カテゴリー「特定失踪者関連集会」の記事

2006年12月24日 (日)

東京都関連特定失踪者リスト42名

1.氏名 荒井 セツ      失踪年月日 昭和29(1954)年冬
ふりがな あらい せつ     生年月日 昭和11(1936)年1月12日
2.氏名 斉藤 宰       失踪年月日 昭和32(1957)~33(1958)年頃
ふりがな さいとう おさむ   生年月日 昭和11(1936)年5月6日
3.氏名 藤田 慎       失踪年月日 昭和35(1960)年
ふりがな ふじた しん     生年月日 昭和6(1931)年9月5日
4.氏名 山下(飯塚) 平   失踪年月日 昭和35(1960)年6月19日
ふりがな やました たいら   生年月日 昭和10(1935)年5月18日
      (いいづか)
5.氏名 宮澤 康男      失踪年月日 昭和35(1960)年9月21日
ふりがな みやざわ やすお  生年月日 昭和17(1942)年10月20日
6.氏名 二宮 喜一       失踪年月日 昭和37(1962)年9月頃
ふりがな にのみや よしかず 生年月日 昭和13(1938)年1月15日
7.氏名 井上 征子      失踪年月日 昭和37(1962)年12月6日
ふりがな いのうえ せいこ   生年月日 昭和19(1944)年1月11日
8.氏名 中塚 節子      失踪年月日 昭和38(1963)年6月16日
ふりがな なかつか せつこ   生年月日 昭和20(1945)年6月5日
9.氏名 馬場 昌一       失踪年月日 昭和39(1964)年6月4日
ふりがな ばば まさかず     生年月日 昭和19(1944)年12月13日
10.氏名 米川 茂雄      失踪年月日 昭和40(1965)年1月18日
ふりがな よねかわ しげお    生年月日 昭和17(1942)年7月14日
11.氏名 坂本 とし子      失踪年月日 昭和40(1965)年6月9日
ふりがな さかもと としこ       生年月日 昭和17(1942)年11月22日
12.氏名 小林 榮           失踪年月日 昭和41(1966)年8月21日
ふりがな こばやし さかえ    生年月日 昭和18(1943)年4月29日
13.氏名 日高 信夫      失踪年月日 昭和42(1967)年9月
ふりがな ひだか のぶお     年月日昭和19(1944)年11月27日
14.氏名 早坂 勝男      失踪年月日 昭和43(1968)年4月頃
ふりがな はやさか かつお   生年月日 昭和19(1944)年1月22日
15.氏名 大屋敷 正行     失踪年月日 昭和44(1969)年7月27日
ふりがな おおやしき まさゆき  生年月日 昭和27(1952)年12月5日
16.氏名 上田 英司       踪年月日 昭和44(1969)年11月4日
ふりがな うえだ えいじ       生年月日 昭和24(1949)年7月25日
17.氏名 越川 力        失踪年月日 昭和45(1970)年7月19日
ふりがな こしかわ つとむ    生年月日 昭和21(1946)年4月18日
18.氏名 馬場 重夫      失踪年月日 昭和47(1972)年
ふりがな ばば しげお      生年月日 昭和20(1945)年2月25日
19.氏名 生島 孝子      失踪年月日 昭和47(1972)年11月1日
ふりがな いくしま たかこ     生年月日 昭和16(1941)年6月14日
20.氏名 薩摩 勝博      失踪年月日 昭和48(1973)年1月
ふりがな さつま かつひろ    生年月日 昭和24(1949)年10月11日
21.氏名 高 敬美        失踪年月日 昭和48(1973)年12月頃
ふりがな こう きよみ        生年月日 昭和42(1967)年4月10日
22.氏名 高  剛        失踪年月日 昭和48(1973)年12月頃
ふりがな こう つよし       生年月日 昭和45(1970)年6月29日
23.氏名 堀江 一利      失踪年月日 昭和49(1974)年12月頃
ふりがな ほりえ かずとし    生年月日 昭和25(1950)年3月30日
24.氏名 石川 和歌男     失踪年月日 昭和49(1974)年12月6日
ふりがな いしかわ わかお   生年月日 昭和22(1947)年9月19日
25.氏名 高野 清文      失踪年月日 昭和51(1976)年7月30日
ふりがな たかの きよふみ   生年月日 昭和31(1956)年10月31日
26.氏名 星野 正弘      失踪年月日 昭和54(1979)年2月末
ふりがな ほしの まさひろ    生年月日 昭和31(1956)年1月13日
27.氏名 和田 吉正      失踪年月日 昭和54(1979)年4月14日
ふりがな わだ よしまさ     生年月日 昭和27(1952)年11月19日
28.氏名 上田 俊二      失踪年月日 昭和56(1981)年7月14日
ふりがな うえだ しゅんじ    生年月日 昭和6(1931)年11月20日
29.氏名 堺 弘美        失踪年月日 昭和57(1982)年4月2日
ふりがな さかい ひろみ     生年月日 昭和34(1959)年10月22日
30.氏名 永山 正文      失踪年月日 昭和57(1982)年9月18日
ふりがな ながやま まさふみ  生年月日 昭和34(1959)年1月7日
31.氏名 原 哲也       失踪年月日 昭和58(1983)年3月
ふりがな はら てつや      生年月日昭和37(1962)年5月22日
32.氏名 伊原 照治     失踪年月日 昭和59(1984)年8月28日
ふりがな いはら てるじ    生年月日 昭和33(1958)年4月10日
33.氏名 香月 正則     失踪年月日 昭和60(1985)年2月6日
ふりがな かつき まさのり   生年月日 昭和23(1948)年7月11日
34.氏名 下地 才喜     失踪年月日 昭和60(1985)年4月
ふりがな しもじ さいき     生年月日 昭和37(1962)年7月10日
35.氏名 林 かな子      失踪年月日 昭和60(1985)年11月22日
ふりがな はやし かなこ     生年月日 昭和35(1960)年9月7日
36.氏名 石坂 孝       失踪年月日 昭和63(1988)年11月20日
ふりがな いしざか たかし   生年月日 昭和33(1958)年12月27日
37.氏名 坂本 秀興     失踪年月日 平成元(1989)年6月22日
ふりがな さかもと ひでおき  生年月日 昭和36(1961)年7月14日
38.氏名 塩沢 勝己     失踪年月日 平成7(1995)年6月23日
ふりがな しおざわ かつみ   生年月日 昭和40(1965)年9月1日
39.氏名 楠本 勤       失踪年月日 平成11(1999)年12月
ふりがな くすもと つとむ    生年月日 昭和22(1947)年12月4日
40.氏名 浜崎 真嗣     失踪年月日 平成12(2000)年1月6日
ふりがな はまざき まさつぐ  生年月日 昭和49(1974)年8月2日
41.氏名 後藤 美香     失踪年月日 平成13(2001)年9月13日
ふりがな ごとう みか      生年月日 昭和46(1971)年7月13日
42.氏名 宮本 直樹     失踪年月日 平成14(2002)年3月3日
ふりがな みやもと なおき   生年月日 昭和52(1977)年11月9日

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2006年7月 3日 (月)

古川了子さん第6回行政訴訟報告会(4)

   『飯塚繁雄さんのお話』

皆さんこんにちは。

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多分今日、初めてこういった裁判を傍聴させて頂きましたけど、考えてみるに日本人拉致(被害者)の奪還という大きな目的がある中で、小さな部分で遅々として進まないというそういう実感を感じました。
例えば特定失踪者、我々のように認定されていない人も含めて、ひとりひとりこういった裁判をしていかないと日本は動かないのか?と。
そしたらここでも話に出たように、家族の方々がみんな歳をとっていつまで頑張れるか分からない状態の中で、悠長な事が言っていられないと言うのが現実だろうと思うんです。

私たち一応被害者という認定はされていますけども、かと言ってされているから奪還だと、いう所に繋がっていないのが現実でありまして、そういう意味では北朝鮮に拉致された日本人という単位でみんな動かなければ、ますます細かい部分での論争に終始されて、あたかもそれが目標であるような感じにされそうな気がするんですね。

先だって訪米してブッシュ大統領と会った件についても、会えば終わりというんじゃなくてあれがスタートという感じもするんです。
今回韓国の家族が北朝鮮に行ってまた一騒ぎさせそうですけども、ああいった事も考えるに北朝鮮と日本の関係というのは非常に悪い感じがあるわけですけども、そういう関係があるからこそもっと強い態度で当たっていかなければ、これ永久にこの問題は続いてしまう。
あるいは途中でやめてしまう。

当初、うちの感じでも特定失踪者の事を入れないように入れないようにという感じで、中途半端な幕引きをさせようという狙いがあったのではないか?と。
これは日本としてもそうだし北朝鮮もそういう考えがあったのではないか?
そこはそれは違うという事で皆さんが立ち上がって、この問題をこれだけ大きくしたんだなぁと感じますけども、いずれにしても最終目的は奪還ですから、如何にスピードを上げてこれに対応して頂くところをたくさん作っていくか?
例えば今回の裁判の話でも、今内閣に専門幹事会と言うのが各省の代表が集まってやっておりますけども、例えばそこで法務関係について、今杉浦さんが大臣ですか?
こういった問題どうするんだ?と。

いつまでも悠長にあと3ヶ月とか、次はまた3ヶ月後とか、こういうような遅々とした進め方では困るという話をしていったらどうですか?という思いもあるんですけども。
いずれにしてもこの問題非常に深く広くあるいは複雑になってきて、我々素人に判断はつかない状態になって来ますけども、やはり家族が拉致されたというその時点で共通すると言う事が、大きな一番の力を合わせるポイントだと思います。
これからも私たちに出来る事を一生懸命やりますのでお願いします。(拍手)

★司会 二瓶弁護士

次は山梨から、山本美保さんの妹さんの森本美沙さん、ちょっと一言。


このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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2006年6月28日 (水)

福留貴美子さん拉致事件を考える集い(10)

   『参加議員の紹介、高沢皓司氏からのメッセージ紹介、閉会の辞』

★司会 高橋氏

本日は神奈川の議員が自治体から駆けつけてくださいましたので、ご紹介をさせて頂きます。
藤沢市議会議員・三野由美子先生。(立ち上がって会場に会釈、拍手)
ありがとうございました。

本日この集会にですね。
この福留貴美子さんの問題を初めて取り上げられた、こちらに「宿命」という本がありますけども、この本を書かれたジャーナリストの高沢皓司さんからメッセージを頂きましたので、紹介をさせて頂きます。

★高沢皓司氏からのメッセージ(代読:高橋氏)

本日の福留貴美子さんの拉致問題の集会について、こうしてお集まりくださいました皆様に心からの激励を送りたいと思いますと同時に、本日の集会を実行まで努力をしてくださった様々な方々、横田滋さん・横田早紀江さん・荒木先生・救う会神奈川の方々はじめ、皆様に御挨拶申し上げたいと思います。
と言いますのも、もう何年も前、限られた条件の中でジグソーパズルの駒を捜すようにして、この条件に合致する人間がどこかに必ずいるはずだと。
それだけを信じて四国の山中を捜しさ迷い歩いていた頃から考えますと、まさに隔世の感があり、本日の集会を実現してくださった方々には感謝の言葉も無いくらいありがたい事だと思っております。

★司会 高橋氏

このようにメッセージを頂きました。
高沢さん、どうもありがとうございました。(拍手)
続きまして事務局よりお知らせ、並びに閉会の言葉と致します。

★川添友幸 神奈川救う会会長 閉会の辞

本日は長時間、講演ありがとうございました。
福留さん中心にした集会、是非、私も良かったと思います。
今後も拉致の問題続くと思いますけど、宜しくご協力できればと思っております。
次回のお話なんですが、今回も講演いただきました増元さんに来月の7月の8日にこちらの方で講演を行おうと思っています。
増元さんと寺越昭男さん、内田美津夫さん、特定失踪者問題調査会から真鍋さんに来ていただこうと思っております。
あとですね。
北朝鮮難民救援基金さんの方にお願いして、脱北者の方にですね。
今交渉をしております。

