カテゴリー「やまつみの声さん投稿集」の記事

2007年10月17日 (水)

ふたたびモンゴルより中国・北朝鮮

ふたたびモンゴルより中国・北朝鮮
蒼き星々掲示板の投稿より

投稿者:やまつみの声 投稿日:2007年10月16日(火)

いま、モンゴルの国民人口は260万人、北朝鮮よりも少ない。しかしモンゴル族は2000万人もいる、その多くは中国内モンゴル自治区とロシアシベリアに分布する。もともとソ連・中国の密約で行われたその分割の目的は、「モンゴル族の愚民化・無力化」にある。清朝支配時代から中国はモンゴル族の有能な青年を選んで(結婚できない)僧侶にしていった。辛亥革命後もソ連・スターリン支配時代には、その僧侶を中心に知識・支配階層の国民10数万人が片っ端から粛清されていった。この有能・知識階層の喪失はいまだに禍根を引きずる。カンボジア・ポルポトの原型もここにある。そしてそれは、スペイン人コンキスタドーレ(征服者)によるインカ帝国の知識階層の選択的虐殺処刑に遠く呼応する(知識階層が消滅したため剃刀の歯も通さないインカ壁の石積み加工技術もナスカの頭蓋手術も歴史の闇に閉ざされたまま全く今に伝わっていない)。

蒼き狼チンギスハーン。モンゴル人にとって建国の英雄であるが、ロシア・東欧人には「タタールのくびき」の元凶であり、その名をソ連圏社会主義時代には公然と口にすることもできなかった。当時の学校教育のモンゴル史は1921年の社会主義革命から始まり、それ以前の歴史は教えることを禁止された。しかしソ連圏からの独立・自由化を機にチンギスハーンの名誉も復活、今の英雄視ぶりは過剰なくらいである。昨年は国を挙げて「チンギスハーン建国800年」を祝った。

つまり、歴史は「作られる」ものであり、「消される」ものなのである。歴史認識問題とはとどのつまり「誰のための歴史か」という問題である。

その歴史が動くとき、特に社会主義から資本主義への急速な転換期は政治・社会腐敗を生む。東欧・ソ連だけではない、モンゴルでは今それが進行している。マスの経済は向上しつつも貧富の差の拡大が国民の精神不安定を生じ殺人事件も増え新興宗教に流れる連中が急増している。そういう中に資本主義化の陰の汚物として発生したマフィアがいま経済から政治マフィア化しつつあり、中国との結託をはじめた。

最近ウランバートル市内名物の「マンホール・チルドレン」(と聞いてわからない人は「天才柳沢教授の生活124~126話ご参照)が減ってきた。経済が良くなったからではない。中国人がかっさらってマカオ経由で女は売春、男は臓器売買に回され(つまり殺され)ているらしい。中国ブローカーは政治家とマスコミを(賄賂で)おさえているから、政治問題化せず市民の「噂」に留まっている。

独裁政治体制が解かれた直後の社会の混沌は、そういう連中にとってはとっても「おいしい」餌だらけの社会でもある。ハゲタカは腐った内臓を飲み込んで食う。東アジアにあと残る餌場が、「北朝鮮」。

(いま日本で活躍するモンゴル力士は、こういう社会の混沌の中でモンゴル国民が精神的によすがとする「民族の英雄」であり、朝青龍問題をそういう視点でも少しは見てほしい・・・と朝青龍の同郷の知人にさっきウランバートルの居酒屋でたのまれた)

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モンゴルから中国・北朝鮮を見る

モンゴルから中国・北朝鮮を見る

蒼き星々メインボードへの投稿より


投稿者:やまつみの声 投稿日:2007年 9月15日(土)21時26分18秒

昨年の秋頃から、中国~モンゴル経由の脱北者が増えている。疲れきりやせ細った朝鮮人たちが、内モンゴル自治区との国境検問までたどり着き、そこからウランバートルの韓国大使館に助けを求め、韓国政府はビザを発給しいったんモンゴルへ入国させてから韓国へ移送している。

