原 良一さんからアンデスの声さんへ
投稿日:11月26日(土)
アンデスの声様
お悩みの件、私は、北朝鮮との交渉は、ペルー大使館占拠事件への対処が参考になると愚考します。2年前、朝民研(朝鮮民主主義研究センター)に投稿した拙論を転載します。事件に対する認識などに誤りがあれば、ご教示ください。
朝民研(朝鮮民主主義研究センター)より転載
永遠のジレンマ その1 ― ジレンマというよりリスクでは?―
2003/10/14(Tue) 03:17朝民研(朝鮮民主主義研究センター)掲示板に投稿
T・K生発言に対する、Kazhik、SINKEN、川島各氏の思い入れぶりに私も引き込まれました。多くの親北派人士の言動に接してきた私には、一読してピンと来るものがありました。 忖度するに、多くの親北派と同様この老左翼は、つい最近まで北朝鮮の惨状を事実として受容していなかった。それをいきなり受容させられる体験を強いられ、動転してしまったのです。
我がRENK代表李英和は北朝鮮での「留学生活」に耐え切れず、日本に逃げ帰った(正確には再来日ですが…)後、夫人である李明(リミョン)の前で「俺はどうすればいいんだ」と泣き崩れるなど、精神的に不安定な日々を過ごしたといいます(「朝鮮総連と収容所共和国」小学館文庫から)。
また、9・17翌日の毎日新聞紙上で詩人の金時鐘翁も、「過去の清算などいえた道理ではなくなった」と嘆いて物議をかもしたのに通じる反応です。韓国民主化運動の修羅場をくぐってきた池明観氏の場合、それとの対比で北朝鮮の非道性をより一層理解できたはずで心痛はなおさらでしょう。
私が思うに、池明観氏やKazhik氏が直面しているジレンマはリスクと言い換えることもできます。私は、対北朝鮮との交渉は、「フツーの国との外交交渉」ではなく、
・地域や空間を不法に占拠した武装集団(注1)による
人質監禁立籠もり事件での人質解放交渉」
つまり、ハイジャック事件などへの対応を基本にすべし、を持論にしています。この場合も人質の安全が最優先で、みだりに武力突入をしてはならないのは当然ですが、例外的に武力制圧が許される、またすべき事態が経験則的に成立しています。それは、犯人側が人質に危害を加え始め、人質の被るリスクが突入によるそれを上回ると予想される時です。
(注1)国連に加盟していようが、日本政府が日朝交渉で「黙示の承認」を与えていようが、朝鮮半島北半部を実効支配していようが、私は金正日現体制の正統性を認めていない=主権国家として認めず、単なる地域を「軍事的強占」する武装集団として扱っているので、こう表現しました。
既に一部の集会で発表し始めていますが、私は
・95年以降の300万ともいわれる北朝鮮での大量餓死は、上位カースト(豚金父子を神と崇める核心階層)による下位カースト(「敵対階層」と貶められる奴隷階層)への「銃声なき大虐殺」であり、事実上の内戦であった。
・厳密にいえば、北朝鮮は建国以来ずっと「構造的で制度化された内戦」を自国民にしかけており、敵に指定された階層への粛清、迫害が不断に続けられてきた。悪名高い強制収容所とは、
「整然と秩序だった静かな虐殺」もしくは「重労働を伴う餓死の刑」が執行されている場所である。
との仮説を立てています。
80万~100万人が虐殺されたルアンダ内戦は隣国ザイールなどの介入によって収束され、責任者は国際法廷で裁かれています。ベトナムのカンボジア侵攻は、当初国際社会から非難されましたが、ポルポト派の大虐殺が明らかになって、現在は「止むを得ない介入だった」が一般的です。より小規模な虐殺への対処をもって、NATOのコソボ介入も「人道的介入」と正当化されています。
これらの前例と私見に基づくと、国際社会が北朝鮮に武力介入し、レジームチェンジ(体制打倒)を強いるべき時期は、大量餓死が進行していた95~97年頃だった、との結論になります。実際には、ジュネーブ合意で事実上の国体護持を約束し、重油まで(それも日韓の国費で!)貢いでいたのだからお話になりません。「悲劇が終わってから、真相が明らかになる。気付いた時は手遅れだった」式の不条理は、全体主義体制とりわけ社会主義圏で顕著ですが、隣国であり、間接的とはいえ自国が虐殺に加担する結果になっていたことに、より悔いが残ります。
現在、北朝鮮の大量餓死は一段落し、小康状態を保っていますが、それは殺すべき対象がほぼ殺され尽くすか、国外に逃散したからに過ぎず、「静かな虐殺、重労働付き餓死の刑」は国際社会から見えない形で今も続けられています。しかしそうであっても軍事介入の必要性、緊急性自体は、95年当時よりは下がっています。
長く運動を続けて感覚が鈍磨した私には「静かな虐殺」と見える現状も、「初心者」の池明観氏には「強硬策もやむを得ない、対案がない」ほどの惨状と映って過剰反応してしまったという構図でしょう。
