カテゴリー「資料」の記事

2008年11月19日 (水)

しおかぜを救おうキャンペーン第二弾



拉致関連の本を、アマゾンで買いましょう。

特定失踪者問題調査会にお願いしてアマゾン・アソシエイト(アフィリエイト)のIDを取得してもらいました。調査会のIDは、shiokazekanpa-22 です。
下で紹介している本のアマゾンIDはすべて調査会のshiokazekanpa-22にしてあります。このリンクをたどってアマゾンで本を購入されると数パーセント(条件によって異なります。最大7%)の紹介料が調査会にアマゾンから支払われます。「ちりも積もれば」の言葉もあります。

積み重なれば、多少のカンパになります。無理矢理、本を購入される必要はありません(そんなことするくらいなら、直接カンパした方がいいですよ・笑)。読みたい本があって購入される場合は、こちらのリンクを使っていただければ、自動的に調査会へのカンパも出来るということです。もちろん特定失踪者問題調査会の本の紹介ページ

http://www.chosa-kai.jp/book.html

↑でも、調査会ID付きでアマゾンにリンクされてますから、そちらからでも構いません。また、ここで紹介されている本は拉致や北朝鮮関連の本だけですが、それ以外の一般の小説やDVDなどを購入される場合でも、いったんここのリンクをたどってアマゾンに入っていただいて購入すれば、調査会への紹介料が発生します。従って本を購入される場合は、調査会やこの記事のリンクからアマゾンへ訪問して下さい。
また、ご自分でブログやサイトを運営されている方は、恐らく多くの方が独自にアマゾン・アソシエイトをやっていらっしゃると思いますが、拉致問題や北朝鮮関連の本を紹介する際には、調査会のID(shiokazekanpa-22)をお使いいただければ幸いです。北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」がピンチの今、ぜひご協力ください。

*左サイドの本の紹介欄でも調査会のIDを使用しています。


手にしおかぜ支援BLOG

http://siokaze.trycomp.info/

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2008年5月 7日 (水)

青木直人の仁義なき大放談 4月15日号

青木直人の仁義なき大放談 4月15日号

チャンネル桜での青木直人さんのお話を映像から文字おこしました。
少し、気になる内容を含みます。
youtube動画へ

※調査会ニュースの下記の記事が、これに関係しないことを願っています。
参考調査会ニュースから:【※8月24日(日)開催の「北朝鮮拉致問題を考える国民の集いイン富山」(富山県拉致議連・救う会主催)へは調査会からの参加はなくなりました。】

青木直人の仁義なき大放談 4月15日号 

こんばんは。
桜プロジェクトの火曜日のキャスターを務めております、青木直人と申します。
私今回初めてと言うことで、ふらふらとお話しをさせていただければと思っております。

最近実は、北朝鮮の日本人拉致問題について、国民の間の関心が比較的非常に冷えている。運動が中々盛り上がらないというような現象がございまして。

それだけではなくて、アメリカと北朝鮮の関係改善の動きが加速することによって、日本でも福田内閣を中心に周辺のヤマタクさんとか加藤紘一さんとか、明らかに北朝鮮との正常化をもう一度模索していこうという動きが出てきていると。
蓮池さんのお兄さんの蓮池透さんも、<自分は北朝鮮に行って、要するに北朝鮮の関係者と話し合いたい>と言うような発言が出ておりまして、あきらかにこれまでの北朝鮮に対する制裁という方向ではなくて、話し合い--実際話し合いと言っても非常に効果、可能性がないんですけれども--、そうしたある種の欺瞞的な形の関係改善の動きが出てきている。

大きな流れの中で、アメリカと北朝鮮との関係改善、それと六者協議に参加している韓国・ロシア・中国という関係各国のデタントというか、話し合いの方向に日本が引きずり込まれていくという大きな流れが実は出てきているのではないかと。

そう言う中で気になっていますのは、日本の拉致問題についてこれまで熱心にやっておられた救う会の関係者の中から、特定失踪者問題調査会、荒木さんたちがやっておられる、いわゆる政府から認定されていない、北朝鮮に拉致された可能性の高い方々と、距離を置こうと、共闘を拒否するような動きが残念ながら出ているという現実がございます。

拉致問題というのは、政府が認定した家族の方だけの問題ではなくて、今現在認定されいなけれども北朝鮮に拉致された可能性の高い方、そういう人を含めて、全て日本人犠牲者なんですけれども、現実の運動の中で、そういう原点が忘れられて、福田政権のある種の前のめりに対して、救援団体が引っ張られていくという残念な動きがあるように思います。

私が何故この事を言うかと言いますと、支援団体がこういう形で個別に分断されていくと言うことは、確実に運動にとってプラスにならないばかりか、非常に大きく運動の中に災いをもたらすだろうと考えているからです。

これまで拉致問題が日本人の琴線=心の中にある何事かに触れたのは、家族会を中心とした方々の国民に対する訴え、それも単に自分の家族が帰ってくればいいと言う肉親エゴの運動ではなく、拉致されたあらゆる人たちを取り戻すんだと、解放していくというおおやけなるものに対するメッセージ、これがあったからこそ家族会の運動は国民的支援を受けてきたんだろうと私は思います。

そうしたこれまで11年間の家族会が手にしてきた国民との確かな信頼がここに来て再び揺らぎはじめているというのか、外から見るとみえにくくなってきているという気がしています。

こういう形の動きは、残念ですけれども、今後も確実に強まるであろうと、私は見ています。
それは、結局のところ、北朝鮮の政権を倒さないかぎり、あらゆる日本以外の世界各国の拉致された、あるいは、北朝鮮の抑圧された人たちを解放することはできないんですけれども、現実にあの政権がアメリカや中国という国によってバックアップされている以上は、条件闘争として、とりあえず何人かの日本人でも取り返すべきだという、括弧付きの現実的運動方針が出る可能性が、極めて高いというのが今の拉致問題を巡る日本の状況ではないでしょうか?

しかしながら、日本人にとってですね拉致問題というのは、この10年間の日本の社会の変化を生み出した最大の要因の一つであろうと思います。
よく言われるように日本が保守化したというのは、実はそうではない。
むしろ我々に戦後の日本のあり方を根底的に問うたのは、横田早紀江さんたちを中心とした人たちが、何故平和な日本で娘さんが拉致されなければならなかったのか?彼女が拉致されたと言うことを警察はじめ関係機関が知っていたにもかかわらず、これを封印してきた。更にマスコミも、この事実を勇気を持って報道せずに北朝鮮を正式名称で呼ぶと、あるいは、朝鮮総連の無法に対して沈黙するという、そういった戦後の構造があった。
更に、政治家も北朝鮮に対して勇気を持って何かを語るというよりも、常に利権がらみで北朝鮮外交が語られてきた。外務省の無責任さ。自国民を救済しようという外務省のそう言う姿勢も拉致問題においてはみられなかった。
そういう戦後の日本が抱えたさまざまな問題を家族会の皆さんが私達に突きつけて、私達もそこで何事かに気づいて、このままの日本ではいけないという、自己認識に達したと。

そういう、戦後の日本の世直しというか、日本再生の最先端にたって、問題を告発し続けてきた家族会の方が、ここに来て周辺の政治環境の変化にどう正しく対応するのか?
つまり自分たちの家族だけよければいいのか、あるいはいまだ認定されない特定失踪者のご家族と連帯を広げて、国民にアピールしていくのか、非常にぎりぎりの段階に来ているのではないかと私は思います。

結論的に言えば、諸外国の不当な日本に対する圧迫、不正義の強要、これに対して反撃するためには、やはり明治維新の主導者たちが、攘夷のために倒幕戦を闘ったという原点にかえって、私たち自信も世直しをすることによって新しい対外政策、外向的な展開を図っていくべきではないだろうかというようなことを、最近の米朝関係改善の流れの中で、私は感じています。

これからこの問題は確実に現実的にテーマになってくると思いますので・・桜も含めておおいに関心を持って行っていただきたいと思います。

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特定失踪者を取りあげた記事の紹介(5)

 扉の向こう 特定失踪者を追う第5部  
 
私たちが、これまでの連載で取り上げた兵庫県関連の特定失踪者たちは、失跡後の消息が皆無だった。まるで扉が閉ざされたかのように。
 扉の向こうには何があるのか。全国の特定失踪者約五百人の中には、わずかだが、消息が判明した人もいる。
 拉致被害者ではなく、国内にいると分かった人が二十四人。国内での死亡確認が二人。そして、北朝鮮による日本人拉致被害者と政府に認定されたのは一人。
 第5部では、扉の向こうで、思いがけない事態に遭遇していた失踪者の家族を全国に訪ねる。次回は北海道へ。(企画報道班)

(1)同姓同名事件記事の犯人は誰? 


失踪者の顔写真が並ぶ特定失踪者問題調査会のポスター。「広く情報を集め、拉致ではない事案をつぶす必要がある」としている

 夏の日の午後、A子さんは自宅から失踪(しっそう)した。十数年前のことだ。親しかった年配の主婦に電話し「おばさん、これから家を出るわ」と、夫との別居を宣言した。少なくとも、その時点では自らの意思で姿を隠したとみられる。

 同じ日、A子さんから、インターネットのメールを受け取った女友達もいる。自らの異性関係を相談する内容だった。夫の浮気も相談を受けていた。以後、連絡は絶えたが、女友達は「男性と幸せに暮らせればいい」と思った。出奔の約半年後、女友達の元に刑事が訪れた。「A子さんが事件に巻き込まれた恐れがある」と告げられ、驚いた。

 A子さんの捜索願を出したのは郷里の両親だ。警察は事件とみて捜査したが、ようとして行方は知れなかった。

 二〇〇二年九月、北朝鮮が日本人の拉致を認めたことから、両親は疑念を抱く。娘は拉致されたのではないか―。

 両親は特定失踪者問題調査会に相談し、A子さんを「特定失踪者」に登録してもらった。「北朝鮮による拉致の可能性を否定できない失踪者」との位置づけだ。

▲▽

 A子さんの名前を、私たちは、思いがけない新聞記事の中に見つけた。

 全国の地方紙のデータベースを検索し、探し当てた記事の見出しは〈当たり屋 共犯の女逮捕〉だった。男と組んで、わざと車に接触し、運転者に金品を要求したとして逮捕された女は、A子さんと同姓同名。年齢も同じ。もしも同一人物ならば、拉致の可能性は薄まる。何よりも、行方を捜す手がかりになる。

 私たちは、生年月日の照合を試みた。女を逮捕した警察署は確認を拒んだ。家族の依頼ならば、警察も応じるのではないかと、A子さんの両親への連絡を考えた。しかし、迷った。それが本人であれ、別人であれ、両親を混乱させるだけではないだろうか。

 結局、両親に連絡せずに済んだ。問い合わせていた裁判所から返事があった。「元被告の生年月日は言えないが、A子さんのとは違う」

 つまり、別人だった。



 私たちが、これまでの連載で取り上げた兵庫県関連の特定失踪者たちは、失跡後の消息が皆無だった。まるで扉が閉ざされたかのように。

 扉の向こうには何があるのか。全国の特定失踪者約五百人の中には、わずかだが、消息が判明した人もいる。

 拉致被害者ではなく、国内にいると分かった人が二十四人。国内での死亡確認が二人。そして、北朝鮮による日本人拉致被害者と政府に認定されたのは一人。

 第5部では、扉の向こうで、思いがけない事態に遭遇していた失踪者の家族を全国に訪ねる。次回は北海道へ。




(1)同姓同名  事件記事の犯人は誰?(2008/04/27)

(2)図工教諭  プール当番 帰りに何が(2008/04/28)

(3)李恩恵  疑念生じた工作員の供述(2008/04/29)

(4)時効  殺人判明も刑事罰問えず(2008/04/30)

(5)反論  家族の行方捜すのは当然(2008/05/01)

(6)日本海  片方のサンダルが路地に(2008/05/02)

(7)三つの情報  埋もれた事件たぐり確信(2008/05/03)

(8)支援の輪  情報集まり拉致認定へ(2008/05/04)

(9)470人  疑惑濃淡で線引きできぬ(2008/05/05)

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特定失踪者を取りあげた記事の紹介(4)

神戸新聞の独自取材、特集記事をご紹介します。
連載記事ですので一回目だけを掲示します。
※続きは、下記リンクを辿って、全編を是非ご一読願います。
足跡が消えた日 特定失踪者を追う第4部 目次

(1)大山まで車内に旅程記録残して
         
失踪した広田公一さん  広田さんの車が放置されていた南光河原駐車場=鳥取県大山町  

 〈午前9時半 尼崎出発、12時牛窓、喫茶もみじ午後3時着、午後3時半発 大山着午後6時20分〉

 一九八四年七月二十一日は、夏休み最初の土曜だった。尼崎市の西武庫団地に住んでいた広田公一さん=当時(30)=は、自家用車で鳥取県・大山へ向かった。そして、消息を絶った。車だけが登山口に近い南光河原駐車場で見つかり、車内に旅程の記録を書いたメモがあったという。

 私たちは昨年十一月、約三百二十キロに及ぶ、このメモのルートをたどってみた。

 海沿いにペンションが並ぶ岡山県瀬戸内市牛窓町。穏やかな海に島影が映る。

 広田さんが、海水浴客で込む町にわざわざ足を延ばしたのは、観光のためか、ほかに目的があったのか。私たちに答えを探すすべはなかった。

▲▽

 広田さんは西脇市出身。立命館大を卒業後、日本自動車連盟(JAF)に就職し、経理担当だった。「週末に大山へ行く」と、電話で聞いていた二歳上の姉、勅子(のりこ)さんは登山をすると解釈した。

 失踪(しっそう)直後、広田さんの家族もメモのルートをたどった。二〇〇三年以降、広田さんの親族の依頼を受け、特定失踪者問題調査会の常任理事岡田和典さん(58)も調べ直した。

 岡山県総社市の国道180号沿いで「喫茶もみじ」を見つけたのは家族だった。そのとき、広田さんの写真を見た常連客が「大山までの道を聞かれた。女性と一緒だった」と証言したという。だが、確実な情報とは言い難い。一人旅だったのか、同行者がいたのか、謎は残る。

 もみじは二〇〇〇年に閉店していた。私たちは元経営者の女性(67)に会えた。かつては大山へ向かう観光バスが店に寄ったが、山陽道などの開通で客が激減したという。広田さんのことは予想通り「知らない」と首を振った。警察が調べに来たこともないという。

 長いドライブの末、南光河原駐車場に着いた。

 大山は雪雲の中だった。広田さんが訪れた七月下旬は登山者が最も多い季節だが、晩秋の夕刻に観光客の姿はなかった。赤い登山届ポストだけが目についた。当時、広田さんの届けは出ていなかった。

 失踪した日の登山者は約二千五百人、駐車場に約三十台の車が止まっていたという。だが、目撃情報はなかった。

 北朝鮮に拉致された可能性を否定できないとして、家族が調査会に届け出た特定失踪者。一九八〇―九〇年代を中心とする時期の失踪者たちは、消息を絶った日がはっきりとしている。そこで、ふっつりと足跡が消える。謎だけを残して。

(企画報道班)(2008/03/01)

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バックナンバー
(1)大山まで車内に旅程記録残して(2008/03/01)

(2)警察犬「山で遭難」の確証もなく(2008/03/02)

(3)やぶの中「なぜ」の答え定まらず(2008/03/03)

(4)入社式就職に悩み募らせた2人(2008/03/04)

(5)女児の声自宅に相次いだ不審電話(2008/03/05)

(6)派遣労働自立にもがく息子の姿(2008/03/07)

(7)母娘の名を言うのもつらい(2008/03/08)

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特定失踪者を取りあげた記事の紹介(3)

神戸新聞の独自取材、特集記事をご紹介します。

連載記事ですので一回目だけを掲示します。
※続きは、下記リンクを辿って、全編を是非ご一読願います。

蒸発の理由 特定失踪者を追う第3部 
  第三部目次
 第三部は、拉致の可能性を否定できないとし「特定失踪者」に挙がった四人の失跡と、家族のその後を紹介する。取材を通して、私たちは四人の家族の共通した思いに気付くことになる。(企画報道班)
(1)その日高度成長期に消えた4人
      
 尾崎隆生さん  古川文夫さん   島脇文内さん  萩本喜彦さん
 
尾崎隆生さんは一九三三年、京都府宮津市の出身。左手の指が曲がらない。舞鶴市の運送会社で運転手をしていたときの事故の後遺症だ。失職し、専門学校で経理を学んだ後、神戸へ。ネクタイを扱う会社に就職した。

 住み込みで働く職場は、国鉄(当時)三ノ宮駅の北側にあった。勤めて二年になる六〇年十一月二日、「遊びに行ってきます」と、趣味だったカメラを手に出かけた。

 その後の行方は分からない。失踪(しっそう)時、二十七歳。

 おとなしい性格の古川文夫さんは、よく行ったスナックでも口数が少なかった。

 母の故郷の山形県新堀村(現・酒田市)で一九五一年、双子の兄として生まれた。尼崎市下坂部で育ち、市立小田北中学を卒業後、建築業の父の下で大工の見習いをした。

 七〇年二月ごろ、北陸へ遊びに行くと、家を出た。数日後「三日ほどで帰る」と電話があった。さらに、愛用のカメラの質札が、なぜか自宅に郵送されてきた。

 そして、消息は途絶えた。失踪時、十八歳。

 島脇文内(ぶんない)さんは、神戸市垂水区中道にあった日本エヤーブレーキ(現ナブテスコ)の独身寮住まいだった。一九五〇年、淡路島の出身。神戸へ出て県立兵庫工業高校を卒業し、同社に就職した。

 同市西区の西神工場の製造ラインで、自動扉や建設機械など油圧機器を作った。電気の配線は熟練の技が要求されるが、島脇さんは先輩に教わって黙々と仕事をこなした。

 七四年一月二十二日、寮を出たまま出社しなかった。失踪時、二十三歳。

 萩本喜彦さんは、高砂市中島に建てた新居に、社宅から引っ越したばかりだった。一九四〇年、同市出身。妻と子ども三人とともに暮らす家で七五年四月五日、新築祝いの会を持つことになっていた。

 勤め先は、近くの神戸製鋼所高砂工場。機械設備の保全が仕事で、若手のリーダー的存在だった。祝宴の前日は、午後十時十五分からの夜勤にあたっていた。

 「行ってくるわ」。四日午後九時五十分ごろ、いつものように自転車で自宅を出た。

 しかし、工場に姿を見せなかった。失踪時、三十五歳。

                  ◇

 高度成長期の終わりに流行した言葉がある。

 「人間蒸発」。一九七四年の警察白書は〈『蒸発』といわれる動機原因不明のもの(家出人)が約九千人〉とした。テレビ局はこぞって人探しの番組を放映し、「お父さん…」と呼びかける子どもの姿が茶の間の涙を誘った。四人も、そんな時代に蒸発した。
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バックナンバー

(1)その日高度成長期に消えた4人(2008/02/13)

(2)過疎高齢の姉墓に名前刻む(2008/02/14)

(3)宣告拉致疑い 家族に温度差(2008/02/15)

(4)海外赴任プラント輸出担う技術者(2008/02/16)

(5)一本道友人の死にも連絡なく(2008/02/17)

(6)家族赤ん坊も一児の父親に(2008/02/18)

(7)道程職場の友人と語り合う(2008/02/19)

(8)夢の終わり工場閉鎖、仕事に愚痴(2008/02/20)

(9)震災実家に連絡なしなぜ(2008/02/21)

(10)希望生存可能性「拉致」に託し(2008/02/22)

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特定失踪者を取りあげた記事の紹介(2)

神戸新聞の丁寧な独自取材です。
連載記事ですので一回目だけを掲示します。
※続きは、下記リンクを辿って、全編を是非ご一読願います。

オキナワの青年 特定失踪者を追う第2部 

 
一九六五年の年明け早々、仲村克巳(かつみ)さんは那覇港から神戸行きの船に乗り込んだ。当時、二十一歳。内地での就職に反対する家族には内証だったから、見送る人はいなかった。故郷・沖縄は米軍の統治下にあり、パスポートを手にしての旅立ちだった。

 就職先は尼崎市にあった製鉄所。一月十二日、市役所に転入届を提出した。

 父、亀永(きえい)さんは、寮住まいの克巳さんにすぐ手紙を送った。既に亡き亀永さんに確かめようもないが、長男の“家出”をよほど心配したのか、続けざまに〈葉書(はがき)着き次第返事を送って下(くだ)さい〉と二信目を書いた。「RYUKYU」と読み取れるスタンプの日付は「65・2・5」だった。

 父の便りはこう続く。

 〈家族中皆元気です。例年の様(よう)に旧正月を祝ってほっとした所です〉



 沖縄には二度、正月がやってくる。沖縄の年中行事は旧暦(陰暦)で日が決まる。正月は、新暦の一月一日にも祝うが、旧正月も大切にする。

 克巳さんは沖縄本島中部、中城(なかぐすく)村の農家に生まれた。克巳さんがいたころ、新暦の元日は、冷え込みで甘みを増したサトウキビの収穫繁忙期。五歳下の妹、栄子さん(59)によれば「ニーニー(兄)は頑張りすぎなぐらい働いた」。祝いごとの余裕はなかった。

 旧正月の思い出は、ある。「うちは貧乏だったし、大したお祝いはしなかったけど、お年玉とごちそうがうれしかった」と栄子さん。豚の三枚肉や結び昆布、大根の煮物を仏壇にお供えし、新年の幸せを先祖に祈る。お下がりを家族でいただく。あいさつ回りをし、お年玉をもらう―。肉は当時、まだ貴重だった。

 もう一つ、印象的な旧正月の風景があった。どの家も日の丸の旗を門に立てた。中城村でもこぞって掲げた。資料によれば、一九五〇年代、日本への復帰運動として沖縄の革新勢力が日の丸を広めた。日の丸は、不戦を誓う日本国憲法の象徴だった、という。

 亀永さんがはがきを送った直後の六五年二月七日、ベトナム戦争を戦う米軍は、北爆を開始する。発着する戦闘機のごう音が、基地と化した島“オキナワ”に響いた。



 尼崎で就職した克巳さんだが、その後、職を転々とする。そして、四年後の六九年夏、西宮市内の下宿に「神戸へ行く」とメモを残し、消息を絶つ。

 二〇〇三年、克巳さんは、妹の和子さん(61)らの申し立てで、北朝鮮に拉致された可能性を否定できない「特定失踪(しっそう)者」の一人に挙げられた。



(企画報道班)(2008/01/01)

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 キンモクセイが香る秋から約三カ月、私たちは仲村克巳さんの取材を続けている。名前を知る人さえ数少ない。四十年の歳月を経た街で、迷宮を歩くように無名の青年の足跡を探した。それは「戦後」をたどる旅にもなった。
 第二部は、私たちが知り得た克巳さんの人となりを伝える。消息につながる読者の情報提供にも期待しながら。
(1)旧正月 職求めて孤独な旅立ち(2008/01/01)

(2)故郷 農地狭く移民最多の村(2008/01/03)

(3)労組 頑張っても希望がない(2008/01/04)

(4)出稼ぎ 母親思いの長男の選択(2008/01/05)

(5)製鋼課 大量採用、次々と離職(2008/01/06)

(6)寮 写真に高度成長の面影(2008/01/07)

(7)岐路 帰郷せず転職繰り返す(2008/01/08)

(8)牛乳販売 街並み一変 手がかりなく(2008/01/09)

(9)パスポート 拉致の決め手にならず(2008/01/10)

(10)先送り 前世紀のつけ悲しみ深く(2008/01/11)

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特定失踪者を取りあげた記事の紹介(1)

神戸新聞の記事です。

昨年末からの特集記事ですが、まとまっているので順次ご紹介します。

連載記事ですので一回目だけを掲示します。

※続きは、下記リンクを辿って、全編を是非ご一読願います。

足元の迷宮 特定失踪者を追う -第1部 日本人拉致事件の陰で

写真:初冬の弁天浜。写真中央付近の砂浜に、かばんと靴が置かれていた=豊岡市竹野町竹野

1. 足 跡 … 娘が自殺?壊れた日常 (2007/12/12)
娘が自殺?壊れた日常

初冬の弁天浜。写真中央付近の砂浜に、かばんと靴が置かれていた=豊岡市竹野町竹野
 砂浜の足跡は、波打ち際に沿って行きつ戻りつしていた。海へと続くものもあった。

 「その光景を、忘れられないんです」。秋田嶺子(れいこ)さん(73)が涙ぐむ。夫の正一郎さん(75)とともに初冬の海に駆け付けてから丸二十二年になる。

 一九八五年十二月五日、豊岡市竹野町の弁天浜。たそがれてゆく小さな浜で、二人は立ち尽くした。眼前の海ではダイバーも出動し、海上保安庁や県警、漁協が、まな娘の捜索をしていた。

 ◆

 記憶に残るニュースが多い年だった。

 「ロス疑惑」と呼ばれた銃撃事件、悪徳ペーパー商法の豊田商事事件、そして、犠牲者五百二十人を出した日航機墜落事故。阪神タイガースが日本一に輝き、神戸ではスポーツの祭典「ユニバーシアード」に世界の若人が集った。

 当時、秋田家は川西市湯山台にあった。三月に長女が結婚。保険会社に勤める正一郎さんは徳島市に単身赴任中で、嶺子さんは二女の美輪さんと二人暮らしだった。

 美輪さんは神戸松蔭女子学院大学の四年生、二十一歳。もの静かで、しっかりした末娘を嶺子さんは頼りにしていた。大学を卒業する春には川西を引き払い、親子三人そろって徳島で暮らすことが決まっていた。

 平凡な、だから幸せな、一年が過ぎようとしていた。一本の電話があるまで。

 「秋田美輪さんは、おたくのお嬢さんですか」

 城崎署(現・豊岡北署)から川西の自宅への連絡は十二月五日の午前八時ごろだった。「美輪さんの靴とかばんが、浜辺で見つかりました」

 嶺子さんは、話がのみ込めなかった。娘は神戸の友人の下宿に泊まっているはずなのに―。しかし、美輪さんは、友人を訪ねていなかった。

 急ぎ徳島から戻った正一郎さんと、嶺子さんは列車に飛び乗った。そこから先、動転した嶺子さんの記憶はあいまいだ。

 美輪さんが見つからないまま捜索は打ち切られた。目撃情報も皆無だった。新聞に「女子大生が入水(じゅすい)自殺?」との見出しで記事が載った。正一郎さんも、嶺子さんも、娘が自殺したとは信じられなかった。

 未解決のまま置き去りにされていた「失踪(しっそう)」が、二十一世紀の幕開けとともに注目された。

 二〇〇二年九月、日朝首脳会談。北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記が日本人十三人の拉致を認めた。「もっと拉致被害者はいる」との疑いが強まり、前世紀の不可解な失踪の再検証を家族たちが求めた。民間の「特定失踪者問題調査会」が受け皿となり、拉致の可能性を否定できない「特定失踪者」を受け付けた。その数は全国で約四百七十人に上る。

 「北朝鮮による拉致としか思えない。政府は一刻も早く拉致被害者に認定を」。正一郎さんも、美輪さんを特定失踪者に登録した。

■   □

 特定失踪者の公表が始まって来年一月で五年。

 大半のケースが、拉致の確証も、拉致でない確証も、得られていない。再び忘れられようとしている特定失踪者のうち、兵庫県関係者の足跡を、私たちはたどろうとしている。なぜ、私たちの街は、この人たちを見失ったまま歳月を重ねたのだろう。そんな疑問を胸に抱きながら。
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1. 足 跡 … 娘が自殺?壊れた日常 (2007/12/12)

2. 親 友 … 電話を残し娘は消えた (2007/12/13)

3. 捜 索 … 澄んだ海に遺留品なく (2007/12/14)

4. 陰 膳 … 心の整理 今もつかず (2007/12/15)

5. 突破口 … 北朝鮮への疑念噴出 (2007/12/16)

6. 発 掘 … 身寄りない2人どこへ (2007/12/17)

7. 接 線 … 工作員上陸 過去何度も (2007/12/18)

8. 急行券 … 偽装と推理 疑い深める (2007/12/19)

9. 家出人 … もう切り捨てられない (2007/12/20)

兵庫県関連の特定失踪者一覧  

兵庫県関連の特定失踪者が、まとめられていますので、是非ご覧下さい。

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2008年5月 2日 (金)

早紀江さん作詞の曲発売へ

 「コスモスのように」 めぐみは生きている 横田早紀江さん初作詞のCD発売へ

拉致被害者の横田めぐみさん=拉致当時(13)=の母、早紀江さんが作詞した「コスモスのように」のCDジャケット 拉致被害者の横田めぐみさん=拉致当時(13)=の母、早紀江さん(72)が初めて作詞した歌が10日、CDとしてライフ・ミュージック社(東京)から発売される。タイトルは「コスモスのように」。「強いコスモスのように、めぐみが必ず生きているという思い」(早紀江さん)が詞に込められている。

 早紀江さんの詞に、曲を付けたシンガー・ソングライターの岩渕まことさんが3月にレコーディング。優しいメロディーで希望に満ちた作品に仕上がった。

 詞は、早紀江さんが新潟市の自宅の庭で育てたコスモスが太く、大きくなりすぎ、めぐみさんと「コスモスらしくない」と大笑いした思い出がベースとなったという。

 「遠い空の向こうにいる めぐみちゃん あなたも お母さんが育てた あのコスモスのように 地に足をふんばって生きているのねきっと しっかりと頭を揚げて生きているのねきっと」(詞の一部)

 早紀江さんは「どの家族も、被害者が元気でいると信じている気持ちを聞いていただければ」と話している。

 CDには早紀江さんによる詞の朗読も収録した。1枚1050円(税込み)。

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早紀江さんが作詞した曲がCDとして発売されます。
可憐なコスモスが、大きく元気に育ったことを二人で笑ったあの時(30年以上前)の楽しかった家族の想いで。
くじかれそうになる想いを、繰り返し気力と信念で立て直し、希望を失わず必死で闘っている家族の願いを、日本中で支えて行かなければならないと思います。

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2007年6月11日 (月)

金正日重病説

 
Kim Jong Il, has been so unwell that he
needs an assistant to carry a chair for him

Kim Jong Il, North Korea's reclusive leader, has been so unwell that he could not walk more than 30 yards without a rest, western governments have been told.

Diplomats in the North Korean capital, Pyongyang, are increasingly convinced that the 65-year-old dictator needs heart surgery to restore his apparently flagging health. He has had to be accompanied by an assistant carrying a chair so that, wherever he goes, he can sit and catch his breath.

Speculation about the state of Kim's health was heightened when a team of six doctors from the German Heart Institute in Berlin flew to Pyongyang, the North Korean capital, for eight days last month. Kim, who also suffers from diabetes, was believed by diplomats to have been among those on the list for treatment by the combined medical and surgical team. But a spokesman for the German team said they had only treated three labourers, a nurse and a scientist.

Kim's public appearances have been curtailed this year and he has appeared in public only 23 times, compared with 42 times at the same point last year - an indication, observers say, of his declining health. The suggestion that he underwent an operation offered an apparent explanation for his recent month-long disappearance from public view.

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Kim Jong Il has ruled the North - one of the most isolated and tightly controlled regimes in the world - since his father, the country's founder, Kim Il Sung, died in 1994. He became the heir apparent to his father in 1974 at the age of 32, well before the senior Kim's death two decades later.

His illness may also explain why Kim has appeared keen to tackle the question of his succession, putting two of his sons through their paces to decide which is best suited to take over.

He is reported to have taken Jong Chul, 26, and Jong Woon, 23, on a series of military inspections to ascertain who performed best. His eldest son, Kim Jong Nam, 36, is out of favour after being deported from Japan six years ago for trying to enter the country on a forged passport.

Some observers predict, however, that his eventual death might be followed by a collective leadership by military figures, ending his family's dynastic power over the impoverished communist state and paving the way for it to abandon its nuclear weapons programme and open up to the rest of the world.

A spokesman for the heart institute, said it was the first time that it had sent German doctors to North Korea. But high-ranking North Korean officials are routinely treated by foreign doctors and Kim's family members and officials have been treated in Russia, Switzerland and Germany.

According to reports in North Korea, a team from Berlin visited last year and operated mainly on small children, but also treated Kim's brother-in-law, Chang Sung Taek. He had been due to visit Germany earlier this year for a follow-up operation, but was denied an entry visa because of UN sanctions aimed at prohibiting foreign trips by North Korean officials believed to be involved in the proliferation of weapons of mass destruction.

| International News | News | Telegraph

http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2007/06/10/wnkor110.xml

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2007年6月 7日 (木)

北朝鮮人民 軍・党への忠誠心低下

2007/6/7 産経新聞朝刊から
【ソウル=久保田るり子】
       北が軍の綱紀粛正

            中枢幹部を左遷?
 
