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2007年4月

2007年4月30日 (月)

国民大集会(2007/4/22)-19.櫻井よしこさんによる来賓紹介

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19.櫻井よしこさんによる来賓紹介
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司会 櫻井よしこさん

島田先生ありがとうございました。
島田先生の仰るとおりにやれば問題は解決する、そんな気持ちになりました。(拍手)
ありがとうございました。

さてここで会場にいらっしゃるご来賓の皆様方をご紹介したいと思います。
総理大臣補佐官で政府の拉致対策本部の事務局長を務めていらっしゃる中山恭子さんです。(客席の中で立ち上がり周囲へ会釈をする、拍手)
本来中山さん、この壇上に上がっていただくべきなんですけどもどうもありがとうございました。(拍手)

そして特定失踪者のご家族の皆さんがいらっしゃると思います。
どうぞどうぞそこの場でご起立いただければと思います。(特定失踪者家族がその場で起立、周囲へ会釈をする、拍手)
特定失踪者のご家族の皆さん方、どうぞ皆さん大きな拍手で元気付けてください。
ありがとうございます。

そして救う会全国協議会の幹事の皆様方もいらっしゃると思います。
いつも一生懸命に働いてくださっている救う会全国協議会の幹事の皆様方、いらしたらご起立お願いします。(幹事の方々が起立、周囲へ会釈、拍手)
どうもありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
ありがとうございました。

音声は http://www.voiceblog.jp/blue-jewel-7/333292.html
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※この集会の録音・写真撮影・ネット公開に関しては主催者の同意を頂いております。 
このテキストは、話の花束 ぴろんさんの労作です。

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国民大集会(2007/4/22)-18.島田洋一救う会副会長の報告


   「拉致被害者全員の即時帰国を求める国民大集会」
          07・4・22 日比谷公会堂にて

司会 櫻井よしこさん

さて救う会副会長の島田洋一先生。
アメリカはいったい拉致問題でどう動いているのか?
6カ国協議はどうなっているのか?
また明日からアメリカに行かれますけれども、島田さんの解釈、最新情報の説明をお聴き下さい。よろしくお願いいたします。(拍手)
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18.島田洋一 救う会副会長の報告
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島田洋一 救う会副会長

明日から家族会の増元事務局長、斉藤文代さんがワシントンに行かれます。
私も同行しますけれども、アメリカの人権活動家や議員・・・(聞き取れず)日本からも行かれるという事ですけど、また脱北者の代表らとともに「北朝鮮自由週間」と題した一連の行事に参加してくるつもりです。
その過程でですね。
26日にはジョン・ボルトン前国連大使とお会いすることになっております。
その他、最近のブッシュ政権のやり方、すなわち国務省への丸投げと言うこの路線に大変批判的な人々に多数会ってくる予定です。
一方、ビクター・チャーNSCアジア部長ら、政府側関係者とも意見交換をしてくる予定ですが、国務省あたりではおそらく増元さんがかなり厳しい質問を一杯されるんじゃないか?と思っております。

さてこのところ、クリストファー・ヒル氏ら6者合意を進めるためと称して、驚くほど無原則な譲歩を繰り返しております。
マカオの銀行にある北朝鮮資金の少なくとも半分は明らかに違法活動によるものだと分かっている。
従って出来るだけ早く全額が金正日の懐に入るよう全力を尽くしますと。
と言うわけですから、原理原則に照らせば今アメリカは自らをテロ支援国に指定しなければならない。(拍手)
そのようなおかしな倒錯の世界に迷い込んでいるわけであります。

しかし一方ですね。
アメリカ財務省は先週18日に当のマカオの銀行、バンコ・デルタ・アジアに対して、すべてのBDAで金融機関との取引を禁止するという制裁措置を正式に発動しております。
こういうちぐはぐな対応が起こるのは、やはり政権周辺の有力者も含めたアメリカ政府内部において、国務省・民主党的な平和共存・融和路線とチェイニー・ボルトン的な体制崩壊追求路線のせめぎ合いが続いていると。
そのことから来るものだと思います。

日本の外務省の中にもクリストファー・ヒル氏の事を、アメリカの田中均と言う向きがあるようですけども、アメリカのハードライナーたちはキム・ジョン“ヒル”と呼んでおります。
先頃民主党の対北融和を代表するビル・リチャードソン、ニューメキシコ州知事がこれで6度目になる訪朝をしましたけれども、このビル・リチャードソンの事は、キム・ジョン“ビル”と(笑い声)呼んでおる。
そういう現状があるんですけれども。

このリチャードソンはですね。
もしヒラリー・クリントンが大統領になったら国務長官に起用されるんじゃないかと言われていますけれども、彼は以前からですね。
北朝鮮指導部は核以外にカードが無いため、盛んに核カードを振り回しているけれども、実は国民の飢えを解消するため、核放棄と引き換えに経済援助を得て開放政策を進めるという決断をすでに下しているんだと。
一体どこを見ているのか?という甘い認識を公にして来た人であります。

このリチャードソン訪朝にですね。
ビクター・チャーNSC部長が同行しましたけれども、これは日本で言えば山拓訪朝に中山恭子補佐官が同行すると(笑い声)言った類のですね。
大変筋の悪い外交であって、どうも危ういものを感じざるを得ないわけであります。

安倍首相は今週26日から訪米し首脳会談に臨まれますけども、北朝鮮問題に関してはとにかく締め付けの強化策。
すなわち鞭についてのみ話し合う意向であると聞いております。
ブッシュ政権内及びその周辺のハードライナーたち、体制崩壊追及派と言いますか、そういう人たちを大いに鼓舞するような言動を展開していただきたいと思いますが、アメリカ側においてはですね。
是非この機会に安倍さんがブッシュの目を覚まさして欲しいと、そういう期待の声があるという事をいろいろな方面から聞いています。
我々も明日からですね。
民間の立場から日米ハードライナーの連携を強めていきたいと思いますけども。

2月13日の合意があって以来、拉致に拘って核合意の枠におけるエネルギー支援の輪に参加しないと日本はバスに乗り遅れると、安倍首相をそういう言い方で批判していた人もおりましたけども、バスは出発前にすでにエンストしていて崩壊寸前と言う状況であります。(笑い声)
動かないバスにどうやったら乗り遅れるのか?(笑い声)分からないわけですけども。(拍手)
結局北朝鮮の本質を分かっていない人による戯言に過ぎなかったという事が明らかになりました。(拍手)
彼らは今後、この欠陥バスがのろのろ動き出したとしても日本が拉致問題を解決しない限り、一切のエネルギー支援に応じないという立場をもちろん変えるべきではないと思います。(拍手)

海外においてもあるいは日本国内においても、北の核廃棄で最も恩恵を受ける日本が応分の負担をしないというのは、いわばただ乗りであっておかしいんじゃないか?と、そういう事を言う人がいるわけです。
それには私はこう答えればいいと思っているんですけれど、もし実際にですね。
北朝鮮が核施設の無能力化に踏み切ったとそういう時点においてですね。
そんな事はありえないと思いますけど、もしそうなった時点において日本はですね。
核兵器・核施設の解体及び海外搬出の費用を全部負担しましょうと、全額負担しましょうと。
だからそこまで持って来てくれるなら、どうぞ持ってきてくださいと。

そこまで持ってくれば、核施設は安全な解体・海外搬出、これ結構費用がかかりますけども、それは日本が持ちましょうと。
北京や盧武鉉やヒル氏が事態をそこまで進展させられるんだというならやってみろと。
そういう宣言をすればいいと。
中途なエネルギー支援など、そんなただ取りされるものには日本は出さないという事で、何ら問題は無い。
このやり方であればですね。
日本としては北朝鮮にエネルギーその他をただ取りされる心配は無いし、同時にただ乗り批判も回避できる。
しっかり対抗できる。
どこからも文句を言われる事はないと、そういうふうに考えます。

この週間もその一環ですけども、今や日本は、国際的な広がりを持って次々に明らかになる拉致被害者の救出で先導役を果たしているわけですけども。
従って日本が拉致に拘るという事はまさに、それすなわち国際貢献になっていると、我々は自信を持って堂々と進めばよいと思っております。(拍手)

拉致問題の解決に当たっていろいろな意味で大きな鍵になるのは、中国共産党の態度であります。
少なくとも二人の若い中国人女性が1978年、マカオから拉致されているという事は間違いありません。
当時二十歳ちょっとだった孔令イン(貝二つの下に言)さん、蘇妙珍さんと言う二人なんですけど、当時マカオはポルトガル植民地でしたが現在は中国領で、この二人は中国国籍だし家族ももちろん中国国籍であります。
孔さんの家族とはですね。
家族会・救う会の代表は何度も会っています。
ところがなぜその孔さんの家族の姿が今日この場にないのか?
と言うのは、それは家族が中国当局の迫害を恐れているという事情があるためであります。
彼らは記者会見をすることすら怖がってやらない。

韓国人拉致被害者の一人で、その後脱出に成功した映画女優の崔銀姫さんと言う方がおられますけども、この崔銀姫さんの証言によればですね。
そのマカオから拉致された彼女たち、「早く家に返してくれ」と言う要求をした結果、北朝鮮当局から腐ったものを渡されて「お前これ食え」と食べ物を使った拷問に遭ったということであります。
日本の政治家の方々、国際的な場でも特に中国の要人に会う際に、日本人拉致解決に理解と協力をお願いしたいと、そういう言い方ではなくて中国にも拉致被害者はいるでしょう?と。
被害者を出している国同士で一緒に北朝鮮に圧力をかけましょうと、そう迫るべきだと思います。(拍手)

中国共産党の指導部はもちろん人権感覚はゼロですけども(拍手)、しかし体面は非常に気にしますから、従って大中国は隣の小国に自国民を拉致されてなんで黙ってるの?
拉致が何人であれ、金正日と胡錦濤氏・恩家宝氏が時々笑いながら抱き合ってる姿がテレビに映るけれども、あんたら恥ずかしくないのか?と。
そういう雰囲気をですね、国際的に高めて。
拉致問題が存在する事が、中国共産党にとっても苦痛であるという状態を作り出さなければ彼らは動かない。(拍手)

先頃、恩家宝首相、首相と言っても民主的手続きで選ばれているわけでは無いですから、安倍首相と同列に論じるわけに行かない首相ですけども、その恩家宝氏はですね。
来日した際に拉致問題で日本に協力すると、そう言ったと報じられました。
こういう発言に対してですね。
絶対お礼を言ってはいけないと思います。
むしろ日本の方が協力してやるからせめて中国政府は自国民の拉致被害者の救出くらいは真剣に当たりなさいと。(拍手)
そういう答え方が合理的なんではないでしょうか?

我々最近ですね。
実は私を含め何人かで中国に行った際に中国側、特に恩家宝氏に近い学者グループと会ってですね。
向こうから会いたいといって来たんですが、中国人拉致被害者に関する詳しい資料を渡して説明しました。
そして翌日彼らはですね。
「早速あの話を恩家宝首相に上げました」と明言しましたから、従って恩家宝氏が中国人拉致被害者を知らないはずは無いはずですから、是非今後はですね。
政治家の方たちは中国の要人に会うたびに「お宅にも被害者いるでしょう?」という事を言って頂きたい。(拍手)

その考えに加えてですね。
中国当局は脱北者の強制送還を相変わらず続けていると。
その強制送還されている人たちの中に拉致被害者、その家族、あるいは重要情報を持った人たちが含まれているのはこれは間違いないですから、従って中国共産党は協力どころかですね。
明らかに拉致解決を妨害しているわけであります。(拍手)
やはり妨害するなという事もですね。
はっきり言っていく必要があるんでは無いでしょうか。(拍手)

かつてソ連崩壊の過程を見ていてもですね。
インテリたちの多くはソ連とはデタント、いわゆる緊張緩和・平和共存の道しかないんだと。
あのソ連がですね。
体制崩壊するはずもないし、従って経済支援・経済援助をてこに核軍縮を進めていくというのがこれが懸命な政策だというような事を言っておりました。

それに対して、いやそうじゃないと言ったのがロナルド・レーガン大統領であって、ロナルド・レーガンは悪の帝国ソ連と平和共存と言うのは罪だと。
従って封じ込めとか何とか言っているのじゃなくて、冷戦に勝たないといけない。
勝つために経済的な締め付け、あるいは軍事的な圧力なんかをかけていくんだと。
それに対し、インテリたちは出来もしない目標を掲げてですね。
軍備拡張だとか経済的締め付けだとか危険な事を言うレーガンは馬鹿だと言ってたわけですが、結局レーガンの方が正しかった事が歴史的に証明されました。

そのロナルド・レーガンの有名な台詞にこういうのがありますけども、冷戦にどう対処するか?
私の戦略を言いましょう。
We win,They lose.
つまり我々が勝つ、彼らは負ける。
これが私の冷戦戦略だと。
極めてシンプルですけども、安倍首相にも是非ですね。
我々が勝つ、金正日は負けると、これが私の対北戦略だと、そういう完全明快な姿勢で臨んでいっていただきたいと思います。
どうもありがとうございました。(拍手)

音声は http://www.voiceblog.jp/blue-jewel-7/333289.html

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2007年4月29日 (日)

国民大集会(2007/4/22)-17 古屋圭司拉致議連事務局長による来賓紹介

 
  「拉致被害者全員の即時帰国を求める国民大集会」
07・4・22 日比谷公会堂にて

 司会 櫻井よしこさん

西村眞悟さん、ありがとうございました。
さてここには統一地方選挙の投票日にも関わらず、幾人かの政治家の皆さん方がいらしてくだすっています。
拉致議連事務局長の古屋圭司さんから出席の国会議員の紹介をお願いいたします。(拍手)

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 17.古屋圭司 拉致議連事務局長による来賓紹介
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ご紹介を頂きました、私は拉致議連の事務局長を務めております衆議院議員の古屋でございます。
主催者の一人として、改めまして日曜日こうやって大勢の皆さんこの大会にご出席を頂きました。
心から感謝・御礼を申し上げたいと思います。

先ほど西村議連幹事長からもお話がございましたが、拉致議連の会長は現在平沼武夫議員でございますが、年末にちょっと大量を崩しましたけども、ほぼ回復を致しました。
元通りになりました。(拍手)
実は今日も出席をしたいという事だったんですが、自分の復帰は来月の5月の10日からにしたいと、こういう事でございまして、5月の10日からは前と同じように活動させていただくという事でございますので、まずはご報告を申し上げたいというふうに思います。(拍手)

一言だけ私の方からもお話申し上げたいと思いますが、たった29億円の金融制裁で北の金正日は金塊を売ったりして凌いでいる。
そういう実態を見るだにしてですね。
要するにいずれも制裁は効いている。
日本の経済制裁等々の強化も効いている事ですね。

ですから私はまさしく原理原則に戻って、昨年横田早紀江さんが(ブッシュ)大統領に会ったときにも、あるいは大統領府で会見した時にも、拉致は置き去りにしない。
こういう事をはっきり言明されました。
これは北の核とともにこの拉致問題を解決しない限り、アメリカとしっかり連携をしてですね。
強い態度で国家意思として示していく事が何よりも必要だというふうに思っております。

幸いにして来週、先ほどもご挨拶いただいた安倍総理は日米首脳会談でブッシュと会談を致します。
このときにこそ今アメリカが採っている、いわゆる妥協路線を速やかに止めさせてそして期限を区切って、お互い同盟国に照らし合わせて経済制裁をしていく。
この強い意思を是非安倍総理からもしっかりブッシュに伝えていただきたい。
我々議連としてもそれを切に望んでいる次第であります。(拍手)

さて、出席議員、先ほども申しましたように今日統一地方選がございまして、どうしても万歳等々があってですね。
こちらに来れないという方が大勢いらっしゃいます。
そういう中でも今日は壇上の方にお越しいただきました。
まずはご紹介を申し上げます。
すでにご挨拶をしていただいた方も含めて紹介させていただきます。

拉致議連の前会長代行で内閣総理大臣の安倍晋三先生。
内閣官房長官・拉致問題担当大臣の塩崎恭久先生。
そして自由民主党、拉致特命委員会委員長であり、拉致議連会長代行の中川昭一先生。
そして拉致議連の会長代行であり、民主党・衆議院議員である中井洽先生。(拍手)
拉致議連副会長の公明党衆議院議員、上田勇先生。(拍手)

そして今ご挨拶いただきました、拉致議連幹事長の西村眞悟先生。(拍手)
民主党衆議院議員の中川正春先生でございます。(拍手)
民主党参議院議員の柳沢光美先生。
拉致議連副幹事長の民主党の渡辺周先生。
そして参議院議員・公明党、澤雄二先生。(拍手)
ありがとうございます。

結びに当たりまして、先ほど中川拉致対策委員長からも言及がございましたが、特命委員会としても、またこの議連としても、日本版のいわゆるテロ支援国家を指定をする。
この法案が出来ないかどうか?
今鋭意検討しておりまして、早急にこの国会でまとめるよう関係者としっかり連携をとって・・・今、失礼をしました。
今到着をしましたので、民主党拉致議連事務局長代理、松原仁先生でございます。
後ほど決議案を朗読をさせて頂きたいと思います。

話が途中になりましたが、テロ支援国家の国内版と言うものをしっかり作っていきたい。
合わせてご報告をして以上でご報告を終らせていただきたいと思います。
ありがとうございました。

★司会 櫻井よしこさん

どうもありがとうございました。
また壇上にはですね。
新潟県議会議員で拉致問題地方議会全国協議会副会長の高橋正さんもいらしているはずです。
はい、どうぞお立ちください。
同じく副会長の古賀俊昭さん(東京都議)いらっしゃいます。
ありがとうございます。
そして大分市議会議長の三浦由紀(よしのり)さん。
ありがとうございます。
そしてもし会場に地方議員の方々がいらしたら、どうぞ御起立をお願いします。
はい、何名か地方議員の方、ありがとうございます。
どうもありがとうございました。

※この集会の録音・写真撮影・ネット公開に関しては主催者の同意を頂いております。

このテキストは話の花束 のぴろんさんが音声からおこしてくださいました。ぴろんさん、ありがとうございます。
 
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音声は Blue jewel Voice で!

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国民大集会(2007/4/22)-16.西村眞悟議連幹事長による主催者挨拶

◆櫻井よしこさん 司会 
ここで、本当に力強くこの拉致問題に取り組んでこられた西村眞悟さんをご紹介しましょう。
もうなんのご紹介も入らないと思います。(拍手)
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 16.西村眞悟議連幹事長による主催者挨拶
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 みなさんこんにちは。
本日は拉致議連会長である平沼赳夫先生の指示で、幹事長である私が、拉致議連の主催者としてのご挨拶をさせていただきます。日曜日であるにもかかわらず誠にご苦労様でございました。

本日は統一地方選挙の後半の投票日でございます。本来ならばこの席に何時もいる同志たち、たとえば、私の郷里の八尾の三宅裕市会議員などは投票日で顔を見せることができませんが、彼等は自らの選挙区に於いて、拉致被害者の救出を訴え、自治体が人権教育をしている、その人権教育の中核に拉致問題を位置させるべきだと訴え、北朝鮮の施設に対する言われなき免税処置を廃止するように選挙活動をしておるということをみなさまにご報告させていただきます。(拍手)

さて、他人の骨を横田めぐみさんの遺骨だと称して我が国に送り届け、そしてそれが、真っ赤な嘘であると判明した平成16年の12月以来、今日までの経過を眺めております時に、我々は眼をそらすことの出来ない拉致問題の本質を今こそ見つめねばならないと思うわけであります。

拉致議連というものは政府が言わないときに物を申し、また政府が言えないことを言う立場にある議連ですから、これからはその立場で申しますと、我々が目をそらすことが出来ない拉致問題の本質というものはこれは、国家主権の侵害であるということであります。(拍手)

国家主権の侵害とは皆さん何ですか。国家主権の侵害とは戦争状態ということであります。(拍手)
そこで拉致問題の解決のためには日本国と日本国民が覚悟を決めねば前進は到底しないというのがこの2年間の経緯をみても判明することでありまが、然るに、我々が目をそらすことの出来ない拉致問題の本質というのは、国家主権の侵害国家主権の侵害ということは、戦争状態と言うことであります。(拍手)

ここで、拉致問題の解決のためには日本国と日本国民が覚悟を決めねば、前進は到底しないというのが、この2年間の経緯をみても判明することであります。

然るに日本国政府は未だ拉致問題を人権侵害、個々の犯罪のレベルでしか把握しようとしていない。それは端的に特定失踪者の1000番台リストから2年に一人ずつ、二人ずつ拉致認定をしてきたという今までの経緯からも明らかでありましょう。

個人的人権侵害、犯罪だというから国籍の壁が、出来てしまうわけであります。
また、どうして救出するのかというこの要の質問に対して、日本国政府の答弁は、金正日が解放する気になれるように圧力をかけるということであります。しかるに、これが戦争であると、本質を持ってその対策を講じるならば、金正日がその気になろうが成るまいが、我々は救出しなければならないのであります。(拍手)

拉致議連はみなさん、拉致議連は、金正日体制の打倒を決議しています、2年前に。戦後日本の政治史の中で国会議員の集団が他国の政権打倒を決議したのは拉致議連が初めてであり、拉致議連のほかには現在はありません。

ではどうして金正日体制を打倒するのか、みなさんいよいよ正念場でありますアメリカは腹の底でイラクとの戦争を決意して進んでおりまする。。ブッシュ大統領のおやじさんの大統領の時代から、地上勢力が半分になっている現実を見ても、イラク、イランで事を構えながら朝鮮半島で事を構える能力はありません。従って、我々日本は独力で、北の核を抑止しつつ、救出をする実力を今こそ決断しなければならない。(拍手)

ドゴールフランス大統領の言ったことが、今フランスで現実に成らずに我日本で現実になっている。
すなわち、核を持たない国は、独立国家として独自の国家意志を決定できないということです。(拍手)

この議論がやっと出来る時期に参りました。国民の一致団結した拉致問題の本質を見抜いた覚悟が必要であります。その意味で従来の惰性を排除しなければなりません。何が従来の惰性か。

  “人権と平和”

戦後日本は、“人権と平和”を叫んでおった。それは誰の耳にも入っておった。しかし、“人権と平和”を叫ぶ勢力、叫ぶ人が拉致問題の本質から目をそらしてきた。むしろ拉致問題はなかったがごとく、それに封印してきたのであります。これが惰性と言うんです。
しかしながら、この惰性は完全に、みなさん、まだ排除されていません。

その証拠に、みなさんの津々浦々で行われている統一地方選挙に於いて、拉致問題は争点となっているか?参議院補欠選挙で争点となっているか?

なっていないと言うことは、我々も戦い続けなければならないということです。(拍手)

ここでみなさん、私のご挨拶を締めくくるに当たって一人の若い女性のことを紹介させていただきたいと思います。田さん、ご存じですが、池田真咲さんという方であります。いつもこの会場におられ、最前列に座っておられました。今もおられると思います。
苦しい闘病生活の中で命の証として救出運動に取り組まれました。浴衣を着た姿はめぐみさんにそっくりであります。昨年の秋の暮れに亡くなられましたけれども、池田真咲さんが私の師事する恩人のもとに送った手紙を拝見いたしましたら、私はその精神の豊かさとそれから、透徹せる知性に驚嘆したわけであります。

私のことを書いてくれておったわけであります。私がこの1年歩んでこられたのは池田真咲さんの励ましのおかげであります。その池田さんがこのように言っておられのです。母上が言っておられました。「政治家は世のため人のために働く存在だと言われるがこれは違う。政治家は正義を見極めることが本分であり、その正義を求める政治家の下で行政が世のため人の為に働けばよいのだ」と。

“正義”というこの言葉を豊かな精神と透徹した知性の真咲さんがよく用いられたと。そしてその正義の元で、拉致被害者救出を自分の命の証とされたわけであります。

昨年秋に亡くなられましたけれども、お母様は彼女の志を一つ引き継いだ仕事をしたいと思って、オリジナルの切手を発行しようと思い立たれました。それは拉致被害者のブルーリボンを真ん中の図柄にしてその周りに「拉致被害者の生存と救出を願って」という文字が書かれた切手、この切手を製作しようとしたわけであります。そして郵便局に申請をしたわけであります。

郵便局に申請をして一ヶ月待たされた結果、郵便局からはお断りの連絡があったということであります。何故なら「拉致被害者の生存と救出を願って」というこの文字は個人の思想信条に関するものであるから切手としては作れないというわけであります。

先程安倍総理、また官房長官が来られ、そして拉致被害者救出は国是であると言われて、テレビではその広報映像が流されそしてポスターも作られている。しかし「拉致被害者の生存と救出を願って」の切手は個人の信条に当たるから作れないというのが我が国の国家にある組織なのです。

皆さんここでもうお解かりでしょう。国内にまだまだ敵が居るのです。(拍手)我々は金正日と闘うとともに国内の敵とも闘わねばならない段階にまだあるということを覚悟しなければなりません。(拍手)
そしてこの日本国と我々日本国民全員が一致団結するように池田真咲さんと共に闘って行こうではありませんか。
宜しくお願いいたします。(拍手)

櫻井よしこさん 司会 
西村眞悟さんありがとうございました。

 大会当日の映像
  http://www.n-shingo.com/movie/rachi.html#h190422
 
 挨拶原稿は、眞悟の時事通信最新号で
 http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi
 尚、時事通信掲載文と、当日のスピーチは多少違っていますので、音声からそのままおこしたものを記録します。
 
 音声は
 http://www.voiceblog.jp/blue-jewel-7/333208.html

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国民大集会(2007/4/22)-15 海老原智治氏の報告

  「拉致被害者全員の即時帰国を求める国民大集会」
07・4・22 日比谷公会堂にて

★司会 櫻井よしこさん

パンジョイさん、ありがとうございました。
さて、そのタイで救出運動を組織なさったのが海老原智治さんです。
「北朝鮮に拉致されている人々を救援する会・チェンマイ」を作り、その代表を務めています。
タイでの状況、そしてタイでの人々の支援振りなどについてお話頂ければと思います。
よろしくお願いします。(拍手)
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15.海老原智治 タイの報告
(北朝鮮に拉致されている人々を救援する会・チェンマイ代表)
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ご紹介いただきました海老原智治です。
2005年よりタイで唯一の支援団体であります「北朝鮮に拉致された人々を救援する会・チェンマイ」を主宰しまして、タイ国内で拉致問題解決のために活動を行なっております。

タイにおいては現在拉致被害者1名、すなわちアノーチャ・パンジョイさんの存在が明らかになっております。
経緯を申し上げますと、2005年にチャールズ・ジェンキンスさんの証言と著書の内容から、「アノーチェ」と言う名前のタイ人拉致被害者女性が存在する事が明らかになりました。
これをタイのテレビが大きく報じたところ、家族が名乗りを上げました。
調査の結果、この「アノーチェ」とは1978年に23歳の時にマカオで行方不明になったタイ人女性、アノーチャ・パンジョイさんであるという事が明らかになったのです。
それ以後私の方では、タイ唯一の支援団体としましてアノーチャさんの家族とともに、北朝鮮拉致問題をタイの社会と政府に一緒になって訴え続けてまいりました。

タイと北朝鮮は1975年に国交を樹立しております。
幸いなことにタイ政府はアノーチャさんの拉致問題に関して、比較的迅速な対応を見せています。
タイ政府は正式には拉致被害者とは言わず「行方不明者」としていますが、2005年にアノーチャさんの存在が明らかになって以来、その直後から北朝鮮に所在を問い合わせています。
しかし北朝鮮の回答は一貫しまして、「そのような人物はいない」という事に終始しています。
さらにはアノーチャさんの根拠になったジェンキンスさんの証言を「でっち上げだ」と言うふうに非難しております。

しかしタイ政府はそれに引き下がることなく、2006年7月にはタイと北朝鮮の外相会談におきまして、「アノーチャの件を追及するタイと北朝鮮の2国間作業部会の設置」を北朝鮮に提案しております。
タイ人拉致の判明後、1年以内にタイ政府がこのような動きを出している事には、極めて迅速な対応と評価することが出来ると思います。
しかし、当の北朝鮮は現在までこの作業部会設置に誠意ある回答は行なっておりません。

タイでは2006年9月に軍事クーデターが発生しまして政府が転覆いたしました。
現在は暫定政府の統治になっておりますが、現政権においても拉致問題は重要課題であると認識され引き継がれております。

そのようなタイ政府の取り組みですけども、その一方でタイ社会において拉致問題に対する社会認識はまだ高くはございません。
その背景には、タイ社会での北朝鮮というものが誰も何も知らない印象の無い国であるために、あの国の中でどのように酷い人権侵害が発生し、何が行なわれているか?
これがまったくタイ社会には知られておりません。
その為、拉致の酷さや悲惨さ、これがまだまだ十全にタイ国民には理解されていない状況があります。
そのために私は、タイ社会において北朝鮮の人権侵害の実態に対する理解を獲得して、タイ人拉致の問題構造を明らかにする事を目標にしまして、ジェンキンスさんの著書のタイ語訳の出版をはじめとして、また家族の思いのタイ社会への発信、これに力を入れております。

拉致の被害は現在、少なくとも世界12ヶ国に亘っていることが知られています。
私はタイで北朝鮮拉致問題に取り組むにあたり、次のような立場に立っております。
すなわち、北朝鮮拉致問題は世界のどの国でどの国民に生じようと、これはまさしく一つの同一の問題であります。
これはまさしく世界中で生じた拉致の原因はたった一つ。
すなわち北朝鮮政府による犯罪的人権侵害で行なわれた悲劇である。
このようなことでございます。(拍手)

この拉致問題の解決に部分的な解決、すなわち仮にタイ人だけの解放による解決、日本人だけによる解決、韓国人だけによる解決はありえないと考えております。(拍手)
世界の拉致被害者がすべて帰還してはじめて拉致問題は解決いたします。(拍手)
私はこのような立場から今後とも国際連携を重視しまして、タイを拠点に取り組んでまいります。(拍手)

拉致の悲惨さを今世界で最も知る国民は日本人であるといえます。
日本人の拉致と同時にタイ人をはじめとした各国人拉致の一括解決のために、日本国内の皆様の力強いご支援をお願いします。
どうかよろしくお願い申し上げます。

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※この集会の録音・写真撮影・ネット公開に関しては、主催者の同意を頂いております。

このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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国民大集会(2007/4/22)-14. バンジョン・パンジョイさんの訴え

   「拉致被害者全員の即時帰国を求める国民大集会」
07・4・22 日比谷公会堂にて

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  14.バンジョン・パンジョイさんの訴え
     (タイ人拉致被害者、アノーチャさんの甥)
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 (通訳 海老原智治氏)

0010121m

 
 

 
  
 
 
 
 
 
 
 
 

★バンジョン・パンジョイさん(通訳:海老原智治氏)

日本の皆様、こんにちは。
私はバンジョン・パンジョイと申します。(拍手)
私の家族はもう少しでアノーチャに会えるのではないか?
そのような期待が高まっております。
アノーチャは日本の皆様と一緒に、他の国の被害者の家族とも一緒に、みんな一緒に私の家に帰ってくるのでは無いでしょうか?

私たちの家族はアノーチャが北朝鮮で必ず生きていると強く確信しております。
そしていつかこの近いうちに、また私たちの家に帰ってくると家族全員がそれを望んで、またそれを信じて待っています。
このような集会に参加させて頂くとも、また多くの皆様のご支援を頂いていることも、それが私たちのアノーチャがもうすぐ帰ってくる、この思いを強くさせております。(拍手)
ですから次にこのような大きな集まりがあるとすれば、その集まりは私の家族アノーチャをはじめ、日本や他の国々の拉致被害者全員が帰って来た、そのお祝いの場でなくてはなりません。(大きな拍手)

これは私の父でアノーチャの実の兄であるスカム・パンジョイが私に託した手紙です。(一枚の紙を掲げて見せる)
今回父は病のために来日する事が叶いませんでしたが、父に代わりましてこの手紙を今読み上げさせて頂きます。

「私はスカム・パンジョイです。
アノーチャ・パンジョイの実の兄です。
私は日本の拉致被害者の家族の皆様、それに支援者の皆様のご支援に心からお礼を申し上げます。

アノーチャの拉致は、私の家族の中に生じた大きな困難です。
しかし私の家族はタイの片田舎に暮らす小さな家族でしかありません。
このような私たちの困難を皆様が高い関心を持ってご支援してくださっている事に改めて感謝申し上げます。
皆様は私に出来る限りの支援をしたいと仰ってくださっています。

私の妹は1978年にマカオでいなくなって以来、27年間全く消息が分かりませんでした。
妹がどこにいるかを知る事が出来た事には幾分安心してはいますが、皆様には妹がもう一度家に帰ってくる事が出来る様に今後もどうかご支援をお願い申し上げます。(拍手)
私はもし皆様のご支援が無かったとしたら、一体誰を頼ったら良いのか?と言う思いで一杯です。

タイ人拉致被害者 アノーチャ・パンジョイの兄、スカム・パンジョイ (拍手)」

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国民大集会(2007/4/22)-13 櫻井よしこ氏のコメント

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  13 司会 櫻井よしこさんのコメント
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「拉致被害者全員の即時帰国を求める国民大集会」
07・4・22 日比谷公会堂にて

★司会 櫻井よしこさん

ありがとうございました。
北朝鮮に暮らして、あの金正日・金日成体制の下で多くの多くの体験を重ねてきた方が、金正日は変わらないと仰った。
決して変わらない。

しかし国際社会は、金正日が心を変える事を願って様々な妥協を重ねてきました。
アメリカもクリントン政権のときに希望的観測によって譲歩を致しました。
そして今も6カ国協議でともすればそのような方向に流れがちになる。
多くの人は「日本だけが孤立するじゃないか」「日本だけがバスに乗り遅れるんではないか」
とんでもない話ですね。(拍手)

今多くの人の話を聞いて、私たちの側こそが正しい。
その事が改めて確認されたと思います。(大きな拍手)
このような金正日体制に対して取るべき道はたった一つです。
強い強い態度で臨む事しかありません。(大きな拍手)

どんなに国際社会で孤立しているかに見えても最後に勝つのは道義であります。(拍手)
最後に勝つのは正義であります。(拍手)
また、道義や正義を勝たせるように、私たち国民が「孤立しているのは私たちでは無い」という事を肝に銘じなければならないと私は感じています。(拍手)

拉致被害者の家族の皆さんは、その事を本当に良く知っていらっしゃる。
他の誰が言おうと、肉親の悲しみを通してこの悪魔のような政権が、いかなる甘い言葉をささやいたとしても変わるはずが無いという事を知っているわけです。

もう一人の拉致被害者のご家族の方にお話を伺いましょう。
タイから拉致されたアノーチャさんの甥御さんのバンジョン・パンジョイさん。(拍手)
05年の国民大集会にもお出でいただきました。
去年の国際会議にも参加してくださいました。
どうぞよろしくお願いいたします。(拍手)

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2007年4月27日 (金)

国民大集会(2007/4/22)-12.金 起成 自由北朝鮮放送副会長による韓国報告

櫻井よしこさん 司会

さて、あの地獄のような北朝鮮から多くの人たちが逃れてきています。その脱北者のみなさんが韓国でラジオ放送を行っています。自由北朝鮮放送というその放送局の副局長さんで金 起成(キム・ギソン)さんが今日はおいでになっています。
金 起成さんは、ご自身が脱北者です。そしてこの放送は、皆様方の寄付も一部そちらに支援する形で使っていただいています。西岡さん通訳をお願いします。
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 12.金 起成 自由北朝鮮放送副会長による韓国報告
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 皆さんこんにちは、まず今日の行事に私ども自由北朝鮮放送を招待していただいて心から感謝しますとご挨拶いたします。(拍手)
昨日の夜、実は日本の家族会の方々と夕食会に招待を受けたんですが、日本の家族会のある方が、次のようなことを話されました。

去年のこの行事が最後の大会になって欲しいと思っていたのに、今年も、また国民大集会をすることになってしまった。来年は、もうこのような行事が必要がないように、・・みなさまに会えるようにもっと一生懸命努力しようとそう言うようなお話でありました。

私はその方お話を聞きながら、同業相哀れむという、同等の気持ちを持ちました。

私もやはり、北朝鮮に父妹とがいます。
ここにいらっしゃるご家族のようにですね、愛する家族が北朝鮮によって拉致されたのではありませんが、金正日によって人質にされているという点では、同じであります。それで私はここに立っています。

皆さん方と同じように金正日の魔の手によって、私の愛する家族も囚われている。あるいは、それだけでなく、北朝鮮で、2300万の市民も囚われている。その人たちを救うことが私たち脱北者の使命だと考えているのです。

悪は金正日は絶対に変わらない、悪魔的存在です。
そのために彼が終わりを迎えて初めて、皆さん方の家族や、私ども家族や初めて自由の身になるのです。(拍手)

私ども自由北朝鮮放送は脱北者が作り、また脱北者が作りつつある放送であります。
私たち脱北者は、金正日は絶対変わらないと言うことを、あまりにもよく知っているので彼を歴史に告発し、世界の良心に告発するために、苦しい中ではありますが、私たちの声をあげていくのであります。

金正日は世界の良心を一番恐れており、北朝鮮の人民が金正日は目覚めることを一番恐れています。

我々自由北朝鮮放送が北朝鮮に向けて短波で、正義の・・を送り始めたとたん、金正日は南北・・旧会談の席で公式に自由北朝鮮放送の中断を求め、またそれだけでなくて南の親北団体を使って、物理的に放送を中断させようと脅迫いたしました。そして、電話での脅迫、血まみれの斧を送ってくる、そしてまた嫌がらせのビラを送ってくるなど脅迫しているのであります。

金正日の脅迫、嫌がらせは今も続いています。
しかし私たちは、金正日との戦いにおいて、金正日が死ななければ私たちが死ぬのだという覚悟で闘っています。(拍手)

金正日がいなくなって初めて、我々脱北者が・・の人生を送ることが出来る、また、ここにいる拉致家族の皆さんが被害者と会うことができるのです。

金正日がいなくなって初めて東北アジアの平和も世界の平和も成るんです。

ですから、私ども自由北朝鮮放送は日本の拉致被害者家族の皆さん、そして韓国の拉致被害者家族の皆さんと力を合わせて金正日と最後まで闘って勝利するのであります。(拍手)

今日までの、自由北朝鮮放送ができるまで、私たちの同志になってくださいまして支援してくださった方々、そしてここにいらっしゃる西岡教授のように、固定支援者になって、北朝鮮の同胞に対する希望の炎に成ってくださった日本の拉致被害者家族の皆さん、日本の国民のみなさんに心から感謝を申し上げ、今後も引き続いて、私たち脱北者と共に永遠の同志になっていただくことを、心からお願いして私の挨拶とさせて頂きます。ありがとうございました。(拍手)

※音声ファイル Blue jewel Voice
    http://www.voiceblog.jp/blue-jewel-7/333152.html
 
 又は話の花束http://piron326.seesaa.net/
 
  ブルーリボン放送でどうぞ。

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国民大集会(2007/4/22)-11.崔祐英さん の訴え

櫻井よしこさん 司会 
国民大集会には第一回から毎回出席してくださいました、拉致被害者家族協議会の前の会長でいらっしゃる崔祐英さんです、崔祐英さんさんのお父様も船で操業中に拉致されてそのまま行方がわからなくなっています。崔祐英さんお願いします。

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11.崔祐英 韓国・拉致被害者家族協議会前会長の訴え
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みなさまこんにちは。(会場からこんにちはの声)
今回も私を招待していただき、まことにありがとうございます。(拍手)
ここ日比谷公会堂で、拉致された父を助けてくださいと皆様方に訴えましたが、もう10年になりました。初めて日比谷公会堂に来て拉致された家族のために、一生懸命生きている横田さん達の家族を見て感動しました。

韓国に帰って初めて家族(会)を作りました。ありがとうございました。
昨年には皆さんのおかげで、金英男の家族が会うことができました。

日本のマスコミの皆さんにも感謝しています。日本の国会議員の皆様にも拉致問題にご尽力いただきありがとうございます。今後とも宜しくお願いします。

東京の春は、本当に綺麗で桜も盛んです。今日のように良い天気になれば、家族とお花見に行きたいんです。私も早く父が戻ってきて、父と腕を組んで桜が綺麗な庭園を散歩したいです。

今の時代に、携帯電話があって簡単に愛する両親に電話が出来ます。
しかし、私には、ただ夢でしか会うことができません。
春、夏、秋、冬が過ぎたら、また春が来ることを考えると、私の家族にも、被害者の家族にも必ず、春が来ることを、希望を・・、焦ってはいません。

私は、そのために、みなさんの愛や活動が必要ですから、応援してください。(拍手)
また、日本の方、タイの方、ルーマニアの方韓国の被害者が国際的に連帯して頑張っていきましょう。

本日はありがとうございました。

櫻井よしこさん 司会 
日本でのこの拉致被害者救出の動きは、むろん当初は孤独な戦いではありましたけれども、多くの人たちの努力によって、今我が国は政府をあげての対策に取り組もうとしています。

対照的に韓国では、政府が全く動きません。どれほど孤独な絶望的な戦いかと心から私は悲しく思います。だからこそ、私たち日本人は、日本人の拉致被害者だけではなく、韓国の人も、ルーマニアの人も、タイの人も、どの国の人も全ての拉致被害者を救い出すように頑張っていきましょう。

 音声ファイルは   Blue jewel Voice  http://www.voiceblog.jp/blue-jewel-7/
 
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パネルディスカッション その2

第16回藤沢集会
07.3.31 藤沢産業センターにて

『パネルディスカッション その2』

★司会 川添友幸救う会神奈川代表

ありがとうございました。
次、荒木先生にお伺いしたい点が2点ございます。
風船の話がございましたね?
風船を飛ばすという、この風船の問題は私たち神奈川の会でも全面協力していきたいと思っていますが、風船の効果と言うものを教えていただければと言うのと。
今日冒頭にもちょっとお話をしたんですが、平壌のよど号グループから私ら名指しをされてしまったという経緯があるんですが、福留貴美子さんや拉致被害者が一旦日本に戻って来たという経緯があるという事を考えますと、週刊現代の件と言うのもちょっともう一回考えてみる必要があるんでは無いか?と私考えるんですが、さっきの話以上にこういう事があるというのがあれば、お教えいただければと思いまして、その2点お願いいたします。

★荒木和博 特定失踪者問題調査会代表

まず、風船の方ですがこれはですね。
今回我々が作っているビラの内容と言うのは片面はですね。
日本人の拉致被害者向けということで、それでもタイトルは日本語で書いてあって中身は朝鮮語で書いてあるんですが、ともかく今救出のために努力をしていますと。
情報を是非日本になんとか送ってくださいとこちらの連絡先ですね。
電話からFAXからe-mailから私書箱からみんな一応書いてございます。
それが片面でとにかく助ける努力をしていますという事を伝えたい。
それから短波放送を流していますので是非聴いてくださいということですね、これが書いてあります。

もう片方は北朝鮮の幹部並びに人民の皆さんへと言う内容になっていまして、これはともかく今金正日にくっついていても駄目だと。
是非その時に審判を受ける立場ようなにならないようにしてくださいねという事でですね。
情報をこれも出してもらいたい。
今回一つのポイントになっていますのは、情報を出してくれれば1000ドルから内容によっては1万ドル以上の謝礼をお払いしますという事を書いてございます。
金額まで書いてあるのはおそらく今回が初めてだろうと思います。

イ・ミンボクさんとですね。
原稿のやり取りなんかをいろいろして、それを彼が直してくれたりしたんですが、最初彼から返って来たのは10万ドルと書いてありましてね。
間違いだろうと思って1万ドルと書き直したら、いや10万ドルだともう一回書き直して来まして、「いや10万ドルも無い」って言ったら、「それは来た情報にそんな価値は無かったと言えば良いんだ」と(笑い声)、いかにもコリアンらしい発想ではあるんですが、日本人としてはそれは中々言えないのとですね。
さすがにいくらなんでも10万ドル出すとですね。
特定失踪者問題調査会は全く無くなってしまいますので、それは出来ないという事でそれでも一応1万ドルという事で書いた。
出すあてがあるのか?と言ったら正直ありませんが、あったらかき集めてくるしか方法がございません。

ただ、イ・ミンボクさんの話によれば1000ドル出すって書けばですね。
それだけで北朝鮮の一般の人間は命かけるという事ですので、ともかくですね。
こんなところでケチついてもしょうがないのでやるだけやってみるかという思いでございます。
それで情報が何か出てくれば、そこから次に動かすことが出来るだろうということでありまして、ご案内のとおり我々6者協議の合意に反してですね。
政府からの支援を5~600万蹴っ飛ばしてしまったものでですね。
本当に昔からいつ潰れてもおかしくないと北朝鮮みたいな事を言われておりますけども(笑い声)、このまましばらく自転車操業が続きます。

しかし考えてみれば、調査会が出来た時からいつ潰れてもおかしくないと言われながら今まで残ってきたのは、そこの北朝鮮と同じようなものでですね。
それでもやれば周りの国が北朝鮮と同じに大事にしてくれると。
やがて調査会が暴発したら怖いから6者協議でもやろうというふうに言ってきてですね。
エネルギー支援でもしてくれるんじゃないかという期待をしております。

風船とラジオとを両方相乗効果を持たせたい。
ラジオの方では風船でビラを飛ばしていますよと、ビラの方では放送をやっていますよという事をやってですね。
とにかく助けようとしているんだと、そしてそれは日本人の拉致被害者だけではなくて、帰国者も一般の北朝鮮の人たちも含めてですね。
助けようとしているんだという事を、特に日本がやろうとしているんだという事をやっていく。

韓国なんかは非常にプロパガンダが効いてしまってですね。
反日的な事を言う人が非常に多いと。
実際はそうでもないんですよ?
実際はそうでもないんですけども、表に出ている報道とかですね。
そういうものは反日的なものが多いですけども、北朝鮮は逆にそうじゃなくてですね。
北朝鮮から脱北した多くの人が言うのは「何で南の連中はこんなに日本の事を悪く言うんだろう?」と。
北の人の方が反日感情というのは弱いです。
と言うか逆に日本に対する非常な憧れがあります。
だから我々が今やっておく事にですね。
これはある意味朝鮮半島との関係を後で変える起爆剤にもなるであろうと言うふうには思っております。

でまぁ、すでに14回北から抗議が来たということでですね。
言っていますのでそれだけ効果がある。
韓国の政府関係者の人にこの間会ったときにですね。
「今度やるから韓国政府の方で邪魔しないでくださいね」と一言言っておいたらですね。
「今なにも韓国の民間団体が政府のいう事を聞くわけが無いじゃないですか」と言うふうに言っておりました。

去年の8月にそのイ・ミンボクさんと一緒にちょっと実地みたいにやらして貰ってですね。
飛ばした風船の一つが上でビラがはじけてしまいまして、それが二日後くらいにソウルの首相官邸にビラが一枚落っこちたと(笑い声)、ということがございまして、三浦小太郎さんが言えばですね。
ここも北朝鮮みたいなものだから効果があったんじゃないか?と。(笑い声)
さっき言った韓国政府の高官の人もですね。
その事を言ったら「あぁ、それは一番効果がありましたね」と(笑い声)、そういう状態ですから効果はあるらしいと。(笑い声)

それからよど号の話で福留さんの事がございましたけども、福留さんとはお母さんと私も2度ほどお会いしました。
今日お見えの高沢皓司さんと一緒にやっておりまして、非常に特殊なケースではあるんですけども、やはりですね。
これから先いろんな事が分かってくるであろうと。

この間ちょっと発表したものの中に出したんですが、今まで特定失踪者の1000番代リストという可能性の高い人という事で入れていたお子さん二人ですね。
高さん姉弟、お姉さんと弟さんですが、このお母さんについても我々は0番台リストにこの間上げました。
上げたのはですね。
全く絶対に亡くなったという確信があるわけじゃないです。
大変残念ですけど、拉致でなかったとすれば亡くなっているという可能性があるんですけど、拉致だったという可能性が全く排除できないという事で、特定失踪者のリストに上げることに致しました。

この渡辺秀子さんと言う方のご主人が高大基と言う工作員で、それがいた東京都内のですね。
ユニバース・トレイディングと言う会社ですが、この会社のあったビルの受付のところに福留貴美子さんが仕事をしていた。
と言う事実関係がございまして、非常にですね。
これも単なる偶然なんだろうか?と言うふうに思わせるところがございます。

やはり我々絶対に考えておかなければいけない事は、拉致被害者と言うのはいったいどうして連れて行かれたのか?
基本的にはですね。
北朝鮮に連れて行ってしまえばいいと、工作機関の方では連れて行けば点数が上がったという事で非常に単純なことでやっていると思うんですが、私はその中に目的を持って連れて行っている人間がいると。
目的を持って連れて行っている人間の中にはですね。
当然日本国内に戻してそして仕事をさせている人間がいるはずです。
今だって日本の国内に戻ってきている人がいる可能性はあるわけでございます。

我々の失踪者のリストでは無いんですけど、群馬県の人でですね。
ある時に同僚との海水浴ですね。
新潟の海岸に行って突然パンツ一丁で消えてしまってですね。
そして数年してから沖縄に突然現れた。
その間の事は全く覚えていないという人物がおります。
持っていったのは免許証だけだったらしいという事でございます。

その人は非常に不思議なんですが、公務員だったんですけども公務員であればこうやって突然消えてしまったら当然懲戒免職という事になるんですけど、記憶喪失という事で戻ってきてからですね。
またほぼ元の職場に復帰をしたりしているという事でですね。
非常に周辺が不思議に思っていることでございまして、おそらくこういうケースは他にもあるんだろうと思います。

拉致と言うのは海岸を歩いていてそこに来た突然海から上がってきた工作員に捕まるなんて事は、無いとはいえませんけども本当にごく一部だったと思います。
横田めぐみさんの事件だって海岸からいなくなった、警察犬が止まったところから海岸まで数百メートルの距離があるわけで、上がってきた工作員だけであんな事が出来るわけがありません。
だから相当の数の人がですね。
北朝鮮の工作員なりあるいは協力者であれ、日本の国内に今でも存在している事は間違いないです。
相当多くの人が、これは日本人も含めてですね。
北朝鮮の下請けみたいにしたやくざもいると思うんですが、そういう連中で拉致の事を知っている人は相当いるはずです。

福留貴美子さんの事件と言うのはやはりですね。
福留さんだけがああやって戻って来たというふうに思っては絶対にいけないことだと思った方がいいです。
あれはそういう事がおそらく複数と言うか相当あったわけですね。
ですからそういう目で眺めてみるとまた別の見方が出てくると。
川添さんがさっき言ったようによど号グループからですね。
この間のことについて要はけしからんと言うかでっち上げだみたいな事をですね。
声明がこの間出たわけですが、これは北朝鮮側の反応からですね。
こういうのが出た時と言うのは、それはですね、要は本当だという事です。
どうでもいいことであれば向こうも反論する必要も無いわけで、わざわざそういうふうに言ってくるというのはですね。
かなり良い線をいっていたからだと思っていた方がいいだろうと思います。
おそらくこの中にもよど号の関係者一人くらいいると思いますので、帰ったらよく伝えてください。(笑い声)

皆さんそういうふうに言ってくれれば言ってくれるほどですね。
大体向こうの状況が分かる。
先ほど加藤さん、指名手配になっているという話をされましたが、これも加藤さんがいかに北朝鮮からですね。
困る存在であるかという事の証しでありまして、残念ながら私なんか指名手配のしの字もしてくれません。(笑い声)
如何にこれは格の違いを示していると思うんですけども、やはり向こう側が反応するという事はそれだけですね。
効果が上がっていると、撃った弾が当たっているとの証拠でございます。
福留さんのこともこれからもっと掘り下げて突っ込んでいくことによってですね。
さらにいろんな事が分かってくると思います。

先ほどいいました蓮池さんのケースについては、これもそういう線で捕らえた方が良いだろうと思います。
今年の1月にNHKで、NHKさっきカメラも来ていた様で記者さんも来ていた様で余り言うと悪いんですけども、NHKも一生懸命やってくれているんですが、今年の1月にスクープのようにして出たニュースでですね。
蓮池さんに対して向こうで指導員が、実は女の方を連れて来ようと思ったんだけどあなたも一緒にいたので連れて来たんだというニュースを流していました。

真っ赤な嘘です、こんなもの。
誰が嘘をついたかって、私は警察だと思っています。
この中にもまたおそらく警察の人いると思うんですが(笑い声)、そんなはずは絶対にありません。
大体ですね、やろうと思ったらですね。
もう一人いたから連れてきたなんてありえないです、そんなこと。
だって要員とか装備とか二人分用意しなければならないので、70年代にあれだけのアベックの拉致とか続いているというのは一体何を意味するのか?

