カテゴリー「アンデスの声さん投稿集」の記事

2006年3月31日 (金)

なぜ日本は北朝鮮を制裁できなかったのか

アンデスの声さん2006年 3月31日(金)

事情により今後投稿が難しくなります、最後に単純素朴な疑問を確認したく。

制裁抵抗派が口にしてきた「一国では効果がない」と「制裁すれば北朝鮮が暴発する」について。金体制が制裁に反発し妨害するのはそれだけ効果があるということ。効果がなければ暴発もしない、だって何ともないのだから、つまり「経済制裁は効果があるから発動させられない」ということ。「効果がない」と「暴発の危険」をひとりの口から発するのは論理破綻、後付けの理由に過ぎない、制裁させたくないほかの理由があるのだ。それから「体制崩壊し北朝鮮難民が日本へなだれ込む」という「脅し」について。私はありえないと思っている。が、仮にあっても受け入れればいいではないか、そのくらい、国家崩壊という有事だ、かつて併合した相手でもある、今の日本人の意識を蘇生させるにはそのくらいのカンフル剤も必要だ。

私は最初の頃は(「10項目の質問」の頃まで)拉致日本人解放に金体制崩壊が必要、早道だと考えていた。しかし、金正日犯罪体制は想像以上に盤石で巨悪暴力組織として今なおきちんと機能している。金正日にとって体制維持が絶対条件ならそれを逆手にとり体制維持を拉致被害者解放の交換条件に使える、日本人を奪還できるなら金正日体制の崩壊は二の次でよいと、いま私は思っている。だいたい暴発して自滅するくらいなら金正日は拉致日本人を解放するに決まっている、全部部下のせいにすれば簡単なこと、だから経済制裁(を仕掛けた)くらいで暴発の危険はない、暴発(=自爆)する前に金は必ず譲歩する、制裁でも被害者を手放さないなら別の対応が必要だが、日本人人質を解放した時点で今の金正日と国交正常化してもかまわない、とまで私は思っている、とりあえず我々がなすべきことは、一刻も早く可能な方法で生きているうちに日本人を奪い返すこと。

もちろんそれ(日本人被害者救済)だけでいいとも思わない、いずれは体制崩壊も必要だ、しかし当面は戦術として日本人救済を最優先すること、そのためには悪魔との取引でもかまわない。

しかしその“たかが制裁”すら発動できないんだから、てんで話にならない。制裁発動について国務大臣をも動けなくする闇の圧力(=脅し)が作用している状態で我々が「経済制裁を」と官邸に向かって“吠えた”くらいでは効果はないだろうし、じっさいこれまで効果はなかった。制裁阻止を仕組んだ人間は高笑いしているだろう。この拉致日本人奪還運動は寄生サヨクの自己満足運動とは違う、現実に奪還しなければ運動の意味はない。小泉後の改変選挙時に全候補者に公開質問状を出すなら、せめて「なぜ制裁できないか、誰が制裁を止めているのか」を加えて欲しい。

この4年間、北朝鮮拉致問題が心の底に澱のようにずっとこびりついたままだった。

最後にもういちど聞きたい、「制裁を止めている犯人は誰なのか」。その自国の闇のメカニズムすら暴けないなら、日本は右も左も上も下もマスコミも政府も国民も、国全体が腐りかけている。

【Safety殿】

奪還運動の基本姿勢に関するあなたの見解は私も共感する部分が多いのですが、あなたのその妙なクールさが引っかかるので遅ればせながらお聞きしたい。

社会で何年も生きていればどうしても許せない相手にも出会う、そいつが関わっているなら慈善でも協力したくない、そいつが苦しむなら犯罪も素知らぬ振りをする、私は聖人君子になれない、かつて私に「お前みたいな駅弁大出身者が」とさげすんだ目で言い放ったT大出身の上司がいた、もし彼がチンピラに絡まれていても、私は彼の傍を黙って通り過ぎる、踏まれた者の痛み・恨みとはそういうものだ。しかしそういう私でも、いや、そういう感情を持った人間だからこそ、脱北者たちが語る北朝鮮人民の悲惨な苦悩を知れば、助けてやりたいと思うのが人情ではないか。彼らは一方的に情報に閉ざされた闇の中にいるから萎れきっているのであり、いい大人が自ら求めた総連やオウムや赤軍とは違う、外からの光を当てれば(少なからぬまともな連中が)生き返るのは分かりきっているではないか。

あなたにはこの情が感じられない。失礼ながら、あなたは、日本政府が制裁できないのが分かっているから(その安全地帯から)「制裁すべき」と口にしているようにもとれる。あなたは経済制裁の効果と必要性を説き、かつ北朝鮮の実態を直接知っておられるようだからお聞きしたい、なぜ日本政府は制裁できないのか、その最大の具体的理由は何か?そして制裁できない政府を制裁に導くにはどうすればいいとお考えか。(もちろん私にはわかりませんが)

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2006年3月 1日 (水)

「異邦人」との付き合い方

「異邦人」との付き合い方  
(>反核団体に抗議しますさん2/27付)

アンデスの声さん   投稿日: 2月28日(火)

先週買ったばかりの新品の公用車を日雇い運転手が地下駐車場でバック中に壁にぶつけてしまい、尾灯が粉々に割れた。

私 「なぜ後方確認しなかった?」
彼 「バックミラーが曇って見えなかった」
私 「なぜミラーを拭かない?」
彼 「対向車がいたので急いでいた」
私 「見えないままバックするやつがあるか、これはお前の過失だ」
彼 「倉庫に尾灯の交換部品があった、2時間あればなおる」
私 「その部品の値段を知ってるか?」
彼 「知らない」
私 「お前の日当5日分の額だ。ところで今日はずいぶんの遅刻だな」
彼 「(朝食の)お茶が熱くて・・・」

ミスが生じると決まって「ああ言えばこう言う」やりとりが続く。ペルー人に限らず、日本人以外の民族は一般に自分の過失は簡単には認めない、めったに「ゴメンナサイ」を口にしない。アラブ人はもっと露骨だ。長年の海外経験で私も免疫はあるほうだが、厚かましい言い訳を聞くとやはり腹が立つ。しかし腹を立ててもしょうがない、一般的な対策は相手に「謝罪」や「改悛の情」を求めるのではなく、相手に実害を課すこと。日本人はつい相手に「ゴメンナサイ」を求めそれで許してしまうが、そう知った連中は口先だけで「ゴメンナサイ」と言うようになり歯止めにはならない、公用車両は片っ端からすぐにボロボロになる。罰金、減給、累犯の場合の解雇措置など、具体的・物理的痛みで相手を変えて歯止めする、その目的は相手への教育や思いやりではない、あくまで自分への損害の拡大を止めるのが目的だ。

