カテゴリー「神奈川県民集会(2006/4/16)」の記事

2006年4月30日 (日)

増元照明さん (神奈川県民集会)

  『増元照明 家族会事務局長の訴え』

こんにちは。
早紀江さんがあれだけ激しい言葉を仰って、トリを務める私が喋り辛くなりました。
でも、今日は加藤さんや山田先生のような北朝鮮から逮捕状まで出されて指名手配をされているお二人と一緒にこの壇上でお話できる事は非常に光栄に存じます。
その点では救う会・家族会ではまだ名前すら挙がっていないので、まだ抗議や活動が足りないのかな?と反省はしておりますけども、北朝鮮から指名手配されるほどの活動はやっていかなければならないと思っております。

先日金桂寛外務次官がやってきました。
そして私たちも声明を出しました。
翌日に家族会激怒という(記者会見を)やったんですけども、僕たちは、早紀江さんもそうだと思うんですけど、この10年間ずっと北朝鮮と言う国を見てきまして、北朝鮮がどういうタイミングでどういう言葉を発するかと言うのを、ある程度予想できるようになりまして、基本的にはあんなもんだろうと思ったんです。
ですから、そんなに怒らないと言うことはないんですけどもそんなに激怒と言う事もなかったんですが、激怒と言うふうに出てしまいまして、どうしようかなと思ったんですが。

でもあの金桂寛の態度にはやはり私たちは疑問を呈さざるを得ません。
2002年9.17以降、初めて北朝鮮の高官として入ってくるのなら、日本国民に最初に謝罪の言葉を述べるべきだと私は思っています。(拍手)
それがひとつもなくニコニコしながら入ってくるなんてとんでもない事だと思いまして、激怒ではありません。
私の・・・(聞き取れず)ですが、抗議の意味で断食を始めました。

それはなぜかといいますと報道の人たちがあの金桂寛が入ってきて、6者協議の再開を希望するような報道しかしなかったわけです。
6者協議が・・・(聞き取れず)迫って、金桂寛が入って6者協議の再開がなされるんじゃないかという、そういう希望的報道しかしなかったから、違うだろうと。
日本には拉致問題があるんではないか?と。
拉致問題がこれだけ日本の関心を持っていて、国民全てが拉致被害者の救出を願っているという報道をしていかなくてはいけないのに、金桂寛が来ているからこそ、報道が金桂寛に突きつけるような感じでやって頂きたかった。
ですから、私はあえて(断食を)やらして頂きました。(拍手)

そしたら11日にヘギョンちゃんと金英男氏の親子関係と言うのが確定がされて、それで初めて報道の方たちが大きく報道をして頂きました。
これで金桂寛も日本に来て拉致問題の大きさと言う物を実感して帰ったと思います。
ソン・イルホはそれに対してあの程度の対応しか出来ないでしょう。
それは我々も分かっています。
それに対してまた我々家族会も・・・(聞き取れず)と書いてあるんですが、私はこれまで北朝鮮がやってきた事で激怒した事は、一回だけです。
めぐみちゃんの骨、あれを出してきた時、めぐみちゃんの骨と証する物を出してきてそして偽物だったと言う、あの時は本当に怒り心頭に達しました。
でも本当に私が激怒しているのは、すでに日本政府のだらしなさに対してです。(拍手)

5月22日に北朝鮮から小泉さんが帰ってきて、二回も騙されてもあの人は良い人だったと。
頭の良い良い人だったと言った小泉さんのこの言葉。
私には本当に恥ずかしい思いで感じられましたし、日本政府は本気で拉致被害者を救出するのか?というその気概が見えないことに対して、私は非常に怒りを覚えています。
今でもそうです。(拍手)

先ほど、○○先生は経済制裁はタイミングを見ながらと言う趣旨で話されたと思いますけども、なぜ万景峰号を止められないんですか?
アメリカの金融制裁はあれだけ効いて、そして世界の銀行が取引停止をさせられたら困ると言って、北朝鮮の貿易を扱う事を嫌がり始めました、
ですから北朝鮮は核を作ろうとしても必要な物資を他国から買う。
その貿易が出来なくなっているから中々作れないでしょうし、金正日のお金が凍結されたら、今今日の新聞を見ましたら、スイスの銀行まで調べ始めたそうですが、そうなったら金正日は干上がってしまう。
これが効いているんです。
こういう波及効果が出てくること。
しかし、私たちの国はまず効く効かないではなく、北朝鮮に対して厳しい姿勢を示すべきではないですか?(拍手)

万景峰号が北朝鮮の・・・(聞き取れず)の船だと私は思っています。
あれが人道の船だというのはとんでもないです。
あの船で在日の方たちが、あの船でしか行けないというのは嘘だと言う事を李英和さんも言っていました。
あの船は20数時間、構造が悪いので非常に揺れる中で行くそうです。
年老いた在日の方たちがあの船で20数時間も揺られて元山に着いて、そこから平壌に行って、そして会わなければならない。
しかも旅費は飛行機で行くよりも高いと言う話なんです。

この前某放送局が言ってましたけど、10数万円と言うのは朝鮮総連が言ってるお金ですから、実際は70万とも80万とも言われているんです。
それよりも飛行機で行った方が安いんです。
しかも早いし、安全だし、そういう船をなぜ日本は止められないのか?(拍手)
あの工作船をなぜ止められないのか?
これはまず私たちの日本は、拉致被害者を救出する為には本当に厳しい対応を取るという姿勢を見せる事、それが必要だと思っています。

先ほど加藤さんがやはり北朝鮮は脅してくるだろうと、それは皆さんに対し覚悟を迫る事かもしれないというふうに仰ってました。
でも北朝鮮が脅してきて、窮地を取られて良いんですか?
それと同じ事です。
100人200人は確かに少ない数かもしれませんが、100人200人を見捨てる国は1億2千万を見捨てます。
それはもう国にはなりません。(拍手)
国家として成り立ちません。
ですから皆さんには、もっと国民としてその覚悟を持ちながら、北朝鮮との対峙をしていただかなければならないと思う。

