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2007年11月

2007年11月25日 (日)

2.8渋谷街頭活動のおしらせ

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   「12月8日 渋谷街頭活動」のご案内

                   平成19年11月24日
                     東京ブルーリボンの会・蒼き星々

私達は、来る12月8日(土)渋谷ハチ公前で、

『拉致は人権侵害!
 北朝鮮の全ての人権問題を糾弾しよう!』

と題して、「第二回北朝鮮人権週間渋谷街頭活動」を行います。

拉致はもちろん、強制収容所、飢餓、脱北者問題など、北朝鮮には過酷な人権状況に苦しむ人たちが多くいます。核で世界を恫喝し、拉致を切り捨てようとする北朝鮮に怒りを向け、北朝鮮で苦しむ全ての人々に平和と自由を勝ち取るために、私達は、首都東京、渋谷からから発信します。

当日は、10日から行われる北朝鮮人権週間に関わるイベントをより多くの人たちに紹介するため、イベント一覧のチラシを配付します。

一刻も早い拉致被害者全員救出のため、北朝鮮で苦しむ人々の人権を守るために、あなたも街頭活動に参加してください。
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日  時:平成19年12月8日(土)午後12:00~2:00
場  所:渋谷ハチ公前広場(大型掲示板付近)
呼びかけ人:東京都議会拉致問題解決議員連盟        古賀 俊昭 都議
     :北朝鮮に拉致された日本人を奪還する地方議員の会代表 土屋たかゆき都議
企画運営:東京ブルーリボンの会・蒼き星々
活動内容:
救う会認定被害者・東京関連特定失踪者問48名・川口特定失踪者の読み上げ
北朝鮮人権週間イベント一覧の配布
ブルーリボン配布
チラシ配布(しおかぜ・政府リーフレット・東京都作成特定失踪者チラシなど)
街頭アピール
各人権団体からのアピール 他

集  合:11:30 ハチ公前
※ボランティアの方々は「東京ブルーリボンの会」幹事の現場指示に従っていただきます。

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※この件についての問合せ、参加申し出は 
メール: jewel@blue-stars.org までお願いします。
当日配布物の準備などの参考にさせていただきます。


関係各団体への参加要請中。拉致被害者ご家族・特定失踪者ご家族も参加予定。

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2007年11月14日 (水)

連載【漂揺の30年(2)】「あの子は今、どこで…」

連載【漂揺の30年(2)】 めぐみさん拉致事件 

 「あの子は今、どこで…」   

 MSN産経ニュースより

北朝鮮から提供された、拉致された直後とみられる横田めぐみさんの写真。おびえたような表情に、家族全員が涙した 「めぐみちゃんは今ごろどうしているんだろう、どうしたら助けられるんだろうって、イライラして…」。横田めぐみさん=拉致当時(13)=の母、早紀江さん(71)は、ため息混じりに語る。

 《1993年3月13日、平壌市の49号予防院で死去。朝鮮名は「リュ・ミョンスク」。77年11月から86年7月まで招待所で朝鮮語などを学び…》。拉致を認めた北朝鮮は5年前、こう伝えてきた。


【横田めぐみさんの写真展はこちら】

 ところが、帰国した拉致被害者らの複数の証言で、めぐみさんがその後も生きていることが分かると、北は「死亡したのは94年だった」と訂正。あまりに不誠実で、つじつま合わせの対応をしている様子を浮かび上がらせた。

 「95年ごろの2年間は金正日総書記の妻、高英姫氏(故人)の2人の息子のうち、どちらか1人の日本語の家庭教師をしていた」。金総書記の元側近で韓国に亡命した幹部は韓国当局に対し、こうも証言している。

 支援組織「救う会」の西岡力副会長は「めぐみさんは工作機関から金総書記の近くに呼ばれたため、北はめぐみさんの消息をそれ以上出せないのかもしれない」と推測する。

 「朝顔の花を押し花にして『記念にしてね』と渡してくれたり、一緒に『故郷(ふるさと)』を歌った」

 帰国した拉致被害者の曽我ひとみさん(48)の証言からは、北でのめぐみさんの様子がおぼろげながら浮かんでくる。昭和53年8月に拉致された曽我さんは、すぐ平壌の招待所に入れられ、まもなく違う招待所に移動。そこにいたのがめぐみさんだった。

 「めぐみさんは元気で、朝鮮語を一緒に勉強した。その年の12月まで一緒におり、2人ともその招待所を出て別々になった」

 曽我さんは別の招待所を転々とするうち、めぐみさんと再会する。

 「このときは7カ月間一緒にいて、一緒にピンポンやバドミントン、バレーボールもした」

 工作員による教育、厳しい監視。ときには地村保志さん(52)、富貴恵さん(52)夫妻を拉致した実行犯として、国際手配されている辛光洙(シン・グァンス)容疑者(78)がめぐみさんらを教育したこともあったという。日本語を話すことも禁じられた生活。「夜、寝るときに2人で日本語で会話した」(曽我さん)。

 北朝鮮側の説明によれば、めぐみさんは86年8月13日、韓国人拉致被害者、金英男氏と結婚、翌年9月13日に長女、ヘギョン(ウンギョン)さんを出産した。

 曽我さんの夫、チャールズ・ジェンキンスさん(67)は「『ヘギョン』はひとみの北朝鮮での名前。親友の名前をつけたのでは」と語った。早紀江さんは「ひとみさんのことを思って娘に名付けた心境を思うと、やりきれない気持ちになる」と苦痛の表情を浮かべる。
「めぐみちゃん、こんな所にいたのね」

 早紀江さんは、北が提供してきた写真に、涙を流しながら話しかけた。おびえたような表情でじっとカメラの方を見つめた、拉致直後とみられる姿。その後、成人後の写真も出てきた。探し求めていためぐみさんの“証”だった。

 父、滋さん(75)は「孫の姿、大人になってからの写真、結婚の様子など信じられないものが出てきた」と話すが、「(北から)帰ってきた人も、一緒に暮らしてたという人もいるのに…。大事な核心的なところ、聞きたいと思うところは、何も分かっていない」(早紀江さん)。

 横田夫妻は「本当の情報が分からない。それが一番つらい」と口をそろえる。「帰国した被害者の方は、いろんな理由で話せないことがあるのかもしれない。あの人たちも苦しいし、私たちも苦しいのです」。北による拉致の非道な現実がここにある。

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連載【漂揺の30年(1)】 「人ひとりの命は…」

連載【漂揺の30年(1)】 

「人ひとりの命は…」
 
  
MSN産経ニュースより

拉致された昭和52年の正月に自宅玄関前で写真に写る横田めぐみさん(横田滋さん撮影)  日本海に記録的な大雪が降った年だった。人気絶頂だったキャンディーズが「普通の女の子に戻りたい」と突然引退を宣言し、街中には森田公一とトップギャランの「青春時代」が盛んに流れた。一番流行(はや)った映画は「幸福の黄色いハンカチ」。

 政治は今年と同様、参院選があり、ロッキード事件の影響を受けた自民党が過半数を割った。自民党から分裂した新自由クラブを合わせて、かろうじて過半数を確保したが、福田康夫首相の父、故福田赳夫元首相は厳しい政権運営を強いられた。

 日本赤軍メンバー5人がパリ発東京行き日航機をインド上空で乗っ取り、バングラデシュのダッカ空港に着陸させ、乗員・乗客151人の人質と交換に、日本で勾留、服役中の仲間の釈放と身代金600万ドルを要求した「ダッカ事件」もこの年のこと。福田元首相は「人ひとりの命は地球より重い」と、連続企業爆破事件の犯人など6人を超法規的措置で釈放し、身代金を払った。

 ちょうど30年前の昭和52年はこんな年だった。
晩秋の新潟は、厚い雲に覆われる日が多い。

 「レインコートはいらない?」

 「どうしようかなあ…。今日はやめる」

 玄関で白いレインコートを持ったまま、当時41歳だった横田早紀江さん(71)は、中1だった長女、めぐみさん=当時(13)=を送り出した。それっきり、娘の肉声を聞いていない。