民族の違いを理由に他民族から虐殺された記憶がないためか、日本人は相手が誰でも「話せばわかる」と期待する傾向がある、相手に同化を期待する、そして相手が「ゴメンナサイ」と謝ると、同化に満足して「水に流」す。これは「自分も相手も同じ(価値観を持った)人間」であることが前提にあり、その背景にはそれが許されてきた我々固有の歴史文化がある。敵意を持つ他人への日本の甘さは人権派に限らない、戦前の植民地統治姿勢をみても、欧米白系の徹底した愚民化・搾取統治政策に比べれば日本はまだ甘かった、日本の植民地政策には相手との同化の情を感じる、中途半端なのだ、つまり欧米列強からみれば日本人は他人やドジンとの付き合い方が不慣れ、ヘタだったのである。地中海東部~中央アジアに発する欧米連中の対人・対民族関係は衝突・殺し合いの歴史の中で育まれ、それに適応した人間が生き延びた。自分と他人は「違う」ことが前提にある、そして残念ながらそれが今の人類社会の付き合い感覚の主流であり、我々島国日本人の甘えた同化願望こそ特殊なのだ。

25年前の学生時代、私が初めての海外暮らしを始めたころは、街の通りでたまに日本人旅行者に出合うとたいてい向こうから近寄ってきて、「あのぉ、あなた日本人ですかぁ?ちょっと一緒に話しませんかぁ」とよく話しかけられたものだ(が私は断った。そういうネチネチした感覚が嫌で飛び出した外地で、なにが悲しゅうて見ず知らず行きずりの日本人オトコとお茶しなきゃならんのじゃい)。いつも同じ水の中を同じ仲間と群れあって泳いでいるメダカが他所の池に一匹で放たれると不安になりやっと見つけた仲間に擦り寄ってしまうのだろう(だから海外での詐欺・強盗・強姦の日本人被害があとを絶たぬ。最近は日本人も海外ズレして旅先で出会うとむしろよそよそしかったりするが、これも一種同族意識の裏返しだろうか、普通にしてりゃいいのだ)。自分の家族親族でもない安倍晋三に感情移入し勝手に同化してしまい、相手が自分の思い通りに動かない(=同化できない)ととたんにすねはじめる、この「すねる」心理も「甘えの構造」と同じく日本人特有の、幼児性を孕む未熟な(=他人に殺されたことのない)精神状態といえる。

他人と自分は違う、他人が話したくらいでは変わらぬのがまともな大人だ、だから最初から違う前提で少し距離を置いたまま共通項を見出すほうが、長く安定して付き合える。ヘタに「同じ」と思い込むと違いが気になって気まずくなりやすい。だから他人との対話とは、互いがナカヨシコヨシ・同化同調・慰撫愛撫するためではなく、互いの自己利益確保のための共通条件を捜すのが目的、根っこが違うから上っ面の共通部分を探しながら、強く自己主張する(まったく同じなら以心伝心で済む)。以前ご紹介した諺「泣かない赤ん坊はミルクにありつけない」と対のコトバに、「沈黙は承諾なり(Quien calla, otorga.)」というのもある。

冒頭の運転手の場合は、彼は自分の罪を知った上で罰を避けるために懸命に言い訳しているのだが(気持ちは理解はできる)、北朝鮮を弁護する連中の中には今なお、(保身のための言い訳ではなく)本気で北朝鮮の国家と金正日に好感を抱いているのがいるらしい。北朝鮮のこれだけの蛮行の事実と危険性を前にして、我々と全く逆の感覚を抱く日本人たちがいるという事実。日本の反核左翼政治運動団体の有名な題目「きれいな核と汚い核」、さすがに最近は口にしなくなったが、言わなくとも連中の頭の構造は昔と同じである。中国・DPRKの犯罪はきれいな犯罪、米帝・日本・資本家の善行は汚い善行、ととらえ言わしめる信条が彼らの全ての価値判断の根っこにある。私の想像だが、こういう連中はコミンテルン傘下の昔から北欧毛唐思想運動の極東末端支部の歯車として移入思想の教条的咀嚼理解だけが唯一の習い性となってしまい、何か語っているようで他人の考えを集めなぞり解析披露しているだけ、自分の内部から自然に湧き上がる人間としての感性が衰滅しているのではないか。彼らは国境を越えた世界市民を口にしながら自国国民に寄生し害を及ぼし、国境を越えると他国国民にも相手にされない、最初に世界市民を唱え国家に殺されたソクラテスとは全く対照的な、その醜悪で矮小な姿が、面白くも哀しい。周囲に情的同一化を強要するその湿潤な感性は日本のメダカ社会そのものであり、中東欧米の砂漠的個人主義とは根本的に相反する、その腰巻・褌の上にスカート・ズボンを履いた按配では誰も相手にしない。

そういうヌエのような亜種連中を我々が言葉で説得できるとは思わないし、我々が変えて差し上げる必要もない、幸い日本は思想信条の自由が憲法で保障された国だ、我々としてはせいぜい、彼らの害毒が我々に及ばぬ対策を考えればよい、犯罪組織オウムが“正当に断罪”されたように(危害を及ぼさないなら放っとけばいい。単に気味悪がられ排斥され車で逃げ回っていた例の白装束教団の人たちを私は気の毒と思う、異物を警戒するのは動物の自己防衛本能だが、本能を理性で抑え許容するのも人間)。

しかし、互いの利害・価値観・感性・視界がまったく異なり、かつ当方に危害を及ぼしかねない他人(=異邦人)を相手にする以上、我々の付き合い方もある程度中東欧米型に変わる必要があるのではないか。同化目的で彼らに北朝鮮の醜悪さと危険性を語り説得すのは無意味、彼らが変わるかどうかは彼らの勝手、そして我々は勝手に自分自身を守る、そのために我々に危害を加える北朝鮮を援ける彼らの手の動きを止めることだけを考えればよい。

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2006年1月26日 (木)

連携と行動で最終段階を戦おう(3)

蒼き星々メイン掲示板より  アンデスの声さん の投稿  1月26日(木)

産声を上げて間もない頃の本掲示板に私が初めて投稿して3年が経ちます(それは拉致被害者にとってもさらに3年が経ってしまったということ・・・溜息がでる)。この間ずっと連日昼夜を問わず母屋を維持してこられてきた管理人さんたちの熱意とご苦労には心から感服・敬服、頭が下がります。たまに思いついて母屋の軒を借りて投稿するだけの私ですが、この板のアクの無さが私の性に合っていた気がします。会計年度が日本とずれているため1~3月は予算・決算期がダブルパンチで襲い本板へのアクセスもままなりませんが、みんなが戻ってくるまで最低月一回以上は投稿するノルマ(・・・情けな)を課してでも、今後も日本人の一人として私も声を出し続けますので宜しく。(ただし、もしめぐみさんが直接国際電話かけてきて「アンデスさん、迷惑よ、投稿やめて」と優しく言われたらすぐに止める・・・と書いたら本当にかかってこんかいな。)