ただ、北朝鮮は(ミサイルを)撃てないと思います。
私は北朝鮮がそんな覚悟を持っているとは思っていません。
現代コリアの5月号で書いてますけども、1000発のトマホークが、アメリカのイージス艦から北朝鮮の軍事基地を狙っています。
北朝鮮が一発撃ったら全てそれが発射される。
その準備が出来ています。
それを北朝鮮は知っています。
ですから撃てないと思います。
それでも撃って来るなら撃ってみろと、それくらいの覚悟でやらないと・・・・・・・・(拍手で聞き取れず)
私も戦争は嫌いです。
戦争をすべきではないと思っています。
しかし、そういう覚悟を持たないと国は守れないと思っています。

今一番の問題は中国です。
報道の方にお願いしたいんですけど、中国の孔泉さんに私は聞いて頂きたい。
中国人二人が拉致されているのをどうするんですか?と。
どこの社も聞いてくれないんですよ。
なぜか?
中国から睨まれると支局を閉鎖させられるから。
実際追放になった人もいるらしいです。
ですから遠慮して聞けないんです。
そんな遠慮なんかしていてどうするんですか?いったい。(拍手)
中朝国境で今問題なのは、拉北者ですよ。
彼らの人権を今非常に侵されて、それを捕まえてこれを北朝鮮に返還している。
この事実をなぜ、報道はやって頂けないのか?(拍手)

靖国問題を中国が言っている事よりも、中国のやっている大きな人権侵害に対して・・・・じゃないですか?(拍手)
マスコミも現場の方たちは凄くいい人たちばかりです。
しかし社に帰ると全然違ってくるのが、ちょっと不思議なんですけども。(くすくす笑い)
ぜひ現場の方から上に上げてください。

大きな人権侵害、更にアメリカは北朝鮮の人権法案で、その中国に対して何もしない難民高等弁務官事務所に対しても厳しい姿勢を取るようになっています。
私たちはそういう大きな人権侵害に対してはやはり厳しい目で見て厳しい声を上げていただかなければならないと思います。
それは私たちの家族を取り戻す早道にもなりますし、北朝鮮の人民の人権を取り戻す早道になると思っておりますので、是非皆さん、私たちと一緒に戦ってください。
よろしくお願いします。(拍手)


~~決議文の朗読、事務局からの連絡、閉会の挨拶があって集会終了~~

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崔祐英(チェ・ウヨン)さんの訴え

2006/4/16横浜  開講記念館にて

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 韓国拉北者家族会崔祐英さん
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みなさまこんにちは。(会場からこんにちはの声)
尊敬する川添会長、それにみなさま、日本拉致被害者問題に限らず、韓国拉致被害者問題に関心を持って私達を招待していただいて、感謝申し上げます。

また今日は日本政府が認定している拉致被害者の他に、特定失踪者の(ご家族の)訴えを聞いて、非常に感銘を受けました。

私は高校一年の時に、この世で最も愛する父親(東進号の漁労長、崔宗錫さん)を拉致されました。

東進号という漁船に乗って、先ほどの朴さんと同じように、そのお父さんと同じように、韓国の西の海(=黄海の事)のペニョン(白○、○=令+羽)島と言う島の近くで、北朝鮮に拉致されましたがその当時は、家族は、お父さんがすぐ帰ってくると言う話しを聞いて安心していました。

しかし、ある日突如として、政府から南北会談が微妙になったので、すぐには帰ってこれないという連絡を受けた後、20年間、音信とれなくなっています。

その後、偶然に新聞報道によって、お父さんが、北朝鮮の中の政治犯収容所に入れられていると言う知らせを受けました。
しかし、その時私はまだ幼い年齢であったので、北朝鮮という国が、どういう国か、その中での収容所と言うところが、どういうところなのかを知りませんでした。

韓国では、私の前にお話しした朴さんのお話でもありましたが、公安関係の監視、あるいはひどい場合は拷問を受けることもあるので、どこにも自分たちの現実を、自分たちの実情を訴える場所がありませんでした。

そう言う背景の中で、韓国には485人、拉致被害者がいるんですが、その家族達は、一緒にあうことができません。そう言う環境の中で、私は、横田めぐみさんのお父さん、横田滋さん、増元照明さんたち日本の拉致被害者のご家族のみなさんと韓国の拉致被害者家族よりも早く合う事ができました。

・・・この問題は単なる韓国と日本の問題ではなく、家族を失った、同じような痛みを持っている家族同士の出会いだったと気付きました。

昨日私は、横浜にきたのですが、偶然ホテルのテレビで、横田めぐみ姉さん(横田めぐみさんを<横田めぐみ姉さん。とよんでいますが)の写真展をやっているニュースを見ました。そのニュースを消して私自身、愛するお父さんの思い出が沸々とわき、お父さんのことを考えて眠れませんでした。

お父さんはいつも船に乗っていましたので、身近に愛を分けてくれることはできませんでしたが、船に乗る前に手紙を書いて、妹、私、お母さんに手紙を書いてくれました。

横田滋さんもめぐみさんの写真を撮ることをすごく喜んでいたという話を聞きましたが、私の父親も、拉致される前は、・・・に連れて行ってくれては、写真を撮ってくれました。

私の父親は、「いつも、人間は、誠実に、真実に、まじめに、生きれば、必ず幸せになり、その努力が報われる」と言う話をいつもしていたのをいまだに覚えています。

おとうさんが拉致される以前に、うちの家の近くには、小さな池がありました。その池を掃除しながら、今度くるときはこの池に鯉を放して育てようと約束しました。

私のお父さんは、とても刺身がすきで、その刺身のあらで・・・を食べるのを喜び、そして、いろんな話を私達子供にするのを楽しみにしている非常に優しい父親でした。

「お父さん、お父さん」いつもと呼んでみますけれど、お父さんはあたしの呼びかけに対して、答えてくれることはありませんでした。

生きているのか、死んでいるのか、心の中でいつもお父さんに呼びかけております。いまだに何も返事をしてくれないお父さんを、今、私は待っています。

この場にいらっしゃるみなさんに訴えたいと思っております。私達拉致被害者の家族は、お父さんの情、そして娘の情を奪われたまま、20年、30年間、時間が止まったままの生活になっております。

