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2007年1月24日 (水)

東京連続集会24(2)

 
  松本京子さん家族の思いを聞く 東京連続集会24
07.1.18 友愛会館にて

『松本孟さん(松本京子さんの兄)の訴え その1 (聞き手:増元照明さん)』

※松本京子さんについての基本情報を、特定失踪者問題調査会HPより引用させていただきました。
テキストをお読みになる前にご覧ください。
http://chosa-kai.jp/index.html

氏名 松本 京子
失踪年月日 昭和52(1977)年10月21日
ふりがな まつもと きょうこ
生年月日 昭和23(1948)年9月7日
性別 女 当時の年齢 29
身長  体重
公開 第1次公開
当時の身分 会社員
特徴
失踪場所 鳥取県米子市自宅近く
失踪状況 自宅近くの編み物教室に行くと夜8時頃家を出る・普段着で現金も持っていなかった。この夜、自宅から約200メートル離れた松林で松本さんと思われる女性と2人の男が話をしているのを近所の人が目撃、「何をしている」と声をかけると、2人のうちの1人の男がこの人を殴り、額に数針縫うケガをおわせた。その直後、片方のサンダルを残したまま2人の男と松本さんは姿を消した。そのまま帰らず。平成16年1月29日、鳥取県米子警察署に告発状提出。平成18年11月20日、政府が拉致被害者と認定。

・・・・・・・・・・・・・

★増元照明さん

それでは今日の集会の一番のメインですが、松本京子さんの失踪事件についてこれから私とお話をお伺いしたいと思います。
今日はこちらにわざわざ松本京子さんのお兄さんであられる松本孟さんにお出で頂いています。
よろしくお願いします。〈拍手〉
すみません、まず松本京子さんの失踪事件と言うのを、ちょっとお話いただけないでしょうか?

★松本孟さん

失踪ですけども、妹の京子はですね。
29年前の1977年10月21日の午後8時ごろ、母親に「編み物教室に行く」と言って家を出たまま行方が分からなくなりました。
編み物教室には週に3回、熱心に通っておりましたので、ある意味その、行動パターンが読まれていたわけですね。
という事もあると思うんですけど。
ちょうど自宅のすぐ近くの住宅の裏で、妹らしい女性と若い男と二人と言い争っているのが目撃されていますが、目撃した人(によると)男たちに頭を殴られて最後は海の方に立ち去っていきました。

私たちの・・・(聞き取れず)は日本海の海岸のすぐ近くですので、拉致されたとみられる現場には妹のサンダルの片方だけ残されていました。
それっきりです。
母は必死で捜しました。
海岸沿いを「京子!京子!」と叫びながら、来る日も来る日も捜し回りました。
近所にも聞いて回りましたけども、捜しても捜しても何の手がかりもなく次第に月日も流れてしまって、母親は京子の事を口にしなくなりましたし、家族も触れてはいけないような雰囲気なので、それ以降本当に、妹の事は心配なんですけども親子としてそのことに触れることなく20数年間、こうやって暮らして参りました。

★増元さん

まずはそれでは拉致の事件の日の様子は分かりましたが、松本さんのところは家族構成はどうなっているんですか?

★松本孟さん

ええと、妹が拉致されたときはですね。
妹と母親と二人暮らしでした。
私と家内と子供は別の場所に生活していましたので。

★増元さん

お父さんは?どうされました?

★松本孟さん

妹が拉致される3年前に亡くなっています。

★増元さん

ごきょうだいは?

★松本孟さん

私と妹と弟と3人です。

★増元さん

で、京子さんとお母さんの三江(みつえ)さんが一緒に暮らしていて、そういう状況になった?

★松本孟さん

はい。

★増元さん

松本京子さんて、僕たちはよく名前は存じ上げてはいるんですけれども、いつからその北朝鮮による拉致というのを意識されましたか?

★松本孟さん

あの、多分皆さんご承知だと思いますけども、例の北朝鮮のいわゆる北朝鮮の大韓航空機事件。
これがですね、1987年爆破されましたときにリ・ウネさんの顔写真が出てまいりました。
それを見たときに、もしかしたらここかな?と。
そして1990年に福井県沖の不審船、これくらいのスピードがあればおそらく逃げられるだろう。
いうような事を思って、まず北に間違いないだろうと、その時に確信しました。

★増元さん

大韓航空機のときは確かにアベック3組の女性の名前が出されましてね。
私たちは当時から確信はしていたんですが、でも北朝鮮による拉致と言うのは余りにも唐突なんですけれど、それじゃその以前から北朝鮮による拉致ではないか?というような意識はあったんですか?