【忙中断想】

日本がまともな国なら拉致事件は起きず、起きても初期段階で収まっていた。国家犯罪の事実と実行犯と被害者がわかっていながら(日本政府の関係当局者は我々よりはるかに多くの具体的事実を掌握しているはずだ)、実効性ある国家アクションをなにも起こさず、いまもって解決の目処は立たず、犯人と幇助者は野放し、裏の事実を知る為政者たちは沈黙、それが、今の我々の母国の現状だ。

こういう場合、問題を深刻化させている国家体制の不具合の抜本的変革を目指すのか、その不具合が生みだす問題を対症療法的に解決していくのか、戦略としての意見は分かれるでしょうが、拉致事件について私は後者を取る。被害者や家族には時間がないし、現代の自由・民主主義社会の改善は“社会破壊”や“流血革命”を経なくとも、個々の問題解決に取り組む過程と結果の中にまともな国の姿が自ずと形となって顕れてくると思うから。今の我々の相手は自由からも民主主義からも最も遠い国、そういう蛮国の独裁者に今の日本が、今の我々が、跪くことは絶対に許されない、我々の将来そして子供達の未来のためにも、我々は今のままの我々で勝たねばならない。

ジジ臭い昔話で恐縮ですが二宮尊徳のこういう言葉があったと記憶します、「大きなことをしたいと思えば小さなことを怠らず勤めるべし、およそ小人の常として大きなことを望んで小さなことを怠り、できにくいことに気をもんでできやすいことを勤めない、それゆえついぞ大きなことも小さなこともしとげられない」

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2005年12月31日 (土)

年の終わりに想う

アンデスの声 さん 投稿日:12月31日(土)

新年を外地で迎えるのは11度目である。暦の違うイスラム国は別として、欧米圏でも祝い騒ぐのは深夜12時だけ、家に親族知人が集まり時報を合図にクラッカーを鳴らし、男同士は握手し肩をたたき合い、女とは抱擁・キス、そしてシャンパンで乾杯、通りでは爆竹・花火・クラクションが鳴る、で、おしまい。華やかさだけでなく、清々しく厳かな心持ちで新年を迎える日本人の精神とはだいぶ趣が異なる。私は外地にいるときは現地方式につきあうが、夜中12時なると心の中に除夜の鐘が聞こえ、幼い頃の記憶、焚き火にあたりながら鐘を打つ順番を待つときの、凛然とした寺の境内の空気の感触が蘇る、それが、私の身体に流れる日本人の血だ。

ちょうどNHK紅白が始まった頃だが、当地はまだ31日の早朝、例年だと今日まで通常業務だが今年の今日は土曜で休みだから、これより部屋の大掃除をやる、ゴミやホコリが溜まったままじゃ新年を迎える気分にならぬ、が、周りの家の窓にはまだクリスマス飾りが残り“Feliz Navidad y Prospero Año Nuevo (= Merry Xmas & A Happy New Year)”のプレートが下がる、当地ではクリスマスから新年はケジメなくズルズルと過ぎてゆくものらしい。外地にいると日本では意識しなかった自分の中の日本人が顕れることがしばしばある、それを自覚しさらに日本にこだわり祖国と家族を懐かしむ。自分の意志で外地にいて自由に行動できる私ですらそうである。ましてや強引にさらわれ何十年も異国の地に閉じこめられ命を脅かされて続けている北朝鮮の日本人たちは、この新年を、いま、どこで、どんな想いで迎えようとしているのだろう。

「すべて話した」と語った蓮池さんたちは実行犯の名前も日本政府当局に話していた、そしてそれがなぜか今になって表に出た、下手をすれば自分の命の危険に関わる情報を、信ずべき頼るべき日本政府に伝えたあと、彼等はどのような気持ちで日本政府の対応を見守ってきたのだろう、普通なら武力行使も当たり前の国家犯罪であり、主犯も犯罪組織も特定され実行犯も判っているのに、いまだに誰も逮捕も断罪もされず責任すら取っていない、犯罪組織も犯人も幇助者もそのまま身の周り存在しているのである、これじゃポリさんご指摘の通り「全て一気に話せという方が土台無理」な話だ。帰国した被害者たちにとっては住む場所が北朝鮮から日本に変わっただけともいえる。ケジメがつかないまま、あと数時間で、ズルズルとまた新しく旧い年が始まる。

****************

先日一時帰国したときに(夏服のまま成田に降りたらどえらい寒くて震え上がった)、地元の若手郷土史家(一坂太郎氏)から聞いた話。

倒幕戦争に貢献した奇兵隊を長州藩は戊辰戦争が終結した明治二年に「目的は終わった」とあっさり解散し、不満で騒いだ兵士を自らの手で100名以上斬首刑に処している。幕末に命がけでロンドンに渡航した井上馨・伊藤博文は欧州列強の実力を知って急遽帰国し攘夷から開国に藩政方針を変えるべく命がけで訴えた。“そうせい候”と揶揄された毛利敬親も部下を信じ維新後は部下の決定に従い自分は隠居した。日露戦争を仕掛けた中心人物伊藤博文・山県有朋・桂太郎・田中儀一・児玉源太郎・乃木希典などは互いに幼な馴染み、いわば萩の町内会で日本の運命を決めあったようなものだが、特筆すべきことは彼らにはつまらぬ地元意識がまったく無く、伊藤は地元での演説で「長州藩への見返りなど一切考えぬ」と断言、その長州領民も日露戦争の日本海海戦で破れ海岸に流れついたロシア兵に食事を与え負傷兵を看護、敵兵に対しても敬意を払うこの姿勢はロシア本国に伝わり高く評価された、「正義」の摩擦は相手を認める努力無しには解決しない、日本人はこの100年の間にその大切な魂を失ったのではないか、等々。

一坂氏の話を聞きながら、国家民族の危機を前に冷静に情勢を読み命がけで対峙したかつての日本人と、現代日本人の“政治運動”の違いを思いました。㊨も㊧も運動が目的になるととたんに視野狭窄に陥ってしまう、今の日本人のほんとうの力は一見無気力無関心のような中間層にこそ潜在しているのではないか、亡国の芽は狭量な声ある声の中に芽生え、その声に中間層の声なき声が押し消された時に、国は滅びはじめるのではないか、と。

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2005年11月30日 (水)

