カテゴリー「横田家のことば」の記事

2007年1月18日 (木)

横田早紀江さんの訴え(2006/12/14)

拉致問題を考える国民の集いより
 

06.12.14 日比谷公会堂にて
  

音声はBlue jewel Voiceで、聞くことが出来ます。

『横田早紀江さんの訴え』

皆さま、こんにちは。
今日はお寒い中をこんなにたくさんの方がお集まりいただいて、ありがとうございます。
もうほとんど主人の方が事細かに拉致の経過を話してくれましたので、特に無いんですけれども。
本当に今日、このように政府主催で拉致問題を取り上げていただいて、人権問題として皆さんに聞いていただくような、こんなに大きな会を催していただいた事を思いますと、本当に10年。
約10年と言う活動を続けてまいりました。
本当に何も分からなかった頃からです。

先ほど主人が申しましたように、20年間と言うものは、全く何の情報も無ければ電話もかかってこない。
何も分からない。
どんなに警察が大捜索をしても、めぐみの事は何一つ分からない。
どうしてこんなに鮮やかに一人の人が、すぐ近くの街角で煙のように消えてしまうんだろう?という事が、非常に私は不思議でどうしたんだろう?と。
本当に苦しくて苦しくて、もう毎日畳を掻きまして大声を上げて絶叫するように泣いておりましたので、隣のおばちゃまがいつも心配して「大丈夫だから、大丈夫だから」と言って、きれいな水仙とか紫陽花の花とか、一生懸命慰めに持ってきてくださった事がありました。

そして活動を始めるに当たり家族会が結成された後、今日もお見えになっている多くの方と本当に心を一つにして協議しながらお互い信じあいながら、今日までやってきました。
そして背後には、先ほども主人が話していましたように救う会と言う会が結成されて、今日もお見えになっています佐藤会長はじめ、西岡先生や前は一緒にしてくれておられた荒木先生や、今もたくさんの全国の救う会の方々が。
私たち本当に庶民、何も分からないただ普通の、単純な普通の母親でしかありません。
父親でしかありません。

非常に難しいこの問題を良くご存知の先生方が、いろんなふうに計画をしてくださり、北朝鮮外交というのは難しいですし、そして私たちが政府に「このようにしてください、このようにしてください」とお願いするにしても、個人では難しくてとてもそのようなところへ出て行くわけにもいきません。
けれども家族会を一つの輪にして、救う会の多くの方々が本当にここまで、もう10年かかっているんです。
この長い間、どれだけご本を書いて発表してくださったり、そして今度はアメリカへ行って訴えよう、今度はジュネーブの国連へ行って訴えよう、今度は韓国の皆さん家族会の皆さんと一緒に会を開いて力を合わせよう、韓国の政府の人にも訴えよう。
いろんな事を隅々計画してくださって、今日まで支えてくださったんです。
本当に私はいつもこのたくさんの方々に、温かい支援の輪と言うものを心から感謝しております。

そしてめぐみの事が分かりますまでの私たち自身は、本当に日本の中での事件だと思っておりましたので、いつもいつも話していて同じことばかりお話しているんですけども、新潟県内でも市内でもいろんな事件がありました。
一番最初にいなくなって一週間、とっても苦しい時間のときに、焼却炉の中から女性の焼死体が出てきました。
「あぁ、これはめぐみちゃんかも知れない」と、すぐに連絡がありまして、ましてや「めぐみちゃんは今日腕時計をして出ていますか?」という質問があって、すぐに机の中を捜してみましたら、バドミントンの強化選手に選ばれたりもして練習量も激しいものですから、「ちょっとしばらく置いていくわ」と確か言っていたなぁと思って引き出しを開けましたら、案の定腕時計がありましたので、「うちのはあります」と言いましたら、「それでは違うかもしれない」と言うことで。

「よく調べてみます」という事で調べていただきました結果、たまたまそれは60歳代の女の方のご遺体であって、違った腕時計が発見されたので、「めぐみちゃんのものではなかった、良かったね」という事で、本当に体が全身がこんなに震えるのか?と思うほど、止まらないんですね。
震えが恐ろしくて悲しさと恐ろしさで。
歯もガタガタガタガタ、どこに行っても震えっぱなしと言う悲しい時間を過ごしておりました。

そして日本海がすぐ近かったもんですから、日本海のちょっと沖に漁船の網にちょっと小さめの女の人の頭蓋骨が引っかかって上がってきました。
「あぁ、これはひょっとしてめぐみさんかもしれない」「誰かにやられて捨てられたのかもしれない」とまた警察から連絡があって、それで前任地の広島の歯科医にすぐカルテを取り寄せてくださいと言われて、それで電話をかけて「こういう事ですので大急ぎでカルテをください」といって、向かいました。
すぐに速達でカルテを送ってくださいました。
それを警察に届けるのに自転車に乗って、本当に足がこんなにもガタガタガタガタ震えて、ペダルが踏めないんです。
怖くて、もう恐ろしくて。
赤信号なのにもう何にも分からないで、皆に大きな声で怒鳴られながら、「わぁ目障りだなぁ、何を言っているんだろう?」と思ったら平気で赤信号を渡っているような、そんな状態で警察へ届けました。

大井埠頭からも若い女の人の遺体が上がってきましたが、そんなのを見て、もう耐え切れないほどの悲しい中を、私たちは通ってきました。
雪が降っても、何とかあの子が雪が降るまでに何とか見つかって欲しいといつも願っていたんですけど、大きなボタン雪が降ってきてもめぐみちゃんの行方は全く分かりませんでした。
電話が鳴るたびに「ひょっとしたらめぐみかもしれない」と飛んで出るようにいつもしていたんですけど、いつも違うんですけど、あの子の声はあれっきり今も30年経っても聞く事が出来ません。

そんな中でこうして救う会が全国の皆様方の温かいご支援を頂いて、そしてたくさんの500万名を越えるような署名を頂き、そしてたくさんの活動資金をこのような会のために、またアメリカへ行ったりジュネーブへ行ったりするいろんなことのために必要な経費のために使ってくださいと。
本当にたくさんの方が小学生の子供たちまで、バスに乗っていると「横田さんのおばちゃん、僕のお小遣いだけど使ってください」といって50円を渡してくれたり、「今日今回は何も買わないから使ってね」といって500円をすぐ手渡してくれたり、そして多くの方がいつも今でも家族会にそうしたたくさんのカンパを送っていただいております。
そのおかげさまでこうしてたくさんの活動を、本当に安心してさせてくることが出来たんです。

