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北朝鮮人権問題啓発週間のイベント
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古川了子さんを救出する千葉集会in市原
07.11.17 市原市辰巳公民館にて
『真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事の講演 その3』
では、これから先はかなり推測も含まれているので、ちょっと私も気をつけながら申し上げますが、木村かおるさんは北朝鮮でタイ人の女性だけではなく、他の関係も日本語を教えていたと、1割ほど推測しています。
大韓航空機の金賢姫の告白本を丹念に読むと、小さく載っているんです。
それは何かと言うと金賢姫は田口八重子さんに、日本語を教わっているわけじゃないんですよ。
田口八重子さんに日本人女性の生活習慣・仕草・会話などを教わっていて、日本語は他の日本人に教わっているのです。
その本に書いてあるんです。
その他の日本人とは誰かというと「1960年代に来た日本人」て書いてあるんです。
当時帰国事業と言うのがありました。
その帰国事業で北朝鮮に行った日本人と書いてあるんです。
木村かおるさんの失踪は1960年ですね。
金賢姫がその人に日本語を教わった時には、その日本人女性は中年だったという事です。
彼女が教わっていたのは1980年の前半くらいかな?
木村さんは20歳の時の失踪だから、40歳くらいの時に金賢姫に日本語を教えたのではないか?という事になります。これはかなり推測ですけど。
金賢姫は日本語をどこで教わったか?と言うと、平壌外国語大学で教わっていたのです。
その教わっていた先生が日本人だったという事です。
金賢姫が大学を中退して工作員に再教育されていくわけですけども、別れ際のやり取りがこの本に書いてあるんですけども、「この先生はとても私を誉めてくれた」と書いてあります。
「とても素晴らしい成績で、成績が良くて一生懸命頑張った」と。そして別れ際に『お元気で』って言ってくれました」と。
「大学を出て行くとき、最後まで見送ってくれた先生です」と書いてあるんです。
タイ人の女性が同じように言うんです。日本語の先生が、「お元気で~」って、「お元気ですか~」って言いながら部屋に入ってきたと。
タイ人の女性も2ヶ月ほど、木村かおるさんに日本語を教わったんですけど、とっても優しい先生で毎日のようにキャンディをくれていたとのことです。
このキャンディがポイントなんです。
授業の時には「お元気ですか?ご飯はちゃんと食べていますか?よく眠れましたか?」と非常に優しく接してくれたとのことです。
その話を木村かおるさんのお姉さんに伝えると「彼女は子供の頃からキャンディが大好きで、看護婦になっても患者さんとか、おじいちゃんや子供を見るたびにキャンディを配り歩いてた」と言う話をされました。
で、「お元気ですか?」というふうにしょっちゅう言っていた。
タイ人女性に、私が「先生の歩き方はどうですか?」と言うふうに言ったら、再現いたしますと、手を膝の上に乗せてこういう感じで歩いていくんです。(真鍋氏その場で歩く仕草を真似てみせる)
こういう感じで歩いて内股で来て「お元気ですか?」というふうに。
これは、木村かおるさんの人物像と全く一致するのです。
そういう木村かおるさんだったんです。
それで話はだんだん飛びますけど、一連の事は金賢姫とは実はアノーチャさんと、アノーチャさんと言うのは、ジェンキンスさんが見たというタイ人の拉致被害者ですね。
アノーチャさんはどこで拉致されたか?と言うとマカオですね。
金賢姫もマカオなんです。
同じホテルです。
アノーチャさんが働いていたホテルに、金賢姫は泊まっているんです。
アノーチャさんと一緒に拉致された孔さんと友達だったのが、さっき言った韓国の女優の崔銀姫さんが北朝鮮で知り合って、と言う話からつながって言ったという事ですね。
そうするとアノーチャさんがジェンキンスさんと曽我さんで、そしてめぐみちゃんでと繋がります。
そして、めぐみちゃんを見たのが安明進で、安明進が見たのが古川さんという事です。
ちょっと風が吹けば桶屋が儲かるみたいですけど、こういうふうに丹念に一つ一つを追いかけていけば、関係性が明らかになっていくというふうに見ています。まだ点線の部分が多いんですが。
こういった作業を日々コツコツとやっていると、個別の古川了子さんの事件や特定失踪者と言われている人の名前が出てくるわけですよね。
古川了子さんのみならず、安明進が見たという加藤久美子さんと言う女性もいますし、名前の分からない安明進に日本語を教えた日本人と言う人もいるわけです。
アヒル歩きの女性と言っている。
安明進に特定失踪者の写真を見てもらったけど安明進はどの女性も違っているといっていました。
足が悪くて何かこういう感じで歩いていたという先生で、顔は良く覚えているんだけど名前とかはもちろん判らないけれども、日本人だという事は間違いない。
安明進は一杯そういう証言をしています。
まだ他にも出てくる可能性がいくつかあるんですけど、今日はこれくらいに留めておきます。
もちろん日本の警察当局もこうした作業をやっているはずなんですけど、外務省もやっているはずなんですけど、まぁ、ため息で終わっています。
それで時間もないので今後のことに移ります。
今後のことで一番の超短期的なお話は米朝ですね。
北朝鮮とアメリカの急接近と言う姿をどういうふうにみるべきか?という事がとても重要だと思います。
我々と言うか私も個人的にびっくりです。
あれほど敵対していた米朝が180度変わって、いまやパートナーとなっています。
この転換点はどうしてか?という事なんです。
おそらく皆さんの認識では、アメリカ裏切ったな、と思われていると思うんですけど、私はそう見ていません。
裏切るも何も、「そんなの関係ない」です。
一番のポイントはですね。
これはあくまでも私の意見ですから、異論・反論・オブジェクションが皆さんにもあると思います。
議論と言うか、いろいろ意見交換をしたいわけですが、このややこしい東アジアの地形。
中国、ロシアが大きく、日本が大きく、アメリカがスーパービックと。
この中に韓国も今やベスト10に入っているくらいの経済大国ですね。
ここに、北朝鮮という小さな何ともえげつない親分によって、2000万人の人民が苦しめられている体制の国があり、「古典的李王朝時代の封建制的、専制的、全体主義国家」です。
この状況の中で、核は作るわ拉致はするわ麻薬は作るわ偽札は作るわ、片やイラン・イラクと核兵器の交換をしたり、悪さばっかりしているという事から、アメリカはテロ支援国国家という事になりました。
で、今テロ支援国国家指定を来月中か再来月には解除しようとするのはどうしてですか?
この謎を解く一つの鍵は誰も分かってないですけど、分かっているのはアメリカのブッシュさんとライスとヒル位という数人しかわからないでしょう。
アメリカも非常に複雑な国で、与党野党もあるし、右もあれば左もいるし、と言う中で非常に大きな政策転換をしているのです。
しかし、実は政策転換でも何でもないという事です。
元々だったんです。
それはどういう意味か?
皆さんに「北朝鮮にとって最も怖い国はどこでしょう?」と質問をしたらどう皆さんはお答えします?
アメリカだと思われる方?
北朝鮮にとって最も嫌な国、最もこんちきしょうと思う国、最もプレッシャーを感じる国です。
北朝鮮がプレッシャーを感じる国です。
日本のおおよその人は、ずっとアメリカが北朝鮮を敵対視しているから、アメリカにプレッシャーを感じているんだろうと思いがちです。
中国なんです。
北朝鮮にとって歴史的に、朝鮮の歴史から始まって今日に至るまで最もプレッシャーを受けるのは中国なんです。
中国からのプレッシャーを止めるためにはどうすればいいですか?
(会場より「アメリカを」の声)そう。
単純でしょう?
だからここは北朝鮮がアメリカと手を握ると言う意味は、中国を押さえるための北朝鮮としての最大の武器になるということです。
朝鮮半島以下、北、南、日本、そして台湾と言う地政学的な、業界用語で「ヘゲモニー(hegemony)」と言うんですけどね。
覇権とも言いますけどね。
ヘゲモニーをキープするために、米国がここを確保するという事は非常に重要です。
米朝のお互いのメリットが最大に一致するんです。
この最大のメリットをどこが一番嫌がります?
中国が一番嫌がるのです。
この構造は昔から変わらない。
政策転換でも何でもないんです。
うちの代表の荒木とも、この辺の見解は違っていますからね。
荒木の意見も良く聞いてください。
荒木との認識の違いは、アメリカにとって北朝鮮は全く価値が無い地域かどうかです。
米国は北朝鮮のことはどうでもいいと思っているから、拉致問題なんかもどうでも良いんだ考えているという見解を荒木は言っていました。
で、私と議論になっています。
今でも解決されていません。
確かにアメリカは北のことなんかはどうでも良いと思っているんです。
政策的に地政学的には重要だけども、石油が出るわけでもないし、ビジネスパートナーとしてもそんなもの、1万対1くらいのものです。
しかし、地政学的なものと、何よりも日本へのプレッシャーとしてここを押さえると言うのは、囲碁をやってらっしゃる方はお分かりと思いますが、日本を押さえるために朝鮮半島を押さえているんです。
もう一つの構造として皆さんが、私も含めて誤解する事は、日本にとってもっともプレッシャーを感じる国はどこですか?
日本が最もプレッシャーを感じる国。
いろんな意味で。
中国?北朝鮮ですか?韓国ですか?ロシア?アメリカ?
私の意見はアメリカです。
何故、アメリカが第二次世界大戦を起こしたか?
何故、日本を中途半端な自立国にさせましたか?
米国の東アジア戦略は、如何に日本と言うものをアメリカの傘下に置くか、という事です。
要するに日本に自由にさせたくないという事なんです。
この極東アジアの地域で。
だから日本にとっての最大のプレッシャーはアメリカなんです。
アメリカのプレッシャーから独立しようとすると叩かれる。
だから安倍政権を最も嫌ったのは、中国でも韓国でも北朝鮮でもない。
ここです。(アメリカの文字を差し示す)
自立したら困るんです、アメリカは。
だから日米同盟の意味はお互いに守りあうという事じゃないでしょ?ご存知の通り。
要するに日米同盟の意味はアメリカの威信の元に日本を置くということであり、国際政治的なパワー・ポリティクスの問題であるわけですね。
これには異論・オブジェクションいろいろ皆さんあると思いますけど、こういうような構造で見たらアメリカと北朝鮮が手を結ぶと言うのは、今日何の不思議もありません。
むしろ遅かった。
遅かったと言うのには、中国の歴史があります。
アメリカが朝鮮半島に出張っていくことには、中国は、小平以前にそんな事をやったら許されないわけですね。
中国はいまや資本主義国家以上に資本主義ですから、金が全てですよね。
お金が全ての国になっているから、今ここで北がへんてこな事をされると、それこそ株価が下がると言う世界です。
共産主義国家でなんで株価が下がる事を心配するのか?と言うと、みんな株・株・株なんですよ、中国は。
古典的・19世紀的資本主義ですよね?
だからここで何かあったら困るから、アメリカと北が手を握って、北朝鮮がそこそこ大人しくするならええやないか、という事で妥協が成立したという事です。
ここで問題になっているのは、アメリカのテロ支援国家指定解除問題ですね。
テロ支援国家解除する要件と言うのは皆さんご存知ですね?