幸にも、長くて寒い冬が終わり暖かい春になりました。
一日も早く拉致被害者がたちが戻ってきて、家族と共においしいものを食べて、いっぱい話ができるような時間が来てほしいと思っております。

去年の10月、お父さんの還暦がありました。韓国及び朝鮮半島では、こうした還暦の祝いは子供達が、立派な食事を作ってもてなす、そういう風習があります。

お父さんは、北にいるので、そう言う食事を作ってあげることができなかったので、せめてもの救いで、金正日国防委員長に「どうか北朝鮮にいる私のお父さんに、還暦の祝いをしてほしい」というメッセージを込めて、韓国の新聞紙上に広告を載せました。

いろんな出来事が各マスコミに報道され、その報道結果を見て私は今(すぐ)にでも、お父さんが韓国に帰ってくるのではないかという期待を持っていました。

そして、お父さんの誕生日であります10月23日、韓国の・・・・黄色いリボンをかけました。

もしお父さんが近々帰ってくるならば、韓国に残っていた私達家族は「貴方のことを決して一日たりとも忘れずに、貴方を待っていたんですよ」という意思表示のために、この黄色いハンカチの運動を始めました。

この黄色いハンカチの由来は、日本でも知られていると思うんですが、戦争に行っている夫の無事帰還を、無事の帰国を祈った家族の話、そして戦争に行った旦那さん思った奥さんが胸にかけた黄色いハンカチに由来する話しです。

この黄色いハンカチの運動は、私が採り入れたんですが、・・・のみなさん、韓国国内の食堂を経営しているみなさん、そして拉致被害者のみなさんが、みなさんがこのような黄色いハンカチをかけてくれるようになりました。

これは黄色いリボンなんですが、私がここに来たときに日本のある女性からプレゼントされたものです。
その人は、去年の10月の出来事をニュースで知り、そして私と会うまでに作って・・くれたものだそうです。

その黄色いリボンを横田めぐみさんの旦那さんである金英男さんの家族にもあげたら、今度北朝鮮のほうでも、
・・・・・・(不明)

この黄色いリボンを作ってくれたボランティアの女性が私に言ってくれたことがあります。
「拉致問題に関しては、日本と韓国が一緒に、共に連帯して解決していかなければなりません。」と言っていました。

日本と韓国の関係は非常に複雑で、いろんな問題を抱えているのが実情です。

いろんな問題はありますが、この拉致問題に対しては、被害者のみなさんが、手を組んで、また力を合わせ、団結して、そして解決していくまで、努力していかなければならないと思っています。

韓国も拉致問題に対して、だいぶ流れが変わってきました。その一例がですね、イ・ジョンボク統一省長官は、ついこの間、北朝鮮に対して、拉致被害者問題について訴えることを明らかにし、また韓国の国会でも、拉致被害者法法律制定のために動くことを、・・しました。

ここまでくるのに、非常に険しい道でありました。しかし私達韓国の拉致被害者家族達は、日本の拉致被害者を支援しているボランティア団体、NG0団体の日本の国民大集会に参加して力をもらい、韓国に戻って、韓国の拉致被害者達と、力を合わせて頑張ってきました。

日本に拉致被害者がいるのと同時に、韓国にもこのような悲惨な拉致被害者家族及び拉致被害者がいることを、みなさま覚えてください。そして私達(韓国の)拉致被害者の家族は、日本の拉致被害者家族と共に、力を合わせて、頑張っていきたいと思っております。

日本のみなさんも、まだ解決されていない日本の拉致被害者の問題を抱えていながら、韓国の拉致被害者問題に関心を持っていただいたことに対して、非常に感謝の気持ちを申し上げたいと思っております。

また、この場にいらっしゃる拉致被害者(特定失踪者家族)、山本美保さん家族、高野清文さん家族(他)のみなさまも頑張っていただきたいと思います。

私は明日、この横浜を離れますが、韓国に戻ったら、より日韓拉致被害者家族会の連帯及び、私のお父さんの送還、そして韓国の拉致被害者が無事帰ってくるまで頑張りたいと思います。
みなさま、私の話を最後まで聴いていただきましてありがとうございました。

by蒼き星々金木犀

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朴さん(韓国人拉致被害者家族)の訴え(神奈川県民集会)

  朴さん(韓国人拉致被害者家族)の訴え 通訳:金基柱氏(守る会)

※朴さんのお話中、固有名詞がはっきり聞き取れず、人名・地名などやむを得ず空白にしているところがあります。
また朴さんのお話は通訳の音声その物が全体的に聞き取り難く、途中意訳を加えて文章の意味が通じるようにしてある所もありますことを予めご了承くださいませ。


(日本語で)こんにちは。

(以下韓国語で)
皆様こんにちは。
私は1971年1月6日、韓国の西の方の海の○○道○○島という島の近海で、北に拉致された朴○○の娘で朴○○と申します。
まずこのような貴重な席で話をする機会を与えてくださった関係者の皆さんに深く感謝申し上げます。

当時、お父さんが乗っていた船の名前は「ヒヨン(?)37号」と言う船で、インチョンに籍を置いた漁船でありました。
その当時非常に視界が悪く、また船の機械の故障によってですね。
船の流れ着いた所、北朝鮮の警備船から攻撃をされ、そして拉致をされました。
その後36年が過ぎた未だに生きているか死んでいるか、まだ分からない状態が今も続いています。
平和だった田舎村にある日突然訪れたこのような苦難はですね。
私たち家族にとって想像が出来ない事だったと思っております。
平和だったのはもちろんその行為によって、お母さんは未だにうつ病にかかっております。

