になったと言う事は私たち喜ばしい気持ちで、私も感想を言ったんですが「今日はさわやかな気持ちで官邸に入れました」と言ったんですけども。
まさにそういう取り組みに対する構えとしては最高の組織になったわけです。

しかも更に総理の気持ちがまたそれに乗っておりまして、9.17以降、要するに帰国者が帰ってきて飛行機のタラップの下で家族が抱き合う姿は今でも脳裏に残っていて、それを早く横田夫妻・めぐみちゃんに逢わせてやりたい。
これを声を詰まらせてですね、涙を流して仰ったんですね。
ですからそういう形を作る、その気持ちが嘘でない純粋な思いであるということを非常に感じました。
これならば私たちは安倍総理に、この安倍さんの本部長となる対策本部については絶大な期待を持ち、見守って行きたいというふうに考えています。

贅沢言えば、「これだけの組織だから私たちはもう家にじっとしていて、すべて政府にお任せしますからお願いします」となるんですけども。
救う会の佐藤会長からも「これだけの組織があるからもう政府に任せられるんじゃないか?」と、「救う会はもう解散しようか」と言う話もあったんですけど、「それはちょっと」と。
「やはり皆さんの力で世論が高まり、政府としてもそれを裏付ける体制が出来て来たんだから、もっともっと国民の皆さんに訴え続けて頂きたい」ということで話がありましたけども。
全くその場では、今度こそという気がしました。
時期がいつになるか分かりませんけども、今嵐が吹き荒れています。
その嵐がいつ収まって解決するのか?と言うのは、そんなに遠くないと言うふうに私は気持ちを持っております。

うちの妹もですね。
あんまり情報としては無いんですけども、ちょうどめぐみさんが金英男さんと一緒になる同じ時期に、韓国人と結婚するんでは無いか?という、信憑性としてはちょっと余りないと思いますけどそういう情報も入っています。
余り長い間、向こうにいるんですからね。
そういう場面があっても仕方が無いと思うんですけども、例え韓国人と結婚しても元気でさえいてくれれば良い。
その挙句の果てにはちゃんと日本に帰国して子供たちに会わせて上げたいと、それにつながれば良いというふうに感じました。

それと先ほどちょっと出ました日本人被害者に傷がつくのでは無いか?と言うそういった話の中でも、私たちこの運動の中で経済制裁を訴える中で、これをやると被害者が不利になるのではないか?と、傷を付けられるのではないか?という心配もあります。
ですけれども、そのくらいのリスクをですね。
きちっと覚悟して捉えて踏まえて戦わなければ、これ日本人、何百人と言う日本人が向こうに拉致されているわけですから、永久にその人たちは帰って来られない。
私たちがこういったハッキリとした態度で北に言う、あるいは政府にお願いをする。
この気持ちを絶対に崩さなければ、例えちょっとした事故があったとしてもこの解決に結びつけるために頑張るしかないんですね。
そういった思いは私たち家族と共に、まだまだたくさんいる拉致された家族の方たちの思いも多分同じだと思います。

私たちは先ほど言ったように家でじっとしているわけに行かない。
体の続く限りこの問題に取り組み、金正日と戦っていかなければならない。
その為には先ほどから出ていますように、今回の政府の救出に対する態度、これを後押し・支援をしていかなければならないということも考えております。
従って、こういった救出作戦なり組織なり安倍総理なりの足を引っ張る人は許せません。
ですからそういう考えの下に 皆さんに更にこの安倍政権を応援していただく。
この問題を早期に解決していただくべく是非声を上げていただき、私たちへの相変わらずの支援、それから国家として当然な形に早くしてもらうという大きな目標・目的もあるわけですから、是非今後短い間にですね。
この問題を解決し皆さんと共に喜び合いたいと思いますし、当然ながら被害者が帰ってくれば何百人の家族がその喜びの思いに浸れると思います。

従いまして、私たち家族会としてもまだまだ計画があります。
例えば今年の年末には国際大集会を東京で予定していますし、それから年末には被害者家族全員の写真展なども計画をしております。
そういったことも含めて全国に歩いてですね。
皆様の協力をお願いしてまいりますので、是非町田の皆さんも今後とも今まで以上にこの問題を理解していただき、是非ご支援をお願いしたく思います。
本日はどうもありがとうございました。(拍手)

・・・集会終了・・・

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町田シンポジウム 第二部 家族のトークリレー(2)

   北朝鮮による拉致問題シンポジウム「救出してみせる!」
06.10.8 町田市民ホールにて

第二部 家族のトークリレー

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『横田早紀江さんの訴え』

皆様こんばんは。(「こんばんは」の声、拍手)
心から本当にお世話になりまして、またご支援頂いて心から感謝いたします。

先ほどの荒木先生、佐藤先生、松原先生ほか増元さんのお話をお聞きしていて、本当にこれは大変な問題で命に関わっている問題ですから、強硬な態度で救出をする場合にやはり本当にある程度覚悟をしなければならない。
それは前に誰か中西先生でしたか、そういう本を書いているのを見ましたときに、本当に拉致被害者と言うのを救出るっていうのをする場合、戦争が起きるような場合もある程度それは悪いものをやっつけると言う意味で覚悟しなければならないというのを、ずいぶん前にお読み致しましたけれども。

私たちはめぐみの名前と写真を一番最初に披露したときに、新聞や本に出すとき、その時非常に悩みました。
そのときからすでに、こういう声を出した時に抹殺されてしまうのではないかという事で、うちでも3対1で非常に悩み続けた短い時間を思い出しますが、やはりある程度覚悟をしていないと本当に悪と言うものと戦う事は出来ないのではないかと、私は本当に初めから悲しい決断をしております。

それで思いがけなく4月に訪米をさせていただき、そして公聴会でも初めて拉致の家族会の一人として話をさせていただく事ができましたし、翌日思いがけずこれもブッシュ大統領とお話をさせていただきました。
その時私は、本当にどうにもならない悪と言うものはこの世にはあって、その悪と戦うために私たちは命を削って一生懸命に救出するために、たくさんの日本の大切な命を救出するために、皆さんの支援の中で頑張ってまいりました。
長い間戦っておりますと言いました。
そしてめぐみの事も話し、めぐみの写真も見せましたときに、本当にブッシュさんはその通りだと、本当にそうだと悲痛な顔をなさって「祈りましょう、頑張ろう」と言って握手をしてくださったんですが。

