カテゴリー「特定失踪者関連集会」の記事

2006年12月24日 (日)

東京都関連特定失踪者リスト42名

1.氏名 荒井 セツ      失踪年月日 昭和29(1954)年冬
ふりがな あらい せつ     生年月日 昭和11(1936)年1月12日
2.氏名 斉藤 宰       失踪年月日 昭和32(1957)~33(1958)年頃
ふりがな さいとう おさむ   生年月日 昭和11(1936)年5月6日
3.氏名 藤田 慎       失踪年月日 昭和35(1960)年
ふりがな ふじた しん     生年月日 昭和6(1931)年9月5日
4.氏名 山下(飯塚) 平   失踪年月日 昭和35(1960)年6月19日
ふりがな やました たいら   生年月日 昭和10(1935)年5月18日
      (いいづか)
5.氏名 宮澤 康男      失踪年月日 昭和35(1960)年9月21日
ふりがな みやざわ やすお  生年月日 昭和17(1942)年10月20日
6.氏名 二宮 喜一       失踪年月日 昭和37(1962)年9月頃
ふりがな にのみや よしかず 生年月日 昭和13(1938)年1月15日
7.氏名 井上 征子      失踪年月日 昭和37(1962)年12月6日
ふりがな いのうえ せいこ   生年月日 昭和19(1944)年1月11日
8.氏名 中塚 節子      失踪年月日 昭和38(1963)年6月16日
ふりがな なかつか せつこ   生年月日 昭和20(1945)年6月5日
9.氏名 馬場 昌一       失踪年月日 昭和39(1964)年6月4日
ふりがな ばば まさかず     生年月日 昭和19(1944)年12月13日
10.氏名 米川 茂雄      失踪年月日 昭和40(1965)年1月18日
ふりがな よねかわ しげお    生年月日 昭和17(1942)年7月14日
11.氏名 坂本 とし子      失踪年月日 昭和40(1965)年6月9日
ふりがな さかもと としこ       生年月日 昭和17(1942)年11月22日
12.氏名 小林 榮           失踪年月日 昭和41(1966)年8月21日
ふりがな こばやし さかえ    生年月日 昭和18(1943)年4月29日
13.氏名 日高 信夫      失踪年月日 昭和42(1967)年9月
ふりがな ひだか のぶお     年月日昭和19(1944)年11月27日
14.氏名 早坂 勝男      失踪年月日 昭和43(1968)年4月頃
ふりがな はやさか かつお   生年月日 昭和19(1944)年1月22日
15.氏名 大屋敷 正行     失踪年月日 昭和44(1969)年7月27日
ふりがな おおやしき まさゆき  生年月日 昭和27(1952)年12月5日
16.氏名 上田 英司       踪年月日 昭和44(1969)年11月4日
ふりがな うえだ えいじ       生年月日 昭和24(1949)年7月25日
17.氏名 越川 力        失踪年月日 昭和45(1970)年7月19日
ふりがな こしかわ つとむ    生年月日 昭和21(1946)年4月18日
18.氏名 馬場 重夫      失踪年月日 昭和47(1972)年
ふりがな ばば しげお      生年月日 昭和20(1945)年2月25日
19.氏名 生島 孝子      失踪年月日 昭和47(1972)年11月1日
ふりがな いくしま たかこ     生年月日 昭和16(1941)年6月14日
20.氏名 薩摩 勝博      失踪年月日 昭和48(1973)年1月
ふりがな さつま かつひろ    生年月日 昭和24(1949)年10月11日
21.氏名 高 敬美        失踪年月日 昭和48(1973)年12月頃
ふりがな こう きよみ        生年月日 昭和42(1967)年4月10日
22.氏名 高  剛        失踪年月日 昭和48(1973)年12月頃
ふりがな こう つよし       生年月日 昭和45(1970)年6月29日
23.氏名 堀江 一利      失踪年月日 昭和49(1974)年12月頃
ふりがな ほりえ かずとし    生年月日 昭和25(1950)年3月30日
24.氏名 石川 和歌男     失踪年月日 昭和49(1974)年12月6日
ふりがな いしかわ わかお   生年月日 昭和22(1947)年9月19日
25.氏名 高野 清文      失踪年月日 昭和51(1976)年7月30日
ふりがな たかの きよふみ   生年月日 昭和31(1956)年10月31日
26.氏名 星野 正弘      失踪年月日 昭和54(1979)年2月末
ふりがな ほしの まさひろ    生年月日 昭和31(1956)年1月13日
27.氏名 和田 吉正      失踪年月日 昭和54(1979)年4月14日
ふりがな わだ よしまさ     生年月日 昭和27(1952)年11月19日
28.氏名 上田 俊二      失踪年月日 昭和56(1981)年7月14日
ふりがな うえだ しゅんじ    生年月日 昭和6(1931)年11月20日
29.氏名 堺 弘美        失踪年月日 昭和57(1982)年4月2日
ふりがな さかい ひろみ     生年月日 昭和34(1959)年10月22日
30.氏名 永山 正文      失踪年月日 昭和57(1982)年9月18日
ふりがな ながやま まさふみ  生年月日 昭和34(1959)年1月7日
31.氏名 原 哲也       失踪年月日 昭和58(1983)年3月
ふりがな はら てつや      生年月日昭和37(1962)年5月22日
32.氏名 伊原 照治     失踪年月日 昭和59(1984)年8月28日
ふりがな いはら てるじ    生年月日 昭和33(1958)年4月10日
33.氏名 香月 正則     失踪年月日 昭和60(1985)年2月6日
ふりがな かつき まさのり   生年月日 昭和23(1948)年7月11日
34.氏名 下地 才喜     失踪年月日 昭和60(1985)年4月
ふりがな しもじ さいき     生年月日 昭和37(1962)年7月10日
35.氏名 林 かな子      失踪年月日 昭和60(1985)年11月22日
ふりがな はやし かなこ     生年月日 昭和35(1960)年9月7日
36.氏名 石坂 孝       失踪年月日 昭和63(1988)年11月20日
ふりがな いしざか たかし   生年月日 昭和33(1958)年12月27日
37.氏名 坂本 秀興     失踪年月日 平成元(1989)年6月22日
ふりがな さかもと ひでおき  生年月日 昭和36(1961)年7月14日
38.氏名 塩沢 勝己     失踪年月日 平成7(1995)年6月23日
ふりがな しおざわ かつみ   生年月日 昭和40(1965)年9月1日
39.氏名 楠本 勤       失踪年月日 平成11(1999)年12月
ふりがな くすもと つとむ    生年月日 昭和22(1947)年12月4日
40.氏名 浜崎 真嗣     失踪年月日 平成12(2000)年1月6日
ふりがな はまざき まさつぐ  生年月日 昭和49(1974)年8月2日
41.氏名 後藤 美香     失踪年月日 平成13(2001)年9月13日
ふりがな ごとう みか      生年月日 昭和46(1971)年7月13日
42.氏名 宮本 直樹     失踪年月日 平成14(2002)年3月3日
ふりがな みやもと なおき   生年月日 昭和52(1977)年11月9日