 夕方、バドミントン部の練習を終えて帰宅する途中、めぐみさんは友人と別れた直後に北朝鮮工作員に拉致された。連れ去られたのは、自宅からわずか50メートルの地点。

 「あの日の5日以上前、北朝鮮工作船から発信される電波が把握されていた」。ある捜査幹部はこう明かし、「あの電波がめぐみさん拉致に関係していたはずだ」と確信を深めている。ただ、当初は電波把握と拉致実行の日にちにずれがあり、北が日本の主権を侵害する事件が起きていたことは見逃されてしまった。

 なぜ、めぐみさんが失跡したのか、分からなかった早紀江さんら家族は悲しみのどん底に追いやられた。時間だけが流れ、焦燥感を通り越し、ただ打ちひしがれた日々。早紀江さんの頭には「死」がよぎったこともあった。

 「私がいなくなったら、めぐみちゃんが帰ってきたときにどうするの」。早紀江さんはその度に自分にそう言い聞かせ、思いとどまった。

 どれだけの年月が経過しただろう。朝鮮労働党の現職幹部が第三国で韓国情報機関と接触した際の情報、脱北工作員証言、電波、捜査状況を総合的に判断した結果、「北」の影がようやく見えてくるまでに、失跡から20年を要した。

 「でっちあげ」と否定し続けていた北が、めぐみさんら日本人拉致を認め、謝罪したのも、もう5年前だ。めぐみさんは「死亡」と伝えられたが、「偽遺骨」に象徴されるように「子供だましのストーリー」をもってめぐみさんの「死亡」が確認されるわけはなく、説得力は皆無だ。

 「めぐみちゃんがいる場所が分かって、あの子が持っていた物も写真で出てきて、子供ができていて、あんな大きくなっている。形としてはっきりと認められるものがある。何も分からなかった20年間と今は違う」。早紀江さんはそう話す。

 「何のために子供たちはこんなにひどい目に遭っているのか。大変な問題が日本に起きているのに…」。早紀江さんが各地の講演で語りかける言葉には、一人でも多くの国民が関心を持ち続けてほしいという願いが込められている。民意が政治を動かす力になると信じているからだ。

 先月末の家族会と福田首相の面会で、早紀江さんは「子供たちは海におぼれている状態のまま長い間助けを求めています。泳いでなり、ブイを投げてくれるなり、必ず救出していただきたい」と懇願した。ダッカ事件とは別の次元で、早紀江さんら家族が福田首相に伝えたかったのは「人ひとりの命は…」という気持ちだった。

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2007年11月 7日 (水)

渋谷街頭活動 鈴木智さん(2007/9/17)

07・9・17 渋谷街頭活動
渋谷ハチ公前広場にて

『鈴木智さん(特定失踪者・鈴木賢さんの兄)の訴え』

御通行中の皆様、日頃拉致被害者救出につきましては、大変なるご協力・ご支援をいただきましてありがとうございます。
私は「拉致問題を考える川口の会」の特定失踪者の家族でございます。
現在政府認定の拉致被害者は17名。
その他自殺・家出の動機のない、いわゆる失踪者、全国で特定失踪者問題調査会に届出をしている人が460名。
このうち34名の方は、北朝鮮による拉致の疑いが非常に濃厚と言われております。
私は埼玉県でも13名中、6名の特定失踪者がおります、川口の会の鈴木でございます。

私思いますのに、全部が全部、特定失踪者が拉致被害者だとは思っておりません。
がしかし、数名か数十名か数百人か分かりませんけども、北朝鮮に拉致被害者と同じように、それ以上に光を当てられることも無く、暗闇の過酷な暗黒の世界で命を永らえている特定失踪者がいる事は、間違いないことだと思っております。

現在私どもは川口の会として継続的な署名活動を行なっております。
この川口の会の発足につきましては、拉致被害者・田口八重子さんの本籍地、でございます。
さらにこの会の立ち上げにつきましては、田口八重子さんが住んでいた地元町内会からの発信でございまして、これらを川口の家族会の皆様、さらに川口の地域町内会の支援をいただきまして、さらに特定失踪者の家族が加わりまして現在、定例的な川口における署名活動・チラシ配布・集会等におきますアピールをさせていただいております。

私思いますのに北朝鮮の卑劣極まりない金正日の危険な日本国民の、全く何の関わりもない日本人を一方的に略奪し、帰国できない日本人を見殺しにしようとしております。
現在拉致された北朝鮮における拉致被害者はもとより、特定失踪者におきましても、私はこれらの何名か何十名か何百名かは分かりませんけども、拉致されているであろうと言う拉致被害者を救出するためには、皆様の心ある救出活動は不可欠でございます。
どうぞ皆様、お一人でも多くの皆様に救出活動にご参加いただきたくよろしくお願いを申し上げます。

先日、昨日ですけども、永田町の星陵会館におきまして、北朝鮮の金正日のテロ政権を糾弾すると言う集会がございました。
この席で私は今でも脳裏に残っておりますのは、元アメリカの国務省・北朝鮮問題の専門家、チャック・ダウンズの一言でございます。
「日本の国はもっともっと強く抗議しなさい。抗議すべきです。」
チャック・ダウンズさんの言葉は、「今大事な事は日本は国民の命を第一にする事を、国内はもとより国外に向けても強力に発信することである」と、いう言葉でございました。
まさにこの方の言葉は今の状況下に全く適合しているのでは無いでしょうか?

私も北朝鮮による拉致被害者の帰国まで救出まで、一人残らず救出できるところまで、私たちも一人残らずの救出を考え、人の命を考えて、これからも救出運動に邁進していきたいと思います。
どうぞよろしくご支援ください。
ありがとうございました。

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渋谷街頭活動 杉野正治さん(2007/9/17)

07・9・17 渋谷街頭活動
渋谷ハチ公前広場にて

『杉野正治 特定失踪者問題調査会常務理事の挨拶』

渋谷を御通行中の皆様、特定失踪者問題調査会の杉野でございます。
今、お話をされた生島孝子さん、この渋谷区にお住まいの時に失踪をされました。
昭和47年のことです。
この大都会、東京の真ん中で拉致をされた可能性が非常に高い。
北朝鮮で目撃された情報がある。
こういう方でございます。

ここにポスターとそして顔写真がありますけど、この東京でたくさんの方が拉致をされた可能性がある。
今日は飯塚さんがお出でですけど、その妹さんの田口八重子さんもこの東京の池袋で拉致をされました。
という事はですね。
北朝鮮から上陸した工作員は、海岸にいる人を拉致しただけじゃないんです。
東京にいて十分調べて日本人を拉致して行った。
それが拉致の本質でございます。

このように東京では50名公開しておりますけど、非公開の方を含めれば80名くらい。
全国では約470名くらいの方が、拉致の可能性を否定できない方、拉致の可能性がある方という事で、私ども特定失踪者問題調査会の下にいます。

丁度5年前、小泉元総理が訪朝して金正日が拉致を認めました。
そして5名生存・8名死亡と言うあの情報がもたらされたんです。
あの時、新潟の佐渡で拉致をされた曽我ひとみさんと言う方がおられました。
そして曽我ひとみさんのお母さん、曽我ミヨシさん。
この二人の方は日本の政府も警察も、誰もが拉致だと思っていなかったんです。
犯人である北朝鮮が自白をして、そして拉致であることが分かった。

あれによってですね。
この5年間、全国から「自分の家族も拉致をされたんじゃないだろうか?」と、そういう申し出がたくさん我々のところに来たのです。
我々調査したところ、今政府が認定しているのは17名。
17名が政府が認定した拉致被害者。
しかし我々はそれだけではない。
もっともっとたくさんの拉致被害者がいる。
どんなに少なく見積もっても100名、もしかすると200名、もっとたくさんいるかもしれない。
我々のところに届け出ていない拉致被害者も必ずいるに違いない。
我々はそう見ています。

それに対しまして、日本国政府は今どうしているか?
北朝鮮に対しては現在6カ国協議の中の日朝の交渉の中で、北朝鮮に対してこの拉致被害者、政府が認定している拉致被害者が今12名、この人たちを返してもらうように北朝鮮に対して誠意を求めている。
これが日本国政府の今の考えなのです。
しかし考えてみていただきたい。
北朝鮮の交渉を担当している人間に誠意があると思っている人は、おそらくこの今渋谷を歩いている人の中にも誰一人いないと思う。
日本国政府も というのは、交渉だけをしていれば、つまり交渉をすることだけが目的になってしまっている。