ちょっとまた、昨年の7月こちらでやったときには頭巾みたいのをかぶって確かやったと思うんですが、また今回もそんな形になるんじゃないか?
まだ身の危険を感じている方、という話を伺っていますので。
講演会を行おうと思っておりますので、7月の8日、こちらではなくて上方のラウンジ、6階のラウンジの方になると思いますのでですね。
またご参加できればと思っております。
今日、長時間本当にありがとうございました。(拍手)

それでいつものお願いなんですが、ボランティアでやっておりますので、もしお心のある方いましたらカンパ箱がありますので、そちらの方のご協力お願いします。
本当に今回ありがとうございました。(拍手)

・・・集会終了・・・   

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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福留貴美子さん拉致事件を考える集い(9)

  『パネルディスカッション その3』

★司会 川添友幸救う会神奈川会長

次は野村さんにお話をして頂こうと思ったのですが、今日ですね。
兵庫から特定失踪者調査会の理事である岡田和典さんが来られましたので、ちょっと一言だけ御挨拶をしていただこうと思います。(拍手)

★岡田和典 特定失踪者問題調査会理事

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こんにちは。
えっとですね。
今日は野村さんもお見えでございますので、ちょっとだけお話をさせて頂きたい。
飛び入りで恐縮でございます。

野村さんのお書きになった本の中にも書いてある事なんですけども、私は神戸市です。
それも灘区というところで、今出ておりますSAPOIを御覧になった方はですね。
灘区周辺でですね。
拉致に関係する物が余りにも多いというような地図入りの、袋綴じじゃないんですけども(笑い声)、一番最初のページに出ています。

あれは恵谷さんと一緒にずっと回ったんですけどもね。
実は有本恵子さん。
当時ですね。
通っておりました学校がですね。
神戸市立の外国語大学なんですね。
ここから200メートルほど山側の方に行きましたところにですね。
神戸にはもう一人の拉致認定者がおりましてですね。
田中実さん。
養護学校がこの200メートルほどしか大学と離れていないんですね。

その上へ持ってきてですね。
有本恵子さんがですね。
通っておりました神戸外国語大学、有本さんは一部・二部の二部の方ですね。
所謂、我々の年代で申しますと夜間と申しましてですね。
夜の方に行ってたわけですね。
当然ですね。
当時の所謂ローテーション、シフトを見ておりますと、大学の先生方というのはですね。
一部担当と二部担当とに分かれていたようでございます。
これも私も少しばかり調べました。

その二部の担当のですね。
国際法というところにですね。
現在、金正日著作研究会連絡協議会の代表世話人、これが二人、鎌倉孝夫ですかね。
これと一緒に代表世話人をしている家正治ですね。
これがですね。
当時の二部の担当の教授なんですね。
教授ではなかったまだ当時は、京都大学を出てすぐに神戸外大の講師か何かになるんですが、まだ当時は教授じゃないですね。

この家先生でございますですね。
極めて怪しげな有本さんとの接触をしているわけですね。
まだ有本さんの事が、それ程世間に流布されていない。
それでも有本さんご両親ですね。
非常に積極的に様々な集会に出られてですね。
お訴えをされていたんですね。

そこにですね。
いきなり名刺持って来られた方がおるんですね。
その集会に参加されていた方が名刺持って来られてですね。
そんな方たくさんおられますから、一つ一つ覚えていないんですね。
ただお父さんがですね。
非常に珍しい名前だったから、覚えておられたんですね。

それから神戸市の外語大学なんかで、私も一緒にいろいろ活動をしまして、所謂同窓会。
そういう組織が動いてくれましてですね。
有本さんは2回3回ほど、神戸外大で公演等を、そういう集会等も行っておられます。
で、有本さんが拉致認定されてですね。
小泉訪朝があってですね。
有本さんの事がいよいよ明白になったと。

ですから訪朝後半年、一年も経ってなかったくらいだったと思うんですけど、今度突然にですね。
有本さんの家に手紙が届くんです。
で、これも有本さんのお母さんですね。
そういう手紙、全国からたくさん参りますので、特別覚えていないわけですね。

たまたま私がですね。
この家先生というのはいかがな人なんだ?と、言うような事でいろいろと、それなりにうろうろうろうろしておりましたらですね。
その集会の折に、有本さんご両親がたまたま揃っておりましてですね。
そこでこの家教授の話をしたわけですね。
お母さんからそういう話があったんですけどね。
「その人だったらこの前手紙が来たよ」とそこで初めて話が出るわけですね。

でそこで、今度はお父さんがですね。
「それ、覚えとるで」と。
「そんな変った名前の人はそんな多くは無いから、昔集会来とって名詞出したの覚えとる」
こういう話なんですね。
野村先生、中々の人物ですよね?この家先生という方は。

★野村旗守氏

ええ、謎の人物ですよね。

★岡田和典氏

でねぇ。
そんな方がわざわざ、どっちかと言えば拉致問題なんて話にですね。
世間で言ったら、我々は当たり前の大事な運動をしているつもりなんですけども、この拉致問題が明らかになる前はですね。
どちらかといえば、ああいうところに集まる人というのは真ん中というよりちょっと右じゃないかと。(笑い声)
世間では思われているような集会でございますよね?

★増元照明氏

よく反動勢力と言われて・・・(笑い声)

★岡田和典氏

そういう所に、チュチェ思想を信奉する先生が何しに来たんか?と、こう言う話にもなってくるわけですね。
今日おそらくですね。
こういう非常に福留さんという、よど号のグループにとってはですね。
一番アキレス腱といいますかですね。
触れられたくないということ、こういう会を川添さんが勇気を持ってやってこうしておられるわけで、間違い無しにこの中に、まぁ数人とは言いませんけども寝。
よど号の今の、今のですね。
支援するグループは多々あるわけです。(「ほう」という声)

間違い無しにこの中に来ておられますね。
皆さんも一人ずつ顔を覚えられているかも分かりません。(笑い声)
電車に乗るときなんかはですね。
絶対にプラットホームの前には立たないでくださいよ?(笑い声)
後ろからポンと押されたら終わりですのでね。
我々は何年もそういう事に注意しながら活動を続けております。
川添さんも全く同じ立場の人間でございます。

非常に中でも、私でも神戸で中々福留さんの集会よう開きません。
それ程非常に今日は貴重な集まりでございます。
ただ、余りにも先ほどから申し上げておりますように、極めて狭い空間の灘区の、本当に何百メートルというところに神戸に二人いる。
田中実さんそして有本恵子さんがお互い同じ空気、同じ匂いを吸っておった場所で生活しておられた方がおられる。
この事実ですね。

それと有本さんにですね。
なんかよう分からん人がですね。
極めて不思議な形で、接近していると言う点ですね。
何か日本の拉致事件というのはですね。
辛光洙が何もかも全員やったみたいな言われ方を最近、報道等も含めてですね。
警察発表でもございますけどね。
そんな事はありえないわけでございましてですね。

この中にもそういう過去に協力をした方がおられるか分からんですけど、間違いなしにですね。
日本人の協力者がいなければですね。
これだけの人間がですね。
北朝鮮に拉致されていたのは、ありえないわけでございます。

飛び入りで貴重な時間申し訳ございませんでしたが、そういう事を一言、神戸からのご報告という事で失礼致します。(拍手)

★司会 川添氏

岡田さん、ありがとうございました。
すみません、野村先生ちょっと宜しくお願い致します。

★野村旗守氏

私ですね。
本来、拉致問題門外漢でありまして専門家ではありませんので、ちょっと最後ですので一般的なお話をしたいなと思います。

前ですね。
あるインタビューで田原総一郎さんと喋った時があって、「いや、ここ10年くらいで本当に日本は変ったよな」という話になって、自分が89年に「朝まで生テレビ」あの番組を始めたころに、ディスカッション番組ですから朝まで激論するですね。
その当時としては画期的なスタイルの番組。
朝まで生で見ている番組を始めた時、あの右の論客を探そうと思ってですね。
探そうとしたんだけど誰もいないと。
という事は、右と左で激論を戦わせなければいけないので右の論客を探すんだけど、右の論客が誰もいないって言うんですよね。

ところが10年経ったら誰も彼もが右だ右だという事になって(笑い声)左の子と喋ってる奴はあいつまだあんな事を言ってるのか?と、馬鹿な奴だと生きてる化石みたいな野郎だという事ですね。
馬鹿にされているという傾向はあるけれども、でも10年前にそれこそね。
国家体制がどうとかいわゆる国際主義がどうとか言う事を、テレビがまともに喋ろうとしたら「あいつテレビであんな事を言ってるよ」と。
「もうちょっとアカデミズムの世界では相手に出来ないよな」というような、そういう風潮だったと思うんですよ。
10年、15年位前までは少なくともですね。
それがもうガラッと変ったと。

ガラッと変った中にはこの北朝鮮問題というのは非常に大きな要因だと思うんですけども、だた世の中のそういう空気。
要するに拉致をしやすい空気というものが、この日本の中の70年代80年代非常にあったと。
これですね。
これ拉致というのは北朝鮮の最初の首謀者は金日成であり金正日でありというような、それは分かっているけれども、それを助けたのは誰か?って言えば、金日成・金正日体制を支えた北朝鮮国民であり、それを支えていた日本の朝鮮総連と言う組織であり、その朝鮮総連という組織を生かしていた日本という社会。

別に同罪とは言いませんけども、かなりですね。
かなり日本側もムードで幇助していたという事は言えると思うんですよね。
日本のその片仮名で書くサヨクのムードが北朝鮮の拉致を幇助していた。
それがああいうよど号の事件を生み、あるいはよど号の妻たちというグループを作ったりしたわけで、そういったムードの犠牲になって例えば有本恵子さんが拉致された、福留さんが拉致されたというような事件が頻発して起こっちゃったんじゃ無いかな?と思うんですけども。

結局チュチェ研の目的はなんだったのか?と。
先ほど荒木さんも言われましたけど、あの中でチュチェ研の目的は何だったか?という事を考えていくと、私最大の目的は日本でそういうムードを作る事だったんだろうと。
北朝鮮のシンパをたくさん作っていて、例えば北朝鮮シンパとならずとも雰囲気的にでもですね。
例えばいざ事が起こった時、じゃあ韓国と北朝鮮がケンカした時に北朝鮮の方に味方してやろうと思うような。
普段は別に朝鮮問題なんかどうでも良いかもしれないけれど、いざ事が起こったらどっちかと言えば北朝鮮の方が良いよねと北朝鮮の方が正しいよねと、そういうようなムードを作る。
そういった空気を作る目的が第一の目的だった、チュチェ研の第一の目的だったのではないかな?と私はうっすらと考えているんですけども。
これ、正しいかどうか分かりませんが。

そういったムードを作るという非常に漠然とした仕事をしていたもんだから、これまで捜査の対象にもならないでですね。
なんと言いますか、何十年もこのチュチェ研という組織、いまだに相当数の勢力、独断で熱心に活動しているかどうかは別として相当数の勢力がいるようですが、そのムード作りにある時期まではある程度成功していた、言う事があったと思うんですが。
それが先ほどの田原総一郎さんじゃないけれども、10年間で本当にガラッと変っちゃったと。
10年前は右の論客なんか誰もいなかったと。
で、テレビに出てくれといったらとんでもないと誰も出てくれなかったと、そういう状況のなかで、ところが10年経ったら誰も彼もみんな右だということで、アメリカが正しいという事になってですね。
これもちょっと問題だなぁと私思わなくもないんですけど、そういったムードが出来た。
要するにチュチェ研の野望は途中で費えたわけですよね?

