« 2007年9月 | トップページ | 2007年11月 »

2007年10月

2007年10月29日 (月)

緊急集会 西岡力氏による成果報告(2007/9/16)

あの怒りの日から5年 金正日テロ政権を糾弾する緊急集会

07.9.16 星陵会館にて

『西岡力 救う会副会長の報告』

★司会 櫻井よしこ氏

さてここで救う会の副会長、西岡力からご報告を申し上げたいと思います。
よろしくお願いします。

★西岡力氏

第一部はですね、この5年間我々が何をして来たのか?どこまで来たのか?という事を考えたいと思って構成をしたわけですが、その第一部のまとめで報告をさせていただきたいと思います。
実は新しいパンフレットを作りました。
あそこにいて、今日第二部でパネラーになっていただいている恵谷さんの協力を得て、今分かっている拉致に関する情報の全てをここに入れてパンフレットを作りましたが、そちらをまず見ていただきたいと思います。

5年前、それまででっち上げだ嘘だと言っていた拉致を金正日は認めたんです。
しかしそのときに彼らは新たに二つの嘘をつきました。
拉致したのは13人だけである。
そして5人を返した。
13引く5は8だと、8人は死んだと。
従って拉致を認めた時点で拉致は解決だと、言う嘘だったわけです。
私たちはそれに対して確認されていないじゃないかと、生きている情報があると言って戦って来たわけです。
ですからめぐみさんたちは生きていると言うのが私たちのスローガンになったわけですが、実は日本政府は9.17の時点では確認もしないで死亡だと言って家族に通告をし、その後も北朝鮮に対して証拠を出せと言ってたんですね。

早紀江さんはいつもこう言うんです。
子供が池で溺れていたらば、それを見ている大人はいろんな事を考えないで飛び込んで助けに行くだろうと。
20年30年子どもたちが向こうで溺れているんだと。
助け出してですね。
人工呼吸して病院に連れて行って、それで死亡が確認されて初めて救出運動が終わるんです。
助けようと言う思いがあればですね。
死亡の証拠が出てこない以上、生存を前提にするという事を政府は言うべきだったのに、小泉総理は分からないと言ったんです。
生きているか死んでいるか、分からないと言ったんです。

我々はそういう日本の中の敵とも戦って来たんです。
そして北朝鮮は偽の遺骨など、いろいろな物を出してきましたけどそれを全て論破して、ここに書いてありますが、死亡について誰ひとりも証明されていないという事を満天下に示すことが出来たんです。
これは今は日本政府もですね。
認定以外の人も含めて全員を安全な保護と帰国を求めるという方針に変わったわけです。
変えさせたのは誰か?と。
家族会と救う会と議連と、そしてここにいる皆さんの力です。
私たちが嘘を打ち破ったんです。
自信を持つべきだと思っています。

そしてもう一つですね。
今後どうやって解決するか?という事ですし、次の政権に是非守ってもらわなくちゃいけないことがあるんですが、それはここで何回も言っているように、圧力なくして金正日を変える事は出来ないという事です。
もう少し分かりやすく言いますと、拉致を解決しなければ彼らがどんどん苦しくなるように、状況を作っていく。(拍手)時間稼ぎを許さないためには、時間が経てば経つほど彼らの方が苦しくなる状況を作らなくてはならない。
そういう事です。

そしてそれには実は二つの戦略があります。
一つは守りの戦略。
解決するまで絶対に日本、国際社会から彼らに支援が行かないようにすると。
それは守りの戦略です。
日本政府は今、拉致解決なくして国交正常化なしと、国交正常化前の経済協力はなしと言っています。
また、拉致の進展なくして核問題がいくら進んでもエネルギー支援に参加しないと言っています。
これが今の日本政府の、我々が確保した守りの戦略です。

そして先ほどお話がありましたけども、北朝鮮人権法が改正されて、日本政府は国際金融機関、アジア開発銀行などが北朝鮮に融資をしようとしたら反対しなければならないと言う法律が、自民党と民主党と公明党の合意の下に通ったんです。
日本は、世界が北を援助しようとしても拉致が解決しない時は反対するんです。
このような守りの戦略を今築いた、という事です。

しかしそれは彼らに飴がいかないという事ですから、これだけじゃ足りない。
攻めなきゃいけない。
攻めの戦略は何か?と言うと、制裁を強めるという事です。(拍手)
我々はずっと経済制裁を求めてきましたが、去年、ミサイルの発射と核実験の時に拉致問題も理由の一つとして、北朝鮮に対する大変厳しい制裁がかかり、また、国連安保理事会でも先ほど麻生幹事長が言っていましたけども、北朝鮮に対して制裁が通ったわけですが、その理由に曖昧な表現ではありますけどお「人道的問題」と言う言葉で拉致が入ったんです。

しかしこれでは足りない。
もっと厳しい制裁を日本政府に求めていく。
日本政府も去年の10月に出した方針で追加的な制裁を検討すると言っているんですから、5年経って何の解決もない以上、今度は拉致だけを理由にして、全ての人・物・金・船の日朝間の交流を全部断つと。(拍手)

それからもう一つ、日本はもう一つの制裁をしています。
それは法律を厳しく適用するという事です。
今までが余りにもでたらめだったんです。
税務署の問題、警察の問題、たくさんあります。
しかし安倍官房長官になった後2年間、実は日本政府の中に法執行班と言う組織があって、法律を厳しくまともに適用するという事をやってきた。
それは大変効いています。

例えばですね。
私は最近、ある西側軍事筋の人に会いましたが「去年の7月にテポドンミサイルが空中で爆発したのは日本の警察のお陰です」と言われました。
「何故ですか?」と言ったら、「日本から部品が行かなくなったんだ」と。
今まで行っていた事がおかしいんですが、しかし実際にいろいろな事件が報道されていますよね?
法律を厳しく適用すると日本からもう、裏のお金や技術や部品が行かなくなっている。
効いているんです。
だからミサイルが空中で爆発してしまったんです。

我々は実は制裁でも彼らを今追い込んでいるんです。
この流れを絶対潰してはならない。
攻めは制裁を強めることです。
守りは一切支援をしないことです。
この二つを、我々が作った枠組みを、この5年間の運動で我々が作った枠組みを絶対後退させてはならない。
それがこの5年間の我々の運動の成果ではないか?結論ではないか?と思っています。
ありがとうございます。(拍手)

★司会 櫻井よしこ氏

どうもありがとうございました。

|

緊急集会 増元照明さん(2007/9/16)

あの怒りの日から5年 金正日テロ政権を糾弾する緊急集会

07.9.16 星陵会館にて

『増元照明さんの訴え』

以上で家族会の参加家族の代表に話して頂きました。
皆さん仰るように5年と言うのは長すぎます。
5年前、小泉元総理の訪朝から100人以上の拉致被害者がいる事が明らかになりつつあります。
100人以上の拉致被害者がいるのに、まだ我が国政府は5人しか取り戻していません。

そして今安倍総理が退陣して何を言い始めているか?
北朝鮮に融和的に経済協力すれば拉致の問題も解決するではないか?
テレビの中でそのようなコメントを言っておられる方もおられます。

韓国を見てください。
10年間ずっと貢ぎ続けて、韓国の拉致被害者が帰ってきましたか?
このような馬鹿な事を言う国会議員に私たちは一矢を報いなければならない。(拍手)
拉致の問題は、拉致の被害者の解決は、我が国の毅然とした態度しか取り戻すことが出来ないということを、韓国を見て分かるじゃないかと。
この声を皆さん上げてください。

私の父は「日本を信じる」と言って他界しました。
その日本はここにいらっしゃる皆さんの力です。
私たちの我が国の力です。
その力で被害者を取り戻すことが出来ると、そう信じろと言って、私に告げて逝きました。
是非皆さん、声を上げていきましょう。
もう、待っていられません。
私たち自身が声を上げて戦っていきたいと思います。
ご協力をお願いします。
ありがとうございました。(拍手)

|

緊急集会 浜本雄幸さん(2007/9/16)

あの怒りの日から5年 金正日テロ政権を糾弾する緊急集会

07.9.16 星陵会館にて

『浜本雄幸さんの訴え』

★増元照明さん

今日家族会に与えられた時間は40分もう少しありますので、それでは帰国された家族、浜本さんに一言お願いします。

★浜本雄幸さん

皆さんこんにちは。
浜本でございます。
29年ぶりに私の妹が帰国することが出来まして、これどういう事だったのかな?
今のところちょっと考えられんような事でございますけど、運が良かったという事なんでしょうかね。
だけどまだ、私たちの(家族が)帰ったとしても、後の8人の方がまだ帰られていない。
まだ他に大勢の方がおられる。
それも消息が不明であると言うようなことで、非常に私は残念に思っています。
この問題の解決はいずれ解決してもらわねばならんのですけども、これ非常に難しい問題ですね。
いくら考えてもこれ、いつできるかと言うのは、非常に私もしんどいです。

|

2007年10月24日 (水)

緊急集会 斉藤文代さん(2007/9/16)

あの怒りの日から5年 金正日テロ政権を糾弾する緊急集会

07.9.16 星陵会館にて

『斉藤文代さんの訴え』

★斉藤文代さん

皆様、こんにちは。
本当に皆様に応援していただき、ここまで私たちも頑張っております。
本当に、2002年から私たち本当に一生懸命、何としてでも家族を取り戻すんだと言う気持ちで、5人の家族が帰って来ました。
でも私たちの家族は帰ってきませんでした。
また私の家では2回も北朝鮮から骨を戻されました。
本当に悲しかったです。
この気持ちは受け取った者じゃないと分からないと思います。

私の母が今入院しておりますけども、よく手紙を出したいと言います。
でも、手紙を出す、誰に出すの?と言うと「大平総理大臣に出します、出さなきゃ」と言うんです。
でも私は、母は本当に時代が変わって良かったと思うんです。
今、総理は何人代わっておりますか?
でも、それでも、まだ帰って来ないんです、家族は。
でも、母には何としてでも、また他の家族にも、全員何とか帰国できて、喜びを皆で味わって過ごせる家庭に早くなりたいと、皆、私と家族はそんな思いでいると思います。

本当に私は国民の皆様方のご理解は十分に得て力になっておると思います。
後は敬虔な皆様方の心を、お気持ちを汲んで早く動いていただきたいと、毎日毎日私は願っております。
これを本当に、私たちの家族だけの力では、私たちは立ち直れなかったと思います。
今日も皆様方がお出で頂きましたので、何としてでも取り戻すまでは頑張ります。
ですから皆様方にはもう少し力を貸してください。
どうぞよろしくお願いいたします。(拍手)

★増元照明さん

松木薫さんのお母さんは、やはり記憶が途切れ途切れになっておられるようで、でも薫さんのことだけはしっかりと頭の、眼の中に焼きついているようだという事を、斉藤さんから聞いております。
薫さんに早く帰ってもらいたい。
全ての拉致被害者に帰ってきて頂きたいと思っています。
それでは次に増元るみ子の姉である平野フミ子からお話をしていただきたいと思います。(拍手)

|

緊急集会 市川健一さん(2007/9/16)

あの怒りの日から5年 金正日テロ政権を糾弾する緊急集会

07.9.16 星陵会館にて

『市川健一さんの訴え』

★市川健一さん

皆さん、こんにちは。(拍手)
鹿児島から来ました市川です。
恫喝と物貰いの外交、これが金正日です。(拍手)
ブッシュ大統領が「悪の枢軸」と発言し、自分の政権を危ぶみ、5年前に拉致を認めたのは金正日です。

あの時、弟修一は死亡と通知されました。
本当に頭の中は真っ白になり、何を考えても、体が大げさに言えば震えるくらい私はショックを受けました。
やはり小さい時からおんぶして遊ばせていたものですから、歳の差も9歳、凄く可愛がっていたわけなんです。

金正日は私たちの肉親を連れて行き、29年30年と向こうに連れて行っております。
何も悪い事はしていないんです。
ただ日本の政治家、外務省、この問題を本気で取り組んで貰いたいと思います。
そして全員をこの祖国の地に連れ戻して欲しいと思います。

私たちの両親も90歳になり、本当の高齢の身です。
本当にいつ亡くなる、こんな事を言ってはいけないんだけど(笑い声)、不思議ではない位の高齢の身なんです。
その両親の胸に抱かせてやりたい。
この一念で私は戦っております。
今安倍総理が発動された経済制裁、この圧力をさらに強めて北朝鮮に対応してもらいたいと思います。(拍手)

次の政権にも、私たち家族のこの苦しみを分かってもらい、本気で戦っていただきたいと思います
以上です。

★増元照明さん

ありがとうございます。
明日で小泉元総理が訪朝して5年になります。
その5年の間の思いを、そして今後の展望・希望を斉藤さん。
松木薫さんのお姉さんです。
よろしくお願いします。(拍手)

|

緊急集会 有本明弘さん(2007/9/16)

あの怒りの日から5年 金正日テロ政権を糾弾する緊急集会

07.9.16 星陵会館にて

有本明弘さんの訴え

★増元照明さん

我々よりも、やはり両親世代の方が本当に力強い言葉を言っていただいております。
では、有本さん。
有本家の人、はい。

★有本明弘さん

皆さん、こんにちは、有本です。
私はこの会場、二回目なんです。
議員会館前で座り込んで、その座り込んだ方が、多くの人がこの会場に来てお話をしました。
そのときに私が言ったのが、メディアの事を口にしたら皆さんの拍手が鳴り止まなかったんです、これ。
そのときの方が、今どれくらいおられるのか分かりませんが、(会場より「いますよ」の声)ありがとう。(拍手)

そのメディアが、安倍さんの命を絶ったんです、これ。(拍手)
このことに関しましては私はもう、何故このメディアに対して物を言わんのか?と。
これが自民党の先生方、またはそれを管理している政府、関係者、誰がいうのか分かりませんが、これは7月、総裁選を睨んで安倍政権が誕生した。
その時点から、NHKに命令放送をさせたた。
それでメディアが全部が安倍さんに対して抗議した。
これから安倍叩きが始まってるんです、これ。
とんでもない話であって、公平・中立・編集権は誰にも侵害されない。
選挙を見据えて安倍を叩くと・・・(聞き取れず)しておいて、これは明らかに放送法違反、と私は思います。(拍手)

それに対して自民党の執行部、またはそれに拒否する・抗議できる立場が日本の国にはあるんです、これ。
誰もこれに対しては、抗議の欠片もこの一年間やってないんです、これが。
こんなアホな話、ないでしょう、これ。
メディア自体が、自分らの特権である放送法を日本の・・・(聞き取れず)が潰しているんです、これが。
そうであれば、我が国の政治は、このメディアに支配されるんです。

だからこれを私は個人的に、自民党執行部、前の執行部にも行ってお話をしました。
また今の執行部も行ってお話をしました。
そのお話はこの11日に執行部とお話をしたんですよ?11日に。
12日になって総理が辞めると、そういうふうな現実も見て来ました。
だから総理が辞めた以上は私たちは言う事は無いので、次の総理が誕生してそれ以降、運動を続けていこうと思っております。
今後とも、よろしくお願いします。(拍手)

★増元照明さん

メディアの皆さんは、拉致問題を忘れずにどうやって協力していくのか?
是非考えて頂きたいと思います。
次、市川さん。
修一さんのご家族、お願いします。

|

中国に圧力を!(北京オリンピック反対!)