モンゴルは北朝鮮・韓国双方と国交をもち、北・南対等のスタンスから今回の六カ国協議の作業部会開催地となったわけだが、もともと朝鮮半島に対しては「同じ民族なのに韓国と北朝鮮の生活に差がありすぎる、一緒になるべき」という心情があり、「金正日は替えるべき」とも考えている。

モンゴルは、かつて中ソの陰謀によって彼ら自身が今なお民族分断されている「内モンゴル自治区」という緩衝帯を利用して、国境検問を経由する安全な方法で「脱北者支援」を行っている。政治的言動は表に出さずに実効的な「具体的対応」をしっかりとやっているのである。陸続きの国境で「敵」と接する緊張状態の中にあれば平和ボケは育たず、当たり前の国際感覚が生まれながらに染み付いているのだろう。

モンゴルは「ロシアと中国にサンドイッチ状態の内陸国」という、最悪とも言える地理的事情から、否応無くロシア・中国の影響を受けざるを得ないが、二世紀にわたる清朝支配から中国への反感が根強い。もっとも、いまの反中感情のベースは旧ソ連時代に中ソ対立構造下のプロパガンダの中で観念的に培われたものだったが、今経済開放で中国と実際に付き合う中で、中国・中国人への反感はさらに固定しつつある。

共産革命後のモンゴルはしばらくロシア寄り・ソ連邦の一共和国としての政治スタンスをとったが、ロシアが好きだったわけではない。モンゴル文字を奪いキリル文字を強制し宗教(モンゴルはチベット仏教)を弾圧・破壊したスターリン時代のソ連への反感が残り、ある政府関係者は「ソ連が我々に与えたものはウォッカの飲み方だけだ」と吐き棄てるように言った。しかし、モンゴルの親ソ路線のきっかけを作ったのは関東軍が仕掛けたノモンハン事件(モンゴルではハルハ河「戦争」)であるから日本も無関係ではない。

ところで今の彼らは(なぜか)おしなべてとても親日的である。朝青龍がいなくても、いま日本の大相撲には34人ものモンゴル力士がいて(各地方から選りすぐりの少年たちを日本へ送り込んでいる)、場所中はモンゴル国内の4局のTVで生中継され、いまやモンゴル相撲より日本の大相撲のほうが人気が高く、日本人力士のことについても詳しい。ゲルの連中も馬の乳搾りさぼって太陽電池のTVで相撲中継に見入っている。蒙古斑を持ち言語もメンタリティーも宗教観(チベット仏教+アニミズム)も日本人に近く、かつ親日感情の強いモンゴルは、日本の重要なパートナーとなりうる。

ちなみに彼らは「日本人拉致事件」のことも知っているが、彼らはこれを(普遍的な)人権問題ではなく『日本と北朝鮮の二国間問題』として捉える傾向がある。

【新たなる民族浄化】

現在、若者を中心とする2万人のモンゴル人の男が韓国へ労働者として出稼ぎに出ている。そして、まるでそれを補填するかのように、中国の男たち2万人がモンゴル・ウランバートルの工事現場へ送り込まれている。このため結婚相手の不足する年頃のモンゴル女性と中国人出稼ぎ労働者との婚姻が急増、結婚した中国人男は(なぜか格下の)モンゴル国籍を取得する。夫が出稼ぎで不在のモンゴル人妻にも手を出し子供を産ませる。

日本の4倍の国土面積をもち、中国からそのまま続く広大で豊かな牧草地を持つモンゴルは、人口の膨らみすぎた中国にとって魅力的な「人口の捌け口」である。チベットの民族浄化では人民軍兵士による「強姦による種付け」が行われてきたが、国際世論の反発を避けたい中国はこのモンゴル方式を考え出した、そしてそれを可能にするモンゴル、韓国、中国間の密約がある・・・という話を、さるスジから聞いた。

【汚れちまった悲しみに】

美しく変えるには日本の国は汚れすぎていたのだろう。辞意表明をする安倍総理の憔悴した表情を見て、中原中也の詩を思った。(中也は安倍氏の父と祖父が通った旧制山口中学の同窓でもある。)

