南越谷集会(8)荒木和博氏-1
『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表の講演 その1』
今日は天気のお悪い中、多数の皆さんにお集まり頂きましてありがとうございました。
私、特定失踪者問題調査会の代表をしております荒木でございます。
今日は本当はうちの専務理事の真鍋が来ることになっておりましたんですが、ちょっと変えられない用事が出来てしまいまして、私がピンチヒッターで参りました。
ちょっと期待をされていた方には申し訳ないんですが、お許しいただきたいというふうに思います。
今日、これから画面を使いましてお話させて頂きますが、その前に今佐藤さんのお話の中で極めて重要な意味がございます。
というのは、我々どうしてもこの拉致問題という事で見るときにですね。
日本人の拉致のことばかりどうしても目が行ってしまう、と言うことでございまして、そうするとこの方々を取り返すということだけに視点が集中するんですけど、実はこのことだけに視点を集中させることが逆にですね。
問題の解決にとって決してプラスばかりではない、ということもあるんですね。
この先ほど佐藤さん仰ったように拉致問題の一番の根源と、それから北朝鮮の人権問題の根源はどちらも全く同じでございます。
私の話の結論にもなりますが、この問題の解決というのは北朝鮮の体制を変えてしまう以外にですね。
いかなる解決の方法もありません。
途中でですね。
金正日がごめんなさいと言って拉致被害者を皆返してくるということは絶対に有り得ないことでございまして、我々はその点は覚悟していかなければいけない。
私自身も北朝鮮の人権問題というのは最初からやっていたわけでもございません。
拉致問題で横田めぐみさんのご両親と一緒に動くようになり、やがて家族会が出来て、そして一緒にですね。
家族会の方々と救う会の活動をやるようになり、そういう中で韓国の拉致被害者のご家族の皆さんと一緒にやることになってですね。
実は救う会の最初の署名用紙というのは「北朝鮮に拉致された日本人を救出しよう」と言うような事になっておりました。
これが韓国の被害者の方々と一緒にやるようになって、「北朝鮮に拉致された人々を救出しよう」ということになり、その署名用紙の中に、韓国人の拉致の事が書かれるようになりました。
私自身、それをやっていく中で今度はですね。
北朝鮮の人権問題というのを、やはりこの深刻さと言うものを考えるようになって参りました。
ここにおいでの皆さん、それぞれに拉致問題に関心があってお出でだと思いますが、機会がありましたら北朝鮮から脱北した方々、姜哲煥さんですとかそういう方々がですね。
一体北朝鮮でどういう酷い目に遭って来たか?ということを、ぜひ一度本をお読みいただければというふうに思います。
必ずそうするとですね。
こういう体制だから拉致が起きるんだということがお分かりになる、というふうに思います。
私もそういうことでやって参りまして、本当にやるにつけですね。
今年も9月になってしまいましたけども、毎年冬が近づきますとまたこの冬が過ぎる頃までにはですね。
子供たちが何人も死んでいくんだろうなという思いをせざるを得ないわけでございまして、そういうことも含めて全ての拉致の解決が必要であろうというふうに思う次第でございます。
これからちょっと画面の方を見ながらご説明をさせて頂きます。
この拉致問題を考える上で是非とも一番ご理解いただきたいと私が常々言っている事なんですけど、これはですね。
救出運動と言うのは被害者の方々とかそれからご家族の方ですね。
皆さんが可哀想だからやるんではない、と言うことでございます。
これはあくまで自分とかですね。
それから自分の家族を守る事につながるものなんだ、ということでございます。
これ、どういう意味か?
今拉致をされている方々を助ける事が出来なかったらば次はここにおられる、今日は特定失踪者のご家族・拉致被害者のご家族の皆さんがいらっしゃいますが、全くそうではないと思っている方でもその後家族が拉致をされる可能性がある、という事でございます。
もともと拉致被害者の方々と言うのは誰一人としてですね。
自分がまさか北朝鮮に拉致されるなんてことを思っていた方は一人もいないわけでございまして、そういう方々が拉致をされている。
ですからその対象になる可能性はどこにでもある、という事でございます。
それから拉致以外の別の主権侵害ということがですね。
これ北朝鮮以外の国によって行われるかもしれない。
ひとつの例としてはこの間のロシアの漁船に対する銃撃なんかがございましたが、日本が何もしないという事であればですね。
周りの国と言うのは当然、じゃあもっと踏み込んで何かしても良いだろうと、いうふうになってくると。
これは竹島の問題もそうですし、あるいは尖閣の問題もそうですし、みな同じです。
ほったらかしても何もしない国だと思われてしまえば、その次にまた別のことをされるということ、でございます。
被害者とか家族が可哀想だからという思いだけ、これは私自身もここから入ってますので、これ自体を否定するわけではないんですが、これだったらどうなるか?