そして私たちは講演会もたくさん頼まれて、あちこちでこういう話をしていますけども、家の中は本当に異常な状態にありまして事務所のようになってしまいまして、あらゆる書類とか本とか手紙の山とか凄いものが山積にのようになっておりますが。
頂くものに対しては必ずすぐにどんなに金額の多い少ないに関わらず、全部家族会に入れさせていただいて、そして必ず領収証を書いて判子を押して、本当に遅くまで私たちは大体1時2時頃まで事務的な仕事をしながら、皆さんの本当にありがたいお心に応えて、そうやって伝えてまいりました。

そして私たちは一緒に活動してます中で、いつもこれもお話しするんですけども、署名活動をいろんな県で展開しておりました。
今は亡くなられてしまわれて悲しみは今も忘れないんですけど、増元さんのお父様。
元気なお父さんでした。
九州男児で本当に大きな声で明るい声で、「いやぁ、横田さん元気だったぁ?」と言って出迎えてくださったお父様と一緒に、るみ子さんの写真やめぐみの写真を大きくして、そして街角に立って「署名をお願いしま~す」と何度も何度もお願いしていたんですけども、本当に初めの頃と言うのは今のような関心度は無くて、拉致疑惑と言うような形でしたから、ほとんどの方がさぁ~っと素通りなさるんです。
チラシを出しても全然、手を振って受け取ってくださらない時期が多くありました。

そして「どうか一人でもいいから書いてくださいと、娘を助けてください、るみ子を助けてあげてください、めぐみを助けてください」と、私たちは必死で大きな声で叫んでました。
るみ子さんのお父さんが言われたその時の言葉を私はいつでも胸の中にしまって、この事が本当に大きな根源なのでは無いか?といつも講演会で話させていただいております。
るみ子さんのお父さんはあまりにも通り過ぎる人が多いので、仰っていました。
「本当にこんなに大変な大事件が日本の中でたくさん起きているのに、この24年間と言う長い年月、一体日本の政府は何をしていたんだ」と涙を流して叫んだんです。

私はその時横におりましたので、その時の言葉を忘れる事が出来ないんです。
そしてあのときに、るみ子さんのお父さんに本当にるみ子さんを会わせて上げたいな、と思いました。
私もめぐみに会いたい。
皆がそれぞれの家族に会いたいと思っています。
けれどもるみ子さんの姿はあのタラップからは現れなかったんです。
めぐみもそうです。
たくさんの、有本恵子さんも、皆そうして街角に立って頑張ってこられたんですけども、タラップから降りてこられたのは、本当にあれだけの方だったんです。

そしてその時に、今今日も来てらっしゃいますけどるみ子さんの弟さんは帰ってこられた方に、お父さんがご病気で入院をされていて非常に重体でありましたので、「何でもいいから北朝鮮でるみ子に会わなかったか?るみ子がどんなふうにしていたか?どんな些細なことでも良いから教えてください」と「父に話してやりたいんです」と、一生懸命に回られたんですけども、あの時はまだ帰られたばかりで非常に緊張感もおありだったのか、「見たこともありません、知りません」と「全然知りません」」という事で、もう本当にがっかりなさって、照明さんは大急ぎでお父様のところに鹿児島に帰られました。
そして病床にあってもう酸素マスクをなさっていて、もう非常にあの頃の元気なお姿は無くて、本当にやせてしまわれたお父様が、酸素マスクをしている姿をビデオに録って、この度の映画にも出ていてくださいますけども。
お父さんはそれでもその中で、一生懸命に仰っていました。

「俺は日本を信じる、だからお前も日本を信じろ」と、照明さんに仰ったんです。
「日本を信じる、だから日本を信じろ」
これはどういう意味なんでしょうか?
外務省を信じろという意味でしょうか?
総理大臣を信じろという意味でしょうか?
警察を信じろという意味なんでしょうか?

これはもっと深い意味があると思うんです。
日本の全部の父親・母親がこのようなことになったとき、自分はいったいどうするか?という事では無いでしょうか?
みんなの心を信じて、日本中の人が力を合わせて心を合わせて、このような悪魔のような残酷なことになっている者たちを、絶対に助けようと思う気持ちになることだと、その事を国民全部を信じて頑張りなさいと、言い残されたんだと私は思っているんです。
私はあのときに叫んでいた街角でのお父さんの声と、そして照明さんに残された最期の言葉がいつも私は頭の中にこびりついて離れないんです。

そして今までどんなにふうに・・・(聞き取れず)されてきたか?という事。
10年間の間、いろんな事がありました。
私たちは何も知らない、本当に平凡な庶民でしかありませんから、政府を信じ警察を信じ外務省を信じ、テレビとか新聞に出ることくらいでしか、国民の皆さんもそうですけども、理解する事は出来ませんけども。
私たちはどんなに小さなことでも子供たちの命を助けるためになることなら、どんな事でもしてくださるだろうと信じてきました。

そして金正日の息子であるという金正男さんという、息子さんがこちらに不法入国された事があったけれども、あのときはもう「これで子供たちが帰れるんじゃないか?」と本当に家族は皆思ったんです。
「絶対にこれで政府はこの人をカードにして、こんな大切な人を返すんだから、拉致をした人を全部返しなさい」ときっと取引をしてくれる。
「これで帰れるよね」と本当に喜んでいたんです。
けれどもその時の外務大臣(=田中真紀子:当時)と言う方は、「早く返しなさい返しなさい」と、北に送ってしまわれたという事を聞きました。
そして外務省の方々が、今は外務省の方々もたくさん来ていらっしゃって、こんな事をお聞きになるのは非常に不快だと思いますけど、現実にあったと思って私は申し上げますが、6人もの上の方々が・・・・(聞き取れず)で金正男と言う人を飛行機に乗せて送還してしまったと。
どこに連れて行ったかは、ちょっと私覚えていませんけども、そういう事がありました。

それでも家族の方はまだ一縷の希望を持っていました。
外務省だから、日本の外務省だから、絶対にこんな事を蔑ろにするはずが無い。
私たちには言えないでしょう。
国民には知らせられなくても、この人たちを助けるためにこんな大事なカードを向こうに送るならば、飛行機の中で6人もの人が付いて行ったのなら、必ず中で一生懸命にどういうふうにしているか?という事を、計画してくださっているよねと。
このまんまでは絶対に置かれないでしょうと希望を持って頑張っていたんです。
けれども、あの事はそのまんまで消えてしまいました。

