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2007年7月 9日 (月)

叫び 拉致被害者家族会10年 【1】

  講演1000回 なぜ進展ない

「こんなに一生懸命やっているのに、どうして解決しないのでしょうか」
 今年5月15日。北朝鮮による拉致被害者・横田めぐみさんの母、横田早紀江さん(71)は成田空港で開かれた記者会見のさなか、突然、報道陣に質問をぶつけた。
 この日は、めぐみさんの救出を願う歌を作った、米国のフォークグループ「ピーター・ポール&マリー」のノエル・ポール・ストゥーキーさん(69)が来日し、その会見に早紀江さんらも同席した。後日、早紀江さんは「会見を盛り上げようと思って発言しただけですよ」と淡々と述べたが、進展しない拉致問題へのもどかしさの表れだと誰もが受け止めた。
 
 1997年3月、滋さん(74)、早紀江さん夫妻ら8家族が東京都港区のホテルに集まり、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)」が結成された。
 娘の帰還を信じ、全国で講演会や書名活動をする日々がスタートした。だが、拉致は当時、「疑惑」でしかなかった。街頭で署名を求めると、「拉致なんて本当にあるのか」と冷ややかな反応が返ってくることも度々だった。
 だが、夫妻の訴えは、行く先々で共感を得るようになる。1年もたたないうちに、「自分の地元でも話をしてほしい」との誘いが寄せられるようになった。各地で署名を集める輪も広がり、署名簿が段ボール箱で次々と自宅に届いた。
 「だから、めぐみはすぐに帰ってくると思った」。滋さんは、家族会発足当時の熱気を思い出す。
 
 家族会結成から5年、地道な運動はついに政府を動かす。2002年9月、小泉首相(当時)が訪朝。初めて開かれた日朝首脳会談で、金正日総書記が拉致を認めて謝罪した。しかし、北朝鮮側は、めぐみさんについては「94年に死亡」と主張。偽の遺骨を日本政府に渡した。「拉致問題は解決済み」との姿勢を北朝鮮はいまだ崩していない。
 日朝関係の交渉に一喜一憂し、北朝鮮の「発表」に翻弄され続けた横田さん夫妻。早紀江さんは「木の葉が揺れるような思いの10年間だった」と振り返る。
 
 夫妻の講演会は昨年夏までに47都道府県すべてで開かれ、1000回を超えた。支援者に送る年賀状も年々増え、自筆でしたためるものは1000枚近くになっている。
 ただ2人とも家族会発足当時のような体力はなくなっている。滋さんは05年末、血小板が減少する難病にかかった。入院して一命を取り留めたが、いまも定期的に検診を受けている。早紀江さんも腕のしびれに悩まされており、夫妻は今月から3ヶ月間、休養を取る。家族会結成後、実質的に初めての「夏休み」だ。
 夫妻には4人の男の孫がおり、滋さんは、趣味のカメラで孫たちの写真を撮るという。13歳で拉致されためぐみさんを、再びカメラに収める日を思い描きながら、こう力を込める。
 「活動によって、北朝鮮の拉致は『疑惑』から『事件』に変わった。人間はどこかに力が残っている。11月に家族会の代表は辞めようと思うが、拉致被害者が帰ってくるよう活動は続けていく」
 
 拉致被害者の家族会が結成されて10年。活動を続ける家族の「叫び」を伝える。
 
(読売新聞 2007年7月3日朝刊 社会部・石間俊充)

電脳補完録 拉致問題解決までより

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