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2006年7月 3日 (月)

古川了子さん第6回行政訴訟報告会(4)

   『飯塚繁雄さんのお話』

皆さんこんにちは。

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多分今日、初めてこういった裁判を傍聴させて頂きましたけど、考えてみるに日本人拉致(被害者)の奪還という大きな目的がある中で、小さな部分で遅々として進まないというそういう実感を感じました。
例えば特定失踪者、我々のように認定されていない人も含めて、ひとりひとりこういった裁判をしていかないと日本は動かないのか?と。
そしたらここでも話に出たように、家族の方々がみんな歳をとっていつまで頑張れるか分からない状態の中で、悠長な事が言っていられないと言うのが現実だろうと思うんです。

私たち一応被害者という認定はされていますけども、かと言ってされているから奪還だと、いう所に繋がっていないのが現実でありまして、そういう意味では北朝鮮に拉致された日本人という単位でみんな動かなければ、ますます細かい部分での論争に終始されて、あたかもそれが目標であるような感じにされそうな気がするんですね。

先だって訪米してブッシュ大統領と会った件についても、会えば終わりというんじゃなくてあれがスタートという感じもするんです。
今回韓国の家族が北朝鮮に行ってまた一騒ぎさせそうですけども、ああいった事も考えるに北朝鮮と日本の関係というのは非常に悪い感じがあるわけですけども、そういう関係があるからこそもっと強い態度で当たっていかなければ、これ永久にこの問題は続いてしまう。
あるいは途中でやめてしまう。

当初、うちの感じでも特定失踪者の事を入れないように入れないようにという感じで、中途半端な幕引きをさせようという狙いがあったのではないか?と。
これは日本としてもそうだし北朝鮮もそういう考えがあったのではないか?
そこはそれは違うという事で皆さんが立ち上がって、この問題をこれだけ大きくしたんだなぁと感じますけども、いずれにしても最終目的は奪還ですから、如何にスピードを上げてこれに対応して頂くところをたくさん作っていくか?
例えば今回の裁判の話でも、今内閣に専門幹事会と言うのが各省の代表が集まってやっておりますけども、例えばそこで法務関係について、今杉浦さんが大臣ですか?
こういった問題どうするんだ?と。