本当にこのように大変な人間がこの世の中にいるんだという事ですね。
そのためにどれだけ多くの人が苦しまなければならない、悲しまなければならない。
それは北朝鮮の金正日だけではなくて、いろんな国々にやはりそういう悪の思いを持った人が、その思いをだんだん広めていく事によって周りもまた悪に染まっていき、そしてたくさんの罪の無い人がいろんな国で殺されてしまいます。
本当にそのようなものと戦うと言う事は、本当に命がけでなければ出来ないんだなと、私は本当に思わずにはいられないんです。

皆、80歳90歳くらいしか生きられない人生だし、私ももう70歳になりました。
61歳でこの事の活動を始めましてから早10年近くなりますが、あっという間に過ぎていく人生の中で今置かれている中で、自分がその死の時までどれだけ一生懸命心を尽くして来たのは何だったのか?
遣り残すことなく本当に心から子供を愛し子供を助けようという思いで最期を迎える事が出来たのか?ということだけが今残された私の人生の歩みだと思っています。
どういうふうになっていくのか?
難しい政治の話は本当に私たちにはどうして良いのか分かりませんけど、先ほども仰いました。
柔らかい方向、硬い方向、本当に両方使い分けてやっていくしか無いのではないかと思います。

私はいつも思います。
金正日と言う人に本当に話し合って、あなたの子供だってやはり悲しいんじゃないですか?どういう心を持っているんですか?と言う事を本当に話し合って、そして拉致をした事を認めているんだから、本当の事を言ってみんなをすぐに親の元に返しなさい。
そしたら友好関係が信頼関係が日朝の間に生まれるのではないですか?
そしてあなた方も国民の方々も、日本も日本の国民も皆が平和に温かい思いで思いあって、友好関係を持って過ごしていく事が一番いいんじゃないですか?っていうことを、どうしたら伝えられるんだろう?と言う事をいつも思っています。

私たちには力がありません。
本当にただの一介の庶民でしかありませんけども、この事が浮上して私たちは子供のために何が出来るのか?
私たちが経験した悲しみ苦しみ。
そしてそれでも私たちはまだこの自由なこの日本の中で、なんでも頂けてなんでも着る物もあり、言論の自由もあり自由に幸せに暮らさせて頂いております。
連れて行かれた人たちまた北朝鮮に住んでいる多くの人たちは、本当に地獄のような監視の中で、なんで私がこんな目に遭わなければならないんだろう?と、助けて!早く来て!と今も泣き叫んでいるに違いない。
子供たちを思うだけで、本当に命が縮むような思いであります。

まだ倒れる事は出来ません。
帰ってくるまで、頑張るしかないと思っておりますので、どうかこれからも皆さん方本当にお一人お一人のお父様お母様として、ご自分の子供たちを思う。
これからこの子供たちや孫たちが住んでいくこの日本の国が、こんな大切な大事な事を本当に延び延びにして、まだこれ以上放棄して、解決が出来ないままで。
私たちの子供たちがどんな日本に住んでいく事になるのか?と言う事を本当に考えてくださって、心を一つにしてマスコミの方に特にお願いを致します。

先ほど増元さんが言ってらしたように、田中真紀子さんのこの間の国会討論も見ましたけど、どうしてあんなに次元の低いところでしか話が出来ないのか?
本当に日本国民として、悲しく思いました。(拍手)
もっともっと大事な事が、田中真紀子さんも日本の国の人です。
お子さんもいらっしゃる方です。
安倍さんも日本の国の方であり国民であります。
上に立った方を本当に心から応援して、そこはちょっと違うんじゃないでしょうか?と優しく言って、そしてそうだな、そうだなと安倍さんが分かるように、皆もマスコミの方もそのような思いで温かい思いで、この国を良くして行こうという思いで、皆がひとつになって応援しながら良い国を作り上げていくのが私たちの今の使命だと思っております。

どうかこれからもよろしくご支援ください。(拍手)
よろしくお願いいたします。(拍手)
 

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町田シンポジウム 第二部 家族のトークリレー(1)

   北朝鮮による拉致問題シンポジウム「救出してみせる!」
06.10.8 町田市民ホールにて

第二部 家族のトークリレー

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『横田滋 家族会代表の訴え』

皆さんこんばんは。(「こんばんは」の声)
めぐみの父、横田滋でございます。(拍手)

昨年の7月の18日に同じこのホールで集会が開かれましたんですが、その時私は、そのときから見れば前年、平成16年の11月に第3回日朝実務者協議でめぐみの骨が提供されて、それが12月8日に偽物だと分かったとお話をしたんですが、それ以降拉致問題っていうのは全く進展しておりません。
その後北朝鮮は骨を返せとか鑑定は別の物だとか言っておりますが、日本が説明すると言えばそれを聞き入れてもいません。

昨年以降の動きといいますと、今年の2月に日朝の平行協議と言うのが行われました。
平行協議と言うのは、拉致だけでなくて核の問題とかそれから保障の問題も話し合うわけです。
拉致と言うだけでは向こうは追及されるだけでメリットがありませんので、平行的に協議をする。
しかし、拉致問題が解決しなければ補償問題が先に来るという事は無いということは明らかに伝えてあります。

そして北朝鮮側は生きている人とその家族はすべて返した、残りの人は死んでいるかそれから入国していないと、すでに拉致は解決済みだという事を言っております。
それでその時の会合が終りましたときには政府から報告を受けましたんですが、結局何も進展が無かったと言う事。
それから次回いつ開かれるかと言う事も、何も決まっていないという事でした。

その時に日本の代表だった梅田参事官の話ですと、3つの感想を述べられまして、一つは北朝鮮側は日本の世論を非常に気にしているという事です。
そしてその一例としまして、ちょうどその直前に新潟市でめぐみの写真展を開きました。
その事が話題に上がって、新潟は拉致の問題の関心が強いところですが、「写真展を開いたけど2000人の人しか来なかったんだそうですね」と、向こうの代表が言ったそうです。

それに対して梅田代表が、「私が行ったときも満員だった。誰がそんないい加減な報告をしたのかもしれないけど、実際は2万5千人来たんだ」という事で、その時もらったパンフレットなどを渡したそうですが。
新潟のデパートで開いている写真展の人数までチェックしていると言う事は、先ほどの荒木さんの話じゃないですけど、今日の人数だってもし本当に十分の一にして、参加者が100人位だったら正直に報告するでしょうけど、多く集まっても多少割引してでも報告するかもしれませんけど。
まぁ本当に入りなんかもチェックしているという事です。