拉致の事実が露呈したとき、我々はそのあまりの理不尽さに率直に驚き、怒った。しかしあの日から5年経っても本質的には何も解決していないという現実は、この問題が「拉致という行為」だけではなく、その事実を前に何も動けないこの国の構造が芯まで腐っていることを示している。

日本人よ、政治家も“市民”も“国民”も、右も左も中道も、資本家も労働者も、金持ちも貧乏人も、いったいどれほどの日本人が、本気で「世界の中の日本のありかた」を考えているのか。目先の「政敵」の誤謬を懸命にほじくり出しては得意満面「鬼の首を取ったように」喜び勇んで足を引っ張る、政策議論よりもアラ捜しの人格否定に専心する政治家、マスコミ、そしてそれに踊る国民。ドロ舟は自民党だけではない、この国まとめてドロ舟じゃないのか。

首相になる前、安倍氏の拉致事件での仕事ぶりは頼もしかった。冴えていた。しかし、私は安倍氏を嫌いではないが特に好きでもなく、情を感じる縁もない。首相としては経験・力量不足、地盤・ブレーン集団の欠如も致命的であり、今の「安倍内閣」を私は支持しない、今の彼にはまだ、このドロ舟全体を管理統率する能力は無い。しかし彼の信念に穢れは無いように思う(むしろ愚直に過ぎる)。意地汚い利権・エゴイズム・嫉妬に満ちたドロ舟の雑務なんざ、他の老練タヌキ総理にまかせてといて、安倍氏が再び拉致事件に専念し本領を発揮してくれることを、私は願っている。

【中国は取り囲まれている】

この一年余り、中国をベースにその隣国をほぼぐるり一周、フィリピン、インドネシア、ベトナム、ラオス、タイ、モンゴルと巡ってきた。その結果、中国を除くほぼ全てのこれらの国が基本的に親日・尊日・好日的な感情を持ち、ラオスを除くほぼ全ての国に中国への反感が根強く染み込んでいることを、私は肌で感じた。ただしどの国も反中国感情を政治的には表に出さず、どうやって中国の政治・経済侵略を食い止め、環境破壊や中国人犯罪を排除するか、その具体的方策の立案・対応に腐心している。表向きは机上で握手しつつ机下で蹴たぐりあうのがオトナの外交だ。

昨夜、TBSのニュース23だったか、「日中国交正常化35周年記念」なる楊貴妃の舞台劇紹介で、森山良子の歌う「中国賛美歌」を「小泉靖国参拝vs中国の反日デモ」のシーンをダブらせて流していた。・・・こういう、現実を見据えぬ、あるいは見る勇気が無い、あるいは単なる無知ゆえの思い込みで感傷的・能天気に自己陶酔し、「歌に国境はありませんから・・・」などと臭いセリフを平気でのたまう、いい歳こいたオトナの愚鈍な姿を見せられると、私は反吐(ヘド)が出そうになる。然るに、「チョン」だの「チャンコロ」だの「シナ人」だのと観念で遊んでいる幼稚な手合いも同様、チョン・チャンコロ以下の下衆に過ぎぬ。観念の世界に自己満足しているだけでは事態は動かない。

最近、韓国企業と付き合う機会が増えた。世界展開する韓国メーカーの40歳前後の中堅・若手社員たち、精神的にも技術的にもしっかりしていて、なかなか手ごわい。初めて大韓航空にも乗ったが客室乗務員の「見た目」はJALより上。対北戦時体制の緊張感と徴兵制が若者たちの精神と肉体を鍛えているのだろうか。彼らから学ぶものも多そうだ。いずれ韓国の視点からも北朝鮮を見てみたいと思っている。

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ミャンマーで日本人ジャーナリストが「殺された」背景と北朝鮮

ミャンマーで日本人ジャーナリストが「殺された」背景と北朝鮮
蒼き星々掲示板への投稿より

投稿者:やまつみの声 投稿日:2007年 9月29日(土)

北朝鮮の「利権問題」にはケリがついた。つけるためにヒルを色仕掛け篭絡したのは北朝鮮・・・を動かしたアングロサクソンのアングラだった。ケリがついた北は「悪の枢軸」に残せない。アフガンも当面「英国管理」に委ねることが水面下で固まった。イラクは思惑外れて見通しが立たぬ。で、用済みの北朝鮮の補填候補にミャンマーが選ばれた。軍事政権崩壊・民主化移行期の過程(ドサクサ)で「政治経済の要所を押さえる」ために。