北朝鮮で朝鮮人民軍幹部の重要ポスト人事が確認され背景が注目されている。
綱紀粛正、新たな側近登用による忠誠心向上、世代交代などが狙いと見られる。軍部については、昨年10月の核実験後、国連決議に基づく経済制裁の影響による食糧不足で、軍が食糧を優先的に占有したため、住民との関係が急速に悪化していることも指摘されている。

韓国当局が5月下旬までに把握した軍の幹部人事では、金正日総書記の側近で人民軍総参謀部の李明秀作戦局長が軍事部門の最高機関、国防委員会専任となり、後任に金明国対象が就任。人民軍総政治局の朴在京宣伝担当副部長が人民武力省のたいがい事情担当副部長に転出し、後任に鄭太根中将が任命された。

国防委員会は朝鮮人民軍を直轄する組織とされ金正日総書記が委員長で現在9人いる委員は金正日総書記の側近中の側近とされる。4月には軍の重鎮、金永春人民軍総参謀長が副委員長に就任し、「国防委員会を強化する動きか」(韓国総合ニュース)とみられた。

一方、韓国軍筋が注目しているのは総政治局の朴在京宣伝担当局長の転出だ。北朝鮮では通常、副局長が担当局の最高実力者である場合が多い。同筋は「総政治局の宣伝担当は軍内の思想統制を行う軍総括の部署で、なかでも実力者とみられていた朴副局長の転出は、軍統制に問題が生じたための左遷・引責人事の可能性がある」とみる。

こうした国防委員会、総参謀部、総政治局など軍中枢人事は、昨年7月のミサイル発射、10月の核実験、4月の新型ミサイル展示の軍事パレードと続いている軍事路線をさらに強化する体制づくりが目的とみられる。

北朝鮮では、軍人事に先立って朝鮮労働党、政府人事も行われた。3月には党対日対南担当書記・統一戦線部部長に金養建氏が任命され、4月には朴奉珠首相が経済問題で更迭され、後任に金英逸氏が就任。5月には空席だった外相に朴義春元ロシア大使が起用された。それぞれの人事は南北関係強化や国内・国際情勢への体制整備と観測されている。

韓国の北朝鮮専門家は「軍部の人事は、軍内の政治教育問題(綱紀粛正)と忠誠心向上が基軸だ。政権中枢と軍の関係悪化が深刻だ。人民の軍・党に対する忠誠心が急速に低下している」と分析している。

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 >「人民の軍・党に対する忠誠心が急速に低下している」 と分析している。
 
  制裁によって、物資の配給は以前より困難になっていると言います。
 人民と政権・軍との乖離が確実に進んでいるということですね。
 今回の脱北者漂着にも、こういった影響があるのかもしれません。
 

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脱北者・新聞紙面から

   今朝の産経、web掲載がみあたりませんので、テキストで紹介します。

     『脱北家族決死の日本海一週間800キロ』

                ~高波に揺られはき続け~

                       きょう入管施設へ 

 1日おきにしか食べられないパン。裏腹に簡単に手に入る覚醒剤。『無力な支配者が社会を後退させている』と粗末な小舟日本海を渡り、青森県深浦町に漂着して警察の保護された北朝鮮人一家4人は6日、法律上の保護期限を迎えることから茨城県内の入管施設に移される。4人は韓国での生活を希望、韓国側も、受け容れる方向だが、移送には時間がかかる見通しで、政府は7日以降も合法的に日本に滞在させる『一時庇護上陸許可』を出す方針だ。一家が日本海を漂流すること一週間、その距離800キロ。4人の供述で、脱北の同期や経緯が次第に明らかになり、北の一般住民の生活の一端が浮かび上がってきた。

参照:産経新聞6月6日社説 主張

警察の調べでは、4人は50代後半の元漁師の男性と妻の60代前半の女性、30代の専門学校生の長男と、20代後半のタコ漁の二男。5月27日夜、北朝鮮北東部の清津から木造船で脱出した。

船の操縦資格を持つ二男が金を貯め船を購入。遼で家計を支えたが生活は苦しく、「1日おきぐらいにパンを食べるのがやっとだった。」

警察に保護された二男は、微量の覚醒剤を所持していた。「長旅なので眠らないようにするためにもっていた。共和国で簡単に入手できる」

「オルム(氷)」。そう呼ばれる覚醒剤が近年、中韓国境地帯を中心に広がっている。韓国の北朝鮮人権団体によれば、「(清津のある)咸鏡北道では、働き盛りの青年層の約5%が覚醒剤を服用」と指摘。北の覚醒剤密輸への国際的な取り締まりが強化され、だいぶついた覚醒剤が国内で安く流通している。

パンを1日おきにしか食べられない生活にもかかわらず、覚醒剤が容易に入手できる異常な環境。「共和国に人権がない」「無力な支配者が社会を後退させていることに疑問と不満があった」。4人は日本の警察官に信条を吐露する。貧困が広がり、特権階級が住む平壌以外の地方都市では、金正日総書記の陰口が目立ち始めたと伝えられるが、その現状を裏付ける「供述」だ。

                     ■  ■  ■

木造船は長さ約7.3メートル、幅約1.8メートル。黒色で、エンジンは2機(1機は予備機)。屋根はない。コンパス、パンやソーセージなどの食料、飲料水、衣類がぎっしり詰まったリュックサック、雨がっぱや傘、タオル、大量の軽油、そして食べ物への執着ともとれる箸が積まれるなど用意周到だった。「捕まったときには自害」を覚悟し、毒薬も持った。

一家は当初「韓国を目指すつもりだった」。だが、国境警備が厳しいため、日本と北朝鮮を結ぶ『万景峰号』が出入りしていた新潟を目指す。昨年の日本海に向けたミサイル発射や核開発問題、日本人拉致問題で、北朝鮮船舶の入港を禁じていることは知らなかった様子。北の情報統制は相変わらずだ。

決行の夜、清津は濃い霧。当局の目を盗むにはもってこいだった。が、以降の4日間は悪天候。二男と長男が交代で操縦したが、船は大きく揺れ、「食事はおろか、話もできなかった」。良心は船にしがみつき、吐き続けた。

高波で春水下。何隻かの船とも擦れ違った。追跡の不安を抱えながらの航海。脱出から7日目の今月2日、新潟から約300キロ北の深浦町に漂着した。母は疲れ切った表情でしゃがみ込んだまま動けなかった。そこがどこか分からなかったのだろう、見かけた日本人に「ニイガタ?ニイガタ?」と繰り返した。

住民は「よくこんな小さな船で・・・。海流が急で、深浦には、深浦には流されてきたのではないか」と推測する。

一家は覚醒剤や多少の人民元を所持していたことから、“特別”という見方もあったが、警察幹部は『一般市民』と見ている。県警五所川原署の会議室で寝泊まりしている4人は、提供される幕の内弁当を毎食たいらげているという。
(6月6日付 産経新聞朝刊より)

※関連記事
 北人権法で“初難民”
            韓国移送まで最大数ヶ月

脱北者一家については、出来る限りの人定調査と、二男の覚醒剤取締法違反容疑での書類送検が終了次第、韓国への移送手続きが始まる見通しで、移送までには、「一週間から最大で数ヶ月かかる可能性がある」(政府関係者)という。

日本に逃れてきた脱北者の処遇については、「政府は脱北者の保護及び支援に関し、施策を講じるように努める」と明記された北朝鮮人権法(平成18年施行)が適用される。今回も船が武装しておらず、工作員の可能性が低いことが分かった段階で、保護対象に切り替えた。青森県警が入管難民法違反の容疑者ではなく、警察官食味執行法に基づく保護対象者としたのもこのためだ。

ただ、警職法の保護に関する規定は5日間が限度。
6日には茨城県内の入管施設に移される。

4人は入管当局に入管難民法に基づく特別上陸許可を申請しており、政府は「一時庇護上陸許可」を出して一定期間の滞在を認める方針。適用されれば4人は最長で6ヶ月間、法務省の保護下で滞在が認められる。
一時庇護上陸許可は、1980年代、自国での迫害の恐れがあるベトナムなどの難民を人道的に救済するために設けられた規定で、脱北者に適用されるのは初めて。日本が北を「迫害国家」とすることになるため、北の反発も予想される。
(6月6日付 産経新聞朝刊より)

      ◆・・・・・◆・・・・・◆

TBSの記事によれば、『この12年間の間に新潟県内に漂着した船のうち、朝鮮半島からの木造船は27隻に上る』(警察調べ)とのこと。
今回の漂着船も、海上警備をすり抜けての漂着です。日本の海上警備が如何にザルであるか、工作活動が、如何に簡単であるかの証明でもあります。
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参考(すでにwebから記事は消えていますのでコピー)
北朝鮮から新潟を目指した脱北者の船は、あの1隻だけだったのでしょうか。この12年間の間に新潟県内に漂着した船のうち、朝鮮半島からの木造船は27隻に上ることが警察の調べでわかりました。
 2001年、新潟県佐渡市に流れ着いた木造船。中にあった白骨化した遺体は、北朝鮮の漁民でした。漁に出たまま行方不明になったというのが北朝鮮側の説明です。

 朝鮮半島から新潟に漂着した小型の木造船は、ここ12年間に27隻に上ることが警察の調べでわかりました。どの船体にも、ハングル文字が書かれていました。さらに、今年2月には佐渡海峡で船体にハングル文字で「チョンジン」と書かれた船が漂流しているのをフェリーの船員が発見していたことも新たにわかりました。

 これまでの所、いずれの船からも人が上陸した可能性は低いと見られていますが、今回の青森のケースを受けて警備態勢が一層強化されそうです。(05日17:58)

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警備強化も大切、脱北者についても、きちんとした聞き取り、人定調査も大切。

今回の教訓を生かして、『スパイ防止法』の制定を急ぐこと、『北朝鮮人権法』の運用方法などに必要な法整備、実務手順のシュミュレーションも必要だと思う。

工作活動に備えることと、人道的対応との硬軟双方の備えが必要だと思う。

※参考記事
  下記のサイトが脱北者関連の記事を丁寧にまとめてくださっていますので、参考にしてください。
 
http://sok-sok.seesaa.net/article/43998733.html
(06/06)青森県深浦港脱北者4名漂着問題に関する報道メモ2
http://sok-sok.seesaa.net/article/44018207.html
(06/05)青森県深浦港脱北者4名漂着問題に関する報道メモ1
 
 

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2007年3月30日 (金)

ニッポン人・脈・記(朝日新聞連載)

参照画像

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ニッポン人・脈・記 最終回

ニッポン人・脈・記
 最終回 タカ派と結び「美しい国」 2007年03月29日

公明党の代表 太田昭宏(おおた・あきひろ)(61)は、連立政権を組む首相安倍晋三(あべ・しんぞう)(52)の「美しい国」を自分なりにとらえようと、外国人に会うたびに尋ねる。日本は美しい国ですか?何が美しい?
  「終身雇用制はすばらしい」
  「健康保険が美しい。貧しい人も皆で救っていく精神がある」
  太田は公明新聞記者、創価学会青年部長を経て、安倍と同じ93年に初当選。公明党は「平和の党」を掲げ、所得の低い人々への目配りを唱えてきた。「日本人の助け合いとか、情とかが壊れている。だから首相は、こうやってそれを取り戻すんだと具体的に主張してくれればわかりやすいのに」
  だが、安倍が国会で答えた「美しい国」とは、こういうことだ。
  「明治、大正期に外国人の多くが日本を称賛した。アインシュタインは、謙虚さと質素さ、純粋で静かな心、これらを保ってほしいと述べた。質素でも立ち居振る舞いが美しい日本人でありたい」
  明治、大正期はなお封建的な考え方が強く、その時代をあえて理想と語る安倍流の「美しい国」は、戦後の価値を否定する復古主義に見える。
  公明党は教育基本法の改正や防衛省昇格に賛成、元来の「リベラル色」もかげっている。太田が「美しい国」を自分なりに解釈しようとするのも、与党であり続けるためではないのか。
  自民党総務会長の丹羽雄哉(にわ・ゆうや)(62)は、池田勇人(いけだ・はやと)、大平正芳(おおひら・まさよし)の流れをくむリベラル派閥「宏池会」出身。だが昨年の総裁選では自派をまとめ、安倍がタカ派であることを承知で支える道を選ぶ。国民人気を認めざるを得なかった。
2月末に訪中し、中国の外務次官 戴乘国(タイ・ピンクオ)と激論を交わした。
  戴「日本は、北朝鮮との関係正常化で米国に立ち遅れないようにすべきだ」
  丹羽「日本国民の9割が拉致の解決を求めている。民主主義は国策に国民の意見を反映させる」
  拉致での譲歩は安倍政権の自殺行為になると思ったからだ。  「もし安倍さんが就任後に靖国参拝していたら、こんなに支える気にはなれなかっただろうな」と丹羽はぽろりと語った。
  「中韓との関係改善、格差への対応。右翼政権という批判は色あせて見える」と丹羽。政権の右旋回の歯止めであることに、衰退するリベラル勢力の存在意義を見いだそうとしているようだ。

 リベラルをとりこんだ安倍に、右派ジャーナリズムは「手ぬるい」と不満を隠さず、自民党内で従軍慰安婦をめぐる河野談話の見直しを求める動きなどが広がる。非主流派の加藤紘一(かとう・こういち)(67)はいま、とりわけ「日本会議」の動きを気にかけている。
  「日本会議」は憲法改正、皇室敬慕、反東京裁判史観などを掲げ、97年に設立。会長は元最高裁長官三好達(みよし・とおる)(79)。瀬島龍三(せじま・りゅうぞう)(95)ら右派の財界人や神社関係者がいて、じわじわと国会議員や地方議員に影響を強めている。教育基本法改正を熱心に推進した。
  賛同する国会議員の懇談会もある。会長は安倍に近い平沼赳夫(ひらぬま・たけお)(67)、官房副長官下村博文(しもむら・はくぶん)(52)もかつて事務局長を務めた。
  加藤は「安倍政権が限界線を超えたら動き出すべきかな」と語る。最近、盟友の山崎拓(やまさき・たく)(70)、古賀誠(こが・まこと)(66)との集まり「新YKK」の会合を重ねている。
  加藤の「限界線」とは何か。
  「地域のコミュニティー社会が自民党保守の原点。安倍政権が公立学校に競争原理をとり入れようとするなど、地域社会をないがしろにした時は立ち上がらないと」

  日本総合研究所会長の寺島実郎(てらしま・じつろう)(59)は先月、「経
済人はなぜ平和に敏感でなければならないのか」(東洋経済新報社)を出した。三井物産に入り米国で勤務、国際派リベラル論者である。
  「安倍政権が戦後レジームを脱却して、再び国権主義的な体制に戻そうと言うのなら、相当誤解している。『戦後』に対し、誇り高く振り返らなきゃいけない部分、次の歴史につなげていかなきゃいけない部分を考えないと」
  この先、リベラル勢力も抱える路線を歩むのか。それとも国権主義を強めるのか。安倍はそのはざまで揺れている。鍵を握るのは、国民の目である。

(森川愛彦)

(このシリーズは本社コラムニスト・早野透、編集委員・山田厚史、森川が担当しました。敬称略)

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ニッポン人・脈・記 第16回

ニッポン人・脈・記

第16回 少女に甘言「拉致と同じ」 2007年03月28日

1月末、米下院に「慰安婦決議案」が出されて以来、中央大教授 吉見義明(よしみ・よしあき)のもとに欧米メディアがたびたび質問に来る。
  「シンゾー・アベは拉致問題には熱心だが、従軍慰安婦に対する態度と矛盾するのでは?」
  「従軍慰安婦」研究者の吉見も、このふたつの問題に共通性を見いだしている。
  拉致被害者も、「いい仕事がある」などと「甘言」にだまされ、連れ去られた例がある。朝鮮人の少女が業者から「赤いワンピースと革靴」を見せられ、「いい暮らしができるよ」と戦地の軍慰安所に送られたのもまた、「甘言」による「拉致」ではないか。
  「今風にいえば、軍が業者にやらせる方が効果的だとアウトソーシングしていたのです。安倍さんが拉致問題に熱心に取り組むのは正当だけれど、従軍慰安婦にも同じ態度で臨まないと国際的にも理解されないんじゃないか」
  慰安婦問題が国際的に知られるのは、92年2月、いま龍谷大教授の戸塚悦朗(とつか・えつろう)(65)がジュネーブの国連人権委員会で「性奴隷」として告発、日本政府の補償と国連の調停を求めたことがひとつのきっかけだった。
  スモン訴訟や精神障害者の人権問題に弁護士としてかかわった戸塚には、韓国の元慰安婦や支援組織もまた「依頼人のように思えて」、ソウルに通い、のめりこんだ。「『河野談話』は反省とおわびを述べるだけで、国家の責任を認めていない。でも従軍慰安婦は犯罪なんですよ。北朝鮮の拉致と同じ犯罪なんですよ」
  戸塚は、戦前の裁判所が慰安婦集めを「犯罪」としたケースを発掘、04年に発表した。若い女性をだまして軍慰安所に送り込んだ業者を、国外移送誘拐罪で罰した長崎地裁判決である。だが、戦争が拡大、官憲は見て見ぬふり、不処罰のヤミの世界になる。
  「拉致はあれだけ追及し、慰安婦にはそっけないではダブルスタンダード。安倍さんは国家を愛して、人間に向き合っていないのでしょうか」
  米下院や米ジャーナリズムと日本の対応の差は、国際人権感覚のギャップかもしれない。

  安倍と国家--。
  総務相の菅義偉(すが・よしひで)(58)は、歴史教科書をめぐる「若手議員の会」で安倍と出会う。「ほんとうにおつきあいしたのは北朝鮮の万景峰号の入港禁止のときですよ。山本一太(やまもと・いちた)、河野太郎(こうの・たろう)らと6人で議員立法に動いたとき、応じてくれたのが官房副長官の安倍さん」
  秋田の高校から集団就職で上京、段ボール工場などで働きながら一念発起、法政大学、政治家秘書、横浜市議、国会へ。「ああ上野駅。なつかしいですね」。
自民党総裁選で金融相 山本有二(やまもと・ゆうじ)(54)とともに「再チャレンジ議連」を仕掛け、安倍を助けた。テレビのあり方に強い態度が目立つ。
「安倍内閣は歴史的必然性の中の政権ですよ。憲法も教育基本法も人間の骨格です。国民はそこに限界を感じて、あたりまえの国をつくろうとしているのです」
  でも、安倍さん、慰安婦について「強制性を裏付ける証拠はなかった」と強調することはなかったのでは? 「あの人、むきになるんですよ、そういうところ」

東大教授の御厨貴(みくりや・たかし)(55)は政治史研究が専門、去年、安倍の祖父の岸信介(きし・のぶすけ)の生地、山口県布施町の郷土館に行って岸の日記や手紙を調べた。「まだ未整理の資料がいっぱいある。岸は外国にいくと、夫人に毎日、絵葉書を書いているんですよ」。岸は巣鴨プリズンで「反米」だったけれど、首相としては交渉相手の米国と意を通じつつ対峙する合理主義者だった。
  御厨が「危ない」と感じるのは、安倍が「憲法は占領下でつくられたから改正する」とこだわっている点である。
  「自民党リベラルは、占領は結果オーライということだった。しかし、安倍さんはそれがいけないと言い続ける。いま自信を失っているアメリカにとって、日本占領は数少ない成功モデルなんです。それなのに、アメリカが肩入れした岸の孫がなんでそんなことをいうのかと」
  「従軍慰安婦」でアジアとギャップがあるだけでなく、「占領」というもうひとつの歴史認識でアメリカとギャップを生めば、安倍政権は孤独の道を歩むことになるかもしれない。

(早野透)

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ニッポン人・脈・記 第15回

ニッポン人・脈・記 第15回 

 慰安婦の強制疑う集団 2007年03月27日

「その教科書が使われるということを、娘が中学校に進学する年に某新聞で読んだんですよ」
いま自民党政調会長の中川昭一(なかがわ・しょういち)(53)が、97年2月、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」をつくったのは、そんなきっかけだった。その年4月から使われる中学教科書に「従軍慰安婦」についての記述が載る。
 「歴史の事実は事実として尊重する。しかし議論が分かれている慰安婦をバンと教科書に載せることに疑問を感じたんですよ」
 「若手議員の会」の幹事長は衛藤晟一(えとう・せいいち)(59)。事務局長は安倍晋三(あべ・しんぞう)(52)。代表の中川が「憲法や安保、政治認識のコアで一致する」2人だった。6月まで計10回、学者、官僚、教科書製作者ら、両論の講師を呼んで質疑した。
 戦地に日本軍が設けた「慰安所」の女性の悲痛な体験は、今はほとんどの人が否定しない。だが、軍が強制的に、とりわけ植民地だった朝鮮半島や台湾から連れて行ったのかどうか。「若手議員の会」はそこを問題にした。
 質疑は「歴史教科書への疑問」(展転社)にまとめられた。安倍のこんな発言も載っている。
 「横田めぐみさんみたいに拉致されたなら、そのことをなぜ誰も一言も口にしなかったか」「韓国にはキーセンハウスがあって、そういうことを日常どんどんやっているわけですね」
 女性たちが自分の意志で戦地へでかけたということなのか。ともあれ軍が「ドアを破って連れ出した」証拠はないというのがコアの3人の考えだった。
 今年1月、米下院に出されたに本意謝罪を求める「慰安婦決議案」に対し、主将の安倍は「当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった」と弁明した。「若手議員の会」の空気がつい口をついたのかもしれない。

従軍慰安婦問題を国会で取り上げたのは、90年6月、当時の社会党参院議員 本岡昭次(もとおか・しょうじ)(76)だ。兵庫県の教員出身で、部落差別や朝鮮人差別にずっと目を向けていた。
「労働省の職業安定局長が答弁し、民間の業者が(女性を)軍と一緒に連れ歩いているので実態はわからないと。国の責任はないというわけですよ」
だが、91年8月、韓国の金学順(キムハクスン)が慰安婦だったと名乗りをあげる。92年1月、中央大教授の吉見義明(よしみ・よしあき9(60)が、日本軍が軍慰安所設置を師事した公文書を発見し、政府も知らんぷりはできなくなる。韓国から実態調査を求められ、93年8月、「河野洋平(こうのようへい)官房長官談話」を出すことになる。
「軍の要請を受けた業者によって、甘言、強圧など本人の意思に反して集められた事例が数多くあり、官憲等が直接加担したこともあった」「心身に癒しがたい傷を負われた方々におわびと反省」「歴史教育を通じて永く記憶にとどめ、過ちを繰り返さない」
「強制した」と断言はしないけれど「軍の関与」は確かにあったというのが河野談話である。社会党委員長の村山富一(むらやま・とみいち)(83)の内閣で官房長官 五十嵐広三(いがらし・こうぞう)(81)は、国民の拠金による「アジア女性基金」をつくって、元慰安婦に1人200万円を配ることにする。
だが、それは国家賠償を回避する責任逃れではないか。民主党に移った本岡は、そんなはんぱではだめだと国家賠償を求める「戦時性的強制被害者問題の解決促進法案」を書いた。通称「本岡法案」。議員を退いてなお情熱を燃やす。
「政権交代したら、真っ先にこの法案が実現するんですよ」

「若手議員の会」を率いた中川昭一の父中川一郎は、かつて血判を押してタカ派議員集団「青嵐会」をつくった。石原慎太郎(いしはら・しんたろう)(74)も入った。「若手議員の会」はあるいは昭一の「青嵐会」かもしれない。いまや「従軍慰安婦」に関する教科書の記述はほとんど消えた。
「若手議員の会」の名簿をみると、安倍政権の顔がずらりと並ぶ。副代表の松岡利勝(まつおか・としかつ)(62)が農水省、安部の下にいた事務局次長の下村博文(しもむら・はくぶん)(52)が官房副長官、幹事長代理の高市早苗(たかいち・さなえ)(46)、委員に名を連ねた長勢甚遠(ながせ・じんえん)(63)、菅義偉(すが・よしひで)(58)、渡辺喜美(わたなべ・よしみ)(55)は閣僚に。根本匠(ねもと・たくみ)(56)は首相補佐官。オブザーバー名簿の塩崎恭久(しおざき・やすひさ)(56)は官房長官、政治資金問題で閣僚を辞任した佐田玄一郎(さた・げんいちろう)(54)の名もある。
安倍内閣とは、つまり「若手議員の会」の内閣なのである。

(早野透)

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ニッポン人・脈・記第3回

ニッポン人・脈・記

第3回 実力者が一喝「騒ぐな」2007年03月07日

首相安倍晋三(52)が拉致問題に取り組むきっかけは、20年ほど前、父晋太郎の秘書をしていた時に拉致被害者 有本恵子(ありもと・けいこ)の両親が訪ねて来たことだった。
内閣のメルマガに安倍はこう書いている。
 「そのとき私は、国家がよその国の国民を連れさるなんてあり得ることだろうかと半信半疑でした。しかし、調べていくうちに北朝鮮の犯罪だと信じざるを得なくなり、日本がこの問題を報知してきたことに愕然としました」
 安倍と同じ93年総選挙で当選、いま帝京平成大教授の米田健三(よねだ・けんぞう)(59)は「東京裁判史観の不当性」を訴え続ける。自民党議員だったころ、外交や安全保障を議論する党の部会に顔を出した。
 「でも票にならないせいか、閑散としていてね。出席議員の関心はODA予算や地元の基地交付税額といった金がらみだった」
 そんなムードにあきれていた米田は、やはりつまらなそうに議論を聞いている安倍を見つける。安倍もまた憲法9条や戦後体制に強い疑問を抱いていることを知り、親交を深めていった。

 97年2月、横田めぐみの拉致疑惑が浮上、自民、新進両党の議員からつくった拉致議員連盟に安倍と米田は参加する。その秋、自民党に拉致問題を議論する小委員会をつくろうとした。だが党内の反発が強く、食料支援なども扱う「日朝問題小委員会」となる。
 ある日、安倍が司会する小委員会に突然、野中広務(のなか・ひろむ)(81)が入ってきた。当時は幹事長代理、大実力者で党内ではハト派の代表的人物。「日本は北朝鮮を植民地支配した。拉致など声高に騒ぐ話ではない」と一喝。安倍が米田に目配せし、反論を促す。しかし……。
  結局小委員会は数回開かれたあと休眠状態になった。
  そのころ自民党は、田中角栄、竹下登の流れをくむ小淵派の全盛期。野中も首相橋本龍太郎も属していた。伝統的に親中国のこの派は北朝鮮とも友好関係をめざした。橋本内閣は6・7万のコメ支援を決定。小淵政権も森政権もコメ支援を続けた。
  02年春。拉致議連会長だった元建設相 中山正暉(なかやま・せいき)(74)へのクーデターが起きる。中山は、有本恵子の家族に「(有本のケースは)日本人が日本人を拉致したのだからほかの拉致疑惑とは別」と伝えるなど、北朝鮮寄りの発言をした。
  安倍と米田らは、会長以外のメンバー全員が脱退して新しい拉致議連を立ち上げると言う荒業を思いつく。4月、その新拉致議連が発足。会長には、安倍らの人選で石破茂(いしば・しげる)(50)が就任した。
  石破「なぜ私なのか」
  安倍「ごりごりの右翼じゃないから、あなたがいいんだ」
  当時はまだ「共産主義嫌いの集団」とみる向きが多かった。
  新拉致議連は、各国大使に説明するため英文冊子を作ってほしいと外務省に求めた。だか「いたずらに北朝鮮を刺激しない方がいい」と拒まれ、党費でつくった。米田と石破が来日中の国防相に説明すると、「えっ、そんなことがあるんですか」。

02年9月、首相小泉純一郎(65)が訪朝、最高指導者の金正日が拉致を認め、党内の空気は一気に逆転した。安倍は「対話と圧力」路線の「圧力」を代表し、小泉後継の首相に駆け上がる。
  平沢勝栄(ひらさわ・かつえい)(61)は安倍が小学生のころの家庭教師だった。警察官僚としてスパイ事件を扱う外事畑を歩き、衆議院に。新拉致議連結成時に事務所長を務めた。04年、元自民党副総裁山崎拓(やまさき・たく)(70)と中国で北朝鮮高官と会談、小泉の2回目の訪朝につながる。
  いま平沢は、安倍政権をどうみているのか。
  「小泉政権が『郵政内閣』とすれば、安倍政権は『拉致内閣』と名付けてもいい。国民に北朝鮮はけしからんという気持ちがあるから、安倍さんの姿勢に拍手喝采、逆に弱腰の人たちはいわば売国奴ということで大変な批判を受ける。しかし、拉致で出来た政権だから、結果を出せなかったら国民は失望する。厳しいね」
  安倍は2月25日、新潟で拉致被害者5人と会った。「6者協議で決まった日朝の作業部会で拉致問題の完全解決をめざしたい」。5人には無事に暮らす喜びと、まだ帰らぬ日とたちへの憂いが交錯していた。

(森川愛彦)

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ニッポン人・脈・記第2回

ニッポン人・脈・記

 第2回『何かある』闇から発掘」2007年03月06日

北朝鮮による拉致問題に、はじめは官庁も政治家もマスコミもほとんど目を向けなかった。掘り起したのはごく少数のジャーナリストや議員秘書である。
 「みんなが追いかけるものはいい。誰も追いかけないものを追いかけたい」
 大阪の朝日放送の石高健次(いしだか・けんじ)(56)は、そんな記者魂の男である。ひたむきな取材の軌跡は、3本のドキュメンタリー番組のDVDにきざまれている。

 1本目は、92年5月オンエアの「楽園から消えた人々 北朝鮮帰国者の悲劇」。日本海の荒波の映像と「忘れ去ってしまうにはあまりにつらい重い現実。それは新潟の港から始まった」と言うナレーションで始まる。北朝鮮の核開発疑惑が起き、それを調べているうちにつかんだ話だった。
 戦後しばらくして在日朝鮮人9万人余が北朝鮮を「医療費も教育費も要らない地上の楽園」と信じ、新潟港から帰っていった。やがて思いがけない話が在日の家族たちに伝わる。寒冷地や炭鉱に回されて音信普通、政治犯として処刑された人もいると言う。DVDには、肉親の身を案ずる在日の人々を訪ね、確かめ歩く15年前の石高が映っている。
 2本目は、95年5月オンエアの「闇の波涛(はどう)から 北朝鮮発・対南工作」。前回の取材で石高を信頼した在日の女性が打ち明けた。その女性は兄が平壌で銃殺されている。「私、あなたにまだ言わなかったことがある。実は北から来た大物スパイと私、同居していた」
 そのスパイこそ辛光洙(シン・グァンス)、日本から原敕晁(はらた・だあき)を拉致したとされる男である。石高は辛の共犯者を追って韓国の済州島に飛び、直撃した。「ひとりの日本人の生死がわからないんだ」と問い詰める石高。逃げ回る共犯者。ついに道路にへたりこんで泣き、犯行を認めた。
 それにしても北朝鮮はひどい国だという話は韓国の情報機関にのせられているのではないか。石田かはいつも疑いつつ、裏付けに努めた。
オンエアから1ヵ月後の95年6月、その韓国情報機関の高官がソウルの一隅の喫茶店で教えてくれた。「77年ごろ、バドミントン帰りの13歳の女の子が日本の海岸から拉致されたらしい。名前はわからない」。なんだ、それは。本当なのか。

共産党の参院議員橋本敦(はしもと・あつし)(78)の秘書だった兵本達吉(ひょうもと・たつきち)(69)もまた、拉致を追っていた。
78年、日本海の海岸などで3組のアベックが蒸発した。80年1月、産経新聞の阿部雅美(あべ・まさみ)(58)が足で調べて「外国情報機関が関与?」と1面トップで報じた。だが、政府も警察も反応せず、世間は「虚報」扱いした。
 87年11月、大韓航空機爆破事件が起きる。犯人 金賢姫(キム・ヒョンヒ)は「日本から拉致された李恩恵(リ・ウネ)に日本語を教わった」と、明かした。兵本はアベック蒸発を思い出し、それぞれの家族に会いにでかける。「松本清張の世界のようにミステリアスだと思ってね。はじめは好奇心」。だが、何かがある。
 88年3月、表もとのデータをもとに橋本が国会で質問、国家公安委員長 梶山静六(かじやま・せいろく)は「北朝鮮の拉致の疑い濃厚」と答えた。そうだったのか。それにしても何のため?京大でハンガリーの学者ルカーチを読んでマルクス主義になった兵本にとって「社会主義の北朝鮮がやるはずがない」のだが。
 石高の3本目のDVD、97年5月オンエアの「空白の家族たち 北朝鮮による日本人拉致疑惑」その年の1月、石高が横田滋(よこた・しげる)、早紀江(さきえ)夫妻をはじめて訪ねる場面から始める。ソウルで「13歳の少女」の話を聞いて1年半、石高はようやく「横田めぐみ」にたどりついた。
 夫妻の居場所を割り出したのは兵本だった。阿部と週刊誌「AERA」がいち早く報じ、石高と兵本は拉致被害者の家族会の結成に力を尽くす。
 それから10年。石高は相変わらずドキュメンタリーを手がけ、兵本は共産党を除名され、阿部は関連会社の社長になっている。「官僚の事なかれ主義、政治化の無責任が、真実解明を阻んでいた」と石高。彼らの曇りなき眼がなかったら、拉致問題はまだ闇の中にあっただろう。

(早野透)

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ニッポン人・脈・記第1回

朝日新聞夕刊に特集された ニッポン人・脈・記「安倍政権の空気」から、拉致問題に関係する記事を記録として残します。
これは、webには公開されていません。
全体として安陪批判、拉致を貶める意図を感じています。
みなさんも読んでおいてください。


   朝日新聞夕刊連載 ニッポン人・脈・記「安倍政権の空気」

第1回「娘と歌った おぼろ月夜」2007年03月05日

 カメラ好きの横田滋(よこた・しげる)(74)は娘めぐみが生まれるとすぐ、レンズを向けた。「本当にどこにでもある家庭だったんですよ」
その写真展が各地で開かれている。京都では8日から始まる。
 初節句の娘にほおずりする若い父、双子の弟が生まれてチュッする4歳のお姉ちゃん、運動会や家族旅行、お正月に母の赤い着物を着て口紅を引いて雪の軒先にたつ小学6年のめぐみちゃん……。
 が、写真は13年で途絶えた。77年11月15日、バドミントン帰りの中学1年の少女は突然、姿を消す。あれは北朝鮮の工作員による拉致だったと知らされるまで、それから20年の歳月が流れる。
 事件か家出か自殺か、母早紀江(さきえ)(71)は「何か私が間違っていたのでは」と苦しんだ。いつめぐみが帰ってくるか、電話がくるかと家族旅行に行かなくなった。
 新潟の冬の空の下、ひとり台所に立ち、めぐみと歌った「朧月夜(おぼろづきよ)」をくちずさむ。「この苦しみから放たれるなら死んでしまいたい」と泣き、ふと友人が置いていった聖書の「ヨブ記」を読む。
 信仰あついヨブは子を亡くし、羊をとられ、財産を失い、皮膚病にかかる。悲惨きわまりない人生。しかしヨブは信仰を捨てない。「主は与え、主は取られる」。すべて神の心として生きた。
 早紀江は84年5月、教会で洗礼を受ける。「めぐみは生きていると信じて待ち続ける。私も自分を見失わないで生きていく」