その当時、私は15歳でした。
・・・(聞き取れず)を感じるくらいその当時はですね、今は白髪の混じっているお婆さんになってしまいました。
また私のお父さんは・・・(聞き取れず)を連れて戻ってくる事ができない場所に連れて行かれ、未だに涙の季節は流れております。
今日か明日か、いつか息子が帰ってくると思って海だけを臨んで息子を待っていたお爺さん・お婆さんは、夢にも望んでいた息子を待ちながら、結局は目を開いたまま亡くなりました。
この世を去りました。
旦那をなくし、その悲しみから去る暇もなく、お母さんは私たち幼い子供たちを抱え生活を心配しなければなりません。

しかし、それよりももっと辛かったのは、韓国公安関係の刑事の監視だったんです。
私が結婚する当時も私の主人の・・・・(聞き取れず)まで行うくらいの監視の対象になっていました。
お祝い・・・(聞き取れず)盆と正月が来れば、お父さんの思い出が涙の内になってしまいましたが、しかしその悲しむ間にも刑事たちの監視の目は光っていました。
分断国家で生まれた事が罪といえば罪だと思います。
36年間の・・・(聞き取れず)この出来事を一言では表現出来ないと思います。
すでに涙も枯れてしまった私のお母さんの恨みを子供として少しも楽にしてあげる事が出来ず、隣の国である日本でお父さんの消息を何とか訴えている私のこの姿が余りにも力なく情けなく、本当に惨めな思いで一杯です。

今韓国では黄色いリボン運動によって、韓国の国民たちも少しづつ拉致被害者の事を分かるようになりました。
マスコミの報道によって、日本の拉致被害者であるめぐみさんと韓国の拉致被害者の金英男氏が、北朝鮮で夫婦の縁を結んだと言う事を、関心高く見守っております。
私たち韓国人は韓国に税金を納め、国民の権利を行使できる権利のある、韓国の国民であります。
しかし、どうして私のお父さんは・・・(聞き取れず)仕事をする最中に拉致をされ、それにも拘らずこのような状況を分かってくれる政治家が一人もいない。
韓国の実態を本当に情けなく思っています。

しかしそういう韓国もだいぶ事情が変わってきました。
韓国の政治家にも拉致被害者の為の特別な法律を制定する動きが見えています。
しかし旦那を拉致された私のお母さんは、もう残りわずかな人生なのでこれ以上待っている時間はありません。
一日も早くお母さんが生きている間にお父さんの顔だけでも見る事が出来るように、しかしそれが無理であるならば北朝鮮の中に生きているのか死んでいるのかだけでも教えて貰えるように、集団解決のために日本と韓国が連帯し私たちの家族を一日も早く救出できるように欲しております。
分断の悲劇と言うには余りにも過酷なこの現実が一日も早く解決され、お父さんを連れ戻せるように劇的なヒューマンドラマのような幕を閉じるような場面を一日も早く実現するように待っております。

この場にいらっしゃっている尊敬する皆さん。
また先生方の皆さんに、私のこのような出来事をどうか覚えてください。
また、力を貸してください。
全世界が一つになり、拉致と言う言葉がこの世から無くなる日まで、そして北朝鮮がその過ちを認め、また北朝鮮の同胞たち・住民たちが自由を行使できるようなその日が来るまで、一日も早くその現実が現れる事を望みながら、最後に私の涙声の訴えを聞いてくださって非常に感謝しております。

皆様ともう一度会うときは、「私のお父さんが元気で帰って来ましたよ」と言う知らせを皆様に報告できるような言葉を持って、皆様と再会できる事を望んでおります。
どうもありがとうございました。(拍手) 

蒼き星々 掲示板(サブボード)への話しの花束、ぴろんさんの投稿による。

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2006年4月27日 (木)

横田早紀江さんのことば(神奈川県民集会)

悲鳴とも、絶叫とも聞こえる、この声を、皆さんにも聞いていただきたいと思います。


2006年4月16日横浜開港記念館にて

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 横田早紀江さんの叫び
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みなさんこんにちは、長い本当に長い年月ですけれども、この活動の中で本当に沢山のご支援を頂き、カンパを頂き、大変な活動ではありますが、多くの皆さんに支えられ、今日も私のマンションのお住まいになっている皆さま方が、本当に沢山手伝いに来てくださり、始めから終わるまでボランティアとして活躍してくださる方に支えられて今日までくることができました。

     本当にありがとうございます。(拍手)

様々なショックを受けながら、めぐみが消えた52年の11月15日のあの夕方から今日まで。
いよいよ、こんどは、めぐみの夫であったと言われる人の金英男(キム・ヨンナム)さんというという方が出てくる。そしてそれがキム・ヘギョンさんのお父さんであろうと、ほとんど確実なまでのものがでる。またこれも、喜びのショックでありますけれども。

ヘギョンちゃんが現れたことや、めぐみが死亡とされたこと。そして白い骨が、骨壷が私たちの前に現れたこと。そして探し続けていた、めぐみのあの13才の白いブラウスの写真が、本当にどんなに探しても20年間見つからなかった、めぐみの姿が、あの時に、骨の壺と同じ時に、白いブラウスの哀しい目のめぐみが、私たちの目の前に、忽然として現れました。

さまざまなショックがこれでもか、これでもかと、私たち家族を打ちのめしながら、この拉致問題が展開されて参りました。

9年前、私たちが立ち上がって家族会を作って、そして、有楽町や池袋、新宿と、いろんなところに、日本中の元気な若者達、沢山の裕福な方々が、何の苦労もなく、右往左往して歩いていらっしゃる中で、(注:何の苦労もなさそうに、楽しそうに応対する姿を言いたかったのだと思います)『助けてください』『助けてください!』と、署名活動をお願いしましたけれども、その頃の日本の皆様は本当に『何のことやってるんですか』『こんな事、本当なんですか?』と(言って)、みんな、片手をあげて素通りをなさったんです。

