カテゴリー「藤沢市民集会(救う会神奈川関係)」の記事

2006年7月26日 (水)

第14回藤沢集会(12)

   『川添友幸 救う会神奈川会長 閉会の辞』

さっきのてんびん座の件ですが、1月に私どものよど号の集会に来られまして、是非協力して頂きたいという事で、私が台本を預かりましてですね。
横田さんの方にお見せして修正・手直しをして頂きまして、うちの会も全面協力という形でですね。
5月に上演会を横浜の方で行いました。
報道等でもご存知だと思いますが、いろいろ嫌がらせだとか脅迫などを少し受けましてですね。
私たちの方も警備に入ったりする状況だったんですが、実は何も無かったと言う事でですね。
是非また見たいと言う声がてんびん座の方にかなり来たそうで、再度上演会をやる事になったということです。
今日チラシを一緒に入れたんですが、8月の16、17日にですね。
鎌倉芸術館の方で再度、アンコール公演ということをなさると言う事なので、私たちの方もこういう事で訴えて頂くのは重要だと思っていますので、お暇な方、お盆の時期なので人が集まるかどうか心配しておりますので、お時間のある方是非御参加して頂ければと思っておりますので。
団長の森さん来られるはずだったんですが、ちょっとお姿が見えませんので私の方が代わりに御紹介を致します。

それと次回以降の講演なんですが、10月の7日にここの会場で講演会を予定しております。
講師の方もチラシに書いてありますが、横田拓也さんに来て頂くということで了解して頂きました。
10月にどういう状況になるかまだ分かりませんし、安倍さんになるかもしれませんね、10月ですから。(笑い声)
そういうこともあるんである意味ちょっと総裁選挙も見据えてということでですね。
その辺の集会にしたいと思っていますんで、また宜しくお願いします。
本日長い間、2時から3時間以上だったんですが長時間の講演ありがとうございました。(拍手)

・・・集会終了・・・ 

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第14回藤沢集会(10)

   『パネルディスカッション その1』

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★司会進行 川添友幸救う会神奈川会長

1月の時もパネルディスカッションという形をやったと思うんですが、今回もやりたいと思って企画してみました。
やり方として私の言った事に対してですね、御家族の方お答えして頂くという感じを考えています。

まず一点目なんですが、皆様に最初お聞きしたいなと思っているのは今日の講演の中でも話が出ていたと思うんですが、ミサイル発射に関する政府の経済制裁発動に関してどういうふうに思われているか?と。
我々も経済制裁という事をずっと言って来たんですが、限定的な制裁発動になりました。
それに関してどういうふうに思われているか?という事をこちらの順で、寺越さんの方から。

★寺越昭男さん(寺越昭二さんの長男)

私、水曜日でしたかね、あの日。
仕事に出て丁度雨が降って仕事が無くなったんですよ。
仕事に行く途中車で「発射をした」と、「北朝鮮がミサイルを上げた」という事をラジオで聴きまして、「あれ、いよいよ上げたかなぁ」というふうに聴きまして。
仕事場へ行ったら今日は雨で休みだったと言う事もありましてそのまま帰って来たんですけど、帰って来たらすぐマスコミから取材がありまして、「こういう事でどうですか?」という事で聞かされたんですけども。

やっぱり経済制裁という事を良く考えてみると、拉致問題を解決する為に2法案。
特定船舶の入港禁止法案とそれから改正外為法と言う物が私は作られたように記憶しているんですけども、それがまさかミサイルを上げた事によって経済制裁が発動されると言う事は、本当に第一声が嬉しいと言うことよりも「なんで?」という方がやっぱり強かったですね。
マスコミには「有りがたいけれども、逆に言うと拉致問題の解決の為に発動して頂きたかった」というふうに私はコメントしたんですけども。
丁度コメントした後に増元さんのテレビが流れまして、私と同じ事を話していてやっぱり皆さん同じ事を考えておるな、というふうに思いましたけども。

★内田美津夫さん(寺越昭二さん三男)

私は本当にミサイル発射のすぐ後に素早い決定をしてくれたと。
私たちはこの拉致問題解決のためには、政府の方に経済制裁を発動して欲しいと以前からずっとお願いしてきたし訴えてきました。
形はどうであれミサイル発射のすぐ後、こういう言う形をとって毅然とした態度を取ってくれたという事は、本当に評価をしております。
今年警察庁長官の漆間長官が「今年は拉致問題解決について勝負の年だ」と、そういう発言もありますので形はどうであれ北朝鮮を追い詰めると、そういう第一歩になったということで、私は本当に嬉しく思っています。

★増元照明 家族会事務局長

先ほども言いましたけども、ミサイルを撃った時に「やったぁ!」と、これはちょっと不謹慎なのかもしれませんけども、これで制裁を課すだろうと。
これで課さなければまともな国じゃないと思っておりましたので、制裁を課したという事はようやく日本もまともな国になりつつあるのかな?という実感です。
だから評価はしています。

ただ先ほど言ったように拉致問題の解決の為に制裁を継続すると言う事を更に付け加えて頂きたかった。
そうでなければミサイル問題が解決したら、また制裁の解除をするのか?という事になりますので、それだけは付けて頂きたかったというふうには思っています。
昨日一応「拉致問題の事も懸案しながら制裁の発動をする」と官房長官も言葉で言われたので、それはそれでいいのかな?

あとは小泉さんが辞めてから時期総理になられる方に必ず半年ではなくて、その時点で拉致問題が解決していなければ継続して頂きたいと思っております。
この半年の間には解決して欲しいとも思ってもおります。

★真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事

経済制裁が効果があるとか無いとかの議論がありますけれども、まず最初に日本の国家としてあるいは国民としてですね。
やはりこういったミサイルを発射するとか拉致するとか絶対に許さないと言うですね。
怒りの意味を示すと言う意味は非常に重要だと思います。
政治的な宣言としてですね。
非常に意味があると思います。

じゃあ二つ目、経済制裁が効果有らしめるためには何が必要か?という事ですが、現実に考えて日本だけの経済制裁は正門は閉めたけれども裏口と言いますかね。
後門、後ろの門は開けっ放しとそういう状況ですから。
現実的には中国とかあるいはロシアからですね。
いろんな人・物・金と言うのは実際に動いてるわけです。
それもアンダーグランドのレベルでですね。
そういったところまで止めない限りには実態面では厳しいものがあると思ってます。

その裏の世界はですね。
実は日本と北朝鮮の間にも現にあるわけですね。
表の経済交流だけでない部分、これ簡単に言えば麻薬とかあるいは偽札とかですね。
それから第三国経由とかいろんな物があるんですけれど、そこまでどうやって国際社会がアンダーグランドな物は許さないとか言う事をやれるかどうか?にかかっていると思います。

そのためには先ほど増元さんが言っておられましたけど、結局中国がどう出るか?によってこの効果の程は変わってくると思います。
ただ最初に申し上げましたように効果の有る無しに関わらず、そういう政治声明を出したという事に非常に重要な意味が有ると思っています。

★司会 川添氏

ありがとうございます。
じゃ次2点目をお聞きしたいと思うんですが、さっき(脱北者の)Aさんとの話に出ました北朝鮮人権法。
先の国会で成立しました。
北朝鮮人権法に関して救う会・家族会・調査会も含めてですね。
草案の作成に協力されたと言う経緯があったんですが、この法案が、さっき私も外交カードを言う言い方をしましたが、これに関してどういう評価をされるか。
同じようにじゃあ増元さんから、すみません真鍋さんからお願いします。

★真鍋貞樹氏

北朝鮮人権法の法文を見ますとですね。
先ほど申し上げました経済制裁と脱北者保護と言うのが大きな柱になってますけども、これは表向きそういうふうになっているという事をお話しておきたいと思います。

というのは、アメリカの人権法は何を持って最大の意図としているか?という事ですが、これは明確に北朝鮮の民主化です。
金正日体制が今のままである限り、ミサイルや拉致や偽札などは終わらないと。
いかにどのようにして北朝鮮と言う国家をごくごく普通の国に転換させて行く事ができるのか?というのが隠された意図であると言う事です。

日本側の北朝鮮人権法と言うのはそういった意図が全く見えていないようですけれども、少なくとも我々が考えなければいけない物は、今の金正日体制では絶対に駄目だと言う事です。
どんな事があってもあの体制を残す限りいろいろな問題は残るわけです。
要するに東アジアの平和の為には日本の安全の為には、北朝鮮の国家体制を変えない限りには終わらないんです。
そのためにこの人権と言うカードを使ってやっていくという文脈の中で、この法律の意味を考えていかなきゃいけないと思っています。
ただ単純に脱北者が気の毒だとか、拉致被害者が気の毒だとか、そういうレベルの話で終わらせてはいけないというふうに思っています。

じゃあ、そのためには相当の覚悟が必要です。
残念ながらそこまでの覚悟が日本政府にあるのか?
政治家にあるのか?
そして我々国民の中にあるのか?というふうに問い直すと非常に私としては不安な所がありますけども、そういった狙いを持ってですね。
この法律を考えていかなければならないという事を、是非お訴えをさせて頂きたいと思っています。

★増元照明氏

昨年か今年の初めくらいからずっとその6団体、調査会・救う会、それから守る会、それから難民救援基金の代表者が集まって日本国内で北朝鮮人権法と言うのを是非作って貰おうではないか。
その内容に関して私たちも協議し、そして提言をしてきました。
昨年ですよね?
民主党が人権法案を提出しています。
その一番目にはやはり脱北者問題です。
脱北者の問題をメインで捉えて拉致問題にはさほど大きな物は含まれていませんでした。

今年になって自民党が提出した北朝鮮人権法は、拉致問題を強く取り上げ制裁の発動まで義務付けるというところまで言っているんです。
でも脱北者問題には言及されなかったので、中々歩み寄れなかったんですけども。
会期末近くになってどうしても国会会期内で成立して頂かなければ北に対する圧力にならないという事で、両方の対策本部に面会しまして「是非今国会会期内に成立させてください」と、いう事をお願いしましたら両方とも歩み寄るような姿勢を取ったんですけども。

北朝鮮人権法に対して反対する人はまず殆どいないだろうと、両方の党とも。
与党もそれから民主党とも。
ただ拉致の文言の部分で非常に揉めていたんですけどね。
ですからまずその辺でも合意は出来るだろうと言う事で、一応話はしていました。
ですから今北朝鮮人権法に対して多少異議を唱える方の中に、「審議もしないで会期末にばたばたと決めて、これでは良くない」と言う方たちもいるようですけど、この国会の中で決められたと言う事は北に対する大きな圧力になるということを私たちは考えておりましたので。
ばたばたとは言えお互い審議はしておりましたので、そんな反対者はいないですから、だから議長採決と言う形にしていただいて最後の会期末で決定をしていただいたわけです。

ただ、中身に関しては我々も満足はしていません。
それはなぜかと言うと拉致のこと、制裁の発動に関しては北朝鮮が誠意ある姿勢を示していない、それからそういうふうに判断された場合と書いてありますが、じゃあ誰が判断するんだ?と。
小泉さんが判断するんでしょうけど、今までだって小泉さんが北朝鮮の不誠実な態度に余り反応して来なかったんですから、結局今までと同じじゃないか?と。
私は気持ちではいるんですけど、でも出来ると言う事が北に対する大きな圧力になる。
それがいい事だと思って私はお願いをしておりました。

自民党が一番だらしないと言うか、自民党の中で問題になったのは脱北者と言う、脱北者をどういうふうに定義するのか?
更に脱北者を今中国が中朝国境で捕捉して強制送還してましたよね?
脱北者と言うこれを保護すると言う事は中国の行為に対して非難する事であって、内政干渉になるんではないか?という、非常に中国にまた弱腰な日本の汚点を見せてるわけですよ。
だから自民党としては脱北者問題はあまり入れたく無いと言う、それでも民主党はこの脱北者問題を入れて初めて人権と言うことではないか?
という事でしのぎを削ってお互いに納得できる線で今やられたんだと思いますが。
ただ定義自体は脱北者の定義は元在日の方に定義するとか、それから犯罪者が入ってきたりすると困るからどこで歯止めをかけるんだとか、いろいろまだ問題はあると思いますが、今後いろいろまた精査していけばそれで良いと私は思っています。

拉致被害者の支援法でも3年後に見直すと言うふうになっていますので、これは法というのはまず最初に出来て、それからどんどん現実に即して改正していけば良いことであって、まず北朝鮮の人権法と言う事で、人権と言う言葉で北朝鮮を攻めるのにまず成立をさせ、そして圧力をかけていく。
これが必要だろうと言うふうに私は思っておりましたので、今回は人権法まだいろいろと多々問題はありますけども、成立したことには感謝したいと思います。

★内田美津夫さん

この人権法について私は、間違った事を言ったら駄目なので大きい意味合いについては言えないんですけども、私たち寺越家の事を例に挙げて言いますと、親子の母が子を思う気持ち・子供が母を思う気持ちを悪用して行ったり来たり、今もなお北朝鮮に行ったり来たりしている状態。
また私の父親は男5人・女6人の11人きょうだいなんですね。
そのうちの父親・弟の外雄・更に今武志の父親、太左衛門が北朝鮮でもう90近いがかな?
まぁ、死んでしまうかも分からん。
5人の兄弟の内、なんも縁もゆかりも無い北朝鮮に、あの酷い北朝鮮にもう少ししたら骨を埋めることになるかもしれない。
そうなる前に何とか今人質状態みたいにおる太左衛門をこっちにやっぱり取り返さなならん。
こういう問題を一日も早く解決する為には、いろいろ今までに外為法とかいろいろ法律成立させて頂いたんですけども、この拉致問題という人権、寺越のこの問題を考える時やはり解決には人権法、人権と言う方法で北朝鮮に圧力をかけるという意味で、本当に良い法律が成立したと思っております。

★寺越昭男さん

私も弟と同じ意見で、武志の父親だけでなくて亡くなったうちの親父にもやっぱり人権はあるわけで、もしあればやはり遺骨を返して頂いて初めて寺越事件の解決に近づくと言うふうに考えていますので。
(遺骨が)無ければ無いで、無い説明をやはり北朝鮮側にさせなきゃいけないし。
もし親父が安明進さんの証言の言うとおり殺されたとしたら、やっぱり北朝鮮側は私らに謝罪してもらわないと私ら気が済まないし、日本の政府も同じだと思うんですけど、国民を殺されて黙っているのか?ということなんですね。
人権法とはちょっとずれるかも知れんけども、人権と言うと死んだ人にも人権はあるわけで、ひょっとしたら拉致被害者の方にも何人か北朝鮮の中で亡くなった方が、多分何人か出てくるかもしれないし。
そういう人たちの人権もやっぱり考えていかなければならないと思います。

★司会 川添氏

質問のお答え、ありがとうございました。

・・・「パネルディスカッション その2」に続く・・・ 

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第14回藤沢集会(11)

  『パネルディスカッション その2』

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★司会 川添友幸 救う会神奈川会長

私の方から皆様にフリーに聞いてみようかなと思うんですが、まず真鍋さんにちょっとお聞きしたいことが有るんですが。
特定失踪者のお話はいろいろ伺ったんですが、手嶋龍一さんの「ウルトラ・ダラー」でしたっけ?

私もあれを読んで目からうろこだったんですが、あの手嶋さんは(9・11同時多発)テロの時にNHKのワシントン支局で(テレビに)出られた方で。
北朝鮮でしょうね?偽札の話をずっと本に出されましたが。
あの本に関しては失踪者の事がちょっと出てくるので、調査会ではどういうふうにお考えか?を宜しくお願いします。

★真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事

先ほども申し上げましたけども、「ウルトラ・ダラー」はですね。
いわゆる日本の失踪者の話からスタートしています。
それも偽札を作るだけの技術を持った職工さんが、東京湾から謎の失踪をしたと言う所から小説のスタートになっています。
中身はですね。
何人かの日本人の拉致被害者が、北朝鮮で偽札作りをされていったという展開になっています。

この本に書かれている情報と我々が持っている情報を比較いたしましたら、部分的に一致しております。
部分的に一致と言う事は、私たちが持っていない失踪者情報をその本に盛り込まれています。
その盛り込まれているのはフィクションではなくて事実を盛り込まれています。
だから、まだ私たちにお届出の無いですね。
偽札作りに従事できるであろう技術を持っていらっしゃる方が失踪していると言う事でございますから、注目している小説である事は間違いのないという事であります。

ちょっと補足しますとですね。
何故東京湾で職工さんが失踪しているか?ということですね。
偽札を作れる職工さんがという事ですが、ポイントは千葉大学です。
千葉大学はですね。
当時から印刷工学科と言うのは日本でもっとも優れた学科でした。
そこを卒業された方が失踪をされています。
その方の持っている知識・能力・理論はおそらくは、おそらくはですよ?
私の想像では偽札作りの大きなポイントになっただろうと思っています。

ちなみに偽札作りはいくつかの段階があります。
北朝鮮の偽札作りは、初期の段階からは今は本物よりも精巧な偽ドルを作っているわけですが、そのもっともターニングポイントになる、要するに独自で北朝鮮で偽札が作れるようになってからパッタリと日本人の職工さんの失踪が消えています。
要するに初期の段階ではやはりいろんな情報なり技術なりをですね。
身につけなければいけないからそういう日本人を必要としたんではないだろうか?と推測をしています。

蛇足ながら、何故北朝鮮は本物以上に精巧に偽札を作ったか?というのをお分かりでしょうか?
それは自分達が作ったものが偽札か偽札で無いか、分からなくなったら困るからです。
さっきロシアの方に決済で偽ドルを入れたと言う話をされていましたね。
だからまたそれが戻ってきた時に、これが偽札かどうかチェック出来るようにする為です。
どういうふうに精巧かと言いますと、拡大しますとですね。
1本の線が本物は滲むんです。
滲んで線が曖昧になるんです。
ところが北朝鮮の作った偽ドルは拡大しても拡大しても1本の線です。

それくらい凄い技術を持って、偽札作らないで本物作れよと(小さな笑い声)、ねぇ?
まともな国だったらそれだけの技術があるんだから「俺の所でドルを作らせてくれよ」とやりゃあ良いもんですけども、変な人がトップにいると変な事しかやらないということでございます。
ちょっと雑談でした。

★川添氏

ありがとうございました。
増元さん、お聞きしたいんですが。
今日次回の10月の講演会のチラシを配った中に北朝鮮自由週間のポスターを、4月にアメリカに行かれたときのあれのポスターをチラシの中に引用させてもらったんですが。
アメリカに行かれたとき北朝鮮自由週間のいろんな集会に参加されましたよね?
その辺の話で何か印象に残っている事があったら、そういうものがあればちょっとお話いただければと。
横田さんがブッシュ大統領と会ったと言う話はかなり出ているんですが、他の部分で訪米した時の話を何かあればお話していただければと思います。

★増元照明 家族会事務局長

昨年の4月にまずフリーダムハウスと言う所が主催して「ジェノサイド展」というのを開いたんですけれども。
これはアメリカの北朝鮮人権法に基づいて、そこから資金が出ているんだと思うんですけど。
ですから大きな大会になっておりました。
そこで丸一日朝から晩まで各部の国会議員やら脱北者の話が朝から晩までやっておりましたし、アメリカのブラウンバックとか強硬派の人たちが集まって北朝鮮の問題をやっていました。
その一角で拉致問題もやったんですが、アメリカの国内では脱北者問題、それと北朝鮮の国内での人権抑圧それに関しては非常に理解を示しているし、大きな運動になって行きつつあったとは思います。
ただワシントンに10万とも言われる韓国系アメリカ人の、そこが主体になって一般の方たちまで中々巻き込めていなかった。
それがキリスト教原理主義者の人たちと一緒になって、アメリカで北朝鮮人権問題を一緒にやっていたのが非常に印象的でした。

そういうキリスト教関係の人たちがやっぱり人権と言う問題で捉えて強くやっているんですけども、彼らが一番強くやっているのは中国にもっとしっかりしろと言う事を言ってるんです。
ですから昨年の4月も中国大使館前でデモンストレーションでプラカード持ってぐるぐるぐるぐる回ってやったんですけども、その前年にやったときは、前年の12月呼ばれてたんですけどその時初めてじゃないかと思うんですけど、全世界で同日同時刻ですから。
日本が一番先、12月8日の午前11時だったかな?
中国大使館前に私たちも行ったんですけど、それを全世界でやろうという運動があってアメリカでもやったそうです。
中国大使館前の小さい芝生、目の前に芝生があるんですけどね。
最初はアメリカの警察も全然警戒していなかったので、中国大使館の目の前の芝生でやってたんですね。
それ以降そこに柵を作られまして、ちょっと距離の開いたところからやらざるを得なくなったんですね。
それだけ中国が気にしていると言う事はあると思っています。

今年の4月の28日、何とか広場ってそこで集会をやったとき、私はその時帰国していたんですけど後から話を聞いたら今回の公聴会、それに対して韓国の大使館にキリスト教原理主義者の理事長が協力を求めたそうですね。
何でも良いから韓国の大使に「ちょっと来てください、そこで北朝鮮の人権問題に関して一緒にやりましょうよ」と、何回も何回も言ったんですけどもうんともすんとも言わなかったそうですね。
あの公聴会にも李美一さんとか、それから他の脱北者とかもいたんですが、結局日本サイドは救う会の方でちゃんと翻訳をする方を見つけお願いをして、それに対して綿密に事前に協議しながらあの10分間にまとめたんですけども。
向こうはまとめる方がいなかったので、各個々が勝手にしゃべって、通訳を入れて一人10分の所を10分だらだらと喋ってしまって、相手に対してまとめていないもんですから向こうの委員もうんざりした顔をしていたんですがね。

その通訳は結局アメリカの国務省の人間がやってたんです。
韓国の大使館はそこに一切関知してないんですね。
よっぽど北朝鮮に今刺激してはいけない。
だから韓国の大使館員は画面に出るのも駄目だという事で、公聴会にも来られてなかった。
その事実を踏まえて28日の集会が終わってみんなして手分けして中国大使館に抗議する人、韓国大使館に抗議する人と分かれて抗議しに行ったそうです。
今、中国・韓国、これが北朝鮮に非常に融和的な姿勢を示している事、これがアメリカの内部でも問題になっているというのは私にはちょっと印象的でした。

今回安保理でロシアと中国が棄権するか拒否権使うかと言ってますけども、これ中国が拒否権使ってたら、ロシアが拒否権使ったら、あの国2ヶ国これから世界から白い目で見られる。
そういう状況に追い込んで行かなければならないのではないかと更に思っております。

★川添氏

ありがとうございました。
昨年は確か日本も同時刻、中国大使館にやりましたよね?(増元さん「昨年、一昨年です」の声)
昨年は僕も行きまして、丁度反日デモの影響でですね。
物凄い数の警官隊がいましてですね。
大使館の前まで入れてもらえないで、入れる入れないで警察の方と押し問答をしたのを記憶で覚えています。
我々よりもマスコミや警察の方が数が多かったもんで、最後ちょっと抗議文を読んで確か帰って来たと記憶してますが。
中国に関してはこれからオリンピックとかいろんな場がありますんで、何とか拉致問題も含めてですね。
北朝鮮の問題で協力してもらうのは難しいかもしれませんが、貰うようなことを運動をしていきたいなと私も思っています。

次に寺越さんと内田さん、ちょっと一緒にお聞きしたいんですが、寺越武志さん。
北朝鮮にいらっしゃいますよね?
武志さんの近況、今の状況のお話ですとかね。
あるいは友枝さんがちょこちょこ行ってると言う話を私も聞くんですが、その辺の話で何か御存知の事があればお答えして頂ければと思います。

★内田美津夫さん(寺越昭二さん三男)

私たち4年前に初めて金正日が拉致を認めた後に、私たちの父親の真相究明を政府にお願いしたんです。
そこで4年前私たちは拉致だから拉致認定をして欲しいと、これも同時に要求しました。
その後、友枝さんと会いまして「私たちはこうして拉致問題を一生懸命救う会とやりますから一緒にどうですか?」と話をしました。
そこで友枝さんは「私は息子が可愛いから一緒にやれない」という事で、「進む道は違うけどもお互い頑張りましょう」と、こういうことで4年前に別れて。

その後一応直接友枝さんと話はしていないので、聞いたり見たりした話を一つさせて頂くと。
やはり今まで友枝さん、飛行機で中国経緯北朝鮮と言う形で行ってたんですが、前回は荷物が多くなったからということで新潟から万景で行きました。
本当に向こうの方で今の生活を維持しようとした時には、向こうからの配給だけではとてもじゃないが生きていけない。
武志の子供が嫁を取ったり孫が出来たりしたもんですから、どんどんどんどん持っていくものが増えると。
そういう事で、前回は万景で行きました。
荷物が多くなったと言う事で。

それともう一つ聞いた話では、今武志が一番心配をしているのは友枝さんが年老いて北朝鮮に来れなくなる事が一番心配だということです。
北朝鮮からのこちらへのメッセージは部屋が8つもあって、お母さんが行った時には焼肉を焼いたりお母さんの誕生日をしてあげたりと、そういう食べ物がわんさと出てくるようなメッセージばかりが出てくるんですけれども、武志はこの後北朝鮮でもし生きていこうとしたら援助が物凄く必要なんです。
それが途絶える事が一番心配していると、そういう事を聞いております。

★寺越昭男さん(寺越昭二さん長男)

付け加えて、やっぱり北朝鮮からもたらされる話ちゅうのは、何一つ私らには確認出来ないんですね。
武志が立派にやっている。
お母さんが行った時だけそこにいるんかも分からない。
再び帰ったら、どういうところに住んでいるかも分からない。
本当に北朝鮮のやっている事ちゅうのはもう何一つ分からない事ばっかりなんですね。

友枝さんが行った時に北朝鮮で何か運動会みたいなことがあって、武志が職場の(平壌市)総同盟副委員長と言う事で商品を渡しているようなビデオを持って来たりもしていますけども、これも私らから言わせればやっぱり何か作られているなと言う気もするし。
そんな事を考えるとやっぱり、一日も早いことやっぱり武志を自由にさせて、自由に行き来できるようにさしてやらないかんがな、と思いますけども。

★司会 川添氏

どうもありがとうございました。
そうしましたらですね、会場の皆様に一言ずつ何かアピールとかメッセージとかあればお願いしたいと思います。
寺越さんからちょっと宜しくお願いします。

★寺越昭男さん

私らの訴えいうのは拉致問題解決するためにはやっぱり国民も世論と言うのが最大の力になると思うんで、これだけはやっぱりどうしてもお願いしたいなというふうに思います。
日本の政府ちゅうのはやっぱり役人根性と言うんか、その時は「頑張ります、頑張ります」って言うけども、実際にどこまでやってくれるか?というのは本当に不安な点がある。
正直な事やっぱり国民が政府を動かすと言う、これまでの結果を見てくると本当にやっぱり国民の皆様の応援と言うのが私らにとっては一番心強いんで、また今後とも宜しくお願いしたいと思います。

★内田美津夫さん

今北朝鮮はミサイルなどを撃って脅しをかけてきていますけども、本当に皆さん、脅しに屈しないで私たちと一緒にこの拉致問題の声を上げ続けていって欲しいと思っております。
それと私個人的な思いなんですけども、やっぱり次の総理には安倍さん、必ずなって欲しいと思っております。
安倍さんが最高権力者になった時にはやはり誰にも遠慮する事無く、自分が北朝鮮に対して思っている事をやってくれると思っております。
これが拉致問題早く解決する道だと思っております。
もし安倍さんが(総裁選に)立ったとしたなら、私たちと一緒に後押しして頂きたいなと私は思っております。
どうも今日はありがとうございました。

★増元照明氏

今安倍さんの話が出ましたので、昨日政治家関係の人たちと一緒に食事をしたんですけども、その時に「今、噂が流れている」と。
まことしやかな噂ほどあまり信じない方が良いんですが、前回小泉さんがブッシュさんと会った時に「私は経済制裁をしなかったけども、安倍君になったら必ずするからその時は協力してくださいね」ということを話した、という事なんですね。
それが中国経由で北朝鮮に入って「それじゃたまらんという事でミサイルを撃ったんではないか?」というふうに今、まことしやかに永田町の中で流れているそうです。
そういうことも有るようですが、安倍さんになったらもっと厳しい姿勢は示してくれると思います。

1ヶ月ほど2ヶ月ほど前でしたかね?
福田さんが急追していると言っておられましたけども、私と多分蓮池透さんは福田さんに睨まれておりますので、やばいな、と思ってたんですけども。
永田町の論理というのは私たちとは全然違ってどうなるか分からない。
自分達の利益のためだけに考えている人たちが大勢いらっしゃるので、日本の国のことなんか殆ど考えていない人たちが大勢いらっしゃるので、福田さんになる確率もあるのかな?ということもあったんですが。
福田さんになったら拉致問題はもうアウトだなと思っておりましたが、福田さんもだいぶ意欲をなくしているみたいで良かったなと思っています。

ただ、私はいつも言ってるんですけども、福田さんには直接言いました。
2001年金正男ですよね。
彼が来た時に外務省のおばさん、田中真紀子さんか。
田中真紀子さんが足をバタつかせて「早く返しなさい、ミサイルが飛んでくるじゃない」と言われてたそうですが、それを受けて官房長官、おそらく小泉さんも了承して返したようです。

でもあの時に官房長官は国民に向かって「誰だか分かりませんけれども」と言ってるんです。
その後訂正していません。
「誰だか分かりませんけど、とにかく不法入国者として返した」と、しかも飛行機のファーストクラスで、出てきたシンガポールではなくて北京に、審議官級の外務省の職員を6人つけて返してる訳ですよ。
誰が聞いても嘘だろうと思うんですけれども、あの時は官房長官として「誰だか分からない」と仰って返されました。
国民に嘘をついたまま、私は総理になってはいけないとずっと思っています。

確かに場面場面で国民に対して欺く必要はあるのかもしれませんけども。
でもある一定時期経ったら国民にその時何故その嘘をついたのか?説明をしなければならないと思ってますし、これから総理になる人が嘘をついたまま総理になってはいけないと思っていますので。
絶対にこのまま福田さんが(総理に)なるようになったら、私はネット上で流したりテレビでがんがんがんがん言おうと思ったんですけども、でも私はそう思っています。
ですからこのまま福田さんになることだけは避けていって頂きたいと思いますし、安倍さんになって頂きたいとも思っておりますが、今あんまり僕たちが贔屓して引き倒しをしてしまっては困るので静かに見守っていきたい。
ただ今日本はまともになりつつあるので、まともな総理を選んで頂けるのではないか?と思っています。
この拉致問題も必ず解決しなければならないという、そういう方たちが本当にある地位に就いて頂くとどんどんどんどんと好転していくでしょうし、金正日政権とも対峙して頂けるのではないかと思っています。

金正日が今一番困っているのは安倍さんが総理になる事だと、これは佐藤勝巳会長が北朝鮮サイドの言葉として聞いていると。
だから安倍さんが総理にならないと、そう言う工作を一杯仕掛けていると。
週刊現代もそうですけどね。
安倍さんがいろいろと裏の画策をしているような事を週刊現代は書いているようですが、必ず、さっきの秘書官から電話がかかってきまして、「ああいう事はありませんから」と。
必ず発売される前に彼らはどういうのが出るのか分かりますので、その時点で電話が来まして「あんな事ありませんから、私中国へ行ってません」
もしかしたら行ってるのかもしれませんが、でもそういう事ですね。

私たちは安倍さんを信じてますので、安倍さんがそういうパイプを使って拉致問題を解決しようとしていると、私たちはもしそれが真実だとするとそう捉えていますので、何ら一点の疑問も持っておりません。
私たちは安倍さんになって頂きたいと思いますが、ただあんまりそんなに私たちが言わない方が良いだろうなとは思っております。
まともな国にしていくために国民の皆さんが、最終的には声を上げて頂く事が必要になってくる場面も出てくるかもしれませんので、その時には宜しくお願い致します。

★真鍋貞樹氏

増元さんは政治家は嘘をついちゃならないという発言をされましたが、私は嘘つきは政治家の始まりだと思っています。(笑い声)
政治家の方もいらっしゃるんですけども。
また私も実は何年か前、似たような職業をやってましたのでそう思っております。

だから私も安倍さんについては非常に信頼を置いているんですけども、ただ政治の世界はそんなに甘くないという事です。
嘘もつかなければいけないし、芝居もしなきゃいけないし。
その中でこの問題をどう解決していくか?という厳しい実際の現実の政治家の世界でですね。
どろどろした部分をですね。
潜り抜けていかなければ安倍さんとても、そんなに簡単に物事進められていく状況ではないわけですから、そういう安倍さんにしろ誰にしろ、そういう政治的リーダーをどう国民がですね。
バックアップするか?サポートするか?という事がとても大切だと思っております。

それで最後に私の方からお願いですが、「しおかぜ」の事でございます。
「しおかぜ」というのは、日本はミサイル撃つわけにはいかないですから、せめて電波くらい打とうじゃないかという形で始めております。
狙いは二つございます。

ひとつは増元さんとかですね。
寺越さん・内田さんもそうでしたけど自らの肉声で、るみ子さんなり武志さんなりにメッセージを伝えて頂きたいという形でやってます。
特定失踪者のご家族にもですね。
大澤さんもそうですし高野さんもそうなんですけども、自らの肉声で北朝鮮にいる拉致された人に向かって声を届けて、まずは励ましたいと。
絶対に忘れていないんだというメッセージをですね。
お送りしたいと言う事が一つ。

もう一つの狙いはですね。
大きな事を言うようですけども、東ドイツが崩壊した時のプロセスにおいて、北朝鮮よりはるかに開放的だった東ドイツでさえ非常に崩壊のプロセスは難しかったわけですけども、その時一番重要だったのは情報なんです。
ラジオ放送を通じた情報を国民が知ることによって、「どこに行けば西ドイツにいけるよ」と、「オーストリアに逃げる事が出来るよ」と、「今東ドイツの政権は崩れそうになってるよ」というような情報をですね。
東ドイツの国民の皆様はラジオ放送を通じて知り得た訳です。

だからあの北朝鮮を見たときに本当に閉鎖空間です。
東ドイツ以上に囲まれた社会の中にやはり自由な風・民主主義の大切さ・人権の大切さという物をどうやって伝えるか?という事になると、今効果的なのはですね。
手法の一つとしてラジオがあるんじゃないかと思っています。
金正日体制を如何に揺るがしていくか?と。
そして先ほども触れましたように、如何に普通の国に転換させていくか?というための一つの方法論として、そんなに大げさな事を言える程たいした事はやっていませんが、一つとしてですね。
取り組んでいきたいというふうには思っています。

今我々の「しおかぜ」に対しては北朝鮮からは妨害電波が出ております。
妨害電波を回避するために新しく別のチャンネルで始めましたら、そこにも(妨害電波が)かかっております。
いたちごっこの状態ですけども、向こうがそう出るならこっちもそう出るということで、どんどんチャンネルを変えていきますし、今チャンネルを公表していますけども、ちょっと公表を差し控えてやってみようかなというふうにも思っています。
いろいろな方法論を私どもなりに学びながら進めて行っておりますのでですね。
是非皆様方の御支援を是非「しおかぜ」の方にもお願いをして、私のお願いとさせて頂きます。
どうもありがとうございました。(拍手)

★司会 川添氏

ありがとうございました。
これでパネルディスカッションを終了いたしますんで、もう少しで終わりますんでもう少々お待ちください。 

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2006年7月22日 (土)

第14回藤沢集会(7)

   『増元照明 家族会事務局長の講演 その1』

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こんにちは。
増元るみ子の弟の、増元照明です。
ちょっとW杯で疲れておりますので。(笑い声)
この頃私、増元るみ子の弟とあえて言うようにしているんですけども、皆さん方は分からないというか、忘れたのか、それとも誤解が多いのか、どうもお兄さんと言われる事が多いもんですから、(笑い声)常に最初に弟と言う事を言わせて頂いております。

この2週間ですね。
非常に忙しく大変でした。
W杯でもあったんですけど、W杯というのも非常に私面白いと思っているんですけども、2002年の日韓W杯のときに金正日は拉致を認めて、この日本人拉致というのが大きく報道されるようになりました。
これはもちろん、今イ団長が仰ったように2001年の同時多発テロ、更にブッシュ政権になって大きな圧力が北朝鮮にかかるようになって1年、ようやく1年、結果じわじわと効いて来た、金正日が拉致を求めざるを得ない状況になってきた。
今年もW杯があった。
その最中に今度はテポドンを撃ってきましたので、これで世界中が大きな圧力をかけるようになりつつあります。
ですから私は今年で解決できるのではないか?と非常に期待しております。

前々から、昨年の9月からですね。
ブッシュ政権が金融制裁をかけておりましたので、これがだいぶ効いていると言うのが昨年末から私たちも伺っておりましたので、だから今年の初めから私たち家族会は今年が勝負だろうと。
今年出来なければ後何年かかるか分からないから、とにかく集中して動こうと言う事で今半年間過ぎてきたんですけども、半年が過ぎても小泉さんが中々真剣に拉致問題を考えて頂けなかったので進みませんでしたが、ようやくここに来て北朝鮮が馬鹿な事をやったお陰もあるんですけれども、制裁の発動をしていただきました。

2週間ちょっと忙しかったので、皆さんに何があったかという事を、この2週間の出来事でちょっと話をしたいと思います。
先月の27日にまず『アブダクション』という、これ日本で限定上映されたんですが、家族会主催でやらさせて頂きました。
限定上映ですので大半の方が御覧になってないと思いますけども、今日本での上映に向けて配給会社との交渉に入っているそうです。
ですから上手く行けば秋には御覧になっていただけると思いますが、ドキュメンタリー映画が果たして日本で流行るのかな?とちょっと思っているんですね。
御覧になった方は感動されたと言う方が多かったですけれども、ドキュメンタリー映画ですしね。
お金を払ってあれを観る人がいるのかな?とちょっと思っております。

更に私が非常に個人的な生活をその映画の中に入っておりまして、油断したんですね。
取材が来た時に。
当時アメリカの映画会社というか、アメリカのメディアなんですけど、アメリカの60分番組でこの拉致問題を取り上げたいと言うことでしたので、米国で放映されるならまぁいいかなと思って多少油断した部分もありまして。
言わないでも良い事をついつい言ってしまって、今年の1月にその映画が出来上がったのを観たらこんな事まで言ってたのか?と、ちょっと自分で恥ずかしくなりまして。
あの映画が日本で上映されるのをちょっと私としては恥ずかしいんですけども、これが拉致問題の解決につながればと思います。
もし、あの映画が流行ってしまったら、また町を歩けなくなるなと思っております。(笑い声)

その翌日28日29日、金英男さんの家族が面会されました。
殆ど私たちはああいう事になるんだろうなと思ったんですが、しかし「救助」というのは馬鹿馬鹿しくて誰も信用しないような、非常に詳細に言ってるんですね。
ケンカして、そして海岸で泣いていてまた戻ると苛められるから、と。
友達をゴロツキ呼ばわりしていますからね。(笑い声)
あれはとんでもないと私は思っていますが。
で、そこでボートがあって、艪が無かったけどそこに船底に板があったから、ちょっと沖に出たらついつい疲れて眠ってしまった・・・アホかと思った。(笑い声)
誰も信じる人がいないんでしょうけども、そういう話を作るしかなかった。
北朝鮮もそこまで切羽詰ってるんでしょうが、もうちょっとマシなストーリーを考えられないのかな?と、よっぽど人材がいなくなったのかな?と私思っています。

私でしたら、そうですね。
私でしたらストーリーを作るときに、もう北に対するシンパシーを持っていたから、当然北に行くつもりで韓国国内の工作関係のアンダーグランドに潜ってる人たちに話をつけて、あそこでおち合ってそして北に行ったんだと、僕だったらそういうストーリーを作るんですけど。
そちらの方がまだ納得できますよね?
そしたら拉致問題ではなくて、自分の意思で行った親北の人間だということに。
韓国国内での世論作りにはなると思うんですけど、そこまで考える余裕が無かったのか?
それともやっぱりそのストーリーを作った人が金正日に異常な反感を持っているのか?
後者を私は期待したいんですが、誰も信じなかった。

日本の方たちも当然あの場面を見て誰も信じる方はいないと思いますが、あの中で私一番頭に来たのは、金英男さんの会見がありましたよね?
一番頭に来たのは人権という言葉を使っているんですよね?
人権の無い国で人権を言うのは馬鹿らしいとは思いますけど、ただそれがその自分が言った横田めぐみさんの骨はその通りなんだ、それを疑うのは私に対する人権蹂躙だと言うですね。(笑い声)
アホか?と私言いたいですけど、何が人権蹂躙だと。

なぜ人権を使ったのか?というと、今世界中が北朝鮮の人権という問題で責め始めているんですね。
昨年はアメリカで人権法案が、国連の総会では人権非難決議が、そして日本はまた今年になって人権法と言うのが成立を始めました。
人権というのに非常に弱いし、世界中から人権という言葉で責められたら立場が無くなる。
だから自分を常に被害者にしなければいけないから、人権問題でも自分が被害者なんだと言う事を強調したかったのではないか?と思いますが、それでも彼の北朝鮮の言葉で人権という言葉を使ったときにはちょっと一番腹が立ちました。

まぁ言わされているのでしょうがないとは思うんですけど、面会の時に涙を見せなかった金英男さん。
それで時計もぶらぶらして、だいぶ北朝鮮は日本の報道を気にしているのはまず間違いが無いんですよ。
涙を流さないというふうに言ったら別れのときには涙を見せて、更に昨日も一昨日も涙を見せて、28年ぶりにお母さんと会って涙を見せない人がですよ?
日本に対する記者会見で娘さんがお母さんの事で泣いているといって涙を見せますかね?
私はちょっとそれは疑問に思っております。
だから涙を見せないのがおかしいと言ったら、今度は涙を見せろと言われたんでしょう。(笑い声)
だから帰り際に一応涙を流したと。

北朝鮮の言う事は全て私、金英男さんの会見、昨日の会見もそうですが、金剛山での会見も全て嘘だと私は思っております。
だからめぐみさんの娘さん、ウンギョンちゃんと言ってますが私はヘギョンだって良いじゃんと思ってるんですね。
別にどっちが本名か誰も分からないんですから。
最初は金英男はヘギョンちゃんと言ってヘギョンちゃんで報道して、今度ウンギョンちゃんと言ってウンギョンちゃんで報道の方たちはウンギョンちゃんと言い始めてますけども、誰も立証できないですし。
今までヘギョンちゃんで言ってますし、私はヘギョンちゃんで通そうと思っています。
この問題が解決して本当の本名が分かった時に改名すれば良いですし、日本に来たら日本名をつけて日本名を呼べば良いことですから、それまで私はヘギョンちゃんと呼ぼうと思っています。

そのヘギョンちゃんが金日成総合大学に入学したというのも、北朝鮮が言ってる事ですから。
おそらく今は金英男氏は工作員としては多分上級の方になっているでしょうけども、あくまでも拉致被害者ですから。
そしてめぐみさんは日本人拉致被害者ですから。
拉致被害者同士の子供が金日成総合大学に果たして入学できるか?
私は難しいと思います。
あれは抗日パルチザンからずっと一緒に戦ってきた信頼出来る軍の幹部とか党の幹部とか、そういう方たちの子息が主に入っている優秀な身分区の学校なんです。
そこに被害者の娘さんが入れるかどうか?

今確かにヘギョンちゃんは、めぐみさんの娘としてクローズアップされているから特別に入れているのかもしれませんけども、これも北朝鮮が発表しているわけで誰も検証できませんから。
金日成総合大学のコンピューター科にいると言ってるだけですから、これが事実かどうか分かりません。
そのうちにイギリスの公使か誰かに、突然金日成総合大学に行ってちょっと確認してみてくれと頼んでも良いんではと思うんです。
ドイツの人もいますし。

確認してもまた嘘が分かるだけなんでしょうけども、とにかく話は作られたストーリーだと思っていますので、それを見ている横田さんたちが僕は辛いと思うんですよね。
私たちは本当に腹が立ってしょうがないんですが、早紀江さんが「頭が煮えくり返り、腹が煮えくり返り」って、あれ本当だと思いますよ?
私たちが見ていても本当に煮えくり返るんですよ。

ただ、代表が非常に素直な方ですので、本当にあの話を半分信じるんですね?常に。
北朝鮮言ってることとか、遺骨の時も「そうかもしれない」と。
早紀江さんもそうなんですけど、僕たちは絶対にあれはめぐみさんの遺骨では無いと言ってたんですけど、代表は「いやそうかもしれない、とにかく調べて貰おう」というふうに仰る。
どうもまだ、北朝鮮の謀略というものに対して抵抗力が無い部分がありまして、ちょっともう少しやっぱりあれですね。
経験を積まないといけないのかなぁ?と。
日本銀行に勤めておられたので非常に素直なんですよ。
私たちのように民間に勤めてひねくれて(笑い声)、私たち本当にひねくれておりますので、あんな国の発表なんかは絶対に信用しておりませんし、これからも信用するつもりはありません。

で、そうですね、先週あたりに週刊朝日でめぐみさんの生存情報が出てきました。
これも西側の公使あたりから出ているんではないか?と日本政府関係者には言っているということを言っておられましたけど、あの取材源ですけど、めぐみさんがロイヤルファミリーの教師になる。
これは文春ですね?
今週号の文春でしたか、この取材源と西岡さんたちが聞いているめぐみさんがロイヤルファミリーの日本語教師になったという、これ違うんですよ。
だから二つ違うソースから同じ話が出ているということですね。
更に西岡さんはもう一つ別のルートからも、こういう話を聞いている。
という事ですので、おそらく間違いなくロイヤルファミリーの日本語教育をやっているんだろうと思います。
94年に死亡と言われておりますけど、彼らが94年にめぐみさんをおそらくある程度隔離し始めて、ロイヤルファミリーの教師とするために教育をしなおして、95年6年あたりから教師を始めたんではないか?と推測しています。

金英男はそのロイヤルファミリーの日本語教師の娘さんのお父さんだから、今優遇されているという事ですね。
でも、再婚されたあの女性。
あの人が党の人民何とか、副部長の何とかとか、誰も立証できないので分かりませんけどもね。
十幾つも違う若い奥さんですからね。
ちょっと理解が出来ないです。
まぁ再婚はしているのはそうなんでしょうけども、そのお父さんの地位とかお母さんの地位が果たしてそうなのか?は誰も立証できませんので、ちょっと私は疑ってかかっています。

それともうひとつ、ストーリーとしてラブトーリーになっていますが、北朝鮮ではラブストーリーは有り得ません。
ジェンキンスさんと曽我さんも最初突然一緒にさせられたという、同じ所で暮らすように命じられたという。
おそらくその時から夫婦になるのは義務付けられたと私は思っています。
日本でもそうですが、顔を見た事も無い男女が見合い結婚で生活していくうちに愛情が芽生えた事は有り得るとは思います。
でも恋愛結婚というのはまず有り得ませんし、住む家だって与えられないと(生活)できませんので、おそらく離婚も簡単に出来ないはずなんです。
ですからちょっとあのラブストーリー仕立ては、私は嫌な気がしました。
そのラブストーリーでめぐみさんを愛していたと称する金英男さんがああいう場でああいう発言をされているので、もっと嫌な気分になったんですけども、これは北朝鮮の内部で言われていることでしょうから、しょうがないと思います。

それと7月5日のテポドンですね。
7時くらいまで私ちょっと前日深酒をしておりまして、6時くらいに電話があったみたいなんですが全然起きられなくて、7時くらいに電話があって、それでようやく3発くらい撃ったというのを聞きました。
その時に私、正直な気持ち、「やったぁ!」と思いました。(笑い声)
本当に正直な気持ち。
テレビの中では余り言いませんけども、正直な話「やったぁ!」と。
これでようやく経済制裁に踏み切るだろうと思ってましたから。
ここで経済制裁を課さなければ、もう日本は駄目になるだろうというくらいの衝撃でした。

でもどこに撃ったんだろう?とテレビずっとつけていたら、日本海にどんどんどんどん撃ってるし今現在も撃ってるという話を聞いて「何でそんなに何発も撃つんだろうか?」とちょっと不思議ではありました。
当然、私新潟に行っていたもんですから万景峰号の入る日に行ったんですけど。
万景峰号が入ろうとしているその日に撃ったわけでしょう?
7月5日というのは金英男さんの日本人の記者団に対する会見をさせる日でもあるんですよね?
そういう複雑な事情の日にまたよく撃ったなぁ、というのもひとつ感想でした。

良く考えたら7月4日はですね。
アメリカでは独立記念日に撃ったと言うのが正解じゃないかと思います。
常に北朝鮮はアメリカを見ていますから。
日本は見ていません。
アメリカを見てアメリカと交渉してアメリカと仲良く国交が出来れば、日本はそれについてくるだろうと思っているから、だから日本は無視してもアメリカとの交渉をしたがるという事です。

ただブッシュ政権は本当に今早紀江さんに会った、それに姜哲煥さんにも昨年会ってるんですけども、金正日を嫌いみたいでブッシュさん。
単純な方なんです、小泉さんと同じように。(笑い声)
だから嫌いなものは嫌いというんで、だから北朝鮮を悪魔とずっと北朝鮮を言ってますけど、ですから絶対に妥協する事は無いですし、今後も米朝二国間協議に私は応じるとは思っておりません。
北朝鮮がどういうダダをこねようとアメリカは相手にしないでしょう。
続き~増元照明さん(2)へ

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第14回藤沢集会(8)

   『増元照明 家族会事務局長の講演 その2』

6者協議の中の枠組みで今やられていますけど、前々から私言ってますけど6者協議なんてちょっと茶番に私見えてしょうがないんですよね。
だいたいですよ。
北朝鮮という世界最貧国一国のために、ロシア・中国・日本・アメリカ、韓国は世界10位の経済国ですよね?
経済大国と軍事大国ですよ。
5者がかかって世界最貧国の北朝鮮に翻弄されているようなそんな会議、アホじゃないかと私は思っているんですね。
その5ヶ国が全て固まって北朝鮮にもっと強い圧力をかければ済む問題なのに、何かしらそれをしないというのはこれは中国の関与だと私は思います。

中国がどうしても北朝鮮という国、あの体制のままもう少し延ばしておきたい。
2008年の北京オリンピックまでどうしても延ばしておきたいと言うその気持ちがあるから、あそこが混乱しちゃうと脱北者が確かに中国の方にどんどん流れる可能性があるんですよね。
だから方やオリンピックやって、方や混乱していたらちょっと中国政府としてもまずいと言う気持ちがあるんではないかと思います。
2008年まではそっとしておきたい。
生かさず殺さずのまま、と言うのがあるんだと思います。
北朝鮮は北朝鮮で2008年まで生きいていれば、ブッシュ政権が終わりますから、次の民主党政権になればまたどうにか誤魔化せるんじゃないかと、そこまでじっとして居たかったんですが昨年の金融制裁でそれも出来なくなってテポドンを撃ったということじゃないかと思いますけどね。

今私たちは北朝鮮を追い詰め始めています。
私たちもアメリカの常に主導の下でやられているのは非常に残念でありますけど、それは何はともあれそういう追い詰められている状況は確かと思っています。
制裁の発動を私たちはずっと求めて万景峰号の入港反対にもずっと参加をしておりましたけども、中々それを実行してくれなかった政府がテポドンという、実害は無いですよね?今のところね。
その実害の無いテポドンで制裁の発動をしていただいたのは非常にありがたいんですが、もっと強く拉致問題を意識して制裁の発動をして頂きたかったですね。

本当に100人以上の拉致被害者がいるし、多くの日本人が北朝鮮という国に迷惑を被っているこの状況の中に、これを頭に制裁の発動をしていただきたかったのは事実です。
それ程でもやはり、日本の政府の中にはこの拉致問題最優先課題といいながら、結局はそこまでに強い意識ではなかったんだという思いが私にはあります。
テポドンというのはやはりアメリカにとっても脅威ですし、日本にとっては当然脅威なんですが、でも皆さん10年ちょっと前からすでにノドンという日本を全て射程圏におくミサイルがすでに150~200、すでに発射の状況になっているわけですよ。

それに対して日本は何ら防御の迎撃ミサイルも配備しない、もう十数年ですよね?
放置してきたわけでしょう?
ここでテポドン2でなぜこんなに今更のように騒ぐのか?私はちょっと分からないんですけど、日本の安全保障ということでしたらね。
十数年前にテポドンを配置した時点で制裁の発動をすべきでしたし、もっと専守防衛というのであればイージス艦のような物をもっとその、迎撃ミサイルですよね。
ミサイル防衛網とかそういう物をもっとまともに考えて配備して行かなければならなかったのに、それをやってこなかった日本政府は非常に今ちょっと責任が重いと思いますよ。

政府自体ではなくておそらく社会党とか共産党とかの人たちがそれを阻止してきたんでしょうけども、でも専守防衛であるならば、本当に撃たれてから被害を被ってからやるんではなくて、被害を被らないようにしなければならないのに、それにも全く頭が行かなかったと言うか、北朝鮮という国が本当にまだまともな集団だと思ってたんだと思います。
ましてや与党の中にも親北の人たちは結構いらっしゃいましたい、与党の幹事長の野中さんなんてのは親北の最先端で力がありましたからね。
ですから我々のこの拉致問題に対しても非常に悪い方向に行っていたんですが、その野中さんが政界を去り、そしてアメリカはブッシュ政権が出来上がって北朝鮮に圧力をかけ、で、今の状況になっているんだと思います。

テポドンに関して1998年、これ前に撃ったわけですよね。
1998年って、これもW杯の開催年なんです。
だからW杯の年にこの北朝鮮問題というのは4年に一回必ず起きて、W杯の年って言うのは北朝鮮と連動しているんじゃないか?と思ってしまいますが。(クスクス笑い)
金正日がよっぽどサッカー好きでW杯の世界中がお祭り騒ぎのときに、自分達の存在をアピールするために何かをしようと思うのか、たまたまそうなのか分かりませんが。
とにかくW杯の年にそれだけのいろんな事が起こったんです。

で、98年、日本は一応制裁をかけてます。
今回の万景峰号を止めるとか、そういうのはやってませんけどもチャーター便ですよね。
その運行停止。
それから北朝鮮の公務員ってのは、国会議員とか公務員その人たちの入国禁止。
そういう軽い制裁はかけています。
その翌年にテポドンの、あの時1号でしたけど次テポドン2号を撃つと構えを見せたら、今度は人・物・金を止めると公言していました。

あの時、でも、日本は単独の経済制裁法案を持っていなかったんです。
それでも人・物・金を止めると言ったんです。
だからどうやってやるつもりだったのか?分かりませんけども、そう言ってたんです。
だから私たちは出来るだろうと思って、2000年のあの時から経済制裁の発動をしなさいよと。
テポドンで日本の上空を飛んで太平洋に落ちて全く実害のなかった。
それで制裁の発動を出来るのであればこの拉致の問題で出来るでしょう。
意思を示しなさいよと言ってはいたんですけど。
だからずっと私たちは2000年前後、1999年ごろから制裁の発動を求めていました。

それは今効果の有る無し言われる方がいらっしゃいます。
1990年代後半は、おそらく制裁の発動をすればもっと効果があったと思いますが、今は貿易も余りやってませんし。
ただ、アメリカも貿易はやって無いです、北朝鮮とは。
それでも金融制裁は効いたんです。
ですから今日本は3分の1の貿易額とは言え、日本が本気になれば制裁は効くと思います。
それは万景を止めること自体もそうなんですが、これは在日の朝鮮人の方たちからちょくちょく家族会の方に秘密裏に連絡が来まして、「あの万景を止めるのは凄い効くんだよ」という話を何回も聞いておりますので、万景号を止める事も一つ大きな制裁というか、向こうに対する大きなインパクトを与えるとは思っております。