いろんな事がありました。
本当に私たちはいつもこういうふうな分からないことが状況が時々あっても、いつも今でもどうしてだったのか?という事が何も知らされません。
国民にも家族にも知らせていただく事が出来ません。
こんなに大事に私たちが、大事な大事な子供たちを取り返すために、どんなに本当に命がけで戦っているのか?という事を分かっていてくださるんだろうか?と思いました。
そして昔から、もっと、私たちの子供が連れて行かれる前から拉致が行われていましたけれども、その時々でも、あの時こうしていれば次のこの人は拉致をされることは無かったんじゃないか?という事も、たくさん出てきております。
そしてその事はあの時もう少しすれば良かったと、終るようなことではいけないと思うんです。

私はいつも思います。
今日、私はここで家族代表として、救出のために皆様方に娘たちを助けてくださいとお願いをしておりますけども、この拉致と言う問題は、誰の身に起きたか分からない。
本当に恐ろしい大事件なんです。
日本の平和な国の中で、誰も信じもしない様な事が、30年間も待たなければならないほどの大変な問題が、長い長い間起き続けている。
そしてその子供たちは、向こうで今も、今日も、昨日も明日も、お月様を見ながらいつ助けに来てくれるの?と、早く来てと、助けを求めているんです。

蓮池さんや曽我ひとみさんも帰って来られて仰っていました。
誰かがきっと助けに来てくれる。
そう信じて待って待っていたけれども、誰も来てくれなかった。
だから私たちはもうこの国の人たちになって、北朝鮮人になって生きていくしかないと諦めて、180度心を入れ替えて住んで来たんですと、蓮池さんご夫妻は仰っていました。
ひとみさんは、私は必ず誰かが助けに来てくれると思って待っていましたと。

それぞれに思いは違いますけども、どんなに本当に残酷なこの悲しい悲惨な思いを心に持って、あちらに生きている人たちが今もいるかと思うと、ひょっとして今日ここに来て私たちの話を聞いてくださっている皆様方のどなたかが、どなたかの大事なご子息またお嬢様、またご家族の誰かがこのようになっていたかもしれません。
今日その方が誰かがここで、私たちがこちらから聞いて「助けてくださいと訴えられていたかもしれない。
このような大変な問題なんです。

拉致問題だけでなく核まで持つようになったあの国が、麻薬や偽ドルや不審船・テポドンミサイル、ありとあらゆる悪行を本当にやり続けて、そして多くの強制収容所では罪も無い人が今も、私たちの子供たちもどこにいるか分からないんですから、そんな所にいるかもしれません。
どこにいるか、私たちは嫌な事は思わないことにしているから、生きていると思って頑張っているだけのことで本当の事は分かりません。
その中で何の罪も無いのに物凄い虐待を受けながら労役をさせられて、叫びを求めて、早く助けてくださいと嘆いている北朝鮮の国民が一杯いるという事も、私たちは知らなければなりません。

そしてそのような強制収容所から、必死の思いで、9歳から親たちとそこに入れられて、非常に悲惨な恐ろしい状況を見続けてきた青年が一人、青年になってから上手く逃げて、今韓国で北朝鮮の人権問題を一生懸命に取り上げておられますが、その方と一緒に私たちは一度このような講演会をさせていただいたことがあります。
姜哲煥さんという本当に素晴らしい青年ですけども、本当にこのような残酷な事があるという事。
あの国で僕たちが経験した事はこんなことだったという事を、今こんなに平和な日本の国の皆様方に話したって信じていただけないと思います。
けれどもこれは現実であり真実でありますと、仰っていました。

このような事を世界中の人に知ってもらいたい。
まだ私たちのおじいさんとかもそこに放り込まれたままで、今も助けを求めている人が一杯いる。
それがどんなに苦しい生活か?
もう、言うに言えないほどのことなんだと仰っていました。
涙をその方は流しながら、だから私は逃げて、この事を世界中の人に訴えなければいけないと思って逃げてきたのですと、仰ってました。

そして本当に死に至る苦しさって言う意味では、ドイツのガス室でたくさんの方が虐殺されましたけども、そのような方の方がまだ北朝鮮でのあの強制収容所での死を味わう過程と言う意味では、どれほど良いと言うか楽だと言うか、へんな言い方だけどと仰っていましたけど、まだ楽だったかと思いますと。
ガス室は一瞬にして命が絶たれますが、あそこにいる間はもう生きていたくないほど苦しくて、死んだような状態であっても働かされるし、殴られるし、冷たい氷の上に放り出されるし、赤ちゃんを産んでもすぐにその赤ちゃんはビニール袋に入れられて、氷の上に捨てられてしまう。
そしてそのお母さんもすぐに働け働けと言われるような、こんな恐ろしいところが現実にあるんだという事を本にも書いていらっしゃいますし、本当に多くの人間として知らなければならない大事なことだと思うのです。

私たちは拉致問題だけでなく、こんなに悪魔のような事を平然とやり続けている。
たくさんの人たちを苦しめ続けているその国が核を持ったという事は、どういう事が起きるんでしょうか?
これはもう日本の問題だけではありません。
近い韓国、またどこまでも飛んでいくか分からないものを作り続けていたとき、時間稼ぎをする事はもう出来ません。
必ずそこに制裁を加えてでも、戦争をするわけにはいきませんから、制裁をかけて物資を止めお金を止めて、もうどうにも何も出来ないようにするしかないんで、私たちは制裁をお願いしているんです。

皆が幸せになって欲しいと思っているんです。
あちらの国の方々もそんなところから皆出していただいて、本当に自由を得ていただきたいと思っているんです。
めぐみたちも早く、有本さんもるみ子さんもたくさんの、たくさんや市川修一さんも皆元気で。
田口八重子さんも本当に皆があそこのタラップから元気で降りて帰って、この自由の今の、こんなに裕福になった日本の国の中の本当に自由を味わわせてあげたいと思っているんです。
どうか全部が元気で、もっともっと多くの特定失踪者の分からない、名前さえも分からない・知らないでここにつれてこられて、私はいったいなんだろう?と嘆いている人もいると思います。
そういう人たちも一緒に皆元気で帰ってくることが出来るように、私たちは一生懸命に頑張っています。