北朝鮮シンパを、あるいは社会主義をマルクス主義を、というようなチュチェ研の野望は費えたわけだけれども、いまだにこの拉致問題が全く、解決の兆しは見えましたけれども、兆しだけでその先進展しないというところ。
じゃあ何が、日本から北朝鮮を擁護しようというムード・空気は消えたにも拘らず、いまだに何が邪魔をしているのか?という事を考えていきますと、これはひとつムードとは裏腹にですね。
非常にムードと対照をなすような、非常に生臭いと言うか現実的なというか。
はっきり言ってムードとは対照的な裏腹の現実的なものと、現実的な裏づけという事でひとつ実益というか、利益・利権と言われるようなですね。
北朝鮮を利すると自分達が得をするという、例えば日本の政界にもいるし財界にもいるし、あるいはあらゆる分野に北朝鮮を利する事によって自分が得をすると。
それはごくごく私的な利益かもしれないけれども、とにかく得をするという事で国益を無視して私益に走る人たちがいるのが問題ではないかな?という事をまとめてみたのが、荒木先生に手伝って頂いた「北朝鮮利権の真相」という本なんですけども。

そういった中で例えば北朝鮮とですね。
国交を結ぶと、日本の側にとって何のメリットがあるのか?
国にとってはメリットは無いけれども、そこに北朝鮮と日本が国交を結ぶと何が起こるか?というと、これ日本と韓国の場合を考えてみれば分かるんですけども、日韓条約ですね。
日韓基本条約と言うのが結ばれた後に、当時のお金で5億ドルの経済協力という支援が行われました。
これ日本から韓国に一方的に流れるお金だけれども、これこのミソはですね。
キャッシュでお金払われるんじゃなくて、なんと言いますか、事業と建設というような形。
要するに日本の会社にお金が落ちるんですね。
日本の会社にお金が落ちる。
日本の建設会社は大挙して韓国に乗り込んでいって、その当時高速道路を作ったりとか地下鉄を作ったりとか、韓国のために随分と物を作ってあげたんですよね。
それによって韓国経済がぐっと成長したわけです。

それによって北朝鮮もやっぱり同じ事をやろうとする。
当時一番儲けたと言われているのは伊藤忠という商社ですけども、伊藤忠の瀬島龍三、政商と言われる男ですね。
非常にそういった政治的なビジネスに食い込むのが上手いと、元々・・・(司会より、残り時間の指示あり)
すみませんちょっと注意が入ってしまったので。(笑い声)

★司会 川添氏

すみません、会場が5時までしか借りて無いもので(笑い声)本当に申し訳ない。
また野村さんちょっとお呼びしてですね。
じっくりしたいと思います。
それでは最後に斉藤さん。
是非、今の思いをですね。
短くお願いして、なるべくお話して貰いたいと思います。
宜しくお願いします。

★斉藤文代さん

私は金正日に申し上げたいんです。
あなたは心があった人間であるならば、拉致した家族を全員返しなさい。
そうすればあなたの心も軽くなると言う事じゃないでしょうか?
全員返しなさいと申し上げたいです。(拍手)

★司会 川添氏

パネルディスカッション、どうもありがとうございました。
次が、今日始まる前にですね。
増元さんをお話もしていたんですが、岡田さんからも指摘があったんですが、福留さんを中心にした集会と言うのは全国でこれが初めてということだそうです。
今後も福留問題についてはですね。
私自身、よど号問題にかけておりますので、うちの会、神奈川の会では全国協議会とあるいは調査会と協力してやっていきたいと思っておりますので、今後もご協力の程を宜しくお願い致します。(拍手)
パネルディスカッションはこれで終わりにします。
   

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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福留貴美子さん拉致事件を考える集い(8)

『パネルディスカッション その2』

★司会 川添友幸救う会神奈川会長

次に斉藤さんの方にちょっとお話をいろいろまたお伺いしたいと思います。
2月にですね。
私も警視庁に同行したんですが、よど号グループに対して監禁罪で刑事告発をしましたが、告発した事に対して心境はどうでしたか?どんな感じだったか?というのと。

実は今月の13日にですね。
八尾恵さんの長女が帰ってきます。
長女が帰ってきた後はですね。
どうもよど号の本丸、所謂松木さん・石岡さんを拉致した実行犯、もしくはそれに近い支援者の人間が帰ってくるのではないか?という情報が我々入って来ております。
拉致実行犯の帰国が迫ってますが、その辺に関してどのように思われているのか?と、この2点ちょっとよろしくお願いします。
0000821m
★斉藤文代さん

告発の件はですね。
前々から私は弟を拉致されたことに関しまして許せないと言う気持ちでいましたので、いつかこういう機会がありましたらば絶対に、よど号犯の拉致した人たちを許す事はできないので、前々から考えていた事ですのでそれが出来て良かったなと思っております。
それからこれからよど号犯の妻たちが帰ってくる予定になっておりますけども、私が申し上げたいのは、

「なぜ帰ってくるんですか?好きであなたは北朝鮮に行ったんじゃないんですか?」

と言いたいです。
帰って来るんであれば、日本の拉致した家族を全部連れて帰って来なさいと言いたいですね。
それでもし日本に住みたいのであれば、日本でちゃんとするべき事をしてから(日本に)住む人間になって欲しいと、私はその様に思っております。
本当に許せないんです。
こんなに我慢しているのに、自分達だけ都合の良い時に行ったり来たりするということは、許せないと思っております。(拍手)

★司会 川添氏

ありがとうございます。
そうしましたらですね。
皆様方に最後に一言ずつですね。
会場の皆さん、もしくは会場によど号グループの関係者が来られているかもしれませんので(笑い声)、一言お話して頂ければですね。
伝わってくれるかもしれませんのでね。
ひとつよろしくお願いします。
じゃあ、増元さんから。

★増元照明氏

よど号の事件というのは丁度1970年ですから、私が高校一年だと思いますね。
るみ子が高校三年生で、高校から帰ったら福岡空港にずっと飛行機が止まってまして、それをずっとNHKが追いかけて、金浦まで行ってそれで平壌に行ってしまったんですけども。
あの事件が後々自分にとってこんな大きな問題として関わってくるなんて、あの時全く思ってなかったですね。
画面の向こうの中、夢物語のような感じで「彼らは彼らの思想で行ったんだからしょうがないわ」と、それくらいしか思ってなかったのに、彼らが主体的になって家族会の有本さんや松木さんやそして石岡さんたちを拉致していくのに非常に関わっていた事について、私は家族会結成してビックリしました。

で、この方たちの存在が、私は結局ですね。
1970年に平壌に入って金日成や金正日が日本人を何というか、オルグしていけば使いやすいな?と思わせたんじゃないかと。
荒木さんたちはその前からずっとやってるというように言ってましたけど、それまでは必要に応じて拉致していた人たちだとは思うんです。
それから金正日が1970年代後半に拉致を頻繁にあちこちでしていったのは、自分達の国でオルグして工作員化すれば、もしくは日本人は本当に従順な勤勉な人間だから使えるなと思わせたのがよど号だと私は思ってましてね。
その70年のよど号が向こうに行った事件が、その後の日本から私の姉やそれからめぐみちゃんやそして多くの日本人を連れて行った可能性も否定できないなと思っております。

その点で、高校のときにただテレビの画面で見ていた事件が自分の人生に、本当に大きく関わって来ると言うふうになっていきますと、人生という物は不可思議な物であるし、予想もできない物を感じてしまいますね。
運命と言えば運命なんでしょうけども、ただあの時にもっとよど号問題を真剣に考えておけば良かったかな?とちょっと反省しております。

★司会 川添氏

ありがとうございます。
今増元さんが、私も実は同じくちょっと感じてしまったのは、私ずっとこの藤沢に住んでいまして小学校の高学年の時でしょうかね?
スイミングスクールに通ってまして隣が交番だったわけですね。
で、ポスターが貼ってありまして、リ・ウネのポスターでしたかね金賢姫に拉致された、この人知りませんか?と。
何気なく通りかかってうちの母親に「この人なんなんだ?」といったら、母親がなにか「北朝鮮に連れて行かれちゃった人なんだ」と言われてまして、もう15年くらい前の話ですが、良く考えればわずか15年後にですね。
この女性の方を助ける事ですね。
こういうふうに活動しているなんて夢にも思いませんでしたし、この間、飯塚耕一郎さんにこの話をしたら、「それは高田さんの本じゃありませんけど宿命だったんじゃないですか?」と言われてちょっと何か納得して・・・
今増元さんの話を聞いてそんな事も自分でイメージしてしまいました。

それでは次にですね、荒木先生。
ちょっと一言よろしくお願いします。

★荒木和博氏

先ほど野村さんのお話を聞いててですね。
ちょっと思ったんですが、一体そのチュチェ研というのは元々なんだったんだろうな?ということをちょっと気にかかったんですね。
というのは北朝鮮の基本的な対日工作というのは、昔は韓国に直接入り難かったので日本を経由して工作活動をやると浸透するという事が、それが一番のメインでありまして。
北朝鮮の国家目標というのは言うまでもなく武力統一ということで、南朝鮮からアメリカを追い出してそして傀儡政権を打倒して統一をすると、言うのが目的だったのでですね。
日本の中での事というのはあくまでも2次的なものだったと思うんですね。
それがなんでこんなに長い間組織が続いているのか?と。
単に北朝鮮からのですね。
影響だけで果たしてこれだけ続くんだろうか?という事をちょっとふと今思いました。
北朝鮮の工作のですね。
系統からしてもちょっと異質な感じが今ふとですね。
しましたんで、改めてこれについては考えてみる必要があるのかな?という気がしました。

それからですね。
お母さんの話がいろいろ出てましたが、先ほど増元さんが増元さんのお母さんも信子さんということだったと、私の女房も信子でございまして(笑い声)、これもなんかの宿命なのかな?と私思いましたけど。(笑い声)

この家族という事についてなんですけど、政府がですね。
ご家族の意向を尊重してという事をしょっちゅう使うんですけども、これかなり曲者でありまして、どうもそのまま鵜呑みには出来ない。
というのはですね。
これ逆に裏返しにしますと、家族がもう良いよと言ったらそれでおしまいに出来るという事でもあるんですね。

一番良い証拠は寺越武志さんです。
誰がどう見たって拉致されたという事以外に考えられない。
彼は向こうにいて、そして失踪したときの状況とかですね。
それから考えればこれだけで拉致だと十分分かるんですが、政府は認定をしません。
認定をしない理由は何か?というとあのお母ちゃんがですね。
拉致だと認めないからという事を言われていたんですね。

かつてですね。
平沢勝栄さんが拉致議連の事務局長をやってたときだったかな?
何かあの、福留さんの話が出てですね。
で、その聞いたらば、それ何かお母ちゃんが認めないからというような事を言ってですね。
そりゃあいくらなんでもないでしょうと、そんなの認められるわけ無いじゃないですか?と。
いや本人も認めないと、そりゃ本人が認めるわけ無いと。

という、いろいろすったもんだした挙句にですね。
いや、まぁ、じゃあお母さんが認めるんで有れば、警察の方も考えるという事を聞いたもんでですね。
お母さんに相談した事もあったんですが、結果的にはやっぱり認めるわけにはいかないという事でした。
お母さんも直接話すときには拉致だということは言ってるわけで、それを認めないというのはいったいどう言う意味があるのか?と。
そういう時にだけ、家族というのをですね。
隠れ蓑に使っているのではないだろうか?と。

9.17の後で北朝鮮側は、蓮池さんたちからはですね。
横田さんの情報だけ出させたと。
他の人たちについては全く知らないと言いながら、横田めぐみさんの情報だけはですね。
べらべら喋らせたと。
そしてあの時何をやろうとしたか?というと、お父さんお母さんを平壌に呼んでですね。
そして終わりにしようとしたわけです。

