アメリカはどう動くか
07.5.30 友愛会館にて
西岡力 救う会副会長のお話
アメリカはどう動くか?という事で今日は集会をやったんですけども、今はこの2月からこの最近の動きについて、増元さんと島田さんが訪米されたときの印象を中心にお話になったんですけども。
私はそれを考えるための基礎材料として家族会・救う会の運動がアメリカをどう動かそうとしてきたのか?という、少しこの7~8年の我々が考えてきた事を申し上げたいと思います。
そしてその結論としてはですね。
我々はかなり当初思ってきたとおりアメリカを、口幅ったい言い方になってしまいますけど動かすことが出来て来たというか、我々の想定していたところにアメリカは動いていて、今は拉致問題の解決という事をたとえば相撲に例えたらですね。
追い込まれているんじゃなくて追い込んでいて、相手側の土俵で押し出しすることが出来るかどうか?と言う、相手側の陣営に入って力比べをしているという状態だというふうに思ってみています。
家族会・救う会の運動がアメリカに目を向けたのはですね。
実は2000年頃なんですね。
あの頃は我々は大変追い込まれていまして、ご承知の方が多いと思いますが増元さんが森総理に土下座をしたときですね。
南北首脳会談があって、そして森総理が金正日と会うのではないか?という、かなり確実な情報があって実際後で会う計画があったという事が発覚したんですが、拉致問題が進展しないのに日朝国交正常化を進めるのではないか?と。
そしたらば日本政府は拉致問題について決定的な証拠を持っていない。
あるいは被害者を救う意思が絶対にないという間違った判断を北朝鮮政権がすれば、向こうにいる人たちに危害を加えるという最悪の状況も起こり得るかもしれない。
人質を帰さなくてお金が来るんだったら証拠をなくした方が良い。
いうふうに判断するのではないか?と思ってですね。
大変な不安があって、増元さんが「このままでは姉さんが殺されてしまいます」と言って土下座をした年なんですね。
その年実はアメリカのクリントン政権が休息に北朝鮮に接近するわけですね。
テロ国家指定解除の問題はその時起きるわけです。
クリントン政権は解除直前まで行った。
今ライスさんが訪朝するとかヒルが訪朝するとか出ていますけど、2000年にアメリカのオルブライト国務長官が訪朝して、マスゲームを金正日と一緒に見て金正日と乾杯をして帰ってくるわけですね。
そして趙明禄という国防委員会の副委員長、北の軍人がワシントンに来てですね。
アメリカで交渉すると。
二国間交渉をしないかいう話ではなくて、二国間の政府の高いクラスの交渉が行われていて、クリントン大統領の訪朝が真面目に検討されていたんです。
そして日本では河野外務大臣が「私に任せなさい」といって10万トンと50万トン、2回に分けて合計60万トンのコメ支援をしたわけですね。
拉致問題は何の進展もないのに人道支援と言う名目でWFPが要求する量よりも多く支援が行われると。
我々は座り込みを行いましたけど、支援は変わらないと。
アメリカも米朝国交正常化に進む勢いだったと。
今から考えますとですね。
我々もなんですけど、2000年の11月だったと思いますが、米朝反テロ宣言という(アメリカの)国務省と北朝鮮の国防委員会と が交渉する中で両国政府がですね。
テロに共に戦うという宣言を出したんです。
北朝鮮とアメリカは過去も現在も未来もテロも反対だと、今後もテロに対して一緒に戦うという宣言を出した。
それは何のために出したか?と言うと、アメリカのテロ国家指定をアメリカが解除したかったからです。
その為に議会を説得しなければならなかった。
議会を説得する論理として大韓機爆破事件以降北朝鮮はテロをしていないと。
そして今後もテロをしないといっているという理論を唱えたんです。
だから北朝鮮と一緒にテロ反対宣言を出せば、今後も北朝鮮はテロをしないという証文にそれを使えると。
北朝鮮は過去もやっていないという証文にアメリカはサインをしてしまったんですね。
テロ国家指定をしておきながら過去にも北朝鮮はテロに反対したと書いてある宣言に、アメリカはサインをしたわけです。
そして残るはよど号の犯人。
つまりテロリストを匿っているというのだけが残るんだと。