現在世界の人権団体が、2008年北京五輪開催に懸念を示し行動をおこしています。
世界中が中国の人権状況に注目しているのです。
中国共産党が人権侵害、宗教弾圧、関係各国(ダルフール、ミャンマー、東トルキスタンなど)の人権問題を解決しないまま北京五輪を開催することを許してはいけないという動きです。

ヨーロッパやアメリカでは、ダルフール、東トルキスタン、ミャンマーが注目されていますが、北朝鮮の拉致を含む人権問題も、中国が金正日政権を容認してしまっていることが解決への障害になっていることは、言うまでもありません。日本はそのことをもっと訴えるべきであり、世界的に認知させるための努力をすべきです。

北朝鮮における人権侵害を世界世論に訴えるためには、ダルフール、ミャンマー、東トルキスタン問題に 拉致や強制収容所、脱北者の問題 をリンクさせていく必要があるのです。

アメリカの人権活動家スザンヌショルティーさんたちも世界に発信しています。
中国の国内外での人権蹂躙の改善、北朝鮮からの脱北者に対して中国が行っている人権蹂躙が改善されないのであれば オリンピックをボイコットしようという呼びかけがなされています。

人権侵害の国中国・北京オリンピック反対のロゴ

http://www.pixpit.net/2007/09/26/how-beijing-olympic-got-its-logo/


 


 

スザンヌ・ショルティさんからのメッセージ
Dear Friends:

I had to share this with you! My oldest son, Chester, sent this link to me
describing How the Beijing Olympics Got Its Logo
http://www.pixpit.net/2007/09/26/how-beijing-olympic-got-its-logo/ and I have
also pasted the entire cartoon below. We always felt that the Beijing Olympic
logo
looked like a North Korean refugee fleeing! This is even more powerful.

Please remember (those of you in Washington, DC area): Steve Kim's first public address since his release from imprisonment in China for helping NK refugees to be held on Capitol Hill Friday, October 19, at 12:00 noon in 2168 Rayburn House Office Building.
He will discuss “China’s Crimes Against North Korean Refugees & Punishment of Those Who Help Them”. If you plan to attend, RSVP skswm@aol.com

Please remember (everyone around the world) YOU are needed: The International Protest Against China's Violent Treatment of North Korean Refugees at noon around the world on November 30 and December 1 -- go to your nearest Chinese embassy or consulate at noon to take a stand for the suffering North Korean refugees. We are still recruiting city and county coordinators and need someone in San Francisco and Houston. These cities have coordinators: Los Angeles set for Nov 30; New York set for Dec 1, Chicago set for Dec 1 , and Washington DC set for both Nov 30 and Dec 1. Also, we need more country coordinators. We have coordinators for Canada, Belgium, France, Germany, South Korea (of course!), England, Spain, Netherlands -- if you can be a coordinator for a city or country or have any recommendations, please let me know ASAP. Remember coordinators can simply deliver a petition at noon, hold a prayer vigil, and do not need to organize a large protest(as we are doing in many cities) -- the point is action in front of as many Chineseembassies and consulates as possible around the world.

Now please see cartoon below -- that could be North Korean refugee, a labor reform activist, a Christian house church leader, a Buddhist Monk, a democracy advocate, a Falun Gong practitioner, a Uyghur citizen, a college student activist, -- inother words, any of us!

Warm regards,
Suzanne

How the Beijing Olympics Got Its Logo  

|

2007年10月18日 (木)

緊急集会 横田早紀江さん

あの怒りの日から5年 金正日テロ政権を糾弾する緊急集会

07.9.16 星陵会館にて

  横田早紀江さん

司会 櫻井よしこさん
さて、ここで家族会の皆さん方のお話に移りたいと思います。
本当にこの拉致問題の中心にあって、苦しいことも悲しいことも、私たちの想像をはるかに超えた日々を過ごして来られました。
その中で雄々しく戦ってこられた家族会の皆様方に改めてお話を伺いたいと思います。
ここから増元さんにちょっと司会をバトンタッチしたいと思います。
よろしくお願いいたします。(拍手)

司会 増元照明さん

増元るみ子の弟の増元照明です。
今日は三連休の半ばにも関わらず、大勢の方に来ていただき、本当に感謝申し上げます。
今、櫻井さんからもご紹介のあったように、本日家族会14家族の内9家族が参っておりますが、そのうちまだ未帰還者といわれる拉致被害者の家族の代表に一言ずつお話をしていただきたいと思います。
ではまず、横田家からお願いします。

横田早紀江さん

皆様、こんにちは。(拍手)
30年と言う長い年月が、もう11月15日が来る。
めぐみの失踪の日から経っております、本当に長い長い年月を過ごして参りました。
こんなに恐ろしい事が、武器を捨て、そして平和を求めて来た日本の国の中で、他国の指令によって、何の罪もない人たちが全国のあちらこちらから煙のように消えてしまって、家族も本人も何と言う恐ろしい人生を歩まなければならなかったでしょうか?
このような中でようやくめぐみたちが北朝鮮にいることがわかりました。

そして拉致をされたという事が分かって以後、たくさんの日本の皆さんの温かいご支援の中で、「こんな事を許していいのか?早く取り戻さなければならない、頑張ろう」という本当に力強いご支援の中で。
私たち何も分からない、家族の者は今日まで頑張ってくることが出来ました。

総理が何代も代わり、またこの度も信頼していた安倍さんがご体調のゆえもあってこのような事になりましたけど、何が変わってもどんなようになっても、拉致をされたという事は、他国の指令によって拉致をされ、そして偽の骨を出され、「後は全部もう死亡しました、ハイ拉致問題は解決です」と言われて、「そうですか」と仰る親御さんが全世界のどこにお一人でもいらっしゃるでしょうか?(拍手)

こんな馬鹿な事をされて、怒らない親はいません。
私たちは泣き苦しんで、本当に新潟時代のあの景色を思い出したくないくらい、哀しいものです。
海も桜も雪もみんな悲しくて、それを一生懸命押さえ込んで、助けてあげるからと、最初のこのような会合の時に絶叫をしたときから今日まで何とか支えられて頑張ってきました。

こんなに大きな国民運動として、国民の皆様がこんな事で良いんだろうか?と、日本の国を考えてくださるようになった事は、本当に珍しいのではないか?と思います。
必ず解決するまで、私たちは訴え続けてまいります。
どうかこれからもよろしくお願いします。(拍手)

|

緊急集会 中井 洽氏

あの怒りの日から5年 金正日テロ政権を糾弾する緊急集会

07.9.16 星陵会館にて

『中井洽 拉致議連会長代行の挨拶』  
司会 櫻井よしこさん

主催団体の一つであります家族会を代表しての飯塚さんのお話でした。
ここでもう一つの主催団体であります拉致議連を代表いたしまして、議連の会長代行の中井洽さんにお話を伺いたいと思います。
よろしくお願いいたします。(拍手)

中井洽 拉致議連会長代行の挨拶

皆さんこんにちは。
今日は連休の最中に本当にたくさんの方、ご参加いたしましてありがとうございます。
ご紹介を頂きました拉致議連の会長代行をしております、中井洽でございます。
民主党の拉致対策本部長もさせていただいております。
今日は拉致議連の会長、平沼さん。
健康は取り戻しておりますが、ご承知のような政治状況の中で出られません。
くれぐれもお伝えくださいと、こういう伝言でありまして、私どもは皆さん方と一緒に協力して超党派の議連を結束して、微力ではありますが、家族の皆さんのお気持ちに対して一生懸命政治の場で、努力を続けてまいります。

先ほど櫻井さんから政治状況は変わったと、こういう事を言われました。
多分その事は安倍さんが総理をお辞めになった事を主に差していると思いますが、7月には民主党が大勝利を致しまして、この政治状況も大きく変わったと私は思っております。

しかし二つの大きな流れがあっても、今年春ですね。
家族の会の増元さんはじめご要望がありましたが、私と中川昭一さんで最終的に二人で会談を致しまして、北朝鮮人権法の修正を致しました。
それには拉致が解決するまでは経済支援をやってはならない。
また日本は、北朝鮮が国際金融機関を使って色々な経済活動・経済行動をしようとするのを反対しなければならない。
こういう事をハッキリと謳っているわけでございます。(拍手)

政界の中には6カ国協議の動きを見ながらですね。
拉致の問題は後で一括解決をしたらいいじゃないかと言う声もちらちらとささやかれています。
しかし私どもは駄目だと、断固入り口、拉致の解決こそが全ての始まりだとこのように決意しております。(拍手)
これからも政権が代わろうと、あるいは総理大臣が代わろうと、拉致議連一体となってこの方針の下に頑張りますのでどうぞお集まりの皆さん方もこれまで以上に家族の会お支え頂いて、共々頑張って行こうではありませんか。(拍手)

あと一つだけ、ご報告をする事があります。
私は日韓議連の副会長を致しておりますが、先般9月の初め、日韓議連の総会で韓国へ参りまして盧武鉉大統領と森会長以下十数人でお目にかかりました。
盧武鉉さんの間に3回この日韓議連で韓国ソウルに行っていますが、青瓦台へお招きいただくのはいつも役員会4~5人だけでございます。
今回珍しく招いてくれます。
「何かお聞きする事はあるか?」と言うので、公明党さんも社民党さんも言われましたが、私は最後に「盧武鉉さん、かつてあなたは森さんや私に『拉致の問題はそのうち解決する。放っておけばいいんだ』こう言われた」と。

これ5年前でございます。
盧武鉉さんが大統領になった時です。
「『あんまり騒がない方がいいよと言われた』と。しかし5年経って何も解決しない。今度南北首脳会談をおやりになるそうだが、是非ここで韓国の拉致、日本の拉致、人権問題だと。この解決を是非してくれ」と、こういう事を私申し上げました。
そうしましたところ、ちらちら新聞に出ておりますが、十数分に渡ってすざましい日本との関係を、悪口と申し上げていい言葉がございます。

「未来志向をやったけれど完全な失敗だった」
こういう事まで言われました。
「その失敗は日本の首脳が巻き起こしたんだ」と。
靖国神社、教科書検定、この話が出ましたんで拉致の事をいうのにこんなにまで言われるのかな?と思っていましたら、最後に対北日、日本ですね。
「この二国間の間で拉致の問題は非常に大事な問題だと認識していると、上手く行くように自分は努力する」とこういう事を言われました。
びっくり致しました。
こんな事を彼が言うというのは、初めてであります。
これがいくつか報じられまして、私どもはこの事が逆に6カ国協議が日本で報じられている以上に進んでいる。
この事を痛切に感じています。

核の問題は核の問題で大事なことであります。
これ進むのは結構だけど、私どもは拉致だと。
拉致の問題が解決しなければ、経済援助を一切やらない。
国交回復も許さない。
こういう姿勢で頑張る事を拉致議連を代表しまして、重ねてお訴えを申し上げます。(拍手)

この30数年、また拉致の問題が表に出ましてから十数年、本当に横田さんご夫妻をはじめ家族の皆さん方の血の出るような思い、そして信念、情熱、行動。
これらを支援して頑張ってこられました各種団体の皆さん、そしてお集まりの国民の皆さん方に心から敬意を表し、私ども一緒になってこれからも頑張ることを申し上げてご挨拶と致します。
頑張りましょう。(拍手)

司会 櫻井よしこさん

中井さん、どうもありがとうございました。
さて、自民党の側からも中川昭一さんのご出席が予定されているんですけれども、今しばらく時間がかかりますので、中川さんいらっしゃり次第後挨拶をいただきたいと思います。

|

緊急集会 飯塚繁雄氏

金正日テロ政権を糾弾する緊急集会テキスト

あの怒りの日から5年 金正日テロ政権を糾弾する緊急集会

07.9.16 星陵会館にて

 『飯塚繁雄 家族会副代表の挨拶』  

司会 櫻井よしこ氏

今日は本当にこんなに暑い中、急な集会でございましたけれども、たくさんの方にお出で頂きました。
海外からも多くの方にお出で頂いております。
そこでまず、これから主催者の一人の家族会から代表いたしまして、飯塚繁雄さんにこれまでの歩みを振り返りながら、その思いを交えてお話をしていただきたいと思います。
飯塚さん、よろしくお願いします。(拍手)

