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2008年5月19日 (月)

特定失踪者問題調査会緊急集会 荒木和博氏 拉致解決への提言(4)~2008/5/14~

最後のまとめの所の話を致しますけれど、これまで、横田めぐみさんの事件が明らかになってから11年の間、運動に携わって参りました。最初は本当にささやかな運動でございました。そもそも、やるときに、私は、決して積極的な立場でやっていたわけではない。

やはり、今司会をやっている真鍋もそうですが、私ども政治活動を職としていたものでして、社会運動をやるのはどこれだけ大変かということは、多少は身にしみてわかっているつもりでございます。
やるとなれば、お金の問題、人の問題というのがでてくる。どれくらいの支持を受けられるだろうかということが、当然あるわけでして、それを、本当に越えられるのかという思いでこの運動に関わりました。

私自身の感想から言いますと、この運動ほど、やりやすい運動はなかった。
これは、増元さん家族の方もおられるので、こういう言い方をすると大変、非常に失礼な言い方になるかもしれませんが、これだけ多くの方々が、関心を持ってくださるとは正直最初は思っていませんでした。

やはり、これは日本という国は、捨てたものではないというのが私の感想でございまして、それが次第に大きくなったことによって、9.17を迎えることができたんだと思っております。
唯、これは、誰が悪いという話でもなくて、私自身の反省を込めて申し上げれば、あの時、9.17に5人が帰ってきた、それがある意味自分取っても、甘えとか、おごりとかそういうものが出てしまったのではないかということでございます。
運動がほっぱらかしにしていても動いていくものだというような気持ちが無かったかと言うことでございます。

そのあと、特定失踪者問題調査会を作ったわけでですが、ご家族の皆さんには--今日も何人もお見えでいらっしゃいますけれど--大変いろいろ御協力を頂いて参りました。そして「よくやってくださる」というふうに、ご家族の皆さんは言ってくださるんですけれど、我々自身が、そのことに甘えているのではないか。現実問題として、その中でだだひとりとして取り返すことができないような状況でいるわけでございまして、私どもは、やはりそれに対して痛切にその責任を感じなければいけないのではないかというふうに思います。

私自身、<平成18年中に拉致問題を解決する>と言いました。これはもちろん私一人で解決すると言う意味ではなくて、解決するのは、みんなの力でで解決するものですが、しかし、それに携わっているものとして、それが実現できなければ、その責任を取ると言いました。結果的にそれは、実現できなかったわけでございまして、その責任を必ず取らなければいけないと思いますが、現在敵前逃亡するわけにいきませんので、その道筋(拉致解決の道筋)を最低限付けるところまでしてからと思っておりますが、ともかく、今、改めて我々はこの運動がなんなのか、何のためにやっているのかというのを、そしてどうしなければいけないのかということを、本当に考えなければならない時に来てると思います。

5/6のメールニュースを流すまで、私自身も、いろんな事を考えまして、いろんな事を悩んで参りました。
しかしここでやらざるをえないだろうと。これから先、どういうような動きになってくるかわかりませんが、やはりこれから先、様々な動きをしていかなければいけないだろうと思っている次第でございます。
この「いくつかの試み」と書いてあるのは、それ自体はそれほど大きな事ではないのですが、それは、現実問題として事態を動かすための動きを更に本格的にやっていく必要があると確信を致しております。

最近あちこちで、言っていることなんですが、この国というのは、これまで何千年もの間、あるいは何万年もの間になるかもしれませんが、今生きている一億二千万より遥かに多くの方々が、生まれて死んで、生まれて死んでと言うことを、続けて参りました。この地には、又これから先、我々の子孫が生まれて死んで、又生まれて死んでというのを繰り返していくのだろうと思います。
だから、今、生きている我々は、日本人の中では、そのほんの一部にしかすぎない。
でも、我々の先輩も、次の世代も、何一つも、ことばを発することはできません。
選挙でもちろん投票することもできないし、「昔から見れば、こういう風に思っている」だとか「未来の人間からすれば、こうしてもらいたい」とかそんなことを言うことは、一切できないわけでありまして、ならば、今生きている我々がしなければならないことと言うのは、少なくとも、過去この国を作ってきてくれた先人に対して、恥ずかしくない国作りをして、そして次の世代に恥ずかしくない国を渡していくと言うことであろうと思います。

そのために我々は、何らかの犠牲を払わざるを得ない。

これまで何十年もの間、隠し続けられてきた拉致問題をこじ開けるということは、我々自身が、場合によっては、我々は見なければよかったというものを見ることになるかもしれません。

ほったらかしておいて「いやそんなもの中々難しい問題」、「憲法改正しないと無理です」とか、そういうことを言って、そして時が過ぎてしまう。みんなご家族も、被害者も死んでしまってから、盛大な慰霊祭でもやって、そしてその後(北朝鮮人権問題)啓発週間は続くんでしょうから、「こんなこと、繰り返さないようにしましょう」とか、美辞麗句を並べたてるのは簡単ではあります。でも、それは、我々には、許されないと思います。

これから先、私も、もっと、そう言う意味では、あちこち、ぶつかることを言いながら、やって参りたいと思います。ともかく帰ってくれば・・何とかなるという思いでございまして御協力を御願いしまして私の話を終わります。

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特定失踪者問題調査会緊急集会 荒木和博氏 拉致解決への提言(3)~2008/5/14~

『救出運動の姿』と言うことでありますが、9.17の前、つまり今から5年半前ですね、北朝鮮が拉致を認める前は、これは、まだ北朝鮮は拉致していないと言っている人が、朝鮮総連だけではなくて、日本国内、日本人でもいました。今日本で実は北朝鮮は拉致をしていなかったと言う人は一人もいないわけでございまして、それは、あとはどうやって取り返すかという問題です。取り返さなくて良いと言っている人もいないわけでありまして、本音はどうかわかりませんが、ともかくヤマタクさんだって誰だって、拉致被害者を救出するためには(北朝鮮と)話し合いが必要だと言い方をしているわけで、そこは、国民的コンセンサスができているのではないかと。あとは、基本的な方法論の違いの問題だと言うようなことでございます。

ですから、そう言う中で、一体我々がなんで9.17で拉致被害者を5人を取り返すことができたのか?
あの時、私が救う会の事務局長の立場で、ともかく北朝鮮に圧力をかけて、そして政府を動かして、取り返させるという方針でございました。だから、田中均さん、そして現在の福田総理、あるいは小泉総理のやっていた日朝国交正常化優先の動きには反対だったわけですけれども、しかし、じゃぁ、我々がそういうふうにしようとしていた<強行一辺倒>のやり方でやっていて、拉致被害者が帰ってきたか、北朝鮮が拉致を認めたかというと、そうではなかったと思います。

これはもう正直にやはりあの時に、一方に【絶対に拉致は許さないという意思】があり、そしてその一方で、【まぁ多少棚上げしても、国交正常化をやりたい。しかし、国交正常化をやるためには、拉致問題のなんだかの進展がなければいけない】というふうに思っていた人たちが平行して--全く結果的ですが--平行して動いたからこそ、あの9.17で金正日が拉致を認めることになった。

我々の動きがなければ、もう拉致を認めずに国交正常化が進んでいったでしょう。
そして逆にあの田中均さんたちの動きがなければ、今でも北朝鮮は拉致を認めていなかったかもしれないと思います。

