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2007年4月 1日 (日)

石高健次さん講演-(2)

原敕晁さん拉致から始めたこともあって、辛光洙の共犯だった金吉旭(キンキルウック) 金は去年4月に、去年の4月ですよ、ようやく拉致で国際手配されました。
95年月、彼が済州島にいました。

自宅を突き止め、前で張り込んで直撃インタビューしました。
最初、『誰にもわからないんだ。わからないんです』と言いながら逃げ回りました。
私は『原敕晁さんという一人の人の、生き死にが未だにわからないんだ。』とマイク片手に叫び続けた。正直、気持ちとしては、ふんづかまえて、首根っこつかまえてですね、殴りつけても、真相を喋らせたいという心境でした。しかし、それはできません。彼は辛光洙と一緒に捕まりはしたけれど、その後恩赦・減刑で出所し一般市民でしたから。

逃げ回るのを追いかけていると、10分もしなかった。金吉旭は突然路上にしゃがんで考え込んだ。と、泣き出したんですね。声を上げて大泣きしました。

そして、原さん拉致を全部認めた。
韓国では、国家保安法違反、スパイ容疑で捕まっているんですけど、韓国人であれ外国人であれ、誰かを誘拐して北朝鮮に連れて行った場合は、国家保安法の規定で立件しないとならない。ですから辛光洙と一緒に共謀して、原敕晁のどういう拉致をやるか話をしたとか。捜査資料とか、裁判の陳述書に詳細にでてきます。大阪市内の喫茶店の名前も出てきます。
その点について、『あなたが裁判で言ったことは、本当か? ホントにホントなのか?』ということを聞きました。
彼は、はっきり『そうです。その通りです』と静かに言って頭を下げた。最後に原さんのことを『本当に気の毒なことしました』と。

このときに、憎っくき拉致犯なんですけれど、私が思ったのは、ある意味で、彼もまた、被害者だったと。南朝鮮革命という幻想にとらわれたゆえに、利用され使い捨てられた兵隊の駒に過ぎないと。
あの大泣きは、彼の良心がそうさせたのだと思います。ずーっと心の中で気の毒なことをしたと思い続けてきたが故に大泣きをして認めたんだと。

このときです。私が拉致は本当にあるんだと確信したのは。

お手元の資料、『人脈記』(朝日新聞ニッポン『人・脈・記』安倍政権の空気②平成19年3月6日付)という記事に、95年に『闇の波濤から ~北朝鮮発・対南工作~』というドキュメンタリー番組のことが書かれています。今申しました一連の取材をまとめたものです。

全国ネットで95年の5月頃に放送しました。原さん、海岸のカップル、田口八重子さんら13人が拉致されているのは間違いないという報道です。
しかし、残念ながらまったく全く反響がなかったんです。他の社からの問い合わせもない。黙殺というのは、こういう事をいうんだろうと思います。
世間は、たぶん、『そんなことあるだろうか、なんだ、嘘だろう』と受け止めたのでしょう。日本人をい拉致していったいなにするんだと。番組では教育係にするとか成りすましとか言ったんですが、信じてもらえなかった。
この『闇の波濤から』というのは、最初に拉致を客観的に実証した報道だったんですけどね。
いいえ、ただひとつ反響がありました。
韓国のKBS=放送公社が、韓国語に翻訳したものをで放送したいといってきた。95年11月、日曜のゴールデンタイム、夜8時から、1時間20分ぐらいですかね、『闇の波濤から』を放送してくれました。1ヶ月経たないうちに、北朝鮮の、これは安企部の人から私は聞いたんですが、ラジオが、朝日放送名指しで『あれはでっちあげだ』とやっていた。
反響があったのは、北朝鮮だけという非常に寂しい結果でしたけれども。(会場笑い)

これで、すべては終わると思っていました。
ところが、また偶然があった。
この5月の『闇の波濤』を、朝日新聞の出版局の人が観ていたんです、東京で。私の所に電話ありまして、『あの話は、本当ですか?』というふうに聞かれました。
『本当ですか?』と聞かれて『嘘かもしれません』とは答えなかったですけど。(笑い)
『それでは記録として残したいし、やっぱり訴えていきたい』と。朝日新聞の出版局というのは、新聞とはまた違う物差しがあるんですね。アエラもそういうところがありますよね。
それで5月の放送は、終わったんですが、本を書くために、また取材を続けたんです。
それが、横田めぐみさん拉致発掘につながっていった。

95年6月、KBSの放送の前、ソウル、明洞の繁華街でした。
韓国情報機関の高官から、『子供が拉致されているようだ』ということを聞いたんです。
それは、当時13才、学校でバトミントンの練習をした帰り、双子の姉妹の妹、76年か77年と。

石高『え?子供もやられてるんですか?』
石高『名前は何というんですか』
高官『わからない』
石高『どこの話ですか』
高官『それもわからない』

この情報を韓国にもたらしたのは、これよりちょっと前に亡命していた北朝鮮の工作員です。その人は横田めぐみさんと話をして聞いたのでしょう。場所は平壌の病院。めぐみさんが心を病んで二度目の入院をしている時だった。秘密の病院にその工作員もケガをするとか、何らかの事情でいたのでしょう。
身の上話かなんかをして13才、バトミントン、双子の姉妹の妹、ということを聴き、後に亡命した。亡命者の情報を吟味するのが、情報機関の仕事なんですけど、『彼が言っていることは、間違いないと思う』と。ところが、どこの誰かを亡命工作員彼も聞かされていない。
彼女が(めぐみさんが)、その亡命工作員に語ったのは、『拉致され、一生懸命勉強して朝鮮語を5年以内にマスターしたら、親の元に返してやる』と言われた。だから、少女は一生懸命朝鮮語を勉強した。ところが、18才になったときに、『返して欲しい』といったけども、ダメだと言われた。何度も懇願したが許してくれなかった。それで心を病んで、病院にかかっていた。
そこで、後に亡命する工作員と身の上話をしたわけです。
なぜ名前を言わなかったんだというふうに不思議に思う方がいらっしゃると思います。
しかし、これと似た例があります。
金賢姫の口から出た拉致女性「李恩恵」。田口八重子さんと後にわかりますね。今お兄さんここにいらっしゃいますけれど、金賢姫と田口さんは日本人化教育のために1年8ヶ月ぐらい一緒に過ごした。しかし、田口さんは自分の名前は告げていないんです。
言うと、自分の身が危ないと。おそらく、そういうことがハッキリ分かっていたのでしょう。田口さんもめぐみさんも。

この情報をもたらした人は安明進とは違います。未だに表には出てきていない。韓国サイドに今まで何回も会わせてくれと言い続けてきましたが、未だに表に出さない。

その後、96年10月に朝日新聞から『金正日の拉致指令』という本を出しました。このときに、「少女拉致」の情報を書こうかどうか迷ったんです。結果的にはこの情報を書きませんでした。
何故かと言いますと、子供がやられている。13才、あまりにも荒唐無稽。95年の5月に『闇の波濤から』を放送したときに黙殺された。こういう事を書けば、13人がやられているという、他の拉致被害者のことも、また嘘だろうなんかいい加減な話だろうと思われのではと考え、この話は書かなかったんです。この時点では、横田めぐみさんという所にはたどり着いていません。

本の出版とともに広告が出ました。『現代コリア』という雑誌から、その本の紹介記事を書きませんかと声がかかりました。そのときまで、全く私は面識ないんですけど。
『現代コリア』の10月号に、『私が金正日の拉致指令を書いた理由』という記事を書いたんです。
10月号なんですが、何かの都合で遅れて11月の始めぐらいに出ました。

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