いつまでも悠長にあと3ヶ月とか、次はまた3ヶ月後とか、こういうような遅々とした進め方では困るという話をしていったらどうですか?という思いもあるんですけども。
いずれにしてもこの問題非常に深く広くあるいは複雑になってきて、我々素人に判断はつかない状態になって来ますけども、やはり家族が拉致されたというその時点で共通すると言う事が、大きな一番の力を合わせるポイントだと思います。
これからも私たちに出来る事を一生懸命やりますのでお願いします。(拍手)

★司会 二瓶弁護士

次は山梨から、山本美保さんの妹さんの森本美沙さん、ちょっと一言。


このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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2006年6月28日 (水)

福留貴美子さん拉致事件を考える集い(10)

   『参加議員の紹介、高沢皓司氏からのメッセージ紹介、閉会の辞』

★司会 高橋氏

本日は神奈川の議員が自治体から駆けつけてくださいましたので、ご紹介をさせて頂きます。
藤沢市議会議員・三野由美子先生。(立ち上がって会場に会釈、拍手)
ありがとうございました。

本日この集会にですね。
この福留貴美子さんの問題を初めて取り上げられた、こちらに「宿命」という本がありますけども、この本を書かれたジャーナリストの高沢皓司さんからメッセージを頂きましたので、紹介をさせて頂きます。

★高沢皓司氏からのメッセージ(代読:高橋氏)

本日の福留貴美子さんの拉致問題の集会について、こうしてお集まりくださいました皆様に心からの激励を送りたいと思いますと同時に、本日の集会を実行まで努力をしてくださった様々な方々、横田滋さん・横田早紀江さん・荒木先生・救う会神奈川の方々はじめ、皆様に御挨拶申し上げたいと思います。
と言いますのも、もう何年も前、限られた条件の中でジグソーパズルの駒を捜すようにして、この条件に合致する人間がどこかに必ずいるはずだと。
それだけを信じて四国の山中を捜しさ迷い歩いていた頃から考えますと、まさに隔世の感があり、本日の集会を実現してくださった方々には感謝の言葉も無いくらいありがたい事だと思っております。

★司会 高橋氏

このようにメッセージを頂きました。
高沢さん、どうもありがとうございました。(拍手)
続きまして事務局よりお知らせ、並びに閉会の言葉と致します。

★川添友幸 神奈川救う会会長 閉会の辞

本日は長時間、講演ありがとうございました。
福留さん中心にした集会、是非、私も良かったと思います。
今後も拉致の問題続くと思いますけど、宜しくご協力できればと思っております。
次回のお話なんですが、今回も講演いただきました増元さんに来月の7月の8日にこちらの方で講演を行おうと思っています。
増元さんと寺越昭男さん、内田美津夫さん、特定失踪者問題調査会から真鍋さんに来ていただこうと思っております。
あとですね。
北朝鮮難民救援基金さんの方にお願いして、脱北者の方にですね。
今交渉をしております。

ちょっとまた、昨年の7月こちらでやったときには頭巾みたいのをかぶって確かやったと思うんですが、また今回もそんな形になるんじゃないか?
まだ身の危険を感じている方、という話を伺っていますので。
講演会を行おうと思っておりますので、7月の8日、こちらではなくて上方のラウンジ、6階のラウンジの方になると思いますのでですね。
またご参加できればと思っております。
今日、長時間本当にありがとうございました。(拍手)

それでいつものお願いなんですが、ボランティアでやっておりますので、もしお心のある方いましたらカンパ箱がありますので、そちらの方のご協力お願いします。
本当に今回ありがとうございました。(拍手)

・・・集会終了・・・   

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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福留貴美子さん拉致事件を考える集い(9)

  『パネルディスカッション その3』

★司会 川添友幸救う会神奈川会長

次は野村さんにお話をして頂こうと思ったのですが、今日ですね。
兵庫から特定失踪者調査会の理事である岡田和典さんが来られましたので、ちょっと一言だけ御挨拶をしていただこうと思います。(拍手)

★岡田和典 特定失踪者問題調査会理事

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こんにちは。
えっとですね。
今日は野村さんもお見えでございますので、ちょっとだけお話をさせて頂きたい。
飛び入りで恐縮でございます。

野村さんのお書きになった本の中にも書いてある事なんですけども、私は神戸市です。
それも灘区というところで、今出ておりますSAPOIを御覧になった方はですね。
灘区周辺でですね。
拉致に関係する物が余りにも多いというような地図入りの、袋綴じじゃないんですけども(笑い声)、一番最初のページに出ています。

あれは恵谷さんと一緒にずっと回ったんですけどもね。
実は有本恵子さん。
当時ですね。
通っておりました学校がですね。
神戸市立の外国語大学なんですね。
ここから200メートルほど山側の方に行きましたところにですね。
神戸にはもう一人の拉致認定者がおりましてですね。
田中実さん。
養護学校がこの200メートルほどしか大学と離れていないんですね。