それから2番目には拉致の国際化を非常に恐れているという事です。
昔は韓国と日本しか拉致問題と言う事は北朝鮮の拉致と言うのは話題になっていません。
レバノンなんかは以前ありましたですが、解決しておりました。
ところが最近では東南アジア・ヨーロッパ等を含めて12ヶ国の人が拉致されているという事が判明して、その為に我々のところにも、日本に来られたタイ国の代表であるとかイギリスの代表とかそういう方とお目にかかって話をすることもありましたし。
それから後から早紀江が話すと思いますが、アメリカでの公聴会とか、サミットで拉致を取り上げるようになったとか、ASEANの会議でも拉致の問題が取り上げられると、国際的に非常に関心が高まって圧力が強くなって来ております。
この2月の段階では訪米と言うのは決まっておりませんでしたが、そういった事は非常に気にしてるようですが、圧力はいっそう高まってきております。

それから3番目には経済制裁、この段階では日本は経済制裁しておりませんけど、アメリカの経済制裁によって向こうは非常に窮乏しているという事で、更に日本も現在万景峰号を止めた後に金融制裁もしておりますから、北朝鮮側は何らかの対抗手段をしなければならなくなってくると思います。
それが3つがそうだったわけです。

それで日本の世論という事になりますと安倍内閣が誕生しまして、それから従来から家族会・救う会がお願いしておりました拉致の対策本部を設けて、首相自らがこの対策本部長に就任されています。
政府にはいろんな対策本部があるそうですが、首相が本部長を務めていると言うのは非常に数少ないそうです。
それから中山前参与も拉致問題についての要職に就いて頂いて、・・・(聞き取れず)首相補佐官に任命されましたし。
それから麻生外務大臣とか鈴木官房副長官とか拉致問題に熱心な方が再任されると、最強の布陣になりまして今回こそ拉致の解決と言う事が期待されております。

それから新しい動きとしましては、今年の春にめぐみの夫のキム・チョルジュンさんが、1977年1978年に韓国の海岸から拉致された5人の高校生の内の一人ではないか?と言う事が判明しまして、それぞれのお母さん・姉さんとかの提供を受けた血液・口の粘膜等から、キム・ヘギョンさんとの親族関係があるかどうかという鑑定をしましたんですが。
それで金英男さんのお母さんからの物が、キム・ヘギョンさんと肉親関係があるという事が非常に高い確立で判明しました。
99%というくらいですから、ほぼ間違いないわけです。
それを同じ結果を、韓国のソウル大学でもやりましたんですが、こちらでも同じような結果が出ております。

それで私たちは・・・・(聞き取れず)英男さんのお母さんとお姉さんに会いました。
韓国の新聞の一面に拉致問題が出ることは全然無かったそうですけど、そんな事から一面に英男さんがめぐみの夫であると分かった事が一面に取り上げられて。
それから我々が訪韓しましたときにはマスコミが非常にたくさんの方が取材に来られまして、そしてお母さんと対面したときなんかは300人の方が取材に来られました。
ですから韓国の方なんかはもうちょっと我々とタイアップしてくれれば、もっと韓国の拉致問題が盛り上がるだろうにとちょっと残念な事もありましたけど。
やはり野党のハンナラ等の朴代表なんかは、拉致された国民を救うという事は政府の責任だという事で、強く迫ってますが、しかし統一相なんかは我々と会う必要は無いなんて言っていますから、国の中で違いがあります。

そして姉さんには北朝鮮に行ってしまえば、やはり本当の事は言えないと言ったんですが、最終的にはお母さんと姉さんの方で判断してくださいと話しましたら、お母さんが非常に体が弱っている関係もありまして、ぜひ生きている内に一目会いたいんだという事で行ったわけです。
しかし行った結果はやはり拉致では無いということ、救助されたんだと言う事。
それで姉さんの方も分かってはいますけど、弟の言う事を信じるしかないと言ってましたんですが。
そういった事が新しいところで出ていますが。
しかし、めぐみのことでは別居したという事で余りハッキリした、死亡したと韓国政府は言ってますけど、本人の口からはそんなに断定した話は出て来ませんでしたし、それから火葬したと言う火葬場も本人が説明したより後に建設されたと言われておりますし、とても信じることは出来ません。

拉致被害者は生きていると言う前提で政府も同じですが、これからも救出運動を続けていきますが、先ほど荒木さんが仰いましたようにやはり世論の力というのが最大の後押しになりますので、ぜひ関心を持って見守ってくださいますようお願いいたします。
どうもありがとうございました。(拍手)
 

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町田シンポジウム(4)ー1

※音声はBlue jewel Voice 町田シンポジウム(4)でお聞きください。

荒木さん
有り難うございました。今、増元さんのほうから同時進行ということでですね、具体的に進めていくというお話がありましたので、具体的にこれからお話を進めていきたいと思います。今増元さんがお話になった中にもありました私ども、特定失踪者問題調査会行っています北朝鮮向け短波放送、しおかぜ。さる10月5日横田めぐみさんのお誕生日の時に、テレビ朝日の報道ステーションで、これを取りあげていただきまして、『平壌で聞こえていた』と言うことを流していただきました。みなさんもご覧になった方もおられると思いますが。

実はこれと別のルートでも、情報源の関係で、詳しいことは申し上げられないのですが、北朝鮮の人がこの放送を聞いているということについても確認がとれております。それを北朝鮮の当局ではですね、問題視をしていると言うところまで聞いております。まだ拉致被害者の方が聞いているという情報ではありませんが、おそらくそう言う状況であれば、誰かしら聞いてくださっている方はおられるだろうと思います。

そして、増元さんは、これを今≪国のほうで≫とおっしゃいましたが、残念ながら、この国の状況では、安陪内閣であろうと誰の内閣であろうと、こういうものを国としてやれるような状況にないだろうと思います。我々民間人がですね、やっていくしかない。できることなら、それに御協力を国のほうでしてくれればと思いますが、こういう大事なことはお役所だけに任せておけないというのが正直なところでございます。

これから今私どもがやっておりますのは、放送で情報を流すことと合わせて、様々な第三国経由でですね、情報入手をはかっております。こないだ、一回ひょとしてここに拉致被害者が、特定失踪者のお一人ですが、いるんではないかという情報がありまして、ルートを通じて調べてみたところ、残念ながら別人であったと言うことがございました。
とりあえず、しかし、そこまではなんとか行けるようになったと言うことでありまして、今のこの状況であれば、短期間のうちに誰かしら--それは政府認定の方かどうか判りませんが--居場所の確認が出来るのではないだろうかというふうに思っております。と言うより、しなければなりません。