飯塚繁雄 家族会副代表

皆様こんにちは。
日頃からこの問題に深いご理解と強いご理解を頂きまして、本当にありがとうございます。
今司会の方からも話されたとおり、皆様の力でやっとここまで来たという状況でございます。
各家族のですね、被害者が拉致されてからもう30年。
そしてそれを助けようと言う救出運動を始めてからもう10年。
それから更に小泉総理が日朝会談をやってあの結果を出した日からもうすでに5年。
ここにテーマにありますように、この単位を考えますと余りにも長い単位ばかりなんですね。

我々はこの間、あらゆる手段で運動・活動を続けて参りました。
そういう中で結果としては残念ながら具体的にハッキリした情報もなく、我々の家族が今どこにいるのか?
元気でいるのか?病気になっているのか?それさえも分かりません。
しかしながら、生きているんだというこの我々の信念、これは具体的に当然あるわけですけれど、絶対生きているというこういった強い信念の下に、一日も早く取り戻せという強い動きで訴え続けております。

先日の日朝交渉の中でも日本の立場は一応は北に託しましたけれども、相変わらず北は拉致問題は解決済みと言う態度を崩しておりません。
若干譲歩して言えばそういった交渉につき始めたと、ついたというだけが、言ってみれば誠意かもしれませんけども、内容的には全然誠意を出しておりません。
テーブルを叩いて退席しちゃったとかですね。
あるいは今までのように何回も何回も拉致は解決済みと言う言葉が出なかったのが少しの進展だと言う人おります。

ですけど、私たちはそんな事は全く単位の小さい話で、北は返す気があるのか?日本は取り戻そうという気があるのか?
ここが焦点なんですね。
それを考えたときに、外務省の方から報告は受けましたけども、それに関して我々は怒りと落胆と悔しさと、そういう思いをさらに強めたわけですけども。
ですから、そういう場を乗り越えながらもですね。
今回拉致対策本部が政府に出来ましたし、これはこのまま法律上で継続する事が決まってますが、果たしてどなたが完走していただけるのか?と言う話もあります。

さらには今お話があった総理が替わる。
近々替わるかもしれません。
その総理が替わった時にですね
この拉致問題を継続して、今まで行なわれた、あるいはそれ以上にこの問題を第一優先として取り組んで頂けるのかどうか?と。
やはり心配がありますが、先ほど与謝野官房長官にお話を伺いましたところ、「どなたが総理になってもこの問題に対する対応は変わらない」と。
要するに後には引かないと、いう強い約束を頂きました。

今後私たちはその辺は注目をしていくつもりでございますけども、いずれにしても先ほど言いました、この長い単位の中でですね。
家族の人たちは、当然被害者の人たちは、年々歳をとっています。
病気をしているかもしれません。
我々待っている方の家族も相当疲れていまして、申し訳ないんですけど、個人的に横田代表も入院されて昨日退院したという事も聞いておりますけども、非常に待っている家族も歳をとって来ております。

被害者たちが帰って来たときに元気でいなきゃいけないんですね。
元気でいて抱きしめてその後の長い期間を挽回するべく、ケアをしていかなければならない。
精神的な面、経済的な面、そういった面も含めてですね。
そう考えると、やっぱり私たちは元気でいなきゃいけないという最低条件があります。

しかしながらそればかり考えて活動が疎かになっても困ります。
そういうわけでこれからも皆さんの力を借りながら、まさに国民の世論が相当な力になっているという事は、これが一番分かっているのが北朝鮮ですね。
金正日です。
ですからその辺を私たちはハッキリ意識しながら、今後どのくらい時間がかかるか知れませんけども、これ絶対に諦めるわけには行きません。
当然です。

それには更なるそういった政府の対応、それから各地方議会の先生方の協力、全国にいるたくさんいるボランティアの方、そしてその方たちと一緒に行動されている皆さん含めてですね。
日本ががっちりとした一枚岩となって北にあたると、怒りのメッセージを出すと、いう事がさらに必要になっていくものでは無いか?と考えております。
今後とも何かにつけて、ここにおられる皆さんと一緒になって解決していくべく、一緒に戦ってください。
戦いましょう。
よろしくお願いします。(拍手)

|

2007年10月17日 (水)

ふたたびモンゴルより中国・北朝鮮

ふたたびモンゴルより中国・北朝鮮
蒼き星々掲示板の投稿より

投稿者:やまつみの声 投稿日:2007年10月16日(火)

いま、モンゴルの国民人口は260万人、北朝鮮よりも少ない。しかしモンゴル族は2000万人もいる、その多くは中国内モンゴル自治区とロシアシベリアに分布する。もともとソ連・中国の密約で行われたその分割の目的は、「モンゴル族の愚民化・無力化」にある。清朝支配時代から中国はモンゴル族の有能な青年を選んで(結婚できない)僧侶にしていった。辛亥革命後もソ連・スターリン支配時代には、その僧侶を中心に知識・支配階層の国民10数万人が片っ端から粛清されていった。この有能・知識階層の喪失はいまだに禍根を引きずる。カンボジア・ポルポトの原型もここにある。そしてそれは、スペイン人コンキスタドーレ(征服者)によるインカ帝国の知識階層の選択的虐殺処刑に遠く呼応する(知識階層が消滅したため剃刀の歯も通さないインカ壁の石積み加工技術もナスカの頭蓋手術も歴史の闇に閉ざされたまま全く今に伝わっていない)。

蒼き狼チンギスハーン。モンゴル人にとって建国の英雄であるが、ロシア・東欧人には「タタールのくびき」の元凶であり、その名をソ連圏社会主義時代には公然と口にすることもできなかった。当時の学校教育のモンゴル史は1921年の社会主義革命から始まり、それ以前の歴史は教えることを禁止された。しかしソ連圏からの独立・自由化を機にチンギスハーンの名誉も復活、今の英雄視ぶりは過剰なくらいである。昨年は国を挙げて「チンギスハーン建国800年」を祝った。

つまり、歴史は「作られる」ものであり、「消される」ものなのである。歴史認識問題とはとどのつまり「誰のための歴史か」という問題である。

その歴史が動くとき、特に社会主義から資本主義への急速な転換期は政治・社会腐敗を生む。東欧・ソ連だけではない、モンゴルでは今それが進行している。マスの経済は向上しつつも貧富の差の拡大が国民の精神不安定を生じ殺人事件も増え新興宗教に流れる連中が急増している。そういう中に資本主義化の陰の汚物として発生したマフィアがいま経済から政治マフィア化しつつあり、中国との結託をはじめた。

最近ウランバートル市内名物の「マンホール・チルドレン」(と聞いてわからない人は「天才柳沢教授の生活124~126話ご参照)が減ってきた。経済が良くなったからではない。中国人がかっさらってマカオ経由で女は売春、男は臓器売買に回され(つまり殺され)ているらしい。中国ブローカーは政治家とマスコミを(賄賂で)おさえているから、政治問題化せず市民の「噂」に留まっている。

独裁政治体制が解かれた直後の社会の混沌は、そういう連中にとってはとっても「おいしい」餌だらけの社会でもある。ハゲタカは腐った内臓を飲み込んで食う。東アジアにあと残る餌場が、「北朝鮮」。

(いま日本で活躍するモンゴル力士は、こういう社会の混沌の中でモンゴル国民が精神的によすがとする「民族の英雄」であり、朝青龍問題をそういう視点でも少しは見てほしい・・・と朝青龍の同郷の知人にさっきウランバートルの居酒屋でたのまれた)

|

モンゴルから中国・北朝鮮を見る

モンゴルから中国・北朝鮮を見る

蒼き星々メインボードへの投稿より


投稿者:やまつみの声 投稿日:2007年 9月15日(土)21時26分18秒

昨年の秋頃から、中国~モンゴル経由の脱北者が増えている。疲れきりやせ細った朝鮮人たちが、内モンゴル自治区との国境検問までたどり着き、そこからウランバートルの韓国大使館に助けを求め、韓国政府はビザを発給しいったんモンゴルへ入国させてから韓国へ移送している。

モンゴルは北朝鮮・韓国双方と国交をもち、北・南対等のスタンスから今回の六カ国協議の作業部会開催地となったわけだが、もともと朝鮮半島に対しては「同じ民族なのに韓国と北朝鮮の生活に差がありすぎる、一緒になるべき」という心情があり、「金正日は替えるべき」とも考えている。

モンゴルは、かつて中ソの陰謀によって彼ら自身が今なお民族分断されている「内モンゴル自治区」という緩衝帯を利用して、国境検問を経由する安全な方法で「脱北者支援」を行っている。政治的言動は表に出さずに実効的な「具体的対応」をしっかりとやっているのである。陸続きの国境で「敵」と接する緊張状態の中にあれば平和ボケは育たず、当たり前の国際感覚が生まれながらに染み付いているのだろう。

モンゴルは「ロシアと中国にサンドイッチ状態の内陸国」という、最悪とも言える地理的事情から、否応無くロシア・中国の影響を受けざるを得ないが、二世紀にわたる清朝支配から中国への反感が根強い。もっとも、いまの反中感情のベースは旧ソ連時代に中ソ対立構造下のプロパガンダの中で観念的に培われたものだったが、今経済開放で中国と実際に付き合う中で、中国・中国人への反感はさらに固定しつつある。

共産革命後のモンゴルはしばらくロシア寄り・ソ連邦の一共和国としての政治スタンスをとったが、ロシアが好きだったわけではない。モンゴル文字を奪いキリル文字を強制し宗教(モンゴルはチベット仏教)を弾圧・破壊したスターリン時代のソ連への反感が残り、ある政府関係者は「ソ連が我々に与えたものはウォッカの飲み方だけだ」と吐き棄てるように言った。しかし、モンゴルの親ソ路線のきっかけを作ったのは関東軍が仕掛けたノモンハン事件(モンゴルではハルハ河「戦争」)であるから日本も無関係ではない。

ところで今の彼らは(なぜか)おしなべてとても親日的である。朝青龍がいなくても、いま日本の大相撲には34人ものモンゴル力士がいて(各地方から選りすぐりの少年たちを日本へ送り込んでいる)、場所中はモンゴル国内の4局のTVで生中継され、いまやモンゴル相撲より日本の大相撲のほうが人気が高く、日本人力士のことについても詳しい。ゲルの連中も馬の乳搾りさぼって太陽電池のTVで相撲中継に見入っている。蒙古斑を持ち言語もメンタリティーも宗教観(チベット仏教+アニミズム)も日本人に近く、かつ親日感情の強いモンゴルは、日本の重要なパートナーとなりうる。

ちなみに彼らは「日本人拉致事件」のことも知っているが、彼らはこれを(普遍的な)人権問題ではなく『日本と北朝鮮の二国間問題』として捉える傾向がある。

【新たなる民族浄化】

現在、若者を中心とする2万人のモンゴル人の男が韓国へ労働者として出稼ぎに出ている。そして、まるでそれを補填するかのように、中国の男たち2万人がモンゴル・ウランバートルの工事現場へ送り込まれている。このため結婚相手の不足する年頃のモンゴル女性と中国人出稼ぎ労働者との婚姻が急増、結婚した中国人男は(なぜか格下の)モンゴル国籍を取得する。夫が出稼ぎで不在のモンゴル人妻にも手を出し子供を産ませる。

日本の4倍の国土面積をもち、中国からそのまま続く広大で豊かな牧草地を持つモンゴルは、人口の膨らみすぎた中国にとって魅力的な「人口の捌け口」である。チベットの民族浄化では人民軍兵士による「強姦による種付け」が行われてきたが、国際世論の反発を避けたい中国はこのモンゴル方式を考え出した、そしてそれを可能にするモンゴル、韓国、中国間の密約がある・・・という話を、さるスジから聞いた。

【汚れちまった悲しみに】

美しく変えるには日本の国は汚れすぎていたのだろう。辞意表明をする安倍総理の憔悴した表情を見て、中原中也の詩を思った。(中也は安倍氏の父と祖父が通った旧制山口中学の同窓でもある。)

拉致の事実が露呈したとき、我々はそのあまりの理不尽さに率直に驚き、怒った。しかしあの日から5年経っても本質的には何も解決していないという現実は、この問題が「拉致という行為」だけではなく、その事実を前に何も動けないこの国の構造が芯まで腐っていることを示している。

日本人よ、政治家も“市民”も“国民”も、右も左も中道も、資本家も労働者も、金持ちも貧乏人も、いったいどれほどの日本人が、本気で「世界の中の日本のありかた」を考えているのか。目先の「政敵」の誤謬を懸命にほじくり出しては得意満面「鬼の首を取ったように」喜び勇んで足を引っ張る、政策議論よりもアラ捜しの人格否定に専心する政治家、マスコミ、そしてそれに踊る国民。ドロ舟は自民党だけではない、この国まとめてドロ舟じゃないのか。

首相になる前、安倍氏の拉致事件での仕事ぶりは頼もしかった。冴えていた。しかし、私は安倍氏を嫌いではないが特に好きでもなく、情を感じる縁もない。首相としては経験・力量不足、地盤・ブレーン集団の欠如も致命的であり、今の「安倍内閣」を私は支持しない、今の彼にはまだ、このドロ舟全体を管理統率する能力は無い。しかし彼の信念に穢れは無いように思う(むしろ愚直に過ぎる)。意地汚い利権・エゴイズム・嫉妬に満ちたドロ舟の雑務なんざ、他の老練タヌキ総理にまかせてといて、安倍氏が再び拉致事件に専念し本領を発揮してくれることを、私は願っている。

