被害者家族の訴え
日本再生フォーラム 第20回記念講演会
拉致問題を通して日本のあり方を考える・第9弾
07.3.10 大宮JACKビルにて
『被害者家族の訴え』
★飯塚進さん(田口八重子さんの次兄)
皆さん、こんにちは。
八重子が生まれ育ちました川口の「拉致問題を考える川口の会」について、お話をさせていただきます。
現在川口市には1名の拉致被害者と6名の特定失踪者がいます。
拉致問題を一刻も早く解決するために、平成16年4月に藤田進さんの弟の藤田隆司さんが中心になって拉致被害者家族・特定失踪者家族も趣旨に賛同するボランティアからなる「拉致問題を考える川口の会」を立ち上げました。
当初藤田隆司さんは署名活動、集会での訴え、テレビに出演等精力的に頑張っていましたが、体調を崩し現在は活動を休んでいます。
会の活動内容は、毎月第一日曜川口駅前での署名活動、チラシ配り、救う会埼玉との合同署名活動、集会への参加、家族の訴え等の活動をしております。
また川口市は岡村市長がとても協力的で、市民へ拉致問題への関心を高めるために福祉課が窓口となり、23万6千人の署名を政府へ提出いたしました。
HPへの掲載、市役所外壁に横断幕等の設置、駅前大型スクリーンに7人の顔写真の放映、市役所ロビーでの写真展など、積極的に拉致問題に取り組んでくださっています。
「拉致問題を考える川口の会」これからも頑張って活動を続けてまいりますので、どうぞ皆さんよろしくお願いします。(拍手)
井上克美さんからお話します。
失踪年月日は昭和46年12月29日でございます。
失踪状況は、当日会社の忘年会の後川口市内の飲食店で飲み、午前10時から1時ごろまで寿司屋で食事をして友人と別れた。
当時は泥酔状態、夜帰宅しなかったので翌日妻から実家に電話があり、両親も知った。
妻の話では、「正月は家に行く」と言っていたので実家に帰っているのだろうと思い電話をかけると、運転免許証の更新もなし連絡も一切なし、長男が生まれる直前だった。
失踪当時は21歳で現在55歳になっておられます。
次は鈴木賢さんです。
失踪年月日は昭和47年5月28日。
失踪状況、会社のレクリエーションに行くため朝6時に家を出て以来行方不明。
レクリエーションには行っていない。
職場、大学時代、友人も心当たりは無しと言うことです。
23歳で失踪、現在は58歳でございます。
次は藤田進さんです。
失踪年月日、昭和51年2月7日。
失踪状況、失踪当日「新宿のガードマンのバイトに行く」といって服を持って家を出たまま帰らず。
新宿にあるすべての警備会社に電話で問い合わせたが、該当者はいなかった。
脱北者が北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田進さんである事が極めて高い事が判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状を提出。
19歳で失踪、現在50歳でございます。
新木章さんです
失踪年月日、昭和52年5月21日。
失踪状況、買い物に午後6時か7時には帰ると川口市の自宅に電話を入れたまま失踪。
家を出た時は財布しかもっていない。
免許証・クレジットカードも入っていたが更新がなされていない。
カードは使っていない。
平成16年1月29日、埼玉県警に告発状を提出。
29歳で失踪、現在59歳であります。
次、佐々木悦子さん。
失踪年月日、平成3年4月22日。
失踪状況、仕事へ行くといって埼玉県浦和市の家を出たまま失踪。
当日は休みを取っていた。
平成16年1月29日、埼玉県警に告発状を提出。
27歳で失踪、現在43歳であります。
次、石井久宏さんですね。
失踪年月日、昭和49年5月1日か2日。
失踪状況、化粧品店を経営しており多額の借金を抱えてしまっていた。
父親などが金を用意して経営を立て直す方向で話を進め、母親も店の経営を手伝っていた。
本人の努力次第で十分解決方法のある状態であったが、突然100万円以上の経営資金を持ったまま、自家用車ごと行方不明となった。
当時遊びが派手になっており、マージャンやバーなどでの複数の朝鮮系と思われる人といる所をいとこが目撃している。
店の隣もパチンコ屋だった。
29歳で失踪、現在62歳であります。
以上の方々が、拉致被害者・特定失踪者の川口の方々でございます。