どこまで体が持つか分かりませんけども、本当に多くの方々のご支援をおかげさまで今日までやってくる事が出来ました事を感謝しまして、そして日本中が一人一人があらゆる人が、国が、政府が、警察が、そして国会議員が、あらゆるすべての人が父親として母親として、こんなことはいけないんだと。
何とかしようと団結していただきたいと願っております。
本当に今日はありがとうございました。(拍手) 

| | コメント (0)

2006年6月20日 (火)

横田早紀江さんの訴え(20006/5/28水戸にて)

【2006年5月28日、茨城県民集会 水戸市民会館にて】

  ◆横田早紀江さんの訴え

Imgp0739

みなさんこんにちは。今日は本当にこうしてたくさんの方がお集まりくださいましてありがとうございます。

私たちは、10年ほど前になりますが、安明進さんが(一部不明)めぐみが北朝鮮で生きているということをはじめて知らされて、本当に20年間何にもわからなかった、子供の消息が、突然北朝鮮というところにいるということがわかったんです。

それから「あぁ、めぐみちゃん、生きていたんだ」と思って二、三年のうちに会えるんだと思ったことが、こんなに長くかかって、そして全国のみなさん方のたくさんの署名を頂きまして、初めのうちは、だれもチラシすら受け取ってくださらなくて、『そんなことって本当ですか?』てこうやって(手を振る様子を示して)通り過ぎる方がほとんどでしたけれども、そんな中から、今は500万名以上の署名を官邸に提出することができましたし、そして皆様のお一人、お一人の暖かい浄財を、家族会の活動のために、全国津々浦々からが、お一人お一人が心を込めて「がんばってください」と家族会の方に振り込んでいただいたおかげで、今回のような訪米、訪韓、以前に行きましたジュネーブの国連への要請とか、前にも二度ワシントンに行きましたけれど、そのようなたいへんな数の費用とか宿泊料とかは、私達普通の庶民ですから、本当にそのようなことできるわけないんですが、本当に皆様方の暖かいお心の中で支えられて、今日まで、こんなに大きなところまで動いて来ることができましたことを、本当に心から感謝いたします。(大きな拍手)

私は平凡で普通の主婦でしかない、このような人の前でお話しすることなど苦手で、逃げることしかなかったようなものが、こんな本当に大変な人生を歩むことになったことすら不思議なんですが、今回、三度目の訪米なんですが、その中で米国の議会の公聴会の証言ということで、日本の家族から、横田早紀江さんということで、初めてそのような場で証言をさせていただく機会を与えていただきました。

本当にどんなことになるのかと思っておりましたけれど、西岡先生とか、島田先生とか、荒木先生とか本当にたくさんの方がこの10年間、・・・以後、どんなに心を砕いて一つ一つ小さく計画を立ててくださり、知恵を働かせてくださり、私たちにできないようなことをこうして実現させていただいたことを、心から感謝しています。

公聴会に行く前の日には、国防総省というところに参りまして、そちらのほうで、みなさまよくご存知のラムズフェルド長官がちょうどイラクにいらしてそこにこられないということがわかりまた時にして、イングランド副長官という方、さっと来てくださって、ローレンス副次官とか、よくテレビで記者会見をなさっているヒルさんという方がいらっしゃいますね・・・そういういろんな方が来てくだしましてそして私達の話をお一人お一人が一生懸命聞いてくださいました。

いつも、アメリカでは感じますが、これはその時だけと思えないほど、お一人お一人のお気持ちがですね、<私達が遠いところをおして訴えに来たんだ>ということを本当にしっかり受け止めてくださって、「本当にこれは大変な問題なんだ。許せないんだ。絶対にアメリカはこの拉致問題を見捨てることはありません。必ず拉致問題のことをきちっと表に出して、忘れませんよ』という強いお言葉をいただきまして、本当に有り難く思いました。

いよいよ27日の公聴会の時間が参りまして本当にドキドキしていましたけれども、それも非常に長い文章を書いていましたので、全部言いたいと思って。『そんなに無理です、ひとり5分しかないんですよ』と言われて、先生方も徹夜のように直してくださって、通訳のスーザンさんという方が、それを訳してくださって、二人で掛け合いをしながら何度も練習をいたしまして、そしてその日の望みました。

本当にスーザンさんは前のときの訪米のときも通訳をしてくださった方で、このとてもよく拉致のことをご存知で、ただ表現する、読むというだけではなくて、通訳すると言うだけじゃなくて、本当に、私がめぐみが船に乗せられて「お母さん助けて!お母さん、助けて! 」と呼びながら壁をかきむしって、爪がはがれそうになって血だらけでしたと言う話をしたときにも、女性でいらっしゃいますから、私の気持ちと同じように、「ヘルプ、マザー!、マザー!、セイブ、マザー!」と本当に上手に、感動的に話していただいて、とてもよいことだったと思っています。

委員長だったスミスさんとか、リーチさんという方も私達が持っていったブルーバッチをすぐにつけてくださいまして、そして壇上に座ってくださって、真剣に聞いて考えてくださって、そして「キムヘギョンさんという子供と会うことはできないですか?会う気持ちがありますか?」という質問をなさって、私達は会いたい気持ちは、本当に今すぐにでも飛んでいって抱きしめてあげたい思っていますけれども、そのようなことに、いろんな謀略を仕掛けてくるのが北朝鮮であると言うことがよくわかっていますから、そのことのためにめぐみをはじめ多くの方々が・・・ですよということで、今も言っているような結末になってしまって拉致問題が本当にこれで終わりになるということを考えたときに、非常に恐ろしい決断だと思いますから、私達は絶対にどうなっているということがはっきりと証明されるまでは、絶対にヘギョンちゃんに会うことはしないと、一生懸命にこらえてすごしてまいりました。

そして28日いよいよ公聴会の時にそれが終わりまして、その夕方にホテルに帰ってきました時に、「明日ブッシュさんとお会いできますよ」という連絡が入りました。もしかしたら会えるのかなと思っていたんですが、「本当にそんなことあるんですか」と言ったら「ホントですよ」ということで、拓也と言う息子がおりますが、一緒に行ってくれましたけれど、その子とお母さんと二人がブッシュさんに会えますよ、ということで、前に中国でハンミちゃんというかわいい女の子が、(親御さんが引きずり出されたことを覚えていらっしゃると思いますが、)そのご一家が、ハンミちゃんと一緒に3人で私達の前にいらっしゃいました。もうひとりの名前をちょっと忘れましたが(キム・ソンミンさんのこと)北朝鮮の放送のほうをやっている方とがいらして、そこでブッシュさんとお会いすることができました。