雨が降ってカッパを着て、一生懸命声をだして言いましたけれど、こんなことをしていて本当に何になるんだろうと思っておりました。

けれども、いつも私たちは、めぐみをはじめ、たくさんの、何の罪もなく、あの海を渡って、船底に閉じこめられて、連れて行かれたまま、長い長い年月、親を想い、兄弟を想い、日本の国を恋しがって、思い、
『助けて!』
『いつ助けてくれるの?』
『明日ですか?』
『あさってですか?』


と、毎日毎日お月様を眺め、星を見ながら、助けを求めている。

またそれは日本の国だけでなく、先ほどもお立ちになった崔祐英(チェ・ウヨン)さんのお父様他、沢山の韓国の拉致被害者の方。

またあるいは、ジェンキンスさんや、いろんな方からの証言がありまして、各国、12カ国ほどの、沢山の国々からも、何の罪もなく沢山の人たちが、いろんな形で、あの北朝鮮に連れ去られて。

全く違った人と結婚させられて、『私はこの人と結婚したくなんかありません』と日本の国のように一言でも言おうものならどんなところに追いやられるかもわからない、本当に恐ろしい監視の中で、『はい』と言うしかないんです。

めぐみのあの哀しい目は、そのことを物語っていました。

私は本当にあの写真を出されたとき---

--骨の壺を見たときは、『この骨は私のめぐみのものだとは思っておりません』と『めぐみは生きている』と『お母さんそれを信じないで、私はここにいるのよ、助けて!』と言っている声が聞こえるようでした。

---けれども、あの写真は本当に酷いものでありました。

あんなに明るかった、元気だった、大きな声で『今日はね、お母さんこんな事があったのよ』と毎日玄関から大きな声で、学校での内緒も明るい声で教えてくれた、また大きな声で歌を歌い続けていた、あの子が脅えた目で哀しい目で、『どうしたらいいの?お母さん』『お母さん、私はどうしたらいいの』と言う目で、私たちを見つめていました。

『あーぁ、めぐみちゃん、こんなところにいたのね』と私は思わずあの写真をさすって、涙が止まりませんでした。ふたりの弟たちも本当に声をだして泣きました。

こんな酷いことを、長い長い年月、拉致をしたこともない、そんな人は一人も入ってきたことはない、見たこともないと言い続けていた北朝鮮が、拉致を認め、挙げ句の果てに、このような無惨な姿のかわいそうな娘の姿を、平然と家族の前に出してくるわけです。

そのようなものしか持って帰ってくることのできなかった、政府の方たちも本当に大変だったと思いますけれども。

この拉致問題というのは、誰がこのようなめにあっていたかわからないような、大変な問題が日本の中で長い年月、行われ続けていたということがようやく今、わかりました。

今私たちの目の前にお座りになっていらっしゃる皆様が、私のようにここに立って、『助けてください。皆さん聞いてください。』とおっしゃっていたかもしれなません。。私がその場に座って、涙を流していたかもしれません。

めぐみの問題だけではないのです。
増元るみ子さんだけの問題ではないのです。
特定失踪者の名前もわからない方達が、まだ北朝鮮の土地で、『私は探してももらっていないんだ。だーれも母も父も、ここにいることを知らないんだ』と『どうしたら日本に帰れるんだろうか』と、嘆いている方がたくさんいらっしゃるのです。

この問題を解決するためには、人間全部の、魂の強さが必用です。家族だけでは有りません。家族は我が子ですから。我が父ですから。何とか助けてあげたいという気持ちが必然的にありますけれど。

これは国民全部の大切な問題であります。政治家の問題であります。警察の問題でもあります。

官邸も外務省もあらゆる日本中の人の心が本気で、この人達を助けるのが当たり前のことなんだという想いで、一つになって熱を持って戦って行かなければ、このことは絶対に解決していかないのだと思います。(拍手)

北朝鮮は様々なことを言ってきます。
めぐみの夫であろうと言う人が、現れたとたんに、その金英夫という人とめぐみの娘であるキム・ヘギョンちゃんという人たちを、軟禁しているというニュースが入ってきました。
私は、もともと北朝鮮の国そのものが、国民の全部の皆様が軟禁されているような状態であるんだと私ども思っておりますから、『あぁ、またこんな風なことを言っているんだな』というような想いで受け止めておりますけれど。
本当に何をするかわからない国なんだなと言うことも、恐怖の素になっています。

日本にはたくさんの在日の方々もお住まいになっています。
この方々はこの方々で様々なご苦労をなさっていたと思っています。

北朝鮮に沢山の身内の方を、帰国させられて、その人達を人質に使って、『もっと、これだけもののをよこしなさい。』『たくさんの金銭とこれだけのものをもってきなさい。』『これだけのものを持ってきなさい、そうでなければ、あなたたちの家族もどうなるかわからない』というような恐ろしいことを言われて、なさって、一生懸命にその貢物をしてこられて、苦労してやってこられた方が沢山いらっしゃるんじゃないかと、私たちは、本を読んだり、お話を聞いたりして思っています。

    みーんな犠牲者なんです。

たった一人の罪深いもののために、これだけたくさんの人が、世界中の人たちが苦しみ続け、たくさんの北朝鮮の善良な、純真な国民のみなさまが、何の罪もないのに、食べる物もなく、餓死に追いやられている。その体は、どこともわからないところに、押しつぶされて、ブルドーザーで埋め込まれているような、そのような国に対して、どれだけの世界中の人々が立ち上がって、『そんな恐ろしいことは、人のすることではありません。もっとあなた方の平和な、本当に自由な生活をしようと思いませんか?暖かい交渉をしながら、あなた方もまっすぐにたくさんの世界の中に出てきて、本当の話をして、助け合って行きませんか』と言うことを、世界中の沢山の人たちが、声を一つにして、北朝鮮にメッセージしていかなければならないのではないかと思っています。(拍手)

訪米をしまして、下院議員の公聴会に出席をさせていただきことになりました。
私のような、学歴もない、英語もはなせないこのような難しい問題なんて何にも知らなかった、普通の主婦である私が、こんなようなことが、本当にできるんだろうかと、プレッシャーでいっぱいですけれども、本当に今お話しましたような事を、いつも心のおいて、あちらの公聴会この問題を、世界の人の知っていただきたいと、お話をさせていただきたいと思います。(拍手)

