カテゴリー「消えた277人」の記事

2007年9月 5日 (水)

消えた277人より 横田めぐみさん

「消えた277人」より

ご家族のメッセージの記載がある方を、順次ご紹介しています。

  

 (37)横田めぐみ(よこためぐみ)さん 
昭和39(1964)年10月5日生れ。
昭和52(1977)年11月15日、中学校の部活動を終えて下校途中、新潟市内の自宅近くで友人と別れたのち失踪。当時13歳、新潟市立寄居中学校一年生。
この事件は当初、帰宅途中のめぐみさんと海岸付近で遭遇してしまった北朝鮮工作員が、工作作活動の発覚をおそれて拉致したとされていた。しかしその後の調査によると、遭遇ではなく、自宅近くで待ち伏せされて拉致された可能性が高いという。
平成16年11月の第三回実務者協議において北朝鮮側は、めぐみさんは死亡しているとして「遺骨」を提出したが、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは、同人のものとは異,なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得ている。
また、平成18年4月、日本政府が実施したDNA検査により、めぐみさんの夫であったとされる人物が、以前韓国より拉致された当時高校生の韓国人拉致被害者・金英男(キムョンナム)氏である可能性が高いことが判明した。

 
「めぐみちやん。あのままのめぐみちやん」  横田早紀江さん(母)から

 
  北朝鮮にいる横田めぐみちゃん。元気にしていますか。お母さんですよ。
あなたがいなくなって長い間本当に捜しました。どんなに皆が悲しんだか分かりません。
けれどもあなたがそこにいるということが分かって、私たちは、必ずめぐみちやんを日本に帰そうと一所懸命にがんばってきました。
ただ、身体を壊さないでほしいのです。必ず会えるから。家族皆があなたの帰ってくるのを待っていますし、沢山の日本の方も、一所懸命にそれを願っています。
めぐみちやん。明るいあのめぐみちやんが、あのままのめぐみちやんが、元気で帰ってくることを、毎日毎日沢山の人と一緒に神様にお祈りしていますよ。必ず、そのことが実現するのがもうすぐだと、お母さんは確信しています。
がんばってね。元気でいてくださいよ。お願いします。
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 失踪時13才 失踪から 30年     10月5日に43才になってしまう。

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2007年9月 3日 (月)

消えた277人より 宮内和也さん

「消えた277人」より

ご家族のメッセージの記載がある方を、順次ご紹介しています。

  

 (35)宮内和也(みやうちかずや)さん 


昭和40(1965)年1月27日生れ。
平成 9(1997)年4月24日、福井県三方郡三方町世久見の世久見漁港で失踪。
当時30歳、公務員。
当日和也さんは、ナホトカ号重油流出事故の影響で海が汚れていないか、調査のために出かけていた。
世久見岸壁で海を見ている和也さんの姿が目撃されているが、その日の夜になっても帰宅しなかった。
翌月には、B&G海洋センターでの研修に参加する予定だった。

「孫たちがかわいそうでなりません」  宮内和見さん(父)から 
宮内和也君、元気ですか。家族皆元気ですよ。君がいなくなってからは毎日君のことを心配しています。
望君も六年生で第一小学校の児童会長、優希ちゃんは高校二年生、沙希ちゃんは高校一年生でそれぞれ元気で頑張っていますよ。関係各位、親類全員が君の元気な姿と声とお便りを毎日待ち望んでいます。じいちゃんたちは孫たちがかわいそうでいじらしくてなりません。
でも三人の子供達は立派に成長し元気で頑張ってお便りを待ち焦がれています。一刻も早くお父さんを見せてやってください。会える日を一日も早く、神仏様にお願いしています。私達家族の所は、隣の上中町と合併をして若狭町となり、君の支援の会を作ってもらい、町民の方々がひとつになって、一日も早い帰国の実現を願って大会や運動や活動を何回も開催して、多くの方々が声援をしてくれています。
私も全国的に早期帰国の運動をして活動をしています。どぅか体を大切に充分気をつけて頑張ってください。がんばれ!
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失踪当時31才  失踪から10年 42才 