あの時もし、お父さんも相当ですね。
揺れたわけですけども、ご家族が北朝鮮に行ってしまって納得してしまえばですね。
まぁ家族が納得したんだから良いんじゃないですか?というふうになっていた可能性がある。
家族という物をそういうふうに使っていた可能性があります。

そして一方でですね。
政府の人間が逆に言う時は、国益の観点から行くと拉致被害者の事だけで日朝国交正常化が止まって良いんだろうか?と。
これは槙田(邦彦)元アジア大洋州局長の「10人くらいの事で日朝交渉止まっても良いのか?」という事を言いましたが、そこに本音が非常に表れているわけでございまして、ここはしっかりですね。
問題の本質を考えなければいけないと。

私は常にこの拉致問題というのは安全保障の問題であり、ある意味で戦争であると言っているのはですね。
ここにちょっともうひとつ重要な意味がありまして、ご家族が可哀想だ・本人が可哀想だという事でやっている救出運動であれば北朝鮮が暴発して、今もちょっとごちゃごちゃやってますけども、ミサイル撃つぞと。
ミサイル打ち込むぞという事を、例えば言った時にですね。
彼らにそんな度胸はないと思いますが、もしそういうような事を見せた時に日本の中でどういう判断が下るか?と。

いや確かにそれは拉致された人も可哀想だしご家族も可哀想だと。
しかしその事と、その人たちを助ける為にまた何十人だか何百人だか例えば犠牲者が出てしまったら、それは釣り合わないでしょうと。
だからこれは大人しくしていた方が良いでしょうというふうにですね。
なるんですね。
実際彼らがおそらく世論誘導をやろうとすると、そういう事をやろうとすると思います。

しかし問題はそうではなくて、もし彼らのそういう脅しに屈すればまた次の事をやられる。
あるいは北朝鮮だけでなくてですね。
他の国からもそういう事をやられるかもしれない。
言う事なんであって、それがまさに私がこの問題は安全保障の問題であって、家族の意向というのは2次的な問題だと、いうふうに言ってる事の最大の理由でございます。

もちろんそれはご家族の意向は最大限尊重して貰わなければいけないわけなんですが、そうは言ったって我々古川(了子)さんの訴訟でですね。
政府認定者とそれ以外の人たちとを差別するなというふうに言ってはいるわけですけども、そうは言ったって拉致の可能性のある人という意味ではですね。
我々のリストだけで460人いるわけで、それ以外にも警察に我々のと重なってますが、問い合わせは900くらい人以上いる。
そして問い合わせをして来ない方も相当いるわけで、この人たち全部に家族会と同じように説明するなんて物理的に不可能なんですね。

もちろん特定失踪者のご家族も、もちろん拉致の可能性が高いというふうに思っていられる方でもですね。
やっぱりその一面、ひょっとして日本の国の中でですね。
何かの理由でいてくれないか?という気持ちは皆さん共通であって、我々もそうであってそれで見つかってくれればそれで良いと思ってやっているわけでございます。

そうするとその間を埋める物は何か?と言うと、もしその、例えば説明の仕方とかそういう物がですね。
政府拉致認定者と違っていたとしても、じゃあ実際に北朝鮮の中に誰がいるんだ?どこにいるんだ?という事に付いてはですね。
全く見えないところでも何でも良いからともかく一生懸命探しているという事が分かれば、それはそれでですね。
ある程度は仕方が無いと言うふうになるわけで、問題はそこをしていないという事にある。

増元さんが前にもよく言われますけども、その家族会が出来る前までですね。
我々が見えないところで政府がやっててくれるんだろうというふうに思っていたらば実は何もしていなくて、言う問題がですね。
これがやはり問題の本質であって、国家の意思というものはそういうものでは無い。
安全保障上やっぱり守るためには、ただ食う物を抑えるということは絶対出来ないわけでありまして、こちらから戦っていかなければいけない。

相手側の情報を得てですね。
そして実際にどうやって取り返すのか?具体的な手を打っていくと、言う事の努力をしていかなければいけないという意味でございまして、この福留さんの問題というのはある意味でそういうもののひとつのバロメーターにはなるのでは無いだろうか?と。
これからまた先ですね。
場合によってはよど号グループとか、あるいは場合によったらその警察とか国家機関の方からもですね。
いや実は福留さんはああだったんだこうだったんだと、拉致ではないと言うような情報を流してくる可能性だってあります。

しかしそういう時にですね。
そこで踏みとどまって、ともかくこの人は帰って来て貰わなきゃいけないんだというふうにですね。
やはり国民の意思が結束できるか?と言うのが極めて重要でございますので、このお忙しい中お出で頂いた皆さんには、ぜひともそこをご理解頂きたいというふうに思います。
ありがとうございました。(拍手)

p>TITLE:蒼き星々 掲示板(サブボード)
DATE:2006/06/27 00:10
URL:http://8229.teacup.com/blueribbon/bbs

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2006年6月25日 (日)

福留貴美子さん拉致事件を考える集い(6)

  『大沢茂樹さん(特定失踪者・大沢孝司さんの兄) 特定失踪者家族の紹介と訴え』

★大沢茂樹さん

ただ今ご紹介にあずかりました、私、特定失踪者・大沢孝司のすぐ上の兄で、大沢茂樹と申します。
本日は福留貴美子さんの拉致事件を考える会に参加させて頂きまして、本当にありがとうございます。
今日は私の他に3家族の特定失踪者の家族も見えておりますので、この機会に簡単にご紹介をさせて頂きたいと思いますので、ちょっと前の方へ出て来て下さい。(特定失踪者のご家族が登壇する)

1151135188

(写真左より、寺島佐津子さんのご両親、高野美幸さん、大沢茂樹さん)

こちらにおられるご夫婦は昭和54年8月の10日、鎌倉市で花火大会があり、その銀行の親睦旅行を兼ねて花火大会に参加した後、戸塚駅でバスに乗り帰宅途中忽然として行方不明になった寺島佐津子さんのお父さんとお母さんでございます。

★寺島さんのお母様

よろしくお願いします。(ご両親がお二人揃って会釈をされる、会場より拍手)

■公開リスト詳細(検索結果)■

昭和54(1979)年
228
228 氏名 寺島 佐津子 失踪年月日 昭和54(1979)年8月10日
ふりがな てらしま さつこ 生年月日 昭和35(1960)年7月26日
性別 当時の年齢 19
身長 体重
公開 第12次公開
当時の身分 銀行員
特徴
失踪場所 神奈川県横浜市戸塚区
失踪状況 失踪当日、勤務先の支店の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、夜10時に現地解散。同僚と鎌倉駅で別れ、戸塚駅からバスで帰宅途中に行方不明。翌日、自宅近くの草むらからセカンドバッグが見つかる。警察犬の捜査でもここまで来たのは間違いない。

TITLE:特定失踪者問題調査会
DATE:2006/06/24 23:28
URL:http://chosa-kai.jp/cgi-bin/address/list3.cgi

※特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会より引用
http://chosa-kai.jp/index.html

★大沢茂樹さん

私の隣にいる方は昭和51年7月の30日神津島で、大学の友人と遊びに行き、神津島の民宿で忽然と姿を消した高野さんの妹さんでございます。

★高野美幸さん

いつもお世話になっております。
神津島から行方不明になりました高野清文の妹、美幸になります。
藤沢の方は良くお話をさせて頂いていますので、今回はちょっとご挨拶だけという事でありますが、今日は私いつも母の作品をお持ちしておりますけれども、調査会の方で「しおかぜ」という短波放送をしておりまして、最近ですね。
北朝鮮側から妨害電波が入っておりまして、非常に放送の状況が大変な状況なっております。
6月の中旬より対策をとりまして放送の方を再開・再編成と言う事で放送をしていくことになっております。
そのしおかぜの方の支援を致しますサポーターグッズ、タオルとかストラップ・リストバンドなどを販売しておりますので、W杯も近い折、娘さん息子さんに紛れてそういうグッズを使って頂いても良いかと思います。
ご協力の方をよろしくお願い致します。(拍手)

■公開リスト詳細(検索結果)■

昭和51(1976)年
80
80 氏名 高野 清文 失踪年月日 昭和51(1976)年7月30日
ふりがな たかの きよふみ 生年月日 昭和31(1956)年10月31日
性別 当時の年齢 19
身長 172センチ 体重
公開 第2次公開
当時の身分 電気通信大学2年生
特徴 中肉、丸顔鼻低い、口は大きい、眉濃い。
失踪場所 東京都神津島村の民宿から
失踪状況 大学寮の仲間と神津島へ行き行方不明に。前日に山へ行くと言っていたため、神津島村の天上山を捜索するが発見できず。同月12日に隣の新島でも若い女性が行方不明になっている。

※特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会より
http://chosa-kai.jp/index.html

★大沢茂樹さん

どうもありがとうございます。
もうお一方、昭和47年東京の渋谷区でクリーニング店に行くと行って出たまま、行方が分からなくなった生島孝子さんのご親戚のコイト(漢字表記不明)さんも見えておりますが、ちょっと席を立って後ろへ・・・(その場で立ち上がり会釈)
よろしくお願い致します。(拍手)
以上3名のご家族が本日の勉強会に参加させて頂きますので、よろしくお願い致します。
どうもありがとうございました。(拍手)

昭和47(1972)年
55
55
1000番台リスト
氏名 生島 孝子 失踪年月日 昭和47(1972)年11月1日
ふりがな いくしま たかこ 生年月日 昭和16(1941)年6月14日
性別 当時の年齢 31
身長 体重
公開 第1次公開
当時の身分 港区役所麻布支所交換手
特徴
失踪場所 東京都渋谷区
失踪状況 当日、一日の年休届けを出し勤め先を休む。朝、同居していた妹に「夕方に電話があったら出かける」と言っていた。衣類の入れ替えをし、夕方クリーニング店に衣類を出している。孝子さんは翌日出勤時に着る服を揃えておいて出かけていた。その夜何の連絡もなく帰宅せず。翌2日夜、自宅に電話があり、しばらく無言の後、「今更仕方ないだろ」と男性の声とともに切れた。平成16年9月29日、警視庁に告発状提出。

※失踪者の情報は特定失踪者問題調査会のHPより引用
http://chosa-kai.jp/index.html

うらさんの祈りはダイヤモンドになって―健気に生きた明治の母 うらさんの祈りはダイヤモンドになって―健気に生きた明治の母

著者:生島 馨子
販売元:文芸社
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参考朗読Blue jewel Voice

★大澤茂樹さん

簡単に御挨拶をさせて頂きます。
私の弟は昭和49年の2月の24日、新潟県の佐渡島で曽我ひとみさん親子が拉致された真野町の拉致現場から、距離にして7~8キロしか離れていない、天然記念物トキの保護センターのある新穂村と言うところで北朝鮮に拉致された疑いが濃厚となっております。
曽我さんたちの約2年半前の事件であります。
事件当日丁度日曜日で、一人で隣町の金井町と言う所に遊びに行きその帰り、単身で佐渡に渡っておりましたので夕飯を外食し、帰宅途中知人宅のタバコ屋に立ち寄り、そこまでは足取りがつかめておりますが、そのタバコ屋から一切消息が分からなくなっております。

事件当時、佐渡の両津警察さんの方から、大掛かりな捜索をしていただきましたが結局分からず、また失踪する理由も分かりませんでした。
私の家族は拉致の疑いが排除できず、約4年半前新潟県警の方に再調査を依頼致し、再調査をしていただいたところ「拉致の疑い間違いない」と言う新潟県警の異例中の異例の見解を頂く事ができました。

