カテゴリー「資料」の記事

2008年11月19日 (水)

しおかぜを救おうキャンペーン第二弾



拉致関連の本を、アマゾンで買いましょう。

特定失踪者問題調査会にお願いしてアマゾン・アソシエイト(アフィリエイト)のIDを取得してもらいました。調査会のIDは、shiokazekanpa-22 です。
下で紹介している本のアマゾンIDはすべて調査会のshiokazekanpa-22にしてあります。このリンクをたどってアマゾンで本を購入されると数パーセント(条件によって異なります。最大7%)の紹介料が調査会にアマゾンから支払われます。「ちりも積もれば」の言葉もあります。

積み重なれば、多少のカンパになります。無理矢理、本を購入される必要はありません(そんなことするくらいなら、直接カンパした方がいいですよ・笑)。読みたい本があって購入される場合は、こちらのリンクを使っていただければ、自動的に調査会へのカンパも出来るということです。もちろん特定失踪者問題調査会の本の紹介ページ

http://www.chosa-kai.jp/book.html

↑でも、調査会ID付きでアマゾンにリンクされてますから、そちらからでも構いません。また、ここで紹介されている本は拉致や北朝鮮関連の本だけですが、それ以外の一般の小説やDVDなどを購入される場合でも、いったんここのリンクをたどってアマゾンに入っていただいて購入すれば、調査会への紹介料が発生します。従って本を購入される場合は、調査会やこの記事のリンクからアマゾンへ訪問して下さい。
また、ご自分でブログやサイトを運営されている方は、恐らく多くの方が独自にアマゾン・アソシエイトをやっていらっしゃると思いますが、拉致問題や北朝鮮関連の本を紹介する際には、調査会のID(shiokazekanpa-22)をお使いいただければ幸いです。北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」がピンチの今、ぜひご協力ください。

*左サイドの本の紹介欄でも調査会のIDを使用しています。


手にしおかぜ支援BLOG

http://siokaze.trycomp.info/

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2008年5月 7日 (水)

青木直人の仁義なき大放談 4月15日号

青木直人の仁義なき大放談 4月15日号

チャンネル桜での青木直人さんのお話を映像から文字おこしました。
少し、気になる内容を含みます。
youtube動画へ

※調査会ニュースの下記の記事が、これに関係しないことを願っています。
参考調査会ニュースから:【※8月24日(日)開催の「北朝鮮拉致問題を考える国民の集いイン富山」(富山県拉致議連・救う会主催)へは調査会からの参加はなくなりました。】

青木直人の仁義なき大放談 4月15日号 

こんばんは。
桜プロジェクトの火曜日のキャスターを務めております、青木直人と申します。
私今回初めてと言うことで、ふらふらとお話しをさせていただければと思っております。

最近実は、北朝鮮の日本人拉致問題について、国民の間の関心が比較的非常に冷えている。運動が中々盛り上がらないというような現象がございまして。

それだけではなくて、アメリカと北朝鮮の関係改善の動きが加速することによって、日本でも福田内閣を中心に周辺のヤマタクさんとか加藤紘一さんとか、明らかに北朝鮮との正常化をもう一度模索していこうという動きが出てきていると。
蓮池さんのお兄さんの蓮池透さんも、<自分は北朝鮮に行って、要するに北朝鮮の関係者と話し合いたい>と言うような発言が出ておりまして、あきらかにこれまでの北朝鮮に対する制裁という方向ではなくて、話し合い--実際話し合いと言っても非常に効果、可能性がないんですけれども--、そうしたある種の欺瞞的な形の関係改善の動きが出てきている。

大きな流れの中で、アメリカと北朝鮮との関係改善、それと六者協議に参加している韓国・ロシア・中国という関係各国のデタントというか、話し合いの方向に日本が引きずり込まれていくという大きな流れが実は出てきているのではないかと。

そう言う中で気になっていますのは、日本の拉致問題についてこれまで熱心にやっておられた救う会の関係者の中から、特定失踪者問題調査会、荒木さんたちがやっておられる、いわゆる政府から認定されていない、北朝鮮に拉致された可能性の高い方々と、距離を置こうと、共闘を拒否するような動きが残念ながら出ているという現実がございます。

拉致問題というのは、政府が認定した家族の方だけの問題ではなくて、今現在認定されいなけれども北朝鮮に拉致された可能性の高い方、そういう人を含めて、全て日本人犠牲者なんですけれども、現実の運動の中で、そういう原点が忘れられて、福田政権のある種の前のめりに対して、救援団体が引っ張られていくという残念な動きがあるように思います。