★松本孟さん

いや、そこまでは思ってなかったです。

★増元さん

思ってなかった?
大韓航空機と不審船を見て、で確信されたわけですね?

★松本孟さん

はい。

★増元さん

それも凄いですね。
やはりそう思った気持ちは何ですか?

★松本孟さん

・・・(聞き取れず)はわかりません。
わりと私ら小さいときから、こういう何といいましょうか、北の人たちがおるというというのは聞いていましたので、ひょっとしたらひょっとするのかな?と。

★増元さん

北の人間が侵入してくると?

★松本孟さん

そういう事です、そういう事になります、はい。
それはありましたですね。

★増元さん

その時に、1995年当初から拉致されたと。
家族会が結成されたのは1997年なんですが、家族会の活動に関してはご存知でしたか?

★松本孟さん

いや、全く分かりませんでした。
全然知りませんでした。

★増元さん

知らなかった?ああそうでしたか。
それだったら、もしご存知だったらその当初から・・・・・・・・(はっきり聞き取れず)

★松本孟さん

そうです。
もう当然、そうなっていたと思います。

★増元さん

2002年の9月17日まで、家族会の存在は全く知らなかった?

★松本孟さん

全く知りませんでした。

★増元さん

そうですか、ということらしいですけども。
それだけ報道が少なかったという事なんでしょうが、それだけ1995年に確信されていて、その後、京子さんの救出のためにどこかに訴えられたというような事はありましたか?

★松本孟さん

あの、全くそういう場所が無かったですね。

★増元さん

警察にはご相談になりましたか?

★松本孟さん

もう、警察は全く取り合ってくれませんでしたね。

★増元さん

失踪当時も、全然じゃあ取り合ってくれなかった?

★松本孟さん

そうです、もう何にも。

★増元さん

じゃあ、単なる家出人として。

★松本孟さん

そうです、家出人として捜査されただけ。

★増元さん

家出人として処理されて、北朝鮮の拉致の疑いがもたれたときにも結局取り合ってくれなかったと?

★松本孟さん

そうです。

★増元さん

なぜ?取り合ってくれなかったんでしょうか?

★松本孟さん

その辺は、私もあまり詳しい事は分からないですけどね。
いまだに警察の方は(自宅に)来られるのは来られるんですけども、事件としての内容的な事は実はまだ知らない。
ただそれを捜査中・・・(聞き取れず)。

★増元さん

それはそうでしょうけど、鳥取県警ではいつから拉致と言うのを意識し始めたと言うような事も聞いていらっしゃいますか?

★松本孟さん

それは捜査関係者の話では、大韓航空時事件のときにもう一回洗いなおしていると、そっちがあるという事は聞いています。

★増元さん

あ、そうですか。
と言うのが事件の概要です。

それではまず京子さんと言うのはそれじゃどういった方だったのかお聞きしたいんですが、孟さんとはいくつ違いの?

★松本孟さん

一つ違いです。

★増元さん

じゃあ、もうずいぶん親しい?

★松本孟さん

そうです。
ほとんど同じようなものですから、当然・・・(聞き取れず)

★増元さん

どのような方だったんですか?

★松本孟さん

子供のときっていうのは、私も余りちょっと記憶がよく無いんですが、社会人でしょうか。
大人になってからというのはもうちょっとその、学生時代と言うのも結構私もなんとなく今思うと、喧嘩だけして暮らしていたような記憶があるんですね。
喧嘩だけは、そこの所だけは覚えているんですけども、後は余り覚えていないんですが。(会場、笑い声)

★増元さん

そうですか。
手は出されたんですか?

★松本孟さん

いやしません。
そこまではしていません。(笑い声)

★増元さん

言い合いをしたと?

★松本孟さん

そうですね、言い合い・口喧嘩ですね、今ですと。
そこだけは覚えていますね。
大体社会人になってかは、自分で稼いで旅行に行ったり。
特に妹は歌手の船木一夫さんが好きだったようで、今日はここには持ってませんけども、もう一つのアルバムに兵庫県で公演があったときなんかの写真も残ってますから、だいぶ回数は行ったみたいです。
まぁ、いろんなところに旅行をしたりなんかして、よく出歩いています。

特別変わった事はしていませんけども、本当に普通の、母親のいう事を聞いて。
休みの日には母親の畑の手伝いをしたり、家の掃除をしたり、そういった本当にどこにもあふれているようなごく当たり前の娘だったと。
子供が非常に好きだったもんで、隣近所と言わず連れては遊んでいたと言う記憶がございます。

★増元さん

当時会社員という事ですが、ご自宅の方は農業の方も?

★松本孟さん

そうですね、農家です。
・・・・・・(聞き取れず)をしています。

★増元さん

その、農業の方はお手伝いをされていたんですね?