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消えた277人より 新木 章さん

「消えた277人」より

ご家族のメッセージの記載がある方を、順次ご紹介しています。


  

(34)新木 章(あらきあきら)さん
 

昭和22(1947)年10月16日生れ。中肉中背。眼鏡使。
昭和52(1977)年 5月21日、埼玉県川口市で失踪。

当時29歳、銀行員で、コンピューターを使ぅ事務系の仕事をしていた。
「買い物に行く。午後六時か七時には帰る」と川口市の自宅を出たまま行方不明に。
家を出る際、財布しか持っていなかった。
財布には免許証、クレジットヵードが人っていたが一失踪後免許証は更新されておらず、カードも使われていない。
川口市では他にも拉致の疑いがある事件が起きている。

「全国民が協力してくれています」  新木博さん(弟)から
 章兄貴へ、私は弟の博です。昭和52年5月21日以来ご無沙汰しております。
お元気で暮らしていることを願っています。姉の二人と、私は元気でいます。
そして、兄貴の帰ってくるのを心待ちにしています。
すぐには、日本に帰れないかもしれませんが、手を尽くして早く元気で日本に帰れるように、日本全国民が願い協力してくれていますので、どうか気を取り直して、あきらめずに、帰れることを願っていてください。
そして、日本に帰ってこられても生活できるように準備はしていますので、どうぞご安心下さい。
寒い時期になってしまいましたが、どぅぞお休を大切に頑張ってください。
平成17年12月吉日 新木博。

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  失踪当時29才  失踪から  30年      現在60才

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2007年9月 1日 (土)

消えた277人より 菊池寛史さん

「消えた277人」より ご家族のメッセージの記載がある方を、順次ご紹介しています。

  

(32)菊地寛史(きくちひろし)さん
 昭和52(1977)年11月22日生れ。身長166センチ、体重56キロ。
平成10(1998)年 4月 5日、研修用の宿泊施設(長野県長野市サイタリングターミナル)から失踪。
当時20歳、自動車会社勤務。
新人研修中、同じ部屋に宿泊していた同僚に「ジュースを買ってきてくれ」と頼み、同僚がジュースを買って部屋に戻ると、寛史さんはいなくなっていた。
荷物、免許証、財布、スーツ、靴などは残されたままだった。
平成十年から平成十三年位までの間、数回だけべルが鳴って切れるという電話が、たびたび家族のもとへかかってきた。そのぼとんどが非通知で、こちらが出たとたんに切れる電話などもあったが、平成15年になると、それもなくなった。

 「バス停で見送ったのが別れになるなんて」  菊地恵子さん(母)から
平成十年四月一日、社会人としてスタートを切る日、白田の高速バスのバス停までおくったのが、8年以上にもわたる寛史との別れになるなど想像もつかない出来事だった。
それから4日後の4月5日の夜10時、研修先からの電話で、寛史の行方がわからないことを知らされたが、信じがたい思いで翌朝早く父さんと二人で長野の現地へと向かった。
そこにはスーツもカバンも財布や免許証、その後捜索中に見つかった眼鏡も含め全てそのまま残っていた。
そこから寛史がいなくなったことだけは受け人れざるを得なかった。
寛史のことをかわいがっていた祖母は平成12年2月、祖父は17年7月になくなってしまった。
寛史からの連絡を待ち望んで心配しながら逝ってしまった。
あの頃中高生だった妹たちもそれぞれに働きながら頑張っています。
私たちはもちろん親戚や友人も皆、心配しながら寛史からの一日も早い連絡を待っています。

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失踪当時20才 失踪から9年 今年29才になる。

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消えた277人より 安西正博さん

消えた277人」より
  ご家族のメッセージの記載がある方を、順次ご紹介しています。

    

(31)安西正博(あんざいまさひろ)さん  

昭和43(1968)年9月19日生まれ。。身長173センチ。色白。
笑うと八重歯が見える。髪はくせ毛。近視で眼鏡をかけている。
平成 8(1996)年4月14日、愛知県名古屋市で失踪。当時27歳、荏原製作所勤務の会社員。
会社の寮から出かけ、そのまま行方不明になった。最後に正博さんの姿を目撃したのは寮の管理人。