 02年9月17日、首相小泉純一郎(こいずみ・じゅんいちろう)(65)が訪朝。拉致被害者は「5人生存、8人死亡」と早紀江たちは知らされた。「人はみな死んでいきます。めぐみは本当に濃厚な足跡を残していったのではないかと思うことで私は頑張ってまいります。皆様とともに闘ってまいります」。ここで泣いたらあの人がほくそ笑むのではないか、負けないわと涙をこらえた。
 その1カ月後、拉致被害者5人が「一時帰国」する。滞在は1、2週間というのが日本と北朝鮮のあうんの約束だった。
 せっかく帰ってきたのに、なぜ戻らなければいけないのか。蓮池透(はすいけ・とおる)(52)は、弟の薫(かおる)(49)の言動にとまどうことになる。
 弟は、北朝鮮を「いい国」と言い、お土産に充電式懐中電灯やパソコンを買い求めようとする。兄は「お前は犯罪の被害者なんだぞ。また犯人のところに戻るのか」と必死に説得した。故郷の山や田んぼ、旧友の歓迎や温泉での語らいがあって、ようやく弟の心に「日本人」がよみがえる。だが、5人は子どもたちを北朝鮮に置いてきていた。
 外務省は「一時帰国」でムードを盛り上げ、年内にも日朝平和条約へと段取りを描いていた。それをひっくり返し、「政府決定として5人は北朝鮮には返さない」ことにしたのは当時、内閣官房副長官の安倍晋三(あべ・しんぞう)(52)と内閣官房参与の中山恭子(なかやま・きょうこ)(67)だった。
 蓮池は思い返す。「5人対金正日(キム・ジョンイル)だったら、戻るしかなかった。日本政府対金正日になったから、日本に残れたんですよ」。肉親の悲願が、外交の駆け引きをうちやぶった瞬間だった。
 小泉首相の第2次訪朝で5人の子どもたちは帰国したが、拉致問題は手詰まりに陥る。日本政府は「対話」より「圧力」を強め、解決は安倍政権にゆだねられる。
 蓮池は、時にこんな違和感も覚える。「私たちは、純粋に家族を救いたいという一心でやってきた。救出を願っているのであって、拉致報復とか勘違いされるのは困るんです。何か利用しようという人たちがいるのは残念です」
 横田夫妻に残されためぐみの声は、唯一、小学校の卒業式の謝恩会で歌ったシューマンの「流浪の民」の録音テープである。めぐみは透き通った声で独唱している。

 なれし故郷を放たれて 夢に楽土求めたり

 めぐみたちは、いつになったら帰ってくるのか。

 安倍は、初の戦後生まれの首相である。「戦後レジームの脱却」「美しい国」を唱える政権を生んだ時代の空気と人のつらなり、そこに国の転機が見える。

(このシリーズは本社コラムニスト・早野、編集委員・山田厚史、森川愛彦が担当します。本文は敬称略)

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2007年1月15日 (月)

拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律

   ~神奈川県民集会で配付された資料より~

拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律 

   (目的)
第―条  この法律は、二千五年十二月十六日の国際連合総会において採択された北朝鮮の人権状況に関する決議を踏まえ、我が国の喫緊の国民的な課題である拉(ら)致問題の解決をはじめとする北朝鮮当局による人権侵害問題への対処が国際社会を挙げて取り組むべき課題であることにかんがみ、北朝鮮当局による人権侵害問題に関する国民の認識を深めるとともに、国際社会と連携しつつ北朝鮮当局による人権侵害問題の実態を解明し、及びその抑止       を図ることを目的とする。 (国の責務)

第二条  国は、北朝鮮当局による国家的犯罪行為である日本国民の拉致の問題 (以下 「拉致問題」という。)を解決するため、最大限の努力をするものとする。
    2    政府は、北朝鮮当局によって拉致され、又は拉致されたことが疑われる日本国民の安否等について国民に対し広く情報の提供を求めるとともに自ら徹底した調査を行い、その帰国の実現に最大限の努力をするものとする。
    3    政府は、拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題に関し、国民世論の啓発を図るとともに、その実態の解明に努めるものとする。
   (地方公共団体の責務)

第三条  地方公共団体は、国と連携を図りつつ、拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題に関する国民世論の啓発を図るよう努めるものとする。
   (北朝鮮人権侵害問題啓発週間)

第四条  国民の間に広く拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題についての関心と認識を深めるため、北朝鮮人権侵害問題啓発週間を設ける。
    2    北朝鮮人権侵害問題啓発週間は、十二月十日から同月十六日までとする。
    3     国及び地方公共団体は、北朝鮮人権侵害問題啓発週間の趣旨にふさわしい事業が実施されるよぅ努めるものとする。
   (年次報告)
第五条  政府は、毎年、国会に、拉致問題の解決その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する政府の取組についての報告を提出するとともに、これを公表しなければならない。
(国際的な連携の強化等)

第六条  政府は、北朝鮮当局によって拉致され、又は拉致されたことが疑われる日本国民、脱北者 (北朝鮮を脱出した者であって、人道的見地から保護及び支援が必要であると認められるものをいう。次項において同じ。)その他北朝鮮当局による人権侵害の被害者に対する適切な施策を講ずるため、外国政府又は国際機関との情報の交換、国際捜査共助その他国際的な連携の強化に努めるとともに、これらの者に対する支援等の活動を行ぅ国内外の民間団体との密接な連携の確保に努めるものとする。
    2    政府は、脱北者の保護及び支援に関し、施策を講ずるよう努めるものとする。
    3    政府は、第―項に定める民間団体に対し、必要に応じ、情報の提供、財政上の配慮その他の支援を行ぅよう努めるものとする。
   (北朝鮮当局による人権侵害状況が改善されない場合の措置)

第七条  政府は、拉致問題その他北朝鮮当局による日本国民に対する重大な人権侵害状況について改善が図られていないと認めるときは、北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する国際的動向等を総合的に勘案し、特定船舶の入港の禁止に関する特別措置法(平成十六年法律第百二十五号)第三条第―項の規定による措置、外国為替及び外国貿易法(昭和二十四年法律第二百二十八号)第十条第―項の規定による措置その他の北朝鮮当局による日本国民に対する人権侵害の抑止のため必要な措置を講ずるものとする。

附  則
  この法律は、公布の日から施行する。
          理  由
現下の北朝鮮の人権状況等にかんがみ、拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題について、国民の認識を深めるともに、国際社会と連携しつつその実態を解明し、及びその抑止を図る必要がある。これが、この法律案を提出する理由である。

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2006年10月13日 (金)

参院北朝鮮核実験に抗議する決議文

 11日の参院本会議で、全会一致で採択された北朝鮮の核実験に抗議し、すべての核兵器及び核計画の放棄を求める国会決議は次の通り。

 北朝鮮による核開発は、我が国を含む北東アジア地域全体の平和と安全に対する直接の脅威であると同時に、国際社会全体の平和と安全に対する重大な挑戦である。このため、国際連合を中心とする国際社会は、北朝鮮の核開発問題に重大な関心を持ち続け、我が国を始め関係各国は、六者会合を中心に、あらゆる機会をとらえ北朝鮮に対し核兵器の開発を断念するよう最大限の外交努力を続けてきた。

 しかるに、北朝鮮は日本人拉致問題についても不誠実な態度をとり続け、拉致問題解決に向けた我が国の要求に何ら応じないばかりか、去る七月の弾道ミサイル発射の強行に続き、核実験の予告を行うに至った。これに対し、国際社会が国際連合安全保障理事会の議長声明の発出を始めとする様々な取組により、北朝鮮の自制を促したにもかかわらず、このような努力を無視して核実験を強行したことは、いかなる理由に基づくといえども全く正当化の余地はなく、我が国はその無謀な暴挙を絶対に容認することはできない。

 本院は、我が国が広島・長崎への原爆投下を経験した唯一の被爆国であることにかんがみ、あらゆる国の核実験に反対し、あらためて、核兵器廃絶への不断の努力を誓うとともに、北朝鮮の核実験に厳重に抗議し、断固として非難し、北朝鮮が直ちにすべての核兵器及び核計画を放棄することを強く求める。

 政府は、本院の主旨を体し、更なる情報の収集・分析に努めつつ、直ちにあらゆるルートを通じて北朝鮮に対し、我が国の断固たる抗議の意志を伝え、日朝平壌宣言に違反した北朝鮮が関係五か国の求めに応じ、早期かつ無条件に六者会合に復帰し、すべての核兵器及び核計画を放棄するよう促すとともに、今後は中国、韓国など地域の関係国との協調を強化し、米国など関係各国と連携し国際連合憲章第七章に基づく措置も含め、国際社会が結束した外交を展開し、平和的な解決を模索すべきである。

 右決議する。

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2006年9月20日 (水)

金融制裁の対象

平成18年9月19日

外務省
財務省
経済産業省
警察庁
金融庁

外国為替及び外国貿易法に基づく北朝鮮のミサイル又は大量
破壊兵器計画に関連する資金の移転を防止する措置について

 我が国は、今般、国際連合安全保障理事会決議第1695号及び閣議了解「北朝鮮のミサイル又は大量破壊兵器計画に関連する資金の移転を防止する等の措置について」(本日閣議了解)に基づき、資金移転防止措置の対象者に指定された北朝鮮のミサイル又は大量破壊兵器計画に関連する者(15団体・1個人)に対し、次のとおり資金の移転を防止する措置を講ずることとした。

(1)措置の内容

 外務省告示(本日公布)により、北朝鮮のミサイル又は大量破壊兵器計画に関連する者として指定された者に対し、外国為替及び外国貿易法(外為法)に基づき、次の措置を本日から実施する。

[1] 支払規制
 資金移転防止措置の対象者に指定された北朝鮮のミサイル又は大量破壊兵器計画に関連する者に対する支払等を許可制とする。

[2] 資本取引規制
 資金移転防止措置の対象者に指定された北朝鮮のミサイル又は大量破壊兵器計画に関連する者との間の資本取引(預金契約、信託契約及び金銭の貸付契約)等を許可制とする。

上記措置の確実な実施を図るため、外国送金について確認義務を果たすべき全ての金融機関に対し、その実施体制の集中的な検査(外為法に基づく特別検査)を行うこととし、併せて、金融機関等に対し、本人確認義務等の履行及び組織犯罪処罰法に基づく「疑わしい取引」の届出義務の履行の徹底を要請することとする。
 
 
(2)対象者

  

1.コハス・AG
Kohas AG
所在地:Route des Arsenaux 15, Fribourg, FR1700, スイス

2.コリア・インターナショナル・ケミカル・ジョイント・ベンチャー・カンパニー
(別称:チョソン・インターナショナル・ケミカルズ・ジョイント・オペレーション・カンパニー、チョスン・インターナショナル・ケミカルズ・ジョイント・オペレーション・カンパニー、インターナショナル・ケミカル・ジョイント・ベンチャー・コーポレーション)
Korea International Chemical Joint Venture Company
(a.k.a. Choson International Chemicals Joint Operation Company, Chosun International Chemicals Joint Operation Company, International Chemical Joint Venture Corporation)
所在地:北朝鮮咸鏡南道咸興
北朝鮮平壌特別市万景台区域

3.コリア・クァンソン・トレーディング・コーポレーション
Korea Kwangsong Trading Corporation
所在地:北朝鮮平壌特別市普通江区域楽園洞

4.コリア・コンプレックス・エクイップメント・インポート・コーポレーション
Korea Complex Equipment Import Corporation
所在地:北朝鮮平壌特別市普通江区域楽園洞

5.コリア・トンへ・シッピング・カンパニー
Korea Tonghae Shipping Company
所在地:北朝鮮平壌特別市

6.コリア・プガン・トレーディング・コーポレーション
Korea Pugang Trading Corporation
所在地:北朝鮮平壌特別市普通江区域楽園洞
 
7.コリア・マイニング・デベロップメント・トレーディング・コーポレーション
(別称:チャングァン・シンヨン・コーポレーション、エクスターナル・テクノロジー・ジェネラル・コーポレーション、ノース・コリアン・マイニング・デベロップメント・トレーディング・コーポレーション)
Korea Mining Development Trading Corporation(KOMID)
(a.k.a. Changgwang Sinyong Corporation, External Technology General Corporation, North Korean Mining Development Trading Corporation)
所在地:北朝鮮平壌特別市中区域

8.コリア・リョンハ・マシナリー・ジョイント・ベンチャー・コーポレーション
(別称:チョスン・ヨンハ・マシナリー・ジョイント・オペレーション・カンパニー、コリア・リョンハ・マシナリー・J/V・コーポレーション、リョンハ・マシナリー・ジョイント・ベンチャー・コーポレーション)
Korea Ryonha Machinery Joint Venture Corporation
(a.k.a. Chosun Yunha Machinery Joint Operation Company, Korea Ryenha Machinery
J/V Corporation, Ryonha Machinery Joint Venture Corporation)
所在地:北朝鮮平壌特別市中区域
     北朝鮮平壌特別市万景台区域

9.コリア・リョンボン・ジェネラル・コーポレーション
(別称:コリア・ヨンボン・ジェネラル・コーポレーション、旧称:リョンガクサン・ジェネラル・トレーディング・コーポレーション)
Korea Ryonbong General Corporation(KRGC)
(a.k.a. Korea Yonbong General Corporation, f.k.a. Lyongaksan General Trading Corporation)
所在地:北朝鮮平壌特別市普通江区域楽園洞

10.コリア・リョンワン・トレーディング・コーポレーション
(別称:コリア・リョングァン・トレーディング・コーポレーション)
Korea Ryongwang Trading Corporation
(a.k.a. Korea Ryengwang Trading Corporation)
所在地:北朝鮮平壌特別市普通江区域楽園洞

11.タンチョン・コマーシャル・バンク
(旧称:コリア・チャングァン・クレジット・バンク、チャングァン・クレジット・バンク)
Tanchon Commercial Bank
(f.k.a. Korea Changgwang Credit Bank, Changgwang Credit Bank)
所在地:北朝鮮平壌特別市平川区域セマウル1洞

12.トソン・テクノロジー・トレーディング・コーポレーション
Tosong Technology Trading Corporation
所在地:北朝鮮平壌特別市
    
13.ピョンヤン・インフォマティックス・センター
(別称:ピョンヤン・インフォメーション・センター)
Pyongyang Informatics Centre
(a.k.a. Pyongyang Information Center)
所在地:北朝鮮平壌特別市普通江区域慶興洞

14.ヘソン・トレーディング・コーポレーション
Hesong Trading Corporation
所在地:北朝鮮平壌特別市
 
15.ポンファ・ホスピタル
(別称:ボンファ)
Ponghwa Hospital
(a.k.a. Bonghwa)
所在地:北朝鮮平壌特別市普通江区域
 
16.ヤコブ・スタイガー
Jakob Steiger
コハス・AG(上記1.)社長
生年月日:1941年4月27日
住所:Fribourg, FR, スイス

外国為替及び外国貿易法に基づく北朝鮮のミサイル又は大量破壊兵器計画に関連する資金の移転を防止する措置について

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2006年7月22日 (土)

金聖民さんからの手紙

 救う会ニュースより

北朝鮮自由放送の金ソンミン代表が6月29日の金英男さんの記者会見を見て、横田早紀江さん宛に下記のような手紙を送ってきました。原文は韓国語でしたので、救う会が翻訳しました。

■国家的詐欺が可能なのが北朝鮮です−金ソンミン氏から横田早紀江さんに手紙

横田早紀江様

 昨日の夜はお疲れでしたでしょう。鋭い刃物で胸を切りつけられるような痛みが一晩中あなたを苦しめたでしょう。ある日突然失踪者になった娘の運命が、あなたの過ぎ去った痛みだったとすると「彼女は死んだ。これ以上、横田めぐみの名前を出すな」と通告した金英男の話は心臓をえぐる現在の痛みでしょう。

「あなたの娘が精神病者だった!」
 これはどれほど恥知らずな話ですか。
「あなたの娘は私がこれほど愛して面倒を見たにもかかわらず自殺してしまった!」 という金英男の話は傷だらけのあなたの胸を焼き焦がす、もう一回目の絞殺行為でした。

 ですから、あなたが気絶してしまうことを願ったのでしょう。いや、永遠に死んでしまいめぐみの名前とともに人々の記憶から消えてしまうことを願ったのでしょう。その一つの理由のため、あなたが一番嫌な話を婿という人間を出してきて平然とさせてしまい、正常な思考を持つ人間ならば言うことができない話にもかかわらずぬけぬけと強要したのでしょう。

 北朝鮮があなたのめぐみをそれほど殺したかったからこそ、前例のない記者会見まで繰り広げたのです。めぐみの存在がそれほど負担だったからこそ、あのような記者会見のための「金剛山特別面会」を大々的に準備したのです。そのように、あえて心を決めて愛するあなたの娘を殺してしまいました。世界でもっとも恥ずかしく残忍な方法であなたの娘を生きたまま埋葬しました。

 そのためにめぐみがあなたの胸から消えてしまいましたか。死に装束を着て両親より先に逝った子供のために涙を流したいですか。

 ちがいます。あなたの娘は生きています!めぐみが死んだと言われればいわれるほど、めぐみは生きています!めぐみが精神病者だと話したならばお母さんに対するめぐみの愛が強かったという反証で、めぐみの自殺が強調されれば生くることのための彼女の忍耐がとても強烈であったという証拠です。

 いまや悲しみを振り払い立ち上がってめぐみが「死んだ」と考える馬鹿どもに、お母さんの真実の愛がどのようなものかみせてやってください。全国家的な詐欺が可能な北朝鮮の性質をあなたが分かっているということを気づかせてやってください。あのようにあなたを失望させた婿ですが…北朝鮮の恐怖と独裁の環境では私であってもどうすることができなかっただろうと告白します。

 赦してください。恥ずかしくて申し訳ないほどあなたを愛している北朝鮮軍大尉出身の金ソンミンがお手紙をいたしました。

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2006年7月15日 (土)

国連憲章第7章

第7章 平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動

第39条〔安全保障理事会の一般的権能〕
安全保障理事会は、平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在を決定し、並びに、国際の平和及び安全を維持し又は回復するために、勧告をし、又は第41条及び第42条に従っていかなる措置をとるかを決定する。

第40条〔暫定措置〕
事態の悪化を防ぐため、第39条の規定により勧告をし、又は措置を決定する前に、安全保障理事会は、必要又は望ましいと認める暫定措置に従うように関係当事者に要請することができる。この暫定措置は、関係当事者の権利、請求権又は地位を害するものではない。安全保障理事会は、関係当事者がこの暫定措置に従わなかったときは、そのことに妥当な考慮を払をなければならない。

第41条〔非軍事的措置〕
安全保障理事会は、その決定を実施するために、兵力の使用を伴わないいかなる措置を使用すべきかを決定することができ、且つ、この措置を適用するように国際連合加盟国に要請することができる。この措置は、経済関係及び鉄道、航海、航空、郵便、電信、無線通信その他の運輸通信の手段の全部又は一部の中断並びに外交関係の断絶を含むことができる。

第42条〔軍事的措置〕
安全保障理事会は、第41条に定める措置では不十分であろうと認め、又は不十分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍又は陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。

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2006年7月12日 (水)

日本最南端の市(石垣市)での講演会

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日本最南端の市(石垣市)での講演会
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日 時:平成18年7月12日(水)
    18:30~21:00(時間注意)
場 所:石垣市民会館大ホール(1,000人収容)
講 師:横田滋・早紀江、砂川昌順
テーマ:日本最南端から拉致被害者家族を応援する市民の集い
    ~横田滋・早紀江さんご夫妻を迎えて~
入場料:無料(但し、入場整理券が必要)
呼びかけ人:国際ソロプチミスト石垣
主 催:『八重山ブルーリボンの会』 実行委員長:山田隆一
後 援:『八重山毎日新聞社』『南山舎』


実行委員会構成団体:
 (順不同)
 国際ソロプチミスト石垣
 石垣市商工会
 八重山青年会議所
 石垣ロータリークラブ
 八重山ライオンズクラブ
 石垣市女性団体ネットワーク会議
 八重山PTA連合会
 八重山高等学校PTA連合会
 石垣市PTA連合会
 八重山婦人連合会

※砂川昌順さんからのメッセージ
沖縄県石垣市(石垣島)で横田さんご夫妻をお迎えして講演会を開く ことになりました。日本最南端の市から拉致被害者全員の奪還を呼びかけたいと思っ ております。

八重山をあげての講演会となります。八重山の人たちは、拉致被害者ご家族を応援したいという気持ちを強く持っております。横田さんご夫妻に石垣島で元気になってもらえるような石垣島ならではの講演会にしたいと思っております。
どうぞよろしくお願い致します。

来週水曜日に行われる石垣島での講演会はNETライブで生中継されます。
NET中継は、以下のアドレスで行います。
http://www.netlive.ne.jp
全国各地で、石垣の集会を見ることが出来ます。
当日は是非、アクセスしてみてください。

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2006年7月 9日 (日)

宋日昊会見

 日朝国交正常化交渉を担当するソン・イルホ大使が7日午前、ピョンヤンで日本の報道陣と会見し、ミサイルの発射について、「正常な訓練を非難する行動をとるなら、さらなる対応をとらざるをえない」と発言しました。

「(日本は)誰に向かって経済制裁しているのかまったく言語道断である。(日朝関係は)破局的な状況になるだろう」(北朝鮮 ソン・イルホ国交正常化交渉担当大使)

 ソン大使はこのように述べ、ミサイル発射に対して日本が制裁を決めたことを非難しました。そのうえで、「日本が過去の清算を避けているのだから、我々が制裁を加えるのは正常なことだ」とミサイル発射を正当化し、「日本が責任をとるべきだ」と強調しました。

 さらに、北朝鮮に対する制裁を続けるのなら、より強硬策をとる考えを示唆しました。

 「日朝関係は『最悪』どころか『対決局面』に入っています。米朝関係より悪化している」(北朝鮮 ソン・イルホ国交正常化交渉担当大使)

 また、日朝関係については、「対決の局面に入っている」としたうえで、拉致問題に関して横田めぐみさんの「遺骨問題」に言及し、「別人のもの」とした日本政府の鑑定結果に強く反発、「ニセモノと主張するなら返せばいい」と述べました。

 また、ソン大使は日朝ピョンヤン宣言については「関係正常化のための立派な道しるべ」と述べ、ミサイル発射は宣言自体を破棄したものではないという認識を示しました。

TBSニュースより

日本の制裁「言語道断」…北朝鮮大使が非難
【平壌=宇恵一郎】北朝鮮の宋日昊(ソン・イルホ)日朝交渉担当大使は7日午前、訪朝中の日本人記者団と会見し、北朝鮮のミサイル発射に関する日本の制裁措置発動について、「言語道断だ。後に破局的結果を招きかねない」と強く非難するとともに、「ミサイル発射は日朝平壌宣言に違反しない」と述べた。

 宋大使はミサイル発射について「日朝平壌宣言は、過去の清算と国交正常化に向けた信頼醸成の精神が守られる限りという前提でミサイル発射のモラトリアム(凍結)を2003年以降も継続すると約束したもので、対話がなされていない現状でのミサイル訓練は何ら宣言に違反しない」との見解を明らかにした。

 さらに、日朝交渉再開について、日本政府が発表した制裁措置の中に日本政府職員の北朝鮮への渡航見合わせなどの項目があることを指摘し、「こうした態度で日本側には交渉を再開する意思があるのか。交渉が再開できるかどうかは日本側の姿勢にかかっている」と制裁を批判した。

 日本の制裁措置に対する対抗措置については、「今後、日本の態度を注視し、しかるべき対応を講じる」と述べ、措置の中身については、「ミサイル発射訓練を含めてもっと強い物理的な対応を示さねばならない」とし、その中身については、「いずれわかるだろう」と述べるにとどまった。

 日朝平壌宣言については「今も有効だと考えているし、日朝交渉の再開についても楽観している」と発言。日本の政権交代後にも有効かと問われると、「宣言は個人に属するものではなく、だれが首相の後継となっても有効だ」との見解を示した。

読売新聞ニュースより


この発言から読み取るべきは、北朝鮮は万景峰号を止めてほしくない。

制裁を嫌っている。安倍首相が怖い。

どうしても援助がほしい。

拉致問題をうやむやにしたい。

ということだけ、恫喝は追い込まれたネズミのすること。

その部分は無視して読めば北朝鮮の真意が良く理解できますね。

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しおかぜ変更と「人情の海」

[調査会NEWS 384](18.7.9)

■しおかぜ第二放送 周波数・放送時間変更

「しおかぜ」第二放送は明日7月10日より次のように放送時間と周波数を変更します。

 第2放送は周波数を9486KHz(修正)

 第一放送は従来と同じ05:30~06:00 
9785キロヘルツです。

 今後北朝鮮当局からの妨害によっては追加の対策をとる予定です。

■続・悪者は誰か
                         荒木和博

 383号のニュースで「悪者は誰か」と題して書きましたが、付け加えて書いておきたいと思います。

 前に飯塚繁雄さんにお聞きしたことですが、田口八重子さんの拉致が大韓航空機爆破事件によって分かったときに、八重子さんはマスコミから事件の共犯者のように見られたそうです。

 確かに、田口八重子さんが金賢姫に日本語や日本の風習を教え、その金賢姫が爆破事件を起こしたのは事実です。しかし、日本で平和に暮らしている私たちに、彼女を共犯者と呼ぶ資格のある人間はいないはずです。最も悪いのはもちろん、拉致をした北朝鮮の体制であり、次に悪いのはそれを放置してきた日本政府であり、私たち日本国民すべてです。自分自身が拉致をされて、北朝鮮当局に反抗すれば生命の危機にさらされるということになるなら、私も自分の安全を選ぶと思います。

 このところ、拉致問題については金英男さんの発言などの矛盾ばかりマスコミの皆さんの関心(それはおそらく読者・視聴者の関心ということでしょう)が集中し、工作員としての印象が強く報道されているように思います。確かに、その方が報道しやすいとは思いますが、本質はそこにはありません。

 もともと、北朝鮮当局の発表というのはほとんどが嘘です。私自身、大学での講義などで、学生には「北朝鮮の公式発表や報道などを読むときは、まず『これはすべて嘘である』と思って読め。そして、『彼らはどうしてこんな嘘をつくのだろう』と考えると、意外にホンネが分かる」と言っています。「労働新聞」など、間違いないのは発行の日付位と思っていた方がいいでしょう。間違い探しはいくらやってもあまり生産的ではありません。

 金英男さんの発言なども、矛盾を突くより、「北朝鮮当局は彼になぜこんなことを言わせるのか」と考えた方がいいのではないでしょうか。ともかく、彼は拉致被害者であり、北朝鮮でどんな発言をしたとしても、あるいは過去にどのような活動に従事させられたとしても、救出の対象であることは間違いありません。

 北朝鮮は混乱しています。これからまた何か訳の分からないことを持ち出してくるでしょう。私たちはそれに惑わされず、一気に攻勢をかけるべきだと思います。

 ちなみに、金英男さんの事件と類似したケースである寺越事件について、寺越武志さんは北朝鮮で「手記」を出版しています。題名は何と『人情の海』。もちろん、北朝鮮当局が寺越事件を拉致でないとするアリバイづくりなのですが、書かれていることを裏読みすると、事件の真相が明らかになり、また、北朝鮮当局の手口も分かります。なぜ、金英男さんがああいう発言をしたのかも分かると思います。ご関心のある方は訳文を私のブログからダウンロードできますのでご一読下さい。


荒木和博ブロク 記事「人情の海」

「人情の海」Pdfファイルダウンロード  

上記よりダウンロードして読むことができます。

印刷すると100ページぐらいになります。

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2006年7月 6日 (木)

北朝鮮外務省の談話要旨

北朝鮮外務省の談話要旨

 【平壌6日共同】朝鮮中央通信によると、北朝鮮外務省報道官の6日の談話要旨は次の通り。

 一、今回、成功裏に行われたミサイル発射は、自衛的国防力の強化のため、わが軍が実施した通常の軍事訓練の一環。

 一、主権国家としてのこうした合法的権利は、どのような国際法や日朝平壌宣言、6カ国協議共同声明などの合意にも拘束されない。ミサイル関連技術輸出規制(MTCR)の参加国でもないので、この拘束も受けない。

 一、1999年に米国と合意した長距離ミサイル発射凍結については、米朝間に対話が行われる期間に限られたもの。ブッシュ政権は米朝間の対話を全面的に遮断した。既に2005年3月、ミサイル発射凍結の合意が何ら効力もないことを明らかにした。

 一、02年に日朝平壌宣言で合意した長距離ミサイル発射凍結も日朝国交が正常化され、日本の過去清算が実現されることを前提としたもの。しかし、日本は拉致問題が完全に解決したのにもかかわらず、自己の義務は一つも履行せず、米国の敵視政策に便乗して拉致問題を国際化するなど、日朝関係全般を原点に立ち戻らせた。

 一、05年9月19日の6カ国協議共同声明は、朝鮮半島非核化実現のため関係国が行うべき義務を規定している。しかし、米国は共同声明が採択されるや、金融制裁を実施し、われわれを標的とした大規模な軍事演習などにより共同声明履行を阻んでいる。こうした条件において、われわれだけが一方的にミサイル発射を留保しなければならない必要はない。

 一、強力な自衛的抑止力がなかったなら米国は何度もわれわれを攻撃しただろう。われわれのミサイル開発と実験、生産・配備は北東アジア地域における力の均衡、平和と安定を保障する主要因になっている。

 一、6カ国協議共同声明で公約した通り、朝鮮半島非核化を対話と交渉を通じて平和的に実現しようとする意思は今も変わらない。しかし、わが軍のミサイル発射訓練は最初から6カ国協議とは関係ない。

 一、わが軍は今後も自衛的抑止力強化の一環としてミサイル発射訓練を継続するだろう。もし、誰かが言いがかりを付けて圧力を加えようとするなら、やむを得ず、ほかの形態のより強硬な物理的行動措置を取らざるを得ない。

http://www.saga-s.co.jp/view.php?pageId=1618&blockId=82736&newsMode=article

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2006年7月 5日 (水)

テポドン発射に対する安倍官房長官記者会見

安倍官房長官記者会見

北朝鮮による飛翔体発射を受けての当面の対応について

 今般の北朝鮮による弾道ミサイル又は飛翔体の発射は、我が国の安全保障に直接関わることであり、極めて憂慮すべきことである。また、本件は、日朝平壌宣言に違反し、かつ、六者会合共同声明と相容れない行為であり、国際社会の平和と安全及び大量破壊兵器の不拡散の観点からも極めて遺憾である。この観点より、北朝鮮に対し、毅然とした厳しい対応をとることが必要であり、具体的に以下の措置をとることを決定した。

 対北朝鮮の措置として、次の措置をとることとした。
1.引き続きあらゆるレベルで北朝鮮側に遺憾の意を伝えて厳重抗議すると同時に、再び行わないことを申し入れ、ミサイルの開発中止、廃棄、輸出停止を求める。また、北朝鮮がミサイル発射モラトリアムを改めて確認し、それに従った行動をとると同時に、六者会合へ早期かつ無条件に復帰することを強く求める。

2.万景峰92号の入港を禁止した。

3.北朝鮮当局の職員の入国は原則として認めないことし、その他の北朝鮮からの入国についても、その審査をより厳格に行うこととする。また、北朝鮮船籍の船舶が我が国港湾に入港する場合であっても、その乗員等の上陸については、原則として認めない。

4.在日の北朝鮮当局の職員による北朝鮮を渡航先とした再入国は原則として認めない。

5.我が国国家公務員の渡航を原則として見合わせると同時に、我が国からの北朝鮮への渡航自粛を要請する。

6.我が国と北朝鮮との間の航空チャーター便については、我が国への乗り入れを認めない。

7.北朝鮮に関するミサイル及び核兵器等の不拡散のための輸出管理に係る措置を引き続き厳格にとっていく。

8.北朝鮮による不法行為等に関し、厳格な法執行を引き続き実施する。

9.北朝鮮の対応を含めた今後の動向を見つつ、更なる措置について検討する。

国際社会における連携として、次の対応を行う。

1.日米間のハイレベルを含めあらゆるレベルで調整・情報交換など緊密な連携をとる。

2.国連安全保障理事会等において然るべき対処がなされるよう必要な働きかけを行う。

3.六者会合関係国間、G8首脳その他のあらゆる機会を活用して、調整・情報交換を行う。

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2006年7月 4日 (火)

北朝鮮の現実(1)

北朝鮮の現実 ロシア人が撮影した北朝鮮、平壌の様子

ロシア語版

英語版

なかなかみられない写真です。上記リンク先でどうぞ!

以下二点、参考に

上)Water seems not to be avaliable everywhere when you leave the capital. A woman is washing her clothes in the river.

下)Oil is almost inexistant, so most of the labor is manual.

