カテゴリー「大宮集会(2007/3/10)」の記事

2007年4月 6日 (金)

被害者家族の訴え

日本再生フォーラム 第20回記念講演会

拉致問題を通して日本のあり方を考える・第9弾
07.3.10 大宮JACKビルにて

『被害者家族の訴え』

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★飯塚進さん(田口八重子さんの次兄)

皆さん、こんにちは。
八重子が生まれ育ちました川口の「拉致問題を考える川口の会」について、お話をさせていただきます。
現在川口市には1名の拉致被害者と6名の特定失踪者がいます。
拉致問題を一刻も早く解決するために、平成16年4月に藤田進さんの弟の藤田隆司さんが中心になって拉致被害者家族・特定失踪者家族も趣旨に賛同するボランティアからなる「拉致問題を考える川口の会」を立ち上げました。

当初藤田隆司さんは署名活動、集会での訴え、テレビに出演等精力的に頑張っていましたが、体調を崩し現在は活動を休んでいます。
会の活動内容は、毎月第一日曜川口駅前での署名活動、チラシ配り、救う会埼玉との合同署名活動、集会への参加、家族の訴え等の活動をしております。

また川口市は岡村市長がとても協力的で、市民へ拉致問題への関心を高めるために福祉課が窓口となり、23万6千人の署名を政府へ提出いたしました。
HPへの掲載、市役所外壁に横断幕等の設置、駅前大型スクリーンに7人の顔写真の放映、市役所ロビーでの写真展など、積極的に拉致問題に取り組んでくださっています。
「拉致問題を考える川口の会」これからも頑張って活動を続けてまいりますので、どうぞ皆さんよろしくお願いします。(拍手)

井上克美さんからお話します。
失踪年月日は昭和46年12月29日でございます。
失踪状況は、当日会社の忘年会の後川口市内の飲食店で飲み、午前10時から1時ごろまで寿司屋で食事をして友人と別れた。
当時は泥酔状態、夜帰宅しなかったので翌日妻から実家に電話があり、両親も知った。
妻の話では、「正月は家に行く」と言っていたので実家に帰っているのだろうと思い電話をかけると、運転免許証の更新もなし連絡も一切なし、長男が生まれる直前だった。
失踪当時は21歳で現在55歳になっておられます。

次は鈴木賢さんです。
失踪年月日は昭和47年5月28日。
失踪状況、会社のレクリエーションに行くため朝6時に家を出て以来行方不明。
レクリエーションには行っていない。
職場、大学時代、友人も心当たりは無しと言うことです。
23歳で失踪、現在は58歳でございます。

次は藤田進さんです。
失踪年月日、昭和51年2月7日。
失踪状況、失踪当日「新宿のガードマンのバイトに行く」といって服を持って家を出たまま帰らず。
新宿にあるすべての警備会社に電話で問い合わせたが、該当者はいなかった。
脱北者が北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田進さんである事が極めて高い事が判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状を提出。
19歳で失踪、現在50歳でございます。

新木章さんです
失踪年月日、昭和52年5月21日。
失踪状況、買い物に午後6時か7時には帰ると川口市の自宅に電話を入れたまま失踪。
家を出た時は財布しかもっていない。
免許証・クレジットカードも入っていたが更新がなされていない。
カードは使っていない。
平成16年1月29日、埼玉県警に告発状を提出。
29歳で失踪、現在59歳であります。

次、佐々木悦子さん。
失踪年月日、平成3年4月22日。
失踪状況、仕事へ行くといって埼玉県浦和市の家を出たまま失踪。
当日は休みを取っていた。
平成16年1月29日、埼玉県警に告発状を提出。
27歳で失踪、現在43歳であります。

次、石井久宏さんですね。
失踪年月日、昭和49年5月1日か2日。
失踪状況、化粧品店を経営しており多額の借金を抱えてしまっていた。
父親などが金を用意して経営を立て直す方向で話を進め、母親も店の経営を手伝っていた。
本人の努力次第で十分解決方法のある状態であったが、突然100万円以上の経営資金を持ったまま、自家用車ごと行方不明となった。
当時遊びが派手になっており、マージャンやバーなどでの複数の朝鮮系と思われる人といる所をいとこが目撃している。
店の隣もパチンコ屋だった。
29歳で失踪、現在62歳であります。

以上の方々が、拉致被害者・特定失踪者の川口の方々でございます。
どうもありがとうございました。(拍手)

★高野美幸さん(特定失踪者・高野清文さんの妹)

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いつもお世話になっております。
東京の調布、電気通信大学という大学2年生でいた時に、大学寮の寮生と一緒に伊豆七島の神津島に行っていなくなりました高野清文の妹で高野美幸と申します。

私の兄、いなくなってから30年が経過しました。
二十歳になる直前に行方不明になっていますので、丁度去年で50歳になりました。
いつも私チラシの方を入れているんですが、ちょっと今日部数を持って来なかったので、もし私がいつもお配りしている「神津島でいなくなった兄」というチラシをご覧になったことが無い方がいらっしゃいましたら、後ろで配布くらいは持ってきておりますので、見て行っていただければと思います。

丁度先ほど石高さんのお話の中で97年の5月のめぐみさんの事を報道されたという事がありました。
私は90年に東京の方へ上京したんですけども、たまに田舎に帰るときに私の母は、「うちのお兄ちゃんもめぐみちゃんと一緒なんじゃないか?」と言い出したのが、確かその頃だったのではないか?と今考えると思いますので、母がその番組を拝見させていただいたのでは無いかと思います。
その時にですね。
「ウルトラ・ダラー」の本でも出ていたら、うちのお兄ちゃんも今頃は拉致認定を貰っていたんじゃないかな?と思ったりもする次第です。
太平洋側に工作船が来るなんてことは、その当時は当然考えられないことだったと思います。

それから私の兄は東京電気通信大学と言うところに通学していました。
兄がいなくなった後に、久米(裕)さんが宇出津の事件で拉致をされたという事で、久米さんの話は私も・・・(聞き取れず)ですが、当時の話を先ほど聞いたときに、北朝鮮との対立を避けるために数名の犠牲を出してもいいと言う考え方が、この国のどこかにあったという事がとても悔しくてなりませんでした。

そして今日私は、調査会の広報委員のような形で来てしまっているんですけども、今度第8版で特定失踪者のポスターが新しくなりました。
後ろに一部100円で販売させていただいておりますので、改めて拝見していっていただければと思います。
また私の兄、東京都にいる時に伊豆七島神津島からいなくなりました。
今回石原知事が話を出していただきまして、東京へ帰れというコンセプトの下に、東京から失踪された特定失踪者のポスターの方を作っていただきました。

こちらの方を私、勝手にインターネットに乗っているものをA3サイズで印刷したんですが、本当のものはもっと大きいサイズで出ているという事です。
これももし今東京の方に仕事があるとか行きつけの飲み屋があるとか言う方で、貼り出してもいいよと言う方がいらっしゃったら是非お願いしたいと思いまして、30部ほど印刷をして参りましたので、必要な方はお声をかけていただければと思います。

また、調査会の方で短波放送「しおかぜ」に政府の方から支援があるのでは無いか?と言うお話があったんですが、先の6カ国協議の結果に対してですね。
抗議をするという形でその支援をお断りするような形を取ったという事でございます。
丁度CMの方が1億500万という事で、なぜこの500万半端?って思ったんですけど、「しおかぜ」の支援がこっちに来たんじゃないかな?と思ったんですけど、憶測をしてしまうんですけども。

そういったことで、あと他にも今調査会でもバルーンプロジェクトという事で、北朝鮮の国境近く韓国側の方から平壌に向けて風船に、メッセージであるとか拉致被害者の情報を提供してくれたら奨励金を出すよというようなメッセージを書いたものを送ると。
それもビニールコーティングされていて、文章の下に金親子の肖像画とかが印刷されているので破くことが出来ないようにしているといった手を使っているようなんですけども、そういったことにもお金はかかってくると思うんですが、そういったことで支援を断わった手前、中々手を広げられないのかな?という心配もしながら、今日も「しおかぜ」のグッズと調査会の方の署名用紙と、あとカンパの方もご協力いただければと思って持っておりますので、後ろの方で帰り際で構いませんので、ご協力の方していただければと思います。
どうかよろしくお願いします。(拍手)

・・・講演会終了・・・

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飯塚耕一郎さんの訴え(大宮)

   日本再生フォーラム 第20回記念講演会
拉致問題を通して日本のあり方を考える・第9弾
07.3.10 大宮JACKビルにて

『飯塚耕一郎さん(田口八重子さんの長男)の訴え』

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皆さん、こんにちは。
田口八重子の長男であります、飯塚耕一郎です。
ちょっとお時間の方がだいぶ押しているので、駆け足でのお話になるかと思いますけども、ご了承いただきたいと思います。
日本再生フォーラムさんに関しては何度も呼んでいただいて感謝しておるんですけど、私の話をだいぶ聞き飽きている方もあるかと思いますけども、今日私の方からお話したい所は6カ国協議の作業部会も含めてですね。
関係者として家族の一員としてどう思っているか?という事について、お話させていただきたいと思います。