それよりも世界第一のアメリカ、経済大国のアメリカが金融制裁をして第二位の日本が経済制裁したら、それは途端にあの国はどうしようもなくなりますよ。
今マカオの銀行に25億円くらいの資金があってそれが凍結されてそれが困ってるんです。
今度アメリカはテポドン発射を受けて、香港にある銀行にも制裁を課す事まで考えている。
それに追随をして日本がそこに同じようにやっていけば、世界中の銀行が日本とアメリカ、経済大国一位二位の国がストップするような、そういう関係になりましたら北朝鮮との取引は全部出来なくなりますから。
そうなると北朝鮮は現金で決済するしかありませんけれど、でも現金で決済するとどれが本物かどれが偽物か分からないような(笑い声)ドルを使われますので、危なくて、ですからその貿易も出来ないですよね。
実際これは佐藤会長が言ってたんですけども、ロシアが物をやって代金を貰ったら1割に偽ドルが入っていたということですので、とてもじゃないけど危なくてそれは出来ない事だと思います。

そうなりますとミサイルの部品も調達出来なくなりますね。
更に軍の消耗品と呼ばれる車の部品がありまして、これが全部買えなくなりますよね。
今まで軍の車とか、軍備65%全て日本の製品であるというのは分かってます。
今までトラックとか軍の車、これに部品の注文があったのが日産と日野です。
先ほど固有名詞は忘れてと言ってましたけど、日産と日野という自動車メーカーが、多分中国から注文を受けて迂回して向こうに持って行くのが、万景峰号で持って行ったのもあります。

ですからこれが止められるという事は、北の軍備が大部治まるという事、小さくなってしまうという事です。
ミサイルも作れなくなってしまう。
更に核開発も出来なくなる。
万景峰号で核の融合剤とかそういった物も送られてましたから、それも出来なくなる。
まして核を作るにはお金が要りますから、銀行決済が出来なかったり現金決済が出来なかったりするとそれも出来なくなりますから、今後核の開発に関しても非常に支障を来たすでしょう。
もっと早くやっておけば核を持たせる事も無かったんですが、ここに来て核弾頭を持っているか持っていないか?
核弾頭が出来るかどうか?
それもいまだにちょっと不透明な所がありますけど、大半の人たちがまだ核弾頭までは出来ないだろうという事を仰っています。

で、昨日7月7日、イギリスは今日未明が7月7日ですかね。
朝方からずっと見ていましたら1年前に7月7日、同時テロを被ったイギリスのロンドンの市民がテレビで言ってました。
「自分達が普通どおりの生活をし普通どおりの仕事をしているところを見せる事が、テロに対する私たちの姿勢なんだ」と。
テロに対し私たちは怯まないというその姿勢を見せる事が、テロの抑止になる。
私たちはそういうロンドン魂というか、そういう事を市民の方が言っておられました。

今日本の中で、テポドンがミサイルが飛んで来たらどうするんだ?というふうに言う方たちも出てくるでしょう、おそらく。
でもそのミサイルの実験もしくは飛んでくることに対して恐れを見せた段階で、私たちの国は崩壊していくという事です。
これからもおそらくどういう事であれ恫喝はしてくるでしょうけども、そこで私たちは毅然と普通の生活をして、そして北のミサイルには怯えていないと絶対に怯えないという姿勢を見せなければ、どんどんどんどんつけ込まれてしまいます。
今後おそらく、ここで屈したら私たちの国はもう、今後日本という国はどんどんどんどん崩壊していく方向に行くと思います。
今金正日の政権の崩壊を目の前にしながら日本が崩壊するわけには行きませんので、私たちは、皆さんにも是非そのことだけは考えて頂きたいと思います。
これは拉致被害者を救出するだけではなくて、日本という国の有り方の問題として問われていると思っております。

今は万景峰号を止める制裁だけに留まっておりますけども、半年というふうに言われておりますが、先日安倍官房長官の秘書官という方から電話がありまして、「一応半年間という区切りはつけましたけど、それは拉致の問題が解決しなければ、その時点で延長も当然視野に入れております」というふうに仰って頂きました。
更に昨日「経済制裁の発動、これに対してはテポドン発射に対する抗議もあるけれど、拉致その他いろいろな問題を懸案して発動したんだ」という事をハッキリと仰って頂きましたので、今後拉致問題を政府として忘れる事はありませんし、国民の皆さんにも忘れて頂きたくないんです。

ミサイルの問題で拉致の問題が小さくなる事が、一番私たち怖いです。
「ミサイルを撃たなかったから良かったじゃない。これで北朝鮮と仲良くしなければいけないのね」とならない事を、拉致の問題がまだ解決していないと言う事を皆さんには必ず分かっていて頂きたい。
被害者が返って来ない限りはこの拉致問題は終わらないということを、分かって頂きたいと思っています。
そこまで私たちは戦うのを止めませんし、金正日との戦いを止めようとは思っておりません。

今、韓国がですね。
今日新聞を見たら、韓国の盧武鉉大統領の支持母体である「盧武鉉を愛する人々の集い」というそこのHPに、「北韓ミサイルの発射を歓迎する」と題した支持論で、「ミサイル発射は正当防衛だ」と。
更に「日本の独島侵犯に対する自己防衛だ」と言っているようですが、韓国の盧武鉉政権はもうアウトです。
民団の方がいらっしゃるので非常にあれなんですけど、米国の韓国系アメリカ人もアウトだと言っておられます。
日本の民団の方にも、おそらく盧武鉉政権のやり方は非常に腹立たしく見えておられると思います。
韓国の中にもそういった保守系の方たち、大勢心ある方たちは盧武鉉さんを批判的ですし、ようやく新聞も、新聞は朝鮮日報は前から戦っていたんですけど、今中央日報・東亜日報と盧武鉉政権に非常に追求を強めています。

更に拉致問題でも「金英男さんの会見、あれを認めるのか?」と言って、非常に強い攻撃をかけ始めています。
ですから来年の大統領選挙まで持つかどうか?
それがちょっとまだ分かりませんけど、まぁ持つかもしれませんけど、でも韓国もそうやって国民世論が、韓国の国民世論がそうやって厳しくなっていけば、その時こそ日韓連携が私は出来て北朝鮮と対峙できると私は思っています。
韓国の国民の人たちにも是非立ち上がって頂きたいと思っております。

私たちは最後まで戦い続けますし、日本の皆さんにも忘れないで頂きたいですし、一緒に戦って頂きたいと思いますので宜しくお願いします。
ありがとうございました。(拍手)   

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2006年7月19日 (水)

第14回藤沢集会(6)

  『イ・ダルブ 民団・湘南中部支部団長の挨拶』

皆さんこんにちは。
湘南中部支部のイ・ダルブと言います。
今日はですね。
いまのですね、Aさんの話を聞いていて本当に涙があふれる気持ちです。
私たちがですね。
近年このような環境になったのも、やはり一つのきっかけがあって今日があったと思っています。

私は湘南地区の韓国の民団と言う所で団長をしているんですけども、歴史がわかると言うことではなくて、また政治の事がよく分かるということではなくて、ただちょっと人材が不足しているんで私がたまたま団長になっちゃったということなんですけども。
実はですね。
皆さんご存知のように総連と民団とのですね。
共同宣言というものが5月17日に宣言されたんですけども、これにつきましてはですね。
昨日正式に民団としては、この共同宣言はやはり一緒には出来ないということで正式にこれは破棄されました。(拍手)

我々も先ほどのAさんと同じで、私も日本で生まれて日本で育った韓国人であるんですけども、ずっと遡って私の子供の頃ですね。
今私54歳なんですけども、それこそ40年位前の話でやはり今のAさんのような、とにかく北は地上の楽園なんだよと。
で、韓国は地獄みたいな所なんだよみたいなね(笑い声)、そんなふうに聞いて来たんですよ。
それはあのその頃は朴政権、暗殺されちゃった朴大統領とかですね。
かなり強力な事を推し進めていまして、その反面北というのはベールに包まれちゃっているので、とにかく北は楽園なんだよと。
そんなふうにしてず~っと来ました。

私は生まれて育ったのは東京の浅草というところでですね。
浅草もやはり韓国籍、朝鮮籍の方々が物凄く多いんですよ。
いわゆる部落と言う所がありましてね。
そういう所で育ってるんで、どこそこの誰さんがちょっといなくなっちゃったみたいだよ?と、どうしちゃったんだろうな?というのを、私子供の頃に良く聞いていました。

それはそれとして、後は私が今ここで政治的なこととかそういう事ではなくて、別なふうな私的なコメント・考えなんですけど、私はここの藤沢ライオンズクラブと言う奉仕団体、ライオンズクラブに入っていまして先週ですね。
アメリカのボストンでですね。
国際的な大会があってそこに参加したんですよ。

その帰りにですね。
ニューヨークに寄りましてグランドゼロという、皆さんご存知の通りニューヨーク同時多発テロでね。
ビルが二つ、でっかいビルが一瞬にして無くなっちゃったという、あそこの跡地を見学に行ったんですよ。
その時にですね。
私はモヤモヤしている物があったんですけども、例えばその同時多発テロが無かったら今こういうような催しがあったのかどうか?という、私凄い疑問なんですよ。

その後にですね。
アメリカの大統領が北を名指しで、あれは悪の枢軸だというような事を言い始めてからね。
その北朝鮮と言う事は凄く注目されるようになったかと思うんですよ。
で、そのような事が契機になったかどうか?私には分かりません。
私的なコメントだけです。
私的な考えだけなんで。

ですから、私はこの拉致と言うのは、そのころから少しずつ生まれてきたんじゃないのかな?と思っています。
私は9・11が無かったら、この集会は多分無いのかな?と。
時の流れに埋もれちゃって本当に何も無くなっちゃうんじゃないか?と。

だから私は今韓国人という立場を離れてですね。
思う事は、とにかく最後の最後の最後の一人まで、日本に取り戻して。
これは韓国人も朝鮮人も向こうに、北にいるんですよ。
ですからその人たちの最後の最後の一人まで、やっぱり返って来ないといけないんですよ。

それが今私たちここの場にいる人たちのですね。
役目だと思っています。
ですから皆さんも決して忘れないで、一人残らず取り戻せるように考えて頂きたいと思います。
何かちょっとすみません、挨拶にならない挨拶で。(拍手) 

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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第14回藤沢集会(5)-1

   『脱北者Aさんの証言 (聞き手:川添友幸氏)』

※Aさんの安全のために登壇者の横に警備の人がつき、壇上と会場の間に衝立を立てジャンパーを頭からかぶった形で証言を開始。

・・・・・・・・・・

★聞き手 川添友幸救う会神奈川会長

救う会の川添です。
以前ですね、昨年やはり脱北者の方をお呼びした時に、サングラスをかけてやってもらったと記憶しているんですが、その方より今回は非常に身の危険があるという方だそうなので、我々も身の安全のために申し訳ないんですがこういう形で講演をやらせて頂きますのを、申し訳なく思っているところです。
講演の形式なんですが、私が質問してそれにAさんが答えていただく形になると思います。
宜しくお願いします。

じゃあ、Aさん宜しくお願いします。
まず帰還事業で北朝鮮へお帰りになったと言う話ですが、脱北した経緯をちょっと教えて頂ければと思います。

★脱北者Aさん

脱北の経緯ですか?
まずはですね。
今の政権に対しての、まぁ、なんて言いますか不満ですかね。

★川添氏

具体的にどんな不満ですか?

★Aさん

やはりですね。
自分が北に行ってその間、今度こそは今度こそはと言う調子で我慢していたんですが、今の政権は目の前が見えない。
目の先が見えない、そういうのがあって自分にも家族がいるんで。
自分が帰国して騙されたとかそういう事は言いませんけど、その先、生活するにも目の先が見えない。
そう言うのがありましたね。

★川添氏

なるほど。
それで中国経由ですか?

★Aさん

そうです。

★川添氏

良くうちの会にも来られる難民基金の野口さん、あの方が中国へ行かれて、かなり中国の当局も取締りが厳しいと聞いていますが、その辺は何か・・・・(聞き取れず)されそうになったこととか有りますか?

★Aさん

それは何回もありましたね。

★川添氏

具体的にどんな感じでしょうかね?

★Aさん

例えばですね。
皆さんご存知の通り、中国公安局というのは北朝鮮の安全部、あるいは保衛部と皆つながりがあるわけです。
だから例えば脱北者が中国のあるところへいると。
それを近所の住民が中国の公安局なりに知らせると、賞金が出るわけですね。
賞金目当てに通報をする。
そこで捕まれば、我々はなんと言いますかね。
送還されるんですけども、我々の場合、北朝鮮で言えば我々は帰国者ですから、そういう立場で凄く弱い立場です。
我々の場合はもう送還されたら、まぁ60~70%の割合で命が無い。

★川添氏

所謂公開処刑、昨年公開処刑の映像が出ましたが、公開処刑になってしまうと?

★Aさん

そうですね。
北で公開と言うよりも未公開でやるのが多いんで、その辺はもう命を懸けて。
自分もそうですし、今命からがら成功した方たちも、脱北するに当たって半分は命を投げ捨てて死ぬのを覚悟で、成功率は何%になるか分かりませんけども、まぁそういう感じです。

★川添氏

出来る範囲でいいんですけど、お仲間の方で捕まってしまった方とかいらっしゃいましたか?

★Aさん

いや、話は聞くんですけども、自分の場合はそういうなんていうか。
自分が脱北すると言うのを知っているのは家族だけです。

それは秘密にしてやりましたので。

脱北者の方のお話2へ


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第14回藤沢集会(5)-2

★川添氏

中国にはどれ位おられたんですか?

★Aさん

約8ヶ月くらいですね。

★川添氏

日本に来られたのはいつ位でしょうか?

★Aさん

今年で4年目になります。

★川添氏

最初、生まれたのは日本ですよね?

★Aさん

はい、そうです。

★川添氏

何年ぶりに日本に戻られた事になるんですか?そうすると。

★Aさん

約30年ですね。

★川添氏

やはり変わられましたか?周りなんかは?

★Aさん

だいぶ違いますね。
最初は戸惑いましたね。

★川添氏

日本で今回、北朝鮮人権法という法律が国会で先日成立しましたよね?
今回拉致問題で経済制裁を促していくことと同時に、脱北者の支援という事も柱になっておりますが、その辺というのはどうお考えになりますかね?

★Aさん

そうですね。
我々にとってはそれは本当にありがたい事なんですけども、一言で言いますとそういう支援活動を政治の一環として、要するに何かの宣伝としてやって欲しくない、と言うのが自分の思いです。

★川添氏

人権と政治は一緒にして欲しくない?

★Aさん

やはりそうですね。
あくまで。

★川添氏

ちょっと話が最初に戻るんですが、金日成、今の金正日政権に対して、我々は頭で知っているのは文句言う事は出来ないという事ですが、まぁこの場ですと、どういうふうにあの政権に対して思われますか?

★Aさん

そうですね。
自分もやっぱりそこに関しては、こういう所ではっきりコメントはしたくないんですけども、今の政権がですね。
まぁ、なんていいますか、自分が良い思いがあれば自分が今現在ここにいないと思うんですが、自分が脱北して日本でここで生活している事が、今の政権をどう思うか?と言えば、皆さんお分かりだと思いますが。

★川添氏

4年前脱北されて日本に来られたという事で、拉致問題が4年前というとちょうど騒がれた頃ですよね?
あの時、こういう報道を見てどう感じられましたか?

★Aさん

向こうではですね。
自分に不利な事は一切報道しないわけです。
だから我々もですね。
噂でそういうようなのを耳にした事はあるんですけど、ハッキリした内容は日本に来て分かったんです。

★川添氏

今噂という話がありましたけど、噂の話で具体的にどんなふうに拉致の話を聞きましたか?

★Aさん

まずはですね。
飛行機の爆破事件です。

★川添氏

大韓航空機爆破事件ですね?

★Aさん

はい、あれです。
あれは北では韓国のでっち上げだと、言うような感じで報道しているわけです。
ところがある人に「あれは俺たちの方がやったんだぞ」くらいの調子で聞いた事もあるし。
それで拉致任務の一環だと思うんですけど、自分が何を聞いたかというと、要するに平壌のあるところに行くと地下室があって、そこには例えば日本なら日本、香港なら香港の町がある。
それで要するに工作員の訓練の一環で、日本語村があって、その日本語を教える人は日本人だと。
自分は最初そういう話を聞いて、要するに習慣ですか。
日本語を教えたり日本の習慣とかそういうのを教えたりするのは、朝鮮総連の方から送られているそういう人かな?と思ったんですけども、日本に来て拉致被害者だと。

★川添氏

そうですね、帰国された蓮池さんたちもそういう事をやらされていたという話を聞いていますし。
次回ちょっとお呼びしようかと思っているんですが、田口八重子さんも金賢姫の指導役だったと言う話も出ていますしね。
非常に北の生活というのは、厳しかったと思うんです。
ちょっと北の時の生活の話をしたいんですが、私なんかうろ覚えですけど配給制度とか、そういうイメージがあるんですけど、その辺は脱北される直前までどういう状況だったですかね?

★Aさん

自分の場合はですね。
1985年度あたりまでは日本からある程度仕送りもあり、生活を保ってたんですけど、その以降に日本から仕送りが無くなってから大変な目にあったんです。
自分は1989年だったと、それから90年にかけてですね。
実際自分が経験した事で日本から仕送りが無くなって、家にある冷蔵庫・カラーテレビ全部売って、しまいにはマットレスまで売ったんですけど、それで使用人の生活をしていたんですけど、それも尽きて。

なんていいますか、その当時中国の方で北朝鮮で材木を売ってですね。
食料を・・・(聞き取れず)
その食料というのが食料じゃないんです。
肥料です。
それも鳥の餌。
聞くところによると、肥料の中でも鳥の餌というのは一番酷いらしいですね。
で、そういうものを、それを我々一般市民は闇市場で買う。
1988年、9年あたりですね。
本当に食うことに困って。

自分には息子が二人いるんです。
息子を連れて自殺しようと思った事があるんです。
ただ、自分としては父親として育ち盛りの子供に、今言ったように鳥の餌です。
そんな肥料を腹いっぱい食べさせる。
俺は父親なんだと。
で、自分を責めて責めて。

北では、例えば自分が自殺するじゃないですか?
その影響というのは必ず子供に行くんです。

★川添氏

具体的にどういう影響なんですか?

★Aさん

例えば向こうで自殺って言うと、反逆罪、罪に問われるんですね。
そうするとそれを自分の息子がどんなに頭が良くて、例えば普通に行けば大学に入れるのを、要するになんていうのか、昔の日本で戦争時代に戦争行かなかったら非国民て言われますよね。
そんな感じなんですよ。

だから例えば自分が自殺する。
それは出来ないです。
親として自分が死ぬんであれば子供のことまで責任を持たなくちゃいけない。
今後の事を。
だからある瞬間自殺しようと、その瞬間自分も・・・(聞き取れず)考えたんです。
どうにか耐えて来たんですけど。

その瞬間思ったんです。
あの瞬間、あの国の制度がどうにかなるんじゃないか?と思った自分が馬鹿だった。
それが脱北の理由、きっかけの一つですね。

★川添氏

話が飛んで恐縮なんですが、帰国事業というのを私もちょっと萩原遼さんの本なんかを読んだんですが、素晴らしい国という話で、行かれたときのその辺の経緯の話を。
行った後、騙されたという心境になったと読んだ事があるんですが、同じような心境でしたか?
その辺を教えて頂ければ。

★Aさん

それはそうですね。
自分も日本で生まれて育って、日本で総連系の朝鮮学校に通ってましたんで、その教育を受けていました。
要するに皆が平等だと。
社会主義国家だと。
生活水準も高い。
地上の楽園。
という事を、つまり聞かされたというより、頭の中に叩き込まれたんです。
込まれていたんですね、我々。

それで向こうに行って最初に見たものが、清津というところなんですけど、その時、なにか北で5大都市のひとつだという事を聞いていました。
その5大都市の一つの中に、牛車が走ってたわけです。
我々はいくらちょっと昔でも東京で生まれて育って、牛なんてのは動物園とかああいう所で見るだけで、市内のど真ん中に牛車という物を生まれて初めて見たんですね。
で、あれはなんだ?と。
自然動物園か?と。(笑い声)
ビックリしましたね。

★川添氏

清津は清らかな津と書くところですよね?
横田めぐみさんが確か連れて行かれて最初に、軍港でしたよね?
確か港町で。

★Aさん

そうです。
帰国船が着くのが清津ですね。

★川添氏

本で読んだ事が私もありますけど、実際に話を聞くと腹立たしいですね。

★Aさん

やはりあれですね。
その当時の総連の宣伝というか、教育っていうか、あれはあんまり度が過ぎたです。
余りにも、我々は子供の時分、子供なんてのは白い紙と同じなんです。
赤に染めれば赤になる。
黒に染めれば黒になる。
そういう子供たちに、北というのは生活水準も高くて、こうなんだと。
それは行ってみて現実に全然違うんで、そしたら我々みたいな向こうで言う帰国者、そういう方たちがそういう現実を見て、その場で気が狂ったと。
生活の中で、今で言ううつ病だということです。
そういう病気にかかった人は大勢います。

★川添氏

非常に初めてこういう話を聞くと、考えさせられる感じが私も今している限りです。
そろそろ時間なんですが、会場の皆様に何か思っている事で何か話したい事があればと思うんですが。

★Aさん

こんな姿かたちで申し訳ないんですけども、これからもこういう我々みたいな脱北者。
我々脱北者って言うのも北の政治、皆さんもご存知のように今、北というのは本当に常識じゃ考えられない事をやっていますね。
ミサイルを撃ったり、拉致をしてみたり。
そういう制度というかそう言うのが嫌で、北から見れば我々は罪人ですけども、そこを抜け出してきた我々なんですけども、やっぱり日本を離れてもう何十年、やっぱり日本に来てもいろいろ慣れない。
生活上そういういろいろありますけど、まぁ、あの、皆さんの御支援をいただく・・・

★川添氏

日本政府の先ほどお話したんですが、北朝鮮人権法という法律を作りまして、先月です。
今回国会の会期を延長しないということなんで駆け込み的にですね。
法律が可決されまして、殆ど、自民・公明・民主の、社共は反対、社共はたいした数じゃありませんけど、圧倒的な多数で賛成になりましてですね。
人権と政治は分けないとという話を頂いたんですが、一つ北朝鮮に対するカードになると思いますんで、そういう意味でもちょっとこの問題を関心を持ってですね。
私たちもこの神奈川の会でやっていきたいと思いますので、今後ともちょっと宜しくお願い致します。
今日はちょっとこんな形で本当に申し訳ございませんがこんな感じにしたいと思いますので、ありがとうございました。(拍手)

★Aさん

ありがとうございました。(拍手)

・・・・・・・・・・・・
脱北者のお名前は、御本人の身の安全を考慮し匿名とさせていただきます。
悪しからず御了承ください。 

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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2006年7月17日 (月)

第14回藤沢集会(4)-1

   『真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事の講演』

司会がいなくなっちゃいましたので私の方で勝手に進めさせて頂きます。
特定失踪者問題調査会専務理事をしております真鍋でございます。
今日は多くの方にお集まりいただきまして、本当にありがとうございました。
今話題のテポドンとかですね。
金英男さんのお話は家族会の皆さんがいらっしゃいますのでそちらにお譲りして、私の方からは神奈川のですね。
特定失踪者の問題についてコメントを20分少々でお話をさせて頂きたいと思います。

私ども特定失踪者問題調査会では、全部で460件の失踪者の方の調査をご家族から依頼を受けております。
で、神奈川の実態なんですけれども、現在神奈川に特定失踪者のご家族がお住まいになっているケースは13件ございます。
後ろに高野美幸さん、お兄さん(=特定失踪者・高野清文さん)が神津島で失踪された方の妹さんも来ておられます。
ついでながらあそこで支援のグッズも販売しておりますので、是非お買い求めいただければ大変助かります。
それから大澤さんも先ほどお見えになってたんですが、大澤さん(=特定失踪者・大澤孝司さん)のお兄さんもやはり神奈川県にお住まいになって、あといらっしゃいますかね?
寺島佐津子さんのお父さんとお母さんがお見えになってらっしゃいます。
他には今日はいらっしゃいませんか?
後でご紹介があると思いますけど、460件の内13人の失踪者のご家族が神奈川県に住んでいます。

神奈川県での失踪事件、失踪した場所がとにかく神奈川と言うのが9件ございます。
全国的に見てもですね。
神奈川というのはそういう意味で失踪件数は実は少ない県でございます。
お隣の東京は人口が多い事もありまして、ご家族が50件も50人もいらっしゃいますし、失踪件数も50件という多い中で、神奈川は少ないんですけども非常に気になる点が神奈川にはありますので、これをちょっとお話をさせて頂いて。
実はもしこれ失踪に関わる情報を皆さんお持ちであればですね。
ぜひ私どもにお寄せ頂きたいという趣旨でお話をさせて頂きたいと思います。

ひとつはですね。
偽札騒動が大きくなったときにですね。
本が出ましたけど、「ウルトラ・ダラー」という本がございます。
手嶋龍一さんが、ワシントン支局長ですね、NHKの。
ワシントン支局長だった手嶋龍一さんが書かれた「ウルトラ・ダラー」という、読まれた方いらっしゃいますか?
あ、はい、ごく一部ですね。
あの小説としては余り面白くないんですけど、拉致問題を考える上では非常に重要な本ですから是非お買い求め頂きたいと、ご一読頂きたいと。

というのは偽札作りに日本人の拉致被害者が関わっているかもしれないという事で、書かれた小説でございます。
手嶋さんと私、ちょっとお話を以前させて頂いた時に、またあちこちの講演でもお話されていますが、あの「ウルトラ・ダラー」というのは小説の形を借りた事実です、と言うふうに言っておられます。
要するに小説と言う形でフィクションの物を描いているように見せてますけど、中身は全て事実ですよと言うお話です。
という事で要するに、偽札を作れるだけの技術を持った日本人の方の失踪と言うのはたくさんあるんです、実は。
そういうケースを元に小説に書かれていったわけでございますが、それで何が神奈川と関わるか?という点をお話しさせて頂きます。

あの本にですね。
読まれた方はお気づきになっているかも知れませんけども、1行だけ大切な文章がございます。
たった1行だけ。
それはですね。
1970年ごろ東京湾に北朝鮮の工作船が入ってきた、という1行の件がございます。
読み飛ばしそうな短い物なんですけど、ここがとっても重要でございます。
で、この点について手島さんにこれは事実ですか?というお話をさせて頂きましたら、非常に高度なレベルの情報筋から頂いた情報であるから真実である事は間違いが無い、と言うふうに言っておられました。

要するにここからすぐそこです。
三浦半島の沖、浦賀水道沖にですね。
北朝鮮の工作船と言っても貨物船のことですね。
万景峰号も何世代か亘っているんですけども、実際に横浜港とか千葉港に入港した事もありますし、万景峰号じゃなくて普通の貨物船だったらしばしば入っております。
しばしば北朝鮮の船が東京湾に入ってきてるわけですけど、この中の船がですね。
不思議と浦賀水道沖で停泊するんです、何日か。
何をしているんだろうという事で、ここらへん船が多いですからね。
泊まっていても全然誰も不思議に思わないんですが、なぜかここで停泊をするわけです。
で、夜な夜な悪さをするという事でございます。
その悪さと言うのは何か?というと、「ウルトラ・ダラー」で書かれているのは1970年ごろ、東京湾周辺で偽札を作るだけの技術を持った印刷工の人たちを連れ去る、そういうものに船が使われたという事でございます。

だから神奈川県におきましてもですね。
当然その影響は受けただろうと言うふうに、これは推測ですけども考えられるんですね。
その推測を裏付ける為のちょっといくつかお話させて頂きたいと思いますけど、ひとつは今日はお見えになってないと思いますけど、八尾恵さんですね。
神奈川で言えば八尾恵さんの横須賀での夢美波(ゆめみは)というですね。
スナックの話を皆さん御存知ですよね?
よど号の、いらっしゃいますよね?
今日はお見えになってないようですけども、よど号の妻だった八尾恵さんがですね。
横須賀の、あれは何通りだったですかね?
川添さん、何通りでしたかね?いないか?

有名な繁華街の所に夢美波という、夢を見る波と書きますが、そういうスナックを経営された事があります。
1年か2年くらいですね。
それは何故経営されたかと言う事は、当然自衛隊の関係者がそこへ呑みに来るわけです。
それからもしかすると米軍の関係者も呑みに来るかもしれない。
要するにその場所を通じて米軍情報なり日本の軍事情報を、中の自衛官あるいは軍人と接触する事によって得ようという趣旨であそこの夢見波を作られたと、これは私が言ってるんじゃなくて八尾恵さん自身が本の中でこういう証言をしている。
ですから1970年ごろの北朝鮮のそういう船の構造。
そしてそこを通る横須賀ですね。
横須賀で、これは事実としてよど号の妻の八尾恵さんがそういう活動を横須賀でやっていた、ということですね。

それから3番目ですけど、1991年3月にですね。
若人あきら事件と言うのがあるのを御存知でいらっしゃいますか?
これはもうテレビや雑誌で有名な話ですけども、タレントの若人あきらさん、今は我修院(がしゅういん)、何でしたっけ?(=我修院達也)
我修院という名前に変わってタレント活動をされていますが、彼が1991年にですね。
これは彼の言葉から言う事なんですが、

「熱海の和田浜海岸で釣りをしていたところ、何者かに船に連れ去られました。
その何者かは分からないんだけども、その船で『私は有名なタレントだからこんな事をすると大騒ぎになるぞ』と連れ込まれた船で騒いだところ、それがきっかけかどうか分からないけれど小田原の駅で開放された。」

という事件がございます。
御存知でいらっしゃいますか?
結局これは本人はですね。
記憶喪失であるということで、和田浜で釣りをしていて小田原で見つかったと言う事しか本人は言わないんですけど、その後の彼の行動と言うのは、名前は変えるわ、夜になると自分のマンションの明かりは全部こうこうと照らして、異常な行動をとり始められたと。

これが後日ですね。
段々明らかになってきたんですけど、北朝鮮によって何らかの理由で遭遇したらしいんですね。
遭遇して、上陸なり工作なりの活動のとき遭遇してしまったから連れて行かざるを得なかった。
その結果、本人が若人あきらだと言ってるんで、朝鮮総連の本部に確かめた所確かに若人あきらだということが分かったので、これはまぁ大騒ぎになってもなんだろうと言う事で小田原駅で開放させたと。
しかし開放する時には必ず言い含めるわけですね。
「黙っとけよ」と。
「余計な事を言うんじゃ無いよ」と。
「お前はいつも24時間見張ってるんだよ」と。
「何か言ったらおまえ自身の命、家族の命は無いよ」と言われたら皆さんどういう事になりますか?
という事件が、若人あきら事件と言うのが1991年小田原で発生しております。
これは私の推測ですけども、本人の弁では熱海の和田浜という所になってますけど、そうでは無いと言うふうに思います。
和田浜にしておけというふうに言われたと思いますので、別の場所だった可能性が高いと思っています。
それが神奈川での非常に顕著な事件です。

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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第14回藤沢集会(4)-2

第14回藤沢集会(4)-1に続いて

続いて特定失踪者の方のですね。
特異な事件をですね。
全部を申し上げると時間が無いので、いくつか申し上げますけども、一番顕著な事件は河嶋功一さんです。

・・・・・・・・・・・・・・

氏名 河嶋 功一
失踪年月日 昭和57(1982)年3月22日
ふりがな かわしま こういち
生年月日 昭和33(1968)年5月5日
性別 男 当時の年齢 24
身長 168センチ 体重 58~60キロ
公開 第2次公開
当時の身分 大学卒業直後
特徴 野球のピッチャーをしていたので、右腕が掌半分くらい左腕より長い。怪我で左手中指が縫合し、少し内側に曲がっている。膝上よりふくらはぎにかけてケロイド状の火傷跡あり。少しうつむき加減につま先に力を掛けて早足で歩く。
失踪場所 神奈川県横浜市金沢区洲崎
失踪状況 関東学院大学機械工学科を卒業したばかりで、浜松に就職も決まっていた。当日は父親たちが車で下宿へ荷物を取りに行く。父親は荷物とともに車で、本人は汽車で浜松に帰ることにした。功一さんは「先に浜松に帰っている」と、午前9時半頃下宿を出た。父親は50~60m先の角を曲がるところまで見送った。父が「交通渋滞で帰りが遅れる」と浜松の実家に電話したが、功一さんは未だ帰っていなかった。荷物を下ろし夜遅く横浜に引き返すが、本人はいなかった。当時小雨で傘一本、電車賃・本人の小遣い程度しか持っていない。

※特定失踪者の情報は調査会HPより
http://chosa-kai.jp/index.html

・・・・・・・・・・・・

関東学院大学の学生で卒業して郷里の浜松に就職の為に帰る引越しの最中に失踪というですね。
大変不思議な失踪事件なんですけども、これは我々の言う1000番リストとさせて頂いている理由は二つございます。
ひとつはこれは検証不可能なんですけど北朝鮮の国内で目撃したと言う情報がございます。
これは検証不能です。

ふたつめはですね。
失踪する前に突然中学校の同級生にですね。
本人から電話があったんです。
その内容が「これから北朝鮮に行く」という。
だから電話を受けた同級生は何の事か分からなかったそうです。
で「何しに行くんだ?」と言っても何も答えない。
「どうして、いつ行くんだ?」と言っても何も答えない。
とにかくその一言だけ言って電話が切られたと言う不思議な事がありまして、これは静岡県警の方でもですね。
裏を取っていただいて、こうしたことがあったのは事実だということから、河嶋功一さんは拉致されたという事に間違いは無いと考えて、その現場は神奈川県の金沢文庫でございます。

非常にこの事件が顕著なのと、あともうひとつだけ申し上げますけども、神奈川での失踪事件の不思議な所はですね。
陸上自衛隊と某有名自動車メーカー、○○なんですけども。(笑い声)
ちょっと固有名詞は無かった事にしてください。
不思議とですね、不思議なんです。
北海道とか沖縄とかから出稼ぎに来られて○○の座間工場に季節工で入られて、その方はその前に陸上自衛隊の任期制の2年か3年の陸上自衛隊の横須賀基地で訓練を受けて。
あるいはその逆、最初に陸上自衛隊で2~3年訓練を受けてその後○○工場に季節工で入られて働いて、というパターンがあるんですけども、その方々が複数同じように失踪しています。

自動車メーカー別失踪者の数という事でセレクトしたことあるんですけども、実は○○だけなんです。
不思議と。
それも神奈川の○○ですね。
○○というのは車を作るだけじゃなくて、軍事用のロケットも作りますね。
ミサイルも作る企業ですからその関係があるどうかが、これから調査の目標です。
本当に不思議です。
ホンダやトヨタ、いろんな自動車メーカーがありますけども、失踪者はいません。
全部○○で、神奈川です。

これが非常に不思議な所でございますが、そのうちの一人で沖縄県出身の仲里次弘(なかざとつぐひろ)さんという方がいらっしゃいます。

・・・・・・・・・・・・

氏名 仲里 次弘
失踪年月日 昭和52(1977)年5月
ふりがな なかざと つぐひろ
生年月日 昭和25(1950)年11月15日
性別 男 当時の年齢 26
身長 161~2センチ 体重
公開 第12次公開
当時の身分 自動車会社季節工終了後
特徴
失踪場所 不明
失踪状況 "陸上自衛隊に入隊し、約2カ年間の訓練を受けたあと、沖縄へ帰郷。その後自動車工場に3ヶ月の季節労務に就くために再び上京し、契約期間の就労を終えたあと連絡が途絶えた。昭和52年5月には神奈川県茅ヶ崎市にあった断食道場に20日間いたことがわかっている。警察に行ったり、全国版新聞での尋ね人の広告を出したり、職業安定所での登録の確認等、東京・神奈川を中心に歩き回るが、手がかりは何一つ見つからない。2002年8月に男の声で「次弘はおばさんの世話で北朝鮮に行った。""""ちゅうさん""""と呼ばれていた。元気でいると思いますよ」などと早口で話す不審電話が実家にあった。

※特定失踪者の情報は調査会HPより
http://chosa-kai.jp/index.html

・・・・・・・・・・・・

この方は1977年に○○にお勤めになっていて、それである日突然失踪と言う事件ですけども。
この方を御家族一生懸命探しておられたのが、私どもが(調査会を)設立する3年前以前の話で、拉致問題が大きくなったもんだから御家族がですね。
警視庁に相談に行ったそうです。
うちの兄が失踪しているけれども、という事で相談を警視庁にした後に突然電話がかかってきたそうです。
御家族の元にですね。
その内容は、「ツギヒロさん」、この「ツグヒロさん」でなくて「ツギヒロさん」と言ったところがポイントです。
「ツギヒロさんは北朝鮮に拉致されていますよ。幸せに暮らしていますよ」という電話があってそれっきり。

いたずら電話にしてはですね。
どうして御家族の電話(番号)が分かるのか?
また御家族が警視庁に相談に行ったと言う事が分かるのか?
そのタイミングが絶妙なタイミングで(電話が)かかると。
そういうような不思議な事がありました。
状況からしてですね。
これ以上の事は分からないんですけども、いろんな神奈川でのポイント、横須賀の今まで申し上げたような事件からしてもですね。
この仲里次弘さんのですね。
事件はまだまだ解明しなければいけない事がたくさんありますが、とても怪しい事件となります。

といった事がですね。
神奈川での失踪事件の主たるポイントでございます。
もしこの中でですね。
こういった関連で何かお気づきの事がありましたら、どんな小さなことでも結構ですから仰って頂ければと思います。

後3分少々でまとめさせて頂きたいと思います。
経済制裁はお任せするとして、その他のお話をしたいと思います。
そのひとつは北朝鮮人権法が成立いたしましたですね。
これは二つのポイントがございます。
ひとつは経済制裁もきちんと書かれたということです。
という事はもうお分かりだと思います。

大きなポイントは脱北者の保護です。
この点につきまして、実はですね。
私たち拉致問題に関わる人たちからも実は「おかしいんじゃないか?」と。
「なんで日本人を助ければ良いのに、脱北者をここまで支援しなくちゃいけないんだ?」という声が実際あります。
それはそうかなのもしれませんけど、と言うお話をここでしておきたいと思うんですね。

それは特定失踪者の問題を解決する為にも脱北者の保護はとても大切だと言う事です。
もちろん脱北者の方々の人権その物も大切ですけど、我々にとっては脱北者の方々からもたらされる、日本人がいたかもしれないという情報はとっても大切なんです。
第一、安明進さんがスタートでしょう?この拉致問題のスタートは。
彼が脱北してめぐみちゃんを見たというところから始まったわけですから、この脱北者の方々からもたらされる様々な情報を我々は解析して積み重ねて、この方は拉致だとかというような作業を日夜やっているわけですから、この特定失踪者の問題を解決する為にとっても重要な事でございますから、その点を是非御理解頂きたいという事でございます。

それから特定失踪者の問題に限らずですね。
この拉致の問題というのは、様々な北朝鮮に関わる人権問題の中の大きな問題ですよ?拉致問題。
じゃあ、北朝鮮の人権問題何があるかと言うと、言うまでも無いことですけれど強制収容所ですね。
在日の方も帰国された方もそうですし、「日本の方が飯が上手いな」と「日本に帰りたいな」と一言言っただけで強制収容所行きですね。
そのまんま、命をおしまいになられた方と言う事を、本当に許して良いのか?というのを考えなきゃいけない。

それから今中々大きな問題になっていませんけども、北朝鮮に帰国された在日の人の配偶者、殆どは女性、殆どは奥さんですね。
その方々の問題というのも殆ど話題にもならなくなりました。
今日の司会をやっている高橋君はその人たちの人権を守るための「守る会」のメンバーでやってるわけですけども、そういう人たちの人権もやっぱりあわせて考えていかなければいけない、というふうに思っています。

それから今家族会・救う会で取り組んでいますけど、全世界12ヶ国にわたる拉致被害者の事もやはり考えていかなければいけない。

それから以外に、以外と言うか、これがとっても難しい問題なんですけども、在日朝鮮人の方の拉致被害者の問題がある。
これは非常に難しいです。
たくさんあるんです。
石高健二さんが非常に詳細に調べられた結果がありますけど、これは民団も全く助けません。
朝鮮総連なんか絶対に助けません。
だって朝鮮総連の犯罪ですからね。
我々救う会がそこまで手を出せるか?というとそれも中々難しい。

しかしですね。
この中に、この特定失踪者の中に(調査会のポスターの写真を示しながら)在日朝鮮人の方、何人かいらっしゃいます。
少ないんですけどもね。
何人かはいらっしゃる。
それはもう御家族とも我々いろいろ話をしまして公開に踏み切っていますが、非常に片隅に追いやられた問題でありますけども、そういった問題も我々としてはやはり視野に入れて、トータルで北朝鮮の人権問題というのを考えていかなきゃいけないというふうに思っております。

最後にですね。
テポドンの事に触れて閉めたいと思いますけど、要するに北朝鮮と言うのは外交手法と言うのは「ゆすり・たかり外交」ですよね。
米寄こせ、金寄こせ、物寄こせ。
それから核兵器開発、「恫喝外交」ですね。
今度のミサイルってのは「瀬戸際外交」とも呼ばれるし、「恫喝外交」とも言われるし。
あとは拉致の本質って言うのは、これは彼らの外交にとっては「人質外交」ですよね。
要するに日本のヤクザさんもかなわない様な、そういうゆすりたかりの恫喝を繰り返すところに対して、我々がどう立ち向かう?という非常に厄介な話ですね。

皆さんのお隣にヤクザさんが住んでいてですね。
町が気に入らないからと言ってバンバン撃ってですね。
「金寄こせ、飯寄こせ」というような人が、隣人にいるようなものなんですね。
その時に皆さん町内会でどうするか?という、やはりそこはお金寄こせと(言われて)どんどんお金をやっていたらどんどん付け上がるし、恫喝に負けていたらこの問題ずっと終わらないでヤクザさん、ヤクザさんに失礼な話ですけどね。
ヤクザよりももっと酷いんですけれども、それをどうやっていくか?という問題だと思うんです。
その時大切な事は横田早紀江さんがしょっちゅう言っているように、やはり毅然としたですね。
国家として国民として毅然とした態度と行動を取り続けるという事だと思います。

恫喝に負けない。
テポドンに負けない。
そういうような気概を持ってやっていく事が大切だろうと思っておりますので、また皆さんと共にですね。
この問題の解決に取り組んでいきたいと思います。
今日はどうもありがとうございました。(拍手)

・・・・・・・・・・
※文中某自動車メーカーの固有名詞は真鍋氏の意向を配慮して伏字にしてあります。
悪しからず御了承ください。

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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2006年7月15日 (土)

第14回藤沢集会(2)

   『寺越昭男さん(寺越昭二さん長男)の講演』

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どうも皆さん、こんにちは。
今日石川の方から来ました、寺越といいます。

簡単に寺越事件という物を説明させて頂きたいと思います。
昭和38年、1963年、能登半島福浦港の沖合い400メートル、本当にわずか海岸から200メートルくらいのところからですね。
私の父・昭二と叔父・外雄、そして従兄弟・武志が3人一緒に漁をしていて北朝鮮に拉致された。

日本の政府は今だに拉致を言う事を認めていません。
というのは、今北朝鮮にいる従兄弟の武志が「拉致では無い」「と言っているから。
それでお母さんも北朝鮮に行く度に「拉致では無い」と、そういうふうに言っているから拉致とは認められないという現状なんですね。
で、あの、座らせて頂きます。(昭男さん椅子に座る)

今日は人権ということなので、寺越事件が今まで人権問題という事で、私たちは今までは北朝鮮で生きていた叔父・外雄さん、武志の事を心配し、いろいろ考えて声を上げないで2002年まで来たわけなんですけども、金正日が拉致を認め、丁度2002年の2月に私の母親が亡くなりました。
このままでは寺越事件というものは拉致ではなく救助で終わってしまう。
そういう心配というか危惧というかをしまして、政府に対して事件の真相(究明)、そして遺骨の返還、拉致の認定という事で、2002年の10月ですね。
声を上げる事にしたんですけども。

ひとつ言える事はまず、うちの父親が果たして本当に北朝鮮で亡くなったのか?ということなんですね。
安明進さんが1997年だったと思いますけども、証言をして頂きまして、横田めぐみさんの事などもひっくるめて寺越事件という物も証言して頂きまして、父が拉致されたときに武志をかばって工作員に射殺されて海に沈められたという証言をしてくれたんですね。
その時に私らも声を上げれば良かったんですけども、声をまだ上げるという気持ちにはなれなかった。
というのは、やっぱり上げてもどうにもならないという、そういう思いもありましたし。

それからやっぱり武志・外雄さん、外雄さんはその時点では亡くなっていたんですね。
外雄さんは平成の6年ですか、病気で亡くなったという事を知らされまして。
で、私たちが声を上げるという事に対して、友枝さんはやっぱり反対しました。
圧力もかかりましたね。

しかし寺越問題・事件というのを解決するというのはやはり私たちが声を上げるしかない。
でないと、殺されたかも分からん父親という者の人権というものも踏みにじられるんでないかと。
北朝鮮で亡くなった叔父さんも同じく、踏みにじられると。
叔父さんの家族もいるんですね。
亡くなった私の母親、そして私たち兄弟の人権という物もおそらく踏みにじられると思うんですよ。

うまく話が出来ないんですけど、本当に救助されたんなら私はそれで納得すると思うし、本当に真実というのを知りたい。
そう言うのが第一のひとつで、父親の遺骨、もし本当にあれば返して頂きたい。
多分無いとは思ってるんです。
横田めぐみさんと同じですね。
生きている人の遺骨は返せない。
無い人の遺骨も返せない。

今まで4年間、もう3年半ですか。
経ちますけども北朝鮮は、父の遺骨に関しては家族が反対している。
それからどこかの団体も反対している。
そういう回答しか返って来ていないんですね。
家族が反対するというのは、私たちが反対しているんじゃなくて、従兄弟の武志が反対せざるを得ないということなんじゃないかと思います。

なぜならば、やっぱり無い遺骨を返すことは出来ないから反対するんですよ。
しかし、私たちその遺骨の返還を求める事によって寺越事件の真相にも近づけると思っています。
遺骨が本当にあれば、父親が北朝鮮で生きていたという事が証明できるだろうし、救助という事も考えられるかもしれない。
しかし本当に遺骨が北朝鮮にあっても、私たちは救助という事は絶対に認める事は出来ない。
なぜならば、やっぱり本当に救助したんならなんで24年間も連絡をさせてくれなかったのか?
救助した人間をすぐに返さないとなればやっぱりそれは・・・(聞き取れず)と同じだと思うんですね。
そういうことで、これからも(遺骨の)返還・真相究明そして拉致認定と、求めて戦っていきたいと思うんですけども。

最後に、先日の金英男さんの会見を聞いていて、丁度私の思ったとおりになったなというふうに思ってますね。
金英男さんのお姉さんとお母さんが来日したときに、私お姉さんと少し話をする事が出来たんです。
2~3分だったと思いますけども、寺越事件というものがあって、そして北朝鮮にお母さんが会いに行ってますと。
で、会いに行ったばっかりに拉致を救助にすり替えられたと、いうふうに話をしておきました。
私は会いに行かないほうが良いですよという事を言いたかったんですけども、話が時間が無くてそこまで出来なくて何だったんですけども。
やっぱり北朝鮮において、面会したり会いに行ったりするという事は、結局北朝鮮の思う壺に、どうにもならないという事なんですね。

私は寺越事件の解決ということについて考えているんですけども、寺越事件の解決というのは、ひとつはやっぱり今北朝鮮で43年間生きてきて、子供が出来て孫が出来て、日本に帰りたくても帰れないという武志の事をどうにかしてやりたい。
どうにかしたいと言うのは、自由に本当に日本に行ったり来たりするような環境にしてやりたいということなんですね。
今のまんまではおそらく日本に自由に来る事は出来ないでしょう。

それをするにはどうすれば良いか?という事を考えた場合に、日本の政府がきちんと拉致を認定して、北朝鮮に対して武志の自由とか人権の保障を求めるべきだと思うんですね。
そうしないと寺越事件の解決にはならないと思うし、それから私の父親の事も叔父・外雄の事もやっぱり解決の道筋になっていかないということで、今までは拉致の認定という物は後からついてくるもんやと考えていましたけど、そうではなくて日本の政府がきちんと拉致認定をしていただく。

これは寺越事件だけでなくて、その他の特定失踪者、調査会で今上げられている1000番台の方、もしくは400人を超える特定失踪者。
私はもう間違っていてもいいから政府は認定をしていくべきだと考えています。
ただしこれは家族、特定失踪者の家族に了解を得てですね。
ひょっとしたら間違っているかもしれない。
しかし北朝鮮に対して、やはり拉致問題を解決する為にはそういう方法も有り得るという事で。

で、何で認定しなければならないかというと、北朝鮮側は今でも拉致は解決済みだと言ってますね。
しかし全然拉致の問題は進行していないという事です。
日本の政府がやっぱり解決済みだという北朝鮮の言いなりにならないように、幕引きをさせないためにやっぱり拉致認定をもう少ししていかなければならないのかな、と考えています。
話があっち行ったりこっち行ったり、あんまり話は得意でないもんですから分かり難いかも分かりませんけども、今の私の気持ちとしてはそう思っています。

今後とも本当に拉致問題解決のために、国民の皆様の協力という物を宜しくお願いしたいと思います。
今ミサイル問題で拉致問題を含めて人権問題と言うのが、声を抑えようとする意図もあったんじゃないかな?という気持ちもします。
やっぱりそうではなくて政府に対しては、拉致問題・人権問題に絡んでやっぱりこれからも北朝鮮に圧力をかけていって頂きたいと思っています。
どうかよろしく、ご協力をまた宜しくお願いします。
どうもありがとうございました。(拍手) 

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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第14回藤沢集会(1)

   『川添友幸 救う会神奈川会長 開会の辞』

暑い中ありがとうございます。
こちらで市民集会をやったのは確か1月だと思いますので、半年ぶりの市民集会です。
半年間の間にですね。
というか、先週から急にミサイルが飛んできまして、限定的ですが制裁も発動されるという形になりまして、ちょっと増元さんともいろいろお話は先日したんですが、新たなる局面に来たという感じはしております。
そういう意味で今日の集会ですね。
ぜひ成功させたいと思っています。

先日の神奈川新聞の方からですね。
コメントが欲しいと言う事で、私ミサイルが飛んで来たときにちょっとコメントを出したんですが、明らかに3つの今回金正日は裏切りをしたと。
ひとつはですね。
国際社会に対して、6カ国協議や何とか協議でミサイルをやらないと言っていたにも関わらずやったと。
更に日朝平壌宣言もこれを裏切ったと。

私は更にもうひとつ付け加えて言ったのは、北の人民に対するこれは裏切りであると。
今日は脱北者の方、○さん来られていますが自国から逃げ出す脱北者の方大量に出られて、更に200万の方が
餓死している状態です。
核兵器さえ作らなければですね。
助かった人たちなんですね。
私は金正日政権の人間がですね。
やはりいつの日か裁きを受けるんではないか?と思うんですね。

是非そういう意味でもですね。
私たちこういう活動を続けていきたい思っておりますので、今日はちょっと少し長くなるかもしれません。
前半は講演で、後半はパネルディスカッションを予定しておりますので、長時間かもしれませんがお話を聞いていただければと思いますので宜しくお願い致します。(拍手)

・・・・・・・・・・・・
脱北者のお名前については、ご本人の身の安全を考慮し伏字でご紹介させて頂きます。
悪しからずご了承ください。   

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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2006年1月 7日 (土)

藤沢集会(2005/1/7)川添友幸氏 開会

第13回藤沢集会1  

『川添友幸 神奈川救う会会長 開会の辞』

本当にあけましておめでとうございますと言いたい所なんですが、全く拉致問題が進展しない中でですね。
私、毎年毎年憂鬱な気分になるんですけども、今年こそはと年明け、感じるところです。
年明け早々からですね。
非常に拉致のいろいろ、実行犯の話が出てきたりですね。
うちの今回の集会の目玉にしています、よど号の犯人が帰国の方向で動き出しました。
こういう状況の中でこういう集会を行ってですね。
声を上げて拉致被害者の方を一日も早く救出する。
そういうことが必要なんじゃないかと思いますんで、本日はよろしくお願いします。

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藤沢集会(2005/1/7)有本明弘さん

第13回藤沢集会2
『有本明弘さんのお話』
Photo_24


紹介にあずかりました、拉致された有本恵子の父親の有本明弘です。
よろしくお願いします。
今日は結構たくさんお集まりいただきまして、ありがとうございます。

私は今この会場に呼ばれて、言いたい事はたくさんあるんです。
たくさんあるんですけれども、日本の国ではいろんな情報が出てきていろんな戦術が出てきて、最近も出ましたように辛光洙の話も出てきました。

そういう中でどんな情報が出てきても日本の国が、どないも出来ないと言う現実が今日本の国に起こっているんです。
おそらく小泉さんがおる間は何も前進しない。
また、大変危険な状態が生まれてくる可能性もあるんじゃないか?と、そういうふうに思っておるんです。
そういう問題を大手の報道機関も伝えないし、またいろんな週刊誌・月刊誌でいろいろ物を書く人もありますが、そういう事に関しては真実を国民の前に言ってる、そういう人も私はおるように思っておりません。

今現在一番私が危惧しているのは去年ですか?
秘密外交をした政治家がおります。
ハッキリ名前も分かっておりますので、平沢(勝栄)さん、山崎(拓)さん。
このお二方が小泉さんの命を受けて、北朝鮮へ行って秘密外交をしました。
それでその秘密外交がマスコミにばれて、もう秘密外交じゃなくなってしまった。
そうした中で私は、マスコミにそんな秘密外交がばれた以上は、もう白紙に戻して行くべきではないと、そういう事も議連の総会で申し上げました。

議連の総会の平沼さんは、それより先に平沢さんが大連から帰国した時に議連に呼んで議連の役員3人で平沢さんに詰問したんです。
でまぁ、平沢さんはいろいろ弁明をしたらしい。
その中身を当事者である平沼さんにお会いした時、一部始終を聞きました。
どういうことかとこれを言いますと、大連から帰ってきたすぐに議連に呼んで3人の役員が、平沼さん、それと西村眞悟さん、松原(仁)さん、この3人が平沢さんにいろいろ質問をしていろいろしたらしいです。
いろいろな事を聞いた。
そして肝心な事を語る段になって、平沢さんは言葉を濁した。

そういう状況が生まれた時点でこの野党の先生方、このお二方「それやったら私らがおったら困るやろう」というので、部屋の外に出た。
そして平沼さんと平沢さんがサシで話をした。
そういう結果、かなりの所までは平沢さんは喋ったらしい。
そしてもうひとつ突っ込んだ話の答えは「山崎さんとの話もあるので、まぁこの辺で堪えてくれ」と。
まぁそういう話でそこまでは話し合った。
それで平沢さんは「議連に相談なしに、(大連に)行ったという事に関しては申し訳なかった」と、詫びたとそういうふうに話を聞いております。

そしてこれが小泉訪朝につながるんですが、平沼さんはその時点で5人の子供だけを連れて帰るという情報が多分入っとんだと思います。
だから平沼さんの声明文は「5人の子供を連れて帰るだけであれば、行くべきでない」と「代わりの人が行けば良い」と「代わりの人がおらなんだら私が行きましょう」と、そこまでの声明文を出したんです。
にも拘らず小泉さんは行く決心を翻されなくって、行くと決まった時点で平沼さんは面会を申し込んだ。
その時点で、「15分だけなら会う」と、そういう返事があって15分だけ会うて話をしたらしいです。
まぁそれで結果5人の子供は連れて帰りました。

そうした中で・・・これちょっと聞こえが悪いなぁ。(マイクの調子が悪いのを指摘、会場から笑い声)
え~、どこまで言ったか分からんようになってしもた。(更に笑い声 マイクを新しい物と交換)
そうした中で家族は小泉さんが帰って来た時に、家族の言い分をですよ?
家族の言い分を小泉さんにぶつけたんです。
当然でしょ?
死んだと言われている者の事を言うてくれたんか?と言う話をまず家族はしたんです。

それを官邸記者クラブは逆手にとって、「小泉さんに家族は文句を言うた」と、そういうような流し方をしたんです。
その官邸記者クラブは!
これで状況は一辺に変わってしまった。
話の分かっている人は私たちに味方をしてくれて、いろいろ言って来ました。
「小泉さんが5人の子供を連れて帰って来た、良かった良かった」というマスコミの報道を真に受けた人は、いろいろ我々に文句を言うて来た。
「言い過ぎや」とか。
これが当時の実際の話なんです。
これで皆さんがお分かりになったと思います。

これは家族がその当時会見した時、最初を頭取りして皆マスコミは外に出るんです。
それを最後まで映像を撮った。
そしてああいう放送をした。
官邸記者クラブ、これ20社か30社あるんです。
だからそういう事がおかしいと思う人も中にはおって、「あれは官邸サイドから最後まで撮れ」と言う指令があったからああいうふうに最後まで撮ったんだと。
そこで情報を流してくれた。
これでもう全て分かってしまったんです、我々を。
官邸サイドが官邸記者クラブを自分の意のままに動かした。
これ明白なんです。
こんな事があって良いんですか?