これだけたくさんの方が拉致をされている可能性がある。
これを明らかにするためには交渉によって北朝鮮の誠意を求めるのではない。
解決のためには必ずやらなければいけないことがある。
これは北朝鮮の金正日の独裁体制、これを倒すこと以外に方法がありません。

先ほど古賀都議会議員が仰ったように、この拉致と言うのは戦争であります。
我々の国民を30年40年の長きに亘って、勝手に日本の国内に入って、そしてやすやすと攫っていった。
それも10人20人じゃない、もっとたくさんの日本人を攫っていったのです。
これを解決するには交渉だけではなく、北朝鮮に対して強い態度で臨まなければいけない。
そのように思っています。

それにこれは政府だけの問題ではありません。
あの5年前の9月17日、そして10月15日に5人が帰国したあのときの怒りを、北朝鮮に対する怒りを是非皆さん、もう一度思い出していただきたい。
あの時政府を動かしたのは、間違いなく皆さん一人一人の思い、怒り、それが日本の政府を動かし、そして北朝鮮に拉致を認めさせた事は間違いありません。
我々は北朝鮮のあの政権を揺さぶるために、ありとあらゆる努力を続けていきたい。
是非、皆さん一人一人の気持ちを是非私たちにも分け与えていただきたい。

そして今日はブルーリボンを皆さんにお配りをしています。
今日は大変いい天気ですけど、この青い空の向こうには今現在、私がこうやって話をしてそして皆さんにこうやって聞いていただいているこの瞬間にも、我々の同胞日本人が祖国日本、故郷。
そしてお父さんやお母さんやごきょうだいの事を思いながら、日本に帰れるよう助けを待っているんです。
この事を是非皆さん、心の中に刻んでいただきたい。
このようにお願いを申し上げまして、お訴えを申し上げます。

それからですね。
私どもは、先ほど金正日体制を崩壊に導くという事を申し上げましたけども、私ども今北朝鮮に向けて短波放送を行っております。
これは北朝鮮の中にいる日本人に向けて、「我々日本人が探している、絶対に諦めない」
こういうメッセージを拉致をされた、あるいは何らかの理由で北朝鮮に行って戻れなくなった人に向けて、情報を短波放送で流す。
これは日本人だけじゃなくて、あの金正日体制に虐げられている北朝鮮の人民の皆さん、こういった人たちに向けて北朝鮮の崩壊のために、毎日毎日北朝鮮に向けて放送を行っております。

政府は1億3千万の予算を使って同じような事をやっていますが、我々はその10分の1の予算を持って頑張って拉致被害者が全て帰ってくるまで、我々はこれを続けて行くつもりです。
是非皆さん、ご協力をお願いしたいと思います。
どうもありがとうございました。

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渋谷街頭活動 生島馨子さん(2007/9/17)

07・9・17 渋谷街頭活動
渋谷ハチ公前広場にて

『生島馨子さん(特定失踪者・生島孝子さん)の訴え』

御通行中の皆様、こんにちは。
お忙しいところを恐れ入りますが、私の話をちょっと聞いていただきたいと思います。
私の妹は和47年11月1日、この渋谷区内でいなくなりました。
そして現在では拉致の可能性が非常に高いと言われております。
渋谷区で(拉致)なんて考えたことも無いと思いますが、私どもも行方不明になったとき、拉致と思っておりませんでした。
それも33年経って北朝鮮での目撃証言を得られましたが、まだ政府認定は得られておりませんので、特定失踪者として・・・(聞き取れず)頂いております。

妹がいなくなった当時、母は目の手術をして目が見えませんでした。
そして退院の3日前に突然いなくなったのです。
退院して目が見えるようになったとき、妹が行方不明になってとても悲しがりました。
でも逢うまではといって、33年頑張ってくれました。
入退院を繰り返し、何回も死線を彷徨って生き延びたのですが、33年経って目撃証言を得ただけで安心したのか、急に逝ってしまいました。

でも、気持ちとして「は逢うまでは生きなきゃ」と、頑張っておりました。
頭はしっかりしておりましたので「車椅子でも飛行機に乗れるんだから、北朝鮮に連れて行って。車椅子で私が探すから乗せてくれ。車椅子で探すから北朝鮮へ連れて行ってくれ」と言って最後は悲しんでおりました。
「もう遅いもう遅い、時間が無い時間が無い、もう遅い」と言いながら母は亡くなりました。
この過去3年間、・・・(聞き取れず)でも、そのままで経っております。
母が亡くなって2年経ちました。
まだ状況はそのままで、一歩も進んでおりません。
皆様、こういう家族がいるんだという事を是非ご理解いただきたいと思います。

そして妹がいなくなって35年、小泉総理は5人だけでも帰国させたかもしれませんが、甲州街道沿いには大学生さんが何人もいなくなっておりいます。
この方たち、ご両親は東京で活動をするわけに参らないのです。
その分も私は背負って、活動していたいと思います。
是非皆様にも、東京にもこういう事があった、この人たちも取りかえなくてはいけないとご理解・ご支援いただきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

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2007年11月 3日 (土)

中山恭子首相補佐官の講演(2007/10/20)

埼玉県民集会 
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中山恭子首相補佐官の講演(2007/10/20)
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≪司会≫
続きまして、ご講演のほうに入りたいと思います。参議院議員拉致問題担当首相補佐官でいらっしゃいます中山恭子様にお願いします。(拍手)--中山さん壇上へ--
ご講演に入る前に、ご講師のご紹介をさせていただきます。
2002年、今から5年前、5人の被害者の帰還時、いわば用意された一時帰国というストーリーから、政府の責任で北朝鮮には返さない。子供ら、家族の日本帰国を北朝鮮に求めると。また、曾我ひとみさんの御家族の日本への帰国に際しても、中心的な役割をお果たしになり、御家族の立場に立って、政府高官として、家族会や帰国した被害者の方々から絶大な信頼を得ていらっしゃいます。
それでは、本日、「拉致被害者全員の救出を目指して」と題しましてご講演をお願いしたいと思います。

中山恭子さん

みなさまこんばんは、(会場からこんばんは の声)
ご紹介いただきました中山でございます。
今日土曜日、本当に貴重な時間帯でございますのに、このようにたくさんの皆様がお集まりいただきまして、ご参加いただきまして本当にありがとうございました。

埼玉県、今もご紹介ありましたが、政府が認定できていますのは、田口八重子さんでございますが、それ以外にも多くの姿を消した方々が、埼玉県にはいらっしゃいます。

また今日はこのような形で、救う会埼玉、鈴木代表を初め、救う会埼玉のみなさまがこの会を主催してくださいました。本当にありがとうございます。心から感謝申し上げます。また、埼玉県が共催に入ってくれました。今日本には『拉致問題、その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律』というのが現在出来ておりまして、この中で、地方公共団体も、拉致問題に関して多くのみなさまにこのような形で知ってもらうとか、そう言った努力をすると言うことが書かれております。その一環として今回、埼玉県が共催してくれることになりました。上田知事はじめ関係者のみなさまに私どもから心から感謝申し上げます。

このような形で、拉致問題について、県と救う会=民間のみなさま、そして政府が一緒になって会合をひらくということは、これまでに、和歌山県、山口県で行われておりまして、今回埼玉県でこのような会合を開ける、三度目の開催でございます。これからも、このようなかたちで、日本全国、全ての日本の人々にこの拉致問題についての理解を深めていただくように今動いているところでございます。

また埼玉県では県だけでなくて、議連の皆様が非常に活発に動いて頂いておりまして、その議連のみなさま、県の吉田議長(県会議長)、それから今日お話しいただきました議連の深井会長様はじめ関係者のみなさまに対しても感謝申し上げます。

また、埼玉県では、それぞれの市、そして市議会のみなさまも拉致問題、拉致された被害者を取り戻そうと、署名活動をしていただいたり、各種支援を頂いております。多くの皆様にご支援頂き、御協力を頂いていることに、心から感謝しながら、今、仕事をしているところでございます。

2002年、この問題に私自信が関わりましたのは、5年前2002年の9月からでございました。
2002年の10月15日に5人の被害者が日本に戻りました。唯、これも、北朝鮮が5人を解放する、帰国させようとした動きではございませんでした。『日本に一週間か10日ほど、まぁ出張してこい』と言ったような形で、5人は、日本の土を踏むことが出来ました。