今回2月の下旬から6カ国協議の方がだいぶ慌しく、今週は作業部会の方がだいぶホットになっていましけど、大きな簡単に申し上げた私の印象としては、米中がだいぶ歩み寄りをして核放棄と言う形で6カ国協議ではだいぶお話が進んだという形になっています。
アメリカの方での圧力継承については問題ないと思うんですけども、圧力によって朝鮮の方が日本に対して、拉致問題を含めた日朝協議を進めるという形で今回作業部会に入ったと思っております。

先日、昨日もいろいろな紙面等でいろいろな報道があったと思うんですけど。
また先ほど親父の方から上がった話もあったと思うんですけども、ソン・イルホが、父が言った発言に関してですけども。
一番大きなところというのは、全体として拉致問題に関してはやるべき事はすべてやったと、これ以上議論する余地はありませんという事で、昨日も作業部会の午後の部分に関してはお話を進めずにそこで休会を伴っています。
また時間的な部分がどうだったのか、私もはっきり把握はしていないんですけども、今後臨時の作業部会に絡んでソン・イルホが言った一言と言うのは、「拉致問題は解決済みであり、死んだ人を生き返らせよと言っても無理だ」と言う姿勢で彼は発言をしているわけですよね。

先ほどの親父の方のソン・イルホの会見の方の骨子の中でもありましたけど、「日本としては誠実な対応を取って、日朝平壌宣言に基づいて日本は誠実な対応をすべきだ」といっている部分が一番大きな部分かな?と思うんですけども。
この状況を受けて思うのは、正直言ってとても歯がゆい。
停滞していた部分もありますので、問題が進まないという部分で歯がゆいという気持ちもあるんですけど、やはり怒りと言う部分を感じざるを得ない内容だったと思います。

死んだ人を生き返せと言われても無理だと言う話をしているんでしょうけども、じゃあ誠実な対応をお前らは取っているのか?と。
横田めぐみさんの遺骨の件に関してもそうですし、我々が突きつけられた2002年の死亡通知書に関してもそうですけども、その突きつけられた気持ちに対して、あの方がちゃんと誠実な対応を取ったのかどうか?と言う部分をここ5年の間に、皆さんも過去を振り返って考えて欲しいんですけども、それに関しては間違いなく100%NOだと思うんですよね。

これに関してNOだと思っている部分に関して、先ほど親父の方からも話がありましたけども、私としても日本政府としては今回ちゃんとお話しをしたわけではないんで、ハッキリした事は言えないんですけども、日本政府はどういう形で北朝鮮に対してアプローチしたのか?と言う部分は正直はっきり見えていませんから、本当に何とも言えない部分なんですけども。
ただ、今のままだと歯がゆいと、とても歯がゆいと思っています。

やはり小泉さんの時代と比べるとだいぶ日本として、拉致問題に対する姿勢としてだいぶ正しい姿。
経済制裁をしたり、朝鮮総連の適正化と言う部分もちろん入ると思うんですけども、そこも然りなんですけども。
だいぶ正しい姿になってるんですけども、あくまでもここはきっと多分スタートラインじゃないかと。
我々はこの問題を改めて考えて、日本人として人間としてどうあるべきかというさらに深める過程であって、ここから先に北朝鮮に対する外交姿勢はどうするのか?という部分でまだまだ幼稚なのかな?
幼稚と言う言葉は適正では無いかも知れませんけども、まだまだ向こうの方が上手なのかな?と、そういうところでちょっと考えています。

で、やはり私が歯がゆいといったのは、日本政府はこれまでと違ってちゃんとした形で対応を取って頂いております。
ただそれがやはり上手くすんなり通じない。
世界的な形として通じないという現況が、やはりどうしても悔しいし歯がゆいと思っています。

私もジャーナリストでも専門家でもないので、私がこれから言う事は単なる一個人の飛躍した議論に過ぎないのかもしれませんけども、やはり今の状況から考えてやはり日本政府としてお願いしたいというところは、6カ国協議で決定が下されたエネルギー支援については、日本は今エネルギー支援を一切しませんというお話をしていると思います。
ただこの中でちょっと言ってるのは、安倍首相から違う形でも支援ができるんじゃないかと言う発言の要旨があったかと思うんですけど、それすらもすべきでは無いと私は思っています。
何の誠実さをもって北朝鮮に対してそういう手助けをする形を取らざるを得ないのか?と言うところを推考して欲しいと思います。

確かに一部報道でこの形であれば日本は孤立してしまうんでは無いか?と言う話が、報道の中であるかと思うんですが、私個人として正しい事をやっていて孤立化することに何が問題あるんだろう?ととても感じるんですよね?
日本として我々もそうですけど、政府としてもそうですし、世界に対して北朝鮮が拉致と言う問題で人権を蹂躙しているんだと、これだけ酷い事をしているんだと言っているにも拘らず、その6カ国協議と言う枠組みの中で他の国と合議をどこかしら取らざるを得ないから、輸送支援で何かしら違った形で何かしら支援しましょうと言っている日本のその姿勢が一貫性が欠けてしまうところをちょっと懸念しています。
ですので、エネルギー支援はもとより一切の援助はしないで欲しいという事をお願いしたいと思っています。

ちょっと補足なんですけども、一方これに対して北朝鮮が昨日韓国政府に対して、肥料に対するエネルギー支援を正式に要求しています。
これと言うのはやはり経済制裁を北に課す。
やはり世界人権委員会を含めて世界的な包括されている状況の中で、北朝鮮がどれだけ苦しかったか?という事の現われだと思います。
先ほどの部会で米中が歩み寄りになった。
日本との部会も向こうの思惑通りになった。
じゃあ、ここで正式に打診ができるねと言う形で向こうが動いた結果だと私は感じております。

それとですね、ちょっとパソコンが落ちてしまって自分がまとめた部分がはっきりお伝えする事が出来ないんですけど。
それから後ですね。
やはりちょっと一番大きくて、日本政府に対する対応としてもうちょっと細かい部分があったんですけども、お時間が無いというところでご勘弁していただいて。

やはり私からお願いしたいというところに関して、まず一番最初に一点。
先ほども申し上げましたけども、日本政府が孤立化するとか、6カ国協議の日本に対する姿勢の中でいろいろ議論はあるかと思うんですけども、報道に対して正しい目で見て欲しいというのが第一に一番最初にあります。
やはりテレビとかって言うのは、基本的に受動的に人間がなりやすいものなので、報道されたものをそのまま素直に自分の思考として考えるのがどうしても人間の癖であるとは思うんですけども、そうでは無いと思います。
やはり孤立化と言うのは全然悪くないことですし、日本として正しい姿勢を取る事は当然とても素晴らしいことだと思っています。
そういう誤報じゃないですけども、自分なりの考えを持って報道に対して接してこういう場に来ている。
この場に参加いただけるというその姿勢と言うのはちゃんと持っていただきたいという、気持ちなり姿勢をちゃんと持っていただきたいというのが最初の1点と。

2点目に関してなんですけども、やはり今回の作業部会・6カ国協議の経過として家族会の各メンバーとしてだいぶやきもきした気持ちとか悔しいとか、私が言った歯がゆいという気持ちも持っているんですけども。
このタイミングで帰国された5人の方々が気持ちの部分だけでもいいので、何か発信をして欲しいと僕はとっても思っているんですよね。
やはりあの方々が2004年に帰国された時、あの方々がどれだけ自分が泣き崩れたのか?とても嬉しかったのか?と言う気持ちを考えた時に、その時に出会った気持ちと我々が今苦しんでいる気持ちと言うのは、色としてとても似ているものだと思うんですよね。

あの方々が日本国内の世論に何かを発信していただけるとなると私たちとしても心強いですし、日本の世論喚起と言う観点ではますます盛り上がるんじゃないか?と。
やはり先週ですかね。
安倍さんとお会いしたという報道もありましたけど、そういう受動的な動きじゃなくて5人の方々が、それなりに日本政府としてこうして頂きたいとか、こうした方が救助になりますとかという、別に何でもいいんです。
取り合えずなんでもいいんです。
要は公の場でつまりお話をしていただきたいなと思うのは、あります。

最後にお願いの3点目なんですけど、3点目に関しましては、ここの場でお話させていただく時に毎回言うんですけども、この問題に関して家族の方々や周りの方々に対して、特に私みたいな年代の方ですよね。
年代の方に対して少しでも良いのでお話をして欲しい。
世論と言う形で拡充をお願いしたいと思っているんです。
そこの部分をお願いするというのと、後ひとつ日本政府に対しても、皆さんの気持ちを言う部分で発信をして欲しい。
首相官邸のHPからでも結構ですし手紙でも結構ですので、そこで皆さんの気持ちとして、今回の作業部会がどうだったとか、こうした方がいいとかいう気持ちを発信して欲しいと思います。