朝日新聞なんかは、安倍(晋三)さん・中川(昭一)さんを標的にしてNHKを呼びつけたと、そこであそこまでの問題が起こったんです。
官邸記者クラブの中には朝日新聞もおるはずなんです。
なんでそこまで、官邸記者クラブに圧力をかけたのは誰や?と、そこまで言わはるのか。
こんな、皆様聞いたらこれはおかしいと思うような事も我々の眼前で行われてきた。
皆様はそれの偽った報道でそれを信じて、「5人の子供を小泉さんが連れて帰ってきた、小泉さんはようやった」と、そういうふうな風潮で今日本の国民の世論は思っておられる方も、半々くらいはあるんじゃないかと思います。

これは第一点。
私たちはこれは皆さん何百人の方にじゃなくて、全国放送に乗せる。
そのメディアが私たちを取り上げて喋らす。
それが日本の国の開かれたマスコミの姿でなければいかんのです。
だからこういう事もこの場に来られた皆さん方は知っておいて頂きたい。

それともう一つ、これも大きな問題があって小泉さんの盟友であって秘密外交をした山崎拓さん。
この山崎拓さんの出身地が九州・福岡と思います。
で、この福岡で山崎拓さんがどういうことを喋っているのか?
これは去年の話になるんですが、「来年に小泉さんの3回目の訪朝はあるかも分からない、それは5分5分だ」と。
そういうような発言をしました。
これは週刊誌がすっぱ抜いてそういう短い文面だけを流した。

その事に引き続いて、また政府間では2兆円余りの金を北朝鮮の過去の植民地時代の償いと、そういう約束で払うと。
そういう話も水面下では出来ているんだと。
そこまで自分らの支持者に喋っている人がいると。
この情報は九州の地方議員の会の人が「そういうことを喋ってるんやでぇ」というような事を私たちに情報として入れてくれた。
何で今この山崎拓さんがそういうことを地元で喋って、3回目の訪朝を匂わせているのか?
それは非常に危険な話であって、今小泉さんが言ってる「自分の任期の間に国交正常化しようじゃないか」と、こう言ってる。
これは明らかに日本の国の皆さん方、また我が国のメディアの皆さん、政治家の皆さん、日本の国に住んでる人は皆ご存知のはずなんです。

この今の時期に国交正常化、誰が考えてもおかしい話で、6者協議今やってます。
アメリカ1者が孤立してもうとるんですよ、今。
日本も当てにならんのですよ、これ、国交正常化と言う限りにおいては。
もうアメリカと一緒に下手に障れないんですわ。
アメリカの方針が決まっとるか決まってないか、あの国に譲歩するはずはない。
アメリカがまだ話の入り口であるにも拘らず、小泉さんは「国交正常化や」と叫んでそのような動きを水面下で起している。
これが我が国の与党・自民党の総裁なんです。

これに対して我が国で異議を唱える政治家はおるんですか?これ?
もう大分前からの声やから。
政治家は与党・野党、これを黙認している。
それにこの国の大手マスコミ、いろんな物書きをする人たちもおる。
これらがこの問題に関しては全然言葉を触れない。
これが我が国の今の現状なんです、これ。
これを誰が解決するのか?
考えてください。

事実を国民に知らす、これが一番大事なことなんです。
私が何百人の人の前でこんな事一生喋っても、何万人十万人くらいの人が聞いて貰えるのがせいぜいやと思います。
私も今年もう80なんです。
これが今我が国の実情なんです。
これを打破するしかないんです。
だから私は小泉さんは・・・(聞き取れず)言わずとも、出来るだけ早い時期に引退願いたいと。
辞めていただきたいと。
2回目の外交、これおかしい。
平沼さんの議連の総会に呼ばれた時点で、もうそういうふうに申し上げているんです。
5人の子供を連れて帰るだけならば、それを花道にして政治の世界を去って貰いたいと。
そういうふうに自民党本部で申し上げました。

なぜ言ったか?
やってはならない事、総理大臣としてやってはならない事をやって帰って来たんやから、それを花道に引退したら国民の皆様は何も分からないから、「小泉さんようやった」と。
「小泉さんでなければ出来ない事をようやってくれた」と、国民に惜しまれて政治の世界を去ることが出来るんです。
そういう意味を込めてそういう発言をしました。
だから前言ったように小泉さんがどういう人か?
もう、日本の国の総理総裁としてはとてもではないが、日本全国から大きな声が出て引退して貰うしかないんじゃないかと、そういうふうに思ってます。

なぜなら自民党、日米同盟を一番重視しているのがあの自民党なんです。
これの総裁が、核とミサイルの話がまだ話の入り口付近でアメリカがどないに転ぶか分からない。
話がこじれたらもう核施設を攻撃だと、そこまで言う可能性もあるんです、これ。
にも拘らず、小泉さんがこういう国民の目の前でこういう作業をとって、誰もこれに異議を唱えない。
こんなおかしな現状が今日本の国に生まれているんです。
私は一番これを危惧しているんです。
そういうことを皆さん、これは嘘じゃないですよ?
だからこれに意義があったら私のところへ然るべき人が文句言うて来てくれたら良いんです。
おそらく理由を持ち込んで私たちに、まぁ私にだね、私がこれを喋りよるんだから。
私にそういうことを言うて来る先生方はまぁおらない。

だから私は今日本の国には、戦後60年間、この60年間の歴史の流れを変える一遇の良いチャンスが巡ってきているな、そういうふうに思っているんです。
だから私は北朝鮮に強硬な姿勢を強めている安倍晋三さん、中川(昭一 農水省大臣)さん、それに今自民党から席を外しておりますが、平沼さんのグループ。
この人たちが政権を担ってやって貰う。
これしかないんじゃないか?と思ってるんです。
なぜならあの平沼さんのグループは、「金正日の政権の崩壊も視野に入れて運動をする」というような一説が、その会の中にあるんです。
ならもう、この人たちに任すしかないんです。

だから日本の与党・野党の先生方、北朝鮮に厳しくやるんだという先生方の勢力を結集して、この人たちが政権を担っていく。
それも国民の前でこの「朝鮮の問題が片付くまでやります」と、そういうような条件を入れて、そういう私は日本の国を背負ってくれる。
そういう事を私は期待して、またそういういふうになるように私なりに努力してやって行こうと思っております。
今後とも、そういうような国、国情になるように皆さん方もお考えになって、また行動して頂きたい。
そういうお話をすると、「私たちは今署名活動だけしかしていないんです、私たちに何が出来るんですか?」と言う質問もあります。

だから私は言うんです。
この政権と一緒に手を携えてず~っとやって来たのが我が国の公共放送であるNHKなんです。
今NHKには3分の1以上の人が抗議をして、その結果金は払わんと言うような状況が今生まれているんです。
だから我々の署名は今500万、500万台くらいは今集まっとるらしいです。
7年間8年間の運動のあれ。
でもこの中の2割くらい、あと100万150万くらいの人がNHKに抗議をしたらこのNHKは手を挙げてしまう。
真実を国民の前に知らすべきだと。
そういう運動を全国民がやった場合、日本の国は真実を知るんだから、これだけの会場の人ではなくて全国の国民が知るんだから、間違いなく日本の国は変わると思います。
これが私が皆様方に提案できる唯一つのお願いです。
ありがとうございました。(拍手)

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藤沢集会(2005/1/7)斉藤文代さん

第13回藤沢集会3  
『斉藤文代さんのお話』

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皆様、こんにちは。
私もなにか今日は藤沢の方に行かなければと言う気持ちで、昨日の夜は中々眠りにつけなくて。
また朝から主人の食事の支度をして、それで熊本の方から参りました。
松木薫の姉の斉藤文代です。
宜しくお願い致します。(拍手)

私の弟はスペインのマドリッドの方から、今度帰って来るであろうと言われているよど号犯の(田宮高麿の妻の)森(順子=よりこ)に拉致されたという事になっておりますけども。
よど号犯の事を考えたら本当に、私は本当に悔しくって毎日毎日それを考えたら病気になりそうなんですけども。
まだまだ私は毎日毎日いろいろな事で希望を持って頑張っております。
母も生きておりますし、まぁ父は亡くなりました。
でも父の分も私は一生懸命やっていけば、全部、今拉致されている家族が絶対に帰ってくるという気持ちで私も毎日行動しておりますけれども。

弟は私の8つ下なんですが、父は男の子が欲しくて欲しくて本当に期待してたんですね。
やっと出来た子なんです。
一番下の5番目に出来て。
もう母はそんなに、「もう私はいりません」と言う考えだったんですけども、父は男の子が何としても欲しいという事で、やっと出来た男の子で、そのときの母父の喜びと言うのは私たちは小さかったんですけど、その時の父の笑顔は今でも覚えておりいます。
本当に忘れられません。
「見なさい、男の子が出来たのよ」「みんなね弟だよ弟だよ」と父の顔が今でも浮かんで参ります。
でも父は平成2年に自宅の方で、母に手を差し伸べるようにして亡くなりました。

それも薫がいなくなりましてからもずい分と探し回って、仕事の合間。
仕事もしなければ私たち子供も育てなければなりませんので、仕事の合間を見まして東京に上京したり、いろんな所に外務省、いろんな所にお願いして探してくださいという事で。
父は頭がおかしくなっても本当に仕方が無いくらい、私はそうだと思いますけど。
一生懸命になってお願いに上がった、それは出来ない事で、出来なかったし。
また父が拉致されたと言う事を知って、今思えば父の気持ちも分からないで可哀想だったなぁと今でも思いますけれども。

でも今母が生きております、まだ。
何としてでも、病院に入院しておりますので、何としてでも薫また有本さん、めぐみちゃん、皆が帰って来ることを願いまして活動しておりますけど。
毎回毎回、年が明ける毎におめでとうございますって言葉が本当に言えないんです。
ここまで出てきて、また今年も解決出来なかったらどうしようって、お母さんが今年持つかなぁってそういう事しかない物ですから。
今の政治の内容を私たちは遠くの方で眺めたり、近寄って話を聞いたりしておりますが、拉致問題って日本の国・・・恥ずかしくないんだろうか?って私本当に思うんですよね。
政治家の方とお話していて、なぜこの問題解決ができないんだろう?って。
日本の国だけこんなことしてるんじゃないだろうか?と、本当に思います。

今日も飛行機の中でお隣に座られた方が、「あの、斉藤さん」って。
「なぜ日本がこれ解決できないんでしょうね?」って言うんですけど、私答え様が無くて。
それで、「郵政民営化より、拉致問題ですよね?」(拍手)って言って下さった事が嬉しくって。
「拉致問題を解決しなければ日本の恥ですよ」って、「僕はそう思いますよ」って。
「僕はいつもテレビなんかで拝見させていただいているけれど、じれったくってどうしたら良いか分からないし、でも国民は皆が応援しているという事だけは斉藤さん、覚えていてくださいね」
って言って下さったんですよ。

本当に私も有り難いですし、最後に飛行機降りる時もですね。
「本当に北朝鮮は(ミサイルを)飛ばしてきますか?」って聞くもんですから、「そんな事は絶対ありません、私はそんな事はしないって誓って言えます」って言ったんです。
そしたら、「あぁ、そうですよね、日本は何てだらしないんだろうね」って、「斉藤さん、またお会いしましょうね、頑張ってくださいね」って言って下さいました。

本当に私は皆さんのそういう気持ちで、毎日日々送らせていただいておりますけども、このような毎年毎年解決しないで、日本の国はこのままで終わらせられるんでしょうか?
これが解決しなければ、私は日本は駄目な国になってしまうと私は思っております。(拍手)
何としてでも、私の母にも会わせてあげたいと思っておりますし。
母は本当に、食事の時でも私時間のあるときは行くんですけど、皆様にお話すると可哀想でならないんですけど、母の・・・やっぱり話さずにはおられない可哀想な所もあるんですよね。

私の名前は忘れているんですけども、薫の事だけはいつも覚えていて、「ペンを貸していただけませんか?」っていうもんですから、私はノートとペンを出してやるんですよ。
そしたら、「何するの?」って言ったら、ペンを握って、今日持って来れば良かったんですけれども、「薫」って・・・(涙で言葉を詰まらせる)
それもこういう・・・それで「会いたい」って書いてあるんです。
で・・・最後に・・・「スナヨ」って書くんですけどね。
本当にもう・・・何を・・・政府はこんなに弟を・・・30年も26年もほったらかしにして、これで日本の国は良いんだろうか?って私本当に涙がこぼれます。(終始涙で声を詰まらせながらのお話)
可哀想で。
でもご飯を食べながらでも一生懸命生きようとする。
食べたくないといっても何としてでも食べさせて、必ず生きさせて、薫に会わせなければいけないという気持ちで私も看病しておりますので、「ご飯も一生懸命食べてね」って「必ず帰ってくるから」って毎日言っております。

ですから、本当に骨の件でも私は2度も骨を持たされました、うちの家族は。
私はそういうことでは絶対に負けないという気持ちがありますから、橋本先生にも、それを鑑定してくださった先生にも本当に良くして頂き。
あの、(骨の)良い所をちゃんとして鑑定して頂いたので、他人の物と言うのが分かりましたので。
私は何度突きつけられても本人の骨で無い限りは私は認めるわけには行きませんので、何としてでも薫達が帰ってくるまで私は頑張り通して、皆様のお力を借りして。
本当に私は無力なんです。
何にも出来ない、毎日毎日、どうしたら良いんだろう?と思っております。

そういう事で挫けていたら、今日は有本のお父さんのお話を聞いていて、私の父が生きていたら同じ事を言ってたんだな、と。
有本のお父さんの言うとおりだな、と思って聞いておりました。
だから私はより以上頑張って、少しでも皆さんが帰ってこれれば、本当にまた笑顔も、家族会の方々の少しの笑顔でも出てくればこれに越した事はないと思っておりますので。
全員帰って来ることが、それが一番望ましい事ですけども、例え何人でもという、私はいつもそういう気持ちでおります。
皆さん本当に何人かでも帰って来れますように、これからもずっと私たちの家族をこんなに泣かせるようなこと、日本政府にさせないように支えになってください。
私たちも一生懸命頑張りますのでどうぞ宜しくお願い致します。(拍手)

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藤沢集会(2005/1/7)荒木和博氏【1】

特定失踪者調査会 代表荒木和博氏

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ご紹介いただきました、荒木でございます。
今日は、正月から、たくさんの方、おいでいただきまして本当にありがとうございます。
限られた時間でございますので、できるだけ簡潔にお話をしたいと思いますが。

おそらくここにおいでのみなさん多くの方が非常に関心を持っていらっしゃるのがこの年末年始に流れました、あの横田めぐみさんや地村さんの事件の実行犯の問題ではなかろうかと思います。

結論から申します。
あのニュースはすべてウソです


(会場から『え?』)

あの横田めぐみさんや、地村さんをやったのは辛光洙ではありません。違います。

辛光洙はあの事件の頃は、北朝鮮に戻っております。それは彼を捕まえた後の韓国の1985年11月にですね--
2月に捕まえまして、11月にソウルの地裁で、判決が出ておりまして、その判決文の中に、彼が生まれてからどういう風に行動していったかと、工作員になってから、どういうふうに、どっから日本に上陸して、そしてまた北に戻って、また来て、どういうふうに誰と接触して行動していったかということが、書いてございます。その中には1977年1978年のあの時期は北朝鮮に戻って、教育を受けている時期でございまして、日本にはおりません。抜け出して拉致をしたと言うことはあり得ないわけでございまして、あの報道自体が、(もともとそれを確認する前からおかしいと思ったんですが)やはり明らかに、意図的なウソであろうと、言う風に思います。

韓国政府の関係者の知り合いにも聞いてみましたけれども、まぁその彼も『自分の名誉にかけてそんな地裁の判決が、そんなところで大嘘をつくことはあり得ない』と、言うふうに言っておりました。

で、そうするといったい何でこんな事が出てくるんだと言うことに当然なるわけですね。

あの年末の話は、辛光洙(シン・ガンス)と朴(パク)といわれる西新井事件というですね、いろんな日本人に成り代わって工作活動をやったとされる、工作員の二人が主役として出てきたわけでありまして『それくらいしか、北朝の工作員はいないのか』と、当然あの時ですね、不思議に思うわけですね。

拉致は、相当の数、今、日本政府が言っているだけで16人ですから、実際、まぁ遙かに多い数の拉致が行われているわけでありまして、それをですね、一人や二人でやるなんて事はあり得ない。
あの調子ででてればですね、そこのポスターにある450人全部辛光洙がやったという話になってもおかしくないわけでございます。

何でこんな事になるのかと。
あのニュースがでたのは、だいたい『7時のNHKのニュース』です。

今日もちょっと有本さんのお父さん、NHKの批判をされましたが、いつもは、有本さんのお父さん、NHKの批判をすると、私の方はですね『そんなきついこと言わないで、穏便にしましょうよ』となだめるんですが、やはりあそこから話がどうも始まっているのではないかと思われます。

あのニュースを受けて、各社が動き始めると。で、そして翌日には、各社一面トップとか大々的に乗っかるわけでございます。で、しかし、実際には、しゃべったと言われる人たちはですね、直接の取材を受けない訳なんですよ。
これは9.17のあと、10月15日に帰ってきてから、ずーと同じ状態なんですが、あの時は異常に特殊な状況であったと。最初帰ってきたときは、なんとか彼らを北に戻さないようにしなければいけない。そしてその後は、家族がまだ残っているから、と言うことがあってですね、我々、あの当時、私は救う会の事務局長でしたが、報道規制をしていただかなければいけなかった。で、しかしもう家族が帰ってきたわけですが、その報道規制の状態、未だに続いています。

もし、あの時(年末年始の報道の時)NHKが放送したと。それで、当然各社の拉致の担当記者さんは、本当であれば、普通であれば、蓮池さんに電話をかけて、あるいは柏崎や、小浜にすっ飛んでいって、『これいったいどういう事なんですか』と言う風に聞くわけですね。それに対して、『いや、これは事実関係はこうなんだ』というふうに答えるはずなんですが、ところがそれが全くできない。

そうすると、あと聞けるのは、それを聞いたはずである家族会の方々とか、そういうことになってくる。しかし、それもですね、家族会の方からすれば、そういうことを言われたという事実はたとえ有ったとしても、それが事実であるかの、もちろん確認はできない。 確認はできないけれど、一社が抜かれてしまったら、他の社もですね、そういうふうに動かざるを得ない。そういう状態だと、もしたとえば他にリークが行われれば、それにのもうすぐに飛びつくという状態が、作られてしまっています。

この状態はですね、考えてみると去年の7月ぐらいですか、あの蓮池さんが、太陽里(ちゅんちょんり)、住んでいたところの地図かなんかとかが出てきて、ここでこうしてとか言う、話が出ました。で、あのニュースの時も私非常に不思議に思ったんですが、あの時のNHKの報道はですね、『こうであることがわかった』という報道になっています。わかったはずがないです。裏がとれるはずがない。絶対に。

そういうことを、言っているという報道であればいいんですが、『わかった』と言うことになっている。
あの時は確かその後ですね、クローズアップ現代でも、この問題だけをやっていて、そこでもですね『こういう事がわかりました、という報道になっています。これはもう絶対におかしいです。

それを誰も確認ができない。たとえば安明進が、『ここはこうで、ここはこうで確かにそのとおりだ』 と言う話でもしたのであれば、しまいには別な、脱北者ですとかなんか、他の人でもいいですが、そういう事がでてくれば、確かにそういう可能性があると言うことになるかもしれませんが、そういうものは一切ない。ただ5人が証言をしたと。
それもその本人たちが証言したのではなくて、ただ伝聞で出てきたと言うことだけの話でございまして、これで事態が動くとしたら非常に怖いことでございます。

なんでこういう事が起きているかと。
可能性として一つあるのはですね、日本と北朝鮮の間で(ま、今有本さんがいろんな取引やなんかの話をされましたが)もうすでにある程度のですね、落としどころが決まっている可能性がある。

それはどこかと言うと、この事件をやったのはみんな辛光洙と朴なんだと言う話にしてしてしまおうとしてるのではないかと。

横田めぐみさんも、誰々さんも・・そのうちですね、下手すると、よど号グループのことも隠したいと思ったらですね、有本恵子さんも辛光洙がやりましたという話が出てきてしまうかもしれません。もう、そういうようなことをして、ともかく『あれ(辛光洙と朴)だけがやったんだ』ということで他のものを全部押さえてしまうと。

そこで、北朝鮮側とすれば、調べてみましょうかとたとえば、日本側に回答して、朴というのは確かにいたけれども、もうとっくに死んでしまったといってですね、もう記録も残っていない。
それから辛光洙は確かにいるけれども、もう高齢だから、北朝鮮から出すことはできない、もし日本から来たらば、ちょっとぐらい会わせてあげてもいい。まぁ30分ぐらいおざなりに会わせて、あとはちょっと体調が悪いからと言って隠してしまう。もう何もしゃべらないと言うことは十分に考えられますね。
へたしたら、北朝鮮のことですから、『いや、これは辛光洙と朴の骨ですよ』と出してきても、これもおかしくないわけでございます。(会場笑い)

そういうような事に日本側でも、そこで話を一段落させて、そこで次ぎに進もうと。つまり、今、日朝交渉の中で、平行して、拉致の問題と、国交正常化の問題を別々にやっていくという話になっていますから、そういう中で『いた、拉致の問題は北朝鮮側、譲歩してきた』と。だから日朝(国交正常化)交渉の方も、進める必要があると。こっちょ、進めないと拉致の方も進まなくなると。そういう風な形にしていこうというのがですね、おそらくだいたいの可能性ではないだろうかなと。

ま、もう一つ考えられるのは、警察がそういうような動きに対してブレーキをかける為に出してリークしたという、そういう可能性もあるんですけれど、しかし、それにしては、この事実関係がですね、辛光洙がやったとか言う話というのは、あまりにも変な話でありまして、ちょっと警察がリークするとは思いにくい。

と言うことになれば、もっとその更に上の方で、ものは進んでいるのではないだろうかと言う感じがいたします。

そしてもう一つ言えば、拉致議連の幹事長である西村慎悟さんが逮捕されたのが11月の終わりで、そしてこのニュースが出始めたのは、西村さんが釈放された直後からと言うこともございます。

あの事件について、ま、いろんなことを、もちろん感じられている方、有ると思うんですが。あの政治家の弁護士で、非弁活動で捕まえようと思えば何人だって捕まえられるわけですね。あの西村さんが逮捕された直後になんかの番組で、福島瑞穂がでていて、このことが話題になった話があるそうですけれども。あの福島瑞穂さんって人なんかは当然西村慎悟みたいな一番嫌いなはずなんですが、青な顔して一言も言わなかったいうことでございまして、そういう風に思って、びくびくしている人はたくさんいると思います。その気になればいくらでも捕まえられると思うのですが、一切そんな動きはない。

おそらく、あの逮捕の目的というのは、西村慎悟からバッチをはずさせたいと。バッチをはずせば穏便に済ましてやると言うようなことではなかったかと。ま、本人とそこまで話したわけではないのですが、私の推測にすぎませんが、どうもそういう感じがします。

そういうものすべてが、今何か動いているというふうに考えた方がいいのではないだろうかと思います。これは、何もこれに始まったことではありません。

9.17の時はですね、9,17で北朝鮮が拉致を認めると。『拉致を認めたら、国交正常化交渉を動かす』と、おそらく日本側は言っていたわけです。で、認めたと。認めたら、逆に日本の世論が激昂してしまったと。そしてその次ぎにいったのが、『じゃぁ、生きてると言った5人を返してくれ、ともかく。ちょっと返してくれたら二週間ぐらいで戻す』と。
『そうしたら国交正常化を進める』と日本側言ったんですね。
でまぁ、北朝鮮側は『よし、わかった。こんどはほんとだな』と言って返したのが戻ってこないと。

ある意味でいうとですね、日本の外交の方がうまいのかもしれません。(会場軽い笑い)
北朝鮮をだまくらかしているといえないこともない。

この次ぎやったのはですね、『じゃぁ子供たちは残っているんだから、子供たちを返したら、そうしたら進めてやる 』と言う話になったけれども、子供たちとジェンキンスさんなんかは帰ってきたと。しかしやっぱり進まない。

あの、5.22の時に家族会バッシングということがありました。さきほど有本さんからお話がありましたけれど、あの時にですね、確か共同通信の世論調査だったと思いますが、小泉首相の訪朝を評価する声というのが確か68%ぐらいあったんですね。しかし第一次訪朝の時が86%ぐらいだったと思うので、それよりは低いんですが、まぁそれでも7割ぐらいの人が評価していた。しかしその一方で『これで拉致問題が終わったか』という質問に対してですね、確か8割以上の人が『終わっていない』と言う風に答えている。日本の世論はそう甘いものではないわけでございまして。

で、結局、子供たちが帰ってきても話は前に進まなかったと。

で、その次、その次というのは一昨年の11月になりますが、あの時私が思ったのは、北朝鮮がやる方法はおそらくもう一つしか残っていないだろうと。それはですね、死んだと言っていない人たち、つまり政府が認定していない人の誰かを出してきて、そしてですね、『自分の意志で行きました。今、日本に帰ることは、都合でできません』と。『ただし、自分としては両親に会いたい』と。『だから、お父さん、お母さんもし平壌に来てくれれば会います。早く国交正常化が実現して自由に行き来できるようになればいいと思います』ということを言わせようとしていたのではないかと言う感じがしています。

(続く)
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藤沢集会(2005/1/7)荒木和博氏【2】

 原良一さんにお手伝いいただきました。

ところがあの時は、それができなかった。この間帰ってきた北川和美っていう変な女(嗤笑)おりましたが、あの彼女が、どうも目的としては、その要員として使おうとして連れてきたという話しでございます。つまり「自分の意思で行った」と。「私自分の意思で行きました」。鴨緑江で飛び込んだという話も多分ウソじゃないかと言われるのですが。自分で行った、あれもう既に荷物先に送ってあるわけですから(ウス笑)。

 そういうふうに出てきて、「私自分で行きました」と言えば、ちょっとこっち(日本)にいる北朝鮮シンパの方、国交「正常化」を進めようとしている人間が、「ほら見ろ、北朝鮮は折れてきてるじゃないか。あれ(北川某)はたまたま自分の意思で行った人だけども、こういうことはちゃんと信頼関係を作れば、そうしたら次に今度は死んだと言ってる人のことまで進んでいくかもしれない」という世論が作れる。

 それからもう一つは「いや北朝鮮に行った人も、やっぱり自分の意思で行った人もあるんじゃないか?」あるいは向こうでいい暮らしをして、帰りたくないと思ってるんじゃないか? ということを流していくと。それによってこちら側の行動にブレーキをかける。あるいは経済制裁とかですね、そういうのにブレーキをかける、としたのではないだろうかと思います。

 私は、あの時はもうあれしかないと思ってました。しかしそれに対して北朝鮮側がやってきたのは、何やったかというと、あの「遺骨」でございます。それ(荒木氏の予想した策略)ができなかった最大の理由はおそらく、金正日に9.17の時ほどの力がもう残っていないということなんだろうと思います。工作機関の中に手を突っ込んで、拉致した人間を引っ張り出してくるとか、あるいはそれ以外でも工作機関が関与した拉致被害者をですね、たとえ日本政府が認めていなくても出していくというのは、相当なリスクを伴うわけで、実際曾我さんの件ではですね、やったらば逆効果になっちゃったわけですね。

 そうすると、出してくるのはかなりの力を使わなきゃいけない。それが金正日にはおそらくできなかった、ということであろうと思います。

 そしてその「遺骨」、この時はおそらくちゃんとした合意ではなかったのでしょうけど、日本の中の誰かが、「どうせ鑑定なんかできないから、出してこい」と言ったのかもしれません。そうしたらば(遺骨はめぐみさんではないという)鑑定ができてしまった。で、話しが違うということに向こう(北朝鮮)としてはなって相当頭にきた、ということであろう。

 そうすると、その後やってきていること、今やってることもおそらく、そういう意味での落とし所を作りたいということに、それも北朝鮮側だけでなく、日本側だけでなく両方が既にある程度の合意が行われていると、思った方がいいのではないかと思います。

 ですから、今の流れているニュースをそのまま真に受けていますと、その方向へみんなどうしても流れていきます。非常に危険なことですので、ともかくここにおられる皆さんが、おかしいということは、しっかり思っていただきたいと。

 元々北朝鮮とは、ウソをつくことなんてのは、悪いとも何とも思っておりません。

「嘘つきは北朝鮮の始まり」

でありまして(爆笑)、
北朝鮮の「労働新聞」なんて、正しいのは日付くらいでありまして(笑)、
まあ今日のこの集会のテーマから言いますと、まあ

「嘘つきはよど号の始まり」

ということも言えるわけでございます。

 よど号グループも、後ほど有本さんのお母さんが、よど号の一人(赤木史郎)と話しをしたことを言われるかもしれませんが、まったく有本恵子さんの拉致を知らないと、言ってるわけですね。知らないはずがないということは、もう誰もわかっているわけでありまして、それを敢えて知らないと言うことは、彼らの言ってることもすべてはウソだ、ということの証拠でございます。

 ところが、日本人というのはマジメですから、もっともらしい顔をしてウソを吐かれると、ひょっとしたら本当のことが入ってるんじゃないかなと、思ってしまうわけなんですね。これが間違いで、そういう人でない場合には、そういう対応をせざるを得ないのではないだろうかと思います。

 そういう場合は、どういうふうにすればいいか? この会場で前にも言ったかもしれませんが、北朝鮮のやり方のウソの吐きかたというのは、わたくしは「試験問題戦術」という言い方をしますが、ともかくいい加減は試験問題を出して、ぶつけてくる。で、こちら(日本)側で交渉に当たる人というのは、だいたい非常に頭のいい学校の成績が良くて、東大をトップで卒業したような人たちが当たるわけですね。

 そうするとですね、試験問題というと無条件に解くものだというふうに頭にあるわけです。すると出てきた試験問題に、マス目に空白が空いていると、空いたままにしておくと、とても指が震えて禁断症状を起こしてしまう(ウス笑い)。そうすると、ともかく解答を書き込んじゃう。書き込んでいる間に相手は逃げていくわけです。

 しかしともかくマス目が空いていることは許せないということで、一生懸命マス目を埋めて、それから走っていって「ここは、こうおかしいじゃないか」と言って出す。そうするとまた向こうは、またいい加減な問題を作って渡してくる。こんな問題解いても仕方ないと思いながら、でも目の前にマス目があると埋めたくなってしまう。

 こういう交渉にあんまり頭のいい人使う必要はないですね。もうちょっと度胸があってですね、多少頭が悪い。試験問題を元々解けなかった人間を使ったほうが(笑い)、はるかに上手く行くわけでございます。

 北朝鮮という「国」相手に、まともな話し合いで信頼関係を作ろうなんてこと自体が、そもそも間違いなわけでございまして、金正日が代わってまともな政権ができりゃあ、その時はもちろんちゃんと話しをすればいんですけど、今のあの体制でまともに話し合いをしたって通じるわけがない。

 フツーのアメリカ人相手に、スワヒリ語(ケニヤやタンザニアなど東アフリカ地域で多用される言語)で話したって通じないわけですね。それと同じことです。北朝鮮相手に、普通の言葉で話しをしたって、朝鮮語で話そうが、何で話そうが通じない。「馬の耳に念仏」という言葉がありますけど、馬に言うことを聞かせるには、鞭でひっぱたくか、ニンジンをやるかどっちかぐらいしかない。

 そうすると北朝鮮に言うこと聞かせるには、経済制裁を初めとして圧力をかけることしか方法はない。実際に一昨年の前半、ですから3年前の(03年)12月の末ですか、平沢さんが中国(大連)へ行って、北朝鮮の日朝国交担当大使と会う。そしてその後4月に、山崎拓さんと平沢さんがまた行くと。あの時は、その後5.22の小泉第二次訪朝があるわけですけど、あの時一体北朝鮮はどうしていたかと。

 あの平沢‐山崎ルート以外にですね、あのレインボーブリッジ(小坂浩彰代表)という怪しげなNGOを使ったりとか、それから今の総理のですね、あの~(名前が思い出せない様子)腹の周りが120センチあるという秘書官(飯島勲首相秘書官)を使って、飯島秘書官と朝鮮総聯の大物の間とか、いろんなルートを使ってます。

 私、ちょっと見てて、何でそんなにあせるんだろうということを非常に思ってみていたんです。そこでわかったのが、結局あの時、経済制裁が怖くてしかたがなかったということです。あの前の年の暮れくらいから、経済制裁法案が具体化して決まっていく。次は発動だという話しになる。北朝鮮としては、何がなんでもそれを止めざるを得ないという状況に置かれていたわけでございます。

 そしてそういう状況の中で、なりふりかまわず日朝のルートを使っていった、というのが、1年半前の状況だったのではないか? その結果、小泉さんの第二次訪朝になった。そこに向かって、(帰国済みの拉致被害者)5人の家族の帰国最優先ということで行っていたので、そこでだいたい落としどころになっていったのだと思います。

 実際に5.22の小泉第二次訪朝で、北朝鮮は経済制裁は発動しないとか、あるいは在日朝鮮人に差別をしないとか、これは「差別をしない」というのは、つまり在日朝鮮人の個人、個人なんかどうでもいいんですね。北朝鮮からすれば、ただ収奪の対象でしかない。問題は、総聯に圧力をかけるのを止めたい、ということだけで、そのほとんどの目的をとりあえずは達成をしたということであります。

(続く)
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藤沢集会(2005/1/7)荒木和博氏【3】

Imgp0418_2

これ裏を返せば、いかに北朝鮮がそういう制裁を怖がっているかと言うことでございまして、ならば、こちら側からは、それををやるしか方法はないであろうと言う風に思っています。。

本当にひどい状況の国ではあります、そういう意味で言うと。
ただし、これはですね、さっき言ってきたように、9.17の時には、あくまで結果的ですよ、あくまで結果的ですけれども、あの田中均さんをはじめとする、福田康夫官房長官かわかりませんが、ともかく北朝鮮側にですね、『拉致を認めろ』と『拉致を認めたら、日朝交渉進めてやる』と言う風に言って、だまくらかして拉致を認めさせたと。
北朝鮮は、朝鮮戦争も自分からやったと言っていない。あれ、南から攻めたと言っています。
大韓航空機の爆破事件も、ラングーンのテロもみんな我々知らないと言っている。
その北朝鮮が拉致だけは認めたのです。

いかに意味があったかと言うことであります。

そのあとは5人だけ、ともかく生きてるんだからともかく返してこいと、そうしたら戻してやるからと言って戻さなかったと。
そして次には家族だけ帰してきたら、後は(国交正常化を)進めてやるといって進めなかった。
と言うことでございまして、今回も、うまくいけば、辛光洙から、なんか取って、ものは進めないということも、まぁ、うまくいけばできるかもしれません。乗せられてはいけませんが。

と言うことで考えると、日本という国は、もどかしいんです。もどかしいし、かなり個別の工作事件では、やられっぱなしではあるんですが、全体としては間違いなく、北朝鮮を押しています。これはですね、ご家族の皆さんにとっては、もちろん自分の家族を取られているですから、一分一秒でも(早く)という事がありますが、私にとっても、そうしなければいけないという思いはあるんですが、少なくとも全体から見れば、こちらが押しているのは間違いないのです。

アメリカはクリントンの政権の時は、逆行しようとしていたと。そのときに、結果的にですけれどブレーキをかけたのは日本であったと。日本だけが、ある意味で言うと、だんだん、だんだんに強行になって、そしてしかもその方針をかえていないということでございます。

ですから、このことが続いていけば、私はですね、どっかで大きな転換を持ってくることができるであろうと、確信をしております。

アメリカの私の友人に前に言われたんですけれど『とにかく日本はすごい』と。これはですね、『5人取り返してきた』と。『北朝鮮に拉致を認めさせて』『アメリカでは考えられない』 と言っておりました。ちょっとまぁ意外な話で、我々ちょっといろんなところでお話ししますと、アメリカだったら、軍艦を送っても取り返してくるだろうという言い方するんですが、、まぁ、その友人、共和党系の人なんですが、『いや、アメリカ、そんなことしないよ』と言っておりました。『日本ができたのがすごい』と言うことでございまして、これはですね、もちろん社交辞令もあるでしょうが、我々自信を持っていいんじゃないかと思います。

なんか戦前はですね(具体的にいつどこというのは知らないんですが)ソ連に漁船が拿捕されたときに、ウラジオストックかどこかに、連合艦隊の船が戦艦か何かが行ってですね、港に向けて砲身をそちらに向けたらですね、返してきたと言う話があるそうで、もちろん日本でもそういうことがあったわけであって、今でも、こういう風に取り返してきたということを考えるだけでも、やっぱりそれ(奪還)はできるのであろうと言う風に思っております。

問題は、我々がこれができるんだというふうに確信できるか、それともできないかという問題です。
お恥ずかしい話で有りますが私自身もですね、あの羽田空港を(3年前の10月15日にですね)あの5人がタラップの上から降りてくる時に下で待っていたうちの一人ですが、あのタラップを降りてきた5人を見てですね、一番最初に思ったことは、『なんだやりゃぁ、できるじゃないか』ということでございました。

自分自身、もちろんそれはできると思ってやってるんですよ。運動盛り上げて、そして政府を動かせばですね取り返せると確信をもってやっていた、私自身が、目の前に生身の階段を降りてくる5人を見たときに、最初に感じたのは『なんだ、やりゃぁ、できるじゃないか』ということでございます。実感というのは、こんなに大きなものなんだなぁと感じました。

やられてる、やられてるとばっかり、思っちゃうとですね、なかなか、イメージとして湧いてきませんが、『絶対できる』と確信を持てば、それはおそらくすごい力になると思います。

北朝鮮と日本と比べてですね、これはもう、人口で六分の一、面積は三分の一、そして、国力、経済力は、そういうものは全く話にならない。国際的信用から何からですね、日本と北朝鮮と比べる方が、無理があるわけでございます。

まぁ確かに向こうは軍人が100万人以上いると。人口の20人に一人が軍人という国ですが、そのおかげで、飯食えないで、軍隊の中でも、なんか豚小屋つくったりとかですね、鶏小屋作ったりして、何とか飯くっているという状態のところなんですから、どこから言ったって日本が、そこにですね、負けるわけがないわけでありまして。

我々の力で、絶対できるんだと、このアジアの中でですね、そういうことのできる国は、我が国しかないんだと。そういうことを考えることによって、事態は間違いなく前に進むと思います。

こないだ、12月22日の東京の集会にはですね、レバノンの拉致被害者のお母さん(ハイダールさん)、それからタイの拉致被害者のアノーチャさんのお兄さん、そして韓国の拉致被害者の家族会のみなさんが見えられました。

あれはどういう事を意味しているかと言いますと、別にそういう風に決めてるのではありませんが、日本の力でああいう人たちをみんな、取り戻してあげると言うことです。

我々、外国人だから、それは外国がやってくれということは、これは言えないわけでございまして、この地域にあって、最大の影響力持っている我が国がそれをやらなければ、タイが助けるなんて事は、まずできません。
レバノンだって、あの時の4人取り返したのだって、非常に特殊な条件の中の話であって、本当の意味で、(自国=レバノン)力で取り戻したわけではない。それができるのは我々しかありません。

それをやる使命も我々には持たされているということであろうというふうに思います。

私ども特定失踪者調査会では、去年の10月の末から『しおかぜ』と言う名前で短波のラジオ放送を始めました。
まちがいなく北朝鮮の中に伝わっているということは間違いございませんので、これから先、今年はですね、この『しおかぜ』のプロジェクトを、単に短波放送発信するだけではなくて、むこうから消息を実際取ってくるという作業をですね、やると言うことにいたしております。これを聞いた人がですね、なんだかの形で、たとえば手紙とか、そういうものを送ってくれるとか、何処かに向けて、なんかしらの、シグナルを送ってくれるとか、それを受け取ることができるようにしておこうと、これからやっていくつもりでございまして、とりあえず東京中央郵便局に私書箱をおきました。

調査会のあります文京区後楽・・・と言いましてもわかりやしませんけれども、東京中央郵便局の私書箱何号といえば、これはもう覚えられやすいと言うことで。
放送も韓国語・英語できれば中国語も含めて、少しでも多くの人が聞いてもらえるように、していこうと言う風に考えています。
ともかくやれる手はみんなやる。

我々のやっていることに対して、『これは本当は政府のやることなのに』と言ってくださる方も、たくさんございます。これもありがたいのですが、私は、少なくとも政府だけがやることではないと思います。やはり日本国民全部の責任としてですね、ここで今平和なところで暮らしている人間の責任として、それはやらなければならない。だから私は今その役割にいるんだからやるべき事、それをやるということでございます。

今、この問題を通して、我々やらなければいけない、考えておかなければならない事は、(この国は)今ここに集まっている皆さんをはじめとして、今この国の中に住んでいる人たちだけのものではないと言うことでございます。

この国が今ここにあるためにはですね、もう何千年も日本という国の名前もなかった頃から。我々の先輩たちが営々としてこの国を築いてくれた訳でございまして、そしてこれから先、このくににですね、次の生命がどんどん生まれて、我々の後を継いでいくわけであります。

我々がやるべきことはその中継ぎです。
全体の、そういうみんな含めた日本国民という意味では、我々の数、1億二千万というのはほんの僅かにすぎません。我々がやるべき事というのは、これまで先人が作って来てくれたことを汚さないこと。そしてこの次の世代にですね、あの頃の世代がいい加減だったから、こんなふうになってしまったということを絶対に言わせないように、次の世代にちゃんとした国を引き継いでいくことであろうと。

そのためには、やっぱりそれ相応のですね、我々自身が犠牲を払う必要があるのではないだろうかということでございます。
我々にはそれだけのことをする力がございます。

今、最初に言いましたようないろんな動きの中で動いておりますけれど、しかしこの国の今の状況をみますと、本当に確信を持ってですね、何が何でも(国交正常化を)やってやろうというところまでの確信では、私はないと思っています。いろんな思惑がごちゃごちゃ集まってるうちにこういう風になっているんだと思いますが、そうであれば、こういう状況の時に打開するのは、最終的着地点はどういうふうにするのかと。何を最後やらなければならないのかというような事でございまして。それをしっかりと見据えてやっていけばそんな大きな間違いはないであろうと思います。

拉致問題に関する限り、最終的な到達点というのは、『すべての拉致被害者を救出する』というこれ以外の何物でもないということでございまして。これはもう当然、そこから派生してですね、北朝鮮に住んでいる2000万の人たち、すべてが平和に暮らせるようになっていくということに間違いなく繋がることでございますので、そこに向かっていくと言うことであろうと思います。

本当に、この正月ですね、お休みの時、おいでいただいた皆様に感謝いたしますと共に、後もう少しで私は、それが実現すると思いますので、ご協力をお願いいたしまして私の話を終わらせていただきます。

ありがとうございました。(拍手)
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藤沢集会(2005/1/7)高英起さん

Imgp0420 どうも、ただ今ご紹介に預かりました高と申します。

今私はですね、「救え北朝鮮の人民緊急行動ネットワーク」RENKというNGOの東京事務局で活動をしていますが、RENKと言っても、ご存じでない方もおられると思いますので、若干簡単にRENKという組織、市民団体の紹介と、我々がいかに拉致問題、そしてよど号事件に関わってきたか、簡単に、時間もおしてきているようですのでお話ししたいと思います。

RENKの結成というのは、1993年に結成されました。93年に、RENKの代表の李 英和氏(リ・ヨンハ)という関西大学の教授をされている方なんですけれども、李 英和氏はテレビ、メディア等で発言をされているので、みなさんもご存じの方も多いと思います。91年に李 英和氏が北朝鮮に留学をしまして、そのときの体験を元に、北朝鮮がいかに民衆を弾圧して人権を無視しているかと言うことを日本の社会で広めようということで始まったNGOであります。

参考
 ◆救え北朝鮮の人民緊急行動ネットワーク

 ◆RENK東京

毎年、93年に、RENKを始めたときに、北朝鮮はすぐ、きっと崩壊すると思っておりました。
ところがですね、残念ながら12年間、この間北朝鮮という体制が続いてですね、なかなか北朝鮮の人権問題、拉致問題も含めてですね、解決の道がまだ見えないというのは非常に残念ですけれども、今年こそは、何とか北朝鮮という金正日政権が崩壊して、北朝鮮の民衆、そして拉致された方々、全てが救出されることを願っております。

とは言いながらも、毎年ですね、年が明けるたびに、今年こそは、今年こそは、北朝鮮は倒れるだろうと言う風に言いまして、早くも13年間たってしまいましたけれども、先ほど荒木先生のお話もありましたように、何か膠着した状況も動いている中で、何か大きな動きがあるんじゃないかと思っております。

まずですね、よくRENKという立場でいろいろな北朝鮮問題を話をしているとですね、「RENKはなぜ拉致問題にあまり積極的でないんだ」というおしかりの言葉をよく受けることがあるんですけれども、決してそうではないんです。

RENKはですね、実は1995年当時から、よど号事件を通じて拉致問題というものをキャンペーンをしてきました。
まず、よど号、よど号グループとの関わりについて、若干話させていただきたいと思うんですけれども。
よど号とは僕、個人的な話になっちゃうんですけれども、すごく因縁を感じるんですけれども。

70年に彼らがハイジャックして北朝鮮にいっちゃったと。まぁ、その後20年間以上、20年間近く、80年代後半ぐらいまで、ほとんどその情報というのは入ってこなかったですね。

ところが、僕が、(1988年か89年だったと思うんですけれど)その当時、僕は朝鮮総連の傘下にある「朝鮮留学生同盟」というところに参加して活動していったんですけれども。
そこの事務所にですね、ある本がありました。本の著者は田宮高麿です。よど号グループのリーダーです。
本の題名は「わが思想の革命」だったと思います。確かサブタイトルがピョンヤン18年の手記だったと思います。
 
 参考
 ◆【わが思想の革命―ピョンヤン18年の手記】田宮 高麿 (著)

その本を見たときにですね、よど号グループという存在自体は知ってたんですけれども、どういう存在なのかというものに非常に興味がわきまして、その本を読み始めたんですね。その本が、ちょっと失礼な言い方をすれば、ちょっとおもしろかったんです。おもしろかったというのは、何も彼らの考え方は素晴らしかったとか、そういう言うことではなくて、ばからしかったんですよ、ほんとに。
その本には田宮高麿がいかに日本の革命運動の中で挫折して、北朝鮮で主体思想に目覚めていくかと言う課程を本人の手記という形で書かれているんですけれども。
結局書いていることは、北朝鮮の労働党とかの公式見解と全く変わらない形だし、いかに金日成がすばらしいとか、金正日さんが素晴らしとか、みなさんご存じの、主体思想が素晴らしいとか、そう言うことしか書いてないんです。

そういうふうに自分たちの考え方が変わっていく課程の中で、彼らは「総括」「自己批判」と言う言葉を使って、彼ら自分自身を高めていったという話なんですよね。

その「総括」「自己批判」がどういう自己批判かっていうと、彼らは北朝鮮に行って集団で生活をするわけなんですけれども、集団生活していたところが、二棟あったと。一棟は、北側にあって一棟は南側にあったと。毎朝体操をすると。
体操をする場所を巡って、本人たちが、えらい大げんかをして、それについて「総括」するわけなんですよね。(会場笑い)

「おまえら、こんなアホなことするために北朝鮮いったんか」ということでその時は大笑いしたんですけれども。

書いていることは、それはもちろん彼らは大まじめに書いているんですよ、やっぱり。彼らはそう言うことを通じて、自分たちの革命精神の甘さを克服していったというように自画自賛しているようなもんですけれども。

まぁ、その本を読んで、僕もわかったんですけれども、よど号自体が決して彼らが本当にイデオロギー的に、本当の革命を目指して北朝鮮に行ったかというと、やっぱりこれは僕も疑問に感じて、一言で言っちゃうと、<若気の至り>だったんじゃないかと思うんですよね。ただそれはそれで、決して僕は否定しないっていうか。それはそれで裁かれるべきことなんですけれども。

彼らが<若気の至り>で行っちゃったと。
思想的にも彼らは別に何も――もちろん彼らは日本の中で古典的なマルクス主義とかいわゆる古典的な本を読む中で彼らなりの理論を持っていたけれども、当然そんなものは北朝鮮では通用しないわけですから、そんな中で彼らが徐々に徐々に北朝鮮にすり寄っていく過程というものが、読み方を変えると、そういうことが克明に書かれているところが、私自身は、それがおもしろくて、こうやって人間というのは、洗脳されるんだなと思いました。

ただ読む中では、僕自身も怒りがこみ上げてきて、結局彼らが北朝鮮で生活できているのは、結局彼らを支えているのは北朝鮮の人民だったと言うことなんですね。

ご存知のように、ご存じの通り一般の北朝鮮の人民ほとんどの方は食糧もも満足に手に入らないし、住むところも満足に手に入らない、もちろん移動の自由もない中で、生活している中で、彼らは(もちろん日本に比べれば贅沢な暮らしはできなかったかもしれないけれども)一般の、普通の人の生活をしながら、自分たちの好き勝手に、しょうもない体操の場所をめぐって、「総括」をするような生活をしていたということに関しては、ちょっと聞きたい。一言で言えば<寄生虫>だと思ったんですよね。

そういうことがあったのでよど号に対する怒り、自分自身の苛立たしさというものがあったんですけれども、幸いなことに、その7年後、そのメンバーと直に出会う機会がありました。そのメンバーというのは柴田安弘さんです。

なぜ柴田さんと出会うことができたかというと、僕は関西の生まれで、(関西で)大学生活を送ってたんですけれども、もともと赤軍派というのは関西が強かったんです。
赤軍派にも、いろいろ、セクトといいまして、いろんな派があるんですけれども、全体的には赤軍派というのは非常に仲がよくてですね、わりと行動とか、いろんな運動とか一緒にやってることが多かったんですね。

その中で、赤軍派のあるグループというのがやはり、よど号を支援していました。
その支援していた中心人物が、高槻にある高愛病院という病院の院長の方だったんですけれども。そういうこともありましてですね、その院長の方が主催で、柴田康弘さんの話を聴くという講演会というものがありました。

そのときこれはもう千載一遇のチャンスだということで、ちょっとこれは柴田をとっちめてやろうということで、RENKのメンバー10人ぐらいで行ったんですね。
ところが講演会といっても、ほとんど内輪のメンバーばっかりで、きてるのは、5、6人しかいなかったんですね。RENKのメンバーの方が多かったんですね。(笑い)
ここで、我々が柴田を糾弾というか、あまりにも攻撃するのもちょっと申し訳ないなと思いながらも、柴田の話を聴いていたんですね。
ところが彼の話というものが、心がないというか、人間のかけらも感じないような話であることから、非常にわれわれの仲間もエキサイトしてですね、柴田に手は出しはしませんでしたけれど、かなり口で厳しいことをいいました。

基本的に彼の話を聴いていてびっくりしたのは、彼は「政治活動に興味がない」 と言い切ったんですね。じゃぁ、彼が何に興味があるかというと「自分はビジネスに興味があると」と。

 我々が、柴田さんと話をするときに、ひとつ期待したことがあったんですよ。たとえ間違っていたかもしれないけれど、少なくともあなた達は、日本の人民のために革命を起こさなければいけないと考えて北朝鮮に渡ったわけであるから、そういう、今の、自分たちのやってきたこと、20年間の総括ですよね、彼、特に総括です。それと今の日本、日本人に対する思いというのはどうなんだという、そこに少しでも人間性のかけらというか、人間性のある言葉というのを聴けるんじゃないかと期待したんですけれども、残念ながらそういう話は一切聞けませんでした。

彼らは――
もちろん北朝鮮に対していうことは、(北朝鮮の)公式見解とまったく一緒で、北朝鮮には飢餓もない、飢えも無い、もちろん人々は苦しいけれど、普通に生活している、そういうことしか言わないし。
じゃぁ、何であなたは日本に帰ってきたのか、と聞くと「自分は商売をしたいからだ、金儲けをしたいんだ」と、そういうことしか言わない。
そういうこともありましてですね我々は、かなりエキサイトしてですね、彼に厳しい言葉を浴びせかけてですね、最終的に最後に僕が、彼に言葉を一言投げかけたんです。

「あなたは16歳、(彼は16歳で北朝鮮にわたったと思いますけれど)、16歳という、本当に少年の時期に、北朝鮮に渡って、それから20年間(当時36歳だったんですけれども)つまり自分の人間形成の上で大半を北朝鮮で過ごしたわけですよね。ということは、貴方は今日本に来ていますが、いつか北朝鮮に帰りたいと思わないんですか」と。

彼は、はっきりと「(北朝鮮に)帰りたくない」と言ったんですよ。「えっ、どうしてですか?」「それだけ二十年間も北朝鮮で暮らしたと、ましてや貴方が言うように、北朝鮮は素晴らしい国だと言ったのに、どうしてですか?」と言ったら、「自分は日本人だから」と言うような言葉をきっぱりと、そういうことを言ったんですね。

もちろん、日本人であるから日本に帰りたいのは当然ですけれども、やはりそれは、彼らがやってきたことに対する、あまりにもドライな口調というものに、僕はちょっとあきれ果てて、「これは、これ以上言ってもちょっと無理かな」というふうに思いましてですね、柴田さんとの話し合い、講演は終わりました。