その時はそういうふうにして連れて来いと、もちろん一人で連れてきためぐみさんみたいなケースもありますけども、たくさんですね。
ともかく二人で連れてくればお互い安心してですね、定着するだろうというですね。
極めて単純な発送の下にやったという事でございまして、しかもあの二人のどちらを連れてくるかと言ったらですね。
やはり蓮池薫を連れて行ったと、だからこそ今でも彼があの5人のコントロールタワーの役割を今でもしているという事だろうと言うふうに思います。

じゃあ何でそんな発表があったのか?
おそらくはですね、その週刊現代に出た話を打ち消すためのリークだろうと私は確信をしております。
つまりこれはですね、要は日本政府の中でもですね。
そういうものを隠そうとする動きがいまだに動いているという事であってですね。
やがて全部明らかになると思うんですけども、その事はやはりちゃんとしてもらわなければいけないと思っています。
それが明らかになれば日本国内の問題が出てくるわけであって、だからこそ私さっき言いましたように、情報を出してくださいと。

どうせテレビの広報とかCMとか、あるいはパンフレットやるんだったらですね。
一言ここに情報を送ってくださいという事をですね。
書いてその情報を対策本部で収集してですね。
分析して次の対策に使って貰いたいというふうに思っているという事でございます。
以上です。

★川添友幸氏

ありがとうございました。
最後は横田さんにお伺いが一点と後は皆さんにメッセージをお願いしたいと思います。
今度5月19日・20日なんですが、チラシの方に入っているんですが、あさがおの会からパネルを借りましてですね。
藤沢で写真展をやろうかと思っています。
それとプラスアルファ特定失踪者問題調査会からもパネルを貸していただくという事で、神奈川県内の関係の方のパネルを借りましてですね。
さらに今日来られています、萩原さんの守る会のほうで北朝鮮の強制収容所のおどろおどろしい絵がありまして、それも3セットのパネル展をやろうかと思っています。
あさがおの会の写真展の写真の説明みたいなことと、横田さんのご両親が今後講演が難しいと思いますので、会場の方にメッセージなどございましたら是非お話をしていただきたいと思うのでよろしくお願いします。

★横田拓也さん

二つあると思うんですが、あさがおの会と言うのは、私の両親が住んでいるマンションの方々の有志の組織で、いろんな写真展を含めていろんな活動の支援をしてくださっている方々です。
私の両親の部屋のお隣に住んでいる方が中心になってやっている方で、マンション・地域一体となって、もしくはこの川崎市という地域一体となってですね。
拉致問題に対して直面してくださって、この問題をこの問題を本当に力強く対応くださっていると言った内容です。

これまでも、あさがおの会の方の力でですね。
写真展ですとかいろいろなお力添えを頂いて、私が去年の4月にアメリカに行きまして母とホワイトハウスの中で面会をする機会を頂いた事があったですが、その場でも持っていった写真の協力がですね。
そういったものにも入っているという内容で、とかくどこかで集会・講演会という活動の中でですね。
そうした一般的には見えないような大きな力によってですね。
私たちは支えられているといった内容です。

そしてこの写真展、今5月中旬と伺ったんですが、予想以上にこれは効果が大きいと思います。
写真展ですとか、先ほどのいろいろな中身は小さいかもしれません。
こういったチラシですとか、DVDとか、もしくは過去にも出たような漫画とか、そういったものは幅広い方・幅広い地域・幅広い年齢の方に、漫画なら若い方に読んでみたいとかですね。
こういったものはインターネットにお詳しい方なら読んでくださったりですね。
そうした一つ一つのツールと言うものは、この問題を深く掘り下げていく有効な手段だと思っています。

これは藤沢でやっていただくのは本当にありがたい話ですし、そこから情報を発信していただきたいんですが、こういったやはり写真展であれ漫画であれDVDであれ、この前公開されました映画であれですね。
一人で見に行ってそこで観客で(満足)していただきたくないという事なんですね。
やはりこういうものがあったという事を一人でも二人でも多くの方々に伝えていただいてですね。
この問題の深刻さ、そして現在もまだ解決がされていないんだという事をですね。
わたしたちがしっかり認識をしていくこと。
そしてそれを政府に求めていくこと。
このつながりが出来ていけばとてもベストなんじゃないかなと思います。

あと二つ目のご質問でメッセージと言うか、両親の状況なんですが、先ほども少しお話をしたようにですね。
相当疲れています。
一緒にいれば歩くときもですね。
歳が歳ですから仕方が無い部分もあるんですが、やはり今まで一緒に軽快に歩いていたスピードではなくてですね。
少し足を、引きずってはいませんが、ゆっくりになって来ていたり。
もしくは家に、私も忙しくて行く時がありませんが、行っても寝ている時もあれば起きている時でもあまり元気じゃないな、と言うのが正直分かるし、一緒に政府に面会に行く時に会う事があるんですが、その時でも話をしても本当に疲れているなぁという感じはあります。

もちろん父は検査を今でも継続的に受けますから、数値、あらゆるものを項目で検査をやるんですが、その一つが完治していないことによってですね。
自分自身も精神的にストレスがあると思うので、本当にこれは休ませてあげたい。
一刻も早くめぐみを日本に、そして自分の家庭の中に取り戻してゆっくりとした楽しい生活をさせた上げたいなというのは考えています。
これは本当に出口は見えていると思います。
ただ、その距離は何メーターか何百メーターか何キロか分からないので、その距離を縮められるのは私たちの民意の力だと思っていますし。

とはいっても、父と母にこれ以上体を犠牲にしてまでですね。
我が子の為とはいってもですね。
ここまで高い水準で国民の皆さん、日本政府が自立的な機動でですね。
対北朝鮮に対する運動が高まっていますから、ここでやっぱり自分の体を崩して、帰ってくるときに自分が床に伏していたとかですね。
他界していたという事では全くこの10年間、もしくは30年間耐え抜いてきた意味というのは残念ながら無くなってしまうので、やはり私もこういった場でよく申し上げるんですが、皆様方にこれまで支えていただいたお礼を唯一出来るのは、、めぐみを取り戻して皆様方に家族全員でですね。
「これで皆様方の力で帰ってくる事が出来ました」とお礼を申し上げること。

これが皆様方に対する真の御礼だと考えていますので、その意味でも両親には、出なくてはいけないところは有るにしてもですね。
あまり無理せず元気良く明るく、そして最後のゴールを目指してですね。
行っていただければというふうに思います。
今日両親からメッセージを預かってきているわけではありませんが、いつも当たり前の話ですが皆様方にですね。
「本当に心からありがとうございます」という事は言ってくれていると思うので、その気持ちを改めて私の口から伝えて終わりにしたいと思います。
ありがとうございます。

・・・集会終了・・・

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※藤沢集会の録音・写真撮影・ネット公開については主催者の同意を頂いております。

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2007年4月26日 (木)

国民大集会(2007/4/22)-10.李 王哲 韓国拉致被害者家族協議会会長 の訴え

櫻井よしこさん 司会 
韓国からは、本当に多くの人たちが、ある意味では日本人よりもっともっと長い間、拉致されております。にも関わらず、韓国政府はほとんど何の動きも見せない。それどころか、北朝鮮にのめり込むような政策をずーーと、とり続けてきています。そのことで、韓国の拉致被害者の関係者皆さん方、本当に多くの苦労を重ねてこられました。
韓国拉致被害者家族協議会会長に、この3月就任なさいました、李 王哲(イ・オクチョル)さんにお願いをいたします。

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 李 王哲 韓国・拉致被害者家族協議会会長 の訴え
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こんにちは。
私は崔祐英(チェ・ウヨン)会長がリードしてきました韓国拉致家族協議会の新しい会長になりました、李 王哲(イ・オクチョル)と申します。(拍手)

私の父は、1972年、12月28日漁船であるオデイヤン61号(※1)の船員として、朝鮮半島の西の海にありますピンニャンドウ(※2)という島の近海で操業中に北朝鮮によって拉致されました。

2005年の2月に家族会が中国で入手した拉致漁船員36人が、北朝鮮の ・・・山で撮影した写真が公開されたことがございます。

この写真を見ていただきますと、私に父が胸に金日成バッジをつけて写っております。

しかし、我が国政府は私の父の生死の確認さえも出来ずにおります。
我が国政府は、北朝鮮に対して拉致被害者を送還せよと要求しますが、北側は拉致被害者はいないと、自分の意志で望んで越北したものはいるが、拉致被害者はいないと言って拉致問題を認めないのであります。

また我が国政府は、北と交渉しまして拉致被害者を一般の離散家族の再会に合わせてその中で生死確認と、たった一回だけの再会をさせるようにしております。

私たちは、私たちの家族である拉致被害者は、必ず帰ってこなければならないと思っています。(拍手)

私は、拉致家族協議会を7年間引っ張ってこられた崔祐英名誉会長と共に、拉致被害者480人あまりの生還と、そして真相究明のために一生懸命運動していくことを誓うものであります。

皆さん方も、失望することなく皆さん方の拉致被害者が家族の元に返ってくるように私は心からお祈りいたします。
ありがとうございました。(拍手)

 ※1オデイヤン61号 の漢字がわかる方がいますか?教えてください。
 ※2ピンニャンドウ(洞?)島の名前がわかる方、教えてください。

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国民大集会(2007/4/22)-9.李 美一 朝鮮戦争拉致被害者家族協議会代表の訴え

櫻井よしこさん 司会
  さて非常に多くの人々が韓国から北朝鮮に拉致されています。
朝鮮戦争の時の拉致被害者は、8万2959にのぼります。
その朝鮮戦争拉致被害者家族協議会から、李 美一(イ・ミル)さんが代表としておいでになっています。
韓国政府、肥料や食料を北朝鮮に送ると言っております。
その韓国政府に対する想いも深いものがあると思います。
宜しくお願いします。
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 李 美一 朝鮮戦争拉致被害者家族協議会代表 の訴え
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 みなさんこんにちは。(拍手)
まず、安倍総理が先頭に立って拉致被害者を救出しようという強い意思を持って心血を注いでいらっしゃることに、頭を下げて感謝申し上げたいと思います。
私たち拉致被害者家族会は心から感動しており、心の底から総理を尊敬しております。

何よりもこの間、心血を注いで拉致被害者救出運動を進めて来られました関係者の皆さん、そしてこおにお集まりの皆さん方に対して8万人を超える韓国拉致被害者家族を代表して、感謝をもうあげたいと思います。(拍手)

みなさんご覧になってわかるのように私は背も低くて、声も大きくありません。
朝鮮戦争が起きたその1年目の年に、脊髄を痛めて、障害者になったからであります。
私が高熱でうなされて寝ているとき、既にその時、父は戦争中に北朝鮮によって拉致されていたのです。

その時私の父は、三十代の青年実業家であり、私の母とそして3人の娘を心から愛していてくれてました。たぶん医者であった母がいなかったら私は生きていることができなかったと思います。
私の母は、大変美しく有能な者でありますけれどもが、57年間その母の心の中には、ただ一人、父に対する愛だけがあり、今も父が連れて行かれたその場所で、父の帰りを待っているのであります。
私たちの家族は、父のことを忘れて暮らしたことは一度もありません。(深いため息)

私は時々父のために、この仕事をするために、神様が私を生かしておかれたんではないかと考える時があります。(拍手)

私は私の父が生きていることを信じております。そして私は母がどのくらい父のことを愛していたかと言うことを知ってもらえる日が来ることを信じています。

私の話は特別なものではないのです。夫を奪われ、残された妻が経済力がないために、涙を流しながら自分の子供を孤児院に預けなければならなかったということさえもあったのです。

それらの中で、家族達はそのために拉致された必死の活動をしましたが北朝鮮は始終一貫して拉致被害者はいないとして一人も帰してきてはいないのです。
そして一人の消息もわかっておりません。

私たちはこの間、北朝鮮の金日成と朝鮮労働党が、戦争拉致犯罪をしたと言うことを立証するために、関連する資料を収集して参りました。そしてついに2006年の9月に、1140ページに及ぶ資料集の第一巻を発刊することが出来ました。北朝鮮の文書であります『金日成の教示文(きょうしぶん)』~~南朝鮮からインテリを連れてくることについて~~という金日成の教示文を始めとして、様々な北朝鮮の文書や、統計を集めまして、それを通じて、北朝鮮の戦争中の拉致というのは、偶発的なものではなくて、緻密な事前計画に基づく、選別された “選別拉致” であったと言うことを確認することが出来ました。

このような事実は、戦争中の偶発的な人命被害とは確実に区分される戦争という特種状況を利用した戦争犯罪であると言うことが証明されたのです。(拍手)

みなさん、北朝鮮の拉致犯罪は、1950年、金日成と朝鮮労働党によって始められ、金正日まで続く大変根深い犯罪であります。
そして今も継続しているテロであります。

拉致犯罪を事実の通り認めず、拉致被害者を返さない政権は、これ以上権力を持たせていてはなりません。(拍手)

私たちには、これ以上待つ時間はありません。
国境を越えて、世界が一致団結して、全ての拉致被害者を家族の元に返すように、私たち力を尽くそうではありませんか。(拍手)

櫻井よしこさん 司会 
李 美一 さん本当にありがとうございました。
本当にありがとうございました。

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国民大集会(2007/4/22)-8.ガブリエル・ブンベアさん 訴え

櫻井よしこさん 司会 
あの悪魔のような北朝鮮による拉致被害は日本だけでないのは、ご承知の通りでございます。
多くの国に被害者が存在します。
ドイナブンベアさん、ルーマニアから拉致されました。
曾我ひとみさんがそのドイナブンベアさんを看取られたと言うことがジェンキンスさんの本の中に書いてありました。ドイナさんの弟さんですね、ルーマニアからおいで頂きました。お話を伺いたいと思います。(拍手)
金曜日に来日いたしまして、昨日佐渡に行かれまして、ジェンキンスさん、曽我さんにお会いしました。そしてこの国民大集会が始まるほんのちょっと前に佐渡から戻ったばかりです。
宜しくお願いします。

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ガブリエル・ブンベアさん(ドイナ・ブンベアさんの弟)の訴え
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今日はここで、みなさんと一緒にいることはとっても喜びです。
みなさんと・・・政府の皆さんの方々といることはとても名誉に思います。

日本にきて何日かしか経っていませんけど、たくさんの痛みや哀しみを感じることが出来ました。
その哀しみというのは、ジェンキンスさんと曽我さんから聞いた情報から得られたものです。
でも、それと同時に感謝の気持ちと喜びの気持ちも味わいました。

なぜなら私は素晴らしい国民と出会う事が出来ました。
その国民は、10年あまりの時間を費やして、この問題を解決しようとしているからです。
本当にみなさんに感謝しています。(拍手)

どうか、神様の力によって私たちの歩みを導いてくれるように祈っています。(拍手)
全ての哀しみにうちひしがれている方達は、その痛みが解決できるように願っています。

それは、愛する家族が一緒に過ごせる日が来るように願っています。
みんなで、そのため、その問題の解決のために闘いましょう。(拍手)

ありがとう(日本語で)

櫻井よしこさん 司会 
ガブリエルさんありがとうございました。
そして通訳は、なつえみさんでした、ありがとうございました。

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2007年4月25日 (水)

国民大集会(2007/4/22)-7.荒木和博 特定失踪者問題調査会代表挨拶

  ◆櫻井よしこさん 司会 

私たちは、拉致被害者全員を救い出さなければならないと決意しています。
拉致被害者、わかっている人だけが被害者ではありません。まだ多くのわかっていない人たち、特定失踪者の問題がございます。
この特定失踪者問題調査会を主催なさり、ずーーと調べてきました、荒木和博さんに、ここでご報告をお願いいたします。

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 荒木 和博 特定失踪者問題調査会代表 挨拶
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ご紹介いただきました、荒木でございます。本日多数の皆様おいで頂きまして、本当にありがとうございます。
今日、入口のあたりで、何人かの方から声をかけられまして『この進行表を見たら、おまえの名前が乗っかっているので安心をした』と言われました。
大変色々とお騒がせをいたしておりますことを、お詫びを申し上げます。(拍手)

私は二年前、この集会で平成18年の末までに拉致問題を解決する、そしてそれが出来なければ責任をとるというふうに申し上げました。勿論私一人の力で解決を出来るなどとは、思っておりませんでしたけれども、しかし、何とかそこにこぎ着けたいと申しまして、そして約束をいたしました。約束を果たせなかったからには、当然責任をとらなければいけないというふうに考えております。何かの機会を使ってですね、それを果たしたいと思います。

本来は、こないだ、先々週、韓国に風船を飛ばしに行きまして、あの時、あともうちょっと頑張れば、韓国の警察に逮捕される手前までいっておりましたので、逮捕されていれば、その責任の一部でも果たせたと思っていたのですが、残念ながら私は、小者でございまして、逮捕していただけませんでしたので、おめおめと、ここにまた立つことになった次第でございます。(拍手)

この問題は、先ほど、安倍総理、そして塩崎官房長官、おいで頂きまして、この場でスピーチをされたと。今まで勿論なかったことでございますし、最初の方に比べれば、これだけ運動が進展したんだなぁと。家族会の皆さん、救う会のみなさんのご尽力、そして全国の皆さんのご尽力がここに実ったんだな、と言うことは本当に感慨深く感じたわけでございます。

しかし、その上でここに各議連の先生方もおいでになり、政府の関係者の方々もおいででございますが、あえて、申し上げておきますけれども、

       だからといって解決できるわけではない

と言うことでございます。

安倍総理が歴代の総理の中で最もこの拉致問題に、熱心にやってくださっている事は、私も重々承知をしております。しかし、その安倍政権の基盤というのは、これまで半世紀にわたって拉致問題を隠蔽し、そして隠して、潰そうとしてきた勢力がその中に入った上で、安倍政権はその上に乗っかっている。(拍手)

これは、絶対に我々は忘れてはならないことだと思います。
総理、官房長官には、その勢力と本当に闘っていただかなければいけません。(拍手)

先般、長崎市の伊藤市長が射殺をされました。あれは拉致と何の関係もございませんけれども、しかし、正常な正常な心として考えればあれは一種の殉職でありまして、当然あり得るものだと思ってやっていただかなくてはなりません。

総理にも、その意味で、一命を、本当に物理的生命を賭して、やっていただかなければ、解決が出来ないと思うわけでございます。

詳しいことは、ちょっと申し上げられませんが、一言だけ、申します。
 今日拉致被害者が生きていると言うことは、明日の生命を保障するものではございません。
今日生きていると言うことが、明日の生命を保障するものではありません。

我々は、残された、時間というのは本当にないのだというふうに思ってやっていくしかございません。私ども、こないだの風船もそうですけれども、できること全てやってまいりたい。韓国、そして日本の他のNGOの方とも協力しながら、北朝鮮に入れられるだけの情報を入れて、そして、とれる限りの情報をとって、可能であれば、拉致被害者を引っ張り出してくるという作業を、どうにかして、何とか一刻も早く実現をしたいというふうに思っております。

そして、そのためには、政府は、もう一歩前に進んでいただかなければいけません。
今日配られております、あの政府が作っていただいた、8ページのチラシをご覧になってもわかりますが、確かにああやって作っていただいたのというのは初めてですけれども、しかし、あのチラシのどこにもですね、『拉致に関することを知っている方は、ここへ』という文言は存在していない。

情報を一生懸命収集しているというのであれば、そこに一言でも、それを書いていただいて、一頃でも、一つでも多くの情報を収集すると、その努力をしていただかなければいけないと私は、思っております。(拍手)

私どもも、この状況をを何とか変えていくために、5月ないし6月には、我々としては、何らかの新しい方針を出してこの問題を動かしていくための努力をして参りたいと思っております。。

最後にもうひとつ、先ほど総理も言及されましたが、渡辺秀子さんのお子さん二人の問題が今出ておりまして、警察としては拉致と断定をしておりますが、政府の認定が出来ておりません。これは、支援法に書いてあることが、日本国民となっているからでありまして、拉致議連の方々には、是非この支援法の改正をしていただきたいというふうに思うと同時に、私たちのリストの中には、在日朝鮮人の方々の失踪者も入っております。在日朝鮮人は、名前のわからない人も、はるかにおそらくいると思いますし、そして我々の460人のリストの中にないにない、日本人の拉致被害者もいるはずでございます。

これらの人を全て救い出すためには、北朝鮮との国交正常化ではなくて

北朝鮮の正常化を実現するしかございません。

体制を変えてしまうことであり、そして日本と北朝鮮の間の安全保障、主権侵害の問題と言う意味で言えば、そこに情報収集から奪還まで含めて軍の関与 が、どうしても必要であると、私は思っています。(拍手)

是非、この機会に皆様方のご支援をお願いいたしまして、私のご挨拶を終わります。
ありがとうございました。(拍手)

櫻井よしこさん 司会 
 ありがとうございました。
中川政調会長が、退出いたします。拍手をお願いします。
どうもありがとうございました。

大変に厳しい荒木さんのコメントでしたけれども、全てのポイントに於いて、きわめて正論だと思います。(拍手)
私たちは、こうした全ての助言を真っ正面から受け止めながら、この上なく力強い結束をこれからも進めていかなければならないと改めて思いました。

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※この集会で、一番迫力のあった、荒木さんの挨拶です。
生の声で確認してください。
音声は http://www.voiceblog.jp/blue-jewel-7/332666.html
または、話の花束、ブルーリボン放送でどうぞ。

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国民大集会(2007/4/22)-6.上田 勇 公明党拉致対策委員長 挨拶

櫻井よしこさん 司会 
さて、公明党からも、応援に来ていただいております。
公明党、公明党拉致対策委員長上田勇さんです。
宜しくお願いいたします。

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  上田 勇 公明党拉致対策委員長 挨拶
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  今ご紹介を頂きました、公明党拉致対策委員会の委員長を務めております衆議院議員の上田勇でございます。今日は、国民大集会に多くの皆様方、ご参加を頂きまして、本当にご苦労さまでございます。
今、もうこの拉致問題が、如何に我が国にとりまして深刻、そして重大な問題であるかは、もうお話があったところでございますけれども、今日は、安倍総理、官房長官もご出席を頂いてのこの集会を開催することが出来ました。

これまで、何年にも渡る様々な取り組みがある中で、なかなか進展が見られない。これは、政府も国会も大いに責任を感じているところでございます。

また、大変こう、苛立ちを覚えるところではないかと思っております。しかし、この問題、ほんとうに重大な課題として、しっかりと解決をしていかなければならないというふうに、私ども考えているところでございまして。

今、この北朝鮮を巡る六カ国協議進められております。まぁ、様々な動きも見られているようでありますけれども、我が国の得意な立場、これは、やはり北朝鮮との様々な交渉、これは、我が国にとって一番の関心事であります、拉致問題、これ、しっかりと、交渉が前進をしていく、解決をしていく、そのことが、何よりも前提条件であると考えているところでございます。

実際に外交交渉に当たるのは、政府であるわけでありますけれど、私たち国会に身を置くものといたしましても、その政府が交渉をやりやすく、そしてそれが有利に進められるような、その環境は、我々が作っていかなければならない責任があると思っております。

これまでも、様々な形での、経済制裁をとるための、議員立法や、北朝鮮人権法案や、様々な議員立法を成立をさせてきたところでありますけれども、これからも、政府のそうした交渉、有利に進められるように、しっかりと後押しをしていかなければならない。そういうような、決意をしているところでございます。

私たち、公明党の拉致問題対策委員会に置きましても、今日は私と、それから党委員会の事務局長を務めております、沢 雄二 参議院議員も間もなく到着すると思いますが、出席させていただいているところでございます。

これからも、政府、国会一体となりまして、拉致問題の解決、そして北朝鮮の核兵器、ミサイルの問題、まぁ、そして様々な課題を解決をしていくために、微力でありますけれど、しっかりと取り組んでいきたいという決意でございます。

今日お集まりいただきました、皆様方の熱意と、そしてご期待にしっかりと受け止めまして。これから、全力で取り組んでいく決意でございます。
どうも、ありがとうございます。

櫻井よしこさん 司会 
ありがとうございました。

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国民大集会(2007/4/22)-5.中井 洽民主党拉致対策本部長 挨拶

櫻井よしこさん 司会

さて次ぎに民主党拉致対策本部長の中井 洽(ひろし)氏さんにお願いいたします。
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 中井 洽民主党拉致対策本部長(拉致議連会長代行) 挨拶
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みなさん、こんにちは。ご紹介いただきました、民主党の拉致対策本部長、超党派の議員連盟の会長代理を中川さんと一緒に務めています中井 洽(ひろし)でございます。民主党代表と言うよりも、スタート時から、横田さんご夫妻の思いに打たれて、中川さん等と一緒に、微力でありますが、拉致議連で頑張ってきたものの一人として、連帯のご挨拶を申し上げます。

この10年間、本当に横田さんご夫妻始め、ご家族の皆様の思い、いかばかりであったか、こればっかりを想い続けて参りました。このご家族の皆様の方々の思いと行動、そして国民の皆さんのバックアップ、これがあって運動を今日まで続けて来られたと考えています。

超党派の拉致議連も紆余曲折、色々ありましたけれども、今日まで続けて頑張ってこれたのは、こういうみなさんのおかげだと思います。

そう言う中で、総理大臣、官房長官がこの大会に出ておる--ちょっと遅刻して、総理大臣何を言うてたか聞いてなかったんで申し訳ないんですが--という画期的な大会になりました。

安倍さんは、時々『民主党は批判ばっかりして何もせんじゃないか』と言うことを、こういう事をおっしゃるようですが、拉致は超党派でありますから、私たちは、このことを大歓迎いたしします。(拍手)

総理が先頭に立って、官房長官が責任大臣として、きちっと対策室を儲けられて、あげておとり組みになられる、私ども民主党も、党派を超えて精一杯バックアップをして参ります。(拍手)

この4月に何年か前から始まりました、アメリカの“北朝鮮人権週間”が行われます。
ここには、今日来ています、中川正春民主党拉致対策副本部長を派遣をいたします。昨年は隣におります渡辺周(しゅう)事務局長がご同行をさせていただきました。
こういった方面含めて、頑張って参りたいと、考えています。

ただ一つ、そういう政府の姿勢、大歓迎をいたしますが、先ほど官房長官が、『悲観主義者いろいろ言う』と、こういう言いわれ方ををいたします。しかし、私は六者協議、六カ国協議、あんまり楽観はしていません。あそこには、拉致という言葉はひとつも書いていません。平壌宣言と言うことはきっちり書かれてります。日本は言うべきことを言う、このことに理解はする、しかし拉致を解決しよう、あるいは進展させようと、本当に六カ国の中で合意が出来ているのか?これらに対して私たちは徹底的に、政府に対して、頑張れと言い続けていかなければ、アメリカがああ言う姿勢の中で、横田さん始め家族の皆さん方の思い、国民の思いはまた、雲散霧消してしまう可能性があると考えています。

そういう六カ国協議の折衝、特に日朝の実務者協議、これらを含めて、私たちは頑張る。

そして、拉致の新展・解決なくして援助をしない、国交回復もしない、これらを強く堅持して頑張り抜いていこうではありませんか。拍手)

私ども民主党も、微力でありますが、私を先頭に、皆さんと想いを一(いつ)にして、これからも、拉致対策、拉致問題の解決に向けて全力をあげて頑張って参ります
このことをお約束して激励とお祝いの言葉に代えます。ありがとうございました。

櫻井よしこさん 司会 
中井さんありがとうございました。
民主党も力強く頑張って欲しいと思います。

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8.パネルディスカッション(1)

    第16回藤沢集会
07.3.31 藤沢産業センターにて

『パネルディスカッション その1』

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★司会 川添友幸救う会神奈川代表

これからちょっとですね。
パネルディスカッションと言う形で私の方から短い質問を講演者の4人の方に出しますので、それに講演者の方でお答えしていただくような感じをちょっと考えております。

まず恵谷先生、今日はありがとうございました。
ちょっと先生に2点程お聞きしたい事があるんですが、本当はですね。
今拉致被害者の国というのはかなり世界的に広がっているという話がありまして、日本人とか韓国・レバノン、今回ルーマニアが出てきましたが、それを含めたその他の拉致の外国、ヨルダンとかフランスとかいろいろ名前が出ていますが、それに関しての何か情報のような事があれば教えていただきたいと思います。

後日本のですね。
ミサイルとか核が日本から技術流出したんじゃないかいう話が、それを聞いた事があるんですが、日本の技術を使う理由というあたりの話でご存知の事があればお教えいただきたいと思うので、よろしくお願いします。

★恵谷治氏(ジャーナリスト)

まず拉致被害者についてですが、現在確認されているのは12ヶ国で、その基本はですね。
北朝鮮に拉致された韓国の女優の崔銀姫さんからの情報、そしてもう一つは曽我さんのご主人のジェンキンスさん。
どちらも本を書かれておりますが、ジェンキンスさんの場合本に書かれている以上の情報をお持ちで、とにかくその情報自体をすべて確認できる。
つまり彼の証言は非常に具体的で信憑性があるという事で、ここで言って良いのか悪いのか、明日のフジテレビでも新しいジェンキンス情報がスクープで放送される。
夜の報道番組ですが、それにも私ちょっと話をしたんですが、具体的にこれまで知られている以上に被害者の情報が出ています。
その中には脱走兵だった4人の米兵の奥さんになる人。
タイの方、マカオ、レバノンそれからルーマニアで非常に詳しい情報が出ています。

そこで彼の証言によるとですね。
これまでに無かったのはですね。
彼は拉致被害者の国籍を言っているんですが、マカオはこれまでも当然知られています。
しかし当時はマカオと中国は別、マカオはご存知の通りポルトガル領ですが、それに彼はマカオに加えて新たに中国という言い方をしています。
それにですね、新しい情報としては台湾からも、それからモンゴルという事を言っています。
これは初めて紹介されることですが、それを加えるともっと国籍があると思うんですが、今後ですね。
そういった情報、もっと具体的に広がっていくんでは無いかと思いますし、救う会では先月ですか。
すでにルーマニアに行って弟さんが名乗りを上げていますし、上手く行けば22日の国民大集会に参加される可能性も考えられると。

ですからこれまでは、日本人は二言目には拉致拉致と言うと。
韓国もご存知のように戦争中に8万3千人戦後486人と言う数字があるにも拘らず、ああいう政権ですから・・・(聞き取れず)っていますが、でも地道に活動されている方がいるし、とにかく国際連帯で金正日を追い詰めていく必要があると、このように思っています。

それとミサイル・核技術、これはですね。
日本の技術が行っているとか行っていないとかじゃなくて、これは日本が無ければ開発なんか出来ないんです。
極端に言えばすべて日本からですね、行ったもの。
まず、核開発だけで言えばですね。
最初にイ・スンリという化学の権威で京大出身の、日本で勉強されて韓国に渡った後に朝鮮戦争で拉致されて北に行った。
北は自ら進んで来たと宣伝していますが、イ・スンリさんの場合は韓国経由ですが、直接日本から北送船で帰られた、たくさんいてですね。
その中でですね、核物理学をやったとかいろんな方がいます。

この核開発の原点は1953年に北朝鮮とロシアが会って、当時はソ連ですが、原子力技術開発協定を結んで以後北朝鮮から年間4~5人の学者、あるいは技術者・研究者と言うのが・・・(聞き取れず)なんていう、モスクワの120キロくらい北側にあるんですが、私もそこでいろいろ取材をしましたがそこに派遣されて情報収集をやりながらやる。
言葉で言う留学して帰国すると。

一方で日本から帰った学者・研究者はですね。
この留学組と帰国組とで当初、1950年代後半から70年代に関して、核開発についての論議の中で留学組と帰国組とのイニシアチブ争い、または方法論の問題の対立があってですね。
結局日本から帰った帰国組、日本の東大を出たり東北大を出たりした優秀な研究者がですね。
「こんな調子ではとても開発は進まない」という事で金日成に直訴しようとしたところ、その事が計画が発覚して核開発研究グループの日本からの帰国組は全員収容所に入れられた、という事がありました。
それは1960年代。

それが1980年代に入って金正日が核開発の責任者になります。
70年代の後半から80年代なんですが、頭にですね。
金正日は経過を聞いて親父は頑固だったからそういう事でとにかくすべての収容所から連れ出してと指示を出した結果、半数は収容所で亡くなっていた。
それから半数は出て来たんですが、もう研究もこういう核物理学、原子力工学というのはどんどん進んで日進月歩ですから、その知識もですね。
収容所に十何年もいれば知識も使い物にならない。

しかし、日本とのパイプはあるわけですよね。
それが先ほど私が言った科協という、それでその科協を通じて部品・必要なデータ、あらゆる事を通じる。
そのいわば仲介役と言うかそういうふうになっています。
ミサイルの製造の脱北者にも会った事があるんですが、とにかく必要な部品は昔はですね。
品番を書いてFAXで東京に送ったら、もう翌週には万景峰号で取りに行けばみんな手に入る。
そういうくらいにみんなソフトウエアのみならず、ハードウエアも日本製が使われている。
もちろん当然ロシアの技術で彼らが作った物ももちろんあります。
しかし日常的に必要な物はすべて日本から行っている。
これだけは間違いありません。

万景峰号に乗せるというかですね。
定期的に移動している船と言うのは、彼らはそういう使い方をしていた。
ここで言って良いかどうか、この間、昨年のテポドン2号で打ち上がった時にその直後に、同じ日に万景峰号が入って来たんですが、そこにも核技術・ミサイル技術者が乗っていました。
それは帰国者ですね。

もう一つ裏情報を言うとですね。
2005年9月から科協に何度も家宅捜査をしています。
もうその関係者や部品番号、工場もすべてリストアップされています。
公安当局はすべてその人間をマンツーマンで監視しておりまして、部品を注文する会社に対してももういろんな話し合いをして、どこまで言って良いか。
そういう事が行われておりましてですね。
それもあってミサイルも失敗し、核の失敗はちょっとそれとは違うんですが、逆に言うと日本に依存しているが故にですね。
日本が監視を強めれば、もうテポドンは飛びません、飛べません、飛ばすことが彼らは出来ません。
その必要部品がもう手に入らない状況になっています。

核に関して言うとそこまでは言い切れないんですが、彼らの技術ではもう一度よくですね。
直後に第2の実験があるのでは無いか?と騒がれましたがそんな余裕は無い。
まだまだ技術開発不足で次にやってもおそらく失敗すると私は思っています。
以上です。

★司会 川添友幸氏

ありがとうございました。
次なんですが、加藤さん、ちょっと何点かお伺いしたいんですが、ご存知の方も会場におられると思うんですが、昨年の2月のですね。
日朝実務者協議の中で、私その現場にいられた方に直接話を聞いたんですが、北朝鮮に対して拉致被害者の実行犯を何人か日本政府が出していますよね?
その事を日本政府がいいましたら、北朝鮮側は我々にも言うべき事がある。
北朝鮮人を誘拐した誘拐犯が日本にいるじゃないかという事を、これも変な話なんですが言いまして、いつもうちの集会に来ていただいている野口さんとかですね。
全回講演した山田文明さんとか、今回講師として来ていただいた加藤さん。
RENKの李英和さんを名指しして引き渡し要求をしたと。
その辺の引き渡し要求をされた時の経緯などを是非お教えしていただきたいというのをぜひお願いしたいのと、もう一点。

今フランスの大統領選挙を何気なくインターネットなどを見ておりましたら、中国に対しての政策がフランスの中で問題になっていまして、人権状況が酷いという事でオリンピックに対してフランスは参加しないみたいなのが、大統領選挙の争点の一つになっていて面白いなとちょっと思ったんですが。
フランスとは別に北京オリンピックに対してのですね。
我々も何か一部反対運動をやったらどうかとかいう意見があるんですが、その辺を含めてですね。
2点、ちょっと教えていただければと、お願いいたします。

★加藤博 北朝鮮難民救援基金事務局長

それはですね、昨年の2月に日朝交渉が行われましたときにですね。
日本政府側が辛光洙他何名かの国際指名手配をして、身柄の請求をして国際指名手配にしました。
その対抗措置としてですね。
北朝鮮側は私他数名を、「あなたたちがそういう事をするなら我々も要求したい人物がいる」と言って具体的に名前を挙げたわけですね。

これはですね。
政治取引ですから当然そういう事はあるんですが、彼らが要求している「私が北朝鮮公民を拉致した」というような実態は無いんですね。
北朝鮮の人たちが逃げてくるのは自分たちが食えなくて、あの国が嫌で自分の意思で逃げてくるんですね。
我々が拉致してくるのではなくて、実態を全く捻じ曲げてですね。
政治目的のために利用しようとする、その結果だと思うんですね。

いつも北朝鮮はそういうやり方をするんですけども、そうでなくてもですね。
北朝鮮は要するに北朝鮮難民を助けるという事について非常に不愉快と思っているわけですね。
もっと言えば、そういう事がどんどん進んでいけば北朝鮮の労働人口が減る。
北朝鮮の機密情報が漏れる。
北朝鮮の政権の崩壊につながる、とそういう危機感を持っているせいかもしれないですね。

皆さんもご存知のようにそういう形で逃げてきて、今ソウルに滞在している中では黄長ヨプという昔労働党の書記をやっていた人もいますし、それから朝鮮人民軍の後方支援をやっている作戦副司令官も逃げてきていますし、かなり高位高官の人たちも逃げているわけですね。
そういうのが非常にたまらなく嫌だろうと思うんですね。
ですから私たちの事を、たまたま日本政府が拉致犯の身柄を引き渡せという要求したときにですね。
「あなたたちもそういう事をやっているではないか」と、そういう証拠として挙げたんだと思います。
しかし、その証拠は非常に薄弱なもので比べようもありません。
日本政府はそんな事は全く問題にもならないと一蹴した話ですね。

ところがですね。
今年ハノイで行なわれた日朝交渉の中でも再び同じ問題を持ち出したというふうに言われています。
私自身はですね。
そういう事はあるだろうなと思うんですが、外務省の方から注意を受けましてですね。
身辺には注意してくださいと、然るべく警察の保護を頼んでくださいというふうに言われてますから、それは当然しています。
それをしたからと言って安全という事も無いんでね。
それはそれとして十分自分で注意しなければならないんですが、北朝鮮と言う国はどういう国なのか?という事を知る一番いい教材だというふうに思います。

私は昨年の日朝交渉で問題にされる以前にですね。
北朝鮮の国家保衛部から派遣された7名のチームによってですね。
私は追われたことがあります。
それは北朝鮮を逃げて中国に滞在している人をですね。
第三国に送るために一部の区間を手伝ったわけですけども、その時は私に対して北朝鮮の国家保衛部は懸賞金をかけました。
懸賞金は35万元、大体今のお金でしたら500万くらいちょっといきますかね。
とベンツ一台をかけました。
加藤博の生死に関わらず、その身柄を北朝鮮に持って来た者に対してはそれだけの報奨金を出すと。
あんた気をつけろ、と言うふうに言われたことがあります。

こういう事はオープンにはなっていませんけどもね。
こういう事は平気でやるんですね。
ですから外交交渉の場で私の名前が出たからと言って驚くべきことでもないし、そんな事は彼らにとっては朝飯前。
なんでもない事です。

他人の国から人を引っ張っていってね。
勝手にその人間の運命を滅茶苦茶にするような国なんです。
人の命なんて関係ない。
自分たちの目的のためにはなんでもする。
そういう国だという事についてよく理解をして欲しい。
私はその事についてですね。
皆さんには繰り返し言いたいですね。

そういう国から逃げてくる人なんですね。
ですから200万人もの人間が飢え死にしたって気にしない国なんです。
気にしない指導者なんです。
だからそういう虐殺から逃れてきた人たちにですね。
私たちが手を差し伸べて助けるという事は当然のことなんです。

ですからこれは今の北朝鮮に対して絶対に甘い見方をしてはいけない。
今の北朝鮮の国家指導者に対して甘い見方をしてはいけない。
厳しくやっぱり対応しなければいけない。
人間の命と言うものはどう言う物なのかね。
そういうものをもっと知らしめるべきだろうと思います。

問題はそこに限らずですね。
中国はそういうふうにして逃げてきた人たちを捕まえて送り返すんですね。
送り返された中には日本から1960年代に渡っていった日本人配偶者が捕まってですね。
送り返された例もあるんです。
そういうような人たちがどういう運命を辿るか?というのはですね。
私がここで繰り返して言うまでもなくですね。
彼らがそういう意図があって外国に逃げたという事が、本当に極刑なんですね。
それで処刑された人もいますし、ですからそういう事を、送り返されたら生命の危険があるという事を分かっていながら中国政府は彼らを送り返す。
このような中国政府の立場も決して許してはいけない。

そういう国がですね。
オリンピックをやる資格があるのか?という事なんですよ。
私たちは繰り返しそういう事を言っていますけども、ですからフランス政府の選挙キャンペーンの争点のひとつとしてオリンピック問題が持ち上がるという事はこれは健全な人権感覚だと思いますね。
ですから私たちはこの拉致問題を上手く解決するためにも、この北京オリンピック開催をどのように私たちの取引材料として使うかどうか。
これは良く考えていい問題だと思います。
これを考えない手は無いし、使わない手は無い。
そのように私は思います。

中国は国際的な常識がやや外れている。
中国の常識は日本の非常識ですから。
ですから私たちはそういう点では中国に対してもきっちりと、そしてそのオリンピックのマターは私たちが問題を解決するに当たって非常に有効なマターであるという認識は私は持っていますし、それをどのように使うか?という事はですね。
そういう意思のある団体同士でですね。
上手く調整したいというふうに考えます。(拍手)

・・・その2に続く・・・

・・・・・・・・・・
※藤沢集会の録音・写真撮影・ネット公開については主催者の同意を頂いております。 

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国民大集会(2007/4/22)-4.中川昭一自民党拉致問題対策特命委員長 挨拶

櫻井よしこさん 司会 
さて、この拉致問題を周知徹底させ、日本国の総力を挙げて取り組む体制を作るには、多くの政治家の皆さん方が、本当に強力な力で押してくださいました。その第一人者であります、自民党拉致問題対策特命委員長、中川昭一さん、政調会長でありますけれど、おいでになっています。宜しくお願いします。(拍手)
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中川 昭一 自民党拉致問題対策特命委員長 挨拶
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 みなさま、こんにちは、中川昭一でございます。
本日もお休みの中を、本当に大勢の皆様方にお集まりいただきましたことを、私もこの問題に取り組んでいる議員の一人といたしまして、感謝を申し上げたいと思います。

と同時に、『また国民大集会をやらなければならないの?』というご家族の悲痛な声もなんとなく聞こえてくるような気もいたします。しかし、今回は、総理大臣、安倍晋三内閣総理大臣が、冒頭、国民を代表される皆様方に、力強い決意を表明され、そして、このあと数日後に海外出張をされると言うことで、ある意味では画期的な国民大集会になったなーというふうに思っております。

私どもが、いわゆる“拉致議連”というものを立ち上げたときには、まぁ、安倍さんが副長官でおられましたけれども、政府全体、そしてまた、私ども自由民主党も含めて、まだまだ認識が薄かった、そんな感じがいたしますけれども、今日は、超党派、各党の同志の先生方も大勢おみえでございますけれど、何と言っても、総理大臣先頭に立って、そしてまた官房長官が拉致担当大臣になってこれから改めて全力をあげて取り組むんだと言うことでございますから、議院内閣制である以上、与党がもっともっとしっかりして行かなくてはならないと言うことを、私自身、今、皆様方の前で、誓わなければならないというふうに考えております。

我々ができること、それは、国民の皆様の声、あるいは国民の皆様へのご理解、そしてその元となるのは、ご家族の皆さん、支援団体の皆さん方のいろいろなご要望であります。

我々は議員立法で、制裁法を作りました。しかし、『何でアメリカにはテロ指定制度があるのに、日本にはないんだろう』というご要望を先日頂きました。

我々は議連の古屋会長はじめ、みなさんとよく相談をしながら、今国会中に議員立法を改正して日本でも北朝鮮のような国は、テロ国家であるというようなことを、国が指定するような法律を
作りたいと思っておりますので、どうぞ国民の皆様方のご支援を宜しくお願いを申し上げます。
ありがとうございました。

櫻井よしこさん 司会 
中川政調会長、本当にありがとうございました。
その法律が出来る日を、私たちもしっかりと見つめて応援していきたいと思っております。
ありがとうございました。

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国民大集会(2007/4/22)-3.塩崎恭久官房長官 挨拶

櫻井よしこさん 司会 
安倍総理、本当にありがとうございました。
この拉致問題に於いて六カ国協議で、日本は決して孤立してはおりません。
国際社会は、私たちの立場を支持してくれています。
孤立しているのは、北朝鮮であります。
私たちは、安倍総理のこの対北朝鮮、厳しい姿勢、政策をを心から支援して行きたいと思います。安倍総理大臣、ありがとうございました。
総理がお帰りになられます。どうぞ、みなさん、拍手でお送りください。
ありがとうございました。ありがとうございました。(拍手)

(拍手の中、安倍総理大臣がご家族と握手をし、会場に手を振りながら舞台そでに消える)

どうもありがとうございました。
このかつてないほど、日本政府の、全力を挙げて取り組むという対策が、今できあがっているわけですけれども、この対策の、対策本部の要のポジションにいらっしゃるのが、官房長官塩崎 恭久さんであります。今日は、官房長官にも、心の決意をおうかがいし、そしてお話を頂きたいと思います。どうぞ宜しくお願いします。

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 塩崎 恭久 官房長官(拉致担当大臣)挨拶
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 ご紹介いただきました、官房長官で、拉致問題担当の大臣も務めております、塩崎泰久でございます。今日は、『拉致被害者全員の即時返還を求める国民大集会』ということで、全国からご関係のみなさま方、そしてまた、この問題解決に想いをいたして頂いているみなさま方に、こうしていっぱい、会場に入り、お集まりいただきました。改めて私からも感謝を申し上げて、そして、共にこれから、相携えて、歩んでいくことをお誓い申し上げたいと思うところでございます。

ただ今、安倍総理から聞いていただきましたように、安倍総理の固い決意の元で私たちは今、この拉致問題に取り組んでいるわけでございます。

私は、安倍総理と当選同期、1993年に初めて当選した同志でありました。そして、私は2000年に自民党外交部会長に就任をいたしましたが、もうすでに、そもそも国会議員になる前から、安倍総理は、先ほど櫻井さんからお話があったとおり、お父さんの秘書をしている時代からこの問題に、政府にお役人が誰一人としてこの問題に見向きもしなかった頃からこの問題に取り組んできた。

