5.横田拓也さんの訴え

第16回藤沢集会
07.3.31 藤沢産業センターにて
『横田拓也さんの訴え』
皆様方こんにちは。
ただ今ご紹介いただきました、家族会、そして横田めぐみの弟であります横田拓也でございます。
本日はよろしくお願い致します。
座らせてお話させていただきます。
お願いします。
本当に日頃からですね。
こちらの私どもの拉致問題に関しまして、皆様方の深いご理解とこんなに温かいご支援を賜りますことを、改めて御礼申し上げます。
ありがとうございます。
すでにご承知の通りですね。
私の姉は13歳で日本から連れ去られました。
1977年の11月であります。
当時、今もそうだと思うんですが、新潟の11月と言うのは本当に海の海鳴りの音とですね。
風でですね。
空は真っ黒、雲が黒いといったような季節でありまして、小さい頃ですとすぐにでも逃げ出したいような真っ暗な暗く重たい地域であります。
引越しをして数ヵ月後に姉は連れ去られたわけであります。
中学校のバドミントンクラブから友達と一緒に帰って、その下校途中に別れた後に無残にも連れ去られたわけであります。
昨年の誕生日で42歳を迎えましたから本当に30年間、北朝鮮と言うですね。
食料も着るものも温かい暖も無い。
そして一番問題なのは自由と明るい明日が保障されていない、全く過酷な環境下で今日も生活を強いられているといった内容であります。
13歳と言う頃の自分たちもしくは私たちの頃の気持ち・思い出を思い浮かべて欲しいんですけど、本当に多感な時代であったと思うし、いろんな自己実現の希望が皆さんも私もあった頃だと思います。
高校に行ってこんな勉強をしたいとか、大学に行きたい、こんな会社に入って仕事をしてみたいとか、家庭を持って子供を持って子供と外に遊びに行く、こんな物を食べる。
いろんな事を持っていた頃だったと思います。
もちろん私の家庭の中にも楽しい食卓で、私の姉は普段から明るくて活発な性格で、友達の中でも本当に広い意味でいつもヨコ、ヨコと呼ばれているような、明るい女の子でありました。
食卓の中でもいつも話題の中心を持っていくような明るい人でありました。
ただその事件が起きてからは私の家庭の中は本当に全く180度変わって、普段の会話がほとんど無いような暗い生活が始まったわけであります。
しかし、北朝鮮のこの日本人拉致問題と言うのは、確かに私の姉がシンボル的な存在ではありますけども、私たち家族会そして救う会、今荒木先生ご到着されましたけど特定失踪者問題調査会。
多くの方々は家族会もしくは政府が認定している方だけの救出を目的で活動しているわけではありません。
皆様方から向かって右側にポスターがあちらに、ちょっと下側にあるので見えないかもしれませんが、後ろの右側の前にもありますね。
あちらにはもう400名以上の方が載っていると思います。
この会場にいらっしゃる方々の3倍から4倍の方々が、3倍から4倍の私たちと同じ日本人が連れ去られたままになっているわけなんです。
私の姉だけの問題では無いし、政府が認定している人だけの問題ではないんです。
あちらにいらっしゃる方々が、仮にお子さんを授かってその家庭に2人か3人の子供がいるとすれば、その数は本当に計り知れない深刻な大きさであるし、私たちの現実に対してもっと直視・直面しなければいけないと思うし、私たち日本人が助けないといけないという気持ちをもっと形にしていく必要が私はあると思います。
今は3月、事実上4月でありまして、窓の外を見れば桜も咲いています。
少し前までは冬でした。
こうした季節になると私たち被害者家族と言うのは、本当に辛い思いをいつもするわけであります。
今日も食べられるだろうか?
明日は本当に明るく笑顔で起きられるだろうか?
着る物はあるだろうか?
どんな寒い中で寝ているだろうか?