後日談がありましてですね、柴田さんは高槻というところの支援者を中心に生活されてたと思うんですけれども。高槻で我々RENKの若いメンバーだけで、ちょっと居酒屋で飲んでいたときに、飲んだくれてる柴田さんを見かけたんですね。
(こちらも)結構飲んでいたので、後輩のひとりが、「あれ柴田ちゃうの?」とかいうて、「あ、そうみたい、無視しよう、無視しよう」と僕はいってたんですけれど「ちょっと、けしからんから、ぼこぼこにしてきますわ」 とか一人が言い出しまして。
でもそれは、さすがに警察沙汰になるとやばいかなと思って、まぁ、それはかろうじて止めたんですけれど。今から考えるとですね、帰り際にでも頭を一発でもはたいたらよかったかな、とも思っています。
まぁそういう関連で、我々としては、拉致問題をよど号を通じて関わってきました。

まぁ、荒木さんのお話の中で、拉致問題今後の展開とか、いろいろあると思うんですけれども。
基本的に、我々RENKというものは、今は「北朝鮮の民主化」、もっと言うならば、「金正日労働党政権の打倒」というものをスローガンに掲げています。そのために、我々は今、脱北者の救援や支援、もしくは脱北者の情報とか、北朝鮮の内部情報とかを日本に広げるキャンペーンをしております。

先ほど言いましたように、決して拉致問題と言うものに関して、おろそかにしているわけではなくて、我々、基本的に拉致問題も、北朝鮮の難民問題もそうだし、もっと言うならば、北朝鮮の国内にいる北朝鮮の人々の人権弾圧の問題、全てがやっぱりひとつの(解決の)道に結びつくと思うんですけれども、その道というのは「金正日労働党政権の打倒」ということだと、こういうふうに思っています。

以前ちょこっとだけ、拉致問題の中ででお話ししたときに、僕はこういうふうに言ったんですね。
「難民もそうだし、民衆もそうだし、敵は金正日政権だと。拉致されている家族の方々、拉致されている人々の敵も金正日政権だと。敵は一緒なんだから、これは一緒に手を組んで戦うべきではないのか。」と。
それこそが、逆に言えば、金正日政権が怖がっていることではないかと、僕は思っております。

金正日政権というのは確かに、荒木さんが言ったように、話ができない、話しても無駄な政権ていうか、そう言う相手だと思うんですけれど、僕はやっぱり彼ら、彼らと言うより、金正日自身は、おそらく北朝鮮、韓国等含めてですね、周辺諸国の世論にというものを、非常にそれに関しては気にしてるというか、気にしてると思います。

僕は、常にですね、基本的に市民運動としてやってるわけでして、いろんな、政治的な、政治家に対する働きかけとかは、そういうことはもちろん否定はしないし、それはどんどんしなければならないんですけれども、自分たちのできることは、この北朝鮮の人権弾圧という状況をにいかに日本の中に広めていく中によって、日本社会の世論を高めていく事なんじゃないかと思っております。

さきほど、9.17以降、家族の方が、羽田に帰ってきたとき、荒木さんが「やれば、できるじゃないか」と思ったと言うことをおっしゃっていました。あの時僕自身も全くおなじ想いをその時、持ちました。

「あぁ、やっぱりこういうふうに世論が高まって、そういうふうに政治家を動かせば、こういったことは動くんだ」 と。

ただその後、膠着状態になる中で、結構みなさんの中には、「本当に、これで大丈夫なのかな」という不安感があると思うんですけれども、やはり僕は常に、この拉致問題を語るときに、人質を取られている家族というものが、一言で言えば腹くくってるわけじゃないですか?
普通そういう誘拐事件とかで人質を取られちゃったら、普通家族って言うものは、腰が引けちゃいますよね。ほんとに大丈夫なんだろうか?って。強硬姿勢をとることによって人質に何か起こるんじゃないかというふうに弱気になっちゃうこともあるんだと思うんですけれど。この間、やっぱり、拉致家族会のみなさんが、本当に腹をくくっていると言うことは、やはりそれに対して、我々は我々のやり方で、答えるべきじゃないかと思っております。

まぁ、RENKとしては、こういった感じで、いろんなところでお話しさせていただいているんですけれども、基本的には、先ほど言いましたように、北朝鮮の労働党政権の打倒と民主化を求めております。

拉致問題も含めて、全ての北朝鮮に関わる人権問題が一日でも早く、もっと言うなら何としてでも、今年中にはそれを解決できるような形で、今後も頑張っていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

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藤沢集会(2005/1/7)出席議員紹介

第13回藤沢集会6
『出席議員の紹介』

★司会者

今日はですね、神奈川県内の地方議員の先生方が何人か駆けつけてくださいましたので、議員の先生方のご紹介をさせていただきます。

海老名市議会議員 太田祐介先生(拍手)
鎌倉市議会議員 松尾崇先生(拍手)
鎌倉市議会議員 原桂先生(拍手)
横浜市議会議員 工藤裕一郎先生(拍手) 工藤先生は所用があって(先に)帰られました。

それでは拉致被害者・有本恵子さんのお母さんでいらっしゃいます、有本嘉代子さん、よろしくお願いします。(拍手)

連携:話の花束

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藤沢集会(2005/1/7)有本嘉代子さん

『有本嘉代子さんのお話』Imgp0423_1

皆さんこんにちは。(会場より「こんにちは」の声)
有本恵子の母でございます。
お正月のお休みの所、こんなにたくさん来ていただいてありがとうございます。
ちょっとかけさせて頂いてお話させていただきます。(用意された椅子に腰掛ける)

いろんな情報がこないだ内から出ていますけれども、今荒木先生からお話を聞いて納得いたしました。
そうだろうなという気がします。
北朝鮮の言う事はほとんどが嘘で固めてます。
だから私たちが9月17日、今思い出しましても残念と言う言葉しか出なかったんです。
一生懸命に9年間は、(北朝鮮から)手紙が来た事によりまして、1988年の9月の6日に来まして。
その事によりまして私たちが運動をすることが出来たんですが、家族はというより、主人と二人で、ほとんど主人が動いていたんですけれども。
本当にどこにお願いに行っても、どっこもキッチリ話を聞いて下さらなかった。
外務省も行きましたし、日弁連ですかね。
弁護士の会にも行きましたし、政治家の方にもお願いしましたし、どっこも本当にきちっと相手にして下さいませんでした。
そのときを思い出しますと、これは本当にどうすれば良いかと言う気持ちで、無我夢中で9年間は過ごしましたけれども。

横田さんのことが表に出まして1997年の3月に家族会を結成しました。
そのことによって、皆さんにも(拉致問題を)知って下さいましたし、私たちの運動もすることが出来るようになりました。
それからでも1997年ですから今年が06年ですから、もう9年目に入ってます。
でも、5人の方は帰って来られましたけれど、何にも、本当に私たちから見ましたら進展が無いんです。
あれはとにかく(一時帰国後、一旦北朝鮮に)返すという約束で5人は連れて帰ってきた。
向こうも5人を出したんでしょうけども、向こうにしたらすぐに帰ってくるという自信を持って、あの人たちを返したんだろうと思います。
これ、どういう人選だったかは分からないんですけども、この人だったら間違いが無いんじゃないかな?と言う人たちを返して来たんじゃないかと思うんです。

だから、未だに、本当にこれ申し訳ないんですけど、私らの気持ちとしたら、本当にもっと知っている事を家族だけに言うて貰って、これは絶対に口外しないで下さいと言われたら、私たちはしません。
だから、家族は一言でも向こうの事を聞いたら本当にいくらかは安心する点もありますので、何とか知ってる範囲の事は言って頂きたいなと思いますけども、未だに肝心な事は何も私たちは聞いておりません。
だから先ほど荒木先生が仰ったように、(辛光洙、朴工作員などの実行犯の)名前を本当にあの人たちが出したのであれば、どういう意図で出してきたのか分かりません。
本当にまだこの日本の国に、24年間向こうに自由を奪われて私だったら、うちの主人がいつも言うんですけども、本当にこんな事して酷い事してという気持ちが薄れてしまって、北朝鮮に馴染んでしまったのかな?と言う気持ちもするんですね。

だからそれをやはり言うて聞かすのは私は親だと思うんです。
やはり親たちが、私たちは一緒に運動したんですから、私たちはこんなに運動して来たんだから、あなた方は自分達の知ってる範囲の事は家族に言いなさいよ、って言うて下さったら何とかって思うんですけども。
そのところは家庭の中に入ってみないと、どうしてもあの人たちの気持ちが動かなくて言えないのか、そこの所分かりませんけども。
もう、これは何時の時期か聞ける事があるか。
それともこの間も主人がああいう調子ですから、地村さんのお父さんに言うたんですね。
「もしも私たちのこの家族の中で帰ってくることが出来て、その子がパッと本当の事をしゃべった場合は、あなた方の息子は向こうの方を向いて歩かれへんで」と言う事をパッと言うたんですよね。
だけど、余り向こうも被害者なんですから責める事は出来ませんけれども、私たちとしてはそういう思いはあります。

私とこの娘も丁度この1月12日が誕生日です。
で、46歳になります。(会場より「ほぉ~」と言う声)
だから23年間日本で暮らして、後の半分は北朝鮮で暮らしてしまいました。(嘉代子さん涙ぐむ)
Photo_25

涙を拭く明弘さん

横田めぐみさんの場合は13歳で(拉致されて)行って、41歳になられるんですね。
日本で暮らしたよりも長い時期を向こうで自由を束縛されて暮らしているんですね。
だからいつも思いますけど、まだ暑い時とか春とかは余り思わないんですよ。
この寒いときは本当に、「寒いのにどうしてるかな?」と言う思いがずっとしてます。

だけど何とかして助けてやりたいという気持ちと、日本人としてこういう問題はね。
捨てて置けないんですね。
これが私の子供でなくても、これは日本として自分の国の国民が連れていかれているのに、国内まで入って来て連れて行かれているのに、なんでこんなに20年30年長い人は40年、黙って政府は見過ごしたかと言うことが非常に残念です。

昔の日本人だったらこんな事無かったと思います。
私も大正の一番最後に生まれましたので、その時分の教育を受けております。
だからあの、日本人はこうあるべきだという事をきちっと教えてもらっています。
で、先ほど荒木先生が仰ったように、やはり私らの時代にきちっとして、それを後子供・孫の時代に継いで行くという気持ちはあります。
今のままだったら恥ずかしくてこのまま子供たちに譲れないです。
本当に日本の国は、本当に20年も30年も先だったら今のままで行ったら、逆に植民地になってしまうのじゃないかしらと考えます。

だからもう本当に一日も早くこれをきちっと思い直して、政治家がこれは目覚めてもらわないかんのですね。
自分の票とかお金とかそういう事ばかり先行せずに、この国がどうすれば良くなるかと言う事をキッチリ考えて頂いて良い政治をとって頂いて、日本の国を次の世代に譲っていくという事を考えねば駄目じゃないかなと言う事をいつも思っております。
子供を連れて行かれたのは本当に辛いですけども、それよりも何よりも日本の国が情けない国になった事の方が、私は本当に辛いと思います。

長い年月です。
毎日毎日、思わない時はありませんね?
昼は何となく忙しいから用事にかまけてなんとも思ってませんけども、夜になった時なんか思います。
「今どうしているだろうかなぁ」って、寒いのにねぇ。
曽我さんも言っておられましたけれど、「寒いから夜なんか着れる物全部着て休みよったんよ」って、そういう事を聞いてます。
だから本当にどんな思いで暮らしているんだろうなと思いますと、今荒木先生がして下さっている放送ですね。
あれで私もこの間、私の思いを一応書きましてその事を読み上げましたんですけども、どこかで聞いてくれて、しっかり気を持って、何時の日かきっと日本に帰れるという希望を持って、前向きで一日でも暮らして欲しいなと私はいつも思っています。

一口で23年と言いますけど長い年月です。
この間何で、日本の国がこうして長い間拉致された人たちを放ってたんかなぁと言う気持ちはずっとありますね。
だから私とこ一番最初に手紙が来まして、1990年に金丸(信)さんが訪朝なさる時ですね。
その時に地元の国会議員の先生にお願いしてこれを金丸さんに渡して下さいと言って、これから訪朝なさるんですから、こういうことが日本の国にあるという事をしっかり向こうの国に伝えてくださいという事をお願いしたんですけども、その方が帰って来られてその事務所に私らが寄せて頂いた時に、なんか他所事ばっかり言われたんです。
だからこれは向こうへ行ってこの事をきちっと話さなかったなと思ったので、その時は本当に頭から冷水を浴びたような気がした。
これだったら本当に助ける事が出来ないなと言う事を本当に思ったと言っております。

だから何かがあって、そういうような感じになったと思うんですけども、1990年からず~っと始まったその国交正常化を、何人かが行かれましたけれども、本当にきちっとした交渉はどなたもなさらなかったんじゃないかな?と思います。
皆北朝鮮ペースの交渉ばかりに終わってしまって、今度小泉首相が行かれて5人を連れて帰ってきました。
けど、その時に何かの約束事があったんだろうと思います。
だからああいう形でこれで結局5人が帰ってきて、結局その家族も帰ってきてこれで幕を引こうとしていらっしゃるんだろうと思いますけど。
今本当に国民の皆様方が、9月17日以降やはりマスコミも私たちの事を放映しましたり紙面に書きますものですから、それが分かってきて、やはり国民の皆様方の世論が物凄い盛り上がってますので、それは出来ないという気持ちは持ってらっしゃると思うんです。
だから本当に国の体を私は成してないと私は思うんですね。

一度報道の方が恵子が行った所を辿って行きたいので、ロンドンへ行って下さいと言われましたので、ロンドンも2度行きました。
その時に向こうでお世話になってました下宿先ですね。
ポールさんて方なんですけど、その方が、恵子がいなくなって今年が18年目か19年目だったんです、その時。
「それだけ日にちが経つのに、日本の国は何をしているんだ?」と言われました。
「イギリスだったらこんな事放っとかないよ」ってそう仰いました。
だから外国の方の方がね、本当にね、言葉は分からないんですけれど、言われる内容がこちらに伝わってくるんです。

それから以降に、斎木審議官と中川(昭一)大臣と一緒に一度ジュネーブの人権委員会にも行きました。
その時に横田早紀江さんの書かれた本の翻訳した物を持って行きまして、人権委員会の高等弁務官のデメロさんと言う方ですけど、その方にそれぞれの家族が一人ずつ、「うちはこうなってこうで、行き先が分からなくなって、結局北朝鮮にいることが分かったんです」と言う事を皆が説明一人ずつ申し上げまして。
最後に横田めぐみさんの本をお見せして、「それは私が書いたんです、それを翻訳してありますのでどうぞお読みください」ってお渡しした時に、第一声にその方が、「私の息子だったらどんな思いがしたでしょう」ってそう仰って。
それで「この本は私は目と心で読みます」って仰いました。
で、「私がここにいる限りは絶対にあなた方の力になって、帰れるように努力します」って言って下さったんですけど、残念な事にあの方はイラクへ行って亡くなられたんです。
爆弾テロに遭われて亡くなられて、この間そこへ(=デメロ氏のお墓)中川大臣がお参りしてくださって、そのときの写真を持って来て下さいました。

本当に外国の方は本当にそう言って、言葉は分からないんですけど言われる事はこちらへ胸に通じて来るんですね。
だから本当にこれだけの事が日本の政治家に出来ないのかな?と、いつも残念で仕方が無いです。
だからどういう形でこういう事になってしまったのか、分からないんですけれども、先ほどもいろいろな方言われたように郵政民営化でああいう形になられましたけど、この拉致と言う問題は国としてどうしても避けては通れない問題だと思います。
自分の国の人間が日本の国まで工作員がたくさん入って来て、それで連れて行くんですからね。
それで知らん顔して何年もそれを隠蔽して臭い物に蓋をするようにして今まで来たと言う事、本当に私たちは納得がいかないんです。
だからこれはどうしても一番に日本の国としては、解決しなければいけない事だと言う事をしっかりと頭に入れていただいて、何とか政治家の方々がこれをして頂きたいと思います。

でないと、私たちは向こうへ行って交渉出来る立場じゃないんですから、やはり外務省の方に行って頂いてして頂かなければいかんのですけれども、今荒木先生が仰ったように本当に外務省の方は頭が良いもんですから、きちっと1足す1は2と言うふうに、答えが出て来ないといけないんだろうと思います。
だから主人はすぐああいう形ですから、この間も「向こうへ行ってこちらの希望通りの答えが帰って来ない場合は、もう良いですから、もうとことんまでね、しなくて良いから、もう席を蹴って帰って来てださい」って言ったんです。
したら斎木さんも一生懸命して下さるんですけども、「そしたら私たちもう必要ないですね」ってちょっとむっと怒られたんですけども、本当にその位にしないとね。
あの国でまず話し合いは無理じゃないかと思うんです。

もう、話し合いはずっと、1990年に始まって現在まで続いております。
でも話し合いではまず無理だろうと思います。
だから何とか、経済制裁より他に無いんじゃないかな、と思うんですね。
私たちもどうしたらちょっとでも進むんかな?と日夜本当に、何も出来ないんですけども思うんです。
だけど本当にどこの集会へ行ってもたくさん来て下さって、道を歩いておりましても何人かの方が必ず「頑張ってくださいよ、私たちはずっとテレビ見て応援してますからね」って言って下さいます。
これが一番心の励みになっています。

だからいつも言うんですけども、ここで皆さんにお話している時は、皆さんの思いがね。
なんかこうこちらに伝わってくるわけですよ。
だから話していて一番嫌な所はどこ?って言われるんですよ。
そう言いますと、議員さんの所でお話しするときが一番返って来ない。(笑い声)
きちっとこっちを向いてくださってるんですけどね、気持ちがこっちに全然伝わって来ないんですね。
だから偉い物だな、気持ちと言う物は何も言わなくても通じる物だなと、いつも思いもってお話させてもらっています。

だけど本当に私らこんな所でお話しするような者じゃなくて、本当に平凡に子供を産んで。
あの、たくさんいるんです、私とこは女の子が5人と男の子が1人。
私はきょうだいは、事情があって一人で育ったもんですから、寂しいもんですから、子供はたくさんの方が良いという気持ちでたくさん産んだんですけれども。
なんとなくうわっと大きくなって、それぞれ自分が勉強が好きな子は大学行ったら良いし、あんまり好きじゃなかったら高校でも良いから自分の勤める所は自分で決めて、自分がここへ行きたいという所は自分が努力して、勤めだけは一生懸命してね、と言う感じで何となく大まかと言うたら良いのか。
そんなに、じゃ一生懸命しなさいよしなさいよと言う形でなくて、何となく過ごしてきましたけど、どの子も本当に真っ直ぐに育って一応、結婚してない子も中にはいますけども、一応家庭を持って。

一月一日の日は全部寄って来るんですね。
そうしますと家族全部寄せますと20人くらいになるんです。
この中にいつも思いながら見てるんですけども、恵子がいたらなと言う気持ちはあります。
あの子も向こうの知らない土地で子供を産んで大きくして、どんな思いで子供を産んだんだろうなという気持ちがあります。
やはり親がありましたら、お産をしましたら(実家に)帰って来て、ある一定の時間は親が見て世話しますけれども、あの子はそれが何にも無くて、知らない所で非常に不便な所で子供を大きくして、どうしてるんかなぁというような思いがずっとあります。(少し涙ぐみながら)
なんとか私ら元気な間に帰ってきて欲しいなと言う気持ちがあるのと共に、やはりその思いはみんなあるんですね。

だから今特定失踪者の人もたくさんいらっしゃいます。
私たちはこうして表へ出てお話も出来ますし、政府の方も会って話も出来ます。
でも特定失踪者の方は本当に雲を掴むみたいな物ですね。
今の所、政府も取り合わないんですよね、ハッキリ言ったら。
何でかな?と思うんですけども、この人だったら間違いないと思う人でも、どういう訳か認定しないんです。

私の場合も家族会を作った時は認定されてなかったんです。
だからもう、私は思ってました。
国が認定しようとしまいが、私とこは向こうから手紙が来たんだから、その手紙が来たってそれが「北朝鮮の消印が無いから」と仰いましたわ。(会場内少しざわめく)
外務省持っていきました時にね。
「だから信用できない」と言う言い方でしたね、要は。
北朝鮮の消印で送れる筈が無いでしょう?
だからそういわれたし、それで全然家族会に入りながらず~っと認めませんでした、国としては。
拉致であると言うことを認めたのは、八尾さんが2002年の3月12日に法廷で「自分が恵子を拉致しました」と言う事を明らかにしました。
どういうわけか、その前日に認めたんです。
前日に拉致であると言うことを認めました。
国が何を基本に拉致を認めるのか?そこも分かりません。

で、八尾さんの件もありますけれども、いろいろ言われました、あの時もね。
「えらい寛大でしたね?」って言われたそうですけども、何であの時主人が寛大になったか?と言いますとね。
その9年間、二人が動いてどっこも取り合ってくれなかった、その辛い思いがあって。
この人が出て来る事によってきっと道が開けると言う事もありましたし、あの時はかなり警察も八尾さんに期待を持ってたんですね。
帰って来たあの時は赤木(志郎)と言う人の裁判だったんですけども、よど(号ハイジャック犯)の人は帰ってきても何も喋らないんです。

それで一定の時期が来たら執行猶予付きで無罪放免のような形になりまして、平気で街を歩いてます。
だから本当になんであの人たちが帰ってきて、拉致をした人たちが帰ってきて大きな顔をして日本の国で暮らして、拉致された方が何で帰って来れないか?
それでもあるし、帰って来た人が自由に(日本と北朝鮮との)往来が出来ると聞いてます。
それもおかしな話です。
だから本当にこの日本の国はおかしくなってますから、そういうおかしな法律があるなれば、それはきちっと直して、きちっとした法律を作って、そんな人が行き来したら良い事は絶対無い筈です。
そういう人を自由に北朝鮮と日本を行かせるという事を、絶対にさせないようにして頂きたいと私はいつも思っています。

拉致の問題で日本の方々が、元来の日本の姿に戻ったんじゃないかなと思いました。
2002年に帰って来ましてその年の、(翌年)有楽町フォーラムで全国大会がありました。
その時にたくさん来てくださって、その時に6000人程入れる中に、1万人以上の方が来て下さって中に入り切れなくって、あの時は横田さんが表に出て断ったんですね。
「中にお入り頂けなくて申し訳ないです」と言う事を言って頂いて、そんだけくらいたくさん来て下さったあの時に、有楽町フォーラムの緞帳がばっと上がりました時に、本当に私は感激で胸が一杯になって涙が止まりませんでした。
本当に日本の国の国民の皆様方は、やはりみんなきちっとした日本人だったと、これだけの方が私たちのために来てくださったと思いました。
だから私はいつも日本人に生まれて来て良かったというような教育を受けてますし、いつもそういうように思っています。
だから本来の姿に戻ったと思いました。
この事によってきっとまた新しい、本当に昔のままの日本人がまた蘇って来ると思うんです。

今、政治家の方々がきっちりとそう思い直して頂いて、こんな事していたらいかん、こうせないけないということをきっちり思って頂いてきっちりした政治をとって頂いて、日本の国をこうであると言う事をね。
国民の皆坂形の前できっちりと知らして頂きたいと思います。
そのことによって私たちの子供たちも取り返せると思うんです。
今の状態ではとっても取り返すことは出来ません。
だからあの、経済制裁一国がしても駄目だ、他の国が助けるんだからと言う事じゃなくて、日本の国は日本の国としてするべき事があると思います。
この船(=万景峰号)も止めなければなりません。
経済制裁をきちっとして、北朝鮮がどういう形で出てくるかと言うことを見て頂きたいと思います。

私たちももう歳がいきます。
そこへ、向こうへいる子たちも、もう46歳になります。
そしたら、増元るみ子さんなんかももう50歳超えると思うんですね。
だから、その子供たちも歳がいきます。
あの国で病気にでもなったらなかなか、医療機関も整っていませんので、どういう事になるかいう気持ちもずっとその心配も出てきました。

だからなんとか、今年、今年何とか、もう、あの、盛り上がってます。
空気がそのように国交正常化なんて言ってますけど、その事によって開ける道もあると思うんです。
また新たな方へ。
国交正常化を含めて、この拉致問題を解決しないと国交正常化できないんだと言う事を国民の皆様方が知っていただいて、その事によって皆を全員を取り返さないと、この拉致問題は解決しないと思います。
何人かをちょろちょろと返して来て、それで幕を引くという事をして貰ったら困るんです。
だから同じ思いで親たちも待っています。
私も特定失踪者の事も皆一緒です。
長い間同じ思いで待ってるんですから、皆が帰ってきて良かったねって言う様に。
それこそ飛行機一台チャーターしてその中に全部乗せてるくらいの気持ちで、政治家の方がして頂きたいと思います。

何とか今年、今年が目鼻だと思っています。
だから何とか皆さんも最後までご支援下さいますよう、よろしくお願いします。
ありがとうございました。(拍手)
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第13回藤沢集会9 パネルディスカッションその1

『パネルディスカッション「よど号と拉致」 その1』

Imgp0429 ★司会 川添友幸神奈川救う会会長


では始めたいと思います。
基本的にですね、私の方が質問を出しましてご家族の方がお答えするというふうにしたいと思います。
まずは高英起さん、今日は講演ありがとうございます。
多分高英起さんはRENKの活動をされて来たと思うんです。
救う会では初めての講演だったと思うんですが、そのご感想の様な物があればまず一点伺えればと思っています。

それとですね、RENKの会長をされています李英和さんが小学館文庫「朝鮮総連と収容所共和国」と言う本を出版されています。
(下記参照)


この本は基本的に北朝鮮の強制収容所の事を書いている本なんですが、その中によど号の男性メンバーで日本国に(帰国して)いる柴田泰弘の講演会に押しかけた話などが出ていまして、私自身非常に関心があったわけなんですが、その辺の経緯等を御存知の事があれば教えて頂きたい。

でもう一点の質問は、後で全員同じ質問をしたいと思ってるんですが、今度1月の下旬くらいからですね。
今話されている(よど号)メンバーの帰国が始まります。
今度2月くらいからもしかすると、拉致実行犯の黒田が帰ってくるのではないかと言う話も出ているようですが、それに対してどういうふうにお考えになっているかと言うところを、まず高英起さんの方からよろしく御願いいたします。

★高英起さん(RENK東京、映像ジャーナリスト)

先ほどお話の中でですね、柴田さん、柴田ですね。
さん付けはしませんけれど、柴田泰弘の講演会に行った話はちょっとさせて頂いたんですけど。
その後柴田さんだけではなくてよど号の赤軍派を束ねていた塩見(孝也=元赤軍派議長)さんですよね。
塩見さんの講演会にも実は押しかけた事があったんです。

恥ずかしい話なんですけど、結局当時我々力がなかったんですね。
ゲリラ的にそういった北朝鮮を擁護する方々の講演会や集会などに行って、押しかけては殆ど総会屋のように騒いでは嫌がらせをするという事しかしていなかったんですけども、それしか当時、彼らに対して我々の主張をぶつける方法が無かったんで。
で、当時その塩見さんが当時ですね。
ちょっとお手元の方に資料があるかもしれないんですが、くだらない文章なんですけども、そのときの事を感想文を書いてあるんですけども。

大阪に河合塾と言う予備校がありますね。
その河合塾と言う予備校でいわゆる全共闘世代の方々を呼んでですね、いろいろ話をしてですね。
それを若い予備校生や学生に聞かせるという企画が一時流行った事がありました。
それに今でも出ている週刊スパですよね。
そこに連載されている鈴木邦夫さんですよね。
一応右翼の一水会の代表と言う方なんですけども、その方々が、左の代表と右の代表が出てきて話をして、最後はチャンチャンで終わるような形にしてという、下らない企画をしていたことがありまして。

その時に塩見孝也さんが出ていると言う事で、先ほど言いましたように我々押しかけた事がありました。
塩見さんも基本的には柴田と考え方が一緒でして、よど号のハイジャックに対してもそうだし、北朝鮮に対してもそうだし、全て自分達が正しかったと言う形で一貫した主張をしておりました。
もちろん我々はですね。
あんたたちがやっていると言う事は、北朝鮮の人民だけではなくて、日本の民衆・日本の人民・日本人をも欺く事だと言う事で、かなり厳しい口調で我々抗議したんですけども、残念ながら柴田と同じく塩見さんにはその声は届きませんでした。

最後にですね。
我々彼らに言ったのは、あなた達がやってきた事に関しては、じゃあ目をつぶろうと。
ただ、北朝鮮の問題、北朝鮮の労働党政府が金正日政権が正しいとかに関しては一切口をつぐむべきではないか?閉ざすべきではないか?沈黙を護るべきではないか?というふうに、我々は問い掛けました。
ただ、やっぱり拉致事件に関してはハッキリさせるべきだろうと。
拉致事件だけではなくて、ご存知の通り彼らは自分達の同志たちも粛清しているわけなんですよね。
実際に手を下したかどうか分かりませんけども、自分達の同志、吉田金太郎、あと岡本武ですか。
この二人を労働党に、僕は売ったと言ってるんですが、売っちゃったんですから。
それ自体をやっぱり総括するべきなんじゃないかと思っております。

ちょっと話はずれますけども吉田金太郎と言う人物、この人物はですね。
実は僕は赤軍派ではなかったんですけども、赤軍派の残党って言うか、学生運動をされていた連中とは、当時RENK・北朝鮮の地下運動をする前はそれなりに付き合いがありましてですね。
伝説的な人物で、愛すべき人物だったようです。
デモにですね、剣道の防具を着てきて竹刀を持って警官に突入したとかね。
そういう伝説的で愛すべき人物であった人間をああいう形で粛清してしまったという事に関しては、総括すべきなんじゃないかと言うふうに思っておりますし、そういうふうに主張しましたけど、なんせ連合赤軍事件で14人ですか?
人間を粛清してしまうような彼らには、残念ながらその声は届きませんでした。

今後彼らに対しては我々自身は直接何かを訴えると言う事は出来ないんですけども、我々のスタンスとしましてはですね。
やっぱり帰国は許してしまってはならないと思っています。
彼らは北朝鮮でずっと過ごすべきだと思います。
北朝鮮で過ごして自分達がやってきた事を全うすべきだと。
最終的には北朝鮮の人民に裁かれるべきだと。
加えて日本の方々に裁かれるべきではないかと思っております。
いずれにせよ、この帰国に関しては我々は反対と言うか、抗議の声を今後も上げていきたいというふうには思います。

★川添友幸会長

非常に勉強になりました。
ありがとうございます。

次に有本のお父様。
お聞きしたい話があるんですが、よど号のメンバーを支援している国会議員がいます。
その国会議員に対してどのように思うか?
もう一点はもういろんな中でお話が出ていると思うんですが、やはり政府やNHKもそうですし警察に対してどのように考えているか?
それと最期は同じ質問なんですが、今度の帰国に対してはどのようにお考えになっているかをちょっとお聞かせいただければ、お願い出来ればと思います。
宜しく御願いします。

★有本明弘さん

ぎょうさん言われたらわからへん。(会場笑い声、司会者より質問項目を書いたメモを渡される)
よど号のメンバーを支援している議員と言いますと、社会党・共産党のこの現行の人たちだと思います。
その人たちは皆さんもご存知のように、大変大きく議席を減らしました。
これで大体お分かりになっていただけると思います。
国民の関心事がその政党から離れてしまったという事なんです。
それと同時にこれは国民の皆さんが、北朝鮮と友党だと言っていたのが当時の社会党なんです。
と同時に知らぬ間に自民党、与党の中枢まで朝鮮総連の影響力が入り込んでおったと、言うのが今の現状なんです。

それと警察や政府に対して、とか言う事ですね?
これ警察は私たちの問題で、安倍公博って言うんですか?
あれを国際手配しました。
あの時は警視庁から公安まで3回ほど出張してきて私たちからいろいろ調書を取って、資料を提供して、そして署名もしました。
だからそのよど号の連中の事に関しては、警察は日本の国内法では今の現状のような事しか出来ないんです。
この阿部公博が帰ってきたら、裁判にかけて有罪に出来るという根拠を持ったから、私たちを呼んで調書を取って告発している。
だからこの安倍公博を逮捕するまでは、今帰って来た連中は多分今までどおり、手を付けないで放っておくだろうと。
そういうような観測をしております。

この間、もう去年なんですが、議連の会長とお会いした時に立ち話やったですけれども、日本の国にもスパイ防止法をこしらえん事には、隣にあんな国がある以上は国民から見れば国家として手ぬるい。
そういうような状況が起こってもどうしようも無いと言う現状があるから、スパイ防止法と言うのが出来たらこれをこさえて頂きたいというのがお願いした事もあります。

だからこのメンバーの帰国と言うものに関しては、ほんなもの、一辺にまとめて返して来いと言うて。
(向こうが)受け入れなかっても良いんじゃないか?と、僕らはそないに思うてます。
でもそれは外務省のやる事であって、そんなんで前例どおりの・・・(聞き取れず)で終わると思います。
以上です。

★川添友幸会長

ありがとうございます。
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第13回藤沢集会10パネルディスカッション その2

『パネルディスカッション「よど号と拉致」 その2』 

★川添友幸会長

次に荒木先生、ちょっとお伺いしたい点がいくつかあるんですが、後ろのパネル。
いつも神奈川のボランティアの皆さんに作っていただくんですが、福留貴美子さん、白黒の方なんですが。
Imgp0427_1

左から松木薫さん、石岡亨さん、

有本恵子さん、福留貴美子さん


パネルが今度加わりました。
福留さんをご存じない方もいると思うんですが、今高英起さんのお話にあったんですが、(よど号犯の)岡本武。

岡本公三(=1972年、奥平剛士、安田安之と共にイスラエル・テルアビブ空港を襲って26名の死者をだした「日本赤軍テルアビブ事件」の実行犯)の兄なんですが、兄のお嫁さんて言うんですかね。
結論として、この方日本から拉致された方なんですね。

で、この福留問題と言うのは実に難しい問題でして、いろんな会の方が取り組んで、今私たちも取り組んでいるんですが、荒木先生、特定失踪者問題調査会の代表をされる前に、救う会全国協議会の事務局長をされている時にですね。
福留問題をずっとやられていたと聞いています。
福留さんの資料は簡単に作ってみたんですが、ちょっと福留さんのお話をお聞かせ願えればと思っています。

後もう一点なんですが短波放送の「しおかぜ」、あれちょっと私自身思ったのは、ああいう放送は実際よど号のメンバーは聞いてる物なのかなぁ?と言う疑問を持ったのでそれを聞いて見たいと思ったのと、三点目は皆さんにお聞きしている、よど号犯の帰国に対してどのように思っているか?
この3点を宜しく御願いします。

★荒木和博 特定失踪者問題調査会代表

福留さんの拉致事件に関しては、この配ってあります川添さんの作った資料に基本的には書いてございます。
要は騙されてきた朝鮮に連れて行かれた方です。
元々北朝鮮とは何の関係がなかったんですが、お父さんが昔、戦時中にですね。
モンゴルにおられた事があって、そういう話を聞いて育ってですね。
非常にモンゴルに行きたいという強い意思を持っておられた。
モンゴルと言うのは、昔は社会主義圏の中で非常に入り難いという事で、それで釣られたのではないだろうか?と言うふうに言われております。
昭和51年、1976年に出国をしている。

向こうで今川添さんの言われたように、岡本武の妻にさせられたと。
こんなものはもちろん本人のあれが一致してと言う事はもちろんございません。
当然これは無理矢理。
これは他のよど号の妻でもですね。
小西(隆裕)の妻以外は皆元々全然関係ない。
無理矢理ですね、くっ付けられたと。

だから正直言うと、よど号グループの他の妻たちもですね。
あれでもし「こんなはずじゃなかった」と言えば拉致被害者になります。
問題は、あのカミさんたちの方が旦那よりももっとその気になってしまった事に問題がある。(小さな笑い声)
そうでなければ彼女たちもそういう事になる。

福留さんは元々そういう政治的背景が全然無いんですね。
他のよど号の妻はチェチェ研とか、この表に書いてあるように(北に)シンパシーを持ってる人たちだったんですけど、福留さんの場合そういう事が無い。
で、結婚させられたと。
やはり他のよど号の妻と同じように、工作目的で使われ、少なくとも使われようしたことは間違いがない。
そして一回日本に戻って来ております。
ここに書かれているように友達の家にですね、突然現れる。
その後高知の実家に帰ろうとして途中で連れて行かれたんではないか?というふうに言われている方でございます。

この福留さんの事件についてはジャーナリストの高沢皓司さんがいろいろ調べてですね。
これの裏に確か書いてあるんだと思いますが、裏じゃないか、前か。
96年、ですから平成8年の8月7日の朝日新聞にですね。
その名前が、その時は確かまだ名前は入ってませんが、本人が特定された日本人だったと言う事が分かったと言う記事が出ると。
で、出たらすぐにですね。
今度は「いやもうとっくに死んでいた」と、いう情報が出る。
それまでは日本人の奥さんだと言う事は一切言っていなかった。
岡本武のカミさんは朝鮮の人だと言うふうに言ってたんですが、ここで急にですね。
話が変わって、そして尚且つもう8年前に死んでいると、いう情報が流れたわけでございます。

こういう所の嘘のつき方と言うのはですね。
本当に北朝鮮と言うのは、よど号のグループも良く勉強したもんだなと思うんですが、大変分かりやすい嘘をつくわけですね。
ですから救う会もそうですし我々もそうですけども、この福留さんは我々は基本的に生存をされていると言う前提で、救出を求めているわけです。
子どもたち、娘さんが二人いますが、この二人はもう帰国を果たしております。
で、表の中で岡本武の所に乗っかってます、広海(ひろみ)さんと千里さんと言う娘さん二人ですね。

元々(福留貴美子さんの)お母さんはもう亡くなってしまったんですけども、私も生前2度ほどお会いした事がございまして、非常に記憶力の良い、記憶のハッキリしたお母さんでございました。
本当に田舎のおばあちゃんと言う感じの人なんですけども、すごい頭の良い方でですね。
この事はお母さんがご存命だったと言う事もあって、高知の中にいるよど号グループの支援者が、かなりいろいろな形でマークをしております。
今でもその連中は高知の中で活動をしておりまして、福留さんのご家族を抱き込もうとしたりとか、そういう事をやっている。
どうも、場合によってはですね。
福留家の遺産をですね。
持って行きたいという思いもあるのではないか?という話もございます。

この事件については大体そういうような事でありまして、今改めてですね。
お母さんが亡くなってしまったので、ご家族がいなくて非常にやりにくいんですが、川添さんなんかとも連携を取りながら、この問題について更にですね。
世論への訴えかけを進めて福留さんの救出へという事につなげていきたいと思っております。

ただ、これは福留さんだけの事ではないんですが、福留さんも何かの形で北朝鮮の工作活動に関与した形跡は当然あるわけでございます。
で、これは今帰国している5人もそういう意味で言いますと同様でございまして、また今(北朝鮮に)残っている拉致被害者の人たちも、やはり同様であろうと思います。
もちろん、そういうふうにしなければ北朝鮮の中で生きていけないわけでございまして、それを日本にいる我々がもちろんですね。
非難するって言う事は絶対に出来ない。

それから場合によったらですね。
(日本に)帰りたくないという意思表示をする人が出る可能性もございます。
その場合に一体どうするか?
これ今、日本政府はですね。
家族の意向あるいは本人の意向、と言うところにですね。
必ず逃げ込みます。
ご家族がそう言ってるからその意思を尊重したい。
本人が日本に残りたいと言ってるんでその意思を尊重したいという言い方をするわけですけども、これは非常に卑怯なやり方でございまして、その時やらなければいけないのはですね。
家族の意向でも本人の意向でもなくて、国家の意向です。

拉致をされているんですから。
主権を侵害され、拉致をされているんですから、その人たちは本人が何と言おうとですね。
今の状態の北朝鮮で自由に物が言えるはずが無い。
ともかく日本に取り返して、そこで一旦原状回復をして、そして自由に物が言えるようになったらば、それから意思表示をして物を決めて貰えば良い話でありまして。
それを北朝鮮の中でですね。
一昨年の5月に総理大臣がのこのこ行ってジェンキンスさんにですね。
「帰って来ないか?」とか言ってなんか「約束する」とか何とか言うというアホな事をですね。
やってしまっては全くわけが分からなくなる。

それで政府の人は責任は逃れられるわけです。
「本人は帰りたくないと言ってる」と、そんな問題ではない。
取り返してからそれから次の事を考える。
いうふうにしないとですね。
これから非常にグレーゾーンの人たちが間違い無く出て来ます。

有本さんだって、北朝鮮の中でですね。
一昨年の3月の時点ではですね。
3年前か、もう3年前なんですね。
あの3月の時点では、一度は北朝鮮は出そうと思ってたんですね。
出して有本さんに「自分では帰りません」と。
「お父さん、お母さん、北朝鮮に来てください」と言うふうに言わせて、そして決着をしようと言うふうにしようとしていたと。
言う事がございますので、有本さんも自分の足で入ったことは間違いが無い訳ですから、そういう言い逃れが出来るようになる。
これは絶対に許しちゃいけないです。
北朝鮮の中にいる限り、そのマインドコントロールは絶対に解けないです。

だって今の5人だってね。
ちゃんと喋れないんですから。
日本に戻ってきて、あれだけ時間が経っていても、まともにですね。
言う事が出来ないと、言う事を考えたらば、いわんや北朝鮮の中にいてですね。
自由に発言とか意思表示が出来るはずが無いわけでございまして、これはグレーゾーンの人も含めて、一旦とにかく全部日本に取り返すと言う事。
これは国家の意思として絶対にやらなければいけないと思うんです。
その上で日本で暮らしてみて、それでもどうしても北朝鮮に行きたいと言うのであれば、そのときに決めれば良い話でありまして、そこのところを考えていくべきだと思います。

で、今警察の中でですね。
警察の人とも私らもいろんな話をするんですが、「いや、そんなにたくさん拉致被害者の人たちはいない」と。
「後5人くらいだとか10人くらいだ」とか、いろんな事を言う人がいるんですけども、それは警察的にですね。
全部キッチリやって証拠も集められて、そして明らかになるという数を探したら、それはその程度しかおそらくならないんでしょう。
しかし実際には証拠がなくったって拉致をされている人たちはたくさんいますし、いわんや福留さんたちの様にですね。
自分の意思で出国をしたと、そして(北朝鮮を)出られなくなったと、言う人の数ははるかに多いだろうと思います。
その間のグレーゾーンと言うのはですね。
相当の数いるわけでありまして、我々そこらへんまで全部拉致被害者としてカウントしてですね。
やらなければいけないんじゃないかと。

で、その延長線上は今度は帰国者の問題になるわけですが、帰国者だって拉致ではありませんけども、基本的には騙されて皆向こうへ行ってる訳ですね。
日本人妻だって、何年かすれば帰って来られるという前提で北朝鮮に行ってるわけですが、しかしそれでもですね。
帰って来られない。
こういう人たちの場合はですね。
とにかく自分で帰りたい人たちは自由に帰れるようにすると。
つまりこれは、要は、高さんが今さっき言ったように、あの体制を変えてしまうより他に方法がないんですね。
あの体制を変えれば、北朝鮮の中にいたって自由に意思表示できますから。
最後はそういう所に持っていくしかないんですが、そういうふうにしてですね。
問題を解決していく。
ここはですから家族の問題でもなくて個人の問題でもなくて、国家の問題として取り組まなければならないだろうと思います。

それからしおかぜをよど号グループが聞いてるかどうかと言う事ですが、私も良く分かりませんが、あの連中に聞かせなくても別にあんまり問題ございませんので、まぁ聞いててくれるようであればですね。
「いい加減にゲロしろ」という放送くらいはしても良いんですが。(笑い声)
まぁちょっと分かりませんが、電波の無駄遣いになると今のところは特に思ってません。

それからよど号グループの帰国に関してですけども、先ほど有本さん言われたようにですね。
拉致された人が向こうに残ってですね、した方の連中が帰ってきて大手振って歩くという話はですね。
こんなとんでもない話は無いわけでございます。
しかし日本の「法と証拠」と言う、警察の人たちがよく使う「法と証拠」と言うとですね。
そういう事になってしまう。
証拠が向こう側から返ってこなければこちらから手出しが出来ない。
意思表示をして帰って来たらですね。
日本の法律に照らして、しかし微罪ですよね。

結局ね、先ほどお父さん言われたように、スパイを取りしまる法律が無い訳ですので。
微罪でですね。
しばらくしたら出てこられると、いう事になってしまうわけでございまして、法と証拠があってもですね。
正義の方が実現をしていないと言うのが現状でございます。
本当であればですね。
日本海を渡ってくる途中で宙吊りにしてですね。
「吐かなかったら海に落っことしてやる」と言う位の事をして、(笑い声)言っても良いと思うんですけども。

まぁ少なくとも帰って来た人間に対してですね。
それを徹底的にマークするというくらいの事は、もうちょっとキッチリやっておく必要があるのではないか?と。
先ほども申しましたけど、とにかく有本さんの拉致、あるいはもちろん松木さんもそうなんですけど、について知らないという言い方をしている彼らの言ってる事は全て嘘だと言う事でございますので、その前提でですね。
今後の事も対応していかなければいけないのではないか、と言うふうに思います。

★川添友幸会長

いろいろ面白い話をありがとうございます。

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第13回藤沢集会11パネルディスカッション その3

『パネルディスカッション「よど号と拉致」 その3』

★川添友幸会長

では次、斉藤文代さんにいろいろお聞きしたいなと思ったんですが。
私、松木薫さんの事を初めていろいろやっているうち一番強烈に印象に残っているのは偽遺骨問題なんですね。
どこかの週刊誌で遺骨の写真を見て、私すごいショックを受けたのがありました。
是非その遺骨問題に関してどうお考えになっているか?と言う事をおたずねしたいと思います。

同じ質問になってしまうんですが、これから松木さんを拉致した可能性が非常に濃厚であるとされている二人(田宮高麿の妻・森順子と若林盛亮の妻・黒田佐喜子)が、どうも夏前に帰ってくると言うんですが、こちらに対してどのようなお考えか、ちょっとお願いします。

★斉藤文代さん

私の(弟の)松木薫に関しては、骨をですね。
二度も出されているんですけども、一回目の時にはですね。
私も実際、その骨は見てないんですが、写真とかいろんな物をたくさん撮って来ていて、白々しく骨を持って出てくる場面からず~っとあるわけです。
納骨堂からですね。

それでこれが弟さんの骨を持って帰りましたのでと言われて、受け取って下さいという事を、外務省の方は私に受け取ってくれと言う最初はそういう気持ちだったと思うんです。
でも私はそれを言われた時点で、一人だけ「お姉さん残ってください」と言われて、皆さん記者会見で一人だけ残されてそれを言われたんです。
骨の鑑定の先生、橋本先生とか外務省の方とかたくさんおられまして、私がその時に「はい、分かりました、弟の骨ですね」と言って持って帰って父のところに墓に入れていたらもう、なんとも父が可哀想になるところを二度もする所でしたけれども。
そこで私はもう「弟の骨ではありません」と「弟は生きておりますから」と言う事で。

二度も火葬されていますので、二度も火葬されているとは思いもよらなかったもんですから、DNA鑑定が出来ると思ったもんで、「私の血をすぐ採って母の血も採って、DNA鑑定してください」と、私泣きながら言ったんです。
そしたら外務省の方もその日に、用意してあったんですね?すぐ採れる様にちゃんとですね。
すぐその場で採られたんですよね。
で一週間くらいしてから、熊本の方の病院に来まして母の血を採って帰られたんですよね。
後からそれは分かったんですけど、二度火葬してあるから全然鑑定出来ないのを分かっていて、まぁ、それは私もお願いしたから持っていかれたんでしょうけれど。

骨の中に3遺体くらいあるのは橋本先生見てすぐ分かったと、仰るんですね。
ですから「お姉さん、私はこれは出来ると思った物を一つだけ持ってきましたので、これを調べさせてください。必ず僕一生懸命やりますから結果を待っててください」と言う事で、左の上あごのあれを持ってきて帰ったもので、「一ヶ月くらいかかるのでそれを調べさせてください」と言う事で。
「誰にも言わないで下さい」と言う事で私は一ヶ月本当になんともいえない気持ちで待ってたんです、便りをね。
そしたら電話がありまして、「お姉さん」と私に先生が元気付けてくれました。
「薫さんの骨じゃないよ、女の人、60過ぎくらいの女の方の骨ですよ」って事で。

骨箱からばぁ~っと骨を出してる写真もあるんですよね。
「僕もそれを見たときに絶対薫さんの物では無いと言うことは分かっていたんだけど、調べる物はちゃんと調べないとお姉さん納得されないでしょうから」って事で調べたら、「全然違う人の骨だから、薫さんは生きてますから、きっと生きてますから」と「帰ってきますから、絶対に希望を持ってくださいね」と元気付けられたんです。

でまた、今度は二回目の時に第3回実務者協議のときにまた骨をですね。
持って来てるんですよ、外務省の方はですね。
その時はさすがに私に日本政府は言えなかったわけですよ。
隠し通せる物じゃないですよね、そういう骨はですね。
黙っていて、報道の方が先に流れたわけですよ、ニュースでですね。
誰かがばっと漏らしたんですねぇ、政府内の方がね。

それで私ニュースを見て「え~~っ?」っと思ってですね。
で、すぐ警視庁の方に電話入れまして、「そんな骨を持って来てるのに、なぜ私の方に知らせてくれなかったんですか?」って警視庁にも国の方にも言ったんです。
そしたら警視庁の方は警視庁で、「持って来てません」って言い通すわけですよ。
今まで私はずい分泣かされてきたのに、またこれで泣かされるんじゃ私もうこれ以上我慢できないと思ったから、追求したんですよ、ずっ~と。
で、やっぱり警視庁は警視庁の関係があったて言えなかったんですね。
そしたらすぐ後電話があったんですよね。
政府の方から「やっぱりお姉さんに言わなきゃならないから」と言う事で、「実は骨を持ってきていました」って言うから、「なぜそんな骨を持って帰ったんですか?最初の時も間違いで持って帰って来てるのに、他人の骨ばっかり他人様の骨なのに」って大分私も言ったんです。

そしたら「今度訪朝する時には、出された物は一切持って帰りましょうと言う事だったので、持って帰りました」と。
「弟さんの骨ではないと思っていたので、言わなかった」とか言うわけですよ。(文代さん少し自嘲気味に、会場薄笑いの声)
それで本当に私はもう、情けなくって。
持って帰って来たんであれば、徹底してまた調べてくださいと言う事で、その時は横田めぐみちゃんの骨も持ってきてありましたので、だから同じように調べていただいた。
また同じように全然違う人の骨ばかり入っているわけですよね。

だからなぜ日本政府は一回骨を持たされて騙されているのに、またそれをね。
またやられてなぜ黙っているのか?それが私は分からないんです、いまだかつて。
全然その、抗議しないわけでしょう?
骨を二回も持たされて、他人様の骨ばっかり。
何がその弱みがあるのか、私はいまだかつて分からないです。
その件に関してですね。

だから薫はきっと生きていると私は思っていますので、本当に死んでいるんであれば、本当の死んだ骨を出せばいい事であってですね。
もう2度も3度も、だから私は「何回殺されるんでしょうかね?」って言った事あるんですよね。(文代さん、笑いながら)
だから信じておりませんし、またこれからもそれに関しては私は何度突きつけられても受け取る気はありません。

それからよど号メンバーの帰国に関しては、日本人だったら恥を知りなさい、と私は言いたいです。
そんなにね、自分達のしたことの罪を認めないんであれば、帰ってくる必要はないと思います。
北朝鮮が良いんだったら、そこにいなさいと私は言いたい。
本当にそれくらい腹立たしく思っております。
弟たちは何も知らないで、そんなして北朝鮮で辛い思いをしているわけですから、自分達は日本が恋しくなって軽い罪で日本へ、早く言えば日本を舐めてかかっているわけでしょう?
そんな人が帰って来て貰ったって、ちっとも私達嬉しくありませんし、そんな人が帰ってくるより早く全員返して下さい。
私たちはそっちの方に一生懸命になりたいくらいです。(拍手)

★川添友幸会長

ありがとうございます。
最後に有本のお母様。
私以前にですね、3年位前にNHKスペシャルだと思うんですが、よど号と拉致と言う番組の中でよど号のメンバーの所に直接お電話をかけてですね。
やり取りをしたのをちょっとテレビで拝見しまして、なるほどなあと思ったんですが。
そのときの状況の話と、そのとき彼らは直接話してどういう言い訳をしていたか?
その辺の話と、同じ質問になってしまうんですが、よど号のメンバーの帰国に関してですね。
どういうふうにお考えになっているか、この2点をよろしくお願いいたします。

★有本嘉代子さん

NHKの取材であるホテルへ行った事があるんですね。
そういう話になる事は全然知らなかったんですけども、よど号の人と懇意にしていて何度か北朝鮮に入ってる人があるんです。
富山の方で。
で、その人がそこへ来ておられたんですね。
それで「私だったら向こうの電話番号を知ってますので、かけます?」って言って、NHKとは相談が出来てたらしいんです。
これかけたらね、その時に誰が出てきたんかな?
赤木(志郎)でしたね?
ですのんで、その赤木と言うのがメンバーの中で残ってる中で一番きついんですって。

だからその人が出て来たのでね。
「私は有本恵子の母親ですけども、あなた方は有本恵子をご存知でしょ?」って言うたら、「突然電話かけてきて失礼な方だ」
そういうことだけで後は続かなかったですね。
これは始めから言っても無駄や言う事が分かってましたのでね。
私らなんぼ言っても駄目だという気がありましたので、そういう場面がそこで設定されている事が分かりませんでしたから。
それでこの人たちとゆっくり話をするいう気持ちもありませんでしたから、もうそれで切りました。
後は話してもこんな人は何も喋らないし、「失礼な」言う一言を言いました。
だから失礼と言う言葉を知ってたんかな?と思いましたわ。(笑い声)

後の事ですけれど、よど号のメンバーにしても先ほど申し上げたように、本当に旅券法違反だけで全て片付けられて、で、執行猶予付だそうです。
それで出て来て、普通の人と同じように生活してるんですね。
そんな状態になれば帰って来ても何ぼも日本の国としても役に立たないだろうし、気持ちがね。
全然日本人の気持ちじゃないですものね、あの帰って来た人たちは。

私は赤木と言う人の裁判を見に行きました。
八尾(恵)さんが証言すると言う事だったので、本当にね。
どう言ったらいいのかな?
ニコニコ笑ってるんですよ、自分、被告席座っていて。
なんかそれは許されているんだそうです、筆記してました。
八尾さんの方をちらっとみて、睨みもって、ずっとね。
顔に笑みを浮かべもって、小ばかにしたような顔してずっ~と筆記してましたね。
あんな状態見てたら嫌になりますね。

だからこんな人が帰ってきて、日本の国に本当に毒になっても薬にならんですね、あの人たち。
だから帰ってくる必要が無いんですけども、国もあの人たちを受け入れて、それで執行猶予で放免して、そして今度自由に往来できる、それが本当に納得行かないですね。
それはある程度その人たちにやはり監視をつけて、北朝鮮内ですけれど束縛しないと、いかんと思います。
そんな自由に出来て、良いこと絶対に無いですからね。
スパイを日本の国に入れたのと同じなんですからね。
だからそこのところは日本の政府をなんかこう、どんな気持ちでどういう事をされるんかなぁ?という、納得がいきませんから、私たちにしたら帰ってくる必要はないと思います。

★川添友幸会長

どうもありがとうございました。

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第13回藤沢集会13 大沢茂樹さん

『大沢茂樹さんのお話(特定失踪者・大沢孝司さんの兄)』

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皆さんこんにちは。
ただ今紹介をあずかりました特定失踪者・大沢孝司の兄、大沢茂樹と申します。
本日は第13回藤沢集会に参加させていただきましてありがとうございます。