ですから、これから先、今方向性が少なくとも、<拉致はどうでもいい、被害者は死んでいてもかまわない>と言うものでない限り、我々は、できるだけ多用な方法をやっていくと言うことが必要だろうと思います。

この拉致問題に関心を持っている人でも、保守系の人もいれば、左派的な方々もおられる。法律家の会の先生方でも、九条の会とかですね、そう言う種類のどちらかと言えば左よりの団体に所属している方もおられますし、しかし、そう言うものは、最終的方向では同じであると言うことで、それぞれの立場でやっていくことによって、大きな果実が得られるのではないかと思っています。また一つの考え方だけでやっていけば、その間違いを何も修正することはできません。
やはり私を含めて様々な間違い、試行錯誤を、繰り返さざるを得ない。その中でやっていくわけでございまして、だからいろんな立場の人が、いろんな意見を自由に意見が言えると言うこと我々は最大限活用していく必要があるのではないかと思います。

そして、人権問題の視点から言いますと、日本人の拉致被害者だけを取り返すと言うことは、絶対に無理な話です。
こないだみたいに極一部だけを取り返すと言うことであれば、場合によっては、金で買い取るということもあるでしょう。そういうことも全くないとは言えません。

全ての拉致被害者、日本人だけ取り返してくると言うことはできないわけでありまして、逆に言えば、日本人の拉致被害者全てを取り戻すことができるという事は、他の国の拉致被害者も帰ってこれるようになるわけですし、そして強制収容所の中で苦しんでいる人も解放することができるようになる時であると私は、思う次第でございます。

だから拉致問題というのは、今北朝鮮の人権問題に取り組んでいる様々なNGOと協力しながらその実現を図っていく。我々自身もそう言う問題に関心を持っていく必要があろうと思ています。

今後のこと。実は5/6のメールを出した後、いろんな事を感じられた方があったようですが、正直言って現在の救う会に不満を持っている方も、少なくない。そう言う方からすれば、新たな組織を作るべきという気持ちを持っている方もいることは、事実でございます。しかし、さっき申し上げたとおり、運動を敢えて分裂させる必要はないと思っております。第二救う会的組織とか調査会の支部というのは作るべきではないと思います。

唯、5/6のニュースでも書きましたが、政府と共催でやる大集会--今、私は嫌われていて呼ばれる事はないようでございますし--しかしその集会をやる場所は、特定失踪者のご家族もたくさんいる地域もあるわけでございまして、このままでいくと、未認定被害者、特定失踪者の問題が運動の中から消されてしまう可能性があると思います。

そう言う事が無いようにするために、緩やかなネットワークを作って行くべきではないかとと思います。
それは、趣旨に賛同する団体、各地の全国協議会に入ってる救う会でも、ブルーリボンの会でも何でも、そういう拉致問題に取り組んでいる団体同士で、お互いに情報の共有、意見交換等々をするための組織を作っていけないだろうかと思っています。

これは、上下関係もなく、我々が例えば、『こうしなさい』と言うわけでもなく上下関係はなく、横の繋がりで情報の共有を、少なくとも認識が異なるというのはできるだけ避けるための組織ができないだろうかと思います。
もちろん調査会のやっていることに『我々反対だ』と言ってもらって全くかまわない。

集会につきましては、我々は、基本的に今まで、ほとんどやって参りませんで「しおかぜの集い」ぐらいだったんですけれど、これから先、調査活動支障がない範囲ということになりますが、敢えて小規模な集会を各地で開けないだろうかと思っています。今まで集会を開いたことがないような場所で、それについて知っている方が少ないようなところで、人数も少なくても、場合によっては、ほんとうにやってみたら数人しかこなかったということでも、それでもかまわないと思います。少しでも多くの方に知っていただく、そしてその方々から、直接「自分はこう思っているんだ」と言うご意見を聞きながら、こちらもお答えしていく、あるいは、それのよって我々のやっていることも直していくというような集会ができないだろうかと考えています。

我々今まで各地で『特定失踪者のご家族との懇談会』をやって参りましたけれど、それと合わせるような形で、できないだろうかと考えています。

それから1年ちょっと前、我々政府から出る予定であった600万の予算をけっ飛ばしてしまったわけですが、政府と一体化しないと言うためには、やはり自力で持久戦ができるだけの力をなんとか作らなければいけないと思っておりまして、これも、新たな財政機関、その強化をしていかなければならないと思っております。

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特定失踪者問題調査会緊急集会 荒木和博氏 拉致解決への提言(2)~2008/5/14~

今私は、薄々、まだ具体的にこういう事があると申し上げるところまでいかないのですが、あくまでそうじゃないかと思っているというレベルなんですけれども、この問題は戦後体制だけでなく、戦前の問題が必ず何か入っています。
そのひとつは、おそらく、敗戦後の<残留日本人>の問題があるんではないかと思います。いろんな形で北朝鮮残った残留した日本人が相当の数いると言われています。平壌だけで1000人ぐらいの方が残ったと言われておりまして、これは中国残留孤児と同じような形で残った子供もいたでしょうし、大人でたとえば配偶者が朝鮮出身の方でそのまま残ったとか、いろんなケースがあったと思います。その人たちが、何らかの形で(拉致)に関わった可能性があると思います。拉致をした人を管理する仕事とか、あるいは、そう言う方々が「ここにこういう人間がいるよ」と教える役割をしたかもしれません。

こないだ蓮池透さんが書いたものをみましたら、その中に蓮池薫さんが、北朝鮮に連れて行かれてから日本に帰るのを諦めるまで、どのくらいかかったかということが書いてありましたが、「1年」と書いてありました。帰ってくるまで24年のうちの最初の「1年」で諦めてしまったと書いてありました。
蓮池透さんが書いたものには、全く同意できない部分も結構あるんですが、あれは本当のことだろうと思います。

おそらく精神状態からいって、あのように無理矢理連れて行かれて、そこでとんでもない状況のおかれるわけですから、その時もし、自分の精神の平静を保とうと思ったらば、自分がそこにいることを合理化する以外に方法はないだろうと思います。私もおそらく北朝鮮に連れて行かれても同じだったのではないかと思います。

そうすると、そこで北朝鮮側は「日本は戦前とんでもないひどいことをしたんだ。だからおまえたちはその罪の償いをするんだ」というふうに教育したはずです。それは八尾恵さんなどの本の中にも似たようなことが出て参ります。

そしてそう言う中で、拉致された人たちが、どう言う風に考えたかといえば、いつまで経っても日本から取り返しに来てくれるわけでもなんでもない、そしてその一方で北朝鮮側から『日本は昔ひどいことをしたんだ』と教えられる。その国の中で生きのびていくためには、やはりそれを認めるしか方法がない。実際日本から助けに来ないわけですから、結局日本に対する憎しみ、祖国に対する憎しみを持った状態でいる。そうしたらその人たちが、やがて何をするかという事は、ある程度想像できるのではないかと思います。

やがて拉致問題が全てわかったとき、こういう話が全部出てくるだろうと思います。我々はその時一体どのように相対しなければいけないのか?その人たちに「一体今まで何をしてくれたんだ?助けに来てくれたのか?」と言われて、我々一体どう答えるのでしょう?
「憲法の制約があったから、行けなかった」と答えるのか、「戦争を起こしてはいけないと思ったから行けなかった」と、答えるのか?どういうことばを使ってもおそらくそれを繕うことはできないだろうと思います。