シーファーさんも、この間、新潟のめぐみのいなくなった現場にわざわざ足を運んでくださいました。
そして私たちにおっしゃいました。『テレビや新聞などで、報道で聞いているのと違って、本当にこの町で、本当にうちが近いこの角で、あんなに小さかっためぐみちゃんが、どうしてあんなむごい目にあうのか、なんと酷いことが行われていたんだろうと、哀しくなります』と涙を流してくださいました。

『私はブッシュさんととても仲がいい。ブッシュさんは大統領ですから、向こうのブッシュさんはじめ、多くの高官のみなさまに、この問題をしっかりお届けしておきますよ』と言ってくださいました。『だからあなた方も、訪米をしてお話をするときに私のことを忘れないでください。』とまで言ってくださいました。

日本のマスコミの方々も、私たちに今は一生懸命付き従ってくださって、しっかりこのことの解決のために、本気でずーっと、長い10年近く、本当に懐かしい顔を見せてくださって、私たちを助けてくださいますけれども。

今でもまだ、こないだの、金英男(キム・ヨンナム)さんのことが出たときに、すぐに、ある新聞社たちは、たくさんの新聞社達が、すぐに平壌に行って、宋日昊(ソンイルホ)という人たちに面会をし、あちらが言っている、『全くそんなことは知らない』というそういうことをすぐに聞いて、それを報道なさるようなことはしていただきたくありません!(拍手)

その方達も・・・日本人であります。
そのような、向こうの、北朝鮮にそこの(支)局が新設されると思って、みなさん活動なさると言うことも聞きますけれど、

そんなことのために私たちの同胞のたくさんの命がないがしろにされて、あのような国で、埃にまみれたままで、あの土の中に埋め込まれてしまうようなことだけは、絶対に止めてください。(拍手)

本当に全世界の拉致された人たち。そしてあちらに離別していらっしゃる韓国の方達。北朝鮮の国で苦しんでいる多くの国民方が本当に、自由な人間らしい生活ができ、そして良い国として、世界に認められるような国になっていただきたいと、私は思うので、こうして、一生懸命お願いしております。
どうかこれから、よろしくお願いいたします。

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2006年4月25日 (火)

特定失踪者ご家族の紹介(神奈川県民集会)

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   特定失踪者ご家族の紹介

杉野正治 特定失踪者問題調査会常務理事

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今ご家族の話を致しましたけれども、今日は何人かの特定失踪者のご家族が見えておられますので、ちょっと壇上の方に上がっていただければと思います。
今日は山梨県からも、この後お話になって頂きますけども、山本美保さんの妹さんの森本美沙さんがいらしてますので、それを含めて皆さん、ちょっとだけ自己紹介をしていただきます。

★高野美幸さん(特定失踪者・高野清文さんの妹)

昭和51年7月30日に伊豆七島の神津島から失踪しました、高野清文の妹で高野美幸と申します。
私横浜磯子区に在住しておりますので、今回の集会もお手伝いさせて頂く事になりました。
皆様のお手元のチラシのほうに、神津島で消えた兄というチラシが入っているかと思います。
私の兄のこと、特定失踪者の事をお訴えした資料となっておりますので、御覧いただければと思います。
また私の家族だけではなく、ご家族で今署名の方を持って来ております。
皆さんの右手奥の方で署名台を作っておりますので、帰りがけなどにお時間ございましたらご協力をお願いいたします。(拍手)

氏名 高野 清文
失踪年月日 昭和51(1976)年7月30日
ふりがな たかの きよふみ
生年月日 昭和31(1956)年10月31日
性別 男 当時年齢 19
身長 172センチ 体重
公開 第2次公開
当時身分 電気通信大学2年生
特徴 中肉、丸顔鼻低い、口は大きい、眉濃い。
失踪現場 東京都神津島村の民宿から
失踪状況 大学寮の仲間と神津島へ行き行方不明に。前日に山へ行くと言っていたため、神津島村の天上山を捜索するが発見できず。同月12日に隣の新島でも若い女性が行方不明になっている。

※特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会より引用
http://chosa-kai.jp/index.html

★佐藤暢一郎さん(特定失踪者・佐藤剛生さんの父)

私は平成9年7月29日に失踪しました佐藤剛生の父の佐藤暢一郎でございます。
私は今世田谷に在住しております。
7月29日以降、現在まで一切何の手がかりも掴めておりません。
失踪した以降ですね、夜8時からの1時間のテレビ番組、6時からの準報道番組、30分ほどの番組ですけども、それにも出演させて頂いて、日本国内に何とか手がかりが無いか、その番組を見た方から御覧になった方から何らかの連絡が無いかと言うような事もやって参りました。
しかし、現在まで何の手がかりもありません。
今日、この会場に参りまして、大勢の方が失踪者に対して関心をお持ちになってあるいは応援をしていただいて、非常に心強く思っております。
これからよろしくお願いします。(拍手)

氏名 佐藤 剛生
失踪年月日 平成9(1997)年7月29日
ふりがな さとう たけお
生年月日 昭和46(1971)年11月30日
性別 男 当時年齢 25
身長 170センチ 体重 70キロ
公開 第3次公開
当時身分 会社員
特徴 体形普通。眼鏡使用。高校時代水泳。高校時代から長距離走に興味を持ち、ミニトライアスロンに出場したこともあり。
失踪現場 千葉県船橋市JR駅近く
失踪状況 7月28日22時頃、先輩と帰社。翌29日11時20分頃、出社しないため、会社から寮に寮に電話。寮の管理人が部屋を見にいったところ、本人は電話中、かなりの長電話だった。その後本人の姿を見かけた者はいない。8月1日と4日は会社の先輩グループと登山の計画があり、有給休暇申請済み。写真が寮に残っていない。その他持ち出したものは特定できない。パスポートも後日発見。仕事上の問題なし。国外には出ていない、サラ金の借入なし、その他手がかり、痕跡なし