そんな気持ちでいつも冬になると考えてしまう毎日でありました。
そしてこの春、今桜が咲いています。
めぐみも私の母も私自身もそうなんですが、お花とっても好きなんですが桜自体はきれいなんですけども、私の家庭にある、もしくは皆様方の印象に残っている一つの写真。
校庭の前で撮られた桜の木の下で鞄を持ったうちの姉の写真を思い出される方いらっしゃると思うんですが、あれは前日に風邪をひいて、その時に父が翌日にわざわざ校庭の桜の下で撮った写真なんですが、その記憶が私自身も昔々からありますから、この春になると新しい生活が始まるという浮き浮き感と言うものではなくて、とてもさびしい花の色になるわけなんですね。
そしてもう一方この季節ですとお花見といったような明るい話題になりがちなんですが、例えば高齢の私の両親もですね。
お花見そしてもしくは行楽とか映画館とか公園とか、行くことすら出来ないような毎日を送っているわけなんです。
いろんな被害が二重三重に繰り返されているわけなんですね。
こういった深刻な問題を早く解決してあげなければいけない、と思います。
北朝鮮問題、先ほど難民のお話もありました。
安全保障の問題もありました。
そして拉致の問題があります。
私たちはたまたま拉致の問題を中心に、そして被害者の当事者としての気持ちをお話しているんですが、北朝鮮問題と言うのやはり核の問題もそうでしょうし弾道ミサイルの問題もある。
偽札の問題、偽タバコの問題、いろんな問題があるわけなんですね。
たまたま小泉総理が2002年に訪朝されて、5人の被害者当事者とそのご家族が帰ってくることが出来ましたけども、私の姉をはじめとした多くの方々、そしてあちらにあるポスターにまだ政府が認定もしていない多くの被害者が帰って来れていないという事はですね。
これは現在進行形のテロであるという事を、私たちがいつまでも強く言い続けていくという事があると思います。
どこか遠い事の話では無いし、日朝間だけの問題でもない。
先ほどのお話でもご紹介があったように、この拉致の問題は日本人だけの被害者の話題では無いんです。
私ども家族会・救う会・他の団体がいろんな国際的な活動の一環で国々を訪問しています。
ジュネーブの国連に行ったりニューヨークの国連に行ったり、そして国際的な被害者がいるだろうと分かっているタイや韓国、そしてこれからルーマニアにも行く予定でその活動の準備を進めておりますが、今国際的に大きな被害の様相を呈して来ているわけですね。
そういった問題を私たちはやっぱり黙っていてはいけないと思うんです。
過去に類は違うかもしれませんが、アウシュビッツの強制収容所の問題が当時はあった。
その時に隣の国々が目をつぶってしまった事、黙ってしまった事が大きな被害を生んだという歴史はあるんです。
今この拉致問題・人権問題と言うのは、私たちの住んでいるこの日本のすぐそこに見えるような地域に起こっている問題であります。
しかも拉致以外にも現在進行形でありますけども、ミサイルの問題・核の問題と言うのは金正日がその気になってボタンを押せば20分以内におそらく飛んでくるだろうと言われております。
私たち全員に等しく課せられた危機が今ここにあるという事を、私たちが今一度理解した上で北朝鮮に対する毅然とした態度を堅持していく必要があると思います。
私たちはこれまで外務省や官邸や議員の皆様方のところを本当に多く、暑い中も寒い中も足を運びました。
官邸の前でも座り込みもしました。
どうして私たち国民の財産や生命を守るはずの官邸に対して、座り込みをする必要があるのか?という事を常々疑問に思いながらも、この活動を大きくする意味でそして国民の皆様方に知っていただく上でそういった活動をせざるを得なかった、物凄く苦い時間・事実がございます。
しかし、先ほどの特定失踪者問題も被害者の方々が仰っていましたが、歴史が大きく変わって安倍総理が政権を担われて、私たちは9月の29日くらいだったと記憶しているんですが、家族会で官邸で安倍総理にお会いする機会を頂きました。
皆口を揃えて言っていたのは、「初めてこんな嬉しい気持ちでこの門をくぐる事が出来るよね」という事を言っていました。
今までは米の支援をしないと言っていても、その翌日に平気でやってしまうような方々が多くいた。