そう言う状態だった事を、ある程度は少なくともこの国の中枢にいた方は、何十年も前からわかっていたはずです。
1970年代後半からの久米さんから始まる政府認定者の拉致より遥か以前から北朝鮮が拉致をしていたと言うことは、おそらく警察官僚とか、もっと上の人たちは知っていたはずでございまして、それを表に出してこなかった。表には出してこなかった事で一つものを隠してしまったなら、次の事も又隠さなければならない。現場で一生懸命動いている警察の方が「これはおかしい」と思っても、それを「いやそれは、自分でいなくなったんだよ」といって隠してしまう。そう言うことが続いてきて、いつのまにかそういう隠蔽のキャリーオーバーが起きてしまったのではないかと言うことでございます。

昭和17年の6月、ミッドウエイの戦いで日本海軍は、壊滅的な打撃を受けるわけでございますが、あの時それは、全て隠されてしまった。陸軍も知らなかったし、天皇陛下にも伝えなかったというような状態の中で、次の作戦は全部間違っていくわけです。そしてそれまでは、比較的戦果の報告というのは、比較的もちろん損害も含めて正確にやっていたそうですが、そのあとは、全部いわゆる大本営発表と言われるものになってしまって、結果的には、ああ言う敗戦をむかえるわけでございまして。
今このこと(隠蔽された拉致問題)をこじ開けるのは大変なことでもあり、そしてまた恐ろしいことなんですが、今やってしまわなければ、もっともっとまたコチコチになってしまうと言うことでございます。

それを今やってるのが政府であれば、その政府と一体化するということは、これを完全に蓋をしてしまう事に手を貸すことになります。絶対にそれは、許してはならないと思います。

そういうことで、やっていくためには、我々は『建設的な緊張関係』というものを持って行く必要があるだろうと。
(一部聞き取れず)・・・になります。

そして私何回も言っておりますが「北朝鮮自身が、拉致問題の解決にむけて具体的な行動を取るように求めていく」というこの方針は、これはもうおそらく日本国民の大多数の方は、まさかこんなことは政府が考えていないだろうと思っていると思いますが、これが残念ながら現実です。ここをとにかく変えさせなければいけません。
(北朝鮮が自主的に拉致か解決への行動を取るようなことはあり得ない。話し合いで北朝鮮の態度を変えさせることはできないということ)

政府の責任として国民を救出すると、これを断言してもらわなければ、この問題絶対解決をしない。

そしてそれをやるということは、実際に使うかどうかは別として、いざとなれば武力を使ってでもという覚悟を持つということです。覚悟だけ持って使わなくて済むというのが一番良いのですが。その覚悟は少なくともしなければならない。

少なくとも、情報の収集ですとかそう言うことに対して、自衛隊がその役割を果たすという事は、国家として当たり前の話でありまして、こんなこと憲法以前の問題でございます。

保守派の方々で日本の憲法が変わらない限り何もできないと言う方がありますが、だったら憲法改正まで拉致被害者に待ていてくれというのか?
この国の憲法は拉致被害者を取り返してはいけないと書いてあるのか?
そんなことはないです。
明日かあさって、それはできる問題であって、そういうふうにしなけれいけないと思います。
そしてこれはお役所の段階では絶対にできません。
これは、政治の決断の問題です。決断さえしてくれれば、今の福田総理だって十分にそれはできます。
安倍さんは決断できなかったと私は思っております。
みんな多くの人が期待したわけですけれど、時間的に間に合わなかったのかどうかわかりませんが、時間的に間に合わなかったのかどうかわかりませんが、少なくとも任期中にその決断はできなかったということであろうと、私は思っております。

政治がその決断をしなければならないということを思っております。

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特定失踪者問題調査会緊急集会 荒木和博氏 拉致解決への提言(1)~2008/5/14~

2008年5月14日、東京市ヶ谷 UIゼンセン会館にて行われた、特定失踪者問題調査会緊急集会における、荒木和博特定失踪者問題調査会代表の提言を、数回に分けてご紹介します。
当日の録音から、テキスト化しました。
是非、お読みいただき、今後の拉致解決運動の指針を見いだす参考にしていただきたいと思います。

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司会:真鍋専務理事
みなさんこんばんは。
緊急の集会にこのように多数集まり頂きまして誠にありがとうございます。
本日は、戦略情報研究所の集会ではなく特定失踪者問題調査会の主催の講演と、皆さんとの議論の場にしたいと思っておりますので御協力願い申しします。
本日のテーマは、お手元の紙(資料)にありますように書いてあるとおり、「今後の拉致被害者救出運動に関して」のと題して、特定失踪者問題調査会の荒木より報告、提言をさせていただきたいと思っています。

司会者から今日の主旨を簡単に、申し上げます。
みなさんもお気づきのように、今日拉致被害者救出運動は、明らかに暗礁に暗礁に乗り上げていると思います。
この要因というのは大きく二つあると思います。ひとつは、あの北朝鮮のあのしぶとい政権の存在でございます。二つめは、我々自身の問題、日本の国内の問題だろうと思っております。

本日の集会は、この二点目、「我々日本国内の運動の問題について」荒木より提言をさせていただきたいと思います。この講演の目的は、拉致被害者救出運動の目的、方法論というものを明確にして、この拉致被害者救出運動が暗礁の状態を脱却したいという強い想いから、こうしたテーマで報告させていただきたいと思います。

本日の進め方ですけれども、最初に三十分荒木より報告・提言をさせていただきたいと思います。
そのあと30分ほど司会者の特権として、私の方から厳しい質問を荒木にぶつけていきたいと思います。
残りの30分程度を、どうかご自由に参加者の皆さんから、質問、ご意見を頂きたいと思っております。
限られた時間ですけれども、フルに活用していただいて、今後の新たなる救出運動皆様方の御協力を宜しくお願いしたいと思います。

それでは、早速ですけれども、荒木より報告をさせていただきます。

【荒木和博氏の提言】

 

恐縮でございますが、坐ったまま報告をさせていただきます。

今日はお忙しい中皆様多数お集まりいただきまして、ありがとうございます。またインターネットを通じまして全国の皆様方、ご覧頂いていると思いますが、大変ありがとうございます。今日、こないだのしおかぜの集いを別にすれば、こういった形の調査会として集会をやるのは、初めてのことでございます。それも急に呼びかけを致しまして大変お忙しい中、ご迷惑をおかけしました。

今回、事の発端は、五月六日に出しました調査会ニュースに私が書いたものからスタートになりますが、調査会ができましてから五年、五年半ちかく私ども、やって参りまして、まぁともかく、運動が分裂したという事にになってはもともこもないというふうに思って参りました。ですから少なくとも他の組織に対して内政干渉的なことをすることは慎もうということでやって参りましたし、基本的にはこれからもそのことは、変わることはないんですけれど、今救出運動全体が、大きな曲がり角にきているのではないかと、危機感を最近富みに感じております。

今方向性、(細かいこと、多少の間違いはあとでどうにでもなると思いますが)大きな方向性が違ってしまえば、行き着くところは違うところに着いてしまうわけでございまして我々としては、それは、絶対に止めなければいけない。