さて、それで、もしそれが出来た場合、つまりさきほど佐藤先生が、おっしゃったように、≪本人の居場所の確認≫、そして≪本人へのアクセス≫という問題ですが、本人になんだかの形でアクセスが出来た、そして極秘裏に本人が、たとえば東海岸まで出てきて、『多少の危険を冒しても脱出をしたい』という意思表示を我々が確認が出来た場合、これは今の崩壊前でもやらなければいけないことですが、その時に一体どういうふうになるかというお話を、まず佐藤元空将にしていただいて、そしてどの場合に、政治は一体どうするのか、というところを松原議員の方からしていただき、そしてそれについてご家族の立場で、増元さんにコメントをしていただくという順番でお話を進めていきたいと思います。

佐藤元空将
長くしゃべりすぎたので、またきましけど。基本的にはですね、【邦人救出】--石破大臣の時に防衛白書がでていますが--【邦人救出】がベースになると私たちは考えております。

現役がどうなのか私は知りませんが、サマワでは二年半相当なことをやってきて無事に帰ってきております。
海上自衛隊、航空自衛隊は、いつミサイルが飛んでくるか判らない中で、黙々と任務に従事しています。
陸上自衛隊の一部はご承知のように、三陸の訓練所におきまして、米海兵隊から徹底的した特種作戦の技術を学んできて、全国で今、普及教育を行っております。
石破さんも、以前にそれを質問をされたときに、『自衛隊はなかなか出来ない』と答えたそうですが、それは、60年間ですね、50年以上自衛隊は『専守防衛』ということで、攻撃を一切、口に出すことを封じられてきた、政争の具でやられてきたということに尽きます。

しかし、私は戦闘機乗りですが、戦闘機乗りが専守防衛で、排他的にやっているわけではございません。これは、いつでも切り替えれば、適地攻撃が出来るわけでありますから、そのいわゆる軍事的な技術というのは、いつでも使えるんだと言うことを、政治家のみなさんが政策に反映していただければ、かなり前進をする問題だと認識しております。

つまり、【邦人救出】、今荒木先生が言われたように、何処かの海岸地点の場所にですね--逆に我々の仲間が佐渡の沖や北陸でさらわれたような状態でありますが--海岸の何処かに極秘に終結したということが、的確な情報が入れば、沖縄に展開している海上自衛隊の色々な艦隊のほうから、陸上自衛隊の特殊部隊が救出をすると言うことは、これは軍隊でありますから、その訓練をやっていれば可能性はあります。

問題は、その時に、インドネシアでありました、・・・ときの『救出』ということではなく、必ず武器を使う。武器を使う、<武器を使うな>と言われてきたのが、自衛隊でありますが、このことで敵を殺す、状況によっては、自分たちも死ぬ。そして、せっかく救出した拉致被害者の中にも犠牲者が出るかもしれない。しかし敢えてそれをやるんだという決意さえできればですね、かなりの作戦は出来るんではないかと私は認識しています。

私はOBで、無責任で、死ぬのは現役じゃないかと後輩に言われそうでありますが、その軍事的作戦行動は、あの防衛白書に載っております、【邦人救出】という一切武器を使わない平和的手段で救出をやるという方策に、武器を使用して、世界各国の軍隊が常識として持っている軍事行動をとることが出来るかどうかと言うところにかかっていると思います。

荒木さん
というところで大変難しい政治の決断と言うことなんですが。

松原仁さん

あのー、難しい政治の決断の前にですね、今言った、佐藤さんのおっしゃったのは≪ハードランディング≫の場合だと思うんですよ。もう一つは、≪ソフトランディング≫、といえば、超ソフトではないですが、いわゆる、一つは【邦人救出】と言うことで、勝負をかけると。もう一つはやはり体制を崩壊させる。これが、その、≪ソフトランディング≫という名称が良いのかどうか解りませんが、この二つの、最終的には拉致問題の解決の手法がある。≪ハードランディング≫ の場合、当然、拉致被害者救出だけではなくて、それは金正日に対してアタックするというのが当然ですね、テーマにはいってこなければ、これは片手落ちになってしまう。

私はとりあえず安倍内閣が急速にやらなければいけないことというのは、できる限り北朝鮮が追い込められる。(追い込む?)

たとえば、実は今回私は、夏にモンゴルに行って参りました。モンゴルで北朝鮮の問題、人権問題を扱おうという国際的な集まりがあって、そこで我々は議論をしてきたわけであります。最終的にそこに個名をあげて、中国の名前まであげて、中国も北朝鮮に毅然としないと、この拉致問題解決しない。人権問題は解決しない。
それは拉致だけではなく広く人権問題という国民の中での議論をやったんです。

その時に最終的には、アフリカからやってきた2~3カ国が『本国に照会しないと、共同アジェンダに署名できない』、こういうことで彼等は署名しなかった。それはそれで、そういうことで北朝鮮にインパクトがあって、それを主催したモンゴルの国会議員が、アジェンダを出した翌日に--モンゴルは北朝鮮と外交がありますから--北朝鮮の大使館、そこに呼ばれて、『なんであなたは、モンゴルの国会内で北朝鮮に対して、そういうきわめてネガティブな国際会議を招聘したんだ』と。それが効き目があるんです。

私、何が言いたいのかと言いますと、こういう事をやって、北朝鮮の金正日が裸の王様になることなんです。
金正日が今絶対権力を持っていて、すべての人間が金正日をみて生きている。しかし、その外交官、モンゴルですら北朝鮮の人権を言い、中国のことを名指しで批判しているわけです。こういうふうにして追い込んでいくのが大切なんです。

たとえばナチスドイツの末期というのは、ヒトラーの・・ヒムラーというのがいるんですが、彼はヒットラーを裏切ったんです。あれだけヒットラーの双生児のような、双子みたいな、一番ユダヤ人を殺したヒムラーですら、最後ヒットラーを裏切るんですよ。どーう見たって、俺の親分を守るよりは反対に付いた方が良いと。あのナチスですらそういうことがあったということは、当然ですね、今の北朝鮮にもそう言うことがあっておかしくない。

たとえばモンゴルで今年に入って三億円ですね、モンゴルでどうも、マネーロンダリングしようというのがあって、これが、水際で発見された。ま、今言った、中国を舞台とするバンコ・デル・アジアの問題、アメリカの金融制裁が効いている。