――――――――――――――――――――――
大澤孝司さん(佐渡の曽我さん母子失踪地のすぐ傍で失踪)
失踪年月日 昭和49(1974)年2月24日
生年月日 昭和21(1946)年6月21日
当時年齢 27歳
当時身分 新潟県佐渡農地事務所勤務
失踪現場 新潟県佐渡郡新穂村

自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。当時事務所には50~60人が勤務、うち15~20人程度が本土から単身赴任で来ていた。失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我さんと違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。元同僚の話では「失踪の2~3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。北朝鮮製と思われるマッチが漁の前あたりに落ちていたという。平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。

※失踪者の情報は特定失踪者問題調査会のHPより引用
――――――――――――――――――――――――
正直言って私、今日は有本ご夫妻のお話、それと斎藤さんの話、それと荒木先生、高先生のお話を聞くために本日参ったのですが、ここに来たら神奈川の会長から「特定失踪者家族を代表して一言話を」と言われて、非常に困っております。
正直何も考えてきませんでした。
ということで恥をかかない前に簡単にですね。
お話をさせていただきます。
また私の話の前に、本日特定失踪者のご家族が私を含め三家族が来ておりますので、ご紹介させていただきます。

昭和51年の7月30日、神津島で行方不明になられた高野清文さんの妹さんが来ておられます。
高野さん。(高野美幸さん、会場で立ち上がり会釈 会場から拍手)

――――――――――――――――――――――――
高野清文さん
失踪年月日 昭和51(1976)年7月30日
生年月日 昭和31(1956)年10月31日
当時年齢 19歳
当時身分 電気通信大学2年生
失踪現場 東京都神津島村の民宿から
失踪状況
大学寮の仲間と神津島へ行き行方不明に。前日に山へ行くと言っていたため、神津島村の天上山を捜索するが発見できず。同月12日に隣の新島でも若い女性が行方不明になっている。
※失踪者の情報は特定失踪者問題調査会のHPより引用
――――――――――――――――――――――――

昭和47年の11月1日、東京渋谷区で拉致された生島孝子さんのお姉さんの生島馨子さんがお見えになっておられます。(拍手)
生島さん、大変すみません、時間の都合で帰られたそうです。

――――――――――――――――――――――――
生島孝子さん(脱北者による目撃証言あり)
失踪年月日 昭和47(1972)年11月1日
生年月日 昭和16(1941)年6月14日
当時年齢 31歳
当時身分 港区役所麻布支所交換手
失踪現場 東京都渋谷区

当日、一日の年休届けを出し勤め先を休む。朝、同居していた妹に「夕方に電話があったら出かける」と言っていた。衣類の入れ替えをし、夕方クリーニング店に衣類を出している。孝子さんは翌日出勤時に着る服を揃えておいて出かけていた。その夜何の連絡もなく帰宅せず。翌2日夜、自宅に電話があり、しばらく無言の後、「今更仕方ないだろ」と男性の声とともに切れた。平成16年9月29日、警視庁に告発状提出。

※失踪者の情報は特定失踪者問題調査会のHPより引用
――――――――――――――――――――――――

そしてもう一家族、横浜市戸塚区で拉致された寺島佐津子(てらしま さつこ)さんのお母さんとお父さんが本日参加する予定でございましたが、寺島佐津子さんのお父さんが今朝急に倒れられ、救急車で病院の方に搬送され緊急入院のため、本日お越しになっていません。

――――――――――――――――――――――――

寺島佐津子さん(鎌倉の海岸で失踪)
失踪年月日 昭和54(1979)年8月10日
生年月日 昭和35(1960)年7月26日
当時年齢 19歳
当時身分 銀行員
失踪現場 神奈川県横浜市戸塚区

失踪当日、勤務先の支店の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、10時に現地解散。同僚と鎌倉駅で別れ、戸塚駅からバスで帰宅途中に行方不明。翌日、自宅近くの草むらからセカンドバッグが見つかる。警察犬の捜査でもここまで来たのは間違いない。

※失踪者の情報は特定失踪者問題調査会のHPより引用
――――――――――――――――――――――――

私の弟は昭和49年2月24日に新潟県佐渡島で、曽我さんたちが拉致された真野町の拉致現場から7~8キロしか離れていない、トキの保護センターのある新穂村というところで北朝鮮に拉致されました。
事件当時弟は27歳の独り者で、新潟県庁の出先機関であります、佐渡の農地事務所に勤務する新潟県庁の職員でございました。
今から32年前の事件でございます。
曽我さんたちの約2年半前の事件でございます。

私たちの家族、家族会のご家族も含め年々高齢化して来ております。
ですからもう時間がございません。
一刻も早くこの拉致問題を解決していただかなければならないと思います。
先ほど帰られましたが、生島さんのお母さんは孝子さんの目撃証言も出ており、近々再会出来るものと楽しみにしておりましたが、昨年99歳で残念ながら亡くなっております。

私どもの親も例外ではなく、父親は今現在96歳です。
母親は弟が失踪したショックで体調を崩し、昭和63年に他界しておりませんが、私は父親が元気なうちに弟と一刻も早く再会を果たしてやりたく、このようにしてお話をする機会があれば、微力ではございますが加勢させて頂きます。

私は何が何でも今年中には、小泉さんからこの拉致問題を全面解決していただきたく、今年の1月私の故郷であります新潟県の越後一ノ宮と言う弥彦神社で、今新潟の方は大雪で大変でございますが、2日3日と街頭署名をやり、拉致問題を訴えて多くの方々からたくさんの署名をいただき、また激励やら励ましの言葉をいただき感激して帰ってまいりました。
どうか、私は何が何でも今年中には解決していただきたく、それには更なる皆さま方のご支援とご協力がなければならないと思っています。

どうか今後ともよろしくお願い致します。
ありがとうございました。(拍手)

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第13回藤沢集会14 野口孝行さん

『野口孝行さんのお話(北朝鮮難民救援基金)』

※脱北者の問題を扱ったドキュメント・フィルム「ソウル・トレイン」の上映会の説明

みなさんこんにちは。
北朝鮮難民救援基金の野口と申します。
前回もお時間を頂きましてトライをしたんですけども、不備がございまして最後まで上映する事ができませんでした。
今回もですね、機会を頂いたのでまた上映をしたいと思います。

簡単にですね、この映画の説明をしたいんですが、アメリカ人のジム・バトワーズ(Jim Butterworth)さんと言う方が、ある集会でたまたま北朝鮮の脱北者の問題に触れまして。
それまで自分は映画とか作った事がなかったんですが、この問題にすごく心を動かされて自分でも映画を作ってみようと、自分の私財を投げ打って作った映画がこの映画です。

去年の夏の事なんですが、北米でテレビの地上波でこれ放送されたそうで。
で結局その影響だと思うんですが、私たちの難民救援基金の方にですね。
Eメール、もしくはHPの方にですね。
「この映画を観た」というアメリカからの便りが来たり、寄付金を送って来てくれたりと言う人たちが出てきています。

やはりですね。
この北朝鮮の問題で必ず、脱北者の問題をネットなんかで調べると必ず拉致問題とかですね。
今必ず行き当たると思うんですね。
逆に拉致問題に興味を持つ人たちもですね。
やはりその先には北朝鮮の人権の問題に行き着くという、こういう相関関係があると思うので、ぜひですね。
お時間遅くなりましたが、時間の許す方がいらっしゃったらですね。
1時間弱の映画になっています。
どうか御覧になっていただきたいと思います。
よろしくお願いします。

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 ★北朝鮮難民救援基金
 http://www.asahinet.or.jp/~fe6hktu/
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第13回藤沢集会15 川添友幸 救う会神奈川会長

『川添友幸 救う会神奈川会長 閉会の辞』

今日は本当に長時間、ありがとうございました。
私たちもこれから2月のよど号の帰国という事に向けて、19日に警察の方に要請に行こうかと言う話も出ております。
ともかく実行犯が帰ってくると言う事をこれは絶対に許しちゃいけないですし。
今二つの実行犯と言うこと。
辛光洙の問題とこのよど号の帰国と二つ、動き始めてます。
ぜひですね。
皆様の今後の監視の方をよろしくお願いします。

次回の講演会のお話なんですが、次回会場がちょっと変わりまして、日時が4月16日。
会場が横浜の開港記念館です。
こちら、なぜか開港記念館にするかと申しますと、昨年の4月横田さんをこちらにお呼びしたときにですね。
会場が一杯になってしまって、急遽向こうを借りたりしてやった事もありました。
それでやはりもっとちゃんとした会場を取った方が良いんじゃないかという事になりまして。
講演会自体を「横田めぐみさん等の拉致被害者を救出するぞ!北朝鮮による拉致・人権問題を考える神奈川県民集会」と、ちょっと県の単位でですね。
今神奈川県や横浜市の応援をお願いしながらですね。
ちょっと大きい集会を企画しています。

ですので、4月16日は横浜の開港記念館の方で。
横田滋さんの方が今ちょっと体調不良で療養中と言う事もありまして、どうかな?と思ってるんですが。
先日早紀江さんとお話した感じでは、近くですので参加すると言うような感じで言っておられました。
また今後情勢が動くかもしれませんが、そういう状況を考えています。

あと特定失踪者調査会からは杉野さん。
今お話いただいた野口さんの北朝鮮難民基金の事務局長であります、加藤博さん。
以前私たちの会でお呼びしました韓国の拉致家族会の崔祐英さん。
あと、特定失踪者家族の森本美砂さんをお呼びしようと思っています。
弁護士会の木村晋介さん、テレビ等に出られている。
も、ご快諾を頂きましたので、この問題大きい集会をやろうと思っています。

で、こちらの会場についてはまた7月に企画を、先の話なんですが考えてまして脱北者の方をお呼びして。
去年脱北者の方をお呼びしたような、また脱北者の方をお呼びしたいなと考えております。
何とかそれまでにですね。
何らかの形で解決なり何なりの方向とかになって頂ければ良いと思うんですが、非常に難しい情勢かもしれませんが、皆様の協力だけが頼りだと思いますので、ご協力の方よろしくお願いいたします。

あと本当に情けない話なんですが、私どもいつも会場の方ですね。
これカンパでやっておりますので、また皆様のご好意がありましたなら、その辺の事もよろしくお願いします。
本日は本当に長い時間、ありがとうございました。
また映画会もありますので、この後ご協力の方、よろしくお願いします。(拍手)

・・・集会終了後、「ソウル・トレイン」の上映会があって、全ての予定が終了・・・

★救う会神奈川
http://www.geocities.jp/sukuukai/

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2005年7月17日 (日)

(1)川添友幸 救う会神奈川会長代行 開会の辞

第11回「拉致被害者と家族の人権を考える市民集会
~拉致を語らずして人権を語るなかれ~」


講 師: 横田拓也さん (横田めぐみさんの弟)
     斉藤文代さん(松木薫さんの姉)
     平野フミ子さ(増元るみ子さんの姉)
     市川龍子さん (市川修一さんの義姉)
     真鍋貞樹さん(特定失踪者問題調査会理事)
     匿 名 (脱北者)

午後1時30分開場・午後2時開演(午後5時30分終了)
場 所: 藤沢産業センター
(JR藤沢駅北口より徒歩5分・藤沢郵便局隣り>
主 催: 拉致被害者と家族の人権を考える湘南の会実行委員会
共 催: 北朝鮮に拉致された日本人を救う神奈川の会
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川添氏挨拶


今日はですね、皆様ご来場ありがとうございます。
今までうちの会長がご挨拶していたと思うんですが、ちょっと都合でですね。
これから私が会長代行という事になりましたのでご挨拶させていただきます。
今日は暑い中、本当に皆さんありがとうございます。
明日、町田の方でちょっと集会があるので人数心配していたんですが、これだけ来て頂いて嬉しい限りです。

今日これからこちらに講師の方と、今ですね。
ちょっと控え室の方にいるんですが、インターネットでは榊原さんと言うお名前になってたんですが。
ちょっと急遽調子が悪いということで、Yさんと言う方で、ほとんどまだメディアに出たことのない脱北者の方です。
ちょっとですね、顔がですね。
出ると色々あるということで今対応を協議してますんでですね。
我々もまだ慣れていないところがあると思いますがですね、よろしくお願いいたします。

6カ国協議も始まりですね、拉致の問題中々難しい状況が来てるかもしれません。
しかし今回第11回。
あまり回を重ねることは良いこととは私たちは思いませんが、この問題をですね。
続けていき、拉致問題更に特定失踪者問題。
個人的に私よど号をずっと追いかけてますが、よど号拉致事件問題。
更にですね北の人権問題。
強制収容所や脱北者を含めた問題。

なんとかですね、これをしていかなければならないと思っていますので、毎回毎回皆さんの参加だけがこの神奈川の会、頼りとなっております。
ぜひですね、よろしくお願いいたします。
私たちもこれ素人の会ですので、不慣れな点もあるかもしれませんので、アンケートの方がありますんで。
また、それに書いていただければそれを参考にしていきたいと思いますんでですね。
よろしくお願いします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
テキスト化に当たり、脱北者のお名前は証言者の都合により匿名といたします。
悪しからずご了承ください。
 話の花束ぴろんさんのテキストです。

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(2)市川龍子さんのお話



実は私40年前に藤沢の高校を卒業いたしまして、国立横浜病院、原宿にありますね。
戸塚区の。
あそこに勤めていたもんですから、藤沢って聞いたときに嬉しいやら。
この藤沢の駅に立った時には感慨ひとしおでしたけれども。
がらっと変わっておりますので、ほとんど面影はなかったですね。
でも、まぁ藤沢に来れて本当良かったなぁと思ってます。
鹿児島なんですが、母校とかは行く暇無いと思いますけど、今日は皆さんにお会いできて本当に良かったと思っております。

聞いていただきたいと思います。
私はですね。
53年の8月12日。
皆さんご存知だと思うんですが、鹿児島の吹上海岸と言う所があります。
ここは、夕日はとってもきれいに見える海岸なんです。
鹿児島の吹上浜で北朝鮮の工作員に拉致された市川修一の義理の姉に当たります。

その8月12日に、弟が修一が23歳の時でした。
平野さんの妹に当たります増元るみ子ちゃんと二人でですね。
吹上浜海岸の夕日を見に行ってくる。
10時までには必ず帰ってくると双方の家族に約束をしてそれっきり、忽然と姿を消してしまったんです。
将来を約束しあっていたのかどうか?私たちには分かりませんが。

その日修一がですね。
わくわくわくわくしながら、るみ子さんとデートが出来るという嬉しそうな姿をですね。
当時修一の実の姉と同じ敷地内に住んでいましたので、弟の修一の嬉しそうな姿を今でも目に焼きついている。
残念ながら実の姉はちょっと重い病状に伏せっておりますけども、この姉が、私には義妹になるんですけども、修一からは実の姉ですね。
姉の所からいなくなったもんですから、私はその姉と母にですね。
一刻も早く(修一を)抱かせてやりたい、って気持ちであちこち回っております。

修一とるみ子ちゃんはどんなにかね、夢や希望に胸を膨らませていたと思います。
修一は向学心も旺盛で、当時通信教育の大学生としても勉学にも励んでおりました。
通教の学籍番号もきちんと、私が毎月送られてくる冊子で覚えております。
Eの7609279の番号で毎月送られてきておりました。

そして何より親孝行な修一でした。
だからそんな修一がですね。
自分から姿を消すということは無いんです。
当初は家出かな?蒸発かな?駆け落ちかな?というふうに世間からは見られておりましたけども。
あとは誘拐かな?交通事故にあったかな?暴走族にあったのかな?
タコ部屋って、私は知らなかったんですが、そういうタコ部屋に連れて行かれたのかな?
神隠しにあったのかな?
果てはUFOに連れて行かれたんじゃないか?と本当にですね。
まったく雲を掴むような不可解な事件が8月12日に起きたんです。
来月でもう27年になります。

延べその時にですね。
1500名ほどの大掛かりな捜索が始まりました。
ビーチクラフトで、また地元の漁船が網を張って海の底に沈んではいないか?
砂浜に埋められてはいないか?と思って、みんな横一列に5人6人並んで棒を持って砂を突きながら埋められてはいないか?といってですね。
棒を突きながら大捜索を行いました。

でも当日はですね。
キャンプ村で浜辺で、コンサートがあったんです。
その日はたくさんの人出であったんですけども、松林を通って浜に行く中継にロータリーがあるんです。
そのロータリーに修一の車が駐車してありました。
その車の1~2メートルのところで2匹の警察犬がもうクンと鼻を上げたんです。
そこでプッツリと匂いが切れてしまったんです。
多分4人の工作員に拉致されて、格闘したかどうか分かりません。
そこに片方の修一のサンダルが縦にひっくり返って落っこってたんです。

消息(を絶って)から10年、1988年・昭和63年です。
国家公安委員長がですね。
梶山静六さんでした。
3組のアベック失踪事件・一件の未遂事件は北朝鮮による拉致による疑いが濃厚であると、はっきりと国会で答弁されたんです。
でも、それっきりなんです。
ずっと闇に葬られたままでした。

でも何の進展も無くてですね。
ただ容赦なく月日が流れていく中で、私たちに一条の光が見えたのが1995年昭和70年です。
韓国に亡命した北朝鮮の元工作員・安明進氏、ご存知だと思います。
安明進氏が修一を目撃していたんです。
数枚の写真を指差しながらですね。
この男性とは何回も会っている。
修一のことです。
金正日政治軍事大学で何度も見ている。
セブンスターをもらった事もある。
会話もした事もある。

そして修一のヘアスタイルですね。
右わけなんです。
左わけじゃなくて右わけです。
その分け方ですとかね。
良く赤いネクタイをしていましたとか。
そういう修一の特徴となることを本当に詳細に語ってくれたんです。
韓国から石高プロデューサーって方から国際電話が入りました。
それまで修一がどこにいるのか?死んでいるのか?本当に分かりませんでした。
その時韓国から国際電話が入ったときに、修一が生きているという知らせを受けた時の母の号泣は、主人は未だかつて見たことが無い、聞いたことが無いというくらい母は大号泣で泣いたそうです。

この後からなんです。
我が家では修一の修の字も話も全部禁句でした。
この後から北朝鮮にいるということを聞かされてから、母は毎年毎年修一の衣装箱を開けて洋服を虫干しするようになったんです。
いつ帰ってきてもすぐ着れるようにでしょうか?
今となっては流行がありますから着れる筈もありませんが、それでも毎年毎年虫干しをするようになりました。

母はもちろんです。
私たちも23歳の修一の顔しか思い浮かびません。
27年も北朝鮮で誕生日を迎えているんです。
今年でもう51歳になるんです。
23歳の時です。

北朝鮮に連れて行かれたのだと分かってから、両親は北朝鮮と韓国の国境の38度線の鉄柵の前であらん限りの声で修一と叫びました。
「修一どこにいるの?顔を見せて!姿を聞かせて!」ってですね。
断髪的に鳴り響くんです、向こうでは。
そんな轟音の中ですから、母の声なんて聞こえるはずもありません。
それでも叫び続けました。
今にも鉄柵を乗り越えて修一を探したい、連れ戻したい。
38度線を振り返り振り返り、空しく鹿児島の方に帰ってきました。

世界のいずこの国であれ、子を思う親の気持ちに変わりは無いと思います。
気が狂ってもおかしくないぐらいの27年をずっと続けております。
横田めぐみちゃんのお母さん、有本恵子ちゃんのお母さん、増元るみ子ちゃんのお母さん、そして松木薫さんのお母さん。
市川修一の母の心情を歌った詩があります。
もう聞かれた方もあるかと思いますが聞いてください。

 どこに我が子がいるのかと 捜しましたよこの母は
 すがる術ないしがらみで 涙こらえる忍冬(すいかづら)
 星も凍てつく雪山に 母は雛鳥捨て置かぬ
 腹を痛めた可愛い子を 命かけても連れ戻す
 千里万里は厭わない 可愛い我が子に会えるなら
 親子絆の赤い糸 手繰り続ける歯痒さよ
 これが地獄と言えぬなら 他に地獄がありますか
 生きて子どもが帰るまで 望み捨てずに春を待つ

拉致被害者家族の母の心情です。
分かってください。
待って待って待って待ち続けて27年です。
北朝鮮の金正日の命令で工作員による残虐非道な拉致によって、一瞬にして若い修一とるみ子ちゃん、めぐみちゃん。
たくさんの拉致被害者の青春が人生そのものが狂わされて、そして私たち家族が辛く長い闘いが続いているんです。
たくさんの事件がある中でよその国の者がこっそり入り込んで人をさらっていく。
誘拐とか人攫いとかと言う言葉は私は知っておりました。
拉致と言う言葉は知ったのはこのときなんです。
皆さんもご存知だと思います。
本当に拉致と言う言葉は知りませんでした。

両親が毎朝発する会話に
「お父さん、修一が帰ってくるまでは何としても元気な体で修一を迎えてやりましょうね。
ボケないでいましょうね」
と言って毎朝二人は、老夫婦は会話しています。
無農薬の野菜を自分で作って野菜ジュースですか?
それをジューサに掛けて毎日飲んで、気を使って。
二人で一人前だって言いながら、庇いあって生きています。

そんな両親ももう90歳なんです。
毎朝毎晩仏壇の前に座ります。
母の背もだんだんだんだん小さくなってきました。
この背中から修一の名を呼ぶような母の姿が不憫でたまりません。
同居して31年ですので、手に取るように分かります。

 今日もまた祈る姿が痛ましい いとしい吾子を抱く夢見て

自分ながらに慰めながら短歌を作っています。
辛いのに我が子の帰りを待ち続けています。
皆様ご存知のように2002年9月17日、金正日は拉致を認めて謝罪しました。
5人生存8人死亡と知らされた時、私たち夫婦・長男もおりました。
頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けました。
「人の生死に関わる問題ですので、国に確認作業をした結果です」
とんでもないです。
北朝鮮からの一方的な通知でした。

植竹副大臣に食って掛かりました。
「殺したんでしょう?殺されたんでしょう?どうしてくれるのか?」って。
植竹副外務大臣に言っても仕方ないんですが、それくらい分かりませんでした。
鹿児島の母に何ていえば良いのかなぁ?って。
行方不明だって言おうと言って嘘をつこうと思ってたんですが、全国放映でしたので母はそれをテレビでしっかりと見ていました。

 待ちわびて届いた知らせに打ち震え 母の姿がまぶたに浮かぶ

短歌がすぐ出来ました。
安明進氏の目撃証言は1991年の7月なんです。
それが拉致した翌年、1979年9月4日に元山海水浴場で溺死って言ったんです。
日本の緯度を辿っていけば岩手県に当たるんです。
9月4日岩手県、海水浴しますか?
冷たいです、水も。
その時は台風も近づいていました。
泳げない修一は水が苦手でした。
ましてそこは遠浅です。
元山海水浴場と言うのは遠浅なんです。
ここでいまだかつて溺れた人はいません、という証言も出ております。

安明進さんが1993年脱北するまでの証言がちゃんとあるんです。
その安さんも命懸けで、私は命が尽きるまでこの拉致問題に一生懸命証言していくって言って、一生懸命私たちと一緒になって頑張ってくださっています。
そして10月15日、5人も被害者が24年ぶりに日本の土を踏みました。
感無量の一日でした。
と同時にあのタラップから降りてくるメンバーの後ろに修一がいたらなぁ・・・って、夫婦二人で手を握り合いました。
もしかしたら安倍さんの後ろからもう一人誰か降りてくるんじゃないか?
修一が降りてくるんじゃないか?と目を凝らしましたけども、誰もおりませんでした。
帰国者の喜びの涙と無念の涙が入り混じった本当に辛い一日でした。

そして5月22日は小泉首相が再訪朝されました。
一刻も早い原状回復と事実関係の解明。
処罰・賠償の手続きとか、また400名以上とも言われる特定失踪者の道筋をつけて来られる物と期待しておりました。
奄美沖での不審船銃撃事件も、なぜか全然追求されませんでした。
麻薬・密輸・旅券偽造等、何にも追及されませんでした。
それどころか反対に平壌宣言を遵守する限りは経済制裁をしない。
人道支援はする、と言われたんです。
いまも躍起になって言ってます。

平壌宣言を遵守していると思いますか?
いろんなことを画策して日本に投げ掛けてきております。
金正日は悪魔なんです。
日本人拉致を指令して、また自国民にも恐怖を与え、食料の配給もせず毎年200万もの餓死者を出しているんです。
極悪の独裁者と言っても良いと思います。
この独裁者に対して5月22日、本当に一言も、拉致のらの字も発せず、一矢も放たずに帰国されました。
私たちはこのときに悪に手を貸す共犯者じゃないか?と思うくらいでした。
その時に例のバッシングが始まったんです。

でもちゃんと見ている人は見てくださっておりました。
あのバッシングも策略に私たちはかかったんです。
拉致を認めた金正日に、被害者の奪還を果たそうと言う責任感の無い首相です。
奪還手いう意味はご存知だと思います。
どうぞこれだけお金を上げるますから、支援しますから返して下さいお願いします、と言うのは奪還じゃないんですよね?
命懸けでも連れ戻すと言うのが奪還なんです。
そういう気概は今の小泉総理には全然見えません。

小泉訪朝から2年10ヶ月です。
8人の未帰還者については今でも死亡説を繰り返し、嘘に嘘を塗り重ねて解決済みとする北朝鮮なんです。
駄々をこねて、貰う物だけは貰って。
今回の6者協議もそうだと思います。
本当、皆さん分かってくださっていると思います。
どうしようもないわが国日本に、年間で200回~3000回と言う不審船が列島に入り込んでいるんです。
そして密輸とか麻薬・スパイ工作を繰り返しているんです。
この日本でどうして可愛い子や孫やひ孫が安全に遊べますか?

青少年がヒロポンやコカインで侵されているんです。
脅かされているんです。
将来を台無しにされているんです。
本当に日本列島汚染されていると言っても過言では無いと思います。
街頭での署名活動の中で小さい子がなけなしのお小遣いをポトンと入れてくれたり、たどたどしい字で署名活動をしてくださいます。
私は感謝しながら断じてこの未来の子供たちが、安全に安心して暮らせる日本にしてやらなければならない。
その為に拉致被害者が犠牲になって今北朝鮮にいるんだ。
そして北朝鮮で拉致被害者が、「日本国よ、日本国民よ、真の国民になってくれ、目を覚ましてくれ」とい言って叫んでいるんじゃないかと思うんです。

 拉致問題世論の後押しもう一歩 国家の誇り取り戻せ今

国民の皆様に呼びかけたいと思います。
いつもわが国に対しては、日本人の心の隙を付いて様々な画策をかけて挑戦して来ております。
憎くて不気味な無法国 テロ国家北朝鮮のならず者無知無能の金正日と私は叫びたいと思います。
悪の枢軸、北朝鮮の危険な男・金正日と、アメリカのブッシュ大統領も公言しています。
ブッシュ大統領に3回手紙を書きました。

 助けてと頼みの綱はただ一人 三度(みたび)の便りに願いをこめて

悪は悪なんです。
悪を征して初めて正義は証明されると思います。
悪をのさばらせていては次はどのような事がこの日本に降りかかってくるか分かりません。
時間稼ぎをして、核やミサイルをだんだんだんだん作っているんです。
私は金正日だけのことを言ってるんで、北朝鮮一般民衆のことを悪く言ってるんじゃありません。
反対に、同じ星の下に生まれた北朝鮮の民衆です。
悪いのは金正日の独裁政権なんです。
その独裁政権の下から自由な人権重視される北朝鮮に一刻も早くなるようにと、私は願っているんです。
一刻も早く助け出してあげたいんです。
北朝鮮の人たちに自由を味わっていただきたいんです。

2002年10月17日、我が子との再会を果たせずに無念の涙で逝ったるみ子ちゃんのお父さん。
遺影の前で弔辞を読ませていただきました。
「必ず国際世論を高める戦いをして、るみ子ちゃんを羽田のタラップの下に降ろして見せるから安心して逝ってらっしゃい」
と私遺影の前で呼びかけました。
そして私の父ももう歩くことも出来ません。
こんなになった父を車椅子を押してでも。
修一がなけなしのお金で(母に)プレゼントした大島紬があります。
まだ一度も袖を通しておりません。
大島紬を着せて羽田のタラップの下で修一を迎えさせてやりたいなと思って、私もただそれだけで一生懸命頑張っております。

すみません。
高齢の両親を抱えた私たち家族のほか、横田代表ご夫妻、被害者家族には本当に時間が無いんです。
助けていただきたいんです。
国民の皆様にお願いするしかないんです。
世論をもう一度高めてください。
そして経済制裁の即発動を首相に糾弾していただきたいんです。
金正日が困る人や物・金をストップさせる経済制裁です。
共に戦っていただきたい。
お願いいたします。
もう待てないんです。
限界なんです。

今日はですね、他にいろんなことをぜひ藤沢の皆様にも知っていただきたいと思ったんですが、主人からそれは言うなって止められたので言えません。(会場笑い声)
過去30年近くです。
外務省や大物政治家、じゃなくて政治屋です。
一流新聞、左よりの人物から受けた様々な迫害が私たちにはあります。
なぜこんなにも拉致問題が放置されなければいけなかったのか?
原因、また北朝鮮に訪問した200人以上にも上る日本の国会議員が、必ずお土産に渡されたビデオテープがあります。
このビデオーテープの件、知っている限りは本当に時間があったら教えてあげたいですけど。

ベンジャミンって方が書いた「泥棒国家の完成」と言う本があります。
読んでいただくと本当に北朝鮮の悪(わる)が分かります。
ぜひ、買って読んでいただきたいと思います。(笑い声)
最後に私はさっき言いましたように短歌が大好きなので、短歌を作ることで自分を励ましたり家族を慰めたりしています。
短歌を作っていますので聞いてください。
極寒の地で24年目の冬を迎えました冬に作った短歌です。

 巡り来る凍てつく冬の到来に 断じて生き抜け 春を信じて
 北の果て君を偲びて幾年(いくとせ)か 老いたる母の皺(しわ)の重さよ
 故郷(ふるさと)に思いを馳せる弟よ 救いの手立てに苛立ち募る
 遅々として進まぬ二国の話し合い 老いたる母に笑みの来る日は
 彼の国で助けを求める弟に 届けとばかりに声を枯らして
 老いていく我が身に鞭を打ちながら 愛しい吾子(あこ)を抱(いだ)く夢見て
 またしてもあの手この手の北の国 負けるものかと奮い立つあれ
 彼の国へ飛んで行きたい今すぐに 翼が欲しいと母の声かな
 暖かな支援の声に涙する 千人力の思いを抱きて
 弟よ君の姿を追い求め 声を枯らして叫ぶ日々かな
 またしても騙され続ける日本国 国家の威信断固示せよ
 風に舞う花の吹雪に君思う 我が家の桜も待ちに待ちたり

いつもこんな短歌を作って慰めています。
本当にですね。
もう一度皆さんにお願いしたいんです。
自分の国の国民を絶対に救うぞと。
一度も腹のそこから発してくださいません。
誰ですか?(会場内、小さな笑い声)
たまりません、もう。(小さな笑い声)

拉致被害者を無条件で直ちに帰せと、正当な要求を一度も突きつけたことのない人です。
北朝鮮に対して生存しているはずの人々に指一本触れたら承知しないぞと。
自国民の命を護るための言葉を一言たりとも発した事のない人です。
官僚のせいさい(?)丸投げで、政治のトップとして北朝鮮の嘘をひっくり返す意欲と迫力を、一度だって見せたことの無い人です。
なぜ?経済制裁を発動すると言ってくださらないんでしょうか?
さっき言いいましたように、北朝鮮の一般民衆が困るんじゃなくて、北朝鮮の金正日が困る制裁を発動せよと言ってるんです。
その経済制裁の発動が中々GOサインが出ません。
腹立たしくて地団太を踏んでおります。
本当にですね、私たちはこの一言でいいんです。
一言で向こうはどういうボールを投げ返してくるのか分からないんです。

だからいつも、一昨日14日ですか?
町村外務大臣に会いました。
小泉首相に
「小泉首相はいったい拉致被害者を救いたいのか?救いたくないのか?を聞いてください」
と、私は言ったんです。
それが全然見えないもんですから、問うてください。
小泉首相に問うてくださいといました。
それと
「町村外務大臣、あなたは日本の国がこんなにもコケにされて馬鹿にされているのに、腹が立たないんですか?」
と聞いたら、「コケにされておりません」と。
町村さんはそう仰いました。
だからもう町村外務大臣も期待していいのか?わかりません。(笑い声)

もう皆様に頼るしかないんです。
本当にどうぞよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。(拍手)

 話の花束ぴろんさんのテキストです。

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(3)斉藤文代さんのお話


神奈川の皆様、こんにちは。
暑い中こんなにたくさん私の話を聞いていただけると本当に私も今日は胸がいっぱいで。
今日藤沢に来て良かったなぁと思っております。
聞こえますでしょうか?
だいたい私地声で声が大きいんですけど。
ちょっとの間、よろしくお願いします。

私の弟・松木薫は1980年にですね。
スペインのマドリッドから北朝鮮の方に拉致されました。
拉致した犯人は森順子さん若林さんと言う、二人で拉致したんじゃないか?というようなことで警察の方から私はお話を伺っております。

私の弟は、父には「スペインに行くときは1年で帰ってきますので、ぜひ行かせて下さい」ということで。
父はその当は、時絶対駄目だということで反対しましたけれど。
私たち家族、母・私「これから先は何でも勉強することは大事だから、お父さん最後の願いだと言ってるから、行かせてやってください」と願いしたのが今でもちょっと後悔しております。
あの時父が反対したように皆で反対しておれば、こういう事もなかったんじゃないかな?と時々布団の中で考えて眠れない時もあるんですよね。

父も折れまして、じゃあ1年だけということで許してくれて、弟は最後のバイトの、富士山でバイトをしてまして。
その費用と父から貰った費用でスペインの方に渡って語学の勉強をしてたんですけれども。
まさかこの26年間帰って来れなくなると、思うことは一回も無かったわけです。
私も本当に可哀想な子だなと、思っております。
80年に拉致されてから全然帰ってこないので父はもう慌てふためいて、スペイン大使館だの外務省だのとずい分駆けずり回って探してくださいということでいろいろお願いして回ったんですけども。
その当時は門前払いで、外務省の方も「まぁそのうち気が向いたら帰って来られるんじゃないんですか?」と言う簡単な気持ちだったので、父も本当にずい分いろんな所へお願いして回って助けてやることも出来なくって、亡くなりましたけども。
本当に父も無念だったと思います。
本当に可哀想な父だなぁと思っております。

その後に私の母が、その後活動を続けなければいけないんですけども、母はうちにおるおとなしい母でありまして。
父の言われるがまま、父の指導のままで付いて回るようなおとなしい母なものですから。
本当にショックが大きかったと思います。
本当に今思えばですね。
88年に平壌で石岡さん・有本さん・弟が暮らしていると、いうことが分かりましたけれども。
父はそういうことも出来ないままにあと亡くなりました。
そして母の方に手を差し伸べて亡くなってたんですね、床でね。
それを考えると何と北朝鮮は憎いところなんだろうと、いつもいつも思います。

未だかつて北朝鮮から帰って来れないということが本当に私の母は悔しいんだと思います。
今病院の方に入院しておりますけども、あんまり病状は良くないんですね。
でもあの、何としてでも薫に会うまではという気持ちが強いんですよね。
だからもう吐血も何回もしてるんですけども、その度ごとに私も一生懸命「頑張って頑張って」と言って励ましているんですけども。
母も「頑張ります」と言ってくれますので。
辛い気持ちで冷たい言葉を浴びせるときもあるんです。
「あんたがいないと(薫が)帰って来たって、母ちゃんがいないと泣くよ」って。
「薫が泣くよ」って言ってですね、
「頑張りなさい」って耳元で大きな声で怒鳴る時があるんです。
でもやっぱりそうやって母を元気付けさせないと、帰って来るんだと思って母は待ってるんですから、絶対に会わせるまでは私も頑張らなければいけないなぁと思いまして。
皆さんとこうやって活動させていただいております。

本当にもうよど号の妻たちは平気で日本に帰ってきて、のほほんと暮らしておりますけども。
なぜこんなに日本の政府が長年助け出してくれないのか?と思うと、毎日辛い思いでですね。
本当に毎日毎日、主人に分からないように布団の中で私涙流して、寝る時あるんですよ。
何も自分が出来ない。
なんでこんなに自分で一生懸命やってるつもりでも政府は動いてくれないんだ、やっぱり駄目なんだなと思いつつも、やっぱり母が待ってるし。
私たちが頑張らなければ、母に対しても申し訳ないし。
母も私がいつもベッドでですね。
「母ちゃん」って、「薫が帰って来たら何ていうの?」って。
「お帰りなさいって、私玄関の前で車椅子に乗って迎えに出るんだ」といって。
歯も無いもんですから大きい声で練習してるそうなんです。
それを見たら、聞いたらですね。
絶対会わせるまでは何が何でも私が倒れるまではやらなければいけないと思いつつ、一生懸命皆さんに活動させてもらってこうやって回らせてもらってますけども。

本当にうちの家族の場合には骨も2階もあずけられたんですよ?
死んでると言ってですね。
でも私は最初から信じておりません。
骨は2回目は動物の骨まで混じってるわけですから、他人様の骨そんな骨を、私は橋本先生に鑑定していただいて本当に良かったと思っております。
あの時に受け取って父のお墓の中に入れていたら父も泣いて。
あぁ、私はひとつだけは良い事をしたんだなと思って。
絶対に受け取らないといって跳ね除けましたので、そこだけは父に対して良い事をしたと今でも思っております。
父の墓に入れていたら、父も本当に私の所に毎日毎日出てくるんじゃないか?と思うくらいに、思うとぞっとしますんで。

この間の第3回実務者協議のときもやはり松木薫さんの骨ですと、いって持って帰ってきたときもなんだと思って、何で持ってきたんですか!って政府の方に言いました。
前の時も偽物だったじゃないですか!って、今回もまた偽物だったらどうするんですか!って。
どう責任取るんですか?って、私は言ったんですけども。
出された物は全部持って帰ってくることにしてましたんで持って帰ってきましたと。
このような答えしかないわけですよね。
本当にめぐみちゃんの骨も偽物なんですよね。
なんてひどいことをする国なんですか?
本当に許せないですよ。
めぐみちゃんは13歳ですよ?

そんな子供を連れて行っておいてね。
本当に骨ですとかね。
弟の2度も骨ですとか渡すということは私は北朝鮮は許せない国だと、自分でも優しい心はあるんですけども。
5人が帰って来たときは、今度はうちの番だと、今度はうちが帰って来るんだと。
言い聞かせながら、そんなに人を恨んだらいけないいけないと思っておりましたけれども。
もう我慢が限界に来ているわけですども。
母もいつそういう状態ですので、薫に会えないかも知れない。

そういうことを考えたら、絶対にこれから時間もないし。
皆様にお忙しい中時間を作ってきて頂いて、お願いするのも申し訳ないんですけども。
やはり世論の力、皆さんの力を借りて私たちが頑張るしかないと、早期解決が出来るように何としてでも知恵がありましたら私にもお聞かせください。
私も出来る限りのことはしておるんですけれども、何としてでも日本政府が動いてくれなければ、北から家族皆を助け出すことは出来ませんので、どうか皆様力をこれからも貸して下さい。
今日は皆さんとこうしてお話させていただきまして、良かったと思っております。
これからも頑張りますのでどうぞよろしくお願いいたします。(拍手)

※斉藤文代さんのお話は終始涙ぐまれてのお話でした。

話の花束、ぴろんさんのテキストです。

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(4)平野フミ子さんのお話



こんにちは。
今日は本当にありがとうございます。
やっぽり暑いですね。
熊本も35度くらいあるんですけども、こちらも負けずに暑いなぁと思って。
ここにお集まりの皆さん、拉致被害者を助けたいっていうその思いと、こんなに日本が駄目になったどうしたら日本を立て直すことが出来るんだろうか?
ちゃんとしたまともな国にする事が出来るんだろうか?とそういう思いの、日本が大好きな人たちが集まってくださっていると思います。
本当に感謝いたします。
ありがとうございます。

私の妹、さっき龍子さんが仰いましたけども。
修一さんと一緒に吹上浜に行って、その時に車の中にカメラがあったんですね。
その時にお互いに撮った写真です。(ホワイトボードに掲げられたるみ子さんと修一さんの写真を指差す)
ですから拉致される数時間前に撮った写真を現像しましたら、このように暑い8月の12日ですから、盆の前の日ですから。
サングラス掛けて、帽子かぶってますけども。

それを蓮池祐木子さんにですね。
帰国した翌年ですね。
「この写真はふけてるね」って仰いました。
私たちもそう思います。
これが拉致される2ヶ月前にいとこの結婚式に父と二人で出たときのスナップ写真ですね。(るみ子さんの写真を掲げる)
あの本当にふたり、これは一人で写ってますけど。
本当に父は妹を可愛がっていましたので、恥ずかしそうな顔で父と妹が一緒に写っている写真もあります。
それが1枚でしょうね。
父とるみ子が一緒に写ってる写真と言うのはですね。

本当に妹は良い子でした。
身内ですから、あの第3者として見ても親思いの良い子でした。
私が代わりに行けたら良いのになぁ、と思うくらい親孝行の子でした。(少し涙ぐみながら)
その日は私と妹は同じ鹿児島市内の会社に勤めておりましたので、(車で)私を降ろしてから妹は会社に行ってるんですね。
8月の12日、ちょうど土曜日でした。
半ドンでしたので、今日は修一君と一緒に吹上浜に夕日を見に行くんだっていうふうに、2~3日前から言ってたもんですから。

私もまだ修一君の顔は一回かニ回見たくらいででですね。
直接お話したことは無いです。
でも実直そうな感じの方でですね。
妹も今の24歳と違って昔の24歳と言うのは本当に真面目って言うか、子供ですね。
妹は暗い所が嫌いだから、ちょっとこう男性を、修一君も男性ですから、暗い所でちょっと手を握ろうとしますよね?普通ね。
嫌ってして、こんなふうにしてするんだよって。(体をよけるしぐさをしてみせる)
妹が私にこんなふうに嬉しそうに、恥ずかしそうに話をしてくれたのを思い出すんですけども。

そんな真面目な子がですね。
10時になっても電話くれない。
12時、1時、本当にその夜はまんじりともせずに夜を明かしました。
本当に私たち母と、父はちょっと船に乗ってましたので、分かりませんでしたけれども。
なんでこんなに遅いのか?
今までこんなこと無い。
携帯電話も無い時ですからね、連絡もつかないですよ。
何でるみ子こんな事、今まで一度も無いことだよね?って、事件にでも巻き込まれたんだろうかね?って言って警察に届けても警察は取り合ってくれません。
アベックで出てますから。

駆け落ちじゃないか?とか、ラブホテルにいるんじゃないか?
そんなことをする子じゃないんです!って言っても何も事件が表に出てこないもんですから、警察は取り合ってくれません。
市川さんの家族と一緒に、翌々日にですね。
吹上浜に行ったらそのような車と、スリッパと置いてあった様な状況でした。
本当に私たちは、本当に自分たちが被害者の家族になるなんて思いませんでした。
突然来るんです。
ある日突然、本当に、狙われたようにして、本当に不思議。
なんで私たちが新聞沙汰になるんだろうか?って、何でるみ子がこんな事になるんだろうかって言う、そういう思いです。

特定失踪者の方たちも私たちと同じだと思います。
私たちも本当に苦しんできました。
でも何も分からないというのが、一番の苦しみですよね。
父も妹のことを思いながら、あの世に逝きました。
本当に、どんなにか、可愛がっていた娘ですから。
一番、4人の中で一番可愛がっていた娘ですから。

私たちは父が怖くてですね。
大正生まれの頑固親父でしたから、父が怖くてあまり父と遊んだという記憶が無いんですけども。
るみ子は本当に父を慕ってですね。
もう、父ちゃんって言ってて、一番それが頑固親父にしてみれば、こんなに頑固なのに自分を慕ってくれている。
それが可愛いんでしょう。
可愛かったんでしょう。
今思えば、私も親になって初めて分かるんですけども、でもその時は子供ですから、私も。
怖い親父の所には寄り付きもしませんでしたけども。

その父がですね。
癌に倒れて、小泉さんが訪朝する。
本当に今まで1978年8月の12日拉致されてから、ず~っと、私たちは北朝鮮しかない。
産経新聞さんの方で拉致を取り上げていただいてアベックは北朝鮮に連れ去られた可能性が高い。
北朝鮮とは言ってなかった、私は第3国とちょっと覚えてるんですけども。
あ、それしかないと思ったんですね。
国交がある所じゃないですしね。
私たち個人レベルではどうすることも出来ない。

日本国政府が何かしてくれるだろう、救い出してくれるだろう。
私たちにしてみれば、放ってた状態、でした。
ですから私は妹の為に何もして上げられなかったという、すごい後悔の念がありましてですね。
こんなふうにして皆さんに訴えているんです。
後でしまった、るみ子の為に何もしてやれなかったをいうふうにですね。
顔向け、目を向けられないということが無いようにですね。
絶対にるみ子を救い出してやるっていう、あんな良い子をなんで?っていう思いがあるものですから。
皆さんにこうして訴えさせていただいております。

9月の17日に・・・あの衝撃な・・・私たちにとっては、死亡とされました。
父はもうですね。
今まで何もしなかったのに、急に小泉さんが行かれました。
その時は肺がんっていう末期っていう診断を下されていましたので、それで父はすごい期待してるわけですね。
期待すれば今度は心臓の方に負担が行くんでしょうね?
心臓も云々と言うことは何も無かったんですけども、心筋梗塞を起こしまして、絶対安静と言う状態になりまして。
そして10月になってその死亡というのを聞いたときにでも
「絶対に信じちゃおらん、北朝鮮は嘘ばっかりじゃ!」
って前から言っておりましたので。
何度も何度も北朝鮮には騙されておりましたので。
父も本当に、それは本当に断末魔の叫びでしてね。
「おれは信じちゃおらん!」
って言うことを母に9月17日にもそれは言っておりました。

10月になってから心筋梗塞もずいぶん酷くなりまして、10月15日に生存者の5人の被害者の方が帰られた翌々日にですね。
弟・増元照明にですね。
「日本を信じろ、俺は信じる」
と言うことを遺言を残しておりまして。
私はその場にいなかったんですけども、そのような事を言って旅立ちました。
私はその事を聞いて「え~?嘘だろう?」って思いました。
これほど日本の政府にですね。
拉致問題、それまで疑惑と言う形でしたので、ここまで無視され続けてきたのに。
父は本当に日本が好きだったんだな、と言う思いを新たにしたんですけども。

本当にどんなにか、妹・るみ子に会いたかったか?
常々集会って言うか、鹿児島の方でですね。
署名運動させてもらってるときに天文館、鹿児島の繁華街なんですけども、
「自分が死んで帰って来ても何もならんのだ」と。
「生きているうちに帰ってきて欲しい」っていつでも言ってました。
それはそうですよね。
死んでから会えるわけ無いんですから。
でも75、体に鞭打ちながらですね。
署名しておりましたけども。
それも叶わぬ、とうとうあの世に逝ってしまいましたけど。
あの10月の15日、生存者が帰ってきて、10月の17日にですね。
「るみ子たちのことを忘れないでくれ!」って言う。
そこまで、ギリギリまで、危篤、10月に入ってから何度ももういつ死んでもおかしくないってお医者様に言われてたんですね。
血圧はどんどん下がっていくし、それでも10月の17日、生存者が帰ってきた翌々日まで持ってくれました。

ですから皆さんに、あの、歓迎ムードの中、もちろん私たちも嬉しいです。
5人が帰ってきたことに対しては。
成果があったんだと、一人でも帰ってくればと、私たちは本当に皆で喜びましたので。
その影にはこんなして、24年間、政府は何も動いてくれなかった。
私たちはその犠牲者です。
国と国とのトラブルに私たち家族は巻き込まれているわけですね。
それをどうして国は何もしてくれなかったのか?