もちろん我々にも間違いはたくさんあると思いますが、方向性を少しでも正しい方向に持っていく努力をしていかなければいけないとの思いで、考えました次第でございます。
お手元にお配りしました私のレジメ「今後の拉致被害者救出運動に関して」をご説明しながら話をさせていただきたいと思います。インターネットでご覧になっている方は、このレジメをお渡しできないのですが、先ほど私のブログにこのレジメをそのまま掲載してありますので、ネットでご覧の方は、こちらのブロクと合わせてご覧いただければ幸いでございます。
荒木和博BLOG

これからお話することは、現在救う会全国協議会で方針として出しているものと、ずばり違う部分がかなりございます。我々は、基本的に私達の考え方に全て合わせてくれと言うつもりは、全くございませんで、様々な意見が当然あって良いだろうと。そして最終的に、到達点が同じであれば良いであろうというのが前提でございますが、いくつか問題となるところはあるかもしれません。それも含めてお話しをさせていただきます。

書いてあるとおり、この見解自体は特定失踪者問題調査会荒木の個人的な意見という、非常に中途半端な言い方になりますが、組織的な問題等々に関しましては、30日に我々の理事会をやる予定にしておりますので、それまでに整理をして進めていきたいと思います。

目標日本人拉致被害者の救出ということが究極的な目標であることは間違いありません。ただし、それに至るためには、必要不可欠であるのは、北朝鮮が民主化、自由化されると言うこと無くして日本人拉致被害者全ての救出というのは、絶対になし得ないと思っております。

後ほどお話しを致しますが、やはり我々の特定失踪者リスト470名以外にも、拉致をされている全く身寄りのない方で連れて行かれている方、これは北朝鮮の体制が変わらない限り救出すことはできない方々でございまして、そこまで、我々はもちろん責任を持っているわけですから、それは、北朝鮮の自由化、民主化と表裏一体と言うことでございます。

もう一つ、拉致事件の本質というものですが、拉致事件は、私は二つの側面があると思っております。ひとつは、言うまでもなく国家主権の侵害であり、これは言葉を換えれば、北朝鮮から仕掛けられている戦争でございまして、それに我々が如何に対処するかという問題がひとつ。そしてもう一つは、独裁国家北朝鮮の中で起きている重大な様々な人権侵害その中の一つでもあると言うことであります。
この二つであるという認識を、政府、国会、そして国民が共有しなければならないと私は思います。

「拉致はテロだ」というスローガンでこの間、やって参りました。それが間違いだとは思いません。
それは、テロと言うことを軸にして、9.11以降、テロに対する戦いとして、アメリカと共に歩調を合わせてやっていくためには、そのことばというのは、効果を表したものだと思っておりますが、しかし、この問題の本質的な部分というのは、やはり主権侵害と人権侵害、この二つであろうと、私は思っております。

そして政府に対する姿勢の問題、これが一番重要な問題でございまして、そこにも書いておりますが、政府と一体化するという方針は、私は間違いだと思います。

社会運動が、国家権力と一体化するというのはあり得ない。あってはならない事であって、それをやってしまえば、御用団体以外のなにものでもないというふうに思います。

ただし、私は別に反政府団体をやっているわけでございませんで--政府に方はそう見られるかもしれませんが--自分でそういうことをやっているつもりはありませんので、実際、我々様々な政府機関の方々と現実の救出に関わる問題でいろんな形で、協力をとってやっております。それは、こういう場でお話しできないこことも含めて、それはやっております。

勿論政府の中で、この問題を何とかしようと思っている人が何人もいることは私もよく存じておりますし、メールのやり取りですけれども、「私は命をかけて拉致被害者を救出する」と言ってくれた政府の方もおられます。そう言う思いの方は、事実少なくないと思っていますが、唯やはりこの問題が何十年もの間解決されてこなかった理由の一番大きなものというのは、何と言っても、<国家権力が、これを隠蔽してきた>と言うことにあります。

そこをひっくり返さない限り、この問題の最終的解決はございません。

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2008年5月10日 (土)

4.27国民大集会にて 飯塚耕一郎さんのことば 

【飯塚耕一郎さんのことば】
  ※ 田口八重子さんの長男 一歳の時に母を奪われた。

みなさんこんにちは。
田口八重子の息子である飯塚耕一郎ございます。

本日は、お休みの日にも関わらずみなさん来ていただきまして、誠にありがとうございました。

わたしからお伝えしたいのは、二点ほどありまして、先ほど議員の方たちの話を聞いていたんですが、去年の集会とおっしゃっていることは、変わらないのではないかと思うんですね。というのは、去年に比べて、確かに政府のモジベーションという部分では確かに大きくなったのかもしれませんが、本質的には、変わっていないというふうに正直感じてしまった部分は、否めないと思います。
この1年で何が変わったかと言えば、ここにいる家族のみなさん全員が一つ年を取った、年月、これが過ぎたわけです。

先ほど櫻井さんからテロは継続中であり・・とおっしゃっていましたが、

テロというのは、犯罪ではないんですか?
犯罪が現在進行形で続いているんじゃないんですか?
それに対して、日本政府として、その犯行に対して、「経済制裁」ということだけでいいのか、それだけをすることが果たして、正しいんでしょうか?
【追加の制裁】というのをちゃんと考えて実行していただかないといけないと私は思っています。(拍手)

単純に犯行が続いているというだけで、北朝鮮という国の中で又1年を我々の家族が過ごしています。そのことを受け止めて「追加の経済制裁」というのを本気で考えていただきたいと思います。

いつも、この問題に対して御協力、ご理解いただきまして、ありがとうございます。
ただ、やはり残念ながら若い世代の方々には、届いていない部分があるかと思います。
先日私よりちょっと下の年の方に、この問題についてお話しをする機会がありました。
その時に、その方か言った反応は、「あ、拉致の人ね」という軽い一言だったんですよね。
それは誰が悪いと言うことではないんですけど、ただ、拉致という犯罪が、行われていて基本的人権が損なわれていると、そこをちゃんと考えていただきたいというふうに私は思っています。
ですので、皆さんに置かれましても、若い方とかにお伝えしていただけれな~と思っています
どうもありがとうございます。(拍手)

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2008年5月 3日 (土)

4.27国民大集会にて 市川龍子さんのことば 

 【 市川龍子さんのことば】
  ※市川修一さんのお姉さま

みなさん、こんにちは。市川修一の義理の姉の市川龍子です。
桜も、葉桜になりました。我が家にも国道沿いに一本の桜の木があります。見事な桜を毎年毎年見せてくれますが、その桜を見ながらですね・・歌が好きなので、ちょっと聞いてください。

 風に舞う 花の吹雪に君思う 我が家の桜も待ちに待ちたり

毎年毎年我が家の桜も、待っております。葉桜になりました。
何年待てばいいんでしょうか?

