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2007年4月 1日 (日)

石高健次さん講演-(3)

なぜ、私にその情報が入ったかと言いますと・・・。
実は、私にその情報を私に告げる以前、韓国安企部の高官は、日本の警察のある官僚に、『子供が拉致されてるらしいぞ』と通報していた。これは、公式通知ではなくて担当者が個人的に電話をして、日本の女性がやられているから調べたらどうですか。それが春のことなんですね。

その警察官僚は、オンラインで叩いてみたが出てこない。5年以上経った記録は、消えてしまうので、中央では。で、そんなの見つかりませんでしたという返事をしたんですね。これもまたそういう官僚の体質の話なんですけれど。

その後3月にオウムのサリン事件がおきるんですけれど。もう一度、韓国安企部の担当官は、連絡をいれて、『いや工作員のもたらした情報は間違ってないと思う。他のことも色々チェックしたが嘘はついてない。もう一回調べたらどうですか?』というのを、今度は放っておいた。

そんな状況のとき、拉致があるのかどうかとワーワー言ってる日本の記者が一人いたなというのをたぶん思い出されたんでしょう。
こちらから願い出て6月23日、明洞(ミョンドン)の居酒屋でこの安企部の人と会った際、「少女拉致」の話が出てきたのです。

話は96年に戻りますが、『現代コリア』に記事が出た直後、12月になって、新潟の「ニュー越路」という公務員宿舎で、佐藤勝巳さんが講演なさって、そのあとの親睦会で、まぁ、こういう記事がうちの現代コリアに載っているんですけどと言ったときに、『それは、横田めぐみだ』ということになったわけです。

それが私の所にも入って--この間に紆余曲折があるんですが--、名前がちゃんとわかったのが、97年の1月7日、報道される一ヶ月前です。

それで、1月の末に、兵本さんに横田滋さんは日銀の行員だったと私が言いまして、彼は議員秘書の威力でOB会名簿を出させ、電話番号を割り出した。それで、横田さんのお父さんと議員会館であって、そこに私が電話を入れました。
川崎のご自宅へ伺ったのが、1月23日だったです。まぁ、こうして、当時で20年近く空白があった、横田さん夫妻に『娘さんは、拉致されて平壌で生きている可能性がある』ということを伝えたわけです。

このときに、私は報道を控えました。理由は、横田さん宅にめぐみさんのいろんな写真がありましたから、その写真と、適当に少女ファッション雑誌からとった写真とをもって、この情報をもたらした工作員に、確認をしたかった。それをさんざん、韓国政府に要請しました。
でも、その亡命工作員は、まだ公表できないからダメだと言われて、それは、未だに会わせろと言い続けているんですけど。その確信をとるまでは、私は報道しないと決めたんですね。

それは、このときも、世間が信じて国が動いてくれればいいけど、95年の『闇の波濤』放送のときのように、中途半端におわれば、拉致の証拠であるめぐみさんやその情報をもたらした亡命工作員の家族が、抹殺されるかもしれない。そういうことを考えて、最低、写真で、この工作員に確証をとるまでは、それこそ報道を控えたわけです。しかし、現代コリアの筋とか、西村眞悟さんや、アエラ関係に話が漏れました。いずれの方とも、電話で話をして本当に国が動いてくれるんだったらいいけど、今の状態では、慎重にやってくれということを言いました。1月の30、31日ですね。

ところが、2月3日、これ月曜日だったんです。この日が発売日のアエラが、私が、こういういきさつでみつけたということ。それと産経が出て。その後、午後三時台だったか、西村眞悟さんが、衆議院予算委員会の総括質問で、私が書いた記事と現代コリアの記事と、新潟日報の女子中学生下校途中に行方不明というのを並べて質問された。衆議院の予算委員会総括質問というのは、NHKで生中継されるんですね。やると直前にわかっていましたから、昼のニュースから我々も報道していった。

こうして、横田めぐみさんが、拉致されているということが世に出たわけです。

その直前から、兵本さんと私と手分けして、有本のお母さんには、みなさんの電話番号教えて電話してもらい、被害者家族に会を作ろうと呼びかけを始めた。
被害者家族は、カップル男女の家族は別にして、互いに何のつながりもなく、孤立しておられた。
3月の25日、朝日放送東京支社のあった芝公園の近くの安い都営の会議室、アジュール竹芝にみなさんを集めて家族会を結成しました。
翌日に警察庁に誓願を出しまして、外務省にも行きました。このときに、マスコミ各社が報道してくれたこともあって、対応に出たのが、アジア局長です。今はアジア太平洋局ですけれど、加藤良三局長が対応しました。

その辺りから、政府の対応は変わってきました。
しかし、川崎の駅前で、横田さんたちが署名活動されるんだけど、まぁ、そうですね、半分以上の方は、素通りだった。
「なんだ、これは? 拉致? 何が起きているんだ?」「こどもさん、どうかしたの」って感じでちょっと聞きながら、通り過ぎて行かれる方が、多かったのを覚えています。

めぐみちゃん拉致を発掘報道されるまでの話を長く時間をとって、やらせていただきましたが、そういう所を通じて、ほんとに官僚たちの事なかれ主義、政治家の無責任さというのを私は痛感してきました。

もう一つ具体例をいいますと…。
宇志津事件というのがあります。石川県の能登半島で、久米裕さんという三鷹市役所のガードマンが密貿易で儲かると騙されて海岸に連れて行かれて拉致されるんですね。それを石川県警公安課が、李という実行犯を外国人登録法違反で捕まえる。彼の口からは、拉致のことが出てきたんですね。それで、現場の人たちは東京に海外移送目的の誘拐罪、つまり拉致で立件したいと願い出た。本人が誘い出して連れて行ったと自供しているわけですから。
東京の警察官僚は、『そんなことをすれば戦争になりかねない』っていって押し留めたらしいんです。要は、及び腰で、ビビって、折角の拉致犯逮捕を闇に葬った。結果、彼は外国人登録証を携帯していなかったとそれだけのことで、結局あれは、裁判にもならなかった。

裁判をすると、警察の方は警察の方で、いろんなことで集めた資料が公開されたら、その先情報がとれなくなる。そんな論理が中央に働いたようにも聞いています。
拉致で立件していれば、それで警察が動いていれば、二ヶ月後のめぐみちゃん拉致は防げたのかもしれない。
そういうことを考えますと、現場で頑張っている刑事はいられるんですね、それが中央に行くと、なんかこう、潰されちゃう。これが正に、官僚の事なかれ主義だと思います。

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