松本京子さん家族の思いを聞く 東京連続集会24
07.1.18 友愛会館にて
『松本孟さん(松本京子さんの兄)の訴え その2』
(聞き手:増元照明さん)
★増元照明さん
本当にあれでしょうね。
日本政府はその3人が入っているにも拘らず、ご家族に一切の情報はくれないし、さらに先ほど言ったように非常に北朝鮮による拉致の疑いが、素人がみてもちょっとおかしいんじゃない?という失踪の仕方をしていますから、それを警察がほとんど捜査をしなかったのもおかしいと思っているですが。
そういった中で認定を待つというか、認定してもらいたいと言う気持ちが強かったと思うんですけれど、どういった気持ちでこの期間、昨年の10月20日でしたか、どういった気持ちでおられましたか?
★松本孟さん
ちょうど去年の6月くらいからですかね。
米子市内を皆で歩きながら歩いてデモ行進みたいな事をして、これを月に1回ずつやっていこうと言うふうに決めて。
いつまで続くか分からないですけど、認定が取れるまで。
なんて言いましょうかね。
本当に雲を掴むような話ですど諦めずに、特に妹原さんとのお話で、認定に関して。
気持ち的にはいつ本当に認定をいただけるのか?
当時まだ分かりませんでしたので、きついものがありました。
★増元さん
やはり政府認定と言うのは、ある程度必要なものなんでしょうか?
★松本孟さん
今の状況ですと、やっぱり無いと非常にきついですかね。
精神的にきつい。
家族が、要するにうちの母親は84歳ですから、後待ったが無いんです。
そこの重圧が物凄く大きく圧し掛かってくるんです。
まだ私の場合は今こうやって認定を頂いているので多少の余裕はあるんですけど、まだ調査会の方の人。
またその下の人、まだ名乗り上げていらっしゃらない人。
ご家族の方、本当に80どころじゃない家族の方がたくさんいらっしゃるんです。
この人たちは野放し状態なんでね。
本当にきついと思いますよ。
私のところでさえかなり・・・(聞き取れず)なので。
★増元さん
救う会・家族会もそうなんですけども、政府に認定されていようがいまいが、すべての拉致被害者を取り戻す方向で運動しているものですから、僕たちにとっては、まあ私たちは認定されいるからこういう気持ちになるのかもしれませんけども、あまり関係ないんですね。
とにかくすべての拉致被害者を取り戻せばそれでいいんだと思ってますので、それから後から政府が認定すればいいのかな?というふうにちょっと思っていますが、やはり精神的にきついですか?
★松本孟さん
精神的にきついですね、認定がない人は。
北朝鮮に向けてどんどん言えれば、それは問題ないでしょうけど、窓口が一個だけしかないですから。
しかもまして年齢的にもうちだけじゃなく、鳥取のうちの近くの古都(=ふるいち 古都瑞子さん ※下記に情報あり)さん、あそこのお兄さんもそうなんですよね。
非常にきついんですよね。
だから本人さんは表立って仰らないけど、私がこうやっていろんな会合なんかに寄せていただく。
そうすると自分のところはどうして呼んでいただけないのか?と。
・・・(聞き取れず)の人は本当にきつい。
・・・(聞き取れず)はね、仰っていただける、だから非常にきつい。
精神的にね。
★増元さん
最終的には被害者を救出することで認定することでは無いですから、出来れば特定失踪者のご家族も精神的に非常にきついものがあると思いますけども、とにかく一緒に救出するための運動を一緒にやっていただければと思うんです。
その中で一応認定被害者の家族が特出されて壇上に上ったりはするんですけど、出来れば私たちだって壇上に上りたくないですから、・・・・・・・・・・・(聞き取れず)いいという思いはあるんですけどね。
だから今の安倍政権のやり方は、とにかくすべての被害者を取り戻すと言う方向で行っていますので、それほど自分たちを追い込まないほうがいいのかな?と私は思うんですけども。
特定失踪者ご家族も私たちと一緒にやっていっていただくといってるという思いでやっていただくのが一番いいのかな?と私は思っているんですが、今後日本政府は中々認定しませんよ。
認定してもまず良かったという事では無いですから、はっきり言って。
被害者が帰ってきてはじめてよかったという事になりますので、だから認定されるのをまず最初ありきと言うと。
★松本孟さん
認定を言うのは一つの通過点ですから。
ここを通過してそれからまたスタートに行くんですから。
だから結局認定のあるなしと言うのはね、全然対応が違ってくるんです。
★増元さん
政府の対応が?
★松本孟さん
もちろん鳥取県にしろ対応が全然違いますから。
★増元さん
どのくらい違うんですか?
★松本孟さん
もう計れません。
認定がなかったら、もうゼロですから。
認定がなかったら本当に物凄い開きです。
★増元さん
よく言っていまして、私たちも最初から政府に認定されたのではなくてただ疑惑の段階でしかなかったもんですから。
2002年になってようやく政府認定と言う形を取れたんですけどね。
家族は皆、北朝鮮に拉致されたというふうに確信していましたし、救う会の方でも調査いろいろな資料でまず間違いないだろうという事で、救う会の救う対象になったわけですけどね。
ですからどうでしょう?