しかし今、日本政府は安倍さんをリーダーにしてこの問題に対して毅然と立ち向かって、北朝鮮の安全保障上の問題、そして拉致被害者について全く誠実な態度を示そうとしない北朝鮮に対して、制裁を課すよと加え続けているわけでございます。
昨日の産経新聞にも書いてありましたけども、日本政府は今回の6者協議・日朝作業部会において、いまだに北朝鮮が誠実な態度を見せない事に対応する形で今経済制裁を実施中でありますが、4月中旬にその期限が切れようとしています。
その期限をほぼ半年間延長しようという事でほぼ進めているという事が書かれていました。
大歓迎でありますし、私たちはもっとその声をですね。
上げて日本政府を後支え、後ろ支えをしていく必要があると思います。
そして今皆様方も首相官邸のHPをご覧になった方は多くいらっしゃると思うんですが、今こういった拉致と言うですね。
政府が広報する形で官邸でビデオを見る事が出来ます。
これは官邸のHPにはダイジェスト版が載っているようでして、これはフルストーリーのバージョンらしいんですが、こういったもので一杯一杯政府も活動してくださっている。(一枚のDVDディスクを掲げる)
そしてこういった小冊子も政府が作ってですね。
簡単なこれまでの取り組み、もしくは被害者のリストを作ってですね。
いろんな各機関、我々国民レベルまで落として配布も出来るようなツールも作っているわけであります。
今までに無いくらいの大きな活動をしています。
ただここで私たちも、それでは良かったねというふうに甘えてはいけないと思います。
やっぱりそこはさらに安倍総理に対して、正しい意味で堅実な声をもっと発していって彼がもっと動くようにしていただく。
で、北朝鮮に対する圧力をもっと強めるためにですね。
私たちが声を上げていく必要があると思います。
後、先ほど日朝作業部会、ハノイで行なわれたお話ですとかね。
6者協議のお話とかもありましたけど、いまひとつ北朝鮮と言う国が、我々は国としては認定していませんけども便宜上国と申し上げますが、北朝鮮と言う相手がどういう相手かという事をもう一回整理しておく必要があると思うんですね。
これは私の横田家だけの問題において申し上げればですね。
皆様方もご記憶新しいと思うんですが、人権・人命が明らかに反するような他人の骨をですね。
平気で出してくる相手だという事なんです。
私たち日本人の文化の中でこの親とかですね。
家族とかそして骨とか、生きる死ぬってことの意味、とても大きいと思うんですね。
そういったものに対して自分たちが国家の人権侵害・領海侵犯をして来たにも拘らず、そして13歳と言う何も知らない一人の少女を奪っておきながら、さらにその30年後に「これはあなたの子供の骨ですよ」という事を平気で言いのけてしまう。
その目的は単に自分の政権を維持させたいがための話なんですね。
こういったおよそ文明社会では有り得ないような非道な相手だという事なんです。
そして日朝作業部会でも自分の都合に悪ければ勝手に席を立って帰ってしまうし、6者協議でも自分の都合に悪ければ勝手に帰ってしまう。
こういった我々のおよそ常識と言うものの通じない相手であるという事です。
そして先ほど申し上げたようにこの問題は現在進行形の拉致事件でありますから、テロがいまだに我々の身辺に掛かっているという事なんですね。
私は今皆さん方に危機を煽るわけではありませんが、今日今この時間現在ですね。
私たちの家族やきょうだい、お友達が今日夜電話してみたらいないかもしれないんです。
そういったもっと迫った問題であるという事を理解して、北朝鮮に対する圧力を加え続けなくてはいけない。
そしてじゃあ、私たちが何が出来るんだ?という事であります。
国会議員でもないし外務省の役員でもないし、出来ること確かに少ないし小さい。
言ってしまうと出来ないことの方が多いと思いますが、私たちが北朝鮮と違うのは民主主義であるという事。
声を発して民意を形成してそれを政治に活かせるという事であります。
先ほど申し上げた例えば首相官邸のHPにメールを出すことも出来る、意見を言う事も出来る。
警察にも各議員の皆さん方にも、いろんなところにお手紙やお電話・HPのメールで、拉致問題の取り組みが浅いのではないか?甘いのではないか?圧力が弱いんでは無いか?こうするべきだという事を言い続けていく事。
