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2006年10月 5日 (木)

南越谷集会(8)荒木和博氏-1

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表の講演 その1』

今日は天気のお悪い中、多数の皆さんにお集まり頂きましてありがとうございました。
私、特定失踪者問題調査会の代表をしております荒木でございます。
今日は本当はうちの専務理事の真鍋が来ることになっておりましたんですが、ちょっと変えられない用事が出来てしまいまして、私がピンチヒッターで参りました。
ちょっと期待をされていた方には申し訳ないんですが、お許しいただきたいというふうに思います。

今日、これから画面を使いましてお話させて頂きますが、その前に今佐藤さんのお話の中で極めて重要な意味がございます。
というのは、我々どうしてもこの拉致問題という事で見るときにですね。
日本人の拉致のことばかりどうしても目が行ってしまう、と言うことでございまして、そうするとこの方々を取り返すということだけに視点が集中するんですけど、実はこのことだけに視点を集中させることが逆にですね。
問題の解決にとって決してプラスばかりではない、ということもあるんですね。

この先ほど佐藤さん仰ったように拉致問題の一番の根源と、それから北朝鮮の人権問題の根源はどちらも全く同じでございます。
私の話の結論にもなりますが、この問題の解決というのは北朝鮮の体制を変えてしまう以外にですね。
いかなる解決の方法もありません。
途中でですね。
金正日がごめんなさいと言って拉致被害者を皆返してくるということは絶対に有り得ないことでございまして、我々はその点は覚悟していかなければいけない。

私自身も北朝鮮の人権問題というのは最初からやっていたわけでもございません。
拉致問題で横田めぐみさんのご両親と一緒に動くようになり、やがて家族会が出来て、そして一緒にですね。
家族会の方々と救う会の活動をやるようになり、そういう中で韓国の拉致被害者のご家族の皆さんと一緒にやることになってですね。
実は救う会の最初の署名用紙というのは「北朝鮮に拉致された日本人を救出しよう」と言うような事になっておりました。
これが韓国の被害者の方々と一緒にやるようになって、「北朝鮮に拉致された人々を救出しよう」ということになり、その署名用紙の中に、韓国人の拉致の事が書かれるようになりました。
私自身、それをやっていく中で今度はですね。
北朝鮮の人権問題というのを、やはりこの深刻さと言うものを考えるようになって参りました。

ここにおいでの皆さん、それぞれに拉致問題に関心があってお出でだと思いますが、機会がありましたら北朝鮮から脱北した方々、姜哲煥さんですとかそういう方々がですね。
一体北朝鮮でどういう酷い目に遭って来たか?ということを、ぜひ一度本をお読みいただければというふうに思います。
必ずそうするとですね。
こういう体制だから拉致が起きるんだということがお分かりになる、というふうに思います。
私もそういうことでやって参りまして、本当にやるにつけですね。
今年も9月になってしまいましたけども、毎年冬が近づきますとまたこの冬が過ぎる頃までにはですね。
子供たちが何人も死んでいくんだろうなという思いをせざるを得ないわけでございまして、そういうことも含めて全ての拉致の解決が必要であろうというふうに思う次第でございます。

これからちょっと画面の方を見ながらご説明をさせて頂きます。
この拉致問題を考える上で是非とも一番ご理解いただきたいと私が常々言っている事なんですけど、これはですね。
救出運動と言うのは被害者の方々とかそれからご家族の方ですね。
皆さんが可哀想だからやるんではない、と言うことでございます。
これはあくまで自分とかですね。
それから自分の家族を守る事につながるものなんだ、ということでございます。

これ、どういう意味か?
今拉致をされている方々を助ける事が出来なかったらば次はここにおられる、今日は特定失踪者のご家族・拉致被害者のご家族の皆さんがいらっしゃいますが、全くそうではないと思っている方でもその後家族が拉致をされる可能性がある、という事でございます。
もともと拉致被害者の方々と言うのは誰一人としてですね。
自分がまさか北朝鮮に拉致されるなんてことを思っていた方は一人もいないわけでございまして、そういう方々が拉致をされている。
ですからその対象になる可能性はどこにでもある、という事でございます。

それから拉致以外の別の主権侵害ということがですね。
これ北朝鮮以外の国によって行われるかもしれない。
ひとつの例としてはこの間のロシアの漁船に対する銃撃なんかがございましたが、日本が何もしないという事であればですね。
周りの国と言うのは当然、じゃあもっと踏み込んで何かしても良いだろうと、いうふうになってくると。
これは竹島の問題もそうですし、あるいは尖閣の問題もそうですし、みな同じです。
ほったらかしても何もしない国だと思われてしまえば、その次にまた別のことをされるということ、でございます。

被害者とか家族が可哀想だからという思いだけ、これは私自身もここから入ってますので、これ自体を否定するわけではないんですが、これだったらどうなるか?
すると、北朝鮮が例えば日本にミサイルを発射するぞと、同じことは今でもずっと言っていますが例えばこうやってですね。
何月何日にミサイルを発射するぞというふうに例えば言ったとした時に、こういうふうになるだろう。

被害者とか家族の人たちも可哀想だと。
可哀想だけども、しかしそれを助けようとしてもっと被害が出たら困るじゃないか?と。
そうするとどうなるか?
じゃあちょっと拉致のことを言うのは止めておこうと、もうちょっと控えておこうという話になる。
で、そうするとどうなるか?というと、恫喝すれば効果があるんだなと北朝鮮は学習するわけです。
そうするともっとですね。
じゃあミサイルを撃つのを止めさせようと思うんだったらばこれこれこういう事をしろと。
例えば今であれば経済制裁を解除しろとか、そういうふうに言ってくる。

経済制裁を早く解除すれば話し合いに乗ってやるぞというふうに言われた場合に、日本の中で当然ですね。
これ拉致問題の解決のためにも話し合いに乗っかった方が良いんじゃないか?と、その為には経済制裁一度止めても良いんじゃないか?という声が出てくる可能性があります。
そうなると北朝鮮はどうなるか?というと、日本が良い事をやってくれたと。
だからこっちも誠意を見せよう、ということには絶対になりません。
どうなるか?というと日本はミサイルを撃つと言ったらこれだけ譲歩したと、じゃあ次何かあったらもう一回言ってやろうと、もっときつい事を言おうと。
そうするともっと譲歩するに違いないというふうに思ってくるわけでございまして、結局問題は進行化していくと言う事なんですね。

これひとつ、拉致の中の例でございますけど、原敕晁さんの拉致事件というのがございました。
昭和58年の6月ですね。
ちょうど田口八重子さんと同じ頃になりますが、原さんは大阪市内の中華料理店の店員でした。
58年の6月に騙されて宮崎県の青島の海岸に連れて行かれまして、そしてその工作員、辛光洙と言う工作員が原さんに成り代わって、全く他人なんですが原敕晁としてスパイ活動を続けて参りました。
そして昭和63年にこの辛光洙は韓国に入国して逮捕されます。
で、原さんを拉致したという事を自供します。

平成14年ですね。
14年になって小泉訪朝で初めて北朝鮮は原さん拉致を認めると。
これまでは韓国であれだけ証言しているにもかかわらず、原さんの拉致と言うのは一切認めませんでした。
翌15年に中華料理店の店主らを原さんの拉致の実行犯として、大阪の吉田府議あるいは八尾の三宅市議がですね、告発をする。
そして18年、今年になってから中華料理店とか大阪朝鮮総連の関係施設を家宅捜索しました。
しかし、今もですね。
猶原さん拉致に関する犯人は一人も逮捕されていません。
それからもちろん、原さんは帰って来ていない。
北朝鮮は死んだと言っています。

実はこの原さんの事件だけではなくて、いまだにですね。
一人として拉致事件の加害者として罪を問われた、略取誘拐で何年間と言う罪を問われた人間というのは一人もいません。
政府認定16人いますけども、その誰についても事件は立件されていない。
つまり、拉致と言うのは過去の事件ではなくて現在と未来にかかわる事件であるという事です。
全く誰も捕まっていないという事は北朝鮮に対してどういうメッセージになるか?と。
ああ、日本という国は拉致をやっても誰も捕まらないんだと、安心して出来るんだというふうになるわけです。
安心して出来るという事になるとどうなるかと言うと、またやるという事に当然つながって参ります。

2週間くらい前だったと思いますけどフジテレビの報道でですね。
スイスで拉致じゃないか?というような動きのですね。
ちょうどたまたまテレビのスタッフが調べていたらば、スイスの大使館でパーティーやるんで来ないか?と言うふうに誘われたと。
自分たち行かなかったけれども、その後誘った相手を尾行して行ったらば、途中で田舎の駅でですね。
車に東洋系の女性、おそらく中国人だと思いますが、女性とですね。
そして西洋人の男性を乗せてそして北朝鮮の大使館に入って行ったと。
後でここでパーティーがあるんだと聞いたんだけどもと言ったら、誰も入って来ていないと。
そんな事は無いと、いうふうに答えられたという報道がございました。
ご覧になった方もおられるかもしれませんが、あれが拉致であるというふうに断言は出来ないんですけども、最初ですね。
このテレビのスタッフから電話を受けまして、実はこういうことがあったんですと、いうふうに向こうが聞いてきたときはですね。
どうも局の中で話をしたけれども、何か半信半疑だったそうであります。

私はですね。
話を聞いて、ああ連れて行かれなくて良かったですね、と言うふうに申し上げたんですが、どういう形か分かりませんがやはり人間を連れて行こうとしたんであろうと。
本人たちがあるいはひょっとしたら留学などとして行ったのかも知れませんが、いずれにしても少なくとも正しい方法ではなく人を連れて行こうとしたんではないだろうか?
あるいは連れて行こうとしたんではなくても、中で協力者を作ろうとしたんではないか?という事で、基本的にはやってる事は全く変わりません。
だからこれから先も拉致をやる可能性は十分にある。
そのときに今まで政府が認定している人の犯人を捕まえていないということ事態がですね。
北朝鮮に対して大変誤ったメッセージを与えるという事になる、ということであります。

この写真は富山県の黒部川の河口でですね。
発見された水中スクーター、今から6年前ほど前に発見されたものであります
平成11年から12年の間に埋められたものなんですが、全長160センチで重量78キロ。
写真の左上に取っ手みたいな物がありますが、ここに捕まって工作員が移動するために使うものです。
見つかった場所はこういう場所なんですが、もちろん夜は本当に人通りが無い所なんですけど、非常に開けた場所です。
左下のこの写真の砂地のあたりに埋めてあったものが、雨で砂がだんだん露出していって見つかったという事で、これは本当につい最近こういうことが行われていた、いうことになります。

それから今のはつい最近ですが、これはすでに40年以上前、能代事件と言う公安関係者の中では有名な事件がございます。
秋田県の能代の海岸に2回に亘って工作員の死体ですとか、あるいはこういうゴムボートとか装備が打ち上げられたという事件です。
その装備はこういうピストルですとか、あるいは上陸したときに一般の民間人を装う背広ですとか、様々なものが打ち上げられておりました。
これはたまたま失敗したからこういうふうになっているわけであって、大部分の侵入は成功しますから。
つまりこういうですね。
ピストルを持ってごく普通の民間人の格好をした人が日本国内を平気な顔をして歩いていると、これは「いた」ではありません。
歩いて「いる」と言う事であります。