永遠のジレンマへのレス

原良一さんの投稿永遠のジレンマ へのレス

投稿者: アンデスの声さん 投稿日:11月27日(日)

原様
貴論拝誦。

別に私はジレンマに悩んでいるわけではなく(ご心配ありがとう)、この運動の最重要目的が、①拉致されている日本人の無事解放なのか、②北朝鮮人民の救済なのか、③金正日体制の破壊なのか、それとも④拉致事件に便乗したサヨク叩き・朝鮮人叩き・による憂さ晴らしにあるのか、その目的を各個人が明確にすることで、自分の目的達成のためにとるべき具体的戦術も自ずと客観的に絞られるのではと思ったまでです。

リスク管理の基本「一般にリスクゼロの解決策はない、リスク回避とはリスク=コストのより少ない手段を選択すること」は私も(日常の中で)心得ているつもりです。そして目的の違いでリスクバランスも異なり、とるべき戦術も異なると考えています。


ところで、ペルー大使公邸事件と北朝鮮拉致事件の対応方法の対比ですか、う~ん(と思わずしばし唸ってしまった)。公邸事件解決のためにフジモリが採った戦略(日本政府は事実上何もしませんでしたので)には、北朝鮮対応の参考になる共通部分はありますが、個々の戦術、特に武力突入については社会背景を含め条件が大きく違います、リスクバランスからみても対北朝鮮での武力行使は割に合わない。


>私は範とすべきは、「粘り強く交渉しつつも、不当な要求には断固応じず、交渉と並行して慎重かつ周到に武力制圧の計画を立て、機会と必要があれば躊躇なくそれを実行して、最小限の犠牲で解決に到った」ペルー日本大使館占拠事件であると考えます。</原さん見解

時系列的、表面的にハタからはそう見えたのでしょう、しかし、あの大使公邸事件の大切なポイントは、フジモリにとって事件解決の最重要目的は「テロリスト組織MRTAの殲滅」にあり「人質の安全な解放」ではなかったということ、その目的達成までの彼の姿勢は終始徹底的に一貫していた。この時のフジモリの主目的「犯人の殲滅」は、北朝鮮拉致事件における(少なくとも我々の)最重要目的「拉致被害者の安全確実完全な救出」とは食い違う。フジモリが腐心したのはいかに人質被害を少なくして「テロリスト達を潰すか」ということ、人質の安全な解放は目的ではなく、目的を達するためにクリアーすべき課題だった。したがって、北朝鮮問題をそのままフジモリの公邸事件戦術になぞらえるなら、運動の目的は「金正日体制の崩壊」であり、その戦術・方法論として「拉致被害者の被害を少なくして金正日を潰すにはどうすればよいか」を考えることになります。

一方の日本にとって地球の裏の武装共産ゲリラMRTA(エメ・エレ・テー・アー)なんてふつうの日本人は名前を聞いたことも無かったし(MRTAを勝手に“マルタ”と読んでいた日本のTVアナウンサーもいたな)そんな知らない連中がペルーでどんな悪さをしようが関係なく、日本政府の最重要目的が日本人人質全員の無事解放だったのは、国家の邦人保護義務としても当然。

つまり公邸事件では日本側とペルー側とでは最重要目的が違っていた、すなわちリスクバランスが違った、それはどちらが良い悪いではなく、双方にとってはどちらも正しい。日本側とペルー側の目的が相克してしまったいうこと。社会背景が違えば目的も違う、そして目的が違えばとるべき戦術も変わる。

公邸事件解決の目的が(人質の無事救出よりも)テロリスト撲滅にあるフジモリにとっては、解決の最大の障害が、人質の1/3を占める日本人だった。フジモリ政権時代に日本からの対ペルーODA予算は増大突出し、この日本からの援助を引き出せることがフジモリのウリの一つだったゆえに、日本政府の「ヘーワテキカイケツを望む」圧力はそれなりに効を奏したのである。(この時の日本政府の圧力は自己陶酔型の日本の平和運動の効果には対応しない、政治的他者を動かすのは理念ではなく、相手が動かざるを得ないカードをこちらが握っていること) 日本政府の“要望”のために人質を簡単には死なせなくなったから、チェチェンゲリラのモスクワ劇場占拠事件のような惨事にはならなかった。しかしフジモリ側の目的「テロリスト殲滅」は長年テロに苦しんできたペルー国民の声そのものであり、強行突入で仮に人質に数十人の犠牲者が出たとしても、内戦状態でそれまでに3万人が殺されていた国民にしてみれば、リスクバランスはとれていた。そしてもし逆に日本人人質解放のため日本が無理矢理フジモリにゲリラの要求を飲ませ、せっかく拘束したグスマンなどのテロリストたちが野に放たれ再びテロの恐怖が蘇れば、日本は「テロ支援国家」の烙印を押され今の私もペルーではなくアラブかアフリカのどこかにいただろう、そのくらい当時のペルー国民のテロへの反感は強かった(つまりそのくらい共産ゲリラ連中は滅茶苦茶な殺戮をやった、その残忍さはセンデロだけでなくMRTAも同じ)。

フジモリは「平和的解決を望む」しか言わない(言えない)日本政府に早々に見切りを付け、早期からトンネル掘削を極秘裏に進め、小型マイクを廷内に潜り込ませ人質の軍人からの情報で内部状況を詳細に掌握した上で、機を見計らい精鋭特殊部隊による突入を強行した。突入の日の直前まで続いた主犯セルパとの交渉も、女性ゲリラの発砲を誘発した大音響の陽動行進も、このトンネル救出作戦のためのカモフラージュであり、ペルー側のごく一部の者以外だれも、この作戦を事前には知らなかった。4月22日の夕方の突然の突入の瞬間を迎えるまで、日本政府の人間は誰一人、橋本総理も寺田大使も対策本部の誰も、本当に全く何も知らされていなかった<尤も、3月末頃から公邸を取り巻く武装兵士に白人がまざり始めたので我々は「何か始まるかな」と気配は察していたが(白人兵士≒海兵隊→高レベル特殊部隊>。車に乗っては公邸を出入りするセルパとの交渉にいそしんでいたシプリアニ神父も、はるばるメキシコからやってきて日本側の全権を任された寺田大使も、ただのいい面の皮だった。この交渉を成功させローマカトリック教会内での出世を狙っていたシプリアニ神父は目論見が瓦解し涙顔になり、フジモリに完全無視されていたことを知った日本政府はただ唖然・憮然とするしかなかった。