そのテロリストの日本人のハイジャッカーたちを国外に出すという情報のリークがあって、確か朝日新聞がそういう事は起こりうると書いたんですね。
で、実際そういう事も検討されていたようです。
そして韓国政府はですね。
アメリカに対して韓国をターゲットにしたいろいろなテロは、民族内部の問題だから理由から排除してくれと言ってきた。
大韓機爆破事件もラングーン事件も、あるいは韓国人拉致も排除してくれと言う状況で、真面目に解除が検討されてたんです。
そのときにですね。
アメリカの議会調査局が北朝鮮をテロ指定国家から解除すべきか?と言う報告書を出すんです。
それを読みまして本当にここまで来ているんだと、思ったんですがそこでですね。
実は議会調査局でその報告書を書いたのはニクシュさんと言う人なんですが、その人のところには数年前、多分99年だと思いますけども、荒木、当時の救う会事務局長が家族の人は行かないで、自分の大学の研究費からお金を工面して訪米しましてですね。
資料を英語に翻訳して、当時はもちろん議員なんかに会えませんし、日本の大使館の人ももちろんアポイントも何もしてくれませんでして、それでも何人かの人、特に小さな席だから申し上げますけど産経新聞の小森特派員などには最初からお世話になってですね。
この資料をニクシュさんに渡す事が出来たんです。
そのとき2000年にニクシュが書いた、解除すべきかどうかのテーマの中に日本人拉致が出て来ているんです。
よど号のグループが外に出た場合にそれで解決できるのか?と。
反テロ宣言が出たと、後は日本人拉致をどう解釈するかが問題だと。
その経過の中に先ほど言った韓国政府は、韓国人被害の分は理由からはずしてくれと言ってきている。
だから韓国人拉致は問題にならないと書いてある。
しかし日本人拉致は大韓機爆破事件よりももっと前の、当時でいっても20数年前に起きている。
その後確認されていない。
だとすると毎年毎年テロ報告書を出す時に、この一年やってないということになれば解除してもいいんじゃないか?と言う論理も成り立つんです。
ただし、拉致が現在進行形だと見て被害者が帰ってきていないのだとすれば、テロは終ってないという見方も有り得ると。
アメリカの駐イラン大使館が占拠されて外交官が人質になってきたときに、イランをテロ国家に指定する問題では外交官が人質から解放されるまではテロ国家指定を続けたと。
襲撃だけをテロだとは言わなかったと。
その見方を適用すれば、日本人拉致はまだ終っていないという論理だから解除できないとなる。
と言う議会調査局の報告書が出たわけです。
どうなることかと見ていたわけですが、ブッシュ大統領が当選したんですね。
もしもゴア大統領が当選していたらですね。
ブッシュ大統領が任期までに訪朝しているかゴア大統領が訪朝してですね。
韓国の大統領も金正日に会う、アメリカの大統領が会う。
日本だけが拉致問題を言ってお金を出さないといっても、当時の河野外務大臣であり、森政権も自分がバスに乗り遅れないといって会おうとしているわけですから。
完全に家族会・救う会は孤立して、どこかでハンガーストライキなどやってですね。
誰かが病院に担ぎ込まれることになっても事態はどんどん進んでいるという、こちら側の土俵に足が引っかかって拉致問題が棚上げになりそうになったんですね。
絶望的だったんです。
我々は世論を盛り上げることしか出来ませんけども、国内の世論だけではなくて、アメリカ政府がそういう方向に行かないとしないと日本の世論だけでは持ちこたえられないと思ったんです。
ところがブッシュ大統領が当選した。
ブッシュ政権は北朝鮮政策を決めていないけれどクリントンのやり方を批判する事は間違いない。
そこでブッシュ政権に拉致はテロだと、現在進行形のテロだという事を家族と一緒に行って訴えようと言うことで、最初の訪米を2001年の2月にしたわけです。
その時は蓮池さんのお父さん・お母さん、地村さんのお父さん、浜本雄幸さんとか有本さん。
横田さんたちが一番若い親だったんですけど、それでも高齢の方を十何時間飛行機に乗せるのに、エコノミークラスしかお金がなくて買えなくてですね。
荒木さんといろいろ計算したんですけど、どうしても出ないんですね。
ビジネスクラスにすると財政がもたないので、この人たち倒れたらどうしようか?と思いながら飛行機に乗った事を覚えていますけど、でもやっぱり行かなきゃ駄目だと言って、現在進行形のテロだという事をアメリカに行って訴えると。