この日は日曜日だったため、寮の玄関で管理人が「安西君食事はどうする」と声をかけると、「食べます」と答え、近所に買い物に行くような感じで、車で出かけたという。
行方不明になる一週間前、正博さんは実家に電話し、「4月下旬に大学時代の友人の結婚式が九州であり、それに出席してから帰省するのでゴールデンウィーク後半に帰る。お土産を買っていく」と話していた。
部屋の机には、失踪前日に買った単行本3冊がレシートを挟んだ状態で置かれていた。
また、3カ月後、寮を引き揚げるために家族が正博さんの荷物を整理していると、礼服の内ポケットに祝儀袋が人っていた。
自ら消息を絶つとは考えられない。

「九十歳のおばあちやんも頑張って待っています」・・・ 安西茂雄さん(父)から
正博が名古屋から突然姿を消して十年の月日が流れてしまいましたね。
父さん、母さん、兄ちゃんみな元気です。
斉藤のおばあちゃんは九十歳。正博の元気な顔を見るまでは、と頑張って帰りを待っています。
幼稚園の雅子先生、美奈子先生、また、小、中、高校の元担任の先生、クラスメート、みな心配しています。
救出できる日が必ず来ます。その日まで元気でいて下さい。

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失踪当時 27才 失踪から11年 この9月39才

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2007年8月30日 (木)

消えた277人より 岩佐虎雄さん

「消えた277人」より ご家族のメッセージの記載がある方を、順次ご紹介しています。   

(30)岩佐寅雄(いわさ とらお)さん

大正15(1926)年12月8日生れ。身長170センチ。
昭和36(1961)年12月20日、神奈川県鎌倉市の魚屋から失踪。
当時35歳、魚屋店員。
勤めていた魚屋の人に黙っていなくなった。その後、横須賀のいとこが四方八方捜し回ったが消息はつかめず。
寅雄さんは板前もこなした。

「新宿で楽しいデートをしましたね」   竹川朋子さん(親戚)から
寅雄おじさまへ。
今あなたはどこにどうしておられるの。
当時、渋谷の広尾のおばの家に私を迎えに来られて新宿で楽しいデートをしましたね。
おいしいものを沢山いただきショッピングをして、広尾まで送り届けて帰りましたね。
私も夫が病に倒れて実家の近くに引っ越して1年7カ月になります。
「えなお」祖父さんも十年前に亡くなり、今は兄弟だけ取り残されています。
正男おじさんだけ子どものいる横浜にいます。
おばは亡くなりました。
私の二人の子どもも成長し孫も三人います。
主人にも早く会わせてあげたい、そして皆仲良く暮したいです。
私もそれを願いつつ生きています。
夫は今病気と闘っています。
兄弟も体調を崩し入退院を繰り返しています。
兄の長男は外交官になり頑張っております。
岩佐家の初孫も誕生します。もうすぐです。
早く帰ってきてください。
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失踪当時35才 46年  12月に 81才になる・・・

それでも、家族は待っている。

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消えた277人より 巽 敏一さん

「消えた277人」より
  ご家族のメッセージの記載がある方を、順次ご紹介しています。
 

(29)巽 敏一(たつみとしかず)さん

昭和18(1943)年8月15日生れ。身長170センチ。
がっちりした体格だが、太ってはいない。顔は柔和な感じ。
スポーツはとくにやらないが、野球観戦が好きだった。
昭和35(1960)年7月3日、大阪府大阪市の自宅を出たのち失踪。
当時16歳、エ業高校機械科在学。
当日、高校の映画鑑賞会があり、正午頃、自宅から映画館へ向かったはずだったのだが、そこには現れず、そのまま行方不明となった。