そして2000年に私が外交部会長になったときに、本当にこの問題に地道に取り組み、そして当時、韓国の刑務所に入っていた、辛光洙を何とか日本に取り戻そうということで、私と、そして、今だからこそ言えますけれども、外務省も、そして警察庁も、それぞれの担当の幹部に私の部屋に来てもらって、安倍--当時はまぁ一代議士でありましたが--当時の安倍代議士から、外務省、警察庁に話をして貰い、そして辛光洙を何とか取り返すために、政府として事を起こせないのかということを本当に熱心にやっていたのを、昨日のように思い出すわけであります。

そして、一貫してずーーとやってきた、その努力がやっと実って、先ほどお話があったように、四十数カ国の首脳のみなさんと、この問題を必ずとりあげて話しているそうでありますけれども、相手によっては、場合によっては、自国で拉致されている人がいるにも関わらず、知らないトップの方もおられたりする。

それが、だんだん、だんだんに、国際的問題としての認知を得て、人が今まさに、六者でも、作業部会が出来て、この中で、日朝の問題がみんなの見守る中で、語り合えるようになってきた。そういうふうになっているわけでありますから、もう拉致問題は日本問題では決してない。
正に国際問題として解決をされなくてはいけない問題に、今なっているわけでありますし、また安倍総理の努力で、たとえばこないだの東アジアサミット、1月にありましたが、あのときの ・・アロヨ大統領は、この拉致問題という言葉を使って、とりまとめをしていただきました。サミットでもおそらく取り上げられることになると思いますが。

そんな流れの中で、拉致担当大臣という新しいポストを作って、私はその任に今あたっているわけですので、若干その間の活動についても報告を申し上げたいと思うわけでございます。

先ほど話がございましたように、今徹底した捜査、調査を、この拉致対策本部、並びに当局が行っているわけでございます。松本京子さんを新たに拉致被害者として認定をいたしました。それから曽我さん親子の実行犯、蓮池ご夫妻の拉致の共犯者、それぞれを逮捕状を取って今捜査をしているわけであります。

更に先日在日朝鮮人のこどもさん二人を拉致をしたと言うことで、今捜査本部を儲けて鋭意捜査中でございます。
また、この対策本部の中で、中山補佐官を先頭に、国内外の啓蒙にも、今当たっていて、先ほどのように、海外でも、国内でも認知度を更に上げていって、みんなの問題、人権問題だと言うことで、解決に向かえるように、今、テレビのスポットコマーシャルももちろんでありますし、DVDもつくり、それから小冊子も作り、世界に今送り出して、みんなに理解をしてもらおうと。

もちろんあの映画『めぐみ』も、さきほど官邸で総理の奥さまが、大使婦人を集めてと言う話もありましたけれども、こないだ訪欧したときに、総理が行った後に、それぞれの国で、またこの『めぐみ』もやりました。そしてダボス会議でも、実はこの『めぐみ』の上映会を開きました。

先日はキッシンジャー博士も日本に参りましたけれど、彼も国連の場でこの『めぐみ』を見てもらった。
それから、新たに短波放送も準備を鋭意進めて開始をしようとしているわけでございます。

いつも、これは、北朝鮮の常套句、『拉致問題は解決済み』、あり得ないことでございます、それは。
国交の正常化は先ほど総理が明言したように、『拉致問題の解決無くして国交の正常化なし』であります、それは。

残念ながら、第一回目の先般の作業部会でも、途中で席を退席をする、誠実な対応してくれません。辛いんですが、制裁は、やはり最後の答えを出すために制裁をしているわけでありますから、我々は不動の姿勢でこの態度を貫いて、そしてまた国際的な取り組みもしっかりと続けていきたいというふうに思っているわけであります。

私たちも、認知度が高まってきたのも、もちろん総理の努力があった、あるいは、国会議員の中にもそういう先生が増えてきているということもありますが、しかしなんといっても、ご家族の生の声が世界にやはり届いている、人々の心を動かしているというのが一番であります。

近々アメリカの方にも家族会の皆様方がお行きになると聞いているわけありますし、いろいろと国際会議、ジュネーブやいろんなところで出向いて、訴えかけをしていただいている。我々政府としても、最大限サポートしていきたいというふうに思っているところでございます。

先ほど櫻井さんから、『日本は決して孤立しているんじゃないんだ。孤立しているのは、むしろ北朝鮮じゃないか』というお話がありました。

今回、六者協議の中で5つの作業部会が立ち上がった。さっき申し上げたように、拉致問題を含む日朝の作業部会があるわけでありますから、六者のフレーム枠の中で、拉致問題を含む日朝問題が語れるようになった。すなわちこれは、孤立しているわけじゃなくて、六者の中に取りこまれたという事でありますから、むしろ国際化したというふうに我々は考えるべきだと思っています。

そしてもう一つは、この作業部会の進め方であります。二つ書いてあります。
ひとつは、その作業部会は、それぞれがそれぞれのペースで話を進めていっても良いとかいてあります。しかしそれを悲観論者が読むとそうすると、『日本だけ取り残されるんじゃないか、孤立するんじゃないか』と、こういうんですね。しかしそうじゃないんですね。

最後は、実は、これも総理がおっしゃったと思いますけれども、この作業部会で決められたことは、最後は調整をされた形で、実行に移される。すなわち、拉致問題が解決しない、日朝の国交正常化が実現しない中にあって、六者の問題が、どんどん他の問題ペースで進んでいくことはないと言うことを我々は確認をしているわけでありまして、こういう六者協議の枠組みの中で、今、我々は最大限の努力をし、また他の四者--まぁ北朝鮮は別ですが--他の四者はしっかりと、それを認知をして貰いながら、協力をしつつ、そして連携をしつつ、今この問題の解決に向けても、もちろん核問題の解決が大事である事は言うまでもないわけでありますし、我々日本が一番その核の脅威に晒されるわけでありますから、これを解決するのは当然のことであります。

しかし、“国交正常化”というからには、先ほど申し上げたとおり、『拉致問題解決なくして
国交正常化無し』ということでありますから、作業部会のお答えも、拉致問題の解決がなければ、答えが出ないと言うことを、私たちは深く心に刻みながら、これからの交渉を続けて参りたいと言うところでございます。

家族会ができ10年、さきほども昼食会を行って一人一人からお話を聞かせていただきました。もう30年、問題が起きてから経ってしまって、それぞれご家族もお年を召して、『なにしろ早く』先ほど総理が申し上げたように、『自らの手で、自らの子供さんを抱きしめてあげたい』というこの想いを何とか我々も実現をすべく、最大限の努力をして参りたいと思うところでございます。

ご参集の皆様方に、引き続いて、政府に対して、御協力を頂き、またご声援もいただいて、是非ともこの問題の解決に向けて歩みを進め、そして1日も早く全員の被害者を日本に取り戻して、皆で一緒に喜びを分かちあえるようにしていただきたいと思います。

今日のご盛会を喜び申し上げ、そしてまた、皆さんと一緒にこの問題解決に向けて歩み続けることを明言させていただき、お伝え申し上げて、ご挨拶とさせていただきます。
どうぞ皆さん宜しくお願いいたします。ありがとうございました。

櫻井よしこさん司会 
どうも、ありがとうございました。
さてここで、官房長官塩崎恭久さまも退席なさいます。どうぞみなさん拍手でお送りください。拉致担当大臣、内閣官房長官、塩崎恭久さまでした。どうも有り難うございました。どうもありがとうございました。

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2007年4月23日 (月)

国民大集会(2007/4/22)-2.安倍総理大臣挨拶

櫻井よしこさん 司会
ありがとうございました。

安倍総理大臣は、有本恵子さんの頃から、この拉致問題に、大変深い関心を持ってこられました。97年には拉致議連の事務局長代行をなさり、官房副長官の時には、戻ってきた5人を戻さないという決断を下しました。自民党の幹事長として自民党対策本部を作り、また一昨年10月には、官房長官として、法律を厳しく適用することによって、北朝鮮にお金や物が行かないようにしようと言うことで、実施してくださいました。
そして今、日本国総理大臣となられ、対策本部を作られ、自ら本部長に就任されました。これ以上力強い助っ人はございません。
安倍総理大臣、お願いします。(拍手)

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 安倍総理大臣挨拶
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安倍晋三でございます。本日の、国民大集会に当たりまして、一言ご挨拶を申し上げます。
北朝鮮による拉致は、未曾有の国家的犯罪であります。(拍手)
日本の主権を侵害し、日本国民の自由と人生を奪い取る犯罪であります。日本人の生命と財産をを守るという責務のある日本国総理大臣として、この問題は、必ず解決をしなければならないと、このように考えている次第でございます。

小泉総理が、2002年に訪朝をされまして、5人の被害者の方が帰国することが出来ました。そしてその後、8名のご家族も帰国することができたのであります。しかしながら、まだたくさんの拉致被害者の方々が、北朝鮮で私たちの救出をまっているわけでございます。

今日、お昼、横田会長をはじめ、家族会の皆さま方と、久しぶりに昼食を共にしたわけでありますが、それぞれみなさま、お年を召され、1日も早くこの問題を解決してもらいたいという、そのお気持ちが、ひしひしと伝わってきたわけでございます。北朝鮮で、救出を待っている人たちにとっても、厳しい年月が通り過ぎていったわけであります。

小泉総理の訪朝によって、帰ってこられた拉致被害者の方々は、日本で新しい人生を歩み出すことが出来ました。そして、家族一緒に、平穏で、幸せな生活を過ごすことが、今可能となったわけであります。

今北朝鮮で救出を待っている方々にも、日本で、新しい人生を歩み出していただかなければなりません。(拍手)

そして、被害者のご家族の皆様方に、お子さん達を、ご兄弟、お母さんを、肉親をもう一度、自らの手で、抱きしめることができる、それを実現させることが、私の使命であり責任であります。(拍手)

私の内閣におきましては、拉致対策本部を作りまして、私が、本部長を務めております。塩崎官房長官が、担当の大臣であります。して中山(恭子さん)、かつての参与が、担当の補佐官として私を支えて頂いているわけです。

現在は、北朝鮮に対して制裁を行っています。
拉致問題に対して誠意ある態度を示さない、核の問題、ミサイルの問題と合わせて制裁を行っているわけでありますが、今般、更に半年間の延長を決定をしたところであります。

国際的取り組みも進んでおります。六者協議におきまして、この拉致問題を解決する必要性について、認識は一つになっているわけでありますし、作業部会が作られ、そこで、日朝の国交正常化について、その懸案について議論をする。その中の中心的な議題と、私たちは、この拉致問題を位置づけているわけでございます。

つまり、六者会合で合意をしたこと、この合意内容が完全に履行されたという状況をつくる、それは、北朝鮮にとっても、国を再建していく上において、必ず必要なことでありますが、そのためには、必ず拉致問題を解決をしなければならないという、その仕組みが私は出来ていると、こう考えている次第でございます。

そして、今国際的な取り組みが進んでいます。
私がお目にかかったたくさんの指導者、40回以上首脳会談を既にこの半年間行っていますが、全ての方々に、私は、拉致問題の重要性、深刻さを訴えて参りました。

映画『アブダクション めぐみ』の上映会も、私の公邸で家内が主催をして、各国の大使の奥様たちを呼んで、開催しました。
『こんなことが、本当にあったのか、私たちも出来ることをやりたい。』
これが、多くの方々の感想でもあったわけであります。

本日は、韓国の拉致被害者のご家族、ルーマニアの拉致被害者のご家族、そしてタイの拉致被害者の家族がおこしであります。拉致は、国際的な広がりを持っていると言うことを、もっともっと国際社会は認識をしなければならない。
まさに国際的なこれは、人権侵害であるという問題意識を持って、この問題の解決に当たっていかなければならないと思います。(拍手)

私の内閣におきましては、徹底的にこの拉致問題の捜査を行っていくように方針を決めております。(拍手)その結果、新たに3歳と7歳のこどもたちが日本から強制的に連れ去られたことが明らかになったわけであります。今後とも徹底的な真相の究明と行って参りますことをお誓いを申し上げる次第でございます。

この問題、私は、制裁を科していますが、制裁のための制裁ではありません。
この問題を解決するために制裁を科しているのであります。
そして、私は、全ての問題を解決して、日朝の国交正常化を行いたいと、こう思っています。しかしそのためには、拉致問題が解決されなければならない。“拉致問題の解決なくして国交正常化はない”というのが、私の内閣の不動の基本的な姿勢であります。(拍手)

私は、鉄の決意を持ってこの問題を解決していく、その決意でございます。

どうかまた、今後とも、皆様方の御協力を宜しくお願いします。

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国民大集会(2007/4/22)-1.開会 櫻井よしこさん~横田滋さん

1.開会 
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 櫻井よしこさん 司会

みなさま、こんにちは。(会場から“こんにちは”の声、拍手)
ただ今から、『拉致被害者の即時返還を求める国民大集会』を開催いたします。本当に今日は、おいでくださいましてありがとうございました。(拍手)今日は、安倍総理も、おいでくださる事になりました。ただ今到着なさいました。

どうぞどうぞ、大きな大きな拍手でお迎えください。(拍手)
ありがとうございます。(会場から大きな拍手)
塩崎官房長官も、おいでになっています。
ありがとうございます。(拍手)

この拉致問題、10年目になりました。第一回の国民大集会、寂しいものでありましたけれども、今では、安倍総理を始め、政府が全力投入をしております。これ以上心強い事はないわけでございます。(拍手)
この10年間、本当に、本当に多くの人が、努力をしてくださり、ここまで参りました。
もう一歩みんなで力を合わせて頑張って、全ての拉致被害者を取り返すことが出来るよう、これからも、一緒に手を携えてまいりましょう。(拍手)

めぐみさんの拉致が、明らかになって、丸10年経ちました。
この10年間、身を粉にして全国を歩き回ってきた、訴え続けてきた、横田滋さん、お父様、家族会代表からまず、ご挨拶を頂きたいと思います。

《横田滋家族会代表》


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  みなさま、こんにちは。
日曜日の絶好の行楽日和にもかかわらず、こんなに大勢の方がいらしてくださったと言うことは、拉致問題の解決に対して、如何に関心が深いかと言うことの表れで、心から感謝申し上げます。

今も、櫻井さんからご話がありましたように、めぐみのことが明らかになり、それから家族会ができて10年になりました。それから、拉致された時から試算いたしますと、ほとんどの方が、約30年間経過しております。その間一部の方がお帰りになりましたんですが、それ以外の方につきましては、北朝鮮は解決済みだということで、全く誠意を見せておりません。

しかし、今日の午前中も家族会の総会がありまして、話をしたんですが、やはり、家族の者は、今の安倍内閣を、安倍総理大臣をみなさん、全員信じております。

先般の六者協議の時でも、日本側は、“拉致問題の進展なしに、エネルギー支援はない” ということを、各国の了承を取り付けて、それで通すことが出来ましたし、また、“拉致問題の解決無しに、国交正常化はあり得ない” という姿勢を貫いてくだされば、必ず解決すると思って、我々は、政府を信じております。

まぁ、しかし、議員の方でも一部の方は、やっぱり北朝鮮との宥和みたいなことを考えておられる方がありますし、それからまた、国民の中でも、一部にはそう言った方がいらっしゃるようですが、政府の方針である、また繰り返しになりますが、拉致問題の解決無しに、国交正常化はあり得ない”という一枚板を示せば、必ず解決すると信じております。

今日、いらっしゃった方は特に関心の高い方ですが、これからも、拉致問題の解決のために、関心を持って見守ってくださるようにお願いします。

今日はどうもお忙しい中、ありがとうございました。

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7.荒木和博氏講演

   第16回藤沢集会
07.3.31 藤沢産業センターにて

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表の講演』

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今日は皆さんお忙しいところを大変こんなにたくさんお集まりいただいてご苦労様でございます。
ただ今ご紹介を頂きました、特定失踪者問題調査会の荒木でございます。
大変に遅れてまいりました。

今日は実は、東京と埼玉の境ですが朝霞でですね。
陸上自衛隊の中央即応集団と言う部隊の編成貫徹式と言うのがございまして、ご招待を受けましてそちらに行ってまいりました。
中央即応集団と言うのは、国際協力業務がですね。
今回、自衛隊法の改正で本来業務になりました。
それとですね、各種のテロですとか緊急の事態に対応するために、するための部隊でございます。
で、その部隊の一番トップの人は、今回陸上自衛隊始まって以来50年で司令官と言う肩書きになっています。

方面総監とか師団長とか旅団長とかあるいは駐屯地の指令と言う肩書きなんですが、司令官と言う肩書きをつける部隊というのは今回これが初めてでございまして、この司令官と言うのはどういう意味か?と言うと、外征軍の長という事でございます。
この部隊は外に出すための部隊です、基本的には。
後はですね、外国からの特殊部隊とか、そのようなものが入った時のための部隊でございましてつまりですね。
これは北朝鮮に拉致被害者を救出に行く時も、この中央即応集団が動いて、その中の隷下部隊が動いていくことになるという事で、私としては一歩進んだのかな?と言う感じが致しております。

すでにもう何人もの方がお話をされておりますので、おそらく私のいう事は重複するのでは無いかと思うんですが、今までやはり日本は常にやられっぱなしでまいりました。
専守防衛と言う絶対に出来ることの無い事でですね。
国の防衛の基本にしてやってきた事ですべての事がおかしくなってきた。
拉致問題はまさにその一つでございます。

皆さん、陸上自衛隊全部で約15万弱います。
この陸上自衛隊の総力を挙げて海岸線を守るとすると、どれくらい守れるかお分かりになりますか?
いろんな計算の仕方があるんですが、ある計算の仕方では青森県一つでおしまいと言うふうに言われます。
この間、私鹿児島県の南端にあります徳之島で集会がありまして、そちらに行ってまいりましたが、徳之島と言うのは周囲84キロの島です。
行ってからふと単純計算してみましたけども、84キロの島をですね。
周辺を例えば100メートル間隔で守ったとして840人かかります。
これに交代要員とかですね。
そういうのを加えると、もし海岸なんかを守ろうと思ったら100メートル間隔では絶対に出来るものではありません。

もっと縮めなければいけないんですが、例えば100メートルで置いたとしてもですね。
おそらく後方支援まで入れれば数千人は必要だろうと。
数千人の部隊を例えば、九州より西を管轄している西部方面隊からですね。
抜き出して送るとこれは西部方面隊の機能ほとんど停止します。
という状態です。
これは一体どういう事を意味しているのか?
つまり日本と言う国は絶対に水際では守ることの出来ない国なんです。

西部方面隊にですね。
佐世保の相ノ浦と言うところに西部方面隊の普通科連隊と言う部隊がございます。
これはSAPIOなんかでも書かれていましたので、ご覧になった方いらっしゃるかと思いますが、それは島しょ、島を守るための部隊でございます。
どういうふうに守るか?と言うと来るのを防ぐんじゃないんですね。
上陸した敵の部隊を後から逆上陸して殲滅すると、いうのがこの部隊の作戦で、これ以上の立て方は出来ないんです、絶対に。
守れませんから。
入って来てからやると。
つまり島におられる方というのはですね、最初から一定の犠牲を覚悟してそれを回復する事を考えなくてはならない。

これは別に島だけではなくて本土でも全く同じでありまして、こういう事について我々は全く知らされてもいなかったし、なんか如何にもですね。
日米安保条約があって、今の現状で大体守れると言うふうに思っていた。
そんな所から拉致された方が、日本人がたくさん拉致をされるはずが無い。
されるはずが無いからされてもですね。
無かった事にしておこうという事で、何十年間も来てしまったのがこの国の現状でございます。

横田めぐみさんの事件でも失踪してから、しばらくした時にはですね。
これが北朝鮮による拉致だとおそらく分かっていたであろうと、複数の話がございます。
おそらくそうだと思います。
私もですね、後からふと考えてみたんですが、昭和52年の11月15日にあれだけですね。
いなくなってから公開捜査に切り替えて、新潟県警がですね。
県警始まって以来というくらいと言うほどの大規模な捜査をやった。
それで何も出てこなかった。
その時に誰かその事を考えた人が間違いなくいるはずです。
おそらくそれを声を上げようとしたのではないだろうか?と思うんですが、結局ですね。
その声はかき消されてしまったのか、あるいは最初から出さなかったのか、誰も分からないままにずっと日にちが経っていった。

そしてめぐみさんを金正日政治軍事大学で見た安明進さんが韓国へ亡命をして、その時点でこの話はしているわけです。
していた情報を韓国の当時の国家安全企画部は、日本側政府に対してですね。
こういう情報があるよというのを出して、日本海側の海岸で1970年代の後半に中学生1年生の女の子がバドミントンの練習の帰りにいなくなった。
これだけの情報があれば、簡単に横田めぐみと言う名前が割り出せるはずです。
おそらく私はその時点で割り出していたんだろうというふうに思います。
しかしそれでも動かなかったと、それがこの国の現実でございます。

拓也さんは当然これはご家族の立場で、しかも今までの歴代政権にですね。
ずっと裏切られ続けているわけですから、安倍さんを支持をするという事はもちろんこれは当然でありますし、これは私とニュアンスが違っても方法的には全く違っていないと思っているんですが、ご家族の立場とやはりそうじゃない者はですね。
ある程度立場を変えてやっていた方がいいと言う部分もある、と言うふうに思っております。
   

   で、さっき拓也さんから説明がありましたこの小さいパンフレット、あったんですね。
これこの間6者協議の説明を井原外務省参事官が説明した時に、首相官邸で中山補佐官などもおられてその場でこれが配られました。
このパンフ見て、確かにこういうの今まで政府作ったこと無いです。
だからまぁそれは良いですよと、言ったんですが一番問題はこの一番最後のページにある。
小さくてわからないと思うんですが、最後のページにどう書いてあるかと言うとですね。
拉致問題について詳しくはこちらのHPをご覧くださいといって、官邸のHPが書いてある。

で、良いんですと。
良いんだけど、ここまで書くのならせめて「これを貰った人で拉致事件について何かご存知の事があったら、ぜひ情報を出してください」いう事を一言書いてくださいよ、と言う話を中山補佐官に申し上げました。
そしたら中山補佐官の答えはですね。
ちょっと躊躇されていたんですけど、「情報を出してくださいという事を書くべきか書かないべきかという事で議論があった」と、いう事を言われていました。
「議論があった上で書かないことにした」という事。

どうして書かないことにしたか?
これはもう簡単です。
お役所だから、もし例えば情報が出て来たときにどうしたらいいか分からない。
自分の責任で、もし例えば大事な情報が来たと、しかしそれをどうすることも出来ない。
いうことでですね、自分が責任を取りたくないという事が結局そういう事になってしまう。
だからこれだけ、もちろんこれを作るのに膨大なお金で作っていると思います。
お金を使ってそしてここまで書いておいても、その最後のところが駄目なんです。

私、調査会のニュースで前に書きましたので前にご覧になった方もおられるかと思いますが、政府がテレビコマーシャル、この中でもテレビご覧になった方がおられるかもしれません。
あのスポットですね。
ご覧になって分かるように、海岸にご家族が立っていてその中のお子さんが一人いなくなるというシュチュエーションで描いてます。
で、「許されざる拉致」ということで出ている。

あそこまでやるんだったらあの後にせめて一言ですね。
「拉致問題について知っている方はここにかけてください、電話してください、メール送ってください、手紙送ってください」ということをですね。
一言書いておけば良い。
何も書かないで、ただ「許されざる拉致」と言うふうに書いたってですね。
何の意味もありません。

でこれでですね。
これのために使っているお金は1億5百万で、その500万が制作費で後1億円は広告代理店に払っているんです。
広告代理店がその中の何十%と電通と博報堂が受け取ってポケットに入れて、後残りを下請けに出す。
こういうやり方でやるんですよ。
これ私が知っている、ちょっと誰とは言い難いんですけども、政府の関係者でもですね。
「私の言っている、全くその通りだ」というふうに言って来た人がいます。

その人は非常に一生懸命やっている人で、「もし自分にその金の一部でも渡してくれて中朝国境でもどこでも行かせてくれれば、絶対に情報を取ってきてやる」というふうに言って来た人が、政府の中にもいるんです。
だから今やらなければいけない事というのは、具体的にどうするべきかという問題でございまして、それをですね。
どうやってやっていくかという事をもう考えていかなければいけないし、実行していかなければいけない。
そういう時期であるというふうに私は思っております。

報道に流れておりますが、私どもがやっております北朝鮮向けの短波放送「しおかぜ」が、この26日から日本国内、茨城県内のKDDIの八俣送信所を使っての送信が朝出来るようになりました。
非常に強い電波でですね。
物凄い明瞭に聴こえます。
これもちろん場所によって指向性がありますから、日本国内どこでもきれいに聴こえるというわけじゃないんですが、ともかくソウルなんかの受信は物凄くきれいに聴こえています。

それに対して北朝鮮側は29日から妨害電波を流し始めました。
今までですね。
周波数を変えたりして妨害電波が流れるまでには大体2週間くらい通常かかっていたのが、今回わずか4日でかけるようになったというのは、それだけ向こうが気にしている証拠であるだろうなというふうに思っております。
今私たちが朝日本国内から流している放送と言うのは、特定失踪者それから政府認定者・救う会認定者のですね。
お名前と失踪時期などを読み上げる放送。
それからご家族からのメッセージ・お手紙等を読み上げる放送だけ、日本語だけの放送でやってます。

それ以外の朝鮮語とか英語とか中国語のニュースなどを読み上げているのは、全部夜の方でやっておりますので、もし北朝鮮が拉致が本当に解決済みだったならば朝の放送にですね。
妨害電波をかける必要など全くないわけでございますね。
いないんですから、そういう人たちは。
そういう人たちいないし、みんな横田めぐみさんを含めて死んでしまっているんですから、だったらいくらこちらから放送を流そうとですね。
なんでもないはずなのに、そこに大慌てで横から妨害電波をかけてくるのはどういう意味があるか?いう事でございます。

今は総務省もですね。
今回の国内からの送信には物凄い一生懸命やってくれまして、29日に妨害電波が出て昨日早速ですね。
この電波を管理しています国際電気通信連合と言うところにですね。
要は、これは北朝鮮も入ってますので、「これは北朝鮮から妨害電波が出ている」という事の申告をしているという事でですね。
これから先、どういうふうに向こうがしてくるか分かりませんが、こちらも様々な手を使ってですね。
やっていこうと思っています。

ただ今の現状でもまだですね。
電波が出ているのは平壌周辺らしいんですが、それ以外のところではかなりハッキリと聴こえている筈だというふうには言われておりまして、このモニターも今後やって行きたいと思っています。
聞えて来た話ではですね。
これは夜の放送では朝鮮語でニュース、これは私が話したりしているのが結構あるんですけども、平壌の中学生がこれを聴いていてですね。
これは当局が問題にしているというような話がございました。

私の朝鮮語は非常に拙い朝鮮語ですので、昔風に言えばですね。
「ニッポンノヘイタイサンデテキナサイ」というような調子で(笑い声)聴こえているだろうというふうに思うんですが、ともかくですね。
我々も絶対に取り返すという事のメッセージを繰り返して流しておりますし、これ本当に情報戦で弾を撃っているつもりでですね。
やっているわけでございます。
皆様方からのカンパをいただいて流している放送ですので、これは後は一刻も早く効果を上げるようにしていきたいというふうに思っております。

先ほど萩原さんの話に最後のところにビラが出ましたけども、これも来月の10日11日とですね。
ソウルで私どものビラを送るという作業を行なう予定にしております。
これは元々加藤博さんの方からご提案があった話で、加藤さんがこのビラの活動をやっておりますイ・ミンボクさんという方、韓国の脱北者でNGOの方からいろいろ話を聞かれて、じゃあ一緒にやってみないかと言う話でですね。
ご相談を受けまして、難民基金は難民基金で準備を進めておられます。
私どもはちょっと一足先に来月からスタートさせて、やがては日本の中の各NGOをですね。
出来れば交代交代で行って、我々が行く時は他のNGOの分も含めてやると。
みんなで交代でやればですね。
かなりの量のものが流せるというように思いますので、これを何とか実現をして軌道に乗せていきたい。

それと合わせてイ・ミンボクさんのキリスト北韓人連合と言う団体ですが、やはり韓国のNGOと言うのはやはり北系の人が非常に強かったり、あるいは政府に反対する人ですね。
多かったりとかですね。
あるいは政府も非常に非協力的と言うか、場合によっては敵対的ですのでどうしたってブレーキをかけてくる。
これ何とかして我々としてもサポートをしていきたい。
資金面とかですね。
いろんな面でサポートをしてまいりたいというふうに思っております。

そのイ・ミンボクさんの話では、これまで14回ほど北朝鮮から韓国政府に対して抗議が来たということで、抗議がそれだけくるという事はやはり効果が間違いなくあるという事でございます。
今すでにイ・ミンボクさんたちが送ってくださっているビラの中にはもう我々のですね。
特定失踪者問題調査会の電話番号とかね。
私書箱の番号を入れてくださっていまして、これは日本人拉致被害者の情報があったら出してくれという事はすでに書いてくださっているんですが、それはこの先我々の物を使ってですね。
逆に日本の方からも北朝鮮の人権問題に対しても関心を非常に強く持っているんだと、日本と韓国はですね。
そういうふうにして分断する奴らがいてもですね。
絶対に一緒にやっていくんだという事を、メッセージを伝えて行こうというふうに思っている次第でございます。

この間韓国に先月行きました時には、丁度6者協議のですね、前くらいだったかな?
どうもアメリカの雰囲気がおかしいと、言うようなことでですね。
韓国の人の中でもやっぱりちょっと大丈夫なのかな?と、保守系の方でも不安がありました。
そういう方々は皆さん何と言ったかと言うと、「やっぱり日本は凄い」と、「日本は揺らいでいない」という事でございまして、やはりこの拉致問題があってですね。
決して北朝鮮に対して原則的なな態度を変えていないと。
私らから見れば「大丈夫かいな?」と思う部分もあるんですが(笑い声)、少なくとも韓国から見ればですね。
日本はしっかりしているというように見えるわけで、そういう期待を我々受けているんだなぁと感じた次第でございます。

もう一つ申しておきたい事がございます。
この間ですね。
明日出る諸君に、私持ってます・・・(聞き取れず)を書いたんですが、この間あるところで講演をやりましたときに、講演が終ってからの懇親会でですね。
私のところに近づいて来てこういう事を言った方がおられました。
「北朝鮮への食糧支援は一切すべきではない」と。
「それはそうですね」と言ったらその方がどうしてそう言ったか?と言うとですね。
「食傷支援をしないでみんな餓死させてしまえばいいんだ」と。(笑い声)
「そしたらですね、日本にもう歯向かえなくなる」と。(笑い声)

さらに言ったのは、「爆弾を撒け。小さい爆弾ですぐに爆発しない奴。人形みたいな小さな可愛らしい形をした奴をですね、撒く」と。
それをどうするかと言うとですね。
「子供がおもちゃと間違えて取ってですね、爆発させる」と。
「そうすると子供が手足を吹っ飛ばされて、そしたらやがて大きくなって兵隊として使えなくなる」と。(笑い声)
いや、皆さんこれね。
笑い事じゃないんです、本当に。

ちょっとゾッとしたんですけども、私やがて日本の世論の中でもこういう世論が起きてくると思います。
どうしてか?と言えば、それは今我々十分に分かっていないからなんです。
これから先拉致に関して北朝鮮と言う国はどんな事をやっていたか?という事は必ず分かってきます。
分かってきた時にですね。
あの9.17で5人生存8人死亡と言われた時に、みんなそれはとんでもない話だというふうになりましたよね?
あれよりはるかに大きな怒りが日本国民の中に生まれるだろうと思います。

その時にどういう事になるか?と言うと、そのやっていた連中、金正日をはじめとするですね。
一部の人間だけではなくて、2千万北朝鮮の国民のすべてに対して怒りがぶつかる可能性が私は決して無いとは言えないというふうに思います。
それから萩原さんなんかも苦労されておられる脱北帰国者の方、この方々もですね。
すでに日本国内でも結構トラブルが起きたりしています。

去年、北朝鮮人権法が出来るときにですね。
自民党と民主党の間で一番引っかかったのは、この難民の保護の問題です。
「そんな事をする必要があるのか?」と言う声がある。
それをしかし、自民党も民主党もですね。
一生懸命やって難民の対策まで含めた法律に作ってくれたんですが、その法律が出来た後にですね。
平沼議連会長の事務所に行ったならば、平沼会長はですね。
「いや実は山ほどメールとかが来ているんだ」と。
これはつまり「難民の保護なんかするなと、いう事の抗議のメールが山ほど来ているんだよ」という事を言ってですね。
ちょっと残念な顔をしていたんですが、そういう事がやがて間違いなく出てきます。

帰国している拉致被害者にだって、私は週刊現代で書きましたけども、蓮池薫さんが日本に帰国する前に日本に潜入して来てですね。
工作活動をしていた。
私はやっぱり可能性はかなりあるんじゃないか?と言うふうに思っています。
あの週刊現代に書いた方以外にもですね。
見たというような話はございまして、それは十分にありうる話だと思います。

これ書いたことに対して政府のある関係者の方からですね。
「そういう事を書くと拉致被害者の方々が犯罪者であるというふうに受け取られるから、止めた方がいいんじゃないか?」と言うような事を言われた事がございました。
その時に私が言ったのは、「隠していたらですね。後に明らかになった時にもっととんでもない事になりますよ」と。
「あいつは嘘をついていたじゃないか」と。

彼はもちろんですね。
そういう事があったとしても、自分でやりたくてやってるわけでも何でもない。
そうせざるを得ない。
そしてそういう人たちを守る事が出来ないこの国の状況があるからこうしているんである。
しかしそれをですね、いつまでも隠していたらやがてその恨みは彼らのところに間違いなく回ってくるだろうというふうに思っております。
そういう事には絶対にしないためには実態を明らかにしていかなければいけない。

現在の安倍さんは、ともかく今までの歴代の総理大臣よりは一番ですね。
一生懸命拉致問題やってくれています。
これはもう、絶対誰も否定できないと思います。
ただし問題は、その安倍さんが乗っかっているこの国家権力と言うのはですね。
今まで拉致を隠蔽して何十年もの間隠蔽し続けていて、その上に乗っかっているんだという事です。
これだけは絶対に忘れちゃいけない。

そこをですね。
もし蓋を開けて、そこに手を突っ込んでくれなければ拉致問題の完全解決は無いと思いますし、それをやるとなれば安倍さんは場合によったら政権を投げ出すとか、場合によっては命まで失うという事を覚悟してやっていただかなければいけない。
それはしかし政治家ですから、政治家はですね。
そういう事をやって死んでしまうというのは、これは当たり前の話なので、軍人が戦争に行って戦死するのと同じですからそんな事はもう仕方が無い。
そんなものは政治家を志した時点で諦めてもらうしかない。
そういう事をやる人はですね。
出て行ってもらわなければこの国は良くならないわけでありまして、しかし実際の問題はですね。
こういうような問題だという事でございます。

拉致被害者の救出に私は何度も自衛隊を使えと言っているわけでございまして、そしてそれがあるからこそ、自分自身も予備自衛官になっているわけでございます。
しかしもし具体的にですね。
どんなシュチュエーションがあるか知りませんが、助けにいくという事になればですね。
その時は戦死者が出る事を覚悟してやるしかない。
場合によっては一人の人を助けるためにですね。
何人もの人が死ぬという事も覚悟しなければいけません。
命が一番大事であれば、そんな事をする必要は何も無いわけですね。
そうじゃないです。

これは私は少しでも言っていますけども、中越地震のときに長岡でですね。
あの土砂崩れの中に巻き込まれて車が挟まれてですね。
お母さんとお嬢さん亡くなって、男の子一人助け出したと。
あの時助けようとした人たちだってですね。
二次災害でいつ死ぬか分からなかったわけですね。
もし本当に命が一番大事であれば他人の見たことも無い子供を助けるために、自分の命を差し出す必要なんか何にも無い。

この間の東武線の踏み切りで自殺しかけた人をですね。
助けようとして亡くなったお巡りさんもそうですし、そういう殉職者と言うのは警察でもそれから消防署でもですね。
たくさんいるわけですけども、本当に人の命だけが大事なのであればですね。
そんな事をする必要は全く無いわけであります。
しかし人間と言うのはそれじゃ済まないわけであって、それをあえて越えてやっていかなければいけませんし、それをやらないと我々自身の安全も守る事は出来ない、いうことであります。

最初に申しましたように、この国と言うのは物凄い長い海岸線があり、広い領海があります。
入ってくるものを水際で止めるという事は絶対に出来ません。
そのためにはどうするか?
日本から日本人を拉致していったらば、どんな事をしても取り返しに来る。
何をされるか分からない。
日本と言う国に被害を与えたらですね。
何倍にもしてお返しをされるというくらいの事にしておかなければですね。
この国の平和とか安全とか国民それこそ命、生命・財産を守る事は出来ないんです。
これから先は我々もそういう意味で、そういうものと戦っていくという姿勢を持たなければいけない。
それこそが我々自身を守り、我々の子供を守り、そしてその次のですね。
世代に誇りある国を渡していく事になるのであろうと言うふうに思っております。

拉致問題、これからまだまだいろんな事が分かってまいります。
分かってくればですね。
本当にですね。
また今と状況が一変する。
今こうやっている事態でもですね。
まだ牧歌的な状況だったんだなぁと振り返る日が必ず来ると思います。
それはもう現実を見るのが非常に恐ろしいことであろうと思います。

絶対拉致問題と言うのはハッピーエンドと言うのはありません。
誰か横田めぐみさんが帰って来たと。
その一人一人のハッピーエンドはあったとしても、全体には絶対にはハッピーエンドはない。
そしてそれだけじゃなくて、その後で北朝鮮の体制が崩壊した後で、北朝鮮に行ってみてあそこでですね。
公開処刑をされた人とか収容所の中でですね。
殴り殺しにされてですね。
そのまま埋められてしまった人などの骨とか出てくるんです、必ず。

我々一体今まで何をしていたんだ?ということに必ずなります。
なんだかんだ偉そうなことを言いながらですね。
あの体制を放っておいたじゃないかという事に必ずなるんです。
それを覚悟して見なければ、知らないうちに終っていきます。
でも我々はそれを見ていかなければいけないというふうに思っている次第でございまして、この問題まだこれから非常に深刻な問題でございますけども、私も最後までやるつもりで頑張りますので何卒どうぞよろしくお願いします。(拍手)

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※藤沢集会の録音・写真撮影・ネット公開については主催者の同意を頂いております。 

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6.萩原遼さんの挨拶

 第16回藤沢集会
07.3.31 藤沢産業センターにて

『萩原遼氏(ジャーナリスト)の挨拶』

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 皆さん、萩原遼と申します。
私も北朝鮮にあこがれた一人でありまして、そしてもう50年前の話ですが、18歳の天王寺高校夜間制と言う高校に行っておりまして、その時に隣にこういう形で机を並べたのが韓国の済州島から密航して来ました少年でありまして、その男の子を通じて彼は一世ですから朝鮮語ももちろんぺらぺら。
そして8歳まで日本で暮らして一旦祖国に帰ってまた朝鮮戦争で日本に逃げて来たというんで、日本語も堪能でしてね。
彼からいろんな事を聞きまして私も朝鮮に対する、もしあの男と会わなかったら私は朝鮮にハマらなかっただろうという気すらするんですが。
そんな経緯がありまして50年やって参りました。

その過程で赤旗と言う日本共産党の新聞の特派員で1970年、昭和で言えば何年ですか?
47年ですね。
1年間行っておりまして、どうもこの国はおかしいなぁ。
だんだんだんだん3ヶ月4ヶ月6ヶ月経つうちに、そうしましたら私の表情から、彼らは読唇術と読んでいるんですが心を読む術が非常に長けた奴で、奴と言うのは言葉が悪いですが長けた人たちで、私は危険人物として事務所を追放されまして、それを契機にしましてこの国は絶対に許せないものであるというふうに私なりの認識を持ちまして、つまり人々が本当に可哀想な苦しい抑圧。
物が言えない、従って笑いが無い。
こんな状況でこの政権は存在する必要も無い政権だというのを感じましたのが、1973年でございました。

何しろ30数年経ちましたんですが、それ以外にですね。
こういう拉致の問題が明らかになったり、脱北帰国者、脱北者の事が問題になったり、それから日本から一時60年代に「地上の楽園」という甘い言葉で大挙在日の方々が帰国と言う、奴隷船に乗せられてですね。
帰国船と言う名の奴隷船に乗せられてですね。
北朝鮮に10万も行きました。
その人たちの悲惨な状況。

で、私に朝鮮の素晴らしさと朝鮮語を教えてくれたその同級生も帰国船に乗って、そして向こうで行方不明という事ですので、どんなことがあってもその友人の私にとって人生の恩人と言っているんですが、私にそういう目を開かせてくれた恩人の同級生の骨をどうしても見つけてやりたいと。
あの時は・・・(聞き取れず)て、私がそれを拾って故郷の済州島に持って帰ってやりたいと、そういう望みを持って今も頑張っております。
で、今日私の時間は10分ほどしか頂けませんので(笑い声)、いいんです。
僕遅れたんです、遅れたものですから当然の懲罰です。(笑い声)

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 で、今日皆さんにちょっとご紹介したいものがあります。
出掛けに持ってまいりまして中身も読まずに電車の中で読もうと、これは未来韓国、ミレハングルと言う表題の韓国で出ている新聞でございまして、私たちと同じ考えを持った金正日政権を打倒しなければならないという立場の心ある人たちが出している週刊誌なんです。
これパッと見ましてね。
これパッと裏を見たら、何か見慣れた文字があるなぁ、北朝鮮難民救援基金ニュースがついているんです。(笑い声) 
 

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それでもう一つはその同じ号なんですがね。これも皆さん後ろの方多分見えないでしょうが、雰囲気だけ分かっていただきたいんですが、このお顔、ご存知の方いらっしゃいますよね?ボルトンさんと言う前のアメリカの国連大使をやっておられた方がですね。一面全面費やしてインタビューに答えておられるんですが、その表題がですね。「金正日の除去」取り除くこと。除去すること無しに、金正日の除去こそが北朝鮮の核の唯一の解決の方法であると、いう事を見出しで言っているわけですね。 金正日を倒さなければ、あれがおる限り核は解決しない。同時に拉致の事は、この方は核問題で述べておりますが拉致の事は言っておりませんが、私は拉致もあの男がいる限り絶対解決しないという事で、私がもうあんな男をですね。(笑い声) やってる場合じゃないという事で、「金正日隠された戦争」という事で本を書きました。これアメリカで2000年から2004年まで4年間行ってこれを書きましたんですが、この骨子はですね。核に金正日はなぜ拘るのか?固執するのか?

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それはですね。
お父さんと息子の金正日の、お父さんは金日成ですね。
で、息子の金正日とが激しい対立をして、お父さんはこの北朝鮮がもう崩壊の危機にあるときに、農業を立て直さにゃならんと。
農業を立て直すためには肥料をたくさん増産しなければならんと、肥料を増産するためには電気が、全然石炭が来ないから電気がなんですか、発電所が止まっている。
電気を直ちに起こせと、電気を起こすにはどうするのか?
それは火力発電所を導入せよと、アメリカからそれを貰えという事をお父さんは主張した。

と、息子は駄目だと、軽水炉だと、原子力発電だと。
原子力発電は10年かかるやないかと、建設に。
しかも一気に1基も25億ドルと言う莫大な金もかかる。
そんなもんより手っ取り早く今年からすぐ電気の生産が出来るですね。
火力発電所で行けという事でですね。
どっちを取るかで激しい対立の末、お父さんは息子に殺されたという事を書いております。

ですから、あの偉大な首相を殺してまで核に固執した人間がですね。
6カ国協議だとか、何かの話し合いで絶対に放棄するもんじゃありません。
この事を私は書きましてね。
これもこれがさっぱり売れなかったんですが(笑い声)、日本で売れないのでアメリカで外国でもっと広めようと思って、それで英訳を、皆さんから貴重なカンパまで頂いて英訳本を出しましてね。
 
 

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 これをどうやらボルトンさんのこれを見ましたらですね。
去年7月にね。
作ってすぐ一ヶ月間アメリカのいろんな方々に、そしてボルトンさんにも絶対に渡してくれと、彼に非常に近い人に10冊ばかり渡してですね。
全部で300冊、僕がタダで配ったんです。

で、ボルトンさんはどうやら私のをどうも読んでいる節があるんですね。
インタビューから。
だから・・・(聞き取れず)ていうんですか、でも良いことですよね?
互いに意見が一致したのか、私の意見を取り入れたのか、どっちにしろ言ってることは同じだという事ですね。
どうしても 6カ国協議でどうのこうのと言う時代じゃないと。

で、拉致もそうだと。
そうしてもあれを除去しなければならんと。
除去する条件があるのか無いのか?という事で、ボルトンさんも言っているんですが、どうやったらあの男を除去できますか?難民だと。
難民を出せと、そしてそれもね。
中国に行ったらさっき加藤さんが仰ったように送り返される危険があるから、もう38度線を越えよと。
越えてどっと南へ行けと、これが一つの方法であると。

その他にもいくつかのあれがあるといって、それは秘密ですね。
手の内は言わないわけですけど、いろいろある。
でもあれですね、難民を出せというのは私も全く同意見でして私たちは加藤さんと手を結びながらですね。
やっておる事は脱北者を日本に連れて来るという事もやっておりまして、今現在100人ちょっと、150人くらいですか。
そのうち、関西に25人いるんですよ。

僕がここに来る前までに1ヶ月前に脱出してきた日本人の奥さん、日本人妻ですね。
50年ぶり47年ぶり。
その方と41歳の娘さんと二人で私たちのシェルターみたいのがありまして、そこで、僕も仕事があって2週間ほど同居した、同居と言うとおかしいですね。(笑い声)
そこに、部屋はもちろん違いますよ。

それでね、改めて驚いたのは朝ね、ご飯食べる時ね。
一応41歳の娘さんがやってくれるんですが、確かね、お茶碗にご飯がてんこ盛り。
お茶碗が一階建てとしたら、その3階建てみたいの(笑い声)、こう盛るんですよね。
いや、日本ではこういう事しないですよね。
僕は食べないからこれを一階建てに減らしてくれと(笑い声)、今言ったんですが、それとキムチだけ。
あと一切受け付けないんです。

これ、僕もキムチだけじゃお腹が空くだろうと思ってちょっとラーメン屋に連れて行って、ラーメンを食べてホンのちょっとおつゆを飲んだだけで、その晩から下痢なんですよ。
つまり受け付けないんです。
その事を私は何も物笑いにするために申し上げることじゃなくて、どんなに金正日と言うあの独裁者が国民に酷い生活を強要しているのか。

その横で核兵器ばかり作って、国民には油物を一切受け付けない体にして、そういう事を申し上げたいんですが、その方々が関西にも25~6人おりまして、どうしても僕もね。
今更逃げるわけにもいかんからね。
もう運命共にしようと思って関西に、借家の安い3万円で貸してくれる二階建てが、我々の同志がですね。
そこへ行ってこの方々のお世話、まず日本語を覚えてもらう事。

もう日本人妻で47年で、ほとんど日本語忘れてちゃんぽんですよ、面白いです。
もう時間ありませんから、とっても面白いです日本語と朝鮮語のちゃんぽんでですね。
それでおまけに方言の土着の両江道(リャンガンド)と言う一番北の端の、もう酷い酷い零下40度のところでね。
そんな事がありましてね。
僕ももう残る余生はこれしかないという事で、関西に半分軸足を置いて脱北者の支援、言葉を教えること。
それから就職を探すこと。
それからその人たちのケアと。

それからさらに、我々ジャーナリストとして多少でも聞き取りをして皆さん方にいろいろと知っていただく。
そういう事のために、僕もね、実は70になりました。
横田さんのお父さんが75ですか?お母さんは72ですね?
僕もね、堀川高校なんですよね。
同窓会行ったことあるんですよ、お母さんの。(笑い声)
それは何の関係も無いんですが、ともかく私も70になったからこれ引退かと思っていた。
もうしかし、6カ国協議のあの体たらくを見たら、私ね、引退するわけには参りませんので、ささやかながら加藤さんのお手伝いや皆さん方のお手伝いをさせていただきます。

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 それでですね、一つだけさっきの、長い話で恐縮ですが(笑い声)、これが脱北帰国者と言う僕らが作ったんです。
これみんなで手作りで。
これは率直に申しますと一冊700円で売っておりまして、500円私たちの利益になるわけです。
原価が要するに200円で、何でそんなに安いんだ?
私が勝手に韓国に行って印刷してもらったんですよね。
だから日本の半分以下で出来まして、これを一冊売ったら500円入ります。
それで今日20冊ほどあります。
これで1万円入ります。(笑い声)

1万円入りますと、そのさっき言った親子が1ヵ月十分食べられます。
キムチとご飯と、ちょっと最近ね。
少し最近ちょっとした油は、ラーメンの油は駄目なんですがね。
サラダ油で野菜炒めくらいは食べられるようになって来たんですね。
そういう二人がね。
1ヵ月具体的な話で、これを20冊皆さんに買っていただければ、その人を1ヵ月日本で保護することができる。
そういう事もありましてひとつ、これをご協力お願い致したいと思います。
私の本は買わなくても良いんですが、こちらの方は何とか買っていただきたいと。

それから最後にもう一言ね、高橋さん、すみません。
日本が孤立している孤立しているというね。
とんでもない話で小賢しい評論家たちがそんな事を言っていますが、絶対に孤立していません。
日本がバスに乗り遅れるんだと言って、早く拉致を降ろして今のアメリカやその他中国の線に、そういう彼らがしつらえたバスに早く乗りなさい乗りなさいと、いう事を言う小賢しい評論家がいますが絶対に全面的に間違っています。

なぜならば、そんなバスはね。
乗る必要が無いし、仮に乗っても100キロ200キロ動くにしか過ぎない。
これ恵谷さんが仰ったんですね?確かこの事は。
で、僕があちこちでお借りしていますんで(笑い声)、だから100キロ200キロ動いても、1万キロ2万キロはそれは絶対にガス欠ですよね。
ガソリンが欠乏してエンコします。

誰がそれじゃガソリン出すんですか?
日本しかないじゃないですか。
中国も出せません。
韓国もお金ありません。
アメリカはお金あってもケチだからお金出しません。
そうすると日本でしょ?