私としては、「今頃気づかれてもねぇ」と共感よりも怒りを覚えた口ですが、理解者を一人でも増やしたい立場にあり、どんな問題であれ目覚めた人を「遅すぎる」と難詰するのは政治的に賢明な態度ではなく、また池氏の苦悩は、対北朝鮮理解を深める上で、自身を含め誰もが経験してきた試練であって、同氏を責めるべきではない、と思い直しました。
個人一人一人の人権を尊重し、「一人の死にも心を痛める。大の虫を生かすために、小の虫を殺す主張や行動に抵抗を感じる」という左翼本来の感性が維持されている限り、私たちは今回のジレンマから永遠に解放されないでしょう。
ルアンダにしろ、カンボジア、北朝鮮にせよ理論上犠牲を最小限にするためには、虐殺が始まる前かその直後に(手段は何であれ)介入し、体制を打倒する必要があります。しかし、それが実行に移された場合、介入の根拠は仮定に基づく未来の死傷者の発生の回避という、極めて曖昧でわかりにくい理由になります。
対して武力行使に伴う死傷者は、目の前に突きつけられるので、「武力行使は誤りだった」との批判になりがちです。しかしこの批判に一定以上の正当性があることは、原爆投下の是非論争や、今回のイラク戦争と国家権力の側が被害の算定をしばしば、それも開戦目的に意図的に誤る事例がいくつもあったことからも明らかです。個人レベルでも、「将来の犯罪者」との予言によって予防拘束される映画「マイノリティレポート」のような社会が、実現されることは悪夢でしかありません。
冷戦初期、米国で「敵の力が強大化する前に先制攻撃すべし」との予防戦争理論が提唱されたことがあったと幼い頃平凡社の百科事典で読みました。この主張は「米国の建国理念に反する」と厳しく批判され、否定されたとありました。それを実践したのが、第三次中東戦争でのイスラエル軍の先制攻撃であり、稼動前のイラクのオシラク原発への空爆でした。米軍による北朝鮮核施設への限定空爆論がことある毎に蒸し返されるのは、その「成功事例」から二匹目のドジョウを狙っているからです。
そんな米国に北朝鮮問題の解決を白紙委任することはリスクが大きすぎる、という認識はここに集う皆様は共有していると思います。
さりながら、前掲のカンボジアに加え、ナチスのユダヤ人虐殺を拱手傍観していた連合国、中国で大躍進、文化大革命の度に数百万~千万単位の死者が出ていた事にまったく無頓着だった、とたっぷり教訓を学んだ後でも、北朝鮮での「構造的で制度化された内戦」により継続される「静かな虐殺」「重労働を伴う餓死の刑」を「民族自決」「内政不干渉」の美名で見殺しにする不作為はもはや許されないはずです。
しかし、では「見殺しにしない」と決意したとして、北朝鮮に政策変更を強いる強制力を持つ勢力は誰かとなれば、それはやっぱり米国の軍事力しかないわけで、批判し、反感を持ちながらもその米軍に依存せざるを得ないというジレンマに再び直面させられます。
右翼・保守派や医療を含む危機管理の実務につく人々は、上記のジレンマをリスクやコストに置き換え、それらを最小化するという論理で合理化し、悩みを克服している模様です。しかし、「止むを得ない犠牲」という合理化は、容易に「死んでも当然」「殺してもかまわない」との堕落に陥りやすい、ということも私たちは多く経験しています。
軍事アナリストで危機管理の専門家の中ではもっともリベラル派に属する小川和久氏が、少年によるバスジャック事件の際、「被害者の人権擁護のためには、(たとえ未成年でも)犯人を速やかに射殺すべきだった」と当局の対応を批判しているのを聞いて、私はとても驚きました。私には(おそらく制圧に時間を空費した当局も)とてもそこまでの割り切りはできなかったからです。
でも、殺された被害者の死因が失血死で、速やかに手当てすれば助かる可能性もあったとも聞いていたので、そうすべきだったのかとも悩みは深まりました。人一人の生き死にの扱いにこれ程動揺しているようでは、来るべき豚金体制崩壊時の混乱時にどうすんだ、との思いも募りました。
結局、結論として私が出したのは、甘いとの批判を忍んでも個々の人命を大切にする感性は維持されるべきだ、との開き直りでした。殆どが作る会の会員でもある救う会と総聯など親北派・護金派が多く含まれる慰安婦問題という左右両翼の人々と話す機会を持つ私は、何の疑念もなく戦前の天皇制軍国主義体制や豚金独裁体制を翼賛する人々(もちろん全員がそうではないが)ともしばしば遭遇してきました。
ある意味悩みが無いから、彼らは気が楽です。主張も単純明快、大変わかりやすい。でもそんな彼らが羨ましいとも思いません。人、特に他者とされる人々の生命や尊厳を尊重しない(そのくせ、そういう奴に限って身内に対しては下にもおかない接し方をするので、とかく内部的には評判がいいから困り者です)勢力が、左右双方の運動で主流にならないように頑張るしかありません。