アメリカが向こう側につかないようにする。
それを考えたんです。
愚痴を言ってもしょうがないんですけど、このとき外務省からアドバイスをしてもらったり誰もアドバイスを受けないで、我々が無い頭で考えたんです。
民間で考えたんです。
民間で計画して国民のカンパだけで行ったんです。
それでその時はですね。
筆頭公使がうちに招いたので、自分たちでそこまで行ってですね。
でも若干のアレンジはしてくれましてですね。
会ってくれる人は、国会議員でも会えるのは側近補佐官と、それから専門家の人たち。
ニクシュさんなんかにも会ってもらって、国務省に行ってあってもらえたのは次官補代理。
あれは今で言うとヒルの下、に会って貰いました。
たまたまライスさんが当時補佐官だったんですけど、議員会館である会議の事務所の補佐官に会いに行った時の帰りか何かにライスさんとすれ違って、資料をばっと渡して「これが拉致の資料ですから」と渡素事は出来たんですけど、あと何でもなかったという事だったんですが、でもそこでですね。
ずっと我々は拉致はテロだと、テロは社会の敵だと、アメリカ一緒に戦うべきだと。
だからテロ指定国家から外すべきじゃないと、拉致は現在進行形のテロなんだという事を、そこで強く言ったわけなんですね。
その後、拉致はテロだという事を国内でもスローガンに使ったわけなんですね。
それはアメリカに、同盟国に対して直接内容立てるは良くないんですが、率直に言っていかないと目立たないというか、一緒に戦ってもらう論理としてね。
拉致はテロだという事を言ったわけです。
しかし次官補代理も皆様方には同情するとかですね。
今すぐ北朝鮮をテロ支援国リストから解除する予定は無いとか言ってくれたんですけど、拉致が理由だとは絶対言わなかったですね。
それは拉致だといわかったのを我々には説明しないで、解除しないと言ったという事だけ記者会見で言うんですが、理由だという事は向こうも外交官ですから絶対に言わなかったです、自分たちの手を縛る事は嫌ですから北朝鮮との交渉で、日本のことで手を縛られたくないと、国務省の本音としてずっとあったんです。
それを分かっていてもこちらとしては、アメリカまでもが金正日政権に付いたら日本は完全に孤立して持ちこたえられない。
棚上げにされてしまうと。
それを防ぐために、北朝鮮がアメリカに働きかけをしているんなら、こちらも働きかけをしなくちゃならない。
いう事でアメリカと言う陣地を北朝鮮側に取られないためには、その取っ掛かり、つまりてこにはアメリカのテロ国家指定制度で、その理由に日本人拉致を明確に書き込ます事ができれば、北朝鮮は日本人拉致が解決するまではテロ国家から解除されない。
解除されなければアメリカからの援助はもちろんのこと、国際金融機関からの融資ももらえない。
いうことになる。
実は国際金融機関からの融資というのも2000年に大きく動こうとしたわけですね。
アメリカがテロ国家指定を解除しようとしたのは、金大中政権からの・・・(聞き取れず)もあったんです。
金大中政権は南北首脳会談の前に大規模な経済協力をすると北朝鮮に言ったんです。
ところがお金が無いわけです。
森総理に電話してきて、金正日は話のわかる男だから会ってくれと言ったりしたわけですけども、日本からのODAも当然計算に入っていたでしょうけども、考えていたわけです。
アジア開発銀行に2000年、北朝鮮は加盟申請を出すんです。
テロ国家指定がされたままだとアメリカは理事会で反対するんです。
アメリカの国内法で反対しなければならないと書いてありますから。
クリントン政権はそれを外そうとしたわけです。
そうすると日本のODAが行かなくてもですね。
国交正常化で日本からお金が行かなくても、日本が投資しているアジア開発銀行からお金が行ってしまえば、北朝鮮は日本と交渉を急ぐ理由は無くなるってしまうわけですね。
拉致問題の解決が遠のくだろうという事を考えて何とかしなくてはいけないと思って、拉致はテロだというスローガンを出したわけなんです。
そしたら9.11のテロが後で起きたんです。
アメリカはテロとの戦争を宣言して、テロは世界の敵だと、国際社会も一緒に戦えと言ったんです。