日本の海岸と韓国の海岸ですね。
こうやって比べてみると分かるんですが、韓国の海岸と言うのはこうずっとですね。
鉄の柵が巡らされています。
下の写真の左のですね。
端の方にちょっと小屋のような物が見えますが、これは韓国軍の警備歩哨です。
夜になりますとここにですね。
実弾をこめた銃を持った兵隊が立って、そして警戒をすると。
海は船がパトロールをすると。
そういうところでも平気で北朝鮮の工作員と言うのは入ってくるわけです。
今は韓国の政府がめちゃくちゃですからこんな事をしなくても入って来られますが、おそらくそれでも入ってはいるだろうと思います。

で、これと日本の海岸とを比べてみれば、一目瞭然なんですが日本の海岸と言うのは全くですね。
警備をしていない。
鉄の柵も無ければ、自衛隊員が警備をしているわけでもありません。
ちなみに今、陸上自衛隊のですね。
隊員と言うのは約16万くらいですから、これを例えば張り付けて休みも何も関係なく守らせようとして、どれくらいの範囲を守れるか?と言うと、全部投入して青森県くらいが精一杯と言う事だそうです。
全く出来ないということであります。

先ほどお話をされました、大澤さんがいなくなった佐渡と言うのはですね。
形を思い出していただければ分かるように、面積の割りに非常に海岸線が長い。
しかも人口が少ない所でして、船の上陸とかですね。
進入と言うのはきわめて簡単な場所だというふうに思います。

これは皆様も本屋さんで手に入りますので、立ち読みでも結構ですから一度ご覧頂いたら良いと思うんですが、「我が朝鮮総連の罪と罰」と言う本がございまして、これ韓光熙(ハン・ガンヒ)、ハンは韓国の韓に光にヒは朴正熙の熙ですが、と言う元朝鮮総連の財政局の副局長ですね。
この人が一人で設定した進入ポイントです。
全国を回りまして海岸で、こういうところなら入りやすい、ここだったらば入っていく方が目印になる。
それから待っている方は見つかり難いという場所を探した場所が、鹿児島から北海道まで38ヶ所、載っかっております。

で、大澤さんのいなくなった佐渡も2ヶ所か3ヶ所確かあったと思いますが、これだけの場所を一人で設定したと言う事であります。
あくまで一人です、一人。
こんなことをやったのは一人だけではありません。
何十人もの人がやっているわけですから、何百ヶ所もですね。
おそらく太平洋側も含めて進入するポイントがあったのであろうと、あったというか、あるのであろうというふうに思います。
ここから自由に出入りして、そして時には人を連れ出しあるいは拉致して行き、または弾薬を持ち込んだり武器を持ち込んだりとかですね。
あるいは日本の機密情報を持ち出したりとか言う事をやっていたという事であります。

これはもうご覧になった方もおられると思いますが、今から5年前の九州南西沖の工作船事件で沈没した北朝鮮の工作船でございます。
この船はですね。
船の事に詳しい方は見て頂ければすぐにお分かりと思いますが、非常に切り立ったV字型の船首をしております。
これは漁船の形とは全然違うんでありまして、ともかく如何にスピードを出せるか?ということだけを考えて作った船です。
で、この船で40ノットくらいのスピードが出ます。
この船の後ろが開きまして、そこからこの右側の工作小船というふうに言いますが、ちょっと一見するとポンポン船のように見える小さな船が出てきます。
この船は何でもない船みたいに見えますが、実は50ノットくらいのスピードが出る非常に高性能の船でございまして、これで海岸近くまで行ってからこの下のゴムボートですとか、あるいは先ほどの水中スクーターで上陸をするというふうになっています。

今の船にはですね。
対空機関銃とかあるいは地対空ミサイルとか、そういうですね。
様々な武器が積んでございます。
あの時はこの船はですね。
元々海上保安庁の船か銃撃は受けてもちろん破損はしているんですが、それで沈んだわけではありません。
そのまま逃げられれば逃げられたかも知れませんし、あるいはもっと反撃出来たかもしれませんが、船底に穴を開けてですね。
そして沈んでいったという事でございます。
我々は日本という国は平和だと思っておりますが、この平和な日本に自分で死ぬ事を覚悟して、そして非常に重武装の武器を持ってですね。
入ってくる人間がいるんだという事だけは、我々は覚えておく必要があります。

で、今お話したのは海岸線のお話です。
しかし、埼玉は言うまでも無く海がございません。
海が無ければ大丈夫じゃないか?と言うふうに考える方もおられるかもしれませんが、そう思うとですね。
なんで川口であんなにたくさん人がいなくなっているんだ?ということが、理屈が分からなくなる訳でございます。
問題は海岸だけが危ない、と言うことではないという事なんですね。
イメージとしてはこの拉致と言うのは、海岸で待ち伏せされてそして袋に詰められて連れて行かれると言う事があります。
しかしこれは完全な思い込みです。
田口八重子さんだって全然海でやられているわけでも何でもない。

連れ出されている場所は皆さん当然海ですが、しかしそこに行くまでの実際の拉致というのは、誰を拉致するか?ということを時間を掛けて調べて、そして騙して連れて行くと言う事の方が多い、と思われます。
全く海岸で待ち伏せされてというのが無いとは言えないと思いますけども、実際にはそれほど多くは無い。
先ほどの原敕晁さんの事件だって連れて行かれたのは青島海岸ですが、実際の拉致の舞台は大阪市内ということになるんです。

内陸での拉致をするためには当然・・・(聞き取れず)スパイとか協力者が必ず必要になります。
しかし先ほど言いましたように、誰一人として罪に問われた人というのはいません。
これまで拉致の実行犯として逮捕された事があるのは、久米裕さんの拉致。
久米さんと言うのは東京三鷹市(役所)のガードマンですけども、この人の拉致における東京のサラ金業者の李という男ですが、これだけです。
しかしこの李と言うのは結局ですね。
起訴されませんでした。
警察はしたかったようですけども検察が言う事を聞かなくて、結局不起訴処分で終ってしまって今でもこの人物はですね。
東京の今は現西東京市で普通の市民として、一回も罪を問われたことなく暮らしております。

・・・その2に続く・・・

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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南越谷集会(9)荒木和博氏-2

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表の講演 その2』

ちなみにこの久米さんの事件と言うのは昭和52年の三鷹ですけれども、藤田進さんの事件が昭和51年で小金井でございましてこの頃というは、小金井の大学に通っておられたわけですけど、この周辺でもですね。
三鷹とか調布ですとか小金井ですとか、そういう関係の場所でも非常に怪しい失踪ですとか、久米さんのように政府認定の拉致という事件が固まって起きているといいます。

で、この誰も罪に問われていないということはどういうことか?言う事になりますと、つまり今でもですね。
拉致にかかわった人間、これは朝鮮系の在日、あるいは民潭への偽装転向者、それから日本国籍を取った人、それから純粋な日本人で思想的に共鳴したかあるいは金に目がくらんでそして拉致を手伝った人間ですね。
これはおそらくやくざみたいなのがいるんじゃないか?と思うんですが、そういうのが多数今でも日本の国内にいるという事であります。

で、政府は一体どういうふうにしているのか?と。
この問題、先ほどもお話がちょっとありましたけども、この問題そもそも国がやる事じゃないのか?
そもそも個人とか民間団体がやる必要はあるのか?と言う声もございます。
我々もですね。
我々の事を慰労してくださる方は、元々国がやるべき事なのに、と言って下さる方があるわけですけども、しかしですね。
私はずっとこの事をやって参りまして思いました。

この問題はですね。
私たち自身の生命にかかわる問題であって、役所にだけ任せてはならない。
国がやるべき事であるのは間違いありません。
ただし国がやるべき事というその国と言う言葉の中には我々国民一人一人も入っています。
だからお役所だけに任せておいて、これはお役所の責任だからお役所がやれ、外務省がやらんのはけしからんとか、あるいは警察がだらしないとか言う事で終らせておいていいのか?というと、そんな事ではないということであるというふうに思うんですね。

で、政府認定の拉致事件というのは一体どういうふうに明らかになったのか?
昭和52年、久米裕さんの事件は最終的に久米さんを連れ出した、石川県の能登半島ですね。
宇出津海岸と言う所で北朝鮮の工作員に引き渡しているんですが、先ほど言った李が逮捕されました。
それで事件が分かった。
しかし、この件は不起訴になり、そして事件自体は極秘扱いをされています。

それから横田めぐみさんの事件は現代コリアと言う雑誌のですね。
平成8年の10月号に石高健二さんという大阪の朝日放送のプロデューサーが書いた論文で明らかになりました。
田口八重子さんの事件は金賢姫、大韓機爆破事件の犯人がですね。
リ・ウネという名前で呼ばれていた日本人の女性から日本語とか日本の風習を習った、いうふうに証言をしてそれによって明らかになったと。
田中実さん、この方は神戸のラーメン屋さんの店員ですけども、これはラーメン屋の店主が在日で北朝鮮からの指示に従って、自分のところに勤めていた田中さんを騙してオーストリアに連れて行って、そこから北朝鮮の工作員に引き渡すという事件ですが、この事件は文芸春秋にそのラーメン屋の主人と同じ北朝鮮の秘密組織にいた張龍雲と言う人が告白の手記を書いて明らかになった。

それからこの地村さん・浜本さん、蓮池さん・奥土さん、市川さん・増元さん。
この3件の記事は産経新聞の昭和55年1月のスクープによって明らかになりました。
それからヨーロッパ拉致の石岡さん、松木さん、有本さん。
この3人はその中のお一人、石岡さんが手紙を書いてそれをですね。
東ヨーロッパの人に渡して、「外国へ出てから投函をしてください」とお願いをしてですね。
そしてその手紙が札幌の石岡さんの実家に届いた事によって明らかになった。
手紙の中に松木さん、有本さんと一緒に暮らしてますと書いてあったわけです。
・・・(聞き取れず)によって明らかになった事件です。
原さんの事件はさっき言ったように辛光洙が証言をした事件。
そして、捕まっていない。
そして曽我ひとみさんとミヨシさんの事件は、曽我ミヨシさんは北朝鮮は認めていませんが、曽我ひとみさんについては警察の方から何も言う前に、これは我々が拉致していましたと言って出してきた事件でございます。

ちなみに、曽我さんの件を北朝鮮が出してくる9・17の前にですね。
佐渡で看護婦さんがいなくなっているという話は、私どもも聞いておりました。
実際にあの年の6月だったと思いますが、佐渡にですね。
当時私は救う会の事務局長でしたが、集会もあり、ついでにですね。
現地の調査に行って参りました。
その時当時の新潟の救う会の代表であった小島晴則さんがですね。
大澤さんの事があの当時は中心だったんですけど、ここでちょうど曽我さんが拉致されたあたりの所を通りまして、ここで曽我さんがいなくなっているんだと。
ただ新潟県警は、これは拉致ではないと認識しているというふうに言っておりました。
ですからあの当時は私どもはですね。
やはり佐渡でいなくなった方で一番可能性が高いのは大澤さんであろうと。
曽我さんはちょっとクレスチョンかな?と思っていたんですが、向こう側は逆の形で出して来たという事であります。