※特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会より引用
http://chosa-kai.jp/index.html

★笹垣さん(特定失踪者・笹垣範夫さんの父)

92年の9月の12日に、失踪しました笹垣範夫の父親の笹垣でございます。
13年ちょっとになりますが、まだ何の手がかりも掴めておりません。
何か情報でもありましたら、と思っておるんですが、北朝鮮で淡い期待を抱いております。
今後とも何かありましたらよろしくお願いします。(拍手)

氏名 笹垣 範男
失踪年月日 平成4(1992)年9月12日
ふりがな ささがき のりお
生年月日 昭和49(1974)年3月4日
性別 男 当時年齢 18
身長 168センチ 体重 58キロ
公開 第3次公開
当時身分 予備校生(美大志望)
特徴 剣道をしていた(2段)ので利き腕側の胸が厚い。歯並びがよい。
失踪現場 神奈川県三浦市
失踪状況 当日、母親が出勤する時(午前9時)には「今日は予備校(横浜市)で絵の授業はないが空いている教室で勉強できるので行くかも」と言っていた。姉が昼に出かけるときはまだいた。予備校に行ったかどうかは出席をとっていないので不明。普段と同じ服装、お金も4、5千円しか持っていない。朝の雰囲気からはとても家出するようには見えなかった。いなくなる10日位前から誰かと会っている様子。いつもは夕方5~6時に帰宅するのが、10~10時半に帰宅する日もあった。前日、前々日は終電で帰ってきた。誰と会っていたか聞いても答えなかった。預金通帳は残っている。

※特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会より引用
http://chosa-kai.jp/index.html

★杉野正治氏

ありがとうございました。
このあと森本美沙さんの方にお話を頂きますので、その中でご主張をお願いしたいと思います。
いずれにしましてもこの拉致問題、あの北朝鮮と言うたった一人が物事を決める、あるいはたった一握りの人間が物事を決める。
その時にこの民主主義と言うシステムをとっている我が国が屈する事は、民主主義国家の一員として許される事ではありません。(拍手)

民主主義国家と言うのはたくさんの人が、日本国民全員の力の結集なんです。
その意味で皆さん一人一人がこの問題に関心を抱き、そして我々国民の同胞を取り戻す。
そして無辜の人たち、日本だけではなく韓国そしてもっと他の国々からも拉致をされている事が判明しております。
この民主主義国家の力と言う物を我々は発揮してこの問題を解決していただき、皆さんのご協力をこれからもよろしくお願いします。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※尚、当日会場には特定失踪者・寺島佐津子さんのご家族もお見えになっていたそうです。
壇上にはお上がりになりませんでしたが、ここで寺島さんの情報も合わせてご紹介をさせて頂きますのでご一読ください。

氏名 寺島 佐津子
失踪年月日 昭和54(1979)年8月10日
ふりがな てらしま さつこ
生年月日 昭和35(1960)年7月26日
性別 女 当時年齢 19
身長  体重
公開 第12次公開
当時身分 銀行員
特徴
失踪現場 神奈川県横浜市戸塚区
失踪状況 失踪当日、勤務先の支店の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、10時に現地解散。同僚と鎌倉駅で別れ、戸塚駅からバスで帰宅途中に行方不明。翌日、自宅近くの草むらからセカンドバッグが見つかる。警察犬の捜査でもここまで来たのは間違いない。

※特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会より引用
http://chosa-kai.jp/index.html


このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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杉野正治さん講演(神奈川県民集会)


    2006年4月16日
           横浜開港記念館にて
         特定失踪者問題調査会常務理事
               杉野正治さん 講演


ご紹介を頂きました、特定失踪者問題調査会の杉野でございます。
今日は本当にたくさんの方にお集まりいただきまして、本当にありがとうございます。

今日皆様こちらの会場にお入りになったときにお聴きになった方が多いと思いますが、会場で冒頭に流されておりましたナレーションと言いますか、これは「しおかぜ」という私ども特定失踪者問題調査会でラジオの短波放送、これ北朝鮮向けに発信しようと言う事で作った番組でございまして。
毎日1時間半づつ、特定失踪者に寄せられた方のお名前、それからご家族の方からの直接のメッセージと言うのを是非北朝鮮に届けたいという事で、昨年の10月30日から始めた番組であります。
今まで私どもは、私たち日本は北朝鮮からの情報と言う物を一方的に受け入れるだけ。
朝鮮中央なんとかテレビですとか、脱北者の情報ですとか、そういった物を受け取るだけでした。

我々特定失踪者のご家族にお会いしますと、皆さん仰います。
私達が待っていると言う事を自分達の家族に、もし北朝鮮にいるのであれば伝えたい。
決して諦めているんじゃない、探しているんだ。
言う事をぜひ伝えたい。
是非そういう思いをですね、北朝鮮に我々も伝えるお手伝いが出来ればと言う事で、この放送を始めておりまして。
お陰さまでいろいろな世界中からですね。
この番組を聴いているという情報が寄せられております。
残念ながら北朝鮮内部からの情報は無いんですれけども、ある人によりますと北朝鮮内部でもよく聴こえているという事は伺っております。

我々はこの情報をこちらから発信するだけでなく、是非向こうからも北朝鮮内部からの情報も我々の元に持って来たいと言う事で、このラジオ放送を通じてですね。
もっともっとこれを活用して、そして出来ればですね。
今年中に我々も拉致問題を解決したいと言う事で、日夜努力を致している所でございます。

さて、私ども特定失踪者問題調査会というのは出来てから3年になります。
あの小泉訪朝の後、9・17の後に先ほど木村先生からもご紹介のありましたように、私どもの元には自分の家族も拉致をされているんじゃないだろうか?
非常な心配をされた方が、たくさん相談を寄せられまして、現在460名の方が私どもの元に相談を頂いております。
現在260名くらいの方が、氏名をお名前を公表いたしまして、今日もご家族こちらの方に上っていただきますけども、そういったたくさんの方が自分の子供も拉致をされているんじゃないだろうか?
言う所で、私どもも調査を続けている所でございます。

