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2007年9月

2007年9月29日 (土)

9.16緊急集会荒木和博氏

≪司会:櫻井よしこさん≫
本当に多くの拉致された可能性の否定できないケースを発掘してきました、荒木さんから、状況説明をお願いしたいと思います。宜しくお願いします。(拍手)

  ≪特定失踪者問題調査会 荒木和博代表≫
ご紹介いただきました、荒木でございます。
今日は連休の最中、多数の皆様お集まりいただきまして、本当にありがとうございます。

まず、最初に、きのう産経、NHK等々で報じられました、あの矢倉富康さんではないかという、私どもが発表した写真の件、一言だけ申し上げておきます。報道に寄れば、あれは別人である可能性が高いという報道がございました。
私ども、そのような情報は受けておりまして、その可能性も含めて調べているところなんですが、今回のこの写真に関しては、単に写真が似ている、似ていないいう以外にですね、様々な、不思議な点がいくつもあります。、声の問題もそうですし、あるいは写真が出てきて流れていった経路もそうでございますし、これ、問題は、もっとかなり奥の深いところにあると思っておりますので、現在調査をしておりまして、発表できることは、逐次発表して参りたいと思います。

実は、このことをやっている過程で、やはり前に私ども--(今日、松本京子さんのお兄さんがお見えでございますけれども)--松本京子さん、斉藤ひろしさんの写真のことで、非常に似た人ではあったのですが、ちょっと失敗したこともございました。こういう事もございますので、やはり慎重にやった方が良いんじゃないかと言うような声も確かに実はあるんですね。そして、言うまでもなく政府は、もし間違っていたりしたら、北朝鮮から、大変な反撃をくらうと言うことを言っています。

しかし、安倍総理が退陣表明される前の日、9月11日に、内閣府で、日朝国交正常化担当の峰大使のモンゴルの報告をお聞きしたんですが、アレを聞いて、感じたことは、もしたとえば私たちが、正しい情報=本当に絶対これは間違いないと、この人がここにいる=というような情報を持ってきたとしても、政府がやってくれるのは、紙を出して「ここにこういう人がいるんじゃないですか」 と聞いて、おしまいなんではないんだろうかということでございました。それ以上のことをしてもらえる可能性はない。

一方で、北朝鮮というのは、2002年までの間、「我々は一度も拉致などをやったことはない、拉致というのは、全て日本の反動勢力のでっち上げである」というふうに、ずっーと嘘をついてきた国です。
ずーっと嘘をついてきた国です。ずっとウソをついてきたんですから、今も嘘をついているだろうし、これからも嘘をつくに決まっている。それを相手にして、こちらがいくら真実を見せても、相手側がそれだけで、ひるむとは、とても、思えません。

もちろん、家族会、救う会のみなさんが、訴えてやってきた「制裁」が、間違いなく、効果を上げていると確信をしておりますけれど、やはりそこで、もう一押し、どうしても必要なのではないだろうかと思います。

先日峰大使にお会いしたときには、私はですね「この写真の話、聞いてくれたんですか?」と。政府に事前に要請をしておりました。交渉の場でですね、「この写真の真偽について聞いてもらいたい」というふうに、聞いたわけですけれど、政府のほうではですね、聞いていないということでございました。

そこで、その場で申し上げたのは「ともかく、じゃぁ私を行かせてくれ、平壌に。そして、その人に会わせてですね、違っているなら、違っているだけでかまわない。一杯やって、あんたどうしてここに来たんですか、ということでも、かまわないから、ともかくですね、行かせて、会わせてくれ」というふうに伝えてもらえないかというお願いを致しました。

ついでに一言、余計な話ですが、「私が向こうに行って捕まってしまえば、日本政府も楽になるから(笑い)、ぜひお願いしますというふうに言ってもらえないか」と言ってみたんですが(笑い)