その上へ持ってきてですね。
有本恵子さんがですね。
通っておりました神戸外国語大学、有本さんは一部・二部の二部の方ですね。
所謂、我々の年代で申しますと夜間と申しましてですね。
夜の方に行ってたわけですね。
当然ですね。
当時の所謂ローテーション、シフトを見ておりますと、大学の先生方というのはですね。
一部担当と二部担当とに分かれていたようでございます。
これも私も少しばかり調べました。

その二部の担当のですね。
国際法というところにですね。
現在、金正日著作研究会連絡協議会の代表世話人、これが二人、鎌倉孝夫ですかね。
これと一緒に代表世話人をしている家正治ですね。
これがですね。
当時の二部の担当の教授なんですね。
教授ではなかったまだ当時は、京都大学を出てすぐに神戸外大の講師か何かになるんですが、まだ当時は教授じゃないですね。

この家先生でございますですね。
極めて怪しげな有本さんとの接触をしているわけですね。
まだ有本さんの事が、それ程世間に流布されていない。
それでも有本さんご両親ですね。
非常に積極的に様々な集会に出られてですね。
お訴えをされていたんですね。

そこにですね。
いきなり名刺持って来られた方がおるんですね。
その集会に参加されていた方が名刺持って来られてですね。
そんな方たくさんおられますから、一つ一つ覚えていないんですね。
ただお父さんがですね。
非常に珍しい名前だったから、覚えておられたんですね。

それから神戸市の外語大学なんかで、私も一緒にいろいろ活動をしまして、所謂同窓会。
そういう組織が動いてくれましてですね。
有本さんは2回3回ほど、神戸外大で公演等を、そういう集会等も行っておられます。
で、有本さんが拉致認定されてですね。
小泉訪朝があってですね。
有本さんの事がいよいよ明白になったと。

ですから訪朝後半年、一年も経ってなかったくらいだったと思うんですけど、今度突然にですね。
有本さんの家に手紙が届くんです。
で、これも有本さんのお母さんですね。
そういう手紙、全国からたくさん参りますので、特別覚えていないわけですね。

たまたま私がですね。
この家先生というのはいかがな人なんだ?と、言うような事でいろいろと、それなりにうろうろうろうろしておりましたらですね。
その集会の折に、有本さんご両親がたまたま揃っておりましてですね。
そこでこの家教授の話をしたわけですね。
お母さんからそういう話があったんですけどね。
「その人だったらこの前手紙が来たよ」とそこで初めて話が出るわけですね。

でそこで、今度はお父さんがですね。
「それ、覚えとるで」と。
「そんな変った名前の人はそんな多くは無いから、昔集会来とって名詞出したの覚えとる」
こういう話なんですね。
野村先生、中々の人物ですよね?この家先生という方は。

★野村旗守氏

ええ、謎の人物ですよね。

★岡田和典氏

でねぇ。
そんな方がわざわざ、どっちかと言えば拉致問題なんて話にですね。
世間で言ったら、我々は当たり前の大事な運動をしているつもりなんですけども、この拉致問題が明らかになる前はですね。
どちらかといえば、ああいうところに集まる人というのは真ん中というよりちょっと右じゃないかと。(笑い声)
世間では思われているような集会でございますよね?

★増元照明氏

よく反動勢力と言われて・・・(笑い声)

★岡田和典氏

そういう所に、チュチェ思想を信奉する先生が何しに来たんか?と、こう言う話にもなってくるわけですね。
今日おそらくですね。
こういう非常に福留さんという、よど号のグループにとってはですね。
一番アキレス腱といいますかですね。
触れられたくないということ、こういう会を川添さんが勇気を持ってやってこうしておられるわけで、間違い無しにこの中に、まぁ数人とは言いませんけども寝。
よど号の今の、今のですね。
支援するグループは多々あるわけです。(「ほう」という声)

間違い無しにこの中に来ておられますね。
皆さんも一人ずつ顔を覚えられているかも分かりません。(笑い声)
電車に乗るときなんかはですね。
絶対にプラットホームの前には立たないでくださいよ?(笑い声)
後ろからポンと押されたら終わりですのでね。
我々は何年もそういう事に注意しながら活動を続けております。
川添さんも全く同じ立場の人間でございます。

非常に中でも、私でも神戸で中々福留さんの集会よう開きません。
それ程非常に今日は貴重な集まりでございます。
ただ、余りにも先ほどから申し上げておりますように、極めて狭い空間の灘区の、本当に何百メートルというところに神戸に二人いる。
田中実さんそして有本恵子さんがお互い同じ空気、同じ匂いを吸っておった場所で生活しておられた方がおられる。
この事実ですね。