そしてそのうちの34名の方、いろんな情報からはこの方々は拉致の可能性が高いであろう。
いうふうに判断を致しまして、私どもは警察に告訴・告発を行う、などの事をやっております。
先ほど木村先生からもお話がありましたように、その中の一人古川了子さんについては是非拉致の政府認定をして頂きたい。
言う事で東京地裁の方に行政訴訟を起こしているわけですけども、被告である政府側の方は「これは裁判に馴染まない」と。
「我々は認定はしていないが一生懸命やっているから裁判をしても無駄です、却下してください」という事で現在の所、意見は平行線を辿っていると言う状況でございます。

しかしながらその中で、政府の方が訴えられたからアリバイを作ったわけではないでしょうけども、昨年12月の日朝協議におきましては、この拉致の可能性が高いと言われる34名を含めた方、これを北朝鮮に提議をしたと言う事でございます。
何もやらないよりはマシなんですけども、ここの34名を提出して北朝鮮に「調べてください」と北朝鮮に対して「このような方はいませんか?」と顔色を伺うように北朝鮮に対して我が日本政府はお願いをしているという状況でございます。

この政府認定と言う事、我々はこれを非常に高いハードルと感じてならないという事でございます。
政府認定をするには今の法律の下では、拉致被害者支援法と言うのがございますけども、この拉致認定をするまで警察は一生懸命調べて証拠を積み重ねて、そして首相官邸にこの方を認定してくださいと。
それを官邸が、ハイ認定しましょうと、それで初めて拉致認定という事になるわけです。
そして認定されて始めて外交交渉で、「この人を返せ」というふうに言っている。
そういう流れとなります。

しかし考えて頂ければ分かるかと思いますけども、こんな事をしていますといったいひとつ認定するのに何年かかるか分からないのです。
この支援法と言う法律が出来て以来拉致認定されたと言うのは、昨年神戸のラーメン屋の店員をしていた田中実さんと言う方、ただ一人でございます。
そういう意味で言いますと、警察が一生懸命捜査をして証拠に証拠を積み上げて拉致認定できるまで何年も何年もかかっちゃうわけです。

考えてみて頂きたいんですけども、拉致被害者と言うのは人質に捕らえられているのです。
北朝鮮に誘拐されて犯人の手元にあるんです。
現在切羽詰って、我々はこの人たちを救出しなければならないんです。
それを警察の捜査から一からやると言うのは、これはもう我々はこの人たちを救出すると言う気はないんじゃないか?と政府は考えているとしか思えない。

拉致と言うのは確かに犯罪でありますけども、個別の犯罪、誘拐事件・殺人事件国内で行われているああいう個別の事件ではないんです。
北朝鮮と言う国家の、日本と言う国家に対して日本国民を拉致するという国家的な犯罪なんです。
だとすれば警察任せにするんではなくて国が国の責任として日本人を救出すると言うことにしなければいけません。
良く真相究明は大事だと言われますけども、真相究明をしてその上で救出をするということでは何年もかかってしまいます。
まず救出をして、それから真相究明と言う事をやっていかなければいけない。

そうしないとどういうことが起こりますかと言いますと、例えば北朝鮮の中に拉致された日本人がいる。
それが分かっているときに、その人が、
「私は日本に帰りたくありません。この北朝鮮と言う国は良い国です」
と言ってしまうと、これ警察の発想からすると、これ事件で無くなってしまうんですね。
そういう事じゃないんです。
この人が帰りたいと言おうが言うまいが、日本の国の責任としてこの人を日本に連れ帰り、そして自由な意思を取り戻してからこの人の意見を聞く。
それから拉致の真相究明、こういう発想をしていかないとこの拉致問題と言うのは何年経っても解決はしていかない。
そういうふうに考える次第です。

先ほど全国で特定失踪者460名と言うふうに申し上げましたけども、私どもの所に来ている以外に警察の方、約900名の方が拉致をされているんじゃないか?
そういう相談が来ているそうです。
と言う事は拉致された日本人は相当数に上る。
我々調査会が把握している以外にも多くの方が拉致をされている。
あるいは中には身寄りの無い方がいらっしゃる。
そういう人を狙ったと言う事だってありえるわけですから、いったい拉致の規模と言うのはどのくらいだったのか?
いう事を・・・(聞き取れず)なく調べなければならない。

そして救出するという事を考えなければいけません。
そういう意味では北朝鮮の中でどんな人がどんな所にいるのか?
そして救出する時はどうするのか?
例えば日本人を日本に運ぶ時には自衛官を出すのかどうか?
自衛隊の船を出すのかどうか?
そういったところも、もう今から想定をしていかなければなりません。

あるいは拉致被害者が日本に帰ってきたとき、どうするのか?
相当な規模で、例えば北朝鮮が崩壊して日本に帰ってくる。
北朝鮮が崩壊して日本人被害者が帰ってくる。
日本はどのように対応するのか?
国だけでは対応できません。
おそらく各自治体などもその準備をこれから進めておかなければなりません。
そういった法律ですとか、準備とかが今全く日本の中でなされていない。
つまり救出すると言う発想が日本の中に無いのではないか?
いうふうに思うわけでございます。

この神奈川県内におきましても十数名の方が特定失踪者としておられます。
この方々、460名全部もそうですけども、全部が全部拉致をされているという確証はありません。
しかしながら拉致をされているかも知れない。
ご家族が心配をして私どもに相談をされているわけです。
私たちはこの人たち、拉致の認定をされていようがいまいが、拉致被害者だと言うふうに・・・(聞き取れず)
北朝鮮が拉致をしなければこの人たち心配して、私どもの所に電話をかけてきたりする事は無かったわけです。

しかし皆さん、自分のところは拉致じゃないかもしれないと、しかし北朝鮮の拉致はもし違っていたとし