私の弟は今月の21日になりますと誕生日で満60歳で還暦を迎えます。
今から拉致されて32年になりますが、残りの人生の3分の1、何が何でもこの日本に戻し自由な国に過ごしてやりたいと思っております。
また私どもの親は、母親は弟が失踪してからその心労が元で昭和63年に他界いたしましたが、今年95歳になる父親はまだ健在でございます。
せめて父親が元気なうちに弟の再会を果たしてやりたく、私もこのような機会があれば出席させて頂き、このようにお訴えをさせて頂いております。
今の日本政府の拉致の取り組み状況は北朝鮮が悪いのか、日本政府の方が悪いのか分かりませんが、今硬直状態となっております。

先ほど松木薫さんのお姉さん、また荒木先生の方からもお話しがありましたが、横田めぐみさんまた松木薫さんの遺骨、また有本恵子さん等の診断と全て捏造であり、ばれました。
ところが北朝鮮は拉致はすでに解決済みと居直り、話し合いをする姿勢もありません。
このままでは拉致被害者は全て皆殺しになると思います。
私はこの拉致問題を一刻も早く解決するには、小泉さんから経済制裁の発動を一日も早く発動していただき、圧力で解決していかなければあの国とは話し合いでは解決できないものと思っております。

それには今の日本政府は皆様方の世論の後押しがなければ何もやってくれません。
どうかこの拉致問題が一刻も早くまた一日も早く解決するには、更なる皆様方の日本政府に対する圧力が必要と思っております。
更なるご支援とご協力をお願いし、甚だ簡単ではございますが私の挨拶とさせて頂きます。
本日はどうもありがとうございました。(拍手)

■公開リスト詳細(検索結果)■

昭和49(1974)年
69
69
1000番台リスト
氏名 大澤 孝司 失踪年月日 昭和49(1974)年2月24日
ふりがな おおさわ たかし 生年月日 昭和21(1946)年6月21日
性別 当時の年齢 27
身長 体重
公開 第1次公開
当時の身分 新潟県佐渡農地事務所勤務
特徴
失踪場所 新潟県佐渡郡新穂村
失踪状況 自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。当時事務所には50~60人が勤務、うち15~20人程度が本土から単身赴任で来ていた。失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我さんと違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。元同僚の話では「失踪の2~3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。北朝鮮製と思われるマッチが寮の前あたりに落ちていたという。平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。

※失踪者の情報は特定失踪者問題調査会のHPより引用
http://chosa-kai.jp/index.html

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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2006年6月24日 (土)

福留貴美子さん拉致事件を考える集い(5)

  『斉藤文代さん(松木薫さんの姉)の訴え』

~~よど号グループに思うこと~~

0000706m

皆様、今日は本当にありがとうございます。
松木薫の姉の斉藤文代です。
いつもこうしてお話を聞いて頂いて、本当に私いつも思うんですけれども、早くこのお話を聞いて頂かなくても皆様が喜んで頂ける、まぁ顔ですね。
私も見たいし私も見せたいし、早く解決しないかといつもいつも願っておりますけれども、中々これは難しい問題で全然私たちも前進致しませんけども、やる事だけは全部やらなければいけないという気持ちで、私も一生懸命やっております。

私の弟は8つ下で1980年に北朝鮮の方に、先ほど話されたよど号の妻たちによって拉致をされて連れて行かれました。
もう本当にもう少しで帰ってくると言う。
本当に私の父も今度こそは自分の息子と一緒に住めると、長い長い願いがあったんですけれども、本当にお酒もですね。
父はうちの弟と一緒に飲み交わしたいと言う事を常日頃聞いておりました。

ですから「学校を卒業したら俺は薫と一緒に飲みたいから、お前もたまには付き合ってくれよな」って言うような事は良く私も聞いておりましたので、本当にそれをさせて上げられない。
可哀想だなと思って、薫がいなくなりましてからは、私も少々は飲めますので父が寂しい顔をしているときには「お父ちゃん、今日は一杯飲もうか」と言って、私は女ですけれども弟の代わりは出来ませんけれど、父と一緒に飲むとですね。
とても喜んで私といろいろ話をして中々それを終わろうとしませんので、母から「女の子なんだから」と言う事で「やめなさい」と言われる事もありました。

私は時々しか帰りませんので、家の方にですね。
父と飲める事を楽しみにしておりましたけども、ただただ残念な事には父は私の耳には一切薫の事は話してくれませんでした。
やっぱり話をすれば父も辛いんでしょうし、私もこういう人間ですから考えが道がどこかに逸れる場合もあるんじゃないかと父は思って、いろんな事で父は私に苦しい思いを話してくれなかったと思います。
今になって思えば父は本当に私たちに苦労をかけまいと思って、自分ひとりで苦しい思いをして、そして平成2年に亡くなりましたけど、拉致問題と言うのは拉致された家族じゃないと本当に言い表せない苦しみと言うのがあるんですね。

今度父が亡くなりまして、今度は残された母がまた気の弱い人間ですので、今度は私に全部これが降りかかってどうしたら良いんだろうと、母はまた随分苦しんだと思います。
それで普通でしたらばまだ、今現在84歳ですから元気でなければいけないんですけども、やはりいろんな事を考えてますので、痴呆に入るのが本当に早かったと私思います。
ですから私に対してお話をするときにでも、ときどきあれ?っていう様な、全然関係の無いような言葉をいう時があるんです。
何でこんな事を言うんだろうな?って、そういう言い方はお母さんの言い方にハマらないな?と思いながらも、私も案外無頓着な物で気が付かない所があるもんですから、それが段々段々酷くなっていたのに気がつかないで、私も気が付いてあげればよかったんですけども。

本当に苦しんで苦しんで私が気が付いた時には本当にもう、母と私が会話がじっくり出来るような正常な状態でお話が出来るような所でなかったもんですから、今思えば本当に可哀想な事をしてしまったと思いまして、今病院の方に入院しておりますけども、精一杯私は出来る事をして上げなければと思って今病院の方で。
前はですね。
昔は薫の事をお話しませんでしたけど、今は薫の事も黙っているよりいろいろお話してあげた方が良いと思って、いろんなお話をしながら母に希望を持たせなければいけないという気持ちがありますので、もうすぐしたら帰ってくるとか話をいろいろとっかえましていろんな会話をしておりますが。

私が一番本当に今現在正直に望んでいますのは、母もそんなに長くはこの世にいられないんじゃないか?と言うことも思っておりますので、何としてでもやはりこの問題を解決しなければと思いまして、私も力不足で何もこう得意な物もありませんし、いつもいつも考えてどうしたらいいんだろう?どうしたらいいんだろう?と、いつも考えておりまして、この間ですね。
ここの救う会、神奈川の救う会の川添さんから、「ノルウェーの方に行くんだけれども斉藤さん行って見ませんか?」と言うお話がありまして、急遽でしたが私が何か出来れば行って私が何かやりたいと言う気持ちもあったものですから参加させて頂きました。

それでノルウェーの方で斎賀大使と話をさせて頂きまして、国際会議ですからスケジュールはキッチリと詰まっておるんで、私が出てお話をするという事はそれは到底時間的にも出来ませんでしたので、斎賀大使が朝早く時間を取ってくださいましてお話しする事は出来たんですね。
それで拉致問題のお話を私はずっと経過をお話しまして、「拉致された家族・特定失踪者・私たちの家族、もうみんな本当に苦しんでおります」と。
「高齢化しておりますので、なんとしてでも皆さん全員家族に会わせてあげたいと言う気持ちで私はノルウェーまでお願いに参りました」と。
それでノルウェーの力、欧州の方からですね。
声を広げて頂いて、北朝鮮と言う国を理解して頂いて、早く何らかの解決の道がひとつでもですね。
前進をするようにお願いをしたいと私申しましたらば、国際会議の場で斎賀大使は自分の持ち時間を割きまして、拉致問題に対してたくさんお話をしてくださいました。

私は英語は分かりませんけども、日本から来られた外務省の方が「今こういうようなお話をしております」と、送ってくださいましたので、今こういうお話をしているんだなって事で。
本当に私はそれを聞いていまして、あぁ長い間ずいぶんお話してくださったなと思いました。
「今度は人権の方に話が変ります」とかって言われたので時計の方を見てみましたら、20分くらいは、だいたい持ち時間は30分くらいでしたが、20分くらいは拉致問題に対してお話をしてくださいました。

その時は私は本当に来てよかったと、私は他の方に、いろんな国の方が来ていらっしゃいましたので、本当に拉致と言う事は人権問題でもありますし、早く解決しなければいけない問題です。
本当に日本の場合は長すぎるんですね。
この問題がですね。
だからもう斎賀大使とお話をしていましても、私の母だけでなくて、いろんなお母さんたちの顔が拉致家族のお母さんたちの顔が浮かんできます。
本当にこのお母さんは、このお母さんはと言うたびに、私は胸が詰まりまして。
でもそれを言わなければ本当に皆さんがそれを分かってくださらなければいけないことなので、私も本当に苦しい事ですけども斎賀大使に「なんとしてでも助けてください」と、早く解決する事を私は本当に願っておりますし。

私もこういう体型ですけどもいろんな病気がありますので、私も母と同様に同じように床に付くようになってはいけませんので元気なうちになんとしてでも解決して、家族がですね。
みんなタラップから降りてくる事を、一回目のタラップからは私たちの家族は降りてきませんでしたけども、2回目は絶対に全員が降りてきて、皆がよかったねと、本当にこれまで一生懸命やって良かったねといえる日が来るまで、皆で頑張ろうねっていつもいつも励ましあっております。
だからそれが実現するまではなんとしてでも皆様方にこういうお力を借りて、本当に一日でも早く北にいる皆が日の丸の旗を掲げた飛行機を待っている。
皆を助けると言う気持ちで、私も一生懸命やらせていただいております。

本当に私の家族も骨とか持たされました。
2度もですね。
でもその骨も他人の物と言う事で、ますます私は薫を救ってあげたいと言う気持ちで頑張っておりますので、どうか皆様方もこれからも温かく私たちの家族を、全員の家族を支援して頂いて見守って頂いて、一日でも早く全員が帰国できまして、皆で笑って良かった良かったといえる日が一日でも早く来ますように、どうぞ皆様これからも力を貸してください。

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

家族 家族

著者:北朝鮮による拉致被害者家族連絡会
販売元:光文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2006年6月21日 (水)

福留貴美子さん拉致事件を考える集い(4)

荒木和博 特定失踪者問題調査会代表 講演

~~福留貴美子さん拉致事件の本質~~

0000816m

ご紹介を頂きました荒木でございます。
今日はお忙しい中こんなにたくさんの皆さんお集まり頂きまして、本当にありがとうございます。

今、野村さんの話を聞いていてですね。
映画の話が出ましたんで、ふと思い出したんですが、私も実はその北朝鮮の映画を一回見に行った事がございます。
ずいぶん昔ですが、学生時代だったかな?渋谷にですね。
北朝鮮の映画を上映する映画館と言うのがあったんです。
確か、入場無料だったか千円くらい取ったか忘れちゃいましたけど、見に行きまして、観客私一人でした。(笑い声)
やってた映画はですね。
今でも覚えているんですが、「高圧線」と言う映画で、要は電気の技師がですね。
朝鮮戦争のときに米軍の爆撃から高圧線を守るためにですね。
その活動について描いた映画でございまして、これ、中々良く出来てですね。
正直言って私泣いてしまったという(笑い声)感動的な映画でありました。
で、私には幸いにしてその後お声はかからなかったんですけども、まぁそういうふうにして声の掛かった方はおそらくいたんだろうなと。

それからもうひとつ、これはまだ私が民社党の本部に勤めていたころですが、私の通勤経路がですね。
丁度歌舞伎町が通勤経路になっていまして、で、あるときですね。
もうだから20年位前かな?
仕事が比較的早く終わってですね。
ふらふらっと歌舞伎町の中を歩いていましたならば、こういう名前の看板がありまして、(後ろのホワイトボードに平仮名で「まだん」と板書する)これ韓国語がお分かりの方ならご存知と思いますが、広場と言う意味の韓国語です。
当時は今みたいな韓流ブームでも何でもなかったものですのでね。
こんな看板なんか殆ど見た事がなかったので、ふらふらっと入っていきました。
スナックでございました。