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2006年7月 1日 (土)

金英男さん家族の写真

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2006年6月30日 (金)

拉致被害者に嘘の証言をさせる北朝鮮

★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2006.06.30)より

 6月29日、北朝鮮・金剛山で、金英男さんが母の崔桂月さん、姉の金英子さんとともに会見し、拉致ではなく北朝鮮に「救出された」、「めぐみさんは死亡した」などと証言した。また、横田めぐみさんへの愛情や、横田夫妻への配慮はまったく見られなかった。北朝鮮に拉致された被害者自身が、拉致の事実まで否定して嘘の証言をせざるを得ないという残酷かつ許しがたい茶番劇となった。家族会・救う会では、まず会見の映像(日本語に通訳されたもの)を見て、その上で会見に臨んだ。以下に、金英男さんの会見に関する家族会・救う会の会見の概要をお伝えしたい。

 なお、今回の会見では、韓国側のみの取材が許可された。また、予め質問事項を提出させこれに金英男さんが答えるという形をとった。さらに、南北の「離散家族」面会事業は戦争中の離散家族が対象で、両国赤十字社が主催するものであるが、北朝鮮赤十字社が党の支配化にあることは言うまでもない。会見場には北朝鮮当局者多数がおり、金英男さんの一挙手一動を監視していた。金英男さんの会見内容は各紙に詳しいのでそれぞれご参照いただきたい。今回の会見内容は、一見、北朝鮮当局が練りに練った文案のように思えるが、実際はミスがボロボロという代物である。それについては、家族会、安明進氏も招き、7月20日(木)午後6時半から東京連続集会(友愛会館)で検証したい。

 参加者は、家族会=横田滋・早紀江代表夫妻、増元照明事務局長、救う会=佐藤勝巳会長、西岡力常任副会長、島田洋一副会長、平田隆太郎事務局長、山岸丈良事務局次長。

■拉致被害者に嘘の証言をさせる北朝鮮


横田 滋 我々は、2002年にも死亡宣告されている。後は解決済みと言っている。今回、目新しいことはなかった。ヘギョンさんを日本に行かせるつもりはないと神経質に言った。引き取るのは難しいかもしれないが、来れればぜひ受け入れたい。今の話ではこれまでの繰り返しだ。生存を前提に政府に引き続き交渉をお願いし、何もなければ制裁を実施してもらいたい。

横田早紀江 予想していたとおりの答弁。めぐみが鬱病というのは安明進さんの本にも、若い時に入院したとある。拉致問題は残酷そのものだ。13歳で拉致され、一人にさせられれば、誰だって鬱病になって当たり前だと思ってきた。めぐみは、小さいときに大きなけがをしたことがない。小さいとき、階段へ落ちたことはあったが、異常はなかった。偽の骨は鑑定がはっきりしている。拉致被害者は隠れた場所で、今でも有効に使われていると思うので、(死亡は)信じていない。

横田 滋 自分の心とは別に、北朝鮮の指令で話していると思う。

横田早紀江 昨日のテレビでも、監視の人がうろうろしており、英男さんの行動を注視していた。圧力がかかっての行動だ。

横田 滋 2004年の小泉訪朝で、死亡とされた人の再調査が約束され、偽の遺骨が出てきた。これは誠意ある対応とは思えない。北朝鮮人権法が成立したが、拉致は究極の人権侵害だから、是非誠意ある対応がなければ制裁を発動して拉致問題を解決してほしい。

横田早紀江 頭がにえくりかえるような、腹がにえくりかえるような思いを長い間してきた。このようなことを平然とやる国がある。小さい子どもを拉致して自分の国のために使うようなことはあってはならない。世界に信頼される国になりたいなら即座に返すのが当たり前。こんな茶番劇を断片的に注目させる国があることが段々明らかになっている。世界中に知られ、出てくるといいと思う。

横田早紀江 金英男さんは工作員としてかなり鍛えられた人との印象を受けた。

増元 想定内の話で驚いていない。(会見には出なかったため)ヘギョンさんに芝居をさせなくてよかった。人権という言葉を使ったが、しらけるような言葉だった。ジェンキンズさんも、小泉首相の説得を受けても本心がいえなかったことを忘れないで下さい。

西岡 死亡について、「後に機会があれば」と逃げた。この手紙には93年死亡とあるが、北朝鮮は当初93年と言い、後に94年に訂正した。これについての弁解の準備ができていなかったのだろう。韓国メディアからの質問に「拉致」の言葉が出ていない。また、(今見た映像は)一問一答なのに、一問の方はカットされるような会見しか北朝鮮ではできないということだ。今年、韓国のメディアが拉致と言ったので送信を止められたことがある。これで自由な会見と言えるか。
一方的な宣伝ではないか。

 手紙の件も、93年の偽診断書についても答えないことに怒りを感じる。韓国にも特殊機関があるだろうと、特殊機関に誇りを感じるようなことを言っていたが、77年、78年に拉致された他の4人の高校生の家族はどう思っただろうか。
崔正男という工作員の先生を彼らがしていた。拉致が判明しているのに何も言わなかった。崔桂月さんと4人の家族を分断している。(今回の面会は)被害者全員を取り戻そうという目的ではない。金正日の拉致指令で韓国人化教育をしたと韓国政府が97年に発表している。このことを一切言わない会見が行われた。

増元 船に助けられてというのは寺越武志さんのケースとそっくりと思った。寺越昭男さんが常々言われる言葉だが、拉致されたのに感謝しなければならない立場に追い込まれてしまう。英男さんも辛いだろうと思った。拉致という厳しい現実があることを韓国の皆さんは忘れてしまっているのか。これで韓国国民は納得するのだろうかと思った。蓮池さんや地村さんを見ても、拉致されても洗脳はそれほど強くないと思う。めぐみさんが小さい時に事故に遭ったという、事実ではない話を新たに出してきたのは、めぐみさんに詳しく聞いたということではないか。そして、めぐみさんが「生きている」とメッセージを送ったのではないか。

西岡 寺越事件でも、昭二さんの墓に刻まれた生年月日が一日違う。外雄さんが調査を受け語った話だと思われるが、そこにもメッセージがこめられているような気がする。


横田 滋 韓国は北朝鮮に対し宥和政策をとっている。戦争をしたくないのは分かるが、拉致がなかったとするのは間違いだ。5月にハンナラ党の朴代表に会ったが、政府は国民の生命を守るのが当然と言っておられた。

佐藤 
すべてが茶番劇だ。韓国は日本と違う方針で、援助したからいい場面ができたと日本にも見せる面があるのかもしれない。たった一人の指令する人、それに同調する人が北朝鮮にいる。世界が核でやられる恐怖に置かれるのも、原因はそこにある。いっしょになってメッセージを送る必要がある。アメリカは早くから金融制裁をかけている。日本も万景峰号を止めてもらうのがいい。


  救う会ニュースより

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拉致問題:金英男さん会見=要旨

拉致問題:金英男さん会見=要旨

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 横田めぐみさんの夫とみられる金英男(キムヨンナム)さんが29日、韓国共同取材団と行った会見の要旨は次の通り。「ウンギョン」はヘギョンさんを指す。

 【冒頭発言】

 私と家族に対する内外の関心が高まり、良くない世論も飛び交っているのでインタビューすることになった。もともと離散家族再会では許されていないが、特例として許容した北側関係者に感謝する。

 【北朝鮮での暮らし】

 北に来てから党(朝鮮労働党)の胸に抱かれて幸福に生きてきた。大学も出て、重要な職責の仕事をしている。ウンギョンは金日成総合大学で勉強している。誰をうらやむこともない生活だ。仕事は特殊部門で(南北)統一部門関連の事業をしている。

 【北朝鮮入りの経緯】

 78年8月5日ごろ、海水浴場に男女の仲間で行った。男はテント、女は民宿だ。女友達に録音機を貸したが、乱暴な先輩2人が「使うから返してもらえ」と言う。自尊心が傷ついたが、先輩の暴力が怖くて悩んだ末に海辺に行って木製の小船に隠れた。そのうち眠ってしまい、気がついたときは大海原の上だった。船が近づいてきて助けられたが、もとの海岸に戻るのは大変なので自分たちの所に行こうと。それは北側の船で、着いたのは(北朝鮮の)南浦港だと後で分かった。

 最初は眠れず、食欲もなかったが、北側の人々の親切と特別待遇を受け、気持ちが変わった。無料で大学に行けるというのも気に入った。ここで勉強してから南に行けばいいと考え、28年の歳月が流れた。

 【めぐみさんについて】

 私は特殊部署で、めぐみから日本語を習った。86年初めだ。しとやかそうな女性で、異性として親しくなり、その年8月に結婚した。その後3年は娘も生まれ幸せだったが、めぐみに病的症状が出始め、出産後の健康管理もうまくいかなくて悪化した。うつ病になり94年4月13日に病院で自殺した。これについていろいろ説があるが、別の機会があれば話す。

 めぐみはうつ病による精神分裂症だとのことで、好転したとき自殺しようとするそうだ。そういうことが何度もあった。めぐみは幼いころ事故にあって脳に大きな損傷を受けたと話していた。

 日本政府は私の言葉を信じようとしない。04年11月に平壌に来た日本代表団に具体的に説明し、遺骨も渡した。めぐみの両親に責任をもって渡し、公表しないと言ったのに、鑑定遊びをしたあげく偽物だという。私とめぐみに対する侮辱であり、耐え難い人権じゅうりんだ。

 【ヘギョンさんについて】

 本名はウンギョンで、ヘギョンは幼名だ。めぐみの問題に火がついて、思春期の衝撃も大きく、私生活が公開されては良くないと考えて、ヘギョンという名前を使った。

 ウンギョンはめぐみと私の娘だ。(日本に返せという)要求は納得がいかない。日本当局のやり方を見れば行かせたくもないし、本人も行かないと言っている。

 【韓国取材団への要請】

 私の話を正確に報道してほしい。私が北に来たのは拉致でも自分から越境したのでもない。私と私の家庭の問題が不純な政治的目的に利用されるのを防いでほしい。私の問題はこれで幕を下ろしたい。【ソウル支局】

毎日新聞 より

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2006年6月28日 (水)

金英男氏家族面会に関する日本家族のコメント

 救う会ニュースより家族のコメント

本日6月28日、北朝鮮で金英男さんが家族と面会した件につき、家族会・救う会では衆議院議員会館で記者会見を開いた。参加者は、家族会=横田滋・早紀江代表夫妻、飯塚繁雄副代表、増元照明事務局長、救う会=佐藤勝巳会長、西岡力常任副会長、平田隆太郎事務局長、山岸丈良事務局次長。参加者の発言は以下の通り。

■北朝鮮の謀略・計画性が見え隠れしていた「離散家族」面会
横田 滋 金英男さんのお母さんは生きているうちに会いたいと何度も言っておられた。また、会えば話が尽きないだろうとも言っていられた。28年振りの面会場面を見て、会ってよかったと感じた。金英男さんの顔は、キム・チョルジュンさんの顔とよく似ているとされるが、前はサングラスのせいかよく似てはいないと思った。日本側は、行けば二度と会えなくなると考えるが、韓国側は政府が取り戻した人が一人もおらず、行かなければ会えないので、会えた人は運がよかったことになる。しかし我々は、だからといって行こうとは思っていない。韓国では、(外務部でなく)統一部が国内問題としてやっているので、会えてよかったということになる。2泊3日の間、思いのたけ話してほしい。

◆横田早紀江  複雑な、本当に複雑な思いで対面の場面をみせてもらった。9月17日の悲しかった時もたくさんの人に来ていただいた。死亡と伝えられた時だ。
今日は、色々なところで北朝鮮の謀略・計画性が見え隠れしていた。拉致問題は、たくさんの人の人生がおかしくさせられた問題で、日本人みんなで考えなければならない大事な問題だ。ヘギョンさんと新しい家族も来ていた。今日は触れられなかったが、やっぱり死んだと報道されると、見ている人は分からないのだから信じてしまう。9月17日と同じように、死んだと言われた人たちはみんな生きている。助けを求めている。日本ではそう(思うように)なってきたが、冷静に受け止めたい。ヘギョンさんは成長したが、心の中に孤独感がただよっていると感じた。一日も早く、めぐみと一緒に連れ帰してあげたい。

◆飯塚  今日の場面は抱き合っているだけで、コメントはほとんどなかったが、非常に異様で不思議な光景と感じた。北朝鮮に拉致された金英男は、拉致されたことを忘れているのか怒っていない。犯人のところに行って、会わせてくれてありがとう、という感じだ。この手で一本釣りされることを想定すると、時間、お金がかかる。北朝鮮が親切に救出したことにつなげるパフォーマンスだ。その前に支援をしていることを考えると、韓国も国として拉致にコメントしない。北朝鮮が拉致して、行方不明者とか離散家族にしてしまったのに、この場面だけみても、親切な北朝鮮というのは間違いだ。北朝鮮の発言は100%信用していない。

 日本は日本としてのやり方で、協力に推し進めてもらいたい。南北のパフォーマンスを一々取り上げるのも大人気ない。北朝鮮の思う壺となる。まだ、相当数の拉致がある。しかし、そんなに時間はない。犯罪国に対し、被害国として強い対応をすべきだ。横田家が北朝鮮に行けば終わりになる。我々もそこを考えて戦っていきたい。

◆増元  お母さんの年齢、体調を考えると、会ってよかったと思うが、後ろに控える4人の高校生の家族はどういう気持ちだろうかと思った。ヘギョンさんとの血縁があって英男さんが出てきたが、(他の拉致された)4人の高校生の家族のことを思うと複雑な思いがした。また、4年前、5人が帰国した時の再会とオーバーラップした。日本で会ったのに5人は涙を流した。今回、英男さんは涙を流さなかった。これは、感情を押し殺す訓練をされたのかと思い可哀想になった。北朝鮮では特別待遇されていると考えると、一時帰国もあるかなと考えた。我々は、帰さないといけないと主張してきたが、果たして金英男さんの家族は対応していけるのかと疑問をもった。

◆佐藤  我々が一貫して主張してきたことは、誠意を示さなければ制裁を含む圧力で解決を迫ることだ。国会最終日に北朝鮮人権法が成立したが、これは従来のものとは違う。誠意を示さなければ、外為法、特定船舶入港禁止法等で制裁することを国民の代表が法律を通したわけだ。今日の面会は、日本の拉致解決には何の進展もない。既定方針通り圧力を加えるべきだ。5月28日の、安倍晋三官房長官のメッセージには「対話と圧力」ではなく、「圧力と対話」とあった。従来とは逆になっている。政府も朝鮮半島をにらんで、日本の実態に即した救出の構えになってきている。制裁、そして交渉で進みたい。政府も早くやってほしい。

◆西岡  明日の金英男さんの会見で、拉致ということばを使う会見になるのかすら明らかでない。そういう中で、真相が分かるのか。北朝鮮の管轄下では、自由な発言はできない。前回、北朝鮮は拉致の言葉をつかったら電気を止めてしまった。
今日の映像も北朝鮮の検閲したものだ。犯人の監視下での3日間となる。英男さんもかわいそうだと思った。ジェンキンスさん、蓮池さんたちも本当のことが言えず苦しかったのと同じだ。監視されているのだから。これが許せない。

 また4人の高校生のことを英男さんは知っている筈だ。「朝鮮日報」97年12月21日号に、78年にも3人が拉致と書かれている。この新聞で英男さんの拉致が分かり、韓国政府が発表した。脱北者の崔ジョンナム氏が、89年2月から90年5月まで15か月間、金正日政治軍事 大学分校の地下にある「以南化環境館」で金英男さんに訓練を受けたと証言している。DNAで今回分かったわけではない。韓国を攻撃するテロリストの訓練に利用されているのに韓国は抗議もしていない。

 今回は顔を見せただけだが、寺越武志さんと同じやり方だ。昭二さんが武志さんをかばったのに、救出と言わされ、かばったおじさんのことも言えない。韓国当局が被害者が北朝鮮の管轄下において会見させるのは許せないことだ。韓国政府は高校生5人についてなぜ返せと言わないのか憤りを感じる。

 また、2002年に、キム・チョルジュン氏が横田夫妻に書いた手紙では、めぐみさんが93年に病死したとあり北朝鮮は後に94年と訂正したが、夫がうそを書いたのが、別人が捏造したかのどちらかになる。

 離散家族の面会では両方が泣いているが、今回英男さんが泣かなかったのも異様な感じだ。離散家族の面会では予め訓練がある。今回は、背広に金の時計をしていたが、幸せな暮らしをしていると思わせ、拉致してけしからんと思わせないようにしたのか。

★コメント(平田隆太郎)
 離散家族の面会は1回限り。以後一切音信不通となる。これほど残酷な人道ショーはあるまい。被害者と家族の人権を韓国政府はどう考えるのだろうか。

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2006年6月27日 (火)

朝銀問題・コルレス契約・パチンコ・総連の資金

企画・連載 : 栃木 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)による企画記事は、<朝銀問題・コルレス契約・パチンコ・総連の資金>に関して非常にまとまっており参考になりますので、まとめてリンクを紹介しておきます。

特に

◆検証 足銀破たん 第2部「向江時代」(04年4月22日~5月1日)

は北朝鮮の資金にどのように日本の金融機関が関わりを深めてきたかを理解するのに役立つと思います。

◆検証 足銀破たん(04年1月29日~2月5日)
 足利銀行の破たんから、二十九日で二か月がたった。県内の預金占有率40%を誇り、かつて「地銀の雄」と称された足銀。シンボルマークは、青い色で、希望の風をはらむ翼を表現している。その足銀がなぜ、破たんしたのか。翼がまさに地に墜(お)ちようとした瞬間を、関係者への取材から検証する。(敬称略、肩書は当時)

(1)通告 監査法人の言葉に絶句
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/030/1.htm
(2)直談判 「なぜ」必死の頭取ら
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/030/2.htm
(3)検査 「都銀並み」厳しさ痛感
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/030/3.htm
(4)楽観 「りそな方式」確信 
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/030/4.htm
(5)苦渋 最悪シナリオに恐怖
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/030/5.htm
(6)国有化 浮き足立つ行員ら
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/030/6.htm
(7)行脚 謝罪行員に非難、同情
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/030/7.htm
(8)隔たり 説明の有無、真っ向対立
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/030/8.htm


◆検証 足銀破たん 第2部「向江時代」(04年4月22日~5月1日)

融資先の選別が始まるなど、足銀の破たん・一時国有化による県経済への影響は広がり始めた。かつて「逃げの銀行」とされ、堅実を売り物とした銀行の破たんの芽はいつから膨らんだのか。第二部では、バブル期をまたぎ、長く足銀の舵(かじ)取り役を務めた向江時代にさかのぼり検証する。(敬称略)

(1)生え抜き頭取
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/036/1.htm
(2)行風
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/036/2.htm
(3)暴走の芽
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/036/3.htm
(4)地域密着
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/036/4.htm
(5)北朝鮮との関係 
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/036/5.htm
〈6〉パチンコ店
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/036/6.htm
(7)ノンバンク
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/036/7.htm
(8)孤高の頭取
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/036/8.htm
(9)遅れた撤退
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/036/9.htm
(10)向江元頭取インタビュー 
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/036/10.htm


◆検証 足銀破たん 第3部「不透明な融資」(04年8月28日~9月4日)
 バブル景気に乗って急成長した足利銀行。本体からだけでなく、関連ノンバンクを通じて巨額の資金が様々な企業へ流れた。だが、バブル崩壊とともに融資先が相次いで破たんすると、足銀も大きく傷ついた。第三部では、足銀本体や関連ノンバンクを巡る不透明な融資の実態に迫る。

(1)関連ノンバンク
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/042/1.htm
(2)トンネル会社
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/042/2.htm
(3)母体行責任
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/042/3.htm
(4)大阪・堂島ホテル
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/042/4.htm
(5)“頭取案件”
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/042/5.htm
(6)建材商社「シモレン」
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/042/6.htm
(7)粉飾決算
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/042/7.htm
(8)鹿沼グループ
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/042/8.htm


◆検証 足銀破たん 第4部「責任追及」(05年2月9日~13日)
 旧経営陣の経営責任を調べていた内部調査委員会の報告を受け、足利銀行が民事訴訟を起こし、責任の本格追及が始まる。指摘されるずさんな融資や違法配当はなぜ行われ、見過ごされたのか。第四部では、破たん責任の所在を、関係者の証言などから検証する。

(1)ずさんな融資
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/056/1.htm
(2)違法配当
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/056/2.htm
(3)刑事責任
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/056/3.htm
(4)監査法人
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/056/4.htm
(5)内部調査委員長インタビュー
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/056/5.htm


◆足銀 再生の行方(05年5月26日~6月2日)
 足銀の破たん・一時国有化から1年半。05年3月期決算は経営計画の目標値をほぼ達成する好決算となった。県などが国への要望を始めた受け皿選定も、今後、本格化するとみられる。足銀再生の足取りは確かなものか――。その現状と行方を検証する。

(1)4年ぶり黒字 企業体質改善が課題
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/059/1.htm
(2)受け皿問題 地元と国大きなずれ
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/059/2.htm
(3)金融支援で激減 不良債権処理
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/059/3.htm
(4)審理長期化懸念も 旧経営陣の責任追及
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/059/4.htm
(5)池田頭取 好決算に手応え
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/059/5.htm

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2006年6月25日 (日)

■飛ばせなくなったテポドン(佐藤勝巳)

■飛ばせなくなったテポドン

          佐藤救う会会長


 金正日はテポドンを飛ばすつもりだった。飛ばしたかったが飛ばせなくなった。

 今、8割くらい飛ばさない方向ではないか。

 なぜ発射したかったのか。北朝鮮が完全に行き詰まって、発射によりアメリカと二国間交渉に持ち込み、局面を打開したかった。

 なぜ行き詰ったのか。アメリカの金融制裁の効果だ。世界の銀行が、マカオのバンコ・デルタ・アジアと同じ措置をとられると困るので、北朝鮮の口座開設に応じなくなった。困った北朝鮮がロシアと現金決済で取引をしたところ、1割がドルの偽札だった。以後、現金決済もできなくなった。

 4月に、6者協議の各国首席代表が東京に集まった時、北朝鮮の金桂冠外務次官は、帰国会見で、「核開発を止めたかったらアメリカは金融制裁を解除せよ」、「解除すれば6者協議に出る」と居直ったが、これは悲鳴だ。アメリカがEUに北朝鮮の犯罪情報を提供し、EUは摘発を続けている。

 日本は現行法の厳格な適用と言いつつ、在日本朝鮮人科学技術協会(科協)を捜索し、そこで得た資料から摘発を続けている。例えばパチンコ屋の脱税容疑での摘発がかなり行われており、総連にいてはビジネスを続けられないとの不安が広がっている。また、RCC(債権回収機構)は旧朝鮮信用組合(朝銀)から総連が借りていた628億円を取立て中で、払わないと担保になっている総連の不動産が競売されることになる。

 北朝鮮は、次の総裁選で、安倍総理が一番困るとのことだ。つまり、制裁が効いているということの証明だ。テポドンの部品は日本製がかなりあるだという。
大量破壊兵器の部品もそうだ。制裁は効果がある。金正日の料理人だった藤本氏は、近著で、金正日のほしいものを万景峰が買ってくると述べている。万景峰を止めて困るのは金正日だ。

 安倍官房長官は、5月28日の国民大集会へのメッセージで、「対話と圧力」とは言わず「圧力と対話」と述べた。圧力をかけてから交渉するのは当然だ。
こういう日米の圧力で金正日政権が追い詰められたことが発射理由の一つだ。

 また、韓国の統一地方選挙で与党が惨敗したことにより、金正日政権が追い詰められた。何か手を打たないと、と危機感を持っている。2000年6月15日、金大中が平壌に行き、北朝鮮の連邦制案は韓国の案と共通性が高いと評価した。
「現代コリア」はそれが危ないということを言い続けてきている。北朝鮮、韓国の専門家も「現代コリア」を読んでいるので知っている筈だ。

 ところが、金大中は、テポドンを理由に訪朝を取りやめたと言っているが、それは違う。訪朝もテポドン発射も前から決まっていたことだ。理由は別にある。

 まず、北朝鮮にとって金大中は利用価値がなくなったということだ。民団と総連が5月17日に和解声明を出した。テロ国家の出先機関と和解するとは民団は気でも狂ったのか。私は「現代コリア」に、「本気なら民団は敵だ」と書いた。
ところが、民団にもしっかりした人たちがいて、6月15日、8月15日の共同行動は中止になった。明日の中央委員会でこの声明が否定されれば、現執行部は総退陣になろう。

 なぜこういうことが起こったのか。72年、南北共同声明直後、民団に郭東儀をトップとする左派グループが浮上した。我々は、ベトコン派と呼んでいたが、この時民団乗っ取りに失敗した人々が現在まで粘り強く運動し、今年になって乗っ取りに成功した。当時排除された韓民統が韓統連と名を変えて運動していたが、その幹部も民団の幹部になった。

 北朝鮮は20年単位で工作を行う。その結果生まれた民団内左派の狙いは、連邦制の雛形を日本でまず作ることだ。そして金大中が訪朝し、南北で連邦制を作ろうと言うことだった。

 もう一つは、金大中のスキャンダルが最近判明したことだ。金大中は米国のニューヨーク州に400億円の土地を持っているという。韓国の保守派がアメリカで告訴し、ソウルでも告訴した。韓国メディアはまだ報道していないが、口コミで北朝鮮も知っている。韓国や日本にも金大中ファンドがあるかもしれない。こういうことでは将軍様が傷つく。金大中は金正日に見捨てられたのであって、テポドンではない。悪魔と詐欺師が合体して生き延びようとしているのだ。

 李鍾●統一部長官は、ミサイル発射なら食糧、肥料の支援はできないと言ったが、本心ではない。そう言わざるをえない状況が生まれたということだ。大胆な予測をすると、金大中はこれで政治生命を絶たれた。地元の全羅道でもいっしょに心中するのはいやという政治勢力が出てきた。

 テポドン発射にどこが一番反対したか。それは北京だ。今回、北京が強い圧力をかけている。北朝鮮はアメリカとの二国間交渉が狙いだが、中国は6者協議を仕切ってきた。ミサイル発射は、もう中国はいらないということだ。これで、中国の北朝鮮への影響力もゼロになる。しかし、そういう事態は、中国としては絶対に認められない。中国は北朝鮮を植民地くらいにしか思っていない。大国意識が強い。にもかかわらず、ミサイル発射など、後ろ足で砂をかけるような行為だ。

 安倍官房長官は、在京の各国大使にサミットで拉致問題を取り上げるよう要請した。中国は公使だったが、この公使が別の所で、「拉致問題解決に協力する」と発言している。これを北朝鮮が持ち出して中国に抗議したらしい。また、「自国で作った武器を発射して何が悪いか」と居直ったという。中国は、「やれるものならやってみろ」と圧力をかけた。結局、発射していない。中国からすれば、重油を止めればいい。中国が何か圧力をかければ北朝鮮は発射できないだろう。

 アメリカはイージス艦5隻を浮かべている。1隻に巡航ミサイル200発なので計1000発撃てる。また、南西太平洋に4席の空母を出して軍事訓練をしている。1隻に75機の航空機を積んでおり、計300機がいつでも飛べる状態だ。
空母1隻には5000人が乗っており、他に護衛艦、駆逐艦が5隻、潜水艦が2隻で船団を組んでおり、これが4つある。すごい軍事的圧力だ。日本人は意識していないが、これらで日本人の安全が確保されているということだ。

 金正日が発射できないと、一度はゴーサインを出しただけに軍との信頼関係が大きくゆらぐ。韓国、北朝鮮が自らアジア情勢を作れなければ、内部矛盾が高まる。南北政権ともに、そういう厳しい状況におかれていると思われる。
●=夾の人が百


平成18年6月22日 東京集会にて

救う会ニュースより

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2006年6月17日 (土)

北朝鮮人権法について

北朝鮮人権法に関する資料

◆6月17日付・読売社説(1)
 読売新聞社説

[『北』人権法]「拉致を許さない決意を明示した」

 国家犯罪である拉致を許さない、という日本の国論、世論に揺るぎがないことを北朝鮮に明確に示したのではないか。

 いわゆる北朝鮮人権法が成立した。政府が拉致被害者の帰国実現に最大限努力すること、事態に改善がない場合、政府が経済制裁措置を取ることなどを明記している。制裁条項は、国内での制裁発動の法的根拠となる。

 「北」人権法は与党と民主党がそれぞれ法案を提出していた。会期末目前で修正合意し、成立にこぎつけた。

 合意が出来ず、法案の成立が先送りされていたら、北朝鮮に、日本国内は一枚岩ではなく、付け入るスキがあると、誤解させる恐れがあった。

 小沢民主党は対決路線を打ち出している。だが、さすがに、「北」人権法で“対決”して、北朝鮮を利することは出来ないと判断したのだろう。

 修正合意によって、法律の内容も強化された。与党案には、脱北者の支援に関する規定はなかった。民主党案には、制裁措置の条項はなかった。成立した法律には、これらすべてが盛り込まれた。

 もちろん、「北」人権法が出来たからといって、直ちに実効があがるわけではない。拉致問題を解決するためには、やはり北朝鮮に対する国際的な包囲網を強化しなければならない。

 日本が単独で制裁を発動しても、効果には限界がある。「北」人権法が、国際的な連携強化を求め、政府の制裁発動に当たって、拉致問題に対する「国際的動向を総合的に勘案する」としているのも、そのためだ。

 日本は7月の主要国首脳会議(サミット)で拉致問題を議題として取り上げるよう参加各国に求めている。6月末の日米首脳会談では、改めて拉致問題での協力を確認する見通しだ。

 北朝鮮が先の外務省談話で、「拉致問題の国際化の策動」で「日朝関係を史上最悪の局面に追い込んでいる」と非難したのも、こうした動きを警戒しているからだろう。

 北朝鮮は、横田めぐみさんの夫とされる韓国人の拉致被害者・金英男さんに、母親の崔桂月さんが面会することを認めた。韓国世論を軟化させ、日韓分断を図る狙いがうかがえる。

 韓国の盧武鉉政権は、拉致問題の解決に積極的ではない。北朝鮮を刺激し、北朝鮮に対する融和政策の障害になることを避けたいからだ。

 だが、日韓の協力は、国際連携の中で最も重要な部分だ。北朝鮮の策謀に乗ることのないよう、日韓の連携強化を粘り強く働きかけていく必要がある。

(2006年6月17日1時32分  読売新聞)


西日本新聞/社説

[国際連携強め有効運用を 北朝鮮人権法]
 今国会で成立した北朝鮮人権法は、拉致問題で「誠意ある対応」を示さない北朝鮮に解決を迫る日本としての明確な意思表示と言えよう。

 日本単独での送金停止や輸出入規制を可能にした改正外為法、北朝鮮の船舶を想定した特定船舶入港禁止特別措置法に次ぐ、新たな「圧力カード」になる。

 与党と民主党による議員立法だ。それぞれ提出していた法案を一本化した。

 背景には昨年末の国連総会で「拉致非難決議」が採択され、横田めぐみさんの両親による訪米、訪韓で拉致問題に対する国際的な関心の高まりがある。

 7月の主要国首脳会議(サミット)でも拉致を議題にするよう働きかけを強め、アピールする意味合いもあろう。

 人権法は(1)拉致問題などで北朝鮮の姿勢があらたまらない場合、改正外為法などによる送金停止などの経済制裁措置発動(2)脱北者の保護や、脱北者を支援する民間団体への財政支援―などが柱だ。

 注目されるのは脱北者支援である。

 拉致被害者蓮池薫さんらの帰国後の証言が警察当局による元工作員辛光洙(シングァンス)容疑者らの国際手配につながり、「拉致問題は解決済み」という北朝鮮の主張を突き崩す根拠となった。

 脱北者に関しても、政府が聞き取り調査を行い、北朝鮮国内の日本人拉致被害者に関する情報収集も期待できよう。

 ただ脱北者支援には、その対象範囲や手法など慎重な判断が必要だろう。

 与党は帰還事業で帰国した朝鮮半島出身者、日本人妻などを想定している。

 しかし、なし崩し的に対象を拡大して脱北行為に深く関与することがあれば、北朝鮮側は「体制崩壊を狙った主権侵害」と受け止めて態度を硬化させ、進展は遠ざかりかねない。

 肝要なのは、北朝鮮に対して毅然(きぜん)とした姿勢を示すとともに国際連携を強化する中で、いかに北朝鮮人権法を有効に機能させるかである。

 韓国の盧武鉉(ノムヒョン)政権が標榜(ひょうぼう)する対北融和政策推進に伴い南北接近は加速し、今月末に金大中前大統領が訪朝の予定だ。

 韓国はその阻害要因ともなる拉致問題には冷淡だ。北朝鮮もめぐみさんの夫とされる韓国人拉致被害者と家族を再会させ、日韓連携に揺さぶりをかけている。

 一方、日本が経済制裁を発動するにしても実効性が伴わなければなるまい。

 この3年間で北朝鮮と日本との貿易額は半減したが、逆に友好国の中国や、韓国との貿易額は急増している。

 日本としては米国だけでなく中韓両国とも共同歩調が取れるよう独自戦略を持ち、外交努力を重ねることが不可欠だ。

 日本の対北政策は「対話」と「圧力」が基本方針だが、「圧力」はあくまでも「対話」を引き出す外交手段である。

 人権法の規定で制裁発動の判断など裁量を委ねられた政府も慎重、適切な判断を迫られる。責任は一段と重くなった。

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北朝鮮人権法可決について(荒木和博氏)

■北朝鮮人権法可決で思ったこと
                    荒木和博

 今日北朝鮮人権法案が参議院で可決成立しました。

 会期延長がないということで、正直なところ継続審議になってしまうのではないかと思っていましたので、とりあえずほっとしています。内容的にも評価できるものであり、自民・民主・公明各党の担当者の皆さんのご尽力に心より敬意を表する次第です。

 私は今島根の松江にいます。明日開催される島根県民集会に参加するためです。この集会には加藤博・北朝鮮難民救援基金事務局長と私が講演しますが、空港から松江市内に向かう途中、加藤さんと「10年前なら『北朝鮮人権法』などと言っても誰も相手にしなかったでしょうね」と話していました。世の中の変わりように感慨もひとしおです。

 ところで、ここに来る前に平沼赳夫・拉致議連会長にお会いしたところ、事務所に「人権法に難民の保護をうたっているのはけしからん」という内容のメールが多数来ていると言っておられました。それを聞いたときに、私は、「これこそが今後の運動の中で克服していかなければならないことだな」と思いました。

 「拉致問題だけ協力してほしい」と外国で言ったところで、それは基本的にはエゴでしかありません。「北朝鮮の人権問題は深刻であり、拉致被害者のいる日本はそれを身にしみて感じている。したがって先頭に立って北朝鮮の人権問題を解決します。皆さんも協力してください」というのがあるべき姿でしょう。直接の解決はあくまで日本の安全保障問題として、日本と北朝鮮の二国間でやるべき問題です。

 例えば、アメリカ人が日本にやってきて「うちの息子がキューバに拉致されている。日本は同盟国なのだから助けて下さい」と言ったらどう思うでしょう。「それは、お気の毒だけど、まずアメリカとキューバの間でやることではないですか。もちろん、お手伝いはしますが」というのが正直なところでしょう。

 難民保護について、日本国内の混乱を心配する声もあるようですし、確かにその懸念が全くないとは言えません。しかし、日本の人口から考えれば最大限でもコンマ数パーセント程度の、しかも日本に縁故のある難民を引受けられないほど、この国は包容力のない国なのでしょうか。

 大東亜戦争をアジア解放の戦争だと思っている方は、多少の犠牲を払っても北朝鮮国民を独裁政権から解放することこそ、英霊の思いに報いることと考えていただきたいですし、逆に侵略戦争だったと思っている方は、その償いのためにも北朝鮮の独裁政権から、彼の地に住む人すべてを解放しようと考えてもらいたいと思います。今、本当になすべきことは何なのかを考えれば、そう違った結論は出てこないはずです。