私が何故この事を言うかと言いますと、支援団体がこういう形で個別に分断されていくと言うことは、確実に運動にとってプラスにならないばかりか、非常に大きく運動の中に災いをもたらすだろうと考えているからです。

これまで拉致問題が日本人の琴線=心の中にある何事かに触れたのは、家族会を中心とした方々の国民に対する訴え、それも単に自分の家族が帰ってくればいいと言う肉親エゴの運動ではなく、拉致されたあらゆる人たちを取り戻すんだと、解放していくというおおやけなるものに対するメッセージ、これがあったからこそ家族会の運動は国民的支援を受けてきたんだろうと私は思います。

そうしたこれまで11年間の家族会が手にしてきた国民との確かな信頼がここに来て再び揺らぎはじめているというのか、外から見るとみえにくくなってきているという気がしています。

こういう形の動きは、残念ですけれども、今後も確実に強まるであろうと、私は見ています。
それは、結局のところ、北朝鮮の政権を倒さないかぎり、あらゆる日本以外の世界各国の拉致された、あるいは、北朝鮮の抑圧された人たちを解放することはできないんですけれども、現実にあの政権がアメリカや中国という国によってバックアップされている以上は、条件闘争として、とりあえず何人かの日本人でも取り返すべきだという、括弧付きの現実的運動方針が出る可能性が、極めて高いというのが今の拉致問題を巡る日本の状況ではないでしょうか?

しかしながら、日本人にとってですね拉致問題というのは、この10年間の日本の社会の変化を生み出した最大の要因の一つであろうと思います。
よく言われるように日本が保守化したというのは、実はそうではない。
むしろ我々に戦後の日本のあり方を根底的に問うたのは、横田早紀江さんたちを中心とした人たちが、何故平和な日本で娘さんが拉致されなければならなかったのか?彼女が拉致されたと言うことを警察はじめ関係機関が知っていたにもかかわらず、これを封印してきた。更にマスコミも、この事実を勇気を持って報道せずに北朝鮮を正式名称で呼ぶと、あるいは、朝鮮総連の無法に対して沈黙するという、そういった戦後の構造があった。
更に、政治家も北朝鮮に対して勇気を持って何かを語るというよりも、常に利権がらみで北朝鮮外交が語られてきた。外務省の無責任さ。自国民を救済しようという外務省のそう言う姿勢も拉致問題においてはみられなかった。
そういう戦後の日本が抱えたさまざまな問題を家族会の皆さんが私達に突きつけて、私達もそこで何事かに気づいて、このままの日本ではいけないという、自己認識に達したと。

そういう、戦後の日本の世直しというか、日本再生の最先端にたって、問題を告発し続けてきた家族会の方が、ここに来て周辺の政治環境の変化にどう正しく対応するのか?
つまり自分たちの家族だけよければいいのか、あるいはいまだ認定されない特定失踪者のご家族と連帯を広げて、国民にアピールしていくのか、非常にぎりぎりの段階に来ているのではないかと私は思います。

結論的に言えば、諸外国の不当な日本に対する圧迫、不正義の強要、これに対して反撃するためには、やはり明治維新の主導者たちが、攘夷のために倒幕戦を闘ったという原点にかえって、私たち自信も世直しをすることによって新しい対外政策、外向的な展開を図っていくべきではないだろうかというようなことを、最近の米朝関係改善の流れの中で、私は感じています。

これからこの問題は確実に現実的にテーマになってくると思いますので・・桜も含めておおいに関心を持って行っていただきたいと思います。

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特定失踪者を取りあげた記事の紹介(5)

 扉の向こう 特定失踪者を追う第5部  
 
私たちが、これまでの連載で取り上げた兵庫県関連の特定失踪者たちは、失跡後の消息が皆無だった。まるで扉が閉ざされたかのように。
 扉の向こうには何があるのか。全国の特定失踪者約五百人の中には、わずかだが、消息が判明した人もいる。
 拉致被害者ではなく、国内にいると分かった人が二十四人。国内での死亡確認が二人。そして、北朝鮮による日本人拉致被害者と政府に認定されたのは一人。
 第5部では、扉の向こうで、思いがけない事態に遭遇していた失踪者の家族を全国に訪ねる。次回は北海道へ。(企画報道班)

(1)同姓同名事件記事の犯人は誰? 