とにかくですね、このままじゃだめなんです、ホントに。
ここにも、特定失踪者の御家族が何人も見えていますが、私ども御家族の方々とあってまして、今まで私が直接あった方でも、4人か5人の方が亡くなっています。家族会のみなさんも、10年前、家族会がスタートした時のあの頃の写真とか映像と比べてみたら、5年で年を取られたのは、本当に一目同然です。
時間がないんです。これは、御家族もみんなおっしゃっていることなんですが、「」ホントに時間がないんです。
少しでも、前に進めるには、多少の無理をするしかないです。
写真の問題であれ、多少の間違いがあっても、私ども、これからも同じ事を続けていきます。(拍手)

相手がですね、百も、千も嘘をついているのにですね、こっちが、一つや二つの間違いを怖がっていたら、何も出来ません。(拍手)

私ども、こんどの9月の28日に理事会、ございますんで、まぁその時に、うちの岡田常務理事からも提案があるんですが、今考えておりますのは、拉致、その他収容所なんかも含めて人権問題での査察官をですね、国際的に募集できないだろうか?(拍手)
費用は全部自前、命の保障無し(笑い)死んでしまったら、自分の遺体の始末も、自分でつけろということで、ともかく、合法、非合法含めて北朝鮮に乗り込んで、何とかして状況を変えていくという事の努力が必要でろうというふうに私は思っております。

先日北朝鮮でスパイが捕まったとかいうまた突拍子もない記者会見がございましたが、あのときに保衛部のチェ・スギルとかいう名前で出てきたオッサンがですね、「24時間放送が北朝鮮にむかって流れている。」あるいは、「ビラが一万枚届いている」というようなことで、「これは帝国主義のけしからん事だ」ということを言っておりました。
正にですね、私たちがやっている「しおかぜ」であれ、韓国でやっている「自由北韓放送」であれ、そして、私ども、あるいは北朝鮮のキリスト脱北者連合が行っている「バルーンプロジェクト」等々が、間違いなく効き目を出しているということでございますので、この力をもっとですね、大きくしていかなければならないと思っています。

今回の安倍さんの退陣表明というのは、大変残念ではございました。私ども、ある意味いろんな個別の問題については、安倍政権に対して、かなり厳しく批判をしておりましたし、その姿勢は今後も変わらないと思いますけれど、やはり、拉致問題の解決を掲げて総理大臣になってくださった方が、こういう形で退陣をされるという事は、非常に残念なことではございます。
しかし一方考えてみれば、この間ですね、私たちはある意味安倍さんに頼りすぎていたのではないか、拉致問題を掲げた総理大臣が出てくれたからもう、大丈夫だろうと言うことで、運動に低下はなかっただろうか、私たちの心に油断はなかっただろうか、ということを反省するわけであります。

この10年間の拉致問題を動かしてきたのは、間違いなく国民の、ここにこうやって集まってくださった方の声が、力が、全てを動かしたものだと私は確信をしております。(拍手)

ですから、この声は、何党が政権をとろうが、誰が総理大臣になろうが、もう拉致問題では絶対に動かないというようにならなければですね、いけないのだと思っております。

やはり安倍さんには、しばらく大変な時期が続くでしょうけれどもご本人が、再チャレンジということを言ってこられたんですから、やがていつか、拉致が解決した後になるかと期待しておりますが、もう一回再チャレンジをしていただきたいと思いますが、それ以上に私たちは、今回のことを一つの機会として、だからこそ、国民一人一人がもう一回、この問題の本質を知って、そして闘って行かなければいけないんだと言うことを、認識する必要があるのではないだろうかと思います。

私ども調査会としては、今後もその線に沿いまして全力を尽くして参りたいと思いますので、どうか御協力を御願いして、ご挨拶に代えさせていただきます。(拍手)

≪司会:櫻井よしこさん≫
荒木さんのお話の中で、安倍さんという拉致問題に非常に熱心な総理が誕生したことで、私たちの側に油断があったのではないかという事がございました。
この次ぎ総理にられるかたの可能性の中のお一人はですね、北朝鮮とは対話路線を優先するという考え方の方でございます。
まぁ、世の中は、拉致問題についての関心というものが、低くなっているのではないかということがメディアなどでも取りあげられておりますけれど、もし、新しい総理が北朝鮮との対話を促進するような政策を打ち出せば、この危機は、逆に私たちにとって、有利なバネとなるでありましょうし、そのようにしなければならないと思います。