我々は頭を下げて助けてくれなんて一度もそんなことアメリカに言っていないです。
一度もアメリカに対してそんな事を言った事はない。
テロと言うのは民主社会の敵ですからアメリカも一緒に戦うべきことで、その事を堂々と主張しただけで、その為の方法は圧力をかけること。
解決しなければ、相手が苦しくなるようにして欲しいとその一点を言って来たんです。
解決できないのに彼らが楽にいろいろなものを手に入れる状況が出来たら、彼らは絶対に真面目な交渉にならない。
解決をしなければどんどんどんどん苦しくなるという状況を作って後、初めて真剣な交渉になる。
それは金正日政権になるのかポスト金正日政権になるかわかりませんが、それなりの交渉が始まる。
そういう国際情勢を作らなければならない。
その為にアメリカを絶対向こう側に付けてはならない。
ブッシュ大統領が9・11の後、アフガニスタンでの戦争が始まり、そしてその次2002年の1月に有名な悪の枢軸演説をするわけです。
北朝鮮を・・・(聞き取れず)に悪魔だと言ったわけですね。
それはテロとの戦争の目標に、彼らから大量破壊兵器を取り上げるという事をしたわけですね。
そこでその後の小泉訪朝につながるドラマが始まるわけですけども、実はその前の2000年には全然別の、北朝鮮が押し込んでいて、我々は本当に負ける寸前まで行っていたという状況があったわけです。
2002年と2000年とたった2年しか違わないんですが。
しかし同時多発テロというのはこちらから言えば追い風が吹いた所もあってですね。
金正日政権に対するブッシュ政権の姿勢が非常に厳しくなって、クリントンとは違うことになって、いくらヒルでもですね。
今、金正日と一緒に反テロ宣言を出すということは・・・(聞き取れず)という事になって、今の国務省では出来ないことです。
当時は、2000年は出来たんですね。
2002年の1月には大統領が悪の枢軸だと言った国と、2000年にはアメリカは反テロ宣言を出したんです。
我々はその後2003年にテロとの戦争が始まって小泉訪朝があるのに、2度目の訪米をしたわけです。
その時の目標も実はアメリカの政府及び議会に拉致はテロだと認めさせると。
アメリカが今戦争をして戦っているテロの一つが拉致なんだと。
世界に対してテロと戦争しようと呼びかけているアメリカがターゲットとしているテロの一つが日本人拉致であるはずだと。
日本がアフガニスタンの戦争、イラクの戦争で自衛隊を出しているのも、第一義的には民主主義国家としてテロと戦うという姿勢を示すためで、アメリカも日本人が被害にあっているテロと戦うべきだと。
そういう論理になったわけです。
そしたらアーミテージ副長官が「イエス、その通りだ」と、「拉致は憎むべきテロだ」と。
アーミテージ長官はテロ支援国家じゃなくて、テロリスト国家だと言ったんですね、アメリカに行った時。
北朝鮮をテロリスト国家だと指定している理由は、もちろん拉致被害者の悲劇的な運命も入っていると、いう事を議会の公聴会で話していたそれをキャッチしたのが島田教授なんです。
ワシントンには日本大使館員たくさんいるんですけど、その人たちが何故かそれをあまり見ていなくてですね。
たまたま訪米の先遣隊でワシントンにいた島田教授が問題意識を持って見ているから、重大な発言が出たという事で、我々の言おうしようとする事がアーミテージ副長官に伝わっていると。
それならご家族が行く時本体が行く時、もう一回それを確認してマスコミにも報道して、後ろにアメリカが戻れないように出来るんじゃないか?と思って、行こうという事になったんですね。
そしたら我々が会ったときもアーミテージ長官は「もちろんその通りだ、拉致はテロだ」と言ったわけです。
ところが日本に帰ってきて川口外務大臣に会った時にですね。
「日本にはテロの定義が無いからテロとは言えません」と言われたわけですね。
それは大変がっかりしたわけですけども、定義が無いんだったらテロだと言ってしまえば良いんじゃないか?と思うんですど。
(定義が)あるんだったらこれは駄目だとかいう事になるんですけど、アメリカのテロに対しては一緒に戦うと言っているんですけど、それぞれがそれぞれの国に一番有利になるように定義はしても良いんじゃないか?と思うんですが。
今でこそテロ国家指定を解除させるかどうか?
