渋谷街頭活動 生島馨子さん(2007/9/17)
07・9・17 渋谷街頭活動
渋谷ハチ公前広場にて
『生島馨子さん(特定失踪者・生島孝子さん)の訴え』
御通行中の皆様、こんにちは。
お忙しいところを恐れ入りますが、私の話をちょっと聞いていただきたいと思います。
私の妹は和47年11月1日、この渋谷区内でいなくなりました。
そして現在では拉致の可能性が非常に高いと言われております。
渋谷区で(拉致)なんて考えたことも無いと思いますが、私どもも行方不明になったとき、拉致と思っておりませんでした。
それも33年経って北朝鮮での目撃証言を得られましたが、まだ政府認定は得られておりませんので、特定失踪者として・・・(聞き取れず)頂いております。
妹がいなくなった当時、母は目の手術をして目が見えませんでした。
そして退院の3日前に突然いなくなったのです。
退院して目が見えるようになったとき、妹が行方不明になってとても悲しがりました。
でも逢うまではといって、33年頑張ってくれました。
入退院を繰り返し、何回も死線を彷徨って生き延びたのですが、33年経って目撃証言を得ただけで安心したのか、急に逝ってしまいました。
でも、気持ちとして「は逢うまでは生きなきゃ」と、頑張っておりました。
頭はしっかりしておりましたので「車椅子でも飛行機に乗れるんだから、北朝鮮に連れて行って。車椅子で私が探すから乗せてくれ。車椅子で探すから北朝鮮へ連れて行ってくれ」と言って最後は悲しんでおりました。
「もう遅いもう遅い、時間が無い時間が無い、もう遅い」と言いながら母は亡くなりました。
この過去3年間、・・・(聞き取れず)でも、そのままで経っております。
母が亡くなって2年経ちました。
まだ状況はそのままで、一歩も進んでおりません。
皆様、こういう家族がいるんだという事を是非ご理解いただきたいと思います。
そして妹がいなくなって35年、小泉総理は5人だけでも帰国させたかもしれませんが、甲州街道沿いには大学生さんが何人もいなくなっておりいます。
この方たち、ご両親は東京で活動をするわけに参らないのです。
その分も私は背負って、活動していたいと思います。
是非皆様にも、東京にもこういう事があった、この人たちも取りかえなくてはいけないとご理解・ご支援いただきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
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