政府の認定があるなしに関わらず、いろいろ資格、救う会で救出運動して来たんですけどね。
確かにあのときに日本政府が正確に認めないので報道が中々されない。
それに対して苛立ちを覚えました。
でも自分たちがやっている・・・(聞き取れず)大前提でやって来た・・・(聞き取れず)。
認定をされていない家族としてはやはりその辺に入るのは少し大変なのかな?というふうには思い至る部分が・・・(聞き取れず)。
同じ被害者家族としては救出する事の意味では同じ思いでいると思うんですが、そこで認められているか認められないかと言う待遇に関しては、全く思いがなされなかったと多少あるのかな?と今ちょっと反省をしております。
で、今後救出をするためにですけれど、お兄さんとしては何をやっていかなければならないと思っていますか?
★松本孟さん
ひとつはこうやって寄せていただける講演というのは一つの方法だろうと思いますけど、一つは鳥取県全県を、県の人権局それから米子市の人権局通じまして各自治体のですね。
回覧(?)を使って署名活動をしてみる。
今年一年、これを重点目標としてどれくらい集まるか?
これに力を注いでいきたいなと思います。
それで一名でも多く署名を頂ければ・・・(聞き取れず)なぁと思います。
★増元さん
鳥取の方ではだいぶ拉致と言う問題に対して認識度が上がったというふうにはお考えですか?
★松本孟さん
今、県の人権の方でパネル展をやってますので、それが各市町村をずっと回ってますので、以前よりは拉致問題に対しての認識は高いと思います。
★増元さん
そのパネル展と言うのは昨年末に、救う会・家族会で作ったパネルのそれをやっているんですか?
★松本孟さん
今日持ってきたアルバムの中の一部を抜いて、別に作ったものを。
この中にももちろん横田さん、めぐみさんの写真も入っていますので、そういうのが移動しながら当然巡回していると。
★増元さん
今日はお兄さんにお持ちいただいた写真が一杯あるんですが、よくこれだけ撮ってられたなぁと私は思っているんですけどね。
自分のうちにはカメラがなかったんで自分の写真はあまり無いもんですから、羨ましいくらいなんですが。
この中の何枚、10点くらいですか?
★松本孟さん
10点くらいですね。
その中に。
★増元さん
小さいときのですか?
★松本孟さん
いや、これは勤めだしてからのですね。
小さいのは別のアルバムですから。
★増元さん
あぁ、そうですか。
凄いですね。
これは、この着物のはじゃあ二十歳の?
★松本孟さん
成人式の着物です。
母親が作ってやったそうです。
★増元さん
ほう、で、一杯、本当にこの他にも写真があるそうですので、やはり女の子一人だったから凄いですね。
羨ましいと私は思います。
私のところは4人きょうだいで一番末っ子だったもんですから、・・・・(笑い声)本当に赤ちゃんのときの写真ないんですよ、私。(笑い声)
自分で悲しくなりましたけどね。(笑い声)
★松本孟さん
こうやって見たら分かりますけど、子供抱いたりね。
子供が好きだったから。
この姿見てね。
北朝鮮から言われたんですけど、妹が着ている服と言うのはだいたいピンク系統が多いんですよね。
★増元さん
あぁ、なるほど、そうですね。
★松本孟さん
これをみるまでは私どもも金国石氏が証言している事は分かりませんでした。
★増元さん
妹さんがピンクが好きだという事も知らなかった?
★松本孟さん
知りませんでしたね。
★増元さん
ん~、なるほど。
で、あの、弟さんはいくつぐらい違うんですか?
★松本孟さん
弟は妹と、ひとつとちょいくらいですかね。
★増元さん
今回拉致認定されたのは昨年の10月の20日なんですが、警察としてはなぜ改めて政府認定したというふうに?
★松本孟さん
ひとつにはね。
例えば弟の所在がちょっと分からない時期があったんで、おとついでしたか、ちょうど検察庁の方が来られて弟さんの方をちょっと調べさせてもらいますと。
結果、白だったと、事をひとつ仰っていました。
それも認定の一つのあれになったのかな?と。
★増元さん
なるほど、弟さんの所在が分かったので疑いが晴れたという事なんですね?
それにしてもちょっと認定するまでにずいぶん時間がかかってしまったんですが、今後、先ほど言ったように是非家族会の一員としても、すべての拉致被害者を取り戻すという方向で運動を一緒にやっていっていただければと思います。
もう、ひとりやふたりというようなそういう段階を踏んでいるような状況では無いので、・・・・・・・・・(聞き取れず)ので一緒に戦っていきたいと思いますが。
やはり・・・(聞き取れず)にいるときに家族会の活動を見てうらやましく思われたりされたんでしょうか?
★松本孟さん
それは当然ありますよね。
★増元さん
取り扱い方とか?