 いずれにしても、この人権法可決は今後大きな効果をもたらすでしょう。まさに「攻撃は最大の防御」であり、法律制定の効果を高めるためにさらに次の手を打っていかなければなりません。わたしたちもそのために努力を続けるつもりです。

 今朝、石川県の白山市では、特定失踪者安達俊之さんのお母さんと支援者の皆さんが早朝5時半からの「しおかぜ」第一放送を聞いてくださいました。東京では受信状況が悪かったので心配したのですが、石川ではしっかり聞こえたそうで安心しました。ご家族の思いを何とか結果に結びつけるように、がんばります。今私たちのところに入ってきている様々な情報は、間違いなく近いうちに大きな変化があることを指し示しています。人権法制定をはじめ
このチャンスを絶対に逃さないようにしていきます。今後ともよろしくお願い申しあげます。

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2006年6月 5日 (月)

島田洋一救う会副会長の米議会下院公聴会への提出文書

■島田洋一救う会副会長の米議会下院公聴会への提出文書(日本語訳)

 以下は、今年4月27日、米下院国際関係委員会に属するアジア・太平洋問題小委員会および国際人権問題小委員会が合同開催した「北朝鮮:人権の最新状況および国際的拉致問題」公聴会における島田洋一救う会副会長の意見陳述(正式提出文書)の日本語訳である。当日は、第一部の公述人がジェイ・レフコウィッツ北朝鮮人権問題特使、第二部の公述人が、脱北した拉致被害者など韓国人3人、日本人2人(横田早紀江、島田洋一)であった。

 英語版は、「救う会」ホームページのUpdates欄に、また米下院国際関係委員会のホームページ中の下記アドレスにも掲載されている。公聴会のビデオ映像も米下院同ホームページ上にある。
米国議会ホームページ ――――――――――――――――――――――――――――――――
★米議会下院公聴会における意見陳述(提出文書全文、日本語訳)
――――――――――――――――――――――――――――――――
2006年4月27日
北朝鮮による外国人拉致について
島田洋一(福井県立大学教授、「救う会」副会長)

●少なくとも12カ国に及ぶ被害者
(議長および委員への謝辞——略)
 日本政府は、現在、日本人の拉致被害者として11件16人を認定している。
しかしこの数字は、氷山の一角に過ぎない。

 暴力的な連れ去りの他、騙されて北朝鮮に誘い込まれ拘束されている人々も多いと思われる。確実なところは分からないが、おそらく百名を越える日本人拉致被害者がいるだろう。

 日本人に加え、多くの韓国人被害者がいる。その件については、同席の韓国人陳述者らに委ねたい。

 脱北者の証言によると、1976年、金正日が、外国人をより組織的に利用することによって工作活動の質を上げよという秘密指令を出した。彼はこれを「工作員の現地化教育」と呼んだ。北は昔から一貫して拉致に手を染めてきたが、拉致工作が本格化するのは、この指令以後である。

 13才の横田めぐみさんを含む少なくとも11人の日本人が、1977年ないし七八年に拉致されている。五人の韓国人高校生も1977年ないし78年に拉致されている。

 4人の若いレバノン人女性も1978年に拉致された。そのうち1人は、今なお、北朝鮮内に拘束されている。

 少なくとも2人の中国人女性およびタイ人女性も、1978年の同じ夜、マカオから拉致された。3人とも、当時20代前半であった。

 現在日本に住む元・脱走米兵チャールズ・ロバート・ジェンキンス氏は、ドナという名のルーマニア人女性が、やはり拉致され、北での生活を余儀なくされていたと証言している。

 首尾よく北朝鮮から脱出したレバノン人女性たちの話では、彼女らは、北朝鮮内でスパイ養成施設に送られ、思想教育や、柔道、テコンドー、空手、盗聴技術などの実技教育を施されたという。そのスパイ・キャンプには、3人のフランス人、3人のイタリア人、2人のオランダ人、を含む二八人の若い西洋・中東系の女性がいた(レバノン紙『エル・ナハール』1979年11月9日付記事より)。

 1978年1月に香港から拉致され、1986年、脱出に成功した韓国の著名な女優、崔銀姫氏は、北朝鮮内で、ヨルダン人女性と言葉を交わしたことがあると述べている。

 崔銀姫氏はまた、「美男子の北朝鮮人」に誘われ北に拉致されたフランス人女性がいるという話も聞いている。元・北朝鮮工作員、金賢姫氏も、類似の話を回想録に記している。

 1978年8月にシンガポールで行方不明になった5人の若い女性——マレーシア人4人とシンガポール人一人——の事件も、北朝鮮が関与した可能性が強い。
崔銀姫氏は、マレーシア人の拉致被害者がいるという話も、北で聞いている。

 北朝鮮によって拉致された被害者の国籍は、したがって、少なくとも次の12カ国に及ぶものと見られる。日本、韓国、レバノン、中国、タイ、ルーマニア、フランス、イタリア、オランダ、ヨルダン、マレーシア、シンガポール。

 以上に鑑み、行方不明事件を抱える世界中の関係者——政府、親族、友人たち——に、強く次のことを促したい。すなわち、わずかなりとも北朝鮮との接点が考えられる場合、北の犯行という観点から、事案を再調査してもらいたい。特に、1977年、78年に発生したケース、それも行方不明者の年齢が、20代あるいはティーンエイジャーであるケースについては徹底的な洗い直しが必要である。

●拉致の目的
 当然、一つの疑問が湧いてこよう。北朝鮮は、一体何のために、外国人を拉致するのか?

 過去の事例から、次の六つのパターンが浮かび上がってくる。すなわち、北朝鮮が外国人を拉致する目的は、

(1) 工作活動中の北朝鮮スパイに運悪く遭遇した目撃者を連れ去る
(2) 被害者の身分を盗み、本人になりすました工作員が当該国その他に侵入する
(3) 拉致被害者を、その出身地の言語や風習を北朝鮮工作員に伝授する教官として用いる
(4) 拉致被害者を洗脳し、工作員として用いる
(5) 拉致被害者がもつ専門知識や特殊技能を利用する
(6) 北朝鮮内に住む、一般国民とは異質な居住者、とりわけ脱走米兵のような亡命者や別の拉致被害者など隔離された生活を送る外国人の配偶者にする

 いうまでもなく、これら六類型は相互に排除し合うものではない。被害者の「多角的利用」を狙う場合の方が、むしろ普通であろう。

 これら6つの目的のうち、
(1)は古くから一貫して行われてきたものである。
(2)(3)(4)は、上記の1976年金正日秘密指令に発する「工作員の現地化教育」に対応したものといえよう。
韓国の女優崔銀姫氏や映画監督申相玉氏のケースは(5)に当たる。
最後の(6)は、いわば、犯罪が新たな犯罪を生むという範疇に入るものであろう。

●「検証可能なテロ放棄」としての被害者解放
 拉致の実態が明らかになり、北朝鮮に批判的な世論が高まる中、なぜ北は、いまだほとんどの拉致被害者を解放しようとしないのか。
 ここで注目すべきは、横田めぐみさんをはじめ多くの拉致被害者が、工作員の教育係を強いられてきたという事実である。

 もし解放されて故郷に戻れば、彼ら拉致被害者は、捜査機関が示す情報の確認などを通じ、各国に潜伏する北朝鮮工作員の摘発に貢献できよう。

 私は、北朝鮮が被害者の解放を拒む主要な理由はここにあると見ている。逆に言えば、もし、北がテロリスト養成事業をやめ、すべての工作員、世界各地に潜伏させているスリーパー・セル(冬眠テロリスト)を引き揚げるという決断をするなら、彼らの顔を知る教官たち——すなわち拉致された外国人——を、即座に解放できるはずである。

 北朝鮮が拉致被害者解放を拒んでいるという事実こそが、北にテロを放棄する意思がないことを示す何よりの証拠である。

 北朝鮮に何らかの経済支援を行う前提条件として、「検証可能な核廃棄」を求めるという方針は明らかに正しい。同様に、「検証可能なテロ放棄」も、やはりあらゆる支援の前提とされねばならない。拉致被害者の解放は、このテロ放棄過程における必須の要素である。

 すなわち、拉致問題が未解決である限り、われわれとしては、北朝鮮にテロを放棄する意思なしと見ざるを得ない。したがって、当然そうした前提のもと、北に対処していかねばならない。

●北朝鮮に拉致された子供たち
 国家による子供たちの拉致は、とりわけ許すべからざる行為である。そして、北朝鮮によって拉致された13才の被害者は、横田めぐみさんだけではない。もう一人、13才の犠牲者がいる。寺越武志という名の日本人少年である。

 武志さんは、1963年、2人の叔父とともに操業中の漁船から姿を消した。
ある脱北者の証言によれば、漁船は日本の海域内で北朝鮮の工作船にぶつけられ、工作船は、証人を消すため、寺越さんらを連れ去ったという。

 1987年、叔父の一人が、日本の家族のもとに手紙を届けることに成功し、この失踪事件が北朝鮮による拉致であることが明らかになった。

 武志さんの母は、当初、息子を取り返すため、他の被害者家族とともに活動していた。しかし、北朝鮮当局は武志さんを脅し、拉致ではなく北朝鮮の船に「救助」されたのであり、北で「幸せに」暮らしていると宣言させた。そのため、母親の態度も変わり、現在、息子の名前を拉致被害者リストに加えないよう日本政府に求めている。

 母親は、平壌にある武志さんのアパートを時々訪問することを許されている。
彼女は明らかに、北朝鮮当局を刺激して、訪問を拒絶されるという事態を恐れている。

 私は、日本政府は、はるか以前に、武志さんと2人の叔父を拉致被害者と認定していなければならなかったと思う。ところが、いまだに認定せず、そのことで、北朝鮮に対し、誤ったメッセージを発し続けている。

 北朝鮮の船が武志さんを「救助」云々というのは、笑止千万な話である。
 仮にそれが事実であったとしても(もちろん事実ではないが)、13才の少年を救助して、数十年間も両親に知らせないというのは、それ自体、拉致以外の何物でもない。

 叔父の一人(北は、すでに亡くなったと主張している)の3人の子息は、拉致被害者家族会の活動的なメンバーであり、日本政府が寺越事件をはっきり拉致と認定するよう求めている。

 米議会下院は、北朝鮮による拉致を「テロ行為であり、人権のあからさまな侵害」と非難した2005年7月11日付決議の中で、寺越事件に、正しく次のように言及している。

 北朝鮮の工作員は、子供たちを拉致し、自分の子供に何が起こったのか分からぬまま暮らす両親に、想像を越える苦悩を強いてきた。その例として、2人の叔父とともに拉致された13才の少年、寺越武志のケースがあり、……(以下略)

 この決議は、われわれを大いに鼓舞してくれた。ここで改めて謝意を表したいと思う。

 先に、少なくとも5人の韓国人高校生が、北に拉致されていると指摘した。日本人の高校生に関し、拉致ではないかと疑われるケースもいくつかある。北朝鮮によって拉致された子供が、日本人と韓国人に限られると見る根拠はどこにもないと思う。

●秘められた意図をもった結婚:脱走米兵と拉致された女性たち
 1965年1月、北朝鮮に向け脱走した米陸軍軍曹、チャールズ・ロバート・ジェンキンス氏は、2004年に解放されて来日後、北朝鮮での厳しい生活を、他の3人の脱走米兵、すなわちジェームズ・ジョゼフ・ドレスノク一等兵(1962年8月入北)、ラリー・アレン・アブシャー二等兵(1962年5月入北)、ジェリー・ウェイン・パリッシュ伍長(1963年12月入北)と、時に一緒になったり離されたりの関係で過ごしたと証言している。

 これら四人の脱走米兵は、すべて北朝鮮内で、海外から拉致された女性と結婚した。

 若くして拉致された日本人曽我ひとみさんは、ジェンキンス氏と結婚した。娘2人が生まれ、彼女らは、現在日本で、勉学に打ち込むとともにキャンパスライフを楽しんでいる。しかし、ひとみさんとともに拉致された母親はいまだ行方不明のままである。北朝鮮は、母親が入国した記録はなく、何も知らないと主張しているが、信ずるに値しない。ひとみさんは、自身拉致の被害者であったと同時に、いまなお拉致被害者の娘であり続けている。

 1978年、日本で仕事があると騙され、北朝鮮に連れてこられたレバノン人シハーム・シュライテフさんは、パリッシュ氏と結婚し、三人の息子をもうけた。
パリッシュ氏は1997年8月に死亡したが、彼女と3人の息子は今なお北朝鮮にいる。

 1978年、マカオから拉致されたタイ人、アノーチャ・パンジョイさんはアブシャー氏と結婚した。アブシャー氏は1983年に死亡している。数年後、アノーチャさんはジェンキンス氏に対し、まもなくドイツ人男性と再婚すると語った。それが、ジェンキンス氏がアノーチャさんを見た最後だという。

 ドナという名のルーマニア人女性は、ドレスノク氏と結婚した。ドナさんは、亡くなる直前、ジェンキンス氏に次のような話をした。

 彼女の母親はロシア人で、父親はルーマニア軍将校であった。彼女は、かつてあるイタリア人男性と結婚した。離婚後、慰謝料を用いイタリアの芸術学校に入学した。

 その時知り合った美術商風のイタリア人男性が、ロシア、北朝鮮経由で香港に行き、個展をめぐるツアーをしないかと持ちかけてきた。彼女は北朝鮮で止められ、イタリア人の男はどこかに消えた。

 ドナさんは1997年、肺ガンで亡くなった。彼女が北朝鮮の地に埋葬されたくないと言ったため、ドレスノク氏は、遺体を火葬に付した。その後ドレスノク氏は、ダダという名の女性(北朝鮮とトーゴのハーフ)と再婚した。
 ジェンキンス氏は、次のような興味深い証言をしている。北朝鮮の工作活動指導部は、おそらく、外国人カップルの子供、混血の子供を、特に在外米軍基地の周りで活動する秘密工作員として利用しようと考えていたのではないか。在外米軍基地周辺では、混血の子供たちは決して珍しくない。

 ジェンキンス氏は、北朝鮮当局が娘たちを平壌外国語大学に入れよと指示してきたとき、やりきれない思いになったと述べている。ちなみに、大韓航空機爆破事件(1987年)の実行犯金賢姫も、この大学在学中に、秘密工作員に選抜されている。

 以上に鑑みれば、北朝鮮に拉致された女性たちは二重の苦悩に苛まれているようだ。まず最初は、若くして突如将来の夢を奪われた拉致被害者として。次いで、彼女らが心から憎む北朝鮮という体制の秘密工作員になることを強いられる子どもの母親として。

●救出活動を妨害する中国政府
 中国政府は、自らも署名している国連難民協約に違反して、難民狩りに奔走し、哀れな難民たちを金正日の拷問室へと送り還している。こうして強制送還される人々の中に、拉致された外国人、その家族、拉致被害者について重要情報をもつ人々などが含まれていた、現に含まれている、また今後も含まれるであろうことは間違いない。

 中国当局は、拉致被害者を救出しようというわれわれの努力を、組織的に妨害している存在と断ぜざるを得ない。

 さらに、中国当局は、自国の拉致被害者を取り戻す努力も何らしていないようである。一例を挙げよう。

 2人のマカオ居住者——当時20才の孔令イン(貝二つの下に言)さんと22才の蘇妙珍さん——が、1978年7月2日、北朝鮮工作員によって拉致された。
マカオは当時ポルトガルの植民地であったが、1999年に中国政府の施政権下に入った。二人の拉致被害者は、したがって、現在、中国国民である。彼女たちの家族もまた中国国民である。

 私たちは、関係者とのさまざまな面談などを通じ、この件が拉致であると実証することが出来た。たとえば、韓国人女優崔銀姫氏が、平壌にあるいわゆる「招待所」で一時的に、孔令インさんと一緒になったと証言している。

 崔銀姫氏は、孔令インさんのクリスチャン・ネームが「マリア」であると記憶していた。われわれは、孔さんの家族にこの点を照会した。家族らは、孔さんがカトリックの洗礼を受けたことは知っていたが、クリスチャン・ネームは知らなかった。家族は、孔さんが通っていた教会に走って、彼女の洗礼名が実際、「マリア」であることを確認した。
 崔銀姫氏は、孔令インさんが、中国語の教育係をさせられていたと述べている。

 われわれ「救う会」は、東京の中国大使館スタッフに、中国国民に関わるこれらの情報を伝えようとしたが、彼らは面会を拒否した。そこでわれわれは、関係資料を文書で中国大使館宛にファックスおよび郵送した。現在に至るまで、何の反応もない。無視を決め込んでいるようだ。

 中国政府は、難民を北朝鮮に送り還すことで外国人拉致被害者の救出を妨害するのみならず、北朝鮮に囚われている自国民を弊履のごとく捨てて顧みない。こんな政権に、オリンピックを開催する資格があるだろうか。
 公開競技として難民狩りを実施するとでもいうなら、中国が開催地として適当だろう。そして間違いなく、中国チームが優勝するであろう。

 が、常識の立場に立つなら、難民狩りを続ける限り、北京はオリンピック開催地としてふさわしくない。

 北朝鮮についてある人が、生きていく(live)ことができず、さりとて去る(leave)こともできない場所とは、すなわち地獄の定義に他ならないと述べている。その通り。そして北京は、その地獄の共同管理者である。中国共産党指導部は、自らを恥じるべきだ。

●経済的締め付けを通じたレジーム・チェンジ
 私は、久しく、レジーム・チェンジ(政体変更)こそが拉致問題解決の唯一の道だと確信している。核問題、ミサイル問題解決についても同じである。半端な方策は役に立たない。
したがって問題は、いかにしてレジーム・チェンジを実現するかである。

 勝利に近道はない。私は、経済的締め付けが鍵になると思っている。そしてその場合、平壌のみならず、北京にも圧力をかけねばならない。

 この点、昨年9月にアメリカが発動した金融制裁は、まさに正鵠を射た動きである。この制裁は、とりわけ、北朝鮮と手を組んでいる中国の銀行を標的にした。
私は、米国が、ますますこの種制裁を強化し、他国もアメリカにならうよう望んでいる。

 日本政府は、安倍晋三官房長官の強いリーダーシップのもと、近年、さまざまな道具を用いて、北朝鮮に対する経済的圧力を強化してきた。心強い動きだといえる。

 二年前、日本の国会は二つの重要な法案を可決した。一つは改正外国為替及び外国貿易法で、政府が「わが国の安全と平和のために必要」と判断した場合、いかなる国に対しても、貿易や送金を停止する権限を与えたものである。

 もう一つは、特定船舶入港禁止法である。いまや日本は、首相が決断しさえすれば、北朝鮮の船舶に限らず、中国籍やさらには日本籍であっても、北朝鮮の港に立ち寄った船をすべて日本に入港禁止とすることができる。

 私が見るところ、この強力な道具は、あまりに長い間たなざらしにされてきた。
今や、全面的な経済的締め付けを行うべき時である。

 金正日に何かメッセージがあるか? 何もない。救いがたい男という他ない。
可及的速やかに歴史の灰の山に墜ちていくことを願うのみだ。

 しかし、金正日の周りに対しては、メッセージがある。あの男を除去せよ。そして、拉致被害者、その家族、その友人、友人の友人——すなわち金正日と手下を除くすべての人々の安全と自由を確保することだ。そうすれば、単に制裁の解除のみならず、世界中から、多額の経済援助が来ることを期待できよう。


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2006年5月29日 (月)

国民大集会決議文(2006/5/58)

決 議 文 案

多くの拉致被害者が北朝鮮にいるのを分かっていながら救出できず、今年もまた、私たちは国民大集会を開いた。なぜ、助けられないのか、口惜しくて、悲しくてたまらない。

それでも、国際連帯と制裁による圧力という二つの柱を掲げた私たちの運動はこの1年で大きな成果を挙げた。
金正日が世界12カ国から拉致を行っているという驚くべき事実が明らかになった。また、横田早紀江さんが米議会で証言し、ブッシュ大統領との感動的な会見を行ったことも記憶に新しい。日韓の拉致運動の連帯も強化された。

日本政府も拉致問題特命チームを中心に法適用厳格化などで強い圧力を加え始めたし、米国が昨年9月に実施した金融制裁は大きな効果を挙げている。

窮地に追い込まれた金正日政権がどのような反撃に出てくるのか、予断を許さない緊迫した局面が生まれている。

私たちは今、北朝鮮の地で助けを待っている被害者に向かい「あともう少しです、元気で待っていてください」という心からのメッセージを送りながら、次の3点を強く要求する。

1 金正日政権はすべての拉致被害者を即刻返せ。
2 小泉首相は、北朝鮮への制裁を発動してすべての被害者を救出するという強い国家意思を示せ。
3 韓国盧武鉉政権、中国の共産党政権は、拉致というテロへの加担を意味する金正日への支援を中断せよ。

平成18年5月28日
小泉首相の決断と、今年中に拉致被害者全員救出を求める国民大集会
参加者一同

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国民大集会進行表

進行表

開会           櫻井よしこ ジャーナリスト

主催者挨拶   飯塚繁雄 家族会副代表

基調報告    西岡 力 救う会常任副会長

来賓挨拶    鈴木政二 官房副長官、安倍官房長官メッセージ代読、

挨拶       中川昭一 農林水産大臣 主催者挨拶   

                    平沼赳夫 拉致議連会長 来賓挨拶

                  山谷えり子 内閣府大臣政務官   

                     逢沢一郎 自民党拉致対策本部長

                  中井 洽 民主党拉致対策本部長・拉致議連会長代行                       漆原良夫 公明党拉致対策本部長・

                      拉致議連副会長 メッセージ   

                      山中燁子 外務大臣政務官

                  崔 祐英 韓国・拉致被害者家族協議会会長

                 李 美一 朝鮮戦争拉致被害者家族評議会代表報告 

                  宋 永仙 韓国ハンナラ党国会議員   

                     金 聖民 自由北朝鮮放送代表

                 趙 甲済 前「月刊朝鮮」編集長 出席議員紹介

                  古屋圭司 拉致議連事務局長報告    

                     深井 明 拉致問題地方議会全国協議会会長・埼玉県議

来賓紹介        櫻井よしこ    

報告          杉野正治 特定失踪者問題調査会常務理事訴え

                横田 滋 家族会代表、他家族会(司会増本照明)

大会声明    松原 仁 拉致議連事務局長代理

閉会の辞    佐藤勝巳 救う会会長

閉会           櫻井よしこ

(配付された資料ではなく、実際の進行を表記)

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2006年5月15日 (月)

 韓国における拉致救出運動概況

 韓国における拉致救出運動概況


 韓国における拉致救出運動概況を紹介するため、西岡力救う会常任副会長が昨年出した、著書『韓国分裂』の中から、関係論文を以下に再録(救う会ニュースより)

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北朝鮮による韓国人拉致被害者を

見捨ててきた韓国政府と始まった救出運動

                文:西岡力
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韓国では、政府認定だけでも朝鮮戦争中に8万2959人、休戦後に485人が拉致されいまだに帰れないでいる。ところが、これらの拉致被害者に関して韓国政府と韓国国民世論はほとんど関心を示さず、見捨ててきた。
 1994年7月31日にアムネスティ・インターナショナルが北朝鮮政治犯55人のリストを発表したが、そこには韓国出身者が11人含まれていた。11人の中には自ら進んで北朝鮮に入ったと思われる者もいるが、1人は確実に拉致被害者だった。
78年4月13日ノルウェーで拉致された高校教師・高相文氏である。当時、韓国マスコミはこのアムネスティ発表を大きく報じた。金泳三大統領も政府が総力を挙げて高氏をはじめとする拉致被害者の送還を実現させよと命じた。
 しかし、北朝鮮は高氏を平壌放送に出演させ、拉致ではなく自ら進んできたに北朝鮮に来たし、政治犯収容所などには入っておらず北朝鮮女性と結婚し幸せに暮らしていると語らせた。ショックを受けた高氏夫人は自殺してしまう。
 翌95年韓国は北朝鮮に対してコメ支援を実施するが、その際拉致解決を求めることはなかった。つまり、前年の金泳三指示も世論を意識した一過性のものだった。(以上の事実関係は当時の『朝鮮日報』の報道によった。)

安明進氏の韓国人拉致証言 

 朝鮮日報1997年12月1日付けは「『北朝鮮に拉致された住民20人余りもっといる』」と題する記事を報じた。その主要部分を引用しておく。

 対南工作員として選抜され「金正日政治軍事大学」で教育を受けて93年対南浸透訓練中に休戦ラインを通じて亡命した安某氏[安明進氏のこと・西岡補]は[1997年11月・西岡補]30日「私が教育を受けた平壌市龍城区域『以南化環境館』の教官50余人はすべて南韓出身」と語り「そのうち韓国の海岸で拉致されたと聞いた人間は20余人になる」と明らかにした。残りは海外で拉致された人やベトナム戦争での捕虜で、自分で進んで北に入った者は公開講演など身分を表に出さなければならないので教官として利用はしないというのだ。………
 安氏は「ある教官が自分のことを暗示して『南韓に行ったら海岸でテントを張って寝ている人間を連れてこないで、北韓に行きたいという人だけを連れてこい』と冗談を言うのを聞いたことがある」と語り「教官は30代後半から50代までで、生徒・学生出身が一番多く釣り人、魚屋もいた」と明らかにした。
 安氏が記憶する教官は「金」先生と呼ばれていた7人と「馬」「趙」「吉」「洪」「閔」先生などで、「馬」先生と「洪」先生は今回明らかになった天安農業高校と天安商業高校3年李ミョンウ、洪ジン杓だった。
 「以南化環境館」の金銀製品店担当者である閔先生(現在37?38歳)は江原道出身で80年代初め軍除隊後に大学入試準備をしているところで拉致され、金先生と呼ばれている40代後半の女性は全羅南道の海岸の村で魚屋をしていたところを拉致されてきたということを聞いたと明らかにした。
 軍事教官をしている「趙」先生はベトナム戦争で捕虜となって連れてこられた将校出身で韓国軍内での食事法などを教えてくれたと記憶している。

 ここで言及されている「以南化環境館」に関して、安明進氏は著書『北朝鮮拉致工作員』(徳間書店)の中で次のように実態を明らかにしている。

 当時、韓国の実状を教え込む教育会館は龍城区域新美里一〇号洞[「一〇号棟」と訳されているが、北朝鮮の地名であるため「洞」が正しいと思われる・西岡補]という場所にあったが、それはまさに巨大な一つの韓国社会だった。この教育会館は、またの名を「環境会館」とも言われていた[上記新聞記事の「以南化環境館」と同一のもの。韓国では分断された南北に関して「以南」「以北」という表現を使う・西岡補]。龍城区域の山の地下に一〇キロ以上もトンネルを掘って、そこに作られた巨大なセット(略)、そこは本当に華やかな宮殿のようだった。(略)その教育会館は長さ一〇キロ以上、幅三〇?四〇メートル、高さ四メートルにもなる巨大な洞窟で、中には韓国の街並みがそのまま再現されていたのである。(略)
 ちなみに韓国にあるものはほとんどそろっており、韓国社会そのものと言ってもよかった。警察署から小学校、中学校はもちろん銀行、スーパー、高級ホテル、ひいては退廃的な歓楽街までそのまま再現されていた。そこで学生の韓国人化教育に携わっている人々は、私が接してきた限りでも八〇名以上はいたと思うが、彼らはほとんどが韓国人化教育のために拉致されてきた韓国の人々だった。
 当初、そうした人たちがどういう経緯で北朝鮮にやって来たのかわからなかったが、やがて私はその経緯を耳にするようになる。すなわち北朝鮮当局は、必要と思えば手当たりしだいに韓国から人々を拉致してきたということだった。
 地下トンネルで教育を受けながら次第にわかってきたことは、北朝鮮の工作員が日本からだけでなく韓国からも人々を拉致してきては、工作員教育に利用している事実だった。なぜなら、こうした教育担当者の一人と親しくなって個人的な話までするようになると、「私が幼いころ、私が中学生に時」という言葉はよく出ても、「私が軍隊にいた時、私が商売をしていた時」などという言葉がまったく出てこなかったからだ。気になった私たち学生は「大人になった時はどうでしたか?」とよく質問したが、そのたびに彼は「北朝鮮には幼い時に来たから……」と言って、言葉を濁してしまう。
 幼い子供が、自分の意志で北朝鮮に来たとは誰も思わないだろう。結局これは北朝鮮工作員が韓国に侵入して、子供までも拉致の対象としてきたことの証拠でもあると思う。
 さらに驚いたことに、韓国人化教育会館に設置された市場で商売する人は実際に韓国の市場で働いていた人々であり、薬局で薬を売っている薬剤師も韓国の薬剤師だった。決してその職業の真似だけをしているのではなく、彼らは「本物」だったのである。

 この安明進氏の証言などによって韓国の海岸から5人の高校生が拉致されていることが明らかになった。横田めぐみさんが拉致されたのと同じ1977年の8月12日に当時高校2年だった李X(王扁に民)校、崔承民の2人が全羅南道紅島海岸から、翌1978年8月5日に高校生金ヨンナムが全羅北道群山ソニュウ島海岸から同月10日当時高校3年生だった洪建杓、李ミョンウが全羅南道紅島海岸拉致され、工作員を韓国人化するための教官として働かされている。この5人は全て、横田めぐみさんらと同様に1976年の金正日の拉致指令によって実施された拉致作戦による犠牲者と言える。

国情院が休戦後拉致被害者リストを公表 


 朝鮮日報が安明進氏の証言を根拠に韓国人高校生拉致を報じたのは1997年12月である。つまり、横田めぐみさん拉致が日本国内で大きく報道された1997年2月から10か月たってから、韓国の海岸で5人の高校生が拉致されたことが明らかにされたのだ。これは何を意味しているのか。
 1997年以降日本で展開された拉致被害者家族と支援者らの救出運動は、韓国の被害者家族と韓国政府内担当官らを刺激した。横田めぐみ拉致は韓国情報当局が亡命者証言を日本に伝えてくれたことから明らかになったのだから、まず韓国から日本が刺激を受け、それがブーメランのように再び韓国に戻ったというのが正しい見方だろう。
 韓国政府が拉致に関して表だった動きを見せるのが、1999年になってからである。
 1月31日に韓国国家情報院は拉致および自ら北朝鮮に入った韓国人のうち22人が政治犯収容所に収監されていると発表した。これは、拉致被害者の消息をはじめて、韓国政府機関が公式に明らかにしたものだ。「最近、北朝鮮脱出者を尋問する過程でこのような事実が確認され、彼らは拉致あるいは自らの意志で入国後1から2年後に政治犯収容所に収監されたものと明らかになった」と説明が付いて発表された22人の名簿は次の通りだ(『朝鮮日報』99年1月31日)。

1、身元確認者。カッコ内は北朝鮮に入った時期、当時の肩書き、順序も発表のまま。
▲李ヨンフン(92年4月、弁護士事務長)▲チョン・ナクホ(91年7月、チョガン海運船員)▲李ジェガン(89年12月、三星電子代理店勤務)▲チョ・ホンネ(92年8月、運動器具点運営)▲崔ヘチャン(91年10月、チョガン海運船員)▲李デシク(88年9月、パラグアイ移民)▲シン・ウォンシク(91年6月、米国 橋梁設計士)
▲カン・ガンソク(92年12月、不動産仲介業)▲金ソンベ(83年5月、建設会社重役)▲金スンソン(西ドイツ鉱夫)▲李宰煥(87年7月、在米留学生)▲崔宗錫(87年1月、東進27号拉致船員)▲金ウォンソク(90年2月、観光会社代表)▲ヤン・チルソン(88年9月・不動産仲介業)▲金ソンジン(84年9月、軍人2等兵)
2、身元未確認者
▲権オムン▲チョ・セング▲ソ・ハクシク▲朴チョンシン▲李チャンス▲ユ・ジェオン▲金チュンギル

 政治犯収容所内拉致被害者リスト発表の約1カ月後、1999年3月9日韓国国家情報院は北朝鮮に拉致されて抑留されている韓国人454人のリストを公開した。朝鮮戦争休戦後、北朝鮮に拉致された韓国人は合計3756人に上りそのうち3302人が帰国したが、依然として454人が抑留されているという。その後、韓国家族会などの調査で明らかになった被害者があり、2002年3月現在韓国政府が認定している朝鮮戦争休戦後の拉致被害者は485人になっている。

韓国家族会発足 

 1999年4月、5月2日に開催される拉致被害者救出のための国民大集会の準備を進めていた救う会に韓国から国際電話が入った。韓国の拉致被害者がその集会に参加することができないかという打診だった。それは願ってもないことで主催者として正式に招聘する、と返事した。
 そして3人の拉致家族が来日した。1987年ヨーロッパ旅行中に拉致された留学生・李宰煥氏の父李永旭氏と、同じく1987年に黄海で漁業操業中に北朝鮮に拿捕されそのまま抑留され続けている東進27号漁猟長・崔宗錫氏の妻金太女朱氏(女偏に朱)、娘崔祐英氏の2家族3人だった。前述の政治犯収容所リストの中に李宰煥氏、崔宗錫氏が入っていたため、この2家族は、この世の地獄といわれる政治犯収容所にいる拉致被害者の救出を関係機関へ陳情しマスコミと通じて訴え続けていた。その延長線上での来日だったのだ。
 ここで初めて、日本と韓国の拉致被害者が出会うのだ。崔祐英氏は帰国後、韓国でも拉致被害者家族会を作ろうと努力したが、支援者が全くなくマスコミの関心もあまりない中、作業は進まなかった。
 同年12月韓国ソウルで、第1回北朝鮮人権・難民問題国際会議が開催された。そこに私は日本人拉致救出運動を代表してオブザーバーとして参加した。北朝鮮の人権問題でさまざまの活動を展開する韓国の多くのNGOや研究者が集まったその会議でも、韓国人拉致に関してはまったく話がされなかった。しかし、そこに聴衆として参加した崔祐英氏を私が、やはり会議に参加していたNGO「北韓民主化ネットワーク」のメンバーと引き合わせ支援してくれることを依頼した。同NGOメンバーが積極的に支援する中、同年2月28日「拉北者家族会」(以下、韓国家族会)がソウルで17人の家族の参加を得て発足した。
 そこで家族会は「太陽は私たちにも切実に必要です」と題する嘆願書を金大中大統領宛に送った。以下その主要部分を翻訳引用する(『月刊Keys』第2号から翻訳)