「敏一ちゃんも諦めないで、頑張って!」  巽直江さん(姉)から

敏一ちゃん、元気にしていますか?   「映画を観に行く」と家を出たまま帰らず、あれから45年も経ってしまいましたね。
私に映画に行く前に、玄関で「姉ちゃん、映画を観に梅田まで行くんだけれども、バスで行こうか、電車で行こうか、どっちがいい?」と聞いてくれましたね。
でも「電車の方は京橋に出て危ないからバスにしなさい」と姉ちゃんが言ったために、あれ以来別れることになってしまいました。
あれから四十五年も経ってしまいました。家族みんな必死に捜しました。
警察の方も、みなさんも、一所懸命捜してくれました。でも見つけられませんでした。
長い間助けてあげられなくて、ごめんね。
いま日本の政府、国民の皆ざんが敏一ちゃんたちを救出しようとカを尽くして下さっています。
だから敏一ちゃんも諦めないで、頑張って!
遅くなったけれども、もうすぐ会えるから。絶対に会えるからね。
姉ちゃんたちも頑張るからね。
敏一ちゃん、それまで体に気をつけて待っててね。
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失踪当時16才  失踪から47年  現在64才

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消えた277人より 尾方晃さん

「消えた277人」より

ご家族のメッセージの記載がある方を、順次ご紹介しています。

  

(28)尾方晃(おがたあきら)さん

昭和30(1955)年12月12日生れ。身長168センチ、体重65キロ。
右胸部と右背中にリンパ腺炎の縦型の手術痕がある。右手中指第三関節の骨が突起している。
昭和54(1979)年2月14日、京都府京都市北区の下宿先から失踪。当時23歳、立命館大学学生。
家族が晃さんの下宿先に行くと晃さんの姿はなく、荷物や現金がそのまま残されていた。
2月13日に預金を引き出した形跡がある。

「待つてるよ、母一人で待つてるよ」  尾方美恵子さん(母)から
昭和54年2月、京都でいなくなった尾方晃の母美恵子です。晃がいなくなって27年たちます。
お父さんと一緒にいろいろと手を尽くしましたが、何の手掛かりも得られませんでした。
大学の下宿もお父さんと一緒に行きましたが、荷物はそのままで晃の体だけがいませんでした。
どこでどうしているのか心配しています。
平成4年7月、57歳でお父さんが晃のことを心配して亡くなりました。
光恵も兄さんのことを心配していろいろと手を尽くしてくれていますよ。
妹たちも、きよこ、みちよも名古屋に嫁ぎましたわよ。
拉致被害者救う会の集会には夫婦で来てくれているよ。
親戚の方々も晃のことを本当に心配してくれているよ。
地域の方々も、同級生のみなさんも晃のことを心配してくれているよ。
いまどこにどうして、元気でいるのか。母は心配でなりません。
毎日心配しているよ。
母も歳になり、体力が衰えてきました。
今日一日一人で暮らしているよ。
晃のことは一日として忘れたことはないよ。
晃の元気な顔が見られるの日を待っているのよ。
早く晃と会える日を楽しみに待っているよ。
このしおかぜを聞いていたら消息を知らせてちょうだいね。
待っているよ。母一人で待っているよ。
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失踪当時23才 失踪から28年  今年12月52才になる。

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消えた277人より 加瀬テル子さん

「消えた277人」よりご家族のメッセージの記載がある方を、順次ご紹介しています。   (27)加瀬テル子(かせてるこ)さん 

昭和19(1944)年5月4日生まれ。身長158センチ。細面。             
昭和37(1962)年4月、千葉県海上郡海上町で失踪。
当時17歳、家事手伝い。
午後、自宅から美容院に出かけてそのまま行方不明になった。所持金はパーマ代のみ。
翌日には叔母と新宿コマ劇場へ観劇に行く約束をしていた。
最近になり、脱北者が北朝鮮から持ち出したとされる写真が、鑑定の結果、テル子さんである可能性が極めて高いことが判明。また、同じ脱北者が所持していた「同一人物」とするもう一枚の写真も、テル子さんであるとみられている。