日本の中にもいろんな意見がございます。政府の中にもいろんな意見がございますし、ございました。
ただ、この問題=拉致された、そして日本人が他の国=北朝鮮の中で全ての自由を奪われて、幽閉された状態におかれているということであれば、それは被害者や家族だけの問題ではない。あたり前のことだと思いました。

日本という国が、まず日本政府がですね、自分の仕事として被害者を取り戻すということ、自分の政府の中にしっかりと組織を作り、担当者を決め、費用を使ってでもですね、取り戻すことを政府がするのが、これがもう当然のことであって(拍手)政府の基本的な役割だと考えております。考えましたし、今も当然のこととしてそのように思っております。

そのようなことから、5人たまたまといってもいいような形で日本の土を踏んだ5人の被害者を犯人の手にもう一度戻すことはあってはならないと、言う思いで、政府の中でそのような主張をしました。(拍手)

おかげさまで、安倍官房副長官、『そのようにする』という決断をしてくださいましたし、その時のその時の官房長官が、現在の福田総理でございました。福田総理も、『わかったそうしよう』ということで、丁度帰国してから9日目の夜、夕方ですね、10月の24日に日本政府が、この5人を日本に留める。返さない。それは5人の意志というのは当時わかっていたわけですが、日本に留まりたいということを、蓮池さん地村さん、ひとみさんからも、私宛に電話が入っておりました。『日本に残りたいんだけれど』という。でもそれは、5人が残りたいからと言って、政府としてしょうがなく残すという、そう言う形は取ってはいけないと考えました。

ですから、日本政府が出した政府の方針は、<5人の意志に関わらず、帰りたいと言おうと、日本に留まりたいと言おうと、それだけではなくて、日本政府の責任で5人を日本に留める。そして、この家族は、日本政府が責任をもって取り戻す>という方針を、その時に出すことが出来ました。この時が、ある意味では政府の中での考え方の、曲がり角であっただろうとと思っています。

今は、当然のことでございますが、拉致問題、当たり前ですね。
こないだ・・今、イランで一人拘束されています。このイランで拘束されている方も、何としても無事に取り戻したい。日本政府の中に対策本部が出来て、今、イランや関係するところに交渉しています。

海外で日本人が被害にあったら、日本の国は、それを放置している国ではない。必ず日本政府は、被害にあった人が一人であっても、子供であっても、必ず日本人は、日本政府が護るんだ、そのことが、今の日本の政府の中では、既に徹底していると考えています。
従って、なんと本来であれば、もう随分昔に、日本政府の中にこういった被害にあっている人を救出するための、しっかりした対策本部ができているべきであったと思っていますが、戦後の日本の、30年前あたりの日本の環境を考えてみますと、そう言ったことが、相手が北朝鮮であったということが、ある意味ではタブーな時期だったんだろうかなどと思っています。

いずれにしましても、政府が中心となって、政府自らが--当然のことなんですけれども--この問題を担当し、どうやったら取り戻す事が出来るかを真剣に考えて、動く、そう言った部所が必要だと思っておりました。

昨年の秋、安陪内閣が成立いたしましたとき、昨年9月26日に、安倍総理が内閣を作りまして、その三日後の9月29日に政府の中に、拉致問題対策本部を設置することが出来ました。めぐみさんが拉致されて、なんと29年たってやっと日本の政府の中に拉致問題対策本部が、設置されたという状況だと言うことでございます。

日本の社会というのは、私自身は、温かい社会だと信じておりまして、災害が起きたら、台風に襲われてそこに被害が出たら、また地震が起きてそこに被害が出たら、政府は直ちに対策本部を作り、そして各市町村、県が救いの手をさしのべ、社会の多くの人々が救いの手をさしのべる、そう言う社会であると信じています。

唯、本当に残念なことに、この北朝鮮による日本人拉致問題は、めぐみさんが拉致されて29年たってやっと政府が拉致問題対策本部を設置し、真剣に取り組み始めたと言う状況だということでございます。

現在いろんな形で、政府として取り戻すための、救出の為の動きをしておりますが・・先ほど、その前にですね、先ほどDVD、これも政府が作りました。今年の春に作ったものですから、福田総理ではなくて、安倍総理が映像の中にたくさん出てくる映像ですが、ある程度は全体のことがおわかりいただけると思いますので、まぁ今日いらしているみなさんは、拉致問題に対して深い理解をお持ちの方でいらっしゃいますので、あのDVDを見る必要もなかったかもしれませんが、あのDVDを全国、そしてアメリカ、中国、韓国はじめ、世界中の8カ国、9カ国にむけて作っておりまして、アラブの方々に向けても作っておりまして、世界中にDVDを配って理解を深めてもらおうとしているところでございます。

今申し上げたかったのは、DVDの話ではなくて、あの中で、おわかり頂けたかと思うのですが『何故日本人を拉致したんだろうか?』いろんな、いろんな理由があるようです。技術者が欲しかったということもあったかもしれません。曾我ひとみさんの場合は、きっと連れて行ってジェンキンスさんと結婚させるための候補として連れて行ったのかもしれません。

唯、田口八重子さんを初め、多くの人々というのは『北朝鮮の工作員に日本人化工作をするために連れて行かれた』そういう人々が連れて行かれたと考えています。そのためには、典型的な日本的な家庭で、日本的なしつけをしっかりと受けた、身につけたそういう若者が必要だったということだとみています。

ですから被害にあったこの若者たちというのは、日本的なしつけをしっかり受けて、典型的な日本の家庭が荒らされている。そして周りの友達の中でも、みんなから信頼されている、そして共通しているのが、責任感の強い、そう言う若者たちが連れ去られている。日本の大切な家庭から大切な若者たちが連れて去られている。そう言うテーマだと見ていただいて良いと思います。行き当たりばったりではなくですね、連れて行ったのであろうと考えて、尚更に早く取り戻したいという気持ちが出てくるわけでございます。

2002年の10月15日に5人が戻りまして、この子供たちや家族を取り戻すのに1年9ヶ月かかりました。
2004年の7月に曽我さん一家をジャカルタで再会させて連れ戻すことが出来ました。直ぐそこにいるというのがはっきりわかっているのに1年9ヶ月かかってしまいました。

その後、他の被害者の方々の帰国ということを交渉し、いろんな言い方でやっておりましたが、2004年の11月、横田めぐみさんのお骨が戻ってきた。これが他人の複数の方のお骨だというのがわかり、あまりにもひどいやり方だということで、その年の12月日本政府は北朝鮮に対しては『人道支援を当面凍結する』という方針を出しました。
この後次の年、2005年の1月に、北朝鮮は『拉致問題は解決済み』という方針を出し、今もその方針が貫かれているという状況でございます。
従って、2005年の1月から、北朝鮮といろいろな場で、いろんなルートで交渉している中で、『解決済み』という大方針が出ているものでありますから、北朝鮮の担当者も、北朝鮮全体がなかなか違う動きを出すことが出来ないまま、その状態が今も続いていると言うことでございます。

拉致問題に関しては、北朝鮮側が(そう言ういい方をして良いかどうかは別ですが)北朝鮮側が、非常に強い、日本対して強い立場を持っている。今のまま解決済みで知らないとシラをきりとおせば、北朝鮮側としてはなにも困ることはない。そう言う状況にありますので、北朝鮮を何とか動かして、解決済みという方針ではない、違う方針に変わっていくように持っていかなければならないと考えています。

北朝鮮側に強い立場があるということで日本としては、制裁処置を科しました。
それほどに強い影響をでているかどうか、いまのところはっきりはしませんけれど、それでも日本として出来ることとして、制裁処置を科しているところでございます。

この拉致問題をどうやって解決していくか、いろんな形があろうかと思いますが、いずれにいたしましても、私どもは、被害者を救出すると言うことに、今集中しています。従って混乱が起きて、救出できるかと言われると、なかなかそれは難しいと思っております。

今の人々(現在の北朝鮮政権の人々)は拉致した被害者がどこにいて、どのようになっているかというのを知っているはずだという、私たちはそういう前提で、北朝鮮に対して、連れて行った日本人を全て帰すようにと言う強い
要求をしています。