政府は彼らの問題に対しては沈黙で一貫したまま政府次元での対応を考慮していません。(略)その上、政府の力が強かった時代には、拉致被害者家族は公安機関に連行され「自分の意志で北朝鮮に入ったのではないか」という疑いを受け弾圧まで受けてきました。言葉にできない彼らの絶叫を政府は本当に知らないと言うのですか。
 近い日本の例をとっても彼らは自国民の拉致事件に関して始終一貫して政府の力で圧力に対応しています。朝日修交交渉など朝日関係で拉致問題が優先的に扱われていることを見るとき、私たちは本当にうらやましく感じました。(略)
 私たちも太陽政策の恩恵を受ける者となりたいです。飾り立てて形式的なものでなく真に影となっている場所にいる、分断によってもっとも大きな痛みを覚えている離散家族たちの痛みを癒してくれるそのような太陽の光を受けたいのです。

 日本の運動が刺激になっていることが分かる。韓国家族会の設立総会に寄せられた韓国・MBCテレビのディレクターの手紙にも日本の運動に関する次のような記述があった。
「取材にために日本に行ったとき、私は日本の家族の活発な活動よりも彼らが活発に政府に対して強い批判をなし、また日本政府でも彼らの声に耳を傾け聞いてくれるという事実に大きく感銘を受けたところです。人間に関することを数字で軽重を計ることはできませんが、日本の拉致被害者は10余名から60余名までと推定されていますが、我が国は確認された人だけでも450名を超えています。それなのに、我が国政府は何をしましたか」。
 この2000年は、6月に南北首脳会談が実現した年だが、それに向かって韓国家族会は運動を盛り上げていく。3月15日に第2回の家族会会合を持つ。そこに私を含む日本人救出運動関係者3人が参加し、日本における拉致被害者救出運動の現状について報告した。
 同年4月18日に、ソウルで韓日共同記者会見が持たれた。韓国側は崔祐英氏ら韓国家族会会員が、日本側は荒木和博・救う会事務局長(当時)と北朝鮮に拉致された日本人を救出するための地方議員の会役員の6議員が参加した。その席で、韓国家族会は南北首脳会談に臨む韓国大統領に対して「大韓民国元首が北に行くのですから北にいる大韓民国国民を連れて帰って下さい」という声明書を発表した。また日韓の共同声明も出された。
 つづいて、4月30日、東京で開催された第2回北朝鮮に拉致された日本人を救出する第2回国民大集会に韓国家族会から崔祐英氏と李延順氏が参加した。崔氏は前年に引き続いての参加だが、李氏はご主人の安承運宣教師が1995年中国延辺地域を拠点として北朝鮮に布教活動中に拉致されている。


南北首脳会談での金大中大統領の裏切り 

 5月10日には統一部が入居している政府庁舎ビル前で、「南北首脳会談で拉致問題を主要議題として採択することを求める街頭集会」を開催した。雨の降る中、家族らは横断幕の前に被害者の写真を持って立ち、統一部に向かって訴えた。5月26日には史上初めて統一部長官と家族との面談が実現した。そこで、崔祐英・韓国家族会代表は「我々の要求事項」を長官に手渡した。その第1項は先の集会の要求と同じく、拉致問題を首脳会談の議題とせよというものだった。
 しかし、6月13日から15日、平壌で開催された金大中と金正日の南北首脳会談では拉致問題は議題に取り上げられなかった。実は金大中大統領は首脳会談において韓国と日本の拉致救出運動に対して2つの重大な裏切りを働いたのだ。
 第1の裏切りは韓国人拉致被害者へのものだ。当初韓国政府は非転向工作員の送還を、韓国人拉致被害者と韓国軍捕虜との交換条件で解決する方針だった。例えば、金大中大統領は99年3月24日統一部国政改革報告会議で「最近釈放された南派工作員も北朝鮮に送る用意がある。同時に北朝鮮も韓国軍捕虜、拉致被害者などについて措置がなければならない。人道的立場から南北の間で合意があることを望む」(青瓦台ホームページ)と訓示している。
 しかし、2000年6月に出された南北共同宣言第3項では「南北は今年の8月15日に際して、離散家族・親戚訪問団を交換し、非転向長期囚問題を解決するなど人道的問題を早急に解決していくことにした」とされた。ここには金正日の強い希望で、非転向の北朝鮮工作員を送還するという約束が入った反面、韓国人拉致問題はまったく言及されなかった。
 第2の裏切りは友好国日本に対するものだ。韓国政府は共同宣言第3項に従い、2000年9月2日、63人の北朝鮮工作員を北朝鮮に帰した。その中には、1980年大阪の中華料理コック原敕晁さんを拉致し、原さんになりすまして工作活動を展開していた辛光洙が含まれていた。これは、北朝鮮の憎むべきテロ行為に金大中政権が加担したことを意味するもので、日韓の友好関係に対する裏切りである。
 韓国の法律では辛光洙は韓国国籍者であり、その人間が北朝鮮に入る場合は韓国政府の特別な許可が必要だ。本人の希望だけでは北朝鮮に入ることはできない。韓国政府は「非転向長期囚」の北朝鮮送還は6月15日の南北共同宣言で金大中大統領が約束したことだとしている。
 しかし、南北共同宣言には送還されるべき「長期囚」のリストは明記されておらず、辛光洙をその中に入れたのは、韓国金大中政権の選択だ。一方、北朝鮮は辛光洙について、北朝鮮の人間ではなく韓国当局がでっち上げた人物だと次のように主張している。「われわれと総聯とは何の関係のない人物である」(『労働新聞』昭和60年(1985)7月2日、『民主朝鮮』同年7月3日)、「一から十まで事実無根であり、事件は韓国当局によるでっちあげ」(同年6月28日在日朝鮮総聯社会局長声明・『週刊朝日』1985年7月12日号からの引用)。韓国金大中政権は、北朝鮮が「われわれとは関係ない」と明言している辛光洙をわざわざ送還リストの入れることにより、日本人拉致事件の解明を意図的に妨害しようとしていると言わざるを得ない。


韓国家族会の活動で盛り上がる世論 


 韓国家族会は2000年8月27日、北朝鮮への送還を前にした非転向工作員シン・イニョン、李キョンチャンらを訪ね拉致被害者の名簿を渡して生死確認を要請した。それに対して非転向工作員らは「北には強制拉致された人間はいないのでどうして拉致被害者という言葉を使うのか」「拉致被害者はおらず、(北朝鮮が)好きで北にいるのではないか」とうそぶいたという。
 韓国家族会は8月15日、離散家族再会の現場のホテル入り口でプラカードを持ってアピールしたり、9月2日非転向工作員らが北朝鮮に送還されるとき、「なぜ一方的に韓国で捕まった北朝鮮工作員を帰し、北朝鮮が拉致した韓国人被害者は帰ってこないのか」と訴えるなどの活動を展開した。これらの活動は、韓国のテレビ新聞に大きく取り上げられ、拉致問題に関する韓国世論の関心は大きく高まった。
 その結果、金大中大統領も9月3日、テレビ記者会見で次のように明確に拉致問題の存在を認め、解決への努力を約束した。

▲質問・昨日、韓国政府は南北共同宣言にしたがって非転向長期囚63人を北に送りました。したがって、北側でも人道主義と相互主義に立脚して私たちの拉致被害者と韓国軍捕虜を送ってくれなければならないという話があります。これについて大統領はどう考えますか。
▲金大中大統領・北朝鮮の立場からはいま韓国軍捕虜はいないという主張です。なぜならば、53年の休戦の時、捕虜交換を全部したではないか、このような立場で、拉致はそのようなことはないというのですが、しかし実際私たちがいろいろな情報とすべてのものをして判断し把握したところでは韓国軍捕虜が約3?4百名把握されていて、また拉致被害者もその程度の数、それで全部合わせて7?8百名が把握されています。大部分あちらで結婚し家族をなして暮らしています。私たちはこの問題を必ず解決しなければならない、とにかくどのような形態でもお互い南側にいる家族と生死の消息を伝え面会もして、そして必ず必要な人は再結合もし、このようなやり方で問題を推進していくのですが、この問題はことの成果のため当分の間は水面下で接触をもっと進展させなければならない、そのように考えています。この前も韓国軍捕虜と拉致被害者家族がホテルの前で慟哭するのを見て、本当にその時も胸が張り裂ける思いでした。今回私たちが非転向長期囚を送り返しましたが、それも韓国軍捕虜や拉致被害者についての問題を解決するのに助けになるはずです。また、その問題について言いたいのは、韓国は人権国家ですからこれができるのです。あのような人たちを私
たちがここで捕まえておいてここで死ぬようにさせることよりは故郷に行き家族とも会い、そこで骨を埋めてもよいと送ったことは、全世界が韓国の人権国家としての面目を今日、確認するようになるのだ、そう考えています。

 この金大中大統領の談話で強く気になるのは、被害者への同情や大韓民国大統領としての救出への決意でなく、「北朝鮮の立場からは………という主張です」という金正日の立場からの弁明から話を始めていることだ。


救出を提起しないことが韓国政府の方針 

 実は、韓国政府は拉致問題を北朝鮮に対して正面から提起しないという政策を南北共同宣言作成直後に定めていた。7月28日統一部が公表した『南北共同宣言条項別解説および主要懸案問題関連質疑、応答資料』には、「直接的に送還を要求することよりは広い意味での離散家族問題の範疇に入れて接近することがより現実的で合理的な解決策だ………今回の合意を契機に政府は韓国軍捕虜と拉致被害者問題が広い意味の離散家族問題の範疇で早急に解決されるべく最大限努力していく計画」(統一部のホームページ)と明確に書いている。無理やり拉致され数十年も故郷に帰れず家族にも連絡すらできない自国民被害者の送還を「直接要求しない」というのだ。自国民の人権よりも金正日の機嫌を優先する政策だ。
 その政策通り、韓国拉致被害者家族の中から2人が離散家族訪問団の一員として選ばれ、北朝鮮を訪問し被害者との面会を果たした。2000年11月30日?12月2日第2回離散家族相互訪問で、87年に拉致された東進27号乗組員・姜ヒグン氏と母親・金三礼氏が再会した。2001年2月16日?28日第3回離散家族相互訪問では69年にハイジャックされた大韓航空機の乗員・成宗姫氏と母親・李厚徳氏が再会した。この2件は両方とも拉致家族が個別に「離散家族訪問団」に参加したいと申請し、韓国政府が一般申請者とは別枠で選抜したことで実現したものだ。しかし、その面会は北朝鮮当局の監視監督の下に行われたため、被害者は拉致でなく自らの意志により北朝鮮で暮らしており金正日のおかげで幸せだと語っただけだ。
 南北首脳会談の結果、韓国で逮捕され有罪となって刑期を済ませた北朝鮮工作員は希望者全員が北朝鮮に帰ることができた。ところが、韓国の拉致被害者はたった2人が監視下で家族との再会を果たしただけだ。これが相互主義と言えるだろうか。人道主義の美名の下、金大中政権が一方的に金正日に譲歩を続けているということだ。

自力で脱北した拉致被害者を助けなかった韓国外交官

 もう一つ、金大中政権が韓国人拉致被害者救出に真剣に取り組んでいないことを証明する事件が首脳会談の直前にあった。前記のごとく2000年3月15日、韓国家族会は第2回会合をソウルで開きそこに私も参加した。集会後、家族会幹部らと夕食をとっていたとき、事務所に次のような電話があった。「自分は中国で宣教活動をしている韓国人宣教師だが一時帰国している。中国に自力で脱出してきた北朝鮮に拉致された漁船員に会った。韓国大使館は彼を助けようとしない。困った彼が私に助けを求めてきた。帰国して関係機関に相談したところ、家族会ができて活動中と聞いて連絡した」
 この連絡を受けた韓国家族会は、詳しく事情を聞いたところ、中国で身を隠しながら助けを求めているのは、1970年4月29日黄海で北朝鮮警備艇に拿捕された漁船ポンサン22号の船員・李在根氏と判明した。李氏は韓国政府が作成した拉致被害者名簿に入っている拉致被害者であった。
 韓国家族会は韓国大使館が協力を拒否しているという状況下で、自分たちだけでは救出は困難と考え、マスコミとチームを組んで救出に当たるという作戦を立てた。まず、映像が必要と考え、ちょうど拉致家族の番組を作るために取材中だった洪性X(サンズイに秦)・「大田放送」プロデューサーとカメラマンを、それから、活字メディアではこの間、中朝国境地域で北朝鮮難民の取材を豊富に行てきた金容三・『月刊朝鮮』記者を参加させた。韓国家族会からは、崔成龍氏が加わり、拉致被害者救出チームが結成された。彼らは中国に飛び、4月20日キリスト教関係者にかくまわれていた李氏と会った。
 チームの目の前で李氏は青島韓国領事館に電話した。

李「なんとか国へ帰れませんか」
担当官「兄弟が見捨てたあなたのような人を、どうやって国が面倒を見るんですか?」李「私の兄は労働者なのに、息子二人を大学へやり、また三人の娘も高校を卒業させて嫁にやったから、蓄えを使い果たしたのです。いまは年老いて引退していて、金がないので呼び寄せられないと兄は私に弁解しているのです。仕方がないから、こうし
てあなたにお願いしているのですよ」担当官「あなたも話の分からない人ですね。兄弟の力を借りて韓国に行く手段を講じるべきでしょう。なぜ国家に面倒をかけるのですか。あなた、大韓民国に税金を払っていますか?」(李在根著・河合聡訳『北朝鮮に拉致された男』河出書房新社)

 韓国外交官が、拉致された自国民の保護を公然と拒否しているのだ。
 この電話に至るまで、李氏と韓国大使館・領事館の間でも次のような驚くべきやりとりがあった。
 1998年、このままではみな餓死すると判断した李氏は北朝鮮で結婚した妻と息子をまず中国に逃がしそのあと自分も脱出した。家族と合流した李氏は1998年10月5日北京の韓国大使館に電話をかけ、自分は拉致された韓国国民で中国まで逃げてきたから韓国に連れていってくれと願ったところ、事情を聞いた北朝鮮担当官とい
う人物は一方的に電話を切ってしまった。翌99年4月1日青島の韓国領事館を直接訪問し救出を訴えたところ、本国に電話するから待てといわれ500元の「車代」を渡されて追い払われ、その後3回電話したが「韓国政府から返事がないから待て」という返事ばかりを聞かされたという。99年12月には事情を知って一時帰国した韓国
人宣教師が韓国から電話で「国家情報院に話を付けたから瀋陽の韓国総領事館にいって経緯を告げよ」と連絡を受け、行ってみると、「いまは韓国へ行けないから、帰りなさい」と一言の下で拒絶された。
 困り切った韓国人宣教師が結成されたばかりの韓国家族会に電話をしてきたのが先に書いた2000年3月だったのだ。
 救出チームは先の電話のやりとりを録音したテープを持って北京の韓国大使館を訪れ、李氏救出を迫った。その結果、2000年4月27日、在中韓国大使館は李氏とその妻、息子に韓国国民であることを証明する旅行証明書を発給した。
 しかし、韓国政府は李氏をすぐ韓国に帰国させなかった。李氏らはそれから約3カ月近く、韓国国家情報院の指示で中国内に潜伏生活をさせられ、7月23日になってやっと韓国に帰国できた。南北首脳会談前に李氏が帰国し、拉致を実行した北朝鮮と李氏らを約2年間助けなかった韓国政府への批判が高まることを怖れての処置だった。
 現場取材した大田放送と月刊朝鮮に対しても、まだ中国に李氏らが潜伏しているのだから安全のために報道を控えるようにと要請し、首脳会談前の報道を抑えようとした。『月刊朝鮮』はそれでも、母体新聞である『朝鮮日報』に情報を流して首脳会談前の6月3日に同紙が第一報を伝えた。『月刊朝鮮』は首脳会談終了後発行の7月号
で金容三「拉致漁夫李在根氏、30年ぶりの生還記」(『正論』2000年11月号に訳載)
を掲載し李在根氏救出を大きく伝えた。

朝鮮戦争中の拉致被害者家族会発足 


 本章冒頭で書いたように、実は韓国人拉致被害者は2つのグループに分類される。第1は、朝鮮戦争時、北朝鮮の軍や政治警察などによって拉致された民間人である。韓国政府が戦中の1952年に作成した『6・25事変 被拉致者名簿』によると、
8万2,959人の民間人が拉致され、その大多数がいまだに生死確認もできずにいる。
第2が休戦後の拉致である。
 戦中拉致被害者問題は1952年1月第66回休戦会談で国連軍によって提起されたが、北朝鮮側は「拉致被害者はただの一人もいない」というでっち上げの主張を繰り返すのみだった。
 休戦協定成立直後の1953年と1954年に、当時結成されていた「拉致者家族会」が、拉致被害者救出大会を開き、国際赤十字社に訴えるなどの活動を展開した。1956年大韓赤十字社が国際赤十字社の仲裁の下、「失郷私民」という名称で消息の問い合わせをしたところ、1957年北朝鮮赤十字社から337人の消息に関する回答を受けた。これ以降、北朝鮮は一切消息を伝えていない。
 1964年には朝鮮日報が主体になって拉致被害者送還のための100万人署名運動が行われ、朴正熙大統領をはじめとして全国から集められた署名簿を同年12月11日、国連人権委員会に提出した。
 その後、この問題は次第に忘れられ、「拉致者家族会」も活動を停止し事実上、救出運動は姿を消した。
 戦中拉致の被害者家族は、2000年2月以降の戦後の拉致家族会の活動を関心深くみつめていた。しかし、マスコミ報道でも政府答弁でも一切、戦中の拉致については言及がなかった。特に、先に見た金大中大統領が9月3日、テレビ記者会見で「韓国軍捕虜が約3?4百名把握されていて、また拉致被害者もその程度の数、それで全
部合わせて7?8百名が把握されています。」と発言したことに強い衝撃を受けた。
戦中拉致がまったく無視しされていたからだ。
 自分たちが立ち上がって声をあげなければと考えた、戦中拉致被害者家族が、2000年11月30日に集まり、「韓国戦争拉致人士家族協議会」(以下、戦中家族会)を結成した。理事長には李美一氏が就任した。
 李美一理事長は父親が拉致された状況について次のように証言している。

 私の父は、ソウルで鍮器工場を営む事業家でした。韓国戦争前に西北青年団(保守派青年組織・西岡補)に加入したのです。当時は政局が不安定で、国の一角の青年た
ちは青年団に加入していました。父も事業家でしたので、当然加入していましたし、資金もある程度提供していたようです。また、工場の従業員も相当数が青年団員だったようです。
 ところが、1950年6月北朝鮮軍が南下してきてソウルを占領し、北朝鮮政治保衛部員が家に来て、青年団のことを調査するといい、父を連行していきました。そのときはすぐ返してやるといい内務署(警察署)に連れていきました。当時、父は半ズボンにゴム靴姿でした。翌日になっても戻らないので母が内務署を訪ねると、もっと
調べることがあって政治保衛部に連れていかれたというのです。そちらを母が訪ねると、バリケードがあって中に入れずそのまま生き別れになった。
 同年9月国連軍がソウルを取り戻した後、母は刑務所、内務署、政治保衛部など退却した北朝鮮軍が殺害した死体があるところを回って父を捜しましたが、幸か不幸か父の痕跡を見つけることはできなかったのです。
 母は父に会うまで髪を切らないと言って、今でも髪を長く伸ばしています。あまり長くなると切っては束にし、家においています。いつか父が帰ってきたら、私はあなたをこんなに待っていたと見せるのだと言って…。


 結成後の戦中家族会は資料収集、実体験級、政府、国民への訴えなど精力的に活動を続けている。2001年9月の第3回国民大集会に参加して以来、日本の家族会・救う会とも緊密な連帯を保っている。
 戦中家族会の活動で大きな功績は、1952年10月韓国政府が作成した『6・25事変 被拉致者名簿』を国立中央図書館で発見したことだ。 実は、韓国政府は戦中家族会の問い合わせに対して、戦中拉致者の資料はどこにあるか分からないなどと答えていた。2002年末にある蔵書家から、広報処統計局発行の『ソウル特別市被拉致者名簿』を購入し、記者会見で公開した。すると、ある入会希望の家族が拉致被害者家族であることを証明する資料として見たことのない名簿のコピーを持参した。きくと、国立中央図書館に行って、「ここに戦中拉致被害者の名簿があるはずだ、出せ」と大声を上げて要求しつづけたら、書庫から5冊の名簿が出てきたという。そこで、急いで確認すると、分厚い4冊の名簿と追加分が1冊の合計5冊の韓国政府発行『6・25事変 被拉致者名簿』が保管されていたというのだ。
こうして50年間誰も捜すことがなく書庫で眠っていた拉致被害者名簿が、世の中に姿を現した。
 戦中家族会はそのデータを自分たちの力でコンピューのターデーターベース化した。
2003年7月、月刊朝鮮社と共同で『拉致被害者8万2959人名簿』として出版した。
名簿が出版されると、多くの戦中拉致家族が月刊朝鮮編集部を訪れた。その結果、戦中に拉致された多くの被害者の名前がこの名簿にないことが判明した。戦中家族会ではこの事実などから、戦中の拉致被害者は10万人を超すものと考えている。
 しかし、金大中政権、盧武鉉政権は戦中拉致被害者について、まったく何の対策もなく、放置している。


家族会の被害者救出事業 


 2000年後半に朝鮮戦争休戦後の拉致被害者家族の団体が分裂した。「拉北者家族会」は李在根氏救出にあたった崔成龍氏が代表になった。崔成龍氏が李在根氏を救出したという情報が、自力で中国に脱出し隠れている韓国人拉致被害者のところに伝わり、崔代表のところには救出を求める手紙やテープなどが人づてで届けられた。2000年9月には崔成龍氏が斡旋し中国で拉致被害者・李成一氏が兄と姉に再会した。李成一氏は1967年漁船で操業中に拉致された被害者で、韓国政府作成名簿に入っている。李氏は北朝鮮に残した息子らを連れてくると言い残し北朝鮮に戻り、翌2001年5月に「遺骨を故郷に埋めてくれ」といい残し病死した。
 2001年には拉致被害者・陳正八氏が中国の隠れ家で書いた手紙が人づてに崔成龍氏のところに届く。陳正八氏は1967年4月黄海に漁船で操業中に拉致された拉致被害者で、自力で中国に脱出していた。やはり韓国政府作成名簿に入っている。崔氏が陳氏の家族を捜し出し、国際電話で通話をさせる一方、韓国政府に救助を要請した。しか
し、韓国政府は陳氏救出に消極的で、そこで崔氏は金演光・『月刊朝鮮』記者の同行を得て中国に向かった。某所に潜伏中の陳氏と合流した崔氏らは国際電話で韓国政府と交渉して数日後、やっと韓国外交官に陳氏を引き渡し、保護を求めることができた。
 崔成龍氏は陳氏以外にも救出を求める拉致被害者がいるとして「政府が拉致被害者を帰還させるという断固たる意志だけがあれば、今すぐでも10名の拉致被害者を韓国に連れてこられるのだ」と語っている(『月刊朝鮮』2001年12月号)。
 また、分裂したもう一つの韓国家族組織は「拉北家族協議会」で、会長は最初に韓国家族会を立て上げた崔祐英氏だ。崔祐英氏は2001年5月、日本人拉致被害者家族らと一緒にジュネーブの国連人権委員会を訪れ、日韓拉致被害者の救出を要請した。崔祐英会長は2005年4月の第7回国民大集会まで毎回の国民大集会に参加しつづけ
日韓連帯を確認している。
 2002年1月16日「拉北家族協議会」は崔祐英会長を初めとする家族26人の名義で韓国政府を相手に憲法上の「国民の生命と自由を保護する義務」をないがしろにしたとして損害賠償訴訟を提起した。
 2002年9月、1審判決で韓国家族会は敗訴した。その判決文を見ると、金大中政権の太陽政策を賞賛する一方、拉致問題を金正日政権に提起しなかったことにより「貪小大失の過ちを犯さなかった」と、むしろ拉致問題を取り上げなかったことを肯定的に評価している。自国民保護が「小」でありテロ政権を支援することが「大」だと裁
判所が公言しているのだ。韓国家族会はこの判決に憤慨しているが、韓国内ではマスコミ報道もほとんどなく、家族の怒りは全く無視されたままだ。
 2004年に米国議会が全会一致で成立させた北朝鮮人権法には、日本人拉致と並んで韓国人拉致が明記されている。同法の規定によると、米政府は日本人拉致、韓国人拉致が解決するまで人道レベル以外の北朝鮮経済支援をすることが禁じられている。
ところが、韓国の与党国会議員らは、北朝鮮人権法に反対する書簡を米議会に送るなど、韓国人拉致解決に逆行する行動を取り、韓国家族会から厳しい批判を受けた。議員らもマスコミ関係者も同法に韓国人拉致問題が書き込まれている事実自体をほとんど知らなかった。
 盧武鉉政権の反米親金正日路線を激しく批判する保守勢力は、韓国人拉致問題を自国民保護という観点から韓国政府が最優先で取り組むべき課題と考え、2003年以来、ソウルなどの街頭で行われている反北朝鮮親米大集会で、帰国した拉致被害者や家族会幹部に訴えをさせるなどして、積極的に取り組んでいる。

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2006年5月14日 (日)

六団体による 北朝鮮に関する人権法案に対する要望書

(要請書の全文)

        北朝鮮に関する人権法案に対する要望

 北朝鮮では多数の人々がはなはだしく人権を蹂躙されているばかりか、日本、韓国、レバノン、タイ、中国をはじめとする12カ国にも及ぶ人々が拉致されるなど、金正日政権による人権侵害は、世界で最悪のもとなっている。

 一昨年、米国では北朝鮮人権法が制定され、昨年はブッシュ大統領が脱北者姜哲煥氏と面会し、北朝鮮の収容所の実態と脱北者救出の要請を受け、12月には国連総会本会議で北朝鮮の人権侵害に対する批判決議が採択された。今年4月にはブッシュ大統領が横田早紀江さんなど拉致被害者家族と脱北者に面会し、拉致問題へも強い関心を表明した。また、米国のレフコウィッツ北朝鮮人権担当特使は、中国が脱北者を「不法入国者」として強制送還していることを「深刻な人権侵害」と批判し、脱北者を「難民」として実際に受け入れることを表明した。韓国においても、金英男さんのDNA鑑定を契機に拉致被害が再認識されつつあり、金正日政権の人権侵害に対する国際的な批判が高まっている。

 北朝鮮に大勢の人を拉致された私たちは、拉致がわが国民に対してなされた許しがたい人権侵害であると同時に、国民生活の安全を脅かすわが国への重大な主権侵害であることを自覚しなければならない。さらに私たちは、帰還事業で北朝鮮に渡っていった在日朝鮮人とその日本人配偶者の迫害など、北朝鮮の特異な独裁体制に起因する深刻な人権問題を抱えていることを忘れてはならない。

 近年、生活苦と迫害によって北朝鮮を脱出した人々が救助を求め、すでに8000人近い人が韓国に入国し、日本にも100人ほどが入国していると思われる。今後、金正日政権の政権維持能力によっては、政権の崩壊も予想される。そのような場合、一時的に大量の難民の発生も想定されるが、そのような事態の発生にも万全の体制を整え、一定の難民の保護を引き受ける覚悟をもって事に当たらねばならない。

 何よりも大切なことは、東アジアで拉致、誘拐、難民への虐待、強制収容所などの人権侵害を起こさせない国際関係を作りあげることが、東アジアの平和と民主主義と発展の基礎になるという認識を持つことである。

 私たちは、このような時に自由民主党と民主党からそれぞれ「北朝鮮人権法案」が国会に提出されたことを心から歓迎すると同時に、直接これらの課題に取り組んでいる者として下記の要望を提出し、必要かつ十分な、実効ある一つの最終案が形成されることを強く要望する次第である。

 具体的には、問題解決のこれ以上の引き延ばしを許さず、(1)金正日政権の国家犯罪に対する制裁を時期を失せず課することができるよう明記すること、(2)北朝鮮に拉致された疑いがある人たちの調査を積極的に行い、拉致認定の業務を迅速に行うこと、(3)日本に関係する北朝鮮難民(脱北者)を速やかに保護すること、(4)日本に戻った拉致被害者と脱北者について、心身の健康回復と新しい環境におけるメンタルケアに充分配慮し、社会生活の再建、自立を支援すること、(5)人道的立場から北朝鮮難民の保護に、国際的な連携を図りつつ、日本政府が積極的な役割を果たすこと、以上の5点を北朝鮮人権法の中に盛り込み、実施していくことを強く求める。
          2006年5月12日

特定失踪者問題調査会 代表 荒木和博
北朝鮮難民救援基金 事務局長 加藤 博
北朝鮮による拉致と人権問題にとりくむ法律家の会  代表 木村晋介・藤野義昭
北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会 代表 山田文明
北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 会長 佐藤勝巳
北朝鮮による拉致被害者家族連絡会 会長 横田 滋
(順不同)

調査会ニュースより

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2006年5月 7日 (日)

国民大集会のチラシ

国民大集会のチラシ全文を紹介します。

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小泉首相の決断と、

今年中に拉致被害者全員救出を求める国民大集会━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「遺骨」も「死亡確認書」もすべて捏造でした。にもかかわらず、「拉致問題は解決済み」と居直り、誠実な対応を示さない北朝鮮。これ以上北朝鮮との話合いは無駄です。圧力をかけない限り、金正日政権は国家犯罪を隠し続けることが誰の目にも明らかです。

米国は、北朝鮮によるドル札偽造で制裁を発動しました。4月に来日した北朝鮮代表は、「米国が制裁を解除しなければ6者協議に出ない」とし、その間に核兵器の増強を進めると居直りました。
これらは、制裁に効果があったが故の犯罪政権の捨て台詞です。この時、米国代表は北朝鮮との「対話」を拒否し、北朝鮮船舶に対し新たな制裁準備を始めました。

日本が今、米国と共に制裁を発動すれば、北朝鮮は対応せざるをえなくなります。日本人の人権と日本の主権を侵害し、拉致被害者をいつまでも返さない北朝鮮に対し、日本の国家意思を明確に示さねばなりません。そうでないと拉致問題だけが置き去りにされてしまいます。

北朝鮮に対しては、「圧力」をかけて「対話」すべきです。今こそ決断の時です。そして今年中に拉致被害者の全員救出を求めます。

  圧力なしでは解決しない!
【制裁】を発動して拉致被害者全員救出を! 

