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2007年11月 3日 (土)

中山恭子首相補佐官の講演(2007/10/20)

埼玉県民集会 
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中山恭子首相補佐官の講演(2007/10/20)
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≪司会≫
続きまして、ご講演のほうに入りたいと思います。参議院議員拉致問題担当首相補佐官でいらっしゃいます中山恭子様にお願いします。(拍手)--中山さん壇上へ--
ご講演に入る前に、ご講師のご紹介をさせていただきます。
2002年、今から5年前、5人の被害者の帰還時、いわば用意された一時帰国というストーリーから、政府の責任で北朝鮮には返さない。子供ら、家族の日本帰国を北朝鮮に求めると。また、曾我ひとみさんの御家族の日本への帰国に際しても、中心的な役割をお果たしになり、御家族の立場に立って、政府高官として、家族会や帰国した被害者の方々から絶大な信頼を得ていらっしゃいます。
それでは、本日、「拉致被害者全員の救出を目指して」と題しましてご講演をお願いしたいと思います。

中山恭子さん

みなさまこんばんは、(会場からこんばんは の声)
ご紹介いただきました中山でございます。
今日土曜日、本当に貴重な時間帯でございますのに、このようにたくさんの皆様がお集まりいただきまして、ご参加いただきまして本当にありがとうございました。

埼玉県、今もご紹介ありましたが、政府が認定できていますのは、田口八重子さんでございますが、それ以外にも多くの姿を消した方々が、埼玉県にはいらっしゃいます。

また今日はこのような形で、救う会埼玉、鈴木代表を初め、救う会埼玉のみなさまがこの会を主催してくださいました。本当にありがとうございます。心から感謝申し上げます。また、埼玉県が共催に入ってくれました。今日本には『拉致問題、その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律』というのが現在出来ておりまして、この中で、地方公共団体も、拉致問題に関して多くのみなさまにこのような形で知ってもらうとか、そう言った努力をすると言うことが書かれております。その一環として今回、埼玉県が共催してくれることになりました。上田知事はじめ関係者のみなさまに私どもから心から感謝申し上げます。

このような形で、拉致問題について、県と救う会=民間のみなさま、そして政府が一緒になって会合をひらくということは、これまでに、和歌山県、山口県で行われておりまして、今回埼玉県でこのような会合を開ける、三度目の開催でございます。これからも、このようなかたちで、日本全国、全ての日本の人々にこの拉致問題についての理解を深めていただくように今動いているところでございます。

また埼玉県では県だけでなくて、議連の皆様が非常に活発に動いて頂いておりまして、その議連のみなさま、県の吉田議長(県会議長)、それから今日お話しいただきました議連の深井会長様はじめ関係者のみなさまに対しても感謝申し上げます。

また、埼玉県では、それぞれの市、そして市議会のみなさまも拉致問題、拉致された被害者を取り戻そうと、署名活動をしていただいたり、各種支援を頂いております。多くの皆様にご支援頂き、御協力を頂いていることに、心から感謝しながら、今、仕事をしているところでございます。

2002年、この問題に私自信が関わりましたのは、5年前2002年の9月からでございました。
2002年の10月15日に5人の被害者が日本に戻りました。唯、これも、北朝鮮が5人を解放する、帰国させようとした動きではございませんでした。『日本に一週間か10日ほど、まぁ出張してこい』と言ったような形で、5人は、日本の土を踏むことが出来ました。

日本の中にもいろんな意見がございます。政府の中にもいろんな意見がございますし、ございました。
ただ、この問題=拉致された、そして日本人が他の国=北朝鮮の中で全ての自由を奪われて、幽閉された状態におかれているということであれば、それは被害者や家族だけの問題ではない。あたり前のことだと思いました。

日本という国が、まず日本政府がですね、自分の仕事として被害者を取り戻すということ、自分の政府の中にしっかりと組織を作り、担当者を決め、費用を使ってでもですね、取り戻すことを政府がするのが、これがもう当然のことであって(拍手)政府の基本的な役割だと考えております。考えましたし、今も当然のこととしてそのように思っております。

そのようなことから、5人たまたまといってもいいような形で日本の土を踏んだ5人の被害者を犯人の手にもう一度戻すことはあってはならないと、言う思いで、政府の中でそのような主張をしました。(拍手)

おかげさまで、安倍官房副長官、『そのようにする』という決断をしてくださいましたし、その時のその時の官房長官が、現在の福田総理でございました。福田総理も、『わかったそうしよう』ということで、丁度帰国してから9日目の夜、夕方ですね、10月の24日に日本政府が、この5人を日本に留める。返さない。それは5人の意志というのは当時わかっていたわけですが、日本に留まりたいということを、蓮池さん地村さん、ひとみさんからも、私宛に電話が入っておりました。『日本に残りたいんだけれど』という。でもそれは、5人が残りたいからと言って、政府としてしょうがなく残すという、そう言う形は取ってはいけないと考えました。