それと有本さんにですね。
なんかよう分からん人がですね。
極めて不思議な形で、接近していると言う点ですね。
何か日本の拉致事件というのはですね。
辛光洙が何もかも全員やったみたいな言われ方を最近、報道等も含めてですね。
警察発表でもございますけどね。
そんな事はありえないわけでございましてですね。

この中にもそういう過去に協力をした方がおられるか分からんですけど、間違いなしにですね。
日本人の協力者がいなければですね。
これだけの人間がですね。
北朝鮮に拉致されていたのは、ありえないわけでございます。

飛び入りで貴重な時間申し訳ございませんでしたが、そういう事を一言、神戸からのご報告という事で失礼致します。(拍手)

★司会 川添氏

岡田さん、ありがとうございました。
すみません、野村先生ちょっと宜しくお願い致します。

★野村旗守氏

私ですね。
本来、拉致問題門外漢でありまして専門家ではありませんので、ちょっと最後ですので一般的なお話をしたいなと思います。

前ですね。
あるインタビューで田原総一郎さんと喋った時があって、「いや、ここ10年くらいで本当に日本は変ったよな」という話になって、自分が89年に「朝まで生テレビ」あの番組を始めたころに、ディスカッション番組ですから朝まで激論するですね。
その当時としては画期的なスタイルの番組。
朝まで生で見ている番組を始めた時、あの右の論客を探そうと思ってですね。
探そうとしたんだけど誰もいないと。
という事は、右と左で激論を戦わせなければいけないので右の論客を探すんだけど、右の論客が誰もいないって言うんですよね。

ところが10年経ったら誰も彼もが右だ右だという事になって(笑い声)左の子と喋ってる奴はあいつまだあんな事を言ってるのか?と、馬鹿な奴だと生きてる化石みたいな野郎だという事ですね。
馬鹿にされているという傾向はあるけれども、でも10年前にそれこそね。
国家体制がどうとかいわゆる国際主義がどうとか言う事を、テレビがまともに喋ろうとしたら「あいつテレビであんな事を言ってるよ」と。
「もうちょっとアカデミズムの世界では相手に出来ないよな」というような、そういう風潮だったと思うんですよ。
10年、15年位前までは少なくともですね。
それがもうガラッと変ったと。

ガラッと変った中にはこの北朝鮮問題というのは非常に大きな要因だと思うんですけども、だた世の中のそういう空気。
要するに拉致をしやすい空気というものが、この日本の中の70年代80年代非常にあったと。
これですね。
これ拉致というのは北朝鮮の最初の首謀者は金日成であり金正日でありというような、それは分かっているけれども、それを助けたのは誰か?って言えば、金日成・金正日体制を支えた北朝鮮国民であり、それを支えていた日本の朝鮮総連と言う組織であり、その朝鮮総連という組織を生かしていた日本という社会。

別に同罪とは言いませんけども、かなりですね。
かなり日本側もムードで幇助していたという事は言えると思うんですよね。
日本のその片仮名で書くサヨクのムードが北朝鮮の拉致を幇助していた。
それがああいうよど号の事件を生み、あるいはよど号の妻たちというグループを作ったりしたわけで、そういったムードの犠牲になって例えば有本恵子さんが拉致された、福留さんが拉致されたというような事件が頻発して起こっちゃったんじゃ無いかな?と思うんですけども。

結局チュチェ研の目的はなんだったのか?と。
先ほど荒木さんも言われましたけど、あの中でチュチェ研の目的は何だったか?という事を考えていくと、私最大の目的は日本でそういうムードを作る事だったんだろうと。
北朝鮮のシンパをたくさん作っていて、例えば北朝鮮シンパとならずとも雰囲気的にでもですね。
例えばいざ事が起こった時、じゃあ韓国と北朝鮮がケンカした時に北朝鮮の方に味方してやろうと思うような。
普段は別に朝鮮問題なんかどうでも良いかもしれないけれど、いざ事が起こったらどっちかと言えば北朝鮮の方が良いよねと北朝鮮の方が正しいよねと、そういうようなムードを作る。
そういった空気を作る目的が第一の目的だった、チュチェ研の第一の目的だったのではないかな?と私はうっすらと考えているんですけども。
これ、正しいかどうか分かりませんが。

そういったムードを作るという非常に漠然とした仕事をしていたもんだから、これまで捜査の対象にもならないでですね。
なんと言いますか、何十年もこのチュチェ研という組織、いまだに相当数の勢力、独断で熱心に活動しているかどうかは別として相当数の勢力がいるようですが、そのムード作りにある時期まではある程度成功していた、言う事があったと思うんですが。
それが先ほどの田原総一郎さんじゃないけれども、10年間で本当にガラッと変っちゃったと。
10年前は右の論客なんか誰もいなかったと。
で、テレビに出てくれといったらとんでもないと誰も出てくれなかったと、そういう状況のなかで、ところが10年経ったら誰も彼もみんな右だということで、アメリカが正しいという事になってですね。
これもちょっと問題だなぁと私思わなくもないんですけど、そういったムードが出来た。
要するにチュチェ研の野望は途中で費えたわけですよね?