核廃棄がひとつ。
もうひとつがよど号、それから拉致。
で、今福田さんが(アメリカに)行って家族会のメンバーが行って拉致もリンクしてくれと言ってるんですね。
テロ支援解除に要件として拉致問題も入れてくれと言っています。
これはよど号も含めてなんですけど、これはもう完全にアメリカの方の空気は「関係ない」っていう状況なんです。
よど号が非常に微妙なんです。
よど号と言うのがあるからテロ支援国家ではないんです。
よど号の事件は1970年ですから、はるか前の事件でテロ支援の要件でも何でもないんです。
ただよど号の関係者が日本赤軍・連合赤軍などを通じて、中東などでテロ行為のリンケージを持っている。
偽札のリンケージを持っている。
田中義三と言うのがカンボジアで捕まりましたけど、何をやっていたか?と言うと偽札のロンダリングですよね。
そういうことからテロ支援国家のひとつの条件として加わったんのですけども、まぁ微妙な問題です。
よど号がどうなるかと言うのが、今後のテロ支援国家の解除の問題とリンクします。
早い話が北朝鮮がよど号の関係者、奥さんや子供を含めて全員日本に帰国させる。
これで米国はテロ支援国家の指定解除をする。
で何を言うかと言うと、北朝鮮は、「よど号は勝手に来た」と言うのです。
で、有本さんとか松木さんとか石岡さんの事件も、「あれはよど号の人間が勝手に拉致した」、「後は知らん」、「そんなの関係ない」で終わっちゃう。
と言うような状況で、ここからがポイントなんですけど、よど号が帰って来たら日本の高村さんも言ってますが「一定の進展」だから日朝国交正常化へという話に走るでしょう?
それに対して救う会・家族会はとりあえず駄目だといいます。
で、私はそれに対してちょっと異論があるんです。
これは何故と言うと、よど号を帰すことによって松木さん、有本さん、石岡さんのみならず、さっきいろんな絵を描きましたね?
リンケージが明らかになってくるんです。
拉致のリンケージが。
だから私としてはよど号を早く返してもらいたい。
帰して早くゲロって欲しい。
そうすることによって特定失踪者の様々な情報が得られるかも知れない。
だからそれは小さな進展である。
ホンの一部の進展である。
だからすぐに日朝国交正常化せよ、って言うんじゃないんですよ。
早いところよど号を返してもらって、皆でよってたかって、少しでも何かこの特定失踪者の情報を得たいという気持ちが、私にはあるんです。
今のままで流れますと、進展の定義を巡って大きな食い違いが生まれて来ます。
要するに一部の拉致被害者の方が帰って来るとかした場合ですね。
それはそれでハッピーな事です。
5人でも10人でも帰って来られれば、それはそれでハッピーです。
しかし問題は、それでおしまいにされてしまう可能性が大きいという事です。
ハッピーな世界とアンハッピーな世界が明確に分かれてしまうわけですね。
アンハッピーな世界の人たちとは、この特定失踪者と言われる人たちのことです。
そこを置き去りにしないで欲しいという事を最後の最後まで言っていかなくてはいけないんです。
でも、だからハッピーな人が帰ってきてはいけない、とは言えません。
よど号なり何なりが帰ってくる、5人なりが帰ってくると、それは帰るな、という事は絶対に言えない。
5年前の蓮池さん、曽我さん、地村さんの時は、部分的に帰ってきて、「ハイこれでおしまいですよ、日本政府もおしまいにしましょうね」と、これで小泉さんも手を打ったわけですね。
しかし、あにはからんやと言う世界が生まれました。
だから、また同じ問題が起こるのです。
その時に、やはり日本人は賢くならにゃいかんと思います。
5人10人帰ってきましたのでおしまいだね、という事にはならないと思わないといけません。
帰って来る人に対して、帰るな、と言うことは無いはずです。
私としては、こういう事を、期待と言うより想像するのも嫌ですけど、繰り返していくより解決の方向性は無いのではないかと思っています。
一人でも二人でも三人でも5人でも、少しずつでもいいからとにかく返せと。
とにかく全員帰して来たら、日朝国交正常化OKと。
1兆円でも2兆円でも3兆円でもどんどんODAやればいいじゃないかと、いう事です。
そうすると怒られるかもしれませんけど、ODAって誰のためにやるんですか?
北朝鮮へのODA。
ODAをやるのは日本のためです。
日本の企業のためという事では無いですよ。
朝鮮半島は極東アジアの物流の重要な拠点ですよね?
鉄道、道路、港湾、船その他、ここがぶっちぎれているため、迂回していかなければならない。
100年後の構想には、ここに鉄道を全部敷くとかですね。
超エクスプレスとか、計画いろいろありますよね?
今、アジアハイウェイとか言って、ずっとインドシナ半島まで行って結ぼうとかいう計画がありますよね。
世界中に物流なり人の流れなりをつくろうとしているときに、日本だけがそのルートから残される可能性がある。
朝鮮半島に早いとこそういうルートを作るという事は、長期的に見て日本の利益になる。
ただし、があるのですね。
短期的には利権が発生するのです。
ここがODAの難しいところ。
ODAと言うのは本当に麻薬と言うか、悪にもなるし善にもなるんですけど、悪の方を置いておいて、善の方で見ると長期的に朝鮮半島に対してODAを投資して、鉄道だ、道路だ、港湾だ、情報だ、インターネットだと整備することによって、長期的な日本の利益になる。
しかし短期的にはいろいろ、キックバックだとか何だとか、議員の利権だとか、いやらしいことがあるから困っちゃうんですけど。
こうした認識をしたところで、私としては日朝国交正常化といっても、今の体制で日朝国交正常化をするのは嫌です。
嫌いです。
絶対駄目です。
北朝鮮が普通の民主的な国に生まれ変わった後に「日朝国交“完全”正常化」するといった方が正解ですね。
日朝国交正常化、正常化といいますけども、これには「まやかし」があるのはご理解いただけますよね?
政府が言う日朝国交正常化と言うのは、大使館を置くか置かないかだけです。
よく言われるんですよ。
「早いところ正常化すれば真鍋は自由に調査して来られるから良いじゃないか」と。
馬鹿言いなさんな、と思います。
大使館を置くだけで、真鍋がのこのこ行ってあの国で「特定失踪者知りませんか?工作員知りませんか?」ってやっていたら、すぐにお山行きって言う世界です。
お山っていうのは、強制収容所ですね。
日朝国交正常化の意味は大使館要員を交換する、と言うだけのことです。
日朝国交正常化しなくったって、今は経済制裁があるから行きませんけど、行こうと思えば行けたわけですよ、北朝鮮に。
しょっちゅう日本人が行っていたし、しょっちゅう北朝鮮からも日本にビジネスで来ていたんです。
在日の人も行ったり来たりしていたんです、制限はあるけれども。
だから何も変わらないです。
ただ、大使館を置くか置かないかと言うことです。
完全な意味での日朝国交正常化への道のりと言うのはまだまだいろんな事をやらなきゃいけない、考えなきゃいけない、というふうに思っております。
ちょっと長すぎましたか?
宜しいですか?
まぁそんなところで・・・(拍手)
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このエントリーのテキストは、真鍋氏ご本人の手による加筆・修正を頂いた上で公開をしております。
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『真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事の講演 その2』
ちょっと話が飛んじゃいましたけど。
千葉の方で非常に注目しているのが実は鵜沢幹雄さんと言う方の御宿の事件です。
ほとんど報道されないし、関心も呼んでいただけない残念な失踪ケースなんですけど、場所と言い失踪の経過と言い、非常に怪しいケースです。
まず場所なんですけども、御宿と言う場所は皆さんご存知の通り風光明媚なリゾートタウンですね。
実はという事でこの近くに北朝鮮の隠れ家があるんです。
これはあえて言うとインターネットで出ちゃうと拙いんで、固有名詞は言いませんけども、何ヶ所か在るんです。
この何ヶ所かあるところにこの辺(=千葉と東京の境目辺りを指し示す)で拉致した人を隠して、何日か隠した後、船が来ますよね?
日本海なりどこなり、その船とミーティングするために一時期隠しておく。
で、船が来たところまで車で運んでいく。全国に一杯そういう隠れ家があるわけですよ。
隠れ家の一つが曖昧にしておきますけどこの近くにあるという事です。
あんまり言うと、証拠出せと言われると証拠を出せないから、それこそ行政訴訟されたら負けちゃう可能性があるんですけど、有名な事件があるわけです。
そういう場所がすぐ近くにあるんです。
それから皆さんは拉致と言うのは日本海側で船で運ばれるという認識を持たれていると思うんですけど、私はそれを全然同意できないというふうに思っております。
その根拠はですね。
どうやって運ばれたのか?と言うとこの東京湾からです。
千葉港だ横浜港だというのには、北朝鮮の貨物船、一杯入って来ています。
万景号も入って来ていたんですよ。
一杯しょっちゅう入ってきた訳です。
今は経済制裁でストップしていますけど、要するに日本全国の国際港、千葉港・横浜港・東京港もそうですけど、神戸・函館・小樽というような国際的なところに解放されている港には、ほとんど全て北朝鮮の貨物船が入港している。
工作船じゃなくて貨物船が入っています。
その貨物船は人を運ぶのに便利です。
この辺で隠されていた人を、船が入ってきたら車で運んでいって小型船に乗せるわけです。
そしてその貨物船に乗せてそのまんま北朝鮮に行く。
簡単でしょ?
簡単でしょ?って、あまり大きな声で言っちゃ・・・私もこの活動を長くやっていると言葉がだんだん粗くなってきています。指摘してください、だんだん言葉が粗くなってきますので。
これは推測じゃありません。
実例があるんです。
この実例が1978年に香港で起こった有名な事件ですけど、韓国の女優さんで美人女優で有名だった崔銀姫さんと言うんですけど、この方がどうやって拉致されたか?という事なんです。詳しく話し出すとまた長くなっちゃうんですけども。
映画の仲間からお誘いがあって香港に行きました。
韓国から香港へ。
そこで中国人の映画仲間と言われている人たちと出会い、食事をし、ドライブに行こうと誘われました。
ドライブに行った先で数人の男性に車に押し込められました。
そしてその車のまま香港の港に行きました。
香港の港から小さなボートに乗せられました。
その次に大きな船に乗せ換えられました。
さらに、高速船に乗り換えました。
そして北朝鮮の南浦の港でまた小さな船に乗り換えられました。
という事で、船を4回乗り換えているんです。
最初香港から小さなボートで沖合いに出て、北朝鮮の貨物船に乗せられました。
そして運ばれました。
と言う仕組みです。
ちなみにこの仲間だったと思っていた中国人と名乗る映画仲間が、みな北朝鮮のスパイだったんです。
で、そこにはですね。
親子連れも入っていたんですけども、スパイの親子連れ。
意味分かります?
親子で来ていたらスパイだなんて普通想定しないでしょう?
