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2007年2月17日 (土)

(3)2.12緊急集会中山恭子補佐官のお話(1)

   2007/2/12中山補佐官 緊急集会にて
 
 

 中山でございます。
今日は祝日の午後、大変貴重な時間ではございますが、このように多くの皆さんにお集まりいただきましてありがとうございます。心から感謝を申し上げます。
また、今日ここに来てくださいましたみなさまは、拉致問題に関しては非常に古くから、関心を持ち続けてくださり、そしてご支援いただいている皆様方だと思ております。
そのような方々とご一緒に、これからも対応するときには、皆様に今日はみなさまのお考えやご意見を是非伺いたい。一緒に北朝鮮に向けて全ての拉致被害者を返すように要求していきたいと思っておりますので、今日足をお運びいただきましたことを、まず、心から感謝申し上げます。

今日は家族会、救う会の緊急集会と言うことで、このような場でお話しできますことを大変有り難いことと思っております。心から、家族会、救う会のみなさまに感謝申し上げます。

また、今日は家族会の皆様、遠いところから、ご参加頂いております。
ちょっとご紹介だけ、しましょうか?

西岡さん:『増元さんに紹介して貰いましょう』

中山さん:じゃぁ、増元さんから、ご自身のことも含めてお願いします。(会場笑い)