この発信した内容が当然安倍さんなり首相官邸が考えることになりますし、それが世論として日本の政治を含んだ社会の中で世論と言うものがどういう形で動いていくものになるか?と思っております。
すみません、ちょっと短くて申し訳ないんですけど私からお伝えしたい事は以上です。
どうもありがとうございました。(拍手) 

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2007年4月 5日 (木)

飯塚繁雄さんの訴え(大宮)

   日本再生フォーラム 第20回記念講演会
拉致問題を通して日本のあり方を考える・第9弾
               07.3.10 大宮JACKビルにて

『飯塚繁雄 家族会副代表の訴え』

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皆さん、こんにちは。
相変わらずこの問題について熱心なご支援を頂きまして本当にありがとうございます。
時間がありませんので私の方からは簡単にお話申し上げますけども、今石高先生の方からお話がありましたように、この拉致被害者家族会を立ち上げて、3月25日で丸10年になるわけですね。
この間紆余曲折、いろいろ情報の錯誤その他ありましたけども、全体としては全く進展が無いというふうに私は考えております。

一部5人とその家族の方が帰還されましたけども、これについては当初小泉首相が行ってくれたから帰って来られたんだという評価が一般的ですけども、我々としてはあの対応については非常に懸念を持っていまだにおります。
いわゆる北朝鮮の思惑に乗せられて、あれで幕を引くためにああいう形になったというようなことなんですけども。
それ以外は全く我々の拉致被害者に関する的確な情報と言うのは全く得られず、北朝鮮は相変わらずこの拉致問題は解決済みだというふうに言っております。
その中で今回の6者の協議につきましてはこれも全く結果が出ず、尻切れトンボになった形になっております。

一応政府としてはですね。
お互いの主張・お互いの立場を確認が出来たと、そういった判断をしております。
さらには立場が非常に大きく離れている事が確認されたと、そういった事を見て一定の意味があったというふうに言っておりますけども、それはなんなんだ?と私たちは考えるわけです。
この6者協議につきましても当初6者協議の枠組みの中でも、日本の拉致問題を考えるという条件付でこの作業部会が出来たわけですから、そういう意味では拉致問題と言うのは必ず作業部会のメインテーマになるはずだというふうに我々思っておりました。

しかしながら北朝鮮と言うのは、先ほどから出ているように全く勝手な自分の都合の良い事しか情報を出さず、そういた立場なり意見を言うだけで、いわゆる取り付く島が無いという今状況ですけども。
ソン・イルホ、これが会談の後に言ったことですね。
若干・・・(聞き取れず)いましたけど、やはり相変わらず「拉致問題は解決済みで日本の立場は決して受け入れる事は出来ない」と、これがある以上協議になりませんよね?

さらには日本がこの問題について要求している拉致問題の再調査についてはですね。
「過去の清算を開始しなさい」と、それから「経済制裁を撤回しなさい」と、「朝鮮総連に対する弾圧を中止しなさい」と、こういった事を睨みながら要するに「過程を見ながら考慮しますよ」とこういう話なんですね。
いまだに言っているように拉致問題は解決済みだと、もし残っている問題があるとすれば横田めぐみさんの遺骨の返還と保存状態の確認。
それから鑑定した時の真相究明と鑑定をでっち上げた本人の処分という事をしなさいとかね。

こういった事を考えて協議を中断したのは、日本の今回の協議態度は平壌宣言の精神、6者協議の共同精神の精神に反するからであるという様に言っている訳です。
それから「今回相互の間で合意はなくて立場の隔たりが大きいことが分かった」と、「作業部会の日程もこれでは決められない」というように言っています。
それから「日朝平壌宣言に則りお互いに前進していかなければならない事は確認した」と。
「日本に対して2002年の平壌宣言の誠実な履行を要求する」と言う一方的な会見の内容でした。

これを見てですね。
これを聞いて我々は憤慨したわけですね。
何たることだと、けしからんと憤りを感じながら先日も記者会見をやったんですけど、こういった北の態度が改めない限り、この状況は進まないだろうというふうに私たちは思っております。
こういった北朝鮮のしたたかさ、どうやったら自国に有利なような形で解決が進んでいくのか。
どうやったら巨額の支援を取り上げられるのか?
そういった事を前提とした戦略なんですね。

ですから日本としても北に対する態度は変わってませんけど、若干内容的に見ると協議の雰囲気と言いますか、日本としては怒っていないような雰囲気がちょっと感じられるんですね。
普通でしたら、こういう事を言われましたら当然机でも叩いてですね。
強引に、冗談じゃないとお前たちがやっている事をすべて悪行も明らか。
世界も認めている、日本も当然そう思っているというような形でですね。
もっともっと強行に当たっていかないと、またずるずると北朝鮮のペースにハマっていくというような心配が感じられます。

まだまだ日本政府としてはこれからこの問題については、前向きな対応を引き続き求めていくというふうに言っておりますけども、こういうふうな北のコメントがある以上は、どこからこの協議の糸口を掴んでいくのか?
この辺が全く難しいと考えています。
これが始まる前から、一気には解決しないだろうという心配はありましたけども、まさにその通りになって、この問題に対する解決の糸口と言うのが、また分からなくなって来たというふうな所なんですが。

これに対してアメリカに対して我々は支援をお願いして参りましたけども、いわゆるアメリカも若干ぶれてきまして、経済制裁、要するに銀行の口座を開くような動きをしてます。
一部もうそうなっていますが、さらには北朝鮮をテロ支援国家としてはっきりと今まで名指して言っておりましたけども、これを解除するような動きを開始するというような発言もしています。

しかしながらヒル代表、あるいはさらにアメリカの中枢部の話を聞きますと、これはテロ支援国家の指定を解除するには日本の拉致問題の経過を見ながら判断すると言ってくれておりますので、すべてアメリカがこの問題については投げ出すという事はまず無いというふうに私たちも思っております。
いろいろ難しい状況ですけども、先日、この結果6者の協議を受けまして、私たち家族会としても緊急声明、ちょっと早口で読み上げますけども。

・・・・・

本日、6者協議合意にもとづく日朝作業部会がハノイで開催された。
午前中の協議では当然、日朝間の最大の懸案である拉致問題が話し合われた。
ところが、北朝鮮側が約束されていた午後の協議を一方的に拒否してきた。
私たちは、すべての拉致被害者を即時に家族のもとに返せと、強く金正日に求めてきた。
ところが、彼らは今回の協議でも被害者を家族の元へ帰国させる約束をしなかったばかりか、午後の協議から逃げた。

北朝鮮は拉致に関する協議を拒否し、日本が孤立しているという印象を作り出そうとしているのだろうが、金正日政権が横田めぐみさんら多くの日本人、そして、タイ、韓国、中国、レバノン、ルーマニアなど世界中から何の罪もない市民を拉致し抑留し続けていることは、すでに国際社会で広く明らかになっている。
昨年の国連総会決議でもそのことは明記されている。孤立しているのは金正日テロ政権だ。
私たちは、今回の北朝鮮代表の不誠実きわまる協議態度を強く糾弾する。
また、日本政府は昨年10月に決めた方針通り、北朝鮮の不誠実な対応に対しては制裁強化で応じるべきだ。

・・・・・

と言うような、短いんですけど声明を発表しております。
私たちはこの問題については絶対に諦めるわけには行かないわけですから、当然アメリカのブッシュ大統領にも手紙を出して先ほど言いました、この・・・(聞き取れず)文書の国際テロリズム年次報告書の中の北朝鮮をテロ支援国家に指定している理由は今入っていますけども、これは絶対に外さないようにというお願いの手紙を出しております。
周りの状況を見ながらこの問題どう進むか?心配ですけども、やはり私の思うに日朝の協議がどのように進んでいくのか?
どのように進展していくのか?と言う事が確認されながら、米朝の話し合いがそれに絡み合って進めていくというような形が良かったんでは無いかと思うわけですけど。

何か心配なのは米朝で核の問題中心にどんどんどんどん進んでいってしまって、日本の拉致問題を含めた日朝協議が置いてきぼりにされて来ては困ると、言うような懸念もしております。
従って私たちは、この問題についてはもっともっと安倍総理が本部長となっている拉致問題対策本部、これの強力的な動きをさらに要求していきたいと思いますけども。
それにつきましてでもですね。
対外的な日本の印象と言うのは、まだまだ弱いと思います。
というのは確かに安倍総理がこの拉致問題をかかっておりますけども、私感じるに果たして日本国、あるいは日本国民全体が一枚岩となってこの拉致問題を突き進めて行こうとしているのか?
その辺が少し心配であります。