【中国は取り囲まれている】

この一年余り、中国をベースにその隣国をほぼぐるり一周、フィリピン、インドネシア、ベトナム、ラオス、タイ、モンゴルと巡ってきた。その結果、中国を除くほぼ全てのこれらの国が基本的に親日・尊日・好日的な感情を持ち、ラオスを除くほぼ全ての国に中国への反感が根強く染み込んでいることを、私は肌で感じた。ただしどの国も反中国感情を政治的には表に出さず、どうやって中国の政治・経済侵略を食い止め、環境破壊や中国人犯罪を排除するか、その具体的方策の立案・対応に腐心している。表向きは机上で握手しつつ机下で蹴たぐりあうのがオトナの外交だ。

昨夜、TBSのニュース23だったか、「日中国交正常化35周年記念」なる楊貴妃の舞台劇紹介で、森山良子の歌う「中国賛美歌」を「小泉靖国参拝vs中国の反日デモ」のシーンをダブらせて流していた。・・・こういう、現実を見据えぬ、あるいは見る勇気が無い、あるいは単なる無知ゆえの思い込みで感傷的・能天気に自己陶酔し、「歌に国境はありませんから・・・」などと臭いセリフを平気でのたまう、いい歳こいたオトナの愚鈍な姿を見せられると、私は反吐(ヘド)が出そうになる。然るに、「チョン」だの「チャンコロ」だの「シナ人」だのと観念で遊んでいる幼稚な手合いも同様、チョン・チャンコロ以下の下衆に過ぎぬ。観念の世界に自己満足しているだけでは事態は動かない。

最近、韓国企業と付き合う機会が増えた。世界展開する韓国メーカーの40歳前後の中堅・若手社員たち、精神的にも技術的にもしっかりしていて、なかなか手ごわい。初めて大韓航空にも乗ったが客室乗務員の「見た目」はJALより上。対北戦時体制の緊張感と徴兵制が若者たちの精神と肉体を鍛えているのだろうか。彼らから学ぶものも多そうだ。いずれ韓国の視点からも北朝鮮を見てみたいと思っている。

|

ミャンマーで日本人ジャーナリストが「殺された」背景と北朝鮮

ミャンマーで日本人ジャーナリストが「殺された」背景と北朝鮮
蒼き星々掲示板への投稿より

投稿者:やまつみの声 投稿日:2007年 9月29日(土)

北朝鮮の「利権問題」にはケリがついた。つけるためにヒルを色仕掛け篭絡したのは北朝鮮・・・を動かしたアングロサクソンのアングラだった。ケリがついた北は「悪の枢軸」に残せない。アフガンも当面「英国管理」に委ねることが水面下で固まった。イラクは思惑外れて見通しが立たぬ。で、用済みの北朝鮮の補填候補にミャンマーが選ばれた。軍事政権崩壊・民主化移行期の過程(ドサクサ)で「政治経済の要所を押さえる」ために。

先日の豪州でブッシュがその名を間違えてまで(=もともと興味もなかった)「アウンサン・スーチー」に言及したのは、今回の布石。仕掛けたのはネオコン? 違う違う(何でもかんでもネオコン・ネオリベのせいにするなよ、思考停止小児病サヨクじゃあるまいし)、正体はその“上”にいる「英国銀行」あたり(らしい)。ミャンマーはもと英国の植民地でアウンサン・スーチーはイギリスと個人的関係も深い、夫も英国人だった。

「ミャンマー版タリバン」として軍事政権を崩壊させるにあたって、崩壊を肯定する世論形成のために、アジアの“宗主”日本の「北朝鮮の軍事独裁に甘くミャンマーの軍事独裁に厳しいサヨク的万年平和ボケマスコミ」の特性を利用し世論誘導するために日本人ジャーナリストを「殺させた。」 べつに、簡単である。兵士の一部を買収しターゲットを教え引金を引かせればよい。

・・・という話を今日さるスジから聞いた。確証は無く、そのスジの者も実際に関わったわけではないが、私の心証では70%くらいの確率でこの情報は事実だと思っている。

|

聞けやまつみの声

聞け やまつみの声 



投稿者:やまつみの声 投稿日:2007年 8月19日(日)01時08分18秒

  蒼き星々掲示板への投稿より

3週間くらい前だったか、「自分探し」中の▲田がラオス・ビエンチャン空港に降り立った。ざわめく日本人乗客をよそに、彼は“ひとり”でビエンチャンの市街へ消えていった。「中▼現わる」のニュースは瞬く間に狭いビエンチャン在留邦人社会に広まり、彼の行き先を予想し先回りする「ヒデ探し」を敢行する日本人もいたが、ドリブル・フェイントの天才にはぐらかされ叶わなかったようだ。

彼がこの国へ来たのは「ラオスはまだ行ったことがないから」とのこと。ラオスは世界で初めてクラスター爆弾が使われた場所であり、地雷の除去にまだ一世紀以上かかるといわれ不発弾の犠牲者が相次いでいること、ベトナム戦争の後始末の「国家による殺人」が今も続いていることなど、ま、国歌を歌わぬ理由が「ダサい」でしかないようなダサい人間にはどうでも良い問題で、次回アジアカップ会場の下見が目的だったかもしれないが、その試合スタジアムの建設を中国の建設会社が請け負ったことの背景と意味合い・危険性くらいは確認しとけよ。

で、本題にはいる。

インドシナ半島北部山岳地域に住む少数民族には、我々日本人との共通点がいくつも指摘されている。照葉樹林の自然の恵みとともに暮らし、その自然にさまざまな精霊が宿ると考え(それは日本古来の八百万の神に近いという)、高床式の棲家、屋根の交差千木・切妻は日本の神社建築そっくりだし、米を育て、蒸したモチ米を臼と杵でつき、味噌・醤油を使い豆腐を作り、正月のコマ回しや羽子板(丸い木の実に鳥の羽を3枚つけて竹の板で打つ)の文化まである。この「照葉樹林文化圏」はブータンからインドシナ北部山岳、台湾、琉球から日本列島へと弧状に繋がる、日本人の文化ルーツを考える上でも重要な地域である。

ラオスの小数民族モン族の悲劇のことを、私も最近まで詳しくは知らなかった、恥ずかしながら。モン族は中国南部あたりがルーツだが、清朝に弾圧されて数世紀前から中国華南からインドシナへと南下し、ミャンマー、タイ、ラオス、ベトナム、中国南部の山岳地域にかけて住む。

50以上を数える山岳少数民族の中で特に戦闘能力に秀でたモン族の運命は、この半世紀あまり大国によって翻弄され続けてきた。インドシナ戦争中にフランス軍による「モン狩り」で強制徴用され特殊訓練を受けたラオスのモン族は反共戦闘部隊「モン・マキ」として最前線で最も危険で汚い任務を負わされた。一方ベトナム北部に住むモン族もやはりベトミン・北ベトナム軍側の兵士として洗脳・徴用されたため、つまり彼らはフランスとベトミンそれぞれの代理として同族同士で戦わされ殺されていった。その戦費・武器調達資金には、仏軍もベトミンもアヘンを充てた。

ディエン・ビエンフーの戦いに敗れ仏軍が撤退したあと、生き残ったモン・マキ兵士を引き受けた米軍は更に訓練をほどこし、ラオス内に極秘裏に設置されたレーダー誘導施設「サイト85」の守備、ホーチミンルート破壊工作などに使った。第一次インドシナ戦争に続くベトナム戦争でもモンは最も過酷で危険な「闇の最前線」へ送り込まれていった。

激しい戦闘でモンの兵士数が「消耗」するたび再びモン狩りで調達・補充されていき、モンの村々からしだいに青年・少年の姿が消えていった。彼らは米国白人青年兵士の身代わりであり、もしモン族を使わずに米兵だけを投入していたら、アーリントン墓地のベトナム戦争犠牲者の名前を刻む墓碑の長さは数倍になっただろうと言われる。

1975年、サイゴンに引き続きビエンチャンも陥落し政権が共産軍の手に落ちたあと、残されたモン族たちはさらに悲惨な運命を辿る。米軍に見捨てられ自殺を図る者、森へ逃げ込み仲間の遺体を食べながら飢えをしのぐ者。ベトナム・ラオス共産軍は生き残った親米モン族を執拗に追い、モン族も必死のゲリラ戦で森の中から抵抗を続ける。

30年以上たった今なおベトナム軍・ラオス軍共同によるモンへの迫害とモンの抵抗は続き、餓死の相次ぐ深い山の森の中から救いを求めるモン族の声はアメリカや国連に届いてはいるが、米・仏はモンを利用し見殺した古傷に触れたがらず、ベトナム政府もシラを切り、国連人権擁護委員会の医師・看護師団の現地派遣をラオス政府は拒否し続けている。

モン族はもともとクセの強い気性の民族で、移住先のアメリカやフランス領でしばしば軋轢を生じ(1990年に日本人留学生が米国で襲われた事件、あれもモン族と間違われたため)、モンの一夫多妻制や好戦気質などへの反感・差別感情が、モン弾圧に対する一般ラオス国民の無関心の誘因となっている。

ベトナム戦争に呼応するラオス紛争は「内戦」と呼ばれてきたが、その実体はアメリカと旧ソ連を後ろ盾にした北ベトナムとの戦いであり、代理戦争のさらに代理兵士として少数民族が利用され殺されていった。冷戦構造の本陣である旧ソ連と米国が直接戦火を交えたことは無く(だから冷戦-cold war-なのだが)、その代理犠牲としていったいどれだけのアジア人の血が流されたのか。

私が今回この板でラオスのモン族のことを紹介するのは、①今も続く親米モン族の残党狩りに「北朝鮮製小火器が使われている」こと、②インドシナ戦争も朝鮮戦争も冷戦構造という「白人利権対立構造」の中でほぼ同じ時期に発生し、白人ではなく多くのアジア人の血が流されてきたこと、そして、③後進国の民族感情を増幅させて利用しその微妙・複雑な葛藤の中に紛争の種を構造的に組み込むという、旧宗主白人たちの極めて巧妙な仕掛けを、北朝鮮問題にもインドシナ問題にも同様に感じるからである。

戦後アジアの社会主義地域の悲惨な現実を思えば、社会正義や平和や国益の能書きをいけしゃあしゃあと垂れるブッシュとプーチンの姿を見ると、私は二人の襟首つかんでその顔面をインドシナの骸の大地へ叩きつけたい気分になる。これは右・左政治イデオロギーなんぞとは関係ない。

そして思う、いまだに偏狭な日本国内政党イデオロギー対立構造の残影でしかインドシナを読めぬ、白黒オセロのような単細胞は治療しようの無いただの阿呆であり、人の世や世界政治を語る資格も無かろう、小田実とともに逝ってよし。

|

2007年10月11日 (木)

鈴木智さんのお話(2007/8/11)

世田谷お蕎麦屋さんミニ集会

07.8.11 世田谷区某蕎麦店にて

『鈴木智さん(特定失踪者・鈴木賢さんの兄)の挨拶』

こんにちはどうも、はじめまして。
私、平成15年にですね。
こちらの荒木代表のところに届出をしまして、それ以来調査を依頼しまして色々お世話になっております、特定失踪者・鈴木賢の兄でございます。

皆様には、特に東京ブルーリボンの会、それと特定失踪者問題調査会、さらに救う会埼玉の古藤さん、それから皆様方にはですね。
日頃大変お世話になっております。
ご支援いただいております。
ありがとうございます。

私ども今現在はですね。
先ほどもちょっとご紹介がございましたけども、「拉致問題を考える川口の会」としまして、毎月第一日曜日に署名活動をやっております。
昨年の実績ですと月平均が署名数が550です。
ちなみに現在までこの拉致問題を考える川口の会としましては、市民の皆様、それと田口八重子さんの家族、それから特定失踪者の家族、それと自治体がですね。
大変理解あるご支援をいただきまして、そういう意味ではちょっと特殊と言いますかね。
異質な形の会を設けております。
もちろん、拉致被害者と特定失踪者というのは非常にこの、どこで一線を引くか?という事については、私どもも活動の中であくまでも一線を画すと、言うような事を絶えずアピールしましてね。
双方一緒に活動しているのが現状でございます。

ちなみにですね。
この署名を持ちまして現在まで川口の署名の提出はですね。
4回ぐらいに亘りまして、約25万人分ぐらいの署名をですね。
首相官邸とか内閣府に提出をしております。
つい最近は7月の12日でございましたけど、これもやはり昨年来から集めました署名を、皆様の心のこもったご署名をですね。
1万2千人分の署名を持ちまして、内閣府に提出をして参りました。

そんなことで、私はいつも講演会などですね。
アピールするようにという事がありまして、アピールさせて頂いているんですけども、私はあくまでも特定失踪者の家族ですけども、やはり心境としましてはね。
今拉致被害者・特定失踪者と言えども、これはやはり国の問題だと。
国民お一人お一人の問題だという事で、私の弟ももちろん肉親ですからね。
思いはやはりそこに行くんですけれど、現在の私の心境としましてはそういう事は超越しましてね。
拉致問題そのものを何としても解決するために、一人でも多くの皆様に、この拉致という事を認知してもらう。
いうような気持ちでもって活動に従事しておる、と言うのが現状でございます。

今後共ですね。
皆様には色々お世話になるかと思うんですが、どうぞよろしくお願いいたします。(拍手)

|

生島馨子さんのお話(2007/8/11)

生島馨子さん(特定失踪者・生島孝子さんの姉)の挨拶  



本日は麺業組合の方たちばかりかと思いまして、一言お礼を申し上げなきゃと思いましたんですが、そうでない方もいてちょっとピントのずれた話になるかも知れませんが、よろしくお願いします。