すると、北朝鮮が例えば日本にミサイルを発射するぞと、同じことは今でもずっと言っていますが例えばこうやってですね。
何月何日にミサイルを発射するぞというふうに例えば言ったとした時に、こういうふうになるだろう。
被害者とか家族の人たちも可哀想だと。
可哀想だけども、しかしそれを助けようとしてもっと被害が出たら困るじゃないか?と。
そうするとどうなるか?
じゃあちょっと拉致のことを言うのは止めておこうと、もうちょっと控えておこうという話になる。
で、そうするとどうなるか?というと、恫喝すれば効果があるんだなと北朝鮮は学習するわけです。
そうするともっとですね。
じゃあミサイルを撃つのを止めさせようと思うんだったらばこれこれこういう事をしろと。
例えば今であれば経済制裁を解除しろとか、そういうふうに言ってくる。
経済制裁を早く解除すれば話し合いに乗ってやるぞというふうに言われた場合に、日本の中で当然ですね。
これ拉致問題の解決のためにも話し合いに乗っかった方が良いんじゃないか?と、その為には経済制裁一度止めても良いんじゃないか?という声が出てくる可能性があります。
そうなると北朝鮮はどうなるか?というと、日本が良い事をやってくれたと。
だからこっちも誠意を見せよう、ということには絶対になりません。
どうなるか?というと日本はミサイルを撃つと言ったらこれだけ譲歩したと、じゃあ次何かあったらもう一回言ってやろうと、もっときつい事を言おうと。
そうするともっと譲歩するに違いないというふうに思ってくるわけでございまして、結局問題は進行化していくと言う事なんですね。
これひとつ、拉致の中の例でございますけど、原敕晁さんの拉致事件というのがございました。
昭和58年の6月ですね。
ちょうど田口八重子さんと同じ頃になりますが、原さんは大阪市内の中華料理店の店員でした。
58年の6月に騙されて宮崎県の青島の海岸に連れて行かれまして、そしてその工作員、辛光洙と言う工作員が原さんに成り代わって、全く他人なんですが原敕晁としてスパイ活動を続けて参りました。
そして昭和63年にこの辛光洙は韓国に入国して逮捕されます。
で、原さんを拉致したという事を自供します。
平成14年ですね。
14年になって小泉訪朝で初めて北朝鮮は原さん拉致を認めると。
これまでは韓国であれだけ証言しているにもかかわらず、原さんの拉致と言うのは一切認めませんでした。
翌15年に中華料理店の店主らを原さんの拉致の実行犯として、大阪の吉田府議あるいは八尾の三宅市議がですね、告発をする。
そして18年、今年になってから中華料理店とか大阪朝鮮総連の関係施設を家宅捜索しました。
しかし、今もですね。
猶原さん拉致に関する犯人は一人も逮捕されていません。
それからもちろん、原さんは帰って来ていない。
北朝鮮は死んだと言っています。
実はこの原さんの事件だけではなくて、いまだにですね。
一人として拉致事件の加害者として罪を問われた、略取誘拐で何年間と言う罪を問われた人間というのは一人もいません。
政府認定16人いますけども、その誰についても事件は立件されていない。
つまり、拉致と言うのは過去の事件ではなくて現在と未来にかかわる事件であるという事です。
全く誰も捕まっていないという事は北朝鮮に対してどういうメッセージになるか?と。
ああ、日本という国は拉致をやっても誰も捕まらないんだと、安心して出来るんだというふうになるわけです。
安心して出来るという事になるとどうなるかと言うと、またやるという事に当然つながって参ります。
2週間くらい前だったと思いますけどフジテレビの報道でですね。
スイスで拉致じゃないか?というような動きのですね。
ちょうどたまたまテレビのスタッフが調べていたらば、スイスの大使館でパーティーやるんで来ないか?と言うふうに誘われたと。
自分たち行かなかったけれども、その後誘った相手を尾行して行ったらば、途中で田舎の駅でですね。
車に東洋系の女性、おそらく中国人だと思いますが、女性とですね。
そして西洋人の男性を乗せてそして北朝鮮の大使館に入って行ったと。
後でここでパーティーがあるんだと聞いたんだけどもと言ったら、誰も入って来ていないと。
そんな事は無いと、いうふうに答えられたという報道がございました。
ご覧になった方もおられるかもしれませんが、あれが拉致であるというふうに断言は出来ないんですけども、最初ですね。
このテレビのスタッフから電話を受けまして、実はこういうことがあったんですと、いうふうに向こうが聞いてきたときはですね。
どうも局の中で話をしたけれども、何か半信半疑だったそうであります。
私はですね。
話を聞いて、ああ連れて行かれなくて良かったですね、と言うふうに申し上げたんですが、どういう形か分かりませんがやはり人間を連れて行こうとしたんであろうと。
本人たちがあるいはひょっとしたら留学などとして行ったのかも知れませんが、いずれにしても少なくとも正しい方法ではなく人を連れて行こうとしたんではないだろうか?