そっちの方の怒りもあるんですけど、とりあえずそれは置いておいて。
やっぱり私たちは家族なんだと思いました。
あと一人残された母にだけはですね。
妹を会わせてやりたい。
その思いで、るみ子を母に会わせて、とにかく体力的にも精神的にも今落ち込んでおります。
でも会えるんだと言う希望を持って生活しておりますけども。
るみ子にだけ一目会わせて、父の元にいつかは逝きますよね?
あの世に逝きます
その時の冥土の土産に私は持たせたいんです。
るみ子に会いたいよって・・・元気出して・・・あまりにも・・・可哀想ですよね。(涙で声にならず)

私も娘が一人おります。
17になります。
私もいろんなことがあって、妹がそういう状態でいなくなったもんですから、親を残していけないという思いもあったもんですから。
縁が無かったのもあるんですけども、37で結婚して38で子供産みましたので、今17歳です。
その子が13歳のときにですね。
横田めぐみちゃんはこんなときにいなくなったんだと思うとですね。
今でも私の娘はお母さん、お母さんと甘えてきます。
その事を考えるとどんなにめぐみちゃん、早紀江さん滋さんに会いたかったんだろうかと思うと、本当にいたたまれません。(このあたりまで、時折涙で声を詰まらせながらのお話)

どこまで、いつまで、被害者家族がこんなして老体に鞭打って東奔西走、日本各地。
本当に国会議員よりも忙しい生活をしてらっしゃいます。
早紀江さんは皇后陛下と同じく、頚椎ヘルニアなんです。
で、本当はこうして首を、なんて言うんですかね?
しなければいけないのに、皆さんの前では外してらっしゃるそうです。
そうしてまで皆さんの前で一生懸命訴えていただいてます。
家族の声を皆さんに聞いていただくのが一番の訴えになると、私たち時間のある限りこうして皆さんに訴えています。
でも数に限りがあります。

先日も某テレビ見てましたら、キャスターの人がですね。
「これは私の意見ですけども、経済制裁するよりも対話ですよね?」って言ったんです。
それを聞いてですね。
コメンテーターの人も「そうですよね」って仰ってたんです。
その人たちの個人的意見だといっても全国放送ですからね。
私たちがこうして皆さんと対話しているのが水の泡になっていくのが、本当に哀しくてですね。

有本恵子さんのお父さんの明弘さんも仰ってました。
月に2回講演があるけれど、だいたい500人くらいですって。
だから月1000人ですね。
年間12000人、ですね。
5年したら、5万人しか訴えられないって。
俺はもう5年しか生きられんって、ご自分で仰ってるんですけども。
5万人しか訴えられんって。
ああいう放送のキャスターの人に申し上げたいんです。
個人的意見でも私たちのこういう生の声を聞いて欲しいんです。
それでああいう発言をしていただきたいんです。

私たちの事を聞きに来てくださったのは、日テレの有田さんですね。
この間の座り込みにも3日間来て頂きました。
私たちの生の声を聞いていただきました。
そこまでしてしていただきたいんです。
ただ上っ面をですね、見ないで欲しいんです。
私たちの5月22日のバッシングも、家族だからあそこまで怒るんです。
小泉さんもあのように私たちと同じくですね、孝太郎さんが拉致されたら誘拐されたら、あのような態度を取れるんでしょうか?
私たちと同じような叫びになると思います。

そういうことにもっとですね。
日本の国家の長としてですね。
もっと国民の命を大事にしていただきたいんです。
拉致問題は小泉さんの中には無いに等しいですね。
私の感じるところでは、もう家族には3度会ったから、だからもう会う必要は無いと仰ってるそうで。
それでも私たちはそういう冷たい人だけれども、政府に訴えていくしかない。
小泉さんに頼るしかないんです。
その為には皆さんの、この怒りをですね。
小泉さんにぶつけて頂きたいんです。
小泉さんがもう一回、ちゃんとまともな気持ちにならなきゃいけないんだという、そういう気持ちにですね。
ちょっとでもなって頂けないと、そのまま北の地に。

絶対生きてるんです。
めぐみちゃんも生きてるし、修一君も生きてるし、薫さんも生きてるんです。
恵子さんも生きてます。
私のるみ子も頑張っていると思います。
絶対にあちらで頑張っている人を見捨てないで下さい。
そして特定失踪者の方々も名前すら分かってない人たちもたくさんいるはずです。
どうぞその人たちの為にもう一回、あの9月17日の怒りを私たちに貸して下さい。
本当に私たちに残された時間は無いんです。
父みたいに第二第三の犠牲者が出る前にですね。
父のような哀しい叫びは聞きたくありません。
お願いします。

私たちと同じく気持ちを同じにして、この経済制裁。
まず万景峰号を止めることなんです。
悪の温床です。
日本に覚せい剤が入って来たり、密輸をしたりですね。
偽札を多分あの船で持って来て、過去にはあったかも知れません。
無いかもしれませんけど、でもまた日本がね。
黙ってしまえば、いつ悪いことをしようと虎視眈々と構えていますので、どうぞ皆さん。
経済制裁しろという、声を発して欲しいんです。
声を発しないでは、北の思う壺です。

どうぞ怒りを、皆さんの怒りをですね。
政府に訴えてください。
私たちは皆さんに頼るしか、なす術が無い状態です。
政府の人たちにいくら訴えても暖簾に腕押し、豆腐に釘って言うんですかね。
パフォーマンス好きな小泉さんと同じく、皆さんもパフォーマンス大好きで。
二枚舌、三枚舌を使うように、私たちには感じられます。
それが哀しいかな、現実なんです。
どうぞ皆さん、もっと威厳のある、尊厳のある、プライドのある日本にして欲しい。
この拉致問題はそれを投げ掛けていると思います。
どうぞよろしくお願いします。(拍手)
本当に見苦しくて、ありがとうございます。(拍手)

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(5)真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事のお話 その1



どうも皆さんこんにちは。
ただ今ご紹介いただきました、特定失踪者問題調査会専務理事の真鍋でございます。
小泉さんに倣って、クールビズで来ております。
どうも失礼いたします。(笑い声)
一番イヤな人の格好真似るのも(笑)、どうかと思いますけれども・・・

私の方から、特定失踪者問題調査会の調査の現状、それから神奈川県の現状。
そしてそれに付随する、拉致問題全体を解決するのに何が必要かというようなお話をさせていただきたいと思います。
時間がだいぶ余っているようですので、ちょっと少しお時間をいただくかもしれませんが、よろしくお願いいたします。

最初に私ども特定失踪者問題調査会がですね、現在440名のご家族からご相談をいただいております。
私どもに届けられなくても、私たちに状況をご相談されるご家族が他にもたくさんいらっしゃいます。
本当に私ども、スタートして2年半になるんですけれども、実際これほど多くのですね。
失踪された方がいらっしゃる。
それで苦しんでいらっしゃるご家族がですね。
こんなにたくさんこの日本の、自由で、平和な、豊かな国にですね。
あるということにほんとに驚いております。

具体的な数を申しますと、日本で年間10万件失踪があるそうです。
これは警察に届けられた数ですから、警察に届けられないご家族もいらっしゃると思います。
年間10万件の失踪の内、99%くらいは5年間の内に何らかの結論が出るそうです。
拉致被害者の方もそうですし、特定失踪者のご家族がそうなんですが。
10年、20年、長い場合には40年、50年何の結論も出ないままにずっと時が流れていくご家族が年間に1000件、ということになります。

そうすると、拉致問題がいつから始まったのかというのは、まだはっきりとしていないんですけれども、仮に30年と致しましょう。
そうすると30掛ける1000ですから、3万人の失踪された方の内に北朝鮮による拉致被害者がいる事は間違いないと、思っております。

ですので、我々の所に届けられてるのは、その3万件の内の2%にも満たないくらいのご家族から、しか、実は届けられていないということですから。
我々でこうした後ろにもポスターがありますけれども。
公開された方々が220人くらいなんですけれども、我々の知らない所にですね。
必ず拉致被害者の方がいるだろうと思っております。

その証明として幾つか例をお話したいんですけども。
ちょっとホワイトボード(以下、白板と略す)をお借りしますけれども、440人の内にですね。
もう既にご存じだと思いますけれども。(白板に向かった時、マイクがハウリングを起こす)
あぁ、ごめんなさい。
デカイ声で言いますね。(マイクを外して地声で話す)
藤田進さんの写真が出てきましたね、川口にお住まいになってた方ですね。(藤田進さんの名前を板書)
それから加瀬テル子さん、千葉県の海上町(うなかみちょう、05年7月1日より隣の旭市に合併)という所ですね、銚子の近くですけれども。(加瀬テル子さんの名前を板書)
このお二人は写真が出てきたので、皆さんもよくご存知だと思います。

もう一方、先日発表しましたけれども国井えり子さん。(国井えり子さんの名前を板書)
この国井えり子さんは網走から失踪(1968年)です。
藤田進さんは当時19歳、加瀬テル子さんが17歳、国井えり子さんは16歳です。(年齢を板書。会場より「え~」と言う声)
まあめぐみちゃんが13歳ですね。
この3人につきましては、ちょっと事情があって国井えり子さんはややセーブした言い方をしておりますけれども。
私どもとしては、拉致はもう間違いないと思っているんですけれども。
写真が出てきた事情がありまして、はっきりした言明は避けておりますけれども。
はっきりいって北朝鮮から写真が出てきた方は、はっきりと判っているのは今3人です。

それでですね。
藤田進さんは、実は安明進氏の証言がありまして、市川修一さんと同じ場所にいたということです。
市川修一さんの隣にいた男性で、とても親切な男性がいたのを記憶している、と。
それで藤田進さんの写真を見た安明進氏は、この親切な若い男性は、藤田進さんに間違いないと言っていました。

それから問題は、加瀬テル子さんと国井えり子さんなんですけれども、加瀬テル子さんの夫と言われている男性、覚えていらっしゃいますか?
日本人(拉致被害者)の管理課長をしていた人物と、いうふうに言われています。
この男性が実は誰であるか?
これを私たち最重点課題といいますか、調査事項として進めているんですが。
現在のところ残念ながら判明しておりません。

問題は、国井えり子さんなんですけれども、その国井えり子さんの写真、今日お持ちしなかったのは申し訳ないんですけれども。
国井えり子さんと同じ場所にその男性(加瀬さんの夫と推定される人)が、写っているわけです。(会場より「ほほぅ」の声)
加瀬テル子さんの夫と言われている男性も、日本人で拉致されてきた方です。
それがまあ向こうに行って、洗脳されて、向こうに馴染んでしまって、仕事として日本人の管理課長をしているということでございます。

ということは、今(ご家族からの)お話がありました市川さん、増元さん、松木さん、こうした人たちを管理する部署にいたことは間違いないです。
ということは、当然帰国されてきた5人の方も知っているはずです。
知っているはずです!
当然、この男性(加瀬さんの夫)と一緒の場所にいた国井えり子さん、この方も拉致被害者であることは間違いないということになるわけですから。
ぜひですね、5人の帰国された方々は、知っているはずです。
それを是非ですね、公にしていただきたい。
そうすると、曖昧なままにいるこうした特定失踪者の方々も、政府認定という道に進む事は間違いないと思っております。

私どもとしてはですね。
私たちのデータにない拉致被害者の例として、加瀬テル子さんの夫であるし。
またですねご存知の方もいらっしゃると思いますけれども、金賢姫が証言しているのをご記憶ありますか?
田口八重子さんと一緒にいた場所に女の子がいました。
小さな女の子がいました、日本人でした。
その女の子が誰かということは、だ~れも追っかけてません。
誰だかもわかっていません。
当然我々の持ってるデータと照合してるわけですけども。
該当する失踪の年とその時の年齢と、それから金賢姫の証言と重ね合わせると、お一人だけいらっしゃるんですけれども、当時9歳で失踪です。(会場より「はぁ」の声)
この9歳の女の子と、金賢姫の証言がマッチするかどうかまだわかりません。
まだわかりませんが。
もしマッチしたとしたら、13歳より遥かに小さい子も(拉致の)犠牲になった可能性があるということです。

ですからとかく、拉致問題というとですね。
どうしても拉致被害者の、政府認定の皆さんのですね。
行動や発言、それから報道といったものが優先されてしまいますけれども。
まだまだ多くの拉致被害者が存在すると、存在する可能性が大きいと、いうことを前提にですね。
ぜひこの拉致問題を皆さんと一緒に解決していきたいと思っています。
今日も特定失踪者のご家族も来られています。
後でご紹介あると思いますけれども、神奈川県にいらっしゃられない遠くから来てるご家族もいらっしゃいますけれども。
ぜひ一緒にですね。
この問題の解決のためにご努力いただきたいと思っています。

神奈川県の現状についてお話を進めたいと思います。
神奈川県で明白に拉致だということについてはですね。
事例としては、1982年3月22日に金沢文庫で失踪した河嶋功一さんという方がいらっしゃいます。
関東学院大学を卒業されて、地元の出身地である浜松に就職が決定していましてですね。
そして、ご両親と一緒に引越しの手はずを終わって、ご両親は車で荷物を持って帰る、と。
ご本人は電車で帰ると。
で、下宿の前でご両親と別れたまま失踪という事件が、神奈川県で最も怪しい事例となっております。

河嶋功一さんにつきましては、当初から私ども拉致の可能性が高いと思っていたんですけれども。
我々として拉致に間違いないと認定に到った経過といたしましてはですね。
河嶋さんが失踪する前、何時だかははっきりしないんですけれども、河嶋さんから中学校の同級生の所に突然電話があったそうです。
その電話が非常に不思議な電話であったと、同級生の方が記憶しておりまして、何がなんだかわからないけれども、とにかく河嶋功一さんが言った言葉が忘れられない。
これは「これから北朝鮮に行く」ということを言ったまま、後は意味不明で、かかってきた同級生の方も一体これはどういう電話なのか?と。
ということが、不思議で仕方がなかったという電話なんですけれども。
そういう電話があったということをですね。
同級生の方から証言いただきまして。
当然その証言の裏を取る作業もしましてですね。
その証言は間違いないということから、私どもは拉致されたことには間違いないだろうと。

まあ、自らの意思で行ったんじゃないか、ということになるわけですけれども、自らの意思で行ったんだとすれば、自らの意思で帰ってこられなければいけませんよね?
帰りたくても帰れない状況に留め置かれるということは、これは拉致であると。
有本恵子さんもまた同じようになるわけですね。
そういったケースが神奈川県であるわけです。
当然、神奈川というのは、皆さんお地元ですからわかると思いますけれども、いろんな事件があってもおかしくない所ですね。
この種の。
しかし未だ拉致ということについては、まだまだ未解明のことが多いと思うんですが。
不思議なことがあるということだけは、今日お話ししておきたいと思います。

特定失踪者の方々の失踪の経過を調べますとですね。
幾つかの共通点があるんですけれども、神奈川県における共通点はですね。
横須賀周辺に多いということです。
それからどういうわけか知りませんけれども、横須賀周辺の自衛隊に入隊後、任期が来れば辞めるという任期制の自衛官になった後、なぜか日産(自動車)の季節工になる。
で、季節工が終わって、(郷里などに)さあ帰ろうかという時に、その人だけ帰らないでそのまま失踪すると、そういうケースが非常に多いということです。
不思議です。

自衛官の失踪というのも、あることはあるんですけれども、この横須賀に集中するというのが不思議です。
それから自動車メーカーの、これはちょっとマスコミの方もたくさんいらっしゃるんであれですけれども、自動車メーカーたくさんありますね。
トヨタとか三菱とか、なぜか日産に集中すると。
で、この神奈川の日産、すなわち座間工場ですとかですね。
それからあちらの・・・(会場から地名の発言あるも聞き取れず)、ああそうそう、そういった所に季節工として入った方が、そのまま行方不明になるということです。

ここまでお話しすると、だいたいもしかして?と思うのが、八尾恵さんの存在ですね。
彼女がどこまで拉致に関わったのかということは、彼女の証言の範疇でしか想像できないわけですけれども。
有本恵子さんについてはですね、告白されてるわけですけれども。(「謝罪します―私が有本恵子さんを拉致しました―」文芸春秋など)
彼女自身が関わらなくても、この横須賀周辺でこういう怪しい事件があるということ。

それから金沢文庫というのも、ある意味では横須賀にも非常に近いことから、この地域はですね。
米軍の基地も大きなのがあるわけですし、当然八尾恵さんは、自衛官を包摂するために、横須賀に店(スナック)を開いたわけですね。
そういうことから類推していけば、可能性として、こういう横須賀で自衛官になって、自衛官の任期を終わった後で、日産の工場は近いですから。
そういった所に勤めた後に、河嶋さんと同じような声がかかって「いい仕事があるんだよ」というような誘いがあったのかもしれない、と。
そりゃまだまだわからないんですけれども、そういうことも可能性としてあるんじゃないかなあ、と思っております。

え~何分くらいまでにしましょうか? 30分くらいまで。
(司会:そうですかね)はい。
それで神奈川の現状は、たくさんお話したいことありますけど、とても10分や20分ではお話しできませんので、これくらいにさしていただきまして。
特定失踪者問題に固有の問題についてですね、お話をさせていただきたいと思います。

今、拉致被害者のご家族の方から、異口同音におっしゃられた失踪から、今日に到るまでの状況。
これは特定失踪者のご家族もまったく同じです。
まったく同じです。(強調のため繰り返す)
UFOにさらわれたんではないのか?
自殺したんじゃないのか?
どっかに逃げてったんじゃないのか?
というようにほんとにご家族の苦しみというのは、まったく同じです。
そして、特定失踪者のご家族も高齢化してます。
もうほんとに再会果たせずにお亡くなりになった方々というのは、ほんとにたくさんいらっしゃいます。
加瀬テル子さんのお父さんも90歳を超えております。
テレビでも見ていただいたと思いますけれども、ほんとに頑固な親父でしてですね。
私も何度も行って、説得して公開に踏み切られたというような状況ですね。

いろいろな家庭の事情があったわけですけれども、一言「会いたいよ!」と「一目会いたい」ということだけ言われておられますが、もう90歳でほんとに高齢です。
国井えり子さんのご両親も、今北海道にお住まいですけれども、ほんとにもう足も動かないとかですね。
そういう状況です。
私どももご家族の面接に行きますと、ほんとにみんな同じ、皆さん同じような状況でですね。
何時になったら再会できるのか、というそういう思いだけで、頑張っておられるというご家族ばっかりですので、そういう状況を一日も早く変えていきたいな、と思っております。

そして特定失踪者のご家族が、まったく同じ状況というのは、政府の対応はまったく同じです。(薄笑いの声)
拉致被害者のご家族も先程いろいろお話一緒にしてたんですけど、政府認定っていうのは、ほんのこの2年、3年の間なんですね。
田中実さんに到っては、事件そのものは(実行犯が刑事告発されているほどの)明確な拉致なのに、この間やっと認定したと、いう状況ですから。
特定失踪者の場合は、認定どころか、認定に行く前のフォローといいますかね。
それはもう、ある意味拉致被害者のご家族よりも淋しい状況です!
一言でいうと、外務省はまったく相手にしません。
まったく相手にしません!(怒りのこもった口調)

辛うじて写真の出てきた藤田進さんや加瀬テル子さんについてはですね、名前を出しました。
日朝交渉のなかで。
名前を出しただけです。
「こんな人の写真が出てきてるんだけども、どうだね?」それで終わってます。
ほんとに。
で、向こうから「そんな記録ありません」って言われて「ああそうですか」で帰ってきて。
ポイントはご家族にそれを報告する意思がないということです。
ここがポイントです。
我々は、何度も、何度も頼んでですよ?
外務省に、内閣府に頼んで。
どんなことが話されたのか?
日朝協議の場でどういう話があったのかを、家族に報告すべきだろう!と。
してください、してくださいっていうのも変ですよね?
するべきだと言ったんですけれども、「そんな義務はありません」「なぜですか!」「認定されていないからです」(は~と会場ざわめく)その繰り返しです、ずっと。

もうしまいには、こっちも喧嘩ですからね。
「ふざけんじゃない!」というような状況が、繰り返されてるわけですけれども。
結局、政府の方としてはですね。
特定失踪者の問題を真剣に取り扱うという意思は、上から順番にない!
トップ(小泉首相)が殆どなくって、末端の警察官の皆さん、末端の公安調査庁の皆さん、末端の自衛官の皆さん、海上保安庁の皆さん、末端に行けば行くほど、「何とかせにゃならん」という意識を持って、頑張っていらっしゃる。
上に行けば行くほど、もうだんだん、だんだんどっかでフニャフニャフニャ~となってですね。
意思が決定されて行かない。
というのが、実はこの特定失踪者の問題等を含めて、日本のこの構造であると思っています。

悪口ばかり言ってると、ほんとにいけませんで、たまにはほめなきゃいけないんですけれども。
神奈川県警とそれから静岡県警、これは凄いです。
あの~、今日は警察の方いらっしゃられないんで。(笑い声)
他の県警の方に比べて、非常に真剣に調査、捜査をしていただいています。
特に河嶋功一さんの件は、我々がびっくりするくらい、ほんと真剣に捜査をしていただいています。
なのにですよ?
なのに、未だに河嶋功一さんについては、政府のトップは、な~んにもしていないのは、どういうことなんだろうか?と。
末端のほんとに、真面目な警察官の人とか、調査官の人たちとか一生懸命やったのが、結局トップの判断で潰されている。
これはもう、拉致被害者のご家族が通ってきたプロセスとまったく一緒です。
残念ながら。

この状況を変えない限り、拉致問題というものは解決しない。
全容解明も無理だし。
ましてやその先にある救出っていうのになると、ほんとに申し訳ないけれども絶望的な状況が日本のこの国家の中にあるということを、ほんと正直にお話せざるを得ないと思います。
従って私たちはですね、救う会とはちょっと違う立場でやってます。
まあ私も救う会のメンバー、幹事ですけれども。
救う会からは違う立場から、この問題をどうするか?ということを考えています。

その一つの方法として、法廷闘争ということを考えてます。
古川了子さんというですね。
千葉で失踪して、安明進氏が平壌の病院で見たという女性について、政府を相手に認定訴訟を起こした理由というのは。
やっぱりこの日本という国のそういう法律・制度・官僚組織・発想の仕方、これがもう問題がグジャグジャあると。
そこを何とか超えるために、やっぱり裁判闘争でクリアしていきたい。
という思いから古川了子訴訟をしてるわけです。
ですから、古川了子さんのための訴訟ではなくって、他の特定失踪者のご家族のためにも、この訴訟というものを、何とか勝っていきたい、というふうに思っております。

そしてもう一つはですね。
これは我々調査会とか、家族会とか、救う会という問題を超えて、やはり皆さんにお訴えしたいのは。
ご家族の方が異口同音におっしゃるのは、この国、日本というこの国家をどうするのか、どういうふうにすれば、この拉致問題解決するのか?
どういうふうにすれば、拉致被害者を奪還できるのか?救出できるのか?という、このことを真剣に考えなきゃいけない時期に来てるんじゃないでしょうか?

多くの方法論あると思うんです。
ま、対話も一つの方法論だと思います。
それから経済制裁、これも有効な方法論の一つだとは思いますが。
もっと、もっとよく考えると、この国の法律・制度・官僚組織・国民の意識、そしてそれを総体として表わす日本国憲法といいますかね。
そういったところに、実は大きな問題があるんじゃないか?と、思わざるを得ません。

今日本の政府でですね、どこが拉致問題を担当するか?まずそれがはっきりしてません。
内閣府の支援室がいま、連絡調整室ということになってますけれども、な~んの権限もありません。
やれることといったら、曽我ひとみさんが森昌子のコンサートに行きたいと言ったら、「さあ、どうぞ」って設定してあげる(会場失笑)。
そりゃきちっとやるんですよ。(さらに笑いが広がる)
遺漏無く。

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(6)真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事のお話 その2



何故ですか?しかし悪口ばっかり言ったらゴメン、(真鍋氏自身も吹き出す)すいませんね、どうしても悪口言いたくなるんですけど。
しかし、支援室、いや連絡調整室の人たちが20人くらいいるんですが、我々と一緒に「じゃあ調査行きましょう」
行きませんよ!
どっこも行きませんよ!(吐き捨てるような口調)
この問題があるんだけど、これ重要だから一緒に調査、研究しましょうか?
しやせんですよ!

何の権限もないからです。
何の予算もないからです。
なーんの法律的根拠もないからです!
特定失踪者の問題なんて、どっこの法律にも書いてないから(対応が)できないわけです。
気持ちはあってもですよ?
気持ちはある人はたくさんいるけど、そういう法律制度になってるから、できませんということになってしまいます(会場からため息)。

警察。
この拉致問題解決するためにはですね。
この都道府県警の縦の垣根を取り外さなければ、絶対に無理です。
私が担当する場合なんかですね。
一人の失踪者のことを追っかけるためには、例えば山形県出身で、東京で育って、名古屋に転勤して、沖縄に行って失踪って方がいるんですよ。
だから私たちは、山形へ行って調査し、東京で調査し、名古屋で調査し、沖縄に行って調査せなきゃいかんわけです。
一人の調査にですね。

それで、一人の調査の記録をファイリングしてって、それで決め手として認定するという方法論取るわけですけれども。
警察もそれと同じことできるはずなんですけども、警視庁と神奈川県警めちゃ仲悪い。(笑い声)
警視庁と警察庁張り合って情報の交換ない?
そんなことばっかりでしょ?
で、警察庁は、全体をコントロールできるかというと、コントロールできないわけでしょう?
もう行政官庁ということで、捜査権を警察庁が握るってわけじゃないわけでしょう?
連絡調整するだけでしょう?
てなことばっかりやってるわけですね。

一人の拉致事件追っかけるのに、それだけの多くの県警の横の連絡がなきゃできないはずなのに、それができる体制にないわけです。
辛うじてなぜか知らないけど、神奈川県警と静岡県警は非常に関係がいいらしくってですね。
そういうケースもあって、そういう横の連携が上手くいくようなケースもあるらしいんですけれども。
総体で見れば、本当に縦割り、官僚構造そのままのことで、本当にいいのか?と。

それから公安調査庁ありますですよね。
公安調査庁の方々は、一生懸命やっていただいてます。
影ながら。(イヤミ口調でなく、特に「影ながら」を強調しての発言)
そういう人たちですから、影ながら一生懸命やっていただいてますけれども、決定的に限界があるのは、捜査権ないんです。
強制調査権ないんです。
逮捕権もないんです。
だからある意味ではもう工作員に面会して、「お願いしますから情報ください」ということを地道にやっていって、一生懸命集めた情報が、どこかでチョキンとされると。

そして公安調査庁と警察庁めっちゃくちゃ仲悪いでしょ?
おったがい(お互い:真鍋氏強調すると促音になる)の連絡はまったくない。
情報の交換まったくない。
言い出すときりないんですけど、もう一つだけ。
海上保安庁。
海上保安庁重要です、拉致問題において。
しかし、まったく情報の交換を警察と海上保安庁はないんですね。

だからある私たちが失踪事件を追っかけてて、これは船の事件かもしれないとなると警察はもう「あ、これは海上保安庁だから」っていうことになっちゃうわけです。
「そうですか、じゃあ」って言って、海上保安庁行きますでしょう?
そうすると「それは陸の事件だから」ってことになっちゃうわけです。
でもってチョン。
だから陸と海の情報重ね合わせれば、この失踪もしかしたらそうかもしれない、ていう話はたくさんあってもそこで途切れてしまう。

それからもう一つだけ、言い出すときりがないんですけど。
自衛隊の存在がまったくこの拉致問題の中では忘れられてるということです。
自衛隊の能力というのは、自衛隊の情報収集能力というのは、非常に優れたものがあるわけですが。
これが現在の自衛隊法の枠の中で非常に手足が縛られてる。
何よりも、これは仮定の話ですけれども。
北朝鮮に何か有事が発生した、要するにクーデターとかですね。
何かそんなことが発生した仮定しますでしょう。

北朝鮮の国内が、もうほんとに混乱した時に、誰が助けに行けれます?
日本の(拉致被害者が)たくさんいるわけです、めぐみちゃんですとか、市川さんとか、増元さんとか、いるわけですよ。
国井さんとか、加瀬さんとか、藤田進さんとかいるわけですよ。
誰が助けにいけますぅ?(会場から「行かれない」)
ですねぇ?だあ~れも行けませんよ!今。
もうそういう混乱の時には、飛行機があって船があって、何よりも訓練がされて自分たちで(現地の物資や人員に依存せず、自己完結で)行動ができる。
私なんかトイレだって大変だし、ご飯作れったって作れないわけでしょう、私が行くとしても。
やっぱりそれは、自衛隊できちっと訓練を受けた、特殊なそういう救出訓練をしている者しか行けないわけですよね?
それが、今の体制じゃまったく行けないですよ。

自衛隊ってのは、ご存じの通りミッシング・ソルジャー、要するに戦闘で行方不明になった人たちを救うっていう訓練やるわけですよ。
そりゃ、どこの軍隊もやるわけです。
それと同じ方法論なわけです。
ただそれが日本国内でなくて、海外であるということですから、方法論としてできるけれども、ホ~リツ(法律)が、ない。
ケンポー(憲法)でそれができない(憤懣やるかたない口調)、ということです。
本当に私たちは、政府の官僚だとか何とかを、批判ばっかりしてますけれども、要請ばっかりしてますけども、彼らの本音ってのはそこにあるんじゃないでしょうか?皆さん。

この憲法で、この法律でどうしろというのですか!?
彼らはそりゃ言わないけれども、実際に私が、逆の立場になったらそう言いたくなりますよ!
この法律はこれしかできないと書いてあるんだから、できません、と。
言ったらまた家族会から怒られるから、言わないだけで本音はそこにあるんだと思います。
だからそこの所を変えない限り、この拉致問題の全面解決は、わたくしたちは無いんじゃないかなあというふうに思っております。

ちょっと、過激な話になっちゃいますけれども、実際、今憲法改正論議があるわけですけれども。
この拉致問題をどう解決するんだということを考えたら、やはりその線上の中にこの国の法律。
この国の憲法っていうのをやっぱり考え直さなきゃいけないんじゃないのか?っていうのを、やっぱり真剣に考えていかなきゃいけないんじゃないんでしょうか?

ところが、ていうことで、アメリカでですね。
制定されました北朝鮮民主化法がありますね。
非常にアメリカとしてですね。
戦略をそこに盛り込んでます。
戦術を盛り込んでます。
武力を使わないで、北朝鮮をどうやって民主化させるかという、予算もふんだんに取ってます。
NPOにも何千億円も拠出するっていうのを、既に具体的に始めてます。

日本はどうでしょう?
まあ議論がチロッて出ましたね。
民主党案ってのがチロッて出てる。
それに対抗して自民党案ってのが、チョロッて出てる。
その後どうなりましたか?
消えてしまいました。
国民の皆さんも、それをどうしろ、ああしろっていう声もほとんどなかった。

今、辛うじて北朝鮮の問題に関係してるNPO、NGOの皆さんでちょろちょろっと集まって、どうしようかという、相談と議論は進めてますけれども。
残念ながらとても大きな声にはなってません。
もし憲法とか、何とか、そういうややこしい話がこれも何年かかるかわからないんだとすれば、やはり日本版の北朝鮮民主化法みたいのを、きちっと作った上で。
国家として戦略を決めた上で。
予算も、戦術も、人員も、組織も北朝鮮問題どう対峙するかっていうことを決めてからやらないと。
何時まで経っても、ご家族が全国を訴えて回る。
特定失踪者のご家族がその影でひっそりとその状況を見守っている。
この状況がまたあと10年、あと20年続いてしまうってことをほんとに許していいんでしょうか?
そうなりますよ、今のままだと。
この集会も、あと10年くらい続けなきゃいけないかもしれませんよ。
もうそんな時間はないし、そんなバカなことはもうそろそろやめにしたい、と思っております。

あ、いささかちょっとすいません。
長くなってしまいましたけれども、要するに私が言いたいことは、この国、この国家のありようというものは、やはり根本から考え直さないと、この拉致問題というのは、全面的に解決しない。
拉致問題が事例になって、この他にもた~くさんあるわけです、似たような問題は。
国家政策の中で排除されて、淋しい状況をしていらっしゃる他の例はたくさんあるわけです。
そういった諸々のことも解決できないような日本のままで行ってしまう。
それは許されないことではないか?と思っております。
その上で、何らかの国民としてのお一人、お一人のやはりちょっと覚悟というかですね、そういったものが重要になる問題だろうと思っております。

ウチの荒木は乱暴な人間ですから、来年の12月までに拉致問題解決しなかったら、国会議員は全員辞任しろと言っておりますよ。(苦笑しながら)
本人も責任取るとか言ってやってます。
彼自身は、やはりそういう覚悟を国会議員にも求めたし、自分自身にも課してるというふうに思っております。
私もその覚悟というものを、少し見習ってこれからも頑張って行きたいと思っております。
皆さんもどうか今後ともご支援のほど、心よりお願いを申し上げまして(拍手が始まり、聞き取りにくい)ごあいさつとさせていただきます。(拍手)
ありがとうございました。(拍手)

司会者
ありがとうございました。
踏み込んだ話になりまして、ありがとうございます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このエントリーのテキストは、原良一さん提供のテキストを元にぴろんさんが再構成したものです。
原さんのご好意、ぴろんさんご努力に感謝を申し上げます。(momoedake・金木犀)
参照:話の花束

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(7)脱北者Yさんの証言

脱北者Yさんの証言 聞き手:野口孝行氏(北朝鮮難民救援基金)

☆野口孝行氏のあいさつ


こんにちは。
北朝鮮難民救援基金の野口です。(拍手)
いつも神奈川の会にはですね。
私たちの団体は、難民の救援について活動している団体なんですが。
いつもご協力をいただいて貴重な時間をいただきまして、ほんとに会の方、そして皆様にいつも感謝しております。
ありがとうございます。

脱北者の方と話をする前に、ちょっとお知らせがありまして、8月1日ですね。
「北朝鮮難民と人権に関する国際議員連盟とNGOの会議」というのが予定されていまして、皆様のお手元にあります、私たちの会報にもいろいろ書いてあるんですが。
難民問題に関係している団体、そして救う会、特定失踪者問題調査会等々NGO、国際議員、各国の議員さんが集まって会議をします。
興味がある方はたくさんいらっしゃると思うので、注目していただきたいと思います。

それとですね、7月31日ですが。
チラシが入っているので、ご覧になられた方もいらっしゃると思いますが。
「ソウル・トレイン」というですね。
脱北者が中国まで逃げてきて、そしてその人たちがどうやって韓国までたどり着くのか、というドキュメンタリー映画を、アメリカの監督が作りまして、それを日本で上映する会というのが、日本であります。
7月31日に文教区民センターで行われるんですが、興味のある方は、ぜひ足を運んでいただきたいと思います。

これから脱北者の方とお話をするんですが、マスコミの方にお願いがあるんですが。
多くの脱北者の方がそうであるように、まだ北に家族が残っている関係で、こちらの日本にたどり着いたことがわかると、(北にいる)家族に害が及ぶ恐れがありますので。
申し訳ないですが、顔は映さないようにしていただきまして。
公の場で出す場合は、音声の方も変えていただきまして、顔も一切映らないようにしていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

☆脱北者Yさんの証言(聞き手:野口孝行氏)

(会場脇より脱北者Yさんが登場、正面席に着席)

※野口氏質問(以下野口氏)
それでは。
お話するのが、まだ慣れていないということで、私がきっかけみたいな形でお話をうかがいたいと思います。
まず、最初に聞きたいのは、先程の1960年代に帰還事業で向こう(北朝鮮)に渡ったそうですが、その時の乗った時の様子と、何歳くらいの時に北朝鮮に行ったのかと言うことをちょっとお話しください。

★脱北者Yさんの回答(以下Yさん)
私は日本の大阪で生まれました。
日本で教育を受け日本の学校を卒業して日本で就職して、18歳の時に父母に付いて北朝鮮に行きました。
それから北朝鮮に着いた途端に「ああ、北朝鮮に行ったのは間違いでだった」とそれを感じました。
どうしてか感じたかというと、日本で聞いた時は
「朝鮮の国は、地上の楽園で夢のような良い国で、仕事をしなくても食べていける。
勉強はただで、病院もたただ」
と、そういういろんな宣伝に騙されて、うちの父母たちは正直一本で。
そう言う人たちの宣伝に本気になって(北朝鮮に)行くために、私は行きたくないのに連れていかれたというか、父母が行く所にしょうがなく行ったのです。

行ってですね。
一番初め船が着いた途端に「間違ったな」と思って、改めて話したんですね。
「この船で日本へ帰して下さい。私は日本に帰ります」
と。
それで、(北朝鮮に)帰る時は、「絶対(日本)に帰ることが出来ない」ということを知らないで行ったんですね。
行ってみて、気に入らなかったら日本に帰れるものだ、とそういう気持ちで行ったんですけど。
着いた途端に、日本に帰ると言ったのを、絶対にそれは出来ないということがわかって、その日から日本に帰るのを夢に見て、
「いつかは必ず自分が生まれて育った日本に帰るんだ」
とそういう具合に北朝鮮に生きました。

※野口氏
実際に船に乗ってですね。
北朝鮮に着いた時に、何を見て何を感じて、この国は言われていた・宣伝されていたものとは違う、と具体的に思ったのですか?

★Yさん
私たちを迎えに出てきた大学生たちの服装とか、顔色を見て、日本では見たことがないような質の悪い服装をして。
人間たちの顔色というのは、栄養失調に近いような。
その頃から北朝鮮というのは食糧難に遭っていたようでしたが。
私は、何のために人間の顔はこのようななのかというのは知らなかったんです。
とにかく日本では見たことのないような人たちだなと。
それから(北朝鮮の)山には木が全然ないんですね。
全部裸なんです。
だから国が豊かではない、ということを感じました。

※野口
それで今はですね。
いろいろな報道、テレビなどで「あの国は貧しい」ということをみんなが分かっていると思うんですけど。
ほんとにその時は、宣伝で北は豊かな国だどいうふにう言ってたと思うんですけど。
疑いとかそういったものは一つもなかったんですか?
ほんとにすばらしい国だと思って、あの当時みんな行かれたんでしょうか?

★Yさん
私が日本にいる時、「朝鮮」という画報があったんですね。
その画報を見て、女がツルハシを振るって仕事をするのを、また女がみんな農業をやっている姿を見て。
なんだかおかしいな?とは思ったんですけど。
まさか嘘は言わないだろう、悪い所には送らないだろうと。
まあ、人を信じることが悪かったのかも知れませんけど(笑)、信じて(北朝鮮に)行ったのは本当です。

※野口氏
それで結局向こうに着いてですね、中国の国境に近い場所へ配属されたという事ですが。
実際、生活になじんでいく時のですね。
向こうの生活、一年一年、年を越すにつれて、いろいろ辛いことがあったと思うのですが。
日本を思いながら。
その中でも特に恋しかったものとかですね、これはなれるのが大変だったという向こうの生活は何でしょうか?

★Yさん
朝鮮に行って一番嫌だったことは、改めて学校に入って「(朝鮮の)言葉と字を習わなければ」と思って学校に入ったんですね。
それが、その教育の仕方が気に入らなかったのです。
というのは、日本とアメリカに対しては、私の知っている日本ではなく、とても悪い国で。
アメリカも悪い国で。
朝鮮だけが良い国だと。
そういう教育の仕方は間違っているんじゃないか?
こういう形で子供たちを教育して育てて、何がその中で偉い人が現れるのだろうかと思いました。

「私が見た日本はこんな悪い国ではなかったのに、どうして日本はこんなに悪い国として子供を教育するのに当たり前のようにしているのだろう」と。
また、それを聞く子供たちも、学生たちも教わるものが本当に悪い国だと思われるもので、私が日本から来たというので、日本について私にいろいろ聞いてくるのです。
それに対して正直に話すことが出来ないんですね。
「言論の自由」がないというのが一番苦しかったです。

※野口氏
それで、日本のことを考えながら生活していったと思うんですが。
自由にものが言えないこともありますし。
何か、こう日本のもので恋しいいなぁと思ったもの、ものとかそういった物で何かありましたか?

★Yさん
私たちが何十年も北朝鮮で耐えてきたというのは、日本で教わった童謡とか。
「うさぎ追いし、彼の山」(故郷)そういう童謡とか。
歌手たちの歌(歌謡曲・流行歌の事か?)とか、そういう歌の文句を聞く度に力をつけて。
「頑張って日本に帰るまで、死なずに生きよう」と。
それで帰国者たちが、お互いに励まし合って、苦しい時は童謡とか歌を歌って、それで耐えてきた。
それが力になりました(徐々に涙声になる)。
皆さんはここ(日本)で生まれて、ここで育ってそのまま自分に国にいるから分からないと思いますが。
一時この国を離れたとき。
もの凄く地獄のような所に行ったら、小さい時に覚えた童謡はとっても懐かしく、また自分の通っていた学校の校歌が、自分には本当に力をつけてくれました。

※野口氏
そういう状況でくらしていて、60年代くらいはまだ食べる物があったと思うんですが。
90年代の半ばに向けて、どんどん食糧事情はどんどん悪くなっていったと思うんですけど。
食べ物が減ってきているなというのは、どういう形で差し迫るような変化がありましたか?

★Yさん
(北朝鮮は)全てが全部配給制度なんです。
味噌・醤油はもちろん、靴、布、全部が配給で(配給)カードをくれるんですね。
(そのカードを)持っていって配給を貰うのも1ヶ月に2回、15日分の配給を貰うようになっている。
90年代に入って、それまで当たり前に行われていたその配給ができないんですね。
それでも94年までは、金日成が亡くなるその年までは、もらえなかった配給の(不足分は)年末に貰える年もあったのですが。
(金日成が死んだ94年の)その後からは、(年末の補填は)ぜんぜんなくて。
くれないものと思うようになったのが、97年からは、だんだん人々が(飢えて)死んだとか、食べる物がなくて人を殺して食べたとか、変な評判が出るようになったのが、96年・97年度からでした。

※野口氏
Yさんの住んでいた所には、他にも日本からの帰国者の人たちがいたわけですよね。
その皆さんは、どのように食べ物を調達して、くらして工夫がいろいろあったと思うんですけど、どのような工夫をしてみんな生きていたのですか?

★Yさん
北朝鮮という所は山火事が多いんですね、どうしてかしら?
その山火事になったら、山の木が燃えてしまうんですから。
その木の無い所には、自分が行って、畑を作ってトウモロコシとかジャガイモとかを植えてもいいことになってたんです。
それも初めはね。
90何年度だったか、それまではそれもできないようになってたんです。

だけど、だんだん人間が餓死するようになったもんで、空いた土地へ行って、自分の力で耕して食べることを許可するという法ができたもので、力のある人たちは山へ行って、作物を植えて、自分の力で食っていくと…。
そういう方法で早くから始めた人たちは、餓死ということはなかったんですけど。

力がなくてそういう工面ができない人たちは、配給所にばっかり頼って、毎朝ご飯食べたら配給所の前に行って座って、配給くれるのを待ってる人たちは、段々と倒れてしまったんです。
早めに畑へ行って、自分の力で耕して食っていくという人。
それから動物、豚とか山羊、そういうのを家で養って、栄養が足りない時には潰して食べるとか。
そういう具合に暮らすようになって、人間たちがだんだん知恵が回ってですね。
餓死しないように気をつけて、頭を回し、自分の力を頼るようになってきました。
国を頼るんじゃなくて、自分の力を頼って自分で生きていくのだ、とそういう考えを早くした人は生き残っていると思います。

※野口氏
住んでいらしゃった所に、他にも日本から帰っていった人たちがいるということですけれども。
ういった人たちとお付き合いがあったと思うんですけど、その人たちとは、普段は日本語で会話をしたりするんですか?

★Yさん
はい、そうですね。
大抵は帰国した人たち同士が集まって、お正月とかお盆に集まって。
無いながらでも一杯飲んで、冗談を言ったりはするんですけど。
北朝鮮の地元の人たちと一緒に馴染めない仲に、その人たちに変な具合に政治的に引っ掛かるような話をしたら、(当局に)言い伝えるんですね、その人たちは。
だから帰国者同士では、そういうことは絶対なかったんです。
(お互い)心を広げて「日本に帰りたいな」とか「金日成いつ死ぬのかな」そういうことを言っても、無事でしたから。
そういう中で、日本人妻の人たちは特に生活力がないのですね。
商売をすることも知らないし、畑に行って何かを作るっていうことも知らないし。
配給所の前に行って、じっと座って待ってるのが日本人妻でした。

※野口氏
それっていうのは、つまり、(日本人妻は)受身というか。
自分から何か生き延びるためにやるというようなことが、出来ないような状況だったんでしょうかね?

★Yさん
畑を耕すには力がいるんですよね。
(苦笑しながら)腹が減っては何も出来ないじゃないですか。
だからね、悪いこともしなければならないんですよ、時にはね。
北朝鮮はみんな協同組合といって、国で農業をしてるんですね。
だからそういう農業組合の作物なんかを、泥棒して食べる人もいるんですけど、帰国者とか日本人妻という人たちは泥棒が出来ないんですよね。

もう正直一本で。
「とにかく待っていたら(国が配給を)くれるだろう」と、そういう具合で死んでしまう人が多かったんです。
私たちの家は日本に親戚がいて仕送りがありましたから、そんなに苦労はしなかったんですけど。
日本人妻たちには日本から全然何もがなかったものですから、その人たちは、正直バカ一本で配給所にばかり頼って。
とにかく貧乏して苦労して、そういう人たちを私は沢山見ました。

※野口氏
そういう人たちというのは、やはりみんな、亡くなってしまう人たちも多いのですか?

★Yさん
日本人というのは特徴が、とにかくあきらめが早いんですね。
これ以上駄目だと思ったら自殺してしまうんですよ。(会場からため息が漏れる)
首吊るとか、川にはまって死ぬとか、ガスを、あそこはガスってないんですね。
石炭ガスです。
そこに鼻をつけたまま死ぬとか。
まあ「死なずに、どうにか日本へ帰ろう」という考え方をするんじゃなく、諦めててしまうんですね。
それが私、とっても残念でした。

自分の家に食べ物がない時は人の家に借りて食べるとか、そういうことを考えないんですね。
恥ずかしく思うのか?
とにかく、同じ「帰国者」でも日本人妻たちの生活の仕方というのは、日本で暮らして教育を受けたそのままに、他人の物には欲を出さないこと、嘘をつかないこと。
私もそういう教育を受けましたけど、北朝鮮にいってはそれが通じないんです。
時によっては悪いこともする。
協同組合のジャガイモも、私泥棒したこともありますけど、日本人妻たちはそういうことが出来ないんですよね。

ですから、豆満江にはまって死んだ人もいましたし、首吊って死んだ人もいます。
その人も私と同じ名前でしたけど、そういう人たちを見るとね、私、同情しませんでした。
「残念だね、なんて馬鹿だかね」と。
ま、生きていたおかげで、私こういう具合に日本に帰ることができたんですけど、その人たちのことをつくづく考えますね。
「死なずに、どうにか一生懸命やって帰ってくれれば良かったのに」と。

※野口氏
そういう強い気持ちがあって、中国に脱北したわけですけど。
一度捕まったことがあるという話しですけど。
その時はどういう状況で捕まって、捕まった後はどうでしたか?

★Yさん
それをここで話しても、皆さん想像つかないと思いますけど。
私は97年度から中国に渡って、日本に帰るように一生懸命やっていたんですが。
その間に2回捕まりました。
運がよく、悪運が強いものやら、今まで命があったんですけど。(笑い声)
中国で捕まった時は、北朝鮮よりはマシですね。
食べるものは食べさせてくれるんですから。
だけど北朝鮮というのは当たり前のように人民たちに食べるものがないんですから。
脱北して自分を裏切ってた政治犯に対する待遇というのは、食べ物っていうのは全然ね。
人間の食べるようなもの、ここでは想像つかないと思います。

私の方はちょっとマシだったんですね。
だけど(一緒に捕まった)私の子供たちは、(北朝鮮に捕まって拘留中)食べられないような物をくれる物で、15日間一食も食べなかったそうです。
でも死ななかったんです、水は飲むものですから…。
人間というのは、なかなか寿命が、そう簡単には死なないんですよ。
15日間一食も食べなくて、それでも水飲んで死なずに辛抱したらしいです。
(当局側がこれでは)死ぬかと思って、無理に食べろと命令して、そういう具合にしてどうにか生きて、また中国に渡ってきました。

※野口氏
2回目に中国に出て来て、その時も捕まってしまうんですね?
その時は、捕まってどういうお気持ちでしたか?

★Yさん
その時はもう最後だと思いましたね、二回目だから。
その時は息子と一緒に捕まったんですけど。
(息子は)手錠を後ろ手にかけられ、足にも足枷をかけられて、それからロープでも極める(=縛るの古い表現)んですね、絶対に逃げられないように。
私にはそこまではしなかったんですが、若い人たちにはこういう具合に捕まえていくんです。
中国の警察というのは、捕まえていくのは北朝鮮よりもっとも酷いんですよ。

その点、北朝鮮は手錠もろくろくないんですから(笑い声)、手を極めるのも紐で縛って…。
賢い子たちは、どうにか(解いて)逃げる若者たちもいるらしいけど。
中国は絶対にそういう具合に逃げられないように、(笑いながら)手も足ももう全部、そしてもう、「こりゃあもう死刑場に行くのかな」と思ったんだけど。
よく考えてみたら「私、そんなに悪いことをしていないのに、そう死ぬわけがないだろう、生きるまで生きてみよう」と思ったのが刑務所でした。

※野口氏
それで2回目に捕まった時は、4ヶ月中国の留置所というか、収容されたわけですけれど。
それでですね、運良く日本の外務省との連携もあって日本に帰ってこれたわけですけれど。
40年ぶりくらいに帰ってきたわけですけれども、実際今帰ってきてまだ1年経ってないですけど。
初めて、何十年かぶりに帰ってきた時の、ずーっと何十年も思い続けてきた日本、最初どう思いましたか?

★Yさん
一番初め、中国で立つ時に、中国にいる日本大使館の人が来て、「行きましょう」って言うから、―中国のチャンチョン(音訳)という所です。
「どこに行くんですか?」って聞いたら「日本へ行くんです」と言われた時、私は聞き間違えたのかと思ったんですけど。(苦笑する)
とにかく着いた所が成田でした。
成田に着く前、日本が見えた時の感じっていったら、嬉しいというよりも悲しかったですね。
北朝鮮でいろいろ亡くなった人たちのこと、まだ残っている人たち、その人たちのことを考えをしたら、思い出したら、何だかね、嬉しくなくてね。
悲しくて、そう何だか複雑な気持ちで、自分だけが幸せになって(他の人が)気の毒なって、そういう感じがしました。

※野口氏
何十年ぶりかに帰ってきて、日本は変わりましたか?

★Y氏さん
昔の姿って全然ないですね。
私が何十年間も北朝鮮にいて、1日も忘れることなく。
夜中に寝ていても、「二度と帰れないんじゃないかな」と思ったら気違いみたいに寝て起きて、真っ暗な所に座ってました。
必ず帰る、どうして帰るのか」っていろんなこと考えてましたね。
それほど恋しかった日本なんですけど。

帰ってみて、自分の「故郷」に行ってみたんですね。
私が幼い頃、夏には川にいつも行って泳いでいたんです。
その川の水の色がまた違っていました。(笑い声)
川の流れも、変に曲がって昔の姿は全然なかったんですけど。
神社に行って、神社の境内でソフトボールをして、バットを振った時に梅の木に引っかかってバットがなくなって大騒ぎしたんです。
その梅の木がそのまま残ってました。

それから、その神社の横に椎の木があったんですね。
私は小さい時から静かな所が好きなもんで、時々一人で行って、椎の実を拾ってたんです。
その木もありました。
それがね、その椎の木があるかな?と思って探しながら。
これがそれだけ恋しかったのかな?死ぬほどほんとに、気が狂うほどに恋しかったのかな?
私のふるさとってここだったのかな?と、いろんなこと考えながら。
一緒に来られなかった兄弟のこと。
私を頼って来ながら豆満江で死んでしまった息子のこと。
いろんなことを考えて、椎の実を握って泣いてしまいました。

※野口Q
今まだ北朝鮮に家族が残っているということで、とても複雑な事情もあると思いますが。
この北朝鮮のことですね。
厳しいこと言えない事情があるかもしれませんけど。
まぁ希望的な観測でいいますと、どうなったらいいと思いますか?
最後に。

★Yさん
私は政治に対してはあまり関心がないんですね。
興味がないんですけど、私が1度目(の脱北中)に中国から北朝鮮に拉致されていったんですね。
中国の公安に捕まるんじゃなくて、北朝鮮から保衞部から直接来て直接捕まって送還されました。
その時私、考えたんですね。
「こういう具合にして、日本人たちも捕まっていったんじゃないだろうか」って。
私はこういう具合に捕まったんだけど、いろんな具合で人間を拉致していく、そういう人たちは何と言うか、一口で言うとプロですね。

どんな国に行っても、悪いことを幾らでもできる人たち、こういう具合にさせた人、またこういう具合に行動を取る人、みんなバカじゃないかな。
まあ、北朝鮮だからって、全部が全部悪くはないんです。
そん中でもいいとこあるんです。
人情が厚いんですね。
お互いに助け合う、貧乏な人に、私もそうやってたんです。
「あそこの家、今日は食べ物がなくって、みんな寝込んだですって」と聞けば、何か残り物持って行ってやるとか。
お互いに助け合うという人情のために、少しでも今、生き残ってるんじゃないのかと思いますね。

日本には、それが不足と思いますね。
隣の人は誰やら、他人のことはもう絶対関係ないっていうか。
いいところもあるけれども「なんだか冷たいな」と感じることもありますけど。
まあ、人種によっていろんな人がいると思いますけど。
私の考えでは、政治的なことは話したくないんですけど、(北朝鮮のあの体制は)まあ長くはないと思います。

※野口氏
わかりました。
もちろん拉致の被害者の方とか、特定失踪者の方が帰ってくるのは、当然なんですが。
こういった脱北者の家族の方たちも、無事に日本に帰ってこれるようにですね。
ぜひ私は望んでいます。
この辺で終わりにしたいと思います。
どうもありがとうございました。
(拍手、退出するYさんにもう一度拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このテキストは、原良一氏提供のテキストを元に話の花束ぴろんさんが再構成したものです。
原さん、ぴろんさん、ありがとうございました。 (momoedake・金木犀)

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(8)横田拓也 家族会事務局次長のお話 その1



皆様こんにちは。(会場からも「こんにちは!」の応答)
ただ今ご紹介いただきました、横田めぐみの弟の横田拓也と申します。
ほんとにいつも北朝鮮による日本人拉致問題に関しまして、本当に暖かいご支援と応援をいただきますことありがとうございます。
また、ちょっと時期がほんとに遅くなりましたが、先月の末にですね。
首相官邸前というか、横で実施しました、私たちの家族・兄弟を取り戻すために行った座り込みに関しまして。
本当に三日間暑い中、平日も含めて多くの方々にご参加いただきましたことをですね。
重ねてお礼申し上げたいと思います。
ありがとうございました。

既に、私の家族他の案件に関しましては、皆様ご承知いただいていることかと思いますが。
私の所も若干もう一度ご紹介したいと思います。
私の姉、横田めぐみは1977年11月にですね、中学1年生です。
下校途中に拉致されたわけです。
警察犬が嗅覚を失ったのは、本当にもう自宅からすぐ近くの所ですから。
あともう少しで帰れたはずのところで、何者かによって待ち伏せをされて、拉致をされてしまったというわけです。

先程特定失踪者問題調査会の真鍋さんの方から、9歳の女性の方の事例もありましたが、9歳にしても13歳にしても本当にまだ子供です。
まだ少女なんですね。
私たちが、自分たちが男性であれ女性であれ、13歳の頃、もう一度ちょっと思い浮かべて欲しいんです。
本当に明るく、楽しい毎日だったはずですね?
こんなクラブで楽しんでみたいとか、こんな友だちと、どこどこ遊びに行ってみたいとか。
こんな勉強してみたい、こんな高校に進学したい、大学に行きたい、こんな仕事をしてみたい。
いろんな夢があったはずです。
自己実現の夢ももっと持っていたと思います。

しかし、そういった夢が一方的に遮断されてしまって、美しい日本から連れ去られて、楽しい家族の許から連れ去られたわけであります。
これは、私のめぐみだけではなくて、家族会にいる全員がそうですし。
先程ご紹介があった、政府が認定してる・してないだけの違いがあってもですね、特定失踪者の方々、ご家族の皆さん。
等しくそういう悲しみと辛さを背負わされていると、いったわけであります。

で、引き裂かれた拉致というものは、ほんとにもう釈迦に説法でございますが、改めて申し上げますと、単なる一人の男が、偶発的に行った誘拐事件のようなレベルではないんですね。
国家の指令によって、独裁者の指示によって、直接的な指令によって行われた国家テロなんですよ。
私たちはもう、一週間・二週間前にまた大きな大規模な同時テロ、テレビ画面を通じて知ったわけです。ほとんど、これ一緒なんですね。
事態の現象こそ違いますけれども、もう、組織ぐるみでされてるわけなんです。

そのテロの話ですとか、先程脱北者のお話の方にもありましたけど、日本はまあこんな有り様ですが。
アメリカにおいては、ほんとに積極的にこの問題に取り組もうとしております。
新聞でも既にご承知いただいてるかと思いますが。
アメリカの下院本会議では、7月11日に北朝鮮による日本人・韓国人の拉致及び被害者を拘束し続けていることを非難して、拉致問題解決なくしてテロ支援国家から外してはならない、ということを改めて採択してるわけです。
そして脱北者を強制的に退去させている中国への非難もそこに含まれているわけであります。
その採択というのは、362対1で、いわばすべてがこの採択に賛成されているわけなんですね。

で、ポイントは、当事者のアメリカではないんですね。
日本人が当事国であって、韓国も日本以上に拉致されている。
他国のことを彼ら(=アメリカ)がこういって、こうした形で採択をしているということがポイントなんですね。
本来であれば、こういった動きというのは、日本政府が先頭を切ってしなくてはならないはずなんです。

私はいろんな場でお話しする機会をいただいておりますけども、こうして私たちにできることは、皆様方にお訴えすることしかできません。
私たちの辛い思いを、一言でも多くお伝えすることしかできない。
これは、みんな一緒なんですね。
ですから家族であるから、兄弟であるから、前面に立って闘うしかない。
これは当たり前のことだと思っておりますけども。
これは国家間の戦争行為のようなものですから、テロ行為に向かって闘っている以上は、国が先頭切ってやらなくてはいけないことなんですよ。

そういう意味では、日本政府、小泉総理は、本当にいつも他人事のようにこの問題を受け流している。
聞き流しているというこの事実は、本当に淋しい限りなわけであります。
私たちは、先程申し上げた座り込みの時も、30度を越す真夏日の中で。
私はまだ、真夏の炎天下の中でも座って耐えられますけど、本当に高齢の方々がいらっしゃるわけなんですね。
ほんっとに辛いんですよ、これ。
これ、想像以上に辛い、暑い。
その中でも、皆さん方がいろんな飲み物とか、アイスクリームとか、保冷剤とか持ってきてくださって。
「頑張ってよ」というお声をかけていただいて。
倒れないで「ありがとうございます」ということで、何とか3日間を凌げたというのが、事実です。

多分、私たちが叫んでいた声というのは、首相官邸の中に少しなりとは、聞こえていたんだとは思います。
しかし、小泉さんは、私たちの前の道路を通らないで、避けるかのように、車を、車列を通っていったということですね。
別に私たち、絶対会ってくれともいう権限もないし、資格もないかもしれませんが。
国家が本来やるべきことを、私たちが代わってやっているのに、そこに対して何の反応も示さない、ということが、本当に不思議でならないわけであります。

そして私たちの座り込みというものは、以前にも何回かやっているわけですが。
先月やった座り込みとこれまでの座り込みとの違いというのは、2002年より前には、北朝鮮も日本政府も拉致事件が拉致疑惑であって。
それは家族会、あなた方が勝手に言ってるのではないか?と、いうこともあったし。
もしくはマスコミの方々も多くを取り上げてくださらなかった、という事実もありました。
そういう点で私たちの座り込みというのは、あまり採り上げてくださらなかったわけなんですが。
しかし2002年以降は、あの独裁者(金正日)が、自らの口で拉致を認めたんですよ。
犯罪者が誰で、被害者が誰かというのは、明らかな事実なんです。
わかっているんです。
残されている者が誰か、というのもわかっているんですよ。

それなのに日本政府は、一貫して毅然とした態度を取らないで、圧力はダメです、と。
対話なんです、と。
言って、その対話の一つさえもできていないというのが実態なわけです。
挙句の果てには、松木さんの所もそうですけれども、私の所にも遺骨と称するものを提供してきて、調べてみたらまったく別人のものであると、いうことです。
アメリカの高官の話を言葉として借りると、「およそ文明の社会を超えた行為」ですよね。
人がやることかどうか?ってことです。
そこまでして彼らは、何を守りたいのか?ということが疑問ですし。
ここまでバカにされているのに、日本政府は、もしくは小泉総理は「ふざけるな!」ということを、一声、一言言えないのか?ということが疑問でなりません。

これは、今日の配られてるチラシのヘッドラインがですね、「拉致被害者とその家族の人権を考える会」と書かれてご案内されてるわけですが、これは、単に私たち家族の問題じゃないんです。
小泉さん個人の問題でもないんです。
日本の総理大臣という威厳と威信のかかった問題であるし、日本国の主権がかかってる問題なんです。
そこを履き違えてほしくないわけなんですね。

このままこれだけ、30年も40年も前から(主権を)侵され続けているのに、一言も抗議をしない。
こういった姿勢というのは、日本政府はこの問題に対して何の疑問も持っていないんですよ、という誤ったメッセージを送ってしまいかねないということを、私たち国民は怒っているわけなんです。
実際にこういった日本政府の、曖昧で躊躇している姿勢に対して。
およそ8割か7割弱の方々が、怒りと疑問を持って、国家の、国民の意思で法律を成立させた経済制裁法。
外為法だとか、特定船舶入港禁止法というものがあるのにも関わらず、それを賛同してくださってる多くの方がいらっしゃるのに、小泉さんだけが首を縦に振らないわけなんですね。

これ、民主主義の流れとしては、まったくおかしい話なわけなんですね。
これだけ被害者が、私たちが、本当に先程の話にもありましたように、高齢の方々が疲れて足を引きずって、全国飛び回って、国民の皆様の多くの方々が賛成してくださっているのに。
それに対して本来は民主主義ですから、声を受けなくてはならないのにも関わらず、小泉さんは他人事のように、「ああ、そうですねぇ」と涼しい顔をしているわけなんですね。
こんなことがあっては、いけないわけなんです。
小泉さんご自身がバカにされるのは、私の知ったことではありませんけども、日本の総理がバカにされてるんだ、ということをご本人も気づいて欲しいですし。
一番先頭を切って、自国民を守らなくてはならないという使命を、小泉総理にはほんとに感じてほしいと思います。

おかげさまで、皆様方のお力添えによってですね。
この問題は全面的に解決はされてはいないものの、5人の方々とそのご家族が、日本に帰ってくることができたわけであります。
先程真鍋さんのお話の中にも、あの(特定失踪者問題調査会の)大きなポスターの中で、いろんな日本人管理課の課長みたいな話も出てきましたが。
もしかしかすると、帰ってきた5人の方々がどこかでそういった方々をご覧になってるケースがあるかもしれませんですね。

私はそれがご存じかどうかわかりませんけど、先程市川さんのお話にもありましたように。
安明進さんが当時金正日政治軍事大学の中で市川さんを目撃されたといったような安さんのお話もあるわけなんですね。
ぜひですね、ここは力を取り合ってですね、安さんと5人の方々が会ってもらって、情報を補完しあっていく。
そうでないとこの問題は解決しないんじゃないか、と思います。
いろんな事情があるのかどうか、私にはわかりませんけれども、やっぱり知っている者同士がですね。
手を取り合って仲間同士で力を合わせて、この問題で一丸になって対処していくという姿勢を、みんなでムードを作っていく必要があるんではないかな、というふうに思います。

家族会の言うことは、もう一貫してほぼ一緒になりますが。
この北朝鮮問題というのが、拉致問題だけではないということは、もう明白な事実なわけであります。
6者協議でもやってる核の問題もありますし。
先程お話にも出たように偽札の問題・麻薬・大量破壊兵器の拡散の問題、もういろんな問題があるわけなんですね。
先程のような(北朝鮮)国内での人権弾圧の問題もあるわけであります。

ミサイルの問題でいうと、数年前に私たちの上空を飛び越えた弾道ミサイルの問題もあるわけですし。
この北朝鮮問題というのは、ここにいる私たちだけに課せられた問題ではないということを、私たちは強く再認識していく必要があると思います。
彼らの横暴、というか独断で(発射)ボタンに手が押されればですね。
10分後には、この日本のどこかにミサイルが飛んで来るっていう現実を、私たちは再認識して、彼らの暴挙は許さないんだということ。

そして拉致問題が解決していないということはですね。
今現在ですよ、いまこの時点で日本のどこかで、私たちの友人やご家族が拉致されている可能性は否めないということを、私たちは認識していく必要があると思います。
そういう意味では、私たちは、当事者であるだけなんで、強いことは言えませんが。
やっぱり他人事ではなくて、私たちだけのことではなくて、みんなのこととして、我が事としてですね。
この問題を捉えて、絶対に許してはならないんだ、ということを北朝鮮に訴え続けていくこと。
それと日本政府に早く、あなた方が自らの意思を以って動いてほしいと。
そして北朝鮮に対して、「返せ!」と「一人も残さないで返してくるまで、私たちは許さないんだ!」ということを口にして欲しい、ということを声を出して言ってほしいと思います。

実際に、北朝鮮は6者協議の場でもありますように、核の脅威をちらつかせておりまして、安全保障上ほんとに脅威な存在なわけです。
でも、冷静に考えてみてください。
日朝平壌宣言(吹き出しかけながら)と言われたですね。
どうでもいいような内容にしてもですね。
それが、仮に通ってるわけですよね?
これは、明らかに今の国際的な状況からいって、全然もう意味を為していないんじゃないか、というのはみんなわかっているわけですよね。

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(9)横田拓也 家族会事務局次長のお話その2

小泉総理は、それが違反しない限りは経済制裁はしない、というふうに言って言い逃れをしているわけなんですね。
でも明らかに、94年のジュネーブ合意にも違反しているし。
NPTの一方的な脱退もそうだし。
IAEAの査察官も勝手に追い出すし。
核兵器の保有宣言をして6者協議にまで持ち込んで、国際的な脅威を産み出しているこの事実が、日朝平壌宣言が反故にされているんではないかというのは、明らかな事実なわけですよね?
そうであれば、約束どおりですね、私たちの意思を以って成立させた経済制裁の発動をしていく必要があると、私は思います。

特に、先程「悪の温床」という例えもありましたけども、工作母船とも言われている万景峰号。
これはまあ、いろんな人の往来があるんで、すべてが悪いという側面はないかもしれませんが。
一方で私の姉を含めて他のご家族、特定失踪者の方々を含めて申し上げると、この船で拉致された可能性が、ないとは言い切れないじゃないですか?
ここが、ポイントなんですよ!
イメージ的に何か、小舟でやってきて、小舟で帰っていくだけかどうか、ってのは誰もわからないですよね?
あそこ(北朝鮮)で、まあ確かに先程(脱北者の証言)飢えてるという実態があって。
一方で一人だけ肥えた人が、メロンとか、マグロ食べてるケースもあるかもしれませんけども。
やっぱり軍事転用できるような部品や車両運んでるわけですし。
人がさらわれていった事実があるかもしれないですよね?
実際、彼らが、これだけ私たちに脅威を与えている以上は、やっぱり、私たちが決めた法律を、きっちりと発動していく、実効化していくというのが、今、日本に求められている事実、実態だと思います。

先程、あそこにも今プラカード(会場受付の背後の大きなブルーリボンを指す)もありますし。
真鍋さんの方からも大きなポスターがありましたし、こちらにも(白板に掲示された被害者の)写真がありますけども。
彼ら(被害者)が今何を考えているか?
何を思っているか?
朝も昼も夜もほんとに悲しい毎日だと思います。
拉致された時も、ほんとに怖くて、辛くて、泣いても誰にも聞いてもらえなくて、一人ぼっちにされて、泣いても誰にも聞いてもらえなくて。
私の姉のケースでいうと、船の底で爪をかきむしって血だらけになって泣いてたけれども、誰も聞いてくれなかったというじゃないですか?