ですから、日本政府が出した政府の方針は、<5人の意志に関わらず、帰りたいと言おうと、日本に留まりたいと言おうと、それだけではなくて、日本政府の責任で5人を日本に留める。そして、この家族は、日本政府が責任をもって取り戻す>という方針を、その時に出すことが出来ました。この時が、ある意味では政府の中での考え方の、曲がり角であっただろうとと思っています。

今は、当然のことでございますが、拉致問題、当たり前ですね。
こないだ・・今、イランで一人拘束されています。このイランで拘束されている方も、何としても無事に取り戻したい。日本政府の中に対策本部が出来て、今、イランや関係するところに交渉しています。

海外で日本人が被害にあったら、日本の国は、それを放置している国ではない。必ず日本政府は、被害にあった人が一人であっても、子供であっても、必ず日本人は、日本政府が護るんだ、そのことが、今の日本の政府の中では、既に徹底していると考えています。
従って、なんと本来であれば、もう随分昔に、日本政府の中にこういった被害にあっている人を救出するための、しっかりした対策本部ができているべきであったと思っていますが、戦後の日本の、30年前あたりの日本の環境を考えてみますと、そう言ったことが、相手が北朝鮮であったということが、ある意味ではタブーな時期だったんだろうかなどと思っています。

いずれにしましても、政府が中心となって、政府自らが--当然のことなんですけれども--この問題を担当し、どうやったら取り戻す事が出来るかを真剣に考えて、動く、そう言った部所が必要だと思っておりました。

昨年の秋、安陪内閣が成立いたしましたとき、昨年9月26日に、安倍総理が内閣を作りまして、その三日後の9月29日に政府の中に、拉致問題対策本部を設置することが出来ました。めぐみさんが拉致されて、なんと29年たってやっと日本の政府の中に拉致問題対策本部が、設置されたという状況だと言うことでございます。

日本の社会というのは、私自身は、温かい社会だと信じておりまして、災害が起きたら、台風に襲われてそこに被害が出たら、また地震が起きてそこに被害が出たら、政府は直ちに対策本部を作り、そして各市町村、県が救いの手をさしのべ、社会の多くの人々が救いの手をさしのべる、そう言う社会であると信じています。

唯、本当に残念なことに、この北朝鮮による日本人拉致問題は、めぐみさんが拉致されて29年たってやっと政府が拉致問題対策本部を設置し、真剣に取り組み始めたと言う状況だということでございます。

現在いろんな形で、政府として取り戻すための、救出の為の動きをしておりますが・・先ほど、その前にですね、先ほどDVD、これも政府が作りました。今年の春に作ったものですから、福田総理ではなくて、安倍総理が映像の中にたくさん出てくる映像ですが、ある程度は全体のことがおわかりいただけると思いますので、まぁ今日いらしているみなさんは、拉致問題に対して深い理解をお持ちの方でいらっしゃいますので、あのDVDを見る必要もなかったかもしれませんが、あのDVDを全国、そしてアメリカ、中国、韓国はじめ、世界中の8カ国、9カ国にむけて作っておりまして、アラブの方々に向けても作っておりまして、世界中にDVDを配って理解を深めてもらおうとしているところでございます。

今申し上げたかったのは、DVDの話ではなくて、あの中で、おわかり頂けたかと思うのですが『何故日本人を拉致したんだろうか?』いろんな、いろんな理由があるようです。技術者が欲しかったということもあったかもしれません。曾我ひとみさんの場合は、きっと連れて行ってジェンキンスさんと結婚させるための候補として連れて行ったのかもしれません。

唯、田口八重子さんを初め、多くの人々というのは『北朝鮮の工作員に日本人化工作をするために連れて行かれた』そういう人々が連れて行かれたと考えています。そのためには、典型的な日本的な家庭で、日本的なしつけをしっかりと受けた、身につけたそういう若者が必要だったということだとみています。

ですから被害にあったこの若者たちというのは、日本的なしつけをしっかり受けて、典型的な日本の家庭が荒らされている。そして周りの友達の中でも、みんなから信頼されている、そして共通しているのが、責任感の強い、そう言う若者たちが連れ去られている。日本の大切な家庭から大切な若者たちが連れて去られている。そう言うテーマだと見ていただいて良いと思います。行き当たりばったりではなくですね、連れて行ったのであろうと考えて、尚更に早く取り戻したいという気持ちが出てくるわけでございます。

2002年の10月15日に5人が戻りまして、この子供たちや家族を取り戻すのに1年9ヶ月かかりました。
2004年の7月に曽我さん一家をジャカルタで再会させて連れ戻すことが出来ました。直ぐそこにいるというのがはっきりわかっているのに1年9ヶ月かかってしまいました。