★松本孟さん

そうですね、手伝いですね。

★増元さん

ずっと、高校を卒業されてからですか?

★松本孟さん

中学で終っています。
それからずっと勤めながら、会社に勤めながらです。

★増元さん

その会社と言うのは、普通の会社とは?

★松本孟さん

当時○○商事といいまして、非常に大きな縫製工場でして、学校終って女性があこがれる職場だったもんで、まあ、運よく勤めさせていただいたと。

★増元さん

ここにある一枚の写真、これはおいくつ位のときですか?

★松本孟さん

20歳くらいではないでしょうかね?これは。

★増元さん

そうですか。
口喧嘩を良くされたという事ですけども、それだけ多少気が強かったという事でしょうか?

★松本孟さん

それは性格は非常にきついものがあります。
私が口から言い難いんですけども(笑い声)、本当、私もしょっちゅう負けていましたから。(笑い声)

★増元さん

理屈で負けたと?

★松本孟さん

まぁ、そうです。

★増元さん

そうですか。
大体世の中の女性は厳しい方がいらっしゃいますので、男性はその点では弱いところですけど、理論で勝つんですけど勢いで負けると。(笑い声)

で、あの、弟さんもいらっしゃったわけですよね?

★松本孟さん

そうです。

★増元さん

弟さんは当時はどこに行ってらしたんですか?

★松本孟さん

大阪に出ていましたので。

★増元さん

松本京子さんが拉致されて、1995年からだいぶ関心をされたと思うんですが、今京子さんは認定をされましたから、ずいぶんといろんな話が出ているんですよね。
拉致したときに、京子さんが二人の男性と話していたところを見た人がいる。
その時に朝鮮語のような言葉を使っていたと言う証言が出ていますよね?
ああいった事は、以前聞いた事があるんですか?

★松本孟さん

元々私の家の近くに、いわゆる朝鮮の方の住んでらっしゃる部落があるんです。
だから朝鮮語と言うか、そういう言葉を聞いたことはあります。
北朝鮮の言葉か半島の言葉か分かりませんけど、韓国語は聞いた事があります。
だから家の近くの人は韓国語とか、多分聞きなれている言葉です。

★増元さん

テレビの取材の中では松本さんの知人という、おじさんというかな。
近所のおじさんがその現場を見て、その時に朝鮮語を話していたような感じが。

★松本孟さん

そのようです。

★増元さん

そういうあれを受けていたんですが、という事は当時から警察はそれは当然聞きこみ、聞き込みもしていなかったという事ですか?

★松本孟さん

あのね、捜査記録が無いという事です。

★増元さん

ああそうですか。
各地でごまかすにはそう言う手段が。
捜査はしていなかったという事ですよね?

★松本孟さん

一応捜査はしているみたいなんですけど、その辺の詳しい事は警察は言わないんです。

★増元さん

じゃあ、そのおじさんの事情聴取を聞いた可能性もあるという事ですね?

★松本孟さん

まぁ、無かったら捜査にならないでしょうから、それは聞いていると思います。

★増元さん

それでもなお、あの話を聞いたときに、非常に北朝鮮による拉致と言うのを非常に疑うんですがね、僕たちはね。
朝鮮語の言葉をしていたと言うのと、担いで向こうに去っていったと言うのと証言までされているんですから。
そのような証言をもし得ていたとして、何も動かなかったとしたら、何なんなんでしょうね?
普通に聞いてもおかしいと思いますよね?どう考えても。
でも、警察が動かなかったのは何なんでしょう?

★松本孟さん

ちょっとわからないですね。

★増元さん

僕らにも理解が出来ないんですけど。
でもあの本当に・・・

★松本孟さん

あのね、妹原さんがそういう事を聞きに警察行ったとき、多分これは警察OBの方だったらしいんですけど、自分はこの事件の事を知っているんだと。
でもそれは話せないと。
でみんなで、・・・(聞き取れず)しまって、それで終ったと。

★増元さん

それは何年ごろ?

★松本京子さん

妹原さんが救う会の頃でしたから、7~8年前か、9年くらい前のことですね。

★増元さん

その時すでに警察からそういう話を聞いていたと?
しゃべれないのは多分公務員の守秘義務という事がありますから、しゃべれないんでしょうけれど、今その事は現役なんですか?

★松本孟さん

当時も現役だったかどうか、ちょっとわからないですね。

★増元さん

手記か何か残しておいてくれれば一番いいんですけどね。
その後2003年か4年くらいに金国石でしたか。
松本京子さんを清津の港で見たと言う話もありましたが、直接お会いしましたか?

★松本孟さん

はい、妹原さんと一緒に早速話を聞かせていただきました。

★増元さん

どういった内容でしたか?