「全員でお食事行きましょう、美味しいところありますよ、行きましょう、ドライブ行きましょう、私たちも一緒に行きますから」と親子も一緒に乗るんですよ。
で、本当に拉致する現場まで連れて行って、その親子はバイバ~イ、と言う予定だったのが、その親子も一緒に連れて行かれちゃったんですよね。証拠隠滅のために。
と言う事件が1978年香港で起こっています。
という事から、丁度1978年だから了子さんの5年後ですね。
地村さんたちと同じですね。
方法論としてはみな同じだと思っているんです。
めぐみちゃんのように乱暴に袋を被せて車に乗せて運ぶみたいなケースももちろんあるんですけども、やっぱり大人を拉致しようと言う場合は言葉巧みに「元気?」とか言ってですね。
「どうしてる?お茶でも飲まない?」というような形で、おそらく一人じゃないかもしれないですね。
複数の人間が、「私の友達」とか言って紹介すると、「今度はこういう楽しい集いがあるんだけど、顔を出してみない?」と言う感じで。
「楽しかったわね」という感じで、「じゃあ友達が車で来ているから、それに乗って帰りましょうね」と言うような形で乗ったら最後、そのまんま。
と言うような方法論の方が一般的だったんじゃないか?と思っているんです。
おそらくはその貨物船なり何なりが来るタイミングまで、そういう隠れ家と言うところに監禁されて、然るべき時に運ばれて、と言うことだと思っています。
だから決して拉致されるポイントやルートと言うのは日本海側だけじゃなくて、房総半島・伊豆半島も含めて考えておかなければいけないんじゃないか?と思っています。
後もう一つ、東京湾が危ないと仰ってらっしゃる方が、元NHKのワシントン支局長の手島龍一さんと言う方です。その方が書いた「ウルトラ・ダラー」という、偽札を北朝鮮が作っていると言う話の本で、冒頭に出て来ているのが日本人の印刷工の拉致という事ですね。
先ほど私がお話したとおりです。
東京湾には北朝鮮の貨物船と言う工作船が入って来ていたとかれています。
そこから優秀な印刷工の関係者を何人か拉致していきました、っていう記述が最初にあるわけですね。
手島さんにお会いしたときに、手島さんに「これは小説です」というふうに書かれているんですけど、手島さんに「本当ですか?」とお聞きしましたら「小説というふうにしている」と答えられました。
「有力な情報提供者から聞いた話なんだ」と話されました。
だから手島さんご本人も東京湾が非常に危ない場所であると認識していると、言っておられました。
先ほど言いました江藤健一さんの失踪の時期とか、そのウルトラ・ダラーに書かれている印刷工拉致の時期・場所が一致しているわけです。
手島さんに「江藤さん入ってますか?」と言う話をお聞きしたら、「それは勘弁してください」と。
「個別の事は勘弁してください」と言われましたけど、非常にそういう事も考えられると言うのが、東京湾という事になるわけであります。
千葉の拉致と言うのは、繰り返しますけど千葉県内の事件だけという事ではなくて、他の事件との係わり合いもある可能性は否定できないと言うふうに思っていますので、私としては千葉県に都合20回は来て、房総半島は2~3周した記憶があるんです。
中村議員とも一緒に旅をして私の夕食の分まで彼が食べて帰ったこともあるんですけど。
それくらい千葉には何度も足を運んでいるんですけども、残念ながら決め手が無い。
だから当時のことで何か、あれこんな事があったけれどもなんだろう?と言うようなちょっとした事でも結構なんです。了子さんなり何なり、もしご記憶ありましたら言って頂きたいんです。
一般的にそうなんですけど、いろんな話をしている内に「あぁそういえば」と出てくるんです。
ただ聞いてそうか、という事で終わってしまうとそれっきりになっちゃうんですね。
だから本当にどんなに些細なことでも結構ですので、何かありましたらお申し出頂ければと思います。
それでは今度はちょっと難しい拉致の複雑な状況について少しお話を進めたいと思います。
私たちも10年拉致の問題についてずっと追いかけている内にですね。
マスコミの皆さんとか政府の皆さんとか、我々民間団体も含めてだんだん研究・調査と言うのが蓄積されて来ました。
まだまだ一部なんですが。
全容解明のホンの入り口しか、実は分かっていないんですけど、その入り口の中でもかなり分かってきた事があります。
それは、救う会のチラシの最新号です。
これ、元ネタは小学館のSAPIOと言うところに掲載された、恵谷治さんと言う私たちの大先輩で、一生懸命御協力いただいている、私たちの調査会の役員もして頂いている方が書いた関係図なんですけども、これもまだまだ一部なんですけども。
これがどんな関係図か?と言いますと、渡辺秀子さんとその子供さんの高敬美さんと高剛君の、この事件からスタートしてどういうふうな関係に、北朝鮮の工作活動と拉致が行われてきたか?と言う図です。
ちょっとややこしいんで申し訳ないんですけど、渡辺秀子・高姉弟の事件についてはご存知でしょうか?大丈夫でしょうか?
これを話すとまた1時間かかっちゃうんですけど、簡単に申し上げますとユニバーストレイディングという昔、工作会社がありましてですね、北朝鮮の。
そこに勤めていた高大基と言いますけども、この人物の奥さんが渡辺秀子さん、日本人です。
この二人は結婚して二人の子供を作りました。
一緒に高大基と渡辺秀子さんの親子4人は、日本中を旅しています。
これが一つのポイントなんですけどね。
さっきも申し上げましたけど、崔銀姫さんのときも親子連れが出て来たといいましたよね?
それと同じように、夫婦親子で移動していると誰も疑わないんです。
渡辺秀子さんはそんなこと全然知らないですよ。
うちのお父ちゃんは仕事で日本全国を回っていて、温泉行って美味しいものばっかり食べてと。
ビジネスだから、と言う形で一緒について行ったわけですね。
で、あるときユニバーストレイディング社の中で大きな問題が起こって、高大基は北朝鮮に呼び返されました。
元々高大基は在日の人だったんですけど、問題発覚のため本国に帰れという事で突然帰りました。
それで渡辺秀子さんに、別れようという事で手切れ金を渡して、彼は北朝鮮へ帰って行きました。
渡辺秀子さんは突然の事だったので、手切れ金を貰ったって子供二人小さいのを抱えて、しかも突然。
まぁ渡辺秀子さんは夫を好きだったわけですよ。
好きな人が突然いなくなっちゃったので、これは一体どういうわけか?という事でユニバーストレイディングの関係者の人に「うちの夫はどうしたんだろう?どうしたんだろう?」と言っている内に、渡辺秀子さんは証拠隠滅のために殺されたというふうに、されています。
されていると言うだけです。
犯人である在日の木下陽子という女性が殺害を命じて、秋田県と山形県の県境に遊佐海岸と言うところがあるんですけど、そこに死体を埋めたとされているんですけれど、当時警察が一生懸命その遺体を捜したけれども、今日に至るまで発見されていないという事です。
渡辺秀子さんはそういうふうに殺害されたという事になって、残ったお子さん二人はどうなったか?と言うと木下陽子の部下たちによって北朝鮮に船で運ばれていったと言う事件です。
この事件からスタートしていって、ユニバーストレイディングと言う会社がどういう会社かと判明してきたんですが、明確によど号の関係者と密接につながりを持った会社だという事です。
よど号の関係者はその後いろいろな拉致事件を起こしていきます。
そしてユニバーストレイディング社に関わった人物たちが、それぞれの拉致事件を起こしていくと言うふうになって来たわけです。
これが大雑把な関係図です。今日はせっかくですからもっと細かくお話をしてみたいと思います。
古川了子さんとのつながりはどういう事か?ということで。
風が吹けば桶屋が儲かる式の話ではあるんですが、せっかくですからこの関係図をもう少し詳しくお話をしていきたいと思います。
ようやく分かりつつあるんですけど、まだまだ点と線がわずかにつながる程度で、それを証明するだけの強いものとか、これだという事が言えない段階なんですけど、分かっている範囲でお話をしたいと思います。それで我々は推測・想定・仮説と言うものをして、それを証明していく作業をしているという事を、ご説明したいと思っています。
非常にややこしい話になるんで、大丈夫でしょうか?というより、こっちが大丈夫かな?
まずどこからスタートするかと今考えていたんですが、木村かおるさんという方からはじめます。
秋田の日赤病院で看護婦さんをしていた方の消息が分かりました。
ご記憶があるでしょうか?
タイ人のホステスさんたちが拉致されて、北朝鮮に運ばれた時に、日本語を教わりました。
その日本語を教えてくれた女性が木村かおるさんであるという事が分かったんですね。
これは千葉では報道されましたか?
報道されてない?
全然ない?
はい、そうですよね。
今こんな状況なんです。
一生懸命やっても扱いが小さいものですから。
どういう関係でというとややこしいですね。
タイ人の女性たちが10人、1982年から83年、北朝鮮に連れて行かれました。
バンコクから。
これは何のためかと言うとですね。
北朝鮮に安山館というレストランがあるんです。
これは皆さんが北朝鮮へ行って平壌に行ったら必ず冷麺を食べる店ですね。
ここにはしょっちゅう日本人の観光客も行っていますけども、この安山館にレストランのクラブがあるんですね。
クラブで働かせるためにタイ人女性を必要としたために無理やり騙して連れて行ったという。
「日本に行こう」と、行った先が平壌だったという事ですね。
安山館というのは誰が作ったか?と言うと金正日が作るようにと命令して出来たというレストランです。
だから何も単純なレストランでは決して無いわけですね。
いろんな意味で、表向きは外国人の接待をお手伝いするためにという事だったんですけども、そういう裏があるというレストランに入っていた。
ここには日本人ビジネスマンも行くわけですよ。
客層が日本人なんです。
当時の話ですがね。
その日本人の接待のためだから日本語を勉強しなさいということで、ある招待所で日本語を教わるわけですけども、その先生が木村かおるさんであると、いう事が分かったんです。
安山館はですね。
金正日が作れと言いましたけど、自分が金を出した訳じゃないです。
誰が出したか?
これがあまり馴染みが無いんですけど、日隆商事と言います。
これは日本の有楽町にあった会社で、貿易会社です。
社長は在日の方だったんですけども、非常に一生懸命、日朝貿易を真面目に取り組んでいました。
工作機関でも何でもないですよ。
これは日隆商事の関係者の名誉のために私言っているんですけど、日隆商事そのものは、まともな会社だとご理解してください。
でも騙されたんです。
このおっさんに(金正日の名を指し示す)、結局のところは。
この日隆商事が安山館を経営していました。
これは日本(日隆商事を指し示す)、これは平壌(安山館を指し示す)です。
有名な金正日の料理人・藤本さんと言う方がいるでしょう?