最初に個人的な事を言わせていただきますと、何で母の写真を持ってきたか?
それから、母の着物です。
母が(亡くなる)直前まで来ていた着物で、何でそれを着てきたか?というと、うちの母は明治38年生まれなんですけど、ホンのちょっと先の上馬で生まれ育って34歳嫁に追い出されるまでいました。
それで小学校が昔は東京にも分校がありまして、小学校4年までは駒沢小学校の分校が、このちょっと先にあったんです。
それでお墓は、実家が初台の・・・(聞き取れず)さんなので、このちょっと先のお寺さんなんですけど、そこに眠りたいという事で生前にお墓を作ってあげてたんです。

そして今日の会場は世田谷区という事で、これは母が妹に会えなくて、残念ながら会いたい会いたいと言いながら死んでいった母がきっと何か背中を押したのかな?
こういう母のゆかりの地で皆様がやってくださるという事が非常に嬉しくて、母の写真と一緒に来ました。
よろしくお願いします。(拍手)

実は私は母が死ぬまではほとんど何もやっておりませんでした。
母が死んで何かやろうと思うときに、東京で家族会と一緒の集会というものが無かったものですから、どうしていいか?何をしていいのか?が、自分で本当に分からなかったんですね。
それで埼玉とか茨城とか呼んで頂いて、そこで講演を聞かせていただき、だんだんと拉致の問題が分かってきました。
それからテレビ番組とかそういうところから少しずつ知識を仕入れて、だんだん拉致の事が分かりましたけど、東京でも例えばもう35年位前ですか。
大学生の方、甲州街道沿いに多くいなくなっていらっしゃるんですよね。

それから印刷工の方の話なんかも聞いて。
それから75年以前のは東京に割合いとあるのに、非常にマスコミになんかにも扱われないんですよね。
何か、抑えられているのかな?とも思ったんですが、そのうちだんだんあちらこちらと伺っている内に、古賀先生が熱心にやってくださっているのでお招きを受けて、古賀先生のところに伺いました。
古賀先生、本当に元日から署名活動をやってくださったんですね。

それでね、びっくりしちゃって、東京にもこういう方がいらっしゃるんだ、これが東京全体に広がって行ったら良いなと思っていたら、お食事をするところの麺業組合、お蕎麦屋さんのお店にこのポスターを貼ってくださるという事を伺いまして、これはね。
凄く温かさと、日本の心みたいなのを感じたんですね。
麺だから日本の心と言うんではなくて、お店に飾ってくださるという心が、非常に温かく感じたんですね。
是非お礼を申し上げたいという事と、このポスター、古賀先生非常にご尽力下さって出来上がったものなんですけど東京都の人権擁護局に貰いに行ってもなかなかくれません。
名前をサインさせられて3枚だけやっと頂きました。

でもそういうふうに東京都内の官庁なんかには貼ってあるんですが中々一般の人はね。
目にするようなところには貼ってないんですよね。
それで、今回の事は非常に感謝しております。
もうひとつこれはね、コミュニティセンター、昔の交番なんですけど、そういう所には貼ってあるんですけども中々皆さんの目にはつきません。
それで良かったな、と思います。
これがまた他の業種にも広がっていったらな、とも思います。

それから先ほど荒木先生のお話にも出てきましたけど、印刷工の方たちがいなくなったあのあたりは、その方たちがいなくなったというのは、まさしく私の青春なんです。
私が若い頃あの辺り、小さな印刷工場が一杯ありました。
その当時は今みたいに交通が発達していませんから、していないというのも変な言い方かもしれませんけど、新幹線もないですしね。
東京で働くという事は非常に大変なことだったんです。
自分で何とか東京で成功しようとか、何か身につけようとか、そういうね。
一家を支えるために東京に行って働けるという、目標を持って働きに出てきていた時代なんですね。

それから大学生の方たちも、今みたいにどこでも入れるようなそんな時代じゃなくて、学校も数少なかったですし、それから地方の親御さんが息子・娘、あんまり娘はいなかったですね。
息子の方が多かったと思いますけど、息子に期待をかけて東京の大学に送り出しているんです。
その親御さんの期待を担った子弟がね。
突然連れ去られて分からなくなった。
非常に心配していらっしゃると思うけれど、その親御さん、今拉致問題が出て来たからと言って東京に出てきて活動すること出来ないんですよね、多分。

それだから東京にいる私が貧乏だけどせめて、東京にも(特定失踪者が)いると声を上げて、それで地方の親御さんの代わりにこの人たちも何とかしてくれって言わなければいけないんじゃないかって勝手なね、考えで活動しております。
あくまでも個人的な考えですけど、地方で歳取った親御さんに一生懸命やっているからねって言える様なところまで、皆さんに知っていただけたらありがたいなと思います。
東京に一杯いるという事を少しでも多くの人が、関係のない多くの東京の人が知ってくれる事が、運動の原点になると思うんですね。
まず知ってもらうという事を目標にしております。
よろしくお願いします。(拍手)

|

宋允復(ソンユンボク)さんのお話(2007/8/11)

世田谷お蕎麦屋さんミニ集会

07.8.11 世田谷区某蕎麦店にて

『宋允復さん(北朝鮮帰国者の生命と人権守る会 事務局長)のお話』


荒木さんのお話の中で拉致と言うのは70年代以降だけではなくて、それ以前金日成の時代からあったというお話を伺わせていただきました。
私どもが日本にすでに入っているいわゆる脱北者、日本人妻の子孫に当たる方々、日本に入った100数十名に聞き取りをしています。
その中で具体的に金日成時代の日本人拉致について直接聞いている方の話も実は聞いております。
それで、一部は支障のない範囲で公の場で、前回救う会神奈川の講演会で語って頂きました。

更に詳しく話していただこうという事で、今回9月16日、日曜日に麹町の食料会館午後1時半から講演会、証言集会を開きます。
具体的にどういう事を語っていただくか?と言うのはそのときのお楽しみというところにしておきますが、日本人拉致問題と言ったとき、金正日が認めざるを得なかった。
日本のメディアで北朝鮮タブーがはじけ飛んで、北朝鮮の暗部と言うのが本当に集中的に報道されました。
もしすでに日本で報道されている量の10分の1でもアメリカやヨーロッパで報じられさえすれば、核問題こそトッププライオリティーであるかのごとく国際社会は報じられておりますけども、まずそんなことにはならないだろうと思うんです。

今拉致問題と言う酷い事が現在進行形で行われていて、そんな政権を延命させるための援助なんてとんでもないと
早く核問題、核と言うのはアメリカにとって・・・(聞き取れず)じゃないんですから、そういう酷い政権を代えなければ、改めなければいけないという国際世論も盛り上がるでしょうし、もちろん日本人拉致問題解決にもプラスになると思います。

そういう意味で日本はもう十分以上の材料を握っているんです。
握っている材料が残念ながらメディア間の厳しい視聴率競争の中で、盛んに活発に報道はされましたけども、残念ながら日本国内で消費されて終ってしまってそれが世界に伝わっていないという現状を何とかしたい。
これを何とかすればおそらくあの体制の変革と言うものに近づく。
先ほど荒木さんの話にあった、日本国の金の使い方ですね。
実質的に効果があると思えない会議に金を使い、HPを作ることに2億の金を使い、今度はラジオですか?
すでにやっていることに1億いくらと言う予算を使う。
本当にその10分の1の費用で10倍以上の効果がある事が民間ですらもできる。

今日、テレビを視ておりましたら、日系アメリカ人の監督が原爆投下のドキュメンタリー映画を作ったんですね。
「原爆ヒロシマ・ナガサキ」という題なんですけど、実はその人は「はだしのゲン」という漫画を若いとき、まだ大学生の時に読んでこんなひどい事があったんだと。
原爆自体、その人は・・・(聞き取れず)があったというんじゃなくて、戦後の酷い混乱の中を原爆の後遺症を負った人々が必死になって生き延びていたという物語を読んで、これを何とかアメリカ国民に知らせなければならない。
ただ単に戦争終結を早めた効果があったんだという事で括られて良い話ではないという事で、学生時代からドキュメンタリー映画を志して、90年代・・・らしいんですが、当時は周囲の世論に潰される形で実現が出来なかった。
20数年たってようやく今回ドキュメンタリー映画として完成して、アメリカの有力なケーブルネットワークで流されたんです。
それを視たアメリカ人が「こんなに酷いこととは知らなかった」と言って涙を流してインタビューに応えていたという事ですね。

おそらく現在北朝鮮で行われていることの多くもつぶさにアメリカ人が知ったならば憤ったりします。
ここまで国内で膨大に材料がありながら、アメリカ人のあるいは世界の人々のハートに触れるまで材料が有効に使えていないと言う現状は大変残念です。
一千万も多分お金があればですね。
北朝鮮強制収容所のことごとくを出す事は可能でしょうし、あるいはドキュメンタリー映画に出すという事も可能だと私は思います。

ですから本当に武器は十分にあるんだと。
で、日本国内で留めて良い話では無いんです。
日本人拉致被害者を取り戻すという事で終って良い話ではなくて、それどころでない広がりがあるわけですから、今ある武器を有効に使って早くあの体制を倒す。
その鍵を握っているのがまさに日本ですから、一歩前進、二歩前進させていきたいと思います。
ありがとうございました。(拍手)

|

2007年10月 8日 (月)

東京と拉致 荒木和博氏講演(2007/8/11)

~~東京と拉致~~

失礼して座ってお話をさせていただきます。
ご紹介を頂きました荒木でございます。
今日は本当に暑い中、皆様こんなにお出でいただきましてありがとうございます。
また、この場所をご提供いただきましたご主人にも本当に感謝申し上げます。

先ほどお話にもありましたようにこのポスターはですね。
やはりこういう場所に貼って頂いて、なんとなく見ていただくというのが一番情報が集めやすい、という事でございまして、お蕎麦食べながら「そういえばこの人どこかで見た事がある」とかですね。
そういう情報が入ってくる事を本当に切に期待を致しております。

それでこのポスターはお気づきになった方あるかもしれませんが、この情報提供はお近くの警察署・交番へと書いてございます。
で、これが実は凄く大事な事でありまして、政府の出しています広報機材にはですね。
「情報があったらここへ」というのはどれを見ても全く書いてありません。
もう一つ、地下鉄の駅なんかに貼ってあります「我々は見捨てない」という政府のポスター、あれをご覧いただいてもですね。
あの中に「情報提供はここへ」と一言も書いていないですね。
ですからこれであれば何か気がついた方は、警察にご連絡を頂くか、あるいはうちの電話番号もありますので、こちらにご連絡を頂くという事が出来るという事はですね。
そういう事だけでも一つ大きな意味があるのでは無いだろうかと思います。

今○○さんのお話の中に、田口八重子さんのお話がありましたが、田口八重子さんだけではなくてですね。
認定されている拉致被害者の中で一番最初の方、久米裕さん。
この方も拉致は東京の拉致ですね。
三鷹市役所のガードマンで、そしてお金を借りていたサラ金業者、現在も西東京市に住んでおりますけども、この李シュウキチという人物にですね、要は騙されて能登に連れて行かれたと。
ですから連れ出された場所は能登ですけども、実際に拉致の現場はですね。
事実上東京であると、いうことでございます。

ここに来られている方は皆さんお分かりの方が多いと思いますが、今でもまだイメージとして海岸線で拉致をされていると、言うようなふうに思っている方が多いんですが、これは全くの間違いでございまして、現場となる場所は海岸も何も関係ないと。
いわんや東京みたいに極めて人の移動が大きくて匿名性の高いところであれば、逆に拉致と言うのは非常にしやすいんだという事を認識していただければと思います。
今日、生島さんお見えですけども、生島(孝子)さんも本当に東京都内でいなくなっているわけですが、ここにおられる方も本当に東京の街中でいなくなっている方が本当に多いという事でございます。

この間、今古賀先生もお話の中にありましたように参議院選挙も済みまして、そして残念ながら拉致のことなどはまったくと言っていいほど争点にはならなかった。
自民党が大敗をした中で中山恭子さんが高位で当選したという事は、それなりのもちろん意思表示であったと思うんですが、選挙自体には一切争点になっていなかったという事が残念ながら現状では無いだろうかと思います。

この間、安倍政権が出来まして約一年間の事を最近改めて思い直してみまして、安倍さんになったことの逆効果というのがですね。
私は非常に出てしまったのではないか?と私は思っています。
それはどういう事かというと、「あれだけ拉致の事を一生懸命やってきた安倍さんが総理大臣になるんだから、もう任せても大丈夫じゃないか?」という意識がですね。
全体の中にやはり蔓延してしまったのでは無いかと。
「安倍さんだからやってくれるだろう」という事でですね。
それが運動の低下につながっていなかったか?という事を、私は実は最近非常に感じております。

各地の救う会の方々といろいろ話をしてやはりですね。
例えば集会をやっても動員が中々し難くなったとか、あるいは署名を集めようとしても中々集まり難いとか、カンパも中々集まらないとかですね。
大変お恥ずかしい話ですが、我々調査会も基本的にはカンパだけで、いろいろなところからももちろんお力を頂いているのですが、結局突き詰めていけばカンパだけでやっているんですが、それもですね。
非常に少なくなったという事が、この間からSOSを出してしまった原因となっているわけですが。

問題は安倍さんが本当に拉致問題を解決しようという事であれば、よりさらに運動を高めていかなければいけなかったのではなかろうか?と。
私自身もその意味で責任を感じている一人ですが、どうも安心をしてしまっている間にどんどん事態が、時間だけが過ぎて行ったのではないか?と、最近これは非常に懸念をしております。