日本政府の外交力がかかっている、安倍外交が問われていると言っていますけど、その理由に日本人拉致を書き込ませる努力をしたのは、民間が先にしたわけです。
書き込ませようとするんだったら「拉致はテロだ」と言わなければ書き込ませないのに、外務大臣は逆にテロだとは言えないといったら、アメリカに対してどう説得するのか?という事になるわけですね。
しかしそれは、我々の考えている事とアメリカの考えている事は一致して、そしてブッシュ大統領もおそらく悪を憎むというパーソナリティーもあってですね。
2003年に訪米しまして、2004年も世界テロ報告書から理由の欄に日本人拉致が書き込まれたんです。
2003年までは書いてなかったんです。
アメリカは今ブッシュ大統領、金正日政権から大量破壊兵器を取り上げるという事を戦争の目標にしたんです。
そのテロとの戦争は今でも戦われているわけですね。
我々はそのテロとの戦争の目標の中に大量破壊兵器を取り上げるだけじゃなくて、拉致解決も一緒にさせるために拉致はテロだという事にして、今一定程度成功して、そして一昨年の9月の6者協議の方向に至るわけですけども。
アメリカも北朝鮮に対する政策の方法論ですね。
方法論はブッシュ大統領が悪の枢軸と言ったときから変わっていないんですが、これも島田先生に僕は教えてもらったんですが、当初からイラクと北朝鮮は危険度は同じだと。
しかし対処する方法は違うと言っていたんです。
後付けで言ってるんじゃなくて、当初から言っている。
イラクは経済基盤が強いから経済制裁は効かないんだと。
北朝鮮には経済制裁が効くと。
イラクは経済制裁がかかっていたわけです、湾岸戦争の90年に。
しかし石油を密売して外貨を持っていた。
しかし北朝鮮は外貨の獲得源は犯罪行為か武器販売しかないわけです。
それを締めれば内部矛盾が高まる。
内部矛盾を高めて、核開発をやめなければもっと締めるぞと、金正日政権が倒れるか倒れる寸前になって核開発をやめるかどうかそれは分からないけれど、とにかくギリギリまで締め上げる。
という方針は当初からあったんです。
そしてそれが本格的にスタートするのは、一昨年の6者協議の合意とほぼ同時に始まった金融制裁だったんです。
あの金融制裁、金融制裁と言っていますけど、これは相当のことをやっているわけで、日本で北朝鮮に金融制裁をかけられるか?と言うと現行法規ではかけられないんですね。
世界中でアメリカだけですね。
つまりアメリカって言う国はアメリカに対して主権が権力が働きますけども、世界のイギリスの銀行とか中国の銀行にアメリカが一義的に命令は出来ないんです。
でも、金融制裁と言うのはアメリカ政府が一方的に、世界中の銀行に北朝鮮と取引を止めろと。
なぜならば彼らは犯罪資金を取り扱っていると。
もしも北と取引をすればアメリカの金融機関はあなたの所と取引をしないと。
そうするとあなたの所は潰れるかも知れませんよ、潰れてもアメリカは何も保障をしませんよと、いう事なんですね。
マカオの銀行と言うのは北朝鮮の銀行じゃないんですよ。
北朝鮮のお金を預かった中国系の銀行なんです。
それが今取り付け騒ぎが起きて事実上潰れたわけです。
マカオの国内法に違反していないんです。
それもアメリカでも昔からこんなにかなり無茶なことが出来たか?と言うとそんな事はなくて、9・11のテロの後に作られた愛国者法という法律に基づくから出来てるんですね。
こういう法律があるからですね。
マカオの銀項が潰れた場合、アメリカは訴訟社会ですからアメリカに裁判を起こせる場合があるんですね。
そしたら負けたら莫大な保証金を払わなくちゃいけない。
アメリカは三権分立ですから、司法がどんな判断を下すか分からないわけですね。