 「少女のままなのが、悲しい」 加瀬淑子さん(叔母)から 

テコ、元気でいてくれますか。
横浜にいた叔母さんだよ。
利江のこと覚えているよね。
夫の人がテコのこと心配して動いてくれています。
マサ子もおばあちゃんとなり、難しい資格を取り仕事、頑張っています。
房子さんが還暦の記念に鬼怒川で同窓会をやり、テコの写真を大きく引き伸ばし皆さんと一緒に写して送ってくれました。
皆さん、それ柏応に歳を重ねた中でテコだけが少女のままなのが悲しく思われます。
マサ子をはじめ同級生の皆さんがテコの帰りを待っています。
房子さんといつも唄った美空ひばりの「車やさん」覚えていますか。
会いたいねテコ。一目だけでも会いたいよテコ。
友達が送ってくれた写真に、季節の果物や好物を「せめて届け」と、かげ膳を供えて待っています。
テコ、会いたい。元気な顔が見たい。
写真に向かい何度も呼びかけ、その度に胸が痛みます。
近くて遠い国、何故に仲良く出来ないのでしょう。
  でも必ず会えるよね。
  その日まで命かけて待っています。
  元気でいてね。
  会える日、その日を待ちわびて。

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失踪当時17才  拉致から45年 現在63才

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2007年8月29日 (水)

消え277人より 増元るみ子さん

(26)増元るみ子(ますもとるみこ)さん

「消えた277人」より ご家族のメッセージの記載がある方を、順次ご紹介しています。

  

昭和28(1953)年11月1日生れ。
昭和53(1978)年8月12日、鹿児島県日置郡吹上町の吹上浜で市川修一さん(前述)とともに失踪。
当時24歳、事務員。
修一さんとともに吹上浜で消息を絶った。現場付近に残されていた修一さんの車には、るみ子さんのバッグとカメラが置いてあり、バッグの中のサングラス、財布、化粧道具などはそのままだった。
北朝鮮側は、昭和54年7月に二人は結婚し、るみ子さんは昭和56年に心臓麻痺で死亡したとしているが、修一さんと同様、これを裏付ける資料などは提供されていない。

「父ちやんも天国であなたを見守つている」

   平野文子さん(姉)から

るみ子 元気ですか?
私の声分かる?姉ちやんよ。
あなたが突然いなくなってから27年もたってしまいましたね。
あなたが北朝鮮にいるということがわかって、みんなで救出のための運動をしていますが、まだあなたを助けることができません。
ごめんね。
でもきっと必ず日本に帰れる日が来るから、希望を捨てずに、ガンバレ!
父ちやんもあなたの帰りを待っていたけど、待てなかったみたい。きっと天国であなたを見守ってくれていると思います。安心してね。
母ちやんも膝の具ムロが悪いけど、あなたの帰りをクビを長くして待っているからね。
国際世論に訴えています。
もうすぐだから。日本国の人たちが応援してくれています。体を大事にして、帰れるその日
を待っていてね。
じやあね。

「必ず、必ず助ける!」  増元照明さん(弟)から

るみ姉、まず、末だに救出できないことをすまないと思う。
るみ姉がいなくなったとき、何が起きたのか全然理解できなくて、自分ではどうすることもできなくて、虚無感心碗なまれていました。
北にいるという話が出てきたとき、もっと早く、もっとそれを強く信じて動いていれば、こんなに長くかかることはなかったかも知らん。そう思うと悲しくなってしまう。
でもいま日本では多くの人たちがるみ姉の帰りを待っている。清水中の同級生たちが懸命に
救出運動をしてくれていますよ。
必ず救出するから、希望を捨てないで、耐えて、そしてもうすぐ暖かい鹿児島で暮らす事ができることを思って、我慢していて下さい。
お袋は、るみ姉が帰ってくるまで元気でいると言っている。
必ず、必ず助けるから、だから待っていてくれ!
最後にこの放送を聞いている北朝鮮政府関係者、北朝鮮人民に伝える。
日本政府は日本人拉致被害者を傷つけたり、そして殺したりした場合、一切の経済協力はしない。
これだけは私は断言して言う。
必ず日本国民の拉致被害者を守って、そして生きて返す。
このことを肝に銘じてこの放送を聞いていてほしい。
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失踪時24才 失踪から29年  今年の秋、54才になる

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