混乱状態になる前に、取り戻さなければいけないと考えています。従って今混乱状態が来ることを望んでいません。救出したい、何しろ日本に戻したい、そこに集中して今北朝鮮と対峙しているところでございます。

そのあたりのことも、ぜひご理解」頂きたいと思います。
いろんなかたちの取り返し方というのはあると思いますが、現段階では、今の政権から救出するという事が、まずやらなければならないことであろうと、いろんな作業をしているところでございます。

今、福田政権に変わりましたが、福田総理ご自身、『ご自分の政権の間に救出したい』とはっきりとおっしゃっていますし、私たちも対策本部を中心にして、必ず救出する、一人残さず救出するというために一生懸命真剣にこの問題に取り組んでいるところでございます。

残念ながら、まだ今のところ、5人以外はですね--5人そのものも、北朝鮮が返してきたわけではないのですから--この今北朝鮮に留まっている人々を、幽閉されている--私は人質と読んでいますけれど--人質を解放させるために、あらゆる手段を使って解放させようとしていると。

今非常に大切な時期になってきていると思っています。担当者も私も含めて本当に真剣でございます。どうぞ、みなさまそのことをご理解いただきまして、先ほどから飯塚さんはじめ多くの方から話が出ていますとおり、日本の力の非常に大きな部分というのは本当に、『皆様の声』でございます。

皆様が、今のような形で、全ての人を救出するのだという政府の方針を支持してくださると言うことが、そのような形で、政策をとる、しっかり政策をとっていくと言うことに繋がりますし、又それが、北朝鮮に対して『いい加減な形で動いたら、日本は、日本人全体が許さないんだよ』ということを伝えるそう言う意味にもなります。

そう言った意味で、国、地方公共団体、更には国民の全ての人々が、この拉致問題に関心を持ち、同僚、同胞、日本人が拉致されたら、日本は必ず救出するんだという、そう言う国であるためにも、一体となって北朝鮮に対して強く要求していかなければならない。今正にその要求を突きつけて、なんとか動かそうとやっている最中でございます。

なかなか成果が出ていませんので、実際に新たな被害者が帰国するということになっておりませんので、私自身非常にいつも重い気持ちで仕事をしておりますが、必ず取り戻すまで頑張る、そのように決意、覚悟しておりますので、どうぞ、みなさま御協力、ご支援くださいますように宜しくお願いいたします。(拍手) ありがとうございます。(拍手)
今日もお集まりくださいましてありがとうございます。(拍手)
この会を催してくださいました担当者の皆様に、関係者の皆様に心から感謝申し上げます。(拍手) ありがとうございます。(拍手)

音声は
http://www.voiceblog.jp/blue-jewel-7/440656.html

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渋谷街頭活動 野口孝行さん(2007/9/17)

07・9・17 渋谷街頭活動
渋谷ハチ公前広場にて

『野口孝行 北朝鮮難民救援基金・国際担当の挨拶』

渋谷を御通行中の皆さん、こんにちは。
私は北朝鮮難民救援基金の野口と申します。
今日はですね。
拉致被害者を救おうと言う会に呼ばれたことで、応援をさせていただきます。

拉致被害者と同様にですね。
北朝鮮では多くの人たちの人権が侵害されております。
拉致問題、もちろん解決は必要です。
同時にですね。
同じ時間に人権侵害を受け続けている人たちの事も考えることも大変必要だと思います。

今年になりまして6カ国協議がありまして、ある一部の声がありました。
「日本は拉致問題にしがみついていたら、バスに乗り遅れるんじゃないか?」と、そういうような話がありました。
これは大変おかしな話でありまして、そもそも、そのバスに乗るですね。
6カ国の中で一番重要なお客さんというのは日本なんです。
ですから、日本を置き去りにしてそのバスが出発するはずはありません。
ですから日本の皆様は、そういった言葉に惑わされること無く毅然とした態度で、北朝鮮の人権問題という事に対して大きな声を上げるべきだと思います。

またですね、世界の人々、ある人は「日本は拉致のことしか、自分の事しか考えていないんじゃないか?」と、そういう事を言う人がいるかもしれません。
しかし日本には私たちのような団体があり、実際に北朝鮮の人たちとぴったりと・・・(聞き取れず)しています。
ですからそういう言葉にも怯まずにですね。
日本はもちろん日本政府も含む、また同時に、同じ人間として人権侵害に晒されている人を同時に救っていくんだと言うですね。
しっかりとした立場で国民の皆様の意識を持っていただきたいと思います。

これからもですね。
やはり人権という観点に立って、拉致の被害者を救う運動そして、さらに金正日と言う独裁政権の下で苦しんでいる人たちも同時に助けると言うですね。
そういった普遍的な考えに基づいて皆様のご協力をいただきたいと思います。
どうもありがとうございました。

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渋谷街頭活動 小川晴久先生(2007/9/17)

07・9・17 渋谷街頭活動
渋谷ハチ公前広場にて

『小川晴久 北朝鮮帰国者の命と人権を守る会名誉代表の挨拶』

ただ今ご紹介に預かりました、北朝鮮人権問題に取り組んでいるNGOの一つであります、北朝鮮帰国者の命と人権を守る会の小川でございます。
拉致問題に関しては、私も渋谷に遅れてまいりましたけど、数年前からブルーリボンをつけて職場に通っています。
今日はここで渋谷をご通行中の皆さんに私が訴えたいこと・お願いしたいこと、一つだけ申し上げます。

北朝鮮の人権問題は今こう着状態になっております。
それは去年の10月9日に北朝鮮が核実験を敢行した。
その核実験以来、残念ながらアメリカもですね。
この核問題最優先という事で、北朝鮮・・・(聞き取れず)核問題1本に絞ってきております。
6ヶ国協議で。

そのために安倍首相もですね。
拉致問題で成果を上げられないでいた。
この事態を大きくゆり動かすためには、皆さん。
北朝鮮の山の中にある強制収容所に注目をしてください。
北朝鮮の山の中には非常に大規模な強制収容所があります。
非常に多くの収容者が餓死させられています。
中国政府も韓国政府もロシア政府も、この強制収容所問題を知っていないはずはありません。
ですから核査察だけではなくて、強制収容所査察を是非、世界中の声にしていく必要があります。

北朝鮮の人権問題、たくさんありますが、その根っこで共通しているのは山の中の恐ろしい強制収容所です。
強制収容所を暴く。
その新しい姿勢が新しい状況を生み出す。
是非皆さん、関心を寄せてください。

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渋谷街頭活動 高沢一基板橋区議(2007/9/17)

07・9・17 渋谷街頭活動
渋谷ハチ公前広場にて

『高沢一基 板橋区議会議員の挨拶』

渋谷を御通行中の皆様、こんにちは。
今ご紹介を頂きました、私、板橋の区議会議員でございます高沢一基と申します。
今お話のありました吉田康一郎都議会議員と同じく、地方議員の会がありますが、その中で、私今年初めて区議員になったのでありますが、時間の許す限りこの拉致問題に取り組んでまいりました。
皆様方も、ここで活動されている多くの方も、10年以上前、まだ拉致問題が・・・(聞き取れず)で認められていない。
街頭で演説活動や署名活動をやると「拉致問題なんて無かった」とこのように言われて活動されていた方も多くいると思います。

そして5年前、本日9月17日に小泉総理大臣が訪朝をすることによりまして公になり、そしてテレビや新聞も積極的に報道されるようになりました。
一歩ずつではありますけどもこの拉致問題、進展をしている事は、私間違いが無いと思います。
しかし今の拉致問題と言うのは、ただ拉致された方が可哀想だ、といったワイドショー化されただけで広がっているのが現実だろう。
そうじゃなくてそれはやはり国の基本の問題として、何の罪もない平和に暮らしている国民がこの街から連れ去られてしまい、北朝鮮の国に行き、そして北朝鮮の国につながれ、生活をさせられ、工作員として強制をさせられている。
こういった国家主権の問題があると思っていかなければなりません。

そしてこの拉致問題と言うのは決して興味がある人だけが行う運動であってはいけないと思います。
安倍総理大臣、官房副長官時代以前に、この拉致問題に関心を持って活動をされていたわけでありますけども、安倍総理大臣は拉致問題に興味があるから、安倍総理だけが頼りだ。
そういう状況になってはいけないわけであります。