だから9・11のテロの後、愛国者法が出来るまではこれは出来なかったんです。
でも、愛国者法は疑わしきは回避せよです。
そういう立法の趣旨があってアメリカも安全保障を守るためには、テロ資金を取り押さえなければいけない。
その為には金融制裁をかけられる、という一歩進んだ法執行をしているわけですね。
今までなかった飛び道具まで使って追い込んだんです。
追い込まれた北朝鮮が苦しくなったという事は間違いないです。
本当にハッキリ苦しい。
彼らにある金正日の秘密資金、40億ドルから50億ドルくらいもの物が、今ほぼ動かせなくなっている。
通常貿易の決済も滞るようになって、鞄の中にドルを詰めて行かなければ物を買えない。
ドルを持っていくと相手が「お前のは偽札だろ」と言ってドル札は受け取ってもらえない、いう事が起きています。
これは我々が支援している自由北朝鮮放送に頼んで調べてもらったんですが、今年の2月の金正日の誕生日に外貨を使って買うような贈り物を、多分党の幹部にはしているはずだと。
それが例年に比べて減ってきているという事が無いか?調べてくれないかと。
最近返事が来まして、第三軍団の副司令官の親戚の人から直接聞いたんですけど、2005年の12月31日。
お正月を迎えるための贈り物が2005年の12月31日まではあったと。
金正日の名前の年賀状が入っていてですね。
酒が3本とかバナナとかですね。
肉とかタバコとかですね。
バナナなんて北では出来ませんからね。
バナナも1キロとか貰っていたのが、去年の2006年の12月31日にはなかった。
それからある道の党の責任者、あるいは道の行政委員長に対しては、今年の2月16日の贈り物はみかん1箱とりんご1箱と酒を焼酎3本、人参酒3本、それから朝鮮人参のエキスだけだったんです。
道のトップですからね。
去年までは同じ人がテープレコーダーとか化粧品とか外国製の電気製品とかが入ってるわけです。
外貨のかかる物はもう入らなくなっちゃった。
一番忠誠心を買わなくちゃいけない人間への贈り物も苦しくなる状況になっているわけですね。
今我慢比べなんです。
それで核実験をしてみたりミサイルを発射してみたりしたけど、両方失敗したわけですね。
で、手がなくなってアメリカの国務省に泣きついたわけです。
何とかBDA(バンコ・デルタ・アジア)の預金を下ろさせるようにしてくれ、そしたら核開発を止めてもいいと。
原子炉を60日以内に止めると言ったわけです。
その見返りは5万トンの重油でいいと。
物凄い譲歩ですよ?表面的には。
しかし、実態は譲歩したように見せかけて金融制裁を解かせようとする。
お金は今でも下ろせるわけです。
ヒルは個人的には自分が・・・・・・(聞き取れず)思っているみたいですけど、送金が出来ない。
でも北朝鮮は通常の銀行の・・・・・・。(聞き取れず)
BDAが通常のルートでも送金できるという事は、犯罪資金を扱ってもアメリカは、送金するときは一度ドルに変えなければいけませんから、アメリカの金融機関が主導している国際金融秩序にアクセスしなければいけないわけです。
そこに戻る事が出来るという前提になって他のお金も動かせるようになれば、と彼らは狙っているんです。
それは財務省が法律に基づいてやった事ですから、愛国者法と言うかなり秘密兵器的な法律ではありますけども、法に基づいてやっているわけですから、動かせないといって今せめぎ合いになっているわけです。
その間韓国からは肥料が行き、今40万トンの米が行くかどうか?と言う話になっていますけど、金融制裁緩んでいませんし、日本がやっている日本の法執行制裁も大変効いているわけです。