この人も安山館で働いていたんです。
日隆商事が金正日の命令で、命令というか依頼で誰か寿司職人いないか?という事になり、いますよという事で推薦したのが藤本さん。
藤本さんはこの安山館で働いていて、タイ人女性とも一緒に仕事をしていた。
日隆商事は確かにまともな会社だったんですけども、ここにやっぱり怪しい人がいるわけです。
怪しい人は誰か?と言うと一人は金世鎬(キム・セホ)と言う人物。
金世鎬と言うのは北朝鮮の工作員で久米裕さんという三鷹市役所の警備員をしていた方を拉致した犯人で、指名手配を日本の警察がしていますね。
この人物は日隆商事がビジネスとして日本に呼んでいた人です。
呼ぶといっても1人だけではなくて、10人くらいビジネスだって言って呼ぶわけですが、その中のひとりとして金世鎬が入っていました。
金世鎬は日隆商事の招待状で日本に来て、何をしていたか?と言うと、日本中を回っていたそうです。
海岸を。
日隆商事の社員の人は「金世鎬先生は一体何をしているんでしょうね?」と疑問に思ったそうです。
たまに帝国ホテルに泊まるときに、金世鎬を見つけたときに「金世鎬先生、お元気ですか?」と聞いたら、「疲れた、疲れた」と言って、「今日は日本の地方へ行った」といっていたそうです。
とても工作員と言うような雰囲気はなくて、本当に哀れな感じで、命令で拉致をせざるを得ないような役回りをさせられていたんだろうな、という感じです。
高大基の関係から渡辺さんと敬美ちゃん親子に殺害もしくは拉致と言う事件に発展していきます。
で、重要なのは高大基さん、さっき言いましたように親子で日本を旅していました。
この先はまだ未確認ですけど特定失踪者と呼ばれている人と関係性が生まれてきてくる。
まだここはクエスチョンになっているんですけど、全国を回った先々に特定失踪者の方とつながるポイントが出て来ています。
と言うような感じで、ややこしい関係なんですけれども、それぞれ縦なり、個別の存在しているんですけど、ある人物とか何かを通して横ではつながっているわけです。
だから拉致と言うのは北朝鮮から縦の指令で来ていて、それぞれ縦で行われるわけですけど、指令された所は横で何らかの形でつながっている。
事件そのものはバラバラで行っていく。
と言う非常に複雑な関係性になっているという事ですね。
・・・その3に続く・・・
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古川了子さんを救出する千葉集会in市原
07.11.17 市原市辰巳公民館にて
『真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事の講演 その1』
~~千葉における拉致問題とこれからの道のり~~
(司会者より講師の真鍋さんは本日が誕生日と紹介されたのを受けて)ありがとうございますです。
あんまり嬉しくなくて、51歳になります。
よろしくお願いします。
見た目は若いんですが、頭の方が・・・・・・・(聞き取れず)
今日はお休みのところお集まりいただきまして本当にありがとうございます。
こうした20人30人くらいの方々と、じっくりお話をする機会と言うのは私たちとても大切だと思っております。
よく大きな1000人とか2000人の会場ですと聞きっぱなしみたいな形になって終わると思うんですけど、こういうところでフランクにお話をさせていただいて、また皆さんからいろんなご質問を受けたいと思っております。
その方が皆さんのご理解も深まると思いますし。
私たちの調査活動と言うのは、いろんな事をやっているんですけど、国民の皆様の支援とかご協力がなければ進まない話ですので、ぜひご理解を深めていただくと同時にご支援とご協力をお願いできればと思っています。
よろしくお願いします。
今日のお話は「千葉における拉致問題とこれからの道のり」という事ですので、まず最初は千葉県の状況につきましてお話をして、そして今いろいろ調べている中で拉致問題についての深~い深い闇とか謎とか、そういった話をさせていただきたいと思います。
そしてこれからの道のりという事なんですが、長期的な展望のお話は不可能です。
勝手に想像して勝手にこうなるという事の話はもちろん出来るんですけども、多分外れると思います。
ですから直近の、これからどうなると言うくらいの短期的な展望みたいのをお話する中で、どうしたらいいんだろう?と言うお話をさせて頂きたいと思いますのでよろしくお願いします。
最初に肝心要の古川さんの失踪についての情報なんですけども、残念ながら安明進さんの目撃証言以降ほとんど出る事はありません。
私たちも他に520人の方の失踪の調査をしている中で、現在、この方は拉致されたんだなぁと言うことで、何らかの情報が得られている方が35人という状況です。
35人の中も、情報が一杯ある人もあれば、残念ながらほとんどないという方もあります。
古川さんについては安明進さんが重大な証言をして頂いたにも関わらず、その後をフォローできるだけの情報が集まっていないのが本当に悔しくて仕方が無いと言うところです。
安明進さんが見るくらいのところに居たわけですから、早々簡単に情報が漏れるようなところにはいらっしゃらないわけですね。
そこがまたこの問題の難しさなんですけれども、とにかく今私たちは北朝鮮から逃げて来られている、いわゆる脱北者の方々に出来る限り接触をしています。
「日本人を見た事はないか?古川さんを見た事はないか?」遠山さん、今日お姉さん来られてますけど、「遠山さんを見た事はないか?」っていうような活動を、ぽつぽつとやっているという事であります。
その中で必ず古川さんにつながる情報を得られるだろうと、期待をしながら頑張っています。
千葉の拉致と言いますと、ここが非常に微妙な問題なんですけども、パネルには千葉県内の北朝鮮の拉致被害者となっているんですが、ここのところ非常に微妙でして「拉致かどうか分からない方々」というのが正しい事です。
明確に拉致であるというふうに私たち民間レベルで認識しているのは、当然古川了子さん。
それから北朝鮮から写真が出てきました加瀬テル子さん。
このお二人についてはまず間違いなく北朝鮮に拉致されたのだろうという事が言えるわけですが、他の方々についてはまだまだ曖昧、微妙です。
実はここに乗せられない方々、いわゆる非公開の方々がいらっしゃるわけですが、多くはプライバシーの問題があって申し上げられないんですが、すぐそこで発見された事例があります。
いわゆる失踪者の方で非公開の方で、私が調査をしていて無事にこの市原市で発見されたと言う人がいます。
プライバシーがあるのでそれ以上は申し上げられないんですけども、それはそれで私としては非常に良かったなと思います。
ご家族もホッとされていました。30年近く失踪されていたんです。
ご本人とこの市原でお会いしましてね。
「一体どうされたんですか?」という事になりますと、やはりヤクザさんに追われて家族に迷惑をかけられないので、日本全国逃げ回って、そのうちに家族にも連絡が取れなくなったと、ずるずると来てしまったと。
いうことでした。すぐにご家族にも連絡をしまして、無事でしたよという話をした事件もあったわけです。
そういう意味で失踪と言うのは非常に難しくて、「失踪して20年30年経っているからその方は拉致被害者だな」とはストレートに行かないわけですね。
いろんな事件・事象・事故その他いろんな要因があって、長年に亘って失踪状態が続いている方が、本当に山ほどいらっしゃるんです。
ちなみに、警察への届出ベースで年間10万件あります。
そのうち解決しないまま残るのが、年間に大体1000件から2000件です。
だから20年と言うと大体2万人から3万人の方が何も結論が出ないまま、ずっといるという方が全国にそれくらいの方がいらっしゃるんですね。
その中でご家族の方が勇気を振り絞って、もしかして?と言う形で届け出られた方が現在520人おられまして、そのうち270人の方の公開を私たちがさせて頂いている方、と言う事です。私たちが公開をしているからすなわち拉致被害者だということでは無いという事です。
これを前提としてご認識をして頂きたいと思っています。
ただ、どの失踪の方も怪しい失踪ばっかりなので、それを調べて行こうという事で調べています。
特に、加瀬さんにつきましてはご案内の通りと思いますけど、北朝鮮から写真が出てきまして、鑑定の結果加瀬テル子さんであることは間違いないとなりました。
特徴的なところは、目にほくろがあるんですけど、ほくろの位置が本人と写真が一致しているわけですね。
この写真が本物かどうか?と言うのが問題なんですけど、現物は私も見ましたけども、これくらいの車の免許証くらいの写真の大きさで、北朝鮮の刻印が押してあったんですね。
ちゃんとハングルで。
裏には糊が付いていまして、そこに、キムだったかチェだったか忘れましたけど、名前が記載されているという事で、写真そのものは誰かが偽造したとか日本で作ったとか、という事は全く考えられない。
という事ですから私としては、千葉県警の方に加瀬テル子さんは拉致された事は間違いないという形で、告発の手続きを弁護士の先生を通じてお願いしたと言うケースなんですが、残念ながら昭和37年の失踪ですから、もう何も、捜査のしようが無いという事が現実です。
本当に。
現場にも何度も何度も行ったんですけども、手がかりになる事はほとんど見出すことは出来ないんです。ただ、脱北者の方からこの写真がもたらされたんですけど、その脱北者曰く、「加瀬テル子さんは何らかの貿易の仕事に携わっていた」と。
「可能性としては北朝鮮から逃げているかもしれない」と。
いう事を言っていたものですから、その消息を探るためにいろんな事をしたんですけども、本当か嘘かどうなのか?
いまだに分からないと、いう事です。
もう一つ加瀬テル子さんの夫と言われている男性がいましてですね。
その方も拉致された日本人であるとのことでした。
その夫の仕事は、めぐみちゃんや田口さんや蓮池さん奥土さんたちを世話をする人で、日本人担当課長と呼ばれていたと言う付随した情報もありました。
それが本当かどうかも微妙なんですけど、そういった情報もあって我々としては非常に注目している方です。
おそらく古川了子さんもそういう立場であるならば、加瀬さんのお世話を受けていたのではないかな?と、これは推測なんですけど、そういうふうに思われます。
それから今日はお姉さんが来られてますけども、関谷俊子さん・遠山常子さん・峰島英雄さん、市原の方ですね。
当時は千葉にお住まいだったんですけど市原出身の3人の方についてはですね。
私個人的には、拉致間違いないと言う認識を持っているんですけども、じゃあ証拠を出せと言われると困る事例です。
何故拉致間違いないか?と私が思っているかと言うと、ある不思議な人物がいましてですね。
ここには載っていないんですけど、埼玉県の川口市で失踪した藤田進さんと言う方がいらっしゃるんですね。
藤田進さんの写真が出て来たわけですけど、その藤田進の拉致を手伝わされた人物というのがいるわけです。
その人物が時期は曖昧だけど二人の女性を千葉港から運んだと言う証言があって、その運んだ人は誰か?と言うのがポイントですが、その藤田進さんの拉致を手伝った、仮にHさんとしましょう。
Hさんにこの3人の写真を見せたんですけど、「自分としては運んだだけであって、顔を見ていないので分からない」という事と、それから「時期が自分の記憶の時期とこの遠山さん・関谷さんの失踪の時期とずれる」という事があって、間違いないというところまで行けなくなっているケースです。
それから言い出すとキリが無いくらい有るんですけど、注目しているのは江藤健一さんのケースでして、江藤健一さんともう一人の方、印刷工の方が消えています。
江藤さんのケースは、千葉大に当時印刷学科と言うのがありました。
そこをご卒業されていて、会社に行きながらお勉強をされていた方です。
その方が勉強していたのが印刷技術ですね。
写真印刷ですかね。
そういったようなお仕事と勉強をされていた方が昭和48年ですから1973年の失踪になるんですけど、この時期に全国で印刷関係者の人たちが失踪しています。
それもこの千葉県の西側と東京都の東側、要するにこの辺ですね。
この辺に連続して失踪しました。この同時期に、日高信夫さんと言う方がいまして、鹿児島出身で東京の私たちの事務所のすぐ前にあるような印刷会社に勤められていたまま失踪した方なんです。
ほぼこの江藤さんと同時期なんですけど、この方についてはやはり脱北者から目撃証言がありまして、古川さんと同じように「病院に入院した時に、日高信夫さんとよく似た人を見た」という話があったんです。
この方も印刷工だったんですね。
似てる似ていないだけだったら私も、「あぁそんな人たくさんいますね」って話になるんですけども、その脱北者の証言はですね。
2ヶ月くらい同じ病院で生活をしていたのでいろんな話をしたんだそうです。
日本の話もしたって言うんです。
日本の話はどんなのをしたの?って聞いたら、彼はお化けの話ばっかりしていた、幽霊の話を一生懸命していた、というのです。
その話を、すぐにご家族にその場で電話をしました。
「日高信夫さんは若い頃、どんな話が好きでしたか?」と。
「幽霊の話ばっかりしていました」と「四谷怪談の話ばっかり聞かされていました」と、弟さんなんですけどね。
「怖い話が好きでね」なんて話をするわけですよ。
これはもうこの辺がだだだっと鳥肌が立って、続けていろんな話をしている内に「癖はどんな癖がありましたかね?」と脱北者の方に聞きましたら、記憶があるのが歩き方に特徴があったというんです。
両手をポケットに入れて、肩をこんなふうにしながら(真鍋氏、肩をゆすって歩く真似をする)歩く癖があったなと言うんで、これもまたご家族のところに電話をしたら、「その通りです」と。
ただ、似ている似ていないだけだったらかえって作り話も出来るし、鼻の形が似ているねとか目の形がそっくりだとか言えるわけですよ。
しかし、その人の人物の特徴・癖と言うのは嘘をつこうと思ってつけるもんじゃないんですね。
それだけに限らず、後20項目くらいの本人の癖、どんなタバコを吸ってましたか?とか。
日本の自転車の話をしていたので、どんな自転車の会社の名前を言っていましたか?と聞いたら「ミヤタ」だって言うんです。
その脱北者がですね。
で、弟さんに聞いたら「ミヤタの自転車に乗っていました」
これはすべて証言を聞いた後にご家族に確かめたところ、一致しているという話ですので、日高信夫さんについては拉致被害者であると、私たちとしては間違いないと言ったケースなんですけど、これをもちろん日本政府・警察に協力な捜査、北朝鮮からの救出をして欲しいと申し上げたところ、これは古川了子さんの裁判と同じ構造ですよね。
目撃証言があったんだから早く助けて頂きたいという事を申し上げましたが、一言で、「あぁ、そうですか」で終わったわけです。
本当に。
「あぁ、そうですか~~、その情報は重要ですね~~、でも拉致認定できません」
これでおしまいです。
本当におしまいなんです。
今日は警察の方、来られてますかね?