そして願わくば皆様方のお友達、職場のご友人にですね。
例えば土曜日に誰々さんに会ってこんな話を聞いてきたよ、とかですね。
もっと国際的に、例えばお友達がアメリカにいらっしゃる、ルーマニアにいらっしゃる、タイにいらっしゃる。
そしたら「そこに被害者がいるからちょっと情報を取ってくれないか?」といった小さなお口添えがですね。
先ほど言った国際的な圧力の包囲網につながるわけです。
北朝鮮に出来なくて日本に出来ることだと思います。
こういった力を加え続けていく事がとても大事だし、私たちもいつでも倒れそうな弱い存在をですね。
常に支えてくださっている大きな力の源であるという事をこの機会に申し上げたいと思っています。
後もう一つ北朝鮮問題はですね。
いろんな偽札とか麻薬問題とか申し上げましたが、もうちょっと大きな問題、先ほど難民のお話がありました。
中国に逃げても(北朝鮮に)返されてしまうという大きな問題がある。
ここで中国問題を大きく語るつもりはありませんが、北朝鮮以上にミサイルが(日本に)向いているというのは中国であるというのは事実でありますし、せっかく圧政下から逃げてきた人間をもう一回返してしまうという事も事実としてあるという事なんですね。
こういった問題を私たちは、日本人の拉致問題だけに拘るわけではなくて、もっと大きな問題が実はその背後にあるという事を知っていく必要があると思います。
後その北朝鮮国内にはそうした難民の他にですね。
なぜ難民が逃げるか?と言えば北朝鮮国内に居たくないから逃げて来るわけでありますが、子供たちの本当に飢餓に苦しんだ写真や映像は何回も見たと思いますけども、食べるものが無いわけなんですよね。
暮らすところが無いんですね。
自由に意見を言い合う場が無いんです。
そういった子供たちが自分たちの食べるものが無くて、それを日本や他の国々に、例えばマツタケとかアサリとかを出してまでも働かされているという事です。
そういった事を私たちが今経済制裁でそういった輸入はストップしていますが、平気で食べ続けて良いのか?
私たちは向こうの国民も苦しんでいる。
同じ人類として助けなければいけないという大きな視線に立って、この問題に向かい合っていく必要があると思います。
私の姉が2002年の日朝平壌宣言の時にですね。
政府の専用機が来た時に大変期待したと思いますし、そして帰ったときにとても悲しんだと思います。
姉を含めて多くの被害者が、また取り残されてしまったという大きな悲しみ・苦しみにあったと思います。
その同じ気持ちを、おそらく種類は違うんでしょうけど、北朝鮮国内にいらっしゃる自国民の方も早く逃げたい、早く食べたい、早く自由になりたいと思ってるはずなんです。
そういった気持ちを私たちは同じ人類として、隣の国に居る私たち日本人がですね。
人権の価値観を全面に出していく事が大事だと思いますし、それをどうか皆様方の最寄の議員さん方々に取り組みがもう少し具体的であるべきではないか?という事をですね。
言っていくことが大きな力になる。
それが先ほど行った地方が国に対して、国が対外交につながっていく大きな原動力になると思いますので、ぜひともお願いしたいと思います。
後時間も余りないので、限られた事をお話したいんですが、最近家族会がですね。
10年経ってしまったという話があります。
ここについて話をしたいんですが、ここの点についてお話をしたいんですが。
姉自体は30年拉致をされて、その他のご家族も30年以上前に拉致された経緯もあるんですが、家族会が結成されたのが1977年になります。
10年前です。
その時からいろんな理由があって、うちの父が代表を勤めさせていただきました。
今両親70以上を越えていますから、大変な辛い中になるわけですけども、これまでも1000回講演をして日本全国漏れなく今訪問させていただいたわけです。
その他にも政府の協議があったりとか、マスコミとの対応があったりとかという事で、本当に休む暇も無い。
寝る場所も無い状態で毎日を過ごしているのが実情であります。
そしてご存知のように一昨年の12月に父が薬の関係もあるんですが倒れてしまって、医者からの話を言うと「死を覚悟をしてください」という事も私に言われました。
本当に死の淵まで行って、何とか耐え抜いて今ここに居るというのが現実です。
