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2007年4月14日 (土)

惠谷 治氏講演-藤沢にて

  さる3月31日、藤沢で行われた、救う会神奈川主催による集会から、ジェーナリスト惠谷治氏講演をご紹介します。
現状認識については、先の加藤博さんとは180度違うとおっしゃる惠谷治氏のお話ですが、加藤博さんのお話と比較しながらお読みいただければと思います。

尚、この記録取材、掲載に関しては、救う会神奈川より承諾書にサインを頂いております。
救う会神奈川の皆さん、ご理解をありがとうございました。

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惠谷治氏(ジャーナリスト)講演
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えー、まず今、加藤さんの内容と私は、情勢認識が180度違いますけれど、直ぐお話ししたいと思いますが。
まず、六者協議というものをどう考えるかと言うときに、実は、六者協議が行われている間、私は韓国にいました。韓国の論調は、加藤さんがお話になった内容と全く一緒です。『ブッシュは譲歩した。我々は勝利した。』と、韓国左翼政権、左翼マスコミは、もう、大騒ぎです。

で、まず、六者協議の合意に至るまでの経過を簡単にお話したいと思いますが、ご存じのように、この六者協議の合意に至る前提である2005年9月の六者協議の共同声明があります。その直後に、ご存じの、BDA=バンコ・デル・アジアのいわゆる制裁が始まりました。

この制裁というのは、どういう事かというのは、『その銀行の口座に出入りする金が、怪しい金である、ついてはそう言う金を扱っている銀行は、制裁というか、取引停止と言うことにするぞ』という“懸念指定”だったわけですね。2005年9月の段階では。懸念があると言うだけで、取引が停止された。
この停止はですね、バンコ・デル・アジア自信ががおこなったわけで、アメリカはいわば、脅したという状況です。しかし現実的にはもう、口座取引が出来なくなって、北朝鮮はあわてた。その数日前には核の完全廃棄に同意するというサインをしたにもかかわらず、アメリカがそういうことをしたんで、六者協議にはでないということで、ご存じの7月、それから半年後の7月にミサイル発射がありました。

まぁ、その少し前、2005年10月に、検察庁、警視庁は、科協=在日本朝鮮人科学技術協会というのをターゲットにがさ入れをやったと。これはまぁ、いわば技術制裁といいますか、ミサイルあるいは核を開発させるその支援を科協がしていると言うことで手入れをした。

ですから、2005年の9月から10月にかけて、日米が金融及び技術で、北朝鮮を追い込んだ。その回答がというよりも、金正日はですねそれに抵抗してミサイルを発射した。このミサイルも、テポドン失敗して、その他は成功したんですが、七発のうち、六発が成功した。この六発はですね、既に実戦配備している朝鮮人民軍の管轄のミサイル。これは全て成功・・成功と言うことはない、まぁ通常に、設計通り飛んだと。手順通り飛んだと。

その中には、日本をターゲットにしているノドンというのが含まれていました。しかし、アメリカに届く、アラスカに届くテポドン二号というのは、失敗しました。一分そこそこで爆発した。そのミサイル発射によって、安倍政権は、日本独自の経済制裁をやった。

で、アメリカに届くミサイルが失敗したが故に、金正日は次なる手を考えたのが、ご存じの地下核実験です。しかし、これがですね、ミサイルがもし成功していれば、その2005年の2月に北朝鮮は、核保有宣言をしています。我々は、持っていると口だけで宣言しています。
その宣言で、アメリカに対するミサイル攻撃が可能になるという大宣伝が出来たはずです。そうすると、民主党の議員あたりはですね、やっぱり米朝二国間交渉をすべきだというような論調がでたかもしれませんが、とにかくテポドン二号は失敗します。

で、核実験をやったところ、これもまた、見事に失敗をしました。

ある解説者は、核を持っていなくて、通常爆弾を大量に爆発させたんじゃないかという程度の爆発力しか発揮できませんでしたが、これは、間違いなく核実験でした。
この核実験によって、こんどは、国連制裁決議が行われます。

とにかく北朝鮮はどんどん追い込まれていく。それ以前も、大変な状況で、みなさんもご存じの中で、制裁が次々とかかっているのが現状です。

そうした中で、まぁ、去年の12月に一度六者に復帰しましたが、結果的に、この、2.13の共同・・、六者協議合意がでました。それをもっと一つ言えば、その間にご存じの通りアメリカの中間選挙がありました。これによって共和党が負けて、ブッシュ大統領は、ある程度の変換を余儀なくされたのは
事実です。

