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2007年3月23日 (金)

家族会結成10年、家族の思い

■一日も早い救出を-家族会結成10年目で会見
横田滋代表
 拉致被害者は当時、全国にちらばっていて、顔も名前も知りませんでした。
「めぐみさんの報道が家族会結成のきっかけになった」と聞いています。救う会はまず新潟にできましたが、当時の名前はめぐみを救うことを目的にした名前でした。半年後に東京に救う会ができ、各地でも広がって、拉致被害者全員を取り戻すという名前の全国組織になりました。

 当時は、街頭での署名活動が主で、集会を開催したのはずっと後になってからです。当時は、拉致疑惑と言われ、拉致は本当にあるのかとか、関わりたくない、という人が多く、信用がない時代でした。

 それ以前の昭和63年には国会で取り上げられましたが、動きにはなりませんでした。「たった10人程度のことで国交正常化が止まっていいのか」というのが当時の政府の認識で、今の政府からは想像もできない状況でした。

 5年前の小泉首相の訪朝で5人が帰り、その後家族も帰りましたが、「死亡」とされた被害者についてはまったく進展がありませんでした。めぐみについてだけ「遺骨」と称するものが出てきました。別人のものと鑑定されましたが、もし、鑑定ができなかったらどうなっていたかと思うと、科学的反論もできずに死亡とされたかもしれない。日本の科学技術のおかげでした。

 その後、拉致議連や各党拉致対策本部が北朝鮮制裁決議をしました。議連は、金正日政権打倒まで決議しました。しかし、小泉さんは対話の政策をとり続け、ミサイル発射と核実験で制裁に踏み切りました。

 これまで、政府にこれをやってほしいというような要望をたくさん書きましたが、安倍首相になって、拉致対策本部ができ、拉致担当大臣が置かれ、中山補佐官が事務局長になるなど、要望はすべて実現しました。国際連携も強まっています。しかし、結果だけからみると、14年9月から進展していないのです。生存情報も、どこにいるかの情報もありません。一日も早く救出していただくことを望んでいます。

横田早紀江さん
 大変な時間を過ごしてきたな、という思いです。20年間まったく分からなかったのに北朝鮮にいると聞かされた時は、1、2年のうちに会えると喜んだのですが。したたかで、難しい北朝鮮と対峙していかなければならない状況の中で、本当に大変な事件だったと思います。また、国民運動として大切なことをしてきたと思います。今も被害者は向こうで頑張っています。救う会や報道の力で、結束して活動するところまできました。北朝鮮がどんなことをやり続けてきたか、今日も(6者協議の)席を立って帰りましたが、世界が分かったというところに大きな意義があると思います。

 また、限りなく続く苦しみですが、意義があって生かされているのだと思います。日本にとっても、北朝鮮にとっても、解決することがいいことだと思います。
本当の平和のために、大変な努力、気力、精神力そして望みを捨てないことが大切です。平和な日本にとっても、拉致問題の解決は意義があることだと思います。
これから北朝鮮がどう出るか分かりませんが、(被害者が)むごいことにならないように、拉致も核も解決してほしいと思います。

増元照明事務局長
 この写真は、10年前、家族会が結成された時、父が持っていた姉の写真です。
縁が黄色くなっており、長い年月を感じます。この写真を持っていた父も亡くなりました。拉致議連が機能しなかった時期も長くあり、政府も真剣に取り組んでほしいとの感触を持っていました。02年9月以降は、国民の同情が強まり、救出できない国のあり方について共感していただき、大きな力となっていったことに感謝します。

 小泉首相が、金正日に直接会ったという、2回の訪朝の機会をもっと生かしていただいたらと残念に思います。特に、2回目の訪朝の時はもっとやり方があったのではと悔やまれます。北朝鮮が拉致を認めて4年半が経ちますが、北朝鮮が発表した情報はすべて捏造、そして偽造でした。北朝鮮は6者協議でも「解決済み」の姿勢を続けています。

 今の安倍政権は安心して見守られるのですが、国内世論が二分する危機感があります。大きな危機を感じたのは02年9月でした。国交正常化してしまうのではないかと思いました。報道の論調もそれを推進する方向でした。帰国した拉致被害者が再度北朝鮮に帰った方がいいとの報道もあり、その時も危機感がありました。

 今、日本が孤立するとか、国益を損なうという論調もありますが、二分されることなく、救出に厳しい姿勢を示す政府を支持してほしいと思います。

 今年中の解決をめざしています。10年はあまりに長い。特定失踪者の家族会には、倒れてしまった人も多いのです。救出に全力をあげてほしいと思います。

【質疑応答概要】
早紀枝 10年前、設立の時、このジャケットを着ていました。10年経って何も変わらなかった。しかし、洋服は今も元気ですが、中身(私たち)は年々年をとり、病気にもなります。疲れもたまっています。過酷な日々が続くので、精神的にも大変です。しかし、倒れてしまっては、との思いも強くあります。

増元 父もそうでした。初めての国民大集会では、姉が帰るまで死ねないと言っていましたが、病には勝てませんでした。市川さんのお父さんも今、動けません。
帰って来たのに死んでいたら何の意味もないとお母さんは言っています。半分の喜びしか与えられないのです。健康なうちに、笑って迎えられるうちに再会を果たしたいのです。今年は全精力を傾け、北朝鮮が誠実な対応をするまでプレッシャーをかけたいと思います。

滋 (6者協議で席を立って帰った北朝鮮について)北朝鮮は約束を守らない。
貰うものを貰ったら引き伸ばす意図が強いですね。

増元 金正日は今回ミスしたと思います。アメリカが譲歩したのにあんな態度では、他の関係国の厳しい目を助長させただけで、アメリカに北朝鮮政策を再考させると思います。これに対し、今、厳しいメッセージを送るべきです。制裁強化につながれば、救出にもチャンスが出てきます。

滋 今日、読売新聞に出た内容はその通りですが、(私の退任希望を)発表したという形で書いたところは違います。4月22日の(家族会の)総会にかけて決めることです。救う会の全国幹事会では役員の任期の話がありましたが、私は11月14日に75歳になります。体力面から見ても次の人にやってもらいたいとは思っています。しかし、家族会の運動をやめるわけではありません。

早紀江 今日新聞を見てびっくりしました。まだはっきりしたことは言っていないのに。休ませてあげたいという思いはありますが。

増元 肩書きがどうあれ家族が運動をやめるわけではありません。横田代表から、10年の節目とか75歳という話は前から聞いていました。私は、それまでに解決すると思っています。全力で走るつもりです。それまでに解決できなかったらその時に考えます。

増元 (2回目の訪朝について)帰国後、総理は、「家族が信じないから再調査をお願いしたい」と言われたが、生存を信じて金正日と対峙してほしかった。本人が生存を信じていたら違う展開になったと思います。だから子どもたちの帰国だけとなった。せっかく直接会ったのだから、被害者救出の姿勢で臨んでほしかったと今も思います。

 父が、「日本と日本人を信じろ」と言った意味がようやく分かってきました。
日本とは政府ではなくて、日本人の力、国民の力だと思います。国民の力が小国(北朝鮮)に負ける筈がないという思いが強かったのだと思います。日本が本当に動けば、取り戻せるということだと思います。

 昨日のニュースでは、ルーマニアの拉致被害者家族が名乗り出たということです。できれば4月早々にも接触して4月22日の国民大集会に来てもらえればと希望しています。

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