6.萩原遼さんの挨拶
第16回藤沢集会
07.3.31 藤沢産業センターにて
『萩原遼氏(ジャーナリスト)の挨拶』
皆さん、萩原遼と申します。
私も北朝鮮にあこがれた一人でありまして、そしてもう50年前の話ですが、18歳の天王寺高校夜間制と言う高校に行っておりまして、その時に隣にこういう形で机を並べたのが韓国の済州島から密航して来ました少年でありまして、その男の子を通じて彼は一世ですから朝鮮語ももちろんぺらぺら。
そして8歳まで日本で暮らして一旦祖国に帰ってまた朝鮮戦争で日本に逃げて来たというんで、日本語も堪能でしてね。
彼からいろんな事を聞きまして私も朝鮮に対する、もしあの男と会わなかったら私は朝鮮にハマらなかっただろうという気すらするんですが。
そんな経緯がありまして50年やって参りました。
その過程で赤旗と言う日本共産党の新聞の特派員で1970年、昭和で言えば何年ですか?
47年ですね。
1年間行っておりまして、どうもこの国はおかしいなぁ。
だんだんだんだん3ヶ月4ヶ月6ヶ月経つうちに、そうしましたら私の表情から、彼らは読唇術と読んでいるんですが心を読む術が非常に長けた奴で、奴と言うのは言葉が悪いですが長けた人たちで、私は危険人物として事務所を追放されまして、それを契機にしましてこの国は絶対に許せないものであるというふうに私なりの認識を持ちまして、つまり人々が本当に可哀想な苦しい抑圧。
物が言えない、従って笑いが無い。
こんな状況でこの政権は存在する必要も無い政権だというのを感じましたのが、1973年でございました。
何しろ30数年経ちましたんですが、それ以外にですね。
こういう拉致の問題が明らかになったり、脱北帰国者、脱北者の事が問題になったり、それから日本から一時60年代に「地上の楽園」という甘い言葉で大挙在日の方々が帰国と言う、奴隷船に乗せられてですね。
帰国船と言う名の奴隷船に乗せられてですね。
北朝鮮に10万も行きました。
その人たちの悲惨な状況。
で、私に朝鮮の素晴らしさと朝鮮語を教えてくれたその同級生も帰国船に乗って、そして向こうで行方不明という事ですので、どんなことがあってもその友人の私にとって人生の恩人と言っているんですが、私にそういう目を開かせてくれた恩人の同級生の骨をどうしても見つけてやりたいと。
あの時は・・・(聞き取れず)て、私がそれを拾って故郷の済州島に持って帰ってやりたいと、そういう望みを持って今も頑張っております。
で、今日私の時間は10分ほどしか頂けませんので(笑い声)、いいんです。
僕遅れたんです、遅れたものですから当然の懲罰です。(笑い声)
で、今日皆さんにちょっとご紹介したいものがあります。
出掛けに持ってまいりまして中身も読まずに電車の中で読もうと、これは未来韓国、ミレハングルと言う表題の韓国で出ている新聞でございまして、私たちと同じ考えを持った金正日政権を打倒しなければならないという立場の心ある人たちが出している週刊誌なんです。
これパッと見ましてね。
これパッと裏を見たら、何か見慣れた文字があるなぁ、北朝鮮難民救援基金ニュースがついているんです。(笑い声)
それでもう一つはその同じ号なんですがね。これも皆さん後ろの方多分見えないでしょうが、雰囲気だけ分かっていただきたいんですが、このお顔、ご存知の方いらっしゃいますよね?ボルトンさんと言う前のアメリカの国連大使をやっておられた方がですね。一面全面費やしてインタビューに答えておられるんですが、その表題がですね。「金正日の除去」取り除くこと。除去すること無しに、金正日の除去こそが北朝鮮の核の唯一の解決の方法であると、いう事を見出しで言っているわけですね。 金正日を倒さなければ、あれがおる限り核は解決しない。同時に拉致の事は、この方は核問題で述べておりますが拉致の事は言っておりませんが、私は拉致もあの男がいる限り絶対解決しないという事で、私がもうあんな男をですね。(笑い声) やってる場合じゃないという事で、「金正日隠された戦争」という事で本を書きました。これアメリカで2000年から2004年まで4年間行ってこれを書きましたんですが、この骨子はですね。核に金正日はなぜ拘るのか?固執するのか?
それはですね。
お父さんと息子の金正日の、お父さんは金日成ですね。
で、息子の金正日とが激しい対立をして、お父さんはこの北朝鮮がもう崩壊の危機にあるときに、農業を立て直さにゃならんと。
農業を立て直すためには肥料をたくさん増産しなければならんと、肥料を増産するためには電気が、全然石炭が来ないから電気がなんですか、発電所が止まっている。
電気を直ちに起こせと、電気を起こすにはどうするのか?