あるいは連れて行こうとしたんではなくても、中で協力者を作ろうとしたんではないか?という事で、基本的にはやってる事は全く変わりません。
だからこれから先も拉致をやる可能性は十分にある。
そのときに今まで政府が認定している人の犯人を捕まえていないということ事態がですね。
北朝鮮に対して大変誤ったメッセージを与えるという事になる、ということであります。
この写真は富山県の黒部川の河口でですね。
発見された水中スクーター、今から6年前ほど前に発見されたものであります
平成11年から12年の間に埋められたものなんですが、全長160センチで重量78キロ。
写真の左上に取っ手みたいな物がありますが、ここに捕まって工作員が移動するために使うものです。
見つかった場所はこういう場所なんですが、もちろん夜は本当に人通りが無い所なんですけど、非常に開けた場所です。
左下のこの写真の砂地のあたりに埋めてあったものが、雨で砂がだんだん露出していって見つかったという事で、これは本当につい最近こういうことが行われていた、いうことになります。
それから今のはつい最近ですが、これはすでに40年以上前、能代事件と言う公安関係者の中では有名な事件がございます。
秋田県の能代の海岸に2回に亘って工作員の死体ですとか、あるいはこういうゴムボートとか装備が打ち上げられたという事件です。
その装備はこういうピストルですとか、あるいは上陸したときに一般の民間人を装う背広ですとか、様々なものが打ち上げられておりました。
これはたまたま失敗したからこういうふうになっているわけであって、大部分の侵入は成功しますから。
つまりこういうですね。
ピストルを持ってごく普通の民間人の格好をした人が日本国内を平気な顔をして歩いていると、これは「いた」ではありません。
歩いて「いる」と言う事であります。
日本の海岸と韓国の海岸ですね。
こうやって比べてみると分かるんですが、韓国の海岸と言うのはこうずっとですね。
鉄の柵が巡らされています。
下の写真の左のですね。
端の方にちょっと小屋のような物が見えますが、これは韓国軍の警備歩哨です。
夜になりますとここにですね。
実弾をこめた銃を持った兵隊が立って、そして警戒をすると。
海は船がパトロールをすると。
そういうところでも平気で北朝鮮の工作員と言うのは入ってくるわけです。
今は韓国の政府がめちゃくちゃですからこんな事をしなくても入って来られますが、おそらくそれでも入ってはいるだろうと思います。
で、これと日本の海岸とを比べてみれば、一目瞭然なんですが日本の海岸と言うのは全くですね。
警備をしていない。
鉄の柵も無ければ、自衛隊員が警備をしているわけでもありません。
ちなみに今、陸上自衛隊のですね。
隊員と言うのは約16万くらいですから、これを例えば張り付けて休みも何も関係なく守らせようとして、どれくらいの範囲を守れるか?と言うと、全部投入して青森県くらいが精一杯と言う事だそうです。
全く出来ないということであります。
先ほどお話をされました、大澤さんがいなくなった佐渡と言うのはですね。
形を思い出していただければ分かるように、面積の割りに非常に海岸線が長い。
しかも人口が少ない所でして、船の上陸とかですね。
進入と言うのはきわめて簡単な場所だというふうに思います。
これは皆様も本屋さんで手に入りますので、立ち読みでも結構ですから一度ご覧頂いたら良いと思うんですが、「我が朝鮮総連の罪と罰」と言う本がございまして、これ韓光熙(ハン・ガンヒ)、ハンは韓国の韓に光にヒは朴正熙の熙ですが、と言う元朝鮮総連の財政局の副局長ですね。
この人が一人で設定した進入ポイントです。
全国を回りまして海岸で、こういうところなら入りやすい、ここだったらば入っていく方が目印になる。
それから待っている方は見つかり難いという場所を探した場所が、鹿児島から北海道まで38ヶ所、載っかっております。
で、大澤さんのいなくなった佐渡も2ヶ所か3ヶ所確かあったと思いますが、これだけの場所を一人で設定したと言う事であります。
あくまで一人です、一人。
こんなことをやったのは一人だけではありません。