日本の綺麗な桜を見せずして、北朝鮮で死なせてなるものかと思っております。(拍手)
どうしても、日本に・・・
(一部拍手で聞き取れず)

親も92才になりまして、何時旅立つのかと思うと、胸が張り裂けるようです。
なんとしても、両親の胸に修一を抱かせてやりたいと・・いろんな話をさせてやりたいと思っております。

どうぞ・・国会議員の先生---もういらっしゃいませんが---、(会場苦笑と拍手)
私達の代表です。本当に、国家主権が侵されていることに、腹を、もっともっと立てていただきたいと思います。

(拍手で、聞き取れず)

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2008年5月 2日 (金)

4.27国民大集会にて 有本嘉代子さんのことば

 ◆【有本嘉代子さんのことば】  

  ヨーロッパから拉致された、有本恵子さんのお母様

・・・・・(最初聞き取れず)本当に、長いことかかっていますが、娘が拉致されてからちょうど25年になります。そしてこの運動を始めたのが20年前です。
本当にこんなに長くかかるとは、その時は思いませんでしたけれども、それから、どなたかが・・おっしゃったように、10回以上の会を持って、そのつどみなさまが私達のために足を運んでくださる、これがいっつも、この力で私達が動けたんだなと言う気持ちをいつも持っています。
だから、この問題は、日本の国の問題なんですね。だから、めぐみさんとか、有本恵子という一人一人の個人の問題ではなく、国がどうしてもこれは、解決しなければならないという問題ですので、(拍手)・・・・
応援してくださる方がね、「これは、あなた方たまたまに連れて行かれたんですよ、それが私の娘だったかわかりません」 とおっしゃってくださる方があるんです。私達、本当に、そう言う問題なんです、本当に支援してください って(一部不明)

やはりこれは日本人だからそういうこと言ってくださるのだと、私など古い人間ですから、いつもそう思って、日本人は素晴らしいといつも思っておりますので、この皆様方に助けいただいて、いつまで続けられるかわかりませんが、年齢的には(一部聞き取れず)。今後頑張っていって、全部の人を取り返すように、皆様にお願いします。(拍手)

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中川昭一氏挨拶(2008/4/27)

4月27日国民大集会 日比谷にて

【櫻井よしこさん 司会】  
次ぎに自民党拉致問題対策特命委員長としてこの拉致問題に長く関わってくださいました、拉致議連会長代行でもいらっしゃいます、中川昭一さんをご紹介したいと思います。
昨年、中川会長代行はこの場で、日本版テロ国家指定法を、作ることを約束してくださいました。
その後、民主党側と話を続けまして、北朝鮮人権法の改正案を通してくださいました。
この改正案が成立したことによりまして、国際社会が例えば、北朝鮮をテロ支援国家からはずすようなことをしたとしても、日本では、まだ拉致が解決されていないないということをきちんとした理由として、法律に基づいて、北朝鮮対する制裁、そして拉致問題解決の要求を突きつけ続けることができるような、法的基盤ができました。

中川昭一さん、お願いいたします。(拍手)

 【中川昭一氏挨拶】 
本当に日曜日の午後にも関わりませず、大勢の皆様方、そしてお一人お一人が大変真剣にこの会に参加していただいておりますことを、私も心から力強く、また改めて強い責任を政治家として感じているところでございます。

今年もこういう大会を開かなければならないと言うことは、大変残念なことであります。
しかし、こうやって大勢の皆様、国民の皆様の支援があってこそ、この問題の解決があるという事も事実でございます。

家族会のお一人お一人は、毎日大変、大変・・一日千秋の想いで、家族との日本での生活の回復を望み、そのために毎日大変な・・全国を飛び回っているわけでございます。
昨日もテレビで拝見いたしましたけれども、アメリカに対しての要求の署名活動、みなさんが真剣にやっておられます。

さて、「最初の5人が帰ってきて、もう五年も六年も経ったんだから、それよりも、日朝の交渉を早くやったほうが先ではないか」とか、「六カ国協議の中で日本だけが、この問題を最優先にしているとバスに乗り遅れるぞ」というような議論がありますが、これは文字通り、相手の望むところになるわけですから、絶対にこれは阻止をして行かなくては、(拍手)

戦前、日本が、ドイツイタリアと三国軍事同盟を結びました。その時に、米内光政という海軍のトップが、「バスに乗り遅れるな」(というような)やっぱり、七十数年前、同じような議論があったわけですが、米内光正は、「おんぼろバスならば、乗り遅れた方が良い、乗らない方が良い」(拍手)と主張しました。
我々も、間違った方向に行くとんでもないバスには、私どもはこの拉致問題解決という目標がなくしては、何も乗り遅れる方が、乗らなくても、私は、日本のため、国民のためにはそう言う選択の方が、正しいのではないかと思います。(拍手)

さきほど民主党代表がおっしゃいましたけれども、よく「対話と圧力」と言うことばを使いますが、私は、このことばは嫌いであります。
「圧力と交渉」、いや「圧力と要求」、それなくしては、(拍手)・・・・(聞き取れず)

今、町村官房長官もご出席いただき、制裁法の延長を、我々自民党からも要求をして延長していただきましたけれど、効果があります。
でも事態は進展しておりませんから、更に効果をお上げるためにはやはり、制裁の強化、貿易の全面的、実質的な禁止、あるいは、このことを、諸外国同じようにしようと働きかける、こんなようなことが必要なのではないかと、思います。

国民の皆様の良識とそしてそれに、答えるべく、国家の主権を守る、国民の生命と安全を守るという国家の役割を果たしていくために我々与党も、政府と一体となって、また与党だけでなくて今日は各党きておりますけれど、全力を挙げて、議会の場で努力することを改めて本日お誓いを申し上げて、私の挨拶とさせていただきます。

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2008年5月 1日 (木)

荒木和博特定失踪者問題調査会代表挨拶(2008/4/27)

【櫻井よしこさん 司会】
熱血漢の荒木和博さんにご登場いただきましょう。(拍手)
調査会の代表である荒木さん、どうぞ新しい情報、そして新しい戦略をお聞かせいただきたいと思います。ありがとうございます。(拍手)

【荒木和博特定失踪者問題調査会代表】  
ご紹介いただきました荒木でございます。
最近北朝鮮政府のみならず、日本政府にも嫌われてしまっているようでございますけれど・・ (笑)
今、官房長官が退席されたのは、べつに私がしゃべるからでは、ないとは思いますが、(笑い)普段から、嫌われることばかり言っていますので、急に変えても、おかしくなるんではないかということで、多少は、辛口の話もしなければいけないと思います。

先ほど、官房長官の話を聞いていて、様々なことをやっておられると言うことについては、もちろん十分に私も、理解をいたしております。

フランスの新聞に拉致の問題が出たというのが出ておりましたけれど、これもまぁ、政府が努力をされて、そして救う会、家族会の方々がバックアップされたからできたことで、このようなことを進められると言うことは、私ももちろん、大変評価をさせていただくことでございます。

ただ、やはりお話を聞いていて、 一番ど真ん中が、欠けているのではないかということを、感じざるを得ない。 (拍手)

今、この外にですね、外のロビーを出て、階段を降りたところに、北朝鮮の工作員が侵入するための水中スクーターの1/1の模型をを展示してございます。去年の12月の我々が自衛隊の広報センターでやりました「しおかぜの集い」にあわせて、作成したものでございますけれども、お帰りの際に、是非これをご覧になっていただきたいと思います。

相手が、こういうものを使って上陸してきて、そして日本国内で好き勝手なことをやっていく連中でございます。 こういう相手に対して、戦い無くして、話し合いで拉致が解決できると、そういうふうに思うのであれば、  それは、ある意味、国民に対する、裏切りであるとしか私は、思えない。 (拍手)

私ども、政府の関係各機関のかたとは、必要なところでは--正直言ってあまり表には言えませんが--それはもう、解決できれば、我々なんでもやります。我々の嫌いな人の所に行って、靴をなめたって、土下座でも何でもします。それで解決できるならばいいのですが、大変こういう場で、失礼な事を申し上げますが、運動というのは、全部丸ごと、同じようにしたら、運動の力というものは、無くなるものだと申し上げざるを得ない。
これは拉致の運動を始める前から、私自身が、政治活動を15年間やってまいりまして感じたことでございます。