それに比較して安倍総理に支持率がどんどん落ちているという話も聞いておりますけども、何かそういう意味では足を引っ張るニュースと言うか情報と言うか意見と言うか、そういうのが出て来ておりまして。
例えば国会の中でもですね。
こういった問題は自民党だろうが民主党だろうが社会党だろうが、絶対あってはならない問題だと解決しなければならない問題だという事を、本来これは基本的な人権問題で日本の国民の安全を守るものですから当たり前の話なんですが、中々それが一枚岩になって外に出て行かない。
制裁に対するメッセージもそうです。
それから先ほど言った世界各国についてもそういったイメージを与えているような気がいたします。

従って私たちはもちろん家族の奪還を目的・目標にして動いておりますが、前から言うようにこの問題と言うのは2度とあってはいけないというような大きな狙いの中で、この拉致問題がどういう伸展の仕方をしていくのか?
どういう結果で集結するのか?
心配でありますけども、そういう意味では我々少人数の認定された家族だけではなくて、先ほどもあげました特定失踪者の方々、まだ認定されない方々もたくさんいます。
そういった人たちも一気に解決できるような、戦略・戦術を使ってですね。
強力に推し進めていただきたいというふうに心から思っているわけです。

北朝鮮が今まで、最初は拉致をしごめんなさいと謝ったこともありましたけどそれはある程度偽造した手で、今は拉致問題は解決済みだという事でそれを崩さない。
これを崩すという事は今までの北の発言なり立場なり、あるいは情報なりがすべて失せてしまう。
もう一回ごめんなさいと謝るしかないわけですね。
果たしてそういった場面が来るのかどうか?
それと大韓航空機の事件は北の謀略・策略だったということで、はっきりと認めるのかどうか?
すべて北の悪いところがさらけ出されるのは、この拉致問題の経過においてはあるはずです。

従ってそういう事を考えますと全く予断を許さないし、まだまだ時間がかかるなぁと言うふうに思っております。
しかしながら、我々皆さんも含めてこの問題については絶対諦めるわけにはいかない。
国としても政府としてもこの問題は最優先でやるという方針ですので、私たちとしては安倍総理を極力支援してですね。
皆さんの声も、あるいは他の方の意見もそちらに集中出来るように、何とかお願いしていくという事も含めて更なるこの解決に関する活動は続けていきたいと思っています。

しかしながら先日横田代表もちょっとまた入院しましたけども、早紀江さんも体調が悪くて中々出られない状況になっておられますが、これも長い間家族の願いを思いつつ、「自分の娘が帰ってくるなら私が代わりになってもいいよ」というそういう気持ちで続けられてきてきた少し現状だと思うんですけど。
しかしながら実際倒れるまでは活動していこうと言う我々の確認も取れてます。

そういった中で更なる皆さんへのお願いをこれから進めてまいりますが、今日これからまた東京集会なんですけど、明日の救う会として全国協議会の幹事会が総会が開かれまして、今後どうして行こうかという方針等を決めて対応・活動を考えていきます。
多分その中でも今言った活動については、我々に出来ることならすべてやっていこうというような覚悟でこれからやってまいりますので、また皆様の相変わらずのご支援をよろしくお願いします。
どうもありがとうございました。(拍手) 

TITLE:蒼き星々 掲示板(サブボード)
DATE:2007/04/05 00:56
URL:http://8229.teacup.com/blueribbon/bbs

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2007年4月 1日 (日)

石高健次さん講演-(1)

2007年3月10日、大宮で行われた
日本再生フォーラム 第20回 記念講演会
拉致問題を通して日本のあり方を考える・第9弾

第1部 講演
演題:私は、こうして横田めぐみさん拉致を突き止めた!
~拉致事件を掘り起こしたジャーナリストが語る真実と今後の展開~

上記の講演内容を録音からテキストしましたのでご紹介します。
尚、このテキスト化に当たっては石高健次さんの了解を頂き、ご本人に確認していただき、校正していただいております。

拉致発掘の原点を語るもので、石高さんご本人により丁寧に校正されて、読みやすくなっています。
 
 この中で、石高さんは、原点での政治家の無責任、官僚の事なかれ主義が、拉致解決を阻んできたと語っています。そして日本には牙がない と。
 
 私たちが乗り越えなければならない壁を認識すること、日本が正当な牙を持つべきだ という論を世論全体が共有することが絶対に拉致解決には必要だと思いました。
 
 
 
  みなさん、こんにちは。(会場から こんにちは!の声) 再生フォーラム方に、去年(12月北朝鮮人権週間のとき 参照「映像とシンポジウムで語る北朝鮮」)に、埼玉、彩(さい)の里で幾つかのシンポジウムがありまして、取材にきました。その際の懇親会で、『一回講演で来ていただきたい』という話がでました。『3月だ』と。『だいぶ先の話だなー』とこっちは目先のことに追われる毎日なんで、先のことだなーと思っていたんですが、今年に入って、竹本さんから電話がかかってきました。その電話に非常に力が込められていまして、『これはもう、3月の今日の10日はいかなくてはいけないな』と思って参りました。石高です。どうぞ宜しくお願いします。(拍手)
 
  私は一(いち)ジャーナリスト、一記者ですので、いろんな日本の外交、政治のこと、専門家ではございません。ただ、マスコミの一端におりますので、社会に埋もれた事実を発掘して、不特定多数の人に、それを知ってもらう、そういうことで、もう、32年ほど記者をやってきました。今、拉致問題というのは、厚い壁にぶつかっています。横田めぐみさんの拉致を突き止めて、報道したのが、ちょうど、10年前です。10年経って、まだ先が見えないときに、原点に返ってもう一度考えてみるというのも、大切ではないかと思いまして、その原点で、動かせていただいた私の話が、何かの、みなさんの力づけなり役に立てばと、そういう気持ちで大宮に参りました。
 
  ジャーナリストというのは船でいうと、ウォッチといいますか、ブリッジの上にいて前方周囲を監視する。双眼鏡を用いたり肉眼で見たり道具を駆使して、船が進む前方に何があるかを、しっかり見る役割なんですね。船を操船するのは船長なり機関士がおります。いわば、船長が今は安倍総理で、私なんかは、右の方になにか氷山の固まりがあれば、タイタニックみたいにならんように、『右の方にあるぞ』と言ったり、左の方に、何か、狭い浅瀬があるようだったら、それを知らせる。船長は、うまく船を操って、ぶつからんようにするのが役割。 そんな仕事の中でいろんな偶然から、横田めぐみさん拉致というのを突き止めまして、世の中に知らせたわけです。
 
  それが船長=総理大臣はじめ政治家の知るところになったんですが、未だに先が見えない。めぐみちゃんが生きているのか死んでいるのか、北が死亡と言った8人の状況が全くわからない。向こうには、おそらく100人を超す拉致被害者がいるであろうと思います。彼らも含め、どう解決して良いのかということがわからない。 今日は、拉致問題の発端の最初の話。どうやって、めぐみさんの拉致が出てきたのか、その時の日本の政治、あるいは外務省、警察官僚たちはどうだったのか。その原点の話を、まずさせていただきます。その後、今の状況、これから一体、どうしたらこれは解決できるのかという、そういう内容で、私なりに話をさせていただきます。
 
  世の中が拉致というのをはっきりと認識するのは、2002年に小泉総理が平壌に行って、金正日がそれを認めて、謝ったあの時からだと思います。まず拉致された被害者本人5人が帰ってきて、日本の人は、ほとんどが『あ、拉致というものが本当にあったんだ』というふうに、気づいたのだと思うんです。 実は、私が拉致を頭の中で意識して、これがあるのかないのか。拉致というのは、いったい何のために行われるのかと。全くそういうことがわからない状態で始めたのが、94年なんです。
 
  97年、めぐみちゃんにたどり着くまでは、本当に、<孤立無援>と言いますか、全く誰も振り向かない状態で、取材をしておりました。その一番とっかかりが、91年。日曜朝の「サンデープロジェクト」が、89年に立ち上がって、その当時、特集コーナーのスタッフをしておりました。今は、担当ははずれておりまして、さっき紹介の時に、前に出した本に書いてあったからそういわれたのでしょうが、その点、訂正させていただきます。 まさに、正にこのサンプロがはじまった2年後の91年、最初の北朝鮮による核疑惑というのがおきたんですね。寧辺(よんびょん)というところで、フランスの偵察衛星が、核研究施設を撮って、それを解析をしたら、やっぱり核開発をやっているじゃないかと。
 
  91年にソウルに取材に行きました。何故かと言いますと、その当時、公(おおやけ)に表に出ていました、北朝鮮政府の一番の高官、高英煥(コヨンファン)という、アフリカのある国の書記官だった人が亡命してソウルにいたんです。当時は“脱北”という言葉もなかったと思います。亡命者という言い方をしていました。この人なら何か知っているだろうということで、インタビューに行きました。 これは笑い話のようなんですけれど、非常に極秘で進められているはずの北の核開発というのが、ある部分、秘密が漏れて、口コミで伝わっているという風なことを、彼は言うんですね。科学者たちはもちろん厳重な監視の下に、アパートに住まわせられている。
 