日本は当然出すべきお金はあります。
それはかつてのこの日本と朝鮮の不幸な関係による経済協力資金と言うものが、これは向こうが北朝鮮は6兆円要求しています。
日本は1兆円と。
中を取って3兆くらいだと思うんですが、このお金はですね。
これはどうしても日本国民として、アジアでこれからお付き合いしていく上で支払わなければならないお金なんです。

その金をね。
持っているのは日本なんですよ、3兆円、2兆円でも。
これを持っているのは日本だけです。
だから朝鮮半島をきちんとお金も予算もつけて、あの国を立て直すことの出来るのは日本しかありません。
だから乗り遅れるわけが無い。
我々は自分たちでバスをチャーターするなり、自分たちの自前のバスで行けばいいんです。
あんなもの乗る必要が無い。

だからね、絶対にあれに惑わされないようにして、そして私は拉致の問題と核の問題で徹底的に金正日を追い詰めて追い詰めて追い詰めて、あれを国民の間であいつではもう駄目だというふうにやるために、韓国で今心ある人たちが宣伝ビラを作って風船に乗せて北に飛ばしております。
こんな事をやっている仲間もおりますし、すぐ2~3日前ですがアメリカの人権委員会と言うところから私に送ってくれました北朝鮮の難民の危機ですね。
難民に危機が迫っているというこういう立派なね。
小冊子を出してですね。
これも中見ましたらですね。
イラストもあってですね、脱北者の描いた。  

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そういうアメリカの仲間の方々もこういうふうに熱心にやっておられるし、韓国でもやっておられるし、日本でも皆さん方、今日お集まりの先生方、こういう人たちの力を集めてもう少し国際的にですね。
頑張ってまいりましょう。
どうも長々とすみません。(拍手)

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5.横田拓也さんの訴え

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   第16回藤沢集会
07.3.31 藤沢産業センターにて

『横田拓也さんの訴え』

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皆様方こんにちは。
ただ今ご紹介いただきました、家族会、そして横田めぐみの弟であります横田拓也でございます。
本日はよろしくお願い致します。
座らせてお話させていただきます。
お願いします。

本当に日頃からですね。
こちらの私どもの拉致問題に関しまして、皆様方の深いご理解とこんなに温かいご支援を賜りますことを、改めて御礼申し上げます。
ありがとうございます。

すでにご承知の通りですね。
私の姉は13歳で日本から連れ去られました。
1977年の11月であります。
当時、今もそうだと思うんですが、新潟の11月と言うのは本当に海の海鳴りの音とですね。
風でですね。
空は真っ黒、雲が黒いといったような季節でありまして、小さい頃ですとすぐにでも逃げ出したいような真っ暗な暗く重たい地域であります。

引越しをして数ヵ月後に姉は連れ去られたわけであります。
中学校のバドミントンクラブから友達と一緒に帰って、その下校途中に別れた後に無残にも連れ去られたわけであります。
昨年の誕生日で42歳を迎えましたから本当に30年間、北朝鮮と言うですね。
食料も着るものも温かい暖も無い。
そして一番問題なのは自由と明るい明日が保障されていない、全く過酷な環境下で今日も生活を強いられているといった内容であります。

13歳と言う頃の自分たちもしくは私たちの頃の気持ち・思い出を思い浮かべて欲しいんですけど、本当に多感な時代であったと思うし、いろんな自己実現の希望が皆さんも私もあった頃だと思います。
高校に行ってこんな勉強をしたいとか、大学に行きたい、こんな会社に入って仕事をしてみたいとか、家庭を持って子供を持って子供と外に遊びに行く、こんな物を食べる。
いろんな事を持っていた頃だったと思います。

もちろん私の家庭の中にも楽しい食卓で、私の姉は普段から明るくて活発な性格で、友達の中でも本当に広い意味でいつもヨコ、ヨコと呼ばれているような、明るい女の子でありました。
食卓の中でもいつも話題の中心を持っていくような明るい人でありました。
ただその事件が起きてからは私の家庭の中は本当に全く180度変わって、普段の会話がほとんど無いような暗い生活が始まったわけであります。

しかし、北朝鮮のこの日本人拉致問題と言うのは、確かに私の姉がシンボル的な存在ではありますけども、私たち家族会そして救う会、今荒木先生ご到着されましたけど特定失踪者問題調査会。
多くの方々は家族会もしくは政府が認定している方だけの救出を目的で活動しているわけではありません。
皆様方から向かって右側にポスターがあちらに、ちょっと下側にあるので見えないかもしれませんが、後ろの右側の前にもありますね。
あちらにはもう400名以上の方が載っていると思います。
この会場にいらっしゃる方々の3倍から4倍の方々が、3倍から4倍の私たちと同じ日本人が連れ去られたままになっているわけなんです。

私の姉だけの問題では無いし、政府が認定している人だけの問題ではないんです。
あちらにいらっしゃる方々が、仮にお子さんを授かってその家庭に2人か3人の子供がいるとすれば、その数は本当に計り知れない深刻な大きさであるし、私たちの現実に対してもっと直視・直面しなければいけないと思うし、私たち日本人が助けないといけないという気持ちをもっと形にしていく必要が私はあると思います。

今は3月、事実上4月でありまして、窓の外を見れば桜も咲いています。
少し前までは冬でした。
こうした季節になると私たち被害者家族と言うのは、本当に辛い思いをいつもするわけであります。
今日も食べられるだろうか?
明日は本当に明るく笑顔で起きられるだろうか?
着る物はあるだろうか?
どんな寒い中で寝ているだろうか?
そんな気持ちでいつも冬になると考えてしまう毎日でありました。

そしてこの春、今桜が咲いています。
めぐみも私の母も私自身もそうなんですが、お花とっても好きなんですが桜自体はきれいなんですけども、私の家庭にある、もしくは皆様方の印象に残っている一つの写真。
校庭の前で撮られた桜の木の下で鞄を持ったうちの姉の写真を思い出される方いらっしゃると思うんですが、あれは前日に風邪をひいて、その時に父が翌日にわざわざ校庭の桜の下で撮った写真なんですが、その記憶が私自身も昔々からありますから、この春になると新しい生活が始まるという浮き浮き感と言うものではなくて、とてもさびしい花の色になるわけなんですね。

そしてもう一方この季節ですとお花見といったような明るい話題になりがちなんですが、例えば高齢の私の両親もですね。
お花見そしてもしくは行楽とか映画館とか公園とか、行くことすら出来ないような毎日を送っているわけなんです。
いろんな被害が二重三重に繰り返されているわけなんですね。
こういった深刻な問題を早く解決してあげなければいけない、と思います。

北朝鮮問題、先ほど難民のお話もありました。
安全保障の問題もありました。
そして拉致の問題があります。
私たちはたまたま拉致の問題を中心に、そして被害者の当事者としての気持ちをお話しているんですが、北朝鮮問題と言うのやはり核の問題もそうでしょうし弾道ミサイルの問題もある。
偽札の問題、偽タバコの問題、いろんな問題があるわけなんですね。

たまたま小泉総理が2002年に訪朝されて、5人の被害者当事者とそのご家族が帰ってくることが出来ましたけども、私の姉をはじめとした多くの方々、そしてあちらにあるポスターにまだ政府が認定もしていない多くの被害者が帰って来れていないという事はですね。
これは現在進行形のテロであるという事を、私たちがいつまでも強く言い続けていくという事があると思います。
どこか遠い事の話では無いし、日朝間だけの問題でもない。
先ほどのお話でもご紹介があったように、この拉致の問題は日本人だけの被害者の話題では無いんです。

私ども家族会・救う会・他の団体がいろんな国際的な活動の一環で国々を訪問しています。
ジュネーブの国連に行ったりニューヨークの国連に行ったり、そして国際的な被害者がいるだろうと分かっているタイや韓国、そしてこれからルーマニアにも行く予定でその活動の準備を進めておりますが、今国際的に大きな被害の様相を呈して来ているわけですね。
そういった問題を私たちはやっぱり黙っていてはいけないと思うんです。
過去に類は違うかもしれませんが、アウシュビッツの強制収容所の問題が当時はあった。
その時に隣の国々が目をつぶってしまった事、黙ってしまった事が大きな被害を生んだという歴史はあるんです。

今この拉致問題・人権問題と言うのは、私たちの住んでいるこの日本のすぐそこに見えるような地域に起こっている問題であります。
しかも拉致以外にも現在進行形でありますけども、ミサイルの問題・核の問題と言うのは金正日がその気になってボタンを押せば20分以内におそらく飛んでくるだろうと言われております。
私たち全員に等しく課せられた危機が今ここにあるという事を、私たちが今一度理解した上で北朝鮮に対する毅然とした態度を堅持していく必要があると思います。

私たちはこれまで外務省や官邸や議員の皆様方のところを本当に多く、暑い中も寒い中も足を運びました。
官邸の前でも座り込みもしました。
どうして私たち国民の財産や生命を守るはずの官邸に対して、座り込みをする必要があるのか?という事を常々疑問に思いながらも、この活動を大きくする意味でそして国民の皆様方に知っていただく上でそういった活動をせざるを得なかった、物凄く苦い時間・事実がございます。

しかし、先ほどの特定失踪者問題も被害者の方々が仰っていましたが、歴史が大きく変わって安倍総理が政権を担われて、私たちは9月の29日くらいだったと記憶しているんですが、家族会で官邸で安倍総理にお会いする機会を頂きました。
皆口を揃えて言っていたのは、「初めてこんな嬉しい気持ちでこの門をくぐる事が出来るよね」という事を言っていました。
今までは米の支援をしないと言っていても、その翌日に平気でやってしまうような方々が多くいた。
しかし今、日本政府は安倍さんをリーダーにしてこの問題に対して毅然と立ち向かって、北朝鮮の安全保障上の問題、そして拉致被害者について全く誠実な態度を示そうとしない北朝鮮に対して、制裁を課すよと加え続けているわけでございます。

昨日の産経新聞にも書いてありましたけども、日本政府は今回の6者協議・日朝作業部会において、いまだに北朝鮮が誠実な態度を見せない事に対応する形で今経済制裁を実施中でありますが、4月中旬にその期限が切れようとしています。
その期限をほぼ半年間延長しようという事でほぼ進めているという事が書かれていました。
大歓迎でありますし、私たちはもっとその声をですね。
上げて日本政府を後支え、後ろ支えをしていく必要があると思います。

そして今皆様方も首相官邸のHPをご覧になった方は多くいらっしゃると思うんですが、今こういった拉致と言うですね。
政府が広報する形で官邸でビデオを見る事が出来ます。
これは官邸のHPにはダイジェスト版が載っているようでして、これはフルストーリーのバージョンらしいんですが、こういったもので一杯一杯政府も活動してくださっている。(一枚のDVDディスクを掲げる)
そしてこういった小冊子も政府が作ってですね。
簡単なこれまでの取り組み、もしくは被害者のリストを作ってですね。
いろんな各機関、我々国民レベルまで落として配布も出来るようなツールも作っているわけであります。
今までに無いくらいの大きな活動をしています。

ただここで私たちも、それでは良かったねというふうに甘えてはいけないと思います。
やっぱりそこはさらに安倍総理に対して、正しい意味で堅実な声をもっと発していって彼がもっと動くようにしていただく。
で、北朝鮮に対する圧力をもっと強めるためにですね。
私たちが声を上げていく必要があると思います。

後、先ほど日朝作業部会、ハノイで行なわれたお話ですとかね。
6者協議のお話とかもありましたけど、いまひとつ北朝鮮と言う国が、我々は国としては認定していませんけども便宜上国と申し上げますが、北朝鮮と言う相手がどういう相手かという事をもう一回整理しておく必要があると思うんですね。
これは私の横田家だけの問題において申し上げればですね。
皆様方もご記憶新しいと思うんですが、人権・人命が明らかに反するような他人の骨をですね。
平気で出してくる相手だという事なんです。

私たち日本人の文化の中でこの親とかですね。
家族とかそして骨とか、生きる死ぬってことの意味、とても大きいと思うんですね。
そういったものに対して自分たちが国家の人権侵害・領海侵犯をして来たにも拘らず、そして13歳と言う何も知らない一人の少女を奪っておきながら、さらにその30年後に「これはあなたの子供の骨ですよ」という事を平気で言いのけてしまう。
その目的は単に自分の政権を維持させたいがための話なんですね。
こういったおよそ文明社会では有り得ないような非道な相手だという事なんです。

そして日朝作業部会でも自分の都合に悪ければ勝手に席を立って帰ってしまうし、6者協議でも自分の都合に悪ければ勝手に帰ってしまう。
こういった我々のおよそ常識と言うものの通じない相手であるという事です。
そして先ほど申し上げたようにこの問題は現在進行形の拉致事件でありますから、テロがいまだに我々の身辺に掛かっているという事なんですね。
私は今皆さん方に危機を煽るわけではありませんが、今日今この時間現在ですね。
私たちの家族やきょうだい、お友達が今日夜電話してみたらいないかもしれないんです。
そういったもっと迫った問題であるという事を理解して、北朝鮮に対する圧力を加え続けなくてはいけない。

そしてじゃあ、私たちが何が出来るんだ?という事であります。
国会議員でもないし外務省の役員でもないし、出来ること確かに少ないし小さい。
言ってしまうと出来ないことの方が多いと思いますが、私たちが北朝鮮と違うのは民主主義であるという事。
声を発して民意を形成してそれを政治に活かせるという事であります。
先ほど申し上げた例えば首相官邸のHPにメールを出すことも出来る、意見を言う事も出来る。
警察にも各議員の皆さん方にも、いろんなところにお手紙やお電話・HPのメールで、拉致問題の取り組みが浅いのではないか?甘いのではないか?圧力が弱いんでは無いか?こうするべきだという事を言い続けていく事。

そして願わくば皆様方のお友達、職場のご友人にですね。
例えば土曜日に誰々さんに会ってこんな話を聞いてきたよ、とかですね。
もっと国際的に、例えばお友達がアメリカにいらっしゃる、ルーマニアにいらっしゃる、タイにいらっしゃる。
そしたら「そこに被害者がいるからちょっと情報を取ってくれないか?」といった小さなお口添えがですね。
先ほど言った国際的な圧力の包囲網につながるわけです。
北朝鮮に出来なくて日本に出来ることだと思います。
こういった力を加え続けていく事がとても大事だし、私たちもいつでも倒れそうな弱い存在をですね。
常に支えてくださっている大きな力の源であるという事をこの機会に申し上げたいと思っています。

後もう一つ北朝鮮問題はですね。
いろんな偽札とか麻薬問題とか申し上げましたが、もうちょっと大きな問題、先ほど難民のお話がありました。
中国に逃げても(北朝鮮に)返されてしまうという大きな問題がある。
ここで中国問題を大きく語るつもりはありませんが、北朝鮮以上にミサイルが(日本に)向いているというのは中国であるというのは事実でありますし、せっかく圧政下から逃げてきた人間をもう一回返してしまうという事も事実としてあるという事なんですね。
こういった問題を私たちは、日本人の拉致問題だけに拘るわけではなくて、もっと大きな問題が実はその背後にあるという事を知っていく必要があると思います。

後その北朝鮮国内にはそうした難民の他にですね。
なぜ難民が逃げるか?と言えば北朝鮮国内に居たくないから逃げて来るわけでありますが、子供たちの本当に飢餓に苦しんだ写真や映像は何回も見たと思いますけども、食べるものが無いわけなんですよね。
暮らすところが無いんですね。
自由に意見を言い合う場が無いんです。

そういった子供たちが自分たちの食べるものが無くて、それを日本や他の国々に、例えばマツタケとかアサリとかを出してまでも働かされているという事です。
そういった事を私たちが今経済制裁でそういった輸入はストップしていますが、平気で食べ続けて良いのか?
私たちは向こうの国民も苦しんでいる。
同じ人類として助けなければいけないという大きな視線に立って、この問題に向かい合っていく必要があると思います。

私の姉が2002年の日朝平壌宣言の時にですね。
政府の専用機が来た時に大変期待したと思いますし、そして帰ったときにとても悲しんだと思います。
姉を含めて多くの被害者が、また取り残されてしまったという大きな悲しみ・苦しみにあったと思います。
その同じ気持ちを、おそらく種類は違うんでしょうけど、北朝鮮国内にいらっしゃる自国民の方も早く逃げたい、早く食べたい、早く自由になりたいと思ってるはずなんです。

そういった気持ちを私たちは同じ人類として、隣の国に居る私たち日本人がですね。
人権の価値観を全面に出していく事が大事だと思いますし、それをどうか皆様方の最寄の議員さん方々に取り組みがもう少し具体的であるべきではないか?という事をですね。
言っていくことが大きな力になる。
それが先ほど行った地方が国に対して、国が対外交につながっていく大きな原動力になると思いますので、ぜひともお願いしたいと思います。

後時間も余りないので、限られた事をお話したいんですが、最近家族会がですね。
10年経ってしまったという話があります。
ここについて話をしたいんですが、ここの点についてお話をしたいんですが。
姉自体は30年拉致をされて、その他のご家族も30年以上前に拉致された経緯もあるんですが、家族会が結成されたのが1977年になります。
10年前です。
その時からいろんな理由があって、うちの父が代表を勤めさせていただきました。
今両親70以上を越えていますから、大変な辛い中になるわけですけども、これまでも1000回講演をして日本全国漏れなく今訪問させていただいたわけです。

その他にも政府の協議があったりとか、マスコミとの対応があったりとかという事で、本当に休む暇も無い。
寝る場所も無い状態で毎日を過ごしているのが実情であります。
そしてご存知のように一昨年の12月に父が薬の関係もあるんですが倒れてしまって、医者からの話を言うと「死を覚悟をしてください」という事も私に言われました。
本当に死の淵まで行って、何とか耐え抜いて今ここに居るというのが現実です。
母も普段からあまり辛いとか不平不満を口にする方ではないんですが、やはり歳もあって精神的なストレスもあってですね。
本当にいつもここが辛いここが痛いという事を平気で口にしてしまうような毎日を過ごしています。

姉も辛い、早く助けてあげたい。
そして両親も早く心から笑える時間をですね。
授けてですね。
普通の暮らしをさせてあげたいし、冒頭一点の例え話ではありませんが、本当に何気なく普通に桜の下でですね。
「今日の花、きれいだね」と言うような時間をですね。
本当に早く作ってあげたいなと言うのが私の本音であります。

しかしこれも、すでに私たち家族だけに与えられた問題ではない。
ちょっと大きなアプローチからすると、これは日本人全体の問題でありますから、この問題勝ち取るために、自由を勝ち取るためにですね。
私たちは安倍さんをもっとバックアップして、さらに要求するものは要求していってですね。
人権を無視した、人質外交を繰り返している北朝鮮に対して絶対に譲歩しない。
負けないという気持ちでですね。
戦っていく事が大事だと思います。

その中で家族会代表を10年間やって来て父も75になるわけなんですが、退任をするかしないかと言う話があります。
実際は来月の22日に家族会総会がありますから、その場で家族会の皆にですね。
意向を表明してどうするかと言う道筋を作っていくわけですが、ただ会社の組織のように人材が多くいるわけではありませんから、後任に誰がどうするというのは実際にあるかというのは難しい話ではあるんですね。
ただ、10年間やった、75歳と言う節目であるという事と、やはり私が一番身近にいて思うのは、本当に父の肉体的にも精神的にも限界にあるのは事実でありまして、このまま無理をしていけば一昨年の12月のように、また死の淵をさまような事を宣告されてしまうかもしれないんですね。

そういう意味では個人的には早く楽をさせてあげたいし、願わくばその先にある本当のゴールですね。
自分の娘を取り戻して他の多くの被害者をですね。
全員取り戻して日本が外交で勝利する事はもちろんですね。
この問題に晴れて人権の問題で勝つんだという事をですね。
勝ったという事を宣言していっていたいなと思っています。

まず最後に宣伝的な話になるんですが、皆様方の資料に入っているかどうか今日はちょっと確認をしていないんですが、入れましたか?
入っているそうです。
4月の22日にですね。
日比谷公会堂で、これも何回やればこの問題解決するんだ?という事で、来年はやらないでおこうねと誓い合いながら今年もですね。
やるハメになってしまうんですが、また国民大集会を開きます。


 
 
 
 
 
 
 
 
 

世界的に拉致の被害は多くを生んでいるという事をお話しましたが、そのご家族をこちらに呼んでですね。
国際的な連携をうたう予定であります。
私たちがその場に集って一体感を持って、その数時間後には北朝鮮は、その会場に国民が許さないという気迫を持った時間があったという事を知っているわけなんです。
それほど気にしていますから、私たちが集まって声を上げていくという事はとても力になります。

どうか、今日もですが、お休みのところ大変恐縮であるんですが、時間が許せばですね。
お友達もお誘いの上ですね。
是非お集まりいただいて、この問題と引き続き向き合って、私たちとともに戦ってくださればと思いますのでよろしくお願いしたいと思います。
今、私家族の立場でしか物を申し上げられませんが、本当に戦い所いいところに来ていると思いますし、先ほどの恵谷先生の話にもあるように、若干今までの雲行きと違うところがあるんですが、日本が孤立しているという事は無いと私は思っていますし、信じています。

その為には私たちが気を抜くことを無くですね。
北朝鮮に対してもアメリカに対しても国際社会に対しても、引き続き言っていく事がこの問題を絶対に忘れさせない事につながると思うので、どうぞ引き続き私どもと戦ってくださる事をよろしくお願いします。
ありがとうございました。(拍手)

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4.特定失踪者家族の訴え

   第16回藤沢集会
07.3.31 藤沢産業センターにて

『特定失踪者家族の訴え』

★大澤茂樹さん(特定失踪者・大澤孝司さんの兄)

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皆さんこんにちは。
ただ今紹介に預かりました、私今から33年前の2月の24日に新潟県の佐渡島で北朝鮮国によって拉致された疑いが濃厚な特定失踪者・大澤孝司の兄でございます。
私のほかに本日このセミナーに、昭和51年7月の30日に東京都の神津島で電気通信大学(の仲間)と旅行中に忽然と拉致された疑いが濃厚な高野清文さんのご家族と、それともう一方、昭和54年の8月の10日某銀行の親睦会で鎌倉の花火大会に参加し、その後同僚と別れ帰宅途中にこれも忽然と北朝鮮国によって拉致された疑いが濃厚な寺島(佐津子)さんのご家族、お父さんも本日このセミナーに参加させて頂いておりますので、簡単に自己紹介をさせていただきます。
では高野さんどうぞお願いします。

★高野美幸さん(特定失踪者・高野清文さんの妹)

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今ご紹介に預かりました。
神津島から行方不明になりまして、丁度電気通信大学に住んでいるときに寮の旅行で行方不明になりました。
出身は長野県になります。
そして今東京都の方で、東京都内で都下の関係者の特定失踪者のポスターという事で作成していただきまして、今あちらの「東京へ帰れ」という事で張り出させていただいております。
そちらの方にもうちの兄の名前が載っておりますが、そういった形で紹介されております。

私の兄のいなくなった時の事はこちらにいらっしゃる方は聞いていただいていると思いますので、横浜の時も最近いつも集会の時にうちの両親の事をお話させていただいたんですけど、実はですね。
3月14日の日に母が交通事故に遭いまして、母はもう70過ぎなんですがちょろちょろ運転はしていたんですね。
自動車の方の。
おばあちゃん運転なんで40キロののろのろ運転で走っておりまして、私も兄も卒業しました小学校の近くを通りかかったときに、母が直進している所に左手から左折しようとした車が全くうちの母の車を確認しないで突っ込んできたという事で、真横から突っ込まれましてそのまま宙を浮いた状態で180度ターンをしてですね。
対向車線の向こう側の・・・(聞き取れず)に突っ込んで、止まったという事なんですね。

で、父がその事故直後にうちの車を見に行った時には、あまりに酷い状況だったのでうちの母親の顔の頭に三角形の白いものが見えたという事だったんですけれども、その電話はうちの父から夕刻に頂いた、被害にあったのは昼間だったらしいんですが、夕刻の電話の時にはうちの母も家に帰ってきて無事で軽症だったという事で、全部レントゲンとかCTスキャンとか脳波とか採ったらしいんですが、その時点では空中を飛んでいる最中に一生懸命ハンドルにしがみついたので、腕と胸が痛い。
ちょっとだけ胸を打ったみたいで、横からだったのでエアバックも開かなかった状態だったようなので、そういった形で別に命に別状も無く、対向車線に車があるわけでもなく、いった先の歩道の先に子供がいたわけでもなく、本当に不幸中の幸いだったなと思っております。

うちの母、前に子宮がんの摘出手術もしておりまして、その時も初期ガンだったのでかろうじて助かったという事で、ここ3回くらい九死に一生を得たというような部分があってですね。
より、私の思いとしては母は兄に会うために生かされているっていうような気がしています。
もし、この事故でうちの母が大怪我をしている、もしくは亡くなってしまったという場合は、私ここに立っていなかったかもしれませんし、もしかしたら亡くなっちゃいましたと言うご報告をもっと早く調査会のニュースなどで皆さんにお知らせしなければいけなかったかもと思うと、とても胸の詰まる思いでございます。

本当にこういう家族がまだたくさん、私はこういうところで言えますけども、言えない家族がたくさんいます。
本当に一刻も早く帰ってきて解決して欲しいと思っております。
個人的な事をたくさん申し上げて申し訳ありませんでした。
今日はこれでお話終わらせていただきます。(拍手)

★寺島六郎さん(特定失踪者・寺島佐津子さんの父)

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皆さんこんにちは。
私は皆様方のすぐ隣の横浜市戸塚から参りました、寺島です。
事件の概要は今大澤さんからご説明があったとおりです。
昭和54年の8月10日、夜遅く事件が発生したわけです。
この会場の中の皆様方には、もしかしたら事件当時の内容などはテレビ・新聞等でご記憶の方もいらっしゃるかと思います。
あれから早いものでもう28年近く経ちました。

私たちは何も出来ることなくただ悲しみに明け暮れておりましたが、皆様方もご記憶の通り5年前に新潟県の被害者の方が帰って来られまして、私たちも特定失踪者の会の方へお世話になり、現在に至っておるわけです。
私たちは何も出来ませんので、関係者の方々または特定失踪者の皆様方の力とそれから皆様方の温かいご支援が不可欠でございます。
どうか一日も早い事件の解決を見るまで、皆様方の温かいご支援よろしくお願い致します。(拍手)

★大澤茂樹さん

まだ見えておりませんが、私ども特定失踪者の代表であります荒木先生も今日ここに見えられ、ご講演をする予定となっておりますがまだ見えておりません。
私たち、荒木先生の下に5年間お世話になりました。
それで私たちの活動方針と致しまして、この5年間は一刻も早い真相究明と一日も早い拉致被害者の救出を日本政府に訴えてまいりましたが、今までに一回として取り上げていただいておりません。

ところが皆様のご支援とお力によりまして、昨年の10月安倍政権が誕生し、安倍政権の活動とし拉致問題を最優先・最重大課題として取り上げていただき、今現在も日本政府は一生懸命に取り組んでいただいております。
その甲斐があって昨年の11月の9日、私ども特定失踪者は初めて日本政府と折衝する事が出来、塩崎官房長官と面会する事が出来ました。
そこの席におきまして塩崎官房長官は、「拉致事件、特定失踪者を含めて、すべての拉致被害者を奪還するまではこの問題は終結しない」とはっきりと明言していただきました。

今巷じゃ、また評論家の先生方からいろんなご意見がありますが、私は今しばらく日本政府を信じてまいりたいと思っております。
どうか皆様方のお力で、私ども特定失踪者を含めた拉致被害者が一刻も早く帰国出来るよう、更なるご支援をご協力をよろしくお願いいたします。
どうもありがとうございました。(拍手)

最後になりましたが「しおかぜ」の話をちょっとさせていただきます。

★高野美幸さん

この3月26日から八俣のKDDIさんの送信所から、荒木代表から詳しいお話があるかもしれないんですが、「しおかぜ」の方、国内から短波放送がさせていただけるように総務省からしていただきまして、放送が始まったという事なんですが、29日の時点ですでに妨害電波が入ったという情報が先ほどお話が加藤先生からあったかと思うんですが、そういったことでいろんな意味で大変な苦労を調査会にしていただいて、私たち家族を支えて貰って来ています。
そうした調査会のグッズの方も本日お持ちしておりますし、あと調査会の方の署名活動もしております。
カンパの方ももちろん募っておりますので、どうか皆さんのご協力をお願いしたいと思います。(拍手)

★大沢茂樹さん

どうもありがとうございました。

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3.三野由美子 藤沢市議会議員の挨拶

   第16回藤沢集会
07.3.31 藤沢産業センターにて

『三野由美子 藤沢市議会議員の挨拶』

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こんにちは。
藤沢市議会議員の三野由美子と申します。
花粉症が喉に来てしまいましてお聞き苦しいかと思うんですが、私はこの拉致問題について、まだ一期目なんですけどもこの4年間、何か地方議員の立場で出来ることは無いだろうか?というふうにずっと考えてまいりました。
もちろんこういった集会に参加させていただいたり、本などで勉強させていただいたり、ボランティアと言う形でそれはもちろんあると思うんですけども、やはり皆様に信託を頂いた公職・地方議員と言う立場で何か出来る事はないだろうかと考えてまいりましたが中々その答えが見つからないまま、間もなく一期目を終ろうとしております。

ところが数ヶ月前にあるきっかけがございまして、あぁこういう事をしなければならないと確信をした事がございました。
それはある初対面の方とお話をしておりました時に、雑談の中で拉致問題がどちらからともなく出てまいりまして、お話をしていますとその人は「拉致は問題なんだけども、拉致した側にもそれなりの理由があるんだろう」と言うような事を言うんですね。
で、「理由があるんだろう。日本も過去に悪い事をしてきたんだから」と言うんですね。
私はちょっととんでもないと思いまして、「あなたは横田めぐみさんをはじめ、各被害者の家族のお話を聞いたりご本を読んだりしたことがありますか?」と聞いたところ、「それはない」という事だったのですが。
無いにしても家族が突然さらわれて何十年も助けに行くことも出来ないと言う人にもし直接会った時に、「お気の毒だけど、それはやる側にも理由があったから仕方が無いよね、なんて直接いえますか?」と聞いたら、ハッとなさって「あぁ」と言いながら黙ってしまって、最後別れる時には「すいませんでした、僕も勉強します」と仰ってくださったんですけども。

長年日本のマスコミをはじめ、日本の中野の空気に、この方悪気は無かったんでしょうが、なんとなくこのような空気が知らず知らずのうちに蔓延してしまっていたという事が、今家族の方々がこんなにも長い間苦しまなければ、被害者の家族の方が苦しまなければならない事の原因なんでは無いか?と私その時思いました。

それに先駆けて、たまたま櫻井よしこさんから私たち地方議員に対するメッセージをいただきまして、その中で非常に櫻井よしこさんのメッセージの中に、これから私たちが何をしなければならないかと言う答えがあるというふうに、やっと確信することができました。
櫻井先生のお言葉を直接引用させていただきます。
これは地方から誇りある国作りをということで、地方議員がが30人弱集まって原稿を持ち寄ってして出した本なんですけど、その中で「地方議員の人たちに期待すること」という事で櫻井よしこさんが言って下さっていますが。

「まずは日本が直面している諸問題の根底には、歴史の勉強をしていないことがある」と言うふうに語られた後、「最後に地方議員に期待する事は、各国に比べて全く自分の国の歴史を知らないという事が日本の現状」ですね。
「そこへ対して大事な国民教育を力を合わせてやっていくような国にして欲しい」という事。
「国会議員の方も頑張っていらっしゃいますが、国会議員よりもっと国民に近いところで政治に携わっている地方議員の皆様方には日々の活動の中で、日々のスピーチの中で、日本国の足跡・歴史・私たちの先輩たち・祖先たちがどのような思いでこの国を築いてきたのか、という事を語り次の世代に伝えていって欲しい。もしそれが出来なければ未来永劫、この国はまともな国になる事は無いと思っております」

櫻井よしこさんこのように述べております。
私はこれ拉致問題も同じで、おそらく根底にある問題なのでは無いかと考えました。
間もなく私も次の市民の皆さんからの審判を頂くわけですけれども、皆様それぞれのお住まいの場所で、それぞれの地方議員をお選びになる事が出来ると思うんですが、是非その時にはこの国の問題を解決する、拉致問題を解決する事をはじめ、様々な問題の根底にある私たちの国がどのような国であるかという事をしっかりと認識して行こうという気概を持った人を選んでいっていただきたいなと思います。

私もそのような仲間を増やしていって、このような拉致の問題のように、被害者の方々・家族の方々がこんなに長く苦しまなくてもいいはずなのに、余りにも長い時間こんなにも長い事、多くの方が苦しまなければならなかったこの間違いをこれから正していかなければならないと思います。
ちょっと取り留めの無い話になってしまいましたが、皆さんも是非そういった目で地方議員を選んでいっていただきたいなと思っております。
藤沢市議会議員の三野由美子でございました。(拍手)

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2007年4月15日 (日)

東京連続集会26(7)

   6者協議と日本の対応 東京連続集会26
07.3.10 友愛会館にて

『家族の訴え』

★西岡力 救う会常任副会長

後10分くらいありますので、今日は地方から家族の方もたくさん来ていますので何かありましたら一言。
じゃあ、有本さんどうぞ。

★有本明弘さん(有本恵子さんの父)

え~、あのね。
今壇上の先生方の仰った。
皆さん大体感じておられると思いますけども、私もあまり長いことしゃべったら怒られるかもしれないけれど、その代わり安倍さんの姿勢は皆さんご存知と思います。
私らは朝鮮半島の解決、あれは安倍さんでなければならないとそう言うふうに思っています。
だから安倍総理と言うよりも私は安倍・・・(聞き取れず)になって欲しい。(笑い声)
独裁。
これを国民全部が支持して独裁の政治を安倍さんにやってもらいたい。(笑い声)
そうでなければとてもじゃないが、この日本の国の政治も改良することが出来ない。

なぜなら安倍さんの支持率が下がってきた。
もう1年くらいしか持たんのじゃないかと。
それから次は俺がやるぞと誰かさんが大きな声ででしゃべってると。
そんな話誰も起こらんと、誰も腹立たない。
誰も怒らない。
それが今の日本の国の国情なんです、これ。
おかしいでしょ?これ。

ただ、つい2~3日前ですけども、安倍事務所で話をしました。
江藤さんも党規委員会にかけると、なぜ江藤さんなんやと。
この谷崎をかけるべきでしょ?(笑い声)
総理の話も遠慮なくやる、言う。(笑い声、拍手)
ある程度言われるでは・・・(聞き取れず)、安倍独裁と、(笑い声)それくらいの独裁を発揮していただきたい。
私はそういうふうに思っています。
以上です。(拍手)

★松本孟さん(松本京子さんの兄)

先ほどから壇上の先生方仰っていますけど、日本の政府もそうですけども、特に外務省の方はこのたび特に日朝の作業部会に行かれた方、日本はこういうふうに思うんだ、こうなんだという事をもっときつく激しく言って欲しい。
私たち本当に命をかけてやっているんです。
壇上の方は仕事で言っているかもしれませんけど、私も家族、特に母親が高齢でございますので、いつどうなるかは分かりません。
ただ仕事だから行って帰って来たとそういう事ではなくて、唾を飛ばし、相手がいう事を聞かなかったら蹴飛ばす。
命をかけてやってきて欲しい。
それをお願いしておきます。

★本間勝さん(田口八重子さんの兄)

ちょっと一事言わせてください。
拉致問題は解決済みと言う相も変わらず、最初門前払いと言う言葉に対して、もっと怒りをぶつけて欲しいと思います。
最近の朝鮮総連の動きでは大阪とか東京の日比谷の集会をですね。
朝鮮総連への法の執行と締め付けが激しいとかね。
万景峰号の入港を解除しろとかね。
そういう事を言ってきているわけです。

という事は逆の話なんですね。
これだけ朝鮮総連の後ろ盾となっている北朝鮮が困っているわけです。
決して今の状態では万景峰号の入港を解除することなく、 は来月の話なんですよね。
最初の話では。
半年間の入港阻止と。
これは絶対そのまま延長。(拍手)
さらには出来れば朝鮮総連の送金停止までもっていければ一番の力になる。
これはもうちょっと懐に隠しておいて抜かないで

それから我々の家族会に対して、週間新潮なる雑誌がですね。
家族会の話をしていますよね。
安倍さんが家族会を利用している、利用するのは止めて欲しいと。
そんな事はね。
我々一貫して家族、誰も言っておりませんから。
(会場より「分かってます」の声)分かってますよね?
誤解しないでください。
それでもう我々は政府、安倍さんと一体になって戦っているんです。

これはね、家族会だけの問題じゃないんですよ?
日本国民全体の問題なんですから。
国民が全体で団結していかなければ、決して解決しません。
是非誤解のないようにお願いします。(拍手)

★浜本雄幸さん(旧姓・浜本 現・地村富貴恵さんの兄)

私の妹が帰国してから、もう5年になりますけれども、帰国したときにですね、これが平成14年の10月でございました。
日本の国会がですね、これを、政府が拉致を認め、日本の国会が拉致、即、解決の全会一致で採択をしましたね。
皆さん、ご存じないですか。
その、帰国する6ヶ月前に採決したんですね。
だから、日本の国会、それから国民の皆さんが一生懸命、これを、拉致問題について気勢を上げてくれた。
その気勢の馬力によって、金正日はびっくりして、これ、5人を帰国させたんじゃないかと私、こう思っとるんです。
ま、今日、5年たってからですね、安倍政権になってから、安倍さんは一生懸命やってくれて、拉致問題解決に一生懸命。

今現在は、何か、ちょっと国会内なんなりの空気がですね、宥和政策をとるような政治家が出てきやって、非常に、この足を引っ張る。
安倍政権の足を引っ張る空気が出てきた。
私は非常に残念に思うんです。
なぜ、もっと政治家、国民の皆さんが総力を挙げてこれを結集して拉致問題の対して、意識的にならないか。
私残念に思うんです。
皆さん、そう思いませんか。
もう選挙が済んで、5年前の議決したことをもう忘れてしまって、野党の先生方、何を言ってるんでしょうか。
拉致の問題は、全然、ヌキにして分かっていないような気がするんです。私、残念に思うんです
皆さん、どうかひとつ、頑張って、安倍政権を支持してください。

★市川健一さん(市川修一さんの兄)

鹿児島から来ました市川です。(拍手)
日朝作業部会で、相変わらず不誠実な態度を取っている北朝鮮。
ご存知のようにあの国は・・・(聞き取れず)を軽視した言動を行なっている。
政府はね。
自国民の生命を奪われれば身を挺して戦うのが国家の姿勢です。
その姿勢を安倍さんは今実行されております。
この安倍さんの政策を成功させるためにはどうしても国民の皆様方の支援が必要です。
後押しが必要です。
どうか安倍さんを支援してください。
お願いします。(拍手)

★横田滋 家族会代表

我々は8日の日に6者協議が終った時に、記者会見をやりました。
それで今言ったように日本が一枚岩にならなくてはならないのに、日本が孤立しているという事を言ってくる政治家が いるという事。
それからバスに乗り遅れるという事、日本が乗らなければ発車できないような状態だからという事を話しましたが、やはりこの際、加藤さんそれから山崎さんたちのような意見がそりゃ国民の中に一部あるかもしれませんが、しかし政治家の立場としてああいう事を言うんじゃなくて、やはり一枚岩に。
自民党本部でもそれは決議されているわけなんですけども、それが北朝鮮から見て日本の世論が割れているなんて無いようにしていただきたいと思っています。(拍手)

・・・集会終了・・・

・・・・・・・・・・・・・
※このエントリーのうち、浜本雄幸さんのテキストはmomoedakeさんの手によるものです。   

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東京連続集会26(6)

   6者協議と日本の対応 東京連続集会26
07.3.10 友愛会館にて

『報告会 その6』

★島田洋一 救う会副会長

3月19日に次回の6者協議が予定されていますけども、日朝協議が・・・(聞き取れず)で北の不誠実がまた改めて今になって分かっているわけですが、ああいう結果になった。
それを受ければですね。
一つのオプションとしては来月の会議の途中でも佐々江局長が席を蹴って、6者協議全体のこんな猿芝居には日本は付き合えないと、その宣言をする。
そのアメリカの保守派はますます日本の理由に従うべきだという事になるでしょうし、そして席を蹴って日本制裁を強化すると、そういうやり方が一つあると思いますし、安倍さんがもしそういう指示を出したりしたらですね。
私は全面的にそれは支持しますけども。

とにかく会議に残るという上でですね。
何をすべきかを具体的に考えるのは、ひとつは中国人の拉致被害者がいるんだという事をはっきりですね。
打ち出す。
中国は拉致問題ではですね。
とにかくこれは日朝二国間の問題なんだから日朝で話し合ってくれと言うのが、善意の仲介者を装ったりしますけども、いつものことですが中国はまず脱北者を強制送還を続けておる。
その中には拉致被害者やその家族、あるいは重要情報を持った人がいる可能性が強いですから、明らかに中国は拉致問題の解決を妨害しておる。

それに加えてですね。
分かっているだけでも1978年に二人の中国人の二十歳前後の女性が拉致されている。
確実な情報があるわけです。
中国政府は人権感覚ゼロですから、人権感覚に訴えても全くそれは動かないでしょうから、大中国が金正日に自国民を拉致されて恥ずかしくないのか?という確固たる国際世論があれば中国側も何らかの動かざる柄を得ない。
いう気になる可能性がありますから、やはり拉致問題が解決しないことが北京政府にとっても苦痛だという状態を作らないと、多分ですね。
一般的に中国に対して、拉致の解決に協力してくださいといっても、口では協力しますよと言うでしょうが、実際は何もするわけがありませんから、中国人の拉致被害者もいるんだという情報をですね。
国際広報戦略として日本政府はどんどん打ち出していくべきだと思います。

それからもう一つやるべきだと思うのは、やはり日本人拉致問題の事をアメリカで人権運動をやってる連中は本当にですね。
自分たち直接の問題でもないのに、議会に訴えたり政府に訴えたりをやってくれていると。
それに対してですね。
日本側も拉致問題を加えて北朝鮮の人権問題一般にもっと政府に踏み込んでですね。
発言する。
そのことによって日米の人権を重視する保守派、価値観外交としての保守派の連携が深まってくると思います。

その意味ではですね。
首相やあるいは官房長官が踏み込んだ、人権一般に関して発言するのも大事ですけれども、もうひとつ人権大使と言うポジションが設けられたわけですけども、一体何をしておられるのか?よく分からない。
この中で人権大使の名前誰だったか言える人何人いるか?
ほとんどいないんじゃないかと思うんですね。
私も一瞬思い出せません。

斎賀さんと言う外務省のノルウェー大使だという事ですけど、兼任なんですけども、もっと例えばボルトンみたいな発言をどんどんしてですね。
まずは日本の斎賀人権大使がこういう強硬発言をしたと言うのをどんどんメディアに出ると。
それでちょっと安倍首相が弱気に見えるくらいにですね。
人権大使のポジションにいる人間がやらないといけない。
ボルトンなんかはそれをはっきりと意識して、国連と言う場でですね。
きつい事も言っているわけですけども。
今人権大使と言うポジションが事実上死んでいますから、これはやはりもうチェンジした方がいいだろうと。
佐藤会長でも西岡さんでも良いですけど、そういうですね。
とにかく厳しい発言でニュースをどんどん作るんだというような意識の人を人権大使に持って来る。

それからさらに言えば今アメリカの下院で慰安婦決議と言うのが出されている。
あれは絶対に潰さないといけないわけですけども、実は国連の場等においても以前から北朝鮮は、この慰安婦問題と拉致問題を相殺しようとずっとやっているんですね。
去年の10月、私、西岡氏、それから増元さん飯塚さんで、国連人権関連の会合の傍聴に行ったんですが、その時もですね。
日本の国連代表部、次席大使が拉致問題未解決であるという事を言うと。
それに対して北朝鮮側は反論として何を言うか?と言うと、日本は過去に840万人の朝鮮人を強制連行したと。
プラス20万人の若い女性を強制連行して慰安婦として性奴隷としてみたいな云々という事を言うわけです。

それに対して日本代表部がどういう再反論をするか?と言うと、これいつものパターンですけども、「日本は繰り返し謝罪をしていると、反省の意を示している」というのがひとつ。
もうひとつは「北朝鮮が挙げる数字は過大である」これしか言ってないんですね。
とにかく数字が過大だという事では話半分でも10万人くらいは連れて行ったという事になっちゃうんですね。
そうなると拉致問題もあるけど、じゃあ日本が10万人くらい朝鮮人女性を性奴隷にした。
この問題同時に解決すべきだとか何とかとかいう雰囲気になる。
完全に北朝鮮ペースに国連のやり取りを見ているとハマっているわけです。

それは言われているようなアメリカの下院決議も・・・(聞き取れず)ですけど、事実関係に立ち入って強制連行していないという事を言わないといけないわけですけれども。
だから慰安婦問題で事実に立ち入って反論しなかったという事は、あの下院決議の問題だけではなくて、国連の場で拉致問題に関してもですね。
明らかに足を引っ張るようになっていると。
その意識を持ってですね。
きちんと慰安婦問題に対して責任ある立場の人は踏み込んだ反論をしないといけないと思います。

後はですね。
やはり今思うのは敵基地攻撃用のミサイルをすぐにでも配備する方針を明確にすべきだと思います。
国会答弁でも日本政府は以前から、敵側がミサイルを撃とうとしているのが明らかな状況では、ミサイル基地を叩いても専守防衛に違反しないと言ってるわけですから。
専守防衛と言う場合に・・・(聞き取れず)なければいけないと思いますけど、敵基地攻撃用のミサイルを持つと。
敵の射程に入れたようなミサイルを持つと言えばですね。
それだけで日本は信用されていませんから、これは核開発ミサイル開発に乗り出したり核に乗ってくれたりして、それも抑止力になるでしょうから、核を持つというとまたいろいろ日本国内でもめるでしょうから、取り合えず攻撃用のミサイルを持つと。

これだけでは憲法違反でも何でもないわけですから、まずそれを言うと。
言えばそれは核保有宣言なき核抑止力としてある程度効いてくると思いますから、やるべきであると。
そういった事の繰り返しですが、日本は北の核廃棄にただ乗りしているだけなのか?と言われている場合には、それに対してですね。
日本はじゃあ解体搬出の費用を全部持ちますよと、そこまで持ってくる。
言えばいいと思います。
大体そんなところです。(拍手)

★西岡力 救う会常任副会長

ありがとうございました。
様々な議論をしてきましたけども、一つの焦点は金正日の狙いの中に日本、特に安倍政権を孤立化させようとしている。
言うことがある。
安倍政権の今の姿勢が、彼らの南北首脳会談やテロ支援国の解除や国際金融機関からの融資や、拉致を棚上げして日本から金を取る事をすべて邪魔している。
アメリカが揺らいで来たから安倍を孤立化させて、日本国内からそして国際的に、安倍の強硬的な姿勢がせっかくまとまりつつある核廃棄プログラムを阻害していると、言う声を出さそうとしているんです。
いう事が今までに議論を聞いてきてまとめられることではないかと思うんですね。

それに対して我々はどうするのか?と。
孤立しているのは金正日であると。
安倍政権が今北に対して制裁をかけているわけですけども、この制裁を断固支持し、より強い制裁を求めていく。
そしてもうひとつですね。
安倍政権は核問題、核廃棄のプログラムの中のエネルギー支援について、「進展なくして支援なし」と言っているんですね。
「じゃあその進展の定義はなんですか?」と横田さんが総理に直接お伺いした時に総理は「それは日本が決めます、私が決めます、自分が決めます」
「交渉がありますからはっきりは今は言えません」と言ってましたけど、しかし政府はある方針を決めているんですね。

政府の方針と言うのはすべての被害者を取り戻すという事です。
今回の原口大使は北朝鮮に対して、すべての被害者と家族の安全確保と早期帰国、これを第一に求めて、二番目に真相究明、三番目に犯人の引渡しを求めたんです。
3つを要求しているんです。
この3つのうち少なくとも第一の、すべての被害者を取り戻すという事がなければ進展とは言えないんじゃないか。
これは大変厳しい話ではありますけども、しかし被害者の家族の方たちはすべての被害者が一緒に帰ってきて欲しいと言っているんです。

私は横で聞いていて感激した事があるんですが、2002年の3月4月ごろに実は有本さんが生きている。
恵子さんが生きている。
恵子さんが一人帰ってくるとか、恵子さんと会えるとかいう話がたくさん出たんですね。
その時有本さんのご両親がマスコミに取材をされた時に、「恵子一人じゃ駄目です。」
ず~っとそう仰っていたんです。
ある政治家がですね。
救う会と手を切れば平壌に行けば恵子さんと会わせてあげると言っても、「全員でなければ駄目です。」