失踪者の顔写真が並ぶ特定失踪者問題調査会のポスター。「広く情報を集め、拉致ではない事案をつぶす必要がある」としている

 夏の日の午後、A子さんは自宅から失踪(しっそう)した。十数年前のことだ。親しかった年配の主婦に電話し「おばさん、これから家を出るわ」と、夫との別居を宣言した。少なくとも、その時点では自らの意思で姿を隠したとみられる。

 同じ日、A子さんから、インターネットのメールを受け取った女友達もいる。自らの異性関係を相談する内容だった。夫の浮気も相談を受けていた。以後、連絡は絶えたが、女友達は「男性と幸せに暮らせればいい」と思った。出奔の約半年後、女友達の元に刑事が訪れた。「A子さんが事件に巻き込まれた恐れがある」と告げられ、驚いた。

 A子さんの捜索願を出したのは郷里の両親だ。警察は事件とみて捜査したが、ようとして行方は知れなかった。

 二〇〇二年九月、北朝鮮が日本人の拉致を認めたことから、両親は疑念を抱く。娘は拉致されたのではないか―。

 両親は特定失踪者問題調査会に相談し、A子さんを「特定失踪者」に登録してもらった。「北朝鮮による拉致の可能性を否定できない失踪者」との位置づけだ。

▲▽

 A子さんの名前を、私たちは、思いがけない新聞記事の中に見つけた。

 全国の地方紙のデータベースを検索し、探し当てた記事の見出しは〈当たり屋 共犯の女逮捕〉だった。男と組んで、わざと車に接触し、運転者に金品を要求したとして逮捕された女は、A子さんと同姓同名。年齢も同じ。もしも同一人物ならば、拉致の可能性は薄まる。何よりも、行方を捜す手がかりになる。

 私たちは、生年月日の照合を試みた。女を逮捕した警察署は確認を拒んだ。家族の依頼ならば、警察も応じるのではないかと、A子さんの両親への連絡を考えた。しかし、迷った。それが本人であれ、別人であれ、両親を混乱させるだけではないだろうか。

 結局、両親に連絡せずに済んだ。問い合わせていた裁判所から返事があった。「元被告の生年月日は言えないが、A子さんのとは違う」

 つまり、別人だった。



 私たちが、これまでの連載で取り上げた兵庫県関連の特定失踪者たちは、失跡後の消息が皆無だった。まるで扉が閉ざされたかのように。

 扉の向こうには何があるのか。全国の特定失踪者約五百人の中には、わずかだが、消息が判明した人もいる。

 拉致被害者ではなく、国内にいると分かった人が二十四人。国内での死亡確認が二人。そして、北朝鮮による日本人拉致被害者と政府に認定されたのは一人。

 第5部では、扉の向こうで、思いがけない事態に遭遇していた失踪者の家族を全国に訪ねる。次回は北海道へ。




(1)同姓同名  事件記事の犯人は誰?(2008/04/27)

(2)図工教諭  プール当番 帰りに何が(2008/04/28)

(3)李恩恵  疑念生じた工作員の供述(2008/04/29)

(4)時効  殺人判明も刑事罰問えず(2008/04/30)

(5)反論  家族の行方捜すのは当然(2008/05/01)

(6)日本海  片方のサンダルが路地に(2008/05/02)

(7)三つの情報  埋もれた事件たぐり確信(2008/05/03)

(8)支援の輪  情報集まり拉致認定へ(2008/05/04)

(9)470人  疑惑濃淡で線引きできぬ(2008/05/05)

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特定失踪者を取りあげた記事の紹介(4)

神戸新聞の独自取材、特集記事をご紹介します。
連載記事ですので一回目だけを掲示します。
※続きは、下記リンクを辿って、全編を是非ご一読願います。
足跡が消えた日 特定失踪者を追う第4部 目次

(1)大山まで車内に旅程記録残して
         
失踪した広田公一さん  広田さんの車が放置されていた南光河原駐車場=鳥取県大山町  

 〈午前9時半 尼崎出発、12時牛窓、喫茶もみじ午後3時着、午後3時半発 大山着午後6時20分〉

 一九八四年七月二十一日は、夏休み最初の土曜だった。尼崎市の西武庫団地に住んでいた広田公一さん=当時(30)=は、自家用車で鳥取県・大山へ向かった。そして、消息を絶った。車だけが登山口に近い南光河原駐車場で見つかり、車内に旅程の記録を書いたメモがあったという。

 私たちは昨年十一月、約三百二十キロに及ぶ、このメモのルートをたどってみた。

 海沿いにペンションが並ぶ岡山県瀬戸内市牛窓町。穏やかな海に島影が映る。

 広田さんが、海水浴客で込む町にわざわざ足を延ばしたのは、観光のためか、ほかに目的があったのか。私たちに答えを探すすべはなかった。

▲▽

 広田さんは西脇市出身。立命館大を卒業後、日本自動車連盟(JAF)に就職し、経理担当だった。「週末に大山へ行く」と、電話で聞いていた二歳上の姉、勅子(のりこ)さんは登山をすると解釈した。