昨日ですが、この渋谷の街頭におきまして、自民党総裁選の街頭演説があったように聞いております。
この総裁選に立候補した二人でありますが、この二人の候補がどちらが総理になっても拉致問題は進展をさせていけば、そのためにはやはり国民の声と言うもので盛り上げていかなくてはならない。
自民党の総裁、指導者によってこの拉致問題の混沌が生まれるような状況があってはいけない。
私はそのように思います。
そのためには我々国民が一人ひとりが、細かい違いを捨ててこの拉致問題引く事は出来ない。
北朝鮮に拉致されている人々を一人残らず取り戻すんだと、このような声を併せて政府に声を届けていかなくてはなりません。

この拉致問題、大きな問題と捉えて行くために私は心より留まっておりますのは、今から3年か4年前の・・・(聞き取れず)皇后陛下がお誕生日の時に仰った言葉であります。
この拉致問題に触れて皇后陛下は、「この拉致問題、同じ共同体の問題として関心を持てなかった事が」とこのような言葉を仰いました。
・・・(聞き取れず)ではなくて、拉致をされ、可哀想だ。
そして一部の人だけがこのらちの救出運動をするのではなくて、我々日本に住んでいる我々日本人全員が等しくこの問題を自分の問題として、同じ共同体の問題として・・・(聞き取れず)と思います。

今ボランティアの皆さんが一生懸命この暑さの中、このブルーリボン、北朝鮮に国民の声を届けると言うブルーリボン配布をさせて頂いておりますので、どうかご通行中の皆様、お受け取りをいただき、少しでも拉致問題をお考えいただき、周りの方に話をしていただければと思います。

乱雑な言葉で大変恐縮ではございますが、私高沢一基がお訴えをさせていただきたいと思います。
長いお付き合いをありがとうございました。

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渋谷街頭活動 吉田康一郎都議(2007/9/17)

07・9・17 渋谷街頭活動
渋谷ハチ公前広場にて

『吉田康一郎 東京都議会議員の挨拶』



ハチ公口前を御通行中の皆さん、こんにちは。
こちらは東京ブルーリボンの会でございます。
北朝鮮に拉致された人の家族の方と、北朝鮮に拉致された可能性が極めて高い人たちのご家族と、そして今まさにこの瞬間を北朝鮮の大変な人権侵害の中で生きているかも分からない、怯えながら暮らしていらっしゃる日本人を一人も残さずにこの故郷日本に帰ってもらうために、そういう運動をしている地方議員の会と様々な思いの中で、本日9月17日。
5年前に小泉総理が平壌に行って本当に北朝鮮が日本人を拉致していたんだ。
その内の何人かだけが帰って来た。
今日9月17日、この日にこの渋谷駅前をお借りを致しまして街頭演説を申し上げております。

今、皆様は拉致の問題、解決難しいんじゃないかな?とそういうふうに感じ、諦めの気持ちもお持ちの方もたくさんいらっしゃると思います。
しかしこの問題だけは絶対に諦めてはいけません。
今、若い方が皆さん歩いていらっしゃいます。
皆様のもしかしたらお父様かお母様が運悪く拉致されていたら、今、このハチ公前を歩いていらっしゃる若い皆さん。
あなた方はこの日本で生まれていなかったかもしれない。

そしてご高齢の方もいらっしゃいます。
皆様の息子さんやお孫さんが拉致されていたかもしれない。
これは日本人全体の問題です。
皆様、お一人お一人が被害者であったかもしれない。
これからも拉致されないとは限りません。

北朝鮮は今核兵器を持とうとしております。
骨抜きで結局アメリカをはじめ諸外国は、あの謀略な国の核保有を事実上認めることになるかもしれません。
麻薬を売り、他所の国の偽札を売り、様々な暴力行為・不法行為を行い、不法産品を他所の国に送り込み、日本人をはじめ他所の国の国民を拉致する。
こういう暴力団国家が核兵器まで持つ事を、国際社会は何も出来ずに指をくわえて事実上見ている。
それを認めざるを得なくなるような、そして100人以上の拉致被害者をこの日本がこれを諦めるのを、北朝鮮は虎視眈々と狙って待っているのです。

日本人の皆様。
日本人をこんな他所の暴力団国家に、日本人の一人たりとも拉致され命を脅かされて、今も何十年も苦しんでいるこの人たちを絶対に見捨てないんだ、取り返すんだ。
何としても取り返すんだと言う強い国民全体の・・・(聞き取れず)が思っている事を、是非渋谷のハチ公口前を歩いていらっしゃる皆様。
改めて確認してください。

今北朝鮮に拉致された方のご家族をはじめスタッフが、ブルーリボンのバッジあるいはブルーリボンを皆様にお届けをしています。
チラシをお配りしています。
是非お手にとってご覧頂いて、この表向き平和に見える日本が大変な脅威に晒されていて、皆様の事によったら身近な方も拉致されるかもしれない。
拉致されていたかもしれない。
この北朝鮮に対して断固として、日本人を一人も譲り渡さない。
諦めない。
この意思を強く確認をしていただきたい。
改めてお願いを申し上げる街頭行動をさせていただいております。

今自民党の新しい総裁が決まろうとしています。
どなたがどのような立派な事を言ったとしても北朝鮮に拉致された我々の同胞、日本人、この人を取り返すことを日本として一番大事な仕事なんだ。
このように言わないそういう総理総裁であったのなら、皆様の命も権利も自由も守ってくれません。
皆様のお一人お一人の命を守るのと同じように、今まさに北朝鮮に拉致されている、苦しんでいる人を、日本人を必ず取り返す。
こういう強い意思とメッセージを持った人が総理総裁に出てこない限り、これは自民党でも民主党でもどの党でもどんな総理総裁でも偽者だ。
我々日本人は命と権利と自由を守る。
こういう総理総裁が出てくるまで、皆さんどうぞ・・・(聞き取れず)そういう日本の総理総裁を誕生させるように、皆様心に強く念じて要はこの後もご配慮頂きたいと思います。

今お配りをしているブルーリボン、是非皆様お手に取っていただいて、是非身につけてください。
今まさに苦しんでいる人を助けなければいけないんだ、とこのように改めてこの9月17日、小泉さんも訪朝から5年目です。
何も解決していません。
この機に家族の方、そして拉致された可能性が濃厚な方のご家族の方、そして一人たりとも北朝鮮に譲り渡さない。
こういう思いでこの方々を支援している地方議員の会の一員として、お願いをお訴え致します。
東京都議会議員の吉田康一郎でございました。
よろしくお願いいたします。

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渋谷街頭活動 松浦芳子杉並区議(2007/9/17)

07・9・17 渋谷街頭活動
渋谷ハチ公前広場にて

『松浦芳子 杉並区議会議員の挨拶』



皆様こんにちは。
私は杉並区議会議員の松浦芳子でございます。
渋谷駅前をお騒がせしておりますが、皆様にお訴えしたく、ここに立ち上がっております。

私は杉並区民でございますけれども、杉並区からもこの特定失踪者、拉致が濃厚だと言われる方が5人杉並区から出ております。
私はその事を知った時に、何故杉並区から?と思いました。
この渋谷、皆様他人事だと思っているかもしれませんが、この拉致問題は他人事ではありません。
今、人権問題人権問題と人権の問題があちこちでうたわれておりますが、この拉致問題こそ最大の人権問題だと考えております。

日本人は水に流す民族であります。
水に流す事はとても素晴らしいことではありますが、この拉致問題は水に流してはなりません。
解決するまで国民一人一人が自分の事として問題を捉え、・・・(聞き取れず)のために解決していきたいと考えております。

ただ今皆様が、ご参集の皆様がお手元にブルーのリボンをビニールの(袋の)中に3つ入っておりますが、そのリボンをお渡ししております。
是非お友達お二人に、ご自分と3人分入っておりますので、是非つけて歩いていただきたい。

このブルーリボンの意味をご存知でしょうか?
日本と北朝鮮、海と空はつながっている。
空を見ながら・・・(聞き取れず)を動かし、彼らは日本を思い出しているのではないかという事で、このブルーと言う色が使われました。
是非皆様、このブルーリボンをつけて国民運動にして頂きたいと考えております。
是非皆様よろしくお願いします。
本日はお暑い中、お騒がせ致しましてありがとうございます。

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渋谷街頭活動 竹下珠路さん(2007/9/17)

07・9・17 渋谷街頭活動
渋谷ハチ公前広場にて

『竹下珠路さん(特定失踪者・古川了子さんの姉)の訴え』

渋谷駅前で御通行中の皆さん、こんにちは。
皆さんは、皆さん大切なご家族、お父さんお母さん、娘さん息子さん、そしてごきょうだいの方がある日突然いなくなったらどう思われるでしょうか?