我々調査会の中だって、意見は様々別れております。私と専務理事の真鍋だって、もう30年ぐらい、ケンカばかりしております。でも、それをやることによって、お互いがチェックされ、そして間違っているところは直すことができるんです。

それぞれ、違う運動家がやらなければいけないのは、お互いに足らないところを補い、もちろん協力するところは協力するという、是々非々の姿勢を貫くことではないだろうかと思います。

それがなければ、逆に我々今やっていて思いますけれど、単に、「ご一緒にやっていこう」ということだけであれば、それは政府の中で、本当に一生懸命やりたいと思っている人たちの動きを逆に、止めることになるのではないかという、懸念でございます。

前の安倍政権の時が、正にそうでございました。安倍さんになったからいいだろうと、もう大丈夫だろう、安倍さんと一緒にやればいいと思ったことで、一年間、--それが、全てがもちろんムダとは言いませんけれど--時間を費やしてしまったこともあったのではないかと・・

必要なことは、先ほど、○○さんがおっしゃいましたけれど 「決断」 でございます。
その決断というのは、政治と、ここにいる各党の先生方による決断で、政治が決めなくてはいけない。

官僚機構が、どんなことをやったって、この問題の解決は、絶対にできません。(拍手)
全ては、政治決断 。
そして、その政治を動かすのは、今日、こうやってゴールデンウィークの最中、お越し頂きましたみなさんの声です。
その声によって政治家を動かしてきたからこそ、この11年間、ともかく他の国に比べれば、他の国、韓国に比べても、この拉致問題は、日本に於いては大きくなり進展はしてきたと言うことであろうと思います。これからも必要なのは、そういう事であろうと思います。

そして、やはりどんな手を使っても取り返すという努力を我々は、していかなくてはいけません。
 
我々、今北朝鮮に向けて短波放送を出しております。
周波数にあわせて、むこう側から妨害電波をだしてる。妨害電波が出てくるまでのスパンがだいたい5日間か6日間です。その妨害電波が出たら、こちらは(妨害電波にあわせて)周波数を変える。変えるとまた5日ぐらいして、むこうからそれにあわせて妨害電波を送ってくる。これをずっと今続けています。
しかしそれをやっていくことによって、相手の力量が、どのくらいあるのか、相手の状況が、どういうことなのか、それがわかってきます。

少なくても、むこうが妨害してくると言うことは、それだけ、むこうが嫌がってると言うことでございまして、ともかく何でも良いから、できることを、しかも相手の中につっこんで引っかき回すようなことをですね、やっていかなければいけない。

最終的には、どんなことをやったところで、あの体制を変えない限りは、この問題は、絶対に解決しない。 
 (大きな拍手)

(そうなったときには)、日本人の拉致被害者だけでなく、今日お見えの韓国人の拉致被害者、あるいは、強制収容所の中で今にも死にそうになっている方々、そして一般の国民を含めて、救うことができるというふうに確信を致します。

そう言うふうに政府をもっていくのは、・・・今日ここにお見えの皆様の、お力でございます。

私どもも、ともかく最後まで全力を尽くして参ります。
御協力を御願いしてご挨拶とさせて頂きます。
(拍手)
――――――――――――――――――――――――――――――――
相変わらずの、荒木節♪ですね。

ところで、私の素朴な疑問ですが、どうして、今回は、<特定失踪者問題>調査会と紹介しなかったのでしょう?気にしすぎでしょうか?

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2007年12月15日 (土)

真鍋貞樹 調査会専務理事講演(3)

古川了子さんを救出する千葉集会in市原
07.11.17 市原市辰巳公民館にて

『真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事の講演 その3』

では、これから先はかなり推測も含まれているので、ちょっと私も気をつけながら申し上げますが、木村かおるさんは北朝鮮でタイ人の女性だけではなく、他の関係も日本語を教えていたと、1割ほど推測しています。
大韓航空機の金賢姫の告白本を丹念に読むと、小さく載っているんです。
それは何かと言うと金賢姫は田口八重子さんに、日本語を教わっているわけじゃないんですよ。
田口八重子さんに日本人女性の生活習慣・仕草・会話などを教わっていて、日本語は他の日本人に教わっているのです。
その本に書いてあるんです。
その他の日本人とは誰かというと「1960年代に来た日本人」て書いてあるんです。
当時帰国事業と言うのがありました。
その帰国事業で北朝鮮に行った日本人と書いてあるんです。
木村かおるさんの失踪は1960年ですね。
金賢姫がその人に日本語を教わった時には、その日本人女性は中年だったという事です。
彼女が教わっていたのは1980年の前半くらいかな?
木村さんは20歳の時の失踪だから、40歳くらいの時に金賢姫に日本語を教えたのではないか?という事になります。これはかなり推測ですけど。

金賢姫は日本語をどこで教わったか?と言うと、平壌外国語大学で教わっていたのです。
その教わっていた先生が日本人だったという事です。
金賢姫が大学を中退して工作員に再教育されていくわけですけども、別れ際のやり取りがこの本に書いてあるんですけども、「この先生はとても私を誉めてくれた」と書いてあります。
「とても素晴らしい成績で、成績が良くて一生懸命頑張った」と。そして別れ際に『お元気で』って言ってくれました」と。
「大学を出て行くとき、最後まで見送ってくれた先生です」と書いてあるんです。

タイ人の女性が同じように言うんです。日本語の先生が、「お元気で~」って、「お元気ですか~」って言いながら部屋に入ってきたと。
タイ人の女性も2ヶ月ほど、木村かおるさんに日本語を教わったんですけど、とっても優しい先生で毎日のようにキャンディをくれていたとのことです。
このキャンディがポイントなんです。
授業の時には「お元気ですか?ご飯はちゃんと食べていますか?よく眠れましたか?」と非常に優しく接してくれたとのことです。

その話を木村かおるさんのお姉さんに伝えると「彼女は子供の頃からキャンディが大好きで、看護婦になっても患者さんとか、おじいちゃんや子供を見るたびにキャンディを配り歩いてた」と言う話をされました。
で、「お元気ですか?」というふうにしょっちゅう言っていた。
タイ人女性に、私が「先生の歩き方はどうですか?」と言うふうに言ったら、再現いたしますと、手を膝の上に乗せてこういう感じで歩いていくんです。(真鍋氏その場で歩く仕草を真似てみせる)

こういう感じで歩いて内股で来て「お元気ですか?」というふうに。
これは、木村かおるさんの人物像と全く一致するのです。
そういう木村かおるさんだったんです。

それで話はだんだん飛びますけど、一連の事は金賢姫とは実はアノーチャさんと、アノーチャさんと言うのは、ジェンキンスさんが見たというタイ人の拉致被害者ですね。
アノーチャさんはどこで拉致されたか?と言うとマカオですね。
金賢姫もマカオなんです。
同じホテルです。
アノーチャさんが働いていたホテルに、金賢姫は泊まっているんです。