 失踪(しっそう)直後、広田さんの家族もメモのルートをたどった。二〇〇三年以降、広田さんの親族の依頼を受け、特定失踪者問題調査会の常任理事岡田和典さん(58)も調べ直した。

 岡山県総社市の国道180号沿いで「喫茶もみじ」を見つけたのは家族だった。そのとき、広田さんの写真を見た常連客が「大山までの道を聞かれた。女性と一緒だった」と証言したという。だが、確実な情報とは言い難い。一人旅だったのか、同行者がいたのか、謎は残る。

 もみじは二〇〇〇年に閉店していた。私たちは元経営者の女性(67)に会えた。かつては大山へ向かう観光バスが店に寄ったが、山陽道などの開通で客が激減したという。広田さんのことは予想通り「知らない」と首を振った。警察が調べに来たこともないという。

 長いドライブの末、南光河原駐車場に着いた。

 大山は雪雲の中だった。広田さんが訪れた七月下旬は登山者が最も多い季節だが、晩秋の夕刻に観光客の姿はなかった。赤い登山届ポストだけが目についた。当時、広田さんの届けは出ていなかった。

 失踪した日の登山者は約二千五百人、駐車場に約三十台の車が止まっていたという。だが、目撃情報はなかった。

 北朝鮮に拉致された可能性を否定できないとして、家族が調査会に届け出た特定失踪者。一九八〇―九〇年代を中心とする時期の失踪者たちは、消息を絶った日がはっきりとしている。そこで、ふっつりと足跡が消える。謎だけを残して。

(企画報道班)(2008/03/01)

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バックナンバー
(1)大山まで車内に旅程記録残して(2008/03/01)

(2)警察犬「山で遭難」の確証もなく(2008/03/02)

(3)やぶの中「なぜ」の答え定まらず(2008/03/03)

(4)入社式就職に悩み募らせた2人(2008/03/04)

(5)女児の声自宅に相次いだ不審電話(2008/03/05)

(6)派遣労働自立にもがく息子の姿(2008/03/07)

(7)母娘の名を言うのもつらい(2008/03/08)

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特定失踪者を取りあげた記事の紹介(3)

神戸新聞の独自取材、特集記事をご紹介します。

連載記事ですので一回目だけを掲示します。
※続きは、下記リンクを辿って、全編を是非ご一読願います。

蒸発の理由 特定失踪者を追う第3部 
  第三部目次
 第三部は、拉致の可能性を否定できないとし「特定失踪者」に挙がった四人の失跡と、家族のその後を紹介する。取材を通して、私たちは四人の家族の共通した思いに気付くことになる。(企画報道班)
(1)その日高度成長期に消えた4人
      
 尾崎隆生さん  古川文夫さん   島脇文内さん  萩本喜彦さん
 
尾崎隆生さんは一九三三年、京都府宮津市の出身。左手の指が曲がらない。舞鶴市の運送会社で運転手をしていたときの事故の後遺症だ。失職し、専門学校で経理を学んだ後、神戸へ。ネクタイを扱う会社に就職した。

 住み込みで働く職場は、国鉄(当時)三ノ宮駅の北側にあった。勤めて二年になる六〇年十一月二日、「遊びに行ってきます」と、趣味だったカメラを手に出かけた。

 その後の行方は分からない。失踪(しっそう)時、二十七歳。

 おとなしい性格の古川文夫さんは、よく行ったスナックでも口数が少なかった。

 母の故郷の山形県新堀村(現・酒田市)で一九五一年、双子の兄として生まれた。尼崎市下坂部で育ち、市立小田北中学を卒業後、建築業の父の下で大工の見習いをした。

 七〇年二月ごろ、北陸へ遊びに行くと、家を出た。数日後「三日ほどで帰る」と電話があった。さらに、愛用のカメラの質札が、なぜか自宅に郵送されてきた。

 そして、消息は途絶えた。失踪時、十八歳。

 島脇文内(ぶんない)さんは、神戸市垂水区中道にあった日本エヤーブレーキ(現ナブテスコ)の独身寮住まいだった。一九五〇年、淡路島の出身。神戸へ出て県立兵庫工業高校を卒業し、同社に就職した。