~増元照明さんから家族の紹介~

自信のことはあんまり言いたくない。(会場笑い)
緊急集会、中山補佐官の話を聞いて、今政府がどのように対応しているのか聞くために、各地の家族に連絡して来ていただきました。
私ども家族をご紹介します。
前列から横田ご夫妻です。飯塚副代表 こちらにいらっしゃるのが有本ご夫妻 寺越昭男さん。田口八重子さんの三番目のお兄さん本間勝(まさる)さんです。松木薫さんのお姉さん、斉藤文代さん、横田拓也くん、飯塚耕一郎君、市川修一さんのお兄さん夫妻、一番最後になりましたが、松本京子さんのお兄様松本(孟さん)。私、家族会の増元照明です。

~~~会場から、若宮さんの紹介をという声~~~

西岡さん
『紹介ぐらいしたらいいじゃない?』

増元さん 、
『たまてばこ、ほら』という演劇を、プロデュース、脚本、主演をなさいました若宮優子さん。
今後、私と共に闘っていただくと言うことになりましたので、今後とも宜しくお願いします。

中山さん
はい、ありがとうございました。今日はこのように全国からお集まりいただいております。今日お越し頂いていないご家族もいらっしゃいます。家族会には入っていらっしゃいませんが、石岡さん、北海道の。ヨーロッパから拉致された被害者のご家族、それから、久米さん、曽我さん、他にも被害者の方々がいらっしゃいますが、今日はいらしていません。私たちはそう言った方々とも一緒にですね、被害者のご家族が、いろんな意味で、大変困難な状態でいらっしゃるということをいつも、心におきながら、この仕事をしているところでございます。

またさらに、政府が認定しているのは17人でございますが、認定できていない、証拠が全く残されていなくて、なかなか認定できないというのが現状で、今現在は、再捜査を全国的に進めておりますので、少しでも情報があって、なんだかの証拠を認めてですね、認定できる場合は認定していこうという姿勢で、今、望んでおります。まだ認定できていませんが、証拠がないばっかりに認定できていませんが、全国に、政府が認定している方々の意外にも拉致された可能性のあるそういう方々もあると、そう言う思いで、この仕事を展開しております。

それから、私自身が、以前、内閣官房参与として、家族対応の仕事をしておりました。
はじめてご家族の方々、2002年の9月27日の朝ご飯でございました。26日に辞令を頂きまして27日の朝ご飯の会に、図々しく入れてもらいました。そのとき初めてご家族の皆様に、私自身が、お目にかかった、その時でございます。
その前の3年間中央アジアにおりましたので、お目にかかる機会がなくて、内閣官房参与という辞令を頂いた翌日にお目にかかりました。その時の第一印象、今もそのままに裏切られずに、第一印象で受けたまま、ご家族の方々、いらっしゃる。

みなさまも、きっと同じようにお考えだと思いますが、拉致された方々のご家族の、強さと言っていいんでしょうか、優しさと言って良いんでしょうか?また、娘や息子を思う、家族を想う、その思いというのが、きっと皆様の心に、響いていることとと思っております。

私自身も、お目にかかった最初の瞬間から、たいへんな人々が、この方々と一緒に、被害者が日本に戻るまで、一緒に仕事がしていけるんだということで、私自身が、大変有り難くおもった事でございました。

本当に典型的な日本の方々だと言う思い。・・何を意味しているか・・
言わなければならないことを、皆さんしっかりおっしゃいます。でも、節度もお持ちです。
そして、家族の家族に対する思いというのは、もう、正にみなさん、自分の命を捨ててでも、かけてでも、娘や、息子や家族の人たちに、もう一回日本の土を踏ませたい。日本で生活をさせてやりたい。その思いが最初の出会いの時からから、ひしひしと伝わって参りました。

ちょっと余計な話になってしまったかもしれませんが、その思いは、今も変わっておりませんし、どうしてもっと早く、私自身が、そういったことを共有しながら、こういったことをもっともっと日本中の人たちに判ってもらう、そう言うことがどうして出来なかったんだろうという、その時非常に、自分自身が残念だった、または謝りたいというのが、そんな気持ちが最初の出会いの時でございました。

その当時から、先ほど、西岡さんが、アピールが全部、今は成し遂げられたと(アピールについてです、拉致問題そのものではありませんが)おっしゃっていました。私自身も、内閣官房参与の仕事をしながら、アピールに書かれている事柄というのは、日本政府として、当然行っておかなければいけない問題だと、感じております。

ですから、政府の中に、北朝鮮によります日本人拉致問題を扱う部署というものが、--全ての省庁に関わっている問題だと考えておりましたので--、必要だと思っておりまして、参与というのは、家族対応の仕事でございましたが、当時から、政府の中に拉致問題を担当する部署が必要だということを主張しておりました。

今回、まさかこんなに早く安陪内閣が成立するとは思っておりませんでしたが、安倍さんが総理になられて、全ての閣僚人事が終わった後でした。実は、四年ちょっと前に、参与としての辞令を受けたのも、9月26日でしたんですが、今回も同じ9月26日の夕方、安倍総理から、『補佐官として入ってくださいね』というお電話を頂きましたとき、ただ一言、『はい、判りました』とお答えしました。会話はそれだけでございました。

でも、安倍総理がこの拉致されている人々が、北朝鮮に残されたまま、日本が、なんていうか、普通の顔をしてやっていけるものではない。必ず取り戻すんだという、非常に強いお気持ちをお持ちだと言うことは、判っておりましたので、会話は、それだけでございました。
会話としては、『入ってくださいね』『はい、わかりました』と言う簡単な会話でございます。

その日の夜遅く辞令を頂きました。もう、夜中の10時過ぎだったと思います。その辞令をいただきましたときに、総理から、『対策本部をつくろう』『自分が本部長になるから』とその日のうちに伝えられました。

私自身も、以前からそのことを主張していたことでもありまして、早く対策本部を作って、全ての省庁合わせた形でこの問題に取り組まなければいけないと言う思いがありましたので、26日の夜の辞令の後で、今日ここに出席しておりますが、この対策本部で今仕事をしている人々に声をかけまして、まだ対策本部ではありませんでしたが、当時は。『是非作りましょう』と、徹夜が続くような状態でしたが、みんな頑張ってくれました。

三日後の、9月29日に閣議で拉致問題対策本部を設置することが出来ました。
その日の、29日の夕方に、総理がご家族の皆様にお会いして、そのことをお伝えしたという、先ほど横田代表からお話があった、最初の日というのは、、対策本部ができた当日の夕方のことでございます。
安倍総理から、そのことについて、ご家族の皆様に、直接お伝えいただいたと言うことでございます。

こういった対策本部というのは、日本政府が、一体となって、北朝鮮に対して、拉致された日本人を帰国させるように、救出に当たるというのが、もちろん、この対策本部の、唯一と言っていいでしょうか、その目的でございます。

そして、対策本部の組織図をお配りしておりますが、こういった表です。ここに書かれているとおりなんですが、対策本部長は、総理大臣、それから組閣と同時に、拉致問題を担当する大臣というものを決定いたしまして、官房長官が拉致問題対策の担当の大臣、副本部長は従って官房長官。拉致問題担当大臣が入っております。対策本部の部員というのは全閣僚が含まれております。ですから、政府全体が、北朝鮮による拉致問題を担当するということになります。

更にこの資料の中では、もう一枚の表があると思います。
関係省庁対策会議というのがございます。この関係省庁対策会議の一歩前にですね、対策本部の会合を開きます。対策本部の部員が全閣僚でございますので、対策本部というのは、閣議のような会議でございます。ただそこでは、あまり具体的な議論をしている余裕がございませんので、実際には、関係省庁対策会議というところで、局長、審議官クラスが集まりまして、それぞれ自分の省庁が関係していることを伝え、相互の連携をとって動いているというのが、現在のところです。

更にその下に、情報分科会、法執行分科会、広報分科会、という3つの分科会を持っております。

必要があればこういった分科会は、また作って行きたいと思っておりますが、今はこの3つ、情報、法執行、広報という分科会を開いておりまして、これはもう本当に数人のメンバーで相談をし連携をとりながら、動いているところでございます。

それから、もう一つ、ついでに資料の説明をいたしますと、こういった関係省庁がどのようなことで関わっているかと言うことを表にしたものをお配りしてございます。正に、全ての省庁がこの拉致問題と関わりを持っている。
この表は、とりまとめたものでございますが、ほんと、まとめたものですので、2~3ページになっていますが、この元になっている資料は、こんなに分厚い物になります。(手で厚みを示して)各省庁が、この拉致問題に対して全ての省庁が関わっていると言うことがはっきりいたします。

やっと、各省庁が、連携をとりながらですね、日本として、どのように対策を考えていくか、そういった体制が整ったと言うことでございます。

更に、予算の資料もお配りしてありますね。
こういった組織は、体制は作りましたけれども、本年度の予算というのは、もともと、組織の中にありました、連絡調整室という部屋がございます。もともと参与としておりました時の支援室が拡大した組織だったわけですが、連絡調整室が持っていた予算だけが本年度予算でございまた。実際に出来た新しい組織が活動する費用というのはございませんでしたが、なんとか今年度の補正予算の中に組み込んでもらうことができました。補正予算の、テーマが、安全というテーマでございましたので、日本国民の安全が脅かされている問題であるという、そういう考え方を、多くの方々がとってくれまして、本年度の補正予算が認められました。

二億二千六百万円という予算が、3月までの予算として認められております。

来年度の予算につきましても、今、政府の内示のある段階でして、今まだ、国会で審議中でございますが、そこで、・・承認いただければ、来年、今年の4月からの活動も続けていけるという状態です。

安陪内閣ができて、もう四ヶ月過ぎました。やっとこういったかたちで政府全体が、まとまって動く体制が出来ました。しかも、3月まで活動する費用も得ることが出来ました。来年度、今年の4月からにつきましても、政府の内示では、活動していける体制ができたところでございます。 

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