先日の豪州でブッシュがその名を間違えてまで(=もともと興味もなかった)「アウンサン・スーチー」に言及したのは、今回の布石。仕掛けたのはネオコン? 違う違う(何でもかんでもネオコン・ネオリベのせいにするなよ、思考停止小児病サヨクじゃあるまいし)、正体はその“上”にいる「英国銀行」あたり(らしい)。ミャンマーはもと英国の植民地でアウンサン・スーチーはイギリスと個人的関係も深い、夫も英国人だった。

「ミャンマー版タリバン」として軍事政権を崩壊させるにあたって、崩壊を肯定する世論形成のために、アジアの“宗主”日本の「北朝鮮の軍事独裁に甘くミャンマーの軍事独裁に厳しいサヨク的万年平和ボケマスコミ」の特性を利用し世論誘導するために日本人ジャーナリストを「殺させた。」 べつに、簡単である。兵士の一部を買収しターゲットを教え引金を引かせればよい。

・・・という話を今日さるスジから聞いた。確証は無く、そのスジの者も実際に関わったわけではないが、私の心証では70%くらいの確率でこの情報は事実だと思っている。

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聞けやまつみの声

聞け やまつみの声 



投稿者:やまつみの声 投稿日:2007年 8月19日(日)01時08分18秒

  蒼き星々掲示板への投稿より

3週間くらい前だったか、「自分探し」中の▲田がラオス・ビエンチャン空港に降り立った。ざわめく日本人乗客をよそに、彼は“ひとり”でビエンチャンの市街へ消えていった。「中▼現わる」のニュースは瞬く間に狭いビエンチャン在留邦人社会に広まり、彼の行き先を予想し先回りする「ヒデ探し」を敢行する日本人もいたが、ドリブル・フェイントの天才にはぐらかされ叶わなかったようだ。

彼がこの国へ来たのは「ラオスはまだ行ったことがないから」とのこと。ラオスは世界で初めてクラスター爆弾が使われた場所であり、地雷の除去にまだ一世紀以上かかるといわれ不発弾の犠牲者が相次いでいること、ベトナム戦争の後始末の「国家による殺人」が今も続いていることなど、ま、国歌を歌わぬ理由が「ダサい」でしかないようなダサい人間にはどうでも良い問題で、次回アジアカップ会場の下見が目的だったかもしれないが、その試合スタジアムの建設を中国の建設会社が請け負ったことの背景と意味合い・危険性くらいは確認しとけよ。

で、本題にはいる。

インドシナ半島北部山岳地域に住む少数民族には、我々日本人との共通点がいくつも指摘されている。照葉樹林の自然の恵みとともに暮らし、その自然にさまざまな精霊が宿ると考え(それは日本古来の八百万の神に近いという)、高床式の棲家、屋根の交差千木・切妻は日本の神社建築そっくりだし、米を育て、蒸したモチ米を臼と杵でつき、味噌・醤油を使い豆腐を作り、正月のコマ回しや羽子板(丸い木の実に鳥の羽を3枚つけて竹の板で打つ)の文化まである。この「照葉樹林文化圏」はブータンからインドシナ北部山岳、台湾、琉球から日本列島へと弧状に繋がる、日本人の文化ルーツを考える上でも重要な地域である。

ラオスの小数民族モン族の悲劇のことを、私も最近まで詳しくは知らなかった、恥ずかしながら。モン族は中国南部あたりがルーツだが、清朝に弾圧されて数世紀前から中国華南からインドシナへと南下し、ミャンマー、タイ、ラオス、ベトナム、中国南部の山岳地域にかけて住む。