『本当にこんなにお忙しい時間をとっていただいて、私たちのためにお会いいただいてありがとうございます。』とまずまず握手する手を出しました。ブッシュさんは「私は人権という問題と自由と命という問題に関しては忙しくて会えないという、そんなことはない」とはっきり、「どんなことがあっても時間を作って会います」という表現で、・・・私達に話してくださったときには、本当に前に小泉さんにお会いしたときに、みなさん遠いところから、福井とか鹿児島とか、たくさんのところから年を取った方々がわざわざ面会にあいにきたときも、「1150~12:00までです」ということで、「こんなに短い時間で何が話せるのかしら」、「どうしてこんな時間を決めたのかしら」とみんなで不思議がっていたんですが、そう言うことが思い出されたんです。心があればどんなことでも聞いてあげましょう、私達の国の問題だと、特にそういう思いが募るのが本当だと思いました。
こないだのブッシュさん時なんか、すぐに感じ取れました。

そして座って、質問をしました。本当にどうにもならないんだと、ものすごい忍耐と苦しさと悲しさと絶望が付きまといますけれども、私達はたくさんの苦しんでいる人たちを娘を含めて全部取り戻すためにこうやってがんばってきました。だからどうか、これからもしっかりやってくださいと申し上げたら、「そのとおりだ」

はっきりと、みんなの前で、北朝鮮に向かってメッセージを出されまして、「北朝鮮の国に言いたいのは、このお母さんは何にもほしいものはないんだ。娘を元に戻して、抱きしめたいだけなんだ。この親子を抱きしめさせるべきなんだ。」ということをはっきりとおっしゃってくださいましたし、そして≪北朝鮮が、世界から尊敬される国になりたいんならば、本当に拉致問題を解決するべきだし、このようなことを犯罪として指導していると言うことは許せない≫ということをはっkりとみんなの前でおっしゃってくださいました。

拓也は(皆様ご覧になっているかと思いますが)めぐみの白いブラウスを着た哀しい写真を北朝鮮からだされてきたのをちょっとパネルの大きさにして、、4人で写した萩の楽しそうな写真と二枚を持っていきまして、『これが北朝鮮から出された写真なんです。姉はこんな悲しい顔をしたことがないんです。』といって息子が言いましたら、ブッシュさんはよく見ていらしたのでしょうか、「ふんふん」とおっしゃってすぐそれを受け取られて、そして『この子は、体としてはこの部屋にいないんだけれども、この子の心を私達と一緒にここにおきましょう。』とそう言う言葉で言って自分の横のテーブルの上に置いてくださいました。

さっきの女の子(ハンミちゃん)の泣き叫んでいる写真も持ってきてらっしゃいましたので、「それもだしなさい」ということで、「一緒にここにみんな並べておきましょう。みんなで写してもらいましょう」ということで、きちっとそう言う態度で示してくださったことは私達にとっては本当に嬉しくてたまらないことでした。

どうして、もっと日本の国民が、こんなにたくさんの人たちが闇の中にかき消されたまま、親子が離され、親族兄弟が引き裂かれて、何故自分がここに来たかもわからない、しかも袋に入れられて、船底に詰められて、40時間も日本海の海を漂いながら、そして30年間もの間、監禁されたような状態で、何かひとことでも反発すれば、銃殺されてしまうかもしれない、何か言えば、それこそ強制収容所に送られてしまうかもしれない、・・のような生活をしなければならない、絶対に苦しくても帰るまで頑張らなくてはならない、何があってもと思って、めぐみも今、増元るみこさんも、有本恵子さんも、田口八重子さんも、市川修一さんも、松木薫さんも、みんあ死亡と言われた人たちは、「あ~曽我さん帰っちゃった。蓮池さんも何で帰れたんだろう。私たちは何で帰れないんだろう?」どんな思いであの飛行機を見ていたんだろうと思います。悔しかったと思います。「どうして?」と思って、「毎日毎日明日は必ず来てくれる」そのことだけを願ってみなさんの助けを待っているんだと思います。

日本の国家するべき事です。
家族がこんなに何十年も、動き回ることはないはずなんです!
誰がなってもそんなことではいけないんです。
「私がこの国を背負っていきますから、私を当選させてください」と言った方がしっかりとそれをやらなければならないのです。(拍手で一部聞き取れず)・・・

(拍手で一部聞き取れず)・・・私達は国民を守ってくださいと委ねたんです。その方々が今、一体今をしているんでしょうか?
毎日毎日、いろんな本当に考えられないような、お金、汚職とかとか言うことのために、こんなに立派な人たちが、こんなことばっかりして「お許しください」と頭を下げなければならないんだろうかと本当に悲しくなります。

大切なことは真心が清くなければ、絶対にいけないんです。
何にもいらないから、一生懸命生み出された命を、自分で守って国家が守ってよい人たちを育てていく。そうしたところに、本当に素晴らしい国が、暖かい国ができると私は思っています。(大きな拍手)

(拍手で一部聞き取れず)・・・本当に、神様は、大事なお仕事を、こんな最終的年齢になって、させてくださっているなーということを感謝しています。

どうかこれからも宜しくお願いいたします。(大きな拍手)

◆―――――――――――――――――――――――――◆
この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月28日 (金)

早紀江さんの証言

電脳補完禄さんのご厚意で、サイドバーに、アメリカ公聴会での早紀江さんの証言動画を掲載しました。
是非ご覧ください。

そして、私達が何ができるか、考えていきましょう。

早紀江さんの証言全文も、電脳補完禄さんからお借りして掲載します。
――――――――――――――
  早紀江さんの証言全文
――――――――――――――
本日はこのような貴重な機会を与えて下さったリーチ委員長、スミス委員長を初めとする米国議会の先生方に感謝いたします。

私は今から29年前、1977年11月に13歳で北朝鮮に拉致された横田めぐみの母、横田早紀江でございます。めぐみが中学校からの下校途中に行方不明になってから、どうしていなくなったのかわからない長い長い二十年間の苦悩の日々を過ごして参りました。めぐみが北朝鮮の工作員によって拉致をされたという情報が入ったのは、1977年のことでした。