モンゴルなどの第三国をまたひとつのロンダリング場所にしようとする。それに対してモンゴルと日本の政府が連携して止める。全部彼等が自由に動こうとすると止めていく。止めていって、金正日の側近をヒムラー状態までに追い込めば、これは体制崩壊というのは、一つの方法としてできるだろうと。

もう一つはですね、やっぱり、これは、韓国だと思うんですよ。韓国は、あの盧武鉉というのは、どうもですね、どう考えてたってなんか、間違った人が大統領になった。歴史認識からしてめちゃくちゃでありまして、彼の歴史認識は全くおかしですから、これはですね、もっともっと日本のマスコミは主張するべきなんですが。

この盧武鉉は、今や、北朝鮮がミサイル撃ったもんだから、窮地に追い込まれて、彼の太陽政策というのは、だんだんと追い込まれてきている。そして、韓国に於いて、まさにハンナラを中心とした政党が政権を執って、そして北朝鮮に対して、厳しい外交をし、単に厳しいだけでなく、あそこ、国境を接しているわけですから、どんどんと、体制崩壊が出来るように。北から南に人が来て盧武鉉政権が出来たなら、スパイが来てやったなら、逆に南から北へ体制崩壊の人間を送り込む。実際できるかどうか、体制崩壊させるメリットがあるかどうか、南も考えるでしょうが。そういうふうに南の政権を追い込んでいく。

つまり同じ民族の韓国が、北朝鮮の崩壊に対して、最も有効な一つの砦になるだろうと思っています。
そう言うようなことを外向的にやっていく。これは絶対にやらなければならない。

最終的に私は、体制崩壊を目指す方が、本当は素晴らしいと思う。たとえば<しおかぜ>もそうです。そういった放送をラジオで放送する。
北朝鮮人権法というのも、本音は、何かというと、北朝鮮崩壊のためにどうすればいいのかということで我々は議論した。・・・・・
少なくとも、そういう様々なレトリックの中で彼等が崩壊するための流れを作りたい。これが、北朝鮮人権法の本音であります。

これは、ソフトランディンを目指そうという方法です。ですから、私は安倍政権としてはすべての彼等の出て行くところを止めていくところを、モンゴルでお金を止めたようにくい止めていって、すべての金正日の側近をヒムラー状態に追い込むような努力をして、やっていって体制崩壊と、韓国を通しての動きもやっていってみるけれども、それができない。それでも、人の寿命というのはありますから、時間がかかったら、これは時間切れで、北朝鮮は、。。でしょう。冗談じゃない。その意味では、従って、最終的にはハードランディングを選択肢として否定しないということを、それは安倍さんがが心の中で思っていればいい。

そして、こういったミッションを国家として遂行することが、実は世界の中で日本が大きく評価されることになりますから、≪拉致問題は、拉致被害者だけの問題ではない≫ と言うことを、今日この場にいらっしゃったみなさん、どんどんとたくさんのみなさんに伝えていただいて。そして、この拉致の問題に対するこの国民の怒りが持続すると言うことが、どちらにしても、最終的に、もし、強いミッション=強いハードランディングをする場合には、猛烈な国民の後押しがなければこれ、出来ませんから--ソフトランディングはそれがなくても或意味で出来るかもしれない--。そう言う意味ではこういった集会で、熱意を盛りあげていただきたい。

だいたい日本の政治は、荒木さんは政治決断と言いますが、政治決断なんてそれほどないんですよ。
民間の熱意でどうにでもなってしまうと言うと極端ですけれども、最高裁判所の判断だって、これは国民の世論で変わってしまいますよ、それは。

だから国民の世論が、この問題では、その今の法律を超えたところまでやるべきだというくらいに沸騰すれば、安陪内閣にしても、我々にしても、--もちろん我々は様々な立場でそのことを主張することは出来るけれども、最終的に国家の主権というのは、そういった世論によって左右されますので、こういった集会で・・・・世論を盛りあげていただきたい。(拍手できこえず)

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2006年11月14日 (火)

那珂市集会(1)荒木和博氏-1

   北朝鮮拉致被害者救出!那珂市集会
06.10.15 那珂市総合センター・らぽーる にて

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表の講演 その1』

ご紹介頂きました荒木でございます。
本日は大変お忙しい中、また天気もいいお休みの日に多数の皆様お集まりいただきまして、本当にありがとうございます。

今副議長のお話にもありましたけども、情勢は大変緊迫を致しております。
この北朝鮮に対する制裁が国連で決議をされてそして実行される。
そしてまた日本では安倍政権がスタートいたしまして、そしてこの拉致問題についても特段の取り組みをしていくという事を、総理自ら言われているわけでございます。
北朝鮮はいよいよ逃げ場の無いところに追い詰められておりまして、この状況は野球でいえば9回の裏ツーアウト三塁で一打サヨナラという手前まで来ている状況だと思います。

ただ、ここで皆さんにご理解いただきたい事は、このツーアウト三塁で後ヒットが一本出ればサヨナラ勝ちというときに、バッターボックスに立っているのは誰か?
それは安倍晋三では有りません。
ここにお出での皆さん、もちろん私も含めてでございますが、ここにお出での皆さんがバッターボックスに立っているのであって、安倍政権が出来た事、あるいは北朝鮮がミサイルを撃ったりあるいは核実験の真似事をやって追い詰められているという状況は、あくまで三塁までランナーが進んだというだけの事に過ぎないわけですね。
安倍さんに任せておけば後は大丈夫だといって、自分たちが観客席にいて応援団の立場になったらばこの問題は解決を致しません。

逆に言いますと、拉致問題をこれまで進めて来たものは何よりもここに皆さんがお出でいただいたように、拉致問題を解決しようと言う国民の声があったからこそ前に進んで来た事であって、それを成就させるためにもやはり国民の声と力が必要でございます。
そして皆さんご自身がそれぞれ市民の皆さんであると思います。
普通の人である皆さんがどうしてバッターボックスに立っているのか?
あるいは立たなければいけないのか?という事をこれからお話しようと思います。