それは火力発電所を導入せよと、アメリカからそれを貰えという事をお父さんは主張した。
と、息子は駄目だと、軽水炉だと、原子力発電だと。
原子力発電は10年かかるやないかと、建設に。
しかも一気に1基も25億ドルと言う莫大な金もかかる。
そんなもんより手っ取り早く今年からすぐ電気の生産が出来るですね。
火力発電所で行けという事でですね。
どっちを取るかで激しい対立の末、お父さんは息子に殺されたという事を書いております。
ですから、あの偉大な首相を殺してまで核に固執した人間がですね。
6カ国協議だとか、何かの話し合いで絶対に放棄するもんじゃありません。
この事を私は書きましてね。
これもこれがさっぱり売れなかったんですが(笑い声)、日本で売れないのでアメリカで外国でもっと広めようと思って、それで英訳を、皆さんから貴重なカンパまで頂いて英訳本を出しましてね。
これをどうやらボルトンさんのこれを見ましたらですね。
去年7月にね。
作ってすぐ一ヶ月間アメリカのいろんな方々に、そしてボルトンさんにも絶対に渡してくれと、彼に非常に近い人に10冊ばかり渡してですね。
全部で300冊、僕がタダで配ったんです。
で、ボルトンさんはどうやら私のをどうも読んでいる節があるんですね。
インタビューから。
だから・・・(聞き取れず)ていうんですか、でも良いことですよね?
互いに意見が一致したのか、私の意見を取り入れたのか、どっちにしろ言ってることは同じだという事ですね。
どうしても 6カ国協議でどうのこうのと言う時代じゃないと。
で、拉致もそうだと。
そうしてもあれを除去しなければならんと。
除去する条件があるのか無いのか?という事で、ボルトンさんも言っているんですが、どうやったらあの男を除去できますか?難民だと。
難民を出せと、そしてそれもね。
中国に行ったらさっき加藤さんが仰ったように送り返される危険があるから、もう38度線を越えよと。
越えてどっと南へ行けと、これが一つの方法であると。
その他にもいくつかのあれがあるといって、それは秘密ですね。
手の内は言わないわけですけど、いろいろある。
でもあれですね、難民を出せというのは私も全く同意見でして私たちは加藤さんと手を結びながらですね。
やっておる事は脱北者を日本に連れて来るという事もやっておりまして、今現在100人ちょっと、150人くらいですか。
そのうち、関西に25人いるんですよ。
僕がここに来る前までに1ヶ月前に脱出してきた日本人の奥さん、日本人妻ですね。
50年ぶり47年ぶり。
その方と41歳の娘さんと二人で私たちのシェルターみたいのがありまして、そこで、僕も仕事があって2週間ほど同居した、同居と言うとおかしいですね。(笑い声)
そこに、部屋はもちろん違いますよ。
それでね、改めて驚いたのは朝ね、ご飯食べる時ね。
一応41歳の娘さんがやってくれるんですが、確かね、お茶碗にご飯がてんこ盛り。
お茶碗が一階建てとしたら、その3階建てみたいの(笑い声)、こう盛るんですよね。
いや、日本ではこういう事しないですよね。
僕は食べないからこれを一階建てに減らしてくれと(笑い声)、今言ったんですが、それとキムチだけ。
あと一切受け付けないんです。
これ、僕もキムチだけじゃお腹が空くだろうと思ってちょっとラーメン屋に連れて行って、ラーメンを食べてホンのちょっとおつゆを飲んだだけで、その晩から下痢なんですよ。
つまり受け付けないんです。
その事を私は何も物笑いにするために申し上げることじゃなくて、どんなに金正日と言うあの独裁者が国民に酷い生活を強要しているのか。
その横で核兵器ばかり作って、国民には油物を一切受け付けない体にして、そういう事を申し上げたいんですが、その方々が関西にも25~6人おりまして、どうしても僕もね。
今更逃げるわけにもいかんからね。
もう運命共にしようと思って関西に、借家の安い3万円で貸してくれる二階建てが、我々の同志がですね。
そこへ行ってこの方々のお世話、まず日本語を覚えてもらう事。
もう日本人妻で47年で、ほとんど日本語忘れてちゃんぽんですよ、面白いです。
もう時間ありませんから、とっても面白いです日本語と朝鮮語のちゃんぽんでですね。
それでおまけに方言の土着の両江道(リャンガンド)と言う一番北の端の、もう酷い酷い零下40度のところでね。
そんな事がありましてね。
僕ももう残る余生はこれしかないという事で、関西に半分軸足を置いて脱北者の支援、言葉を教えること。
それから就職を探すこと。
それからその人たちのケアと。
それからさらに、我々ジャーナリストとして多少でも聞き取りをして皆さん方にいろいろと知っていただく。
そういう事のために、僕もね、実は70になりました。
横田さんのお父さんが75ですか?お母さんは72ですね?