  しかし、家に帰ってご飯食べながら子供にしゃべる。子供がそれを学校でしゃべる。そういうのからどんどん広がっていって、『あ、あそこは、ああいう人が住んでいるんだ』と。そうして広まっていった。さらに、彼が外務官僚として知りうることを聞きました。こういう亡命者を保護管理しているのは、今の国情院、当時の国家安全企画部、いわゆる韓国の情報機関、CIAですね。 そういう人と打ち合わせでメシを喰ったりしたときに、担当者が、ふと、こういう事を漏らしたんですね。『大阪出身で、北朝鮮に渡って、そのあと、亡命して、今ソウルにいる一人の朝鮮人がいます。』 金秀幸(キムスヘン)という十代で、北朝鮮に渡って、仕事をした後に亡命して、今ソウルにいる。『それは一体どういう人なんですか』、と聞いたら、『いわゆる、北朝鮮帰国者の一人だ』と。91年の12月のことです。
 
  “帰国者”というのは、私も、うろ覚えながら、吉永小百合さんの映画、『キューポラのある街』、舞台の川口はここから近いんですよね。その中で北朝鮮に在日朝鮮人が帰って行くシーンがあった。駅で、みんなが万歳、万歳をして、当時“地上の楽園”と宣伝された、北朝鮮に帰って行く。ある家族が、帰るかどうか、迷っている、そういうシーンもあったように思いまして・・それくらいしか、帰国者についての知識はなかったんです。
 
  ここで視聴率調査をさせていただきます。 『キューポラのある街』を見たことある人、ちょっと手を挙げてください。あーやっぱり、四分の一五分の一ぐらいですね。だいたい今手を挙げた人は、50代半ば以上だと思います。(会場笑い) 帰国者という言葉を聞き、初めて北朝鮮の人権ということを意識した。この北朝鮮帰国者が、あとで調べて、9万3000人いる。その中には1831人の日本人妻がいる。日本人夫もいましたけれども。
 
  その帰国者の一人で亡命した金秀幸さんに会って話を聞いた。彼から出てきた言葉ですね。『北朝鮮を理想の地上の楽園と宣伝され、そういう夢を抱いて帰った。そのうち数千人が、行方不明になっている。とんでもない国だ。』と。
 
  その頃は、北朝鮮に関する情報が、あまりにも乏しかったために、どんな国だかわからない。うっすらと、なんとなく地上の楽園とか、みんなが共産主義とか言って、金日成とかいう人が指導しているこじんまりとした国なんだなというようなイメージしかありませんでした。正直言いまして。 10万人の帰国者というのは、100%新潟の港から出港していました。
 
  清津という北朝鮮の東海岸の北の方にある港についたわけですね。その着いた瞬間にこの人は、騙されたと。これはみんなそうだと思います。10万人全部そうだと思います。 当時は、日本いる彼等、在日朝鮮人から見たら、韓国の方が経済的には下の方で、北朝鮮というのは、日本の留学生に、あの当時1950年後半で、一億円、あるいは年によっては二億円というお金が奨学金として送られていた。
 
  今考えれば、当時のソ連、東欧の工業発展による援助によって潤っていただけなんですが。 金秀幸さんが言うには、船が着いて、デッキから下を見たら、ボロをまとった、顔色の悪い、痩せこけた人たちばっかりだった。背景を見たらくすんだ、その灰色の世界で、港の倉庫とか、そういうものが本当にみすぼらしい。これ、全く話が違うと彼は思った。もちろんその時、出迎えのおそらく数百人だったですけれど、北朝鮮の人たちも、騙されたと思ったようだと彼は言いました。
 
  というのは、資本主義の敵国であった日本で虐げられた朝鮮人が、我が金日成首相率いる朝鮮民主主義共和国にきてホッとしていると思ったところが、デッキに見えるみんなの顔色は良い、腕時計はしている、体格は良い、良い服は着ている。これは、どういうことなのか、こっちはこっちで騙されていたと。 そして、下に降りていったら、まぁ非常に奇妙な雰囲気があって、その後は、みなさんが、ご存じのように、とんでもない人権弾圧。文句を言えば銃殺刑にされると。
 
  そういうような国だったんですね。 このことを聞いて、本当なのか、日本へ帰って調べたら、ちょっと前に、正に帰国船を送り出した新潟の朝鮮総連の副委員長だった張明秀(チャン・ミョンス)さん、みなさんお聞きになったことがあると思います。この人の親も兄弟も帰っているんですけど、とんでもない国だと、本で書かれていました。『裏切られた楽土』。
 
  この人がホントに、私が考えますに、北朝鮮という国はとんでもないということを実証で、広く世に訴えた最初の人だと思います。この人の本がなければ、『楽園から消えた人人々』という私の番組はなかった。
 
  張明秀さんの所に飛んでいきまして、いろいろ事情を聞いた。これはとんでもない国だということがわかりました。 在日朝鮮人10万が北へ渡っている。当時の在日はだいたい60万ですから、6人に1人が北朝鮮に渡っているんですね。身内、同級生、近所の人、誰かいる。 それが、その後の、北朝鮮による南朝鮮革命のための対南工作の一環として、日本を中継基地としての工作員活動を容易にしていた。
 
  つまり、帰国者は北の人質だったとわけです。 そんな在日の人のところを回りました。みんな、喉元まで出かかっていたんですね。自分の弟が、従兄弟が、あるいは、親が、向こうで、行方不明になっている。収容所で拷問され殺されたとか行方がわからないとか。半分位は実名、顔を出してしゃべってもらった。あとの半分は、しゃべると、まだ元気な、他の身内までやられちゃう。だから顔は隠してくれといわれました。
 
  そうしてできたドキュメンタリーが、皆さんにお配りした資料に出ています。『人脈記』という朝日新聞の記事。92年、『楽園から消えた人々 ~北朝鮮帰国者の悲劇~』という、ドキュメンタリーをやりました。これはサンデープロジェクトの特集でまず、92年の2月にやった。それで30分の全国放送、5月には、1時間15分ぐらいで放送しました。 これで、もう私と北朝鮮との縁というのは、切れたと思っていた。
 
  すると94年の夏、番組で証言をしていただいたパクという在日朝鮮人女性から、電話がかかってきたんですね。『会いたい』と。番組では匿名で、背中からインタビューしていました。会った時に彼女が『私の北朝鮮にわたって銃殺されたお兄さんはね、あのときはいわなかったけれど、実は私が北朝鮮から潜入してきた大物スパイ辛光洙と同居していたことが元で、銃殺刑になったの』と言う。
 
  その時に、正直言って、この人、大丈夫かなーと思いました。何のことを言っているのかなと。スパイが潜入してきたとか。私のお兄さんは、北朝鮮にわたって、平壌放送の日本語のアナウンサーをして、それを東京でラジオで聞くのが本当に楽しみだった。彼女たちその時みんな、いわゆる総連系で、金日成を尊敬している。そのラジオのお兄さんの声が消えて、85年にお兄さんは、銃殺になっていました。それを知ったのは、5年後の90年。それも銃殺されて死んだと。向こうの帰国者を担当する局の課長から聞いた。
 
  お兄さんが銃殺になった本当の原因は、私が辛光洙というスパイと同棲していた。そこで生じた行き違いの結果として、平壌の兄が監視の対象にされた。その後、辛光洙が85年、逮捕されたとき、おそらく私と平壌の兄が、辛光洙を売ったんだろうと北の当局が理解したのでしょう。辛光洙という男と一緒におったことで、兄は楽園から消えてしまった。
 
  それに続いて出てきたのが、この辛光洙という人は、原敕晁さんという大阪のコックを拉致し、再び潜入して、その人のアパートに住み、引っ越しを繰り返し、住民票を取って、免許証、パスポートを取得した・・・そう言うんです。
 
  ここで、初めて「拉致」という言葉を聴いたのです。そのとき、何て言いますか、衝撃ではありますが、半信半疑でした。拉致なんて、いったい何のためにやるのか? スパイ小説スパイ映画でもそんな話聞いたことがない。ただ、嘘を言っても彼女のためになるわけではない。とにかくその日は別れて、調べてみたら、85年の6月の新聞に、ソウルの安企部発表で、言うとおりの事が割と大きめに載っていました。 
 
  『大物スパイ辛光洙逮捕・日本人の原敕晁さんを(名前も入ってます)拉致して、なりすます』 とそういう記事があったですね。
 
  彼女の話は、嘘じゃないと思うと、なんか大きな闇に首を突っ込んだような気がしました。ただ、当時の報道は記事を見る限り、一過性のもので終わっていました。 一体どういう事なのかと。全体像が見えないわけです。それでも、何をどうやって良いか解らないまま、闇雲に拉致ということを頭において取材を始めました。94年の夏ですね。おそらくこの時点で記者として拉致の取材をしていたのは、私一人だったと思います。
 