いきなり始まった強行突入の爆音と吹き上がる煙と銃撃戦を目の当たりにしたとき、私は思わず目を伏せ、「これで人質の大半は死んだ、フジモリは人質の命よりゲリラ殲滅を優先しよった、なんちゅうことを、これで、日本人駐在員は総引き上げだな」と思った。結果的に日本人人質が全員生きて戻ったのは、半ば奇跡・幸運だったと今も私は思っている。フジモリの極めて周到緻密な、そして敵味方双方の予想の裏をかいた作戦、それを一人で行える大統領という一極集権体制がそれを可能にした。繰り返すが、人質に犠牲が出なかった(一人だけ心臓マヒで絶命)のはフジモリの強運に過ぎない、彼がもう一度同じ作戦を行ったら再び全員無事とはいかないはずだ。あれは極めて危険な賭だった、もし多くの人質の血が流れていたら、当時のペルー社会はそれを許しても、日本社会は許さなかったろう(少なくとも5年後のチェチェン・モスクワ劇場の悲劇までは)。

8000%近いハイパーインフレで経済が混乱し全土にテロが蔓延する国家崩壊状態で「誰がなっても失敗する」と言われた1990年当時のペルー大統領に就任したフジモリは、わずか数年で経済を建て直しテロも終息に向かわせ、追いつめられたMRTA残党が起死回生を懸けて引き起こした公邸襲撃もフジモリにとってはテロ撲滅作業の総仕上げのための、いわば飛んで火に入る夏の虫だった。

公邸事件のフジモリの戦略・戦術を振り返って感じるのは、彼は自分がなすべきことの目的が明確でぶれないこと、その目的達成に向けた極めて周到緻密な戦略と戦術があり、ことが決まったらそれを淡々と着実に実行していく冷徹ドライな彼特有の哲学を持っていることである。今回のチリ出国騒動も、フジモリしか知らぬその最終目的に向けて着々とプログラムが進んでいるような気がする。日本ではもう飽きたのか最近は報道が止まっているが、当地では先週からフジモリ支持派の巻き返しが始まっている。


>これ以外にも重要だと思ったのは、
f)人質は必ずしも「平和的解決」を望んではいなかった。即ちペルー人人質は、何度も武装蜂起計画を立てては当局に制止されており、日本人人質も危険の多い逃亡計画を立てていたことが判明しています。<原さん見解

これについても少し修正させて貰います。拘束されている人質達には外部状況、特に救出のための作戦行動状況はまったく分からない。拉致・人質事件では、事件中に自分が置かれた客観的状況に最も無知なのが人質本人という、反転空洞現象が起きる。情報遮断され銃を突きつけられた恐怖・緊張下の人質に正常な判断能力は期待できない、求めるべきでもない、武力行使に人質の希望は関係ない、基本的にこれは、状況を正確に把握できている外部にいる人間が冷静に判断すべき事項。共同通信記者の原田を廷内に招き入れてしまったのも、情報閉鎖の中での一種ヒステリー状態から「内部の俺達の声を外に伝えさせろ」という一部の人質達が引き起こしたもの。周囲状況のサッパリ分かっていない解放直後の人質は何を喋るか分からないからそのまま記者会見に出すのも危ない。2時間ブリーフィングの後に会見に臨ませた青木大使でさえ、ああいうブザマな姿を晒すハメになった。それから、あのとき武装蜂起を計画したペルー人人質は軍人たちであり、逃亡計画を立てた日本人人質もごく一部、もし実行していれば極めて危険だった。それから年齢も職場環境も拘束期間もペルーへのかかわり方もさまざまな人質達の心情は各人各様であり、それを一部の証言で代表するのは無理がある。日本人人質同士の深刻な感情対立もあった。とにかく内部はけっこうゴチャゴチャしていたのだ。こういう国の駐在員はクセの強い一言居士、一匹狼的な性格が多いし、特に最後まで残された支社長クラスには団塊=全共闘世代が多かったせいもある(解放後に青木大使を糾弾する文章を文芸春秋に掲載したS氏もそのクチだ、日本じゃガサツ飲んべえベランメエの私もここじゃとおっても上品なほうなのだ、ケケケッ)。


人命を踏みにじる、常識の通じない凶暴な相手との駆け引きには硬軟織り交ぜた複数の駒を使い分けることが必要になりますが、持ち駒の種類はその国の能力でも決まる、たとえば自衛隊の平壌急襲によるによる拉致被害者の武力救出のような、できない戦術ははじめからできない。それから、アメとムチを使う戦術ではまず相手をムチで叩いたあとにアメを見せるのが交渉の常道、アラブのスーク(市場)の値切り交渉も同じですから、先にアメをちらつかせる日本の北朝鮮対応はいわば常軌を逸しているといえます。

以下に北朝鮮拉致事件対応との対比の参考になりそうな、公邸事件のときの事例・要素を思いだせるままに(なにせもう10年前だ)挙げてみます、共通部分、異なる点、あまり関係ない私の思い込みもあるかと思いますが、個々の判断は原さん含めみなさんにおまかせするとして・・・、ただ、フジモリ(=ペルー政府)の目的の是非を考えるには当時のペルー社会の特殊な状況はふまえて下さい。

*)1980年後半から90年代初頭までペルー全土で共産ゲリラのテロが吹き荒れ治安軍兵士と衝突し、爆弾テロに巻き込まれ殺された一般市民のちぎれた遺体が日常のように路上に転がっていた。公邸事件が勃発した1996年頃もまだテロや武力衝突は残っており、公邸に武力突入した兵士たちはふだんから臨戦状態にあった。作戦を陣頭指揮したフジモリに実戦経験はないが、彼の学生時代のペルー社会は全国民に兵役義務(現在は部分徴兵制)があり学生だった彼は実務免除ながら軍事理論を(義務として)履修しそれを抜群の成績で修了している。

*)公邸事件の場合、人質もMRTAゲリラもわずか100m四方の公邸の塀に囲まれた袋の鼠状態であり、緊張した膠着状態が続きながらも“犯人も人質も逃げも隠れもできない、人質を殺せば犯人も確実に殺される、そのうちなんとかなるんじゃないか”という気持ちが(今思えば)我々の心の底になんとなくあった。

*)公邸内と外部との連絡、人質への手紙・弁当・医薬品などの差し入れは全て国際赤十字が取り持った。世界各地の紛争でリエゾン経験を積んできた彼等は詳細なマニュアルをもち、徹底した中立の立場を貫くためゲリラ側も彼等を信用した。日本人向けに差し入れた日本食弁当はリマの日本人板前が腕をふるったもの、その経費は各人質企業が負担した(ので贅沢などと部外者から文句を言われる筋合いはない!)。MRTAゲリラたちも美味い日本食のほうを好んで食べた(がもちろん金は払わなかった)。