私たちはたまたま、どこかで恵子さんは生きていると思いますし、北朝鮮は最初はよど号グループの3人を蓮池さんたちの代わりに返そうと検討していたんじゃないかと思います。
もしかしたらそのご両親の発言が(恵子さんと)会う事を遅らせることになったのかもしれない。
しかし全員でなければ駄目だとず~っと仰っていて、今でも仰っている。
進展と言うのは今助けを待っている人がすべて帰ってくることだと。
そこを譲ってもらっては困ると。

そういう安倍政権の姿勢を我々は支持するし、ブッシュ大統領にも世界中の人たちにも自由を愛する世界中の人たちに、この私たちの主張を広めていく。
制裁の強化と国際連帯で日本を、安倍政権を孤立化させない。
金正日を孤立化させる。
いう事が今我々に求められているんじゃないかと思います。   

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2007年4月14日 (土)

東京連続集会26(5)

   6者協議と日本の対応 東京連続集会26
07.3.10 友愛会館にて

『報告会 その5』

★島田洋一 救う会副会長

マカオのバンコ・デルタ・アジアと言う銀行の、北朝鮮関係の口座がですね。
アメリカ政府の圧力で凍結されている。
それの一部解除と言う話が出ているわけですが、これは北朝鮮から見ればそもそも自分の金の一部が使えるようになった。
言う話ですけども、何度も言うようにテロ支援国リストからの解除。
これが実現できれば国際機関から新たに金融機関から新たに金が取れると。
当然北朝鮮はそれを踏み倒すでしょうけども、日本から核を保障すればその間に生き伸ばす事は間違いないことですけども。
テロ支援国リストから外されればイメージが良くなりますから、貿易なんかもかなり今より自由に出来るようになるでしょう。

だから北朝鮮はですね。
これから拉致問題が焦点になってくるわけだと思うんですが、北朝鮮は盛んにアメリカ国務省に対してですね。
もしテロ支援国リストから外してくれさえすれば、本当に核廃棄をするつもりがあるんだというくらいの事をどんどん言っているんですね。
現在北朝鮮をテロ支援国家指定している理由は、二つで要するに拉致問題。
もうひとつはよど号犯をまだかくまっていると。

よど号犯についてはですね。
例えばみんな交通事故で死んじゃったとか、海で泳いでいて溺れて死んだとか心臓麻痺で死んだとか、とにかく死んじゃったことにすれば解決出来るわけですね。
だから結局拉致だけが残ってくると。
北朝鮮としてはアメリカから日本に圧力をかけさせて、要するに日本が納得する形で拉致問題を解決しろと言うところまでしかアメリカ政府は言いませんが。
だから何とか日本に納得させる形にアメリカの圧力にしろと、北朝鮮から見ればですね。

で、テロ支援国リストから外してくれれば核廃棄する。
こういう事で仕掛けてくると思うんですけども、すでにですね。
アメリカ国務省にいて、北朝鮮を担当してきたチャールズ・カートマンと言う人物がつい最近、拉致はとんでもない犯罪だけどしかし古い犯罪だと。
これをテロ支援国指定の理由にするのはおかしいという発言をし出しております。
これはカートマン一人の意見ではなくて、私はアメリカ国務省の一般的な雰囲気はカートマンと同じだと思いますね。

だから大変危ういわけですけども、現在テロ支援国指定の理由の欄を見ると非常に第三者的な書き方をしている。
遺骨の問題でも生存者がいるんじゃないかと言う問題に関しても、日本と北朝鮮の間で揉めていると議論していると。
そういう書き方なんですね。
なぜなら数日前に出たウォール・ストリート・ジャーナルにある女性が書いた記事なんかは、はっきり北は嘘を言っているんだというスタンスで書いてあるわけですけども。

そんなのに比べると如何にもですね。
話しやすいように言われるから嫌々日本の拉致問題書き込んだというような文章なんですね。
カートマン氏の発言を紹介しますけど、国務省の中では拉致の記述をむしろ外してしまって、テロ支援国リスト解除の道を広げたいという発想が間違いなくある。

それに対して日本側はですね。
逆に今の記述よりもっと厳しい、同盟国らしい書き方をしてくれという事をどんどん言わなければならない。
それは安倍首相も麻生外相もそれを言うとずっと言っています。
すでに言ってるみたいですけども。

つまり、アメリカ国務省側は北朝鮮からの圧力を受けて、拉致に関する記述をもっと弱めたい。
あるいは出来れば外したい、と思っている。
それに対して日本側は逆に今よりももっと厳しい突っ込んだ形をと言う要求をしていくべきですね。
ここはだから本当に大きな攻防の焦点に。
で、何度も言うようにこの決着と言うのは要するに国際金融機関から大量の金が出るかどうか、という話につながってくれるわけですから、北側の狙いと言うのはそういう感じだと。

★西岡力 救う会常任副会長

ありがとうございました。
まず北の狙いとして皆さんが知っているのは、ひとつは金融制裁・法執行制裁は効いていて、これから逃れようとしている。
苦しいところから逃れようとしているという事が一つある。
もう一方で、その制裁を発動して来たアメリカ及び日本の中で、アメリカを核を止めるという餌で引き寄せて、逆に日本を孤立させて国際金融機関からお金を取ったり、韓国から多額の物を取ったり、日本からも金を取ろうとしている。
制裁強化を緩めるだけじゃなくて取るものも取ろうとしている。

そして上手く行けば韓国全体をですね。
連邦制の統一の足がかりにという事にも使おうとしている。
苦し紛れであるけれども、追い込まれてたけれども逆に追い込み返そうとしている。
戦争ですからやったりやられたりと言うのはあるわけですけど、こういう大きな枠組みの中で、では日本はどうすべきなのか?
あるいは我々は何をすべきなのか?という事を5分くらい洪さんお願いします。

★洪?さん(早稲田大学現代韓国研究所研究員)

先ほど韓国の戦争の時の実際の話をしたんですけど、昔の戦争を見ますと大体戦争の時はですね。
領土を広げるとか、略奪するとか、捕虜を獲得するとか、そういうのが戦争の目的だったんですが、今日本の拉致者も金正日がそういう革命・工作のために拉致したような、過去の4年前の戦争の時に拉致したようにですね。
当初から戦争の目標の一つが韓国から大量の人材を獲得する。
拉致する事が戦争の目標だったんです。

その目標の一つを今ほとんどの人がこれを無視するんですね。
あの戦争中に戦闘中に偶然拉致したとか被害が発生したとか言うんじゃなくて、当初それは朝鮮労働党と金日成の方針によってモスクワの了解を得て行なわれた、捕虜獲得のための拉致だったわけです。
だからそういうのをさておいて、アメリカが平和体制の問題でですね。
軽々と北の朝鮮に乗るとか。
その為にテロ支援国のリストから解除するとかという事になれば、じゃあアメリカ今まで言ってきたアジアの他の国々に銃の拡散と言う、そういう大義名分。
アメリカのかつての目標はここにくるかという事になるか思います。

それから今日本では60日がたつまでは様子を見ようと。
でもこれは間違いです。
60日の間に溜まっているのは、多分、日本は他の法執行があるんですが、6者と取られてですね。
他の国がですね。
この60日と関係なく動いているんです。
つまり核の解決と平行して次の平和体制の問題が今薦められていると、そちらの方へもって行くという事を我々は見逃してはいけないと思うんです。

もちろんこれは一番これは戦略的に、利益を得るのは当事者の金正日の生き残りのためにやるんですが、実はこれをね。
このようにすり替えたのは、いわゆる議長国である中国の思惑じゃないかと見るんですね。
じゃあ、日本にあの致命的な悪の政権を生き延びさせるのは、結局は他の国なんです。
南北の最高だけのあれだけじゃないんです。
そういう側面があると思います。

だから私はブッシュ大統領には感謝します。
今までいろいろな日本とか韓国の被害者のために、そこまで同盟国の大統領があのように頑張ってくださったんですから、今度の2月の行為を見てね。
ブッシュ大統領は裏切ったとか、そう言うのはこれは違うと思うんです。

ただここでですね。
ある意味今まで半世紀近くアメリカが、日本も韓国も安全保障の大きな外の、なんですか。
防波堤のようにそれを守ってくれたんですから、もうここまで来るとですね。
アメリカも疲れているんですから、金正日の解決。
この問題は日本と韓国が責任を取って主役になるべきだと思います。
そういう覚悟が必要だと思います。

我々はね、普通見ますと韓国もそうですが、このいわゆる6者協議の各者の色は観察者ですね。
これ、我々は当事者です。
観察者ではありません。
これはそういう覚悟を持って行けばこれ出来るんじゃないかと思います。

それから今もちろん恵谷先生仰ったように、なぜそのように、今ここ時間が無いので説明が出来ないんですが、想像も出来ないようなスピードで、南北の連邦制の地ならしのためのいろんな措置をとっているんです。
これはですね。
彼らが言うのはそのまま紹介しますと、次にどういう政権が出来ても揺り戻しの出来ない既成事実化をやってしまうと。
今年中に、という事です。
そこにいわゆる6者協議が利用されている。

アメリカも核の廃棄からですね。
どうもアメリカは今、核の拡散をとめればいいと言うふうに目標が変わっているんじゃないかと言われているんですが、結局は中国も韓半島の非核化が中国の目標だと言いながら、みんな騙しているんですね。
これを・・・(聞き取れず)の・・・(聞き取れず)は近い。
正しく見て認識して、自由、アジアで唯一の自由民主国の先進国としての日本のイニシアチブと、またいろんな国々の自由を愛するそういう勢力が連帯してこの問題に取り組むべきだと思って、いつまでも外交官の協議に任せていれば解決できるとは思いません。
以上です。(拍手)

・・・その6に続く・・・   

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東京連続集会26(4)

   6者協議と日本の対応 東京連続集会26
07.3.10 友愛会館にて

『報告会 その4』

★洪?さん(早稲田大学現代韓国研究所研究員)

まずですね。
わずか5万トンでこういう措置を取ったのは安いものだと仰るんですが、これ5万トンでも25億円くらいです。
なぜ我々が25億円もの緊急援助、支援しなくちゃいけないのか?
日本でこの拉致問題の政府の予算は全体枠はどれくらいか分かりませんが、これ初期のわずか5万トンでも25億円です。
これは金正日が何を考えているのか?と言うのは推測の問題ではなくて、実話(?)として我々が観察すべきだと思うんです。

本当の北京での合意はですね。
この1月の19日からベルリンで、アメリカと平壌側の秘密接触、これで出来るんですね。
もしベルリンでの秘密接触がなかったら、2月13日の合意はなかったと思います。
では果たしてベルリンでの秘密接触はなんだったのか?
これはこれからいろんな方々がこれからこれをマスコミが追求すべきだと思うんですが、今のところ少しのヒントは出るんですね。
何か言われているのは今もいろいろ報道されていますし、ベルリンでの秘密接触という事は誰かがシナリオを書いているんですね。
ベルリンで二人が偶然あったという事ではなくて、その前段階でのワシントンと平壌の間での戦略、接触、それはあったと思います。
そういう事を我々は確認していくべきだと思うんですが、今我々のブレーンが推測できるのは、2月13日の合意が出てからすぐ、例えば平壌は黙っていても、平壌のために頑張った、金正日に従うような勢力の言動からそれが現れております。

つまりですね。
例えば韓国の盧武鉉大統領はこれが発表された時ヨーロッパ訪問中だったんですが、16日にローマでイタリアで北が欲しいままに中国に上げてもいいと、自分は最初からそのように訓令を発すると発したかったと、こうやって言い切っているんです。
それから今度のいろいろな大きな実務の協議の事が5つあるんですが、これが始まる前に韓国の場合は先に南北長官級会談をですね。
2月27日にも平壌へ行くんです。
そこへ行って裏でいろいろと北で合意をしているんですね。
今伝わっているのは少なくとも協議措置とは関係なく、時期は4月以降になるんですが肥料とか米を40万トンとか50万トンとかね。
肥料を30万35万トン上げるとか言う話がずっと出来ているんです。

だからこれはベルリンでの秘密接触、これから北京での合意、その後ずっと今年の後半までのシナリオは実はずっとあったわけです。
誰と誰の間なのかは分からないんですが、金正日はそういうスケジュールを持って後追いしたと。
金正日はそういうふうに見るべきだと思います。

例えばその証拠があるんですが、3月の3日ニューヨークで、だから日本の時間で3月4日ですね。
3月4日は金正日が平壌の中国大使館を訪問する。
その時間です。
その時間でニューヨークで韓国の韓半島の平和体制の問題を担当する韓国の外交高官が、キム・ケガンに会って何を言うかと言うとですね。
自分がキム・ケガンより先にワシントンに着いてアメリカでいろいろな人に会ってみたら、感触は大体こうだと。
保守党の雰囲気などを説明してあげるんです。
だからあのアメリカとの実務協議でワシントンを訪問する北の態度にキム・ケガン、次官の方にアメリカ側の体制や気持ちを強く伝えるんです。

それから実は来月なんですが12日、北京で実務協力・経済協力のこれも会議があるんですが、それをどのようにやりたいから平壌から何を準備して来たらいいと、これ全部明快に報道されています。
それからテロ支援国のリストからの解除とですね。
敵性国の貿易の適用問題の終了に対しても、その為には政治的環境作りをどう整えれば良いのか、という事を言うんですね。
だから金正日は裏でそういう事を全部やりながらやるんですよ。
北京で6者会談で協議に出てそこで何を決めたじゃなくて、その前にすべてこういう事は行われていたという事です。

今南北の私は先ほど頂上会談の障害は無くなったと申し上げたんですが、今韓国の盧武鉉政権は南北関係の正常化のためにこの上半期に多分実行するだろうと思われる予算がですね。
日本の円で560億円です。
米とかですね、いろんなのを全部入れるとこれ560億円以上の正常化の費用を払うんですよ。
わずか重油を5万トンではないんです。
だから金正日の立場ですべてを見るべきで、合意書をその物を見て物を言うのは、私は金正日の事を反対するのは難しいと思います。

もう一つ問題なのは、今度これは主催国の中国の許せないそういう点だと。
韓国のいろんな人が思っているんですが、この核の問題の解決の場をいつの間にか、平和体制の構築の場にすり替えようとしているんですね。
結論はそれです。
いろいろな事を言っているんですが、大体翌日以降の延々と時間のかかる、先ほどプルトニウムと言うのがそこまで含まれるのかはじめですね。
この解釈の問題でとんでもない、後は疲れる交渉が予想されるんですが、それに成功して平和体制の問題。

私はアメリカのブッシュ大統領がもちろんいろいろな情報・作戦で、金正日を追い詰めるのはそれは当然だと思うんですが、じゃ軍事行動は取れるのか?
私は多分不可能だと思います。
不可能だから情報作戦で出るし、情報作戦で出るのは、それは金正日の方が工作他の最高工作責任者ですから、彼はそれには対応できると思っているはずです。

私はこの6者会談はですね。
アメリカが戦略的に出発点でちょっと錯覚があったと思います。
アメリカは、アメリカと北の両者会談では困るから、周りの関係国を全部参加させれば圧力が何倍にも増えると思っていろいろ参加させたわけなんですが、最初から極端に言えばですね。
アメリカは5対1で金正日に圧力をかけたかったでしょうが、最初から多分4対2だったと思うんですよ。
日米と他の4つの国。

ただアメリカは私は先ほどこの交渉が非常に真面目で純真ささえ私は感じるんですが、これをやった外交官なのか当局者はですね。
理屈の上ではそうですが、6者会談になれば協議になれば5つの国が1つの国を圧力をかけるだろうと。
実際にはそうじゃないんですね。
こういうことをまず・・・(聞き取れず)とした・・・(聞き取れず)があると厳しい言い方ですね。

それからもうひとつはこの包括的解決はこれはとんでもない話です。
包括的な解決と言うのは要するに、金正日の安全を体制を保障すると言う意味です。
保障するという前提が包括的です。
金正日はですね。
外国に対して嘘をついても他国を欺いてもいろいろ良いんですが、他の国は・・・(聞き取れず)の国は一応言葉で文書で約束した事は、それは守らなくちゃいけないんです。
包括的な解決と言うのは要するに金正日の安全を保障する代わりにという事ですから、今皆さん仰るように金正日が退場しない限りは拉致問題は解決できないという前提から見れば、6者協議で包括的な解決をやれば拉致問題は解決できません。
論理的には。

こういう致命的な事を大体どこの国もですね。
役人は敵を説得するのが難しい場合は自国民を説得します。
これは相当上手くいったものですとか、相手が動かないから我々は今段階的にこれが出来ますとか、と言うふうに悪く言えば役人側の自分の政治とかね。
国民を騙すようなものなんですが、そういうのを金正日の立場からはそれは問題になります。

今度は先ほど金正日が平壌の大使館に現れたというのは、主権国家ではありえない話です。
主権国家では自分の家来ですね。
連れて他国の大使館に出向いてですね。
何とかやるというのはありえないです。
これは金正日がアメリカに対していろいろなポーズを打っているんですから、中国に対してもあらゆるポーズをとったと思うんですが、結局韓国の西岡先生のあれなんですが、私は韓国ではこれは平和体制の問題と言ったんですから、実は韓国戦争の時にですね。
今リストが残っているだけでも8万4千くらいの拉致者のあれが残っているんです。
戦争中だったので、本当は10何万じゃないかと言われているんですが、今数字が残っているのはリストが残っているのは8万3千人以上4千人。

ここでもう一つ重要なのはですね。
金正日は、これは本当に野蛮な話ですが、金日成は1947年に南からインテリを高級人材を連れてくる方針を出します。
北朝鮮の共産主義国家の建設のために貴重な人材を南から、彼は当初の目標は50万人だったそうです。
これは冷戦後にですね。
モスクワの解放の文書で確認されるんですが、それで韓国では拉致問題でこれはいろいろ、日本と韓国はこの地域の問題で主役になるべきだと、と言う転換期を迎えるべきだと 期待していると、頼もしいというのが韓国の拉致被害者の関係した人のもしくは右派の気持ち・考えと言える。(拍手)

★西岡力 救う会常任副会長

今、若干補足しますけど、この初期段階の措置の紙を見ていただきますとですね。
韓国の代表の肩書きは平和交渉本部長になっているんです。
核担当じゃなくて平和交渉本部長なんですね。
そして一番下のところのですね。
下から二番目の11と言うところにですね。
「6者の相互信頼を高めるために積極的に・・・(聞き取れず)取るという事を再確認するという事と、国際的な永続的な平和と安定のために不断の努力を行なう」と書いてある。

その次が問題なんですが、「直接の当事者は適当な話し合いの場で、朝鮮半島における恒久的な平和体制について協議する」と書いてあるんですね。
この直接の当事者と言うのは、日本とロシアを除いた南北とアメリカと中国です。
朝鮮戦争の休戦を平和体制に変えるという話し合いを別途持つという事についてもここに書いてあると。

私はこの間、合意が出来た後ソウルに行ってきましてですね。
ソウルの左翼の文献を一杯集めたんですが、みんなですね。
6者協議、高い評価なんですね。
大きな評価。
その理由は、米朝が・・・(聞き取れず)のように進んで、そして南北首脳会談になって、南北米の首脳会談も行なわれるかもしれない。
そして平和条約が結ばれて米軍がいなくなって、左派主導の統一が出来るんだと。
金正日良くやったと左派の文献、週刊誌とか月刊誌とか新聞とかみんなそう書いてあります。
それがここに書いてあるという事であるという意図ですね。

しかし、そういう中で日本がこれを止めているという点では、拉致のことについては日本の姿勢で、ここへ行くのを止めているんじゃないかと言う点で、韓国の保守派も日本の安倍政権を評価しているんです。
そういうことだと思うんですけども、じゃ島田先生。(=佐藤会長のいい間違い)

★佐藤勝巳 救う会会長

拉致をされているのはアメリカ人でもないわけで、日本や韓国の人たちが拉致をされて。
韓国の方はちょっと別にして日本と言う立場で考えた場合に、我が国の拉致をされた人間を我が国の力でどう取り返すか。

今まで私が小泉政権などを批判して来た事は、自分で制裁を科さない。
あるいは自分の力で取り返そうという努力をしないで、各国首脳に会うと「拉致をよろしく」と言う馬鹿げた話をして来た。
自分がやるべき事をやらないで、「他人によろしく頼む」という話をですね。
個人の関係においても国家の関係においてもありえないことですから。
日本がまずどうするか?
いう事で安倍政権になってから独自制裁を科していった。
言う意味では大きな外交の質的展開が来ている。

ところがここに来てアメリカが、今まではむしろアメリカの方が昨年の9月バンコ・デルタ・アジアに対して金融(制裁)をかけた。
非常に日本よりも突出しておったのが、今度は逆に制裁のテロ支援国国家を解くとか、あるいは金融制裁を緩めるぞと言う話に大きくアメリカ側の態度が変わってきた。
それに対して日本が、そういうアメリカに対して「我が国は拉致を救出するために我が国の安全を確保するために、しかじかの対応の政策を取ります。よろしく」というふうに言わなければならない。

つまり明らかにアメリカはスタートからは変わってきている。
それに対して国の安全と拉致を救出するためにこういう政策を取ります。
例えば制裁であるならば、日本からの送金停止を掛ける。
あるいは在日朝鮮人、あるいは日本人からの北朝鮮への渡航を禁止する。
あるいは厳しい制限を加える。
あるいは日本からの全輸出品を入れないように制裁を掛ける。

しかし私は、アメリカについて申しますとね。
アメリカはアメリカの国益、アメリカの事情で動いているんですよ。
アメリカは明らかに引いた姿勢を取っているという言い方をしているんですが、それはアメリカの事情なんです。
アメリカの事情があるからそういう姿勢に変わっているわけで、我が国は我が国の事情があるんです。
今申し上げたように。

ミサイルが飛んでくる制限が300キロ。
これはもう日本が全部射程圏内に入るわけであって、1300キロのミサイルでアラスカに届くはずがありません。
我が国が一番脅威を受けている。
しかもそのミサイルの頭に核弾頭が搭載されたらどういう事になるのか?
これは日本にとっては大変な重要なやっぱり脅威です。
その脅威に向かって北朝鮮が政策をどんどん進めている時に対して、我が国はどうするんだ?いう事です。

その政策をやっぱり我が国の政府は・・・(聞き取れず)となって行かなければ駄目だ。
と言うのが私の持論です。
それで「いや、日本はそうかもしれんけど、我が中国には我が合衆国にはこういう事情があるんだ」と。
そう走られたら困る。
言うような事が出てくるような政策を打ち出すみたいです。

で、・・・(聞き取れず)を探りましてですね、アメリカがどう出てくるのか?
中国がどう動くのか?韓国がどう動くのか?と言うそれ以前の問題として、我が国の政府が最悪の事態。
例えばアメリカの都合でテロ支援国家を外すんだと、言うようなことが明白になってきた時に、じゃあ日本だけの経済制裁だけで本当に食い止める事ができるのかどうか?と言う問題です。
そこでは中々今のアメリカの事情を変える事は出来ない。
だとすればどうするんだ?という事です。

その前に日本は決定的なカードを握っているわけ。
非核三原則の見直しという決定的なカードを持っているわけです。
それをどの時点で切るのかどうか?と言うようなことも計算の上に立って、つまり戦略的な目標として国際情勢を正確に睨みながら、そこをどうやって国益を守り拉致を奪還していくのか?と言う事が今、私は安倍内閣に迫られているという事を、客観的にそうなんだと。

しかも国際情勢と言うのは先ほど申しましたように、去年の9月にアメリカがバンコ・デルタにが~っとやったわけです。
ごめんなさい、一昨年やったわけです。
しかし1年ちょっと経ったら状況が全く逆の方向に動き出している。
情勢と言うものはそういうものです。

そういうものに対して我が国柔軟にはどう対応できるのか?いう事が今厳しく問われている。
そういう事を政府は真剣に検討すべき時期に来ている。
つまり安全保障と言うのは最悪の事態を予想して対策を立てる。
だから日米安保条約、日米同盟が不変だ。
嘘です、そんな事は。

朝中関係、不変だ。
そんなこと嘘です。
国益が違って来たらがたがたに崩れていく。
いうのが国際政治の現実だと私は理解しています。

従って安倍内閣は最悪の事態を予想して、どういうふうないわば国益・国家の安全を守り、拉致を奪還するのか?と言うような事を真剣に検討すべき時期に至っていると、以上です。(拍手)

・・・その5に続く・・・ 

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惠谷 治氏講演-藤沢にて

  さる3月31日、藤沢で行われた、救う会神奈川主催による集会から、ジェーナリスト惠谷治氏講演をご紹介します。
現状認識については、先の加藤博さんとは180度違うとおっしゃる惠谷治氏のお話ですが、加藤博さんのお話と比較しながらお読みいただければと思います。

尚、この記録取材、掲載に関しては、救う会神奈川より承諾書にサインを頂いております。
救う会神奈川の皆さん、ご理解をありがとうございました。

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惠谷治氏(ジャーナリスト)講演
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えー、まず今、加藤さんの内容と私は、情勢認識が180度違いますけれど、直ぐお話ししたいと思いますが。
まず、六者協議というものをどう考えるかと言うときに、実は、六者協議が行われている間、私は韓国にいました。韓国の論調は、加藤さんがお話になった内容と全く一緒です。『ブッシュは譲歩した。我々は勝利した。』と、韓国左翼政権、左翼マスコミは、もう、大騒ぎです。

で、まず、六者協議の合意に至るまでの経過を簡単にお話したいと思いますが、ご存じのように、この六者協議の合意に至る前提である2005年9月の六者協議の共同声明があります。その直後に、ご存じの、BDA=バンコ・デル・アジアのいわゆる制裁が始まりました。

この制裁というのは、どういう事かというのは、『その銀行の口座に出入りする金が、怪しい金である、ついてはそう言う金を扱っている銀行は、制裁というか、取引停止と言うことにするぞ』という“懸念指定”だったわけですね。2005年9月の段階では。懸念があると言うだけで、取引が停止された。
この停止はですね、バンコ・デル・アジア自信ががおこなったわけで、アメリカはいわば、脅したという状況です。しかし現実的にはもう、口座取引が出来なくなって、北朝鮮はあわてた。その数日前には核の完全廃棄に同意するというサインをしたにもかかわらず、アメリカがそういうことをしたんで、六者協議にはでないということで、ご存じの7月、それから半年後の7月にミサイル発射がありました。

まぁ、その少し前、2005年10月に、検察庁、警視庁は、科協=在日本朝鮮人科学技術協会というのをターゲットにがさ入れをやったと。これはまぁ、いわば技術制裁といいますか、ミサイルあるいは核を開発させるその支援を科協がしていると言うことで手入れをした。

ですから、2005年の9月から10月にかけて、日米が金融及び技術で、北朝鮮を追い込んだ。その回答がというよりも、金正日はですねそれに抵抗してミサイルを発射した。このミサイルも、テポドン失敗して、その他は成功したんですが、七発のうち、六発が成功した。この六発はですね、既に実戦配備している朝鮮人民軍の管轄のミサイル。これは全て成功・・成功と言うことはない、まぁ通常に、設計通り飛んだと。手順通り飛んだと。

その中には、日本をターゲットにしているノドンというのが含まれていました。しかし、アメリカに届く、アラスカに届くテポドン二号というのは、失敗しました。一分そこそこで爆発した。そのミサイル発射によって、安倍政権は、日本独自の経済制裁をやった。

で、アメリカに届くミサイルが失敗したが故に、金正日は次なる手を考えたのが、ご存じの地下核実験です。しかし、これがですね、ミサイルがもし成功していれば、その2005年の2月に北朝鮮は、核保有宣言をしています。我々は、持っていると口だけで宣言しています。
その宣言で、アメリカに対するミサイル攻撃が可能になるという大宣伝が出来たはずです。そうすると、民主党の議員あたりはですね、やっぱり米朝二国間交渉をすべきだというような論調がでたかもしれませんが、とにかくテポドン二号は失敗します。

で、核実験をやったところ、これもまた、見事に失敗をしました。

ある解説者は、核を持っていなくて、通常爆弾を大量に爆発させたんじゃないかという程度の爆発力しか発揮できませんでしたが、これは、間違いなく核実験でした。
この核実験によって、こんどは、国連制裁決議が行われます。

とにかく北朝鮮はどんどん追い込まれていく。それ以前も、大変な状況で、みなさんもご存じの中で、制裁が次々とかかっているのが現状です。

そうした中で、まぁ、去年の12月に一度六者に復帰しましたが、結果的に、この、2.13の共同・・、六者協議合意がでました。それをもっと一つ言えば、その間にご存じの通りアメリカの中間選挙がありました。これによって共和党が負けて、ブッシュ大統領は、ある程度の変換を余儀なくされたのは
事実です。

さて、この六者協議の中で初期段階という、つまり寧辺(ヨンビョン)とい開発センターの施設を凍結すると5万トンの原油をやると。しかも、60日以内に実行しろと言う合意があり、核を完全無力化すれば、100万トンやると。

加えてですね、この合意に関して、ご存じのように、日本政府は、“拉致問題が解決しない以上一切のエネルギー支援をしない”それで良いですねとモスクワも北京も納得させた上でサインをしたわけです。それをですね、何故かバスに乗り遅れるとか、日本が孤立化してくるとか、どうしてそう言う解釈がでてくるのか、私にはわかりません。見事な日本の外交勝利です。

まぁ、日本の外交の孤立化とか非難する人はですね、そうでなければ、日本は対米従属だと非難するに決まっています。これは、見事な近年にない外交的勝利だったと私は思います。

では、ブッシュ大統領は、変節したのか。
確かに変節しています、ある意味で。
元々は、完全廃棄しない限り、一切の援助はしないと。それをですね、二カ所の施設を止めれば、5万トンやる、この二カ所の施設を止めるというのは、1994年の米朝枠組み合意と同じ事なんです。

その時は、50万トンを何年にもわたり・・結果的に400万トンただ取りされました。

しかし、今回は、『5万トンでどうだ』 と言ったら、そうしたら金正日はOKをだしたんですね。
しかし、今トラぶっています。60日以内には出来ないでしょう。

しかし、金正日は10年前は50万トンのところ・・プラス400万トンのことを考えればですね、80分の1でサインをしたんですね。それぐらい老い込められている。

しかし、一方で、BDAの問題があります。これで2500万ドル、戻さなくちゃいけない。これでアメリカは譲歩した。とんでもない認識不足です。まず、先ほど言ったように、2005年の9月には、“懸念先”であると指定したんです。今回は、間違いなく、その行為に荷担したと断定したんですね。あとは銀行の判断に任せると。アメリカは逆に投げた。ですからアメリカは以前より指定は強化した。

これはどういう事かと言いますと、問題は、2500万ドルじゃないんです。
この2500万ドルであれいくらであれ、北朝鮮と取引をした銀行は、アメリカからそう言う指定を受けて、外為=為替取引ができないんです。

ですから、今のこの『2500万ドルがまだ手元に届いていないから、協議に参加しない』という北朝鮮の問題は何かと言いますと、この2500万ドルをどういう形で北朝鮮に渡すかと言ったときに、中国銀行経由で渡すと。ところがですね、バンク・オブ・チャイナ、その2500万ドルを自分の銀行経由で北に回したら、その汚れた金を扱ったとして、アメリカからまた指定を受ける可能性がある。非常に、政治的に、問題は苦しいんです。

それが故に、北朝鮮に2500万ドルが渡っていない。
逆に言うと、北朝鮮はそれをもらうまで、もう一切交渉に出ないと。

つまり、5万トンでも欲しいのに、それも首領様の4月15日(太陽節)までに、なんとか手に入ればと言うことで、あの時点で何とか60日という事でサインをした。アメリカはですね、もっというと、ブッシュ大統領は、2500万ドルぐらいくれてやると。しかし、完全な指定先に決定しろと言う形で今終わっている。

もう一つは、その文書の中で、8項目ぐらいあったと思いますが、その最後の方にですね、朝鮮半島の平和体勢について協議を開始すると。この平和体勢、つまり朝鮮戦争を休戦状態から、平和条約締結に持っていくと、その文を、韓国左翼、今の盧武鉉政権はそこにスポットを当ててもう、米朝は、明日にでも、国交正常化を果たすんではないかというプロパガンダをやっている。

ですから、私も、まぁ、ソウル新聞、韓国の、これは政府系と言われますが、その記者に、『米朝が国交正常化をしたら日本はどうするんですか?』という質問を受けました。米朝が国交正常化をするわけないじゃないですか、今の状況で。そう言う認識もない、ただただ平和ムードを煽って、南北統一に向家手と言いますか、逆に言えば、北主導の赤化統一に向かっていると言うことです。

ポイントはですね、この六者協議を、金正日がますサインしたのはですね、先ほど言いましたとおり、もう様々な制裁がかかっていて、その中で唯一金になるのは、韓国です。ところが、韓国はですね、去年の10月の核実験以降、支援を停止していました。その支援再開のための何かきっかけが必要だと。これが六者協議の合意です。六者協議で、核問題はですね、100万トンで無力化になると。次は米朝の国交正常化だ。日本は拉致で騒いで、日朝は後れをとる、バスに乗り遅れるという風潮です。

しかしですね、先ほど言ったように、日本は一切金を出さない。そうなると、バスに乗り遅れるんじゃなくて、バスは待ってて日本が乗り込むまで、発車できないんです。

何の問題もないのを、孤立化だの、ブッシュの変節だの、ここに、拓也さんもいらっしゃいますが、ブッシュ大統領は早紀江さんにお会いしたときのことは絶対に忘れていないし、拉致を絶対に置き去りにしない。それを、こうブッシュ大統領が変身したような形で、どんどん解説が出てくる。そんなの、全く誤った見方です。

さて、まだ話は言いたいことあるんですが、拉致に関して言います。
拉致問題をどうするかと言ったときに、まずよく言われる、拉致は日朝の二国間だと。ところがもう皆さんおわかりのように、二国間の問題ではありません。最低12カ国の犠牲者=拉致被害者が出ていますし、プラスその被害状況がどんどん明確に証拠が出て、家族達が名乗りを上げています。

この拉致問題を解決するには、拉致の国際化を広げていく、まぁルーマニアでも弟さんが名乗りを上げていたり、ご存じの、タイでも、マカオにも、こういう方々と協力して話を盛りあげていく。

実は2月に中国で社会科学院の人間と話をしたんですが、彼等は、中国人、--当時はマカオですが、ポルトガル領でしたが--拉致された事実関係も知らない。『え?そう言うことがあったんですか?』というぐらい。

ところがまぁ、これを上手く持っていかないとですね、『13億のうち一人や二人、そんなものは、どっかにいってるだろう』というような認識があります。

ですから、あの大中国が、北朝鮮の工作員の不法侵入を許して、自国民をこっそり連れて帰れるような、そういうことで、メンツが保てるのかという言い方でですね、中国に対して話をして、その資料も渡してきたんですが。

そう言う形で、中国もとにかく『日本は二言目には拉致だ、拉致だと、うるさい』というような言い方を変えさせて行かなくてはいけないし、事実、温家宝首相もきて、前とはトーンの違った言い方をしています。ですから、そう言う形で、拉致問題を国際化して国際世論を強めていくべきだと。

もう一点、韓国で、ご存じの朝鮮戦争の時の拉致問題があります。8万3千人ほどがリスト化されたものであります。私も、その活動している事務所には、何年も前から行っていたんですが、正直申しまして、戦争中だからいろんな事があるだろう、それを拉致というひとくくりにして良いんだろうかと、正直言って数年前にその事務所で話を聞いたとき思いました。

ところが、今年、また行ったんですが、あの朝鮮戦争が1950年の6月25日に始まりましたが、その数ヶ月前、金日成のサインで南から50万人の人間を連れてこいという、この拉致指令命令書が発見されました。

つまり、朝鮮戦争の開戦理由の一つは、南の優秀な人間をとにかく北に連れてくるというのが一つの戦争目的でした。それの証拠が発見されました。実際8万3千人がリスト、名前、出身、写真、職業も含めまして、わかっているんですが、その統計を整理してみるとですね、男がほとんど、つまり女性はほとんど拉致されていない。プラス若い人。プラス、職業が、いわゆる技術者、知識人・・・、そう言う方々以外は、ほとんど拉致されていない。

被害家族との、インタビューをその事務所がやっているんですが、とにかく人民軍が来て、路地を入ってきて連れて行く。北朝鮮でいうところの“人定了解”がすんでいた。とにかくそのターゲットを絞って拉致していった。それを、金日成の指令は50万人で、現在8万3千人の被害が明確になっている。拉致は朝鮮戦争以前からあった。

今の日本人拉致問題は、まぁ荒木さんの所の・・(私も関わっているんですが)特定失踪者問題調査会では朝鮮戦争前後からいろんな失踪者のことをリスト化しています。しかし私は、やっぱり金正日が三号庁舎を握った1976年以降が金正日の指令によって拉致されたんで、それ以前はどういうシステムで、拉致が行われたか良くわかりませんでした。まだ指示命令系統、実行機関については研究の課題ではあるんですが。

金日成が1950年に拉致指令書をだしたということが、今回わかってこれは、もう明らかな拉致です。ですから、北朝鮮の歴史は、イコール“拉致の歴史”ということが言えるんではないかということをお伝えして終わりにします。 

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2007年4月13日 (金)

加藤博さん講演-藤沢にて

さる3月31日、藤沢で行われた、救う会神奈川主催による集会から、北朝鮮難民救援基金の加藤博さんの講演をご紹介します。 尚、この記録取材、掲載に関しては、救う会神奈川より承諾書を頂いております。救う会神奈川の皆さん、ご理解をありがとうございました。

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加藤博さん(北朝鮮難民救援基金)講演

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ご紹介いただきました、北朝鮮難民救援基金の加藤でございます。(拍手)
最初に、貴重な場面を提供していただきました、救う会神奈川に厚くお礼申し上げます。

今日はですね普段と違って私は少々辛口な話をするかと思います。

みなさんも、もう、既にご存じの取りね、拉致問題を巡る状況というのは、非常に容易ならざる状況だというふうに思います。
それは、先日の六者協議の中身をみてもわかるとおり、アメリカが大きく変身をしました。
これは、身が変わるという意味でもありますし、その気持ちが変わったという意味でもあります。この辺の事情については、私よりはるかに詳しい方が、たくさんいらっしゃると思いますので、詳しくは申し上げませんが、実際にはそのようになっていると思いますが。

その典型的な例は、バンコ・デル・アジア=偽札のマネーロンダリングをした張本人、ここと取引をした。
ここの不法資金の凍結を解除した。これは、北朝鮮に摂っては非常に大きな、プラスですね。
逆に言えばそれがあるために、北朝鮮は息の根を止められそうになっていた。

そう言うことがあるにもかかわらず、アメリカは、直接六者協議のテーマである核問題とは関係のない、不正資金の問題と取引をしたということですね。

これは、全体的に今北朝鮮の核問題や、その他の人権問題を解決するための大きな制裁決議が、世界的な規模で進んでいる制裁決議が、大きくほころんできたということだと思います。

ほころんだと言うことは、これは、昨年の12月の国連総会で、北朝鮮に対する人権非難決議案が通りました。これは世界が合意して北朝鮮に対する制裁が、始まったという意味でした。

しかしこれが、アメリカが六者協議の中で変身をしたことによって、これは、非常に、有名無実になりかねない。そういう方向に、大きく流れていると、言うふうに理解すべきだろうと思います。

しかし、日本が、独自で経済制裁をするということは、日本国としての立場、日本国民としての立場を明確に北朝鮮に知らせるという意味では有効なことでありますけれども、実際にこれが解決の糸口になっていくというのは、大変難しい状況になってきている。

つまり、日本が、このままの状態で行けば、孤立化していく。

拉致問題は、日本の問題というかたちになってですね、これは六者協議のもとでの、二国間の問題と言うような位置づけで、先日ハノイでやられたようなかたちに、どんどんと、この問題が、二国間の問題になっていく。

アメリカは核問題をやる、日本は拉致問題をやる、そして韓国は、南北の共同の民族同士というスローガンのもとに、経済支援をしていく。各国がもうばらばらによそを向いているんですね。
そして中国は、ピースメーカーとしてですね、一番言い役回りをしている。

平和主義者の顔を世界に振りまいていく。そんなかたちに

ですから、今のままの状況では、日本からの発進力というのは、相対的に低下せざるを得ない。
ますます弱くなっていくんではないかと言うふうに思います。

こういう状態では、全ての問題の根源である金正日体制の、独裁体制に由来するところの、拉致の問題、人権の問題、核の問題、すべてが解決するのは難しいだろう。

このような大きな流れを、どうして解決するのかというのが、私たちの目の前突きつけられた、そういう課題ではないかと。

つまり政治家は、変身したんですね。
自分たちの政治目的のために、人権も、拉致も、横にしてしまう、捨ててしまう。

このような状況は、いっぺんに起きるわけではありません。

私たちが、昨年の12月に、北朝鮮人権問題啓発週間、と言うのが行われました。
--日本版北朝鮮人権法が提出されて、その人権法に基づいて、北朝鮮人権週間というのが行われました。その中の国際会議の中で、いみじくも、今私が言ったような形を指摘しました。これは、私だけでなくて、そこに参加したアメリカからの代表も、日本の他の代表も、それから韓国からの代表も、そのように言ったわけですね。

ですから、それは1日にして変身するものではなくて、日々変わっていく。
結論はわかっているが、そのような結論を導き出したとしたら、国民の反応は、世界の反応は激しいものになります。ですから、徐々に徐々に変えていくという形になるけれども、最終的には、私たちが考えているような、『』人権の問題、それから拉致の問題、これが解決出来ない方向に持って行かれてしまうのではないかというふうに、非常に危惧しています。

そのためには、政府頼み、あるいは政治家頼みではだめで。私たち一人一人が、かくあるべきであるという、確固とした、やっぱり戦略目標というものを、それから、それを実行するための政治的手段を作っていかなければならない、そう言う段階にあるのではないかなと私は思っています。

私たちが拉致の問題で思うことは、これは、これは、私たちが、こういう集会をやって、日々状況を知ることは必要ですけれども、先ほども言いましたように、アメリカの国内、あるいは、ヨーロッパの方にも、拉致問題について提起はしています。

その多くの意見が、必ずしも、日本の国民の意識や意見とは一致してはいない。つまり日本の拉致問題は、北朝鮮と話をすればいいじゃないかと言う考えが、まだまだ強いですね。つまり、二国間の問題だと、そう言う考え方だと思います。

ですから、六者協議の中でも、二国間問題としてこの問題を解決するようにと。主要なテーマからはずしてしまう。そういうような形をどんどん進めていく。そう言う形が、今進められていることだろうと思います。

この拉致問題を、大きく私たちは今まで、前進させてきたと思います。
救う会も全国にできて、家族会も頑張って、そしてその主張を支持する多くの国民があって、ここまで来たと思うんですね。

しかし、この動きが今、はしごをはずされてしまうかもしれないという状況にあるのではないかと。

そのためには、私たちが、大きな戦略目標を持って、その手段を構築すべきだというふうに私は言いましたけれど、北朝鮮の独裁体制の問題から、この問題が起きているならばですね、これは、拉致問題だけでなく、北朝鮮における強制収容所の問題、それから、科学兵器の開発、核兵器の開発。全て関係があるんですね。

ですから、そういう問題として位置づけて、拉致問題もその中の一つであるというような、そういう包括的な問題として考えていく必要があるんじゃないかと、私は思います。

そして、今まで拉致問題の多くの情報が、これは日本政府がもたらしたものでもなくですね、これは、北朝鮮から逃げ出して、韓国にやってきた脱北者--北朝鮮の難民ですね、私たちは、『成功した難民』と言いますけれど--ようやっとの思いで韓国にやってきた、そういうひとたちのなかから得られた貴重な情報によってですね、拉致問題を今まで、ここまで前進させてきたんだと思います。

しかし、これは、言ってみれば、私たちがそう言う人たちの存在を知り得たから、そういう発展の道筋を見付けられたのであって、まだまだ、多くのそういう情報を提供できる人たちがいるに違いないんです。

私たちは、救う会がどれほど、そのことをやっているかはわかりませんけれども、私が言えることは、北朝鮮難民救援基金としては、北朝鮮から脱出してくる難民を助けて保護しています。こ数は年々増えています。昨年で、韓国に到着した人間は、一万人を越えました。日本に来た人間は、150人になります。これからも増えます。

今年の2月の末から、“北朝鮮難民の実態調査団”というのを、タイに私たちは、送りました。特定失踪者問題調査会、あるいは北朝鮮帰国者の命と人権を守る会、カナダの人権活動家、アメリカの人権活動家を入れて、調査しました。

そうしましたところですね、一昨年は、北朝鮮から脱出してきて、タイにたどり着き、タイが国外退去処分にした北朝鮮の難民というのは、900人です。そして、2005年が100とすれば、2006年は、300を越えています。そして今年、2007年の2月までで、もう120名を越えています。2月までで。このように急速に増えているんですね。

しかしこの中にどういう人たちが含まれているかということについて、つまり拉致問題や北朝鮮の独裁の状況について、もっと的確な、そして私たちが有効に利用すべき情報を持っている人がいるかもしれないんですが、その情報を得ることが出来ません。

その人達が今望んでいるのは、アメリカに行くこと、韓国に行くこと、日本に行くことですが、彼等がそれぞれの国に行ってからではですね、その国の統制があるために、その状況を的確に知ることが出来ないんです。

本当に拉致問題を解決するというのであればですね、難民問題も同時に解決するように、そのを脱出してきた人間から情報を的確に取るような体勢をとらなければいけないんですね。

これはまぁ、NGOだけでは無理なのかもしれませんが、だからといってこれを政府にやれと言っても、政府は出来ないんですね。これをやるのは、やはりNGOしかないんです。

ですから、難民から的確な情報を収集してこれを解決に役立てるような、そう言う組織を新たに展開させる必要があります。

それくらいの大胆な発想と大胆な行動力がなければ、今の情報を突き破って、新たに新たに新しい情報を入れてですね、世界の世論を変えていくだけの力にはならないんだろう思います。

我々はここで話を聞いているだけではダメで、実際にそういう何らかの活動、力に結びつく活動を展開しないと難しいと思います。

ですから、私の考えとしては、積極的難民の受け入れというのは、北朝鮮国内からの直接的情報を得る貴重な場でありますから、そのように色々な場所に、それぞれにふさわしい形で、そういう機関を作っていく。NGOが作っていくということがどうしても必要だと思います。

ですから、そういうアピールがあった場合は、皆さんの中から是非参加してもらいたい。
力のある人は、力を、お金のある人は、お金を、知恵のある人は知恵を出してもらいたいというふうに思います。そのためには、一つ一つの可能なかぎり実態調査団を派遣していく。

これは、私の個人的な発想の段階ですが、日本を主体としてですね、北朝鮮の人権問題、拉致問題も含めた人権問題をフォローするためのですね、そういうNGOを展開する、それをタイやラオスで展開するだけのですね、大きな動きを是非作っていきたいというふうに思っています。

積極的北朝鮮難民の受け入れは、効果的な反撃の材料になります。ぐらついている政治家の気持ちを正し、曲がった方法を正し、そして実際の問題を解決する力になりうると思います。

私はそのためには、いろいろなやるべき事はあると思いますが、それと同時にですね、北朝鮮の国内に直接メッセージを届ける方法を考えなければいけない。
まだまだ北朝鮮国内では外の状況がわかっていません。
日本から放送される“しおかぜ”は、妨害電波にやられます。これは、彼等が恐れているという証拠ではありますが、つまり効果的な影響力を及ぼすという点では、限界があります。勿論やらないよりはやったほうがいいし、やるべきだと思いますけれども。これだけで満足していてはダメですね。

直接北朝鮮の国民一人一人が、自分の目でみられるような自分の目で読めるようなものを手にする必要があります。そのような、直接メッセージを届ける方法について、北朝鮮の国民の中の良識=良質な部分に対して、このメッセージが届くような、そう言う工夫もしなければならない。

そう言う問題を抜きにして、いくら私たちが遠くからですね、北朝鮮の非人道的な、非民主的な、独裁的なことを言っていてもですね、彼等が変わる可能性はないと思います。私は、みなさんが、北朝鮮に直接メッセージを届けるための行動提起があったときには、是非それに参加していただきたい。

今の段階でどういう行動提起をするかというのは、私の口からは今申し上げられませんが、これは近々そういうようなことになるだろうと思います。

私の方からはこれぐらいのことにしておきたいと思います。(拍手)

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2007年4月11日 (水)

【北朝鮮亡命高官 黄元労働党書記の証言】韓国での10年

北朝鮮亡命高官 黄元労働党書記の証言】韓国での10年

【北朝鮮亡命高官 黄元労働党書記の証言】韓国での10年

 かつて北朝鮮で金日成、金正日親子に側近として仕えた黄長●氏(85)は亡命から10年が経った今も、韓国内で北朝鮮民主化活動を行う脱北者団体のシンボルとして講演や講義、執筆活動に多忙な日々を送っている。金大中、盧武鉉政権の対北融和政策を批判する舌鋒(ぜっぽう)は鋭く、親米反北勢力の代表格でもある。その黄氏が韓国の現状や今年の大統領選挙、自身の今後について語った。(ソウル 久保田るり子)

6カ国協議は惨敗

 「私が南(韓国)に行くことを決意したとき、北(朝鮮)は5年も持ちこたえないと考えていた。一刻も早く現状を知らせ、金正日体制打倒を働きかけなければならないと思った。しかし現実はそうではなかった」