この16人を見ていただいてお分かりだと思いますが、警察や政府機関がですね。
誰も知らないうちからこれはもう拉致ですよというふうにいったケースはひとつも無い、という事でございまして、これはすなわちどういう事か?というと、これ以外の拉致が多数ある。
そしてその多数ある拉致を日本の政府は隠しているということでございます。
横田めぐみさんの拉致事件でも我々が聞いている範囲の情報では、いなくなって間もなく日本政府はあれは北朝鮮による拉致であるというふうに分かっていたという話がございます。
それをこの間、ずっと隠し続けて来た。
今から9年前までですね。
ということだと。

少なくとも9年前に西村慎吾衆議院議員の質問でですね。
明らかになる前に、少なくとも5年位前にはこの情報をですね。
これは安明進が元とした情報ですから、安明進が亡命したのは94年くらいだったかな?
亡命して、この事について話をしてからですね。
一度韓国の政府は日本政府に対してですね。
こういう情報がありますよと言う事は提供しています。
しかし一切調べていない。

日本海側で1970年代の後半に、バドミントンの帰りに中学校一年生の女の子が拉致をされたという、それだけの情報があればですね。
日本海側の県警に全部問い合わせをしていれば一発で分かっているはずです。
ひょっとしたらその時問い合わせをしてたのかも知れませんが、いずれにしてもそれを全く握り潰してしまったということでございます。
ですから今でも握り潰されている事件はたくさんあるはずです。

今拉致はですね。
どういうふうに問題解決をしようとしているか?言う事なんですが、こういうような左側の順番です。
まず警察が捜査をする。
そしてこれは拉致間違いない、証拠がありますねと言う事になったらば、内閣で認定をする。
拉致認定と言うのが16人いますが、認定をする。
そしてその後、外務省が交渉をする。
今はですね。
政府認定者以外でも1000番台リストの方を中心として、外務省が向こう側に名前を出してはいますけど。
それはあくまでも安否の確認です。
16人については生存を前提として帰国を求めるという交渉になっている。

そしてこれで北朝鮮が分かりましたと言う事になれば帰国をするという事になるわけですが、しかし実際はですね。
この間には山ほど壁があります。
まず警察の捜査と言うのは法と証拠の壁というのがあるんです。
証拠が無ければ警察は、これは拉致だとは言わない、と言う事であります。
例えば大澤さんの事件、今警察はそれなりに今一生懸命調べていますが、そうは言ってもですね。
昭和49年の2月の事件でございまして、この時に一体どうしたか?と。

この中におられる方でも、生まれてない方がたくさんおられると思います。
生まれておられて普通に仕事をしておられた方でも、昭和49年の2月の24日何をしておられましたか?と聞かれてですね。
私は朝ちょっと頭が痛くて起きて来るのが遅くなって、仕事へ行って帰りはあそこの店で一杯飲んで、二次会はあそこでカラオケを歌ったなんて話がですね。
出来るような人がいたらそれだけで十分飯を食っていける。
そんな方はいたらかえって気持ち悪いですね。
普通いません。

そうするとどうなるか?というと分かんないです、大抵。
分かんないと警察どうなるか?というと、証拠が無いと言っておしまいです。
つまり、例えば100件あったとしてね、仮に。
100件のうちで証拠が見つかってこれは拉致だと警察が言えるのはおそらく数件しかないだろう、という事になります。
そしてその数件を内閣に上げる。
上げたとしても今度は内閣がですね。
日朝国交正常化への未練があります。
それから拉致問題の方にしてもですね。
認定者が増えてしまえば北朝鮮が硬化するんじゃないか?いうふうに思うと。
そういうことで中々認定をしない。

今警察の方はもう一人、小住健三さんという方を拉致認定をするべく内閣に具申しています。
これは確か2年位前ですが、全く内閣の方は認定の方向を見せない。
田中実さんが拉致をされたのはですね。
1978年、昭和53年ですが、先ほど言いましたように事件が分かったのは平成9年でございまして、認定をされたのが去年の4月です。
北朝鮮が拉致を認めて、9・17の後でですね。
拉致を認めてからその次の認定が田中実さんですが、この間2年半かかっています。
こんな事をやっていたらいつまで経っても認定なんか出来ないです。

尚且つ、それでやっと認定したとしてもですね。
外務省の交渉に十分な力の裏づけが無い。
で、やっとですね、経済制裁をやりました。
安倍さんは経済制裁を発動した後に、これはミサイルの事だけではなくて拉致の事もあるというふうに言っていたんですが、しかし現実問題では拉致で経済制裁出来なかったんですね。
それが力の裏づけの欠如ということになって北朝鮮からすればどうなるか?というと、経済制裁をしないで済ましてくれているんだからありがたい、ということには絶対にならないんです、発想は。
経済制裁は向こうはしないんだなと、だから何をしても大丈夫だというふうになってしまうという事です。
結局北朝鮮からの帰国は出来ない。
大多数は見捨てる事になる、いう事になってしまいます。

いったいこの問題点はどう言うところにあるのか?
ひとつは常に後手後手に回ってきた。
大体拉致をされた、さっき言いましたように16人だってマスコミが明らかにしたとか、工作員が自白をしたとかそういう事でやっと認定をしたりするわけですね。
ですからそうじゃない人を認定するわけは無い。
後手後手に回ってきた。
北朝鮮がミサイルを撃ったから制裁をしましたが、ミサイルを撃ってきたからミサイル防衛をどうたらこうたらと言う話が出てくるという事で、非常に後手後手に回ってきたという事に問題がある。

それからこの問題を、拉致と言うのは戦争です。
北朝鮮が仕掛けている戦争であって、これは個別の犯罪ではありません。
そうすると安全保障という面から見る概念が必要なんですが、これがですね。
完全に抜けてしまっている。
あるいはあえて分かっているのに回避している、言う事でございます。

それからもう一つはアメリカや中国に対してですね。
無力感を非常に感じている人が多い。
どうせ日本が主導権を取れるわけが無い、いうふうに思ってですね。
だから何も出来ないんだと思い込んでいる人が多い。
現実にはこの間のミサイルの後はですね。
国連決議、安保理の決議でも、あれは日本が先頭に立ってやって実現した事でありまして、それくらいの事は日本にはやる力が十分にある。
それをですね、あえて見逃してしまっている所があります。

後は憲法が変わらなければ駄目だとか、総連が悪いとか外務省が駄目だ、警察がいい加減だ。
我々も確かにそれぞれの事については批判はします。
批判はしますけど、じゃあこれが逆に言うと全部上手く行くまで待っているのか?
こんな事をしたらみんな死んでしまいますので、そんな事では逆にそういう事を言っている人間の責任回避でしかないのではないか?と。
必要な事は今ですね。
攻撃は最大の防御という事でございます。
戦わなければ平和とか人権とかそんなものを守っていけない、という事でございます。

憲法を初めとする法制度的な問題、あるいは例えばマスコミの中に拉致問題に対して解決に批判的な人なんてまだわずかですけどいますし、あるいは・・・・・(聞き取れず)の人もいます。
それから国際的に言えば、韓国は足を引っ張る、中国は邪魔をする。
いうことはあるわけですけども、しかしこんな事は今後も続きます。
それがなくなるのを待っているわけには行かない。
逆に言えば今の日本の国力からすれば現状だって十分に対応は出来る、と言う事であります。

そして北朝鮮問題ですね。
これは拉致の問題、核の問題、ミサイル、そして北朝鮮の人権問題。
北朝鮮の人権問題といっても脱北者の問題もあれば強制収容所の問題もあり、一般への人権抑圧の問題もあり、それから日本から行った帰国者の問題ですとか、その日本人妻の問題、様々ありますがこういう問題の解決をするためには体制を変えてしまうという事がどうしても必要不可欠だということです。
その為には日本がですね。
やはり先頭に立たなければいけない。
自由とか民主主義とか人権とかですね。
そういう価値観で東アジアの秩序作りを我々が先頭に立ってしていくんだという事が必要でございます。

拉致問題を国際的に訴えるときに、「日本人の被害者助けてください」っていうふうに言ったってですね。
それはまじめにやってくれる人は余りいません。
だって我々が例えばですね。
アメリカ人がやって来てですね。
実はうちの息子がキューバに拉致されたんですと、日本は同盟国だから助けて下さいと言われてどういうふうに考えるか?と。
そりゃ確かに同盟国だから何かもし出来ることがあればやってあげましょうと、例えばキューバの大使館に一言言うとかそれ位の事は言ってあげられるかもしれない。
しかし、基本的にはあんたの所でやる話ですよねと、特に世界第一の経済大国であり軍事大国なんだからという事になります。

日本だってですね。
世界第二位の経済大国であり、軍事力だって小さいものではない。
回りの国からすればなんで日本人が言ってきて、他人の国に行って来て助けてくださいと言うのか?と言われてもおかしくない。
救う会なんかではそういうのもあってですね。
他の韓国とか他の国との連携と言うものを一生懸命やっているわけですが、やはり我々言わなければならないのは日本人こそがですね。
この北朝鮮の拉致問題を初めとする人権問題を解決、すべての問題を解決するんだという事をいう必要はあるだろうと。
それはどういう言い方か?というと、我々こそがこの北朝鮮の人権問題を一番身に沁みて分かっている。
国民を同胞を拉致され家族を拉致されて、そして苦しめられているんだと、だからその意味を我々良く分かっている。
もちろんその帰国していった人たちの問題もある。
だから一番良く分かっている我々が先頭に立って北朝鮮の体制を変えて、北朝鮮に住んでいる人が全てですね。
よりまともな生活が出来るようにしていくと、それはもちろん拉致被害者が日本に帰ってくる事でもあるんだと。
だから一緒に協力してくださいというふうに言うのがおそらく国際的には一番説得力があるんじゃないか?というように思います。

現在状況はですね。
我々にとって非常に有利に動いています。
これは一つは国内のですね。
官民における対応の強化、という事でありましてですね。
家族会・救う会が出来た9年前、あの時にですね。
同じ9年前に第一次の拉致議連が出来ているんですが、あの頃にですね。
日本の国会の中で、北朝鮮の人権問題で人権法を作りましょうというような話を言ったってですね。
ほとんど誰も相手にしてくれなかったはずです。

ところが今年の6月、北朝鮮人権法と言うのが大雑把な法律ではありますけども、ともかく自民党と民主党で話し合って法案を決めてですね。
延長もしなかった通常国会で通してしまった、いう事はこれはですね。
これはもう、大変な違いです。
先ほど佐藤さんの話の中でRENKの結成のときに、異常に激しい妨害があったというふうに言われていますけども、妨害は今ほとんど無いですね。
我々のところなんかにも、何かして来ないか?と思うんですけど妨害してくれません。
あんまり相手にしてくれないのかもしれませんが、あの、今妨害とかですね。
もし何かやっちゃったらマスコミがどれだけ書くか分からない。
朝鮮総連本当に潰されてしまうくらいの危機感を持っていますから、とてもそんな乱暴な事は出来ないと。
裏に回っての事はあるかもしれませんが、それは出来ないという事であろうと思います。