何故ならば、北朝鮮との対話の中で、一度たりとも報われたことは、日本国を含む全世界が、ないのでありますから。(拍手)

対話にはほとんど何の意味もありません。
対話に意味があるとしたら、それは、力の裏付けがあってこその事でございますので。(拍手)
そのことを、確認いたしましょう。

音声は、Blue jewel Voiceか、ブルーリボン放送で

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2007年9月23日 (日)

9.17報告

参加者80名 
配布ビラ1万枚、ブルーリボン一万個

残暑の厳しい日差しのもと、精一杯、2002年9.17から丸5年、何も変わらぬ拉致問題を訴えました。部のチラシ、一万個のブルーリボンも、ほとんどはけて、たくさんのボランティアのみなさんのおかげで、事故もなく、街頭活動が終了しました。

主催者側としては、行き届かない点も、多く、反省もたくさんあります。
けれども、とにかく、丸5年のこの日に、拉致問題を訴えることが出来たことに感謝しています。

全国からのリボン、メッセージ、掲示板での応援を頂いて、猛暑の中でしたが、精一杯訴えることが出来ました。

お疲れの見える飯塚繁雄さんも、最後まで頑張ってくださって、自ら率先してチラシを配ってくださいました。

若者の街、渋谷の反応は、厳しい部分もありましたが、参加者の熱意に支えられての活動でした。

生島孝子さんのお姉さま、生島馨子さん、古川了子さんのお姉さま、竹下珠路さんも参加して、「特定失踪者にも、もっと目を向けてください」と訴えていました。

北朝鮮難民救援基金の野口さんは、人権無視の北朝鮮の非道さを訴え、特定失踪者問題調査会の杉野さんは、拉致の疑いのある特定失踪者の問題を訴えました。お約束していなかった北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会の小川晴久先生も、駆け付けてくださいました。

参加してくださった全てのみなさん、応援してくださった全ての皆さん、本当にありがとうございました。

世論喚起の原点は、街頭活動にあると思います。
これからも、その原点から、私たちは訴えていきたいと、想いを新たにしました。

取材は三社。下記を参考に
産経
http://www.sankei.co.jp/shakai/rachi/070917/rat070917000.htm

時事
http://www.jiji.co.jp/jc/c?g=soc_30&k=2007091700211


用意されたチラシ1万枚


セットされたブルーリボンとカード


古賀俊昭都議

家族会 飯塚繁雄副代表

田口八重子さんのお兄様 本間勝さん

古川了子さんのお姉さま 竹下珠路さん

守る会の小川晴久先生

北朝鮮難民救援基金 野口さん

生島孝子さんのお姉さま 生島馨子さん

特定失踪者問題調査会 杉野さん

特定失踪者の御家族 鈴木智さん(鈴木賢さんのお兄さま)

全体の様子

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緊急集会 麻生太郎氏飛び入り

≪司会:櫻井よしこさん≫

さてここで、総裁候補のお一人でいらっします麻生太郎さんをご紹介したいと思います。
(拍手)(頑張って!の声)

≪麻生太郎氏≫
こういった機会を与えていただきましてありがとうございました。
立ち会い演説会を今終えて、これから渋谷で、街頭における遊説をやらねばならぬことになっておりまして、行こうと思っておりましたが、皆さん方の中川昭一先生が、『貴様、必ずここにだけは来い!』と・・・(拍手と笑い)

推薦人にお名前を借りておりますので、これは渡世の義理としても・・(拍手と笑い)・・・必ず来ねばならぬ、と思って今日は、ここにやって参りました。

今、お話しがあっておりました。正直申し上げて、今、世の中、流動的になっておりますが、思いだしていただかにゃぁいかんと思います。

少なくとも、日本という国が、国連の安全保障理事会の中において、去年の7月、去年の10月北朝鮮のミサイル又核の実験に対して、断固として、日本は、・・・としては、日本の意見としては、『安全保障理事会全会一致で北朝鮮非難決議をやる』ということを(拍手)最後まで、妥協はし続けた結果、全会一致になったというのは、歴史ではないでしょうか?(拍手)