人間は現状に甘んじ、疑問を感じたり、悩むことがなくなったらおしまいです。
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永遠のジレンマその2 ― ペルー日本大使館占拠事件の教訓 ―
2003/10/14(Tue) 04:20 朝民研掲示板に投稿
私は、対北朝鮮との交渉は、「フツーの国との外交交渉」ではなく、
・地域や空間を不法に占拠した武装集団による
人質監禁立籠もり事件での人質解放交渉」
として対応すべし、を持論にしています。
つまり基本となるのは、各種のハイジャックやシージャック、金嬉老の寸又峡事件、イランやペルーの大使館占拠事件などへの各国当局の対応なのです。この時当局に課せられた課題は、
1.人質の安全の確保、解放の実現
2.武装集団の不当な要求の拒絶
という二律背反を両立させることにあります。
かつて「人命は地球より重い」の迷言の下、日本赤軍に資金や兵員を提供してしまったダッカ事件、逆に「三割までの人質の犠牲は許容範囲」との軍の論理で、武装集団の殲滅を優先させた、例えばチェチェン武装勢力によるモスクワ劇場占拠事件(他事例多数)の両極論を排するとして、私は範とすべきは、「粘り強く交渉しつつも、不当な要求には断固応じず、交渉と並行して慎重かつ周到に武力制圧の計画を立て、機会と必要があれば躊躇なくそれを実行して、最小限の犠牲で解決に到った」ペルー日本大使館占拠事件であると考えます。
私が思うに対北朝鮮交渉は、ペルー日本大使館占拠事件解決のための交渉の拡大版に過ぎず、対応する事例も多々あります。MRTAが北朝鮮、ペルー政府が周辺諸国は当然として、
a)ことある毎に人命優先の解決を訴えた橋本首相(当時)が各種の反戦平和運動。
b)最後まで続けられた水道、電気等ライフラインの切断が経済制裁など北朝鮮封じ込め政策。
c)人質への差し入れが人道援助。
d)赤十字やカトリックによる仲裁が国際機関による調停活動。
e)共同通信などメディアの突撃取材とその評価を巡る論争が、NGOや野党による対北民間・野党外交の意義に対する論争、という具合にです。
そして事件解決の過程で得られた教訓も多くの点で応用可能です。大きなものとしては
3.人質解放前に、武装集団に先に譲歩(メリット)を与えてはならない
4.武力行使の選択肢を絶対に放棄してはならず、常に「事あらば、いつでも突入するぞ」との圧力をかける必要がある。
が挙げられます。3は、ペルー政府が服役中のゲリラの釈放に一切応じなかったことを指しています。対北朝鮮では、核開発を不問にして原発や重油をプレゼントしてしまったジュネーブ合意、拉致問題で何らの進展もなくタダ取りされたコメ支援、5億ドルもの外貨で買った「悪魔と詐欺師の抱擁(南北首脳会談)」と失敗だらけです。
また4は、武力突入しないとの心証を与えてしまうと、相手は安心していつまでも居座り、不法行為を止めないからです。その意味でも、北朝鮮が求める国体護持=体制保証など絶対に応じてはならないのです。
他にも、
a)の橋本首相の言動が、結果としてペルー側の性急な軍事行動を抑制し、トンネル掘りや入念な突入訓練など綿密な作戦計画を立てる「期間の利益」を与え、人的犠牲を最小限に抑えた。反戦平和運動は、たとえ開戦を阻止できない場合でも、一定の意義がある。
b)は何らかの痛痒を感じさせないと、相手は不法行為を止めない。
c)一時、幕の内弁当など豪華な差入れをするのが流行ったが、「人質の真の願いは、差入れの充実などではなく、監禁状態からの一刻も早い解消である」との「正論」が提起された。対北人道援助でも、体制延命にしか役立たないような「人道援助」は厳に慎むべきである。
d)国際調停には限界があり、最終的には対峙する両当事者間で決着をつけるしかない。
e)当局側からこの種の取材活動は利敵行為との批判がなされたが、当局の一方的な主張を検証・掣肘する上で有効との反論もあり、さらに議論を深める必要がある。対北朝鮮外交でも、NGOや野党外交が充分な成果を挙げていない理由を再度分析する必要がある。などが挙げられます。
これ以外にも重要だと思ったのは、
f)人質は必ずしも「平和的解決」を望んではいなかった。即ちペルー人人質は、何度も武装蜂起計画を立てては当局に制止されており、日本人人質も危険の多い逃亡計画を立てていたことが判明しています。
彼らとしては、「平和的解決」を名目に拘禁状態を徒に先延ばしさ
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