さっき言いました政府のポスターと東京のポスターが、この情報提供のこと一つとっても違っているというのはそういうところに意味がありまして、政府の対策本部の方々と話をしていてもですね。
「何とかして解決をしなくてはいけない」というような、切迫したような環境はあまり感じられない。
正直言って「助かってくれれば良いな」位のですね、感情では無いだろうか?という事をですね。
担当者の人たちと会うたびに本当に私は痛感をしています。
真面目にやっている人も確かにいるんですけど、中の全体の雰囲気では、あそこに行きますとまったりとした空気に包まれていまして、切迫した感じですね。
ともかく今助け出さなくてはいけないんだという感じはですね。
残念ながらあまり感じられないというのが正直なところでございます。

この間、中には読まれた方もおられるかもしれませんが、月刊誌の諸君に連載しているものの中で、今回安明進さんの事をちょっと長めに書かせていただきました。
で、あの中で実は私一つちょっととんでもない間違いをしております。
どこかと言いますと、一番最初に横田めぐみさんの事について情報を出した方、これは現代コリアの平成8年10月号にですね。
石高さんの論文の記事が載ったものですが、この情報を出した者が安明進さんと同一人物であると、私あの中で書いたのですがこれは後で石高さんからもちょっと指摘をいただきまして、全く別人であるという事でした。

私もこれは最初は別人だと思って人にもそう言っていたんですが、だんだんだんだんこんがらがって来まして、あれはやはり同じ人物ではなかったかな?というふうにって、あまり確かめもせずにあの諸君に書いたんですが。
改めて考えて見ますと、あの情報はそれぞれ別々の物でありまして、安明進とは全く別の脱北者・亡命者の方が言った情報だったんですね。
それで改めて考え直してみるとですね。
安明進さんはたまたま平成9年の2月3日にこの情報が出たことによって、それを見たと私は見たと言った事で明らかになった情報だったんですね。

ところがじゃあ考えてみると、あの情報と言うのは(韓国の)安企部の人から石高さんが聞いて書いていたわけですけども、あの時点ですでに日本の政府には情報は渡されていたと。
渡されていたのがどこかで潰されてしまったという事だったんですね。
明らかになり、そして横田めぐみさんだという事が分かって、そして西村眞悟さんの2月3日の質問に行くと。
その直後に高世仁さんがソウルに行くときにですね。
アエラと産経を持って行った事で、それが安明進さんが「この人は見た」と言って明らかになったという事です。

ということは、安さんがあの時ですね。
その情報に接していなければ、あるいは本人が、それまでも知っていたけどもちろん言っていなかったわけですね。
日本人拉致の事は安企部には一言も言っていなかった。
それをもし言わなかったらどういうふうになっていたか?というと、あの話はそこで止まっていたという事も無いとは言えない。
あの時やはり目撃したという人があった事のショックがですね。
その先につながったという事は間違いのない事でございまして、そういう意味でも安明進と言う人は非常に重要な役割を果たしたと思うんですが、同時にその情報がすでにあったにも拘らず、それを日本政府がどこかでブレーキをかけて止めていたと言う事は、これはやはり極めて重要な問題であって、そのことについては基本的に今も変わっていないというふうに思えるわけでございます。

あの時めぐみさんの事が出るに当たっては今日お見えの横田代表がですね。
ご家族の中でお名前を出すべきかどうか?という事で、相当いろんな議論があった時に、横田さんがお一人、ともかくこれは名前を出さないことにはここで終ってしまうという事でですね。
決断をされてそしてそれによってこの問題が明らかになったと。
あの時もし横田さんも、早紀江さんですとか息子さんたちの意見にですね。
同調して、じゃあ匿名のままで行こうという事にいっていたら、今日の事は無かっただろうというふうに思います。

しかし、そういう事を考えてまいりますと、結局この問題動かして来たというのはですね。
その時その時のご家族であり、あるいは民間の声であり、そういう物で動いてきたのでは無いだろうか?
そして政府の意思として拉致問題を解決しようと言うというふうな事と言うのは、実はほとんど動いて来ていなかったのではなかろうか?というのが、結局はとどのつまりの結論でございます。

だからその声が安倍さんだからといって弱まる事は実は非常に危険なことでありまして、安倍さんだからこそもっともっと大きな声にしていかなければならない。
これは今からでも何とかですね、正していかなければいけない事だと思います。

今日生島さんがお持ちの生島うらさん、お母さんのお写真をお持ちですけども、お母さんが亡くなった時、ほぼ同時に曽我ひとみさんのお父さんが亡くなったんですね。
同じ日、同時だったんですね。
それで私は生島さんのお通夜にもチラッと顔を出したんですけども、あの時本当に感じましたのは、曽我さんのお父さんのですね。
お通夜・お葬式の場面と言うのはテレビでも放送されまして、政府の関係者とか県の関係者とか皆さんたくさん来ていたわけですけども、生島さんのお母さんのお葬式の時は本当にもうご高齢で身内の方が少なかったという事も有るかと思いますが、本当に内輪の方だけでのお葬式でございまして、何でこんなに違うんだろうな?という事を非常に感じました。
認定をしていることと認定をしていないとかいう事だけでかくも違うのか?ああいう時になるとですね。
つくづくと我々感じさせられる事でございます。

政府の対策本部の人と会うと、認定してもしていなくても扱いは変わりませんと言う言い方はするんですけれども、決してそうでは無いと。
現在政府がやっております「ふるさとの風」という北朝鮮向けの短波放送でも、家族会の方々、それから家族会には入っていませんが石岡亨さんのお兄さんですね。
認定被害者の方については家族のメッセージ、放送しています。
石岡さんなんかについては、最初ご本人はやるつもりは無かったんですけど、わざわざ対策本部の方から電話をかけてですね。
「やってください」と言ってお願いをして、声を流しているんですね。

ところが我々ですね。
対策本部の人たちからこのふるさとの風について意見を聞きたいと言われた時に、最初は特定失踪者のご家族のメッセージも流してもらいたいというふうに言ったんですが、これは認定されていないと認定されている人々と一緒になるのは出来ないと言われたんですね。
それだったらせめて、次ですね。
この方たち拉致被害者だと言わなくていいから、名前だけでもいつどこで、東京でいなくなったとかですね。
そういう事の情報だけでも流してくれませんか?という事を再三再四お願いし、それから西村眞悟さんの質問趣意書などでも書いてもらったんですけども、一切やる気は無いということですね。
これはもう明確な拒否です。
検討しますとか、そういう事ではなくて明確な拒否をしていると。

どう考えたってですね、おかしな話ですね。
そういう形でやっていたら、こういう方たちの情報は絶対に集まらないというふうに思います。
確かに拉致じゃないかもしれないんですね。
それは我々だってやっていて、ご家族の本当の気持ちと言うのは私にも分かりません、正直言って、当事者じゃないんですから。
分かりませんけど、しかしまぁ、時々はそれに触れる者としてですね。
それはもう、拉致でなくて日本国内で元気で見つかってくれたら、その理由はどんな理由であれ構わないんです、全然。

それでかまわないんですけど、失踪していなくなって、どういう思いか?っていうのはこれはもう横田さんも同じようにですね。
一体どんなになっていなくなったのかも分からない。
事件か事故か、自分で失踪したのか?何も分からない中で生き地獄が続くという事から考えたら、それはですね。
ここにおられる方が拉致では無いという事が分かったとしてですね。
北朝鮮はそうするとほら見ろ違うじゃないかと言うんですけども、それでおしまいの話なんですね。

すでに北朝鮮は金正日が拉致を認めているわけですから、今更ですね。
今までやったことが無いと言ったのが拉致だったと認めているわけですから、別の人がそれ以上やっていないと言ったって、損なのは嘘に決まっているわけで、それがですね。
ここにおられる方の誰かが日本国内で見つかったからと言って、北朝鮮が拉致をやっていないという事には何にもならないわけですね。

ですからこれは可能性があるという事でやって、その結果見つかればですね。
それに越した事はない。
我々は今までやっていまして、大体20人くらいですね。
拉致でなかったと分かった方がおられます。
公開の方もいれば非公開の方もいる。

お一人東京で、もうこの中にはお写真ありませんけども、石川千佳子さんという足立区の小学校の先生がですね。
残念ながら殺人事件の被害者でおられたという事が分かったと、そういう事があったんですけども、非公開の方でも我々は見つかったらですね。
「非公開の方がお一人見つかりました」という事を、発表してます。
それはどうしてか?というと、非公開の方発表しなくたって誰も分からないですよ。
誰も分からないのにあえて発表するのは、ここにおられる公開の方の中でも、やはり拉致で無い可能性の方はいるんですよ」という事を言っておいた方がですね。
より理解はしやすいだろうと。
そういう事もあるかもしれないという事で、とにかく情報を何でもいいから集めて貰うと。

で、例えばこういうふうにやっているという事でですね。
ひょっとしたら何か情報が、この人の事はとか、あるいは上手く行けばですね。
日本国内に工作員がまだたくさんいるわけですから、かつてそれに関わった人間からですね。
見て、どうしてもこの人が気にかかるという事で、例えば匿名の情報でも何でもですね。
出して頂ければいいと思いますし、あるいはこういう物を見ているうちに、この中に載っていない方、福留貴美子さんとか横田さんでも何でも結構なんですけども、認定された方でもですね。
拉致に関わった人が実は、というふうにですね。
言ってくれる事が一番ありがたいことでありまして、そういう意味ではこうやってお蕎麦屋さんに貼っていただくという事はですね。
極めて、私は重要な意味があると思う次第でございます。

東京の都内で拉致というのはどういうふうに行われるのか?と。
これはですね。
別に東京に限らないんですけども、やはり何かの理由が有る事は間違いないと。
基本的には北朝鮮にとって拉致をやるというのは当たり前のことですね。
北朝鮮側は拉致というのは、日本が植民地支配をしてその清算をしていないという状況の中で、たまたま一部の人間が勝手にやったんだというような事を言っているわけですけども、これはもちろん全く嘘だという事は皆さんよくお分かりだと思います。

もし植民地支配をしたと言う理由でですね。
拉致をするんだったら、じゃあルーマニアもタイもですね。
北朝鮮を植民地支配したのか?という事になります。
何の関係もないところから拉致をする。
韓国からは朝鮮戦争中に連れて行った人を入れるとですね。
9万人とも言われる人が連れて行かれているわけでございまして、それは別に植民地支配も何も関係ない、わけであります。
ともかく足りなければ持って来ればいいと、言うようなことで連れてくる訳ですね。

その数には自分で行く人も入っています。
お蕎麦屋さんでは有りませんけども、日本でですね。
本を出しています藤本健次さんという寿司職人の人、あの人は要は金正日がですね。
そういうものが食べたいというのが最初の理由で北朝鮮に渡るようになる、わけですね。
技術者なんかで人によっては、中国へ旅行という事になっていて中国で北朝鮮のパスポートを渡されて、そして北朝鮮に入って仕事をしてまた出て来て戻ってくる。
日本のパスポートには中国に行ったことしか書かれていない。
こういう人はかなりいるというふうに聞いています。

しかし、それも駄目だった場合、自分から(北朝鮮に)行ってくれない。
でもこういう技術の人が必要だという事になった場合には、例えば何かの形で、一番早いのは北朝鮮になんとなくシンパシーを感じていて集会なんかに出た事があると。
そういう人であればそういう人に声をかけて、ちょっとひと月くらい行ってきませんか?と言うと。
で、そしていいですよと言ったらそのまま(北朝鮮に)入れて、そのまま返さないと。
技術者と言うわけではありませんけども、ヨーロッパ拉致の3人は皆それに近いですね。
ちょっと入って、また出てくるつもりだったのが出してくれなかったと。

技術者と言う意味で言えば、やはりですね。
北京経由で入ったりするのもバリエーションみたいな形で行って出られない人も、かなりいるであろうと。
あるいは今度はもうちょっと乱暴なケースで、人間関係を何か作ってそしてどこかにおびき出しておいて、そこから先はあとは強制的に連れて行くというケース。
こういうケースがおそらく一番多いんでは無いかな?と私は思います。

例えばこの間、去年ですね。
目撃証言があったという事で発表された日高信夫さん。
この方は調査会の事務所がある飯田橋の近くの印刷会社に勤めていた方ですが、この人がいなくなっている。
この早坂さんも印刷の仕事ですね。
後千葉の方とか、何人か印刷関係の仕事をしている方がこのあたり、1970年くらいにですね。
小林栄さんも、この3人ですね。
いなくなっているというのは、この頃印刷の仕事の人が欲しいなと言うような意向があって、それが伝えられてそれぞれが住んでいる人間でですね。
エージェントみたいなのが自分の近くにこういうのがいると。
場合によったら飲み屋かなんかで隣に座った人、と言うのがあるかもしれません。
そういうのを探していてですね。
そして騙してどこかに連れて行ったというのが、一番可能性がかなりあるのでは無いだろうかと言うふうに思います。

だからそういう意味で言うと、何処でも出来るんですね。
海岸なんか別に必要では無いです。
横田さんの事件だって、新潟ですから海岸の事件と言うイメージが多いですけれども、実際に拉致をされているのはご自宅の近くで車の中に引きずり込まれてですね。
そして連れて行かれている、と言うケースでございまして、これはやはり皆狙ってやったというケースがかなり多いだろうと。
海岸でですね。
たまたま偶然に連れて行ってしまったケースというのは、これは工作員が中にはですね。
進入したという証拠として持って言ったというのもあると聞いていますけど、それよりはおそらく計画的にですね。
狙って連れて行ったというケースが多いんだろうと思います。