 同市西区の西神工場の製造ラインで、自動扉や建設機械など油圧機器を作った。電気の配線は熟練の技が要求されるが、島脇さんは先輩に教わって黙々と仕事をこなした。

 七四年一月二十二日、寮を出たまま出社しなかった。失踪時、二十三歳。

 萩本喜彦さんは、高砂市中島に建てた新居に、社宅から引っ越したばかりだった。一九四〇年、同市出身。妻と子ども三人とともに暮らす家で七五年四月五日、新築祝いの会を持つことになっていた。

 勤め先は、近くの神戸製鋼所高砂工場。機械設備の保全が仕事で、若手のリーダー的存在だった。祝宴の前日は、午後十時十五分からの夜勤にあたっていた。

 「行ってくるわ」。四日午後九時五十分ごろ、いつものように自転車で自宅を出た。

 しかし、工場に姿を見せなかった。失踪時、三十五歳。

                  ◇

 高度成長期の終わりに流行した言葉がある。

 「人間蒸発」。一九七四年の警察白書は〈『蒸発』といわれる動機原因不明のもの(家出人)が約九千人〉とした。テレビ局はこぞって人探しの番組を放映し、「お父さん…」と呼びかける子どもの姿が茶の間の涙を誘った。四人も、そんな時代に蒸発した。
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バックナンバー

(1)その日高度成長期に消えた4人(2008/02/13)

(2)過疎高齢の姉墓に名前刻む(2008/02/14)

(3)宣告拉致疑い 家族に温度差(2008/02/15)

(4)海外赴任プラント輸出担う技術者(2008/02/16)

(5)一本道友人の死にも連絡なく(2008/02/17)

(6)家族赤ん坊も一児の父親に(2008/02/18)

(7)道程職場の友人と語り合う(2008/02/19)

(8)夢の終わり工場閉鎖、仕事に愚痴(2008/02/20)

(9)震災実家に連絡なしなぜ(2008/02/21)

(10)希望生存可能性「拉致」に託し(2008/02/22)

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特定失踪者を取りあげた記事の紹介(2)

神戸新聞の丁寧な独自取材です。
連載記事ですので一回目だけを掲示します。
※続きは、下記リンクを辿って、全編を是非ご一読願います。

オキナワの青年 特定失踪者を追う第2部 

 
一九六五年の年明け早々、仲村克巳(かつみ)さんは那覇港から神戸行きの船に乗り込んだ。当時、二十一歳。内地での就職に反対する家族には内証だったから、見送る人はいなかった。故郷・沖縄は米軍の統治下にあり、パスポートを手にしての旅立ちだった。

 就職先は尼崎市にあった製鉄所。一月十二日、市役所に転入届を提出した。

 父、亀永(きえい)さんは、寮住まいの克巳さんにすぐ手紙を送った。既に亡き亀永さんに確かめようもないが、長男の“家出”をよほど心配したのか、続けざまに〈葉書(はがき)着き次第返事を送って下(くだ)さい〉と二信目を書いた。「RYUKYU」と読み取れるスタンプの日付は「65・2・5」だった。

 父の便りはこう続く。

 〈家族中皆元気です。例年の様(よう)に旧正月を祝ってほっとした所です〉



 沖縄には二度、正月がやってくる。沖縄の年中行事は旧暦(陰暦)で日が決まる。正月は、新暦の一月一日にも祝うが、旧正月も大切にする。

 克巳さんは沖縄本島中部、中城(なかぐすく)村の農家に生まれた。克巳さんがいたころ、新暦の元日は、冷え込みで甘みを増したサトウキビの収穫繁忙期。五歳下の妹、栄子さん(59)によれば「ニーニー(兄)は頑張りすぎなぐらい働いた」。祝いごとの余裕はなかった。

 旧正月の思い出は、ある。「うちは貧乏だったし、大したお祝いはしなかったけど、お年玉とごちそうがうれしかった」と栄子さん。豚の三枚肉や結び昆布、大根の煮物を仏壇にお供えし、新年の幸せを先祖に祈る。お下がりを家族でいただく。あいさつ回りをし、お年玉をもらう―。肉は当時、まだ貴重だった。

 もう一つ、印象的な旧正月の風景があった。どの家も日の丸の旗を門に立てた。中城村でもこぞって掲げた。資料によれば、一九五〇年代、日本への復帰運動として沖縄の革新勢力が日の丸を広めた。日の丸は、不戦を誓う日本国憲法の象徴だった、という。

 亀永さんがはがきを送った直後の六五年二月七日、ベトナム戦争を戦う米軍は、北爆を開始する。発着する戦闘機のごう音が、基地と化した島“オキナワ”に響いた。



 尼崎で就職した克巳さんだが、その後、職を転々とする。そして、四年後の六九年夏、西宮市内の下宿に「神戸へ行く」とメモを残し、消息を絶つ。

 二〇〇三年、克巳さんは、妹の和子さん(61)らの申し立てで、北朝鮮に拉致された可能性を否定できない「特定失踪(しっそう)者」の一人に挙げられた。



(企画報道班)(2008/01/01)