ちなみによく前はですね。
例えば核のミサイルの問題が出たら、朝鮮学校の女子生徒のですね。
チマチョゴリを切ったとかそういう話が出てきたのを覚えていると思いますが、あの話最近全然出てこないでしょう?
あれ何だったか分かります?
要はでっち上げ立ったんです、ほとんど。
全く100%でっち上げだったとは申しませんけど、あれをですね。
こういうふうに切れましたよなんて言って、こんなふうにやってですね。
何か記者会見とかやってたりしましたけど、あの切り口だってどう考えたっておかしい。
それからほとんど警察に申告、届けを出した例が無いですね。
で、しかも今こういうふうになって来るとですね。
全然出て来ない。

もしですね。
今の北朝鮮に対する怒りと、かつての北朝鮮に対する怒りと比べてみたらですね。
今の方がはるかに強いわけですから、もしですね。
本当に頭に来て、ああいう学校の女の子のスカートを切ったと言うんであれば、今なんかもっとやっていてもおかしくない。
ところが今全然出て来ないです。
どうしてか?と言うと、これは基本的にはでっち上げだったからです。
ああいう問題が起きるたびにそういう事を出して来て、そしてそれはですね。
後で北朝鮮に近いマスコミがこんな事があるんだから余り強い事を言っちゃいけない、いうふうになると。
そういうシナリオみたいな物があったかどうか分かりませんが、そういうふうになって来たという事でございます。

ちなみに在日朝鮮人のライターでキム・ムイさんと言う方がおられて、この方がこの事を実は昔10年以上くらい前ですか?
調べた事がありました。
宝島別冊にですね、書かれていたんですけども、その後しばらくしてですね。
キムさんは非常に不可解な死を自分のアパートで遂げるという事があったり致しました。
もちろんひょっとしたら例えばやった事件があったかもしれませんが、あったとしたってですね。
これが例えば在日とかその協力する人間がですね。
やったという事だって当然あり得るわけで、少なくとも今はこういう問題が出てこないという事の意味はですね。
そこにあると言って間違いは無いと思います。

それから何だかんだ言いながら制裁も実施をされたと。
それから国際世論も高まって来た。
これは拉致の事とか、あるいは北朝鮮の人権問題とかずいぶん国際的にもですね。
注目されるようになって来たという事ですね。

・・・その3に続く・・・

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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南越谷集会(10)荒木和博氏-3

   『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表の講演 その3』

それから北朝鮮自体もですね。
今非常に大混乱を起こしています。
例えばこの間の金英男さんですね。
彼を表に出して家族に会わせました。
最初拉致を認めたとき、4年前に拉致を認めたときには北朝鮮はですね。
横田めぐみの(夫の)名はキム・チョルジュンという人物である。
これは秘密機関に関わっているので、一切表には出せないというふうに言っていたんですが、日本がさんざんっぱら言うもんで、一昨年、去年か、出して来てですね。
日本の外務省と警察の関係者に会わせると。

ただこの時も血液を採ったりとか写真を撮らせたりという事はしていなかったんですが、それが韓国の拉致被害者の家族会の崔成龍さんという代表が中国で入手して来た情報で、これはですね。
韓国で拉致をされた高校生ではないか?という事で、そのご家族から血液等の採取をして、そして日本政府に渡してですね。
日本政府がDNA鑑定に出して、結果これが金英男さんであることが分かった。
そうなるとどうしようもないんで北朝鮮は金英男さんを出して来て、家族と会わせると。
どんどんどんどん譲歩しているという事になります。

彼が言った事をいろいろですね。
横田めぐみは死んだとかそういう話をいろいろしていますけど、しかし日本でも韓国でもあの話を信じる人はほとんどいません。
まぁ言わされているんだろうな、というのはみんな分かっちゃうんですから、そういう意味では北朝鮮は非常にですね。
厳しい状況に置かれている。

それから先日のミサイルを発射した事、これによっても中国とも韓国とも関係が難しくなってしまっている。
今北朝鮮の中は金正日のリーダーシップなんか全く無い状態でございまして、これによって完全に孤立状態で尚且つ国内は大混乱を起こしています。
もう少し手を突っ込んでですね。
引っ掻き回せば私はこの体制は倒せると思っています。

これから先、わたしはともかく年内の解決が出来なければ自分なりの責任を取ると申し上げておりますけども、ともかくですね。
これからおそらく山が今年の秋やって来ると思います。
その山はおそらくピンチとチャンスとして両方一緒にやってきます。
それをどうするか?ということは、要は我々の姿勢と言うか要は気合の問題でございます。
ピンチとチャンスとはどういう事か。
自分でも何となくピンチとチャンスが一緒にやってくるんじゃないかな?と思ってたんですが、ハッキリとですね。
それが何なのかいまひとつ分からなかったんですが、最近ひょっとしたらその一つが安倍さんではないだろうかな?と思うようになりました。

今までですね。
拉致の事を一生懸命やってくれた安倍晋三さんが総理大臣になってくれる、言うことはこれは我々にとって非常にチャンスであります。
この機会を逃さない手は無い。
しかしその一方で安倍さんが挙党体制みたいな形でですね。
総理大臣になってしまう。
あそこにくっついて来る人間は山ほどとんでもない奴がくっついて来るわけでございます。
例えばですね、ここで中川秀直ですとか二階とか、ああいうのがくっついて来る。
そうすると物凄く重たい荷物を抱えた状態で動かなければいけない。

おそらくそういう人たちの中からは、「いやまぁあんまりきつい事を言わないで、向こうと話し合いのルートを持っていた方が良いですよ」というふうに言う人もたくさんいるでしょう。
そういう中でそれを安倍さんが振り切ってですね。
この問題の完全解決に突き進めるかどうか?というのは私はかえって非常に難しいと思います。
何だかんだ言ってもですね。
安倍さん自身も自民党の役職のときは経済制裁についてかなり厳しく言ってましたけども、官房長官になってからは経済制裁をやるという事についてはトーンダウンしてしまっている。

いわんや総理大臣になってからですね。
そう簡単にそれを言えるかどうか?というのはまだ未知数です。
言えないとも言えないですけども、絶対に安倍さんだったら大丈夫だということは、私は言えないと思います。
それはある意味で言えば、安倍さんがそういう事をしたがっていると言うのは事実でしょうから、そこをですね。
何とかしていくためには我々自身がこの拉致問題の原則は絶対に曲げられないと、これだけで行くんだという事でですね。
やっていくしか方法が無い。
もし、安倍内閣がそれと違う事をするんであれば倒閣運動をするんだというくらいの気持ちでですね。
やっていく事が実は安倍さんにとっておそらく一番の追い風となると思います。

そうしないと逆に安倍さんが盾に使われて、安倍さんにマイナスになってはいけないからといって、我々が言うことをブレーキを掛けてしまえば、そういう使い道があるんだというふうにですね。
敵対する勢力は必ずそう言って来ます。
だからそういう意味でピンチとチャンス、それ以外にもピンチとチャンスがおそらくあると思いますが、これからどんどんやってくる。
だから我々はですね。
それはもう絶対にチャンスの方を掴むんだと言う事の意思を統一しておかなければいけないと思います。

この拉致問題解決についてですね。
どういうふうにやっていくか?という事で、これから解決の仕組みと言うお話ですけども、今やっています警察。
これは国内の捜査、これは警察の仕事ですからしっかりやってですね。
さっき言いましたように誰一人として罪に問われていない。
拉致をやった奴を次から次へと捕まえてですね。
どんどん裁判に掛けるというところへ持って行って貰いたい。

それからこちらは結構最近やっていますけども、北朝鮮系の組織の不法行為を摘発する。
それからよど号グループですね。
最近ポツリポツリとかみさんたち帰って来てますが、こういうのも海外の拉致の捜査を進めていく。
それから私は今全然ですね。
ほとんど話がなかなか出て来ない自衛隊の問題があるんですが、本来は安全保障上の問題と言うのは当然軍が関わって当たり前の話でありまして、自衛隊が当然ですね。
その役割を担うべきだと思います。

その一つは北朝鮮内部の情報収集という事で、被害者の状況とかですね。
北朝鮮の内部情報を収集して集める。
そんな広い国では無いので、情報収集それほど手間はかからないはずです。
私らはもちろんささやかながらやっているんですが、これはやはり本当にそういうことのプロがやっていく必要があるはずだと思います。
それから体制崩壊に伴って邦人を保護する準備をしていかなければいけない。
体制崩壊したときに拉致被害者の身辺が非常に危なくなりますので、これを救出するという努力が当然必要であります。

これは今年の3月に参議院でですね。
委員会で埼玉選出の山根隆治参議院議員が質問をしてくださいまして、初めて防衛庁長官が拉致被害者救出のための、関する答弁をしております。
これが初めてですね。
拉致の議連も出来て9年経ってですね。
やっと防衛庁長官が初めて拉致被害者救出で答弁をしたという、非常に酷い話なんですが、ともかく初めての答弁をした。
ただその答弁はですね。
外務大臣からの要請があったときに安全が確保されてから行きますという話でございまして、安全が確保されるんだったら自衛隊が行く必要は全く無いわけでございます。
誰が行ったって構わないんですが、そういう事でですね。

同じく、実はほとんど同じ事を今度は翌月に自民党の稲田朋美議員から衆議院で聞いてもらったら、安全が確保されればと言う事は、例えば航空機が着陸しようとしたときに飛行場に穴が開いていたら着陸出来ないと、そういう意味ですという事を言ってたんで、いくらかは前に進んだのかな?と。
これからちょっとバンバンやろうと思っています。

それから後特殊部隊による救出作戦ということで、これはですね。
拉致被害者の直接の連絡が取れるようになり、本人が危険を犯しても脱出したいという意思を明確にした場合は、例えば東海岸に何とかして連れて来てですね。
そこから回収をするという事、これは可能です。
今の自衛隊の力で。
習志野にあります特殊作戦部という部隊をですね。
使って、後海上自衛隊の潜水艦とか使えばですね、出来ます。
可能であればそこへ持っていってしまいたいという思いが実は非常にあります。

後、外務省はもちろんですね。
北朝鮮との交渉、それから同盟国とか友好国との連携をする。
そして脱北して、韓国人の拉致被害者が今まで4人ほど脱北しておりますが、この人たちの被害者の保護をする。
日本人でも拉致被害者が出る可能性がある。
その場合はこの保護をする。
それから海外での情報収集、これは当たり前の話です。