北朝鮮シンパを、あるいは社会主義をマルクス主義を、というようなチュチェ研の野望は費えたわけだけれども、いまだにこの拉致問題が全く、解決の兆しは見えましたけれども、兆しだけでその先進展しないというところ。
じゃあ何が、日本から北朝鮮を擁護しようというムード・空気は消えたにも拘らず、いまだに何が邪魔をしているのか?という事を考えていきますと、これはひとつムードとは裏腹にですね。
非常にムードと対照をなすような、非常に生臭いと言うか現実的なというか。
はっきり言ってムードとは対照的な裏腹の現実的なものと、現実的な裏づけという事でひとつ実益というか、利益・利権と言われるようなですね。
北朝鮮を利すると自分達が得をするという、例えば日本の政界にもいるし財界にもいるし、あるいはあらゆる分野に北朝鮮を利する事によって自分が得をすると。
それはごくごく私的な利益かもしれないけれども、とにかく得をするという事で国益を無視して私益に走る人たちがいるのが問題ではないかな?という事をまとめてみたのが、荒木先生に手伝って頂いた「北朝鮮利権の真相」という本なんですけども。

そういった中で例えば北朝鮮とですね。
国交を結ぶと、日本の側にとって何のメリットがあるのか?
国にとってはメリットは無いけれども、そこに北朝鮮と日本が国交を結ぶと何が起こるか?というと、これ日本と韓国の場合を考えてみれば分かるんですけども、日韓条約ですね。
日韓基本条約と言うのが結ばれた後に、当時のお金で5億ドルの経済協力という支援が行われました。
これ日本から韓国に一方的に流れるお金だけれども、これこのミソはですね。
キャッシュでお金払われるんじゃなくて、なんと言いますか、事業と建設というような形。
要するに日本の会社にお金が落ちるんですね。
日本の会社にお金が落ちる。
日本の建設会社は大挙して韓国に乗り込んでいって、その当時高速道路を作ったりとか地下鉄を作ったりとか、韓国のために随分と物を作ってあげたんですよね。
それによって韓国経済がぐっと成長したわけです。

それによって北朝鮮もやっぱり同じ事をやろうとする。
当時一番儲けたと言われているのは伊藤忠という商社ですけども、伊藤忠の瀬島龍三、政商と言われる男ですね。
非常にそういった政治的なビジネスに食い込むのが上手いと、元々・・・(司会より、残り時間の指示あり)
すみませんちょっと注意が入ってしまったので。(笑い声)

★司会 川添氏

すみません、会場が5時までしか借りて無いもので(笑い声)本当に申し訳ない。
また野村さんちょっとお呼びしてですね。
じっくりしたいと思います。
それでは最後に斉藤さん。
是非、今の思いをですね。
短くお願いして、なるべくお話して貰いたいと思います。
宜しくお願いします。

★斉藤文代さん

私は金正日に申し上げたいんです。
あなたは心があった人間であるならば、拉致した家族を全員返しなさい。
そうすればあなたの心も軽くなると言う事じゃないでしょうか?
全員返しなさいと申し上げたいです。(拍手)

★司会 川添氏

パネルディスカッション、どうもありがとうございました。
次が、今日始まる前にですね。
増元さんをお話もしていたんですが、岡田さんからも指摘があったんですが、福留さんを中心にした集会と言うのは全国でこれが初めてということだそうです。
今後も福留問題についてはですね。
私自身、よど号問題にかけておりますので、うちの会、神奈川の会では全国協議会とあるいは調査会と協力してやっていきたいと思っておりますので、今後もご協力の程を宜しくお願い致します。(拍手)
パネルディスカッションはこれで終わりにします。
   

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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福留貴美子さん拉致事件を考える集い(8)

『パネルディスカッション その2』

★司会 川添友幸救う会神奈川会長

次に斉藤さんの方にちょっとお話をいろいろまたお伺いしたいと思います。
2月にですね。
私も警視庁に同行したんですが、よど号グループに対して監禁罪で刑事告発をしましたが、告発した事に対して心境はどうでしたか?どんな感じだったか?というのと。