私は今から32年前、千葉県の市原市に住んでおりました妹が「今千葉駅にいる」と言う電話を最後に、突然消えてしまってそれ以来32年が今年の7月7日に経ちました、古川了子の姉の竹下と申します。
いろんな思いで32年過ごしてまいりましたが、待っていた母も今年91歳を過ぎました。
そして妹が娘が無事に帰るまで頑張るといって、今も私と一緒に住んで頑張っております。

家族と言うのはいつも側にいなくとも、地球上のどこかにいれば必ず連絡が取れ、困った時・嬉しい時は一緒に話し合い、そして出会えるものでは無いでしょうか?
それが本人の意思とは違うところである日突然に消えてしまい、そして本人の意思とは違うところで北朝鮮の地に拉致されて行ってしまったという事であれば、これほど辛く悲しい事はありません。

妹は今から丁度10年前に北朝鮮から脱北された安明進さんによって「平成2年ごろには北朝鮮の915病院で私は会いました。私が会って話しかけた女性はお姉さんの竹下さん、あなたにとてもよく似ていました」と言って下さいました。
その証言があってもまだ政府は拉致被害者として認定してくださっておりません。
救う会では認定してくださいましたが、今まだ政府としては「拉致被害者は17人」という事を言っておられます。

そしてうちの妹も含めておよそ460人にも上る方々が、証言があったり無かったりではありますが、拉致の可能性を疑われている方々がたくさんいると言うこの現実を、どうぞ渋谷をご通行中の皆様、分かってください。
そして家族は自分の妹と、母親と娘と会える日を待ちながらいつも待っているし、まだ妹は千葉県市原市の住民のままでいます。
こんな理不尽な事があるでしょうか?

政府は拉致被害者も、拉致被害者として認定している・していないに関わらず、もっともっと積極的に北朝鮮にいる安否を確認し、北朝鮮から日本の地へ帰って来られるように、自分の意思で行ったのではないという事を分かって頂いて、家族の元に帰って来られるように政治の力で取り返していただきたい。
その政治の力を発揮していただくには国民の皆さんの「これはおかしいよ、被害者の人は全部、認定している人もしていない人も、一斉に家族の元へ連れて帰ってこなければいけないよ」と、市民の皆さん方の声の後押しが政府の力になると思います。
どうぞ皆様方、ご自分の家族が北朝鮮に連れて行かれたかもしれないと考えていただいて、政府を後押しする。
政府の力になる。
早く家族を取り返す方法を考えなさい、と言って頂けるように是非よろしくお願いします。

曽我ひとみさんを思い出してください。
曽我ひとみさんは今元気にご家族と暮らしております。
曽我ひとみさんは5年前の9月27日、突然に曽我ひとみさんと言う人が北朝鮮に入っていたと言う、入っていたという、曽我ひとみさんがご自分の意思で行ったのでは無いという事は明白であるのに、という事で北朝鮮から出て来られました。
という事は、まだ日本政府も家族も思っていない人たちが何百人も北朝鮮に連れて行かれている可能性が十二分にあるという事です。

どうぞ皆さんの家族がもしそうなったら?と言う思いを考えていただき、この理不尽な拉致と言う問題に皆様が関心を寄せていただき、一刻も早く取り戻すことが出来るように政府に声を上げてください。
私たちにどうぞ力を貸してください。
よろしくお願い致します。
ありがとうございました。

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渋谷街頭活動 本間勝さん(2007/9/17)

07・9・17 渋谷街頭活動
渋谷ハチ公前広場にて

『本間勝さんの訴え』

渋谷を御通行中の皆様、拉致被害者問題に注意を向けてください。
今、駅前をお借りしまして私の妹田口八重子をはじめ、特定失踪者と言われる人の奪還を目指し、一日も早い生還を目指してただ今取り組んでおります。
東京ブルーリボンの会の皆様他、ボランティアの皆様と共に、この拉致問題に真剣に取り組んで国民の皆様にアピールをしております。
これが私も本当にありがたいお力、国民の皆様のお力こそがこの拉致問題を解決させる力になるんです。

今、日本の政情は揺れ動いております。
どんな政権が出ようとも、この拉致問題は日本は・・・(聞き取れず)と言って頂いております。
それは・・・(聞き取れず)ではありません。
どんな政権が出来ようとも、それこそを解決させないと日本は世界から物笑いになるんです。

拉致問題は私ども家族にとっては妹八重子いなくなったのと同じ、また、その家族の中で1歳と3歳の子供を置いていかざるを得なかった八重子の気持ち、それをどうかまた、八重子と耕一郎そのお姉ちゃんとのこの家族の平凡な、共に暮らせるような平凡な生活を取り戻す。
それが私たちの、この拉致被害者問題に取り組む原点なのです。

私たちは、どの拉致被害者の家族も気持ちは同じだと。
耕一郎が1歳半でこの母親八重子と引き裂かれてから、すでにこの6月の29日で29年になります。
八重子は22歳で東京池袋から拉致をされました。
すでにもう52歳になっております。
私どもはこの長い戦いの中で八重子の置いていった、置き去りにされた、やむなく置き去りにされた子供を育て、必死に生活を守ってきました。

拉致問題は今世界的には6者協議等で問題にされていただいておりますが、とかく核問題に見え隠れして、拉致問題は見事に隠れようとしております。
私たちは、核とか拉致とか並行協議とか言っておりますけど、命を取り戻す事が本当に急ぐ問題では無いでしょうか?
核ももちろん大事な安全保障の問題です。
ですが、拉致問題は我々家族を引き裂いた、人の命を引き裂いた、生活を引き裂いた、そういった金正日の卑劣な行為から続いている状態なんです。

早く耕一郎を育ての親から生みの親の元で、共に生活をさせてあげたい。
そして耕一郎は母親と言う気持ちが無い、持てない中で、逆に母親八重子を抱きしめ、
「お母さん、苦労したね」
こういう気持ちで抱きしめると思います。
そのときが一日も早来る事が私どもが願って、この一刻も早く生活の原点に戻れるよう、私どもは拉致被害者問題を取り戻すまで、皆様、引き続き支援してください。

これは拉致問題が、どのような社会情勢になろうと解決させる力になるんです。
お願いいたします。
八重子を耕一郎を元に、一日も早く戻させてください。
そして他の家族も、拉致濃厚と言われる家族の人たちも共に生活の原点に戻れるよう、どうぞ何卒力を貸してください。
よろしくお願いします。

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渋谷街頭活動 飯塚繁雄さん(2007/9/17)

07・9・17 渋谷街頭活動
渋谷ハチ公前広場にて

『飯塚繁雄さんの訴え』

渋谷を御通行の皆様、こんにちは。
私は今紹介されたように家族連絡会の副代表を務めています、飯塚繁雄と申します。

この拉致問題につきましては余りにも長い間、我々を苦しめ、当の被害者である北に連れて行かれた方々が、何十年待っても日本に帰れないこの実態。
拉致されてから、皆さん、30年。
で、我々家族会がこの救出運動を始めてからもう10年。
そして小泉総理が2002年に訪朝し、5人の方々が帰って来ました。
それからもう5年。
この長い単位は何ですか?