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 キンモクセイが香る秋から約三カ月、私たちは仲村克巳さんの取材を続けている。名前を知る人さえ数少ない。四十年の歳月を経た街で、迷宮を歩くように無名の青年の足跡を探した。それは「戦後」をたどる旅にもなった。
 第二部は、私たちが知り得た克巳さんの人となりを伝える。消息につながる読者の情報提供にも期待しながら。
(1)旧正月 職求めて孤独な旅立ち(2008/01/01)

(2)故郷 農地狭く移民最多の村(2008/01/03)

(3)労組 頑張っても希望がない(2008/01/04)

(4)出稼ぎ 母親思いの長男の選択(2008/01/05)

(5)製鋼課 大量採用、次々と離職(2008/01/06)

(6)寮 写真に高度成長の面影(2008/01/07)

(7)岐路 帰郷せず転職繰り返す(2008/01/08)

(8)牛乳販売 街並み一変 手がかりなく(2008/01/09)

(9)パスポート 拉致の決め手にならず(2008/01/10)

(10)先送り 前世紀のつけ悲しみ深く(2008/01/11)

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特定失踪者を取りあげた記事の紹介(1)

神戸新聞の記事です。

昨年末からの特集記事ですが、まとまっているので順次ご紹介します。

連載記事ですので一回目だけを掲示します。

※続きは、下記リンクを辿って、全編を是非ご一読願います。

足元の迷宮 特定失踪者を追う -第1部 日本人拉致事件の陰で

写真:初冬の弁天浜。写真中央付近の砂浜に、かばんと靴が置かれていた=豊岡市竹野町竹野

1. 足 跡 … 娘が自殺?壊れた日常 (2007/12/12)
娘が自殺?壊れた日常

初冬の弁天浜。写真中央付近の砂浜に、かばんと靴が置かれていた=豊岡市竹野町竹野
 砂浜の足跡は、波打ち際に沿って行きつ戻りつしていた。海へと続くものもあった。

 「その光景を、忘れられないんです」。秋田嶺子(れいこ)さん(73)が涙ぐむ。夫の正一郎さん(75)とともに初冬の海に駆け付けてから丸二十二年になる。

 一九八五年十二月五日、豊岡市竹野町の弁天浜。たそがれてゆく小さな浜で、二人は立ち尽くした。眼前の海ではダイバーも出動し、海上保安庁や県警、漁協が、まな娘の捜索をしていた。

 ◆

 記憶に残るニュースが多い年だった。

 「ロス疑惑」と呼ばれた銃撃事件、悪徳ペーパー商法の豊田商事事件、そして、犠牲者五百二十人を出した日航機墜落事故。阪神タイガースが日本一に輝き、神戸ではスポーツの祭典「ユニバーシアード」に世界の若人が集った。

 当時、秋田家は川西市湯山台にあった。三月に長女が結婚。保険会社に勤める正一郎さんは徳島市に単身赴任中で、嶺子さんは二女の美輪さんと二人暮らしだった。

 美輪さんは神戸松蔭女子学院大学の四年生、二十一歳。もの静かで、しっかりした末娘を嶺子さんは頼りにしていた。大学を卒業する春には川西を引き払い、親子三人そろって徳島で暮らすことが決まっていた。

 平凡な、だから幸せな、一年が過ぎようとしていた。一本の電話があるまで。

 「秋田美輪さんは、おたくのお嬢さんですか」

 城崎署(現・豊岡北署)から川西の自宅への連絡は十二月五日の午前八時ごろだった。「美輪さんの靴とかばんが、浜辺で見つかりました」

 嶺子さんは、話がのみ込めなかった。娘は神戸の友人の下宿に泊まっているはずなのに―。しかし、美輪さんは、友人を訪ねていなかった。

 急ぎ徳島から戻った正一郎さんと、嶺子さんは列車に飛び乗った。そこから先、動転した嶺子さんの記憶はあいまいだ。

 美輪さんが見つからないまま捜索は打ち切られた。目撃情報も皆無だった。新聞に「女子大生が入水(じゅすい)自殺?」との見出しで記事が載った。正一郎さんも、嶺子さんも、娘が自殺したとは信じられなかった。