実は今月の13日にですね。
八尾恵さんの長女が帰ってきます。
長女が帰ってきた後はですね。
どうもよど号の本丸、所謂松木さん・石岡さんを拉致した実行犯、もしくはそれに近い支援者の人間が帰ってくるのではないか?という情報が我々入って来ております。
拉致実行犯の帰国が迫ってますが、その辺に関してどのように思われているのか?と、この2点ちょっとよろしくお願いします。
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★斉藤文代さん

告発の件はですね。
前々から私は弟を拉致されたことに関しまして許せないと言う気持ちでいましたので、いつかこういう機会がありましたらば絶対に、よど号犯の拉致した人たちを許す事はできないので、前々から考えていた事ですのでそれが出来て良かったなと思っております。
それからこれからよど号犯の妻たちが帰ってくる予定になっておりますけども、私が申し上げたいのは、

「なぜ帰ってくるんですか?好きであなたは北朝鮮に行ったんじゃないんですか?」

と言いたいです。
帰って来るんであれば、日本の拉致した家族を全部連れて帰って来なさいと言いたいですね。
それでもし日本に住みたいのであれば、日本でちゃんとするべき事をしてから(日本に)住む人間になって欲しいと、私はその様に思っております。
本当に許せないんです。
こんなに我慢しているのに、自分達だけ都合の良い時に行ったり来たりするということは、許せないと思っております。(拍手)

★司会 川添氏

ありがとうございます。
そうしましたらですね。
皆様方に最後に一言ずつですね。
会場の皆さん、もしくは会場によど号グループの関係者が来られているかもしれませんので(笑い声)、一言お話して頂ければですね。
伝わってくれるかもしれませんのでね。
ひとつよろしくお願いします。
じゃあ、増元さんから。

★増元照明氏

よど号の事件というのは丁度1970年ですから、私が高校一年だと思いますね。
るみ子が高校三年生で、高校から帰ったら福岡空港にずっと飛行機が止まってまして、それをずっとNHKが追いかけて、金浦まで行ってそれで平壌に行ってしまったんですけども。
あの事件が後々自分にとってこんな大きな問題として関わってくるなんて、あの時全く思ってなかったですね。
画面の向こうの中、夢物語のような感じで「彼らは彼らの思想で行ったんだからしょうがないわ」と、それくらいしか思ってなかったのに、彼らが主体的になって家族会の有本さんや松木さんやそして石岡さんたちを拉致していくのに非常に関わっていた事について、私は家族会結成してビックリしました。

で、この方たちの存在が、私は結局ですね。
1970年に平壌に入って金日成や金正日が日本人を何というか、オルグしていけば使いやすいな?と思わせたんじゃないかと。
荒木さんたちはその前からずっとやってるというように言ってましたけど、それまでは必要に応じて拉致していた人たちだとは思うんです。
それから金正日が1970年代後半に拉致を頻繁にあちこちでしていったのは、自分達の国でオルグして工作員化すれば、もしくは日本人は本当に従順な勤勉な人間だから使えるなと思わせたのがよど号だと私は思ってましてね。
その70年のよど号が向こうに行った事件が、その後の日本から私の姉やそれからめぐみちゃんやそして多くの日本人を連れて行った可能性も否定できないなと思っております。

その点で、高校のときにただテレビの画面で見ていた事件が自分の人生に、本当に大きく関わって来ると言うふうになっていきますと、人生という物は不可思議な物であるし、予想もできない物を感じてしまいますね。
運命と言えば運命なんでしょうけども、ただあの時にもっとよど号問題を真剣に考えておけば良かったかな?とちょっと反省しております。

★司会 川添氏

ありがとうございます。
今増元さんが、私も実は同じくちょっと感じてしまったのは、私ずっとこの藤沢に住んでいまして小学校の高学年の時でしょうかね?
スイミングスクールに通ってまして隣が交番だったわけですね。
で、ポスターが貼ってありまして、リ・ウネのポスターでしたかね金賢姫に拉致された、この人知りませんか?と。
何気なく通りかかってうちの母親に「この人なんなんだ?」といったら、母親がなにか「北朝鮮に連れて行かれちゃった人なんだ」と言われてまして、もう15年くらい前の話ですが、良く考えればわずか15年後にですね。
この女性の方を助ける事ですね。
こういうふうに活動しているなんて夢にも思いませんでしたし、この間、飯塚耕一郎さんにこの話をしたら、「それは高田さんの本じゃありませんけど宿命だったんじゃないですか?」と言われてちょっと何か納得して・・・
今増元さんの話を聞いてそんな事も自分でイメージしてしまいました。