50以上を数える山岳少数民族の中で特に戦闘能力に秀でたモン族の運命は、この半世紀あまり大国によって翻弄され続けてきた。インドシナ戦争中にフランス軍による「モン狩り」で強制徴用され特殊訓練を受けたラオスのモン族は反共戦闘部隊「モン・マキ」として最前線で最も危険で汚い任務を負わされた。一方ベトナム北部に住むモン族もやはりベトミン・北ベトナム軍側の兵士として洗脳・徴用されたため、つまり彼らはフランスとベトミンそれぞれの代理として同族同士で戦わされ殺されていった。その戦費・武器調達資金には、仏軍もベトミンもアヘンを充てた。

ディエン・ビエンフーの戦いに敗れ仏軍が撤退したあと、生き残ったモン・マキ兵士を引き受けた米軍は更に訓練をほどこし、ラオス内に極秘裏に設置されたレーダー誘導施設「サイト85」の守備、ホーチミンルート破壊工作などに使った。第一次インドシナ戦争に続くベトナム戦争でもモンは最も過酷で危険な「闇の最前線」へ送り込まれていった。

激しい戦闘でモンの兵士数が「消耗」するたび再びモン狩りで調達・補充されていき、モンの村々からしだいに青年・少年の姿が消えていった。彼らは米国白人青年兵士の身代わりであり、もしモン族を使わずに米兵だけを投入していたら、アーリントン墓地のベトナム戦争犠牲者の名前を刻む墓碑の長さは数倍になっただろうと言われる。

1975年、サイゴンに引き続きビエンチャンも陥落し政権が共産軍の手に落ちたあと、残されたモン族たちはさらに悲惨な運命を辿る。米軍に見捨てられ自殺を図る者、森へ逃げ込み仲間の遺体を食べながら飢えをしのぐ者。ベトナム・ラオス共産軍は生き残った親米モン族を執拗に追い、モン族も必死のゲリラ戦で森の中から抵抗を続ける。

30年以上たった今なおベトナム軍・ラオス軍共同によるモンへの迫害とモンの抵抗は続き、餓死の相次ぐ深い山の森の中から救いを求めるモン族の声はアメリカや国連に届いてはいるが、米・仏はモンを利用し見殺した古傷に触れたがらず、ベトナム政府もシラを切り、国連人権擁護委員会の医師・看護師団の現地派遣をラオス政府は拒否し続けている。

モン族はもともとクセの強い気性の民族で、移住先のアメリカやフランス領でしばしば軋轢を生じ(1990年に日本人留学生が米国で襲われた事件、あれもモン族と間違われたため)、モンの一夫多妻制や好戦気質などへの反感・差別感情が、モン弾圧に対する一般ラオス国民の無関心の誘因となっている。

ベトナム戦争に呼応するラオス紛争は「内戦」と呼ばれてきたが、その実体はアメリカと旧ソ連を後ろ盾にした北ベトナムとの戦いであり、代理戦争のさらに代理兵士として少数民族が利用され殺されていった。冷戦構造の本陣である旧ソ連と米国が直接戦火を交えたことは無く(だから冷戦-cold war-なのだが)、その代理犠牲としていったいどれだけのアジア人の血が流されたのか。

私が今回この板でラオスのモン族のことを紹介するのは、①今も続く親米モン族の残党狩りに「北朝鮮製小火器が使われている」こと、②インドシナ戦争も朝鮮戦争も冷戦構造という「白人利権対立構造」の中でほぼ同じ時期に発生し、白人ではなく多くのアジア人の血が流されてきたこと、そして、③後進国の民族感情を増幅させて利用しその微妙・複雑な葛藤の中に紛争の種を構造的に組み込むという、旧宗主白人たちの極めて巧妙な仕掛けを、北朝鮮問題にもインドシナ問題にも同様に感じるからである。

戦後アジアの社会主義地域の悲惨な現実を思えば、社会正義や平和や国益の能書きをいけしゃあしゃあと垂れるブッシュとプーチンの姿を見ると、私は二人の襟首つかんでその顔面をインドシナの骸の大地へ叩きつけたい気分になる。これは右・左政治イデオロギーなんぞとは関係ない。

そして思う、いまだに偏狭な日本国内政党イデオロギー対立構造の残影でしかインドシナを読めぬ、白黒オセロのような単細胞は治療しようの無いただの阿呆であり、人の世や世界政治を語る資格も無かろう、小田実とともに逝ってよし。

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