本当にそれで終わったんです。
何故終わったか?と言うとですね。
これが古川了子裁判と非常に絡むんですけど、警察が拉致被害者であると認定をする基準を自分たちで作っています。
この基準が、我々としては問題だと言っているんです。
しかし警察としては我々はこれは絶対に曲げられない基準だという事を言っています。
それは、一つ、『本人の意思に反して失踪した事』。
本人の意思に反したかどうか?と言うのは、本人に聞かなきゃ分かんないんですけど。
ただ横田めぐみちゃんのようなケースはですね、本人の意思に反したというのはすぐに分かりますよ。
ただ、古川了子さんだとか日高さんとか、大人の場合は騙されて連れて行かれても、自分で歩いて行くわけですよ。
いきなり袋を被せられたと言うのは別ですけど、ある程度、有本恵子さんもそうですね。
騙されて、飛行機に乗せられて。
でも、これは拉致だと認めているんですよ。日本政府は。
しかし本人の意思で歩いて行ってるんですよ、騙されて。
この辺の法律的な事はあとで弁護士の先生にお聞きしてみてください。微妙なところはあるんですけど、要するに『本人の意思に反して』と言うところが重要だと言うんです。
古川了子さんも騙されたけれども、おそらく自分の意思で歩いて行ったんでしょう、という事になったら認定出来ないという事になります。
それから、『現に北朝鮮にいること』
当たり前だと思います。
いる事が明らかだという事ですね。
だから、目撃証言があった、写真が出てきました。
これは現に北にいますねと言う話になるんです。
じゃあ認定してくださいよと言うと、でもこれが分からないから駄目だと。
だから古川さんのケースは、確かに安明進の言う通りですねと。
でもこれでも拉致地認定にはならない事になるんですね。
三つ目、これが難しいんです。
『北朝鮮の国家意思が推認できること』。
北朝鮮の国家意思が失踪において存在すること。
要は犯人が誰だか分かるという事です。
犯人が誰かが分からなかったら、北朝鮮の国家意思が働いて拉致したかどうか分からないでしょ?と。
まぁ確かに言われればそうなんです。
じゃあ、有本恵子さんどうなの?と、有本さんは後ほどお話しますが、八尾恵が騙して連れて行ったわけですね。
八尾恵が北朝鮮の国家意思によって命令されて、騙して連れて行って拉致という事になっているわけです。
これが後でお話しますが、よど号犯人を帰す帰さないという、アメリカのテロ国家指定解除の問題に微妙に絡むわけですけどね。これは後でお話します。
要するに日本の警察はこの3つの条件を全部、一つだけじゃないですよ、全部揃って初めて拉致被害者として認定をするという。
結局我々民間レベルで、我々だけじゃなくてマスコミの人たちも含めてたくさんの人間が、今言いました520人の失踪者の中で35人の人が拉致被害者の可能性が高いと、一生懸命一生懸命調べて調べても、駄目駄目駄目駄目と。
古川さんのケースも現に北にいると分かっても犯人分かりませんよね?
分かるわけ無いじゃないか!と。
本人の意思に反して、そんなの本人に聞いて見なきゃ分からんですよね?
さっき言いました藤田進さんと言う方のケースも、犯人は私だと名乗っている人がいるんですよ。
で、現に北にいるという事も間違いが無い。
本人の意思に反してというのも、これも犯人が言っているんですから、いきなり車に連れ込んだと、これも分かりました。
で、北の国家意思はあるのか?と。ありますよ。
これ3つ揃っているのに認定しないんです。
何故ですか?と言ったら、「答えません」と。
本当に答えないんです。
おそらくここにも警察の関係者の方がいらっしゃると思うので是非お願いしたいんですけども、止めて欲しいんですよね。
こういう事をやっていたらですね、本当に、本人が「私です」と北朝鮮で名乗りを上げるか、北朝鮮が曽我ひとみさんのようにね帰さない限り認定しないのです。
「古川了子さん生きてました、藤田進さん生きてました」と言わない限り日本政府は認定しないですよ、このままだと。
そういう状況です。
ここが分かったとしても、もう一つハードルがあるんです。
松本京子さんとか高兄弟というややこしい事件の被害者の6歳と3歳のお子さんの事件のような、政府認定なり警察認定された二つのケースを見ると、どこで拉致されてどこに運ばれてどこから北朝鮮にどのように運ばれたか?というのが判るというのが重要なポイントであるようです。
要するに犯罪捜査ですよね。
当然警察と言うのは犯罪捜査だから、犯罪と言うのはいつどこで誰がどのようにと言う、これをきちっと全部証拠を固めて、そしてこれは間違いないねという事で、刑事的な手続きに入っていく。
これと全く同じ手法を、この難しい拉致被害者や難しい特定失踪者にも適用していますので、いくらこの3条件が揃ったとしても、いつどこで誰がどのように北朝鮮に行ったかが分からなければ、政府認定はしません、という事です。
これくらい非常にハードルを高くするという意味は一体何故なのか?という事なんですけど、これは再三私たちが政府関係者・警察関係者、まぁ裁判を通じてですね明らかにしようとしたのです。
いろいろ弁護士の先生方もご苦労されたんですけど、警察が頑として変えようとしない理由は、表向きは北朝鮮に対抗する上で間違った事をやっては拉致問題の解決の妨げになるということです。
間違いがあっては困る。
間違いがあっては困るから、どんなに怪しい失踪者、どんなに怪しい事件でも拉致認定しませんと言うことなのです。
それを越えるために裁判をお願いしたんです。
こんなことではいつまで経っても誰一人、誰一人といっても松本京子さんと高兄弟は認定と言うプロセスがありましたけど、他の古川了子さん遠山さんたくさんいらっしゃる、どんなに北朝鮮にいると分かっても認定しないという事なんです。
見殺しにする気ですか?というふうに、机をぶっ叩いて怒っても・・・(聞き取れず)。
何ででしょう?
救いたくないんじゃないか?
だから私たちとしては民間レベルですけども、間違えるかもしれないと言うリスクを誰かが負わないとこの問題解決しないと思っています。
警察とか政府が間違えるかもしれないと言うリスクを負わないんだったら、誰かが負うしかないでしょう?
という事でやっていると間違いが一杯起こるわけです。
偽写真を掴まされて発表したら、「それは私です」と出て来られて。
確かに北朝鮮から特定失踪者問題調査会と言うのは謀略団体でとんでもない怪しい団体で、と言うふうに非難轟々の嵐を北朝鮮から送ってくる。
日本国内でも特定失踪者問題調査会はとんでもない、へんてこな団体だという宣伝は起こる。
マスコミからも、あぁあそこはね、と言うふうに一部で言われる事が起こって来た訳です。
でもそれで私たちは、間違いはごめんなさいという事をやるわけですけども、じゃあ調査を止めますという事になったら、どこも誰もやらないという事になってしまう。
それは古川さんの切捨て、遠山さんの切捨て、皆さんの切り捨てになっちゃいます。
だから間違いじゃ困るんですけど、間違いを恐れて何もしないという事では絶対に解決しない問題であるというふうに、我々は覚悟するしかない。
へんてこな間違いはしたくないですけどね。
ただ、かぎりなくこういう拉致と言う難しい問題を解決していくためには、誰かがどこかでリスクを負ってやっていくと言う覚悟を持ってやっていきたいと思っています。
このエントリーのテキストは、真鍋氏ご本人の手による加筆・修正を頂いた上で公開をしております。
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北朝鮮による拉致問題を考える 第5回埼玉県民の集い
07.10.20 埼玉会館小ホールにて
『佐藤勝巳 救う会全国協議会会長の講演』
皆さんこんばんは。
紹介を頂きました佐藤でございます。
ただ今中山補佐官の方からお話がありましたように、政府は昨年の安倍内閣成立以来、組織を作って救出に立ち向かったわけです。
実はそこに至るまでには、私たち救う会の側から申しますと、9年の歴史がございました。
拉致と言うのは、これは政府が全責任を持って救出をすべきことである。
政府が全面的に北朝鮮と戦うべきである。
その署名が五百数十万集まって、そして政府が拉致対策本部を立ち上げたと言う経緯がございます。
そこでこれからの戦いにも関連してくることですが、日本人が拉致をされているという事が分かっているにも関わらず、何ゆえに9年もかかったのだろう?
いや、もっと言えば、30年も40年も何故解決を出来ないでいるんだろう?
言う問題が、私の中にはず~っと残っております。
湾岸戦争が起きたとき、サダム・フセインは自国にいる外国人を全員収容しました。
その収容した時に飛行機が収容所の上を飛ぶわけです。
中にいる外国人は日本人を除いては全員窓に顔を出して、自国の軍が飛行機が助けに来てくれたと、皆そう思って救出を叫んだそうです。
日本人のみが収容所の片隅に毛布を被って、サダム・フセインが爆撃したと言って震えておった。
これが現実です。
私この話を聞いたときに、我が国の政府とあるいは国家と国民の関係。
拉致をされた時、政府が助けに来てくれるとは、国民が思っていない。
政府の方も全力を上げて救出に行くという姿勢は皆無だったわけです。
この国家と国民の関係を見たときに、この国は駄目だと。
多分、潰れるだろう。
というふうに思うと同時に、それは即同時に、北朝鮮に拉致をされている人たちに対する我が国の政府の、あるいは我が国社会全体の反応の現れである。
解決できないと言うのは、そういう事なんです。
つまり国家の体を基本的になしていないんでは無いか?