それから後、公安調査庁、比較的目立たないお役所ですけども拉致問題に関しては非常に一生懸命やってくれておりまして、国内での調査それから北朝鮮情報の収集等やっています。
もちろん経済制裁についてはですね。
経済産業省とか、あるいは厚生労働省とか様々な省庁が関係をするわけでございます。
だからまぁ、考えてみればほとんどの省庁が関係をする。
宮内庁はさすがにしないでしょうけど、それ以外はほとんどすると思います。

しかしそれを全部統括するのは首相官邸の意向であります。
これはまさに政治主導でやるしかない。
お役所ではこれいくら一生懸命やる官僚がいてもですね。
出来る事には限りがあります。
首相官邸がやるしかない。
特に今自衛隊を動かしたりするのは、いろんなハレーションがあるわけで、その中でやらなければいけない言う事は、総理の決断という事になるわけで次に総理になる方はそれを期待するわけであります。

民間の立場で我々何をしていかなければいけないか?と言うことなんですが、これは一つはさっき言いましたように、お役所だけにやらせておくという事だけでは駄目なわけで、姿勢としては政府とかあるいは議会等のですね。
私は建設的緊張関係と言ってますが、単に馴れ合いでも駄目だし、それから「あいつらもう駄目だ」と言うだけでも駄目だ、いう事でですね。
もし、それが望ましいと言う事をやるというときは、我々も犠牲を払ったって協力するべきであろう。
そしてまた、やってる事が誤りだと思うなら一人になっても闘う姿勢が必要ではないか?言う事がございます。

その延長線上でもありますが、例えば経済制裁などをやった場合に、やってそして外務省が交渉する。
こういうときに「経済制裁をすると危険があるんじゃないですか?」とか言ってブレーキを掛けようとする人がいるわけですが、そこはやっぱり国民が支持していかなければならない。
「外務省頑張れ!」という事を言っていって上げなければならない、言う事が必要であろうと思うわけです。
そしてミサイルを撃ってくるぞと言ったときにですね。
撃って来るんだったらやってみろと、いう位の国民の姿勢が必要です。

北朝鮮のテレビに良く出てくる、説教しているようなおばさんがいますが、ああいうおばさんたちがですね。
日本帝国主義は直ちに100倍1000倍にして、攻めて来たらお返ししてやるとかですね。
そういう話は良くするんですけども、北朝鮮の新聞なんかにも毎日出ています。
だからこれは時候の挨拶、「おはようございます」とか「こんにちは」みたいなもの(笑い声)で、余り気にする必要は無いです、全然。
ああそうか、また言ってるな?位で良いのであって、逆に今度はですね。

私は冗談半分・本気半分で言ってるんですが、せっかくこれまでですね。
誰がどう見ても軍隊と思えるものを「自衛隊」と言って来たんですから、こういう時はですね。
北朝鮮の東海岸のあたりにイージス艦でも浮かばしてですね。
派手にミサイル発射する演習でもやると、で向こうが文句言って来たらですね。
「日本には軍隊は存在しておりません、憲法で軍隊を持ってはいけないことになっているんで、あれは自衛隊です、軍隊じゃありません」と言ながらですね。
ぼかすかミサイルをぶっ放すと、あるいはF15をすぐ近くまで飛ばすとかですね。
どうせもう迎撃してくるような飛行機の油ありませんから、まぁ出来ない。(笑い声)

陸上ではゲリラをこれ見よがしに殲滅するような訓練でも見せ付けると、いうようなことをやって圧力を掛けると。
こういうのが北朝鮮には一番良く分かるんです。
何かしてあげるとかいうのは駄目ですね。
いう事を聞かなかったらぶっ潰してやるぞというのが、一番言語として理解してくれるのでそういうふうにしていく。
そういう姿勢が必要が必要である。
(会場より「行動で示すという事ですね」の声)
そうですね、行動で示さないとね。

後、ぜひお願いしたいのはですね。
拉致問題とか北朝鮮の人権問題もそうなんです。
拉致問題は最近よく言いますけども、北朝鮮の人権問題は中々マスコミも取り扱わない。
ここら辺の問題について積極的に報道したテレビの番組ですとか、あるいは新聞の記事ですとか、そういうのがあったらですね。
可能であればぜひ、「良かったよ」という事を一声電話でも掛けてあげるとか、手紙とかハガキでも送ってあげるという事をして頂きたいと思います。
そういうふうにすればですね。
やる人たちですね。
これ、どんなマスコミでもどんな新聞でも、やっぱり何人か一生懸命やってくれる人がいるんですね。
我々もそういう人たちに助けられています。

そういう人たちにとってはですね。
読者あるいは視聴者からの声と言うのは非常にバックアップになる。
局の中でですね。
「これはもっとやった方が良いかな?」という雰囲気を起こしてもらう、言う事が必要ですので良い事があったら是非支援をして頂きたい。
だいたいですね、けしからんと言って文句言う人はたくさんいるんですが、褒める人はまずいませんのでちょっとは褒めてあげて頂きたいと。

後はまぁ、この集会もそうですが、集会とか署名とか街頭活動とか、あるいはもう一つ大事なのは何かあったときに「実は拉致問題はこういう事があるんだよ、ご家族のこの人がこういう事を言ってたよ」と、そういう話をして頂きたいと。
一人でも多くの方にそういうことを伝えていただくと、言う場があればそういう事が広がっていきます。
例えば私がここでこうやって1時間ほどお話をさせて頂いておりますが、私がここで話をしてですね。
出来る事なんか本当にごく一部しかない。
それよりも実は本当には意味があるのは、この集会こうやって開かれるために事務局をやられた皆さんが一生懸命準備をされて、そしていろんな所でビラを撒かれて、そしてそのビラを手に取って、こうやっていろんな自分のご家庭の事情とかあるいはお仕事とかある中をですね。
時間を割いて来て下さると、いう事に意義があるんで、やはりそういう意味で口コミとか非常に重要なんですね。
それがあったからやはり今日の拉致問題があるんで、その点をぜひご理解いただきたいというふうに思います。

先ほど言いましたように国際的な問題については、やはりこの拉致と言う被害を受けている日本こそ北朝鮮の人権問題の深刻さを分かっています、いうことをやっぱり言っていくと言う事ですね。
と言う中で、北朝鮮人権問題を含めた包括的な問題としてやっていくという事であろうと思います。
原爆の問題とちょっと重ねてみると分かりやすいと思うんですが、日本は唯一の被爆国ですね。
ですからやっぱり外国へ行ってですね。
人に話をするときに、やはり我々は世界唯一の被爆国であるという事というのは、そう言われると水戸黄門の印籠みたいな物で、誰もですね文句は言えない。
我々もやられましたよ、と言えるところが無いわけでありまして、それはやはり日本がそういう事をいう事によって核の問題と言うのは説得力が出てくるわけですね。
だから逆に言えば核兵器を持つ必要があるという事になった場合は、我々はやられた我々だからこそ持たなきゃいけないと言うことが分かるんだという言い方ももちろん出来るんですけど、いずれにしても核の問題であれば日本と言うのは非常に説得力がある。
ですから北朝鮮の人権問題もですね。
やはり拉致被害者をたくさんやられている日本が言うと言う事は、それなりに意味があることだろうと思います。

私どもは今こういうような調査会の活動を様々やっておりまして、最初にちょっと聴いて頂きました「しおかぜ」
短波放送での働きかけをやったり、あるいはRENKの皆さんともそうですけど守る会とか北朝鮮難民基金などとですね。
NGOとも連携を取ってやっている次第でございます。

これはちょっと話題に出たこれは今難民救援基金と一緒にやっていますプロジェクトで、韓国からビラをつけた風船をすっ飛ばすということで、これは韓国のNGOの方がすでに一昨年から100回くらい飛ばしております。
北朝鮮の当局が韓国に9回ほど止めさせろと言う抗議が来たということですから、かなり効果があることですね。
韓国政府の方から、これやっているNGOの方にもですね。
止めてくれませんか?と言うのがあったそうですけど、全く言う事を聞かないでやっています。
これ非常に簡単な作りでですね。
農業用のビニールを使ってですね。
その中にガスを入れて飛ばすんですね。

右の写真の先の方の山がありますが、山と言うか丘がありますけども、あの丘の先が海でしてその海をちょっと越えたところがもう北朝鮮です。
だから北への風が吹けばですね、もう北朝鮮へ飛んでいくと。
この時はちょっと実験みたいな、私たちが行ったもんでですね。
試しという事を兼ねてちょっとだけやってくれたんですが、普通はこの一つの風船に三つ袋に入れたチラシをですね。
一つの袋に1万二千枚くらいのチラシを入れておいて、これを三つ付けて飛ばすんだそうです。
きわめて簡単な時限装置でですね。
短距離・近距離・長距離というふうに分かれて風船が、というか袋が割れてですね。
ビラが飛び散るということで、長距離の物は平壌の先まで風さえ良ければ行くそうです。
だからかなりのところまで届いている可能性がある。

ちなみにこのときは風が悪くてですね。
余り上手くいかなかったんですけども、どういうわけだか上に上がった風船の一つがですね。
途中で袋が割れちゃいまして、そこで我々が見ている前で地上高度どれくらいか分かりませんが、数百メートルか数千メートルの所で、ビラがばっと散っちゃったのが分かったんですが、翌日ですね。
ソウルの大統領官邸まで届いたと、いう事でございまして、大統領官邸まで約40キロくらいありますから、それくらいですね。
飛び散った後のビラでもそれ位飛んで行く、いうことですね。
この話をある人にしたらば、「いや韓国の大統領官邸も北朝鮮みたいなものだから(笑い声)、効果があったんじゃないですか?」と言っていました。
このときはまだ韓国で作ったビラですけども、出来るだけ早い時期に日本の他のNGOと協力してですね。
ビラを作ってそれを飛ばしたいと、このNGOの方々と協力して一緒に飛ばしていくという形になるんですが、そういうふうにしていきたいと思っています。

もう時間が大体来ちゃいましたが、ともかくですね。
私自身がこの拉致と言う事をやっておりまして感じるのは、平和とか安全とか人権とかこういうものはタダじゃない。
自分たちの力でやっぱり闘って勝ち取るものであるという事でございます。
どうか、出来るだけ短期決戦で終らせようと思っていますので、ご協力をお願い致しまして私の話を終りたいと思います。
どうもありがとうございました。(拍手)

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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南越谷集会(7) 佐藤悟志さん

   『佐藤悟志さん(RENK)の講演』

★司会 古藤勝次 埼玉救う会副代表

それではですね。
次にRENKの佐藤さんからお話を伺いたいと思います。
私どもはですね。
北朝鮮に拉致された日本人を救出するのが目的で、RENKとは目的が違います。

ただ、最近ですね。
私どもも北朝鮮のあの現体制が今のままで果たして拉致、あるいは特定失踪者の方を全員奪還出来るんだろうか?
やっぱり拉致問題を解決する為には、あの政権を何とかしないと何ともならないのではないか?と、そういう思いが非常に沸いて来てます。

そういう意味でですね。
北朝鮮の民主化と現政権の打倒ということを目的としているRENKの人のお話はですね。
ぜひ興味を持って伺いたいと、そういうふうに思っています。
佐藤さん、よろしくお願いします。