 未解決のまま置き去りにされていた「失踪(しっそう)」が、二十一世紀の幕開けとともに注目された。

 二〇〇二年九月、日朝首脳会談。北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記が日本人十三人の拉致を認めた。「もっと拉致被害者はいる」との疑いが強まり、前世紀の不可解な失踪の再検証を家族たちが求めた。民間の「特定失踪者問題調査会」が受け皿となり、拉致の可能性を否定できない「特定失踪者」を受け付けた。その数は全国で約四百七十人に上る。

 「北朝鮮による拉致としか思えない。政府は一刻も早く拉致被害者に認定を」。正一郎さんも、美輪さんを特定失踪者に登録した。

■   □

 特定失踪者の公表が始まって来年一月で五年。

 大半のケースが、拉致の確証も、拉致でない確証も、得られていない。再び忘れられようとしている特定失踪者のうち、兵庫県関係者の足跡を、私たちはたどろうとしている。なぜ、私たちの街は、この人たちを見失ったまま歳月を重ねたのだろう。そんな疑問を胸に抱きながら。
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1. 足 跡 … 娘が自殺?壊れた日常 (2007/12/12)

2. 親 友 … 電話を残し娘は消えた (2007/12/13)

3. 捜 索 … 澄んだ海に遺留品なく (2007/12/14)

4. 陰 膳 … 心の整理 今もつかず (2007/12/15)

5. 突破口 … 北朝鮮への疑念噴出 (2007/12/16)

6. 発 掘 … 身寄りない2人どこへ (2007/12/17)

7. 接 線 … 工作員上陸 過去何度も (2007/12/18)

8. 急行券 … 偽装と推理 疑い深める (2007/12/19)

9. 家出人 … もう切り捨てられない (2007/12/20)

兵庫県関連の特定失踪者一覧  

兵庫県関連の特定失踪者が、まとめられていますので、是非ご覧下さい。

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2008年5月 2日 (金)

早紀江さん作詞の曲発売へ

 「コスモスのように」 めぐみは生きている 横田早紀江さん初作詞のCD発売へ

拉致被害者の横田めぐみさん=拉致当時(13)=の母、早紀江さんが作詞した「コスモスのように」のCDジャケット 拉致被害者の横田めぐみさん=拉致当時(13)=の母、早紀江さん(72)が初めて作詞した歌が10日、CDとしてライフ・ミュージック社(東京)から発売される。タイトルは「コスモスのように」。「強いコスモスのように、めぐみが必ず生きているという思い」(早紀江さん)が詞に込められている。

 早紀江さんの詞に、曲を付けたシンガー・ソングライターの岩渕まことさんが3月にレコーディング。優しいメロディーで希望に満ちた作品に仕上がった。

 詞は、早紀江さんが新潟市の自宅の庭で育てたコスモスが太く、大きくなりすぎ、めぐみさんと「コスモスらしくない」と大笑いした思い出がベースとなったという。

 「遠い空の向こうにいる めぐみちゃん あなたも お母さんが育てた あのコスモスのように 地に足をふんばって生きているのねきっと しっかりと頭を揚げて生きているのねきっと」(詞の一部)

 早紀江さんは「どの家族も、被害者が元気でいると信じている気持ちを聞いていただければ」と話している。

 CDには早紀江さんによる詞の朗読も収録した。1枚1050円(税込み)。

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早紀江さんが作詞した曲がCDとして発売されます。
可憐なコスモスが、大きく元気に育ったことを二人で笑ったあの時(30年以上前)の楽しかった家族の想いで。
くじかれそうになる想いを、繰り返し気力と信念で立て直し、希望を失わず必死で闘っている家族の願いを、日本中で支えて行かなければならないと思います。

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2007年6月11日 (月)

金正日重病説

 
Kim Jong Il, has been so unwell that he
needs an assistant to carry a chair for him

Kim Jong Il, North Korea's reclusive leader, has been so unwell that he could not walk more than 30 yards without a rest, western governments have been told.

Diplomats in the North Korean capital, Pyongyang, are increasingly convinced that the 65-year-old dictator needs heart surgery to restore his apparently flagging health. He has had to be accompanied by an assistant carrying a chair so that, wherever he goes, he can sit and catch his breath.

Speculation about the state of Kim's health was heightened when a team of six doctors from the German Heart Institute in Berlin flew to Pyongyang, the North Korean capital, for eight days last month. Kim, who also suffers from diabetes, was believed by diplomats to have been among those on the list for treatment by the combined medical and surgical team. But a spokesman for the German team said they had only treated three labourers, a nurse and a scientist.