 「(対北政策の)何が間違っており、誰が責任を負うべきかを問題にすれば、限りがない。民主主義的な戦略とは、目的を成功させるための行動だ。独裁の暴力に正義の暴力で応えるべきだが、それは必勝不敗ではない。民主主義の最大の弱点は団結が弱いことなのだ。かつて米国のケネディ大統領は、キューバ危機を断固とした態度で克服した。こういう態度が重要なのだ。しかし冷戦崩壊後、民主主義側の団結は弱まっている。イラクや北朝鮮は孤立させ内部崩壊させるべきだが、同盟の弱体化でそれに失敗した」

 「6カ国協議は惨敗だ。韓国は(米韓関係より南北融和を優先し)道徳的に問題がある。しかし(6カ国協議の)責任は米国にある。米国は旧ソ連の核兵器を抑え込んだではないか。何を恐れるのか。核を問題にすることは金正日の価値を高めるだけだ」

民族に反逆的な行為

 「なぜ、脱北者たちは(中朝国境の)鴨緑江、豆満江を越えなければならないのか。米国が彼ら脱北者を救い、保護するだけで(北朝鮮は)滅びるだろう。独裁側に暴力を使わせず南北分界線(南北軍事境界線)の韓国側で彼らを受け入れてやるだけで、北は滅びてしまう。100万、200万の人間が越えてくれば崩壊する。北朝鮮人民軍はそれを阻止できない。いま、(韓国に)渡ってきた脱北者はたった1万人だ。これ自体が(韓国の)恥だ。(中朝国境を)越えてきた人たちは(中国東北部に)数十万人もいるというのに…」

 「韓国は民主主義を戦略的に使い、日本や米国と協調関係を深めて(南北の)経済、科学技術の格差を高め北朝鮮同胞を覚醒(かくせい)させる必要がある。そのためにも日本や米国との同盟を強化しなければならない。日本は第二次大戦や(東西)冷戦で大きな経験を積んだ国だ。アジアや世界の民主化のための役割は大きい。朝鮮半島の南北統一はまず、北朝鮮の改革開放からだ」

 「韓国は今年の大統領選挙で、民主主義に忠実な人物を選ばなければならない。金正日と妥協して米国に反対し、金正日と協調するのは民族に反逆的な行為だ。ややこしい問題はひとつもない。韓国は太陽政策と手を切らなければならない。私は脱北者の組織化、意識化、その教育に責任を感じている。彼らは北の解放のために働かなくてはならない人たちだからだ。そのことに私は力を尽くしたい」

●=火へんに華

■キューバ危機 1962年10月、ソ連がキューバにミサイル基地を建設したことをめぐり米ソが軍事衝突の一歩手前まで緊張した。当時のケネディ米大統領はソ連のミサイルがキューバに向かっていることを知り、海上封鎖などの手段で阻止することを決定、全世界向けテレビ放送でキューバ情勢を説明するとともに、米政府の強硬方針を公表。フルシチョフ・ソ連書記長はミサイル輸送を断念した。

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私たちの考え方

「蒼き星々」「蒼き星々」掲示板 とぴろんさんの「話の花束」 は、拉致問題に関係する集会をできるだけ多くの方に知ってもらいたい、家族の生の声に耳を傾けていただきたいとの願いで、集会の記録(写真・音声・テキスト)をインターネット上で伝えようと活動してきました。

その内容は、ここ、Blue jewelにも保存しています。

各地で行われる集会の参加者は、ここ5年を考えて全国を総計しても、私の知る限り、写真展の20万人、映画の10万人の合計30万人を大きく越えることはないでしょう。

参加したくても参加できない人、遠くにいる人のために、集会の模様を伝えたい。登壇者のタイムリーなお話、貴重な講演をそのまま伝えたいというのが私たちの原点です。私たちと同じよような活動をなさっている人や、各地の集会のレポートをしてくださる方も、同じ思いだと推察します。

もちろん、私たちの参加できる集会には限りがあり、情報量、読者も、大手マスコミにはとても、とてもかないません。
しかし、これは、集会の一部しか報道しないマスコミへのささやかな抵抗でもあります。

私たちは、今後の活動の指針を以下のようにまとめました。

――――――――――――――――――――――――――――――――
・今後特定失踪者救出運動の拡大に伴い、広範な特定失踪者のご家族が出席される集会・セミナー等が増加すると予測されることから、特定失踪者ご家族に関しては、十分な配慮をし、ご本人の意志を確認していきます。

・また、集会担当者とも、良好な意思疎通を図り、記録の作成にあたります。

・登壇者、集会担当者の要望には的確に応じていきます。

・場合によってはその確認のために文書で承諾を頂く用意もあります。

・資料の提供には速やかに応じていきます。
――――――――――――――――――――――――――――――――
上記の基本的な考え方については、家族会、救う会全国評議会、特定失踪者問題調査会には、書面でお伝えし、ご理解を頂いています。

今後もこの基本を守りつつ、集会ごとに十分に配慮して参りますので、各集会、セミナ-の主催者及び関係団体の皆様には、趣旨をご理解頂き、拉致事件解決のため、御協力をお願いいたします。

みなさんへ
この基本的な考え方を、各団体、集会担当者に伝えて活動して参りますので、どうぞ宜しくお願いします。

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東京連続集会26(3)


   6者協議と日本の対応 東京連続集会26
07.3.10 友愛会館にて

『報告会 その3』

★西岡力氏

5分と言う司会者の強制力で一言ずつ聞いたんですが、恵谷先生が言った高い評価をしていて、多分洪先生が一番低い評価をしていて、島田さんはアメリカの中で割れていると。
アメリカの中でも評価が割れていて、ブッシュ大統領は国務省に騙されているんじゃないか?と言う評価があると。
ただしアメリカの保守派も、今回安倍政権がやった事は高く評価している。
そこはその点は恵谷さんは多分評価をしているわけですけども、洪先生は大体金正日は紙に書いた物を守る事はありえないという事で、彼の狙いの方を考えなくてはいけないという事で。
佐藤会長は流動的だから、我々はどうするか?にかかっているんだという事で大体終ってしまったんですが。
結論としてはまだ分からなくてまだ戦いは続いているという事では無いかと思いますけども、少し各論に入って議論をしていきたいと思いますが。

その前に一つだけ洪先生が言ったことで大切なポイントがあるんですが、6カ国協議とニュースでは言うところが多いんですが、日本政府はいまだに北朝鮮を国家として認めていません。
アメリカもそうですね。
ですからParty talkと言う。
我々もなぜ拉致被害者を返してこないテロ国家をですね。
国家承認をしなくちゃいけないのか?と。
言葉使いにも気をつけてですね。
6者協議と言うふうに是非言いたいと思いますね。
日本の外務省の紙でも6者協議となっています。
そもそも大韓民国は朝鮮半島の中の唯一の合法政権だというわけですから、そういう点でも6者協議と言う言葉使いをしていきたいと思うんですが。

まずですね、各論に入りまして若干話があったんですが、二つの事を考えたいんですね。
金正日が何を考えているのか?
金正日の狙いは何なのか?
そしてそれを考えた後、じゃあ我々日本は何をすべきか?
安倍政権の今のやり方がいいのかどうか?
言う順番で議論を進めたいと思いますが、もう一度佐藤会長から5~6分くらいで金正日の狙いは何だと思うか?いう事についてお願いします。

★佐藤勝巳氏

話がありましたけど、94年の米朝合意に比較しますと、大変な金正日の敗北と言ってもいいくらいの中身です。
それはなぜこんな事になったのか?といえば、国連決議をはじめとするアメリカの金融制裁、日本の独自制裁、さらには中国の国連決議に基づく制裁の実施。
これがですね。
予想を超えて大きく金正日政権にダメージを与えた。
ここで一息つく必要がある。
それが6者協議の合意である。

一息つく。
文学的な表現ですが、具体的にはどうするか?
盧武鉉政権を騙してがっぽりと食料とか肥料とかそういうものを召し上げると。
現に韓国は盧武鉉政権はそれで今精力的に動き出しているわけです。
合意に至った。
従って韓国側は信認を取る。
いうこういう・・・(聞き取れず)が出来ておりますので、金正日の側から見れば上手いこと盧武鉉政権を騙して、とにかく具体的に米や肥料などなどを取って困難を乗り切る。

でまぁ、初期段階の5万トンの油も入ってくる。
いう事で、最大のしかし北の狙いは最終的に日朝の正常化に持ち込んで、日本から1兆円ないし2兆円の金を取る。
言うところに一番の最終的な狙いがあるんですから、そのためには日本側の主張している。
いわば安倍政権が主張している拉致の問題を国際的に孤立化させてしまう。
アメリカがブッシュ政権がそれに相応えるような対応を取っているのを100%これを利用する。
他方、裏でもって核弾頭の開発をがんがん進めていく。
いうそういう狙いがあるだろうと思います。
以上です。

★西岡力氏

さっきの順番で恵谷さんお願いします。

★恵谷治氏

金正日が何を考えているか?というのは基本的に今の佐藤会長と同じなんですが、要するに結論はですね。
核放棄をするわけが無い。
ですからこの6者協議を私が高く評価するというのは、実は6者協議なんか非常に期待なんかしてなかったですね。
今回6回目でしたか。

これは6者の会議でついでに言いますとですね。
6者協議の議長国というふうになりますが、これも間違いです。
主催国であります。
議長国ではありません。
英語で言うとhost・・・(聞き取れず)ですか。

その事を一言付け加えるのと同時に、この6者協議と言うのは米朝、少なくともブッシュ政権・ブッシュ大統領がですね。
北朝鮮の核問題を外交で解決すると、これは就任以降何度も言っております。
で、その心はご存知のようにイラクを抱えていると、あるいは悪の枢軸であるもう一つのイラン。
今もイラン問題は緊張状態が高まって、私はこれこそ軍事オプションもあるかな?と思いますが、それは別としてそういう事を考慮すればですね。
北に対する軍事オプションは取れない。

しかし悪の枢軸と名指しした一国をですね。
何もしないわけにはいかないという、私から見ればアリバイ作りのための協議だと思っております。
ですから合意なんか生まれるわけないと思っていたんですが、2005年の9月に一応放棄するという合意が出来ました。
これは文書だけでしたが。

で、今回具体的に60日と言う制限の中で凍結と言う具体的な事がなったんですが、その具体的なこと以上に私が評価したのは、先ほど言った日本政府・安倍政権が主張したものをモスクワ・北京・ソウル・ワシントンに納得させた上で調印したと。
これほどの独自外交はこの近代史でもなかったんでは無いかと思う。
私は外交の専門家ではありませんが、そういう印象を持っているわけです。

金正日の事を考えますと本当にこの合意のあれは、佐藤会長の言われた南北頂上会談の障害を取り除く。
これが最大の目的で、そういう点を考えればですね。
この5万トンと言うのは私は95年の時は50万トンで、今回5万トンになったというのは結局はいくらでもいいと。
合意しろという金正日の命令によって、とにかく合意に達して、合意すれば頂上会談の道が開ける。
そうすればソウルからいくらでも取れる。
逆に盧武鉉大統領はご存知のように、もう欲しいだけやればいいという関係ですから、金正日は折り込まれて一息ついているというのも事実です。

しかしですね。
もう一件、ここでもお話したと思いますが、金正日を追い込んでいるのは金融制裁、これはちょっと法の執行と言う制裁とは多少性格が違いますが、非常にこれは効いている。
その結果、ミサイル実験それが失敗し核実験につながったと私は思います。
もう一点は日本政府と言うか、警察庁・警視庁による在日本朝鮮人科学技術協会、科協ですね。
に対する、非常に厳しい監視。
これはミサイル実験・核実験を失敗させた原因だと思いますが、そのミサイル実験によって日本政府の独自の経済制裁。
それから核実験によって今度は国連による制裁決議。
それで国連の様々な活動も中止・停止になっている。

もうこれは決定的に追い込まれているわけで、金正日は高笑いをする暇は無いんですね。
しかしその合意をすることによって南から取れるというのが今の金正日の本音ですが、もう一点ブッシュ大統領が外交で解決するという裏で、秘密作戦である5030という謀略工作が深く進行しています。
これはどういう形で結果が出るかは分かりませんが、とにかく核問題・拉致問題を解決するのはですね。
金正日政権を倒すしかない。
私も思いますし、おそらくブッシュ大統領もそう思っていると思います。

ですから倒すことを前提に動いている。
しかしそれは公表できない、公に出来ない、秘密工作・秘密作戦である。
それを進めているがゆえに6者協議と言う公的な場で、外交的な形・合意をブッシュ政権側もですね。
保守派に批判されつつ、こういう形にしたんだろうと。
つまり何度もいいますが核武装・核保有を放棄しないと決心している金正日を、交渉によって完全に無能化させる。
この無能化というのは施設の問題でありまして、すでに保有しているいくつかの核爆弾あるいはミサイルと言うものには、今回の合意書には何の関係もありません。

ですから分かりませんがいずれにしろ言いたいのは、問題を解決するには金正日政権を倒すしかないと私は思うし、おそらくブッシュ大統領もそう思っている。
そういった中でこの外交的合意交渉の結果を見るというのもいいんですが、私は見えないところでですね。
着々と深く打撃を与えているんでは無いか?と言うふうに感じます。
以上です。

★西岡力氏

ありがとうございました。
先日ですね。
急に日本の外務省の方を持つんではないんですけど、佐々江局長の説明では、今日お配りした資料の初期段階の措置のところでですね。
2-2を見ますと、北がこの60日間の中でやるべき事の中でですね。
核兵器一覧表を協議するという事になっているんですが、ここに使用済み燃料から抽出されたプルトニウムを含むと書いてありまして、佐々江局長の説明は「このプルトニウムと言うのは今起爆装置の中に入っている、あるいは弾頭に入っているものが含まれる」と。

「そして無能力化の対象にも当然このプルトニウムも含まれるし、濃縮ウラニウムおよび濃縮ウラニウム施設も含まれると言うのが我々の側の解釈だ」と言うふうにいいましたので、書いてないという解釈でもない。
相手がどう解釈しているか?と言うことはあってもですね。
解釈が分かれるような事を書いても北は守らないだろうという意味では、兵器を完全に廃棄させる事が出来るかどうか?と言う疑いはあるでしょうけども、「こちら側としてはすべての兵器を廃棄させて、濃縮ウラニウムを止めさせると読めるようにもなっている」と、いうふうに説明を聞きました。

洪先生に金正日の狙いという事をお願いしたいんですが、一点それとですね。
アメリカの保守派はブッシュの弱気を批判しているという話がありましたけども、韓国の保守派。
あるいは韓国の脱北者の人たちは安倍氏、あ、ごめんなさい。
アメリカの保守派は安倍のやった事は日本外交は高く評価しているという話があり、恵谷さんも日本外交については高く評価しているという事なんですが、金正日の狙いを話していただくと同時に、韓国の保守派や韓国にいる脱北者の人たちは、今回の日本がやったことについてどう評価しているのか?という事も含めてぜひお話いただければ。

・・・その4に続く・・・   

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東京連続集会26(2)


   6者協議と日本の対応 東京連続集会26
07.3.10 友愛会館にて

『報告会 その2』

★洪?さん(早稲田大学現代韓国研究所研究員)

まず訂正します。
私早稲田大学の教授じゃなくて客員研究員です。

今度の6者会議の印象なんですが、日本では6カ国会議とか6者会議とかまず呼び方に混乱があるようですね。
冷酷に言うとこれは6カ国ではなくて6者会議が正しいとまずそれを申し上げています。
すべての国際会議という事は元々時間を長引かせると、最初の出発点からはかなりずれていくんですね。
この6者会議も今度なぜ合意したのか。
多くの方はこれを・・・(聞き取れず)するというお話ですが、
私は合意したのは金正日が合意したから合意したとまず思います。

いくらアメリカとかいろんなところの圧力の意思が強くても金正日が折れて来なかったら、この合意と言うのは最初からなかったんじゃないかと思います。
一番大変なのは金正日の立場でこれを見る必要があるんじゃないかと。
そのように思います。

合意書を読んでみてですね。
すごく真面目な人が書いたような気がしました、まず。
ある意味でアマチュア的な合意書。
もちろんそれは60日以内という事をちゃんと書いてあるんですが、書かれているものを読む限りは何も問題は無いんですね。
それは書かれたとおりに計画的にそれが適用されれば、これはまず初期段階のことだけでも評価できると思います。

ただそういうものをですね。
厳格に適用するだろうか?という事を見ますと、今までの経験から見て金正日はどんな事を約束してもそれを守らなくても済むんだというふうな立場で、今度もこれを約束した可能性はあるんじゃないかと私は思います。
というのは例えばアメリカが金融制裁と言うアメリカの法の適用を、ただ政治的に法の適用を、信じられないんですが韓国から見れば、法の適用を政治的に適用出来るような姿勢を見せる。

これ、この問題のですね。
金正日は物凄くいろんな勇気をまたチャンスがあるというような事を与えているんじゃないかと思います。
ただ多分今度の行為はこの6者会談と言う事が破局を避けたという事がまず意味があるんじゃないかと思うんですね。
一応今の段階で新しいこの6者会談がこれで駄目になるとみんな困るんですね。
一応合意することで合意しましょう、と言う印象を受けます。

それからもちろんこの60日以内には北は核実験もやらないしミサイル発射もしないと。
でもこれを約束させるのは私意味無いと思うんです。
これ核実験をやってもですね。
ミサイルの発射をやってもそれが果たしてここの国の国益とか脅威になるのかと思うと、実はそうじゃないと。
止めてくれ止めてくれとお願いするのはおかしいんじゃないかと思うんですね。
それが許せなかったら他の対抗措置は幾らでも取れるんだと思います。

それから一番の6者会談の問題はですね。
韓国の左派政権から盧武鉉政権から見れば、この合意を持って南北頂上会談への障害物がなくなったと
だから韓国の左派、左翼政権からいいことは金正日もいいことですし、だからこういうのをですね。
つまりは敵の立場からもこれを見る必要があるんじゃないかとそう思います。

まずはいろいろ韓国のことの致命的な罠がありまして、韓国には。
他の国では一応核問題を凍結したとか核物質の生産を止めたとか、詰めて来られているんですが、韓国から見ればもちろんアメリカも・・・(聞き取れず)を凍結しているんですね、保守派は。
ブッシュ政権も・・・(聞き取れず)していますし、ただ韓国の場合は金正日と組む左派政権日本の左派と韓国の左派は意味が違うという事を仰る方がいるんですが、韓国の共産主義、金正日と組む左派の側から見ればこれは物凄く喜ばしい。
韓国の普通の常識を持つそういう専門家から見れば、これは南北の左派が多分アメリカを説得した結果だろうと言うふうに見ています。

★西岡力 救う会常任副会長

ここでじゃあアメリカは譲歩したのか?
アメリカの保守派はブッシュ政権をどのように感じているのか?
金融制裁、それからテロ国家指定解除などについて島田先生からお願いします。

★島田洋一 救う会副会長

ボルトン前国連大使が数日前にウォールストリート・ジャーナルに文章を載せましたけども、その結論としてですね。
こういう妥協的な方向にもしブッシュがずるずる動いていったとしても、民主党は何かと因縁をつけて絶対ブッシュが・・・・・。(聞き取れず)
一方、ブッシュのコアな支持層、こちらはどんどんブッシュから離れていくと。
結局ブッシュを支持する人は一人・・・・・・・。(聞き取れず)
そういう事をされていましたけれども、ボルトン氏あたりのアメリカ政府のブッシュ政権に対する批判、というのはこれはライスのオルブライト化を防ぐという意味で、大変意義のある警告だと思いますけども。

皆さん言っておられるようにアメリカでもせめぎあいが続いているわけですが、とにかく妥協して核凍結。
投棄以外に経済支援する意図いう民主党あるいは国務省路線と、とにかく・・・(聞き取れず)げてあの政権を潰さないで行くというボルトン的発想、せめぎあいの中でですね。
少しブッシュが国務省的な方に引きずられかけた面はあると思うんですけど。
ただ北朝鮮が現段階で確実に手に入れたというものはほとんどないですから、北朝鮮が一人勝ちであるとか金正日の高笑いが聞えるとかそういう事をいいたがる人が多いんですが、どう控えめにみても先走りすぎた評価だと思います。

尚3月1日付でアメリカ政府のプレッシャーによってですね。
国連開発計画が北朝鮮に対する開発支援事業を一切止めるという事を決めましたけども、そういった制裁強化の動きも同時に進めると、これはボルトンの置き土産みたいなものでしょうが。
それがよくですね。
北が核凍結を進めれば一番の恩恵を受けるのは日本なんだから日本もエネルギー支援に参加すべきだとか、山拓さんとか前原さんとかいますけど、これに関してはですね。
私は以前から言っているんですけども、日本は北朝鮮が約束をした既存の核施設の無能力化と言うのを、これは核施設の解体及び海外搬出なんだと最も厳しく解釈した場合ですね。

もしその段階まで来たら核解体・海外搬出の費用は全部日本が出しましょうと。
その前のわけの分からない約束に対してエネルギー支援するという事は日本は一切しないと、そういう立場を取ればですね。
日本として応分の負担をした事になりますし、ただ取りをされることも無いと思います。
ただ取りされる心配は無い、いう事ですね。

日本は核施設解体の費用を出すとそこまで持ってこれるところまでは持ってこれる。
その前にエネルギー支援を出すというのは晩餐会で勝手にやれと。
そういう姿勢で今は行くべきではないかと思うんですが。

それでボルトン氏が彼がAEIという保守派の有力シンクタンクの幹部として戻りましたけども、元々そこにいた人ですが
そのAEINのボルトン以外の研究員たちもですね。
ブッシュがあわよくば傾いたという批判をしていますけども、特徴的なのは彼らはですね。
日本は非常によくやっている。
日本側のリードに従えと言うような言い方をしております。

それに加えてですね。
テロ支援国リストから北朝鮮を解除するというような動き、これを軽率にやる事を絶対にしちゃいけない。
それをやったら、つまり拉致問題の解決をなしにテロ支援国指定を解除すれば、アメリカにとって唯一信頼できるパートナーである日本を失うわけになる。
そういう言い方をしております。

テロで日本がどう動くか?と言うのは大変アメリカの政策にも影響を及ぼす、重要な局面にいよいよ来たと思います。
アメリカの人権運動をやっている人たちはおおむね今回の合意を批判しますけど、その他にはやはり人権問題に全然触れていない。
アメリカが北朝鮮人権法と言うのを議会を通して大統領が署名していますけども、全く人権を少なくとも表面上打ち出していない。
これはブッシュの裏切りと見られても仕方が無いという言い方をしております。

日本に何回か来ているスザンヌ・ショルティーさんという北朝鮮人権運動、アメリカでの草分け的な人として最近人権活動家たちの意見をまとめてブッシュへのアピール文を発表していますけども、その中にですね。
日本人拉致問題解決する前には、一切エネルギー支援、医薬品・食料品の供給も北に対してしてはならないという事を書いておられます。
もちろん拉致問題だけじゃなくて北朝鮮への人権一般にも触れているわけですけども。

せっかく彼ら人権運動をやっている連中が言うのは、金融制裁で北を追い詰めた時にですね。
国務省の担当者にブッシュはたぶらかされて、曖昧な約束を引き換えに金融制裁・・・(聞き取れず)これを取れるような約束をした。
これは大変間違ったメッセージだという事を言っております。
その点アメリカの強行保守派がどんどん釘を刺してくれるというのは、日本にとっての戦略的に大変いいことだと思いますけども。

実はそれで今年の4月22日から29日まで、ワシントンで北朝鮮自由週間と銘打って、アメリカの人権運動をやっている人たちを中心にしてあるいは韓国からも日本からも、あるいは脱北者の人もワシントンに集まっていろんな事業を繰り広げる。
丁度この時期がですね。
テロ支援国リストをアメリカ政府が発表する時期、4月の最終週に発表しますけども去年もですね。
4月27日にアメリカ下院で横田早紀江さんらの証言があって、翌日4月28日にテロ支援国リストを発表しますけども、丁度その時に北朝鮮自由週間と言うのをやると。
たまたま今年はその時期に安倍首相も訪米が決まっていますから、大変重要な攻防の焦点が出る時期だと思いますけども。

最後にですね。
北朝鮮の今回の合意の最大の狙いと言うのは、わずかでも重油を得るという事ではもちろんなくて、やはり対話・平和ムードをかもし出して、アメリカ・日本・韓国あたりの強硬派を孤立させると。
そして金融制裁の解除を出来れば確保し、またテロ支援国リストの解除も実現すると。

テロ支援国リストがなぜ重要なのか、もう一度確認のために言っておきますと、アメリカの国内法の縛りでですね。
アメリカ政府がテロ支援国リストに指定している国に対して、国際機関が金融支援・融資をしようとしたときアメリカ政府は反対しなければならない。
その反対の義務規定があるわけですね。
要するに北朝鮮がテロ支援国リストから外してくれと言うのは、国際金融機関からの融資を取りたいという話であります。

問題なのはですね。
アメリカの国務省あたりは北の核凍結・廃棄と引き換えにアメリカからも何か出したいと思っている。
ところが議会の抵抗がきついですから、お金とか物をですね。
アメリカが調達するとなると議会が反対して出しにくい。
従って国際金融機関から融資が行くようにしてやるから、これがアメリカの見方だと受け取ってくれと言うふうに国務省の官僚あたりが言った。
これ、クリントン時代もそうですけども。

国務省の人たちが例えば議員なんかを説得するのに、こういう理屈を使うんですけども。
「テロ支援国リストから外したからと言って、何も自動的に国際機関からの融資にアメリカが賛成する気は無い」
「実際個別の融資に賛成するか反対するかというのはケースバイケース、また北朝鮮側の対応を見て決めます」と。
ただ、テロ支援国指定にあるとですね。
例えば縛られてしまうんですから、一つ外して外交の柔軟性を確保したい。
そういうような言い方もするわけですけども。

結局これがですね。
家族会・救う会のアメリカへの運動の大きな成果だったと思いますけど、今テロ支援国リストから外す外さないの歯止めになっているのが要するに拉致問題であるわけです。
このあたりもアメリカ国務省は自主的に拉致を書き込んだわけでもなければ、日本政府が働きかけて書かせたわけでもない。
家族会・救う会が何べんもアメリカへ行った。
またアメリカから日本に来たサム・ブラウンバック上院議員等々に働きかけてですね。
実現した。
それが今大きな歯止めになっているという状況があるわけです。

歯止めを外すなという事は、アメリカの保守の連中も言っていることですから、要するに日米の連携を強化してですね。
ブッシュを挟んでアメリカ国務省と安倍政権の綱引きが厳しくなると思いますけども、絶対ブッシュをこっちへ引っ張って来るようにしなければいけない。
以上です。

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東京連続集会26(1)

   6者協議と日本の対応 東京連続集会26
07.3.10 友愛会館にて

『報告会 その1』

◆登壇者

恵谷治さん(ジャーナリスト)
洪?さん(早稲田大学現代韓国研究所研究員)
佐藤勝巳 救う会会長
西岡力 救う会常任副会長
島田洋一 救う会副会長

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

★西岡力 救う会副会長

それでは早速始めさせて頂きたいと思います。
まず、6者協議の合意と、それから今回の米朝そして日朝の作業部会があったわけですけど、それを見て皆さんどう思っているのか?一人5分でお願いします。(笑い声)
では、佐藤会長から。

★佐藤勝巳 救う会会長

まず、作業部会の方ですが一言で申しますと5つ作業部会があるんで、今大体2つ開かれておりますんで、北側の出方を見ておりますと、日本に対しては拉致問題は解決済みと言う形で突き放す。
アメリカなどとの関係については蜜月を演じている。
そういう、いうなれば国際的に拉致を言っている日本を孤立化させる言う戦術が非常にハッキリして来ているだろうと思います。

それに対して日本がどう反撃を加えていくのか?という事です。
アメリカとの関係で言えば、テロ支援国家の指定解除。
これは佐々江アジア局長の説明によれば、アメリカと日本との間では、テロ支援国家を解消する前提として日本人の拉致問題の解決、これが合意に達しているというふうに発言をされます。
しかし、実際に見ておりますと本当に大丈夫なのかなぁ?と言うような事が懸念されます。

もう一つ、アメリカが北朝鮮に課している金融制裁、これの解除については慎重に対処して欲しいという日本側からアメリカ側への申し入れ。
まぁこれも了解とはいきませんけども、理解を示す態度にどうもなっているようです。

特に拉致支援国家指定解除という事になりますと、日本の拉致は、テロ支援の中身としては日本関係について言うならば、拉致・よどの犯人の隠匿の二つあるわけです。
その他はだからいろいろ北がテロをやって、航空機を爆破するとかいろんな事をやってるわけですから、そういう問題があるんですが日本に関連して言うならば、どうも明確に拉致の問題がテロ支援国家の中身としてあるわけですから、そこは日米間のこれからの外交というか、調整という事がかなり大きな問題になっていくと思います。

6者協議の評価、5分という事ですから、そんなものむちゃくちゃな話なんですが(笑い声)、結論から申しますとアメリカは端的に言って朝鮮問題から手を引きたい、言う姿勢は明確です。
それから中国、これは国内に対北朝鮮政策を巡って・・・(聞き取れず)の対立があって、中々水際立った動きをすることが出来ないでいる。
これが中国です。

それからロシア、これは6者協議なんかどうでもいい、朝鮮半島なんかどうでもいいと言うふうに考えておりますから、これはあまり考慮の対象にしなくてもよろしいと思います。
韓国、これは北朝鮮の金正日政権を支援することによって、金正日政権も維持させたいし、同時にそうしないと自分も延命する事が出来ない。
盧武鉉政権は、という事でこれが最も北寄りの活動を取っております。

日本はご案内のように圧力を強めて有利な状況で対話に引きずり出すという、日本が一番強硬な姿勢をとって、これの寄り合い所帯の中で出て来た合意です。
あの合意と言うのは、一言で言えば北朝鮮は核施設を全部撤廃すると、無力化すると。
その代償として100万トンの油を5カ国で出す。
こういう中身です。

この5ヶ国の中で日本は、拉致が大きく前進しない限りエネルギー負担のお金は出しませんよという事を議事録に残してしっかりと関係国に承認をさせた。
言う意味ではお金が欲しかったら拉致解決に他の4カ国は協力してくださいねと。
協力が頂かない限り日本は金を出しませんよという、そういう意味ではかつてない外交的な成果であったと。
その点については評価していたと。

しかしながら後で、もうこれで5分くらい来たと思いますけど(笑い声)、そういう点では今までとは日本の外交、特に拉致問題の外交では従来の政権とは際立った違いを見せてきていると、いう事が言えると思います。
この合意の中身をプラスにするのかマイナスにするのか。
これはもう上げて我々がどう戦っていくか?
戦い方によって決まってくる、いうことです。

広く指摘されているようにあの合意は穴がたくさんございますから、つまり濃縮ウランの問題なんか全く触れておりませんし、今もっている核爆弾、これについての処理をどうするのか?言うようなことも触れられていませんから、穴はたくさんなんです。
その穴をこれから我々がどうやって埋めていくのか?
ひとえにそれは政府の力量などという事ではなくて、私たち国民がどうやって政府を支えて圧力を加えて中身のあるものに変えていくか?言うような事にかかっていると思います。
以上です。

★西岡力氏

今各国の立場についての話がありましたけど、今日はアメリカの専門家の島田教授と、それから韓国の・・・・・(聞き取れず)する洪先生においで頂いておりますので、その立場からお話を頂きたいと思いますけど、その前に核の問題ですから、核問題・軍事問題の専門家である恵谷先生から全体としての評価を頂いて、そしてその後アメリカの観点、そして韓国の観点から島田先生と洪先生にお話いただきたいと思います。

★恵谷治氏

どうも、恵谷です。
5分と言うので緊張しますが、私の6者協議の合意と言うのは、個人的には非常に高く評価しています。
ご承知のように初期段階で発生すれば5万トンと言う内容ですが、これは寧辺の施設を凍結した場合ですと。
臨時措置と言う形で、いずれにせよIAEAが入って凍結をします。
これ名94年の米朝枠組み合意と同じ事です。
当時94年の段階ではご承知の通り、50万トンを結果的に8年、つまり400万トンのただ取りをしたわけですが、今回は同じ核施設を凍結・停止するのにわずか5万トンです。★2;10

ですから米調和組み合意の50万トンに比較すればですね。
10分の1、逆に言えば10倍北朝鮮は追い込まれていると。
もっと言えば400万トンただ取りをしたと思えば、80倍追い込まれていると言うのが北の現状です。
ですからとりあえず初期段階は、60日以内と言う明確な日限を決め、94年は戻るというのに5万トンがただ取りされたという見方もあるでしょうが、あの国と交渉するにはですね。
5万トンくらいはやむを得ないだろう、言うのが一点。

それからすべて無力化すると100万トンと、これもこの数字でとりあえず北朝鮮は納得した。
これについては北側の金正日もですね。
別に無力化する気もなくてそっちの数字は幾らでもいいと、言うふうに考えているのでは無いかと思います。
いずれにせよですね。
この5万トンで手を打ったというのが北朝鮮の現状を示している、という事です。

それと先ほど佐藤会長も仰られましたが、この合意と言うのは日本外交にとって私は大勝利だろうと思っております。
拉致問題あるいは核問題と言うのは、この6者協議で解決すると考えている人間は、私は誰もいないだろうと思います。
しかし、外交では何らかの合意をする必要がある。
その中で日本政府はですね。
お分かりのように「拉致問題が解決しない限り経済支援は一切行なわない」いう事を、あの北京もモスクワもそして韓国も納得させた上で調印したと、サインしたという事は大変なことです。

これをある解説者は「日本の外交の孤立化だ」という評価もする人もいますが、そういう人間は昨日までは「日本は対米従属外交だ」と言っていた人間であってですね。
日本のこれこそ独自外交と言うものが評価できない人間が「外交の孤立化だ」と寝言を言うわけです。
ですから60日までの初期段階までは大勝利です。
しかしその後、これは北朝鮮ご存知のようにある事ない事言ってですね。
延々引っ張って結果的には何も解決しない。

しかしその間プルトニウムの生産は停止します。
それと先ほど佐藤会長言われた濃縮ウランに関して合意には何も触れられていない。
あるいは現在保有している核爆弾、これについても何もこの交渉に入っていませんが、私は濃縮ウランについてはまだまだ研究段階であってですね。
それを生産を稼動させるような状況には全く至っていない。
と言う意味で逆に安心して、ワシントンも分かっていてあえて今回のこの合意の中には面倒になるから入れなかったんだろうというふうに私は判断しています。

それともう一つ核爆弾です。
いくつあるか、いろいろ推定はありますがハッキリしている事は一つ。
要するにまだ完成していない。
昨年の10月の核実験は失敗だった、いう事です。
ですから、いくつと言うのはその数量を持てるプルトニウムを持ってるという事は間違いありません。
しかしいわゆる完全な設計どおりの核爆発を起こせる核爆弾はまだ完成していないという事を、去年の10月に示したと言う事です。
ですからこの6者協議がこれからまた3月19日にもありますけれども、そういった交渉では私はもう何ら解決はしない。
しかし、そういう協議は必要だろう。

もう一点私が評価するのはですね。
この分科会で日朝が話し合いをしますが、今回も45分だったか決裂しました。
これでも全然構わない。
ですからつまりどういう事か?と言いますと、6者協議の分科会の日朝とですね。
そうではなくて別の日朝二国間の話し合い、これは全く性質が違いまして、日朝独自の話し合いの中では解決しない限りは支援しないわけです、何ら。

ですからその話は持ち出せないんですが、6者協議の分科会においてはですね。
95万トンと言うものをどうするのか?と言う言い方で、それは交渉の中で言えるわけですよね。
ですから拉致問題解決したといっているわけであるなら、その95万トンは誰が出すのか?
という事を言えるし、結局この顔ぶれを見ればその95万トンは日本が出さざるを得ないだろうと思えばですね。
北朝鮮も折れてくる可能性は非常に高い、と言う意味で評価するという事です。


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>【北朝鮮亡命高官 黄元労働党書記の証言】二つの悪…一つ消えた 金日成急死

【北朝鮮亡命高官 黄元労働党書記の証言】

【北朝鮮亡命高官 黄元労働党書記の証言 】二つの悪…一つ消えた 金日成急死

 北朝鮮を半世紀近く統治してきた独裁者、金日成は1994年7月8日に急死した。北朝鮮の核開発をめぐる米朝間の緊張が高まり、6月に訪朝したカーター元米大統領との会談で、核開発凍結に合意した直後だった。7月25日には韓国の金泳三大統領との南北首脳会談を目前にした死だった。(ソウル 久保田るり子)

戦争はしたくない

 「94年の春だった。金日成とド・ムオイ・ベトナム共産党書記長との会談が決まり報告すると、金日成は『それは困った。私は入院して治療を受けなくてはならない』という。会談を秋に延期した。金日成は耳も遠くなり、放屁(ほうひ)も我慢できなくなっていた。あとで分かったことだが5月に緑内障の目の手術を受け、療養が必要だった」

 「米国は北朝鮮を攻撃できないと考えていた。われわれは南を人質に取っている。攻撃するなら、やってみろという雰囲気だった。金日成はカーター元大統領が訪問することを喜んだ。戦争はしたくなかった。金日成は妻とともに体に無理をしてカーター元大統領をもてなし、疲労を蓄積させた」

 「私は、金日成が死亡する10日ほど前に会った。金日成は金泳三大統領との南北首脳会談について喜び、はしゃいでいた。興奮して、『彼らが来て、ここに座って話すだけで10億ドルぐらい入ってくる』と言い、そのカネで『何々を建設する』とか、『(南北)鉄道は無条件で開通する』などと話していた。『ソウルを訪問する』とも言っていた。金正日は『南朝鮮は完全に赤化(共産化)しており、住民(韓国国民)は金日成を崇拝している』と報告していたのだ。金日成は、ソウルに行けば少なくとも100万人に歓迎されると思いこんでいた」

金正日のロボット

 「国家保衛部の責任者が私に、『首領様(金日成)はソウルを訪問すると言い、将軍様(金正日)は反対している。困った話だ』という。私は『心配するな。金正日が反対しているのに(金日成が)行くことはあり得ない』と言った。金日成は金正日のロボットにすぎない老人だった」

 「(金日成が死んだとき)私は外遊中で、キューバのハバナ国際空港に到着して金日成死亡の電報を受け取った。平壌に戻ったのは7月13日だった。何の感慨があろうか。二つの悪のうち一つの悪が消えた。何の意味もない。ただ、それだけのことだった」

■第1次北朝鮮核危機0 1993年2月、国際原子力機関(IAEA)が北朝鮮の核疑惑施設への特別査察を要求したのに対し、北朝鮮は核拡散防止条約(NPT)脱退を宣言した。この結果、米朝間の緊張が高まり、米国は北朝鮮の核施設攻撃を計画。しかし、94年6月にカーター元大統領が米特使として訪朝、金日成主席と会談した際、金日成は核開発凍結を表明。同年10月に核開発の凍結と引き換えに軽水炉2基と年間50万トンの重油を供給する「米朝枠組み合意」が締結された。

(2007/04/10 08:13)

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2007年4月 8日 (日)

【北朝鮮亡命高官 黄元労働党書記の証言】激動の70年代

【北朝鮮亡命高官 黄元労働党書記の証言】激動の70年代

【北朝鮮亡命高官 黄元労働党書記の証言】激動の70年代

 北朝鮮の金正日総書記は、1974年党中央委員会第5期第8次全体会議で政治局委員となり、金日成の後継者の地位を確実なものとした。70年代は、日本赤軍による「よど号ハイジャック事件」などで、日本国民が北朝鮮を意識した時代だが、同時期に北朝鮮が密かに日本人拉致を続けていた。(ソウル 久保田るり子)

世襲反対なし

 「70年代以前から金日成の金正日への偏愛は目立っていた。金日成は人間的には俗物なのだ。当時の北朝鮮の要職は、知識水準の低いパルチザン(ゲリラ)出身者で占められ、高いポストにつけるだけで感謝し、金日成に異議を唱える人物などいない。世襲に公式に反対するものは1人もいなかった」

 「(金日成の出生など)神話作りは70年代から金正日が始めた。党中央の歴史研究所が担当した。金正日は神話作りで金日成への忠誠心を示した。金日成は自分の経歴を公開しなかった。抗日ゲリラ闘争などの歴史が偽造された」

 「(よど号で北朝鮮に入った日本赤軍は)対南工作の統一戦線部が担当し、手先として利用することを考えた。日本人拉致も対南工作だ。日本人だけでなく、いろいろな国から拉致し、利用するため配偶者も求めてやることが必要だった。彼らの身分を使って日本を迂回(うかい)して南朝鮮(韓国)に工作するため、彼らを日本に送り、そこから南朝鮮に入らせて地下工作をさせる。そのために、教育が必要だった。対南工作では、地下党を組織することが重要で、他の国の国籍を取得する必要があった。こうした工作は北朝鮮の独特のアイデアだ。金正日が得意になってやっていた」

信用度基準は宴会

 「当時、私は金正日(母は金正淑)の異母兄弟(母は金聖愛)を金日成総合大学で教育していた。金平日、金英一、金敬珍(女性)だ。金平日は頭もよく人民への思いやりもあった。金正日は平日を警戒し、誰とも握手できないようにしていた。平日はその後、フィンランド、ポーランド大使に出た。(亡命後)私は手紙を送ったが、返事はない」

 「金正日の妹、金敬姫は金正日と同じ型の人間で、だれのいうことも聞かなかった。実母の金正淑に似ているという話だ。金正淑は夫婦げんかで、金日成にピストルを突きつけたほどの女性と聞いている」

 「金正日は主体思想を『金日成主義』と名付けた。別荘を建て、自分の基盤を強くするための宴会を開き、側近を集めては外貨を浪費した。私は酒も飲めないのであまり行かなかったが、他の人は宴会を信用度の基準と考えた。金容淳(国際担当書記で日朝関係担当、故人)は宴会でよく踊り歌った。イタリア民謡が得意で、彼がいなければ、パーティーが面白くなかった。金正日は金容淳をけなし、よく罵倒(ばとう)したが、のちには許した。外交に優れた人だったが、へつらいが目立ち、同僚に憎まれた」

(2007/04/08 )

Sankei WEBより

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【北朝鮮亡命高官 黄元労働党書記の証言】理論書記時代

【北朝鮮亡命高官 黄元労働党書記の証言】理論書記時代
 

【北北朝鮮亡命高官 黄元労働党書記の証言】理論書記時代

朝鮮戦争(1950~53年)後、北朝鮮は金日成主席による「政敵粛清」と社会主義革命の建設に邁進(まいしん)する。そのなかで「主体思想」を理論づけした黄長●氏は学者として重用され、出世していった。突然失脚の危機に見舞われたが、黄氏は金日成に頭を下げることで生き残った。黄氏には、秘めたる野心があった。(ソウル 久保田るり子)

主体思想」に肉付け

 「私は49年秋、モスクワ総合大学哲学研究院に留学することになった。朝鮮戦争前のソ連では通常、朝鮮人は『日本のスパイだ』と総合大学に入れない時代だった。朝から夜10時半までぶっ通しで熱心に勉強した。金日成の弟、金英柱が党の責任者としてモスクワに派遣されており、彼が私を学生委員長に推した。私は『政治には不向きだ』と言ったが、金英柱には、私に野心がないことが良かったのかもしれない」

 「朝鮮戦争が起こった。同じ民族が戦うことに疑問はなかった。南朝鮮(韓国)は資本家が支配しており、階級闘争の理論で攻撃するのは革命であると考えた。ただ、『負けるのではないか』という予感もあった。中国の共産主義の勝利をみて金日成はソ連と中国にねだって戦争を起こした。しかし、私は『成功のあとを追えば反撃に遭う』と考えた」

 「私は(ソ連)留学で学問的知識に自信を持ち、53年秋に平壌の金日成総合大学に戻った。金英柱たちが私を金日成の理論書記に決定した。主体思想は50年代後半に金日成が言い出した、ソ連の隷属から独立するという考えだ。マルクス主義を朝鮮の実情に合うようにしただけで何も新しい思想ではない。私が理論的な衣を付け整理し、論文集も書き直した」 

 「中ソのイデオロギー論争が激化するなか、60年にモスクワで1カ月にわたる81カ国共産党会議が開かれ、私は理論顧問として参加した。65年に私は金日成総合大学総長になった。42歳だった」

 「ところが、総長として書いた論文が修正主義的と全党的な批判を浴びた。資本主義国家では想像できないだろう。党中央委員会で幹部に、金日成が私を批判した文書が回され、自己批判する。生きた心地はしない。完全に孤立し、批判は2年間続いた。失脚を覚悟した」

 「金日成から電話がかかってきた。『朝鮮革命は完成していないのに、なぜ、抽象的な理論で世論を騒がせるか』という。私は『恐れ入ります』と受けいれた。なぜ許されたのか、分からない。ただ、私はそれまで本当に金日成を支持していた。だが、事件と中ソ論争を通じてマルクス主義の誤謬(ごびゅう)、民主主義と独裁との関係を深刻に考えた。私の『人間中心の哲学』はその苦悩から生まれた。主体思想には哲学的な原理がなかったから金日成は喜んだ。当時の金日成は確かに自信にあふれ、よく働いた。私はマルクス主義との決別を決心した。何とか、この社会主義の誤った方向を和らげたいと思った」

●=火へんに華

【中ソ対立】 1956年2月、ソ連共産党第20回党大会でフルシチョフ第1書記(当時)が行ったスターリンを批判する秘密報告「個人崇拝とその結果について」を機に、スターリンを偉大な革命家ととらえる中国共産党との間でイデオロギー対立が表面化した。中国はソ連の平和共存政策に象徴される政策や理論を「修正主義」と批判し、ソ連技術者の中国からの引き揚げや国境での武力衝突へと発展した。中国が改革開放に転じた後の80年代に入って政府間交渉が始まり、89年5月にゴルバチョフ書記長が最高指導者として30年ぶりに訪中、和解が成立した。

Sankei WEB2007年4月7日朝刊より

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2007年4月 6日 (金)

被害者家族の訴え

日本再生フォーラム 第20回記念講演会

拉致問題を通して日本のあり方を考える・第9弾
07.3.10 大宮JACKビルにて

『被害者家族の訴え』

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★飯塚進さん(田口八重子さんの次兄)

皆さん、こんにちは。
八重子が生まれ育ちました川口の「拉致問題を考える川口の会」について、お話をさせていただきます。
現在川口市には1名の拉致被害者と6名の特定失踪者がいます。
拉致問題を一刻も早く解決するために、平成16年4月に藤田進さんの弟の藤田隆司さんが中心になって拉致被害者家族・特定失踪者家族も趣旨に賛同するボランティアからなる「拉致問題を考える川口の会」を立ち上げました。

当初藤田隆司さんは署名活動、集会での訴え、テレビに出演等精力的に頑張っていましたが、体調を崩し現在は活動を休んでいます。
会の活動内容は、毎月第一日曜川口駅前での署名活動、チラシ配り、救う会埼玉との合同署名活動、集会への参加、家族の訴え等の活動をしております。

また川口市は岡村市長がとても協力的で、市民へ拉致問題への関心を高めるために福祉課が窓口となり、23万6千人の署名を政府へ提出いたしました。
HPへの掲載、市役所外壁に横断幕等の設置、駅前大型スクリーンに7人の顔写真の放映、市役所ロビーでの写真展など、積極的に拉致問題に取り組んでくださっています。
「拉致問題を考える川口の会」これからも頑張って活動を続けてまいりますので、どうぞ皆さんよろしくお願いします。(拍手)

井上克美さんからお話します。
失踪年月日は昭和46年12月29日でございます。
失踪状況は、当日会社の忘年会の後川口市内の飲食店で飲み、午前10時から1時ごろまで寿司屋で食事をして友人と別れた。
当時は泥酔状態、夜帰宅しなかったので翌日妻から実家に電話があり、両親も知った。
妻の話では、「正月は家に行く」と言っていたので実家に帰っているのだろうと思い電話をかけると、運転免許証の更新もなし連絡も一切なし、長男が生まれる直前だった。
失踪当時は21歳で現在55歳になっておられます。

次は鈴木賢さんです。
失踪年月日は昭和47年5月28日。
失踪状況、会社のレクリエーションに行くため朝6時に家を出て以来行方不明。
レクリエーションには行っていない。
職場、大学時代、友人も心当たりは無しと言うことです。
23歳で失踪、現在は58歳でございます。

次は藤田進さんです。
失踪年月日、昭和51年2月7日。
失踪状況、失踪当日「新宿のガードマンのバイトに行く」といって服を持って家を出たまま帰らず。
新宿にあるすべての警備会社に電話で問い合わせたが、該当者はいなかった。
脱北者が北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田進さんである事が極めて高い事が判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状を提出。
19歳で失踪、現在50歳でございます。

新木章さんです
失踪年月日、昭和52年5月21日。
失踪状況、買い物に午後6時か7時には帰ると川口市の自宅に電話を入れたまま失踪。
家を出た時は財布しかもっていない。
免許証・クレジットカードも入っていたが更新がなされていない。
カードは使っていない。
平成16年1月29日、埼玉県警に告発状を提出。
29歳で失踪、現在59歳であります。

次、佐々木悦子さん。
失踪年月日、平成3年4月22日。
失踪状況、仕事へ行くといって埼玉県浦和市の家を出たまま失踪。
当日は休みを取っていた。
平成16年1月29日、埼玉県警に告発状を提出。
27歳で失踪、現在43歳であります。