北朝鮮と言う国からすれば連れて行くのは当たり前の話ですから、工作員はやはり連れて行けばですね。
それが何かの点数に関わった可能性がある。
あるいは場合によったらやくざをですね。
下請けにして、そのやくざに金を渡して連れて来させたというケースもあるのでは無いかと言う感じも致しております。
そういう事を考えますとやる事が当たり前だと思っていれば、今政府のパンフレットなどに書いてあります70年代の後半から80年代の初めって言うのは、これは真っ赤な嘘というか、全くの認識の違いであると言うふうに思えます。

これは金正日がですね。
拉致の指令を出したのが76年くらいという事でですね。
そういう事を思っているのでは無いだろうか?と思っているんですけれども、我々が見ていてですね。
70年代の前半、あるいは60年代にいなくなった方々、この中にもたくさんおられますし、あるいは80年代の後半以降にいなくなった方々もたくさんおられるんですけども、いなくなり方から考えてですね。
拉致が疑われる人たちは、いなくなり方から考えて70年代の後半から80年代の初めは特別な特徴と言うのは私はそんなに無いと思っています。
量的に多いという事は有るかもしれませんが、そんなに極端に多いというような感じもしない。

それより前からず~~っと計画的にやっていて、そしてその後もですね。
やはり計画的にやった拉致というのが続いているのでは無いだろうか?と言うのは、我々が実際にこれ調査して来てみてのですね。
感覚でございます。
北朝鮮と言う国にとって拉致をするというのは、金日成の時代から当たり前のことであって、当たり前の事をやっているわけですから、金正日になって多少拍車が掛かったという事があったとしても、現実にはその時だけの事であるはずが無い、という事でございます。

だからず~~と昔からやっている。
そして東京は非常に匿名性がある場所ですから、全く知らぬ人がどこかアパートに住んでいてもですね。
全く分からない、わけですね。
誰がいなくなっても一人住まいしていたら、全く分からない。
久米裕さんなんかを狙ったというのは、おそらくやはり当然ですね。
回りにあまり縁故が無いということを狙っているわけでございまして、そしてそういう事から考えればですね。
いくらでも逆に非常にやりやすい。
この東京と言う場所はですね。
場所であるというふうにいわざるを得ないであろうと思います。
田舎なんかで向こう三軒両隣ですね。
誰が住んでいてどこに勤めていてどういう暮らしをしているか?と言うのを分かっているような場所であれば、いなくなりゃおかしい、と言うふうになるわけですけども、ここはそういう所ではないという事ですね。

実際私もですね。
かつて新宿で昔民社党に勤めていた時に、通勤経路が歌舞伎町で地下鉄から西武新宿に乗り換えて帰っていました。
で、歌舞伎町を途中通るわけですね。
あるとき仕事の合間にですね。
暇だった時に夕方ですね。
ふらふらと歌舞伎町を歩いていたらばたまたま「まだん」と言う名前の店が目に入りまして、これはまだ80年代の半ばくらいだったと思いますが、「まだん」というのは朝鮮語で「広場」と言う意味なんですね。
まだ韓流ブームも何も無い頃で、非常に珍しかったのでそのスナックですが、入ったんですね。

入ったらばそこはですね。
そこのマスターから、飲んでいたらいきなり出された名刺にはですね。
統一革命党日本代表部と言う、これは北朝鮮の工作機関の名刺を出されてですね。
大体こういう名刺を出す方は大した方はいないんですけども、どちらかと言うとママさんの方がもうちょっと大物だったみたいでですね。
しかし、その後仲良くなりまして、私も向こうが所在を明らかにしたんでですね。
こっちも明らかにしないと卑怯だと思ってですね。
民社党の名刺出しまして、それから時々、ちゃんとお金払って飲んでいたんですが、少し安くしてもらってですね。
飲んだりしておりましていたんですけども、あれもしあの時ですね。
私が入って最初の時、一人しかお客がいませんでしたから、酒の中に眠り薬でも入れられて眠ってしまったら分かりませんよね?

酔っ払いみたいに見せかけてですね。
肩担がれて「おい大丈夫か?」なんて言いながら声かけながら車に乗っけちゃったら誰も分からない。
職場の方にいつまで経っても帰って来ないと言って家族が心配をして職場に電話をする。
「いや、普通に夜出て行きましたよ」という話になる。
警察に行ってもですね。
家出人の捜索願くらいしか受け付けて貰えない。
「何か悩みでもありませんでしたか?」と言うふうに聞かれてですね。
「そういえばあいつこの間塞いだみたいだった」とかですね。
そういう話になれば、やっぱりそれでいなくなったんだろうという話で片付けられてしまうという事が有ったのでは無いだろうか?と言うふうに思います。
そういうふうにして、実際拉致をされた人と言うのは、当然いてもおかしくない事でございまして、そういう事を考えると東京と言うのは何でもできる場所だというふうに思った方が宜しいのではないだろうかと、感じが致します。

だから、じゃあこういうのをどうしなければいけないのか?と。
これはですね。
やはりそういう状態の中で完全に拉致を防ぐなんて極めて難しい事であります。
まだ日本人の拉致の場合はそれでもご家族がいれば、ご家族がまだ声を上げてくれて何とか世論になる可能性がある。
久米さんなんかの場合は、犯人が捕まってなければ家族がいないわけですから、誰も何も言っている筈が無いわけですね。
それ以外の方々でもおそらく家族がいない人を狙ってやって、成功していれば誰も何も言わない筈であります。
そういう人が非常にたくさんいる。

それからおそらく日本人以上にですね。
在日の拉致と言うのもかなりあるんじゃないだろうか?と私たち推定しています。
我々のリストの中、この東京の中には無いですけども、在日朝鮮人の方でですね。
いわゆる帰国運動と別に拉致をされたのでは無いだろうか?と言うケースが結構色々ありまして、これはですね。
ご家族が数人、我々に名乗りを上げている方がおられますけども、それ以外はですね。
全く分からない状態のままに今日に至っているという事でございまして、ここら辺もですね。
我々としては非常に大きな問題だろうと思います。

そういうふうに非常に大きな事をですね。
防ぐという事は中々難しいんですね。
これは防御と言う形では絶対に出来ません。
それはどうするか?と言うと、ともかくですね。
少なくとも今拉致をされている人たちはどんな事をやっても、草の根分けてでも見つけ出してですね。
探し出すぞ、という事をですね。
やっていかなければいけない。

そして拉致をされていると分かった人はですね。
何が何でも取り返すぞと言う意思を我が国が見せていかないと、北朝鮮は返して来ないだろうと言うふうに、私たちは思っています。
そのためにはだからやっぱりこういうのが必要になるんですね。
こういう情報を、と言う話が。

政府も昨年度3月くらいにですね。
何回か拉致の事を放送、テレビコマーシャルをやりました。
拉致は許せない、許せないのは当たり前の話でございまして、そんなのはわざわざ膨大な金をかけて政府がやるなと。
誰も分かっているんですね。
日本中の誰に聞いたって、拉致を許せますか?って、ハイ許せますなんて人はほとんどいないわけでありまして、姜尚中位だと思いますが、それ以外皆許せないわけですね。

それを言われたって困るわけです。
それよりももし例えばですね。
金かけてポスターを作る、あるいはテレビコマーシャルをやる、パンフレットを作るというんであれば、ともかく拉致今のうちにしゃべった方が身のためですよ、というですね。
脅迫するぐらいのですね。
コマーシャルでもした方がいい。

今情報を出してくれればですね。
警察も不問にしますよと、まぁ警視庁の方もおられるんでですね。
そういう事を言っちゃいけませんかもしれませんが、ともかく今のうちに言った方が身のためですよと。
今吐けばですね、あなた本当に皆さん大事にしてあげますよ、と。
最後まで行って他の事が分かってからバレたらあんた必ず捕まえますよと、いうふうにですね。
それくらいの脅かしをする位の事をしなければいけない。

この間ニュースでですね。
外国の記者を対策本部で呼んで、そして拉致のことについてご家族の方に会って頂いたりとか、現場を見せるとか言っておりましたけども、その対策本部の人たちがですね。
自分で自腹切って外国から読んで来るんだったら構いませんが、税金使ってですね。
そんな事やる事か?と。
ジャーナリストと言うのは本当に価値が有ると思えばですね。
自分で金使ってですね、やってくるわけですね。
わざわざですね。
お足つきで呼んで来てですね。
そんな事を書かせるんじゃあ北朝鮮と何の変わりもないと言うふうに思います。

もう何か見ていると、何に金使っていいんだか分からない。
何をやればいいのか?分からないという状態では無いだろうか?というふうに私ども思っておりまして、本当はですね。
やらなければいけない事が山ほどある。
政府の中にもやらなければいけないか?って何か分かっている人が、実は本当にこのことに携わっている人がたくさんいるんですね。
こんなことでは駄目だと、我々も政府の中のいろんな立場の人から話を聞いておりまして、しかし中々動かすことが出来ないというのが、残念ながら現状でございます。

それを我々は何とかして変えて行かなければいけないんですが、変えるのには何が必要か?と言うとやはりですね。
皆さんの声が必要です。
こうやって暑い中ですね。
36度くらいあるだろう中をこうやって来て頂いて、お話を聞いていただくというような事をするというお気持ちがあるというお気持ちがですね。
まさに政府を動かして、そして拉致の解決につながるんだという事です。

この声を絶対に小さくしたらいけないです。
任せておいて大丈夫だろうと思うとですね。
絶対にその方向には行かなくて、逆の方向に行くという事でございます。
何か近々、山崎拓さんが平壌に行くという話が出ております。
28日から30日は韓国の大統領とですね。
北朝鮮のあの金正日がですね。
また2泊3日も何しに行くんだか良く分かりませんけども、行って話し合いをしてくるという事でございます。

ほったらかして置くと、どんどんどんどんこの拉致の問題はですね、埋もれてしまうと。
日本政府は今何とかですね。
それでも支援をしないと言うところで止まっておりますけども、下手をしたらばそういう所もですね。
何かちょっとした餌を与えられて、そして分かりましたと言ってですね。
アメリカや中国やそして南北朝鮮のですね。
ペースに嵌められてしまわないという事も限らないわけで、そこに嵌められないために必要なのは世論だと。
結局最後はそこにやって来てしまうんだという事をですね。
ご理解をどうかいただきたいというふうに思うわけでございます。

我々は今度お盆休み明けにですね。
例の問題の朝鮮中央放送委員会の愼範アナウンサーのとですね。
矢倉富康さんの声のですね。
ご家族の声の鑑定の結果が大体出るという予定になっております。
その結果も踏まえた上で、20日過ぎからですね。
具体的に動こうと思うんですけども、今のところ政府は、我々よりも前にこの情報に接していた事は間違いないにも関わらず、全く動いた形跡が見えないという事でございまして、ここが愼範さんが矢倉富康さんだという事がハッキリすればですね。
ここをきっかけに何とか切り込んで行きたいというふうに思っているわけでございます。

我々何度も何度も言っておりますし、是非皆さんにもご協力をいただきたいんですが、この問題の解決と言うのはですね。
話し合いでは絶対に解決できません。
話し合いをするにしてもそこに、力の裏づけが絶対に必要になります。
日本がですね、その力を行使するという裏付けなくして、この問題は絶対に解決できません。
そんなちょこっと話し合いをしただけで、彼らが帰ってくるくらいであれば、大体拉致なんかするわけが無いはずでありまして、こういう状態の中で拉致が起きまして、そして返して来ない。
この間の北朝鮮の外務省の備忘録なんてのを見ればですね。
読んでいくと日本が悪いんじゃないか?と思えて来るような内容でございます。

そういう相手から取り返すためにはですね。
ふざけた事を言ったらば張り倒すという力が必要でありまして、それをやはりやっていくのは軍隊がいなければいけないと。
どこまで使うかは別としてですね。
やはりその裏付けが無いと問題解決しないと、私は思っております。

幸いここにもですね。
私含めまして3人予備自衛官がおりまして、そこにいる○○君と、上島議員とですね。
さらに今古賀議員の息子さんも予備自衛官補として訓練受けているそうですので、大分昔に比べて比率が高くなったなと言う感じが致しますので、我々はもう召集が来れば直ちにですね。
これを迷彩服に着替えて、北朝鮮に乗り込む覚悟でおりますので、そういう、もう絶対に取り返すんだという意思が向こう側に伝わればですね。
あの国は力しか信頼していないんですから、こっちが力を使うぞと言う意思があればですね。
向こうはそれに応じて来ざるを得ないという事でございます。

そういう意思を国民全体が持つ事によって今度はですね。
北朝鮮側だけでなくて他の国もですね。
日本と言う国に対して手出しが出来ないというふうに思うわけですね。
それが無かったら、いつまで経っても拉致被害者取り返す事が出来ないばかりか、日本と言う国は何をやっても大丈夫なんだと回りから馬鹿にされてですね。
更に被害者がでるという事は間違いが無いわけでございまして、我々はそういう意味でですね。
この決意とそしてそれをですね。
世論をバックに実行させていくと、いう事が絶対に必要であろうという事を思っている次第でございます。

色々ございますけども、本当にですね。
この拉致問題をこの10年間進展させて来たのは、他でもないここにお出での皆さんの熱意があったからという事でございます。
私はあともう少しのところまで来ているというふうにですね。
思っておりますので、もう少しの間お力を更に高めていただくことをお願いいたしまして、お話を終らせていただきたいと思います。
どうもありがとうございました。(拍手)

・・・・・・・・・・・
音声ファイル及びテキスト中に出てくる個人名は、プライバシーに配慮してあらかじめ削除をしております。
悪しからずご了承の程、よろしくお願い申し上げます。

|

2007年10月 5日 (金)