私どもは、過去の経験則から、間違いなく、『対話』というためには、『圧力』がなければ『対話』にはならんということを、過去の歴史から我々は学んだと思っております。(拍手)(そうだ!の声)

少なくとも、今回いろんな形でアメリカが動こうと何であろうと、我々はこの拉致問題というものは、私たちは解決せねばならぬ大事な問題なんであって、核もミサイルも勿論ですが、主権の侵害、それにに勝るようなものはありません。(拍手)

断固、拉致問題というのは、強い態度で臨んでこそ道が開けてくると確信をしているということを申し添えて、これから、渋谷に行きますので。。ありがとう!
(万雷の拍手)

音声はBlue jewel Voiceでぜひお聞きください。
http://www.voiceblog.jp/blue-jewel-7/

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緊急集会 櫻井よしこさんの開会の言葉

緊急集会 櫻井よしこさんの開会の言葉

今日の集会、冒頭の櫻井よしこさんのことばを、ご紹介します。
―――――――――――――
開会~櫻井よしこさん
―――――――――――――

みなさま、こんにちは。(拍手)
今日は、あの拉致事件が明らかになり、私たちがこの運動に目覚め、本当に取り組んできた、「あの怒りの日から5年、金正日テロ政権をを糾弾する」ということで緊急集会を開くことになりました。
本当に緊急事態の中でのこの集会であります。
拉致問題について、多くの動きがあったように、私たちは感じています。
しかし、大人5人が帰り、子供たちたくさんの家族が帰り、そしてより多くの人たちが、数百人の人たちが、拉致されている可能性が指摘されてきた中で、実質的に事態はほとんど動いていないのも確かであります。

思いがけないことに拉致問題に非常に積極的であった安倍晋三総理大臣が辞任をなさいました。次の総理が、どなたにおなりになるのか、福田さんにおなりになるのか、麻生さんにおなりになるのか、まだわかりませんけれど、ここでひとつ、ぜひ私たちの間で、確認をしたいことがございます。

それは、拉致問題を此処までひっぱってきたのは、拉致の被害者の御家族及び、国民の力であると言うことであります。(拍手)

たとえ、政治の世界で状況が変わるようなことがあっても、私たちは自信を失う必要は全くないのであります。何故ならば、もちろん政治の力はありましたけれど、先ほど申し上げたように、拉致問題の解決に最も大きな力を発揮してきたのは、家族と国民の力であったからです。このことを、ぜひ、もう一度、しっかりと確認をして、政治の状況の変化を、次の前向きの変化に繋げていくだけの英知と実行力を、忘れないことを互いに誓い合いたいと思います。(拍手)

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2007年9月 7日 (金)

ワシントンから9.17 渋谷へのメッセージ

 

私達の、9月17日の渋谷街頭活動に向け、ワシントンDCらち連絡会から、メッセージを頂きました。
文中の、「ありがとう、一緒にやりましょう。」 ということばが、
うねりのように日本中に満ちていくように、精一杯発信するつもりです。

ワシントンの浅野さん、メッセージを、本当にありがとうございます。

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 Everyone, Thank you very much for working hard,
and working for a long time.
  We just finished our "Appeal for 80,000 Abductees" in front of the White House.
We sent the message to Americans, to Japanese, to Koreans, and people all
over the world that we will not give up rescuing the abductees, and rescuing
human lives.
The Responses we received were absolutely positive.
They don't say "We will support you", but they say

 "Thank you for what you are doing.
Let's do it together." 


We don't live just for own profit.  We are responsible for all, even if it is small.
Let's work together, and let's really rescue all the abductees by cooperation.