次、石井久宏さんですね。
失踪年月日、昭和49年5月1日か2日。
失踪状況、化粧品店を経営しており多額の借金を抱えてしまっていた。
父親などが金を用意して経営を立て直す方向で話を進め、母親も店の経営を手伝っていた。
本人の努力次第で十分解決方法のある状態であったが、突然100万円以上の経営資金を持ったまま、自家用車ごと行方不明となった。
当時遊びが派手になっており、マージャンやバーなどでの複数の朝鮮系と思われる人といる所をいとこが目撃している。
店の隣もパチンコ屋だった。
29歳で失踪、現在62歳であります。

以上の方々が、拉致被害者・特定失踪者の川口の方々でございます。
どうもありがとうございました。(拍手)

★高野美幸さん(特定失踪者・高野清文さんの妹)

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いつもお世話になっております。
東京の調布、電気通信大学という大学2年生でいた時に、大学寮の寮生と一緒に伊豆七島の神津島に行っていなくなりました高野清文の妹で高野美幸と申します。

私の兄、いなくなってから30年が経過しました。
二十歳になる直前に行方不明になっていますので、丁度去年で50歳になりました。
いつも私チラシの方を入れているんですが、ちょっと今日部数を持って来なかったので、もし私がいつもお配りしている「神津島でいなくなった兄」というチラシをご覧になったことが無い方がいらっしゃいましたら、後ろで配布くらいは持ってきておりますので、見て行っていただければと思います。

丁度先ほど石高さんのお話の中で97年の5月のめぐみさんの事を報道されたという事がありました。
私は90年に東京の方へ上京したんですけども、たまに田舎に帰るときに私の母は、「うちのお兄ちゃんもめぐみちゃんと一緒なんじゃないか?」と言い出したのが、確かその頃だったのではないか?と今考えると思いますので、母がその番組を拝見させていただいたのでは無いかと思います。
その時にですね。
「ウルトラ・ダラー」の本でも出ていたら、うちのお兄ちゃんも今頃は拉致認定を貰っていたんじゃないかな?と思ったりもする次第です。
太平洋側に工作船が来るなんてことは、その当時は当然考えられないことだったと思います。

それから私の兄は東京電気通信大学と言うところに通学していました。
兄がいなくなった後に、久米(裕)さんが宇出津の事件で拉致をされたという事で、久米さんの話は私も・・・(聞き取れず)ですが、当時の話を先ほど聞いたときに、北朝鮮との対立を避けるために数名の犠牲を出してもいいと言う考え方が、この国のどこかにあったという事がとても悔しくてなりませんでした。

そして今日私は、調査会の広報委員のような形で来てしまっているんですけども、今度第8版で特定失踪者のポスターが新しくなりました。
後ろに一部100円で販売させていただいておりますので、改めて拝見していっていただければと思います。
また私の兄、東京都にいる時に伊豆七島神津島からいなくなりました。
今回石原知事が話を出していただきまして、東京へ帰れというコンセプトの下に、東京から失踪された特定失踪者のポスターの方を作っていただきました。

こちらの方を私、勝手にインターネットに乗っているものをA3サイズで印刷したんですが、本当のものはもっと大きいサイズで出ているという事です。
これももし今東京の方に仕事があるとか行きつけの飲み屋があるとか言う方で、貼り出してもいいよと言う方がいらっしゃったら是非お願いしたいと思いまして、30部ほど印刷をして参りましたので、必要な方はお声をかけていただければと思います。

また、調査会の方で短波放送「しおかぜ」に政府の方から支援があるのでは無いか?と言うお話があったんですが、先の6カ国協議の結果に対してですね。
抗議をするという形でその支援をお断りするような形を取ったという事でございます。
丁度CMの方が1億500万という事で、なぜこの500万半端?って思ったんですけど、「しおかぜ」の支援がこっちに来たんじゃないかな?と思ったんですけど、憶測をしてしまうんですけども。

そういったことで、あと他にも今調査会でもバルーンプロジェクトという事で、北朝鮮の国境近く韓国側の方から平壌に向けて風船に、メッセージであるとか拉致被害者の情報を提供してくれたら奨励金を出すよというようなメッセージを書いたものを送ると。
それもビニールコーティングされていて、文章の下に金親子の肖像画とかが印刷されているので破くことが出来ないようにしているといった手を使っているようなんですけども、そういったことにもお金はかかってくると思うんですが、そういったことで支援を断わった手前、中々手を広げられないのかな?という心配もしながら、今日も「しおかぜ」のグッズと調査会の方の署名用紙と、あとカンパの方もご協力いただければと思って持っておりますので、後ろの方で帰り際で構いませんので、ご協力の方していただければと思います。
どうかよろしくお願いします。(拍手)

・・・講演会終了・・・

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飯塚耕一郎さんの訴え(大宮)

   日本再生フォーラム 第20回記念講演会
拉致問題を通して日本のあり方を考える・第9弾
07.3.10 大宮JACKビルにて

『飯塚耕一郎さん(田口八重子さんの長男)の訴え』

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皆さん、こんにちは。
田口八重子の長男であります、飯塚耕一郎です。
ちょっとお時間の方がだいぶ押しているので、駆け足でのお話になるかと思いますけども、ご了承いただきたいと思います。
日本再生フォーラムさんに関しては何度も呼んでいただいて感謝しておるんですけど、私の話をだいぶ聞き飽きている方もあるかと思いますけども、今日私の方からお話したい所は6カ国協議の作業部会も含めてですね。
関係者として家族の一員としてどう思っているか?という事について、お話させていただきたいと思います。

今回2月の下旬から6カ国協議の方がだいぶ慌しく、今週は作業部会の方がだいぶホットになっていましけど、大きな簡単に申し上げた私の印象としては、米中がだいぶ歩み寄りをして核放棄と言う形で6カ国協議ではだいぶお話が進んだという形になっています。
アメリカの方での圧力継承については問題ないと思うんですけども、圧力によって朝鮮の方が日本に対して、拉致問題を含めた日朝協議を進めるという形で今回作業部会に入ったと思っております。

先日、昨日もいろいろな紙面等でいろいろな報道があったと思うんですけど。
また先ほど親父の方から上がった話もあったと思うんですけども、ソン・イルホが、父が言った発言に関してですけども。
一番大きなところというのは、全体として拉致問題に関してはやるべき事はすべてやったと、これ以上議論する余地はありませんという事で、昨日も作業部会の午後の部分に関してはお話を進めずにそこで休会を伴っています。
また時間的な部分がどうだったのか、私もはっきり把握はしていないんですけども、今後臨時の作業部会に絡んでソン・イルホが言った一言と言うのは、「拉致問題は解決済みであり、死んだ人を生き返らせよと言っても無理だ」と言う姿勢で彼は発言をしているわけですよね。

先ほどの親父の方のソン・イルホの会見の方の骨子の中でもありましたけど、「日本としては誠実な対応を取って、日朝平壌宣言に基づいて日本は誠実な対応をすべきだ」といっている部分が一番大きな部分かな?と思うんですけども。
この状況を受けて思うのは、正直言ってとても歯がゆい。
停滞していた部分もありますので、問題が進まないという部分で歯がゆいという気持ちもあるんですけど、やはり怒りと言う部分を感じざるを得ない内容だったと思います。

死んだ人を生き返せと言われても無理だと言う話をしているんでしょうけども、じゃあ誠実な対応をお前らは取っているのか?と。
横田めぐみさんの遺骨の件に関してもそうですし、我々が突きつけられた2002年の死亡通知書に関してもそうですけども、その突きつけられた気持ちに対して、あの方がちゃんと誠実な対応を取ったのかどうか?と言う部分をここ5年の間に、皆さんも過去を振り返って考えて欲しいんですけども、それに関しては間違いなく100%NOだと思うんですよね。

これに関してNOだと思っている部分に関して、先ほど親父の方からも話がありましたけども、私としても日本政府としては今回ちゃんとお話しをしたわけではないんで、ハッキリした事は言えないんですけども、日本政府はどういう形で北朝鮮に対してアプローチしたのか?と言う部分は正直はっきり見えていませんから、本当に何とも言えない部分なんですけども。
ただ、今のままだと歯がゆいと、とても歯がゆいと思っています。

やはり小泉さんの時代と比べるとだいぶ日本として、拉致問題に対する姿勢としてだいぶ正しい姿。
経済制裁をしたり、朝鮮総連の適正化と言う部分もちろん入ると思うんですけども、そこも然りなんですけども。
だいぶ正しい姿になってるんですけども、あくまでもここはきっと多分スタートラインじゃないかと。
我々はこの問題を改めて考えて、日本人として人間としてどうあるべきかというさらに深める過程であって、ここから先に北朝鮮に対する外交姿勢はどうするのか?という部分でまだまだ幼稚なのかな?
幼稚と言う言葉は適正では無いかも知れませんけども、まだまだ向こうの方が上手なのかな?と、そういうところでちょっと考えています。

で、やはり私が歯がゆいといったのは、日本政府はこれまでと違ってちゃんとした形で対応を取って頂いております。
ただそれがやはり上手くすんなり通じない。
世界的な形として通じないという現況が、やはりどうしても悔しいし歯がゆいと思っています。

私もジャーナリストでも専門家でもないので、私がこれから言う事は単なる一個人の飛躍した議論に過ぎないのかもしれませんけども、やはり今の状況から考えてやはり日本政府としてお願いしたいというところは、6カ国協議で決定が下されたエネルギー支援については、日本は今エネルギー支援を一切しませんというお話をしていると思います。
ただこの中でちょっと言ってるのは、安倍首相から違う形でも支援ができるんじゃないかと言う発言の要旨があったかと思うんですけど、それすらもすべきでは無いと私は思っています。
何の誠実さをもって北朝鮮に対してそういう手助けをする形を取らざるを得ないのか?と言うところを推考して欲しいと思います。

確かに一部報道でこの形であれば日本は孤立してしまうんでは無いか?と言う話が、報道の中であるかと思うんですが、私個人として正しい事をやっていて孤立化することに何が問題あるんだろう?ととても感じるんですよね?
日本として我々もそうですけど、政府としてもそうですし、世界に対して北朝鮮が拉致と言う問題で人権を蹂躙しているんだと、これだけ酷い事をしているんだと言っているにも拘らず、その6カ国協議と言う枠組みの中で他の国と合議をどこかしら取らざるを得ないから、輸送支援で何かしら違った形で何かしら支援しましょうと言っている日本のその姿勢が一貫性が欠けてしまうところをちょっと懸念しています。
ですので、エネルギー支援はもとより一切の援助はしないで欲しいという事をお願いしたいと思っています。

ちょっと補足なんですけども、一方これに対して北朝鮮が昨日韓国政府に対して、肥料に対するエネルギー支援を正式に要求しています。
これと言うのはやはり経済制裁を北に課す。
やはり世界人権委員会を含めて世界的な包括されている状況の中で、北朝鮮がどれだけ苦しかったか?という事の現われだと思います。
先ほどの部会で米中が歩み寄りになった。
日本との部会も向こうの思惑通りになった。
じゃあ、ここで正式に打診ができるねと言う形で向こうが動いた結果だと私は感じております。

それとですね、ちょっとパソコンが落ちてしまって自分がまとめた部分がはっきりお伝えする事が出来ないんですけど。
それから後ですね。
やはりちょっと一番大きくて、日本政府に対する対応としてもうちょっと細かい部分があったんですけども、お時間が無いというところでご勘弁していただいて。

やはり私からお願いしたいというところに関して、まず一番最初に一点。
先ほども申し上げましたけども、日本政府が孤立化するとか、6カ国協議の日本に対する姿勢の中でいろいろ議論はあるかと思うんですけども、報道に対して正しい目で見て欲しいというのが第一に一番最初にあります。
やはりテレビとかって言うのは、基本的に受動的に人間がなりやすいものなので、報道されたものをそのまま素直に自分の思考として考えるのがどうしても人間の癖であるとは思うんですけども、そうでは無いと思います。
やはり孤立化と言うのは全然悪くないことですし、日本として正しい姿勢を取る事は当然とても素晴らしいことだと思っています。
そういう誤報じゃないですけども、自分なりの考えを持って報道に対して接してこういう場に来ている。
この場に参加いただけるというその姿勢と言うのはちゃんと持っていただきたいという、気持ちなり姿勢をちゃんと持っていただきたいというのが最初の1点と。

2点目に関してなんですけども、やはり今回の作業部会・6カ国協議の経過として家族会の各メンバーとしてだいぶやきもきした気持ちとか悔しいとか、私が言った歯がゆいという気持ちも持っているんですけども。
このタイミングで帰国された5人の方々が気持ちの部分だけでもいいので、何か発信をして欲しいと僕はとっても思っているんですよね。
やはりあの方々が2004年に帰国された時、あの方々がどれだけ自分が泣き崩れたのか?とても嬉しかったのか?と言う気持ちを考えた時に、その時に出会った気持ちと我々が今苦しんでいる気持ちと言うのは、色としてとても似ているものだと思うんですよね。

あの方々が日本国内の世論に何かを発信していただけるとなると私たちとしても心強いですし、日本の世論喚起と言う観点ではますます盛り上がるんじゃないか?と。
やはり先週ですかね。
安倍さんとお会いしたという報道もありましたけど、そういう受動的な動きじゃなくて5人の方々が、それなりに日本政府としてこうして頂きたいとか、こうした方が救助になりますとかという、別に何でもいいんです。
取り合えずなんでもいいんです。
要は公の場でつまりお話をしていただきたいなと思うのは、あります。

最後にお願いの3点目なんですけど、3点目に関しましては、ここの場でお話させていただく時に毎回言うんですけども、この問題に関して家族の方々や周りの方々に対して、特に私みたいな年代の方ですよね。
年代の方に対して少しでも良いのでお話をして欲しい。
世論と言う形で拡充をお願いしたいと思っているんです。
そこの部分をお願いするというのと、後ひとつ日本政府に対しても、皆さんの気持ちを言う部分で発信をして欲しい。
首相官邸のHPからでも結構ですし手紙でも結構ですので、そこで皆さんの気持ちとして、今回の作業部会がどうだったとか、こうした方がいいとかいう気持ちを発信して欲しいと思います。

この発信した内容が当然安倍さんなり首相官邸が考えることになりますし、それが世論として日本の政治を含んだ社会の中で世論と言うものがどういう形で動いていくものになるか?と思っております。
すみません、ちょっと短くて申し訳ないんですけど私からお伝えしたい事は以上です。
どうもありがとうございました。(拍手) 

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【北朝鮮亡命高官 黄元労働党書記の証言】共産主義社会

【北朝鮮亡命高官 黄元労働党書記の証言】共産主義社会

http://www.sankei.co.jp/kokusai/korea/070406/kra070406000.htm

  ~~Sankei WEBより、記録として保存~~

 日本の敗戦とともに朝鮮半島の日本統治が終わった。なお学問を続けたいという希望を抱いていた黄長●氏は、解放直後の首都ソウルにも行った。しかし、混乱がひどく、黄氏はわずかに滞在しただけで、平壌に戻る。こうしたなか、日々の暮らしの生活向上や統率を掲げて人々の前に現れた朝鮮労働党は、植民地時代と戦争の荒廃に疲れていた北朝鮮の住民に浸透していった。(ソウル 久保田るり子)

太極旗振りながら

 「様子をみようと1945年8月17日か18日、(徴用され働いていた現韓国東部江原道三陟のセメント)工場の労働者たちとトラックに乗り、太極旗を振りながらソウルに向かった。トラックには工場でわれわれを監視していた朝鮮人の刑事も乗っていた。それで仲間内で『あいつは朝鮮人なのになぜわれわれに敵対していたのか』という声が上がり『松林で刑事を殺してしまおう』ということになった。われわれの武器はナイフだが、刑事はピストルを持っていたので、(日本に従った刑事を殺すという)“抗日闘争”は実現しなかった」

 「(トラックで乗り込んだ)ソウルは混乱していた。私は8月20日に両親がいる平壌に戻った。23日には南北分界線(北緯38度線)を越えるのは自由でなくなってしまった。私は勇敢ではないから突破しようという積極性はなかったし、何より老父母がいた。行くところもないので母校の商業学校を訪ね、教師を始めた」

 「日本の軍隊に行ってきた大学生などは、日本の武装解除に動員され、威張っていた。平壌を占領していたソ連兵士は囚人部隊で規律などなく、話にならなかった。泥棒や婦女暴行は公然で、用心棒がいなければ一人では歩けなかった。のちに部隊は交代した」

一大転機

 「私の学校に毛沢東の根拠地、延安の朝鮮人部隊で独立運動をしていた人たちがやってきて、その一人が校長になった。校長が私にしきりに党(朝鮮労働党)に入れという。これからは党に入らなければ教師もできないという。46年11月16日入党した。2カ月後には学校の党書記になった。学校で2番目の地位だ。毎晩、区域党の会議に出た。集まりでは『ネズミをどういう風に取る』『火事をどう防ぐか』などを夜明けまで討議した」

 「教師は『知識分子』だから(共産主義については)自習するようにいわれた。私は区域党の命令を不平を言わずに伝達し、『積極分子』になっていった。ロシア語の講習会も作った。私は信用され、学校の党書記として認められて、党中央委員会の学校で勉強するよう推薦された。これは一大転機だった」

 「大衆は土地の没収に反対していた。共産主義社会には恐怖心も持っていた。私も半分、疑問を持っていた。利己主義もなく自分のためでなく、能動的に働けるのだろうかと。しかし、彼ら(党員)は、しきりに労働の質と量に従い配給、待遇も違うと宣伝した」

 「市場には新しい品物がたくさん出ていた。私に『日本人が悪い』という考えだったから、これから植民地の貧しい生活とは違う、皆が一緒に働き、裕福になるのだという未来があると思った。開放とは重しがなくなり背が天に伸びるようなものだ。それが実感だった」

●=火へんに華

(2007/04/06 )

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【北朝鮮亡命高官 黄元労働党書記の詳言】(3)祖国解放

【北朝鮮亡命高官 黄元労働党書記の証言】(3)祖国解放

http://www.sankei.co.jp/kokusai/korea/070405/kra070405002.htm

 ~~Sankei WEBより、記録として保存~~

 黄長燁・元朝鮮労働党書記は、日本統治下の1922年、現在の北朝鮮・平安南道で私塾を営む一家に生まれた。苦学して日本の中央大学に学ぶが44年、朝鮮に送還されて徴用工として終戦を迎えた。祖国が解放されたが、喜びより将来の国の行方を心配したという。混乱の中、人々の前に現れたのが、対日パルチザン闘争の英雄「金日成将軍」だった。(ソウル 久保田るり子)

座ったまま眠る

 「私は平壌にあった5年制の商業学校に学んだ。数学や物理学に興味があったが、色盲だから理工系には適していなかった。4年生のとき『このまま一生、人のカネを勘定するのか』と面白くなくなり商業学校もいやになった。苦学すれば日本留学ができると知り、(現在の東京都千代田区にあった)中央大学法学部の夜間部に進学した」

 「東京・神田の『主婦の友社』の隣に3畳の部屋を借りた。(現千代田区)九段坂の食堂で玄米ご飯とみそ汁が20銭だった。朝早く(同港区)芝浦の労働者が集まる事務所に行き、トラックに乗って荷役をすれば1日6円稼げた。船積みで1回だけ10銭もらったこともあった」

 「奨学生試験に落ち、授業は面白くなく、朝から晩まで図書館で自習した。哲学から自然科学書、儒教から宗教と手当たり次第読んだ。1日1回しか食べなかった。6カ月間、生米だけ食べたこともある。夜も座ったまま、平壌から持ってきた厚い木綿の布団をかぶって眠った。人生観をつかみたかった。人はなぜ生きるか。私の学問の出発点だ」

 「日本は滅びると考えていた。天皇中心制は必ず失敗し敗戦は疑いないと思っていた。だが、日本人の友人や個人的な関係では日本に対し悪い感情はなかった。苦学していれば労働でいろんな人に会う。ほかの人が盗んだミカンをくれたので、私も食べた。日本人の親方が来て皆のほっぺたを殴ったが、それでおしまいだった。さっぱりしたものだ。私の引っ込み思案の性格が完全になくなったのは、あの労働生活の収穫だと思う」

 「ある朝、警官がやってきて徴用で朝鮮に送るという。下関まで汽車で行き、小さな留置部屋に詰め込まれ、連絡船で釜山に帰った。私は(現韓国東部)江原道三陟(サムチョク)のセメント工場に送られ、徴用工として1年6カ月間働いた」

「将軍は偽物だ」

 「(1945年)8月15日、日本が降伏した。(玉音放送の)ラジオはよく聞き取れなかった。朝鮮は独立した。その翌日、三陟市内では大衆の集会があった。行くと白い服を着た朝鮮人がたくさん集まって『万歳』を叫んでいた。工場でも従業員を集め、会議を開き友人らが演説をした。私はただ聞いていた」

 「そのときの気分というのは、喜びというより心配が先に立った。『このように命を拾ったが、これからどうするのか』と。人々はしきりに『米国についていくべきか』とか『貧しいわれわれはソ連を模範にすべきだ』などと論争していた。私は、なぜ米国なのか、なぜソ連なのか、“他の国の服”を借りる必要があるのかと考えた」

 「10月14日、金日成将軍が運動場に現れて演説をした。(『金日成将軍』という名は、抗日パルチザン闘争での英雄として当時の朝鮮半島では有名だったが)多くの人が『あれは偽者だ』『若すぎる』と言っていた。私は関心がなかった。広場にも行かなかった」

ヨブ=火へんに華

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 【北朝鮮亡命高官 黄元労働党書記の証言】(2)妻への遺書

 【北朝鮮亡命高官 黄元労働党書記の証言】(2)妻への遺書

~~Sankei WEBより、記録として保存~~

 
 □自分のため家族は死んだ

 黄長●氏は亡命のため駆け込んだ北京の韓国大使館で、妻の朴承玉さんにあてて遺書を書いた。「わたしのために君や愛する息子、娘たちがひどい迫害のなかで死んでいくのだと思うと、自分の罪がどれだけ大きいかを骨身にしみて感じている」。だが、遺書は夫人の手には渡らず、亡命後に知らされたのは夫人と娘の死だった。(ソウル 久保田るり子)

一切話せない

 「家族には一切、話すことはできなかった。ただ、それまでタイプしてあった原稿がトランク2個分ぐらいあったのを焼却した。妻は『なぜ、焼き捨てるのですか』と聞いた。私はただ『必要でないからだ』と言った」

 「そのころは悲惨な状態だった。ある日曜の朝、台所に弁当を取りにいくと妻が食事をしていた。飯は少しであとは大根だった。私にはたくさん食べろといいながら、なぜ君の食事はそんなに貧しいのかと聞いたら、『あなたは人民の生活を知らないのです。この食事でも(豪華すぎて)弁当に持っていくことができない。他の人たちの弁当には草しか入っていないのです』という。妻は(社会階層が高い)外国向けの本の出版社に勤めていたが、状況は本当にひどかった」

 「3番目の娘のところに、平壌から140キロ離れた南浦から飢えで親を失った子供たちが、食料を求めて歩いてやってきた。私の家はとても大きかった。私の車が通れば道の警官らが敬礼をした。しかし、私は黙ってここに、これ以上いることは犯罪だと思った」

別れの時

 「1997年1月30日、家を出る時がきた。見送りに出てくれた妻が『いつお帰りですか』と聞くので、『2月12日ごろだろう』と言ったのが(妻と会った)最後となった」

 「北京にはわれわれが世話になった拠点があった。南朝鮮(韓国)の国家安全企画部(情報機関)だ。そこから南朝鮮に自分の必要品を送るように手配した。それから東京へ行き、(新宿の)京王プラザホテルに泊まった。私たちは日本で亡命するつもりだった。18階の部屋から朝早く5時ごろ下に降りていき、(東京の)韓国大使館に入る約束だった。ところが降りていくと、多数の日本の警察官だけでなく、朝鮮総連の保衛部隊が何重にも取り巻いており、ホテルを出て(韓国大使館へ)行くことは不可能だった。何日も待ったがダメだった。(なぜ亡命の約束が知られたのか)理由はいまもわからない」

 「私たちは北京に戻った。そのころ中国と金正日の関係は最悪だった。金日成の死後、金正日が中国の話を聞かなかったからだ。だが、北朝鮮と同盟関係にある中国が私を北朝鮮に送り返すかもしれない。そうなれば持参していた毒薬で死ぬつもりだった。(韓国の)安全企画部の人たちから『北朝鮮の国家保衛部(秘密警察)が後を付けている』と聞かされた。選択肢はなかった。われわれは急いで(北京の)韓国大使館に入った」

 「妻は自殺し、2番目の娘も収容所に送られる途中、トラックから飛び降り自殺したと聞いた。命がある家族も死んでいるのと同様だ。私は家族に最大の罪を犯したと、常に思っている」

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【北朝鮮亡命高官 黄元労働党書記の証言】(1)決断

【北朝鮮亡命高官 黄元労働党書記の証言】(1)決断

          ~~Sankei WEBより、記録として保存~~

ソウル市内で長時間インタビューに答える黄氏(久保田るり子撮影)
 北朝鮮を支配する朝鮮労働党の書記だった黄長●氏が祖国と決別し、韓国・金浦空港に降り立った1997年4月20日からまもなく10年になる。金日成、金正日という独裁者父子の側近の地位を捨て、黄氏はなぜ政治亡命を決断したのか。それを問い続けると、「核」を振りかざして国際社会を揺さぶる北朝鮮の実像が見えてくる。「証言」第2部では、黄氏が自らの体験から独裁国家の舞台裏を語る。(ソウル 久保田るり子)

大量餓死者

 「金日成が死亡(1994年7月8日)して、葬式が終わったあと、金正日は私に電話をかけてきた。『事態が変わった。助けてくれ』という。私は金日成への義理もあると考え、金正日に(今考えると)非現実的な希望も持った」

 「ところが彼の態度はますます悪い方向に向かった。軍事独裁は何倍も強化され、露骨になり、95年からは大量の餓死者が出始めた。この年コペンハーゲンで開かれた主体思想の会議に出ようとすると、金正日は会議に参加するロシア代表に『100万ドルを与えよう』といい出した。その人物が金日成の葬式で『金正日将軍の宣伝に協力する』と約束したという。私は『もう一度会って試しましょう』とやんわり拒んだ。自分のためには莫大(ばくだい)な外貨を使い、飢えた人民のことなど気にかけなかった」

 「金正日にへつらう駐スイス大使が『スイスには草だけ食べて大きく育つ家畜が多い。穀物は必要ない』と手紙を送ってきた。金正日は党中央委員会にこの手紙を『文献』として出し、各道ごとに草を植え牧場を作り、家畜を育成するように命じた。飢えた農民を見て『彼らはなぜはちみつを食べないのだ』と言ったロシア皇帝と同じだった」

 「私は欧州からの帰路に中国の北京で、ある人物を通じ、『金剛山を開放すれば入山料を出す。施設は全部、南朝鮮が担当する』という(韓国側の)相談を受けた。95年末のことだ。飢餓と経済難を救うには外貨獲得しかないと思った。金正日に金剛山開放の話を提起すると『案を作って送れ』というので、軍、内閣、観光総局の責任者らを集め相談した。みな賛成だった。国家保衛部が案内役を担当すると協力を申し出た。しかし金正日から返事はない」

 「金正日に一番近い者に聞いてみた。彼は『なぜそのような提起をするのか』と言って、しきりに戦争の話をする。『釜山までは進軍できるが、その後が問題だから(金正日が)決心できない』というのだ。私が建設的な意見を言っても一切、通じなかった。私は『もう、だめだ』と思った」

自殺も考え

 「北京の部下(一緒に亡命した朝鮮労働党傘下の貿易会社元社長、金徳弘)に自殺用の毒薬を持ってくるように頼んだ。このまま死ぬか…。しかし自殺したら家族がただでは済まない。朝鮮労働党の指導理念を管理してきた私が自殺すれば反革命だ。反逆者の家族となるからだ。だが、このままでは朝鮮民族はただの一人も金正日に反対する人間がいなかったことになる。それは民族に対する侮辱だ。家族なら他の人たちにも家族がある。自分の家族だけを考える場合なのかと思った。私は北京の部下にここ(韓国)の人たちと相談するよう連絡した。私は、この状態を南朝鮮に知らせるため亡命を決心した」

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2007年4月 5日 (木)

飯塚繁雄さんの訴え(大宮)

   日本再生フォーラム 第20回記念講演会
拉致問題を通して日本のあり方を考える・第9弾
               07.3.10 大宮JACKビルにて

『飯塚繁雄 家族会副代表の訴え』

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皆さん、こんにちは。
相変わらずこの問題について熱心なご支援を頂きまして本当にありがとうございます。
時間がありませんので私の方からは簡単にお話申し上げますけども、今石高先生の方からお話がありましたように、この拉致被害者家族会を立ち上げて、3月25日で丸10年になるわけですね。
この間紆余曲折、いろいろ情報の錯誤その他ありましたけども、全体としては全く進展が無いというふうに私は考えております。

一部5人とその家族の方が帰還されましたけども、これについては当初小泉首相が行ってくれたから帰って来られたんだという評価が一般的ですけども、我々としてはあの対応については非常に懸念を持っていまだにおります。
いわゆる北朝鮮の思惑に乗せられて、あれで幕を引くためにああいう形になったというようなことなんですけども。
それ以外は全く我々の拉致被害者に関する的確な情報と言うのは全く得られず、北朝鮮は相変わらずこの拉致問題は解決済みだというふうに言っております。
その中で今回の6者の協議につきましてはこれも全く結果が出ず、尻切れトンボになった形になっております。

一応政府としてはですね。
お互いの主張・お互いの立場を確認が出来たと、そういった判断をしております。
さらには立場が非常に大きく離れている事が確認されたと、そういった事を見て一定の意味があったというふうに言っておりますけども、それはなんなんだ?と私たちは考えるわけです。
この6者協議につきましても当初6者協議の枠組みの中でも、日本の拉致問題を考えるという条件付でこの作業部会が出来たわけですから、そういう意味では拉致問題と言うのは必ず作業部会のメインテーマになるはずだというふうに我々思っておりました。

しかしながら北朝鮮と言うのは、先ほどから出ているように全く勝手な自分の都合の良い事しか情報を出さず、そういた立場なり意見を言うだけで、いわゆる取り付く島が無いという今状況ですけども。
ソン・イルホ、これが会談の後に言ったことですね。
若干・・・(聞き取れず)いましたけど、やはり相変わらず「拉致問題は解決済みで日本の立場は決して受け入れる事は出来ない」と、これがある以上協議になりませんよね?

さらには日本がこの問題について要求している拉致問題の再調査についてはですね。
「過去の清算を開始しなさい」と、それから「経済制裁を撤回しなさい」と、「朝鮮総連に対する弾圧を中止しなさい」と、こういった事を睨みながら要するに「過程を見ながら考慮しますよ」とこういう話なんですね。
いまだに言っているように拉致問題は解決済みだと、もし残っている問題があるとすれば横田めぐみさんの遺骨の返還と保存状態の確認。
それから鑑定した時の真相究明と鑑定をでっち上げた本人の処分という事をしなさいとかね。

こういった事を考えて協議を中断したのは、日本の今回の協議態度は平壌宣言の精神、6者協議の共同精神の精神に反するからであるという様に言っている訳です。
それから「今回相互の間で合意はなくて立場の隔たりが大きいことが分かった」と、「作業部会の日程もこれでは決められない」というように言っています。
それから「日朝平壌宣言に則りお互いに前進していかなければならない事は確認した」と。
「日本に対して2002年の平壌宣言の誠実な履行を要求する」と言う一方的な会見の内容でした。

これを見てですね。
これを聞いて我々は憤慨したわけですね。
何たることだと、けしからんと憤りを感じながら先日も記者会見をやったんですけど、こういった北の態度が改めない限り、この状況は進まないだろうというふうに私たちは思っております。
こういった北朝鮮のしたたかさ、どうやったら自国に有利なような形で解決が進んでいくのか。
どうやったら巨額の支援を取り上げられるのか?
そういった事を前提とした戦略なんですね。

ですから日本としても北に対する態度は変わってませんけど、若干内容的に見ると協議の雰囲気と言いますか、日本としては怒っていないような雰囲気がちょっと感じられるんですね。
普通でしたら、こういう事を言われましたら当然机でも叩いてですね。
強引に、冗談じゃないとお前たちがやっている事をすべて悪行も明らか。
世界も認めている、日本も当然そう思っているというような形でですね。
もっともっと強行に当たっていかないと、またずるずると北朝鮮のペースにハマっていくというような心配が感じられます。

まだまだ日本政府としてはこれからこの問題については、前向きな対応を引き続き求めていくというふうに言っておりますけども、こういうふうな北のコメントがある以上は、どこからこの協議の糸口を掴んでいくのか?
この辺が全く難しいと考えています。
これが始まる前から、一気には解決しないだろうという心配はありましたけども、まさにその通りになって、この問題に対する解決の糸口と言うのが、また分からなくなって来たというふうな所なんですが。

これに対してアメリカに対して我々は支援をお願いして参りましたけども、いわゆるアメリカも若干ぶれてきまして、経済制裁、要するに銀行の口座を開くような動きをしてます。
一部もうそうなっていますが、さらには北朝鮮をテロ支援国家としてはっきりと今まで名指して言っておりましたけども、これを解除するような動きを開始するというような発言もしています。

しかしながらヒル代表、あるいはさらにアメリカの中枢部の話を聞きますと、これはテロ支援国家の指定を解除するには日本の拉致問題の経過を見ながら判断すると言ってくれておりますので、すべてアメリカがこの問題については投げ出すという事はまず無いというふうに私たちも思っております。
いろいろ難しい状況ですけども、先日、この結果6者の協議を受けまして、私たち家族会としても緊急声明、ちょっと早口で読み上げますけども。

・・・・・

本日、6者協議合意にもとづく日朝作業部会がハノイで開催された。
午前中の協議では当然、日朝間の最大の懸案である拉致問題が話し合われた。
ところが、北朝鮮側が約束されていた午後の協議を一方的に拒否してきた。
私たちは、すべての拉致被害者を即時に家族のもとに返せと、強く金正日に求めてきた。
ところが、彼らは今回の協議でも被害者を家族の元へ帰国させる約束をしなかったばかりか、午後の協議から逃げた。

北朝鮮は拉致に関する協議を拒否し、日本が孤立しているという印象を作り出そうとしているのだろうが、金正日政権が横田めぐみさんら多くの日本人、そして、タイ、韓国、中国、レバノン、ルーマニアなど世界中から何の罪もない市民を拉致し抑留し続けていることは、すでに国際社会で広く明らかになっている。
昨年の国連総会決議でもそのことは明記されている。孤立しているのは金正日テロ政権だ。
私たちは、今回の北朝鮮代表の不誠実きわまる協議態度を強く糾弾する。
また、日本政府は昨年10月に決めた方針通り、北朝鮮の不誠実な対応に対しては制裁強化で応じるべきだ。

・・・・・

と言うような、短いんですけど声明を発表しております。
私たちはこの問題については絶対に諦めるわけには行かないわけですから、当然アメリカのブッシュ大統領にも手紙を出して先ほど言いました、この・・・(聞き取れず)文書の国際テロリズム年次報告書の中の北朝鮮をテロ支援国家に指定している理由は今入っていますけども、これは絶対に外さないようにというお願いの手紙を出しております。
周りの状況を見ながらこの問題どう進むか?心配ですけども、やはり私の思うに日朝の協議がどのように進んでいくのか?
どのように進展していくのか?と言う事が確認されながら、米朝の話し合いがそれに絡み合って進めていくというような形が良かったんでは無いかと思うわけですけど。

何か心配なのは米朝で核の問題中心にどんどんどんどん進んでいってしまって、日本の拉致問題を含めた日朝協議が置いてきぼりにされて来ては困ると、言うような懸念もしております。
従って私たちは、この問題についてはもっともっと安倍総理が本部長となっている拉致問題対策本部、これの強力的な動きをさらに要求していきたいと思いますけども。
それにつきましてでもですね。
対外的な日本の印象と言うのは、まだまだ弱いと思います。
というのは確かに安倍総理がこの拉致問題をかかっておりますけども、私感じるに果たして日本国、あるいは日本国民全体が一枚岩となってこの拉致問題を突き進めて行こうとしているのか?
その辺が少し心配であります。

それに比較して安倍総理に支持率がどんどん落ちているという話も聞いておりますけども、何かそういう意味では足を引っ張るニュースと言うか情報と言うか意見と言うか、そういうのが出て来ておりまして。
例えば国会の中でもですね。
こういった問題は自民党だろうが民主党だろうが社会党だろうが、絶対あってはならない問題だと解決しなければならない問題だという事を、本来これは基本的な人権問題で日本の国民の安全を守るものですから当たり前の話なんですが、中々それが一枚岩になって外に出て行かない。
制裁に対するメッセージもそうです。
それから先ほど言った世界各国についてもそういったイメージを与えているような気がいたします。

従って私たちはもちろん家族の奪還を目的・目標にして動いておりますが、前から言うようにこの問題と言うのは2度とあってはいけないというような大きな狙いの中で、この拉致問題がどういう伸展の仕方をしていくのか?
どういう結果で集結するのか?
心配でありますけども、そういう意味では我々少人数の認定された家族だけではなくて、先ほどもあげました特定失踪者の方々、まだ認定されない方々もたくさんいます。
そういった人たちも一気に解決できるような、戦略・戦術を使ってですね。
強力に推し進めていただきたいというふうに心から思っているわけです。

北朝鮮が今まで、最初は拉致をしごめんなさいと謝ったこともありましたけどそれはある程度偽造した手で、今は拉致問題は解決済みだという事でそれを崩さない。
これを崩すという事は今までの北の発言なり立場なり、あるいは情報なりがすべて失せてしまう。
もう一回ごめんなさいと謝るしかないわけですね。
果たしてそういった場面が来るのかどうか?
それと大韓航空機の事件は北の謀略・策略だったということで、はっきりと認めるのかどうか?
すべて北の悪いところがさらけ出されるのは、この拉致問題の経過においてはあるはずです。

従ってそういう事を考えますと全く予断を許さないし、まだまだ時間がかかるなぁと言うふうに思っております。
しかしながら、我々皆さんも含めてこの問題については絶対諦めるわけにはいかない。
国としても政府としてもこの問題は最優先でやるという方針ですので、私たちとしては安倍総理を極力支援してですね。
皆さんの声も、あるいは他の方の意見もそちらに集中出来るように、何とかお願いしていくという事も含めて更なるこの解決に関する活動は続けていきたいと思っています。

しかしながら先日横田代表もちょっとまた入院しましたけども、早紀江さんも体調が悪くて中々出られない状況になっておられますが、これも長い間家族の願いを思いつつ、「自分の娘が帰ってくるなら私が代わりになってもいいよ」というそういう気持ちで続けられてきてきた少し現状だと思うんですけど。
しかしながら実際倒れるまでは活動していこうと言う我々の確認も取れてます。

そういった中で更なる皆さんへのお願いをこれから進めてまいりますが、今日これからまた東京集会なんですけど、明日の救う会として全国協議会の幹事会が総会が開かれまして、今後どうして行こうかという方針等を決めて対応・活動を考えていきます。
多分その中でも今言った活動については、我々に出来ることならすべてやっていこうというような覚悟でこれからやってまいりますので、また皆様の相変わらずのご支援をよろしくお願いします。
どうもありがとうございました。(拍手) 

TITLE:蒼き星々 掲示板(サブボード)
DATE:2007/04/05 00:56
URL:http://8229.teacup.com/blueribbon/bbs

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2007年4月 3日 (火)

続いて、南の元属国・ベトナムから中国を通して北の現属国・北朝鮮を考える

演算の声さん投稿

投稿日2007年3月31日

続いて、南の元属国・ベトナムから中国を通して北の現属国・北朝鮮を考える
 
 
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   【民族と国境】
もし我々と同じDNAと文化を持ち日本語を話す「大和族」が国境を越えて朝鮮半島や大陸のあちこちに存在したら、我々の民族意識も少し違ったものになっていたのではないか。

ベトナムの主要民族であるキン(京)族は、中国南部、ラオス、カンボジア、タイにも分布しそこでは「少数民族」として暮らしている。一方、ベトナム国内にも50以上の少数民族がいて、その中には華族、タイ族、クメール族などが含まれる。民族分布は必ずしも国境とは一致しない、それがむしろ当たり前なのだが、国境と民族と言語の分布域が三つともピッタリと一致してしまう世界的に稀有な日本民族にその感覚は理解しにくい。

タイ・ミャンマー国境付近に暮らす山岳民族カレン族の場合のように、平地マジョリティー民族が勝手に引いた国境線によって山岳部マイノリティーたちは分断されしばしば紛争に巻き込まれる。アンデスのプーノ地帯に棲むリャマの群れはペルー・ボリビア国境をノービザで自由に往来していたし、中央を国境線がとおるチチカカ湖に棲むニジマスもフラミンゴもパスポートは持っていない。最近まで紛争地だったチリ・ボリビア国境帯には地雷踏んで片足になったアルパカがいるが、群れ単位で自由に暮らしてきた彼らにとって国境はハタ迷惑もいいところだ。

【殺されずに消えゆく少数民族たち】
私がベトナム北部の中越国境地帯を初めて訪れたのは今から十数年前のこと、ハノイから山道を三日がかりでたどり着いた深い山あいの交易市場には、様々な民族衣装が混ざり、少数民族たちがそれぞれの個性を主張していた。男も女も眉毛と頭髪を剃る風習のある部族の奇異な風貌は今も強く印象に残っている。しかし今回出会った彼らの幾人かは頭にスカーフを巻きそのスキンヘッドを隠していた。開発による道路・情報網の発達とともに文明浄化が山奥まで押し寄せ、外来文化への同化・均質化がこのまま進めば、閉ざされた山奥ゆえに守られてきた少数民族のその特異性も消えてゆくのだろう。

【中越戦争】
1979年2月17日、20万人の人民解放軍兵士と300機の戦闘機が中国から国境を越えベトナムに攻め込んだ。しかし、長年にわたる対仏・対米戦争で実戦経験を積みソ連製近代武器を備えたベトナム軍は、旧装備で人海戦術だよりの中国軍に深手を負わせ追い返した。中越国境での武力衝突はその後10年続き、両軍合わせ数万人が戦死し、ベトナム住民も1万人が犠牲になった。中越国境が画定したのは2000年代に入ってからである。ベトナムは中越戦争の謝罪を中国に要求しているが中国側は「カンボジアに攻め込んだお前が悪い」と拒否している。ハタからみれば「カンボジア人民を苦しめるポルポトを懲らしめるベトナムを中国が懲らしめようとして反対に懲らしめられた」という按配だが、それまで「化外(けがい)の民」として見下し属国扱いしてきたベトナム・キン族に負けた中国・漢族首脳のショックは大きく、これを機に中国は軍備増強・近代化を推し進めることになるから、中越戦争は日本の安全保障環境にも重大な影響を与えたことになる。

【今とこれから】
中越戦争の背景にはソ連(-ベトナム) vs 中国(-カンボジア-北朝鮮)という中ソ対立構造があった。米ソ対立の代理(ベトナム)戦争のあとに中ソ対立の代理(中越)戦争じゃ、なんだかベトナムは代理戦争ばかりやらされたようだが、自分の立ち位置は一貫してブレていない。先日のハノイ日朝協議も場所提供ついでに日越政府間協議も行われ自国利益もちゃんと押さえている。

この国にも裏世界はある。中国人ほどドギツくないが、共産党独裁の社会主義体制であり地方政治は地元の共産党組織「人民委員会」が支配し、党の同意が無ければ何事も進まない。膨大な援助と企業投資が進む中で党関係者や役人たちの袖の下も広がっている。中国に嫌気がさしてここに逃れてくる日本企業も多いが、この国の本質は中国と大差ないのかもしれない。仏・米・中を何年もかけ執念で打ち払った国だ、したたかでないはずがない。ある商社は「この1年で日本人駐在員7人のうち過労で3人倒れた」と言っていた。

我々がベトナムを「中国よりマシ」と感じるのは、人当たりが柔らかく温厚・真面目(そう)で、親日的な面があるからだろうか。じっさいベトナムでは外国の中で日本人の評判が一番良く、韓国人はまあまあ、中国人は嫌い、アメリカ人に対して年配者はまだ反感が残るが若者はこだわらずにコカコーラも飲む。

ベトナムが他の独裁社会主義国と違う点がある。これまでにスターリンや毛沢東、金日成のような独裁者を出していない。独裁集団はあってもその集団内部でゴニョゴニョ話しながら進めるのがこの国の伝統的やり方であり、ややカリスマ的だったホーチミンも独裁権力を有したことは無く、一時期失脚しかかったことさえある。

強烈な個性は無くとも、自分たちの民族性に根ざした自分なりのやり方で、ベトナムは粘り強く着実に歩みを進めてきた。もつれた対中関係を1992年に修復し、米国とも1995年に国交樹立、同年ASEANに加盟。もともとASEANは東南アジアの防共目的に設立された協定であり、社会主義国ベトナムの参加は驚きをもって受け止められた。

そして今年2007年1月11日、ベトナムはWTOに加盟した。本当のドイモイはこれから始まる。

【そして我が祖国日本】
東南アジアの少数民族の多くは自分の国さえない。朝鮮民族も同じ、古代から中華の属国で今も民族は二つの国境で三つに分断。やたらこっち(大和)を向いて吼えたがる彼らの背後には中国という悪魔のような国を抱えている。海に囲まれ中国と国境を接しなかった自然の恩恵、幸運を我々は感謝したほうがいい。

アジアにはいま、欧米世界に伍す経済・政治力を持つ大国が二つ存在する、日本と中国。その大国の周りに散らばる小国、その小国の狭間で自分の国すらもてない少数民族たち、彼らは中国と日本二つの大国の様子をじっと見ている。幸い、我々日本には(力無くとも心情的な)味方が多い、今はベトナムでさえ日本側にいる、我々は自らに恥じぬ態度で地道に臨めばよい、中国とその属国北朝鮮へのボディーブローは確実に効く。

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まず、ベトナムを考える

蒼き星々掲示板メインボードより

燕山の声さんの投稿より
まず、ベトナムを考える

 
  投稿日: 3月31日(土)
 
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  【ベトナム戦争と日本人】
「また戦争が始まったのう・・・」と親たちが話していたのを覚えている。私が幼稚園の頃の記憶だ。太平洋戦争の終結からまだ20年足らず、朝鮮戦争から10年、当時は「また始まった・・・」と感じるくらい、戦争の記憶がまだ生々しく残っていたのだろう。私の小学校時代はベトナムのニュースといえば戦争だった。ベトコン、北爆、テト攻勢、ベ平連などの言葉は小学生でも知っていた。その戦争が終わって30余年たつ。

対仏独立戦争(第1次インドシナ戦争)に続く対米戦争(第2次インドシナ戦争)が終わり、北軍がサイゴンを占拠、国家統一を果たした後もベトナム人たちはしばらく西側の援助は受けられず(もちろんアメリカは論外)、カンボジアに侵攻して世界から孤立し中国の侵略とも戦い(第3次インドシナ戦争)、戦争で荒れた国家基盤を苦労しながら整えていった。社会主義計画経済の挫折から、全方位外交と市場経済を二本柱とするドイモイ路線に転じ、旧ソ連の影響を抑え、中国、米国とも国交回復した1990年代半ば頃から経済は急速に発展し、今では周辺のアジア諸国とさほど変わらない、まだ決して豊かではないが平穏な自分たちの国を、ベトナム人たちは手に入れた。

最後の宗主国ソ連(ロシア)との関係は今も残るが、政策的影響は殆ど無い。ドイモイ政策で経済が急速に成長する中で、昨年度のベトナムの最大の貿易相手国はかつて殺しあった米国と中国、ついで日本と韓国だ。米国との経済関係は今、貿易摩擦が生じるほどの"深い仲"にある。その対米貿易をウラで支えているのが、かつて難民(ボートピープル)として国土の赤化占領から逃げ出した越系米国人(越僑)たちだ。時代は変わった。今もベトナムは共産党一党独裁体制であり、最終目標が社会主義国家建設設にあることに変わりはなく、目標達成の方便としてドイモイという市場経済政策を一時的に取り込んでいるにすぎない。

しかし、社会主義体制だろうがドイモイだろうが、そういう政治体制の前に、ベトナム人はいつもベトナム人だったとういうこと、対米戦争に限らず抗仏独立戦争時代も対中紛争でも、彼らは彼ら自身であろうとして大国の思惑に抗ってきた。古くは秦・漢への反乱に始まり二千年以上も続いてきた民族独立への戦いと執念。対米戦争でも彼らはアメリカ人が憎かったのではなく、ただ自分たちの国家が欲しかったのだ。長い戦火の記憶は薄れてしまったかのように今は街頭にのんびりとたむろする人たち、一見大人しそうな彼らの気質の中に垣間見る強さとしたたかさ、それが彼らの抵抗運動を支え続けてきたのだろう。

彼らは自分たち自身の国でありたかっただけ、そう思ったとき、今から40年前の日本の一部に線香花火のように一時的に燃え盛り落ちていったベトナム反戦平和運動、あれはいったい何だったのかと考えた。

パリ協定で1973年に米軍が撤退した時私は中学生だった。本来なら喜ぶべきベ平連の事務所が閑散として、小田実が憮然とした表情でテレビインタビューに答えていたのが印象に残っている。彼らはベトナムの反戦平和を謳いながら、ベトナム人の独立へ賭けた思いを何も理解してなかったのだろう。"奴隷の平和"を拒否し民族独立のために抗仏戦争を始めたのはベトミンのほうなのだから「反戦平和」とはむしろ仏帝・米帝の言い分だろうに。本当にベトナム人と連帯したつもりなら、米軍を追い出した後の彼らの建国の苦闘を日本の反戦平和学生たちは何かサポートしたのか、そして今何をしているのか、ジジイバンドで反戦歌のノスタルジアに酔う前に。