*)日本のマスコミ取材の傍若無人振りはこれまで何度か触れたので詳しくは割愛する。共同通信の原田の強行取材のときは強い緊張感が現場に走り、ブンヤ風情の思い上がりに怒り殴りつけてやろうかと思ったが、あれは人質側が仕組んだことなので半ば仕方ない、しかしその時廷内で撮影した人質顔写真を当地のカレータス誌で晒した“売命行為”は許せない、が、写真を高額で買い取ったカレータスもいわば同罪、自由主義社会のマスコミのしつけの悪さはどこの国も似たようなものだし、権力の監視告発にはマスコミが必要、マスコミは功罪相備える、要するに使いようだ。

*)MRTAはペルー社会の矛盾が必然的に生みだしたもの、チェ・ゲバラを崇める彼等は、文革・毛沢東思想かぶれ(のくせに毛沢東が中国人であることも知らないのがいる)無知蒙昧狂信集団のセンデロに比べれば頭も良く良識的で真面目な人間も多い。だから正直なところ私は、この件でMRTAを金正日北朝鮮に対比することには抵抗があります。彼等を叩きつぶしたフジモリ自身も「MRTAの主張には共鳴できる部分がある、自分が大統領にならずに彼等に参加していた可能性もある」と語っていたくらいだ。ただしMRTAは自分の信条故に多くの無辜の民を殺戮してしまった、その社会的報いは受けざるを得ない、殺された者にすればMRTAもセンデロも北朝鮮も一緒だ。15年前、仕事仲間のペルー人スタッフが誘拐され半年後に発見されたとき、90kgの体重が35kgに減っていた。骨と皮に衰弱し銃弾を撃ち込まれた彼の遺体が、ある日、リマ市内の路上にボロ布のように捨てられていた。MRTAの犯行だった。彼等のどんなに崇高な理念も、なぶり殺された者の家族を納得させることはできぬ。

*)リマに設置された日本政府対策本部に詰めた総勢70名の中には、約10名の厚生省派遣の医師・看護士が含まれていた。彼等の任務は解放された人質達の精神的ケアだったが、彼等が言うには「日本にはこういう事件の症例が殆ど無いんですよ」とのこと、平和すぎる国ゆえに人質事件被害者の臨床データが日本には乏しく対応マニュアルも無かった。ベトナムなど各地の紛争に首を突っ込み不幸なデータを豊富に持つアメリカは簡単には教えてくれない、仕方なく彼等はダッカ事件や神戸地震の被災者の報告書、イラン大使館占拠事件の文献を入手して勉強していた、が、4ヶ月後に彼等は豊富な症例を手に入れることになる、その解析の中で「リマ症候群」も確認された。集められたデータは厚生省に保管され、その後世界各地の非常事態地域に派遣される医師団の間でも活用されている。前例のない不幸な事件はそれからの事件の前例として役立つ部分もある。

*)蛇足ながら、MRTAが占拠したのは“日本大使館”ではなく“日本大使公邸(=大使専用宿舎)”ですのでお間違えなく。事件の後、住処の無くなった日本大使はリマ市内最高級ホテルのスイートを3年間宿舎としたあと、今は更地となっている旧公邸から500m離れた場所に数億円の日本の税金をかけた要塞のような公邸が建った。羮に懲りて鱠を吹くこの日本的リスク(アン)バランスはペルー人の失笑を買い、大使自身も恥ずかしがっている。

*)また、貴稿中の“リマ症候群”というのはストックホルム症候群とは逆に「犯人側が人質に対して親近感を抱いてしまった」現象に対して付けられた名称です。(例のO氏は事件前から共産ゲリラに親近感を抱いていたからストックホルム症候群にも当てはまらない、彼は北朝鮮拉致事件について「帰国した被害者はいったん北に返すべき、自分が身代わりに北に行っても良い」という認識だったから、おそらく“日本的サヨク的親北症候群”とでもいうべきものでしょう)

*)なお、私は決してフジモリ信望者ではありませんので念のため。彼が大統領就任中の10年間に日本からのペルー向けODAは膨れ上がったが、日本が貢いだ見返りが公邸事件とワラル事件(1991年、JICA派遣の3名の日本人技術指導員が通勤バスからゲリラたちに引きずり出され3人並べて自動小銃でハチの巣にされ殺された事件)だ、明らかに日本側の一方的な持ち出し超過。フジモリが日系人ゆえに、しかも匿っているのが石原慎太郎や曾野綾子といった右派人士であるためか日本の右も左もウルサイが当地に日本の国内事情など関係ない、フジモリは飽くまでペルー人。アルベルト・フジモリは日系人だが、彼は(元妻のスサーナ・ヒグチも)日系人の中では極めて特異なタイプ。戦前の日本人街焼き討ち暴動・強制収容の記憶の残る日系人の殆どはいつも真面目に静かに目立たぬように暮らそうとしているから、フジモリの立候補にはみんな反対だった。今のフジモリ支持派デモに日系人は誰も参加していない。日系人の一人が公邸事件中に私に「あんたがた駐在員は、危険になれば日本に帰ればよい、しかし我々には、このペルーがどんなに酷い国になってもこの国で生きるしかない、我々には戻る国はないのです」と語った。地球の裏で拘束されたペルー人フジモリを助けろと誰も日本に頼んでないから、当地の事情に疎い日本人は関わらんでよろしい、そんなことしているヒマあったら自分の隣の国に拘束されている日本人をさっさと助けなさい。


蒼き星々~北朝鮮による拉致被害者・家族を支援する人の集う掲示板より

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永遠のジレンマ (原良一さん)

原 良一さんからアンデスの声さんへ 
           投稿日:11月26日(土)

 アンデスの声様

 お悩みの件、私は、北朝鮮との交渉は、ペルー大使館占拠事件への対処が参考になると愚考します。2年前、朝民研(朝鮮民主主義研究センター)に投稿した拙論を転載します。事件に対する認識などに誤りがあれば、ご教示ください。

 朝民研(朝鮮民主主義研究センター)より転載


永遠のジレンマ その1 ― ジレンマというよりリスクでは?―
2003/10/14(Tue) 03:17朝民研(朝鮮民主主義研究センター)掲示板に投稿

 T・K生発言に対する、Kazhik、SINKEN、川島各氏の思い入れぶりに私も引き込まれました。多くの親北派人士の言動に接してきた私には、一読してピンと来るものがありました。 忖度するに、多くの親北派と同様この老左翼は、つい最近まで北朝鮮の惨状を事実として受容していなかった。それをいきなり受容させられる体験を強いられ、動転してしまったのです。

 我がRENK代表李英和は北朝鮮での「留学生活」に耐え切れず、日本に逃げ帰った(正確には再来日ですが…)後、夫人である李明(リミョン)の前で「俺はどうすればいいんだ」と泣き崩れるなど、精神的に不安定な日々を過ごしたといいます(「朝鮮総連と収容所共和国」小学館文庫から)。