皆さん、拉致事件というと海岸でですね。
歩いていたら突然襲われて袋に入れられて工作船に乗せられて連れて行かれる、というイメージが大変多いだろうと思います。
・・・(聞き取れず)ですとかそういう所でそういうような事をやっています。
しかし実際は拉致を行われている場所と言うのは別に海岸線ではありません。
運び出すときは当然海岸線ですけども、実際に拉致事件が行われているのは内陸でもあり、あるいは太平洋側でもある。
我々が怪しいと思っている事件の中には伊豆七島の神津島で起きている事件もございます。
茨城でも私どもの特定失踪者問題調査会が持っております拉致の可能性のある失踪者のリスト、県内でいなくなっている方が何人もおられます。

拉致事件というのは北朝鮮から工作員が突然やってきて、そして待ち伏せをして連れて行くという事件ではありません。
拉致をしようというふうに決めたらば、決めた人を時間をかけて調査をしてどういう仕事をやっているか?
あるいはどういう学校に通っているか?どういう家庭環境か?どういう行動パターンか?という事を調べて何らかの形で騙してどこかに連れて行って、そしてそこからは無理やりに連れて行く、言うパターンでございます。

例えばこの那珂町の中だって、拉致と言うのは簡単に出来ます。
この町の中で普通に住んでいる方であればお互いに顔も分かっているでしょうからそういう事はし難いと思いますが、例えば何かのお仕事で面識のある業者くらいの人間関係の方、つまり直接ですね。
ご家族にこんな業者がいるんだよとお話をしなくても面識はある。
街中で会えば挨拶はする。
そういう方にたまたまどこかで会った。
本当はたまたまではないんですが、たまたまどこかで会った。
「ちょうど良い所で会いました。ちょっと仕事の話があるんでそこに事務所があるので来てくれませんか?」言うふうに言って、「分かりました、じゃあ20分くらいなら」という事でそこから建物に入ったとする。
この建物もそうですが、入ってドアを閉めてしまえば後は密室です。
そこで当身を食らわせて気絶をさせて、そして袋かあるいは段ボール箱のような物に入れて、荷物を偽装してワゴン車に乗っけてしまえば後は何をやっても分かりません。

茨城県内にもひょっとしたらあるかもしれませんが、千葉の房総の南の方に行けばそういうののですね。
監禁場所に使ったのではないか?と思われるような場所がございます。
そこまで車を飛ばしてそこに隠しておいて、そして工作船が来たとき、あるいは北朝鮮の貨物船に何らかの方法を使って乗せて北朝鮮に連れて行く、いうことは簡単でございます。
この茨城の県警でも例えばですね、まさか北朝鮮の拉致があるなんて事は思っていない。
ですからそういう事に対する警戒は全くやっていません。
日本海側の県警ならばまだそれでもいくらかは警戒はしていますが、そういう所だって平気でやってくる。
いわんやこちらの太平洋側であれば遥かにやりやすい。
ですから県内からだって失踪した方で拉致をされている方というのは当然いる可能性はある、という事でございます。

私ども特定失踪者問題調査会と申しますのは日本政府が認定をしていない、今日本政府が拉致だと認定していますのは、今日お出での飯塚繁雄さんの妹さんである田口八重子さんを初めとする16人の方々ですが、それ以外の拉致の可能性のある被害者について調べてそして救出を目指すのが私ども特定失踪者問題調査会のやっていることでございます。
で、このリストの中でですね。
我々今460人、公開非公開の方を合わせて可能性がある、可能性が高いじゃなくて可能性があるというふうにいっている方が460人くらい。
そのうち260人は公開しておられまして、お配りを頂いております「しおかぜ」と書いたチラシに小さい写真がたくさん載っかていると思いますが、その方も公開をしている方々でございます。
一番古い方は昭和23年、一番新しい方は一昨年まで、失踪者で拉致の可能性が存在するという事を言い続けているわけでございます。

この方々の大部分は北朝鮮とは何の関係もありません。
私であれば北朝鮮の悪口を言って歩いていますから、例えば私がいなくなればそれは「あんなふうに言っていたんだからやっぱりやられたんだろう」というふうに思ったかもしれない。
しかし田口八重子さんを含めまして失踪した方々と言うのは、ほとんどが北朝鮮と何の関係も無い方々でございます。
であればいなくなったときに、誰も拉致をされたという事は疑いません。
そうするとどうなるか?

例えば横田めぐみさんが拉致をされたのは昭和52年の11月の15日。
若い方はまだお生まれになっていない方もおられるかもしれませんが、その当時成人をされていた方でも、今から例えば警察がたずねてきて昭和52年の11月15日に何していましたか?と聞かれて思い出せる人はおられるでしょうか?
あの時は朝ちょっと頭が痛くて少し遅く起きてきて会社に遅刻して、そしてでも昼間くらいになったら治ったので夜は一杯やって外でカラオケ歌って帰って来たと、言うような事が話せるような方であればそれだけで飯が食える。
そんな人はまずほとんどいないわけです。

ところが一番最初いなくなったときに、ご家族は警察に大抵届けます。
届けても警察で受けるのは生活安全課が受けます。
生活安全課の人というのは警察の中でも、生活安全課と拉致問題を担当する公安とは余り仲が良くない。
ですから情報が横へはいきません。
ひょっとしたら公安の人が見たら「この事件は怪しい」と思うような事件でも警察署の中で止まってしまう。
そして警察には年間10万人も行方不明という事でお届けがありますが、これを全部調べていく事はとても出来ない。

例えば遺体が出てきたとか、あるいはよほど事件性が伺える。
横田めぐみさんの事件のように中学校1年生の女の子がいう事であればそれは調べますけども、大抵の場合はもう大人ですからほとんど調べる事は無い。
家出人の捜索願だけを書いてそしてそれを出しておしまいです。
その状態で何年も何年も時間が経つんです。
10年20年と経って、それからもう一回ひょっとしたらこの事件は拉致だったかもしれないと思って調べようと思っても、その時には証拠も何も残っていません。

ご家族はどうか?
拉致された方がいなくなる、失踪していなくなる。
一体なんでいなくなったか分からない。
ご自分の意思で何か嫌な事があっていなくなったのか?あるいは事件に巻き込まれたのか?
生きているのか死んでいるのかも分かりません。
いくら、一生懸命ご家族は探すわけです。
友達のところにですね電話をかけまくって、そしてちょっとでも似た人を見かけたという話があったらそこまですっ飛んで行って、そして聞いて回る。
それでも分からない。
そういう苦しさと言うのは、本当に我々自身でもとても想像が出来ません。