Kim's public appearances have been curtailed this year and he has appeared in public only 23 times, compared with 42 times at the same point last year - an indication, observers say, of his declining health. The suggestion that he underwent an operation offered an apparent explanation for his recent month-long disappearance from public view.

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Kim Jong Il has ruled the North - one of the most isolated and tightly controlled regimes in the world - since his father, the country's founder, Kim Il Sung, died in 1994. He became the heir apparent to his father in 1974 at the age of 32, well before the senior Kim's death two decades later.

His illness may also explain why Kim has appeared keen to tackle the question of his succession, putting two of his sons through their paces to decide which is best suited to take over.

He is reported to have taken Jong Chul, 26, and Jong Woon, 23, on a series of military inspections to ascertain who performed best. His eldest son, Kim Jong Nam, 36, is out of favour after being deported from Japan six years ago for trying to enter the country on a forged passport.

Some observers predict, however, that his eventual death might be followed by a collective leadership by military figures, ending his family's dynastic power over the impoverished communist state and paving the way for it to abandon its nuclear weapons programme and open up to the rest of the world.

A spokesman for the heart institute, said it was the first time that it had sent German doctors to North Korea. But high-ranking North Korean officials are routinely treated by foreign doctors and Kim's family members and officials have been treated in Russia, Switzerland and Germany.

According to reports in North Korea, a team from Berlin visited last year and operated mainly on small children, but also treated Kim's brother-in-law, Chang Sung Taek. He had been due to visit Germany earlier this year for a follow-up operation, but was denied an entry visa because of UN sanctions aimed at prohibiting foreign trips by North Korean officials believed to be involved in the proliferation of weapons of mass destruction.

| International News | News | Telegraph

http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2007/06/10/wnkor110.xml

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2007年6月 7日 (木)

北朝鮮人民 軍・党への忠誠心低下

2007/6/7 産経新聞朝刊から
【ソウル=久保田るり子】
       北が軍の綱紀粛正

            中枢幹部を左遷?
 
北朝鮮で朝鮮人民軍幹部の重要ポスト人事が確認され背景が注目されている。
綱紀粛正、新たな側近登用による忠誠心向上、世代交代などが狙いと見られる。軍部については、昨年10月の核実験後、国連決議に基づく経済制裁の影響による食糧不足で、軍が食糧を優先的に占有したため、住民との関係が急速に悪化していることも指摘されている。

韓国当局が5月下旬までに把握した軍の幹部人事では、金正日総書記の側近で人民軍総参謀部の李明秀作戦局長が軍事部門の最高機関、国防委員会専任となり、後任に金明国対象が就任。人民軍総政治局の朴在京宣伝担当副部長が人民武力省のたいがい事情担当副部長に転出し、後任に鄭太根中将が任命された。

国防委員会は朝鮮人民軍を直轄する組織とされ金正日総書記が委員長で現在9人いる委員は金正日総書記の側近中の側近とされる。4月には軍の重鎮、金永春人民軍総参謀長が副委員長に就任し、「国防委員会を強化する動きか」(韓国総合ニュース)とみられた。

一方、韓国軍筋が注目しているのは総政治局の朴在京宣伝担当局長の転出だ。北朝鮮では通常、副局長が担当局の最高実力者である場合が多い。同筋は「総政治局の宣伝担当は軍内の思想統制を行う軍総括の部署で、なかでも実力者とみられていた朴副局長の転出は、軍統制に問題が生じたための左遷・引責人事の可能性がある」とみる。

こうした国防委員会、総参謀部、総政治局など軍中枢人事は、昨年7月のミサイル発射、10月の核実験、4月の新型ミサイル展示の軍事パレードと続いている軍事路線をさらに強化する体制づくりが目的とみられる。

北朝鮮では、軍人事に先立って朝鮮労働党、政府人事も行われた。3月には党対日対南担当書記・統一戦線部部長に金養建氏が任命され、4月には朴奉珠首相が経済問題で更迭され、後任に金英逸氏が就任。5月には空席だった外相に朴義春元ロシア大使が起用された。それぞれの人事は南北関係強化や国内・国際情勢への体制整備と観測されている。

韓国の北朝鮮専門家は「軍部の人事は、軍内の政治教育問題(綱紀粛正)と忠誠心向上が基軸だ。政権中枢と軍の関係悪化が深刻だ。人民の軍・党に対する忠誠心が急速に低下している」と分析している。

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 >「人民の軍・党に対する忠誠心が急速に低下している」 と分析している。
 
  制裁によって、物資の配給は以前より困難になっていると言います。
 人民と政権・軍との乖離が確実に進んでいるということですね。
 今回の脱北者漂着にも、こういった影響があるのかもしれません。
 

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