私たちは一刻も早く被害者を取り戻したいという一心で長年、こういった活動を続けてまいりました。
しかしながら北朝鮮は相変わらずこの拉致問題、これはもう解決済みだというふうな事を強く言っております。
我々は2002年の北朝鮮が拉致を認め謝罪したと言うこの時点、それからさらに、他の8名は亡くなっていると言うこの報告、それを聞いてその事実はどうなのか?という事を聞きましたけど、どれを聞いても客観的な亡くなったという事実・データはまったくありません。
あるのは北朝鮮が出してきた、全て捏造された嘘の証明書です。

これをみて私たちは怒りました。
逆に嘘の証明が出るという事は、みな生きているんだと言う確信にもつながりました。
そういう事を我々はどの被害者の気持ちを思い、絶対に助け出すと言う固い決意で今も活動しておりますけども、それから5年経った今日、丁度9月17日ですね。
丸5年の日です。

我々は昨日東京の永田町でですね。
この丸5年の機会を怒りの大集会と評して昨日行いましたけど、丁度今日本を騒がしているのは、安倍総理が辞任したという事でございます。
我々は安倍総理につきましては、前の官房副長官の時代からですね。
この拉致問題を真剣に取り組んでいただいて、あらゆるところに働きかけ、この問題をクローズアップされてきました。
そうした意味では、私たちは本当に唯一の頼れる安倍総理という事で相当期待をしておりました。
しかしながら、安倍総理の個人的理由もあるでしょう。
相当お疲れになっています。

そういう意味では私たちは、このニュースを聞いたときに相当にがっかりをしましたけども、残念に思いましたけども、これは安倍総理が降りたと言っても、この拉致問題は解決をしたわけではありません。
むしろこれからが大変な局面を迎えております。
私たちは昨日、現官房長官にお会いしまして「安倍さんが降りた後、この問題はどうしてくれるんですか?」と言うような質問をしました。

官房長官曰く、「この拉致問題と言うのは国家の問題である。決しておろそかには出来ない。後には引けない問題である。従ってどなたが総理になろうともこの問題を徹底的にやるんだ」というそういった話を頂きまして、ちょっと安心はしましたけども、やはり我々としては「本当にやってくれるんですか?」と言う疑心暗鬼な気持ちがあります。
従って、23日にその結果が分かると思いますけども、私たちはどの人が総理になってもこの問題を強くさらに訴え続けます。
そして安倍さんが行ったように具体的に活動する、具体的に北に慌てさせるという形、あるいはその体制、そういった物を強く要望していきたいと思います。

先日の日朝協議の結果は皆さんご存知の通り、何も進展していません。
何も内容がありません。
だた、外務省曰く「前よりは少しは良くなった」と、そういう感じだけが報告されました。
これは北朝鮮が今まで言っていた「拉致問題は解決済み」と言う言葉は発しなかったと。
それから「これからもちょくちょく協議は続けていく」という事を確認したという事なんですが、これは全くせっかくの日朝協議、二晩かけて出た結果とも思えません。

この北朝鮮のやり方と言うのは、もうすでに皆様ご存知の通り全てでたらめでありまして、取り付く島もないほど情報がむやみにかき回され消され、日本人を・・・(聞き取れず)されております。
その意味ではこれから私たちもまだ、時間はどれだけかかるか分かりませんけども、この拉致問題、国の大きな問題として皆さんに訴え、皆さんの大きな力によってご支援によってさらに続けたいと思います。
また一つ、皆様の絶大なご支援をよろしくお願いします。
ありがとうございました。

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渋谷街頭活動 古賀俊昭都議(2007/9/17)

2007/9/17 渋谷街頭活動
渋谷ハチ公前広場にて

『古賀俊昭 東京都議会議員の挨拶』

夏の炎天下が戻ってきました。
この暑い夏、私たちは、小泉訪朝以来未解決の拉致問題に引き続き取り組んできたところであります。
今回、国の政変によって安倍内閣から内閣が交替するという事態になりましたけれど、私たちは国家の主権が侵害され、日本人の人権が侵害されたこの事件を一刻も早く解決をするために、次期内閣にも当然この問題の国家的優先順位での取り組みを訴えたいですし、私たちも国民運動をより一層強化をして拉致被害者の全員救出に結び付けて行きたいと思います。

皆さんご存知のように、横田めぐみさんが拉致誘拐された北朝鮮の国家犯罪を私たちは糾弾しなければなりませんけども、この事件が起きてからすでに30年が今年は経過します。
横田めぐみさんは自分が生きた13年の日本での人生よりも長い人生を、あのテロ国家北朝鮮において送っているのです。
我々は何故この事件が一体解決されて来なかったのか?
戦後政治の闇と戦わなければならないと思うのです。

この間、横田めぐみさんの事件の2ヶ月前に三鷹市役所の警備員をやっていた久米(裕)さんと言う方が同じように拉致をされました。
この久米さんの昭和52年9月の拉致事件は警察によって犯人は逮捕されています。
証拠品も押収されています。
しかし、なぜかこの事件は闇に葬られ、公になる事はありませんでした。
もし、この犯人逮捕と北朝鮮による拉致事件を国がはっきりと国民に説明し、そして世界に訴えていたならば、2ヵ月後の横田めぐみさん、あるいは翌年昭和53年に多発する、あの帰国をした5人の拉致被害者の事件は防げた可能性が大変大きいのです。

当時の内閣は福田武夫内閣でありました。
この福田武夫内閣において昭和52年当時、北朝鮮の工作員、拉致犯人を逮捕した警察の情報が、内閣に総理官邸に届かなかった事は無いはずなのです。
その総理官邸には秘書官として、あの福田武夫の息子である福田康夫と言う、いま少し有名になっている人が、秘書官となっていました。
つまり、彼らはこの事件の全貌を知っているのです。
しかし、なぜかこの事件を公にしなかった。
その事が拉致事件の未解決に、今もこの事件を引きずりながらつながっているという事を、我々は知らなければなりません。

今テロ特措法の問題がいろいろ議論されておりますけども、日本はとっくの昔にテロに屈しています。
あの昭和52年の久米さんの、三鷹市役所の警備員です。
昭和52年の9月に拉致誘拐され、犯人が逮捕されたと言いました。
その10日後に、日本航空機、バングラディッシュのダッカに着陸をしたあの東京行きの日航機が、赤軍派に乗っ取られるハイジャック事件が起きました。
このときももちろん福田内閣です。

このとき日本は何をしたか?
刑務所に入っていた連合赤軍のテロリストたちを釈放し、そして16億円の身代金を我々の税金から払ったのです。
日本はとっくの昔にテロと闘わない国家になってしまいました。
つまりその事が拉致事件を真に国家主権の侵害、さらに言えば戦争を覚悟しなければ解決できない問題として捉えることが出来なかったのです。

私たち国民は、私たち議員連盟は、土屋たかゆき都議会議員を中心に、平成9年からこの運動に取り組んでまいりました。
10年の歴史を刻みました。
当時はいろいろ朝鮮総連の妨害もありました。
また私たちはそれとも戦ってきました。

皆さん、我々は小泉訪朝によって拉致事件の解決の糸口を遂げたと思っているかもしれませんけども、私は最初から期待していませんでした。
あの小泉訪朝はブッシュ大統領が北朝鮮を悪の枢軸と位置づけて、場合によって武力攻撃も躊躇しないというメッセージを年頭教書で訴えたから、北朝鮮の金正日が震え上がってこの誘拐事件、あるいは拉致事件に関して、被害者の一部を返したに過ぎないのです。
そのときの総理大臣が、たまたま小泉純一郎と言う人だったという事なのです。
本当にわたしたちは戦後政治の闇と戦う姿勢を引き続き崩してはいけません。

小泉訪朝のあと、私たち議員連盟はこの、今皆さんがつけておられるブルーリボン運動を始めました。
三角の切り込みは一日も早い解決を願っています。
青い海と青い空によって隔てられているけれど、私たちはこの通り輝く国ですという気持ちを込めて、このブルーリボン運動を始めました。
当時つけてくれる人はほとんどいなかったのです。
政治家も官僚もほとんどつけてくれませんでした。

しかし、我々の運動も皆さんのご協力によって盛り上がったことによって、拉致問題解決のための一つの象徴として、このブルーリボン運動が広がったのです。
時間ですと言う表示が今出されました。
もっともっと申し上げたい事があるんですけど、皆さん、拉致問題は戦争なんです。
国家主権を侵害すれば戦争を覚悟しているはずです、北朝鮮は。
それと戦う勇気が無い政治ではこの問題、解決出来ません。
その事を皆さんに強くお訴えをして、私からの訴えを終わりに致します。
ありがとうございました。

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