時間が立てば経つほど、彼らの立場が苦しくなるという事が今成功しているわけです。
特にアメリカの愛国者法なんて言うのは飛び道具的な法ですからね。
こんな事を国際的な場でやるという事は今まで想定になかったですから、それが出来ている。
言う中で、今向こうの陣地まで攻め込んで苦しくなって来ている向こうががどうするか?という慌て出した中で動きが止まっていると。
ただし、韓国からは金剛山観光や開城開発を行うという形で現金が流れていますし、韓国政府はなんとしても口実をつけて北を助けようとしていますが、金融制裁と言う網の目の中から韓国がこぼれている。
実は去年の秋くらいに、韓国の二つの銀行をBDAと同じように金融制裁の対象にするという情報がソウルに流れた。
アメリカは検討してるんです。
銀行の名前まで出た。
今は主たる戦場はソウルになって来たんですけども、そういうふうに見るとブッシュ大統領は若干、北朝鮮が折れたような格好をしたので「金融制裁を完全にやめるというのじゃないのなら、60日で例えば原子炉を止めてみるというのをやってみろ」と言ったという点では、私はそれ程ぶれたとは思ってないです。
ボルトン氏に言わせれば、今止めないでもっと金融制裁を厳しくすれば良い。
韓国の銀行にも金融制裁をかければいいじゃないか?何で止めるんだ?という批判も、今にらみ合っているんじゃなくてこちらからもっと殴ったり蹴ったりしろと。
相手の土俵まで行っている事は間違いないんですけど、向こうに譲歩してないですよ。
金融制裁は解いてないです。
でも、止めたことだけでは駄目だと言っているのがボルトン氏たちの考えです。
日本はその6者協議の中で今度は政権が厳しい態度に出て、エネルギー支援と言う、核兵器を止めさせるという枠の中でも、拉致問題が進展しない限り一銭も出さんと言ったんです。
アメリカを動かさないように。
アメリカが動いてるんじゃなくて日本が絶対自分で動いているわけです。
これも初めてのことです。
国際社会がお金を出すと言っても、核問題が主要な議題である6者協議でも、拉致問題が進展しなければ日本は一銭も出さないと言ったんです。
2000年の時はどうだったのか?
あるいは94年の村山政権の時はどうだったのか?
村山政権は10億ドル出すと、拉致問題を主張もしないで言ったわけです。
実際5億ドル出したんです、核問題だけで。
森政権は60億トンの米を出したわけです。
しかし今は進展をしなければ核問題が大きく動いても出さないと。
拉致問題が動かなければ北朝鮮が困るという状況を作る方針は少しずつですけれど、出来つつある。
包囲の輪が縮まっています。
そういう中で、これは上手の取り合いとかですね。
相手の陣営の中での蹴たぐりの掛け合いとかそういうようなこちらが押されているように見えるかもしれないけれど、大きな状況はこちらが押しているんだと。
自信を失う必要は全くないと。
彼らが拉致問題で本当に真面目な真剣な対応をしない限り、苦しさは続くと。
より一層深刻になるとそういう状況を作らなければならないというのが我々の元々の考えで、その為にアメリカをどう動かすのか?として来たんですけど、今はアメリカがそういうふうに動いていて、そして今度は民間の我々が考えるよりももっと政府対策本部が考えていて、かなりのいろんな手を打っているというのが今の状況だというふうに見ています。(拍手)
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この集会のテキスト等のネット公開については、主催者の同意を頂いております。
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