これは酷い言い方ですが亡くなっているなら諦めるしかない。
ご自分のお葬式を出して、そしてご自分の心の中に思い出をとって置く以外にもう仕方が無い。
そういうふうにして気持ちを片付けていくわけでございますけど、失踪と言うのはそれが出来ません。
生きているか死んでいるか分からない。
その状態で生き地獄の中でご家族は苦しみを何十年も続けなければなりません。
次第にその方について家族の中でも話をしなくなります。
段々に、その方の話をすればお母さんが泣き出してしまうとか、ご家族の中で気まずい思いをする。
できるだけ話題から避けようと言うふうにしてしまう。
そうすると次第にその頃の記憶を片隅に追いやってしまうと出て来なくなる。

我々のリストの中の古い方であれば、いったい何年にいなくなったのかも分からないという方がおられます。
当然いなくなったときにご家族は捜しているんですが、辛さの余りその事をですね。
思い出さないようにしているうちにだんだん記憶がなくなっていく。
そしてご両親が亡くなっていったりすればますます事態が分からない、いう事になってしまうわけでございます。
ところが今この国の中には、そういう中で拉致をされた人が誰かという事を捜す機関と言うのがありません。

皆さん、先ほどのお話の中にこの4年前の今日が拉致拉致被害者が帰って来た日だという事を○○(聞き取れず)さんが仰っていました。
この5人が帰って来た日、私は羽田空港におりまして、あのタラップを降りてくる5人を下から迎えておりました。
そしてそこに日本政府が拉致だと言っていなかった曽我ひとみさんが入っている。
降りて来た訳であります。

皆さん覚えていらっしゃいますか?
あのときに、曽我ひとみさんは24年間日本政府が拉致だという事を気がついていませんでした。
気がついていなかった事に対して「申し訳ありませんでした」と言った人がただの一人もおりません。
新潟県警は曽我ひとみさんについては拉致では無いと認識していました。
それは日本政府も基本的に同じです。

曽我さんの場合は、大変失礼な言い方なんですが、昨年お亡くなりになったお父さんが当時若干アル中の気があって、近所ではですね。
「あそこの家はおそらく親父に愛想をつかして、親子で逃げ出したんだろう」というふうに言っていたそうです。
お父さんからすればとんでもない濡れ衣だったわけですけれども、そういうふうに思われ続けて24年間、全く分からないままで来てしまった。
そして24年ぶりに北朝鮮が先に言った事で分かったんです。
北朝鮮が何も言わなければ未だに曽我ひとみさんはただの失踪者です。

そして曽我ひとみさんが拉致だと分かったときに「申し訳ありませんでした」といって、例えば警察庁長官が辞表を書いたか?
国家公安委員長が謝罪をしたか?
誰も何もこの国の中でしていないんです。

実は大変お恥ずかしい話ですけども、私自身がそれに気がついたのは、それからふた月後のことでした。
帰って来たときのドタバタで、その事を全く頭に思い浮かびませんでした。
帰ってきてから2ヶ月経った4年前の12月18日に、5人が初めて故郷に帰ってから新潟市で一同に会しました。
当時私は救う会事務局長をやっていましたが、その時に私の書いた本で「拉致救出運動の2000日」という本が出ましたので、その本を5人の方々に配りました。
で、配っている最中にふと気がついた。
2000日間の記録ですから分厚い本なんですが、曽我ひとみさんという名前が出てくるのはその一番最後の方だけなんです。
本当にちょっとの部分だけ、それまでは何も書いていない。

あっと気がついて、曽我さんにお詫びをしました。
「私自身が救う会の事務局長という立場でやっておきながら、曽我ひとみさんの拉致に気がつくことが出来ませんでした。申し訳ありませんでした」というふうに言ったんですが、その時にハッと気がついたのは今言いましたようにこの国のお役所の中でそれに対して誰一人としてお詫びをした人も責任を取った人もいない。
という事でございます。

誰一人お詫びをしていないという事はどういう事か?
この国の中に拉致をされた人が誰なんだ?という事を捜すための機関が存在していないという事です。
そういう機関があるいはそういう役職を持った人が存在しているのであれば、その人は当然責任を問われるはずです。
あるいは人から言われなくても自分で「申し訳ありませんでした」という事を言って辞表を書くらいの事はするはずであります。
ところがそれが無かった。

それは今でも基本的には同じです。
皆さんや皆さんのご家族、お子さんですとかあるいはお友達ですとか、そういう方々が拉致をされていなくなったと。
それを捜す人というのは捜す機関というのは、今現在この国には無いと思った方がいい。
見つからなくても誰も責任を取ろうとしない、言うふうに思った方が良いと思います。

更に酷いのは去年の6月に参議院の内閣委員会で、拉致問題の質問に当時の細田官房長官がこういうふうに答えている。
「どうやって拉致被害者が救いを待っているときに助けるんですか?具体的にどうやって政府は助けるんですか?」
その質問に対して細田官房長官はこういうふうに答えました。
「相手も国家ですから、そこにいる限りその国の権限が及ぶ。ですから私たちとしては話し合いをして、そして北朝鮮が分かりましたと『この人たちは実は我々が拉致しておりました』と『すみません』と言って返すまで話し合いを続けるんです」
いう言い方をしている。
本当であればこの答弁ひとつで内閣が吹っ飛んでもおかしくないような答弁です。

この答弁と言うのはどういう事を意味しているのか?
「日本国政府は絶対に拉致被害者は助けない」と宣言しているのに等しい。
話し合いで帰ってくるような国であれば、元々拉致などするはずがない。
そういう常識を完全に超えた国だから、全く何の関係もない中学校1年生の女の子を海の向こうまで拉致をしていくわけでございます。
それなのに話し合いをするしか出来ないという事は、取り返さないという事と同じです。
国家は国民の生命・財産を守る義務があります。
その義務を果たしませんよというふうに言っているわけでありまして、この状態であればこれから先、拉致された人は帰って参りません。

今拉致の救出はどういうふうにこの国の政府はやっているか?
警察が捜査をします。
そして警察がこれは拉致間違いないというふうに言ったもの、それについて内閣の責任で認定というのをします。
田口八重子さんもそうやって認定をされました。
そして認定をした人について日本政府は「生存を前提として返しなさい」と北朝鮮側に言う。
そして北朝鮮が「分かりました」と言ったら帰ってくる。
そういう順番になります。