言う、大変な私にとっては重い、且つ辛い思い出が湾岸戦争のときにございます。
それ以来、兎にも角にも政府が悪いんだとか政治家が悪いんだなんていくら言ってみたって、拉致なんて全然解決しませんし、世の中何も変わりません。
思った人たちが行動すべきである。
気がついた人たちが行動を起こすことである。(拍手)
それ以外に、拉致の救出もなければ世の中をちょっとでも良くする方法などは存在していないと言うのが、この10年間の救う会の私の総括です。
一生懸命で心ある人たち、全国で大体40くらいの救う会があって、もちろん今日主催している埼玉救う会もその中心メンバーのひとつな訳ですが、そういう人たちが毎月のように街頭に立って署名をする、ビラを撒く。
と言うような事を繰り返し繰り返し行ってきた結果が、拉致対策本部が出来て中山さんのような優秀な人をですね。
迎え入れる事が出来たと。
これは私、闘いの成果だと思っております。(拍手)
しかし、外野にいるこの私からですね。
この1年の拉致対策本部の動きを見ていると、図体はでかくなったけど小回りが利かない。
政府って言うのはやっぱりですね。
大変なんですね、見ていると。
予算が無いとか、手続きがどうとかこうとか、大変な作業をきちきちと。
しかしですね。
どんな組織でも問題や軋みを抱えております。
私は拉致が救出できるか出来ないか。
主にね。
主に出来るか出来ないかは、政府について言うならば3人にかかっている。
福田さんと、町村官房長官、これは拉致担当の大臣です。
そして今お話をされた中山さん。
この3人の目の色が変わってきたときに、多分拉致は解決されるだろう。
どんな組織でもそうです。
指導者の目の色が変わったとき、全部の組織に人々に、本気でやるんだな、と必ず行き渡ります。
指導者がやると言う気概を示せない時に、運動や政策が成功するなどという事はまず私は無いと思っております。(拍手)
そういう点で、まずこの御三人の方々が、断固として拉致を取り返すとき、アメリカと北朝鮮が何となく今馴れ合って、変な事をほざいておりますけどね。
この場合、日本の拉致を脇において米朝の国交正常化、そんな事は絶対に日本が承知しませんよと言う(拍手)明確な態度表明を、私は内閣総理大臣をはじめ全閣僚がカウンターパートナーに示すべきだと思っております。
それから私本人も皆さん方も、アメリカ人に知り合いがおられましたら「拉致の解決は我が国にとって最大の国益である」「最重要課題である」「これを同盟国アメリカが無視して動くというのであれば、我が方にも考えがありますよ」という事を明確に伝えるべきです。(拍手)
そして尚、我々は今日開かれたこのような集会を、今次に熊本で予定をしております。
愛媛で予定を致しております。
岩手で予定を致しております。
と言うふうに次々と我々国民の決意を政府に対して金正日に対して、アメリカに対して中国に対して、示していく。
そこを示さないまま、アメリカや外国にいくら物を言ったって絶対に誰も聞く耳を持ちません。
そういう意味では拉致の解決は私たち国民の双肩にかかっているというふうに、私たち救う会は理解を致しております。
埼玉は来年ですね。
つまり自治体、埼玉県、救う会、そして政府は拉致対策本部、外務省、総務省、法務省との支援体制をとって、今一度この埼玉でもって大集会を是非とも開いて頂きたい。
思っております。
そういうふうに我々が靴底を減らして一人一人を説得をして、拉致を解決しなかったらこの国は大変なことになりますよという事を、全埼玉県民に訴え続けることによって集会を成功させ、それを全世界に発信して行く事が私たちが拉致を解決していく基本だと考えております。
全国協議会は総力を挙げて各地域の救う会の戦いにご協力をさせて頂きます。
今後とも宜しくご協力のほどお願い致します。
どうもありがとうございました。(拍手)
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北朝鮮による拉致問題を考える 第5回埼玉県民の集い
07.10.20 埼玉会館小ホールにて
『井上イトノさん(特定失踪者・井上克美さんの母)の訴え』
★杉野正治 特定失踪者問題調査会常務理事
今日は特定失踪者のご家族が見えられております。
代表いたしまして、鈴木賢さんのお兄さんでございます鈴木智さんにお出でいただいておりますので、ご紹介をしていただきたいと思います。(拍手)
★鈴木智さん(特定失踪者・鈴木賢さんの兄)
本日ご来場いただきました皆さま方の日頃の拉致問題の解決・拉致被害者救出に対しましては、多大なご支援・ご協力をいただきましてありがとうございます。
私思いますのに、特定失踪者の家族でございますが、特定失踪者が皆が皆北朝鮮に拉致されたとは思っておりません。
しかしながら、数人か数十人か数百人か北朝鮮に拉致され、政府認定者と同じように、あるいはそれ以上に光の当たらぬところで日本からの救出を待ち続けている事は、間違いのないことだと思っております。
従いまして、我々ただ今「拉致問題を考える川口の会」としまして、拉致被害者・田口八重子さんのご家族と私ども特定失踪者の家族、さらに私どもをご支援くださる多くの市民の皆様と、さらに川口の自治体を長とする自治体の皆様のご支援・ご協力をいただきまして、日頃拉致問題解決のための署名活動を定期的に行なっているところでございます。
それでは本日は川口の会の関係の特定失踪者ご家族と、さらに白岡からみえましたご家族、さらに東京都から見えました家族を含めまして、7家族9人のご紹介をしたいと思います。
こちらにパネルがございますので、大変見辛いかと思いますけども、このパネルの向かって左から順を追って紹介をさせていただきたいと思います。
それと皆様にお渡ししましたチラシがございますので、そのチラシをですね。
後ほどで結構ですからひとつご覧いただきまして、何か情報なり、引っかかりなり、あるいは風の便りなりございましたら、それなりの対応を図っていただきたいと思います。
例えば警察に連絡するとか、あるいは私どもの「拉致問題を考える川口の会」、あるいは本日の主催母体でございます救う会埼玉の連絡先がございますので、そちらの方に情報をお寄せいただければありがたいと思っております。
はじめに井上克美さんのお母さんが見えていますので。
★井上イトノさん(特定失踪者・井上克美さんの母)
皆さんこんばんは。
私は井上克美の母です。
うちの息子は昭和46年の12月の29日、突然いなくなってしまいました。
何の便りもございません、それっきり以後。
で、ここにいるのが克美の息子なんですけども、この子は親の顔を知りません。
お父さんがいなくなってから生まれた子供です。
どうぞよろしくお願いします。(拍手)
私は今前橋に住んでおりますけど、息子は川口にいて拉致されました。
それで、前橋の方でもおかげさまで皆さんが一丸となって、署名運動もこの間の6~7日の土日曜日、県庁前での収穫祭を兼ねて署名運動をさせていただきました。
本当にありがたくおもいます。
でも私は川口の方には中々出て来られないものですから、川口の方の皆さんには本当にいつもいつもお世話になっております。
ありがとうございます。
どうぞ埼玉の皆さん、よろしくお願いいたします。
どうぞ皆さん、よろしくお願いします。
『鈴木智さん(特定失踪者・鈴木賢さんの兄)の訴え』
引き続きまして、私、鈴木賢の兄でございますが、昭和47年5月に大学を卒業し就職したその年の、会社のレクリエーションという事で奥多摩に向かいました。
朝6時に三芳町藤久保の家を出まして、現在まで何の消息もございません。
もちろん、奥多摩の現地集合にも行っておりません。
あるいは会社の上司・同僚も誰も見ていない、会っていない、と言う状況でございます。
もちろん免許証等の更新も行われておりません。
続きまして藤田進さんの従兄弟さんの大平さんを紹介します。
『大平一男さん(特定失踪者・藤田進さんの従兄弟)の訴え』
こんばんは。
私、藤田進の従兄弟の大平と申します。
皆様にはいつもご支援をいただきまして、ありがとうございます。
藤田が北朝鮮にいると分かったのは3年前、脱北者からの1枚の写真からでした。
本日おられる特定失踪者問題調査会の方から力を頂き、北朝鮮にいるという事が判明致しました。
写真が出てから3年ですけども、拉致されてからは31年を経過しております。
取り戻すのに大変長い時間がかかっておりますが、北朝鮮は日本からの制裁が効いていると感じています。
日本からの食糧支援や、日本からの機械製品及び外貨、その辺が必要になっていると思います。
韓国の大統領が訪問した際も、日本の総理の対話の姿勢を評価し期待していると言っているのは、北朝鮮が日本を意識して話す機会を伺っているのではないか?というふうに解釈しています。
今後共ですね。
皆さんの支援を頂きながら、声を大にして、この事件はまだまだ終わっていないんだという事を発信していきたいと思っています。
よろしくお願い致します。(拍手)
『新木博さん(特定失踪者・新木章さんの弟)の訴え』
★鈴木智さん
続きまして新木章さんの弟さんです。
★新木さん
こんばんは。
私は新木章の弟の新木博と申します。
隣にいるのがうちの姉で「(ご本人の声で)横山木三子です。よろしくお願い致します」
本日は拉致問題に関心のある多くの方々にお集まりいただきまして、本当にありがとうございます。
とても心強く思っております。
私の兄は29歳の時です。
昭和52年5月の21日の土曜日だったんですけども、いつものように「買い物に行く」と言って川口栄町の家を出ましてから今日まで31年間、全く便りもなく何の安否に関わる情報とかですね。
そういうのもなく過ぎてしまいました。
こんな事で、私どもは一日も早く安否に関わる確実な情報を得まして、一日も早く日本に戻れる事を願いつつ活動をしてまいりますので、ご支援・ご協力のほどをこれからもよろしくお願いします。(拍手)
『佐々木アイ子さん(特定失踪者・佐々木悦子さんの母)の訴え』
★鈴木智さん
続きまして、佐々木悦子さんのお母さん。
★佐々木アイ子さん
皆様、こんばんは。
いつもご支援いただいてありがとうございます。
私、特定失踪者でお世話になっております、佐々木悦子の母です。
これからも皆さん、よろしくお願いします。
★鈴木智さん
川口の特定失踪者にもう一人いるんですけど、石井久宏さん。
49年5月に、自宅でもって化粧品店を開業しておりました。
その経営資金を持ったまま、自家用車ごと行方不明となり、現在まで何の音沙汰もありません。