★佐藤悟志さん

(拍手)
どうもはじめまして、佐藤悟志です。
今日は古藤さんの紹介でRENKと言う事だったんですけども、RENKと言いましても要するに北朝鮮の民主化という一点で寄り集まっています団体でありまして、それ以上細かい意思統一があるわけじゃないので、中では左翼の人からネオコン的な私のような人物まで幅広く寄り集まっている団体で各人それぞれに活躍しているという形ですので、一応今日はRENKの会員と言うことで話をさせて頂きますけども、私がRENKの代表的な人物と言うわけではございませんが、RENKの会員の一例と言うことで話を聞いていただければ有難いと思います。

本日は東部の会結成と言うことで、これから頑張って頂きたい、ともに頑張っていきたいと思っていますけど。
ご存じない方もいると思うので一応RENKの簡単な紹介をしておきますと、テレビ等にも出演している李英和という関西大学の教授をしている人物が代表をやっておりまして、そのもとに私たちが集まっているわけですけども。
李英和が90年代の最初の頃に北朝鮮へ留学しまして、それで北朝鮮の現状を見るにつけて、これでは拙いのではないか?という事で、北朝鮮の民主化というようなことを掲げて。
それまでいろいろ政治活動をしていたんですけど、その仲間を集めてRENKを結成して大々的に北朝鮮の問題について活動をしたのが最初が93年だったんです。

今は拉致問題等で雰囲気は変わっているんですけども、当時は本当に今と全然違う感じでありまして、李英和が仲間を集めて北朝鮮の現状について告発したりと言う集会をやろうとしたんですけども、朝鮮総連の大部隊が襲って来ましてですね。
集会もデモも、完全に潰されてしまうっていうんですか?
要するにこういう集会をやっているところに団体がわぁっと入り込んでめちゃめちゃにして追い出すっていうんですか?
それで警察も一応来ているんですけど何も役に立たないっていうか、今でも多少そういう所があると思うんですけど、朝鮮総連というかそっちの方には手を出し難いというか、規制し難いという状況がありましてですね。
本当にやりたい放題のことをやってきまして、パレードも予定していたんですが、そういうものも全く出来なくなってしまって、参加者も老若男女が怪我を負わされてしまうということがあってですね。
と言う中でRENKの結成を行ったんですけども、そのころから比べると今の雰囲気と言うのは本当に変わって来たんですけど、初めはそういう感じだったと。

その後、小川晴久先生がやっている、「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」が結成されて、それが94年に集会をやったんですけども、神田だったかな?
そこにも朝鮮総連の大部隊が襲ってきましてめちゃめちゃにされるということが当時ありまして、そういう中で、特にそれでも彼らがやられたのは一応在日という事で、内情についていろいろ詳しかったりしたので、そういうそういう奴にしゃべられるのは非常に厄介と言うか困るというか、生意気という事で潰されてしまったんですけど。

そのときにRENKが、やられたままではいかんということで刑事告発をして、それを受けて警察の方で初めてですね。
朝鮮総連の方にガサ入れが行われましてですね。
結局たいした処罰はされなかったんですけど、向こうの総連の幹部の方は。
ただそのときに総連本部の名簿がいろいろ警察の手に入ってきて、朝鮮総連がびびりましてそれ以降余りやって来ない、と言う状態になりましたけど。

そういう厳しい中で、当時万景峰号の入港等に関しても抗議船を出して抗議したりと、90年代の最初の頃ですけどね。
RENK的には挑戦的なことをやってきたのではないか。
こんな感じでやってきたんですけども、その中で結局組織的には、「救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク」と言うことになっていますけど、結果的には北朝鮮の民主化が必要なんではないか?と。
食料を送るという人道的なこともチラッとやったことはあったんですけど、結局それはほとんど意味がないというか、ほとんど北朝鮮に届かないで途中で全部抜かれてしまうということがありまして、結論的に北朝鮮現体制を解体しなければならないんじゃないか?という事で最近は、そういう主張と言うか宣伝活動を中心にやるようになって来ています。

で、そのような襲撃されているという経験を通じて僕なんかが感じたことですけど、やっぱり僕らまだ日本だから生きていられるんですね。
これがそれこそ北朝鮮だったりすれば全然生きていられないというか、例えば僕らが総連に襲撃されたりありましたけど、北朝鮮で朝鮮人の人たちが、あるいは日本から拉致された拉致被害者の人たちが、こうむっている暴力と言うのはそれの数千倍というか、数万倍と言うか、想像を絶するような酷い重圧と言うか暴力が北朝鮮の現体制によって加えられているということを、多少なりとも自分の体で想像する事が出来るようになったということで、襲撃されたことも結構いい経験になったのではないか?と、いうようなことも私的には考えています。

ただ北朝鮮を民主化するといった場合、どうしたらいいのか?ということ。
いろいろ意見もあるでしょうし選択肢等もあるでしょうけど、私の個人的な意見としては、まず圧力が必要であると。
北朝鮮問題の場合には、これは北朝鮮問題ではあるけども、実は中国問題でもあるわけですよね。
北朝鮮と言うのは実は北朝鮮だけで成立しているのではなくて、そもそも朝鮮戦争のときに中国がそれこそ何百万と言う軍隊を押し立ててきて韓国軍、米韓連合軍を押し返してですね。
北朝鮮をこしらえ上げたというか、北朝鮮の縄張りを守ることによって北朝鮮と言うのが成立したわけですし、それ以降も北朝鮮に対し中国は食料なりエネルギーなりを援助し、尚且つ中朝友好協力相互援助協約というのがありまして、要するに軍事同盟ですよね。
北朝鮮がアメリカなどに攻撃されたときは、中国軍が行って守るんだというような軍事同盟を中国と結んでいることによって、北朝鮮と言うのは結構ああいう無茶なことをしまくる、ということが実は可能になっているわけですね。

私としては北朝鮮の関係する問題ですけども、結局後ろで糸を引いている中国に対して、これときちんと対決していかなければいけないんじゃないか?
そのためには、それこそ憲法改正とかあるいは核武装とか、そんなことも考えなければいけないかな?というのはちょっと最近考えています。
そういう大問題的な問題を考えていく必要はあると思うんですけど、ただ、今特定失踪者の家族のお話を聞いていて思うんですけど、じゃあ何のために北朝鮮を民主化したり拉致問題を僕らは取り組むのか?
どうしたらいいのか?何が必要なのか?ということを考えたときに、やっぱり正義が必要だと思いますよね。

先ほどのご家族の話にもありましたけども、彼らは別にお金が無かったとか、仕事が無かったとか、って言うことでいなくなったと言う訳ではなくて、普通に暮らしていたわけですよね?
で、普通に暮らしている人間が何の罪も無く何の理由も無いのに、家族を奪い去られて攫われてしまう。
というような現実があるときに、私たちはじゃあ普通に生活していくために何が必要なのか?
やっぱり正義と言うかむやみに攫われない、むやみに勝手な暴力に晒されない、ということがまず第一にこの国においても確立されなければならないんじゃないか?
それは先ほど話に出てきた飲酒運転の話もそうですし、あるいは広島の木下あいりちゃんの事件がありましたよね?
あの事件なんかを見ても、そしたら拉致問題を鑑みるにつけても、僕らはまず正義と言うものを実現しなければならないんじゃないか?
その正義も当たり前に生活している普通の人々を守るための正義、と言うことが大事なんじゃないか?と。

RENKの立場からもう一点言っておくと、北朝鮮に住んでいる人々も私たちと同じように生活があり、家族があるわけです。
しかし彼らはまさに、正義の反対の不正義の存在によって普通の生活を奪われて、北朝鮮において普通というか、まともな人というか、優しい人、他人に対して思いやりのある人から先に死んでいくというか、順番に死んでいく。
と言う現実があります。

脱北者の人たちが90年代後半の飢餓の状況についてお話されていたんですけども、まず最初にお年寄りの方から死んでいったと。
彼らは食料が無くなった時に、自分よりも若い人たちを守って、例えば子供たちとかね。
そういう子たちを生存させていくために自ら食料を絶って年寄りたちが死んでいったんだと、そのように伺いました。
しかしそのような努力もむなしく北朝鮮では子供たちも次々死んでいく。
あるいは食糧不足から病気になり、あるいは寒さに耐え切れずに手足が腐っていって手足が無くなっていく中で死んでいくというような、厳しい状況におかれています。

これと拉致問題の元凶と言うのは実は全く同じなんですね。
北朝鮮に存在している不正義の塊と言うか、最悪の不正義であるところの金正日体制、これの存在によって彼らもそして私たちも苦しめられている。
従って結論的に言えると思うんですけども、拉致問題の取り組みも含めて北朝鮮の金正日体制との戦いは日本のためだけでなく、朝鮮とかひいてはアジアの解放のためにも正義の戦いであるということは言えると思います。
私が言えるのは今日、これくらいです。
どうも長々とありがとうございました。(拍手)

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2006年10月 4日 (水)

南越谷集会(6) 佐々木アイ子さん

   『佐々木アイ子さん(特定失踪者・佐々木悦子さんの母)の訴え』

皆様こんにちは。(「こんにちは」の声)
私は特定失踪者問題調査会にお世話になっております、佐々木悦子の母、佐々木アイ子と申します。
いつも皆様にはお世話になっております。

うちの娘は平成3年4月22日月曜日、浦和埼玉銀行に勤務、朝出たまま、パスポート・免許証・預金なども一切手付かず失踪です。
それで15年になります。
それから特定失踪者問題調査会にお願いしてから4年になります。
その間に脱北者の証言で悦子を目撃と言うことで、拉致濃厚と言うことで県警の方に告発してありますが、なかなかまだそれも何にも変わりは無く、国にも認定もされておりません。

とにかく今日は18日、主人の命日なんです。
娘がいなくなってから5年後、娘のことでどんなにか辛い思いをしてあっちこっち、警察、銀行関係、学校、本当にもういろんな関係者のところに足を運び一生懸命に探しましたが、その頃はまだ北朝鮮など娘がそんな所に、何にも考えておりませんでした。
本当に無念だったと思います。

今日18日は主人の命日で、「今日は越谷のサンシティへ集会に行って来ます」と挨拶して来ました。
どうか悦子が一日も早く日本の土を踏めますように、皆様これからもよろしくお願いします。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
氏名 佐々木 悦子
失踪年月日 平成3(1991)年4月22日
ふりがな ささき えつこ
生年月日 昭和38(1963)年12月6日
性別 女 当時の年齢 27
身長 162センチ 体重 52キロ
公開 第1次公開
当時の身分 埼玉銀行パート
特徴 左目の下に泣きぼくろあり、両手共ふっくらとしているが指先が細い。
失踪場所 埼玉県浦和市
失踪状況 「仕事へ行く」と言って埼玉県浦和市の家を出たまま失踪。当日は休みをとっていた。平成16年1月29日、埼玉県警に告発状提出。

特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会HPより引用
http://chosa-kai.jp/index.html

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★引き続き、鈴木智さん(特定失踪者・鈴木賢さんの兄)による特定失踪者の紹介