  取材に出向く私の気持ちというのはですね、当時は今以上に、南北朝鮮の対立が激しかったですから、北朝鮮を貶めるために、韓国が、わざとこういう話をでっち上げて、パクさんとかを私の前に出現させているのではないかと疑心暗鬼にとらわれたこともありました。 拉致は、今でこそみなさん周知の事実なんですけど、その当時はそうなんです。
 
  私がこういう事を言いますのは当時の政治家と官僚のの姿勢・態度がいかにいい加減だったかを知ってもらいたいからなんです。拉致被害者家族との付き合いが始まったのが94年の暮れです。
 
  神戸の有本明弘・嘉代子さん夫妻。 娘の恵子ちゃんが、平壌から手紙が来ていましたから。すでにいろいろ動いていらした。それで1月初めにご自宅に行きまして、色々事情を聞いて、これは「よど号」の連中に騙されて拉致されたと確信しました。
 
  ご両親は何とかしたいと、非常に思っていらっしゃるんだけれども、誰も相手にしてくれない。警察庁も、外務省も相手にしてくれない。マスコミに訴えても、誰も来てくれない。そういうところに神戸のご自宅に伺いまして、1月の17日に外務省に一緒に動いてくれと要請に行こうという約束をして、それがまぁ、あの阪神大震災で流れるんですけれど、3月になって一緒に行きました。
 
  その時の状況、出てきた相手が、北東アジア課の地域調整官といいまして、まぁずーーっと下っ端の役人なのです。その人が、どういったかというと。これがとんでもないんです。 有本さんは、すでに一部週刊誌には名前が出ているから実名を出して、娘を助けてくれと言ったのにたいして、その役人は、『実名を出して、安否の照会をすると、命に関わる。だから出来ません。あの国は何をやるかわからんから』 と言いました。
 
  つまり外務省としては何も出来ない、何もやりませんと。 その後、海岸から消えたカップルの家族のところへ行きました。家族の皆さんの当時の心境ですが、皆さん諦めかけておられたのは事実です。
 
  95年当時、蓮池さんや奥土さんは、取材拒否だった。電話をしまして、『どういう状況で消えたのか、親のその後の思いとかを聞かせて欲しい。世間に訴えたい、政治が動いて欲しいから、聞かしてくれ』と言いましたけれど、当時、お母さんのハツイさんが、体調を崩されていたこともあって、『取材に応じられません』と。その理由を聞いて愕然とした。
 
  愕然というのは、国に対してなんですけれど。蓮池秀量さんは『今更、薫のことを、どうのこうの訴えても、国が動いてくれるとは思えない。取り返せるとは思えない。そう考えること自体が辛いのです』と。自分も年をとってきたし、妻ハツイさんも体をこわされて、体がきつい。取材に応じることは、辛いこれまでを又思い出すことですから、その重圧に耐えられないという。
 
  私にたいして話すことで、辛くなるんですね。 それを聞いて、そのときは引き下がりましたが、逆に、家族をここまで苦しめている拉致をなんとかしなければと強く思いました。

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石高健次さん講演-(2)

原敕晁さん拉致から始めたこともあって、辛光洙の共犯だった金吉旭(キンキルウック) 金は去年4月に、去年の4月ですよ、ようやく拉致で国際手配されました。
95年月、彼が済州島にいました。

自宅を突き止め、前で張り込んで直撃インタビューしました。
最初、『誰にもわからないんだ。わからないんです』と言いながら逃げ回りました。
私は『原敕晁さんという一人の人の、生き死にが未だにわからないんだ。』とマイク片手に叫び続けた。正直、気持ちとしては、ふんづかまえて、首根っこつかまえてですね、殴りつけても、真相を喋らせたいという心境でした。しかし、それはできません。彼は辛光洙と一緒に捕まりはしたけれど、その後恩赦・減刑で出所し一般市民でしたから。

逃げ回るのを追いかけていると、10分もしなかった。金吉旭は突然路上にしゃがんで考え込んだ。と、泣き出したんですね。声を上げて大泣きしました。

そして、原さん拉致を全部認めた。
韓国では、国家保安法違反、スパイ容疑で捕まっているんですけど、韓国人であれ外国人であれ、誰かを誘拐して北朝鮮に連れて行った場合は、国家保安法の規定で立件しないとならない。ですから辛光洙と一緒に共謀して、原敕晁のどういう拉致をやるか話をしたとか。捜査資料とか、裁判の陳述書に詳細にでてきます。大阪市内の喫茶店の名前も出てきます。
その点について、『あなたが裁判で言ったことは、本当か? ホントにホントなのか?』ということを聞きました。
彼は、はっきり『そうです。その通りです』と静かに言って頭を下げた。最後に原さんのことを『本当に気の毒なことしました』と。

このときに、憎っくき拉致犯なんですけれど、私が思ったのは、ある意味で、彼もまた、被害者だったと。南朝鮮革命という幻想にとらわれたゆえに、利用され使い捨てられた兵隊の駒に過ぎないと。
あの大泣きは、彼の良心がそうさせたのだと思います。ずーっと心の中で気の毒なことをしたと思い続けてきたが故に大泣きをして認めたんだと。

このときです。私が拉致は本当にあるんだと確信したのは。

お手元の資料、『人脈記』(朝日新聞ニッポン『人・脈・記』安倍政権の空気②平成19年3月6日付)という記事に、95年に『闇の波濤から ~北朝鮮発・対南工作~』というドキュメンタリー番組のことが書かれています。今申しました一連の取材をまとめたものです。

全国ネットで95年の5月頃に放送しました。原さん、海岸のカップル、田口八重子さんら13人が拉致されているのは間違いないという報道です。
しかし、残念ながらまったく全く反響がなかったんです。他の社からの問い合わせもない。黙殺というのは、こういう事をいうんだろうと思います。
世間は、たぶん、『そんなことあるだろうか、なんだ、嘘だろう』と受け止めたのでしょう。日本人をい拉致していったいなにするんだと。番組では教育係にするとか成りすましとか言ったんですが、信じてもらえなかった。
この『闇の波濤から』というのは、最初に拉致を客観的に実証した報道だったんですけどね。
いいえ、ただひとつ反響がありました。
韓国のKBS=放送公社が、韓国語に翻訳したものをで放送したいといってきた。95年11月、日曜のゴールデンタイム、夜8時から、1時間20分ぐらいですかね、『闇の波濤から』を放送してくれました。1ヶ月経たないうちに、北朝鮮の、これは安企部の人から私は聞いたんですが、ラジオが、朝日放送名指しで『あれはでっちあげだ』とやっていた。
反響があったのは、北朝鮮だけという非常に寂しい結果でしたけれども。(会場笑い)

これで、すべては終わると思っていました。
ところが、また偶然があった。
この5月の『闇の波濤』を、朝日新聞の出版局の人が観ていたんです、東京で。私の所に電話ありまして、『あの話は、本当ですか?』というふうに聞かれました。
『本当ですか?』と聞かれて『嘘かもしれません』とは答えなかったですけど。(笑い)
『それでは記録として残したいし、やっぱり訴えていきたい』と。朝日新聞の出版局というのは、新聞とはまた違う物差しがあるんですね。アエラもそういうところがありますよね。
それで5月の放送は、終わったんですが、本を書くために、また取材を続けたんです。
それが、横田めぐみさん拉致発掘につながっていった。

95年6月、KBSの放送の前、ソウル、明洞の繁華街でした。
韓国情報機関の高官から、『子供が拉致されているようだ』ということを聞いたんです。
それは、当時13才、学校でバトミントンの練習をした帰り、双子の姉妹の妹、76年か77年と。

石高『え?子供もやられてるんですか?』
石高『名前は何というんですか』
高官『わからない』
石高『どこの話ですか』
高官『それもわからない』

この情報を韓国にもたらしたのは、これよりちょっと前に亡命していた北朝鮮の工作員です。その人は横田めぐみさんと話をして聞いたのでしょう。場所は平壌の病院。めぐみさんが心を病んで二度目の入院をしている時だった。秘密の病院にその工作員もケガをするとか、何らかの事情でいたのでしょう。
身の上話かなんかをして13才、バトミントン、双子の姉妹の妹、ということを聴き、後に亡命した。亡命者の情報を吟味するのが、情報機関の仕事なんですけど、『彼が言っていることは、間違いないと思う』と。ところが、どこの誰かを亡命工作員彼も聞かされていない。
彼女が(めぐみさんが)、その亡命工作員に語ったのは、『拉致され、一生懸命勉強して朝鮮語を5年以内にマスターしたら、親の元に返してやる』と言われた。だから、少女は一生懸命朝鮮語を勉強した。ところが、18才になったときに、『返して欲しい』といったけども、ダメだと言われた。何度も懇願したが許してくれなかった。それで心を病んで、病院にかかっていた。
そこで、後に亡命する工作員と身の上話をしたわけです。
なぜ名前を言わなかったんだというふうに不思議に思う方がいらっしゃると思います。
しかし、これと似た例があります。
金賢姫の口から出た拉致女性「李恩恵」。田口八重子さんと後にわかりますね。今お兄さんここにいらっしゃいますけれど、金賢姫と田口さんは日本人化教育のために1年8ヶ月ぐらい一緒に過ごした。しかし、田口さんは自分の名前は告げていないんです。
言うと、自分の身が危ないと。おそらく、そういうことがハッキリ分かっていたのでしょう。田口さんもめぐみさんも。