アノーチャさんと一緒に拉致された孔さんと友達だったのが、さっき言った韓国の女優の崔銀姫さんが北朝鮮で知り合って、と言う話からつながって言ったという事ですね。
そうするとアノーチャさんがジェンキンスさんと曽我さんで、そしてめぐみちゃんでと繋がります。
そして、めぐみちゃんを見たのが安明進で、安明進が見たのが古川さんという事です。
ちょっと風が吹けば桶屋が儲かるみたいですけど、こういうふうに丹念に一つ一つを追いかけていけば、関係性が明らかになっていくというふうに見ています。まだ点線の部分が多いんですが。

こういった作業を日々コツコツとやっていると、個別の古川了子さんの事件や特定失踪者と言われている人の名前が出てくるわけですよね。
古川了子さんのみならず、安明進が見たという加藤久美子さんと言う女性もいますし、名前の分からない安明進に日本語を教えた日本人と言う人もいるわけです。
アヒル歩きの女性と言っている。
安明進に特定失踪者の写真を見てもらったけど安明進はどの女性も違っているといっていました。
足が悪くて何かこういう感じで歩いていたという先生で、顔は良く覚えているんだけど名前とかはもちろん判らないけれども、日本人だという事は間違いない。

安明進は一杯そういう証言をしています。
まだ他にも出てくる可能性がいくつかあるんですけど、今日はこれくらいに留めておきます。
もちろん日本の警察当局もこうした作業をやっているはずなんですけど、外務省もやっているはずなんですけど、まぁ、ため息で終わっています。

それで時間もないので今後のことに移ります。
今後のことで一番の超短期的なお話は米朝ですね。
北朝鮮とアメリカの急接近と言う姿をどういうふうにみるべきか?という事がとても重要だと思います。
我々と言うか私も個人的にびっくりです。
あれほど敵対していた米朝が180度変わって、いまやパートナーとなっています。
この転換点はどうしてか?という事なんです。
おそらく皆さんの認識では、アメリカ裏切ったな、と思われていると思うんですけど、私はそう見ていません。
裏切るも何も、「そんなの関係ない」です。

一番のポイントはですね。
これはあくまでも私の意見ですから、異論・反論・オブジェクションが皆さんにもあると思います。
議論と言うか、いろいろ意見交換をしたいわけですが、このややこしい東アジアの地形。
中国、ロシアが大きく、日本が大きく、アメリカがスーパービックと。
この中に韓国も今やベスト10に入っているくらいの経済大国ですね。
ここに、北朝鮮という小さな何ともえげつない親分によって、2000万人の人民が苦しめられている体制の国があり、「古典的李王朝時代の封建制的、専制的、全体主義国家」です。
この状況の中で、核は作るわ拉致はするわ麻薬は作るわ偽札は作るわ、片やイラン・イラクと核兵器の交換をしたり、悪さばっかりしているという事から、アメリカはテロ支援国国家という事になりました。
で、今テロ支援国国家指定を来月中か再来月には解除しようとするのはどうしてですか?

この謎を解く一つの鍵は誰も分かってないですけど、分かっているのはアメリカのブッシュさんとライスとヒル位という数人しかわからないでしょう。
アメリカも非常に複雑な国で、与党野党もあるし、右もあれば左もいるし、と言う中で非常に大きな政策転換をしているのです。
しかし、実は政策転換でも何でもないという事です。
元々だったんです。

それはどういう意味か?
皆さんに「北朝鮮にとって最も怖い国はどこでしょう?」と質問をしたらどう皆さんはお答えします?
アメリカだと思われる方?
北朝鮮にとって最も嫌な国、最もこんちきしょうと思う国、最もプレッシャーを感じる国です。
北朝鮮がプレッシャーを感じる国です。
日本のおおよその人は、ずっとアメリカが北朝鮮を敵対視しているから、アメリカにプレッシャーを感じているんだろうと思いがちです。
中国なんです。
北朝鮮にとって歴史的に、朝鮮の歴史から始まって今日に至るまで最もプレッシャーを受けるのは中国なんです。
中国からのプレッシャーを止めるためにはどうすればいいですか?
(会場より「アメリカを」の声)そう。
単純でしょう?

だからここは北朝鮮がアメリカと手を握ると言う意味は、中国を押さえるための北朝鮮としての最大の武器になるということです。
朝鮮半島以下、北、南、日本、そして台湾と言う地政学的な、業界用語で「ヘゲモニー(hegemony)」と言うんですけどね。
覇権とも言いますけどね。
ヘゲモニーをキープするために、米国がここを確保するという事は非常に重要です。
米朝のお互いのメリットが最大に一致するんです。
この最大のメリットをどこが一番嫌がります?
中国が一番嫌がるのです。
この構造は昔から変わらない。
政策転換でも何でもないんです。

うちの代表の荒木とも、この辺の見解は違っていますからね。
荒木の意見も良く聞いてください。
荒木との認識の違いは、アメリカにとって北朝鮮は全く価値が無い地域かどうかです。
米国は北朝鮮のことはどうでもいいと思っているから、拉致問題なんかもどうでも良いんだ考えているという見解を荒木は言っていました。
で、私と議論になっています。
今でも解決されていません。

確かにアメリカは北のことなんかはどうでも良いと思っているんです。
政策的に地政学的には重要だけども、石油が出るわけでもないし、ビジネスパートナーとしてもそんなもの、1万対1くらいのものです。
しかし、地政学的なものと、何よりも日本へのプレッシャーとしてここを押さえると言うのは、囲碁をやってらっしゃる方はお分かりと思いますが、日本を押さえるために朝鮮半島を押さえているんです。

もう一つの構造として皆さんが、私も含めて誤解する事は、日本にとってもっともプレッシャーを感じる国はどこですか?
日本が最もプレッシャーを感じる国。
いろんな意味で。
中国?北朝鮮ですか?韓国ですか?ロシア?アメリカ?

私の意見はアメリカです。
何故、アメリカが第二次世界大戦を起こしたか?
何故、日本を中途半端な自立国にさせましたか?
米国の東アジア戦略は、如何に日本と言うものをアメリカの傘下に置くか、という事です。
要するに日本に自由にさせたくないという事なんです。
この極東アジアの地域で。

だから日本にとっての最大のプレッシャーはアメリカなんです。
アメリカのプレッシャーから独立しようとすると叩かれる。
だから安倍政権を最も嫌ったのは、中国でも韓国でも北朝鮮でもない。
ここです。(アメリカの文字を差し示す)
自立したら困るんです、アメリカは。
だから日米同盟の意味はお互いに守りあうという事じゃないでしょ?ご存知の通り。
要するに日米同盟の意味はアメリカの威信の元に日本を置くということであり、国際政治的なパワー・ポリティクスの問題であるわけですね。

これには異論・オブジェクションいろいろ皆さんあると思いますけど、こういうような構造で見たらアメリカと北朝鮮が手を結ぶと言うのは、今日何の不思議もありません。
むしろ遅かった。
遅かったと言うのには、中国の歴史があります。
アメリカが朝鮮半島に出張っていくことには、中国は、小平以前にそんな事をやったら許されないわけですね。
中国はいまや資本主義国家以上に資本主義ですから、金が全てですよね。
お金が全ての国になっているから、今ここで北がへんてこな事をされると、それこそ株価が下がると言う世界です。
共産主義国家でなんで株価が下がる事を心配するのか?と言うと、みんな株・株・株なんですよ、中国は。
古典的・19世紀的資本主義ですよね?
だからここで何かあったら困るから、アメリカと北が手を握って、北朝鮮がそこそこ大人しくするならええやないか、という事で妥協が成立したという事です。