続きまして新木章さん、年齢はその当時29歳でございました。
職業は銀行員です。
昭和52年5月21日に行方不明になりました。
川口市の自宅から外出したまま行方不明、いうことで、その後情報によりますと北朝鮮で見かけたと言うような情報も入っております。

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氏名 新木 章
失踪年月日 昭和52(1977)年5月21日
ふりがな あらき あきら
生年月日 昭和22(1947)年10月16日
性別 男 当時の年齢 29
身長  体重
公開 第1次公開
当時の身分 銀行員(事務系、コンピュータを使う仕事)
特徴 中肉中背、眼鏡使用。
失踪場所 埼玉県川口市
失踪状況 「買い物に行く。午後6時か7時には帰る」と川口市の自宅を出たまま失踪。家を出たときは財布しか持っていない。免許証、クレジットカードが入っていたが、更新がされていないし、カードは使っていない。平成16年1月29日、埼玉県警に告発状提出。

特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会HPより引用
http://chosa-kai.jp/index.html

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★引き続き鈴木智さん

続きまして、石井久宏さん
年齢は29歳です。
職業としましては化粧品店の経営。
49年5月1日の失踪でございます。
100万円以上の経営資金を持ったまま、自家用車ごと行方不明。
失踪後免許証の更新はされておりません。

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氏名 石井 久宏
失踪年月日 昭和49(1974)年5月1日か2日
ふりがな いしい ひさひろ
生年月日 昭和19(1944)年9月29日
性別 男 当時の年齢 29
身長  体重
公開 第13次公開
当時の身分 化粧品、雑貨販売店経営
特徴
失踪場所 埼玉県川口市の店舗兼自宅から
失踪状況 化粧品店を経営しており、多額の借金を抱えてしまっていた。父親などが金を用意して経営を立て直す方向で話をすすめ、母親も店の経営を手伝っていた。本人の努力しだいで十分解決方法もある状態であったが、突然100万以上の経営資金を持ったまま自家用車ごと行方不明となった。当時、遊び方が派手になっており、マージャンやバーなどで、複数の朝鮮系?の方と一緒に居るところを従妹が目撃している(言葉からそう思ったとのこと)。店の隣もパチンコ屋だった。

特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会HPより引用
http://chosa-kai.jp/index.html

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★引き続き鈴木智さん

続きまして、長谷山洋さん。
年齢は24歳です。
平成6年、平成になってからですね。
8月ごろの失踪です。
戸田市内にある会社を1週間勤めて辞めた翌朝、友人が目撃したのを最後に行方不明。
静岡県伊東市に住民票を移していたが、その番地には該当したものはありません。

いうことでもって、田口八重子さんの義理のお姉さんのご紹介と、特定失踪者7名のうちのここに皆様にお訴えをさせて頂いた3名。
今日はどうしてもやむを得ず事情によりまして、こちらに来ることが出来ない失踪者3人をご紹介させて頂きました。
どうもありがとうございました。(拍手)

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氏名 長谷山 洋
失踪年月日 平成6(1994)年8月頃
ふりがな はせやま ひろし
生年月日 昭和45(1970)年1月16日
性別 男 当時の年齢 24
身長 175センチ 体重 70キロ
公開 第10次公開
当時の身分 無職(退職直後)
特徴 胸にペンダント形の大きなヤケドの跡がある。
失踪場所 埼玉県川口市付近
失踪状況 失踪の約1週間前、戸田市の会社に就職。川口市のアパートを引き払い、会社が借り上げた寮に移ったが、その会社を1週間ほどで辞め、寮も引き払った。その夜川口市内の弟の家で食事をし、翌朝、友人が川口市内を歩く本人を目撃したのを最後に失踪。失踪後、静岡県伊東市に住民票を移していることが分かり、そこ場所へ行ってみたが、転出先の住所の番地は存在しなかった。

特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会HPより引用
http://chosa-kai.jp/index.html   

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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南越谷集会(5) 大平一男さん

   『大平一男さん(特定失踪者・藤田進さんの従兄弟)の訴え』

こんにちは。(「こんにちは」の声)
私は藤田進の従兄弟の大平と申します。
藤田はですね。
昭和51年に失踪してしまいました。
今だから失踪と言えるんですけども、その当時は訳分からず行方不明者と多分扱われていたでしょう。

皆さん、ちょっと想像して頂きたいんです。
いつも家族が生活している。
そしてある時から、行って参りますってそれで別れてしまった場合、残された家族はどんな気持ちでどうしたら良いでしょう?という、非常につらい悲しい時期が始まるわけですね。
誰に聞いてもその場所が分からない。
どこへ行って探して良いかも分からない。
そしてそれが一日、一週間、十日と経っても何の手がかりも無い。
家族は、本当に生きているだろうか?どこに行ってしまったんだろうか?と考えるでしょう。

彼はこの年、失踪したときは19歳でした。
その年の6月に二十歳になるんです。
人生の節目の二十歳、やっと大人になれた成人になれた言う時期だった。
それから何と30年、今年彼は50歳になる。
もうなってしまいました。
それも北朝鮮でこの30年を過ごしたということに、私は非常に憤りを感じています。

日本にいて自分が20歳、20代のとき何をしたか?
仕事に夢を持ち、そしていい人と出会って結婚する。
当たり前のことです。
そして30代は家庭を持って子供を生み、子育てをする。
当たり前の生活が出来るはずだったんです。
20歳代、30歳代、40歳代の人生一番良い時に彼は北朝鮮で過ごしてしまっているんです。

彼が北朝鮮にいると分かったのは、私は2年前でした。
ある一枚の脱北者からの写真を見て、テレビ報道されて、私はテレビから初めてその事実を知らされたんです。
まさか、え?これが本当のことなの?
彼が生きているだろうと言うことに対しては非常に嬉しい思いはあったんですけれども、なぜ北朝鮮なんだよ?
そのような憤りは今でも失っていません。

昭和47年に戦争で、(旧日本兵の)横井庄一さんがグアム島から帰って来ました。
あの時には27年間グアムで過ごし、そして発見されて戻ってきた。
昭和49年には小野田寛郎さんが29年間、フィリッピンのルバング島にいて日本に帰ってくることが出来ました。
しかしまだ藤田は30年経ってもまだ日本の土を踏めていないんです。
これはもう戦争犠牲者、テロ犠牲者という言葉以外無いんではなかろうかと思っています。

私は小さいころ、川口の隣町の戸田と言うところに住んでいました
彼と私は子供の足でも歩いていける距離なので、20分とか25分で行けました。
そこでよく遊んでいたものです。
自分が結婚して三郷に移り、そして今越谷の隣の松伏町と言うところに住んでいます。
以前は川口・浦和・大宮と言う京浜線沿線で育った自分が、今草加・越谷・春日部と言う東武線に居を替えて、そしてこの場で皆様に藤田の話を出来ることが非常に不思議な気持ちでもあり、嬉しく思っています。

どうかここに今日お集まりの皆様、これからも私はこの沿線でせっかく今日、会を立ち上げて頂きましたので私の力の範囲で協力させて頂こうと思っています。
これからも皆さんのご支援をよろしくお願い致します。
ありがとうございました。(拍手)

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氏名 藤田 進
失踪年月日 昭和51(1976)年2月7日
ふりがな ふじた すすむ
生年月日 昭和31(1946)年6月16日
性別 男 当時の年齢 19
身長  体重
公開 第5次公開
当時の身分 東京学芸大学教育学部1年生
特徴 家ではあまりしゃべらないタイプ、ギターがうまかった。
失踪場所 埼玉県川口市の自宅
失踪状況 失踪当日6:30~7:00頃以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。脱北者が北朝鮮から持ちだした写真が、鑑定の結果、藤田進さんである可能性が極めて高いことが判明。平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。

特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会HPより引用
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2006年9月27日 (水)

南越谷集会(4) 鈴木智さん

   『鈴木智さん(特定失踪者・鈴木賢さんの兄)の訴え』

それと3番目になりますが、この写真は私の弟、特定失踪者・鈴木賢でございます。
私の弟は昭和47年5月に大学を卒業し、就職した会社の春のレクリェーションで奥多摩に行くということでハイキングスタイルで、当時の自宅でございました三芳町藤久保の家を、母親と言葉を交わして朝6時に家を出ました。
何としても不可解なことが数多くあるんですけども、ハイキングに行くといって現地に行ってないわけですね。
会社の上司・同僚、どうも本人を見ていない、会っていない。
私も数日後に会社を訪ねましていろいろお聞きしたんですけど、全くと言って良い位本人が現地に行っていると言う姿は見えませんでした。

それともうひとつはハイキングスタイルですから、まさに白のシューズを履いているわけですね。
上着は紺地に白のカーディガン、それから免許証を持って出ているわけです。
この免許証も更新は一切されておりません。
その後も毎年免許証の更新についてはそれぞれの機関に行って調べておるんですけど、全く更新はされていない。
言うようなことで、今年でですね。
丸34年になります。

この間、今お話しましたように家族・友人・同僚その他、誰一人として本人の顔を見たとか、あるいは声を聞いたというような人は一人としておりません。
もちろん私どもは考えられる手立てを尽くしてやるだけの事はやりました。
調べるだけのことは調べました。
しかしながらそれ以降、生死にかかわる情報とか資料などは一切ございません。
今日は特定失踪者調査会の荒木代表がお見えになっておりますが、これからですね。
拉致問題の現状とか、あるいはこれからの展望について、グローバルな視点からいろいろお話を頂けると思いますが。

私、特定失踪者が全員拉致被害者だとは思っておりません。
しかしながら数人か数十人か数百人か分かりませんが、政府で認定された拉致被害者と同じように北朝鮮で拘束されて、国を思い肉親を思って救出を待ち続けている事は間違いないことだというふうに考えております。

現在北朝鮮はミサイルとか核の問題が大変大きく浮上しまして、そちらの方に眼が向いておりますけども、この拉致問題はですね。
国のトップが先送りをしているんじゃないか?と言うふうに考えております。
まさに拉致問題の全面解明、拉致被害者の救出については先送りをされてはたまりません。

私たちはこの拉致問題を次の世代に引き渡すことは出来ません。
なんとしても私たちの世代で解決せねばなりません。
今日お集まり頂きました市民の多くの皆さんのご支援を力にしまして、これからも継続的に拉致被害者救出に向けてのアピール活動を継続していきたいとこういうふうに思っています。
ありがとうございました。(拍手)

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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南越谷集会(3) 特定失踪者家族の訴え

   ~~特定失踪者家族の訴え~~

★司会 古藤勝次 埼玉救う会副代表

それでは次にですね。
埼玉は多くの拉致被害者、特定失踪者の方を抱えています。
特に川口では8人もの方があります。
鈴木さんの方から説明して頂きたいと思います。

★鈴木智さん(特定失踪者・鈴木賢さんの兄)