カウンターで飲みながらですね。
話をしてて、何でそうなったのか?今になるとよく思い出せないんですけども、マスターがですね。
おもむろに名刺を出してきました。
その名刺になんて書いてあったかと申しますと、(ホワイトボードに「統一革命党日本代表」と板書)「統一革命党日本代表」というこれは北朝鮮の工作機関ですが、この文章が突然出てきたもんですでね。
おそらく一体なんで入ったか?と言う話になって、韓国のこととかやっているという話をしたからじゃないか?と思うんですが、さすがに私もビックリしましてですね。
しかしまぁ、相手がそれを出して来たんだから、こっちも名乗らないわけにはいかないと思って、「いや俺は民社党本部の人間だ」という事を言って(笑い声)申しました。

そしたらそこに、これは名刺を出したのはマスターなんですけども、ママさんがいましてですね。
その人がいろいろ良くしてくれまして、それから数回行ったんですが、後で聞いたらこのママさんが、マスターは余りたいした問題じゃなくて、この人が大物の工作員と言うかエージェントだったという事が後に分かりました。
で、ふと今から考えてみるともしですね。
あの時、酒の中に薬でも入れられたらですね。(笑い声)
それでおしまいですね。
私だから、仕事終わって一人でふらっと帰ったわけであって、職場の同僚ももちろん分からないと。
で、家族ももちろん知らないと、いう所でですね。
入った飲み屋でそこで飲まされて、後はどこかへ行っちゃったという事であればですね。
誰も気が付かない事である。

その後私もですね。
性懲りもなく何回もその店へ行ったもんでですね。
そうすると今度はもし例えばそこの店に行ったという事が分かったとすると、今度はいやあいつはおそらく北朝鮮の事が好きになって自分で行ったんじゃないか?というふうにですね。
なってしまった可能性も、これも当然ある、と言う事でございます。

で、この名刺なんか出したのはたいした事無いんですが、そこのママさんがやはり大物でですね。
大物だっただけに結構ちゃんとした人でですね。
その後、もう亡くなったと聞いていますけども、いろいろとお付き合いと言うわけじゃないですけど、店には行ったりしたという事がございました。

で、今日は焦点となっていますのは福留貴美子さんの事で、先ほど川添さんのお話の中に、警察がどういうふうに認識をしているか?と言うことについてのお話がありました。
これはですね。
この中にもおそらく神奈川県警の方なんかおられるのかな?
まぁ警察の認識としては、さっき川添さんが言ったように自分で行ったと。
そして逃げられたのに逃げなかったと、いう事でこれは拉致だと認めていないという事、ですね。

この2月の日朝の実務者協議のときに、福留さんの名前を出していると言うのは、これは実は警察に相談しないで外務省がやった話です。
だから外務省はですね。
警察からの追求を避けるために三十数名と言う言い方をしています。
実際は1000番台リスト34名に、小住さんと福留さんを入れて36名なんですが、これを三十数名というようにぼかしているのは、この福留貴美子さんとそれから警察が死んだと言うことにしている山本美保さんの二人が入っているから、と言う事でございます。

この福留さんの事件と言うのは、非常にある意味でいうと象徴的な事件でありまして、一体拉致の本質は何か?と言う事を考える上でですね。
それは非常に重要な事件です。
と言いますのは、拉致と言うとやはりですね。
海岸を歩いていたらば無理矢理捕まえられて、そして袋に詰め込まれて船に乗せられたと、いう事でですね。
連れて行かれたというふうに思われるイメージが非常に強いと。
しかし、実際にはですね。
そういうケースはそれほど多くはない、と思います。

今日は家族会の増元事務局長がお見えですけども、増元るみ子さんなんかの場合はですね。
やはり市川さんとデートに行ってる時にやられたと言う事で、その可能性が一番近い人ですけども、しかしその増元さん・市川さんのケースでも市川さんは電電公社の社員でしたが、電電公社とか電話の関係者でいなくなってる方が多い事を考えますとね。
その場で行き当たりばったりではなかった可能性と言うのも存在をする。

一番可能性として高いのは横田めぐみさんですとか、おそらく横田さんの場合でも全くたまたま出会いがしらと言うのではなくて、若い女性を連れてくるという指示があって待ち構えていて網に引っかかったと言う事は最低限あるんでしょうが、そこから段々段々ですね。
グレーゾーンに向かっていくんですね。

一番のグレーゾーンと言うのはやはり自分で北朝鮮が好きになって入ったと。
しかし戻れなくなったと、いうことです。
これはある意味ではよど号の妻たちでもそうです。
よど号の妻たちでも彼女たちは大部分は北朝鮮にですね。
もちろん自分の意思では行ってますけど、まさか向こうでよど号グループと結婚させられるとは想像していない。
で、行ってみたら無理矢理くっつけられたと。

これもいろんな話があるんですが、どうもですね。
相当無茶な事をされた・相当酷い事をされたらしいと言う話も私聞いております。
そういう中でも他に選択がなくなって結婚をしたと。
で、しかし結果的にはですね。
本人たちがその気になったから、あれは拉致ではないということなんですが、彼女たちだってもし向こうに行ってからですね。
「こんなはずじゃなかった」と「私たち帰る」と言ったら間違いなく拉致になります。

福留さんはやはりそこに近いグレーゾーン、だと思いますね。
自分の意思で北朝鮮に入った事は、まぁ間違いが無い。
そういった意味では有本恵子さんとか、松木さん、石岡さんなんかと同じケースになります。
しかし、そこでず~っと暮らす事になるとはおそらく思っていなかった、いう事でですね。
拉致と言うのはそこまで全部ひっくるめないと、いけない。

そうすると更に言えばですね。
この自分の意思で入ってそして出られなくなった拉致と言うのはですね。
もうほとんど境界線の無いくらいの先には、今度は帰国運動があるんですね。
帰国運動で、確かにそれは自分達で決めて北朝鮮に行ったと。
しかし、すぐにですね。
帰国運動の時は1年か2年したらば里帰りできると思って行ったらば、全く出られなくなってしまったと、いうようなことがある。
これは殆ど境目が無いに近いぐらいの状態でその向こう側にはこれがある。
ず~っと、これグレーゾーンなんです。

この間に更に今はほとんど問題になっていませんが、在日朝鮮人の拉致被害者と言うのがやはりいます。
このケースもですね。
やはり、例えば工作船なんかを使って不法に出国したと言う可能性はある。
しかし本人たちは戻ってくるつもりだったのが戻れなくなったとかですね。
そういうケースが相当ある。

だから拉致と言うのはですね。
バシッとですね。
ここでもうこれは拉致です、これは違いますというふうに割り切れる物ではなくて、凄くですね。
非常に複雑だと、いうことです。
それを是非考えておいて頂きたい。

それから福留さんのケースでやはり日本に戻って来たと、これが警察が拉致を認定しないひとつの大きな理由なんですが、これは先ほど川添さんが言ったように、子供たちを残して来ているという事でですね。
無茶な事は出来ないと。
尚且つ、例えば警察に駆け込んだところでですね。
警察がその時相手にしてくれたかどうか?と言う事も疑わしい、と言うことであります。

レバノン人の拉致被害者ですね。
彼女たちも、北朝鮮の当局はベオグラードに出す時に、「お前たち、もし逃げ込んだってレバノンの大使館にだって俺たちの仲間はいるんだぞ」と言うような事を言っていたと、言う事でですね。
当然「警察にだって仲間はいるんだ」とか言ってたでしょうし、そうするとそこでですね。
勇気を出してそういうことが出来るか?と。
ひとつ間違えたらば、自分の命が無いかもしれないと、言う事があったということでありまして、これも重要な問題として、考えておかなければいけないわけです。

向こうに行ったというのは、基本的には向こうが何か使おうと思ってるわけですから、当然何かしらの工作活動に従事している可能性は十分あります。
だって例えばですね。
今帰っている蓮池薫さんなんかにしたって、全然喋らないですよね?
喋らないどころか彼が出してくる情報の中には、どう考えてもですね。
何らかの目的を持って出しているとしか考えられない情報が決して少なくは無い、わけであります。

こういう事が彼の耳に入ると彼は相当敏感になるんだそうですけども、この間金英男さんのご家族が行って会ったときも、金英男さんのご家族は今まで聞いていた事だけだったと非常に失望されたと言う事だそうですが、実際おそらくそうなんだろうと言うふうに思います。
今でも例えば地村さんなんかは毎日のように柏崎に電話して指示を仰いでいるという話であって、蓮池薫がコントロールタワーをやっているだろうと言う事は、もうみんな公然の秘密みたいな物でありまして、誰も言わない。
ある意味で言うと子供たちが帰ってきたら喋るんじゃないか?と思っていた私たち自身の期待も裏切られて、そして子供たちが帰ってきたら尚の事喋らなくなってしまったと、言うのが残念ながらその事実であろうと言うふうに思います。

かといってじゃあ、彼らをですね。
全面的に非難できるか?と、今喋ってくれない事については私は様々な思いがありますけども、しかしですね。
彼らが喋らないのは、ただ単に北朝鮮に対して忠誠心を持っているから喋らないと、いうことではやはり無いと思います。
ある意味で言うとドメスティック・バイオレンスみたいなものでですね。
恐怖感からは絶対に抜けられないと。

彼らのところに書いた手紙では、私は「戦ってくれなければ絶対にその恐怖感からは逃げられませんよ」と言う事を書いたりしたことがあるんですが、そういう事を書いたら何か脅迫状が来たとか言う事をですね。
言われてしまっていますので、まぁ相当嫌われているんでしょうけども、しかし現実問題としてはやはり彼らの恐怖をですね。
つかさどっているあの体制が潰れない限りは、どうやってもですね。
彼らがその恐怖感から逃げる事はできません。
だからそういう意味では、彼らが今やってることについて、100%の非難は出来ないと。
もちろん喋ってもらわなければいけませんし、もっと無理をしてでも喋らせなきゃいけないと私は思いますが、そういうことはある。

だから拉致被害者が何となくイメージとして、無理矢理つれて行かれて、何とか日本に帰りたいと思ってですね。
ただじっとしていると言うふうに思うイメージを思い描いていると、後でおそらくそれと現実のギャップがですね。
相当違った物が見えてくると。
その時に我々騙されたとか言う事をですね。
なってしまうと、これは拙いです。

そうじゃなくて、ああいう国の中にいるんですから、当然そういうことをさせられたと言う事はあるわけで。
それが例え半分くらい本気で彼らがやっていたとしても、それをですね。
最終的に我々は全て悪事を働いていたと言うような見方をする事は出来ないであろうと、言うふうに思うわけでありまして、その点をどうかご理解を頂きたいと思います。
福留さんの事件はまさに、そういう事件のひとつの象徴であります。

で、特に彼女の場合はですね。
私も救う会の事務局長をやっていた時代から彼女の事には関わっておりまして、高沢皓司さんと一緒に高知に行ってですね。
お母さんご存命のうちに2度お会いした事があります。
あのお母さんはですね。
前に日比谷の全国集会に一回来ていただいた事がありますが、本当に見かけは田舎のおばあちゃんですけども、物凄い記憶力の良い人で、凄い頭の良い人だなぁと、私よりよっぽど良く物を覚えている人でありました。