さて、この六者協議の中で初期段階という、つまり寧辺(ヨンビョン)とい開発センターの施設を凍結すると5万トンの原油をやると。しかも、60日以内に実行しろと言う合意があり、核を完全無力化すれば、100万トンやると。

加えてですね、この合意に関して、ご存じのように、日本政府は、“拉致問題が解決しない以上一切のエネルギー支援をしない”それで良いですねとモスクワも北京も納得させた上でサインをしたわけです。それをですね、何故かバスに乗り遅れるとか、日本が孤立化してくるとか、どうしてそう言う解釈がでてくるのか、私にはわかりません。見事な日本の外交勝利です。

まぁ、日本の外交の孤立化とか非難する人はですね、そうでなければ、日本は対米従属だと非難するに決まっています。これは、見事な近年にない外交的勝利だったと私は思います。

では、ブッシュ大統領は、変節したのか。
確かに変節しています、ある意味で。
元々は、完全廃棄しない限り、一切の援助はしないと。それをですね、二カ所の施設を止めれば、5万トンやる、この二カ所の施設を止めるというのは、1994年の米朝枠組み合意と同じ事なんです。

その時は、50万トンを何年にもわたり・・結果的に400万トンただ取りされました。

しかし、今回は、『5万トンでどうだ』 と言ったら、そうしたら金正日はOKをだしたんですね。
しかし、今トラぶっています。60日以内には出来ないでしょう。

しかし、金正日は10年前は50万トンのところ・・プラス400万トンのことを考えればですね、80分の1でサインをしたんですね。それぐらい老い込められている。

しかし、一方で、BDAの問題があります。これで2500万ドル、戻さなくちゃいけない。これでアメリカは譲歩した。とんでもない認識不足です。まず、先ほど言ったように、2005年の9月には、“懸念先”であると指定したんです。今回は、間違いなく、その行為に荷担したと断定したんですね。あとは銀行の判断に任せると。アメリカは逆に投げた。ですからアメリカは以前より指定は強化した。

これはどういう事かと言いますと、問題は、2500万ドルじゃないんです。
この2500万ドルであれいくらであれ、北朝鮮と取引をした銀行は、アメリカからそう言う指定を受けて、外為=為替取引ができないんです。

ですから、今のこの『2500万ドルがまだ手元に届いていないから、協議に参加しない』という北朝鮮の問題は何かと言いますと、この2500万ドルをどういう形で北朝鮮に渡すかと言ったときに、中国銀行経由で渡すと。ところがですね、バンク・オブ・チャイナ、その2500万ドルを自分の銀行経由で北に回したら、その汚れた金を扱ったとして、アメリカからまた指定を受ける可能性がある。非常に、政治的に、問題は苦しいんです。

それが故に、北朝鮮に2500万ドルが渡っていない。
逆に言うと、北朝鮮はそれをもらうまで、もう一切交渉に出ないと。

つまり、5万トンでも欲しいのに、それも首領様の4月15日(太陽節)までに、なんとか手に入ればと言うことで、あの時点で何とか60日という事でサインをした。アメリカはですね、もっというと、ブッシュ大統領は、2500万ドルぐらいくれてやると。しかし、完全な指定先に決定しろと言う形で今終わっている。

もう一つは、その文書の中で、8項目ぐらいあったと思いますが、その最後の方にですね、朝鮮半島の平和体勢について協議を開始すると。この平和体勢、つまり朝鮮戦争を休戦状態から、平和条約締結に持っていくと、その文を、韓国左翼、今の盧武鉉政権はそこにスポットを当ててもう、米朝は、明日にでも、国交正常化を果たすんではないかというプロパガンダをやっている。

ですから、私も、まぁ、ソウル新聞、韓国の、これは政府系と言われますが、その記者に、『米朝が国交正常化をしたら日本はどうするんですか?』という質問を受けました。米朝が国交正常化をするわけないじゃないですか、今の状況で。そう言う認識もない、ただただ平和ムードを煽って、南北統一に向家手と言いますか、逆に言えば、北主導の赤化統一に向かっていると言うことです。

ポイントはですね、この六者協議を、金正日がますサインしたのはですね、先ほど言いましたとおり、もう様々な制裁がかかっていて、その中で唯一金になるのは、韓国です。ところが、韓国はですね、去年の10月の核実験以降、支援を停止していました。その支援再開のための何かきっかけが必要だと。これが六者協議の合意です。六者協議で、核問題はですね、100万トンで無力化になると。次は米朝の国交正常化だ。日本は拉致で騒いで、日朝は後れをとる、バスに乗り遅れるという風潮です。

