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2007年4月 6日 (金)

【北朝鮮亡命高官 黄元労働党書記の証言】(1)決断

【北朝鮮亡命高官 黄元労働党書記の証言】(1)決断

          ~~Sankei WEBより、記録として保存~~

ソウル市内で長時間インタビューに答える黄氏(久保田るり子撮影)
 北朝鮮を支配する朝鮮労働党の書記だった黄長●氏が祖国と決別し、韓国・金浦空港に降り立った1997年4月20日からまもなく10年になる。金日成、金正日という独裁者父子の側近の地位を捨て、黄氏はなぜ政治亡命を決断したのか。それを問い続けると、「核」を振りかざして国際社会を揺さぶる北朝鮮の実像が見えてくる。「証言」第2部では、黄氏が自らの体験から独裁国家の舞台裏を語る。(ソウル 久保田るり子)

大量餓死者

 「金日成が死亡(1994年7月8日)して、葬式が終わったあと、金正日は私に電話をかけてきた。『事態が変わった。助けてくれ』という。私は金日成への義理もあると考え、金正日に(今考えると)非現実的な希望も持った」

 「ところが彼の態度はますます悪い方向に向かった。軍事独裁は何倍も強化され、露骨になり、95年からは大量の餓死者が出始めた。この年コペンハーゲンで開かれた主体思想の会議に出ようとすると、金正日は会議に参加するロシア代表に『100万ドルを与えよう』といい出した。その人物が金日成の葬式で『金正日将軍の宣伝に協力する』と約束したという。私は『もう一度会って試しましょう』とやんわり拒んだ。自分のためには莫大(ばくだい)な外貨を使い、飢えた人民のことなど気にかけなかった」

 「金正日にへつらう駐スイス大使が『スイスには草だけ食べて大きく育つ家畜が多い。穀物は必要ない』と手紙を送ってきた。金正日は党中央委員会にこの手紙を『文献』として出し、各道ごとに草を植え牧場を作り、家畜を育成するように命じた。飢えた農民を見て『彼らはなぜはちみつを食べないのだ』と言ったロシア皇帝と同じだった」

 「私は欧州からの帰路に中国の北京で、ある人物を通じ、『金剛山を開放すれば入山料を出す。施設は全部、南朝鮮が担当する』という(韓国側の)相談を受けた。95年末のことだ。飢餓と経済難を救うには外貨獲得しかないと思った。金正日に金剛山開放の話を提起すると『案を作って送れ』というので、軍、内閣、観光総局の責任者らを集め相談した。みな賛成だった。国家保衛部が案内役を担当すると協力を申し出た。しかし金正日から返事はない」

 「金正日に一番近い者に聞いてみた。彼は『なぜそのような提起をするのか』と言って、しきりに戦争の話をする。『釜山までは進軍できるが、その後が問題だから(金正日が)決心できない』というのだ。私が建設的な意見を言っても一切、通じなかった。私は『もう、だめだ』と思った」

自殺も考え

 「北京の部下(一緒に亡命した朝鮮労働党傘下の貿易会社元社長、金徳弘)に自殺用の毒薬を持ってくるように頼んだ。このまま死ぬか…。しかし自殺したら家族がただでは済まない。朝鮮労働党の指導理念を管理してきた私が自殺すれば反革命だ。反逆者の家族となるからだ。だが、このままでは朝鮮民族はただの一人も金正日に反対する人間がいなかったことになる。それは民族に対する侮辱だ。家族なら他の人たちにも家族がある。自分の家族だけを考える場合なのかと思った。私は北京の部下にここ(韓国)の人たちと相談するよう連絡した。私は、この状態を南朝鮮に知らせるため亡命を決心した」

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