 また、9・17翌日の毎日新聞紙上で詩人の金時鐘翁も、「過去の清算などいえた道理ではなくなった」と嘆いて物議をかもしたのに通じる反応です。韓国民主化運動の修羅場をくぐってきた池明観氏の場合、それとの対比で北朝鮮の非道性をより一層理解できたはずで心痛はなおさらでしょう。

 私が思うに、池明観氏やKazhik氏が直面しているジレンマはリスクと言い換えることもできます。私は、対北朝鮮との交渉は、「フツーの国との外交交渉」ではなく、

・地域や空間を不法に占拠した武装集団(注1)による
 人質監禁立籠もり事件での人質解放交渉」

 つまり、ハイジャック事件などへの対応を基本にすべし、を持論にしています。この場合も人質の安全が最優先で、みだりに武力突入をしてはならないのは当然ですが、例外的に武力制圧が許される、またすべき事態が経験則的に成立しています。それは、犯人側が人質に危害を加え始め、人質の被るリスクが突入によるそれを上回ると予想される時です。

(注1)国連に加盟していようが、日本政府が日朝交渉で「黙示の承認」を与えていようが、朝鮮半島北半部を実効支配していようが、私は金正日現体制の正統性を認めていない=主権国家として認めず、単なる地域を「軍事的強占」する武装集団として扱っているので、こう表現しました。

 既に一部の集会で発表し始めていますが、私は

・95年以降の300万ともいわれる北朝鮮での大量餓死は、上位カースト(豚金父子を神と崇める核心階層)による下位カースト(「敵対階層」と貶められる奴隷階層)への「銃声なき大虐殺」であり、事実上の内戦であった。

・厳密にいえば、北朝鮮は建国以来ずっと「構造的で制度化された内戦」を自国民にしかけており、敵に指定された階層への粛清、迫害が不断に続けられてきた。悪名高い強制収容所とは、
「整然と秩序だった静かな虐殺」もしくは「重労働を伴う餓死の刑」が執行されている場所である。

との仮説を立てています。

 80万~100万人が虐殺されたルアンダ内戦は隣国ザイールなどの介入によって収束され、責任者は国際法廷で裁かれています。ベトナムのカンボジア侵攻は、当初国際社会から非難されましたが、ポルポト派の大虐殺が明らかになって、現在は「止むを得ない介入だった」が一般的です。より小規模な虐殺への対処をもって、NATOのコソボ介入も「人道的介入」と正当化されています。

 これらの前例と私見に基づくと、国際社会が北朝鮮に武力介入し、レジームチェンジ(体制打倒)を強いるべき時期は、大量餓死が進行していた95~97年頃だった、との結論になります。実際には、ジュネーブ合意で事実上の国体護持を約束し、重油まで(それも日韓の国費で!)貢いでいたのだからお話になりません。「悲劇が終わってから、真相が明らかになる。気付いた時は手遅れだった」式の不条理は、全体主義体制とりわけ社会主義圏で顕著ですが、隣国であり、間接的とはいえ自国が虐殺に加担する結果になっていたことに、より悔いが残ります。

 現在、北朝鮮の大量餓死は一段落し、小康状態を保っていますが、それは殺すべき対象がほぼ殺され尽くすか、国外に逃散したからに過ぎず、「静かな虐殺、重労働付き餓死の刑」は国際社会から見えない形で今も続けられています。しかしそうであっても軍事介入の必要性、緊急性自体は、95年当時よりは下がっています。

 長く運動を続けて感覚が鈍磨した私には「静かな虐殺」と見える現状も、「初心者」の池明観氏には「強硬策もやむを得ない、対案がない」ほどの惨状と映って過剰反応してしまったという構図でしょう。

 私としては、「今頃気づかれてもねぇ」と共感よりも怒りを覚えた口ですが、理解者を一人でも増やしたい立場にあり、どんな問題であれ目覚めた人を「遅すぎる」と難詰するのは政治的に賢明な態度ではなく、また池氏の苦悩は、対北朝鮮理解を深める上で、自身を含め誰もが経験してきた試練であって、同氏を責めるべきではない、と思い直しました。

 個人一人一人の人権を尊重し、「一人の死にも心を痛める。大の虫を生かすために、小の虫を殺す主張や行動に抵抗を感じる」という左翼本来の感性が維持されている限り、私たちは今回のジレンマから永遠に解放されないでしょう。

 ルアンダにしろ、カンボジア、北朝鮮にせよ理論上犠牲を最小限にするためには、虐殺が始まる前かその直後に(手段は何であれ)介入し、体制を打倒する必要があります。しかし、それが実行に移された場合、介入の根拠は仮定に基づく未来の死傷者の発生の回避という、極めて曖昧でわかりにくい理由になります。

 対して武力行使に伴う死傷者は、目の前に突きつけられるので、「武力行使は誤りだった」との批判になりがちです。しかしこの批判に一定以上の正当性があることは、原爆投下の是非論争や、今回のイラク戦争と国家権力の側が被害の算定をしばしば、それも開戦目的に意図的に誤る事例がいくつもあったことからも明らかです。個人レベルでも、「将来の犯罪者」との予言によって予防拘束される映画「マイノリティレポート」のような社会が、実現されることは悪夢でしかありません。

 冷戦初期、米国で「敵の力が強大化する前に先制攻撃すべし」との予防戦争理論が提唱されたことがあったと幼い頃平凡社の百科事典で読みました。この主張は「米国の建国理念に反する」と厳しく批判され、否定されたとありました。それを実践したのが、第三次中東戦争でのイスラエル軍の先制攻撃であり、稼動前のイラクのオシラク原発への空爆でした。米軍による北朝鮮核施設への限定空爆論がことある毎に蒸し返されるのは、その「成功事例」から二匹目のドジョウを狙っているからです。

 そんな米国に北朝鮮問題の解決を白紙委任することはリスクが大きすぎる、という認識はここに集う皆様は共有していると思います。

 さりながら、前掲のカンボジアに加え、ナチスのユダヤ人虐殺を拱手傍観していた連合国、中国で大躍進、文化大革命の度に数百万~千万単位の死者が出ていた事にまったく無頓着だった、とたっぷり教訓を学んだ後でも、北朝鮮での「構造的で制度化された内戦」により継続される「静かな虐殺」「重労働を伴う餓死の刑」を「民族自決」「内政不干渉」の美名で見殺しにする不作為はもはや許されないはずです。

 しかし、では「見殺しにしない」と決意したとして、北朝鮮に政策変更を強いる強制力を持つ勢力は誰かとなれば、それはやっぱり米国の軍事力しかないわけで、批判し、反感を持ちながらもその米軍に依存せざるを得ないというジレンマに再び直面させられます。