お母さんの言った事で非常に印象に残っているのは、あの時よど号グループの関係者が何とかしてその孫をですね。
貴美子さんの娘さんたちの事で結びつきを持って、そして福留貴美子さんの死亡届を出させようとしていたと。
その時に、お母さんが言ってたのは「私が骨で、そして貴美子は肉なんだ」と「そして孫たちは皮である」と。
「皮と骨は直接繋がらないで必ず間に肉がなければいけないので、貴美子の事が分からないのであれば、それは分かるまでやらなければ、そこで妥協すると言う事はできない」と言う事を言っておられました。

そういうお母さんですから、かなりしっかりしていたという事もあり、相手側もですね。
相手側と言うかよど号グループの関係者、この中にも誰かしらいるんでしょうけども、相当神経を使ってました。
ひとつ前に言われてびっくりしたのは、ご存命のときにですね。
福留さんのお母さんが一回ですね。
何か目の病気で隣町の病院に数日間入院した事がある。
数日で帰ってくるんで近所の誰にも言わなかったと。

で、郵便局にだけ「手紙をちょっと止めて置いてください」とか何とか言ってたらしいんですが、そして帰ってきてからしばらくしてからですね。
北朝鮮のよど号グループから、その病院気付でですね。
お母さん宛に手紙が届いたという話をしてました。
ですからどこでどういう事をしているのか?と言うのをですね。
チェックしている人間がいるんだなぁということが分かったわけで、あんな本当に田舎なんですけども、そこでもそういう事をやっていたという事であります。
だからこそ、そういう一応ネットワークがあるから、そう簡単に帰国したからと言ってそこでパッと逃げ出せるということでは無いと言う事をご理解を頂きたいと思います。

政府が認定しています11件16人というのはですね。
これ結局、我々も古川了子さんの訴訟で認定の基準の問題なんかをやってるんですが、要はですね。
認定の基準なんか何も無いんです。
たまたまマスコミが騒いだとかですね。
それから工作員が捕まって自白したとか、そういう事でやってるだけで、それ以外の物は無いと。
そこに一生懸命ですね。
屁理屈を付けて、認定の基準はこうだとかああだというような事を言うから、返って話がおかしくなる。

所謂その警察の捜査のやり方でですね。
そして認定できる人間なんてそんなにおそらくいないだろうと、言うふうに思います。
しかし問題は、じゃあ警察の判断で認定できる人間がいないから、じゃあみんなそのままで良いのか?と。
あいつは自分の意思で行ったんだよと言うことだけでですね。
済ましてしまえるのか?と。

非常に不謹慎ながら、私は時々例えで使うんですけども、「踊る大走査線」でですね。
青島刑事が公安の刑事だったとしてですね。
人がいなくなる失踪事件を追っかけると。
で、「いやあの人は拉致されたことに間違いがありませんよ」と言ったらですね。
所長と副所長と課長がですね。
「いや青島君、あの人は自分でいなくなったんだからね。拉致じゃないから、自分でいなくなったよ」と言う風にして終わりにしてしまうと言うようなパターンがあるのではないだろうか?と。

ですから最終的には田中実さんの事件とか、原敕晁さんの事件とかもそうですが、ああいって身寄りの無い人を狙ったケースについては、ご家族が名乗り出る事も何も無いわけなので、結局全ての人たちを返してくるためにはやはり今の体制を変えてしまってですね。
そしてみんな自由に出て来れる様にすると言う所に持っていく以外に方法は無いと。
これは他の北朝鮮の人権問題の解決なんかも結局そこに辿り着いてしまうんで、そこに行くしかないわけですが、そこを警察的に刑事事件として捉えるということであれば、逆に上手く行かないであろうと言うのが私の考え方でございます。

先ほど野村さんが言われたチュチェ研の動きとか、そういう事はですね。
これは全部止めるなんて事は絶対出来ません。
どんな国だって、自分の国が生き残る為に工作活動っていうのは必ずやります。
アメリカだってもちろん日本に対してやってますし、イギリスだってやってると。
中国も韓国ももちろん皆やってるわけでありまして、それは同盟国・友好国とか関係ありません。
生きるためには当然そういうことはしなければいけないわけでありまして、日本だってですね。
極めてお粗末ではありますけども、やって無い事は無いわけであります。

戦前はかなりですね。
それこそ満鉄の調査部とかあんなのを含めて考えれば、膨大な情報機関を持ってやってきたわけで、これは国家として生き残る為に当然です。
ですからどういう世界になろうと、そういう物をですね。
全部なくす事はできないんで、ですからそれはカウンター・インテリジェンスでですね。
抑える努力をしながら、そしてこちらからも送り込んでですね。
そして情報を取ると。

場合によったら、アメリカほど荒っぽい事をやらなくてもですね。
政権の転覆を図るような事くらいまで、やんないとですね。
攻撃は最大の防御と言うやつで、専守防衛でいくらやったってこの国を守る事なんか絶対に出来るはずなんか無い、と言うことであります。

そういう意味で福留さんの事件を我々本気になって取り返すことが出来るかどうか?と言う事が、ある意味で言うとこの拉致問題での認識をですね。
どういうふうにしていくのか?と言う重要な問題に絡んでくると言う事でございまして、どうかその点をですね。
ご理解を頂きたいと思うわけでございます。

もちろんそれだけは言っておきますが、かつてですね。
金子だったかな?
誰かが日本との電話の中で、「福留さんのお骨は実は今私の横にあるのよ」と言うような話を言ったと言う事を、私聞いたことがございます。
それが本当であればそのお骨を持って来れるはずですよね?
それでもちろんそれを鑑定することも出来る。
いまだにそれは出てきていないと。
と言う事はこれは間違いない事実だと言うことでありまして、松木さんの骨だってもし本当に亡くなっているのであれば、当然その遺骨が出てくるわけですが、わざわざ2回も偽物を掴ませてくるという事がどう言う意味が在るのか?と言う事は皆さんお分かりだろうというふうに思います。

まぁ以上ですね。
私申し上げましたが、拉致問題の解決と言うのはやはり幅広く見ていただく必要があるという事で、ご理解を頂きたいと言う事でございます。
ありがとうございました。(拍手)

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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福留貴美子さん拉致事件を考える集い(3)

  『野村旗守氏(ジャーナリスト) 講演その2』

それをですね、裏付けると言うか、もしかしたらあったんじゃないか?と言う事を傍証にもならないかもしれないけれども、傍証になり得るんじゃないかと一時期騒がれたのが、月刊誌正論他にですね。
送りつけられてきた、元社会党員と名乗る人物の告発手記みたいな手紙が送りつけられていて、実は社会党の中に拉致補助グループがあって、その拉致補助グループが北朝鮮から資金運用を受けて、拉致被害者の選定に当たっていたと。
その下部要員がですね。
拉致被害者の選定に当たっていたと、言うような告発の手紙が正論他いろんな雑誌に届きまして。
実際に掲載したのが正論が殆どイニシャルで塗りつぶして殆ど何の事か分からなかったけれども、一応そういう手記を載せたと、言う経緯があってですね。

これがもしかしたらチュチェ研じゃないか?と言うような事を。
実はそこにチュチェ研と言う名前は出てこなかったわけですけども、我々と言うか捜査関係者、私は捜査関係者じゃないですけど、捜査関係者の間ではこれもしかしたらチュチェ研じゃないのか?というふうに一時期騒がれたんですよね。
今はもう余り話題にならなくなっちゃいましたけれども。
一時期はこれはもしかしたらチュチェ研じゃないかと言う事を、というか社会党の中にもチュチェ研グループというのがだいぶ入り込んでいて。

このチュチェ研と言うのが実態がわかり難いと言うのは、非公然活動の中でもそういった破壊活動とか分かりやすい活動はあまりやらないですね。
拉致の実行とか、それからどこかに爆弾を仕掛けるとか、そういった破壊活動をやらずに思想活動を普及していく。
日本には表現の自由・信仰の自由・思想の自由と言うのがありますから、憲法で保障されていますから、それをやるなと言うことは出来ないわけであって。

というのはこのチュチェ研と言うのは、はっきり言って取り締まりの対象にはなり難いグループだったから、だからこれは摘発されていませんけれども、先ほど言ったチュチェ研総帥のですね。
尾上健一と言う人物がいるんですけれども、この尾上健一氏が経営する白峰社という出版社が池袋にあって、白峰社と言うのは白い峰の会社の社。
白峰社と言う出版社があって、この出版社にあれは確か一時期・・・・(聞き取れず)日報さんでしたかね?
の旅券法違反に絡んで都内のチュチェ研関連施設に一斉にワッとがさ入れが入ったんですけど。

その時がさ入れをした捜査員に話を聞いたら、チュチェ研の尾上の事務所の会社の金庫の中から、朝鮮労働党から授けられた勲章が山のように出て来たと言う話があって。
この尾上がですね。
だいぶ拉致等にも関わっていたのではないか?と。
日本人の協力が無いと、あれだけこう、なんていいますか、見つかり難い人物・拉致被害者の選定が出来なかったんじゃないか?と言うようなことが今言われています。

チュチェ研がですね。
例えばどうやって人を増やしていくのか?と言うこと、それを実際の状況を書いたのがやはりこの八尾恵の「謝罪します」の中で八尾恵は、自分がどうやってオルグされたか?
仲間に引き入れられたか?と言う事を書いています。
それによるとチュチェ研のですね。
そのオルグの仕方と言うのは、「派遣と移住」という、要するに東京なり大阪なり大都市に拠点があって、それが八尾の場合尼崎でしたけど、尼崎の方にメンバーが派遣されていくと。

それで朝鮮映画を上演する会と言うチラシを配ってですね。
それで引っかかってきた若者たち、主に若者たちに映画を見せて、名前と住所を書いてください、と。
今日の映画の感想を聞かせてください、って言う事で名前と住所を書かせて、で電話番号を書かせて。
数日するとその上映会のメンバーから電話がかかってきて、「先日の映画の感想はどうですか?楽しかったですか?」と。
「感想を聞かせてください。出来れば話してみませんか?」と言う事で、そう言って電話をかけてきて近付いていくと。

で、見込みありそうだという事になったら、何人か仲間が出来たらそこに核が出来るわけですから、その仲間たち、「ちょっと一緒に暮らしませんか?」と言う事で、派遣されてきたメンバーがそこに住み着いちゃう。
移住しちゃってそこでまた細胞を作って普及活動を広げていくと言うような方法で、この尾上健一氏はですね。
70年代から80年代にかけて作ったチュチェ研組織が日本で約300あると、その功績が非常に認められて勲章を貰った。

オルグされたメンバー、何をやっていたか?と言うと、もしかしたらそういった例えば青年チュチェ研・教職員チュチェ研のようなメンバーが、ひょっとしたらこの拉致の関わりの中で行くと拉致被害者の選定と言う事でですね。
例えば名簿を集める。
拉致してもなるべく足の付かないような候補者を選んで、朝鮮労働党の方に送るといったような活動をしていたのではないか?というような話が出て来ています。

それともうひとつこのチュチェ研が関与した中で、何をやっているのか?と言うと、このチュチェ研の中核組織が金正日著作研究会と言う話は先ほど言いましたけれども、この金正日著作研究会の表の顔が「自主の会」という会がありまして。
この自主の会が主にどんな活動をしているか?と言うと、その中の大きな柱のひとつに、「アイヌと沖縄との連帯」と言うような事を謳っています。
日本の中の少数民族と連帯して、共に活動していこう、共に戦っていこうというような事を訴えています。
で、これどういうことか?っていうと、沖縄と言う事を非常に言うんですよね、彼らは。

沖縄に何があるか?といったら、これ米軍基地があります。
日本最大の米軍基地があって、東アジアというかアジア最大の米軍勢力が結集しているのがこの沖縄ですね。
で、私ちょっと沖縄関係の本を作った事があるんですけれども、沖縄でこのチュチェ研の事を調べていきますと、沖縄の米軍基地の中にこのチュチェ研が実はあります。
沖縄の基地の中に基地の職員の労働組合があるんですけども、その中にチュチェ研があります、実は。