その後、他の被害者の方々の帰国ということを交渉し、いろんな言い方でやっておりましたが、2004年の11月、横田めぐみさんのお骨が戻ってきた。これが他人の複数の方のお骨だというのがわかり、あまりにもひどいやり方だということで、その年の12月日本政府は北朝鮮に対しては『人道支援を当面凍結する』という方針を出しました。
この後次の年、2005年の1月に、北朝鮮は『拉致問題は解決済み』という方針を出し、今もその方針が貫かれているという状況でございます。
従って、2005年の1月から、北朝鮮といろいろな場で、いろんなルートで交渉している中で、『解決済み』という大方針が出ているものでありますから、北朝鮮の担当者も、北朝鮮全体がなかなか違う動きを出すことが出来ないまま、その状態が今も続いていると言うことでございます。

拉致問題に関しては、北朝鮮側が(そう言ういい方をして良いかどうかは別ですが)北朝鮮側が、非常に強い、日本対して強い立場を持っている。今のまま解決済みで知らないとシラをきりとおせば、北朝鮮側としてはなにも困ることはない。そう言う状況にありますので、北朝鮮を何とか動かして、解決済みという方針ではない、違う方針に変わっていくように持っていかなければならないと考えています。

北朝鮮側に強い立場があるということで日本としては、制裁処置を科しました。
それほどに強い影響をでているかどうか、いまのところはっきりはしませんけれど、それでも日本として出来ることとして、制裁処置を科しているところでございます。

この拉致問題をどうやって解決していくか、いろんな形があろうかと思いますが、いずれにいたしましても、私どもは、被害者を救出すると言うことに、今集中しています。従って混乱が起きて、救出できるかと言われると、なかなかそれは難しいと思っております。

今の人々(現在の北朝鮮政権の人々)は拉致した被害者がどこにいて、どのようになっているかというのを知っているはずだという、私たちはそういう前提で、北朝鮮に対して、連れて行った日本人を全て帰すようにと言う強い
要求をしています。

混乱状態になる前に、取り戻さなければいけないと考えています。従って今混乱状態が来ることを望んでいません。救出したい、何しろ日本に戻したい、そこに集中して今北朝鮮と対峙しているところでございます。

そのあたりのことも、ぜひご理解」頂きたいと思います。
いろんなかたちの取り返し方というのはあると思いますが、現段階では、今の政権から救出するという事が、まずやらなければならないことであろうと、いろんな作業をしているところでございます。

今、福田政権に変わりましたが、福田総理ご自身、『ご自分の政権の間に救出したい』とはっきりとおっしゃっていますし、私たちも対策本部を中心にして、必ず救出する、一人残さず救出するというために一生懸命真剣にこの問題に取り組んでいるところでございます。

残念ながら、まだ今のところ、5人以外はですね--5人そのものも、北朝鮮が返してきたわけではないのですから--この今北朝鮮に留まっている人々を、幽閉されている--私は人質と読んでいますけれど--人質を解放させるために、あらゆる手段を使って解放させようとしていると。

今非常に大切な時期になってきていると思っています。担当者も私も含めて本当に真剣でございます。どうぞ、みなさまそのことをご理解いただきまして、先ほどから飯塚さんはじめ多くの方から話が出ていますとおり、日本の力の非常に大きな部分というのは本当に、『皆様の声』でございます。

皆様が、今のような形で、全ての人を救出するのだという政府の方針を支持してくださると言うことが、そのような形で、政策をとる、しっかり政策をとっていくと言うことに繋がりますし、又それが、北朝鮮に対して『いい加減な形で動いたら、日本は、日本人全体が許さないんだよ』ということを伝えるそう言う意味にもなります。

そう言った意味で、国、地方公共団体、更には国民の全ての人々が、この拉致問題に関心を持ち、同僚、同胞、日本人が拉致されたら、日本は必ず救出するんだという、そう言う国であるためにも、一体となって北朝鮮に対して強く要求していかなければならない。今正にその要求を突きつけて、なんとか動かそうとやっている最中でございます。

なかなか成果が出ていませんので、実際に新たな被害者が帰国するということになっておりませんので、私自身非常にいつも重い気持ちで仕事をしておりますが、必ず取り戻すまで頑張る、そのように決意、覚悟しておりますので、どうぞ、みなさま御協力、ご支援くださいますように宜しくお願いいたします。(拍手) ありがとうございます。(拍手)
今日もお集まりくださいましてありがとうございます。(拍手)
この会を催してくださいました担当者の皆様に、関係者の皆様に心から感謝申し上げます。(拍手) ありがとうございます。(拍手)

音声は
http://www.voiceblog.jp/blue-jewel-7/440656.html

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