この情報をもたらした人は安明進とは違います。未だに表には出てきていない。韓国サイドに今まで何回も会わせてくれと言い続けてきましたが、未だに表に出さない。

その後、96年10月に朝日新聞から『金正日の拉致指令』という本を出しました。このときに、「少女拉致」の情報を書こうかどうか迷ったんです。結果的にはこの情報を書きませんでした。
何故かと言いますと、子供がやられている。13才、あまりにも荒唐無稽。95年の5月に『闇の波濤から』を放送したときに黙殺された。こういう事を書けば、13人がやられているという、他の拉致被害者のことも、また嘘だろうなんかいい加減な話だろうと思われのではと考え、この話は書かなかったんです。この時点では、横田めぐみさんという所にはたどり着いていません。

本の出版とともに広告が出ました。『現代コリア』という雑誌から、その本の紹介記事を書きませんかと声がかかりました。そのときまで、全く私は面識ないんですけど。
『現代コリア』の10月号に、『私が金正日の拉致指令を書いた理由』という記事を書いたんです。
10月号なんですが、何かの都合で遅れて11月の始めぐらいに出ました。

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石高健次さん講演-(3)

なぜ、私にその情報が入ったかと言いますと・・・。
実は、私にその情報を私に告げる以前、韓国安企部の高官は、日本の警察のある官僚に、『子供が拉致されてるらしいぞ』と通報していた。これは、公式通知ではなくて担当者が個人的に電話をして、日本の女性がやられているから調べたらどうですか。それが春のことなんですね。

その警察官僚は、オンラインで叩いてみたが出てこない。5年以上経った記録は、消えてしまうので、中央では。で、そんなの見つかりませんでしたという返事をしたんですね。これもまたそういう官僚の体質の話なんですけれど。

その後3月にオウムのサリン事件がおきるんですけれど。もう一度、韓国安企部の担当官は、連絡をいれて、『いや工作員のもたらした情報は間違ってないと思う。他のことも色々チェックしたが嘘はついてない。もう一回調べたらどうですか?』というのを、今度は放っておいた。

そんな状況のとき、拉致があるのかどうかとワーワー言ってる日本の記者が一人いたなというのをたぶん思い出されたんでしょう。
こちらから願い出て6月23日、明洞(ミョンドン)の居酒屋でこの安企部の人と会った際、「少女拉致」の話が出てきたのです。

話は96年に戻りますが、『現代コリア』に記事が出た直後、12月になって、新潟の「ニュー越路」という公務員宿舎で、佐藤勝巳さんが講演なさって、そのあとの親睦会で、まぁ、こういう記事がうちの現代コリアに載っているんですけどと言ったときに、『それは、横田めぐみだ』ということになったわけです。

それが私の所にも入って--この間に紆余曲折があるんですが--、名前がちゃんとわかったのが、97年の1月7日、報道される一ヶ月前です。

それで、1月の末に、兵本さんに横田滋さんは日銀の行員だったと私が言いまして、彼は議員秘書の威力でOB会名簿を出させ、電話番号を割り出した。それで、横田さんのお父さんと議員会館であって、そこに私が電話を入れました。
川崎のご自宅へ伺ったのが、1月23日だったです。まぁ、こうして、当時で20年近く空白があった、横田さん夫妻に『娘さんは、拉致されて平壌で生きている可能性がある』ということを伝えたわけです。

このときに、私は報道を控えました。理由は、横田さん宅にめぐみさんのいろんな写真がありましたから、その写真と、適当に少女ファッション雑誌からとった写真とをもって、この情報をもたらした工作員に、確認をしたかった。それをさんざん、韓国政府に要請しました。
でも、その亡命工作員は、まだ公表できないからダメだと言われて、それは、未だに会わせろと言い続けているんですけど。その確信をとるまでは、私は報道しないと決めたんですね。

それは、このときも、世間が信じて国が動いてくれればいいけど、95年の『闇の波濤』放送のときのように、中途半端におわれば、拉致の証拠であるめぐみさんやその情報をもたらした亡命工作員の家族が、抹殺されるかもしれない。そういうことを考えて、最低、写真で、この工作員に確証をとるまでは、それこそ報道を控えたわけです。しかし、現代コリアの筋とか、西村眞悟さんや、アエラ関係に話が漏れました。いずれの方とも、電話で話をして本当に国が動いてくれるんだったらいいけど、今の状態では、慎重にやってくれということを言いました。1月の30、31日ですね。

ところが、2月3日、これ月曜日だったんです。この日が発売日のアエラが、私が、こういういきさつでみつけたということ。それと産経が出て。その後、午後三時台だったか、西村眞悟さんが、衆議院予算委員会の総括質問で、私が書いた記事と現代コリアの記事と、新潟日報の女子中学生下校途中に行方不明というのを並べて質問された。衆議院の予算委員会総括質問というのは、NHKで生中継されるんですね。やると直前にわかっていましたから、昼のニュースから我々も報道していった。

こうして、横田めぐみさんが、拉致されているということが世に出たわけです。

その直前から、兵本さんと私と手分けして、有本のお母さんには、みなさんの電話番号教えて電話してもらい、被害者家族に会を作ろうと呼びかけを始めた。
被害者家族は、カップル男女の家族は別にして、互いに何のつながりもなく、孤立しておられた。
3月の25日、朝日放送東京支社のあった芝公園の近くの安い都営の会議室、アジュール竹芝にみなさんを集めて家族会を結成しました。
翌日に警察庁に誓願を出しまして、外務省にも行きました。このときに、マスコミ各社が報道してくれたこともあって、対応に出たのが、アジア局長です。今はアジア太平洋局ですけれど、加藤良三局長が対応しました。

その辺りから、政府の対応は変わってきました。
しかし、川崎の駅前で、横田さんたちが署名活動されるんだけど、まぁ、そうですね、半分以上の方は、素通りだった。
「なんだ、これは? 拉致? 何が起きているんだ?」「こどもさん、どうかしたの」って感じでちょっと聞きながら、通り過ぎて行かれる方が、多かったのを覚えています。

めぐみちゃん拉致を発掘報道されるまでの話を長く時間をとって、やらせていただきましたが、そういう所を通じて、ほんとに官僚たちの事なかれ主義、政治家の無責任さというのを私は痛感してきました。

もう一つ具体例をいいますと…。
宇志津事件というのがあります。石川県の能登半島で、久米裕さんという三鷹市役所のガードマンが密貿易で儲かると騙されて海岸に連れて行かれて拉致されるんですね。それを石川県警公安課が、李という実行犯を外国人登録法違反で捕まえる。彼の口からは、拉致のことが出てきたんですね。それで、現場の人たちは東京に海外移送目的の誘拐罪、つまり拉致で立件したいと願い出た。本人が誘い出して連れて行ったと自供しているわけですから。
東京の警察官僚は、『そんなことをすれば戦争になりかねない』っていって押し留めたらしいんです。要は、及び腰で、ビビって、折角の拉致犯逮捕を闇に葬った。結果、彼は外国人登録証を携帯していなかったとそれだけのことで、結局あれは、裁判にもならなかった。

裁判をすると、警察の方は警察の方で、いろんなことで集めた資料が公開されたら、その先情報がとれなくなる。そんな論理が中央に働いたようにも聞いています。
拉致で立件していれば、それで警察が動いていれば、二ヶ月後のめぐみちゃん拉致は防げたのかもしれない。
そういうことを考えますと、現場で頑張っている刑事はいられるんですね、それが中央に行くと、なんかこう、潰されちゃう。これが正に、官僚の事なかれ主義だと思います。

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石高健次さん講演-(4)

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それと政治家の無責任。
拉致問題に手を染めても票にならないと。利権に結びつかないですよね。北朝鮮と国交樹立すれば、利権に結びつく場合もあるでしょうけど。
そういうものに対して、政治家というのは、本当に動かなかったのです。

そういう意味では、拉致が出たときは、橋本龍太郎総理ですね。小渕さん森喜朗さんが後に続いた。
結局誰も、北朝鮮に認めさせるということが出来なくて。小泉さんのことも、色々批判もありますが、拉致の入口をこじ開けたという点では、やっぱりよくやったと僕は思います。
やり方が、もっと全体と関連させて、何故出来なかったんだろうかと口惜しいこともありますが。

