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2007年4月11日 (水)

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【北朝鮮亡命高官 黄元労働党書記の証言】

【北朝鮮亡命高官 黄元労働党書記の証言 】二つの悪…一つ消えた 金日成急死

 北朝鮮を半世紀近く統治してきた独裁者、金日成は1994年7月8日に急死した。北朝鮮の核開発をめぐる米朝間の緊張が高まり、6月に訪朝したカーター元米大統領との会談で、核開発凍結に合意した直後だった。7月25日には韓国の金泳三大統領との南北首脳会談を目前にした死だった。(ソウル 久保田るり子)

戦争はしたくない

 「94年の春だった。金日成とド・ムオイ・ベトナム共産党書記長との会談が決まり報告すると、金日成は『それは困った。私は入院して治療を受けなくてはならない』という。会談を秋に延期した。金日成は耳も遠くなり、放屁(ほうひ)も我慢できなくなっていた。あとで分かったことだが5月に緑内障の目の手術を受け、療養が必要だった」

 「米国は北朝鮮を攻撃できないと考えていた。われわれは南を人質に取っている。攻撃するなら、やってみろという雰囲気だった。金日成はカーター元大統領が訪問することを喜んだ。戦争はしたくなかった。金日成は妻とともに体に無理をしてカーター元大統領をもてなし、疲労を蓄積させた」

 「私は、金日成が死亡する10日ほど前に会った。金日成は金泳三大統領との南北首脳会談について喜び、はしゃいでいた。興奮して、『彼らが来て、ここに座って話すだけで10億ドルぐらい入ってくる』と言い、そのカネで『何々を建設する』とか、『(南北)鉄道は無条件で開通する』などと話していた。『ソウルを訪問する』とも言っていた。金正日は『南朝鮮は完全に赤化(共産化)しており、住民(韓国国民)は金日成を崇拝している』と報告していたのだ。金日成は、ソウルに行けば少なくとも100万人に歓迎されると思いこんでいた」

金正日のロボット

 「国家保衛部の責任者が私に、『首領様(金日成)はソウルを訪問すると言い、将軍様(金正日)は反対している。困った話だ』という。私は『心配するな。金正日が反対しているのに(金日成が)行くことはあり得ない』と言った。金日成は金正日のロボットにすぎない老人だった」

 「(金日成が死んだとき)私は外遊中で、キューバのハバナ国際空港に到着して金日成死亡の電報を受け取った。平壌に戻ったのは7月13日だった。何の感慨があろうか。二つの悪のうち一つの悪が消えた。何の意味もない。ただ、それだけのことだった」

■第1次北朝鮮核危機0 1993年2月、国際原子力機関(IAEA)が北朝鮮の核疑惑施設への特別査察を要求したのに対し、北朝鮮は核拡散防止条約(NPT)脱退を宣言した。この結果、米朝間の緊張が高まり、米国は北朝鮮の核施設攻撃を計画。しかし、94年6月にカーター元大統領が米特使として訪朝、金日成主席と会談した際、金日成は核開発凍結を表明。同年10月に核開発の凍結と引き換えに軽水炉2基と年間50万トンの重油を供給する「米朝枠組み合意」が締結された。

(2007/04/10 08:13)

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