ニッポンというタコツボの中にいた彼らは米帝・日帝と佐藤政権を批判したかっただけ、米軍に虐殺されるベトコンや農民たちは格好のダシであり、逆にベトコンに捕まり一族まとめ処刑されるサイゴン市民は無視した。ベトナム人たちは日本のそういうタコツボサヨク運動を知らず興味も示さぬ。タコツボのヌシは対米戦が終わったベトナムには背を向け北朝鮮に入れ込んで腐り、堕ち、廃人と化した、これが、頭から入ったタメにする日本的政治運動ごっこの限界だった。

ベ平連の名を知らずとも、1945年8月15日の敗戦とともにホーチミン率いる抗仏独立闘争に火器弾薬を携えて合流し農民兵を訓練しベトナム独立のためにベトミンと共に戦い散っていった多くの残留日本兵たち「ニッポン・ベトミン」のことをベトナム人は忘れず、1986年には8人の元日本兵がベトナム政府から表彰を受けた。いま日本の防衛大学校には十数人のベトナム留学生が在籍している。

日本人はあのベヘーレン的視点から卒業できたのか、自らを総括し、変わったのか。世界中からの情報伝達が質・量・機能ともに桁違いに発達した今日でさえ、イスラエルとヒズボラの戦いを、グローバリズムと南米の左派政権の相次ぐ誕生を、反米二項対立構造に帰納して満足する論評が目に付く。しかしプロの社会評論は民青学生のレポートではない、現実社会は正も負も虚数解もある多項対立構造高次方程式であり簡単ラクチンには解けぬ、「民族・国境を越えた連帯」は言うは易しく美しく、行なうは困難で醜い、それは40年前のベトナム戦争当時も同じだったはずだ。

ベトナムの過去を辿り今の姿を見て感じるのは、日本のこと。世界を語る前に、我々はこれまでそして今、如何にして如何なる日本人であり、あろうとしてきたのかということ。私が外地で他民族と接し、しばしば否応無く意識し考え込まされるのは、彼らとの相対化の中で浮かび上がる自分自身の姿、自分の中の日本人の姿と、そのあり方である。それが定まらなくては答えも考えも定まらぬ、式の解はいくつもあるのだから。

【ベトナム戦争とベトナム人】
あの対米戦争は善が悪に、正が邪に、労働者が資本家に、ベトコンが米帝に、社会主義が資本主義に勝ったのではなく、ある意味で、「北部ベトナム人が南部ベトナム人に勝った」のである。南北に細長いベトナム国土の長さは1600km、日本の津軽半島から大隈半島までの距離に相当し、北部(トンキン:東京)と中部(アンナン:安南)と南部(コーチシナ:交趾支那)とでは気候条件だけでなく、住む人の言葉・風貌とともに気質文化が大きく違う。ベトナムは南北二つ、あるいは南中北三つの国でできているといってよい。

対米戦争のさなか、劣悪な条件下で戦いを続けた北軍将兵らを支えていたのは「義務感と名誉」だった。特に決まった作業を一定時間ずっと継続することにおいて北部の人たちは南部よりも優れているという。北軍の兵士は最後の一人になるまで投降しなかったが、南軍は誰かが逃げるとみんな雪崩をうって逃げ始めて布陣が壊れ米軍が大損害を被ることがよくあった。北の気質は南よりも間違いなく戦闘にむいていた。南が米韓の正規軍を直接大量投入したのに、北は中ソからの武器供与だけで足り、そして勝った。イデオロギーによる南北分断は20年間だ。それよりも長い30年間の社会主義統一体制を経た今も南北の差は変わらない、いや、イデオロギー分断のはるか昔から、南北の民族差異は顕著だったのである。

今も進出企業の労務管理の心得のひとつが「サイゴン(南)は給与、ハノイ(北)は名誉」。南は如才なく融通が効き商業に適し、北は官僚的だが精密さを要する機械産業は北部への進出が望ましい。

戦争当時日本のマスコミ等で多用された「"同じ民族"が敵味方に別れ殺しあう悲劇」という表現も恣意的と言える。南部開放の立役者ベトコンは統一後に北の社会主義政府から冷遇、弾圧された。東西冷戦構造の代理戦争の意味合いは確かにあったがそれもひとつの側面に過ぎない、戦いの主体はベトナム人だった。紀元前からさまざまな強大帝国主義を相手に2000年間戦い続けてきた彼らを、20世紀限定アブクのような東西対立構造のコマのひとつに扱うのは失礼である、現に彼らは東西の双璧国相手に冷戦終結後の今も経済戦で"戦って"いるのだから。

この南北の気質差を生み出した背景の一つとして、1000年以上続いた中国の侵略・虐殺が北部に偏っていたことが関係しているかもしれない。

【漢の侵略】
紀元前1世紀、漢からの侵略支配で夫を殺されたチュン夫人は妹とともに蜂起、象部隊を率いて漢軍と果敢に戦うも力尽き二人とも殺された。それから1000年にわたりベトナムは中国歴代王朝の支配下に置かれることになる。その間もベトナム人たちは何度も反乱蜂起するが悉く潰されていく。遣唐留学生で科挙に合格し唐の官吏となった8世紀奈良時代の日本人阿倍仲麻呂も安南総督としてベトナムの反乱鎮圧にあたっている。チュン姉妹は今も国民の人気が最も高いベトナム抗戦史上の英雄であり、ハノイ、サイゴン(ホーチミン)など各地の街路に「ハイバーチュン(二人のチュン夫人の意)通り」の名がある。

【ベトナムの元寇】
ベトナム史上最大の国難は13世紀における元寇であった。宋を滅ぼした元は東海の日本、そして南へ地続きのベトナムへ狙いを定める。日本の元寇は二度だったがベトナムは三度やられた。1274、81年の文永・弘安の役を二度とも嵐で潰されたフビライは日本進攻をあきらめ、標的をベトナムに絞り体勢を立て直し、1287年に三度目のベトナム攻撃を仕掛けた。迎え撃つ越版北条時宗、チャン・クォック・トアン司令官率いるベトナム軍は、首都(ハノイ)を陥されながら巧妙に権謀・術策をめぐらして反撃に転じついに元軍を殲滅・撃退、かくしてチャンは救国の英雄となる。 

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異文化民族との付き合い

燕山の声 さんの投稿 

   投稿日: 3月12日(月) 

異文化民族との付き合い
  
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先日中国のとある地方都市の食事の席で、その市の党書記が皿のひとつを指差し「何の肉だか分かるか?」とニヤついて私に聞いた。私が「イヌだろ」と平気で食べながら答えたら、彼は少し意外そうな(がっかりした)顔。これまでことさら卑屈に驚いてみせる日本人の反応を楽しんできたのだろうが、今回は残念ながら相手が悪かった、これまでにヘビもワニもピラニアもダチョウもラクダもアルパカもモルモットもアルマジロも食べてきた私は、イヌ肉も珍しい食材の一つにすぎない。添付写真はハノイ市内、先週の日朝協議会場近くの市場にある犬肉売り場。(いま再びワケあってベトナムにいる。ここより海寄りのハイフォンの市場ではこのワン肉にニャン肉も加わる)。

犬はフィリピン、韓国、中国など東アジアでは昔から広く食されてきた。「羊頭狗肉」という言葉もある。日本だって昔話カチカチ山のタヌキ汁のタヌキはイヌ科だし、タヌキが殺した婆さんの人肉を爺さんが(騙されたとはいえ)食べてしまったというオッソロしい話だ。

民族相互理解・尊重の進んだ現代社会では他民族の食文化を自国文化の基準では評しないのが国際マナーのひとつ、せいぜい「これは私の口には合いません、食べたくありません、お願いだから私の口に押し込まないでください、吐きますわよ」とまでは言えてもヨソんちの台所に押しかけ相手に向かって「食うな!」とは言えぬ。その国の主食が人肉なら出された人肉を私は食う、そのかわり彼が日本へ来たら礼としてホヤと鯨刺でもてなす。相手を尊重するとは、相手におもねることではない。

(ちなみに、フランス・シャルルドゴール国際空港税関の「持ち込み禁止品展示棚」には武器や麻薬、希少動植物・昆虫の剥製と一緒に、日本製「くじらの大和煮」の缶詰が並べて置いてある)

               *

>世界中の反日の人たちに問うてみたい。/sauberさん

世界レベルでは好日・尊日・親日が主流ですし、反日・嫌日の人たちも実際に(現在の)日本人と付き合う中で親日に変わる人たちのほうが(その逆よりもずっと)多いので、ご心配なく。隣国の国民と仲が悪いのは珍しくもないし、己れの義を守るためには“嫌われる”覚悟が必要な場合もあるでしょう(人間関係も同じ)。人目を気にするのは日本人の特性の一つですが、それは美点であり弱点でもある。

どうにもタチが悪いのが日本人の中にいる反日でしょうか。この「反日日本人」というのは海外の反体制・レジスタンスとも違う、不思議な存在です。中国人と付き合い始めて最近気づいた、彼らの意識の根底に流れる「華人社会」と「中国公民」の意識の関係をひっくり返すと、反日日本人意識の正体が見えてきそうな気がしていますが、いずれ少し整理してみたく。 

蒼き星々 北朝鮮に拉致された被害者と家族を支援する人の集う掲示板 メインボードより

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2007年4月 1日 (日)

石高健次さん講演-(1)

2007年3月10日、大宮で行われた
日本再生フォーラム 第20回 記念講演会
拉致問題を通して日本のあり方を考える・第9弾

第1部 講演
演題:私は、こうして横田めぐみさん拉致を突き止めた!
~拉致事件を掘り起こしたジャーナリストが語る真実と今後の展開~

上記の講演内容を録音からテキストしましたのでご紹介します。
尚、このテキスト化に当たっては石高健次さんの了解を頂き、ご本人に確認していただき、校正していただいております。

拉致発掘の原点を語るもので、石高さんご本人により丁寧に校正されて、読みやすくなっています。
 
 この中で、石高さんは、原点での政治家の無責任、官僚の事なかれ主義が、拉致解決を阻んできたと語っています。そして日本には牙がない と。
 
 私たちが乗り越えなければならない壁を認識すること、日本が正当な牙を持つべきだ という論を世論全体が共有することが絶対に拉致解決には必要だと思いました。
 
 
 
  みなさん、こんにちは。(会場から こんにちは!の声) 再生フォーラム方に、去年(12月北朝鮮人権週間のとき 参照「映像とシンポジウムで語る北朝鮮」)に、埼玉、彩(さい)の里で幾つかのシンポジウムがありまして、取材にきました。その際の懇親会で、『一回講演で来ていただきたい』という話がでました。『3月だ』と。『だいぶ先の話だなー』とこっちは目先のことに追われる毎日なんで、先のことだなーと思っていたんですが、今年に入って、竹本さんから電話がかかってきました。その電話に非常に力が込められていまして、『これはもう、3月の今日の10日はいかなくてはいけないな』と思って参りました。石高です。どうぞ宜しくお願いします。(拍手)
 
  私は一(いち)ジャーナリスト、一記者ですので、いろんな日本の外交、政治のこと、専門家ではございません。ただ、マスコミの一端におりますので、社会に埋もれた事実を発掘して、不特定多数の人に、それを知ってもらう、そういうことで、もう、32年ほど記者をやってきました。今、拉致問題というのは、厚い壁にぶつかっています。横田めぐみさんの拉致を突き止めて、報道したのが、ちょうど、10年前です。10年経って、まだ先が見えないときに、原点に返ってもう一度考えてみるというのも、大切ではないかと思いまして、その原点で、動かせていただいた私の話が、何かの、みなさんの力づけなり役に立てばと、そういう気持ちで大宮に参りました。
 
  ジャーナリストというのは船でいうと、ウォッチといいますか、ブリッジの上にいて前方周囲を監視する。双眼鏡を用いたり肉眼で見たり道具を駆使して、船が進む前方に何があるかを、しっかり見る役割なんですね。船を操船するのは船長なり機関士がおります。いわば、船長が今は安倍総理で、私なんかは、右の方になにか氷山の固まりがあれば、タイタニックみたいにならんように、『右の方にあるぞ』と言ったり、左の方に、何か、狭い浅瀬があるようだったら、それを知らせる。船長は、うまく船を操って、ぶつからんようにするのが役割。 そんな仕事の中でいろんな偶然から、横田めぐみさん拉致というのを突き止めまして、世の中に知らせたわけです。
 
  それが船長=総理大臣はじめ政治家の知るところになったんですが、未だに先が見えない。めぐみちゃんが生きているのか死んでいるのか、北が死亡と言った8人の状況が全くわからない。向こうには、おそらく100人を超す拉致被害者がいるであろうと思います。彼らも含め、どう解決して良いのかということがわからない。 今日は、拉致問題の発端の最初の話。どうやって、めぐみさんの拉致が出てきたのか、その時の日本の政治、あるいは外務省、警察官僚たちはどうだったのか。その原点の話を、まずさせていただきます。その後、今の状況、これから一体、どうしたらこれは解決できるのかという、そういう内容で、私なりに話をさせていただきます。
 
  世の中が拉致というのをはっきりと認識するのは、2002年に小泉総理が平壌に行って、金正日がそれを認めて、謝ったあの時からだと思います。まず拉致された被害者本人5人が帰ってきて、日本の人は、ほとんどが『あ、拉致というものが本当にあったんだ』というふうに、気づいたのだと思うんです。 実は、私が拉致を頭の中で意識して、これがあるのかないのか。拉致というのは、いったい何のために行われるのかと。全くそういうことがわからない状態で始めたのが、94年なんです。
 
  97年、めぐみちゃんにたどり着くまでは、本当に、<孤立無援>と言いますか、全く誰も振り向かない状態で、取材をしておりました。その一番とっかかりが、91年。日曜朝の「サンデープロジェクト」が、89年に立ち上がって、その当時、特集コーナーのスタッフをしておりました。今は、担当ははずれておりまして、さっき紹介の時に、前に出した本に書いてあったからそういわれたのでしょうが、その点、訂正させていただきます。 まさに、正にこのサンプロがはじまった2年後の91年、最初の北朝鮮による核疑惑というのがおきたんですね。寧辺(よんびょん)というところで、フランスの偵察衛星が、核研究施設を撮って、それを解析をしたら、やっぱり核開発をやっているじゃないかと。
 
  91年にソウルに取材に行きました。何故かと言いますと、その当時、公(おおやけ)に表に出ていました、北朝鮮政府の一番の高官、高英煥(コヨンファン)という、アフリカのある国の書記官だった人が亡命してソウルにいたんです。当時は“脱北”という言葉もなかったと思います。亡命者という言い方をしていました。この人なら何か知っているだろうということで、インタビューに行きました。 これは笑い話のようなんですけれど、非常に極秘で進められているはずの北の核開発というのが、ある部分、秘密が漏れて、口コミで伝わっているという風なことを、彼は言うんですね。科学者たちはもちろん厳重な監視の下に、アパートに住まわせられている。
 
  しかし、家に帰ってご飯食べながら子供にしゃべる。子供がそれを学校でしゃべる。そういうのからどんどん広がっていって、『あ、あそこは、ああいう人が住んでいるんだ』と。そうして広まっていった。さらに、彼が外務官僚として知りうることを聞きました。こういう亡命者を保護管理しているのは、今の国情院、当時の国家安全企画部、いわゆる韓国の情報機関、CIAですね。 そういう人と打ち合わせでメシを喰ったりしたときに、担当者が、ふと、こういう事を漏らしたんですね。『大阪出身で、北朝鮮に渡って、そのあと、亡命して、今ソウルにいる一人の朝鮮人がいます。』 金秀幸(キムスヘン)という十代で、北朝鮮に渡って、仕事をした後に亡命して、今ソウルにいる。『それは一体どういう人なんですか』、と聞いたら、『いわゆる、北朝鮮帰国者の一人だ』と。91年の12月のことです。
 
  “帰国者”というのは、私も、うろ覚えながら、吉永小百合さんの映画、『キューポラのある街』、舞台の川口はここから近いんですよね。その中で北朝鮮に在日朝鮮人が帰って行くシーンがあった。駅で、みんなが万歳、万歳をして、当時“地上の楽園”と宣伝された、北朝鮮に帰って行く。ある家族が、帰るかどうか、迷っている、そういうシーンもあったように思いまして・・それくらいしか、帰国者についての知識はなかったんです。
 
  ここで視聴率調査をさせていただきます。 『キューポラのある街』を見たことある人、ちょっと手を挙げてください。あーやっぱり、四分の一五分の一ぐらいですね。だいたい今手を挙げた人は、50代半ば以上だと思います。(会場笑い) 帰国者という言葉を聞き、初めて北朝鮮の人権ということを意識した。この北朝鮮帰国者が、あとで調べて、9万3000人いる。その中には1831人の日本人妻がいる。日本人夫もいましたけれども。
 
  その帰国者の一人で亡命した金秀幸さんに会って話を聞いた。彼から出てきた言葉ですね。『北朝鮮を理想の地上の楽園と宣伝され、そういう夢を抱いて帰った。そのうち数千人が、行方不明になっている。とんでもない国だ。』と。
 
  その頃は、北朝鮮に関する情報が、あまりにも乏しかったために、どんな国だかわからない。うっすらと、なんとなく地上の楽園とか、みんなが共産主義とか言って、金日成とかいう人が指導しているこじんまりとした国なんだなというようなイメージしかありませんでした。正直言いまして。 10万人の帰国者というのは、100%新潟の港から出港していました。
 
  清津という北朝鮮の東海岸の北の方にある港についたわけですね。その着いた瞬間にこの人は、騙されたと。これはみんなそうだと思います。10万人全部そうだと思います。 当時は、日本いる彼等、在日朝鮮人から見たら、韓国の方が経済的には下の方で、北朝鮮というのは、日本の留学生に、あの当時1950年後半で、一億円、あるいは年によっては二億円というお金が奨学金として送られていた。
 
  今考えれば、当時のソ連、東欧の工業発展による援助によって潤っていただけなんですが。 金秀幸さんが言うには、船が着いて、デッキから下を見たら、ボロをまとった、顔色の悪い、痩せこけた人たちばっかりだった。背景を見たらくすんだ、その灰色の世界で、港の倉庫とか、そういうものが本当にみすぼらしい。これ、全く話が違うと彼は思った。もちろんその時、出迎えのおそらく数百人だったですけれど、北朝鮮の人たちも、騙されたと思ったようだと彼は言いました。
 
  というのは、資本主義の敵国であった日本で虐げられた朝鮮人が、我が金日成首相率いる朝鮮民主主義共和国にきてホッとしていると思ったところが、デッキに見えるみんなの顔色は良い、腕時計はしている、体格は良い、良い服は着ている。これは、どういうことなのか、こっちはこっちで騙されていたと。 そして、下に降りていったら、まぁ非常に奇妙な雰囲気があって、その後は、みなさんが、ご存じのように、とんでもない人権弾圧。文句を言えば銃殺刑にされると。
 
  そういうような国だったんですね。 このことを聞いて、本当なのか、日本へ帰って調べたら、ちょっと前に、正に帰国船を送り出した新潟の朝鮮総連の副委員長だった張明秀(チャン・ミョンス)さん、みなさんお聞きになったことがあると思います。この人の親も兄弟も帰っているんですけど、とんでもない国だと、本で書かれていました。『裏切られた楽土』。
 
  この人がホントに、私が考えますに、北朝鮮という国はとんでもないということを実証で、広く世に訴えた最初の人だと思います。この人の本がなければ、『楽園から消えた人人々』という私の番組はなかった。
 
  張明秀さんの所に飛んでいきまして、いろいろ事情を聞いた。これはとんでもない国だということがわかりました。 在日朝鮮人10万が北へ渡っている。当時の在日はだいたい60万ですから、6人に1人が北朝鮮に渡っているんですね。身内、同級生、近所の人、誰かいる。 それが、その後の、北朝鮮による南朝鮮革命のための対南工作の一環として、日本を中継基地としての工作員活動を容易にしていた。
 
  つまり、帰国者は北の人質だったとわけです。 そんな在日の人のところを回りました。みんな、喉元まで出かかっていたんですね。自分の弟が、従兄弟が、あるいは、親が、向こうで、行方不明になっている。収容所で拷問され殺されたとか行方がわからないとか。半分位は実名、顔を出してしゃべってもらった。あとの半分は、しゃべると、まだ元気な、他の身内までやられちゃう。だから顔は隠してくれといわれました。
 
  そうしてできたドキュメンタリーが、皆さんにお配りした資料に出ています。『人脈記』という朝日新聞の記事。92年、『楽園から消えた人々 ~北朝鮮帰国者の悲劇~』という、ドキュメンタリーをやりました。これはサンデープロジェクトの特集でまず、92年の2月にやった。それで30分の全国放送、5月には、1時間15分ぐらいで放送しました。 これで、もう私と北朝鮮との縁というのは、切れたと思っていた。
 
  すると94年の夏、番組で証言をしていただいたパクという在日朝鮮人女性から、電話がかかってきたんですね。『会いたい』と。番組では匿名で、背中からインタビューしていました。会った時に彼女が『私の北朝鮮にわたって銃殺されたお兄さんはね、あのときはいわなかったけれど、実は私が北朝鮮から潜入してきた大物スパイ辛光洙と同居していたことが元で、銃殺刑になったの』と言う。
 
  その時に、正直言って、この人、大丈夫かなーと思いました。何のことを言っているのかなと。スパイが潜入してきたとか。私のお兄さんは、北朝鮮にわたって、平壌放送の日本語のアナウンサーをして、それを東京でラジオで聞くのが本当に楽しみだった。彼女たちその時みんな、いわゆる総連系で、金日成を尊敬している。そのラジオのお兄さんの声が消えて、85年にお兄さんは、銃殺になっていました。それを知ったのは、5年後の90年。それも銃殺されて死んだと。向こうの帰国者を担当する局の課長から聞いた。
 
  お兄さんが銃殺になった本当の原因は、私が辛光洙というスパイと同棲していた。そこで生じた行き違いの結果として、平壌の兄が監視の対象にされた。その後、辛光洙が85年、逮捕されたとき、おそらく私と平壌の兄が、辛光洙を売ったんだろうと北の当局が理解したのでしょう。辛光洙という男と一緒におったことで、兄は楽園から消えてしまった。
 
  それに続いて出てきたのが、この辛光洙という人は、原敕晁さんという大阪のコックを拉致し、再び潜入して、その人のアパートに住み、引っ越しを繰り返し、住民票を取って、免許証、パスポートを取得した・・・そう言うんです。
 
  ここで、初めて「拉致」という言葉を聴いたのです。そのとき、何て言いますか、衝撃ではありますが、半信半疑でした。拉致なんて、いったい何のためにやるのか? スパイ小説スパイ映画でもそんな話聞いたことがない。ただ、嘘を言っても彼女のためになるわけではない。とにかくその日は別れて、調べてみたら、85年の6月の新聞に、ソウルの安企部発表で、言うとおりの事が割と大きめに載っていました。 
 
  『大物スパイ辛光洙逮捕・日本人の原敕晁さんを(名前も入ってます)拉致して、なりすます』 とそういう記事があったですね。
 
  彼女の話は、嘘じゃないと思うと、なんか大きな闇に首を突っ込んだような気がしました。ただ、当時の報道は記事を見る限り、一過性のもので終わっていました。 一体どういう事なのかと。全体像が見えないわけです。それでも、何をどうやって良いか解らないまま、闇雲に拉致ということを頭において取材を始めました。94年の夏ですね。おそらくこの時点で記者として拉致の取材をしていたのは、私一人だったと思います。
 
  取材に出向く私の気持ちというのはですね、当時は今以上に、南北朝鮮の対立が激しかったですから、北朝鮮を貶めるために、韓国が、わざとこういう話をでっち上げて、パクさんとかを私の前に出現させているのではないかと疑心暗鬼にとらわれたこともありました。 拉致は、今でこそみなさん周知の事実なんですけど、その当時はそうなんです。
 
  私がこういう事を言いますのは当時の政治家と官僚のの姿勢・態度がいかにいい加減だったかを知ってもらいたいからなんです。拉致被害者家族との付き合いが始まったのが94年の暮れです。
 
  神戸の有本明弘・嘉代子さん夫妻。 娘の恵子ちゃんが、平壌から手紙が来ていましたから。すでにいろいろ動いていらした。それで1月初めにご自宅に行きまして、色々事情を聞いて、これは「よど号」の連中に騙されて拉致されたと確信しました。
 
  ご両親は何とかしたいと、非常に思っていらっしゃるんだけれども、誰も相手にしてくれない。警察庁も、外務省も相手にしてくれない。マスコミに訴えても、誰も来てくれない。そういうところに神戸のご自宅に伺いまして、1月の17日に外務省に一緒に動いてくれと要請に行こうという約束をして、それがまぁ、あの阪神大震災で流れるんですけれど、3月になって一緒に行きました。
 
  その時の状況、出てきた相手が、北東アジア課の地域調整官といいまして、まぁずーーっと下っ端の役人なのです。その人が、どういったかというと。これがとんでもないんです。 有本さんは、すでに一部週刊誌には名前が出ているから実名を出して、娘を助けてくれと言ったのにたいして、その役人は、『実名を出して、安否の照会をすると、命に関わる。だから出来ません。あの国は何をやるかわからんから』 と言いました。
 
  つまり外務省としては何も出来ない、何もやりませんと。 その後、海岸から消えたカップルの家族のところへ行きました。家族の皆さんの当時の心境ですが、皆さん諦めかけておられたのは事実です。
 
  95年当時、蓮池さんや奥土さんは、取材拒否だった。電話をしまして、『どういう状況で消えたのか、親のその後の思いとかを聞かせて欲しい。世間に訴えたい、政治が動いて欲しいから、聞かしてくれ』と言いましたけれど、当時、お母さんのハツイさんが、体調を崩されていたこともあって、『取材に応じられません』と。その理由を聞いて愕然とした。
 
  愕然というのは、国に対してなんですけれど。蓮池秀量さんは『今更、薫のことを、どうのこうの訴えても、国が動いてくれるとは思えない。取り返せるとは思えない。そう考えること自体が辛いのです』と。自分も年をとってきたし、妻ハツイさんも体をこわされて、体がきつい。取材に応じることは、辛いこれまでを又思い出すことですから、その重圧に耐えられないという。
 
  私にたいして話すことで、辛くなるんですね。 それを聞いて、そのときは引き下がりましたが、逆に、家族をここまで苦しめている拉致をなんとかしなければと強く思いました。

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石高健次さん講演-(2)

原敕晁さん拉致から始めたこともあって、辛光洙の共犯だった金吉旭(キンキルウック) 金は去年4月に、去年の4月ですよ、ようやく拉致で国際手配されました。
95年月、彼が済州島にいました。

自宅を突き止め、前で張り込んで直撃インタビューしました。
最初、『誰にもわからないんだ。わからないんです』と言いながら逃げ回りました。
私は『原敕晁さんという一人の人の、生き死にが未だにわからないんだ。』とマイク片手に叫び続けた。正直、気持ちとしては、ふんづかまえて、首根っこつかまえてですね、殴りつけても、真相を喋らせたいという心境でした。しかし、それはできません。彼は辛光洙と一緒に捕まりはしたけれど、その後恩赦・減刑で出所し一般市民でしたから。

逃げ回るのを追いかけていると、10分もしなかった。金吉旭は突然路上にしゃがんで考え込んだ。と、泣き出したんですね。声を上げて大泣きしました。

そして、原さん拉致を全部認めた。
韓国では、国家保安法違反、スパイ容疑で捕まっているんですけど、韓国人であれ外国人であれ、誰かを誘拐して北朝鮮に連れて行った場合は、国家保安法の規定で立件しないとならない。ですから辛光洙と一緒に共謀して、原敕晁のどういう拉致をやるか話をしたとか。捜査資料とか、裁判の陳述書に詳細にでてきます。大阪市内の喫茶店の名前も出てきます。
その点について、『あなたが裁判で言ったことは、本当か? ホントにホントなのか?』ということを聞きました。
彼は、はっきり『そうです。その通りです』と静かに言って頭を下げた。最後に原さんのことを『本当に気の毒なことしました』と。

このときに、憎っくき拉致犯なんですけれど、私が思ったのは、ある意味で、彼もまた、被害者だったと。南朝鮮革命という幻想にとらわれたゆえに、利用され使い捨てられた兵隊の駒に過ぎないと。
あの大泣きは、彼の良心がそうさせたのだと思います。ずーっと心の中で気の毒なことをしたと思い続けてきたが故に大泣きをして認めたんだと。

このときです。私が拉致は本当にあるんだと確信したのは。

お手元の資料、『人脈記』(朝日新聞ニッポン『人・脈・記』安倍政権の空気②平成19年3月6日付)という記事に、95年に『闇の波濤から ~北朝鮮発・対南工作~』というドキュメンタリー番組のことが書かれています。今申しました一連の取材をまとめたものです。

全国ネットで95年の5月頃に放送しました。原さん、海岸のカップル、田口八重子さんら13人が拉致されているのは間違いないという報道です。
しかし、残念ながらまったく全く反響がなかったんです。他の社からの問い合わせもない。黙殺というのは、こういう事をいうんだろうと思います。
世間は、たぶん、『そんなことあるだろうか、なんだ、嘘だろう』と受け止めたのでしょう。日本人をい拉致していったいなにするんだと。番組では教育係にするとか成りすましとか言ったんですが、信じてもらえなかった。
この『闇の波濤から』というのは、最初に拉致を客観的に実証した報道だったんですけどね。
いいえ、ただひとつ反響がありました。
韓国のKBS=放送公社が、韓国語に翻訳したものをで放送したいといってきた。95年11月、日曜のゴールデンタイム、夜8時から、1時間20分ぐらいですかね、『闇の波濤から』を放送してくれました。1ヶ月経たないうちに、北朝鮮の、これは安企部の人から私は聞いたんですが、ラジオが、朝日放送名指しで『あれはでっちあげだ』とやっていた。
反響があったのは、北朝鮮だけという非常に寂しい結果でしたけれども。(会場笑い)

これで、すべては終わると思っていました。
ところが、また偶然があった。
この5月の『闇の波濤』を、朝日新聞の出版局の人が観ていたんです、東京で。私の所に電話ありまして、『あの話は、本当ですか?』というふうに聞かれました。
『本当ですか?』と聞かれて『嘘かもしれません』とは答えなかったですけど。(笑い)
『それでは記録として残したいし、やっぱり訴えていきたい』と。朝日新聞の出版局というのは、新聞とはまた違う物差しがあるんですね。アエラもそういうところがありますよね。
それで5月の放送は、終わったんですが、本を書くために、また取材を続けたんです。
それが、横田めぐみさん拉致発掘につながっていった。

95年6月、KBSの放送の前、ソウル、明洞の繁華街でした。
韓国情報機関の高官から、『子供が拉致されているようだ』ということを聞いたんです。
それは、当時13才、学校でバトミントンの練習をした帰り、双子の姉妹の妹、76年か77年と。

石高『え?子供もやられてるんですか?』
石高『名前は何というんですか』
高官『わからない』
石高『どこの話ですか』
高官『それもわからない』

この情報を韓国にもたらしたのは、これよりちょっと前に亡命していた北朝鮮の工作員です。その人は横田めぐみさんと話をして聞いたのでしょう。場所は平壌の病院。めぐみさんが心を病んで二度目の入院をしている時だった。秘密の病院にその工作員もケガをするとか、何らかの事情でいたのでしょう。
身の上話かなんかをして13才、バトミントン、双子の姉妹の妹、ということを聴き、後に亡命した。亡命者の情報を吟味するのが、情報機関の仕事なんですけど、『彼が言っていることは、間違いないと思う』と。ところが、どこの誰かを亡命工作員彼も聞かされていない。
彼女が(めぐみさんが)、その亡命工作員に語ったのは、『拉致され、一生懸命勉強して朝鮮語を5年以内にマスターしたら、親の元に返してやる』と言われた。だから、少女は一生懸命朝鮮語を勉強した。ところが、18才になったときに、『返して欲しい』といったけども、ダメだと言われた。何度も懇願したが許してくれなかった。それで心を病んで、病院にかかっていた。
そこで、後に亡命する工作員と身の上話をしたわけです。
なぜ名前を言わなかったんだというふうに不思議に思う方がいらっしゃると思います。
しかし、これと似た例があります。
金賢姫の口から出た拉致女性「李恩恵」。田口八重子さんと後にわかりますね。今お兄さんここにいらっしゃいますけれど、金賢姫と田口さんは日本人化教育のために1年8ヶ月ぐらい一緒に過ごした。しかし、田口さんは自分の名前は告げていないんです。
言うと、自分の身が危ないと。おそらく、そういうことがハッキリ分かっていたのでしょう。田口さんもめぐみさんも。

この情報をもたらした人は安明進とは違います。未だに表には出てきていない。韓国サイドに今まで何回も会わせてくれと言い続けてきましたが、未だに表に出さない。

その後、96年10月に朝日新聞から『金正日の拉致指令』という本を出しました。このときに、「少女拉致」の情報を書こうかどうか迷ったんです。結果的にはこの情報を書きませんでした。
何故かと言いますと、子供がやられている。13才、あまりにも荒唐無稽。95年の5月に『闇の波濤から』を放送したときに黙殺された。こういう事を書けば、13人がやられているという、他の拉致被害者のことも、また嘘だろうなんかいい加減な話だろうと思われのではと考え、この話は書かなかったんです。この時点では、横田めぐみさんという所にはたどり着いていません。

本の出版とともに広告が出ました。『現代コリア』という雑誌から、その本の紹介記事を書きませんかと声がかかりました。そのときまで、全く私は面識ないんですけど。
『現代コリア』の10月号に、『私が金正日の拉致指令を書いた理由』という記事を書いたんです。
10月号なんですが、何かの都合で遅れて11月の始めぐらいに出ました。

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石高健次さん講演-(3)

なぜ、私にその情報が入ったかと言いますと・・・。
実は、私にその情報を私に告げる以前、韓国安企部の高官は、日本の警察のある官僚に、『子供が拉致されてるらしいぞ』と通報していた。これは、公式通知ではなくて担当者が個人的に電話をして、日本の女性がやられているから調べたらどうですか。それが春のことなんですね。

その警察官僚は、オンラインで叩いてみたが出てこない。5年以上経った記録は、消えてしまうので、中央では。で、そんなの見つかりませんでしたという返事をしたんですね。これもまたそういう官僚の体質の話なんですけれど。

その後3月にオウムのサリン事件がおきるんですけれど。もう一度、韓国安企部の担当官は、連絡をいれて、『いや工作員のもたらした情報は間違ってないと思う。他のことも色々チェックしたが嘘はついてない。もう一回調べたらどうですか?』というのを、今度は放っておいた。

そんな状況のとき、拉致があるのかどうかとワーワー言ってる日本の記者が一人いたなというのをたぶん思い出されたんでしょう。
こちらから願い出て6月23日、明洞(ミョンドン)の居酒屋でこの安企部の人と会った際、「少女拉致」の話が出てきたのです。

話は96年に戻りますが、『現代コリア』に記事が出た直後、12月になって、新潟の「ニュー越路」という公務員宿舎で、佐藤勝巳さんが講演なさって、そのあとの親睦会で、まぁ、こういう記事がうちの現代コリアに載っているんですけどと言ったときに、『それは、横田めぐみだ』ということになったわけです。

それが私の所にも入って--この間に紆余曲折があるんですが--、名前がちゃんとわかったのが、97年の1月7日、報道される一ヶ月前です。

それで、1月の末に、兵本さんに横田滋さんは日銀の行員だったと私が言いまして、彼は議員秘書の威力でOB会名簿を出させ、電話番号を割り出した。それで、横田さんのお父さんと議員会館であって、そこに私が電話を入れました。
川崎のご自宅へ伺ったのが、1月23日だったです。まぁ、こうして、当時で20年近く空白があった、横田さん夫妻に『娘さんは、拉致されて平壌で生きている可能性がある』ということを伝えたわけです。

このときに、私は報道を控えました。理由は、横田さん宅にめぐみさんのいろんな写真がありましたから、その写真と、適当に少女ファッション雑誌からとった写真とをもって、この情報をもたらした工作員に、確認をしたかった。それをさんざん、韓国政府に要請しました。
でも、その亡命工作員は、まだ公表できないからダメだと言われて、それは、未だに会わせろと言い続けているんですけど。その確信をとるまでは、私は報道しないと決めたんですね。

それは、このときも、世間が信じて国が動いてくれればいいけど、95年の『闇の波濤』放送のときのように、中途半端におわれば、拉致の証拠であるめぐみさんやその情報をもたらした亡命工作員の家族が、抹殺されるかもしれない。そういうことを考えて、最低、写真で、この工作員に確証をとるまでは、それこそ報道を控えたわけです。しかし、現代コリアの筋とか、西村眞悟さんや、アエラ関係に話が漏れました。いずれの方とも、電話で話をして本当に国が動いてくれるんだったらいいけど、今の状態では、慎重にやってくれということを言いました。1月の30、31日ですね。

ところが、2月3日、これ月曜日だったんです。この日が発売日のアエラが、私が、こういういきさつでみつけたということ。それと産経が出て。その後、午後三時台だったか、西村眞悟さんが、衆議院予算委員会の総括質問で、私が書いた記事と現代コリアの記事と、新潟日報の女子中学生下校途中に行方不明というのを並べて質問された。衆議院の予算委員会総括質問というのは、NHKで生中継されるんですね。やると直前にわかっていましたから、昼のニュースから我々も報道していった。

こうして、横田めぐみさんが、拉致されているということが世に出たわけです。

その直前から、兵本さんと私と手分けして、有本のお母さんには、みなさんの電話番号教えて電話してもらい、被害者家族に会を作ろうと呼びかけを始めた。
被害者家族は、カップル男女の家族は別にして、互いに何のつながりもなく、孤立しておられた。
3月の25日、朝日放送東京支社のあった芝公園の近くの安い都営の会議室、アジュール竹芝にみなさんを集めて家族会を結成しました。
翌日に警察庁に誓願を出しまして、外務省にも行きました。このときに、マスコミ各社が報道してくれたこともあって、対応に出たのが、アジア局長です。今はアジア太平洋局ですけれど、加藤良三局長が対応しました。

その辺りから、政府の対応は変わってきました。
しかし、川崎の駅前で、横田さんたちが署名活動されるんだけど、まぁ、そうですね、半分以上の方は、素通りだった。
「なんだ、これは? 拉致? 何が起きているんだ?」「こどもさん、どうかしたの」って感じでちょっと聞きながら、通り過ぎて行かれる方が、多かったのを覚えています。

めぐみちゃん拉致を発掘報道されるまでの話を長く時間をとって、やらせていただきましたが、そういう所を通じて、ほんとに官僚たちの事なかれ主義、政治家の無責任さというのを私は痛感してきました。

もう一つ具体例をいいますと…。
宇志津事件というのがあります。石川県の能登半島で、久米裕さんという三鷹市役所のガードマンが密貿易で儲かると騙されて海岸に連れて行かれて拉致されるんですね。それを石川県警公安課が、李という実行犯を外国人登録法違反で捕まえる。彼の口からは、拉致のことが出てきたんですね。それで、現場の人たちは東京に海外移送目的の誘拐罪、つまり拉致で立件したいと願い出た。本人が誘い出して連れて行ったと自供しているわけですから。
東京の警察官僚は、『そんなことをすれば戦争になりかねない』っていって押し留めたらしいんです。要は、及び腰で、ビビって、折角の拉致犯逮捕を闇に葬った。結果、彼は外国人登録証を携帯していなかったとそれだけのことで、結局あれは、裁判にもならなかった。

裁判をすると、警察の方は警察の方で、いろんなことで集めた資料が公開されたら、その先情報がとれなくなる。そんな論理が中央に働いたようにも聞いています。
拉致で立件していれば、それで警察が動いていれば、二ヶ月後のめぐみちゃん拉致は防げたのかもしれない。
そういうことを考えますと、現場で頑張っている刑事はいられるんですね、それが中央に行くと、なんかこう、潰されちゃう。これが正に、官僚の事なかれ主義だと思います。

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石高健次さん講演-(4)

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それと政治家の無責任。
拉致問題に手を染めても票にならないと。利権に結びつかないですよね。北朝鮮と国交樹立すれば、利権に結びつく場合もあるでしょうけど。
そういうものに対して、政治家というのは、本当に動かなかったのです。

そういう意味では、拉致が出たときは、橋本龍太郎総理ですね。小渕さん森喜朗さんが後に続いた。
結局誰も、北朝鮮に認めさせるということが出来なくて。小泉さんのことも、色々批判もありますが、拉致の入口をこじ開けたという点では、やっぱりよくやったと僕は思います。
やり方が、もっと全体と関連させて、何故出来なかったんだろうかと口惜しいこともありますが。

そういう長いこと、政治家も動かない、官僚もやらなかった中で、北朝鮮にいる被害者はもちろんですが、家族の方も、本当に辛い思いをなさってきていて、横田さんであれ有本さんであれ、今現在も、我が子が生きているか死んでるのかわからない辛い毎日を送っておられる。
これの辛さは、もう、いなくなった日と、同じ気持ちなんですよね、めぐみちゃんでもう30年なりますけれども。有本さんで24年ですか・・・。
連絡が来なくなった、突然消えた、そういう心が引き裂かれるような痛みを、20年、30年ずっと持ち続けておられるのが、被害者家族の方たちなんです。

これはもう、ほんとうに、早紀江さんが最近、記者会見で『こんな状態で、普通の親であれば、半狂乱になりますよ』とおっしゃっていましたが、本当に辛い、生殺しの状態が続いている。

それとまぁ、最後の方になりましたが、なんていうんですかね、最近の安倍さんに対する期待は、すごく大きいですし、安倍さん自身、一生懸命何とかしようという気持ちでやってらっしゃるのは、ありがたい。
ただ、最近ちょっと、えー?っと思うことがありました。
拉致の家族の方達と一緒に頑張ってくれとやるのは良いんですけど、この前、めぐみちゃんが帰ってきて欲しいということで、有名な歌手、PPMのポールストゥーキーさん、私も10代で彼が大阪に公演にきたときに見に行ったことがあるんですけど。彼が歌を作って、それを官邸で、安倍さんとかが一緒に聴かれた。
僕はそれを聞いて、非常に複雑な気持ちになった。そういうことやっている場合ですかと。

家族の人たちは、僕らもしょっちゅう会食したり私自身も有志を集めて、元気づけとカンパ集めのためにチャリティーコンサートをやったりします。外国からも、有名な音楽家が協力してくれて最後に皆で『ふるさと』を歌ったりしますけれど、総理大臣が、官邸で、一緒になって、コンサート聴いていて良いものかと。
もっとやることあるだろうと。ちょっと、なんか、「えっ?」とおもいましたね。

それと昨日のお昼、共同通信が流したんですけど、政府が1億500万円の広告費を出して、政府は拉致問題解決のために頑張りますと、そういうキャンペーン、公報をテレビを使ってコマーシャル流すという。1億500万ですよ。
「え?どうなってるんや」と。
現にこうやって皆さん今日も熱心に聞いていただいて、テレビや新聞で、拉致はとんでもないことであり、国はなんとかせにゃいかん、政府がなんとかせにゃいかんと、国民はわかってるわけですよね。
わかっているのに、なんでそんな、わからせるための広告が必要なのか?

1億円があれば、いろんな情報、拉致解決につながる情報を集めて欲しい。どれだけの人間がやられているのか?あるいは、今、中朝の国境地帯で警備がゆるんでいるうえ、国内も身分証で自由に移動できるくらいになっていますから、被害者を脱北させて救出させられるかもしれない。そのために1億500万円を使う。
それなら、私はわかります。
でも、政府がここまで頑張ってやっています、拉致について我々は絶対に諦めない、やりますからというメッセージのコマーシャルを流す。これ、一億500万。これ、みなさん、どう思いますか?一億500万、僕は、ちょっと違うんじゃないかと思います。

そんなことを思っていて、ふと昔の、ある光景を思い出しました。
97年、横田さんのことが出て、2月7日に、横田さん夫妻が、院内、つまり国会の中の、新進党、衆参両院議員総会に行かれて、訴えられたんですね。『自分たちは、一民間人なんだと。国交もない国に行って、探したり連れてくることはできないので、政治家の皆さんの力をお借りするしかありません』と頭を下げて、頼まれた。
と、そのときに、議員席から女性のちょっと高い声で、『がんばってねーーー』と言う声が聞こえたんです。横田さんに対してですよ。
これ、政治家ですよ。このことを今思いだした。何と無責任なんだ。
頑張るのは、あんたたちだろう。横田さんは、心配で家でずっと耐えてきた。『もう、あとは私たち政治家がやりますから、じっと体を休めてください』というのが筋じゃないか。
頑張るのは、君たち政治家だろうと。
そのとき、本当に何とも言えない怒りみたいなものを覚えたんですね。
そのことを、なんか、最近思い出しました。

それと、最後にこういう拉致が、何故、未だに、表に出てから10年たっても解決できないのかということを考えたときに、私が思うのは、日本という国には、やっぱり、なんていうか、牙がないんですね。
牙というのは、例えば人は、何か理不尽なことをされたときに、何をするのか!と。言葉だけでだめだったら、ときには殴ったりするでしょう。
国と国では、話し合いだけなく軍隊を派遣するぞという。そういうことが、日本の場合、歴史の流れに於いて、悲しいかな、ある意味と必然的にそうなったと私は思うんですが、牙をむけない国になっている。

アメリカだったら、イランのアメリカ大使館に、職員等が監禁されて、ヘリコプターが救出に行って、
これは、砂嵐で失敗しましたが、最終的には、取り返した。
たとえば、拉致があったら、アメリカなら、空母を東シナ海の北朝鮮沖に浮かべて、話し合いでまず解決しようとするでしょう。被害者を出さなければ、攻撃すると。その前には、経済制裁、勿論どんどんどんどんやっているでしょうけど。
そういう意味での、牙と言いますか、爪というか、そういうものが、やっぱり日本にはない。
やっぱり、アジアを植民地支配した後に戦争に負けて、戦後は平和憲法というのが出来て、結局、なんか言うだけで、靖国神社うんぬんと言うだけで、周りの国は、ワーッと言う。それに対して、胸を張って、日本のやる安全保障の道といいますか、そういうことを堂々と言い返せないできた。安倍さんになって少し変わりつつあるようですが。
結局、なんですかね、その、言われっぱなし、やられっぱなし、足下をみられている。北朝鮮なんか、いくらなめてかかっても、日本は攻めてこないと、わかっているんでしょうね。アメリカはそうじゃない。その違いが、拉致というものの解決を阻んでいる構造だと思います。
で、それはどこから来たかと言いますと、繰り返しますが、植民地支配をした結果、連合国軍に負けて、そのあと、正に武装解除をされて、牙を抜かれて、そして平和憲法といわれる憲法ができて・・・。一方で、アメリカが護ってくれているのを尻目に経済発展をしてきた。ふっとみたら、国防とかそういうことは、全然自分たちの力でやってこなかったんです。

これは、我々マスコミも自戒を込めて、自分たちもやっぱり力がなかったと反省しておりますけど、国防論議ということすら、日本のメディアというのは、長年タブー視してきた。
国家安全保障、国防というのは、正に拉致被害者とか名もない何の罪もない一人一人の国民を守るということなんですよ。
これはみなさんどんな人でも、家族を護りたいとか故郷の同級生、友達を護りたい。いなくなったら、何とかしなければいけない。そういうことの集合なんですね、国家安全保障というのは。そういうことの集合だと思います。そのために何をしたらいいのか、真正面から、やっぱり、考えていかなければいけない。
戦後、おざなりにしてきたメディアの責任も大きいです。

そういうことが、今拉致が、全然出口がみえてこない背景にあると思います。

拉致解決について、アメリカに頼るというのも、考えてみれば、情けないことなんですよね。横田さんが、副大統領にあったり、ブッシュにあったり、アメリカの政治家にあって頼むというのは、追い詰められてそうせざるを得ないんですけど、それを第三の独立国家が見たら、やっぱり、心の底では、「日本という国は、自分の国民が奪われて、なんで被害者までがアメリカに頭を下げなければならないのか・・」と。それ自体で、またなめられるという気がします。

ですから、イラクへの派兵で自衛隊はサマワに行きましたけれど、考えてみたら、それより、二十年ぐらい前ですかね、カンボジアのアンタック、PKOとかで派遣するときに海外派兵は憲法違反だとかものすごかった。それが、だんだん、国民的な合意も出来てきて、イラクに軽いにせよ軍隊の装備を持って出て行った。
これは、北朝鮮からすれば、牙のない自衛隊がよく出て行ったものだ、と少しはプレッシャーになったのではないかと思います。
だんだん、まともに安全保障を見つめていこうという意識は高くなってきているんだけれど、同時並行で、国民の、国や自分の家族を護る意識みたいな、そういう個人個人の内面からの意識も沸き起こってこないとだめです。
いくら物だけ、兵器や道具、ミサイルだけ、そろったって…。

今日はこういう話の機会を与えていただいて、本当にありがたいと思っています。それは、みなさんが、やっぱり、正に、めぐみちゃんとか、田口さんとか、有本さんとか、そういう人がどうなってるんだ、どうしたら解決するんだという意識で来られているからです。
正にそういう意識があることが国を護っていく、そういうことを繰り返させない、あるいは、解決する。そういう流れになっていくと思いますので、これからも、ずっと関心を持ち続けてやって欲しいと思います。
今日はどうもありがとうございました。

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