どうもありがとうございました。(拍手)
★高野美幸さん(特定失踪者・高野清文さんの妹)
いつもお世話になっております。
東京の調布、電気通信大学という大学2年生でいた時に、大学寮の寮生と一緒に伊豆七島の神津島に行っていなくなりました高野清文の妹で高野美幸と申します。
私の兄、いなくなってから30年が経過しました。
二十歳になる直前に行方不明になっていますので、丁度去年で50歳になりました。
いつも私チラシの方を入れているんですが、ちょっと今日部数を持って来なかったので、もし私がいつもお配りしている「神津島でいなくなった兄」というチラシをご覧になったことが無い方がいらっしゃいましたら、後ろで配布くらいは持ってきておりますので、見て行っていただければと思います。
丁度先ほど石高さんのお話の中で97年の5月のめぐみさんの事を報道されたという事がありました。
私は90年に東京の方へ上京したんですけども、たまに田舎に帰るときに私の母は、「うちのお兄ちゃんもめぐみちゃんと一緒なんじゃないか?」と言い出したのが、確かその頃だったのではないか?と今考えると思いますので、母がその番組を拝見させていただいたのでは無いかと思います。
その時にですね。
「ウルトラ・ダラー」の本でも出ていたら、うちのお兄ちゃんも今頃は拉致認定を貰っていたんじゃないかな?と思ったりもする次第です。
太平洋側に工作船が来るなんてことは、その当時は当然考えられないことだったと思います。
それから私の兄は東京電気通信大学と言うところに通学していました。
兄がいなくなった後に、久米(裕)さんが宇出津の事件で拉致をされたという事で、久米さんの話は私も・・・(聞き取れず)ですが、当時の話を先ほど聞いたときに、北朝鮮との対立を避けるために数名の犠牲を出してもいいと言う考え方が、この国のどこかにあったという事がとても悔しくてなりませんでした。
そして今日私は、調査会の広報委員のような形で来てしまっているんですけども、今度第8版で特定失踪者のポスターが新しくなりました。
後ろに一部100円で販売させていただいておりますので、改めて拝見していっていただければと思います。
また私の兄、東京都にいる時に伊豆七島神津島からいなくなりました。
今回石原知事が話を出していただきまして、東京へ帰れというコンセプトの下に、東京から失踪された特定失踪者のポスターの方を作っていただきました。
こちらの方を私、勝手にインターネットに乗っているものをA3サイズで印刷したんですが、本当のものはもっと大きいサイズで出ているという事です。
これももし今東京の方に仕事があるとか行きつけの飲み屋があるとか言う方で、貼り出してもいいよと言う方がいらっしゃったら是非お願いしたいと思いまして、30部ほど印刷をして参りましたので、必要な方はお声をかけていただければと思います。
また、調査会の方で短波放送「しおかぜ」に政府の方から支援があるのでは無いか?と言うお話があったんですが、先の6カ国協議の結果に対してですね。
抗議をするという形でその支援をお断りするような形を取ったという事でございます。
丁度CMの方が1億500万という事で、なぜこの500万半端?って思ったんですけど、「しおかぜ」の支援がこっちに来たんじゃないかな?と思ったんですけど、憶測をしてしまうんですけども。
そういったことで、あと他にも今調査会でもバルーンプロジェクトという事で、北朝鮮の国境近く韓国側の方から平壌に向けて風船に、メッセージであるとか拉致被害者の情報を提供してくれたら奨励金を出すよというようなメッセージを書いたものを送ると。
それもビニールコーティングされていて、文章の下に金親子の肖像画とかが印刷されているので破くことが出来ないようにしているといった手を使っているようなんですけども、そういったことにもお金はかかってくると思うんですが、そういったことで支援を断わった手前、中々手を広げられないのかな?という心配もしながら、今日も「しおかぜ」のグッズと調査会の方の署名用紙と、あとカンパの方もご協力いただければと思って持っておりますので、後ろの方で帰り際で構いませんので、ご協力の方していただければと思います。
どうかよろしくお願いします。(拍手)
・・・講演会終了・・・
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