ところがさっき言ったように事件がもう何十年も前の事件が多いわけです。
その事件を調べようと思っても証拠が出て来ない。
ですから100件拉致があったとしても、その中で警察がこれは拉致間違いないと言える事件というのは本当に数件くらいです。
そしてその数件について警察が内閣に渡して「これは拉致ですよ、認定してください」と言ったとしても、今度は政府の方がまた拉致被害者の数を増やしたら、北朝鮮が話し合いに乗ってこないという事で中々認定をしようとしない。
そしてそれでも認定を何とか例えば半分したとして、その人について「これは拉致被害者だと返しなさい」というふうに言ったとしても、そこに圧力がかかっていなければ北朝鮮が返すわけがありません。
という事で今のやり方でやっていたら大部分の拉致被害者は北朝鮮で亡くなっていく、いう事でございます。

いわんやご家族、ご両親はもうすでにご高齢の方が非常に多いんです。
家族会の方々の中でもご両親で一番お若いのは横田さんご夫妻、それでももう70歳を超えています。
私どもの特定失踪者のご家族では90歳とかもう100歳近い方もおられます。
現在私ども短波放送を北朝鮮に向けて流しておりますが、その短波放送の中で一人、東京で昭和40年ごろにいなくなった方で井上征子(せいこ)さんと言う方がおられるんですが、そのお母さんが広島県と島根県の境の山の中に住んでおられました。
娘に何とかして自分の声を伝えたいという事で、今年の2月に大阪まで出て来て下さいまして、そこでこの「しおかぜ」の北朝鮮向けのメッセージの収録を致しました。
で、この電波は今でも北朝鮮に流れておりますが、お母さんは残念ながら5月に具合を悪くされて他界されてしまいました。

私たち調査会が出来ましてからもう4年くらいになりますが、私が直接お会いした方でももう何人もの方がお亡くなりになっている。
北朝鮮にいる拉致被害者の中にも高齢の方は、どうなっているか分からない。
あるいは田口八重子さん、横田めぐみさん、政府認定の方々はほとんど無事だと、特に若い方については私は大丈夫だと思いますけど、しかし今日ご無事であられてもそれは明日の無事を保障するものでは無い。
だから何とかして取り返さなければいけないんです。
話し合いをして相手が分かりました返しますと言うまで粘り強くやりますなどという言葉で、誤魔化せる問題では無いんです。

それでは一体どういうふうにしなければいけないか?いう事でございますけども、まずどこに誰がいるのか?と言う事を調べていかなければいけません。
そして今北朝鮮の中は相当な混乱をしています。
政権が崩壊をしていく直前まで来ている。
体制が潰れたときに、そのときはある意味でいうと救出のまたとないチャンスですが、もう一つ間違えば大変なピンチになる。
その救出をするときに拉致被害者が証拠隠滅のために消されてしまうと言う可能性も存在しているわけです。
そのときには行って助けていかなければなりません。
誰がそれをやるか?

それは誤解を恐れずに言いますけど、自衛隊が行くしか方法が無いんです。
体制が崩壊したときというのは、クーデターとかそういう状況になっている可能性がある。
助けに行ってもどこから弾が飛んでくるか分からない。
民間の船舶ですとか飛行機が行ったって無事に取り返せると言う保証は無い。
その時に場合によったら犠牲を覚悟しても取り返しに行ける集団というのは自衛隊しかありません。
それを使って取り返しに行く。

そして可能であればそれ以前でも拉致被害者の方々と何とかして連絡をつけて、そしてご本人が多少の危険を犯しても逃げ出したい日本に帰りたい、いう意向が明確になれば何とか例えば東海岸に出てもらって、そこで海上自衛隊の潜水艦と陸上自衛隊の特殊部隊を使って救出をする。
いう事も含めてやっていかなければいけない。
国家の責任と言うのはそういうものです。
ひょっとしたらそれによって一人の拉致被害者を救うために何人かの犠牲者が出るかもしれません。
しかしそれでも拉致被害者を助けるんだという意思を示したときに、初めて今この国の安全が確保される。

この国の海岸線の長さというのはアメリカの半分もあるんだそうです。
物凄く長くて、そして入り組んだ海岸線です。
北朝鮮の工作船はどんなに少なく見積もっても月に一回は、日本のどこかにこの数十年の間入って来ております。
止める事は絶対に出来ません。
今陸上自衛隊が約16万ほどいますけども、この部隊をですね。
全部一ヶ所に集めて海岸線を警備したとしてどれくらい守れるのか分かりますか?
せいぜい青森県一県くらいだそうです。
日本全部なんて絶対に守れない。
・・・(聞き取れず)もちろん警察でもとてもそんなこと出来るはずもない。

つまり、この国はですね。
入ってくるのは極めて自由なんです。
そして何をやっても余り警戒をしていない。
スパイがいても捕まえたってスパイをやっているという事では罪にならない。
そういう国です。

だから、そういう国が守るためには、我々自身を守るためにはどうしなければいけないか?
すでに拉致をされた人たちはどんな手段を使っても取り返す。
そしてそういう事をやった国、主権侵害をやった国に対してはどういう酷い目に遭うかという事を分からせる。
こういうふうにしなければまた必ずやって来ます。
北朝鮮が拉致を辞めたという証拠は何もありません。
これからだって必要があれば北朝鮮は拉致をします。
世界中でやっているし韓国でもやっている。
韓国人の拉致の、今韓国政府が認定している一番新しい被害者と言うのは西暦2000年の1月です。

我々のリストでその可能性のある人は2年前までいますが、これは拉致であるとは断言できませんけど、しかし最近でもやっている可能性は存在する。
我々が拉致被害者を放っておけば、また次の拉致被害者が出る。
その拉致被害者になるのは皆さんご自身かもしれないし、そのご家族かもしれないという事です。

拉致被害者の救出運動と言うのは、田口八重子さんがかわいそうだからやるのではありません。
飯塚繁雄さんがかわいそうだからやるのでもありません。
私たち自身が、我々自身が、ここにお出での皆さんご自身が、ご自分とご家族と周りの方々の安全を守るためにはそうしなければいけない。
そういう問題だという事を、ぜひともご理解を頂きたいと思うわけでございます。

私自身、確かに一番最初のスタートは横田めぐみさんの事件が明らかになって、ご両親が活動する。
それに私どももやはりその経緯から言ってお手伝いをしなければいけない。
何とかご両親のためになりたいという思いがそのスタートの所でございました。
しかしやはりやっているうちにそうではない、というふうに実感したんです。
これはもう誰かのためにやる話では無い。
自分たち自身が安全な国を次の世代に渡すためにやらなければいけない事である、いうふうに思った次第でございます。

・・・その2に続く・・・

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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