横田めぐみさんの夫が韓国人拉致被害者の金英男さんであるとの科学的鑑定結果が出ました。金日成・金正日政権は韓国人、日本人だけでなく、レバノン人、タイ人、ルーマニア人、中国人を拉致したことが明らかになっています。それだけでなく、マレーシア人、シンガポール人、フランス人、イタリア人、オランダ人、ヨルダン人が拉致されているとされ、それ以外の国からも拉致されている可能性があります。

その目的は、「対南工作」というもので、韓国を北朝鮮の支配下に置こうという独善的な考えに基づく犯罪行為です。そのために中・高校生を含む多数の人々の自由を奪い、多数の国の主権を侵すことを、金正日政権は犯罪とすら思っていないのです。

このような犯罪政権との間で、他の普通の国々と同じような交流を行う必要はありません。
一日も早く制裁をかけ、物、人、金の交流を断つべきです。国交正常化などもってのほかです。

政府は平成16年12月24日、「北朝鮮側が迅速かつ誠意ある対応を行わない場合、日本政府として、厳しい対応をとらざるを得ない」(細田官房長官)との立場を公表しました。ところが金正日政権は、依然として不誠実な対応を取り続けています。誰が見ても北朝鮮は「迅速かつ誠意ある対応」をしていないのに、政府は制裁二法を発動しようとしません。

北朝鮮に拉致された全ての拉致被害者を取り戻すという不退転の国家意思を示すこと抜きに、どうしてめぐみさんたちを取り戻せるのでしょうか。まず、北朝鮮との交流を断ち、圧力をかけた上で、韓国等とも連携し、拉致被害者を救出すべきです。

家族会・救う会は、今年中に拉致被害者を全員救出するとの強い決意をもって、制裁の発動を小泉首相に迫っていきます。
国民の皆様のご支援、ご協力、ご参加をお願いいたします。


島田洋一教授が米下院に提出した陳述書(和訳)
島田洋一教授が米下院に提出した陳述書(英文)
上記二文も参考にしてください。


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2006年5月 6日 (土)

島田洋一教授が米下院に提出した陳述書(和訳)

北朝鮮による外国人拉致について

教授・島田洋一
福井県立大学教授
救う会全国協議会副会長

2006年4月27日

米国下院 国際関係委員会アジア太平洋小委員会・国際人権小委員会共催「北朝鮮:人権最新状況と国際拉致」

少なくとも12カ国が関係している

  北朝鮮の拉致問題に関して、私の意見と情報を提供する貴重な機会を与えてくれることを委員長、および委員会の皆様に感謝する。
 日本政府は日本人11件計16人を公式に北朝鮮による拉致事件として認定している。この数字は、しかし、氷山の一角にすぎない。
 暴力的な誘拐の他にも、多くの人々が北朝鮮におびきだされ、拘束されていると思われる。
 正確な数字を出すことは困難だが、私は100人以上の日本人が拉致されたと推定している。
 これらの日本人被害者に加えて、おびただしい数の韓国人拉致被害者がおり、これについては後ほど韓国人の証言者が詳細に述べるだろう。
 北朝鮮亡命者は私に対し、1976年にキム・ジョンイルが北朝鮮のスパイ活動を向上させるため、外国人を組織的に利用するという極秘命令を出したことを教えてくれた。彼はこれを「スパイ教育のローカリゼーション(現地人化)」と呼んだ。北朝鮮による拉致は継続的に行われたが、拉致が加速して行われたのはこの命令の後である。
 1977年から1978年にかけて、13歳の横田めぐみを含めた少なくとも11人が拉致されている。
 5人の韓国人高校生も1977年から1978年にかけて拉致されている。
 4人のレバノン人女性も1978年に拉致されている。そのうち1人は、今も北朝鮮にいる。
 また、少なくとも2人の中国人女性と1人のタイ人女性が1978年の同じ日の夜に、北朝鮮によってマカオから拉致されたことが確認されている。彼女らは皆20代前半だった。
 米軍を脱走し、今は日本に住んでいるチャールズ・ロバート・ジェンキンスは、私に対し、ドナというルーマニア人女性もまた北朝鮮に拉致され、北朝鮮で暮らすことを強いられていることを伝えてくれた。
 レバノン人女性らは何とか北朝鮮から帰還した後に、北朝鮮のスパイ訓練場に送られ、一緒に講義の他、柔道、テコンドー、空手、盗聴技術等のトレーニングを受けていたと証言している。彼女らは、訓練場に3人のフランス人女性、3人のイタリア人女性、2人のオランダ人女性、その他の西洋人女性と中東の女性と見られる女性を含んだ28人の女性らがいたことを記憶している。(1979年11月9日、レバノンの新聞El・Naharより)
  1978年にシンガポールで拉致され,1986年なんとか脱出した有名な韓国人女優・Choi Un-heeは、北朝鮮でヨルダン人女性と一度短い会話を交わしたことがあると証言している。
 Choi Un-heeは、また、フランス人女性が外見の良い北朝鮮の男性によって拉致された話を耳にしており、北朝鮮工作員・キムヒョンヒも同様の話を記憶しておりこれを伝えている。
 このように、一連の北朝鮮による拉致によって影響を受けた国は12カ国にものぼる。日本、韓国、レバノン、中国、タイ、ルーマニア、フランス、イタリア、オランダ、ヨルダン、マレーシア、シンガポールである。
 これらの情報がより広く入手できるようになったことを受け、私は以下のことを強く提案したい。失踪者の友人、親族、政府は、もし北朝鮮が関与した可能性がわずかでもあるならば、それらの事件を北朝鮮の関与を考慮にいれて再調査すべきである。これは、特に1977年、1978年に失踪した10代および20代の人物にあてはまる。
  

拉致の目的

 日本人失踪者を取り返す活動を通じ、私は「なぜ北朝鮮は外国人を拉致するのか」との疑問を持った。過去の事例から、北朝鮮は以下の6つ理由のために拉致をしたと思われる。
 1 不幸にも北朝鮮工作員と遭遇した目撃者を排除するため
 2 被害者の身分を盗み浸透するため
 3 北朝鮮工作員に被害者の言語や習慣を教えさせるため
 4 洗脳し秘密工作員にするため
 5 被害者の特殊な技術等を利用するため
 6  脱走者や拉致被害者といった北朝鮮に住む特殊な外国人の配偶者にす    るため

 言うまでもなく、これらの6つのパターンは相互に相容れないものではなく、実際には多角的に利用している方がより一般的であろう。
 これらの目的のうち、1番は古くから一貫して実行されている。2番、3番、4番は上述した1976年のキム・ジョンイルの命令から生じたものであり、彼の言う「スパイ教育の現地人化」のためのものである。女優Choi Un-hee’sの事例は5番である。最後の6番は言わば、犯罪が新たな犯罪を生じさせた類型である。(訳者注:crime-generates-new-crime category of deedがうまく訳せなかった)

テロ放棄の証明としての拉致被害者の解放

 なぜ平壌が多くの拉致被害者を解放しないのかということを学ぶために、多くの努力が費やされてきた。横田めぐみや他の日本人拉致被害者については、彼らが地元の言葉や習慣を北朝鮮工作員に教えることを強いられてきたことが確認されている。
 そのため、もし彼らが解放されれば、彼らは日本や他の場所で活動している北朝鮮工作員を見分けることができる。
 私はこれが北朝鮮が被害者の解放を拒む理由だと考えている。
 言い換えれば、もし、北朝鮮がテロ訓練、すべての秘密工作、世界各地へのスリーパーの潜伏をやめる決定をするならば、そのとき,すべての教官、拉致された外国人を即座に解放できるはずである。
 北朝鮮が拉致被害者の解放を拒絶しているこの事実こそが、まさに北朝鮮がテロを放棄する意思のないことの確かな証拠なのである。
 私は北朝鮮に対するあらゆる経済援助により先に、核計画の検証可能な放棄を求めるアプローチはまったく正しいと思う。同様に、検証可能なテロの放棄もまた、あらゆる経済支援に先だって要求されるべきである。拉致被害者の解放は、テロの放棄に不可欠の要素である。つまり、拉致問題が未解決のまま残っている間は、我々は北朝鮮がそのテロ計画を放棄しないだろうと考えざるを得ないのである。我々はこのようにして行動すべきである。

北朝鮮に拉致された子供達

 横田めぐみは北朝鮮に13歳で拉致された唯一の日本人ではない。他にも13歳で拉致された日本の少年、寺越武志がいるのである。
 1963年、寺越武志は二人のおじらとともに漁船から失踪した。亡命者によれば、その漁船は日本の水域で北朝鮮工作船に衝突された。北朝鮮人達は目撃者を排除するため、日本人の漁師らを連れ去った。この事件は、1987年におじのひとりが日本の親類に手紙を送った時に北朝鮮による拉致事件だと確認された。
 武志の母親ははじめ彼の息子を取り返すため,他の被害者家族とともに活動していた。しかし、武志は北朝鮮に自分は拉致されたのではなく北朝鮮の船に救助され幸せに暮らしていると発言することを強制された。結果、母親の態度は変わり、彼女は今、日本政府に対し彼女の息子の名前を拉致被害者リストに加えないよう求めている。母親は平壌の武志のアパートをたびたび訪問することを許されている。彼女は明らかに北朝鮮当局と当局に将来の訪問を拒絶されることを恐れている。
 個人的には、日本政府はもっと前に武志と二人のおじを公式に拉致被害者として認定するべきであったと思う。北朝鮮にあやまったメッセージを送ってはいけないのである。
 北朝鮮の船が武志を救助したというのはばかげた話である。
もし、それが本当であったとしても、(もちろん本当ではないが)13歳の少年を救助したのにそれを両親に何十年も知らせないのは拉致にほかならない。(訳者注:ここの内容については自信がない)
 北朝鮮によって殺されたとされている武志のおじの3人の息子は家族会の活動的なメンバーであり、日本政府に対しこの事件を公式に拉致と認定するよう求めている。米国下院議会は北朝鮮による拉致事件を2005年7月11日の決議において、「テロ活動であり、人権に対する広範な侵害である」と非難しており、寺越武志の事例にも以下のとおり言及している。

 北朝鮮工作員は子供達を拉致し、自分の子供に何が起こったのか分からないまま暮らす両親に想像もつかない苦しみを与えた。寺越武志のケースでは、13歳の少年がふたりのおじとともに漁船から拉致された。

 この決議は我々をとても勇気づけてくれた。重ねて感謝を申し上げたい。
 私が指摘したように少なくとも5人の韓国人高校生もまた、北朝鮮に拉致されている。そして、日本人高校生の拉致が疑われる事例がいくつかある。私は個人的に、北朝鮮による拉致が日本人と韓国人だけであると限定することは間違いだと思う。

結婚の隠された目的:米国脱走兵と拉致された女性達

 1965年に北朝鮮に脱走した米軍軍曹・ジャールズ・ロバート・ジェンキンスは2004年に日本に帰還した後、以下のように証言している。彼は北朝鮮でのその厳しい生活を(訳者注:on an on-and-off basisは翻訳できず。おそらく頻繁に転々としながらとか入れ替わりなどとの意味ではないか)3人の脱走米兵、Pfc. James Joseph Dresnok (August 1962), Pvt. Larry Allen Abshier (May 1962), Cpl. Jerry Wayne Parrish (December 1963)らと過ごしていた。
 これらのアメリカ人脱走兵はすべて北朝鮮で外国人拉致被害者と結婚していた。
 日本から拉致されたときまだ若かった曽我ひとみはジェンキンスと結婚した。彼女は、今日本で勉強に打ち込みキャンパスライフを満喫している2人の娘を産んだが、ひとみとともに拉致された母親はいまだ行方不明である。北朝鮮は彼女の母親が入国した記録はなく彼女の母親については何も知らないと主張している。彼らの主張にはまったく信憑性がない。ひとみは彼女自身が拉致被害者でありながら、また、被害者の娘でもある。
 Siham Shraitehは1978年,日本での偽りの仕事のオファーによってだまされ、北朝鮮に連れてこられた。彼女はParrishと結婚し、3人の息子をもうけ、3人の息子は今も北朝鮮で生活しているが、パッリシュは1997年8月死亡した。
 1978年マカオから拉致されたアノーチャ・パンジョイはアブシャーと結婚したが、アブシャーは1983年に死亡した。
 数年後、アノーチャはジェンキンスに対しドイツ人男性と結婚するところであると語っている。これがジェンキンスのアノーチャに関する最後の目撃証言である。
 ルーマニア人女性・ドナはドレスノクと結婚した。ドナは死ぬ前、ジェンキンスに以下の話を伝えた。
 彼女の母親はロシア人で父親はルーマニア軍の幹部であった。彼女は一度あるイタリア人と結婚して離婚した後、離婚手当を用いてイタリアの芸術学校に入学した。
 その後、他のイタリア人男性が彼女に近づき、彼女に対しソロエキシビジョンの仕事をするため、ロシアと北朝鮮経由で香港に行くことを要求した。彼女は北朝鮮に取り残され、イタリア人男性はいなくなった。ドナは1997年に肺ガンで死んだ。彼女が土葬しないでほしいと求めていたため、ドレスノクは彼女の遺体を火葬した。ドレスノクは Danaという北朝鮮とトーゴとのハーフと再婚した。ジェンキンスはまた、北朝鮮のスパイ組織のリーダーがおそらく外国人カップルの子供を利用しようと考えていること、混血の子供達を秘密工作員として、特に混血がめずらしくない米国外の米軍基地周辺で利用しようとしているだろうと発言した。
 ジェンキンスは、北朝鮮当局が彼の娘を平壌外国語大学に入学させるよう指示したとき、落胆した。ご存じかも知れないが、1987年のコリアンエアラインの爆破犯人、キム・ヒョンヒはこの大学の在学中に北朝鮮当局に秘密工作員として選抜された。
 このことや他の証拠から、北朝鮮に拉致された女性は二重の苦しみを受ける。ひとつめは、自国における若い人生が拉致によって突然台無しにされることである。ふたつめは、被害者である彼女らは母親となり、その子供達は彼女らの憎む北朝鮮の秘密工作員となることである。

北京は救出の努力を妨害している

 北京は国連難民条約の加盟国でありながらこれを破り、不幸な北朝鮮難民を狩り続け、キム・ジョンイルの拷問官のもとへ送り返している。送り返された者達の中には、拉致された外国人や彼らの家族、拉致被害者の居場所について有用な情報を持っていた者達もいたにちがいないし、将来もその可能性がある。
 そのため、私は中国当局が拉致被害者を取り返すという我々の努力を組織的に妨害していると言わなければならない。
 さらに、北京は自国の拉致被害者を取り返すため何の努力もしていないようである。ある例を紹介させてほしい。
 ともにマカオの住人で20歳のHong Leng-iengと22歳のSo Mio-chunは1978年7月2日、北朝鮮工作員に拉致された。マカオはそのときポルトガルの植民地であったが、1999年に北京に返還されている。ゆえに二人の拉致被害者は今は中国の国民である。彼らの家族も中国の国民である。
 私と私の仲間達は様々な証言からこの事件を拉致と確認した。例えば、韓国人女優・Choi Un-heeは1978年1月に香港から拉致され1986年脱出しているが、彼女は平壌にあるいわゆるゲストハウスで一時期Hong Leng-iengと暮らしていたと証言している。
 Choi Un-heeはHong Leng-iengのクリスチャンネームがマリアであったことを憶えていた。我々はHong Leng-iengの家族にこの名前について確認した。家族らは彼女がカトリックの洗礼を受けたことは知っていたが、彼女のクリスチャンネームは知らなかった。彼らは彼女の所属していた教会に赴き、彼女の洗礼名が実際にマリアであることを発見した。
 Choi Un-hee はHongが平壌で中国語を教えることを強制されていると語った。
 我々の組織は東京の中国大使館のスタッフにこれらの市民の状態を知らせようとしたが、彼らは面会を拒絶した。ゆえに、我々は文書を中国大使館に郵送した。返事はまったくなく、彼らはただ我々を無視している。
 北京はただ、難民を北朝鮮に送り返して外国人拉致被害者の救出を妨害しているだけではなく、冷血にも北朝鮮に拘留されている自国民を見捨てている。 このような政権にはたしてオリンピックを開催する資格があるだろうか。もし、世界が脱北者狩りを公式なスポーツに採用するほどに堕落してしまうのなら、中国はそのイベントを開催するもっともふさわしい場所といえよう。そして、疑いなく中国チームは金メダルに輝くだろう。
 しかし、私の中の良識は私に北朝鮮難民を狩り続ける限り、北京はオリンピックを開催するにふさわしい場所ではないと言うのである。
 北朝鮮について言及すると、北朝鮮は生きることはできず、されど去ることもできないところと言われており,それはまさに地獄の定義そのものである。(訳者注:うまく翻訳できず,LIVE(生きる)とLEAVE(去る)をかけた皮肉?)そのとおり、そして北京は地獄の協力者である。中国共産主義者のリーダーは自分自身を恥じるべきである。

経済制裁による体制変更

 私は体制変更こそが拉致問題解決のため、さらに言えば核問題、ミサイル問題解決のための唯一の方法だと考えている。無責任かつ中途半端な手段は役に立たない。ゆえに問題はいかに体制を変更するかなのである。
 勝利するために近道はありえない。私の考えでは、経済圧力が鍵となるだろう。これについては平壌だけではなく、北京にも圧力をかけるべきである。
 このために、昨年9月アメリカが実行した金融制裁は正しい動きである。この制裁は他にも北朝鮮と協力している中国の銀行も標的にしている。私は米国がこれらの手段をさらに拡大し、他の国も米国に続くことを望んでいる。
 日本政府は安倍晋三官房長官の強力なリーダーシップの下、最近北朝鮮に対して様々な手法を用いて圧力を強化している。これはとても心強いことである。
 2年前、日本の国会は2つの重要な法案を可決した。ひとつは改正外国為替及び外国貿易法で、この法律は政府に対し、日本の安全と平和のために必要と判断した場合には、政府が貿易や送金を停止することができるようにしたものである。
 ふたつめは政府に対し、特定の船舶の日本への入港を阻止することを認める法律である。日本はいまや首相の決断さえあれば、北朝鮮の船舶だけではなく、中国の船や日本籍の船であっても、北朝鮮の港に入港した船を入港禁止にできるのである。
 個人的には、この強力な道具の適用が長い間延期されすぎていると思う。今こそが、全面的な経済圧力の時なのである。
 私にキム・ジョンイルへのメッセージはあるだろうか。いや私にはない。彼には希望はない。私はただ彼にできるだけ早く歴史の灰だまりのなかにおちてほしいと望むだけである。
 しかし、私は彼の周囲の人たちにはメッセージがある。キム・キョンイルを抹殺して拉致被害者及び家族、友人の自由と安全を保証してほしい。すなわち、キム・ジョンイルと取り巻き以外のすべての人たちである。そのとき、北朝鮮は制裁を解除され世界中から多くの資金援助を受けられることだろう。
 ありがとうございました。

陳述書英文


電脳補完禄さんより転載

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島田洋一教授が米下院に提出した陳述書

救う会副会長の島田洋一福井県立大教授が米下院に提出した陳述書

At Least 12 Countries Affected

Mr. Chairman and Committee Members, thank you for giving me this precious opportunity to share my information and views on the North Korean abduction issue.
The Japanese government has officially recognized 11 cases involving 16 Japanese nationals who were abducted by North Korea. This figure, however, is just the tip of the iceberg.
Along with violent kidnap, a number of people seem to have been lured to North Korea and then held. Although it’s hard to be certain, I estimate that over one hundred Japanese have been abducted.
In addition to these Japanese victims, there are numerous South Korean abductees, on whom Korean witnesses before this committee will later elaborate.
North Korean defectors have told us that in 1976 Kim Jong-il issued a secret order to use foreign nationals more systematically and thereby improve the quality of North Korean spy activities. He dubbed it “localization of spy education.” Although abduction had been conducted consistently by the North, it was after this order that the kidnap operation went into high gear.
At least eleven Japanese, including thirteen-year-old Megumi Yokota, were abducted in 1977 and 1978. Five South Korean high school students were also abducted in 1977 and 1978.
Four young Lebanese women were also kidnapped in 1978. One of them is still being held in North Korea.
It was also confirmed that at least two Chinese women and one Thai woman were abducted by North Korea from Macau on the same night in 1978. All of them were in their early 20s.
U.S. Army deserter Charles Robert Jenkins, who is now living in Japan, told us a Romanian woman named Dona was also kidnapped and forced to live in North Korea.
The Lebanese women, after having managed to escape, testified that they had been sent to a North Korean spy camp and given indoctrination lectures together with physical training, including Judo, Taekwondo, Karate, and eavesdropping exercises, among others. They recalled there had been 28 young female trainees in the camp, including three French, three Italians, two Hollanders, and other Western European and Middle Eastern looking women (Lebanese newspaper, El Nahar, November 9, 1979).
The renowned South Korean actress Choi Un-hee, who was abducted from Hong Kong in January 1978 and managed to escape in 1986, testified that in North Korea she had once exchanged brief words with a Jordanian woman.
Ms. Choi Un-hee also had heard about a French abductee lured by a “good-looking North Korean man.” North Korean ex-agent Kim Hyon-hee told a similar story in her memoirs.
There is a case of five missing young women from Singapore in August 1978, four Singaporeans and a Malaysian, in which North Korean involvement is also highly suspected. Ms. Choi Un-hee said she had heard about the presence of Malaysian abductees.
It appears therefore that the countries affected by the North Korean abduction apparatus amount to at least 12: Japan, South Korea, Lebanon, China, Thailand, Romania, France, Italy, Holland, Jordan, Malaysia, and Singapore.
As this information becomes more widely available, I strongly urge those concerned-- governments, relatives and friends of missing persons -- to reexamine their cases in light of the North Korean connection if there is even a remote chance of its involvement. This is especially true for cases from 1977 and 1978 in which the missing persons were in their twenties or teenagers.

Objectives of Abduction

In attempting to recover Japanese missing persons I have also considered the question“Why do North Koreans abduct foreign citizens?” Six patterns emerge from the past cases. North Korea appears to abduct foreign citizens in order to:

1,eliminate hapless witnesses who happened to run into North Korean agents in action
2,steal victims’ identities and infiltrate agents back into the countries concerned
3,force abductees to teach their local language and customs to North Korean agents
4,brainwash them into secret agents
5,utilize abductees’ expertise or special skills
6,use abductees as spouses for unusual residents in North Korea, especially to lone foreigners such as defectors or other abductees

Needless to say, these six patterns are not mutually exclusive. In fact,“multiple-utilization” may be rather common.
Among these objectives, the first is old one and was consistently performed practice. Numbers 2, 3, and 4 derive from Kim Jong-il’s above mentioned secret order in 1976, and contributed to his “localization of spy education.” Actress Choi Un-hee’s case falls into Number 5. The last, Number 6, is, so to speak, a crime-generates-new-crime category of deed.

Victim’s Release as “Verifiable Renunciation of Terrorism”

Considerable effort has been invested to learn why Pyongyang has not released most of its abduction victims. Megumi Yokota and other Japanese abductees have been confirmed to be forced to teach their own local language and customs to North Korean agents. So, if released, they would be able to identify Pyongyang's agents operating in Japan and elsewhere.
This I believe is the principal reason why North Korea is refusing to release them. In other words, if North Korea makes a decision to stop terrorist training and withdraw all secret operatives and sleeper cells hiding in various places in the world, then it could release all their teachers -- abducted foreigners -- at once. The very fact that North Korea refuses to release these abductees is a sure sign that it has no intention of abandoning terrorism.
I think it is exactly the right approach to demand verifiable dismantlement of nuclear programs as a prerequisite for any financial aid to North Korea. By the same token, the “verifiable renunciation of terrorism” should also be demanded as a prerequisite for any financial aid. The release of the abductees is an indispensable factor in this renunciation process.
In short, so long as the abduction issue remains unresolved, we cannot help but assume that North Korea will not abandon its terrorist programs. We should act accordingly.

Children Abducted by North Korea

Megumi Yokota is not the only 13-year-old child abducted by North Korea. There is another 13-year-old victim, a Japanese boy named Takeshi Terakoshi.
Takeshi disappeared from a fishing boat along with his two uncles in 1963. According to a defector, the fishing boat was rammed by a North Korean spy ship in Japanese waters. North Koreans carried off the three Japanese fishermen to eliminate witnesses.
The incident was confirmed as a North Korean abduction case when one of the uncles managed to send a letter to Japanese relatives in 1987.
Takeshi's mother at first worked hard with other victims’ families to recover her son. But Takeshi was forced to declare he had not been abducted but instead “rescued” by a North Korean ship and that he is living “happily” in North Korea. Accordingly, his mother’s attitude changed and she now asks the Japanese government not to include her son's name on the victims list.
The mother has been allowed occasionally to visit Takeshi at his apartment in Pyongyang. She is obviously afraid of antagonizing the North Korean authority and of being denied further entry into the country.
In my opinion, the Japanese government should have officially recognized Takeshi and his two uncles as abduction victims many years ago. Not doing so sent the wrong message to North Korea. The North Korean ship “rescuing” Takeshi is just a ridiculous story. Even if it were true, which it is not, rescuing a 13-year-old boy and not notifying his parents for several decades is nothing but kidnapping.
Three sons of one of Takeshi's uncles, who is claimed to be dead by North Korea, are active members of the Abductees Families Association and have demanded that the Japanese government officially recognize the case as abduction.
The U.S. House resolution condemning North Korean abduction as “acts of terrorism and gross violation of human rights,” which passed the House of Representatives on July 11, 2005, rightly referred to Takeshi’s case as follows:

Whereas North Korean agents have abducted children, causing unimaginable anguish to parents who live decades with the uncertainty of what has happened to their child, as in the cases of Takeshi Terakoshi, a thirteen-year-old boy kidnapped from a fishing boat with his two uncles. . .

This resolution has given us great encouragement. Here, I want to say Thank You again.
I have pointed out earlier that at least five South Korean high school students were also abducted by North Korea. There are several suspected cases involving Japanese high school students too. In my opinion, it is a mistake to assume that North Korea’s abduction of children is limited only to the Japanese and the South Koreans.

Marriages with a Hidden Purpose: US Deserters and Abducted Women

Charles Robert Jenkins, who deserted to North Korea in January 1965 when he was a U.S. Army Sergeant, testified after his repatriation to Japan in 2004 that he shared his harsh life in North Korea, on an on-and-off basis, with three other alleged U.S. Army deserters: Pfc. James Joseph Dresnok (August 1962), Pvt. Larry Allen Abshier (May 1962) and Cpl. Jerry Wayne Parrish (December 1963).
All four American deserters married foreign abductees in North Korea.
Ms. Hitomi Soga, who was a young woman when she was abducted from Japan, married Mr. Jenkins. She gave birth to two daughters who are now studying hard and enjoying campus life in Japan but Hitomi’s mother, who was abducted along with her, is still missing. North Korea has claimed that her mother’s entry into the North had not been documented and they say they knew nothing about her. Their claim is entirely without credibility. Hitomi herself was a victim of abduction and is still the daughter of another abduction victim.
Ms. Siham Shraiteh, a Lebanese, who was deceived by a fictitious job offer in Japan and taken to North Korea in 1978, married Mr. Parrish and gave birth to three sons who are living in North Korea. Mr. Parrish died in August 1997.
Ms. Anocha Panjoy, a Thai who was kidnapped from Macau in 1978, married Mr. Abshier. Mr. Abshier died in 1983. Several years later, Ms. Anocha said to Mr. Jenkins that she was about to remarry a German. That was the last time Mr. Jenkins saw her.
A Romanian woman named Dona married Mr. Dresnok. Dona told Mr. Jenkins the following story just before her death.
Her mother was a Russian and her father a Romanian Army officer. She had once married an Italian. After divorce, she entered an Italian art school using her alimony to pay for it.
Subsequently another Italian man approached her and asked her to go to Hong Kong via Russia and North Korea to do some preparatory work for her possible solo art exhibition. She was then left stranded in North Korea and the Italian man disappeared.
Dona died from lung cancer in January 1997. As she had asked not to be buried in North Korean soil, Mr. Dresnok had her body cremated. Mr. Dresnok then remarried a woman named Dada, who is half North Korean and half Togolese.
Mr. Jenkins has suggested the North’s spymasters would quite probably consider using the children of foreign couples and children of mixed race as secret agents, especially for work around U.S. military bases overseas where mixed race marriage is not uncommon.
Mr. Jenkins said that he felt depressed when North Korean authorities ordered his daughters to enter the Pyongyang Foreign Language College. As you may be aware, Kim Hyon-hee, a perpetrator of the Korean Airline bombing in 1987, was picked out as a secret agent by the authorities when she was a student of that college.
This and other evidence indicates that women abducted by North Korea seem to be tormented by a double agony. First, as a young adult, each woman’s promising life in her own country is suddenly destroyed by the kidnapping. Then these victims become the mothers of children who, in turn, are forced to become secret agents of North Korea, the regime she detests.

Beijing Obstructs Rescue Efforts

Beijing continues to hunt down hapless North Korean refugees and drive them back to Kim Jong-il’s torture chambers in violation of the U.N. Refugee Convention, of which it is a signatory. Among those forcibly sent back, there must have been, are, and will be abducted foreign nationals, their family members, and people who have valuable information on abductees’ whereabouts.
So, I have to say that the Chinese authorities are systematically obstructing our efforts to recover abducted victims.
Moreover, Beijing appears to make no effort to rescue its own abducted nationals. Let me give you an example.
Two Macau residents, 20 year old Ms. Hong Leng-ieng and 22 year old Ms. So Mio-chun, were abducted by North Korean agents on July 2, 1978. Macau was a Portuguese colony at the time but fell back into Beijing’s control in 1999. The two abductees therefore are Chinese nationals now. Their family members also are Chinese nationals.
My colleagues and I were able to confirm this case as abduction through various interviews. For example, South Korean actress Choi Un-hee who was kidnapped from Hong Kong in January 1978 and succeeded to escape in 1986, testified that she temporarily lived with Ms. Hong Leng-ieng at a so-called “guest house” in Pyongyang.
Ms. Choi Un-hee remembered that Ms. Hong’s Christian name was “Maria.” We asked family members of Ms. Hong about this name. They knew that she had baptized as a Catholic but did not know her Christian name. They ran into the church to which she had belonged and found out that her baptized name in fact was “Maria.”
Ms. Choi Un-hee said that in Pyongyang, Ms. Hong had been forced to teach Chinese language.
Our organization tried to inform the staff of the Chinese Embassy in Tokyo about the abduction status of their citizen but they refused to meet. Therefore, we mailed written materials on the case to the Chinese Embassy. There has been no response at all. They have just ignored us.
Beijing is not only obstructing rescue efforts of abducted foreigners by sending refugees back to North Korea but it is cold-bloodedly deserting its own nationals held in North Korea. Is this kind of regime qualified to hold the Olympic Games?
Were the world degenerate enough to adopt a refugee hunt as an official sport, China would be the most suitable place to hold the event. And, no doubt, team China would win the Gold Medal. But common sense tells us that Beijing is not an appropriate place for the Olympic Games so long as it continues to brutally hunt down North Korean refugees.
Referring to North Korea, it has been said that a system where you can't live but you cannot leave is the definition of hell. Yes, it is, and Beijing is the co-manager of that hell. Chinese communist leaders should be ashamed of themselves.

Regime Change through Economic Squeeze

I’ve long since come to the conclusion that regime change is the only way to resolve the abduction issue, and the nuclear issue and missile issue, for that matter. Feckless half measures won’t work.
The question, therefore, is how to achieve regime change.
There is no shortcut to victory. In my view an economic squeeze is the key. In this, not only Pyongyang should be pressured, but also Beijing.
To this end, the financial sanctions launched by the United States last September are exactly the right move. Those sanctions are targeting, among others, Chinese banks joining hands with Pyongyang. It is my hope that the United States will ratchet up these measures and that other countries will follow the U.S. lead.
The Japanese government, under the strong leadership of Chief Cabinet Secretary Shinzo Abe, recently has strengthened economic pressure against North Korea using the various tools at hand. This has been encouraging.
Two years ago, the Japanese National Diet passed two important bills. The first is the Revised Foreign Exchange and Foreign Trade Law that enables the government to halt trade and monetary remittances to any country if the government judges that "it is necessary for the maintenance of the peace and safety of our country."
The second is a bill that would allow the government to prevent specified vessels from entering Japanese ports. Japan now can ban the entry not only of North Korean ships, but any ship, say a Chinese or even a Japanese flag vessel which stops at North Korean ports, if the Prime Minister in his discretion decides to do so.
In my opinion, the implementation of this powerful tool is long overdue. Now is the time for an all-out economic squeeze.
Do I have a message for Kim Jong-il? No, I have none. He is hopeless. I just want him to fall into the ash heap of history as soon as possible.
But I have a message for the people surrounding him: Eliminate Kim Jong-il and secure the safety and freedom of the abductees, their family members, their friends, their friends’ friends. That is, for all except Kim Jong-il and his henchmen. Then North Koreans can expect not only the lifting of sanctions but also tremendous financial aid from all over the world.
Thank you.