ここで問題になっているのは、アメリカのテロ支援国家指定解除問題ですね。
テロ支援国家解除する要件と言うのは皆さんご存知ですね?
核廃棄がひとつ。
もうひとつがよど号、それから拉致。
で、今福田さんが(アメリカに)行って家族会のメンバーが行って拉致もリンクしてくれと言ってるんですね。
テロ支援解除に要件として拉致問題も入れてくれと言っています。
これはよど号も含めてなんですけど、これはもう完全にアメリカの方の空気は「関係ない」っていう状況なんです。

よど号が非常に微妙なんです。
よど号と言うのがあるからテロ支援国家ではないんです。
よど号の事件は1970年ですから、はるか前の事件でテロ支援の要件でも何でもないんです。
ただよど号の関係者が日本赤軍・連合赤軍などを通じて、中東などでテロ行為のリンケージを持っている。
偽札のリンケージを持っている。

田中義三と言うのがカンボジアで捕まりましたけど、何をやっていたか?と言うと偽札のロンダリングですよね。
そういうことからテロ支援国家のひとつの条件として加わったんのですけども、まぁ微妙な問題です。

よど号がどうなるかと言うのが、今後のテロ支援国家の解除の問題とリンクします。
早い話が北朝鮮がよど号の関係者、奥さんや子供を含めて全員日本に帰国させる。
これで米国はテロ支援国家の指定解除をする。
で何を言うかと言うと、北朝鮮は、「よど号は勝手に来た」と言うのです。
で、有本さんとか松木さんとか石岡さんの事件も、「あれはよど号の人間が勝手に拉致した」、「後は知らん」、「そんなの関係ない」で終わっちゃう。

と言うような状況で、ここからがポイントなんですけど、よど号が帰って来たら日本の高村さんも言ってますが「一定の進展」だから日朝国交正常化へという話に走るでしょう?
それに対して救う会・家族会はとりあえず駄目だといいます。
で、私はそれに対してちょっと異論があるんです。
これは何故と言うと、よど号を帰すことによって松木さん、有本さん、石岡さんのみならず、さっきいろんな絵を描きましたね?
リンケージが明らかになってくるんです。
拉致のリンケージが。

だから私としてはよど号を早く返してもらいたい。
帰して早くゲロって欲しい。
そうすることによって特定失踪者の様々な情報が得られるかも知れない。
だからそれは小さな進展である。
ホンの一部の進展である。
だからすぐに日朝国交正常化せよ、って言うんじゃないんですよ。
早いところよど号を返してもらって、皆でよってたかって、少しでも何かこの特定失踪者の情報を得たいという気持ちが、私にはあるんです。

今のままで流れますと、進展の定義を巡って大きな食い違いが生まれて来ます。
要するに一部の拉致被害者の方が帰って来るとかした場合ですね。
それはそれでハッピーな事です。
5人でも10人でも帰って来られれば、それはそれでハッピーです。
しかし問題は、それでおしまいにされてしまう可能性が大きいという事です。

ハッピーな世界とアンハッピーな世界が明確に分かれてしまうわけですね。
アンハッピーな世界の人たちとは、この特定失踪者と言われる人たちのことです。
そこを置き去りにしないで欲しいという事を最後の最後まで言っていかなくてはいけないんです。
でも、だからハッピーな人が帰ってきてはいけない、とは言えません。
よど号なり何なりが帰ってくる、5人なりが帰ってくると、それは帰るな、という事は絶対に言えない。

5年前の蓮池さん、曽我さん、地村さんの時は、部分的に帰ってきて、「ハイこれでおしまいですよ、日本政府もおしまいにしましょうね」と、これで小泉さんも手を打ったわけですね。
しかし、あにはからんやと言う世界が生まれました。
だから、また同じ問題が起こるのです。
その時に、やはり日本人は賢くならにゃいかんと思います。

5人10人帰ってきましたのでおしまいだね、という事にはならないと思わないといけません。
帰って来る人に対して、帰るな、と言うことは無いはずです。

私としては、こういう事を、期待と言うより想像するのも嫌ですけど、繰り返していくより解決の方向性は無いのではないかと思っています。
一人でも二人でも三人でも5人でも、少しずつでもいいからとにかく返せと。
とにかく全員帰して来たら、日朝国交正常化OKと。
1兆円でも2兆円でも3兆円でもどんどんODAやればいいじゃないかと、いう事です。

そうすると怒られるかもしれませんけど、ODAって誰のためにやるんですか?
北朝鮮へのODA。
ODAをやるのは日本のためです。
日本の企業のためという事では無いですよ。
朝鮮半島は極東アジアの物流の重要な拠点ですよね?
鉄道、道路、港湾、船その他、ここがぶっちぎれているため、迂回していかなければならない。
100年後の構想には、ここに鉄道を全部敷くとかですね。
超エクスプレスとか、計画いろいろありますよね?
今、アジアハイウェイとか言って、ずっとインドシナ半島まで行って結ぼうとかいう計画がありますよね。
世界中に物流なり人の流れなりをつくろうとしているときに、日本だけがそのルートから残される可能性がある。
朝鮮半島に早いとこそういうルートを作るという事は、長期的に見て日本の利益になる。

ただし、があるのですね。
短期的には利権が発生するのです。
ここがODAの難しいところ。
ODAと言うのは本当に麻薬と言うか、悪にもなるし善にもなるんですけど、悪の方を置いておいて、善の方で見ると長期的に朝鮮半島に対してODAを投資して、鉄道だ、道路だ、港湾だ、情報だ、インターネットだと整備することによって、長期的な日本の利益になる。
しかし短期的にはいろいろ、キックバックだとか何だとか、議員の利権だとか、いやらしいことがあるから困っちゃうんですけど。

こうした認識をしたところで、私としては日朝国交正常化といっても、今の体制で日朝国交正常化をするのは嫌です。
嫌いです。
絶対駄目です。
北朝鮮が普通の民主的な国に生まれ変わった後に「日朝国交“完全”正常化」するといった方が正解ですね。

日朝国交正常化、正常化といいますけども、これには「まやかし」があるのはご理解いただけますよね?
政府が言う日朝国交正常化と言うのは、大使館を置くか置かないかだけです。
よく言われるんですよ。
「早いところ正常化すれば真鍋は自由に調査して来られるから良いじゃないか」と。
馬鹿言いなさんな、と思います。

大使館を置くだけで、真鍋がのこのこ行ってあの国で「特定失踪者知りませんか?工作員知りませんか?」ってやっていたら、すぐにお山行きって言う世界です。
お山っていうのは、強制収容所ですね。
日朝国交正常化の意味は大使館要員を交換する、と言うだけのことです。

日朝国交正常化しなくったって、今は経済制裁があるから行きませんけど、行こうと思えば行けたわけですよ、北朝鮮に。
しょっちゅう日本人が行っていたし、しょっちゅう北朝鮮からも日本にビジネスで来ていたんです。
在日の人も行ったり来たりしていたんです、制限はあるけれども。
だから何も変わらないです。
ただ、大使館を置くか置かないかと言うことです。

完全な意味での日朝国交正常化への道のりと言うのはまだまだいろんな事をやらなきゃいけない、考えなきゃいけない、というふうに思っております。

ちょっと長すぎましたか?
宜しいですか?
まぁそんなところで・・・(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このエントリーのテキストは、真鍋氏ご本人の手による加筆・修正を頂いた上で公開をしております。

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