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こんにちは。(「こんにちは」の声)
はじめまして。
私、「拉致問題を考える川口の会」の鈴木と申します。
拉致問題を考える川口の会の発足は平成16年で、皆さんご承知のように拉致被害者の田口八重子さんのご家族と、川口市に居住あるいは勤め先を持つ特定失踪者7名の家族とともに、更に拉致被害者田口八重子さんを救う会、それと拉致問題は何があっても許すことが出来ない。
拉致被害者を一刻も早く救出しようと言うことで、川口市を中心にした数多くの市民の皆様のご支援を頂いて、私どもは定例的に拉致問題の全面解決、拉致被害者の救出に向けてアピール活動を続けております。
それでは私の方からご紹介したいと思うんですけど、田口八重子さんの義理のお姉さんです。
飯塚綾子さんです。(拍手)

『飯塚綾子さん(田口八重子さんの義姉)の訴え』

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こんにちは。
今日はたくさんお集まりくださいましてありがとうございます。
私は田口八重子の2番目の兄の妻の飯塚綾子と申します。
よろしくお願いします。

田口八重子は(昭和)53年6月に、池袋から2歳と1歳の子供を残したまま北朝鮮に拉致されました。
私は(昭和)51年に結婚しましたので、妹とは1年半くらいの付き合いと言うか、1年半くらい知っているんですけど、妹の性格は私が初めて会った時、私より8歳年下なんですけど、かなり親しげに話してくれる人懐っこい性格だったと思います。
会ったのは何回しか無かったんですけど、きれいにお化粧していてスタイルが良くて、若くてきれいなお母さんだなと思ったのを覚えています。
これからもどうぞ、ご支援よろしくお願いします。(拍手)

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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南越谷集会(2)井上克美さんの紹介

★鈴木智さん

『特定失踪者・井上克美さんの紹介』

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続きましてこちらのパネルをご覧頂きたいんですけど、同じく川口市内から失踪いたしました井上克美さんです。
職業は電気工事士でございます。
昭和46年12月に川口市内でこの会社の忘年会がございまして、その忘年会の時にですね。
友人と別れて行方不明。
自宅には長男が誕生する数日前だったので、自分の意思でいなくなるというのは考え難いわけです。

・・・・・・・・・・・
氏名 井上 克美
失踪年月日 昭和46(1971)年12月29日
ふりがな いのうえ かつよし
生年月日 昭和25(1950)年6月8日
性別 男 当時の年齢 21
身長  体重
公開 第4次公開
当時の身分 電気工事店勤務
特徴
失踪場所 埼玉県川口市
失踪状況失踪当日会社の忘年会の後、川口市内の飲食店で飲み(午前0時~1時)、すし屋で食事をした後友人と別れた。当時泥酔状態。夜帰宅しなかったので翌30日前実家にtelがあり両親も知った。妻の話では正月は家に行くと言っていたので実家に帰っているのではと思いtelしたとのこと。運転免許の更新もなし。連絡も一切なし。長男が生まれる直前だった。

特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会HPより
http://chosa-kai.jp/index.html 

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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南越谷集会(2) 大澤茂樹さん

   『大澤茂樹さん(特定失踪者・大澤孝司さんの兄)の訴え』

ただ今ご紹介にあずかりました、私、特定失踪者・大澤孝司の兄で大澤茂樹と申します。
本日は、埼玉の東部第一回の集会に参加させていただきまして本当にありがとうございます。
私ども兄弟は3人で、一番上の兄は新潟市で家業の跡をとっており、私は次男で横浜市瀬谷区に在住している関係上、埼玉の救う会の皆様には日ごろから大変にお世話になっております。
そういう関係で本日は埼玉救う会の古藤さんに(声をかけていただき)、私の弟はまだ特定失踪者の身でありながらこのような貴重な時間を頂き、私まで訴える時間を割いて頂きまして埼玉の救う会には本当に感謝申し上げます。
ありがとうございます。

私が、拉致されたのは一番下の弟で、新潟県の佐渡島で赴任中、曽我さんたちより約2年半前の事件になります。
私はこのようにして越谷市民の皆様方にお会いするのは初めてであり、おそらく私の弟の拉致の内容についてはご存知の方はお出でにならないと思いますので、ちょっと話がくどくなるかも分かりませんが、弟が失踪した時の状況よりお話をさせて頂き、ご支援を頂ければ幸いに存じます。

弟隆司は昭和49年、1974年の2月の24日、新潟県の佐渡島で曽我ひとみさん・ミヨシさん親子が拉致された真野町の現場から7~8キロしか離れていない、トキの保護センターのある新穂村と言う所で北朝鮮に拉致された疑いが濃厚となっております。
失踪時27歳の独り者で、新潟県庁の出先機関であります佐渡の農地事務所に勤務する新潟県庁の職員でございました。

事件当日は日曜日で寄宿舎の仲間と卓球で遊び、午後から一人で隣の金井町と言う所に遊びに行き、その帰り寄宿舎に戻っても寄宿舎の食堂が休みとなってい事で、行きつけの飲食店に夕飯を食べに行き、若干アルコールも取った様でございますが、そこの店を7時半ごろ出るとき店の女将さんに、「ああ飲んだし、食べたし、これから寮に帰って寝るか」と、いつもと変わらぬ様子で挨拶を交わし、そこの店を出て帰宅途中知人宅に立ち寄り2~3分話をした後帰ろうとした所、その知人宅も飲食店を営んでおり、弟の後を追ってきた2~3人の仲間かまたそこの店に入ろうとしていたお客さんか定かではありませんが、弟が出ると同時に店に入るのをやめ弟の後を追ったようで、それから間もなくして車が急発進するタイヤの軋む音を、そこの女将さんともう一人近所のおばさんが聞いたのが最後で、その後の足取りはつかめておりません。

翌日その車が急発進したと思われる周辺からハングル文字のマッチが一つ見つかっただけで、それ以外の証拠物は何一つ見つかっておりません。
またその知人宅から寄宿舎までの距離は200メートル足らずで、その間に海があるわけじゃなく流されるような大きな川もなく、周りはその当時田んぼと畑が多いような非常に長閑な所で、突然大の男がそこから消えると言う事は不自然であり、佐渡の両津警察さんの方から佐渡警察始まって以来の大掛かりな捜索と、新潟県の方と私どもの方でお願いした捜索隊も加わり、くまなく佐渡中捜索するも弟を見つけ出す事も、失踪する理由さえ掴む事は出来ませんでした。

私ども家族は、こんなに大掛かりな捜索をして頂いたにも拘らず見つからないということは、神隠しにでも遭ったものと諦めもしておりましたが、その後の情報によりますと、曽我さんたちと同じような手口で北朝鮮に拉致されている疑いがあるという情報を頂き、私どもは新潟県警の方に再調査を要請。
それと同時に特定失踪者問題調査会、この後ご講演されて頂く荒木先生の元にお願いし調査して頂いた所、弟隆司は北朝鮮に拉致された以外に佐渡島から失踪する理由は何一つないということで、平成15年の9月調査会の認定を頂き、また調査会の中の拉致の疑い濃厚な000番台リストにも載せて頂く事が出来ました。

一方日本政府は証拠不十分とし、今現在も新潟県警の方で再調査が継続されておりますが、同じく15年の10月に新潟県の定例記者会見の場におきまして、私の弟ともう一人山梨県甲府市で、図書館に行くと言って自宅を出たまま行方が分からず、4日後柏崎の荒浜海岸。
この荒浜海岸というところは蓮池ご夫妻が拉致されたすぐ隣の海岸でございます。
その荒浜海岸で4日後セカンドバッグが見つかった山本美保さんの二人は、拉致の疑い濃厚と言う新潟県警の異例中の異例の見解を頂くことが出来ました。

そして年が替わり平成16年の1月、その時点で調査会の中の拉致の疑い濃厚な16名が一斉に、法律家の会の先生方のご援助を頂き、拉致されたと思われる各都道府県の県警本部に被疑者不肖のまま、国外移送目的略取容疑で告発状を提出。
それと同時に日弁連の人権擁護委員会に、人権救済を申し出る手続きを取って頂く事が出来ました。

そして年が替わり平成17件の3月、人権擁護委員会の方で調査し、16名全て全員が拉致の疑いが高いという事で日本政府と警察庁の方に人権救済の要望書を提出していただく事が出来ましたが、いまだにこの16名の中で一人も日本政府の認定には至っておりません。

またすぐ隣の川口市で失踪した藤田進さん、そして千葉で失踪した加瀬テル子さんの顔写真が一昨年、脱北者の手によって北朝鮮から持ち出され、法医学の権威者であります橋本先生がその写真を鑑定した結果、本人に間違いないと言う鑑定を頂いているにも拘らず、日本政府はこの二人さえ拉致認定には至っておりません。
何なんでしょうか?
これ以上拉致害者が出たら困る事でもあるんでしょうか?
私は拉致は人権侵害であり、決して許すわけには行きません。

今ある日忽然と行方不明になり、拉致の疑いが排除できない470名のご家族が荒木先生の元に調査依頼が出され調査した結果約250名の、このポスターにも掲載されておりますが、約250名の方々が特定失踪者としてこのように公表されております。
私はこの中で実際に何人の方々が北朝鮮に拉致されているか想像も付きませんが、北朝鮮の研究者によりますと少なくとも100名から150名は拉致されていると言うことであり、まだまだこんなにたくさんの拉致被害者がいるという事を知って頂きたいと思います。

北朝鮮は国家として国として偽札を作ったり偽タバコを作ったり、また麻薬まで作っているような国でございます。
そんな国を相手に話し合いだけの拉致問題の解決が付くんでしょうか?
私は交渉するだけ無駄だと思っております。
今北朝鮮に拉致されている拉致被害者は、日本政府が認定している11件16名の他に、まだまだこんなにたくさんいるという事を知っていただき、私はですね。
この拉致問題を一刻も早く解決して頂くには、今世界中の国々がですね。
北朝鮮の大量核兵器の開発を断固阻止しようと包囲網を狭める中、今こそ日本政府は毅然とした態度でありとあらゆる手段を用い解決して貰わなければならないと思っております。

既に特定船舶入港禁止法で万景号の入港禁止措置が講じられ、また明日からでも一部の金融制裁の発動がなされるとニュースで聞いておりますが、経済封鎖の出来る物は全て経済封鎖をしていただき、金正日体制の崩壊をしなければ、私はこの拉致問題の完全解決は有り得ない物と思っております。

拉致被害者と拉致被害者家族は年々老いており、私のところも例外ではなく弟は今年の6月で還暦となりました。
また母親は既に(昭和)63年に他界しましたが、今現在96歳になる父親は今のところ健在でございます。
せめて父親が元気なうちに弟ともう一度再会を果たしてやりたく、それにはもう時間がございません。
もうこれ以上待てません。

近々、この26日にも安倍新政権が誕生するものと思いますが、私は安倍新政権に期待しております。
安倍さんならきっとこの拉致問題を全面解決してくれると思っております。
ですからこの拉致問題を解決するには更なる皆様方のお力で安倍新政権にバックアップをして頂き、一刻も早く解決して頂く為に更なる皆様方のご支援とご協力をお願いしまして、甚だお粗末ではございますが私の訴えとさせて頂きます。
今後とも宜しくお願い致します。(拍手)
 

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