陳述書和訳へ


電脳補完禄さんより転載

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2006年5月 2日 (火)

米大統領・横田さん面会の意義

世界日報より

「救う会」副会長・福井県立大教授 島田洋一氏に聞く

 ブッシュ米大統領と横田早紀江さんの面会実現は、今後、拉致問題の行方にどのような影響を与えるのか。今回、横田さんとともに米下院公聴会で証言した拉致被害者家族支援団体「救う会」副会長の島田洋一福井県立大学教授に聞いた。
(聞き手=ワシントン・早川俊行)
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 しまだ・よういち 1957年生まれ。京都大学法学部卒業。同大学大学院法学研究科博士課程修了。福井県立大学助教授を経て、2003年から同教授。著書に『アメリカ・北朝鮮抗争史』など。 
 ――ブッシュ大統領が横田早紀江さんと面会した意味は何か。

 ブッシュ政権が人権問題への取り組みを強めていくというメッセージだろう。具体的にどういう動きに発展するかは分からないが、一つはっきり言えることがある。ブッシュ大統領は早紀江さんとお互いにクリスチャンであるという話をし、三回以上も握手をしたそうだ。この事実を受け、米政府は今後、人権問題で明確な進展が見られなければ、核合意が進行しても北朝鮮に経済援助をすることはないだろう。そんなことをすれば、ブッシュ大統領が早紀江さんを裏切ったという話になるからだ。

 また、ブッシュ大統領は「一国のリーダーが子供の拉致を奨励することなど想像できない」と語った。米国の大統領が、金正日個人が拉致を指令したとの認識を示したことは重要だ。

 ――今回の面会は、米国の北朝鮮政策に影響を与えるということか。

 まさにそうだ。面会の場には、六カ国協議の担当者であるヒル国務次官補やレフコウィッツ北朝鮮人権問題担当特使らも同席した。これは、大統領が北朝鮮政策の方針を示すために彼らを呼んだわけだ。つまり、今回の面会は、政府内に向けた大統領のメッセージでもある。その意味で、非常に大きな成果だったと思う。

 ――横田さん以外に、北朝鮮を脱出して韓国に亡命したキム・ハンミちゃん親子も招かれた。

 ハンミちゃん一家を北朝鮮に送り返そうとした中国に対する警告であることは明白だ。また、韓国政府がつぶそうとしている北朝鮮向けラジオ局の金聖民代表も招かれたが、これは盧武鉉政権に対する警告だ。戦略的判断に基づく人選であり、北朝鮮、中国、韓国に対して同時に圧力を強めていく方向が示されている。

 ――拉致問題を七月のサンクトペテルブルク・サミット(主要国首脳会議)で取り上げるべきとの意見が出ているが。

 サミットで取り上げることが大切ではないとはいわないが、それよりも情報収集のほうが重要だ。「救う会」のような小さな組織が調査しただけでも、日本人以外に拉致されたケースが確定している。米国が一九七七、七八年ごろに若者が行方不明になったケースを徹底的に洗い直せば、必ず新たな拉致事例が出てくるはずだ。米国にも拉致被害者がいたことが判明すれば、米政府も本格的に対応せざるを得ない。米議会を中心にその情報収集キャンペーンをやってもらいたい。

 曽我ひとみさんの夫チャールズ・ジェンキンスさんら脱走米兵四人は皆、拉致被害者と結婚している。ジェンキンスさんは、外国人同士を結婚させて、西欧風の顔をした子供を産ませ、彼らを在外米軍基地を狙う工作員として使おうとしていたと証言している。こうした工作員をたくさん養成するために、米国人を拉致してこいという話が出ていたとしても不思議ではない。これは米軍の安全に関係する問題であり、決して日本と北朝鮮のバイラテラルな(=二国間の)問題ではない。

 なぜ七七、七八年かといえば、金正日が拉致の指令を出したのが七六年半ばといわれているからだ。当時の米国は、世界から甘く見られていたカーター政権であり、海外を旅行していた若者などが被害に遭っていたとしてもおかしくない。

 こうした新たな情報が出てくることが国際的な運動につながっていく。

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家族会訪米後、荒木氏【雑感】

調査会ニュースより

~家族会訪米後~

■雑感
                   荒木和博

 横田早紀江さんの米議会証言、ブッシュ大統領との会見などは連日大きく報道され、日本でもあらためて拉致問題への関心を高めることができました。家族会・救う会の皆さんのご尽力に心から経緯を表する次第です。横田早紀江さんも団長を務められた飯塚繁雄・家族会副代表もハードなスケジュールだったと思いますが、帰国後はできるだけ無理をしないで、少しでも休息をとってもらうよう切に願う次第です。

 今回の一連のイベントでは、22日の集会に大澤孝司さんのお兄さんである昭一さんご夫妻、山本美保さんの妹さんである森本美砂さんも参加されました。特定失踪者ご家族への政府の対応は、家族会の発足した頃と同様の状況であり、その点では現在の家族会とは差がつけられていると言わざるをえません。

 だからこそ古川了子さんの拉致認定を求める訴訟も行っているのですが、私たちとしては個別の対応もさることながら、「北朝鮮にいる拉致被害者は全員探し出し連れ帰る」という、基本に立ち返って対応してもらいたいと思います。その線が守られていれば、個別の対応が多少雑であろうと、私たちもご家族も、おそらく大部分の人は文句を言わないでしょう。「どこに、誰がいるのか調べ、どうやって助けるのかを考え、実現する」という、国家として極く当たり前のことをやってこなかったのだということはしっかりと認識してもらいたいものです。

 ところで、今回、一つ日本の報道で気になったことがあります。

 それはブッシュ大統領との会見のことなのですが、日本の報道を見ていると、多くの人は何となく横田早紀江さん、拓也さんと大統領が単独会見をしたように感じられたのではないでしょうか。しかし、実際にはこのとき、瀋陽総領事館駆込み事件のハンミちゃん一家や自由北韓放送の金ソンミン代表、さらに北朝鮮の収容所をテーマにしたミュージカル「耀徳ストーリー」の監督であり自らも脱北者の鄭成山氏が同席したとのことで、このときのブッシュ大統領のメッセージは包括的な北朝鮮人権問題への姿勢を表したもので、個別の拉致問題だけについてのメッセージではありません。

 従って、これから重要なのは今回のことをいかに有効に使っていくかです。その意味では団長である飯塚繁雄・家族会副代表の帰国会見での「今回は一つの通過点。肝心なのはこれをステップに、具体的にどう動くかだ」と言葉に尽きていると思います。米国は慈善事業で拉致問題への関心を示しているのではなく、自国の国益にのっとってやっているのだという前提で、今回の成果をどう活かしていくかであろうと思います。知人の言葉で、「かつて『日米安保で日本はアメリカの戦争に巻き込まれる』と言われたが、この問題は、『日本の戦争にアメリカを巻き込む』のだ」というのがありますが、そのつもりでやっていく必要があるでしょう。

 それにしても、今回代表団は国防総省や国家安全保障会議を訪問しましたが、日本で家族会の方が防衛庁を訪問したことはありません。自衛隊が拉致問題解決のために動くということが、少なくとも最近まで「想定外」だったからですが、防衛庁・自衛隊の皆さん(私も片足の親指の先位は自衛隊員なので、天に唾するようなものかも知れません)は、この現状を少しは恥ずかしいと思ってもらいたいものです。

 また、帰国後安倍官房長官への報告のとき、安倍長官は「政治家が会うより、みなさんが直接訴えた方が何倍も力がある」と横田早紀江さんらに伝えていますが、本来なら、ご家族が米国まで行かなければならない現状をお詫びすべきではないでしょうか。もっとも、安倍長官はかつて、「政治家として解決できていないことをお詫びしたい」との趣旨の話をしていますので、たまたま一部が報道されただけかも知れませんが。

 いずれにしても、今回様々な形で関わった皆さんに重ねて敬意を表するとともに、私たちもこれを期に、結局拉致問題は日本が先頭に立って動かねばならないという現実に立ち返って頑張っていかなければならないと、思いを新たにした次第です。

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2006年4月27日 (木)

■訪米報告

■訪米報告
               真鍋貞樹

 4月22日、ホワイトハウス前のラファイエット公園で行われた拉致問題解決向けてのコンサートとラリーについては、日本での報道のように無事終了した。参加者は、日本からの参加者11名に加えて,韓国人、在米日本人など合わせて100名程度だった。

 日本からの参加者は、家族会からは市川雄一さん、増元照明さん。特定失踪者ご家族としては、大澤孝司さんの兄昭一さんご夫婦、山本美保さんの妹の森本美砂さん。特定失踪者問題調査会からは私真鍋。また、武蔵村山市議会議員の、天目石要一郎さん、須藤博さん、支援者3人も参加した。

 内容としては、概ね次のようなものである。
 本イベントの主催団体であるReACHは、特定失踪者の大澤孝司さんのいとこ(在米)を中心として在米日本人によって結成されたものである。

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 今回、大澤孝司さんをはじめとして、山本美保さん、古川了子さん、生島孝子さんら特定失踪者への手紙の朗読が最初にあった。

 韓国からはチェ・ソンヨン拉北者家族会会長を中心に、脱北してきた韓国拉致被害者も参加し、訴えがあった。そして、タイのアノーチェさんの家族からの手紙の代読があった。

 手紙の朗読と、失踪者全員の名前の朗読に続いて行われたコンサートは、在米の日本人女性歌手のアミーカさんを中心に行われ、さらに脱北者した女性歌手も加わって催された。

 コンサート終了後、参加者全員でホワイトハウス前を行進し、拉致被害者の救出をアピールして全日程が終了した。

※特記事項

 古川了子さんの拉致認定を求める訴訟において、政府側は終始「拉致被害者家族と特定失踪者家族は差別的な扱いをしていない」という表明を繰り返している。しかし、今回の訪米においても「差別的取扱い」が顕著に現れた。それは、家族会のメンバーには、内閣府拉致問題連絡調整室の室長ならびに室員が同行し、全ての日程の調整を行っている。例えば、在米日本大使との懇談、下院公聴会への同席などについては、家族会のメンバーは全て政府の調整によって参加することになっている。しかし、訪米した特定失踪者のご家族には政府からなんらの連絡も調整も行われていないことが判明したのである。しかも、今回訪米した特定失踪者のご家族は、外務省が北朝鮮に対してリストを渡した大澤孝司さんと山本美保さんのご家族である。
 今回の22日のイベントの主催団体代表は、特定失踪者のご家族であり、そのイベントに家族会のメンバーが参加したものである。こうした特定失踪者のご家族の努力に対して、政府側はなんらの考慮も払っていなかったわけである。

これまで、特定失踪者問題調査会からは政府に対してこうした「差別的取扱い」を改めていくように、再三にわたり裁判や要請活動において求めてきたものである。特に今回、在米日本大使に対して特定失踪者の問題を訴える場も用意されなかったという事態は、政府が特定失踪者家族を「差別的取扱い」をしているなによりも証左となる。
 この点について、6月28日に予定されている、次回古川了子さん拉致認定訴訟における証人として荒木和博特定失踪者問題調査会代表が指摘をしていく予定である。

■戦略情報研究所講演会

5月12日(金) 18:30~20:30

講師:青木直人氏(ジャーナリスト)
テーマ 「北朝鮮処分にどう備えるのか---全拉致被害者奪還のために--」

 北朝鮮に介入を強める中国、胡錦涛訪米後、朝鮮半島抜きでさらに加速する「北朝鮮処分」、拉致被害者救出のため日本は対中及び対・中米関係でどう行動すべきか

参加費 2000円(お送りした講演会参加券がご利用になれます。参加券がない場合は一般参加費を頂戴します)
○予約等はありません。直接会場においで下さい。
○会場:UIゼンセン会館2階会議室(千代田区九段南4-8-16 tel03-3288-3549)
 ※市ケ谷駅下車3分 日本棋院斜向い (地図は下記をご覧下さい)。
http://www.uizensen.or.jp/doc/uizensen/access.html


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2006年4月14日 (金)

「自由北韓放送」について(2)

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■北朝鮮に自由の風を送りたい−金聖民代表が報告
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~脱北者の6割以上が外部ラジオを聞いていた~

★金聖民自由北朝鮮放送代表からの報告
 私は、16年間、将校として北朝鮮人民軍に勤務した。西岡先生や加藤博さん(北朝鮮難民救援基金事務局長)に会い、拉致問題を知り、金正日には悪事が多いと感じた。それが率直な告白だ。

 みなさんは金正日に拉致を認めさせ、金正日を降伏させた。金正日が拉致を認めた時、あいつは悪いやつ、ずるいやつ、ひどいやつと感じた。総連もひどい。
自分の都合ででっちあげと言ったのに、拉致を認めた。

 今回、めぐみさんと金英男氏が夫婦だったことが明らかになったのは、粘り強い運動の成果だ。人間の良心を大切にする日本人、韓国人、そして世界の人々に、貴重なメッセージを発したと思う。金正日が詐欺をしていることは皆知っていたが、この金正日をどうしたら屈服させられるかは分からなかった。今回も金正日は最後まですらばくれると思う。北朝鮮については、動物的な勘で分かる。

 北朝鮮は国家レベルで緻密に嘘をつくから、NGOが退行するのは難しい。しかし皆さんは勝った。

 自由北朝鮮放送は、当初は、インターネット放送局としてスタートした。2003年のことだ。2005年12月6日から短波ラジオ放送を開始した。2006年4月20日からは、妨害されている短波放送を停止し新たに2つの周波数で放送する。6月からは中波放送も開始し、放送時間を30分から1時間に延長する。

 2004年から6年に、北朝鮮にいた時に外部のラジオ放送を聞いたことがあるかと、200人の脱北者に聞いた。その結果、2003年に脱北した人の68%、4年が63%、5年が72%の割合で、アメリカのボイス オブ アメリカや自由アジア放送、韓国のKBSを聞いたことがあると答えた。放送を聞いて脱北した人が60%というのはかなり高い割合だ。

 また、北朝鮮住民の0.2%が外部の放送を聞いた経験があるという報告もある。0.2%が正しいとすれば、40万人が聞いていることになる。北朝鮮は口コミが発達しており、40万人が聞けばあっという間に噂が広がる。

 94年の噂ではこういうのがあった。日本人がねずみのしっぽを集めているという噂だ。精力剤に使うもので、高く売れるという。その直後、北朝鮮住民がねずみとりに走ったことがあった。そして、国境地域のねずみがほとんどいなくなったという。92年から96年にかけて、中国に銅を持っていけば高く売れるという噂があった。言ってみたら高くはなく、1キロ1元もしなかったが、電線を切り取ったり、工場の部品を外して持ち出す洪水のような流れができた。

 そこで、口コミに放送で情報を入れて、北朝鮮に民主義の発想を広め、自由化を進めたいと思った。同時に日本の家族会・救う会の助けにもなり、将来、救出の転機を作りたい。既に、西岡先生が毎週10分の番組を放送している。今後は、毎日1回、拉致問題の番組を作りたいと考えている。日本の家族会の皆さんのお気持ちを届けたい。北朝鮮の住民や、党、軍、情報機関の幹部に、メッセージを送っている。

 私は脱北者同士会の会長もやっているが、共通の目標は金正日政権の精算だ。
金正日を降伏させ、住民や拉致被害者を助け出すことだ。力を合わせて目標を達成したい。日本委員会の設立に感謝している。

 拉致被害者を取り戻すには突破口がいる。金英男さんの拉致報道を見て、知らんぷりの韓国政府も半分くらいは関与し始めた。4月22から28日までの人権週間の最中には、横田早紀江さんが米下院で証言をする。脱北者の代表は上院で証言することになっている。人権という人類の普遍的価値観から訴えれば、アメリカの参加の契機になると思う。悪の金正日から降伏を引出す最もいい手段は人権だと黄長�さんも前から言っていた。その人権問題の核心に日本人、韓国人等の拉致問題がある。

 日本に支援の委員会ができたのは嬉しい反面、こんな委員会がソウルでもできていれば日本に来ることはなかったのにという複雑な思いもある。

 情報統制が北朝鮮体制維持の秘密だ。北朝鮮で大尉であった時、13歳の女の子を拉致したことを知ったら、反感まではいかなくても金正日政権に疑いをもつと思う。外部情報を遮断しているから北朝鮮が維持されているのだ。韓国は、北朝鮮に外部情報を送ることをやめた。そこで脱北者を集め、お金を集め、2003年に最初のインターネット放送を始めたのだ。

 今は、知られるようになったが、始めた時はどうしたらいいか分からなかった。
2004年に初めてインターネット上で実験放送を行ったのは2月16日、金正日の誕生日の日だった。これが朝鮮日報を通じて報道された。2004年4月3日の南北会談で、北朝鮮代表が我々の放送を中断しろと要求した。まだ実験放送の段階だったのに。

 あとで日本経由で知ったのだが、金正日は、党を裏切った黄長�や脱北者が放送するというのは許せないと指示を出したそうだ。我々がやると問題になるので第3者を通じて粉砕せよ、という指示だ。

 5月18日、放送準備の段階で、家主が突然出ていってくれ、と言い出し、追い出された。平壌ではなくソウルでだ。仲間と涙を流しながら出た。韓国には金正日の指示で動く団体が多い。なぐられて救急車で運ばれたこともある。しかし、おかゆをすすってでもやらねばならないと思った。北朝鮮の同胞には、食べ物より民主主義、自由の情報を送ることが大切だ。

 韓総連(韓国の左翼学生全国組織)200人に奇襲デモをかけられたこともある。我々は3人しかいなかった。機動隊がいなければ私はここに来れなかっただろう。何があろうと正しい道を歩みたい。放送局にかかる脅迫電話は数千件、メールは数え切れない。我々は、誇りをもってこの仕事をしているので、私が倒れても別の日とが旗を掲げ続けると思っている。

 北朝鮮が頼んだのだと思うが、中国から妨害電波が出た。中国政府は我々のホームページへの接触も遮断している。これは大きな表彰だ。4月からは短波が2つになり、6月からは長波もやる。妨害されてももっとやる。拉致問題にも、この放送を通じて確実な貢献ができると信じている。

★質疑応答
問 口コミの他の例は。
金聖民 太陽政策までの韓国政府は、北朝鮮に向けて気球を揚げ、ビラや物をまいた。これが軍隊の警備地域によく落ちた。すると韓国のお菓子やラーメンはおいしいとの噂が広がり、落ちたとなると必死に取りにいく人が増えた。成�琳は金正日の愛人で金正男の母だが、人妻だったのを金正日が奪った。これが口コミで広がった。噂した人は政治犯収容所で厳しい取調べを受けた。逆に、私は、軍の将校だったが、拉致問題は知らなかった。

問 ラジオの効果は。
金聖民 まだ4か月なので具体的な成果はない。しかし、北朝鮮は4回にわたり放送は許さない、爆破すると脅してきた。これは嫌がっている証拠だ。また妨害電話を出したことも嫌がっている証拠だ。

問 めぐみさんの夫の確定は日韓協力の成果だ。
金聖民 97年にめぐみさんの拉致が明らかになり、韓国の情報機関が調査をし直した。その結果、5人の高校生が出てきた。連携の成果だ。

問 どんな放送をしているか。
金聖民 脱北者の座談会で、中国でどんな苦労をしたかとか、なぜ命がけで脱北したか、貞操まで売りながら中国に隠れ住んだこと、ベトナムやモンゴルルートの話など、自然に分かってもらえるものだ。

◆「自由北朝鮮放送」支援日本委員会について
目 的�「自由北朝鮮放送」を通じて、金正日政権幹部に、拉致被害者救出に対する日本人の不退転の決意と、被害者の保護・救出や情報提供に協力すれば報償を与えることを伝える。

   �「自由北朝鮮放送」を通じて、北朝鮮住民に国際社会の動き、民主政治の思想、金正日政権の政治宣伝の嘘を伝え、北朝鮮の自由化に備える。

役 員 顧 問=横田滋・家族会代表、佐藤勝巳・救う会会長、平沼赳夫・拉致議連会長、委員長=西岡 力・救う会常任副会長、理 事=増元照明・家族会事務局長、島田洋一・救う会副会長、平田隆太郎・救う会事務局長、事務局長=山岸丈良・救う会事務局次長

事務局 〒1120013東京都文京区音羽11711905救う会内 電話0339465780
 FAX0339465784

募金先 郵便振替口座00100414701 救う会(通信欄に「ラジオ」と記入してください)

救う会ニュースより

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2006年4月13日 (木)

NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮第一集「個人崇拝への道」(1)

NHKスペシャル
『ドキュメント北朝鮮第一集』を文字化してみました。
貴重な証言だけでもテキストに残しておきたかったので、よかったら、みなさんも参考にしてください。


D11

 
 
 
 
 
 
 ~導入~
<ナレーション>

厚いベールに閉ざされた国、北朝鮮。
個人崇拝による独裁体制は何故今も維持されているのか?
拉致やテロは誰が指示し、何故繰り返されたのか?
そして核兵器開発はどこまで進んでいるのか?
多くの謎が世界を脅かし続けています。

私たちは、北朝鮮の謎を解き明かす手がかりとなる一万二千ページの秘密文書を世界各国から入手しました。旧社会主義国の党幹部や、外交官が間近に接した北朝鮮の実情を克明に記した資料です。
その記述を元に、歴史的事件の渦中にいた当事者200人あまりを取材。
北朝鮮の知られざる姿に迫りました。

3回シリーズの一回目は強固な独裁体制を作り上げたキムイルソン(金日成)の真実です。
その後巨大な権力を手にしていく課程が明らかになりました。

―――~金日成の映像~―――――――――――
我々のやり方でやっているので滅びない。
我が党は世界でも類を見ない「絶対党」なのだ。
――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
建国当初ソビエトから見いだされ指導者となった金日成。
その後個人崇拝を強め、巨大な権力を手にしていく課程が明らかになりました。
いかにしてソビエトの統制を離れ独自の路線を突き進んできたかその軌跡を辿ります。

  ◆映像:証言者との面会の様子

<ナレーション>
2回目は金正日総書記台頭の謎です。
1970年代から80年代にかけて北朝鮮が繰り返した日本人拉致。そして、多くの犠牲者を生んだテロ。
旧東ドイツ秘密文書は、金正日総書記がこの頃、すでに国家の前活動を指揮していたことを明らかにしています。
社会主義では前例がない権力の世襲をどのようにして実現させたのか、その謎に迫ります。

3回目は国際社会を震撼させる核開発です。
核をカードに大国を翻弄する北朝鮮。
映像:六カ国協議の様子

――アメリカ米国務長官――――――――――――――――――
北朝鮮はいつも強硬姿勢を崩さず、我々は譲歩せざるを得ません。
彼らは貧弱なカードを巧みに使いこなします。
――――――――――――――――――――――――――――

北朝鮮との交渉に当たったアメリカの当局者を取材。
瀬戸際外交の裏に隠された、北朝鮮の野望を描きます。

  ━━━━━━━━━━━━
  第一集「個人崇拝への道」
  ━━━━━━━━━━━━

人口およそ2300万の北朝鮮。
首都平壌の中心に金色の巨大な銅像が建っています。
建国の父とされるキムイルソン(金日成)です。
人物の銅像としては世界最大規模と言われます。

  ◆映像:花を捧げる市民

北朝鮮の強固な独裁体制を支えているのは金日成に対する個人崇拝です。
その個人崇拝は、数々のプロパガンダによって築き上げられてきました。

建国の歴史を描いた北朝鮮の記録映画です。

  ◆映像:日本軍を撃退する朝鮮軍

―――映像の朝鮮語ナレーション―――――――――――――――――――
私金日成は、朝鮮人民革命軍に祖国解放のための総攻撃を命令した。
日本帝国主義者に強烈な打撃を与え、退散させた朝鮮人民革命軍によって
我が国の開放は成し遂げられた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
金日成が朝鮮人の軍隊を指揮し、祖国を日本から開放したとしています。
個人崇拝の原点である、この建国の物語は事実なのでしょうか?

私たちは北朝鮮建国に至る経緯を記録した機密文書を独自に入手しました。
朝鮮半島北部を占領したソビエト軍が作成した非公開の内部資料です。文書には金日成の経歴が記されています。金日成は19才の時から、中国東北部、旧満州で抗日ゲリラ活動をしていました。その後、ソビエトのハバロフスクに逃れソビエト極東軍の88旅団に参加しました。記録映画にある朝鮮人民革命軍の記述はありません。88旅団はソビエト軍が養成した朝鮮人と中国人の部隊でした。記録映画では、金日成は朝鮮人民革命軍の司令官とされていますが、ソビエト軍の文書では一部隊の部隊長となっています。

  ◆~モスクワ郊外の映像~

私たちは88旅団を指導指揮していたソビエト極東軍の将校を探し出しました。
ワシーリー・イワーノフ84才。金日成の上官でした。ワシーリーは、88旅団で金日成に様々な戦術を教えました。金日成の主張する朝鮮人の軍隊の存在を即座に否定しました。

  ◆映像:当時の写真

――ワシーリー・イワーノフの証言―――――――――――
金日成の主張には賛成できません。
朝鮮軍など存在しませんでした。
存在しなかった軍隊に金日成は命令したのでしょうか?
――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
日本が統治していた朝鮮半島に侵攻したのはソビエト軍でした。
イワーノフは金日成はこの戦闘にも参加していないと証言しました。

――ワシーリー・イワーノフ(ソビエト極東軍)の証言―――――――――――
キム・イルソンたちは戦争に参加する準備をし、参戦したいとアピールしました。
しかし我々ソビエト軍の司令官は金日成を戦争に参加させませんでした。
彼らは大した貢献ができないと判断したからです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
朝鮮半島北部を占領したソビエト。
友好的な政権をつくろうと考えたスターリンにとって、重要なのは誰を指導者に選ぶかと言うことでした。

  ◆映像:スターリン、メクレル(ソビエト軍特別宣伝部長)の写真

指導者選びの任務を負った一人が、ソビエト軍の特別宣伝部長、グレゴリー・メクレルです。
様々な候補者と面接し、能力だけでなく、ソビエトへの忠誠度を測りました。
ソビエト軍の秘密文書の中に、メクレルの報告書があります。

  ◆映像:外交文書/チョ・マンシクの写真

面接した政治家の一人が、チョ・マンシクです。チョ・マンシクは朝鮮のガンジーと呼ばれた63才の民族主義者。
朝鮮の人々に最も知られた、信望の厚い政治家でした。
しかしメクレルは指導者としてふさわしくないと判断しました。

――メクレルの報告書――――――――――――――――――
チョ・マンシクは反共産主義的である。
表向きはソビエト指導部を支持しているように見えるが、
実際には朝鮮人民とソビエトとの友好に反対している。
彼は我々の信用に値しない。
――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
メクレルも健在でした。
しかし、このあと96才で無くなりました。

  ◆映像:メクレルとの面会の模様。
      取材記者に対してメクレルが日本語で「初めまして」
      「とてもうれしい」「とてもおもしろい」と答える様子

――メクレルの証言―――――――――――――――――――――――――――
私は金日成の能力を確かめるため、朝鮮の情勢に関し、様々な質問をしました。
彼は長年海外で抗日活動を続けていたため、
朝鮮のことは何も知らないと思っていました。
しかし、キム・イルソン(金日成)は私の質問にとても的確に答えました。
朝鮮の情勢に通じている人の答えでした。私はとても満足しました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
メクレルは、キム・イルソン(金日成)の存在を人々にアピールするため、ソビエト軍の歓迎集会を利用しようと考えました。
数万人の観衆を前に、キム・イルソン(金日成)を抗日闘争の英雄として紹介したのです。
このとき33才。しかし人々は意外な反応を示しました。

――カン・インドク(歓迎集会に参加していた)の証言―――――――
キム・イルソン将軍という名前は知られていたため、
かなり年を取った人が出てくると思っていました。
しかし、出てきたのは、単なる若者でした。
人々は騒ぎ始めました。「あれは何だ、偽物じゃないか?」
会場は大変な騒ぎになってしまいました。
――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
偽物説が広がると指導者として受け入れられないのではないか?
懸念を増したメクレルは策略を練りました。

―――メクレル証言――――――――――――――――――――――――――
私はキム・イルソン(金日成)に指示しました。
貴方の故郷に行くと発表しなさい。希望者を一緒に連れて行きなさい。
キム・イルソンは私の指示通り、故郷の訪問をラジオで発表しました。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆画像:故郷訪問の写真

<ナレーション>
故郷の人々と再会するキム・イルソン(金日成)の写真です。
メクレルはこの訪問を新聞でも宣伝し、偽物説を打ち消しました。

メクレルの報告を受けた最高幹部がモスクワに送った秘密文書です。
キム・イルソン(金日成)こそ指導者にふさわしいと結論づけています。

―――(報告書の内容)――――――――――――――――――――――――
キム・イルソンは、日本帝国主義に立ち向かった英雄として有名である。
彼の名は朝鮮人民の幅広い層に知られている。
朝鮮で統一戦線を創設するとき、キム・イルソンを
その指導者に据えるべきである。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
ソビエトが撮影した戦後初の選挙の時の映像です。

  ◆映像:演説するキム・イルソン(金日成)

メクレルから与えられた様々な指示をキム・イルソン(金日成)は忠実に実行に移しました。

ドキュメント北朝鮮第一集(2)

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NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮第一集「個人崇拝への道」(2)

――メクレルの証言―――――――――――――――――――――――――――
私はキム・イルソン(金日成)とあらゆる分野、あらゆる問題で行動を共にしました。
政治や党関連の重要な仕事を一緒に行いました。
取るに足らないようなことでも私たちは常に一緒に行動しました。
私はあらゆる場面でキム・イルソンを助け、キム・イルソンを育て上げたのです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:建国当時の映像

<ナレーション>
1948年9月。
朝鮮民主主義人民共和国の建国です。
キム・イルソン(金日成)は最高指導者として内閣の首相と、党の委員長を兼任しました。

貴重な肉声がアメリカの国立公文書館に残されていました。

―――キム・イルソンの肉声―――――――――――――――――――――――
朝鮮民族の解放者であるソビエト軍と偉大な領導者スターリン大元帥、万歳
解放された朝鮮人民、万歳
朝鮮民主主義人民共和国樹立、万歳
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
建国当時のパレードの映像です。
スターリンとキム・イルソン(金日成)の肖像画が並んで掲げられています。
ここまではソビエトの思惑通りでした。

  ◆朝鮮戦争の映像

38度線で分断された朝鮮半島。
金日成が個人崇拝への道を歩き始めるきっかけは、統一を目ざした朝鮮戦争でした。
1950年6月、北朝鮮は南に一斉攻撃を開始。
二ヶ月後、韓国の9割以上を制圧しました。
開戦直前、キム・イルソン(金日成)はスターリンに<アメリカは介入しない>という判断を伝えていました。
しかしアメリカは参戦し、戦局は一挙に逆転。その後、戦闘は三年に及びました。
100万人以上が犠牲となり、一千万人が離散家族となった朝鮮戦争。

自らの誤った判断で始めたこの戦争をキム・イルソンは権力の強化に利用します。

キム・イルソン(金日成)がアメリカ帝国主義に勝利したという宣伝が始まりました。
巨大な肖像画が勝利集会で掲げられ、『敬愛する指導者』という呼び方が用いられるようになりました

  ◆ソ連系朝鮮人の写真
金日成を称えるプロパガンダを進めたのは、ソビエトから送り込まれたソ連系朝鮮人でした。
ソ連系朝鮮人は、ソビエト軍の指示を受け、党、政府、軍の中枢で金日成を支えました。その数は400人以上にのぼります。

  ◆カザフスタンの映像

<ナレーション>
プロパガンダの中心を担った人物が旧ソビエトのカザフスタンに住んでいました。
チョン・サンジン、87才。
50年代半ばまで北朝鮮で文化宣伝省の次官を務めました。

―――チョン・サンジンの証言――――――――――――――――――――――
当時私たちはソビエトのそのまま北朝鮮に適用したため、
プロパガンダを当然のことだと思っていました。
ソビエトではスターリンが絶対的権威でした。
『北朝鮮でも金日成が同じような権力を持つべきだ』と思っていました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
強化された権威を利用し、キム・イルソン(金日成)は反体制派の粛清を進めます。
最初に標的となったのは副首相のパク・ホニョンでした。
アメリカのスパイとして逮捕され、後に処刑されました。
 ◆パク・ホニョンの映像

―――チョン・サンジンの証言――――――――――――――――――――
金日成は朝鮮戦争に失敗した全ての責任をパク・ホニョンに押しつけました。
疑いの余地は全くありません。
そしてキム・イルソンはそれをきっかけに、パク・ホニョンの派閥を全て粛正したのです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
当時北朝鮮には4つの政治勢力がありました。
  ◆4つの派閥の図
粛正されたパク・ホニョンは国内派、戦時中抗日活動を国内で行ったグループです。
他にソ連系朝鮮人のソ連派。中国で活動した中国派。
キム・イルソンとゲリラ活動を共にしたパルチザン派は最小派閥でした。

  ◆スターリンの葬儀の模様

スターリンの死によってキム・イルソン(金日成)の粛正は更に進みます。
ソビエトの統制がゆるんだのを見て、ソ連派に矛先を向けました。
キム・イルソン(金日成)を支えてきたソ連派は次々に批判され、解任されました。
その後処刑されたり、行方不明になった人も数多くいます。

文化宣伝省の次官を務めたチョン・サンジン。
1955年に解任され出身地カザフスタンに帰りました。
キム・イルソンにスターリンのような権威を与えようとしたプロパガンダが、自らの追放に繋がりました。

―――チョン・サンジンの証言――――――――――――――――――――――
我々ソ連系朝鮮人がいなかったらキム・イルソン(金日成)の個人崇拝は無かったでしょう。
ソ連系朝鮮人がソビエトのスターリンをまねて、キム・イルソン(金日成)の個人崇拝を始めました。
それこそが、現在の北朝鮮の悲劇の原因なのです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
朝鮮戦争が終わった年の翌年のパレードの映像です。
ソビエトの指導者の肖像画は目立ちません。金日成を称える歌が様々な集会で歌われるようになりました。

  ◆解放記念祝賀パレードの映像

歌われた歌詞
 ~あぁその名も懐かし我らが将軍
 ああ、その名も 輝くキム・イルソン将軍~

肖像画は町の至る所に掲げられるようになりました。
 ◆画像:病院、家庭などに掲げられるキム・イルソン(金日成)の肖像画

~モスクワ~
<ナレーション>
金日成の個人崇拝が進む最中、ソビエトは政策を大きく転換します。
共産党第二十回党大会。
第一書記のフルシチョフがスターリンの個人崇拝を批判したのです。
五ヶ月後、モスクワを訪問したキム・イルソン(金日成)。
このときフルシチョフは金日成に個人崇拝を止めるよう求めていたことが今回の取材で明らかになりました。
このときのやり取りを記録したソビエト共産党の内部資料です。

―――内部資料――――――――――――――――――――――――――――
北朝鮮の同士に対して指摘した。朝鮮労働党に深刻な違反が見られる。
キム・イルソン同士の個人崇拝が存在する。
キム・イルソン同士は我々の提言を受け入れた。
欠点を除去する対策をこうじると約束した。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
ソビエトの動きが北朝鮮の反体制派を勢いづけました。
国内派、ソ連派が粛正された後、中国派が密かにクーデターを計画していました。
中国派の幹部が党の会議で金日成を批判。
しかし、事態は思わぬ展開となりました。

  ◆~ソウル・オ・ギワンとの面会シーン~
<ナレーション>
このときの一部始終を目撃していた人がいます。
オ・ギワン、77才。当時北朝鮮で副首相の補佐官を務めていました。
60年代初頭、韓国に亡命しました。

―――オ・ギワンの証言―――――――――――――――――――――――――
中国派のひとりが最初に発言し、個人崇拝を批判しました。
するとキム・イルソンのパルチザン派が大声で罵声を浴びせたため発言を続けられなくなりました。
会場は、騒然となりました。
このため、他の中国派は発言することさえ、できなくなりました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
キム・イルソン(金日成)は事前にクーデターを察知していたのです。
計画に関わった中国派を全員党から除名しました。

再びフルシチョフが動きました。
毛沢東と協議し、北朝鮮に共に特使を派遣。
キム・イルソン(金日成)は除名を一時撤回しました。

しかし翌年、再び中国派を追放。
更に思想調査を行い、不満分子をあぶり出しました。
私たちの入手したソビエトの文書には金日成の激しい弾圧の様子が記されています。

―――ソビエト共産党中央委員会の報告書―――――――――――――――――
国家体制に敵対的な態度を取っているとして、北朝鮮では一月に2000人以上が摘発された。
裁判は公開され、400人以上が公開銃殺の判決を受けた。
大規模な公開銃殺の実施は国にとってマイナスである。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
個人崇拝の行き過ぎを懸念していたソビエト。
しかし、フルシチョフはつよい行動に出ることはありませんでした。

 ◆モスクワの映像

<ナレーション>
何故ソビエトは黙認したのか?
私たちは交渉の末、真相を知るキーパーソンにインタビューすることができました。

元ソビエト共産党中央委員会のワジム・トカチェンコ、74才です。
フルシチョフの時代からゴルバチョフ時代まで、30年以上にわたり共産党の中枢で朝鮮政策に携わりました。
ソビエトの歴代の首相と金日成との会談にも立ち会っています。

―――ワジム・トカチェンコの証言――――――――――――――――――――
当時我々ソビエトは社会主義体制のリーダーでした。
この陣営で何か悪いことが起こればそれはリーダーが悪いと言うことになります。
つまり、我々ソビエトの威信が傷つくのです。
だからソビエトの指導者は北朝鮮の不快な出来事にも目をつぶったのです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ソビエトが目をつぶっている間、北朝鮮では新たなプロパガンダが始まりました。

   ◆映像:チョンリマの銅像

一日に千里を走る伝説の馬、チョンリマからその名をとったチョンリマ(千里馬)運動です。
北朝鮮は大衆を動員して経済の五カ年計画の目標を2年半で達成したと発表しました。

――チョンリマ運動のプロパガンダ映像――――――――――
我が人民は度重なる支援を打開し、千里馬の大進軍を行った。
短時間で新しい歴史を作り上げた。
――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
しかし平壌駐在のソビエト大使は北朝鮮経済の実情を見抜いていました。
北朝鮮では重工業を重視するあまり、生活用品の生産が不足していたのです。
ソビエト大使はモスクワに報告書を送りました。

――――報告書の内容―――――――――――――――――――――――
北朝鮮では綿、衣服、下着、石鹸などが不足している。
地域間の商品交換も欠如し、悪影響を与えている。
医療は最も遅れた分野である。
医者、病院の数が不足し、国民への医薬品の支給がきわめて困難である。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆1959年帰国事業の映像

<ナレーション>
この報告書の翌年から、帰国事業が始まりました。
2年間で7万人以上の在日朝鮮人が地上の楽園と呼ばれた北朝鮮にわたりました。
キム・イ