━━━日本語━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  皆様の拉致被害者救出のための長年のご努力に深い敬意を表します。

私達はワシントンDCでの「拉致被害者8万人救出アピール」の活動を終わったばかりです。
拉致被害者の救出、生命の救出に、妥協も諦めも無いという明確なメッセージを、アメリカへ、
日本へ、韓国へ、そして世界の人々に送れたと信じます。人々の反応は非常にプラスのものでした。
「あなたを支援します。」というようなことを言いません。

「ありがとう、一緒にやりましょう。」と言います。
人は自分の利益のためにのみ生きているわけではありません。
人は例え小さくても全体に責任があります。世界の人々の連帯を果たし、拉致被害者全員の
救出を実現しましょう。 

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2007年9月 5日 (水)

消えた277人より 横田めぐみさん

「消えた277人」より

ご家族のメッセージの記載がある方を、順次ご紹介しています。

  

 (37)横田めぐみ(よこためぐみ)さん 
昭和39(1964)年10月5日生れ。
昭和52(1977)年11月15日、中学校の部活動を終えて下校途中、新潟市内の自宅近くで友人と別れたのち失踪。当時13歳、新潟市立寄居中学校一年生。
この事件は当初、帰宅途中のめぐみさんと海岸付近で遭遇してしまった北朝鮮工作員が、工作作活動の発覚をおそれて拉致したとされていた。しかしその後の調査によると、遭遇ではなく、自宅近くで待ち伏せされて拉致された可能性が高いという。
平成16年11月の第三回実務者協議において北朝鮮側は、めぐみさんは死亡しているとして「遺骨」を提出したが、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは、同人のものとは異,なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得ている。
また、平成18年4月、日本政府が実施したDNA検査により、めぐみさんの夫であったとされる人物が、以前韓国より拉致された当時高校生の韓国人拉致被害者・金英男(キムョンナム)氏である可能性が高いことが判明した。

 
「めぐみちやん。あのままのめぐみちやん」  横田早紀江さん(母)から

 
  北朝鮮にいる横田めぐみちゃん。元気にしていますか。お母さんですよ。
あなたがいなくなって長い間本当に捜しました。どんなに皆が悲しんだか分かりません。
けれどもあなたがそこにいるということが分かって、私たちは、必ずめぐみちやんを日本に帰そうと一所懸命にがんばってきました。
ただ、身体を壊さないでほしいのです。必ず会えるから。家族皆があなたの帰ってくるのを待っていますし、沢山の日本の方も、一所懸命にそれを願っています。
めぐみちやん。明るいあのめぐみちやんが、あのままのめぐみちやんが、元気で帰ってくることを、毎日毎日沢山の人と一緒に神様にお祈りしていますよ。必ず、そのことが実現するのがもうすぐだと、お母さんは確信しています。
がんばってね。元気でいてくださいよ。お願いします。
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 失踪時13才 失踪から 30年     10月5日に43才になってしまう。

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2007年9月 4日 (火)

9.17渋谷街頭活動のおしらせ

来る9月17日(月・祝)渋谷ハチ公前で、

 『小泉訪朝から5年 思いだそう、あの悲しみと怒りを!
     私達は訴える、拉致被害者全員の救出を!』 

 

と題して、「9.17渋谷街頭活動」を行います。

5年前のあの日、あなたは、涙したはず!
思いだそう、あの日の怒りを! 救い出そう全ての被害者を!
私達は忘れない!あの怒りを!
5年前、平成14年9月17日、小泉首相の訪朝を期待と不安を胸に見守った。 
北朝鮮の答えは「5人生存、その他は死亡・未入国」と非情なものだった。
あれから家族は訴え続けた。しかし、拉致被害者の多くは北朝鮮に残されたままだ。
5年目の節目に、国民全体が救い出す意志を再確認するために私達は街頭に立つ。
  特定失踪者を含む全ての日本人拉致被害者救出のために、
世界中の拉致被害者救出のために、
私達は、首都東京、渋谷からから発信する。

一刻も早い拉致被害者全員救出のために、
  あなたも街頭活動に参加してください。
 

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日  時:平成19年9月17日(月・祝日)
     午後1:00~3:00
場  所:渋谷ハチ公前広場(大型掲示板付近)
呼びかけ人:東京都議会拉致問題解決議員連盟 古賀俊昭 都議 
企画運営:東京ブルーリボンの会・蒼き星々
協  力:拉致問題を考える川口の会・特定失踪者問題調査会
     北朝鮮難民救援基金 松浦芳子杉並区議
活動内容:
被害者の名前の読み上げ
  救う会認定被害者・東京関連特定失踪者問48名・川口特定失踪者の読み上げ
ARNKA タイにおける国際人権会議との連帯(予定)
ブルーリボン配布
チラシ配布
     しおかぜ・政府リーフレット
     東京都作成特定失踪者チラシなど
街頭アピール
9.17渋谷宣言
署名活動(予定)