もちろん車、免許証等の更新もなされておりません。
続きまして、白岡から見えました江原信明さんのお父さんです。
『江原さん(特定失踪者・江原信明さんの父)の訴え』
皆さんこんばんは。
いつもお世話になっております。
江原信明も1988年に、「大宮の方まで買い物に出る」と出たまま行方不明になって現在です。
どうか今後ともよろしくお願いします(拍手)
『生島馨子さん(特定失踪者・生島孝子さんの姉)の訴え』
★鈴木智さん
本日、東京都の特定失踪者でございます生島さんが見えておりますので、一言ご紹介します。
★生島馨子さん
特定失踪者・生島孝子の姉でございます。
私のところは県外の東京都で妹はいなくなりました。
本日は主催者の方々そして会場にお見えの皆様方のご好意により、この場でご挨拶させていただける事を感謝しております。
ありがとうございます。
妹のために中々活動が出来ないんですが、埼玉の方も是非一緒に心に留めてよろしくお願いしたいと思います。(拍手)
★鈴木智さん
北朝鮮に拉致された拉致被害者の身の安全と救出について皆様方の大きな声をいただきたく、さらにご支援をお願いしまして、私どもの特定失踪者のご家族の紹介を終わらせていただきます。
ありがとうございました。(拍手)
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北朝鮮による拉致問題を考える 第5回埼玉県民の集い
07.10.20 埼玉会館小ホールにて
飯塚耕一郎さん挨拶
みなさん、こんばんは。
田口八重子の長男であります、飯塚耕一郎でございます。
本日はお忙しい中お集まりいただきまして誠にありがとうございます。
本日はいつもの集会と違って特別に、私の親父及び私からの皆さんへの手紙と言うのを出させていただきました。
封筒のほうに入っているピンクの紙がそうなんですけど、そちらに記載させていただいている内容と若干被る部分があるんですけども、私個人と致しましては、今年はまだ2ヶ月近くありますけども、ちょっと残念な1年になりそうだと。
正直後悔というか、慙愧の念に耐えない1年になってしまうと僕は思っております。
と言うのは、今年の年始から始まった対北の強硬路線というのは、どうしてもアメリカの動きで崩されてしまって、日本としてもどうしていいか、どう対北政策をとって良いか分からなくなっている中、安倍さんが退任されて福田さんに代わったというのが、私の所感ではあります。
私も含めて家族会というのは何でもありません。
ただ単に普通にある一般人なんですけど、やはり政局と言うのは我々は注視せざるを得ません。
なぜなら、私に関してはまだ一度も見たこともない母を取り戻すための答えと言うか、解決策がそこに現れているからです。
やはりこういう集会等で、私はどうしてもそういう政治的なお話をさせて頂くというのはとてもおこがましいと思いますし、また専門家でもないので穿った見方をしていると思われるのも正直嫌なので、そういう事はこれまで申し上げませんでしたけども、今回に限ってちょっと言わせていただきたいと思います。
私特に昨今、ここ近日中のお話なんですけども、やはり福田さんになってからの対話路線と言うのは、特にメディアの方で大きく囚われているような印象を受けます。
対話路線と言うのはこれまでの歴史を鑑みても、北朝鮮に対して対話路線を取って、いい答えが出た事がありますか?(拍手)
それは皆さんが本当に分かっているとおりだと思います。
ですので、アメリカに釣られて「日本としてバスに乗り遅れてしまうから一緒に対話路線に乗りましょう」という6カ国協議及びアメリカの姿勢と言うのは正直疑問がありますし、それに乗ったところで日本としては何のメリットもないと思います。
まだ現在調整中でありますし、私家族会の役員でもないのでこういう事を申し上げるのも何かと思うんですけども、来月あたりにまた家族会が訪米します。
その目的としましては、アメリカの議会の方に家族としての訴えを新たにして来ると言う事になっています。
まだ現段階では調整中ですので確定的なものではありません。
ただ、やはり今のアメリカのやり方と言うか、6カ国協議の流れと言うのは、どうしても融和路線になってしまっているので、そこはどうしても阻止しなければならないと。
それを阻止できるのはやはり当事者である日本ですと。
日本が動くために何が必要か?と言うと、この間新聞にもありました。
福田さんは妙案が無いから中々手を出せないと。
ただ、日本の国内世論が余りにも強いから対話路線には行かないんだよと。
これはまさに僕はその通りだと思っています。
その世論の強さと言うのは皆さんの一人一人の声だと思っています。
皆さん一人一人が署名いただくこと、官邸の方にメールを出していただけること、官邸の方にお電話していただけること。
こういう事が一つずつ重なって世論の強さになっているんです。
とても今日はちょっと過激な事を申し上げましたけども、逆に申し上げれば過激な事の裏返しというのは、私はどうしても今年1年何も出来なかった上手く行かなかったと言う、後悔の念から来ています。
これをメディアの方針と言われて、また何か怪しい事を言ったというような事を言われても仕方が無いかもしれませんけども、それくらい強くて残念な気持ちと言うのは今年に関しては一杯です。
ただ訪米然り、今後の政府のアプローチ然りですけども、皆さんのお声が無い限り私たちと言うのは動けません。
私たちは本当にか弱い人間です。
ですのでこれまで通り、また従来より力強く、皆さんのご声援及び政府へのメッセージと言うのを伝えていただきたいと思います。
また特に私から申し上げたい事は、特に若い世代の方、20代30代もしくは10代でもなんですけど、その方々に対して、拉致問題というのは名前だけ知っているような形で、実際どういう事件だったのか?と言うのはあまり知らないと言うのは正直私印象としては受けます。
ですのでご自宅に帰るなり機会があった時に、特に若い方々にこういう問題があった、本当にドラスティックで残酷な事実があるんだよと伝えていただければ幸いかと思います。
すみません、今日はちょっと変な話になってしまいましたけどありがとうございます。(拍手)
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北朝鮮による拉致問題を考える 第5回埼玉県民の集い
07.10.20 埼玉会館小ホールにて
『飯塚繁雄 家族会副代表の挨拶』
皆さんこんばんは。
ただ今、・・・(聞き取れず)にもありましたように私、田口八重子の兄の飯塚です。
日頃皆様には、この問題について非常に深い理解とご協力をいただきまして、本当にありがとうございます。
こういった雰囲気が全国的に広まり、いまや国民の多くの方々が、この拉致問題に対して早く解決して欲しいと言う願いが沸きあがっております。
今日もこの会場の雰囲気がまさにそれでございますけども、私たち愛しい、しかもかけがえのない家族をあの北朝鮮に拉致されてからもうすでに30年。
1~2年の差はありますけども、この長い間、全く消息もなく、もちろん帰国も出来なく、非常に私たちは無念といらだたしさと、後は北朝鮮に対する怒りと、こういった気持ちが混同して、本当にどうしていいか分からないと言う心境になる事もあります。
当の北にいる被害者が一番大変でしょうけども、今は「もうすぐ日本に帰れるから、取り返すから、もうちょっと頑張ってください」と「それまで元気でいてください」というふうに心の中で叫び、あるいは夜の星に願う。
こういう事しか今出来ない状態ですけども。
一方政府の方々、議連の要するに国会議員の先生方、さらには地方自治体の県会市会、あるいは町の中のいろんなボランティアの方のご協力がありまして、もうこの問題は政府としても後に引けないんだと。
このような重大な問題になっているはずです。
しかしながら、相手がいることですけども、ご承知の通り北朝鮮と言うのはまともな国ではない。
言ってみれば暴力団みたいな国ですから、これらと交渉してこの問題が単なる交渉で片付くのか?という心配がありますし、今まで何十年間こういったやわな交渉で、日本が相当な皆さんの税金を使って北朝鮮を支援してきた経過がありますが、これからは絶対にそんな事はさせないと。
ここで怒らなかったら、また元に戻ってしまうという事になると思います。
今回の6カ国協議の流れの中で、拉致問題と言うのは絶対にいけないと、日本にとしては重要問題と、総括的に解決しないと日朝正常化はありえない。
こういうように全くぶれない態度であたっております。
しかも国際社会の関係各国からもいろいろご支援を頂いておりますけども、やはりなんといっても当事国の日本が、自らの国民を取り返すんだという強い意思を示していただき、具体的な活動・行動、あるいは交渉、それに当たっていただきたいなと思っています。(拍手)
交渉と言うのはもちろん話し合いですけど、やはり何か後ろに力を持っていないと交渉にはならないと思います。
その力と言うのは一つは皆さんの世論、世論の大きさ・強さ、あるいは日本全体がこの問題について怒っていると言うこういった力。
もう一つは今までなんとなくごまかせて来た北朝鮮への支援を取りやめる制裁。
これは今までやっていなかったんですが、今度これを各法案を含めて制裁をしたという事は、本当に日本がこの問題を重要視して、北に対して要求を突きつけているというその流れでございます。
私たち家族会もその意味では北に対しては強く当たって欲しいと。
よくバスに乗り遅れるとか孤立するとかっていう話がありますけども、孤立しても乗り遅れてもいいんです。(拍手)
日本はやるんだと、・・・(拍手で聞き取れず)と言う意思があれば、全くそういう事は無いと思います。
今回、安倍さん、残念ながら辞任しましたけども、今回の福田総理におかれましてもこの問題を絶対に自分の手で解決するといってくれましたし、私たちは安倍さんに代わってこの問題をきちっと受け止めて、最重点課題として取り組んでいただきたいなと言うふうに思いますし、これからもその辺は訴えていきたいと思います。
少なくとも北朝鮮との交渉の中で拉致を取引の材料にだけはさせたくないと。
例えば拉致問題について、北朝鮮にいる日本人を再調査しますとか、再調査するから人道支援として米を何十万トンか寄越せというような話がチラッと出ていましたけど、とんでもないと。
まず、北朝鮮による拉致と言うのは全く国家的な犯罪であって、人道と考えればそれは確かに水害とかで苦しんでいる人はいます。
それと全く次元が違うわけですよね?