たぶんみんな一緒ですよ。
20年も30年も待っても、誰も助けに来てくれないんですよ。
空を見て、星を見ても、日本の童謡を歌っても、誰も助けに来てくれないんです。
この前の、小泉総理の再訪朝の時も、日本の政府専用機、おそらく白い飛行機ですから、天使とか鶴のように見えたんじゃないかと思います。
「やっと来てくれたか!」と「やっと私たち帰れるんだよね!」「待ってたよ!」(血を吐くような叫び声に近い口調で)って、たぶん来る時には思ってたんだと思います。
でもどうでしょうか?
二回目の訪朝の時は、5人のご家族のことだけは、確かにおかげ様で、無事に解決ができましたけども、その他の未帰還者の問題は残されたままです。
特定失踪者の方々については、何も触れられない状態でありました。

しかもこれ、私たちが事前に総理に対して、「どうかそういうことがないようにお願いしますよ」と言っていたにも関わらず、まるで仕組まれたようにそのまま帰ってこられたわけです。
怒って当然じゃないですか?
人の命が懸かってる問題です。
20年も、30年も、40年も待たされてることなんですよ。
どっかのここにあるコップを倒して怒ってるような次元の話じゃないんですよ。
命の懸かってる問題です。
彼女たち、彼らは今日も悩んで、暑い時にも私たちは、こうして涼しい部屋にいることができます。
お腹が空いても、これから何の心配もなく夕食を食べることもできます。
そういう所の根本が、彼らは心配してるんですよ。

今日も生きられるんだろうか?って、明日は生きていられるんだろうか?って。
自分の家族も、ほんとに幸せな生活がこの先送れるんだろうか?って。
お父さんやお母さんや、兄弟に会えるんだろうか?って、毎日思ってるんですよ。(横田拓也氏の気迫に圧倒されてか、会場寂として声なし、見回すと息を呑んで聞き入っている状態)
そういった彼らの気持ち、悲しみ、訴えというものを、私たちは絶対に無視してはならないし。
正面から受け止めなくてはいけないと思うし。
日本の政府は、私たち以上に受け止めて、一刻も早くこの拉致問題、救出のために具体的な行動を取ってほしいと思います。

で、先程、アメリカの下院本会議のお話のご紹介をさせてもらったので、もう一個だけご紹介をさせていただきます。
7月13日にロシアの外務次官が、拉致問題を6者協議に取り上げることに関して、それは止した方がいいんじゃないかという類のことを発言されました。
これは韓国も中国もおんなじようなところで、本当にまあ(北朝鮮とグルで)一緒なんだなあということが改めてわかるんですが。
で、それに関して細田官房長官が、談話を発表されたわけなんですが。
こういうことをおっしゃってるわけなんですね。

「拉致問題を取り上げれば、北朝鮮が反発するのではないか?ということばかり言っていると、拉致被害者の家族や関係者が怒るのではないか」(会場失笑)

と言ってるわけなんですね。
その中で確かに「取り上げましょう」ってことは言ってるようなんですが。
ちょっとこれは私、おかしいと思うんですね。
私、これを初めはニュースではなくて、インターネットで文字で読んだんですけど、私、その時目が悪くなったんじゃないか?(失笑広まる)、と正直思って、読み間違えたんじゃないかと思ったんですよ。
でもまあ、いろいろなテレビやら報道見ていると、実際にそういうことが言われているわけですね。

本当にこの日本は、どこか狂ってるんじゃないか?とほんと思います。
すべてが、悪いわけじゃないですが、私たちが怒ってるから言うとか言わないじゃくて、国が責任を持って拉致された人間を、一人残さず一刻も早く取り戻す使命が、責任なわけですよね。
こういった気持ちを、外務省も、内閣府も、首相官邸も、小泉総理もみんな持っていただかなくてはならないんですよ。

もうほんとに単純明快。
被害者、加害者ってのがわかってて、ニセの遺骨と称する物も出してきているのに。
二度も訪朝されてもまったく誠意を見せないこの現実に。
小泉総理が、小泉さん個人ではなくて、総理が権威としてバカにされてるのにも関わらず、黙っているのはほんとにおかしいと思います。
これ私たちが、声を挙げて取り組んでいかなけりゃいけないということだと思います。

もうお時間がお時間なんで、もう少しにさせていただきますけども。
ちょっともう私は皆様方、国民の皆様方から、じゃあ何ができますか? ということをよく、暖かいお言葉をちょうだい致します。
既にもう今月ももう多くの方々が、もうされてることかもしれませんが、お願いをさせていただくことが、二、三ご紹介させてもらいたいと思います。

一つはやはり今日、私どもとお会いさせていただいたこと、もしくは私どもからお話をさせていただいたことをですね、一人でも多くの方にお伝えいただきたいんです。
「今日、誰々さんに会ったんだよ」でもいいです。「こんな話ってあるの知ってる?」これだけでもいいです。
この輪が広がって、北朝鮮問題は身近な所にあるんだというのを知ってもらうこと。
あと北朝鮮という言葉を聞いて、わからないものとか、怖いものではないんだということをしらせていくこと。
見える物、闘える物であることを私たちが知っていくこと、伝えていくことが、この問題解決の近道だと思います。

あともう一つは、私たちが、国民の意思としてできること、これは、首相官邸、外務省に抗議といってはなんですが、この気持ちをFaxや電話やお手紙、メールで送り続けることです。
「あなた方の外交方針間違っているんではないか?」ということを訴えていくことだと思います。
私たちはもう、様々な場所でこの拉致問題解決なくして、北朝鮮に対する一切の経済協力をすべきではない、と何度も申し上げておりますし。
この問題の解決なくして、日朝国交正常化もしくは、国交正常化交渉はされるべきではない、と何度も申し上げております。
こういうことも皆様方にお伝えいただきたいですし。

そして今度開催される6者協議の場においては、日本政府からは、必ずそのことは、6者の前で、そして二国間の中でも、それは言ってほしいんです。
「絶対に拉致問題解決されるまでは、あんたたちに協力は一切しないんだ」
と、これをみんなの、残りの5カ国の前で明言をしてほしいんですね。
どんなに日本が、外交が下手でもお金だけはまだあるわけですから。
絶対にそういうふうなグルになってやってる動きに対して、私たちは負けないよ、ということを、日本政府は、ここで外交の姿勢としてですね。
出してほしいと願うばかりです。

先程、帰国された5人の方々が、安明進さんと会って、やっぱり情報を持ち寄って強化していくことで、この問題解決のために近道を作っていく、ということが大事だということ。
そして私たちが、一人ひとりが我が事としてお伝えいただいて、抗議する、然るべきところに声を伝えていくこと、大事だと思います。
6者協議の国際的な所でも言っていくことが大事だと思います。
私たちの拉致された家族というのは、今日も悩んでる、泣いてるわけです。
これまでのもう奪われた時間は取り戻すことはできないかもしれませんけども、これからの時間、私たちの力によって作っていくことができるわけです。絶対作れます。
もうこの自信しかないですね。

やっぱり悪に負けているわけにはいかないんです。
やっぱり正義とも言い切れないかもしれませんが、少なくともこの問題に関しては、どちらが正しくて、どちらが悪いかはもう明らかなわけですから。
この悪に対しては、私たちは絶対に負けないんだと、日本人はこの問題に対して絶対に譲らないよ、ということを、私たちは声高に叫び続けていかなくてはならないと思います。

そしてもう一点、横田家的に申し上げると、数日前のNHKの夜7時の報道で、姉(めぐみさん)と曽我ひとみさんが、北朝鮮の大物工作員の辛光洙によって教育をされていた、という話がありました。
NHKのニュースのニュース元(情報源)というのが、どこからというのは私わからないんですね、はっきり言って。
どうしてあの場で出たのかというのもわかりませんけれども、私たちが(それを)曽我さんから聞いたのは事実です。
ですからあの話は、おそらく間違いないと思います。

問題なのは、これは私たちだけが聞いているわけではない、ということなんですね?
日本政府も、当局もみんな知ってるんですよ、これ。
知っているのに、いかなる場所や交渉でも口にしていないというのが問題なんですよ。
ICPO(国際刑事警察機構)にまで手配している人間が、この拉致問題に関与していることに関して何も、私たちが何も言わない限りは、NHKが報道するまで隠してたと取られかねないような姿勢を取ってる、ということなんですね。

先程真鍋さんの方からもお話があったように、特定失踪者の方々に関して言えば、行っても門前払いだということがありました。同じ色彩がここにあるわけなんですよ。
こうした問題をなぜ、大々的にしていかないのか?
ということ。
穏便に済ませて、言わなければ何もしないということを取り続けるのか?ということを、私たちはやっぱり疑問視していかなきゃいけないと思うんですね。

辛光洙は普通に見ると、まあ何国人でもそうですけども、普通のご老人ですよね。
私たちの横に、ああいった何もわからないような、善人とも取れるような人が、工作員として潜んでいるわけですよ。
そういう人間に騙され、教育され、ということなんですね。
ですから私たちは、情報を当局は持ってるわけですから。
彼らが私たち以上に前面に立って解決のために行動していく必要があると思いますし、経済制裁を速やかに発動して、彼ら(北朝鮮)が譲歩していく姿勢を作り出していくことが大事だと思います。

今度の6者協議も、北朝鮮が折れたのは、安保理に付託することで、経済制裁(への圧力)が国際的に強まることを恐れて出てきたわけですから、日本政府は譲歩するんではなくて一歩踏み出す姿勢を作っていくこと。
これがこの拉致問題解決のための近道なんだ、ということを私たちは、しっかりとお伝えしたいですし、皆様方の方からも、日本政府や外務省の方にお伝えいただけないものかなと、いうふうに思います。

ほんとに、先程の脱北者のお話を聞いていても、本当に悲しくて聞けなかったですよね。
成田に着いた時に、嬉しいの前に悲しい、悲しくて涙が出た、と。
自分だけで良かったんだろうか?と、こんな悲しい話はないですよね。
でもほんとに、それが現実だと思います。
今も帰れなくて、悲しくて、泣いても泣き切れない人々が山ほどいるわけです。
(特定失踪者の)400人の方は、ほんとはもっといるのかもしれませんね。
もっと私たちが声を挙げて、知ってる人は、口にしてください、ということは、言っていかなくてはいけないと思います。

私は、こうして皆さん方にですね、めげそうになったり、挫けそうになったりする時に支えられるのは、ほんと皆さんの力強い視線であったり、「頑張れよ!」というお言葉であったり、それだけで私たちは、ほんとに耐えて生きていってるようなものなんです。
ほんとに皆さん方にお礼をする意味で、拉致された私たちの家族を、日本に取り戻すことで、ほんとにお礼をしたいと思っています。
めぐみが帰ってきてありがとうございました、ということ(拍手始まる)でお礼を申し上げたいと思います。
どうかお力を、これからもよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。(拍手続く)

司会(河井氏)
横田さん、ありがとうございました。

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(10)高野美幸さんのお話と特定失踪者ご家族のご紹介

高野美幸さん(特定失踪者・高野清文さんの妹)のお話と特定失踪者ご家族のご紹介


※司会(河井氏)
続きましては、特定失踪者家族の訴えです。
特定失踪者高野清文さんの妹でいらっしゃる高野美幸さんです。
よろしくお願いいたします。

高野美幸さん


いつも神奈川の集会の方にお呼びいただきまして、ごあいさつさせていただいているので「またあいつか」とイヤな顔をされないで、また聞いていただきたいと思うんですけれども。
わたくしの兄は、特定失踪者高野清文ということで、伊豆七島の神津島から、1976年に大学2年生19歳の時に、行方不明になっているその家族の妹でございます。
今日はですね、先に特定失踪者の家族のご紹介ということで、今日いらっしゃってる家族の方たち、お名前を申し上げますので、あの立ち上がってその場で、軽くあいさつとかしていただければと思うんですが。

・・・特定失踪者問題調査会HPより引用・・・

高野清文さん
失踪年月日 昭和51(1976)年7月30日
生年月日 昭和31(1956)年10月31日
当時年齢 19歳
当時身分 電気通信大学2年生
失踪現場 東京都神津島村の民宿から

大学寮の仲間と神津島へ行き行方不明に。前日に山へ行くと言っていたため、神津島村の天上山を捜索するが発見できず。同月12日に隣の新島でも若い女性が行方不明になっている。

・・・引用終了・・・

『参加した特定失踪者のご家族の紹介』

↑紹介を受けてご挨拶をされる特定失踪者ご家族の方々

高野さん
まずですね、前回もお話をいただきました、佐渡から74年にいなくなられました大澤孝司(おおさわたかし)さんのお兄様でいらっしゃいます茂樹様がいらっしゃってます。(拍手)

★大澤茂樹さん

(大沢孝司さんのお兄さん)
(拍手の中、マイクを受け取る。以下他の家族の方々も同様に発言または会釈あり)
私の弟は、昭和49年の2月24日に、新潟県佐渡島でいなくなっております。
今それぞれの方のいろいろなお話がありましたが、私もこの拉致問題が完全に解決するまで頑張っていきたいと思いますので、さらなる皆様方のご支援とご協力をよろしくお願いいたします。(拍手、以下同)

・・・特定失踪者問題調査会HPより引用・・・

大沢孝司さん(佐渡の曽我さん母子失踪地のすぐ傍で失踪)
失踪年月日 昭和49(1974)年2月24日
生年月日 昭和21(1946)年6月21日
当時年齢 27歳
当時身分 新潟県佐渡農地事務所勤務
失踪現場 新潟県佐渡郡新穂村

自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。当時事務所には50~60人が勤務、うち15~20人程度が本土から単身赴任で来ていた。失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我さんと違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。元同僚の話では「失踪の2~3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。北朝鮮製と思われるマッチが漁の前あたりに落ちていたという。平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。

・・・引用終了・・・

高野さん
ありがとうございました。それではですね、生島孝子(いくしまたかこ)さんですね。
渋谷から72年に行方不明になりました。
お姉様の馨子(けいこ)様がいらっしゃってると思うんですけど。

★生島馨子さん
皆様のお力をお借りして、是非、妹を日本に連れ帰りたい、取り返したいと思います。
よろしくお願いいたします。


・・・特定失踪者問題調査会HPより引用・・・

生島孝子さん(脱北者による目撃証言あり)
失踪年月日 昭和47(1972)年11月1日
生年月日 昭和16(1941)年6月14日
当時年齢 31歳
当時身分 港区役所麻布支所交換手
失踪現場 東京都渋谷区

当日、一日の年休届けを出し勤め先を休む。朝、同居していた妹に「夕方に電話があったら出かける」と言っていた。衣類の入れ替えをし、夕方クリーニング店に衣類を出している。孝子さんは翌日出勤時に着る服を揃えておいて出かけていた。その夜何の連絡もなく帰宅せず。翌2日夜、自宅に電話があり、しばらく無言の後、「今更仕方ないだろ」と男性の声とともに切れた。平成16年9月29日、警視庁に告発状提出。

・・・引用終了・・・

高野さん
そして、藤沢のこの地では、もっとも関係が深い方かと思います。
寺島佐津子さん、鎌倉の花火大会に行って行方不明になりました。(会場の一角が「あら~」と驚きでざわめく。「かわいそうに」の声も…)
ご両親がいらっしゃってると思いますけど、その場でお立ちいただければと。

★寺島佐津子さんのご両親
無言で会場に深々と一礼。(拍手)

・・・特定失踪者問題調査会HPより引用・・・

寺島佐津子さん(鎌倉の海岸で失踪)
失踪年月日 昭和54(1979)年8月10日
生年月日 昭和35(1960)年7月26日
当時年齢 19歳
当時身分 銀行員
失踪現場 神奈川県横浜市戸塚区

失踪当日、勤務先の支店の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、10時に現地解散。同僚と鎌倉駅で別れ、戸塚駅からバスで帰宅途中に行方不明。翌日、自宅近くの草むらからセカンドバッグが見つかる。警察犬の捜査でもここまで来たのは間違いない。

・・・引用終了・・・

高野さん
あと、松井綾子さんのお母様、1998年12月に千葉県※で失踪されたということで、いらっしゃってるかと思いますが。

★松井綾子氏のご母堂
松井でございます(最敬礼)。

・・・特定失踪者問題調査会HPより引用・・・

松井綾子さん(※千葉県で失踪?)
失踪年月日 平成10(1998)年12月3日
生年月日 昭和51(1976)年9月14日
当時年齢 22歳
当時身分 臨床検査技師として病院に勤務
失踪現場 茨城県水戸市のアパート

12月3日8:20病院に「調子が悪いので休む」とtel。4日病院を無断欠勤。検査課の人がアパートへ確認に行く。車なし、ドア施錠。病院から実家に電話があり、家族が部屋に入るが室内物色された形跡なし。12月4日8:28国道6号線茨城町のGSで給油(本人自筆で確認)。12:05ローソン調子黒生店で昼食購入。12月15日 神栖町海浜公園多目的広場駐車場で自家用車発見。運転席側のロックなし、6000円入りの財布が助手席に置かれた黒バックに残されていた

・・・引用終了・・・

※特定失踪者問題調査会のホームページでは、水戸市で失踪となっていますが、松井氏の車が千葉県内の東金から銚子方面を走り回って、最後は茨城県神栖町で発見されており、千葉県内での失踪の可能性が高いので、松井氏は千葉県で失踪としたものと思われます。
(この項、原良一氏が調査会の真鍋氏に直接確認済み)

高野さん
それからですね、
実は、笹垣範男(ささがきのりお)さんという92年に行方不明になられてます、18歳の方のお父様がいらっしゃってたんですけど、
今日はこの時間には、ちょっとご用事があるということで、お帰りになられましたが。
いらっしゃってたことの旨、お伝えしておきたいと思います。

特定失踪者問題調査会HPより引用

笹垣範男さん
失踪年月日 平成4(1992)年9月12日
生年月日 昭和49(1974)年3月4日
当時年齢 18歳
当時身分 予備校生(美大志望)
失踪現場 神奈川県三浦市

当日、母親が出勤する時(午前9時)には「今日は予備校(横浜市)で絵の授業はないが空いている教室で勉強できるので行くかも」と言っていた。姉が昼に出かけるときはまだいた。予備校に行ったかどうかは出席をとっていないので不明。普段と同じ服装、お金も4、5千円しか持っていない。朝の雰囲気からはとても家出するようには見えなかった。いなくなる10日位前から誰かと会っている様子。いつもは夕方5~6時に帰宅するのが、10~10時半に帰宅する日もあった。前日、前々日は終電で帰ってきた。誰と会っていたか聞いても答えなかった。預金通帳は残っている。


そして、わたくしのお話をさせていただきたいと思いますが。
わたくしの兄、高野清文は、1976年の7月30日、もうすぐ29回目の7月30日が来ようとしています。
その前の年(75年)私は湘南で、ちょうど兄と海水浴をしていた時の3歳の記憶があるんです。
波が来て、わたくし浮き輪につかまってたんですけども、後ろの方からひっくり返って海の中が見えまして。
その後兄が慌てて戻して、兄のほっとした顔をしていて、私は何が起こったんだろう?とキョトンとしているような記憶がありまして。
14歳離れておりましたので、親が3人いるような、非常に優しい兄だったことを覚えております。

まあ今ですね、拉致問題、拉致の可能性があるということで、思ったきっかけは、9・17の時にですね。
曽我ひとみさんが出てらっしゃった時に、最初にお名前が出てらっしゃらなかったので、そんなに世の中に行方不明になっている人がいるものではないと思っていましたので。
ウチの兄の名前も言ってくれるんじゃないかということをですね。
テレビに言ってほしい、言ってほしいというふうに祈りながら見ておりましたが。
実は佐渡島からいなくなった女性だということだったので。

でも、こうやって政府の拉致認定とかがなくても、いなくなってる方がいらっしゃるんだという認識を持ちました。
そしてその後今、実質失踪者というのが、430、50? 440人くらいということで、後ろのポスター、ちょっと落ちそうになってますけども、たくさんの方が顔を出していらっしゃっいます。
もちろん(顔を)出せない方もいらっしゃいますし、調査会に申し出ることさえも躊躇してる方のお話とかも、ままお伺いすることがございます。

その内何人が、本当に北朝鮮に連れて行かれているのか?
私の兄もそうなのかどうか?という確証はないのですが、政府が調べているのか、調べていないか?
警察の方がやっているか、やっていないか、公調の方が一回接触に来られただけなんですが、まったくそういう情報がないので自分で調べております。
それこそ、先月ですね。
真鍋さんに連れてっていただきまして、伊豆七島の神津島の方にも調べに行きました。

新しいことは、とりたてて無いんですが。
私の兄の場合は、近隣でいなくなってる女性の方がいらっしゃっいますので、その足で新島の方もいろいろ調べてはきたんですが。
怪しいことばかり、という感じで、まあ逆にいえば、確証たるものもないような状態ではあるのですが。
この状況をですね。
一家族が、警察や公調や政府に代わって調べているという事実(笑)をですね。
皆さんに知っていただければと思います。
34歳ごときの小娘がそんなことをしております。
この国はどうなっているのでしょうか?
私たち国民の政府であるのかどうか?と言うのは、非常に疑問に思うことではあります。

まず私、この特定失踪者という形になる、まあ公表をする段階でですね、
日本という国は、まあどうしてCIAとかFBIみたいな組織がないんだろう?ということを、既に2年半前に記者会見の場で申し上げておりまして、
それがなんか最近になって、また改めて実感で「何で無いんだろう?」みたいな部分が明らかになってきたんだろう、とあるかと思いますが、
認定ですね、拉致の認定の話しも今はいろいろありますが。
認定であってもなくても、拉致被害者は拉致被害者だって、私自身は、認定云々ということよりも、真実が知りたい。
兄貴がどうなったのか?ていうことを知りたい。
まあ、上の方が動いてくれないことを嘆いていても、その上を選んでしまったのは私たち国民なので、私はその国民の皆様にお訴えするしかない、という今の現状であります。

それからですね、今ニューヨークで先日テロが、ツインタワーのテロがあったかと思います。
最近では、ロンドンでもテロがありました。
じゃあ、この日本の拉致問題は?
まあ拉致はテロだということで、救う会の方も活動をされておりますが、
6者会談を前にですね思うのが、核の話をメインにしようとしている趣がありますが、この核作ってるの、私の兄かもしれません。
そうなってくるとですね。
核の問題イコール拉致問題だと私は捉えざるを得ないんじゃないか?と、私は思います。

ちょっと、お話に聞いたところによりますと。
とある工作関係の方は、例えば麻薬であるとか、偽札であるとか、拳銃であるとか、そういった物を日本に垂れ流しすることを、「緩やかなテロ」と言って、テロだと認識してやっているようであります。
真綿で首を絞めるようなやり方で、日本にテロを仕掛けているわけですね。
偽札入れると、日本のお金の価値が下がって、自分たちの所にも外貨が入りますね。
麻薬を日本に入れることによって、日本のヤクザとかが潤って、なおかつ日本の若者の世代は崩壊していくわけです。
そしたら、日本の未来はないわけですよね?
そういった形で、私たちは今テロに遭っているということを、もっと深く認識するべきではないか?というふうに思っております。

ちょっと特定失踪者の問題から外れてる部分もあるかと思うんですが。
かなりの大勢の方がいなくなっていらっしゃっるっていう点では、例えば印刷工の方がいなくなっていらっしゃっる、
ウチの兄のような技術者がいなくなっていらっしゃっる、
医療関係の方(注:特の曽我ひとみさんなど、看護婦の方に失踪が多い)がいなくなっていらっしゃっるなどの傾向が見えてきた中で、そういったことが言えるのではないか?という部分もございまして、ちょっとわたくしは、そのようなお話をさせていただきました。

あともう一点ですね、北朝鮮の土地にいる方たちですね。
何回かお話ししてますが、私の母は、引揚者で北朝鮮の地から帰ってまいりました。
そういった意味で、北朝鮮の土地に住む人民の皆様にお世話になったことがあります。
母が、帰ってくる時握らされたお米(引き揚げ時、近隣の朝鮮人たちから道中の携帯食に、と焼き米をもらった)を、直接北朝鮮の土地にいる方たちに、お返しできるような経済援助でなければする意味がなく、経済制裁をしたもらった方がいいぐらいな気持ちでいると思います。
先程の脱北者の方のお話にもありました。ウチの母にも、ほんとに紙一重の部分があったのではないか?と思います。
そういった意味で、私は家族の中二つちょっと、たまたま(北朝鮮と)関わるような事例がございましたので、こんなふうに話をさせていただいているんですが。

わたくし、こういう話をする時に、北朝鮮が悪いという話はしないで、キム政権を何とかしたい、と必ず申し上げるようにしています。
北朝鮮の土地の方たちは、同じ人間として非常に大変な扱いを受けていらっしゃっると思いますので。
そちらにも目を向けて、たまたまこういう問題をやっていく中で、そういう部分に私みたいな若者が気づいてしまった、と。
そういう世界情勢まで考えなければいけない状況だと、いうことがわかったということで、この立った状態で大変申し訳ないんですが、お訴えをさせていただきました。

後ろの方で、また失踪者の署名ですとか、あと調査会のポスターの方も、今回は拉致被害者の方も入った状態になってます。
時系列で、非常にわかりやすくなってるかと思います。
何らかの参考にされる方は、販売もしております。
それからまたウチの母が、帰りを待っていながら編んでいる編み物が(アクリル毛糸のたわし)、夏なので西瓜なんか持ってってみたら、なんて言われたので持ってきてみました。
いつも早く帰ってくることを祈りながら、日本の花、桜の花とか、いいことがある(吉兆の)亀さんとかそんなのを編んでおりますので、それも販売しております。
カンパの方も募っております。

それから、秋田の方の子供たちが作ってくださった鶴が、インターネットとかでよく出てるのはご覧になった方あるかと思いますが、後ろの方でご入用の方に配布しておりますので、私も今下げてるんですけど。
あの北朝鮮の方を向いている金の鶴と、早くゴメンナサイと兜を脱いでくれるように、逆さまの兜をかたどっているというようなお話しで。
あの~まあ中学生、高校生の子供がここまで考えてくれるか?というようなことで。
ウチの両親も、たまたま実家に届きまして直接、泣きながら電話が入ってまいりました。
こんなこともあるんだねって話しをしたことがあります。
そういったことで、長くなりました。
わたくしの話を終わらせていただきたいと思います。
どうもありがとうございました。

※司会
ありがとうございました。

参考リンク
◆特定失踪者高野清文さんの妹、高野美幸さんのblog
Ω♪♪♪♪♪ KONAborationSSQ ♪♪♪♪♪Ω

◆特定失踪者大澤孝司氏のホームページ
「大澤孝司さんと再会を果たす会」

・・・・・・・・・・・・・・・・
特定失踪者お一人お一人の失踪の状況に関しては、特定失踪者問題調査会のHPより引用させていただきました。
特定失踪者に関しての詳しい情報は、調査会のHPをどうぞ御覧下さい。

特定失踪者問題調査会HP
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このテキストは、原良一さん提供のテキストを元にぴろんさんが再構成したものです。
原さん、ぴろんさんのご好意に感謝申し上げます。 (momoedake・金木犀)

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(11)来場の議員紹介&伊藤玲子元鎌倉市議のお話&家族会への千羽鶴贈呈

来場の議員紹介

※司会(河井氏)
ここで、来ていらっしゃっている議員紹介に移りたいと思います。
よろしいでしょうか?

藤沢市議会議員、 三野由美子先生、(その場で立ち上がり会釈、会場より拍手)
鎌倉市議会議員、 原かつら先生、「こんにちは!」(同上)
海老名市議会議員、太田祐介先生、(同上)

伊藤玲子元鎌倉市議のお話

※司会(河井氏)
ここでですね、元鎌倉市議の伊藤玲子さんのお話を、よろしくお願いします。

※川添友幸会長代行による、伊藤玲子元市議の紹介
ちょっと講演の前に、伊藤先生のお話をしますと、伊藤先生、4期16年鎌倉の市会議員を続けられておりまして、この度4月で議員をお辞めになられました。
なぜお呼びしたか?と申しますと、伊藤先生は、救う会地方議員の会始まった時からの議連のメンバーでしてですね。
ずっと9.17の前から、私たちと一緒にビラを撒いたりとね、ほんとに献身的に活動してきてきました。
で、今議員をお辞めになられまして、こういう拉致の問題や、教育の問題を扱うまっとうな議員を作らないといけないということで、こんどそういう運動をやられるということで。
ちょっと今回議員をお辞めになって、さらにその拉致議連を抜けられた経緯のをお話しを伺いたいと思いますんで、よろしくお願い致します。

★伊藤玲子 元鎌倉市議のお話


ただ今ご紹介をいただきました伊藤玲子でございます。
(マイクに声が入らず調整してから改めて)
大変失礼いたしました、この4月まで、4期16年鎌倉市会議員を勤めさせていただいておりました、伊藤玲子でございます。
今日突然に、川添会長の方から、わたくしに何か一言と言われて、ビックリしているんですけれども、今までの経緯からと、これからのことをお話しさせていただきたいと思います。

皆様、国というものは、国民の生命、財産を守るのが、国の責任じゃありませんか!?(高齢の小柄な女性に似合わぬ大音声の呼びかけに、会場からも大きな拍手と共に、「そうでーす!」などの合いの手)
本当に腹立たしくてなりません!
日本の国は一体何をしてるんだ、ということでございますよ!
わたくしは、この(拉致)事件がはっきりした時からそう思いました。

そしてまずこれは、平成9年(1997年)に国会で梶山静六国家公安委員長が、「拉致があったということは事実だ」と表明なさったのが、最初でございました。
それですぐその後、救う会ができました。
その救う会ができて、国会の方もそう表明されたにも関わらず、非常に動きが鈍いので、じゃあ地方議員もそのバックアップ、要するに言葉は汚いですけど、国会議員のお尻を叩こうじゃないか、ということで、地方議員の会が発足致しましたのが、平成10年だと思います。
わたくしどもは、そういう形で側面からバックアップ致してまいりましたけれども、それから何年かかっていると思いますか?
未だにこんな国があるでしょうか?!(「我慢できない」の声あり)
で、わたくしは、ずっとずっといろんなことを辿っていきますと、結局戦後国民に、国家観が無いんですよ。
国家観がないんです。

で、わたくしは、国家が安泰してなくて、国家が国民の生命・財産を守らなくて、どうするんだ?
ということを言いますと、すぐ右翼だとか何とかというんですよね、ほんとに。
で、それを辿ってくと、結局戦後の教育なんです。
日教組なんです、共産党なんです(「その通り」などの声と共に拍手)。
もうほんっとにね、わたくしは、この教育戦後60年、この左翼思想の毒が回っちゃった日本国民、どうしたらいいだろうと思って、今も考えてると崖っぷちですよね。(マイクの音が割れるほどの大音声)

で、そこには、女性ってのは、本当に行動力があっていいんですけども、間違った。
まあわたくしは、大変はっきり物を言う人間なんですけども、左翼思想、戦後の教育をよしとした、バカな女が今国を滅ぼしかけてるんですよ!(拍手広がる)
それは鎌倉市を例に挙げますと、わたくしが4期16年在任中、女性議員が28議席中6人いたんですけど、4月の市議選で10人に増えました。
その中のまっとうな議員は二人です。
フツーの感覚の、良識派の議員は二人です。
後は全部、日教組の戦後の教育をよしとした、要するに国旗、国歌、道徳教育、学力テスト、児童中心主義、イラクもう何でもかんでも反政府のね。
そういう反国家の、要するに戦後の教育をよしとした、日教組の教育をよしとした8人です。
これがねぇ、鎌倉だけじゃないんですよ?
私は全国歩いてますけど、これが、鎌倉が縮図でございます。

それでわたくしは、どうしたらいいんだろうかと調べましたらば、こういう(左翼系の)女性を要請していく組織が四つあるんです。
片や、フツーの女性を養成というか、勉強する組織ですね、全然ないんです。
それからわたくしは、これは大変だと、こう今崖っぷち来てますからね。
ということで、わたくしは、この1月に「立て直そう日本(にっぽん)女性塾」っていうのを立ち上げました。

<参 考>
「立て直そう日本女性塾」に関する記述のある、伊藤玲子前鎌倉市議の活動報告

そして、今の目標は、とにかく平成19年に、もうあと2年半切っちゃいましたけども、統一地方選挙があります。
その時に、またこういう女性がどっ、どっと出てきますから、これ止めることができませんね。
少なくとも、一人でも、二人でも、三人でもまっとうな議会で、フツーの良識の言葉を言える女性を、出してかなきゃいけないんですね。

わたくしは、鎌倉市で一人孤軍奮闘してきました。
でございますので、神奈川県で19市ございますが、その中でどこの市にも4、5人女性議員がいます。
しかしその19市の中で、わたくし、フツーの日本人だと思ってんですけれども、そういう女性は、6人しかいませんが、(笑)そういうのが、今の日本の現状です。
ですから、本当にやはり戦後教育に毒を回されてしまった国民全体もそうですけれども、やはりここでしっかりと、国家観というものをね、皆さんに意識してもらう。
やっぱり国家が安泰でなくて、どうするんですか?(拍手)
ほんと、そうですよ。
とにかく私が、国家という言葉を使った途端に、すぐ右翼って始まりますからね。

じゃあ外国行った時に、困った時に、どこ駆け込むかといったら、大使館に駆け込むんでしょ?
非常にそういうね、何ていうんですかね、ほんとにでも恐ろしいですよ。
教育っていうのは、こういうものですから、この60年、日教組、共産党が天井向いて笑ってますよ。
大成果上げたわけですよ!

(集会に参加している男性が挙手の上発言)
「質問あります」
はい。
「あなたの言ってることと、今日この会議はどういう関係があるんですか?」

で、ございますから、国家観がないから、こういうことになったわけですから。
(会場の他の聴衆から「そのとおり」の声多数、最初の質問者の異議の声をかき消すような大きな拍手が湧き起こる。少し騒然とした雰囲気)
教育、教育が始まり、教育を変えていかなきゃいけません。
そういうことで、それから今度政治が決めていきますからね。
その政治の世界にまっとうな良識派を増やしていかなければ、この国家が成り立たなっていきません。(「その通り!」の声)
それは私が、16年体験してきた実感でございます。
もしお考えが違えば、そりゃ仕方のないことでございます。

ということで、わたくしはこれから教育の正常化と、それからこのまっとうな良識派の議員を出していく運動を、全国的に今歩き始めました。
そういうことでございまして、とにかく皆さま、拉致された方々を、全員取り返す、それまではこの国民運動止められません。
この国民運動風化させたらおしまいです。
政府があんなざまですから、やっぱり国民のバックアップがなきゃダメです。
だからわたくしは、この集会にはもう、毎回欠かさず伺ってます。
なんとしてもね、一人残らず取り戻すまで、運動続けてまいりましょう!(拍手)
そうでなければ、本当に日本の国ってのはバカにされっぱなしですから、ちょっとお金ばっかり持っていかれるんですから、とにかく皆さん頑張って、とにかく一人残らず取り返すまで、頑張りましょう!
この集会を続けなければいけません。(拍手)
皆様どうぞ、今後ともよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。(拍手)

※司会(河井氏)
ありがとうございました。
ここでですね、お手紙の紹介をさせていただきます。

『家族会への千羽鶴贈呈』

「千羽鶴をお届けします。平成15年元旦に一念発起しました。80歳を超えた今、自分にできることは何か? ひたすら祈りを込めて鶴を折り、長く哀しい日々を過ごしておられる方々に、少しでもほっとする和(なご)みをお届けできたらと思っております。
6月3日で2万2000羽になり、今回のお届けとなりました。
どうかお受け取りください。
これからも長い時間かかると思いますが、くれぐれもお体をお大事になさってくださいませ。
どうか望みを持ってお暮らしくださいますことを祈っております。
平成17年6月25日、救う会のお力をいただきお届けできました。
小松栄子」


というわけで、救う会神奈川のメンバーから、斎藤文代さん、市川龍子さんに千羽鶴の贈呈をお願いします。
(拍手の中、斎藤、市川両氏、「あら、きれい!」と喜びながら青い色の千羽鶴を受け取る)
ありがとうございます。
それでは、最後に閉会の辞ということで、川添会長代行から、はい。


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(12)川添友幸 救う会神奈川会長代行 閉会の辞

今日は、長時間ですね、ご来集ありがとうございました。
伊藤先生の言われたとおりですね、これからもこの続けていかなければいけないというふうに考えています。

それで事務局から、幾つかご報告したい点がございます。
一点目はですね、さっきの先生のお話の中で非常に気になることがあったんですが、日教組の話が出ました。
日教組、所謂教職員の集まりですよね。
実はですね、はっきりはしたことは、私も言えないんですが、日教組が拉致に噛んでる可能性が非常に濃厚です。(「え~」と会場内大きなどよめき)

ある特定の学校の教員とか、学校名出せませんが、そういう学校の教員とか、今実際、拉致の実行犯の名前が挙がっています。
日本国内にいます。
その人間が、学校の教員関係、教職員関係、(「ほんとに?」の声)そういうふうな関係で。
なぜかというと、日教組全体がやっているわけではなくて、日教組の中に、チュチェ思想を研究している研究会がありまして、そこのメンバーが拉致をやっているのではないか?

例えばよど号の妻たち、八尾恵を初め、大半がチュチェ思想の研究会のメンバーです。
よく拉致のビラなんか撒いてると、「朝鮮人はけしからん」みたいなこと私にも言ってくる方いるんですが。
私は、これは個人的な意見なんですが、やっぱ日本人の拉致の実行犯というのは、かなり多数いるんではないか?と。
逆にですね、朝鮮の人みんな悪いわけではなくて、そこをですねちょっと皆さん、考え方をちょっと考えていただけるとですね。
特にたとえば松木薫さんを拉致したのは、よど号犯の妻森順子、これは在日ですが、もう一人若林佐喜子は日本人です。

ですから日本人の行った拉致というのがですね、かなり多数あるんではないか?と僕は思います。
そういう中にですね、労働組合であるとか、共産、共産党はたぶんやってないかもしれませんが、日教組とかですね。
所謂そういう組織の名前が、実際出てきますし、さっき言われた警察なんかは、その辺をかなり把握しているという情報を得ています。
特に社会党が噛んでるんではないか?ということが、一時期騒がれたことがありますが、社会党、現社民党の人たちも、以前こちらの会は、阿部知子さんをお呼びしたことがあったんですが、ぜひ阿部さんにその点を調べてもらって、実行犯がいるんであれば、ちゃんと法の裁きの前に出していただきたいと思います。(会場内、失笑)

(川添氏は、このあたりから興奮して非常に早口になり、語順の乱れや言い間違いが目立ったので、これ以降適宜再構成しています)
それとですね、今日お配りしたチラシの中に、「WFPに対する講師派遣の拒否に関する緊急声明」っていうのが入ってまして、ちょっと簡単に経緯だけご説明致しますと、今日も会場に来られてるんですが、RENKさん、「救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク」私たちは、北朝鮮の金正日体制打倒とかですね、難民の支援をしているグループだと認識してますが、たぶん皆さんご存じかもしれませんが、産経新聞がかなり大きく取り上げました。

食糧横流しの映像が、6月末に報道で出ました。
去年の小泉再訪朝の時に、12万5千トンの食糧支援が決まりました。
送られた食糧は、日本政府が直接配布するんではなく、国連のWFPという機関を通して食糧配布を行うということを聞きました。
しかしそれを闇市の現場で売られている写真を、RENKの方(正確には、RENKが支援している、北朝鮮国民の反体制活動家)が撮影しまして、産経新聞初め、各紙新聞等で大きく報道されました。
騒ぎが大きくなって、こりゃ大変だと思って何気なくWFPのホームページを私見ていましたら、講師派遣をしていただくという一項がありまして、あ、こりゃ凄い、と思ってですね。
すぐ神奈川の会として、ここの会場、今日じゃないんですが、8月に会場押さえてありますんで、WFPの方に北朝鮮の食糧支援の実態話してもらおうじゃないかと。

その話した上で、RENKの方と話して、どっちが正しいのか?と皆さんに判断してもらおうと、企画を考えたんですが。
昨日になりまして回答がありまして、講師を派遣できないと。
なぜ派遣できないか?と聞きましたところ、(手にした回答書を掲げて)文書の中に細かく書いてあるんですが、人道目的の支援であるから、政治目的の問題になっては困ると。
しかしですねぇ、人道目的ということで、自分たちが胸を張ってやってるんであれば、やはり我々国民に対して説明する責任があるんではないか?と僕は思います。

さらにですね、個人的に北朝鮮に食糧支援されてる方がかなりいます。
新潟なんかでやられてる方(新潟NGO人道支援連絡会、川村邦彦代表)も、この間テレビで報道されてました。
ああいう方がやることを、私はいいとは思いませんが、それはまあ、それぞれの自由ですからいいですけど。
(WFPのように)我々の税金を使って北朝鮮に食糧支援と称して、実際にはほとんど一般の国民の口には入ってないと。
本日参加の脱北者の方とも始まる前にお話してたんですが、ほとんどそんな支援を受けたことがない、と言っておられました。

さらに申しますと、「国境無き医師団」ですね、あるいは「オックスファム」ですね、所謂国際的なNGO団体みんな撤退している(提供者補足:他にも「対飢餓行動」「カップアナムーア」なども撤退している)そうです。
さらにWFPも非常に問題あるなと思ったのは、現地スタッフってのが、何十人(WFPによると40人)かいるそうですが、ほとんどが朝鮮語を話せない(同2人)。
そんな朝鮮語を話せない現状で入ったところで、(公正な)食糧支援なんかできるわけがないんですね?

要するに、食糧支援を隠れ蓑に、あの体制延命させることをしてるんではなかろうか? と。
私もそういうことを、担当者にかなりきつく言って、(講師の派遣の)再検討を迫ったら、再検討するというふうな話だったんですが、金曜日に再度回答が来まして「講師の派遣はできない」と。
私はさらに、講演を拒否する理由を文書に出してくれ、記者会見をするからと言ったら、それも拒否すると。
食糧支援をしている写真を送るからそれで勘弁してくれと、いうみたいなことを言って(苦笑しながら)おられまして、私としては、非常に憤懣やるかたない気持ちになりました。

それで、今日WFPに抗議する緊急声明を神奈川の会として出しました。
今夜メールマガジンのニュースの方で流そうかと思っておりますので、食糧支援が真に困った人たちにはまったく届いていないということですね。
これは私たちもですね、ちゃんと口に入るんであれば、困っている人たちがいるんだから考えようという余地があるんですが。
このような(WFPの不透明な支援には)絶対に支持することはできない、と思っております。
その点で、さらに私たちもいろんな活動をしたいと思っているところです。

・・・以下、会場で配布された資料の紹介を開始・・・

WFPの講師派遣要請の拒否に関する緊急声明

 私たち「北朝鮮に拉致された日本人を救う神奈川の会」は6月22日WFP(国連世界食糧計画)に対して北朝鮮における食料支援の実態の知る為に講師の派遣要請を行った。それに対してWFPの担当者である伊藤氏が 7月12日に講師派遣の要請を拒否する方向であると連絡してきた。
 WFPの伊藤氏は拒否理由に関しては以下のように述べた。
(1) 人道支援目的の食料支援が、日朝の政治的な問題になってしまう恐れがある。
(2) 過去、北朝鮮の食糧支援関連の講師派遣は全てお断りしてきた。
 それに対して「北朝鮮に拉致された日本人を救う神奈川の会」としては、国際機関であるWFPは日本政府から委託を受け食料支援をしている実態を説明するべき責任があるのではないかと主張し、再検討と拒否理由の文書送付を求めた。WFPの伊藤氏は二点とも了解する旨の回答であった。
 しかし、7月15日に再度、WFPの伊藤氏から連絡があり、講師派遣と拒否理由の文書送付も拒否する回答をしてきた。拒否理由の文書送付の拒否の理由を質すと、文書を送ると政治問題化する恐れがあるからだそうだ。
 私たち「北朝鮮に拉致された日本人を救う神奈川の会」としては、北朝鮮においては国際的なNGO団体の『国境無き医師団』や『オックスファム』などが人道支援目的での支援が出来ず、撤退している現状で日本からの援助がどうなっているか説明する責任がWFPに対してはあると考えるし、北朝鮮への食糧援助がどのように行われ、それをどのように監視しているのか? 本当に飢餓に苦しむ民衆に食糧が届いているのか?
 その実態をWFPに説明してもらう責任もあると考える。さらにWFPが、食料支援活動を人道目的であると主張するならば堂々と国民に説明するべきであり、それを人道目的の支援であると堂々と説明して一層の援助を依頼するべきなのではないか。
 家族会も私たち救う会も、真に飢餓に苦しむ民衆への人道支援、食糧支援を拒否するものではない。人道支援の名目で送られた食料が市場で売られている。
 脱北者の話ではこのような市場では北朝鮮の貧しい階層はほとんど買うことが出来ないそうである。
 さらに北朝鮮のおけるWFPのスッタフは、数十人規模でスタッフの大多数が現地語を話せないそうであり、本当に人道活動を行っているかは非常に疑問であると言わざるを得ない。
 そのような中で、今回のWFPの講師派遣要請の拒否に対して「北朝鮮に拉致された日本人を救う神奈川の会」は、強い抗議をすると同時に北朝鮮への人道支援の抜本的見直しを強く求める。

平成17年7月17日
「北朝鮮に拉致された日本人を救う神奈川の会」 会長代行 川添友幸
(一部誤字があったので、読点の追加と併せ、テキスト提供者:原良一の文責で校正しています)

・・・資料の紹介終了・・・

(再び川添氏のお話)
最後に、次回の講演会なんですが、10月8日の土曜日を予定しています。
講師はですね、わたくしが先月の3日間の座り込みに参加した際、報道等でご存じかもしれませんが、「北朝鮮を知りすぎた医者」(草思社、2、3まであり)の著者であり、ドイツ人のお医者さんのノルベルト・フォラツエンさんが、偶然来られてました。
私、英語まったく喋れないもんで、今日来られてる野口さんに通訳してもらって、10月8日藤沢で講演していただけることになりました。
通訳は、その野口さんにやっていただけるということで、フォラツエンさんの他に家族会の増元照明さんか誰かお呼びしたいな、と検討しております。

また、特定失踪者問題調査会からは、岡田理事に来ていただこうと思っております。
岡田さんは、「報道特集」とかでご覧になってご存じの方もいるかもしれませんけど、今回拉致認定された兵庫県の田中実さんをずっと追ってた方で、その岡田さんをお呼びしようと思っておりますので、ぜひ10月8日、皆さん来ていただいて、いろいろお話しいただけると思います。

私たちが、こういう集会を重ねることは、ほんといいことではないと思うんですが、皆様のご協力があってこそ、先程の伊藤先生のお話じゃないですけど、会を続けるってことが必要だと思いますので、皆様のご協力今後ともよろしくお願いいたします。
あと、大変申し訳ない話なんですが、私たちもこういう形で手弁当でやっている会ですので、もしお心のある方がいらっしゃいましたら、カンパ箱ありますので、ぜひご協力よろしくお願いいたします。
いつも、いつもしょうもないお願いをして申し訳なく思っております。

今後のメールマガジンとか、チラシですとか、あと8月7日の講演会というのがチラシに入れてるんですが、先程のWFPのために会場取ったのですが、WFPに拒否されてしまったので、替わりに、私よど号の問題ずっと研究してますので、よど号の話を私がしようと思っています。
ご興味ある方、ご参加いただければと思います。
今後も救う会神奈川の会を続けていただきたいと思います。
皆さまのご協力よろしくお願いいたします。
今日はほんとうにありがとうございました。(拍手)

※司会(河井氏)
ありがとうございました。気をつけてお帰りください。

・・・集会終了・・・

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2005年4月10日 (日)

砂川 昌順さんのお話

第10回拉致被害者と家族の人権を考える市民集会
           ~拉致を語らずして人権を語るなかれ~


4月10日藤沢産業会館8Fにて、参加者約400名
5人の方のお話と詩を掲載します。
目次

1.砂川昌順さんのお話(ここ)  2.小川晴久さんのお話(1)   小川晴久さんのお話(2)

3.北朝鮮難民基金の方のお話  4.横田早紀江さんのお話  5.高野美幸さんの詩

他の講演内容はaoi blogさん電脳補完録さんでどうぞ!