集  合:12:30 ハチ公前
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ボランティアの方々は「東京ブルーリボンの会」幹事の現場指示に従っていただきます。
※この件についての問合せ先: jewel@blue-stars.org

関係各団体への参加要請中。拉致被害者ご家族・特定失踪者ご家族も参加予定。

尚、この活動で、配布するブルーリボンの作成者を募集しています。

心を込めて作ったリボンが、受け取った人にあなたの想いを伝えてくれます。
日本中にブルーリボンが広がるように、どうぞ御協力ください。
連絡は、上記アドレスへ、郵送先をご案内します。

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2007年9月 3日 (月)

消えた277人より 宮内和也さん

「消えた277人」より

ご家族のメッセージの記載がある方を、順次ご紹介しています。

  

 (35)宮内和也(みやうちかずや)さん 


昭和40(1965)年1月27日生れ。
平成 9(1997)年4月24日、福井県三方郡三方町世久見の世久見漁港で失踪。
当時30歳、公務員。
当日和也さんは、ナホトカ号重油流出事故の影響で海が汚れていないか、調査のために出かけていた。
世久見岸壁で海を見ている和也さんの姿が目撃されているが、その日の夜になっても帰宅しなかった。
翌月には、B&G海洋センターでの研修に参加する予定だった。

「孫たちがかわいそうでなりません」  宮内和見さん(父)から 
宮内和也君、元気ですか。家族皆元気ですよ。君がいなくなってからは毎日君のことを心配しています。
望君も六年生で第一小学校の児童会長、優希ちゃんは高校二年生、沙希ちゃんは高校一年生でそれぞれ元気で頑張っていますよ。関係各位、親類全員が君の元気な姿と声とお便りを毎日待ち望んでいます。じいちゃんたちは孫たちがかわいそうでいじらしくてなりません。
でも三人の子供達は立派に成長し元気で頑張ってお便りを待ち焦がれています。一刻も早くお父さんを見せてやってください。会える日を一日も早く、神仏様にお願いしています。私達家族の所は、隣の上中町と合併をして若狭町となり、君の支援の会を作ってもらい、町民の方々がひとつになって、一日も早い帰国の実現を願って大会や運動や活動を何回も開催して、多くの方々が声援をしてくれています。
私も全国的に早期帰国の運動をして活動をしています。どぅか体を大切に充分気をつけて頑張ってください。がんばれ!
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失踪当時31才  失踪から10年 42才 

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消えた277人より 新木 章さん

「消えた277人」より

ご家族のメッセージの記載がある方を、順次ご紹介しています。


  

(34)新木 章(あらきあきら)さん
 

昭和22(1947)年10月16日生れ。中肉中背。眼鏡使。
昭和52(1977)年 5月21日、埼玉県川口市で失踪。

当時29歳、銀行員で、コンピューターを使ぅ事務系の仕事をしていた。
「買い物に行く。午後六時か七時には帰る」と川口市の自宅を出たまま行方不明に。
家を出る際、財布しか持っていなかった。
財布には免許証、クレジットヵードが人っていたが一失踪後免許証は更新されておらず、カードも使われていない。
川口市では他にも拉致の疑いがある事件が起きている。

「全国民が協力してくれています」  新木博さん(弟)から
 章兄貴へ、私は弟の博です。昭和52年5月21日以来ご無沙汰しております。
お元気で暮らしていることを願っています。姉の二人と、私は元気でいます。
そして、兄貴の帰ってくるのを心待ちにしています。
すぐには、日本に帰れないかもしれませんが、手を尽くして早く元気で日本に帰れるように、日本全国民が願い協力してくれていますので、どうか気を取り直して、あきらめずに、帰れることを願っていてください。
そして、日本に帰ってこられても生活できるように準備はしていますので、どうぞご安心下さい。
寒い時期になってしまいましたが、どぅぞお休を大切に頑張ってください。
平成17年12月吉日 新木博。