ですから日本人の拉致が片付けばそういった支援も出せると言うようなことも条件付けて、北朝鮮を説得すると言うことも一つだと思います。
我々は素人でそういった難しい話は分かりませんが、とにかく政府にお願いするしかないんですね。
皆さんと共に、皆さんのお力を借りながらお願いしていくという事に徹して、今年もあとわずかですけども、今後の方針としては私たち家族は全国民に更なるこの問題に対する喚起をお願いして、その力をバックに政府が動きやすいように、という事で活動してまいります。
もちろん、国際社会にも訴えてまいります。
そういった事を今後も出来る限り続けていこうというふうな方針でやっていきます。
今後とも皆さんのこういった怒りをですね。
是非示していただいて、具体的には首相官邸にメール、あるいはFAX、あるいはハガキ・手紙・電話、何でも結構ですからどんどんどんどん怒りの声を、あるいは支援の声を上げていただいて、本当に日本が一枚岩になってこの問題を解決すると言う態度をさらに強くしていただきたいなと言うお願いでございます。
あまり私たち時間がありません。
一刻も早い解決を願って老体に鞭を打ってですね。
頑張りますので、相変わらずのご支援をよろしくお願いします。
本日は、今日もありがとうございました。(拍手)
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以下のメールを頂きましたので、ご本人の諒解の元、掲載させていただきます。
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こんばんは、○○の××です。皆様にはお忙しいところ、このようなメールを配信することをお許し下さい。
是非、観て頂きたいドラマが放映されますので、ご案内させて頂く次第です。
ご関心のありそうな方への宣伝もどうぞ宜しくお願い致します。ある「日本の危機」を救った男たちの物語です。
1987年11月末、彼らがいなければ日韓関係は大変なことになっていました。
その危機を水際で防いだのは決してエリートのキャリア官僚ではなく、ノンキャリアの若き外交官たちでした。
しかし、彼らの「功績」を政府は役立てることもなく、対応を誤ります。
国のトップが無能だと、後々どれほど重いツケを国民に残すことになるか、お汲み取り頂ければ幸いです。
『大韓航空機爆破事件から20年 金賢姫を捕らえた男たち ~封印された3日間~』 が12月15日(土)午後9時、フジテレビ系で全国放映されます。
http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2007/071119premium.html
多くの皆様は20年前の11月に起きた、大韓航空機爆破事件をご記憶のことと思います。
翌1988年のソウル五輪を妨害しようとした北朝鮮が、バグダッド発ソウル行きの大韓航空機858便を爆破、 乗客乗員115名全員が死亡した事件です。
あの時の爆破犯人、北朝鮮の工作員であった金賢姫がバーレーンの空港で逮捕されたのは、 ご承知の通りですが、誰が、どのような経緯で拘束に成功したのかは、あまり一般に知られてはおりません。
金賢姫を取り押さえるのに成功した殆どの要因は、現地駐在の日本大使館職員の機転と、
わが身を顧みない努力によるものでした。彼の名を砂川昌順といいます。彼を主人公にしたドラマが放映されるのです。
なぜ私が、その宣伝をするかというと、砂川さんは私のよく知る人だからです。彼は私の父の元部下でした。
1984年、親父が西アフリカのガーナの日本大使館にいた時、外務省の外郭団体から派遣されて来たのが 砂川さんでした。2年間の契約が切れると帰国し、新たな職を探さねばならない立場にありました。
当時のガーナは政情不安でクーデターが頻発。アフリカの中でも最も貧しい国の一つでした。
リビアのカダフィ大佐と親交のある左翼軍事政権下で、戒厳令やCURFEW(夜間外出禁止令)が敷かれ、電気も水も食料も満足になく、国民は飢餓状態に近い様相を呈しており、マラリアなどの熱病をはじめ、大使館の庭には猛毒のグリーンスネークが出没するという、過酷な労働環境にありました。
その中で人一倍、勤勉で細かいところによく気がつき、優秀だった砂川さんを親父は可愛がり、 時には厳しい指導をして外交官としての基本を教え込んだのだそうです。
そして人事課に推薦状を書き、砂川さんは外務省職員として本採用されました。これはあまりないケースでした。
正規職員となった彼はアクラ(ガーナ)からバーレーンに赴任します。そこで大韓機事件に遭遇することになります。
事件発生直後には一体、何が起きたのか皆目、分かりませんでした。
ただ、ハッキリしているのは大韓機がミャンマー沖で消息を絶ったということだけ。
日本や韓国政府の対応は後手後手に回ります。事件発生から丸1日以上が経過して、ようやく在アブダビの日本大使館から「大至急電」が飛び込んで来るという有り様でした。
「親子連れの日本人らしき男女2人が最後の寄港地、アブダビで降機した模様。貴国に入国していないか、至急、確認願う」といった内容が、中東各国の日本大使館に配信されて来ました。
しかし、現地で様々な人脈を得ていた砂川さんは、事件発生直後から多くの情報を掴んでいました。
当時の中東各国の状況、航空事情などから、「高飛びするならバーレーンに入国している可能性が高い」と直感。
交際のあった空港職員、スチュワーデス、ホテルマンなどからの情報を元に、様々な困難を乗り越えて、ハチヤシンイチ、マユミが泊まっているホテルを突き止めたのです。
では他の大使館職員は何をしていたか。何と、本省から出張で来たお偉いさんの接待で夕食会を開いていたのです。
そんなことやっている場合ではないのに、危機管理意識がまるでありません。中東特有の難しい事情があったとはいえ、「関係先いくつかに電話で問い合わせ、調べた結果、不明と返信すればいい」程度の認識だったそうです。
対米開戦前夜、呑気に送別会を開いていた在ワシントン日本大使館の失態を彷彿させられます。
尤も、当時の外務省幹部の失態だけに、このような話はドラマではやらないと思いますが…。
これ以上、私が詳しいことを書くと、ドラマの楽しみがなくなってしまいますので、やめておきますが、砂川さんは殆ど一人で、ホテルにいる2人を監視、様々な苦労の末に翌朝、空港で出国ゲートに先回りし、「日本大使館の者です。パスポートを拝見…」と回収し、2人の確保に成功したわけです。
しかし、砂川さんや現地警察がほんの一瞬、目を離した隙に2人は服毒自殺を図り、シンイチこと金勝一は死亡、 マユミだけが一命を取り留めたのはご承知の通りです。
砂川さんは病院に何度もマユミを見舞い、日本語、中国語、英語の3カ国語で話し掛けました。
「何か困っていることはありませんか? 助けてあげますから…」と、優しく語り続けたそうです。
パニック状態に陥っていたマユミは、日本人を装ったり、中国人になりすましたりしていましたが、 韓国大使館員が韓国語で話し掛けると、わざと分からないふりをする様子が見て取れたそうです。
やがて最後には、大粒の涙を流しながら、「あのね、私ね、日本人じゃないのに…。親切にしてくれて、ありがとう…」そう答えたそうです。「マユミは心を開き始めた。あと3日あれば落とせる!」砂川さんは確信した。ところが、彼女が日本人でないことを東京に報告すると、日本政府の反応が急に冷たくなったというのです。
結局、日本はマユミを引き取らず、韓国への移送が決定。砂川さんは地団太を踏んで悔しがりました。
この時点でマユミの犯罪容疑は、まだ大韓機の爆破ではなく、日本の偽造旅券を使用したことだけです。
まず日本に連れて来て、日本の警察が取り調べるのが筋でした。バーレーン政府関係者も訝ったそうです。
「なぜ日本は身柄の引き取りを求めないのか?」と…。
やがて韓国に移送されたマユミ、つまり金賢姫の口から李恩恵こと田口八重子さんの存在が明るみになります。
もし日本に連れて来て取り調べていれば、拉致事件などの解明も、もっと早く進んだことは間違いありません。
少なくとも砂川さんがいなければ金賢姫は決して捕まってはおらず、金賢姫が捕まっていなければ大韓機事件は、「日本人の仕業」とされていたでしょう。ただでさえ反日感情の強い韓国のことです。国交断絶ぐらいでは済まない、大変な事態になっていたであろうことは想像に難くありません。いわば国難、日本外交の危機を救ったと言えます。
事件後間もなく、一時帰国した砂川さんは、事の詳細を報告するため、資料や写真、録音テープなどを 提出しようとしました。ところが外務省幹部は、こう言い放ったそうです。
「そんなものは要らない。見る必要はない。犯人を韓国に引き渡したのだから、もうわが国とは一切、関係がなくなった」
臭い物に蓋、事なかれ主義、危機管理意識のカケラもない見事な平和ボケぶりです。
ちなみに時の首相は竹下登、外相は宇野宗佑でした。
砂川さんの活躍は、事件後間もなく、私は親父から聴かされていました。
「あれは砂川君の大手柄だったんだよ。彼は大したことをしてくれたもんだ!」 と、自分のことのように喜び、詳細を話していた姿が今も強烈な印象に残っています。
しかし、親父は私たち家族に、固く口止めをすることも忘れませんでした。
「このことは一切、他言無用だ。絶対に口外するな! 万が一、マスコミにでも知られたら厄介なことになる…」
北朝鮮がどういう国か、私もよく分かっていましたので、砂川さんの武勇伝を人に話すことは一切できませんでした。
やがて、恐れていたことが現実となります。
当時、既に東側の諜報機関などから「ヨーロッパで行方不明になっている日本人が、北朝鮮に渡っているらしい」との情報を掴んでいた砂川さんは、一向に重い腰を上げようとしない本省に業を煮やし、単身でウィーンの北朝鮮大使館に飛び込むというスタンドプレーをやってしまったのです。
外務省職員が許可なしに国交のない国の人間と接触することは、重大な訓令違反になります。
キャリアでもなければ、私の親父の推薦状一枚で入省した砂川さんを庇う上司もいなかったようです。
砂川さんは笑って、決して答えようとしませんが、キャリアたちの嫉妬などもあっただろうと私は想像します。
これが元で砂川さんは、外務省を辞めざるを得なくなってしまいました。
そして怪しい影が、彼をつきまとうようになりました。来る日も来る日も、得体の知れない男たちに追われ、 逃げ続ける日々が続きます。雲隠れし、住居を転々と変えても変えても、すぐに見つけられ、追われるようになります。
買い物に出る時も防弾チョッキを着て外出する。そんなことの連続だったそうです。
金賢姫が「美人テロリスト」として脚光を浴び、ブラウン管などを賑わせた一方で、 もう一方の「主役」は決して、表舞台に姿を現すことはありませんでした。
私たち家族は、金賢姫の姿がニュースなどでブラウン管に現れる度に、話したのは砂川さんのことばかりでした。
「砂川君、どこでどうしているのか…」と親父はいつも顔を曇らせ、 「いっそのこと、金賢姫なんか捕まえなければよかったんじゃないか。これでは犬死同然ではないか?」 と、私も憤懣やる方ない思いがしたものです。
砂川さんが逃亡生活を続けた15年間は、私たちにとっても後味の悪い、重苦しい心境でした。
転機は2002年9月に訪れます。小泉首相が北朝鮮を訪問。金正日が拉致を認め、日本の世論は一変します。
その後は、もう砂川さんも追われることはなくなり、それまで彼を護ってきた公安関係者から、
「もう大丈夫だろう。真実を世に明かしなさい」と、安全宣言が出されました。
こうして出版されたのが、砂川昌順著「極秘指令」~金賢姫拘束の真相~(NHK出版、1680円)という本です。
ご関心のある方は是非お読み頂けると嬉しいです。
本来ならば砂川さんはその功績を讃えられ、国から最高位の表彰を受けていなければならないはずです。
しかしながら、彼は未だに何の褒美も貰ってはいません。外交官の鑑と言えば杉原千畝氏が有名ですが、 これでは将来、国のために命を懸けて仕事をする外交官はいなくなってしまうでしょう。
否、外交官ばかりではありません。全ての公務員、民間企業に勤める人たちとて同じです。
今からでも政府には、彼に対する再評価を強く求めたい気持ちです。
砂川さん役の俳優、高嶋政伸さんは、砂川さんとはイメージが随分と違うのですが、熱血漢ぶりが買われたそうです。
テレビ番組制作会社のスタッフとは私も3回、直接会い、当時のガーナや砂川さんのことなどを詳しく説明し、番組作りに少し協力しました。ただ、私はもちろん、砂川さんも番組を見ていないため、どのような内容かは、正直、分かりません。なるべく事実を忠実に再現するとは聞きましたが、面白くするための脚色はされているでしょうし、私たちの意向が反映されているか、見終わって期待外れでガッカリ…となるかは、何とも言えません。
長文になりましたが、最後まで読んで下さった方には厚く御礼を申し上げます。
――――――――――――――――――――――――――――――――
砂川昌順さんは、現在ネットライブの運営に中られ、調査会の記者会見や、戦略情報研究所講演のライブ中継に力を貸してくださっています。
以前の講演の様子は、以下のURLで、砂川 昌順さんのお話(2005年4月10日)
http://blog.goo.ne.jp/blue-jewel-7/e/0e79af3bb422837cae577142e808ebd1
参考書籍
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