私たちはめぐみが生きていたのだ、すぐにでも会える、という思いで大変喜びました。けれども北朝鮮にいることがわかって、それから9年以上が過ぎたのにまだ救出出来ません。なぜ助けられないのか、悔しくて、悲しくてたまりません。

金正日は2002年9月の日朝首脳会談で一転して13人だけの拉致を認めました。北朝鮮が拉致した日本人は13人どころではありませんが、彼らは数多くの被害者について、いまだに拉致したことさえ認めていません。拉致の疑いのあるケースは450人以上あります。

娘めぐみと、本日家族がこの席に来ています田口八重子さん、増元るみ子さん、市川修一さんら8人は死亡と通告されましたが、めぐみの骨とされるものなど北朝鮮が8人の死亡の根拠として提供したものは、日本政府の精査の結果、全て信じるに値しないものでした。

これは1年半前にニセ遺骨と一緒に日本政府に提供された拉致直後のめぐみの写真です。めぐみは歌の好きな明るい少女でした。この淋しそうな顔見て私たちは思わず写真をなでながら、「めぐみちゃん、こんな所にいたの? どれほど不安だったでしょう。まだ助けてあげられなくてごめんなさい」と話しかけました。

めぐみの娘、私たちの孫であるキム・ヘギョンさんの存在が明らかになり、今年4月にヘギョンさんの父親が韓国の拉致被害者キム・ヨンナムさんであることがDNA鑑定で証明されました。ヨンナムさんは16歳、高校生で拉致されました。北朝鮮による拉致被害者は日本、韓国だけでなく、中国、タイ、レバノン、フランスなど12ヶ国に及んでいます。

亡命工作員の証言によると、娘めぐみは工作船の暗い船底に閉じこめられて、「お母さん助けて、お母さん助けて」と壁をかきむしって絶叫し続けて暗い海を運ばれたと言います。

めぐみたちはまだ元気であちらにいるのです。本当にもう心身疲れ果てておりますけれども、子供達が助けを求めている間は、どんなことがあっても倒れることは出来ません。

子供達の失われた年月は取り戻せません。世界各国から拉致された全ての被害者たちを助け出し、これからの人生を自由の地で過ごさせてやりたい。ひどい人権侵害に苦しんでいる北朝鮮の人々も助けなくてはなりません。

世界が心を合わせて、「拉致は許せない。全被害者をすぐ返しなさい。それがないなら経済制裁を発動します」とはっきりと言っていただきたいのです。それが私たち家族の心からのお願いでございます。

米国議会、政府、国民の皆様のお力添えをお願いします。
本当に今日はありがとうございました。

◆―――――――――――――――――――――――――◆
この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年4月19日 (水)

横田早紀江さんの叫び(2006/4/16)

悲鳴とも、絶叫とも聞こえる、この声を、皆さんにも聞いていただきたいと思います。


2006年4月16日横浜開港記念館にて

―――――――――――――
 横田早紀江さんの叫び
―――――――――――――

Imgp0568
みなさんこんにちは、長い本当に長い年月ですけれども、この活動の中で本当に沢山のご支援を頂き、カンパを頂き、大変な活動ではありますが、多くの皆さんに支えられ、今日も私のマンションのお住まいになっている皆さま方が、本当に沢山手伝いに来てくださり、始めから終わるまでボランティアとして活躍してくださる方に支えられて今日までくることができました。

     本当にありがとうございます。(拍手)

様々なショックを受けながら、めぐみが消えた52年の11月15日のあの夕方から今日まで。
いよいよ、こんどは、めぐみの夫であったと言われる人の金英男(キム・ヨンナム)さんというという方が出てくる。そしてそれがキム・ヘギョンさんのお父さんであろうと、ほとんど確実なまでのものがでる。またこれも、喜びのショックでありますけれども。

ヘギョンちゃんが現れたことや、めぐみが死亡とされたこと。そして白い骨が、骨壷が私たちの前に現れたこと。そして探し続けていた、めぐみのあの13才の白いブラウスの写真が、本当にどんなに探しても20年間見つからなかった、めぐみの姿が、あの時に、骨の壺と同じ時に、白いブラウスの哀しい目のめぐみが、私たちの目の前に、忽然として現れました。

さまざまなショックがこれでもか、これでもかと、私たち家族を打ちのめしながら、この拉致問題が展開されて参りました。

9年前、私たちが立ち上がって家族会を作って、そして、有楽町や池袋、新宿と、いろんなところに、日本中の元気な若者達、沢山の裕福な方々が、何の苦労もなく、右往左往して歩いていらっしゃる中で、(注:何の苦労もなさそうに、楽しそうに応対する姿を言いたかったのだと思います)『助けてください』『助けてください!』と、署名活動をお願いしましたけれども、その頃の日本の皆様は本当に『何のことやってるんですか』『こんな事、本当なんですか?』と(言って)、みんな、片手をあげて素通りをなさったんです。

雨が降ってカッパを着て、一生懸命声をだして言いましたけれど、こんなことをしていて本当に何になるんだろうと思っておりました。

けれども、いつも私たちは、めぐみをはじめ、たくさんの、何の罪もなく、あの海を渡って、船底に閉じこめられて、連れて行かれたまま、長い長い年月、親を想い、兄弟を想い、日本の国を恋しがって、思い、
『助けて!』
『いつ助けてくれるの?』
『明日ですか?』
『あさってですか?』


と、毎日毎日お月様を眺め、星を見ながら、助けを求めている。

またそれは日本の国だけでなく、先ほどもお立ちになった崔祐英(チェ・ウヨン)さんのお父様他、沢山の韓国の拉致被害者の方。

またあるいは、ジェンキンスさんや、いろんな方からの証言がありまして、各国、12カ国ほどの、沢山の国々からも、何の罪もなく沢山の人たちが、いろんな形で、あの北朝鮮に連れ去られて。

全く違った人と結婚させられて、『私はこの人と結婚したくなんかありません』と日本の国のように一言でも言おうものならどんなところに追いやられるかもわからない、本当に恐ろしい監視の中で、『はい』と言うしかないんです。