母も普段からあまり辛いとか不平不満を口にする方ではないんですが、やはり歳もあって精神的なストレスもあってですね。
本当にいつもここが辛いここが痛いという事を平気で口にしてしまうような毎日を過ごしています。
姉も辛い、早く助けてあげたい。
そして両親も早く心から笑える時間をですね。
授けてですね。
普通の暮らしをさせてあげたいし、冒頭一点の例え話ではありませんが、本当に何気なく普通に桜の下でですね。
「今日の花、きれいだね」と言うような時間をですね。
本当に早く作ってあげたいなと言うのが私の本音であります。
しかしこれも、すでに私たち家族だけに与えられた問題ではない。
ちょっと大きなアプローチからすると、これは日本人全体の問題でありますから、この問題勝ち取るために、自由を勝ち取るためにですね。
私たちは安倍さんをもっとバックアップして、さらに要求するものは要求していってですね。
人権を無視した、人質外交を繰り返している北朝鮮に対して絶対に譲歩しない。
負けないという気持ちでですね。
戦っていく事が大事だと思います。
その中で家族会代表を10年間やって来て父も75になるわけなんですが、退任をするかしないかと言う話があります。
実際は来月の22日に家族会総会がありますから、その場で家族会の皆にですね。
意向を表明してどうするかと言う道筋を作っていくわけですが、ただ会社の組織のように人材が多くいるわけではありませんから、後任に誰がどうするというのは実際にあるかというのは難しい話ではあるんですね。
ただ、10年間やった、75歳と言う節目であるという事と、やはり私が一番身近にいて思うのは、本当に父の肉体的にも精神的にも限界にあるのは事実でありまして、このまま無理をしていけば一昨年の12月のように、また死の淵をさまような事を宣告されてしまうかもしれないんですね。
そういう意味では個人的には早く楽をさせてあげたいし、願わくばその先にある本当のゴールですね。
自分の娘を取り戻して他の多くの被害者をですね。
全員取り戻して日本が外交で勝利する事はもちろんですね。
この問題に晴れて人権の問題で勝つんだという事をですね。
勝ったという事を宣言していっていたいなと思っています。
まず最後に宣伝的な話になるんですが、皆様方の資料に入っているかどうか今日はちょっと確認をしていないんですが、入れましたか?
入っているそうです。
4月の22日にですね。
日比谷公会堂で、これも何回やればこの問題解決するんだ?という事で、来年はやらないでおこうねと誓い合いながら今年もですね。
やるハメになってしまうんですが、また国民大集会を開きます。
世界的に拉致の被害は多くを生んでいるという事をお話しましたが、そのご家族をこちらに呼んでですね。
国際的な連携をうたう予定であります。
私たちがその場に集って一体感を持って、その数時間後には北朝鮮は、その会場に国民が許さないという気迫を持った時間があったという事を知っているわけなんです。
それほど気にしていますから、私たちが集まって声を上げていくという事はとても力になります。
どうか、今日もですが、お休みのところ大変恐縮であるんですが、時間が許せばですね。
お友達もお誘いの上ですね。
是非お集まりいただいて、この問題と引き続き向き合って、私たちとともに戦ってくださればと思いますのでよろしくお願いしたいと思います。
今、私家族の立場でしか物を申し上げられませんが、本当に戦い所いいところに来ていると思いますし、先ほどの恵谷先生の話にもあるように、若干今までの雲行きと違うところがあるんですが、日本が孤立しているという事は無いと私は思っていますし、信じています。
その為には私たちが気を抜くことを無くですね。
北朝鮮に対してもアメリカに対しても国際社会に対しても、引き続き言っていく事がこの問題を絶対に忘れさせない事につながると思うので、どうぞ引き続き私どもと戦ってくださる事をよろしくお願いします。
ありがとうございました。(拍手)
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※藤沢集会の録音・写真撮影・ネット公開については主催者の同意を頂いております。
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