★松本孟さん
扱いが良いとか悪いとかじゃなくて、やっぱりそうやって運動が出来るというのがね。
あの、一人じゃ出来ませんので。
何をするって言っても本当に一人じゃ出来ない。
だから当初からこういった家族会みたいのがあればね。
また、運動も参加したかったと思いますが。
私たちが家族会があると分かったのは、特定失踪者の・・・・・・・・(聞き取れず)来られてからですからね。
それまで分からなかったですから。
ちょうど妹原さんご存知かな?
家族会の・・・・・・(聞き取れず)のパンフレットが来たりして、こういうものがあるのかな、と。
ただきっかけがないとなかなかね。
家族単位では難しいですね。
★増元さん
それでは最後になりますけど、今日本当にここに来られている方は良く拉致の問題に詳しいと思いますので、皆さんにご挨拶をお願いいたします。
皆さんにご自分の仰りたい事を仰ってください。
★松本孟さん
本日はお忙しいところをわざわざお越しいただきましてありがとうございます。
妹も30年間北朝鮮に留め置かれまして、本当に不自由な生活をしていると思いますので、一日も早く無事に日本の土を踏ませるように、皆さんのお力を借りて何とか取り返したいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。(拍手)
★増元さん
どうもありがとうございました。
多少時間がありますので、もし私が聞き足りない部分がありましたら、どなたかお聞きになりたいと言う方がいらっしゃったら、一人かお二人。
いらっしゃいませんか?
★質問者1
確か松本さんだったと言う記憶があるんですけど、電話でですね。
こっちの方と向こうと連絡したときに、通訳として松本京子さんらしいと見たと。
で、「京子さんですか?」と聞かれたら、笑って後はそれ以降出なくなったと何かで聞きましたけど?
★松本孟さん
それはテレビの報道だったと思いますが。
★質問者1
ですね。
それは事実なわけですね?
★松本孟さん
言葉が多分浜弁だったので、多分そうだと思います。
京子だったと思います。
★増元さん
それは警察の方からそういうふうな話はしたんですか?
★松本孟さん
それはね、4年ほど前に話があって、妹原さんが警察に「こういう話があるので調べてくれ」といって、警察に持っていったんです。
去年の春先でしたか、警察にその届けを出した弁護士と一緒に行った事があるんです。
そしたら、捜査一課長が「それは話せない」
それで弁護士が「今日はお兄さんが来ていらっしゃるので、そこの所をもうちょっと話していただけませんか?」という事を仰ったんです。
で、去年でしたかね?確か。
それから去年の暮れになって政府の中でいろんな・・・・・(聞き取れず)
★増元さん
警察は本当に重要な事をしゃべりませんし、秘密にしたがるところで、僕たちのところにもいまだに警察から情報は入りません。
警察から入った事は一回もありません。
政府からは今やっている日朝交渉はどんな具合か?と言うのは入りますけど、政府が集めている被害者の情報、あるのか無いのかさえも分かりません。
で、以前も話をしましたけど、元外務大臣に集めてますか?ときいたら公然と集めてないと仰ってましたので、ただもう集めていると思います。
今は安倍さんの下に対策本部で事務局長の下に、総合調整室と政策企画室とそれから情報室と言うのが出来ています。
ですから、この情報室で絶対に集めてなければおかしいとは思うんですけど、今現在では私どもにどういう情報が集まっているのか、まだ家族会には来ていない。
とにかく私のところには来ていませんので、どうなっているのか。
今後日本政府はこんな対応ですよね?
★松本孟さん
私のところにも警察官が来るんです、一週間に一辺。
「何かないですか?」と。(笑い声)
何かこっちが聞きたいんですけど「何かないですか?」(笑い声)
★増元さん
私の方も実家に来るんです。
で、私が帰るたびに「何かないでしょうか?」
あの、なんででしょうね?
「いや、私ら下っぱのところには何も入らないんですよね、教えてください」
縦社会で、縦の中で現場にほとんど情報が入らないのが警察の特異体質のようですから。
被害者の情報に関しては・・・(聞き取れず)最終の段階までもちろん何も入らない。
救出できるかどうか?
そういうところまで行かないと詳しい情報は多分入らない。
それでも私たちは諦めずにやっていますので、今後とも私たちと一緒に戦ってください。
今日はどうもありがとうございました。(拍手)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※
氏名 古都 瑞子(通称:洋子)
失踪年月日 昭和52(1977)年11月14日
ふりがな ふるいち みずこ(ようこ)
生年月日 昭和5(1930)年4月8日
性別 女 当時の年齢 47
身長 148センチ 体重 45キロ
公開 第3次公開
当時の身分 皆生温泉の中居
特徴 色白、面長。靴のサイズ23.5センチ。
失踪場所 鳥取県米子市皆生温泉街またはその周辺
失踪状況 午後9時に旅館での仕事を終え一時帰宅。その後普段着に着替え出かける。自宅には近く東京へ行く切符や、ハンドバッグ、現金、常に持ち歩いていたポケベルも置いたまま。
情報は特定失踪者問題調査会HPより
http://chosa-kai.jp/index.html
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