緊急集会 荒木和博氏

≪司会:櫻井よしこさん≫
本当に多くの拉致された可能性の否定できないケースを発掘してきました、荒木さんから、状況説明をお願いしたいと思います。宜しくお願いします。(拍手)

  ≪特定失踪者問題調査会 荒木和博代表≫
ご紹介いただきました、荒木でございます。
今日は連休の最中、多数の皆様お集まりいただきまして、本当にありがとうございます。

まず、最初に、きのう産経、NHK等々で報じられました、あの矢倉富康さんではないかという、私どもが発表した写真の件、一言だけ申し上げておきます。報道に寄れば、あれは別人である可能性が高いという報道がございました。
私ども、そのような情報は受けておりまして、その可能性も含めて調べているところなんですが、今回のこの写真に関しては、単に写真が似ている、似ていないいう以外にですね、様々な、不思議な点がいくつもあります。、声の問題もそうですし、あるいは写真が出てきて流れていった経路もそうでございますし、これ、問題は、もっとかなり奥の深いところにあると思っておりますので、現在調査をしておりまして、発表できることは、逐次発表して参りたいと思います。

実は、このことをやっている過程で、やはり前に私ども--(今日、松本京子さんのお兄さんがお見えでございますけれども)--松本京子さん、斉藤ひろしさんの写真のことで、非常に似た人ではあったのですが、ちょっと失敗したこともございました。こういう事もございますので、やはり慎重にやった方が良いんじゃないかと言うような声も確かに実はあるんですね。そして、言うまでもなく政府は、もし間違っていたりしたら、北朝鮮から、大変な反撃をくらうと言うことを言っています。

しかし、安倍総理が退陣表明される前の日、9月11日に、内閣府で、日朝国交正常化担当の峰大使のモンゴルの報告をお聞きしたんですが、アレを聞いて、感じたことは、もしたとえば私たちが、正しい情報=本当に絶対これは間違いないと、この人がここにいる=というような情報を持ってきたとしても、政府がやってくれるのは、紙を出して「ここにこういう人がいるんじゃないですか」 と聞いて、おしまいなんではないんだろうかということでございました。それ以上のことをしてもらえる可能性はない。

一方で、北朝鮮というのは、2002年までの間、「我々は一度も拉致などをやったことはない、拉致というのは、全て日本の反動勢力のでっち上げである」というふうに、ずっーと嘘をついてきた国です。
ずーっと嘘をついてきた国です。ずっとウソをついてきたんですから、今も嘘をついているだろうし、これからも嘘をつくに決まっている。それを相手にして、こちらがいくら真実を見せても、相手側がそれだけで、ひるむとは、とても、思えません。

もちろん、家族会、救う会のみなさんが、訴えてやってきた「制裁」が、間違いなく、効果を上げていると確信をしておりますけれど、やはりそこで、もう一押し、どうしても必要なのではないだろうかと思います。

先日峰大使にお会いしたときには、私はですね「この写真の話、聞いてくれたんですか?」と。政府に事前に要請をしておりました。交渉の場でですね、「この写真の真偽について聞いてもらいたい」というふうに、聞いたわけですけれど、政府のほうではですね、聞いていないということでございました。

そこで、その場で申し上げたのは「ともかく、じゃぁ私を行かせてくれ、平壌に。そして、その人に会わせてですね、違っているなら、違っているだけでかまわない。一杯やって、あんたどうしてここに来たんですか、ということでも、かまわないから、ともかくですね、行かせて、会わせてくれ」というふうに伝えてもらえないかというお願いを致しました。

ついでに一言、余計な話ですが、「私が向こうに行って捕まってしまえば、日本政府も楽になるから(笑い)、ぜひお願いしますというふうに言ってもらえないか」と言ってみたんですが(笑い)

とにかくですね、このままじゃだめなんです、ホントに。
ここにも、特定失踪者の御家族が何人も見えていますが、私ども御家族の方々とあってまして、今まで私が直接あった方でも、4人か5人の方が亡くなっています。家族会のみなさんも、10年前、家族会がスタートした時のあの頃の写真とか映像と比べてみたら、5年で年を取られたのは、本当に一目同然です。
時間がないんです。これは、御家族もみんなおっしゃっていることなんですが、「」ホントに時間がないんです。
少しでも、前に進めるには、多少の無理をするしかないです。
写真の問題であれ、多少の間違いがあっても、私ども、これからも同じ事を続けていきます。(拍手)

相手がですね、百も、千も嘘をついているのにですね、こっちが、一つや二つの間違いを怖がっていたら、何も出来ません。(拍手)

私ども、こんどの9月の28日に理事会、ございますんで、まぁその時に、うちの岡田常務理事からも提案があるんですが、今考えておりますのは、拉致、その他収容所なんかも含めて人権問題での査察官をですね、国際的に募集できないだろうか?(拍手)
費用は全部自前、命の保障無し(笑い)死んでしまったら、自分の遺体の始末も、自分でつけろということで、ともかく、合法、非合法含めて北朝鮮に乗り込んで、何とかして状況を変えていくという事の努力が必要でろうというふうに私は思っております。

先日北朝鮮でスパイが捕まったとかいうまた突拍子もない記者会見がございましたが、あのときに保衛部のチェ・スギルとかいう名前で出てきたオッサンがですね、「24時間放送が北朝鮮にむかって流れている。」あるいは、「ビラが一万枚届いている」というようなことで、「これは帝国主義のけしからん事だ」ということを言っておりました。
正にですね、私たちがやっている「しおかぜ」であれ、韓国でやっている「自由北韓放送」であれ、そして、私ども、あるいは北朝鮮のキリスト脱北者連合が行っている「バルーンプロジェクト」等々が、間違いなく効き目を出しているということでございますので、この力をもっとですね、大きくしていかなければならないと思っています。

今回の安倍さんの退陣表明というのは、大変残念ではございました。私ども、ある意味いろんな個別の問題については、安倍政権に対して、かなり厳しく批判をしておりましたし、その姿勢は今後も変わらないと思いますけれど、やはり、拉致問題の解決を掲げて総理大臣になってくださった方が、こういう形で退陣をされるという事は、非常に残念なことではございます。
しかし一方考えてみれば、この間ですね、私たちはある意味安倍さんに頼りすぎていたのではないか、拉致問題を掲げた総理大臣が出てくれたからもう、大丈夫だろうと言うことで、運動に低下はなかっただろうか、私たちの心に油断はなかっただろうか、ということを反省するわけであります。

この10年間の拉致問題を動かしてきたのは、間違いなく国民の、ここにこうやって集まってくださった方の声が、力が、全てを動かしたものだと私は確信をしております。(拍手)

ですから、この声は、何党が政権をとろうが、誰が総理大臣になろうが、もう拉致問題では絶対に動かないというようにならなければですね、いけないのだと思っております。

やはり安倍さんには、しばらく大変な時期が続くでしょうけれどもご本人が、再チャレンジということを言ってこられたんですから、やがていつか、拉致が解決した後になるかと期待しておりますが、もう一回再チャレンジをしていただきたいと思いますが、それ以上に私たちは、今回のことを一つの機会として、だからこそ、国民一人一人がもう一回、この問題の本質を知って、そして闘って行かなければいけないんだと言うことを、認識する必要があるのではないだろうかと思います。

私ども調査会としては、今後もその線に沿いまして全力を尽くして参りたいと思いますので、どうか御協力を御願いして、ご挨拶に代えさせていただきます。(拍手)

≪司会:櫻井よしこさん≫
荒木さんのお話の中で、安倍さんという拉致問題に非常に熱心な総理が誕生したことで、私たちの側に油断があったのではないかという事がございました。
この次ぎ総理にられるかたの可能性の中のお一人はですね、北朝鮮とは対話路線を優先するという考え方の方でございます。
まぁ、世の中は、拉致問題についての関心というものが、低くなっているのではないかということがメディアなどでも取りあげられておりますけれど、もし、新しい総理が北朝鮮との対話を促進するような政策を打ち出せば、この危機は、逆に私たちにとって、有利なバネとなるでありましょうし、そのようにしなければならないと思います。

何故ならば、北朝鮮との対話の中で、一度たりとも報われたことは、日本国を含む全世界が、ないのでありますから。(拍手)

対話にはほとんど何の意味もありません。
対話に意味があるとしたら、それは、力の裏付けがあってこその事でございますので。(拍手)
そのことを、確認いたしましょう。

音声は、Blue jewel Voiceか、ブルーリボン放送で

|

緊急集会 中川昭一氏

~麻生氏拍手の中退場後~

≪司会:櫻井よしこさん≫
どうも、みなさんありがとうございました。
そして、中川さん、ありがとうございました。貴様どうしてもここに来いとおっしゃっていただいて・・・・・・・
さて、拉致議連の会長代行として、中川昭一さんに改めて、ご挨拶を頂きたいとと思います。

≪中川昭一氏≫
暑い中、本当に連休の真ん中にもかかわらず、御家族の皆さん、そして救う会の関係の諸団体の皆さん、そして大勢の皆さん方が、お集まりいただきましたことに、私は政治家の立場として、嬉しいと同時に、申し訳ないというふうに思っております。

まぁ、今日は、暑いですけれども、やがて、25回目、30回目の秋を迎えようとしているのでございまして、極一部の方を除いては、ほとんどの拉致被害者、拉致家族の皆さん方には、またひとつ、季節がめくられていくと、こういう事に過ぎないと思うと、私としても、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでございます。

何と言いましても、今もお話しがありましたけれども、安倍総理の突然の退陣表明ということで、皆様方には、さぞ、今でも、政府の対応にはいろいろご不満があるということを聞いておりますけれども、「これで、安倍さんがいなくなったら、どうなるんだろうか」というご心配が、大変あろうかと思います。

私は、党の方も役員改選になりましたけれども、引き続き党の拉致問題解決のための特命委員会の委員長を引き続き務めさせていただき、党のこの問題の責任者を、何が何でも、しがみついてでも、引き続きやっていきたいという決意でございます。(拍手)

そして、我々の全くの私事で恐縮ではありますけれど、今政治が、この拉致問題を先頭にして、たいへん不信感、怒り、いろんな面であるわけでございまして、参議院選挙での、ああいう結果、これは我々、自民党の責任ではありますけれど、そう言う中で、今総裁選挙をやっているところでございます。そう言う中で、二人の候補が出ておられますけれど、麻生さんは、今、ご本人からも話がありましたとおり、「圧力なくして対話はできないだろう」と、それから、「拉致問題というのは、最大の人権侵害であり、そして国家の主権侵害である」と言うことを、はっきりと言っているわけでございます。(拍手)(そのとおりだ!)

そして、さきほどの、いわゆる党の議員たちの前での、二人の候補の演説の中でも、麻生候補は、内政で3つのポイント、外交の3つのポイントを明確におっしゃっておられました。

外交の3つのポイントというのは、一つは『テロとの戦い』。これはまぁ、アフガンに代表されるわけでありますけれど、アフガンだけでは決してない。9.11で24名の日本人が亡くなっているわけでございます。ですから「テロとの闘い」というのは、正に、日本自らの闘いである。

それから二番目が、「自由と民主主義」という共通の、永遠のきわめて大事な価値観を共有しながら、世界と共に歩んでいこうというのが、二点目でございます。

そして、三点目が、「拉致問題の解決」ということを、はっきりと先ほど明言をされておられました。

しかしこれは、三点目に拉致問題があるだけではなくて、この拉致問題の解決というのは、一点目の「テロとの闘い」とも同じでありますし、また「自由と民主主義というものを護るための闘い」という意味でも、北朝鮮は決して、これの両極端にあるテロ国家でありますから、そう言う意味でも、二点目も同じであります。(拍手)

つまり、麻生さんの3つの外交のポイントというのは、いずれも拉致問題というものを念頭に置いて、3つの柱立てをしたと言っても過言ではないわけでございます。(拍手)

まぁ、そう言う意味で、我々は、これはまぁ党員選挙であり、一政党の選挙ではございますけれど、我々責任政党である以上は、何と言っても国会議員や党員だけでなくて、国民の皆さん方の意見、あるいは、あるいは怒り、あるいは課題の解決のための要求、しっかりと受け止めさせていただきたい。

そのためにも、今日お集まりの皆様方が、本当にお時間をかけて申し訳ないと思いますし、又、最近こういう状況でありますからいろいろ不安おありかと思いますけれども、拉致問題を解決のために、我党は、引き続き全力を挙げて、出来れば、麻生さんを先頭にしてですね、(笑いと拍手)・・・

こういう場をお借りして、なんか選挙に巻き込んじゃって大変恐縮でございますけれど、先ほど、「貴様来い」麻生さんが言ってましたが、決して私は先輩に『貴様』 などとは言っておりませんで、(笑い)「明日の2時からこういうのがあるんで、ぜひきていただければ有り難いんだが、先輩、宜しくお願いします」と、伏してお願いしたわけでございまして、この一点だけは、誤解のないようによろしくお願いをいたします。(拍手と笑い)

いずれにいたしましても、これからも、本当に1日1日が大事でありますし、ムダにすることは出来ません。私も一議員として、そして何よりも自分も子供を持ち家族を持つ人間として、皆様方と共にこの問題解決のために全力を挙げて、そして、増元さんのお父さんがいまわの際に、おっしゃったように、「それでも俺は日本を信じるんだ」という気持ちにしっかりと1日も早く、答えていけますように被害者全員の生還を目指して、我々、国会の大勢の議員が、全力を挙げて闘うことをお誓い申し上げてまして私の挨拶を終らせていただきます。(拍手)

|

« 2007年9月 | トップページ | 2007年11月 »