1.砂川昌順さん のお話
※砂川昌順さん 
(元・外務事務官・駐クェート日本大使館員、株式会社デプロ・代表取締役)

初めまして、砂川と申します。今日はこうして皆様の前でお話しをさせて頂く機会を与えられましたことを大変光栄に存じ深く感謝申し上げます。どうもありがとうございます。

昨年の11月15日早朝私は新潟の海岸に向かいました。28年前のこの日、横田めぐみさんが拉致されたその新潟の海をどうしても東京に戻ってくる前に見ようと思って車で出かけました。横田さんご夫妻が「めぐみちゃ~~ん、めぐみちゃ~~ん」という声を張り上げながら探し回ったであろう海岸線にたって、私達がこれからして行かなくてはならない責務というものを自分自身でも考えてみようと思っておりました。(涙ぐむ)

今日私は、3つのことを胸にこちらに参りました。3つの事をお伝えできればとの想いです。

一つめはお詫びの気持ちを申し上げたいいう想いです。
二つ目は感謝の気持ちをお伝えできればという想いです。
そして三つ目は、私達がこれからして行かなくてはならない責務についてお話しさせて頂ければという想いです。

長年、多くの日本人が拉致問題に正面から向き合おうとしてきませんでした。多くの人たちは拉致を疑惑としてその疑惑を「ひょっとしたら事実とは違うんではないか」というように考えて認めようとしなかった過去があったと思います。それは政府も、マスコミも、そして一部の有識者もそういう風な疑惑の目を向けて来たのではないかと思います。 この拉致被害者ご家族の声に耳を傾けなかった我々の責任というのは大きいと思っております。
この事実を事実として言わないでしまったという思いもあります。

私が出しました「極秘指令」という本は、1987年11月に発生した「大韓航空機爆破事件」の犯人である蜂谷新一こと金勝一(キム・スンイル) 蜂谷真由美こと金賢姫(キム・ヒョンヒ)の二人を拘束した経緯をまとめたものです。 私はこの本で訴えたかったのは、事実を事実として言わなくてはいけないのではないかということを少しでもお伝えできればとの思いで 出版致しました。

1987年の12月15日のテレビ報道をご覧になった方も多いと思います。韓国の空港に着いた飛行機から、自殺防止用のマスクを口に取り付けられて、両脇を抱えられて、タラップを降ろされる金賢姫の姿を覚えておられるかと思います。
あのシーンでこの世の中に「諜報、工作活動」というものが存在するのだということを 皆さんも少しは理解しはじめた瞬間だったのではないでしょうか?
只、そのシーンの裏には、このことを突き詰められなかった日本政府のふがいなさ、金賢姫(キムヒョンヒ)を取り調べることなく、韓国側に引き渡してしまった日本政府のいわゆる弱腰外交、それが読みとれるのではないかと思っております。

大韓航空機爆破事件、115名という尊い人命が失われた単なるテロ事件ではないことは、みなさんもよく記憶されていると思います。
その事件の裏には、我々が真剣に考えなければいけない重大な問題があります。日本国のパスポートが偽造され日本人化教育された工作員がいて、日本が陥れられようとした重大な問題があります。
日本の国益が大きくそこで失われました。日本人に偽装するために日本人化教育に利用された、あるいは北朝鮮によってその日本の情報収集の一端を担わされている拉致被害者の方がいると言うことを突き止められなかった日本政府の、日本の体制そのものにも問題があります。

さてここで少し突っ込んでお話しさせて頂きます。
私は1989年8月に在バーレーン日本国大使館勤務を終え、9月に休暇をとるよう(一部不明:休暇をとって渡欧した意味?)
基本的には3つの目的を持っておりました。
具体的には当時のソ連モスクワ、オーストリアのウィーン、東西ドイツのベルリンに入りました。

3つの目的というのは、ひとつは北朝鮮大使館側とオーストリアの北朝鮮大使館に於いて、大韓航空機爆破事件をはじめとする国家犯罪に、北朝鮮が大韓航空機を爆破したと国際社会では判断している事に対して、北朝鮮がどういう考えているか、それを問いただしてみるという目的がありました。
当然ながら金賢姫(キム・ヒョンヒ)をはじめとする工作員に対する日本人化教育、偽造旅券作成、その真偽を問いただしてみる。
更には対日工作活動の全容を調べるために、自分自身で手段を問わず、北朝鮮に入国できるかどうかの可能性を見いだす目的もありました。

二つ目及び三つ目の目的は今日の集会の主旨とは直接関係がありませんので、詳細については差し控えますが、簡単に申し上げますと、当時東西ドイツベルリンの壁の崩壊情報、東側社会の崩壊情報を当時のソ連国家保安委員会=いわゆるKGBといわれているメンバー等にその信憑性を確認するという目的がありました。

ウィーンでは、オーストリアの北朝鮮大使館側と話し合いを持ちました。
先方は参事官以下、書記官含め計5名と対談を持ちました。
私が金勝一(キム・スンイル)金賢姫 (キム・ヒョンヒ)を拘束した当事者であるということで、相手も懐疑心、動揺を示しておりましたけれども、私の「北朝鮮が大韓航空機858便を爆破したのか」というストレートな問いに対して、彼らは一貫して「南が悪い、南のせいだ」と返答してきておりました。

私の予想としては、私のストレートな質問に対して彼らもストレートに「何を馬鹿なことを言っているんだ。北朝鮮がするわけないだろう」と返答してくるのかと思いましたが、「すべて南が悪い、南のせいだ」と他者に責任転嫁するかのような、曖昧模糊と言いますか、議論を噛み合わせまいとする返答に固執しておりました。
私はことばや表現を変え同様の質問を幾度となく行いましたが、彼らは反論するわけでもなく、噛み合わない返答を続けておりました。
当然ながら北朝鮮が大韓航空機858便を爆破したという(ことの)明確な否定もなく、当然ながらそれ尾を認める返事も彼らはしませんでした。

また金勝一(キム・スンイル)金賢姫(キム・ヒョンヒ)の身元についても問いただしました。更に彼らが日本語を話し、日本人化教育を受けていることに対する開廷、旅券を国ぐるみで偽造していることの真偽もを聞いてみました。
しかし彼らは「この二人が誰かは知らない。彼らは南の工作員あり、南のせいだ。全て南の策略だ。北も南にも日本語を話せる人たちは大勢いる。日本人化教育などは、かつての日本がやったことだ。
偽造旅券のことなども知らない。どうして、どの部分で偽造旅券だということがわかったのだ?」などというような返答を続けておりました。

また、バーレーン空港での私と金勝一(キム・スンイル)と金賢姫 (キム・ヒョンヒ)とのやりとり、彼等の自殺現場を録音(録画?)したカセットテープもそこで開示し、彼らの反応を覗ったのですが、彼らは、動揺をみせたものの、ただ単に白を切るようかのように無関係を装いながら「南のせい、あくまでも南の策略だ」と言い続けておりました。

更に、「ここ数年ヨーロッパから複数の日本人が北朝鮮に渡っているということを聞いているが、その人たちが何のために北朝鮮に渡っているのか?単なる旅行とは思えないが」という質問をいたしました。
彼等は「北朝鮮にはチュチェ思想がある。北朝鮮に渡っている日本人はそのチュチェ思想を勉強しているようだ」と答えてきました。
日本人がヨーロッパから北朝鮮に渡っていると言うことに対して、つまり私が<渡っている>と言うことを聞いていることに対して否定をしませんでした。

何故「チュチェ思想を勉強している」とそこで即答できたかに対しても疑義が残るところです。そこで私は『チュチェ思想なるものを私自身も北朝鮮で勉強したい。ついては私を北朝鮮に連れて行ってもらえないか?日本の外務省職員が北朝鮮に入国したということは彼等にとっては都合の良い話ではないのか?彼らが、外務省職員が北朝鮮に亡命したとか、うまい理由をつけて国際社会に発表すれば北朝鮮にもいい話ではないのか』という交渉を行いました。

北朝鮮、そういう国家犯罪を犯し、日本の国益を侵し、平気で偽証するそういう国の実態を私自身、この目で北朝鮮の国内で確認しなければと言う想いがありました。

北朝鮮のその日の対応は「即答はできない、本国にその旨を伝え本国の決済=返答を受ける必要があるので3日間待ってくれ」ということでその日の会議は終わりました。

それから3日後、私は再度北朝鮮大使館を訪ねました。本国からの返答は「日本の外務省職員をオーストリアから直接に入国させることは認めない」という返答でした。「但し、可能性としては一旦日本に帰り、日本の朝鮮総連の誰某とコンタクトをとり、日本の朝鮮総連から本国に要望を出せば、高い確率で貴方は北朝鮮にいける」とう返答でした。

すでにヨーロッパから複数の日本人が北朝鮮に渡っているとの情報は出ていましたが、それが日本人自らの意思なのか、それとも意志に反して北朝鮮に渡らざるをえなかったのかという情報は、私もその時点で掴んではおりませんでした。

私がこの種の情報を得たのは、他国の諜報機関、そのエージェントからでした。
日本政府はこれに類する情報は何も持っていなかったと思います。私の知る限りこの種の情報を日本政府が持っていたとういうことは聞いておりませんし、記録も残っていないと思います。
言い換えれば日本政府には、こういう情報(を)収集する体制や方針がなかったということです。

当時拉致問題があることは、一部の有識者の中ではささやかれておりました。
が、日本政府をはじめとする、マスコミ、行政や国民の目は冒頭に申し上げましたとおり、冷たかったのではないかと思っております。

とりわけ日本国内での拉致は、拉致被害者本人及びその家族の尊厳を傷つけるばかりではなく、日本国民の安全を脅かし、主権を侵し人権を蹂躙するものだと思います。

日本がその当時から諜報に対する意識を持ち、国家として総合的な、安全保障体制を整えていれば、あるレベルでの拉致の防止やその後の対策が、当時から作られていたのではないかと思うと、私自身当時一公務員として働かせて頂いた私自身、国民に対する、そのご家族の方々に対しお詫びを申し上げたい気持ちでいっぱいです。

1990年3月私は、外務省を辞職致しました。
情報という者に対する日本政府の姿勢に愛想がつきたというのも要因のひとつですが、当時は、公務を離れたプライベートな立場といかように主張したとしても、ソ連の諜報機関の関係者や北朝鮮大使館側=北朝鮮の公務員と接触を持つことは禁止されております。当然、金銭での取引とかそういったことがあるということは(不明、当然という意味?)
したがって、ヨーロッパから日本に帰国できたとしても懲戒免職等の罰を受ける立場でもありました。結果的には懲戒免職ということにはなりませんでしたが、罰は罰。規則を犯した罰を受けるべき、けじめを付けさせるべきとの声も強く、道は道、筋は通すべきとして、私自身、辞職という形をとり、外務省を去りました。

退職後も他国の諜報機関との接触が続き、その影を消すのに相当の年月を要しました。
身の安全も含めて全て自己責任として、隠遁生活を続けていた時期もあります。当然私の身内や関係者に何らかの影響がでることも危惧し、一切コンタクトをとらず行動を控え、黙して生きてきた時期もあります。

そう言った中で、拉致被害者家族の戦う姿を見たとき、「いや、このままではいけないんじゃないのか」と、その戦う姿に大きく刺激され、自分が黙して生きてきたことを反省して、これから少しでもまた何かお役に立てればという思いを持っております。

さて、時間も迫っておりますので、最後に我々が北朝鮮問題に対してどう立ち向かうか、私なりに簡単に述べさせて頂きます。
さてどうするか、「北朝鮮と戦争をしますか」と言っても、日本国民がそれを望むわけもありませんし法的にもありえません。戦争を行うべきではないと思います。
それでは北朝鮮の体制が崩壊するのを待つのでしょうか?これは我々が望むところでありますが、現実には崩壊しておりません。

それでは経済制裁しますか?と。
~~即刻すべきです。~~
単に経済制裁のみならず、可能な制裁を、あらゆるレベルで、即刻実施すべきだと思っております。
これ以上何もしなければ完全な手遅れになります。
他国の協調行動がなければ、特に周辺国、中国、韓国、モンゴル、ソ連(ロシア)の協調行動がなければ、その影響は小さいことは分かり切っています。

かといって、経済制裁の効果が小さいから、あるいは周辺国の北朝鮮との貿易関係が強まるからと言って経済制裁をしないという、そういう損得勘定で外交を行えば、日本の尊厳、外向的立場、国際社会における立場は完全に失われることになると思います。

単なる損得だけで動くことで、果たしていいのか?そうではないと思っております。

また、北朝鮮は、日本の世論も恐れていますが、国際世論も恐れています。

国連、あるいは国際的人権擁護団体に対して、日本がもっと訴えていく必要があります。
あるいは民衆レベルで、国境のないインターネット等あらゆるメディアを媒体として国際世論に北朝鮮おける包括的人権問題も含めて、その中心となる拉致被害者の人権を軸に、国際世論に訴え、国内的には制裁世論と、北朝鮮に強制的にでも調査団を乗り込ませ、事実究明をはかるという、こういうことに対して国内的にも理解を求め、国内世論、国際世論両方で高めることで北朝鮮を包囲していくと言うことが必要だと思っております。

即刻、直ちに、あらゆる制裁を発動し、実施し北朝鮮に乗り込むと言う声をあげていくべきだと思っています。

圧力と対話という紋切り型の表現を維持している日本政府、膠着状態の続くこの状況をこのまま私達がみていていいとは思っておりません。

みんなが、国民一人一人がまず、声をあげていくことから、この膠着状態を打破する第一歩が歩き出せるのではないかと思っています。

以上今日のお話しは終わりとさせて頂きます。
ありがとうございました。
極秘指令~金賢姫拘束の真相 ◆砂川 昌順 (著)

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小川 晴久さんのお話(1)

◇第10回「拉致被害者と家族の人権を考える市民集会~拉致を語らずして人権を語るなかれ~」
                  2005年4月10日藤沢産業会館にて
小川晴久さん
「守る会」名誉共同代表、二松学舎大学教授、東京大学名誉教授

只今ご紹介にあずかりました、小川でございます。
今日は横田めぐみさんのご両親と一緒にお話しできるといった機会を与えていただけたことを嬉しく、光栄に思っております。

砂川さんのお話を聞いたのですが、25分という制約がある中で、ひとこと、ひとことが重くて(少し言葉に詰まる、涙ぐむ)とても良いお話しをお聞きすることができました。

私に与えられた時間も20分少々になりますが、今日お話し申し上げたいことがいっぱいありまして、レジメを用意しました。その中にたくさんのことを書かせて貰ったんですが、テーマは「北朝鮮の人権問題と世界の関心」というものにさせて頂きました。

私は悪い癖がありまして、一度に全部のことを語りたいと。

このレジメは(私が北朝鮮の人権問題に目を開いて以来今日まで僅か12年間なんですけれども)市民運動、人権運動をしていて学んだこと、掴んだ事を全部ぶち込んだレジメでございます。

但し今日は時間の制約もありますし、北朝鮮の金正日の体制というのは、どれだけひどい、悪い体制であるかというのは、日本の、特に民法テレビのがんばりでかなり知られるようになっているわけですので、北朝鮮が一体いつからあんな国になってしまったのかはレジメの3番目、4番目に要点は書いてありますので、後で参考にして頂ければと思います。

今一番私たちに求められている事は、横田滋さんも、砂川さんも仰いました。「膠着状態になっている。どうしたらいいんだ。何をやればいいんだ」ということだと思いますので。
その点に関していわゆる「包括的な解決方法」、小泉さんが何度も言っていますが、「包括的」と。人権問題も経済問題も、国交を開く問題も、すべて包括的に掲げて、その中で、できることからやっていこうという包括方式とか、六カ国方式で打開していくとかいう政府が取っている、あのやり方、あれは間違いであるということを、どうしても申し上げなければなりません。

私は今の憲法で育った世代の一人でありますので。1941年に生れて1947年に小学校に入った一人です。(ですから)今の憲法で小学校から育てられた世代ですので、どうしても第9条、「戦争放棄」(にこだわります。)

今の憲法はものすごく人権条項に恵まれた憲法であります。世界人権宣言と双子ではないかと思われるほど、日本の憲法は世界の中でも、ものすごく人権尊重を謳った憲法ですので、この憲法を生かして、隣国の北朝鮮の人権問題の解決に努めたいと、そういう立場で今まで、考え、且つ行動してまいりました。

人権は国境を越えますから、人権問題にものすごく敏感な人たち、それは、アメリカであり、ヨーロッパの人達であります。そういったひとたちが、世界が、北朝鮮の人権問題にどこまで関心を向けてきているのか、そのことが特に5番目にまとめてあるのですが、そこを中心に(お話していきたいと思います。)

現在この瞬間(4月10日)にもジュネーブで第61期国連人権委員会が開催中であります。
明日(4月11日)、ヨーロッパ=EU諸国と日本が、-今回は日本がかなりイニシア(ティブ)をとって-今年の北朝鮮に人権改善を求める決議案を上程して15日に採択される見通しでありますが。

現在進行中のジュネーブ国連人権委員会で どういう形で北朝鮮の人権問題が集約されているかについて今日は申し上げたいと思います。

今砂川さんがおっしゃったとおり国内の努力というのはまだまだたりない。小泉政権があのように「対話と圧力」「対話と圧力」それしか言わない政権、首相ですので。もっとはっきりさせてくれ(と言いたい)。
「対話の段階ではないんだ。交渉の段階ではないだ」ということがはっきりしているのにも関わらず、やるべきことをやっていない、そういう政権を私たちは持っておりますので。

日本国内でも、平和勢力、民主勢力、「第9条を守ろう」と一生懸命がんばっている人達、9条の会に結集している人達、その代表たちが北朝鮮の人権状況について発言しないという状況。私は、これは正しくない対応をされていると思うんです。(この部分強く怒りを持って仰っていました)

私は、第9条を守りたいという一人ですから、第9条を守る運動が広がっているのはとても評価しなくてはいけないのですが、しかし、何故そこで、北朝鮮のものすごいひどい人権状況について、あの年配の日本を代表する知識人たちが語らないのか!(声を強めて)どうして語らないのか? 大江健三郎さんにしても、何故このことを事挙げしないのか?ほんとにおかしな事態が進行しております。

憲法9条がどんどん崩され、有事体制がど進んできたこの10年間、その引き金を引いているのは、ノドンの発射、テポドンの発射、これによってぐいぐいと有事体制化が進行致しました。

それからイラク戦争に対しても、日本政府はアメリカをイギリスを支持して自衛隊を送っていますけれども、本来だったら断固、第9条の立場から、あんな遠くに自衛隊を送るのかということで大きな反対運動がおこっていいはずなんですが、それが暗黙のうちに、国民の半数以上の人たちの支持があって、その事態が進行していると言うことは、やはり北朝鮮の影が濃いからなんですね。北朝鮮脅威をいうものを、日本国民は肌身で感じているので、こういう事態が進行して、第9条がどんどん崩されていく。そういうことを第9条を守ろうという人たちは何故しっかり抑えて発言しないのか?

ものすごい人権条項に恵まれている憲法を持っている国民、市民として、その人権条項を守るためもですね、早く北朝鮮の人権状況を改善しなければならない。(これは)ものすごく密接に関連があるはずなんですけれどね。
そう言う点日本国内でも、韓国ででも同じです。

(現在の)韓国の政権は民主化を達成した勢力が作っている政権であります。あの過酷な軍事政権と戦って血を流して、そして自分の力で勝ち取ったあの政権です。あの人達何故あの北朝鮮のものすごい、おぞましい人権侵害に対して積極的に改善するように声を挙げないのか?

「北朝鮮を刺激してはいけない。対話が始まったからばっかりだから刺激しちゃいけない」という態度、今のノムヒョン政権。ものすごくねじれていますね、韓国社会も。(深い憂いを込めて) 

日本の社会もねじれています。
そういうことについてもどうしたらいいかということを時間の限りお話したいと思っています。

第五項
「世界はどこまで、北朝鮮のおぞましい人権状況に気付いてきているのか?」というテーマです。

まず、第一に1979年に2月24日にロンドンに本部があるアムネスティ・インダーナショナルがベネズエラの詩人アリラメダの手記を英文で発表致しました。この英文のラメダの手記によって、世界は北朝鮮に強制収容所があると言うことを、はじめて知りました。それから9年後(1988年12月)にアメリカで「北朝鮮の人権」という大変立派な人権報告書が発刊されました。これがそれです。
(掲げて示して)『北朝鮮の人権』

それを出した主体は、「ミネソタ弁護士会国際委員会」と「アジアウォッチ」 という人権団体です。二つのNGOが共同して今日でもこれを凌駕することのない、北朝鮮の人権状況の把握ですね、今から16年前にだしました。これはアリ・ラメダの手記が、かなり大きな引き金になったのではないかと推察しております。

ところが、この翻訳大国の日本がこの大変立派な北朝鮮の人権報告書を昨年11月まで翻訳しませんでした。このこと自体も大変恥ずかしいことです。

3番目、ロンドンにあるアムネスティは、北朝鮮の人権問題について、大~きな貢献をして参りました。先ほど申し上げましたラメダの手記を発刊したり、富士山丸の漁船民の拿捕についても、アムネスティは1980年代に世界に訴えました。そういうことも、この人権報告書で知りました。

4番目にですね。
私が北朝鮮の強制収容所に気付くきっかけは今から12年前、1993年8月に東京のある朝鮮料理屋さんでですね、-40年前に、日本から沢山の人が北朝鮮に渡りました。日本人妻も6000人ぐらい渡ったと言われておりますがーその帰国者たちの家族が、北に渡った家族が強制収容所で殺されたり、ひどい迫害を受けているということを、はじめて小さな屋内集会で、(知りました)私もそこに誘われて、12年前、はじめて帰国者が受難していることや、山の中に恐ろしい収容所があることを知りました。その時から、この問題に取り組むようになったんですけれど。

韓国でも、同じような市民団体が私達の市民団体ができた2年後に誕生しました。私達は「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」という長ったらしい名前です。 韓国では「北韓人権市民連合」というNGOが一緒になって、「命と人権」という英語のパンフレット世界に発信することを始めました。

それで、何を訴えたかったかというと、山の中に恐ろしい強制収容所があるんだという事実を訴えたくて、4刊、今までに出しました。

第5番目に国連人権委員会の小委員会が、1997年8月にはじめて決議を出します。それは2年続きます。

6番目に、フランス知識人21名声明。1999年3月12日にでます。

(7番目)それからアメリカ上院外交問題小委員会では、強制収容所体験者を呼んでヒアリングをしました。1999年4月に行われています。

(8番目)それから、1999年12月から、北朝鮮難民問題国際会議というものが、ソウル(1999年12月)で開かれ、第2回もソウル(2000年12月)東京(2002年12月)で開かれ、そして一昨年はチェコのプラハ(2003年2月)で開かれ、昨年はポーランドのワルシャワ(2004年3月)で行われ、そして今年はまたソウル(2005年2月)で開かれました。こういう国際会議が営々と続いています。

(9番目)それからドイツ人の医者フォラツエンさんが2001年1月から、「北朝鮮を知りすぎた医者」(2冊)と言う本を出して、個人の力であれだけのことができるのかと思うぐらいがんばって、「情報こそ、インフォメーションこそ力だ」という信念の元に、行動を開始されております。
北朝鮮を知りすぎた医者 国境からの報告(Part2) 北朝鮮を知りすぎた医者

(10番目)それから、2001年9月(あのニューヨークセンタービル爆破事件の月でありますが)北朝鮮人権改善のためのアメリカ委員会が発足しました。とっても立派な創立宣言を出しております。この創立宣言の何処が立派かと言いますと、「安保問題よりも、核問題よりも、人権問題のほうが大事だ」という視点を打ち出したことです。

11番目になりますが、国連人権委員会のコリア委員会で、立派な決議がでるようになりました。、

(12番目)そして昨年の4月(2004年)の決議では地域を特定した北朝鮮の人権問題を特別に調査する特別報告官が勧告され昨年の7月にタイの学者、ムンターボーンさんが初代の北朝鮮特別人権報告官に任命され、精力的にその方が活動され、今回進行中の人権委員会に立派な報告書が提出されております。

そして昨年12月には、アメリカで「北朝鮮人権法」が成定され、これが北朝鮮に対する大きな圧力になっているのはみなさんもご承知かと思います。

このように世界の中で目立つのは、アメリカです。この立派な人権報告書をだしたアメリカの人権団体がひとつの象徴ですね。それから、クリスチャンたちのものすごく活躍していますね、アメリカであれヨーロッパであれクリスチャンたちの活躍が非常にめざましい。。

アメリカとヨーロッパが非常に良い形で提携して、今日まで、国連人権委員会に向けて北朝鮮の人権状況の改善のために、力を合わせて努力しております。

人権決議の中には山の中に恐ろしい強制収容所があるということが、しっかりと書かれておりますし、北朝鮮の人権問題がほとんど全て網羅されている、レベルの高い決議が採択されております。

あとは、砂川さんが仰ったとおり、「人権査察」が必要なんですよね。核査察は一度北は受け入れましたが、核施設をごまかして隠してきたんですが。それよりも人権査察が必要なんですよね!

人権査察で何を査察するか?それは山の中に今5つ6つに集約されているといわれている強制収容所を詳細に確認し査察する必要がある。しかしこれはもう人工衛星でキャッチされています。

アメリカの商業用の人工衛星なんですけれど、山の中の強制収容所の詳細な衛星写真が、一昨年、アメリカ人権委員会の報告書「隠された強制収容所」という報告書に、26枚の強制収容所の衛星写真がここに示されております。

昨年の9月にイギリスの外務次官、ビル・ラベル(?)さんというひとが(イギリスは北朝鮮と国交がありますので)、人権問題を特定して北朝鮮に乗り込みました。そして北朝鮮当局に、ここに強制収容所があると言って、写真を持ってその確認を迫ったんですね、そうしたら、北朝鮮はそれは刑務所であるとごまかしたそうです。でもラベルさんはその報告書を2冊おいてきたそうです。そこまで行っている。

残念なことに私は、40年前、学生時代は北朝鮮を支持していたひとりでありました。
当時は、北朝鮮はあんなにウソをつくようなでたらめな国ではなかったと思うんですね、。
だからこそ、たくさん多の人がいろんな人の説得に応じて、北朝鮮に渡ったんですね。全て騙されたとは言えないところがあるんですね。<北朝鮮というのは社会主義だ。日本では大学にも行けない。日本の大学を出ても研究職には就けない>というのが当時の状況でありましたから、東北大学で研究していた在日の科学者たちも率先して北に行くんですよ。その人達が数年後に強制収容所にぶち込まれてしまうんですよね。そんな悲劇を私達は、なかなか判らなかった、長い間。(感慨深く)そういった帰国事業の悲劇もあるんですけれども。

今や北朝鮮はあらゆることにウソをつくひどい国になっちゃいましたね。これは本当に悲しいことなんですけれども、そこのところをどのように打破して行くかと言いますと。

今申し上げた国連人権委員会をはじめ、人権を守れという世論も高まりつつありますけれど、だ・け・ど、北朝鮮は崩れませんよね。なぜ崩れないと言うと、国内でがっちりと体制を固めているからです。なんで固めているかというと秘密警察、密告制度、それから恐ろしい強制収容所です。本人が収容所にいれられるのだったら、まだ我慢もできます。自分さえ勇気を持っていればいい。。ところが、家族ぐるみ入れられちゃうんですね。裁判もなしに。こういうことは、強制収容所体験者の手記を読まないと判らないんです。手記は日本でいっぱい訳されています。その手記はレジメの第2番目のところに書いておきましたので読んでください。この中の一つでもいいですから読んで頂きたい。(参照A)

時間もなくなってきましたので、何故、北は崩れないのかとうと、これは国内をがっちりと固めている。金正日という人は国家主席になればいいものを、国家主席なんか蹴飛ばして、軍事委員会の委員長なんですね。それはどういう事かと言いますと、北朝鮮の軍隊、秘密警察、その上に彼は自分を乗っけて、自分ひとりの命を守っているんです。北朝鮮の軍事力で、自分一人の命を守っているんです。(声を強めて早口で)

金正日さえいなくなったら、金正日さえその地位から引きずり降ろせば、北朝鮮の民主化は一気に始まります。(それなのに)何故(崩れない)かと言えば、金日成から築いた恐怖の体制=強制収容所、秘密警察=そういう体制がまだしっかりしていますから。金正日、金日成の批判をしたら、即刻山の中の収容所に持っていかれてしまうんです、家族もろとも。
北朝鮮の人達の命が、全部あの金正日というたったひとりの人間の手に握られているです。

もちろん北朝鮮を支えているのは金正日だけではなくて支配層はありますよ。
もし、金正日が失脚したら、自分たちも一緒にやられちゃうと言う。北朝鮮政府に代表者はみんなそうですね。そう言う人たちは、必死ですよね、あの体制を守らなければならないと。だけど、金正日さえひとり除去できたら、ものすごく早く、北朝鮮というのは民主化する。この問題は解決されていくと思います。

そのために(失脚しないために)彼は必死になって、軍事委員会の委員長として自分を守っているんですね。

だからなかなか倒れないと言うことがあるんですけれど、だけど、残念なことに(国外にも)北朝鮮を支えている勢力があるんですね。ひとつは中国です。ひとつは残念ながら韓国政府ですね。残念なことに、日本政府もなんて言うんでしょうか・・小泉さんと金正日が会談しましたよね。宣言を発表しましたね。あれを(日朝平壌宣言)を遵守するなんて言ってますからね。だから、日本政府の北朝鮮に対する対応は非常に弱いですね。だからこそ、拉致家族の皆さんも非常に苦しんでいらっしゃいますね。

日本政府もどっちかと言えば北を支えている。

何故、支えているかと言うと、北朝鮮が崩壊して難民が多く出てきたら困る。それだけです。これはエゴイズムだと思います。難民がいっぱい出てきたら困る。だからできるだけ今の体制で改善していって欲しいというのが、中国、韓国政府、日本、ロシアもそうですね。そう言う形で支えちゃっているから、なかなか崩れない訳です。

だけども、支えている国の中にそれぞれ大きな矛盾があります。
一つは、中国の矛盾ですね。中国は1951年に難民条約に加盟しております。『この人を送り返したら命が危ないという場合は、保護しなければならない』というのが難民条約の根本精神ですね。

ところが北朝鮮からどんどん難民が出ています。その難民を中国は捕まえて送り返しているんです。
これは難民条約の明白な違反ですね。国際人権活動家たちは、もう歯ぎしりしています。何を言い始めているかといいますと、今年の2月のソウルでの国際会議の決議に入りました。
『中国政府がこんなことをやってたら2008年の北京オリンピックをボイコットするぞ。』と。この声がだんだん、だんだんと高くなっていくと思います。これは中国の一番の弱点でありますね。北京オリンピックを成功させたいと思っていますから。これは中国の最大の弱点です。難民条約に違反して脱北者を送り返しているんですから。

韓国政府の弱点は何かと言えば、軍事独裁政権と戦って血を流した人たちが、北朝鮮の裁判もなしに、金正日、金日成の批判をしただけで、収容所に入れてしまうような体制、あれに賛成するはずないんですよ。民主化でがんばった人たちが、もしそれをあからさまにそれを知ったらですね。そこも、ものすごい矛盾ですね。

今、386世代(60年代に生まれ80年代に大学校に通い、現在30~40代の世代)というのが政権を支配していると言われています。それよりも10才上の世代486世代が分離して動き始めています。それはとても待ちに待っていた嬉しい事態ですので、大いにそれを見守りたいし、その人達と一緒に行動していきたい。

更に、日本の北を支えている人たちの矛盾が何かと言えば、さっきの9条を守ろうとしている人達が、北朝鮮の人権問題について口を噤んでいると言うこの矛盾です。これは早急に解決されなくてはならないと思います。

総じて言えば、平和勢力、民主勢力、もっと端的に言えば左よりの人たちですね。その人達が北朝鮮に対してものすごく甘いんです。この弱点がある。この人達が、北朝鮮を支えてしまっているのです。ここのところの矛盾をもっと突いて、こういう人達がもっと拉致問題にも取り組み、難民問題にも取り組み、北朝鮮に返った人たちの受難もですね、そういった問題をどんどん取り上げるべきです。(また)特にNHKはもっと北朝鮮内部の収容所などの問題を報道しなければいけないと思います。

そう言うことも含めて、やるべき事ははっきりしています。

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小川 晴久さんのお話(2)

最後に私の悩みについて書いておきましたけれど。
どういう悩みかというと、強制収容所の手記などが翻訳されて出版されておりますけれど、こういうものがねずみ算式に読まれていかないんですね。私は、ねずみ算式に読まれていくんだと思っていたんです、最初は。
(それを読んで)驚いて、親しい人に知らせなくてはならないと広がっていくと思っていたんです。どうもそうではない。

最近わかりました、その理由が。人間は不幸なことから、目をそらしたい。不幸なことを見つめ続け、その認識を深めると言うことは、人間の本能には反する。

だから私は友人達に訴えるんですけれど、年賀状で400人ぐらいの友人に。
昨年若い人たちと
『北朝鮮・隠され強制収容所』とか、ミネソタ弁護士会の『北朝鮮の人権』
やっと訳しました。それを「読んでください」と頼みますね、年賀状で、400人。反応してくれた人は10人ぐらいです。反応してくれた人はホントに心の優しい人たちだと思うんですけれど。でも何故かと考えると、やはり人間には、不幸からは目を背けたいという気持ちがあるんですね。
でも、そんなことでは、拉致問題も、何も解決しないんですよ!

どうしたら良いかと言いますと、やっぱり努力するしかないんですね。
手記などを読んだ人が、一時期はいろいろ動きますよね。でもやっぱり疲れてしまうんですよ。なかなか解決しないから。

その時に考えたのは、『勉強することだ』ということです。
何を勉強するかというと、『命というのはものすごく大切なものなんだ』という勉強、『人権を確立するためには、どれほど困難な歴史があったかということの勉強』それから『最近20年間のアメリカの努力』についてです。

アメリカは憎まれていますね。イラクの戦争とかいろいろ。私も学生時代に左翼に入って活動した人間ですから「アメリカ帝国主義」というイメージしかないんです、アメリカに対して。

だけどアメリカはイギリスから分離独立した国ですよね。
ベトナム戦争でホーチミンが指導したときの、ホーチミンの合い言葉はなんだと言えば、「独立と自由ほど尊いものはないんだ」という言葉です。これはアメリカの独立宣言の言葉ですよ。ホーチミンは、アメリカの独立宣言の精神を持って、アメリカのものすごい空爆と戦ってあの時アメリカを追い出しちゃったんですね。

そう言うこともあってアメリカは今は大国で、世界一の強い国ですが、『人権』とか『自由』とか『民主主義』については歴史がある訳ですね。その歴史を我々は勉強してこなかった。アメリカ批判一辺倒。

説明つきませんよ、2001年にアメリカ人権委員会ができたこと、昨年『北朝鮮人権法』というものすごく立派な人権法が成立したこと。満場一致だそうです、上院下院! アメリカ議会で、満場一致です。
レベル、ものすごく高いです、アメリカ北朝鮮人権法は。内文なんて、事実認識では北朝鮮の人権状況を全て認定していますよ。

顧みて、日本政府はどうですか?
    日本の国会議員はどうですか?
    日本の政党の北朝鮮の人権状況への認識はどうですか?

    ものすごく遅れています。(深い落胆と憤りとを込めて)
    
この認識の遅れは何処に表れているかと言いますと、NHKが報道しないこと。
日本国民の認識レベルは民法テレビとか、週刊誌とかの、手記とか、難民の証言とかの、その域を出ていません。
日本人のこの認識の遅れは、アメリカの国会議員達の認識に比べて、ほんとに恥ずかしいぐらい低いですね。

そういうことを考えると、何を勉強しなければならないかというと、『命に関する勉強』『人権の歴史に関する勉強』特に最近は、『アメリカのこの20年間の人権、民主主義を普及するという努力』ですね。
これについて勉強しなければならない。

6回の国際会議を支えてくれたひとつのスポンサーは、ナショナル・エンダウメント・フォー・デモクラシー(NED~National Endowment for Democracy~米国民主主義基金)というアメリカのNGOです。それは アメリカ議会のもとにできているNGOです。
このNGOが、国際会議の費用の半分を持ってくれている。そう言う点でも、アメリカに対するイメージには悪いイメージもあります、悪いアメリカもありますが、しかし、人権を守るというアメリカもあるわけなんですね。
その点、私は今の日本国憲法ははっきり言って、与えられた憲法だと思うんです。こんなにありがたい憲法はありません。世界人権宣言の双子です。それを我々は、力で勝ち取っていないために、(人権意識が遅れている。)今北朝鮮の人権問題を通して、日本国憲法の精神を守っていくべきなのです。

北朝鮮に家族のいる在日は何も言えないんです。北朝鮮に家族のいない日本人、たくさんいるでしょう、私も含めて。彼等の言いたいことを聞いて、それを変わりに語っていくことです。それは日本国憲法の人権条項の精神を守っていく活動でもあります。

以上です。

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北朝鮮難民救援基金の方のお話

4/10神奈川集会での北朝鮮難民救援基金の方のお話

こんにちは、今回お話しをさせて頂き本当にありがとうございます。
「北朝鮮難民救援基金」は98年に設立されて、設立されてからずっと様々な北朝鮮難民に対する救援活動をしてきました。

私はその中で私の心を一番温かくする救援活動のひとつは、「教育里親制度」です。
それは、「何処で生まれた子であれ、どの国の国籍を持つ子であれ罪のない子供達を一人でも守りたい」という気持ちで、里親になってくださった日本の方々の国を超えた愛が、今も難民の子供達の命を守り続けているのです。  

今、北朝鮮難民の子供達は本当に重労働や売春 寒さ、飢えで、ほんとに様々な危険にさらされ、命を、その小さな命を落とし続けているんですね。

今も飢えから逃れようと北朝鮮から山を越え、川を越え何日も歩き続けて、国境を越える子供が居ますね。私も以前、中国の国境沿いの白頭山の山の奥に~で(不明)登ったことがあるんですが、その時に、6人の子供達がとぼとぼ(もうまっ白なんですね、雪で)歩いてくるのに遭遇しました。で、(感極まる)

その時子供達の口から聞いた言葉は(涙で言葉がつまる)「私達が何とか国境を超えて働いて~おとうさん、おかあさん、みんな食べられなくて寝たきりになってしまったんですね~でも、おばあさんや、おじいさんに食べさせたい」 という一言でした。(涙でしばらく話せない、会場無言)

北朝鮮の子供達は、食べられなくて、15才16才17才でも日本の小学生より小さいんです。その時会った子供達もそうでした。ほんとに日本の小学生より小さいです。(涙・・)

場所を話せないんですけど、今第3国に逃れている子供に会ったことがあるんですが、-ふたごだったんですけど-。初めて私、幼稚園だとおもったんですね。で聞いてみたら、「15才」と言うんですね。寝てる姿をみたら、胸が出っ張っているですよね。「何で胸がでっぱってるんだろう?たくましいな」って思ったんですけど。
北朝鮮内で学校に行っても、ずーと重労働をさせられていて、土とかを背負って歩いたり、そういう重労働ばかりしていて、成長できなくて押されて、それで胸が出っ張って来るんだそうです。

このような子供達、北朝鮮と中国の国境の町に逃れている子供たち、大勢います。ホントに命を落としつつある。
その中には日本を故郷に持つ、親を持つ在日の方や片親が日本の方の子供もいますね。今貴重なお話しを聞いたのですが、

  拉致被害者のこどもがそこにいないと断言できません。いるかもしれないです。

その子供達を助けること、その救いの手を差しのべる一人が、本当に切実に今必要な時ですね。

わたしがここに立っているのは・・。
中国の公安は、北朝鮮の難民の子供達や弱いおじいさん、おばあさんを助ける人は罪とするんですね。それで、逮捕して刑務所に入れるんです。中国の国境地帯の朝鮮族の人たちも逮捕されて、家まで全部罰金でなくした人も、私、見てます。

それで(朝鮮族の人たちも)だんだん冷たくなって、まず自分が苦しいので助けることができなくなって。。。。。前に行った時は、家に入る門の横で、川をわたったところなんですが。冬、川を渡ると濡れ着のままですね。着替えもなくて、寒さで(家に)入りたいんですが、入らせてくれないんですね。朝起きてドアをあけたら、その横で昨日は生きていた人がそのまま、凍死で、凍って死んでいたという話も聞いていますね。(怒りと涙)

このような(子供達に対する)助けが切に必要です。

今みなさんお手元にある資料の中に「要請文」(安忠学(アン・チュンハク)氏の早期釈放を求める嘆願書?)がはいっていますね。この方は、もともと北朝鮮からシベリアに木材伐採工として派遣されて、そこがあまりにも厳しい状態で、人間じゃない扱いされて、ひどいところだったので、脱出して、外国船に乗って、韓国に着いたときは失神状態だったそうです。

その方は苦しい悲惨な思いで韓国に1994年に入って、95年に韓国籍をとって、キガ自動車という韓国の会社の社員になって、結婚して、今は5才のこどもがいます。その方がたまたま仕事関係で中国に入って--自分の弟も中国にはいって救ったんですが--自分の経験した悲惨な思いから、仕事で中国に入るたびに難民を助けたそうです。

今年の2月4日に仕事関係で、中国の延吉の空港に入ったそうです。中国公安は着いたとたんに何にも理由を告げずに、いきなり逮捕して、そのまま監視所に連れて行かれてしまったんです。只、逮捕して監視所に入れっぱなしです。今もずっとその状態です。

(それなのに)韓国の外交部はは何にも動いてくれません。

私が先週その奥さんの所を尋ねてきました。それで奥さんがいうのは、「自分の夫がどんな死ぬ思いで北朝鮮から逃れて、2日間失神状態で、それで救われた命なのに、そこで(難民に)目をそらし事ができずに手を差し伸べたことが、何故罪になって、何故逮捕されなくていけないのか」って、韓国政府に訴えたそうです。

でもその奥さんが私に話してくれたのは、「韓国政府は力がない。韓国は自分の国のひとりひとりが(国民が)外国であんな状態なのに何にも動いてくれない。もう、この情けなさを、それを何処に訴えればいいのか。。」と私に涙ながらに言ってくれました。

安忠学(アン・チュンハク)氏とその家族がどうなっているのか、署名してくださる方に、説明したいと思います。

1994年に韓国に入国して、(8月に入国したんですが)家族は、その2ヶ月後の10月に家族全員、おとうさん、おかあさん、そして下の二人の息子夫婦、全部強制離婚させられて、家族はバラバラになって追放されたそうです。追放される直前にお母さんは××で亡くなって、追放された所は特別なところで、食物が出ない、何にも食べ物のない、飢えても何にも出ないところだったんですね。

食べるもののないところに送られるんだそうです。お父さんは、飢え死にでその一年後に亡くなって、2番目の弟は、そこで当時10才の男の子と7才の女の子を飢え死でなくして、2番目の弟は自分の家族をなくして、中国に脱出したんですね。その時中国で洗礼を受けて、もう一人の弟が残っているので、弟のことや、自分の周りの人の悲惨さが頭からこびりついて離れないので、僅かな食糧と僅かなお金を持って北朝鮮に戻ったそうです。

1998年に戻って、その後北朝鮮の保安部に捕まえられたそうです。保安部の集団に囲まれて、みせしめのために見物人が集められて、(その時弟もいたそうです。)みんなの前で打たれて打たれて、「貴方は金正日を信じるのか?神様を信じるのか?」「どっを選ぶのか?」と聞かれて、2番目の弟は「私は神様を信じる」と答えたそうです。最後まで屈しなかったので、そうしたらそのまま打たれて、撲殺されたそうです。

それを最後の弟がみて、韓国に2005年渡って、その話をしてくれました。
その方のために、みなさん是非とも協力していただきたいんです。
奥さんの言った「韓国の政府の情けなさ」を、皆さんの署名をもって、又その力をもって、そのことを訴えるために是非とも協力して頂きたいんです。

これからも、ずっと関心を持ち続けてください。
何処の国の人間でもみんな同じ人間ですね。
関心を持ち続けていただけたら本当に幸せです。
よろしくお願いします。
ありがとうございました。

署名用紙
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横田早紀江さんのお話

4. 横田早紀江さんのお話

皆様、こんにちは。沢山の方が来て下さった様で、あの、部屋が小さな所で短い時間で申し訳なく思いますけれども、本当に今日は御集まり下さいまして有難うございました。

拉致問題というのは本当に考えられない様な、子供を連れ去られたこの悲しみと苦しみは、こちらの飯塚(繁雄)さんも同じですけれども本当に家族にとって、もう地獄の様な、生殺しの様な、長いあいだ何にも分からないで、本当にあの、何が起きたか分からない様な状態が起きた訳ですね。

そしてもう家のすぐ近くの角までお友達と一緒に帰って来て、一人になって、その角まで来たのに、そこで煙の様に消えてしまって。もうすぐ曲がって二筋目の所の角から2軒目が私達の家なんですけれども、いつもこう覗いて、「まだかなあ」って窓から覗いて、こっちから戻って来るのを見ている事がよくあったんですけれども、その様な近い所で煙の様に消えてしまいました。その時に、丁度あの、新潟日報にも本が出ましたけれども(『祈り 北朝鮮・拉致の真相』)、こちらにも書かれてありましたけれども、私達の住んでいた角の家、隣の家の2階にその当時、今はお医者さんになっていらっしゃるんですけれども、女の方で医学生の方が下宿をしてらしたんですね。
その頃ね、私達がいた時に。

その時に丁度あの、(昭和)52年の11月15日の夕方、丁度めぐみがこの角で消えた丁度その頃に、はっきりとした時間は分からないんですけども、その2回の医学生さんが悲鳴の様な声、はっきりとは覚えていないんですけれども「助けてー」という様な声だったような気もするし、「ギャー」という様な声だったような気もしたそうですけども、その声を聞かれていたんです。

それだけが、あの、何にも分からない中でその事だけがあの頃からありました。で、その下のおばあちゃまに「何か凄い女の人の声が聞こえたのよ」と言って後で話されていて、そしてびっくりして窓を開けて一生懸命こちらの方をこうして見て下さったんですけども、お隣の家もかなり大きな家で、木が茂ってて邪魔をして何にも見えなくて、しばらくこうして見てたんですけども、女学生が騒いで来る様な気配もないし、車が発車する音もないし、何にもなくて、どうかなあと思いながらも窓を閉めて、(聴き取れず)、で、おばあちゃまもそれをすぐにお聞きになって、「うちの2階のおねえちゃんがこんな事を言ってたけど、それはどうか分からないけど、そんな声を聞いたという事を言ってましたよ」という事をすぐに知らせて来て下さった事がありました。

それは私もいつも気にはなっていたんですが、それはあの、丁度この前、3組の御家族の方が御帰りになった時に、曽我さんも御帰りになって、曽我さんが少しずつ色んな事を、めぐみと一緒に暮らした時の状況を、皆さんも御存知の様に(聴き取れず)書いたりなさっている中で、私にもちょっと教えて下さった事があるんですね。

それはあの、めぐみと1年あとに曽我さんは連れて来られて、北朝鮮に連れて来られて、しばらく違った招待所に住んでたんですけども、ある時に曽我さんをめぐみがいる招待所に、「一緒に過ごして、一緒にここで勉強しなさい」という事で、初めて連れて来られた後の事、と言っておられました。その時にあの、とてもめぐみは喜んで、1人でいたところを、「同じ様な、私の様な人が来てくれた」というんで凄く喜んだと思うんですけれども、「こんにちは」と言ってくれた時のその感じがとっても可愛くて、もう本当にほっとしたというような事を仰ってまして、その時にはジュースを頂いたりしながら、夜に布団を敷いて寝る時に、曽我さんは何かその時に、足に、どういう傷か分かりませんが、かなりひどい傷を負ってらしたらしくて、めぐみちゃんはびっくりして「その傷はどうしたの?」って訊いてくれたと仰ってました。

そして、そんなに優しく訊いてくれた人は今までなかったので、本当に嬉しくて「思わず本当の事をお話したんです」という事で、「実は私、お母さんと一緒に佐渡の浜辺から連れ去られて、船に乗せられて来たんですよ」という事、「でもお母さんはそれっきりいない」という事を言ったら、そしたらめぐみちゃんは「実は私も、バドミントンの帰り道に、友達と別れてこの角の所で男の人に捕まって、そして船に乗せられて連れて来られたんです」、「怖かったねえ」という事を2人で囁き合ったという事をね、初めて聞きました。

だから私は、その時に矢張り誰かがそこにいたんだという事を話して、どういう姿だったとか、何人いたとか、誰か顔見知りのような人がいたという事を言ってませんでしたかと訊きましたら、「それは何も言わないで、その事だけを仰った」いう事で、(聴き取れず)言わなかったし、「もっと聞いとけばよかった」っていうような事も仰ってましたけども、だからやっぱりあの、誰かがそこにいた。それはめぐみを捕まえようと思ってたのか、もっと違った、短大生か誰か来るのを待ってたか、それは全く分かりませんけど、やっぱりあそこで「ギャー」と言ったのは、あのおねえちゃんが聞かれた声は、めぐみに違いなかったんだと、その時に私は思ったんです。


そうやって、皆様も御存知のように、蓮池さん御夫妻も地村さん御夫妻も、それから曽我ひとみさんも御母様も、みんな同じ様にこう、袋に入れられて括られて船の底に転がされて、北朝鮮まで運ばれて、そして20何年間という間あちらで監禁状態の様な物凄い惨い生活をさせられて来たという事が分かって来ました。

めぐみも、たった一人ですけど、何が起きたか分からないような状態で、あの、余りにも泣き叫ぶので船の底に放り入れられて、もう物凄い絶叫して泣いて、あの、「助けて、助けて!」って泣きながらチョンジン(清津)まで運ばれたという事がアンミョンジン(安明進)さんの本に書かれてありましたけれども、本当にもう、こんな事が今この平和な日本の中で行われていたなんていう事が、私達当事者であっても「そんな事があるんですか?!」っていう信じられない、半信半疑の思いで、あの、名前を公表して、めぐみの写真と名前を出して来た訳です。

その中で色んな事が表れて来て、そしてあの、中々解決に向かわなかったんですけども、小泉さんの訪朝がありまして、初めてキムジョンイル(金正日)という、あちらでは滅多に会えない人に会う事が、トップ同士が会う事が出来て、初めて向こうが拉致を認めて、そしてあの、「我が国がやった事だ」っていう事を言いました。

けれども、そこまではよかったんですけども、返って来た答えは、たった5人だけが生存で、9月17日のあの凄い日の事を思い出しますが、5人生存8人死亡というように、それも向こうが「この5人は生きてる。この8人はもう死亡したんだ」と。「あとの2人は入って来た事がない。曽我さんのお母さんも見た事がない」という風に言ってますけども、その事を日本政府に伝えた、その伝えた事を何にもそれを調べないで、どうして死亡したのかという事を、証拠がどこにあるのかも何もなしに政府は帰って来られて、そしてもういきなり私達に「あなたのお嬢さんは亡くなりました」と、はっきりと明暗を分けられた訳ですね。

そういう風なこの、どうしてこんな酷なんだろうと、私達当事者は(聴き取れず)、こんなに簡単な言葉で、紙切れだけで決着が付くような問題じゃないのにという思いを抱いていました。係りの方が北朝鮮に行きまして、亡くなり方とか色々、また色々と訊いて来て、こうだこうだと紙切れに書いてくれて(聴き取れず)こうこうこれですというのを配られて読んだんですけれども、本当に何て言うかもう、これだけの長い年月をね、私達は死に物狂いで生きて来たその思いというものは全然やっぱり理解されないで、ただもうこうですよという事務的な処理のされ方をしたという事に対して、本当にもう悔しくて堪らなかったですね。

誰がこんな目に遭われても同じ思いになるんだろうと思います。その中で私達は、そんな死亡なんて信じられないという事ではっきりと政府に向けて発信して来ましたし、家族会が一緒になって頑張って来ましたけども、未だに死亡と言われた人達の事は益々エスカレートして、この前の様にめぐみは亡くなってますよという事で、夫であるチョルジュンさんという人が大事にしていた骨ですから間違いありませんという形で、直接その人から藪中(三十二氏・当時、外務省アジア大洋州局長)さんの方へ渡されたものが提出されましたけれども、「私はこんなものはめぐみと思っておりません。全然信じておりません」とはっきりその前で言いました。

で、悲しい顔の写真とかが出て来た時は、本当にもう悲しくて遣り切れなくて、拓也たちも一緒に泣いてしまったんですけども、そういう風にこう何か非常にこう全ての事が、生命というものが軽くあしらわれているなという感じがもう本当にいつもするんですね。

それであの、飯塚さんも一緒に行きましたジュネーブで、国連の強制失踪者調査会に行って、めぐみ達の写真を持って訴えて来たんですけれども、その時、本当にあちらの方は一つ一つ、「母親であり父親でありお兄さんであるあなた方がどんな思いで過ごして来たか」を本当に1つ1つ身を乗り出して聞いて下さって、涙を流して、「こんな事は許せない。あなたも頑張りなさい。私達も一生懸命応援するから」という思い、その心がね、響いて来るんです、こちらに。そういう事が日本の元政治家の方達と何度もお会いしましたけども、本当に不思議なんです、何が足りなくてああなるのかなと思うほど心が響かないんですね。

ただこう、「お話の事は分かりました。お気の毒だと思います。一生懸命に頑張りますから」と言って下さるんですけども、ジュネーブとかワシントンに行ってあちらの高官にお会いした時の、あの感覚って言うか感性と言ったらいいんでしょうかね、琴線に触れる、もう本当に話してても涙が止まらないような、そういう思いにならないというのが不思議でしょうがなくて、何かが日本の中に欠けてしまってるんじゃないかなあっていうのを感じるようになっていますし、そして本当に今も、小泉さんもまだ対話対話対話です、と如何にも無表情に仰る姿を見ると本当にこの方は人の苦しみを、御自分の御子様がこうなってもああいう風に言えるのかなと思うくらい寂しいなあと思って見てるんですが、その小泉さんと本当にお話をしたいと、直接会ってお話をしたいと申し入れてるんですけど、中々御忙しくて会って頂く事が出来ません。

だけど本当にこれはめぐみや田口八重子さんや増元るみ子さんの(聴き取れず)一人一人が可哀想で御気の毒ですね、何とかしなくちゃ、というような問題でなくて、誰がこんな目に遭ったかも分からないし、まだこれからだってこのまま放っておけば幾らでもこう乗じて色んな事をまだやってくると思いますから、国としての指令ですから何をやってくるか分からない、その様な恐ろしい状況の中にもう落とされているんだという事に私達は気付くべきだと思いました。これはもう(聴き取れず)「私の子供だったら私はどうするだろう。こんな事でいいんだろうか」と、何はさておき生命がまだ助けを求めていて、そして危険な国に置かれていて、助けてって言っている人達を放っておいて他の事をもっと優先して動くというその姿勢というのは、私は信じられないですね。自分の子供だったら絶対に飛び込んで、自分はもう溺れてもいいから助けに行くでしょう、海に。

もし溺れていたら。その状態にまだいるんですから、どうしても一番に生命を助けてあげなければならないというこんなに大事な事が、相変わらず何となくのんびりと見過ごされて、他の事件が起きるともうそちらの方だけがワーッと優先的になっていって忘れ去られていくような形になっていくという事が、非常に怖い事だなあと思います。もし御自分の御子さんがこうだったら、御家族がこうだったら、将来こういう事になったらいけないという思いがあれば、全部が一つになって、政治家もそうです、外務省もそうです、警察もそうです、そしてマスコミもそうですし、国民全部が、こんなひどい目に遭わされてまだ苦しんでいる人がいる、「うちがやったんだ」とその国が言ったのに、取り返す事が出来ない、こんな事でいいのかという事を真剣に考えて頂いて一緒に、私達と一緒に、こういう国ではいけない、本当に大事な事をまず優先して皆がもう一丸となって闘えるようにしていかなければならないんだという事を分かって頂きたい。

そういう事を私達は全国を回って、もう3県だけ、沖縄と青森と山梨だけ残して、あと全部で講演会の(聴き取れず)になりますが、本当にもう一生懸命に聴いて下さる様になって、(聴き取れず)皆さんが怒って下さいまして、(聴き取れず)沢山の方が、講演会に溢れるばかりの人が来て下さるようになりましたし、この事を絶対に消さないように一生懸命に守り続けて、必ずまたあのタラップの向こうから有本さんの恵子さんもめぐみもるみ子さんも田口八重子さんも、皆が(聴き取れず)元気で帰って来てくれる姿をいつもいつも想像して頑張っているんです。

るみ子さんの御父さんや地村さんの御母さんの様に、あんなに待って待って待ち望んでいた御家族達が帰って来られても、また死亡と言われて何も分からないままであの世に逝かなければならなかった、その様な方の様にもうこれ以上、年老いた御家族の方が無念の思いをする事がないように、絶対あの子達のこの長い間の苦労、悲しみ、どんな生活をさせられてるかと想像するだけで私達はもう本当にのめり込んでしまうほど悲しいんですけども、絶対その嫌な事を思わないで必ず元気でいるんだと思って助け合って闘っている訳です。だからもうあの子供達の苦労、苦しみは、これがあの、この(聴き取れず)が絶対、無駄だった、しょうがなかったというような事で終わらないように、こんなに苦労してきた事が、こんなに日本が良くなって、甲斐があったのよ、あなた達の御蔭よって言ってあげられるように、私は絶対頑張りたいと思ってますので、どうかこれからも宜しく御支援下さいますように御願いを致します。有難うございました。

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