尾上健一自身が「沖縄では基地の中で働く我々の仲間が、このチュチェ思想を広める為に日々頑張っています」と言うような事を北朝鮮で演説しているんですよね。
その文章を一度私インターネットの上で見つけた事があるんですけども、非常に血の気が引きました。
と言うのは北朝鮮の中の北朝鮮のメンバーがアジア、要するに北朝鮮の暴発の最大の防波堤と言うか、最大の抑止力になっている沖縄の米軍基地の中に、この北朝鮮の思想を信奉している信奉者が何人もいたら、これ一体どんな事が起こるんだろうか?と。

言う事を非常に不安になりまして、いろいろ調べきったわけじゃないんですけども

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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福留貴美子さん拉致事件を考える集い(2)

『野村旗守氏(ジャーナリスト) 講演その1』

0000814m

~~チュチェ思想とよど号妻~~

はじめまして。
どうも、野村と申します。
本日はお招き頂きましてありがとうございます。

今日はですね。
拉致問題の中でもよど号関連の特に福留さんの事件を中心にお話されると言う事なんですれけども、よど号と言えば必ず出てくるのがよど号の妻と言った関係で、この福留貴美子さんは非常にその中で異色の存在でして。
よど号の妻の中では、よど号の妻を送り出したある思想団体があって、それがチュチェ思想研究会と言う不思議な朝鮮の思想を学ぶ不思議な会があって、・・・(聞き取れず)の方にありまして。
そこから送り出されて行ったんですけども。

ところがこの福留さんのケースは非常にレアケースであって、福留貴美子さん自身は殆ど関係ないと。
チュチェ研とは関係ないところから送り込まれていたと言うんですけれども、よくよく調べてみると実は全くそういう思想に興味のなかった福留さんが、そのモンゴルに非常に興味を持っていたと。
モンゴルの事に興味を持っていて、モンゴルに行ってモンゴルの大地を歩きたい。
草原で翼を広げたいというふうに思われていた福留さんが、実はいつの間にか北朝鮮に行く事になってしまった背景には、実はチュチェ研の力が働いていた。

というのはモンゴルと北朝鮮とは不思議な因縁のある国でありまして、例えば日本モンゴル研究会とか日本モンゴル友好協会とか、そういったところに時々北朝鮮のメンバーが入っているという不思議な、これはまだ実際は解明されていませんけれども、もしかしたら福留さんが北朝鮮に行く事になってしまった不思議なきっかけと言うか、その原因ももしかしたらこのチュチェ思想の人間が絡んでいるのではないか?と言う疑いが浮上して来ているようです。

それでチュチェ思想研究会と言うのはですね。
特に公安の中でも警察のいろんな中でも、あまり何と言いますか。
注目されていない部分と言うか、今最も日本と北朝鮮を結ぶところ、なんと言いますか、いろいろなコネクションがありますけどもそういった絆の中で、これもっとも解明されていない部分ですね。

私もこの間警察のOB、公安のOBと話しておりまして、いろいろ言っていたんですけれども、一時期このチュチェ研と言うグループがですね。
余りにも謎の多い組織だと、いう事で警察の方も、あるいはその他公安機関も随分追いかけたらしいんですけども、だいぶ調べても分からない。
なんか調べても何も出て来ないという事で、これは危険度が無いだろうという事で、一度もうチュチェ研に関してはこの団体は危険性は無いということで、なんて言いますか視察の対象から外してしまったらしいですね。
外してしまったんだけれども、どうもこれは過去にいろいろやってるんでは無いか?という事で、最近またにわかに注目が集まって来て、捜査関係者の中でもやはりもう一度チュチェ研を調べるべきだと言うような声が上がっているようです。

と言うのはこのチュチェ研と言うグループはですね。
非常になんていいますか、秘匿性が高いグループでして、北朝鮮のチュチェ研と言うのは要するに「主体思想研究会」と書きますけれども、この主体思想研究会以下、なんていいますか。
日本人の中の、日本にいる北朝鮮の人たち、所謂朝鮮総連の人たちですね。
朝鮮総連をまとめるのは学習組という朝鮮の非公然組織がやってるんですけども、それとは別に日本の中にいる、北朝鮮が利用できそうな人材を確保するグループ、これがチュチェ思想研究会と言う事で、そういう捕らえ方でいいと思います。

これについてですね。
一番詳しい資料と言うのは、チュチェ研という事に関して書いた物・書かれた物というのは、要するにその実態について書いた文献というのは非常に少ないんですけど、このチュチェ研の実態を描いた文献として最も詳しいのは、私が調べた範囲では八尾恵。
日本に帰って来た元よど号の妻ですよね。
柴田泰弘の妻の八尾恵が書いた文藝春秋の「謝罪します」と、今確か文春文庫の中に入ってると思いますけど、あの「謝罪します」と言う本の中に書かれている描写が、おそらく私が調べた中では一番詳しい文献です。

八尾恵自身、このチュチェ思想研究会のメンバー。
特に青年チュチェ研。
この青年チュチェ研と言うのが今現在全国にたくさんあるチュチェ研グループ、これ全国チュチェ研と言う組織がありますけども、全部合わせた組織ですね。
その全国チュチェ研の中核組織が青年チュチェ研から発展していった「金正日著作研究会」というのがあるんですけども、この「金正日著作研究会」と「自主の会」
この二つが、実はこれ表向きの顔が「自主の会」で裏の顔が「金正日著作研究会」と言うんですけども、この「金正日著作研究会」と言うのが、これが本当の中核組織ではあるんですが、この中核組織が表に出てくると言う事はまず無いですね。
おそらくHPで「金正日著作研究会」と言うのをインターネットで引いても殆ど検索出て来ないと思いますけど。

ただ、実際にこの全国チュチェ研と言うのを操っているのはこの「金正日著作研究会」
そこの幹事長、実質的にここを支配している人物が尾上健一。
この尾上健一と言う人物、今60前後だと思いますけど、この尾上健一と言う人がチュチェ研の総帥と言うふうに考えて良いんで無いか?と思います。
この尾上健一氏が日本全国にいるメンバー、これ数千人からもしくは1万人くらいではないか?と目されていますけれども、正確な数は分かりません。

どういう組織かと言うと、この青年チュチェ研の中にいる学生のメンバー。
それからもうひとつは特に労働者組織ですね。
今現在日本の中にいる労働者組織と言うのは非常に力が弱くなりましたけど、一時期労働運動といったら官公労を中心に膨大な数のメンバーがいたんですけども、その中でももっとも勢力が強かったのは学校の先生です。
教職員の組合の中に入り込んだチュチェ研、これがだいぶ活動を広げていった。

と言う事で「教職員チュチェ研」と言う組織がありますけども、この中でどれくらいの方が北朝鮮にいかれたことがあるか分かりませんけど、おそらく北朝鮮にツアーで参加された方はですね。
平壌の主体思想塔。
なにか味も素っ気も無い、馬鹿でっかい、ただ高いだけのタワーが平壌に立っていまして、あのコンクリート製の建物ですね。
タワーがありますけれども、あのタワーの下のところにこれを建設する為に寄付を頂いたと。

その寄付をした人たちの名前がば~っと、こうパネルでですね。
一杯貼ってあるんですけども、そのパネルの中で例えば、岩波書店の何とか社長だとか、朝日新聞の名前は出てなかったかな?
とにかくそういった左翼系の日本の組織がだいぶあそこに寄付しているんだと言うのが分かりますけれども。
それ以外に例えば群馬教職員主体思想研究会だとか、福島教職員主体思想研究会だとか、あるいは熊本教職員主体思想研究会だとか、そういったような名前のパネルがずら~っと貼ってあります。
というのは、日本にいる主体思想信奉者たちが朝鮮にだいぶ寄付をしているという事ですよね?

で、先ほど八尾恵の話しましたけど、その八尾恵が書いている所によれば、一体この主体思想研究会・チュチェ研と言うのは何か?と一言で書いているんですけれども。
八尾恵の「謝罪します」と言う本によれば、

「北朝鮮が利用できる日本人を見つけるためのプールのような働きをしている」

この表現、的確だと思います。
「北朝鮮が利用できる日本人を見つけるためのプールのような働きをしている」
これ朝鮮総連が、要するに北朝鮮の非公然活動ですね。
やるために要するに南進赤化統一と言うような活動をするために、役立ってくる革命戦士を見つけるためのプールのような、在日朝鮮人のプールのような働きをしてるのが朝鮮総連だとすれば、それに役に立つ北朝鮮に役に立つ日本人を見つける。
プールのような働きをしている組織というのが、それがチュチェ研と言う組織。

そこに入って来たちょっと入って来た、ふらふらと迷い込んで来た人たちを自分達の仲間に引き入れると言う事をやっていて、よど号の妻たちと言うのは先ほど福留さんはちょっと違うんですけども、他の人たち、たくさんいますよね?
よど号の田宮から始まってあのメンバーの妻となった人たちって言うのはみんなそうですよね?
森(順子)さんにしろ、黒田(佐喜子)さんにしろ、チュチェ研と言う組織にふらふらと入ってきた。
もちろん八尾恵もそうですけども、入って来てちょっと北朝鮮に行って見ないか?と。
向こうに行けば面白い事あるよと地上の楽園があるよと言うことで、一回行って見ないか?と連れて行かれたら何か向こうでお見合いをさせられて、そのまま向こうの妻に納まったと、言うような経過を辿ったと言うんだと思いますけども。

そういう中でチュチェ研と言う組織が他にどんな働きをしていたのか?
これはまだちょっと完全に裏が取れていないということで余りおおっぴらに話す事は出来ないんですけども、ですからこれは確実に裏の取れた情報ではないけれども、一つ考えられるのは拉致事件との結びつきで言えば、ひとつ拉致の実行犯となったよど号メンバーの妻となったという、ひとつの実績と言うか、事実はあるわけですよね?
しかも妻たちも拉致に加担していたと、その事実もある。

それともうひとつ疑われているのは拉致者ですね。
拉致被害者の選定に、もしかしたらこのチュチェ研と言うグループが関わっていたのではないか?と言う疑いが今持たれています。
というのはこのチュチェ研と言うグループですね。
労働組織の中に随分入り込んでいたと。
労働者組織の中でも教員労働者、それから自治労とかそのあたりにいたんですよね。
どういうことか?と言うと教員それから自治労と言うのは自治体の職員、これは個人情報を非常に集めやすい立場にいると。

例えば学校、クラスの中のタナカ君のところのお父さんとお母さんはどうも仲が悪いらしい。
で、タナカ君のお父さんはアル中で奥さんはいつも苛められているらしい、と、これ例え話で言ってますよ?
そういった、じゃあタナカ君のところだったらいなくなっても、もしかしたら誰も調べないんじゃないか?とか。
そういったようなひとりひとり個人の情報を調べやすい。
拉致被害者これ、25年も30年も経過して殆ど、25年から30年間もこれだけの事件が多発していて殆ど足が付かなかった。

もちろん荒木さんとか佐藤さんとか、拉致被害者救う会の努力によって今になってワッと分かって来ましたけど、少なくとも四半世紀の間は、密閉にですね。
隠密にされていて明らかにされて来なかった背景と言うのは、これは元々いなくなっても分からない人間。
いなくなっても分からなかった人間を連れて来た可能性が強いと言う事で、じゃあ、誰がいなくなったら分からないか?と言うのを調べる役目ですね。

拉致を実行したのは例えば北朝鮮の工作員です。
それを補助したのは主に日本の中にある非公然組織ですよね?
補助グループ、これは殆どというか全員在日朝鮮人で構成される補助グループが、その主犯格の北朝鮮の工作員を助けると言う形で拉致を実行しますけれども、もしかしたらその選定にこのチュチェ研が当たっていたんじゃないか?と言う疑いが、今浮上して来ております。

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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