★松本孟さん

まぁ、妹の特徴ですね。
妹は身長が155センチから160まで。
それから自分の好きな色、これがいわゆるピンク系の色が非常に好きな、服が多いという事ですね。
それからこれはなにか北朝鮮の方では手術して取るらしいそうですが、ちょうど額の眉間のところにあずきよりちょっと小さいくらいのほくろがあるんです。
これがあったと。

★増元さん

これは松本さんの方から、「こういったものがあるんですが見ましたか?」というふうに言いましたか?

★松本孟さん

それは私の方からは言っていません。

★増元さん

言ってない。

★松本孟さん

言われたら、こういうほくろが、このようなものがあったなとおっしゃった。

★増元さん

何で?どういう立場で清津で京子さんと会う?

★松本京子さん

清津のその軍の中に、何か知っている人がいましたって。
そこで中に一人か二人いたとか何とかで。

★増元さん

軍の大尉か何だったんですよね?

★松本孟さん

そうです。
それで入りやすかったんじゃないでしょうかね?
4回ほど行って、そのうち3回か4回見ている。

★増元さん

それで北朝鮮でもキョウコさんと呼ばれている。

★松本孟さん

そうですね。

★増元さん

キョウコと言うのは日本人の名前だから金国石は非常に不審に思わなかったんでしょうか?
なぜ日本人が?と。

★松本孟さん

それは言っていましたね。
日本人がなぜここにいるの?と。
ただ当時は金国石も日本語は余りちょっと分からなかったようで、多少片言の日本語くらいは分かったんでしょうけど、すべて妹が話すのが分かったようでもなかったようです。

★増元さん

軍関係者に、なぜここに日本人がいるかというのを、聞かなかったんでしょうかね?

★松本孟さん

いや、どうも聞いてないみたいですね。
本なんかを読んでも出てきませんからね。

★増元さん

不自然に思わなかったという事なんでしょうかね?

★松本孟さん

だから何か本人さんは京子を見たときに、北朝鮮の人間でないことだけは分かったらしいです。
ただ、それで非常に興味を持ったというようなお話でしたけどね。

★増元さん

その時にピンク系統の服を着ていたと言う事ですよね?

★松本孟さん

はい、そうですね。
それから編み物を、手袋ですよね。
寒いですから毛糸で編んだような手袋をつけていたと。
非常に北朝鮮人では無いというのは分かったんじゃないでしょうかね?
それで一応興味を持ったんじゃないでしょうかね?

★増元さん

なるほど。
それが2005年くらいですよね?

★松本孟さん

そうですね。

★増元さん

当然ご家族は(京子さんは)北朝鮮にいるというふうに。

★松本孟さん

そうです。

★増元さん

それで特定失踪者の中でもランクの高い1000番台になって、告発をされてずっといらっしゃったわけですが、この間やはり中々日本政府が認定してくれなかったですよね?
2002年の10月の末にクアラルンプールで開かれました日朝交渉、その中で松本京子さんとそれと田中実さん、それから北海道の小住健三さん3人は出しているんですね。
2002年の10月の末ですから、特定失踪者という言葉も何にも無いときです。
その時の10月末の日朝交渉の中で、その中の3人、田中さんと小住さんについてはこちらの方はご存知で、まず間違いないと思われたんですが、松本京子さんをそこでなぜそこで出したのか?
非常に不思議なわけですけど。

で、先日、去年私がワシントンに行った折に、斉木さんと一杯やりながらその話を聞いたんですね。
斉木さん日朝(交渉)の担当者でしたから。
「なぜ松本京子さん入ったんですか?」と聞いたら、「良く分からないです」と言ってるんですね。
で、「じゃあ、どこから聞くように言われたんですか?」と言ったら「多分警察庁だと思いますよ」というふうにおっしゃってます。
だから担当者にもあまり詳しい話をされないまま、当然田中実さん小住健三さんは当然当たり前のように拉致被害者であると私たちは。
松本京子さんはほとんど私たちの情報としてあんまり入ってなかったもんですから、なぜ松本京子さんを上げたのかなぁ?という、あったんですね。
あのときに日本政府は松本さんのところに何か、日朝交渉でこういうふうに聞きましたと報告か何かありましたか?

★松本孟さん

いや、全く無い。

★増元さん

その後の日朝協議、いろいろされてますけど、その後も全然松本家には?

★松本孟さん

全くございません。

★増元さん

何も無い?なるほど。
特定失踪者問題調査会から通じて、ある程度の情報が入ってきた、と言う(感じ)ですね?

★松本孟さん

はい。

・・・東京連続集会24(3)に続く・・・ 

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