めぐみのあの哀しい目は、そのことを物語っていました。

私は本当にあの写真を出されたとき---

--骨の壺を見たときは、『この骨は私のめぐみのものだとは思っておりません』と『めぐみは生きている』と『お母さんそれを信じないで、私はここにいるのよ、助けて!』と言っている声が聞こえるようでした。

---けれども、あの写真は本当に酷いものでありました。

あんなに明るかった、元気だった、大きな声で『今日はね、お母さんこんな事があったのよ』と毎日玄関から大きな声で、学校での内緒も明るい声で教えてくれた、また大きな声で歌を歌い続けていた、あの子が脅えた目で哀しい目で、『どうしたらいいの?お母さん』『お母さん、私はどうしたらいいの』と言う目で、私たちを見つめていました。

『あーぁ、めぐみちゃん、こんなところにいたのね』と私は思わずあの写真をさすって、涙が止まりませんでした。ふたりの弟たちも本当に声をだして泣きました。

こんな酷いことを、長い長い年月、拉致をしたこともない、そんな人は一人も入ってきたことはない、見たこともないと言い続けていた北朝鮮が、拉致を認め、挙げ句の果てに、このような無惨な姿のかわいそうな娘の姿を、平然と家族の前に出してくるわけです。

そのようなものしか持って帰ってくることのできなかった、政府の方たちも本当に大変だったと思いますけれども。

この拉致問題というのは、誰がこのようなめにあっていたかわからないような、大変な問題が日本の中で長い年月、行われ続けていたということがようやく今、わかりました。

今私たちの目の前にお座りになっていらっしゃる皆様が、私のようにここに立って、『助けてください。皆さん聞いてください。』とおっしゃっていたかもしれなません。。私がその場に座って、涙を流していたかもしれません。

めぐみの問題だけではないのです。
増元るみ子さんだけの問題ではないのです。
特定失踪者の名前もわからない方達が、まだ北朝鮮の土地で、『私は探してももらっていないんだ。だーれも母も父も、ここにいることを知らないんだ』と『どうしたら日本に帰れるんだろうか』と、嘆いている方がたくさんいらっしゃるのです。

この問題を解決するためには、人間全部の、魂の強さが必用です。家族だけでは有りません。家族は我が子ですから。我が父ですから。何とか助けてあげたいという気持ちが必然的にありますけれど。

これは国民全部の大切な問題であります。政治家の問題であります。警察の問題でもあります。

官邸も外務省もあらゆる日本中の人の心が本気で、この人達を助けるのが当たり前のことなんだという想いで、一つになって熱を持って戦って行かなければ、このことは絶対に解決していかないのだと思います。(拍手)

北朝鮮は様々なことを言ってきます。
めぐみの夫であろうと言う人が、現れたとたんに、その金英夫という人とめぐみの娘であるキム・ヘギョンちゃんという人たちを、軟禁しているというニュースが入ってきました。
私は、もともと北朝鮮の国そのものが、国民の全部の皆様が軟禁されているような状態であるんだと私ども思っておりますから、『あぁ、またこんな風なことを言っているんだな』というような想いで受け止めておりますけれど。
本当に何をするかわからない国なんだなと言うことも、恐怖の素になっています。

日本にはたくさんの在日の方々もお住まいになっています。
この方々はこの方々で様々なご苦労をなさっていたと思っています。

北朝鮮に沢山の身内の方を、帰国させられて、その人達を人質に使って、『もっと、これだけもののをよこしなさい。』『たくさんの金銭とこれだけのものをもってきなさい。』『これだけのものを持ってきなさい、そうでなければ、あなたたちの家族もどうなるかわからない』というような恐ろしいことを言われて、なさって、一生懸命にその貢物をしてこられて、苦労してやってこられた方が沢山いらっしゃるんじゃないかと、私たちは、本を読んだり、お話を聞いたりして思っています。

    みーんな犠牲者なんです。

たった一人の罪深いもののために、これだけたくさんの人が、世界中の人たちが苦しみ続け、たくさんの北朝鮮の善良な、純真な国民のみなさまが、何の罪もないのに、食べる物もなく、餓死に追いやられている。その体は、どこともわからないところに、押しつぶされて、ブルドーザーで埋め込まれているような、そのような国に対して、どれだけの世界中の人々が立ち上がって、『そんな恐ろしいことは、人のすることではありません。もっとあなた方の平和な、本当に自由な生活をしようと思いませんか?暖かい交渉をしながら、あなた方もまっすぐにたくさんの世界の中に出てきて、本当の話をして、助け合って行きませんか』と言うことを、世界中の沢山の人たちが、声を一つにして、北朝鮮にメッセージしていかなければならないのではないかと思っています。(拍手)

訪米をしまして、下院議員の公聴会に出席をさせていただきことになりました。
私のような、学歴もない、英語もはなせないこのような難しい問題なんて何にも知らなかった、普通の主婦である私が、こんなようなことが、本当にできるんだろうかと、プレッシャーでいっぱいですけれども、本当に今お話しましたような事を、いつも心のおいて、あちらの公聴会この問題を、世界の人の知っていただきたいと、お話をさせていただきたいと思います。(拍手)

シーファーさんも、この間、新潟のめぐみのいなくなった現場にわざわざ足を運んでくださいました。
そして私たちにおっしゃいました。『テレビや新聞などで、報道で聞いているのと違って、本当にこの町で、本当にうちが近いこの角で、あんなに小さかっためぐみちゃんが、どうしてあんなむごい目にあうのか、なんと酷いことが行われていたんだろうと、哀しくなります』と涙を流してくださいました。

『私はブッシュさんととても仲がいい。ブッシュさんは大統領ですから、向こうのブッシュさんはじめ、多くの高官のみなさまに、この問題をしっかりお届けしておきますよ』と言ってくださいました。『だからあなた方も、訪米をしてお話をするときに私のことを忘れないでください。』とまで言ってくださいました。

日本のマスコミの方々も、私たちに今は一生懸命付き従ってくださって、しっかりこのことの解決のために、本気でずーっと、長い10年近く、本当に懐かしい顔を見せてくださって、私たちを助けてくださいますけれども。

今でもまだ、こないだの、金英男(キム・ヨンナム)さんのことが出たときに、すぐに、ある新聞社たちは、たくさんの新聞社達が、すぐに平壌に行って、宋日昊(ソンイルホ)という人たちに面会をし、あちらが言っている、『全くそんなことは知らない』というそういうことをすぐに聞いて、それを報道なさるようなことはしていただきたくありません!(拍手)

その方達も・・・日本人であります。
そのような、向こうの、北朝鮮にそこの(支)局が新設されると思って、みなさん活動なさると言うことも聞きますけれど、

そんなことのために私たちの同胞のたくさんの命がないがしろにされて、あのような国で、埃にまみれたままで、あの土の中に埋め込まれてしまうようなことだけは、絶対に止めてください。(拍手)

本当に全世界の拉致された人たち。そしてあちらに離別していらっしゃる韓国の方達。北朝鮮の国で苦しんでいる多くの国民方が本当に、自由な人間らしい生活ができ、そして良い国として、世界に認められるような国になっていただきたいと、私は思うので、こうして、一生懸命お願いしております。
どうかこれから、よろしくお願いいたします。

◆―――――――――――――――――――――――――◆
この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2006年3月10日 (金)

早紀江さんのことばを英文で!