何十人もの人がやっているわけですから、何百ヶ所もですね。
おそらく太平洋側も含めて進入するポイントがあったのであろうと、あったというか、あるのであろうというふうに思います。
ここから自由に出入りして、そして時には人を連れ出しあるいは拉致して行き、または弾薬を持ち込んだり武器を持ち込んだりとかですね。
あるいは日本の機密情報を持ち出したりとか言う事をやっていたという事であります。
これはもうご覧になった方もおられると思いますが、今から5年前の九州南西沖の工作船事件で沈没した北朝鮮の工作船でございます。
この船はですね。
船の事に詳しい方は見て頂ければすぐにお分かりと思いますが、非常に切り立ったV字型の船首をしております。
これは漁船の形とは全然違うんでありまして、ともかく如何にスピードを出せるか?ということだけを考えて作った船です。
で、この船で40ノットくらいのスピードが出ます。
この船の後ろが開きまして、そこからこの右側の工作小船というふうに言いますが、ちょっと一見するとポンポン船のように見える小さな船が出てきます。
この船は何でもない船みたいに見えますが、実は50ノットくらいのスピードが出る非常に高性能の船でございまして、これで海岸近くまで行ってからこの下のゴムボートですとか、あるいは先ほどの水中スクーターで上陸をするというふうになっています。
今の船にはですね。
対空機関銃とかあるいは地対空ミサイルとか、そういうですね。
様々な武器が積んでございます。
あの時はこの船はですね。
元々海上保安庁の船か銃撃は受けてもちろん破損はしているんですが、それで沈んだわけではありません。
そのまま逃げられれば逃げられたかも知れませんし、あるいはもっと反撃出来たかもしれませんが、船底に穴を開けてですね。
そして沈んでいったという事でございます。
我々は日本という国は平和だと思っておりますが、この平和な日本に自分で死ぬ事を覚悟して、そして非常に重武装の武器を持ってですね。
入ってくる人間がいるんだという事だけは、我々は覚えておく必要があります。
で、今お話したのは海岸線のお話です。
しかし、埼玉は言うまでも無く海がございません。
海が無ければ大丈夫じゃないか?と言うふうに考える方もおられるかもしれませんが、そう思うとですね。
なんで川口であんなにたくさん人がいなくなっているんだ?ということが、理屈が分からなくなる訳でございます。
問題は海岸だけが危ない、と言うことではないという事なんですね。
イメージとしてはこの拉致と言うのは、海岸で待ち伏せされてそして袋に詰められて連れて行かれると言う事があります。
しかしこれは完全な思い込みです。
田口八重子さんだって全然海でやられているわけでも何でもない。
連れ出されている場所は皆さん当然海ですが、しかしそこに行くまでの実際の拉致というのは、誰を拉致するか?ということを時間を掛けて調べて、そして騙して連れて行くと言う事の方が多い、と思われます。
全く海岸で待ち伏せされてというのが無いとは言えないと思いますけども、実際にはそれほど多くは無い。
先ほどの原敕晁さんの事件だって連れて行かれたのは青島海岸ですが、実際の拉致の舞台は大阪市内ということになるんです。
内陸での拉致をするためには当然・・・(聞き取れず)スパイとか協力者が必ず必要になります。
しかし先ほど言いましたように、誰一人として罪に問われた人というのはいません。
これまで拉致の実行犯として逮捕された事があるのは、久米裕さんの拉致。
久米さんと言うのは東京三鷹市(役所)のガードマンですけども、この人の拉致における東京のサラ金業者の李という男ですが、これだけです。
しかしこの李と言うのは結局ですね。
起訴されませんでした。
警察はしたかったようですけども検察が言う事を聞かなくて、結局不起訴処分で終ってしまって今でもこの人物はですね。
東京の今は現西東京市で普通の市民として、一回も罪を問われたことなく暮らしております。
・・・その2に続く・・・
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