 右翼・保守派や医療を含む危機管理の実務につく人々は、上記のジレンマをリスクやコストに置き換え、それらを最小化するという論理で合理化し、悩みを克服している模様です。しかし、「止むを得ない犠牲」という合理化は、容易に「死んでも当然」「殺してもかまわない」との堕落に陥りやすい、ということも私たちは多く経験しています。

 軍事アナリストで危機管理の専門家の中ではもっともリベラル派に属する小川和久氏が、少年によるバスジャック事件の際、「被害者の人権擁護のためには、(たとえ未成年でも)犯人を速やかに射殺すべきだった」と当局の対応を批判しているのを聞いて、私はとても驚きました。私には(おそらく制圧に時間を空費した当局も)とてもそこまでの割り切りはできなかったからです。

 でも、殺された被害者の死因が失血死で、速やかに手当てすれば助かる可能性もあったとも聞いていたので、そうすべきだったのかとも悩みは深まりました。人一人の生き死にの扱いにこれ程動揺しているようでは、来るべき豚金体制崩壊時の混乱時にどうすんだ、との思いも募りました。

 結局、結論として私が出したのは、甘いとの批判を忍んでも個々の人命を大切にする感性は維持されるべきだ、との開き直りでした。殆どが作る会の会員でもある救う会と総聯など親北派・護金派が多く含まれる慰安婦問題という左右両翼の人々と話す機会を持つ私は、何の疑念もなく戦前の天皇制軍国主義体制や豚金独裁体制を翼賛する人々(もちろん全員がそうではないが)ともしばしば遭遇してきました。

 ある意味悩みが無いから、彼らは気が楽です。主張も単純明快、大変わかりやすい。でもそんな彼らが羨ましいとも思いません。人、特に他者とされる人々の生命や尊厳を尊重しない(そのくせ、そういう奴に限って身内に対しては下にもおかない接し方をするので、とかく内部的には評判がいいから困り者です)勢力が、左右双方の運動で主流にならないように頑張るしかありません。

 人間は現状に甘んじ、疑問を感じたり、悩むことがなくなったらおしまいです。

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 永遠のジレンマその2 ― ペルー日本大使館占拠事件の教訓 ―
 2003/10/14(Tue) 04:20 朝民研掲示板に投稿

 私は、対北朝鮮との交渉は、「フツーの国との外交交渉」ではなく、

・地域や空間を不法に占拠した武装集団による
 人質監禁立籠もり事件での人質解放交渉」

として対応すべし、を持論にしています。
 つまり基本となるのは、各種のハイジャックやシージャック、金嬉老の寸又峡事件、イランやペルーの大使館占拠事件などへの各国当局の対応なのです。この時当局に課せられた課題は、

1.人質の安全の確保、解放の実現
2.武装集団の不当な要求の拒絶
という二律背反を両立させることにあります。

 かつて「人命は地球より重い」の迷言の下、日本赤軍に資金や兵員を提供してしまったダッカ事件、逆に「三割までの人質の犠牲は許容範囲」との軍の論理で、武装集団の殲滅を優先させた、例えばチェチェン武装勢力によるモスクワ劇場占拠事件(他事例多数)の両極論を排するとして、私は範とすべきは、「粘り強く交渉しつつも、不当な要求には断固応じず、交渉と並行して慎重かつ周到に武力制圧の計画を立て、機会と必要があれば躊躇なくそれを実行して、最小限の犠牲で解決に到った」ペルー日本大使館占拠事件であると考えます。

 私が思うに対北朝鮮交渉は、ペルー日本大使館占拠事件解決のための交渉の拡大版に過ぎず、対応する事例も多々あります。MRTAが北朝鮮、ペルー政府が周辺諸国は当然として、
a)ことある毎に人命優先の解決を訴えた橋本首相(当時)が各種の反戦平和運動。
b)最後まで続けられた水道、電気等ライフラインの切断が経済制裁など北朝鮮封じ込め政策。
c)人質への差し入れが人道援助。
d)赤十字やカトリックによる仲裁が国際機関による調停活動。
e)共同通信などメディアの突撃取材とその評価を巡る論争が、NGOや野党による対北民間・野党外交の意義に対する論争、という具合にです。

 そして事件解決の過程で得られた教訓も多くの点で応用可能です。大きなものとしては

3.人質解放前に、武装集団に先に譲歩(メリット)を与えてはならない
4.武力行使の選択肢を絶対に放棄してはならず、常に「事あらば、いつでも突入するぞ」との圧力をかける必要がある。

 が挙げられます。3は、ペルー政府が服役中のゲリラの釈放に一切応じなかったことを指しています。対北朝鮮では、核開発を不問にして原発や重油をプレゼントしてしまったジュネーブ合意、拉致問題で何らの進展もなくタダ取りされたコメ支援、5億ドルもの外貨で買った「悪魔と詐欺師の抱擁(南北首脳会談)」と失敗だらけです。

 また4は、武力突入しないとの心証を与えてしまうと、相手は安心していつまでも居座り、不法行為を止めないからです。その意味でも、北朝鮮が求める国体護持=体制保証など絶対に応じてはならないのです。

 他にも、
a)の橋本首相の言動が、結果としてペルー側の性急な軍事行動を抑制し、トンネル掘りや入念な突入訓練など綿密な作戦計画を立てる「期間の利益」を与え、人的犠牲を最小限に抑えた。反戦平和運動は、たとえ開戦を阻止できない場合でも、一定の意義がある。
b)は何らかの痛痒を感じさせないと、相手は不法行為を止めない。
c)一時、幕の内弁当など豪華な差入れをするのが流行ったが、「人質の真の願いは、差入れの充実などではなく、監禁状態からの一刻も早い解消である」との「正論」が提起された。対北人道援助でも、体制延命にしか役立たないような「人道援助」は厳に慎むべきである。
d)国際調停には限界があり、最終的には対峙する両当事者間で決着をつけるしかない。
e)当局側からこの種の取材活動は利敵行為との批判がなされたが、当局の一方的な主張を検証・掣肘する上で有効との反論もあり、さらに議論を深める必要がある。対北朝鮮外交でも、NGOや野党外交が充分な成果を挙げていない理由を再度分析する必要がある。などが挙げられます。

 これ以外にも重要だと思ったのは、
f)人質は必ずしも「平和的解決」を望んではいなかった。即ちペルー人人質は、何度も武装蜂起計画を立てては当局に制止されており、日本人人質も危険の多い逃亡計画を立てていたことが判明しています。

 彼らとしては、「平和的解決」を名目に拘禁状態を徒に先延ばしさ