そういう長いこと、政治家も動かない、官僚もやらなかった中で、北朝鮮にいる被害者はもちろんですが、家族の方も、本当に辛い思いをなさってきていて、横田さんであれ有本さんであれ、今現在も、我が子が生きているか死んでるのかわからない辛い毎日を送っておられる。
これの辛さは、もう、いなくなった日と、同じ気持ちなんですよね、めぐみちゃんでもう30年なりますけれども。有本さんで24年ですか・・・。
連絡が来なくなった、突然消えた、そういう心が引き裂かれるような痛みを、20年、30年ずっと持ち続けておられるのが、被害者家族の方たちなんです。

これはもう、ほんとうに、早紀江さんが最近、記者会見で『こんな状態で、普通の親であれば、半狂乱になりますよ』とおっしゃっていましたが、本当に辛い、生殺しの状態が続いている。

それとまぁ、最後の方になりましたが、なんていうんですかね、最近の安倍さんに対する期待は、すごく大きいですし、安倍さん自身、一生懸命何とかしようという気持ちでやってらっしゃるのは、ありがたい。
ただ、最近ちょっと、えー?っと思うことがありました。
拉致の家族の方達と一緒に頑張ってくれとやるのは良いんですけど、この前、めぐみちゃんが帰ってきて欲しいということで、有名な歌手、PPMのポールストゥーキーさん、私も10代で彼が大阪に公演にきたときに見に行ったことがあるんですけど。彼が歌を作って、それを官邸で、安倍さんとかが一緒に聴かれた。
僕はそれを聞いて、非常に複雑な気持ちになった。そういうことやっている場合ですかと。

家族の人たちは、僕らもしょっちゅう会食したり私自身も有志を集めて、元気づけとカンパ集めのためにチャリティーコンサートをやったりします。外国からも、有名な音楽家が協力してくれて最後に皆で『ふるさと』を歌ったりしますけれど、総理大臣が、官邸で、一緒になって、コンサート聴いていて良いものかと。
もっとやることあるだろうと。ちょっと、なんか、「えっ?」とおもいましたね。

それと昨日のお昼、共同通信が流したんですけど、政府が1億500万円の広告費を出して、政府は拉致問題解決のために頑張りますと、そういうキャンペーン、公報をテレビを使ってコマーシャル流すという。1億500万ですよ。
「え?どうなってるんや」と。
現にこうやって皆さん今日も熱心に聞いていただいて、テレビや新聞で、拉致はとんでもないことであり、国はなんとかせにゃいかん、政府がなんとかせにゃいかんと、国民はわかってるわけですよね。
わかっているのに、なんでそんな、わからせるための広告が必要なのか?

1億円があれば、いろんな情報、拉致解決につながる情報を集めて欲しい。どれだけの人間がやられているのか?あるいは、今、中朝の国境地帯で警備がゆるんでいるうえ、国内も身分証で自由に移動できるくらいになっていますから、被害者を脱北させて救出させられるかもしれない。そのために1億500万円を使う。
それなら、私はわかります。
でも、政府がここまで頑張ってやっています、拉致について我々は絶対に諦めない、やりますからというメッセージのコマーシャルを流す。これ、一億500万。これ、みなさん、どう思いますか?一億500万、僕は、ちょっと違うんじゃないかと思います。

そんなことを思っていて、ふと昔の、ある光景を思い出しました。
97年、横田さんのことが出て、2月7日に、横田さん夫妻が、院内、つまり国会の中の、新進党、衆参両院議員総会に行かれて、訴えられたんですね。『自分たちは、一民間人なんだと。国交もない国に行って、探したり連れてくることはできないので、政治家の皆さんの力をお借りするしかありません』と頭を下げて、頼まれた。
と、そのときに、議員席から女性のちょっと高い声で、『がんばってねーーー』と言う声が聞こえたんです。横田さんに対してですよ。
これ、政治家ですよ。このことを今思いだした。何と無責任なんだ。
頑張るのは、あんたたちだろう。横田さんは、心配で家でずっと耐えてきた。『もう、あとは私たち政治家がやりますから、じっと体を休めてください』というのが筋じゃないか。
頑張るのは、君たち政治家だろうと。
そのとき、本当に何とも言えない怒りみたいなものを覚えたんですね。
そのことを、なんか、最近思い出しました。

それと、最後にこういう拉致が、何故、未だに、表に出てから10年たっても解決できないのかということを考えたときに、私が思うのは、日本という国には、やっぱり、なんていうか、牙がないんですね。
牙というのは、例えば人は、何か理不尽なことをされたときに、何をするのか!と。言葉だけでだめだったら、ときには殴ったりするでしょう。
国と国では、話し合いだけなく軍隊を派遣するぞという。そういうことが、日本の場合、歴史の流れに於いて、悲しいかな、ある意味と必然的にそうなったと私は思うんですが、牙をむけない国になっている。

アメリカだったら、イランのアメリカ大使館に、職員等が監禁されて、ヘリコプターが救出に行って、
これは、砂嵐で失敗しましたが、最終的には、取り返した。
たとえば、拉致があったら、アメリカなら、空母を東シナ海の北朝鮮沖に浮かべて、話し合いでまず解決しようとするでしょう。被害者を出さなければ、攻撃すると。その前には、経済制裁、勿論どんどんどんどんやっているでしょうけど。
そういう意味での、牙と言いますか、爪というか、そういうものが、やっぱり日本にはない。
やっぱり、アジアを植民地支配した後に戦争に負けて、戦後は平和憲法というのが出来て、結局、なんか言うだけで、靖国神社うんぬんと言うだけで、周りの国は、ワーッと言う。それに対して、胸を張って、日本のやる安全保障の道といいますか、そういうことを堂々と言い返せないできた。安倍さんになって少し変わりつつあるようですが。
結局、なんですかね、その、言われっぱなし、やられっぱなし、足下をみられている。北朝鮮なんか、いくらなめてかかっても、日本は攻めてこないと、わかっているんでしょうね。アメリカはそうじゃない。その違いが、拉致というものの解決を阻んでいる構造だと思います。
で、それはどこから来たかと言いますと、繰り返しますが、植民地支配をした結果、連合国軍に負けて、そのあと、正に武装解除をされて、牙を抜かれて、そして平和憲法といわれる憲法ができて・・・。一方で、アメリカが護ってくれているのを尻目に経済発展をしてきた。ふっとみたら、国防とかそういうことは、全然自分たちの力でやってこなかったんです。

これは、我々マスコミも自戒を込めて、自分たちもやっぱり力がなかったと反省しておりますけど、国防論議ということすら、日本のメディアというのは、長年タブー視してきた。
国家安全保障、国防というのは、正に拉致被害者とか名もない何の罪もない一人一人の国民を守るということなんですよ。
これはみなさんどんな人でも、家族を護りたいとか故郷の同級生、友達を護りたい。いなくなったら、何とかしなければいけない。そういうことの集合なんですね、国家安全保障というのは。そういうことの集合だと思います。そのために何をしたらいいのか、真正面から、やっぱり、考えていかなければいけない。
戦後、おざなりにしてきたメディアの責任も大きいです。

そういうことが、今拉致が、全然出口がみえてこない背景にあると思います。

拉致解決について、アメリカに頼るというのも、考えてみれば、情けないことなんですよね。横田さんが、副大統領にあったり、ブッシュにあったり、アメリカの政治家にあって頼むというのは、追い詰められてそうせざるを得ないんですけど、それを第三の独立国家が見たら、やっぱり、心の底では、「日本という国は、自分の国民が奪われて、なんで被害者までがアメリカに頭を下げなければならないのか・・」と。それ自体で、またなめられるという気がします。

ですから、イラクへの派兵で自衛隊はサマワに行きましたけれど、考えてみたら、それより、二十年ぐらい前ですかね、カンボジアのアンタック、PKOとかで派遣するときに海外派兵は憲法違反だとかものすごかった。それが、だんだん、国民的な合意も出来てきて、イラクに軽いにせよ軍隊の装備を持って出て行った。
これは、北朝鮮からすれば、牙のない自衛隊がよく出て行ったものだ、と少しはプレッシャーになったのではないかと思います。
だんだん、まともに安全保障を見つめていこうという意識は高くなってきているんだけれど、同時並行で、国民の、国や自分の家族を護る意識みたいな、そういう個人個人の内面からの意識も沸き起こってこないとだめです。
いくら物だけ、兵器や道具、ミサイルだけ、そろったって…。

今日はこういう話の機会を与えていただいて、本当にありがたいと思っています。それは、みなさんが、やっぱり、正に、めぐみちゃんとか、田口さんとか、有本さんとか、そういう人がどうなってるんだ、どうしたら解決するんだという意識で来られているからです。
正にそういう意識があることが国を護っていく、そういうことを繰り返させない、あるいは、解決する。そういう流れになっていくと思いますので、これからも、ずっと関心を持ち続けてやって欲しいと思います。
今日はどうもありがとうございました。

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