街頭活動でお知り合いになった方が、座り込みの時の早紀江さんのことばを英訳してくださいました。
掲示板をごらんになっている方で外国人のお友達がいらっしゃる方は、是非この文章を印刷して、お友達に読んでもらってください。

原文日本語はBlue jewel2005/6/26早紀江のことば 
蒼き星々:座り込み記録にも保存してあります。

英訳について、御協力いただいた方は、「日本語をそのまま訳すと、英語表現ではきつい言葉になりがち」との感想を持たれたそうです。
説明に当たっては、そのことも、あなたのことばで添えて、横田早紀江さんの気持ちを伝えていただきたいと思います。
国際的理解が更に深まることを祈って、ここに紹介します。
尚、蒼き星々、Blue jewelにも追って保存します。

この場をお借りして、英訳をしてくださったSさんに心からの感謝を申し上げます。

――――――――――――――――――――――――――
Dear you all,be sharing the prayerI appreciate youFor very,very long time and in the severely high temperature, you have been sitting in this way together with us.

Although today is the last sitin, persons of the families, we, have appealed eagerly to Prime Minister Koizumi for these three days.

"Let's see reality.It continues now , at this time.
My daughter Megumi, she has been captured at the age of 13. She was completely innocent. Suddenly taken on the way from the school. Put on the ship. Have been living, longing for the hometown, under authorities' watch in North Korea. Megumi has been confined in North Korea for about 30 years. Not only Megumi, each oneMs.Rumiko (Masumoto), Ms.Keiko (Arimoto) ,Ms.Yaeko Taguchi, and Mr. Shuichi Ichikawa (Mr.Kaoru Matsuki and Mrs.Miyoshi Soga) in addition to them many many kidnaped victimsThey, in the land over the sea, just at this time, looking up early evening sky which we are just looking up here and they be considering ""My hometown, Japan, in which how the sky will be ? in which the heat of daytime still remains? My father be getting old and whether my family are fine?"" Everyone should be living, longing for a hometown every day."


I wish children should be released to their original circumstances in the earliest date.

In order to realize it, (what should we do?) The Diet members who had visited North Korea repeatedly until now many members had visited Especially, Ms. Takako Doi, Mr. Hiromu Nonaka and Mr.Ryutaro Hashimoto, they were continually calling "Abduction cannot be believed. Such a thing could not be found. " And Mrs. Makiko Tanaka, she is said that when Kim Jongnam was restrained for illegal immigration, she called, "Return him in a hurry, Return. Should him return in a hurry". Thus, although I am exposing their name, I don't know whether it is suited for good sense. But we are sad truly.

Supposing your children were actually in such circumstances, then . (since I think that those people might not be able to suppose) I want to take out anyone's name to call. Now, in the stage North Korea accepts the abduction problem clearly I want to ask them, "How do you think? How do you consider? How do you feel us, victims' families? " and "What have you considered of the victims who are left in North Korea?" I always think that they should stop hiding, they should appear on television and they should speak before people clearly.

And I want to ask the workers of mass communication to help through the job. (why don't they cover to the politicians those things). Of course those Diet members are same Japanese as us and they've visited there repeatedly. I suspect they will surely know various things. Many times, I've felt they've known but tell nothing.


At the time of meeting the officials of the Ministry of Foreign Affairs or highranking government officials, "There is no your statement any but, do you get to know anything?" "Whether is she alive, is dead, what has happened, and where is she, or you know about someone's things?" I may sometimes ask them. However, their statement is "No, nothing are known."

Actually, this problem, the abduction problem of North Korea has been hidden into darkness. Although three families returned, other person's things are not known at all.

"This is Ms. Megumi's ashes, " they said and the bones were taken out , but those are completely different as a result of identification those belonged to two others. North Korea is a country has been performing such fearful cruel things. I feel sadness with why our government dose not face firmly to North Korea.
I think that ,as a matter of course, Japan should say clearly to them, ""We can't allow any longer,we will carry out sanctions."" "

People who came back might have many experiences for 24 years their living in North Korea. Since they returned through much trouble, Prime Minister Koizumi, the National Police Agency, the Ministry of Foreign Affairs and the government, these officials must cooperate with the families of people who returned, to save them firmly, to protect them harmlessly. And then, please, all cooperate together to rescue the remained people. "What's a good way?""So how can we overcome to this problem?" like this, making plans, sharing the wisdom, I hope the Japanese government will carry out to solution with responsibility. ( otherwise the victims can't return to Japan. )
"They may have come back with precious knowledge. ( I guess that there are many things which haven't been informed us. Speaking with them, sometimes I feel they might know something.)
What's the way we can use their knowledge effectively? I'm sure it is necessary that all of us cooperate together, unite and unite the heart to solve the problem. ""The information means thus, so how should we do to rescue the people who are left"", like this, please make plans and perform concretely. Otherwise it cannot progress."

They returned with much trouble,really overcoming many troublesSo the Nation has the responsibility and duty which guard them safely. Actually it is possible that some harms are added to them, so they must be protected carefully, of course. But on the other hand, I wish everybody may share the duty to make plans and to carry out them ,uniting all together, steadily,until truths are clarified.

Now, if economic sanctions are not carried out, I cannot think except it means that Japan, our country do not anything for its people. I want keenly Japan not to be such a deplorable country.
Prime Minister Koizumi it is a wish from us. Please help children. Thank you for your consideration.

◆―――――――――――――――――――――――――◆
この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。