しかしですね、先ほど言ったように、日本は一切金を出さない。そうなると、バスに乗り遅れるんじゃなくて、バスは待ってて日本が乗り込むまで、発車できないんです。

何の問題もないのを、孤立化だの、ブッシュの変節だの、ここに、拓也さんもいらっしゃいますが、ブッシュ大統領は早紀江さんにお会いしたときのことは絶対に忘れていないし、拉致を絶対に置き去りにしない。それを、こうブッシュ大統領が変身したような形で、どんどん解説が出てくる。そんなの、全く誤った見方です。

さて、まだ話は言いたいことあるんですが、拉致に関して言います。
拉致問題をどうするかと言ったときに、まずよく言われる、拉致は日朝の二国間だと。ところがもう皆さんおわかりのように、二国間の問題ではありません。最低12カ国の犠牲者=拉致被害者が出ていますし、プラスその被害状況がどんどん明確に証拠が出て、家族達が名乗りを上げています。

この拉致問題を解決するには、拉致の国際化を広げていく、まぁルーマニアでも弟さんが名乗りを上げていたり、ご存じの、タイでも、マカオにも、こういう方々と協力して話を盛りあげていく。

実は2月に中国で社会科学院の人間と話をしたんですが、彼等は、中国人、--当時はマカオですが、ポルトガル領でしたが--拉致された事実関係も知らない。『え?そう言うことがあったんですか?』というぐらい。

ところがまぁ、これを上手く持っていかないとですね、『13億のうち一人や二人、そんなものは、どっかにいってるだろう』というような認識があります。

ですから、あの大中国が、北朝鮮の工作員の不法侵入を許して、自国民をこっそり連れて帰れるような、そういうことで、メンツが保てるのかという言い方でですね、中国に対して話をして、その資料も渡してきたんですが。

そう言う形で、中国もとにかく『日本は二言目には拉致だ、拉致だと、うるさい』というような言い方を変えさせて行かなくてはいけないし、事実、温家宝首相もきて、前とはトーンの違った言い方をしています。ですから、そう言う形で、拉致問題を国際化して国際世論を強めていくべきだと。

もう一点、韓国で、ご存じの朝鮮戦争の時の拉致問題があります。8万3千人ほどがリスト化されたものであります。私も、その活動している事務所には、何年も前から行っていたんですが、正直申しまして、戦争中だからいろんな事があるだろう、それを拉致というひとくくりにして良いんだろうかと、正直言って数年前にその事務所で話を聞いたとき思いました。

ところが、今年、また行ったんですが、あの朝鮮戦争が1950年の6月25日に始まりましたが、その数ヶ月前、金日成のサインで南から50万人の人間を連れてこいという、この拉致指令命令書が発見されました。

つまり、朝鮮戦争の開戦理由の一つは、南の優秀な人間をとにかく北に連れてくるというのが一つの戦争目的でした。それの証拠が発見されました。実際8万3千人がリスト、名前、出身、写真、職業も含めまして、わかっているんですが、その統計を整理してみるとですね、男がほとんど、つまり女性はほとんど拉致されていない。プラス若い人。プラス、職業が、いわゆる技術者、知識人・・・、そう言う方々以外は、ほとんど拉致されていない。

被害家族との、インタビューをその事務所がやっているんですが、とにかく人民軍が来て、路地を入ってきて連れて行く。北朝鮮でいうところの“人定了解”がすんでいた。とにかくそのターゲットを絞って拉致していった。それを、金日成の指令は50万人で、現在8万3千人の被害が明確になっている。拉致は朝鮮戦争以前からあった。

今の日本人拉致問題は、まぁ荒木さんの所の・・(私も関わっているんですが)特定失踪者問題調査会では朝鮮戦争前後からいろんな失踪者のことをリスト化しています。しかし私は、やっぱり金正日が三号庁舎を握った1976年以降が金正日の指令によって拉致されたんで、それ以前はどういうシステムで、拉致が行われたか良くわかりませんでした。まだ指示命令系統、実行機関については研究の課題ではあるんですが。

金日成が1950年に拉致指令書をだしたということが、今回わかってこれは、もう明らかな拉致です。ですから、北朝鮮の歴史は、イコール“拉致の歴史”ということが言えるんではないかということをお伝えして終わりにします。 

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