僕もね、堀川高校なんですよね。
同窓会行ったことあるんですよ、お母さんの。(笑い声)
それは何の関係も無いんですが、ともかく私も70になったからこれ引退かと思っていた。
もうしかし、6カ国協議のあの体たらくを見たら、私ね、引退するわけには参りませんので、ささやかながら加藤さんのお手伝いや皆さん方のお手伝いをさせていただきます。
それでですね、一つだけさっきの、長い話で恐縮ですが(笑い声)、これが脱北帰国者と言う僕らが作ったんです。
これみんなで手作りで。
これは率直に申しますと一冊700円で売っておりまして、500円私たちの利益になるわけです。
原価が要するに200円で、何でそんなに安いんだ?
私が勝手に韓国に行って印刷してもらったんですよね。
だから日本の半分以下で出来まして、これを一冊売ったら500円入ります。
それで今日20冊ほどあります。
これで1万円入ります。(笑い声)
1万円入りますと、そのさっき言った親子が1ヵ月十分食べられます。
キムチとご飯と、ちょっと最近ね。
少し最近ちょっとした油は、ラーメンの油は駄目なんですがね。
サラダ油で野菜炒めくらいは食べられるようになって来たんですね。
そういう二人がね。
1ヵ月具体的な話で、これを20冊皆さんに買っていただければ、その人を1ヵ月日本で保護することができる。
そういう事もありましてひとつ、これをご協力お願い致したいと思います。
私の本は買わなくても良いんですが、こちらの方は何とか買っていただきたいと。
それから最後にもう一言ね、高橋さん、すみません。
日本が孤立している孤立しているというね。
とんでもない話で小賢しい評論家たちがそんな事を言っていますが、絶対に孤立していません。
日本がバスに乗り遅れるんだと言って、早く拉致を降ろして今のアメリカやその他中国の線に、そういう彼らがしつらえたバスに早く乗りなさい乗りなさいと、いう事を言う小賢しい評論家がいますが絶対に全面的に間違っています。
なぜならば、そんなバスはね。
乗る必要が無いし、仮に乗っても100キロ200キロ動くにしか過ぎない。
これ恵谷さんが仰ったんですね?確かこの事は。
で、僕があちこちでお借りしていますんで(笑い声)、だから100キロ200キロ動いても、1万キロ2万キロはそれは絶対にガス欠ですよね。
ガソリンが欠乏してエンコします。
誰がそれじゃガソリン出すんですか?
日本しかないじゃないですか。
中国も出せません。
韓国もお金ありません。
アメリカはお金あってもケチだからお金出しません。
そうすると日本でしょ?
日本は当然出すべきお金はあります。
それはかつてのこの日本と朝鮮の不幸な関係による経済協力資金と言うものが、これは向こうが北朝鮮は6兆円要求しています。
日本は1兆円と。
中を取って3兆くらいだと思うんですが、このお金はですね。
これはどうしても日本国民として、アジアでこれからお付き合いしていく上で支払わなければならないお金なんです。
その金をね。
持っているのは日本なんですよ、3兆円、2兆円でも。
これを持っているのは日本だけです。
だから朝鮮半島をきちんとお金も予算もつけて、あの国を立て直すことの出来るのは日本しかありません。
だから乗り遅れるわけが無い。
我々は自分たちでバスをチャーターするなり、自分たちの自前のバスで行けばいいんです。
あんなもの乗る必要が無い。
だからね、絶対にあれに惑わされないようにして、そして私は拉致の問題と核の問題で徹底的に金正日を追い詰めて追い詰めて追い詰めて、あれを国民の間であいつではもう駄目だというふうにやるために、韓国で今心ある人たちが宣伝ビラを作って風船に乗せて北に飛ばしております。
こんな事をやっている仲間もおりますし、すぐ2~3日前ですがアメリカの人権委員会と言うところから私に送ってくれました北朝鮮の難民の危機ですね。
難民に危機が迫っているというこういう立派なね。
小冊子を出してですね。
これも中見ましたらですね。
イラストもあってですね、脱北者の描いた。
そういうアメリカの仲間の方々もこういうふうに熱心にやっておられるし、韓国でもやっておられるし、日本でも皆さん方、今日お集まりの先生方、こういう人たちの力を集めてもう少し国際的にですね。
頑張ってまいりましょう。
どうも長々とすみません。(拍手)
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※藤沢集会の録音・写真撮影・ネット公開については主催者の同意を頂いております。
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