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  失踪当時29才  失踪から  30年      現在60才

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2007年9月 1日 (土)

消えた277人より 菊池寛史さん

「消えた277人」より ご家族のメッセージの記載がある方を、順次ご紹介しています。

  

(32)菊地寛史(きくちひろし)さん
 昭和52(1977)年11月22日生れ。身長166センチ、体重56キロ。
平成10(1998)年 4月 5日、研修用の宿泊施設(長野県長野市サイタリングターミナル)から失踪。
当時20歳、自動車会社勤務。
新人研修中、同じ部屋に宿泊していた同僚に「ジュースを買ってきてくれ」と頼み、同僚がジュースを買って部屋に戻ると、寛史さんはいなくなっていた。
荷物、免許証、財布、スーツ、靴などは残されたままだった。
平成十年から平成十三年位までの間、数回だけべルが鳴って切れるという電話が、たびたび家族のもとへかかってきた。そのぼとんどが非通知で、こちらが出たとたんに切れる電話などもあったが、平成15年になると、それもなくなった。

 「バス停で見送ったのが別れになるなんて」  菊地恵子さん(母)から
平成十年四月一日、社会人としてスタートを切る日、白田の高速バスのバス停までおくったのが、8年以上にもわたる寛史との別れになるなど想像もつかない出来事だった。
それから4日後の4月5日の夜10時、研修先からの電話で、寛史の行方がわからないことを知らされたが、信じがたい思いで翌朝早く父さんと二人で長野の現地へと向かった。
そこにはスーツもカバンも財布や免許証、その後捜索中に見つかった眼鏡も含め全てそのまま残っていた。
そこから寛史がいなくなったことだけは受け人れざるを得なかった。
寛史のことをかわいがっていた祖母は平成12年2月、祖父は17年7月になくなってしまった。
寛史からの連絡を待ち望んで心配しながら逝ってしまった。
あの頃中高生だった妹たちもそれぞれに働きながら頑張っています。
私たちはもちろん親戚や友人も皆、心配しながら寛史からの一日も早い連絡を待っています。

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失踪当時20才 失踪から9年 今年29才になる。

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消えた277人より 安西正博さん

消えた277人」より
  ご家族のメッセージの記載がある方を、順次ご紹介しています。

    

(31)安西正博(あんざいまさひろ)さん  

昭和43(1968)年9月19日生まれ。。身長173センチ。色白。
笑うと八重歯が見える。髪はくせ毛。近視で眼鏡をかけている。
平成 8(1996)年4月14日、愛知県名古屋市で失踪。当時27歳、荏原製作所勤務の会社員。
会社の寮から出かけ、そのまま行方不明になった。最後に正博さんの姿を目撃したのは寮の管理人。

この日は日曜日だったため、寮の玄関で管理人が「安西君食事はどうする」と声をかけると、「食べます」と答え、近所に買い物に行くような感じで、車で出かけたという。
行方不明になる一週間前、正博さんは実家に電話し、「4月下旬に大学時代の友人の結婚式が九州であり、それに出席してから帰省するのでゴールデンウィーク後半に帰る。お土産を買っていく」と話していた。
部屋の机には、失踪前日に買った単行本3冊がレシートを挟んだ状態で置かれていた。
また、3カ月後、寮を引き揚げるために家族が正博さんの荷物を整理していると、礼服の内ポケットに祝儀袋が人っていた。
自ら消息を絶つとは考えられない。

「九十歳のおばあちやんも頑張って待っています」・・・ 安西茂雄さん(父)から
正博が名古屋から突然姿を消して十年の月日が流れてしまいましたね。
父さん、母さん、兄ちゃんみな元気です。
斉藤のおばあちゃんは九十歳。正博の元気な顔を見るまでは、と頑張って帰りを待っています。
幼稚園の雅子先生、美奈子先生、また、小、中、高校の元担任の先生、クラスメート、みな心配しています。
救出できる日が必ず来ます。その日まで元気でいて下さい。

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失踪当時 27才 失踪から11年 この9月39才

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