それでは次にですね、荒木先生。
ちょっと一言よろしくお願いします。

★荒木和博氏

先ほど野村さんのお話を聞いててですね。
ちょっと思ったんですが、一体そのチュチェ研というのは元々なんだったんだろうな?ということをちょっと気にかかったんですね。
というのは北朝鮮の基本的な対日工作というのは、昔は韓国に直接入り難かったので日本を経由して工作活動をやると浸透するという事が、それが一番のメインでありまして。
北朝鮮の国家目標というのは言うまでもなく武力統一ということで、南朝鮮からアメリカを追い出してそして傀儡政権を打倒して統一をすると、言うのが目的だったのでですね。
日本の中での事というのはあくまでも2次的なものだったと思うんですね。
それがなんでこんなに長い間組織が続いているのか?と。
単に北朝鮮からのですね。
影響だけで果たしてこれだけ続くんだろうか?という事をちょっとふと今思いました。
北朝鮮の工作のですね。
系統からしてもちょっと異質な感じが今ふとですね。
しましたんで、改めてこれについては考えてみる必要があるのかな?という気がしました。

それからですね。
お母さんの話がいろいろ出てましたが、先ほど増元さんが増元さんのお母さんも信子さんということだったと、私の女房も信子でございまして(笑い声)、これもなんかの宿命なのかな?と私思いましたけど。(笑い声)

この家族という事についてなんですけど、政府がですね。
ご家族の意向を尊重してという事をしょっちゅう使うんですけども、これかなり曲者でありまして、どうもそのまま鵜呑みには出来ない。
というのはですね。
これ逆に裏返しにしますと、家族がもう良いよと言ったらそれでおしまいに出来るという事でもあるんですね。

一番良い証拠は寺越武志さんです。
誰がどう見たって拉致されたという事以外に考えられない。
彼は向こうにいて、そして失踪したときの状況とかですね。
それから考えればこれだけで拉致だと十分分かるんですが、政府は認定をしません。
認定をしない理由は何か?というとあのお母ちゃんがですね。
拉致だと認めないからという事を言われていたんですね。

かつてですね。
平沢勝栄さんが拉致議連の事務局長をやってたときだったかな?
何かあの、福留さんの話が出てですね。
で、その聞いたらば、それ何かお母ちゃんが認めないからというような事を言ってですね。
そりゃあいくらなんでもないでしょうと、そんなの認められるわけ無いじゃないですか?と。
いや本人も認めないと、そりゃ本人が認めるわけ無いと。

という、いろいろすったもんだした挙句にですね。
いや、まぁ、じゃあお母さんが認めるんで有れば、警察の方も考えるという事を聞いたもんでですね。
お母さんに相談した事もあったんですが、結果的にはやっぱり認めるわけにはいかないという事でした。
お母さんも直接話すときには拉致だということは言ってるわけで、それを認めないというのはいったいどう言う意味があるのか?と。
そういう時にだけ、家族というのをですね。
隠れ蓑に使っているのではないだろうか?と。

9.17の後で北朝鮮側は、蓮池さんたちからはですね。
横田さんの情報だけ出させたと。
他の人たちについては全く知らないと言いながら、横田めぐみさんの情報だけはですね。
べらべら喋らせたと。
そしてあの時何をやろうとしたか?というと、お父さんお母さんを平壌に呼んでですね。
そして終わりにしようとしたわけです。

あの時もし、お父さんも相当ですね。
揺れたわけですけども、ご家族が北朝鮮に行ってしまって納得してしまえばですね。
まぁ家族が納得したんだから良いんじゃないですか?というふうになっていた可能性がある。
家族という物をそういうふうに使っていた可能性があります。

そして一方でですね。
政府の人間が逆に言う時は、国益の観点から行くと拉致被害者の事だけで日朝国交正常化が止まって良いんだろうか?と。
これは槙田(邦彦)元アジア大洋州局長の「10人くらいの事で日朝交渉止まっても良いのか?」という事を言いましたが、そこに本音が非常に表れているわけでございまして、ここはしっかりですね。
問題の本質を考えなければいけないと。

私は常にこの拉致問題というのは安全保障の問題であり、ある意味で戦争であると言っているのはですね。
ここにちょっともうひとつ重要な意味がありまして、ご家族が可哀想だ・本人が可哀想だという事でやっている救出運動であれば北朝鮮が暴発して、今もちょっとごちゃごちゃやってますけども、ミサイル撃つぞと。
ミサイル打ち込むぞという事を、例えば言った時にですね。
彼らにそんな度胸はないと思いますが、もしそういうような事を見せた時に日本の中でどういう判断が下るか?と。

いや確かにそれは拉致された人も可哀想だしご家族も可哀想だと。
しかしその事と、その人たちを助ける為にまた何十人だか何百人だか例えば犠牲者が出てしまったら、それは釣り合わないでしょうと。
だからこれは大人しくしていた方が良いでしょうというふうにですね。
なるんですね。
実際彼らがおそらく世論誘導をやろうとすると、そういう事をやろうとすると思います。

しかし問題はそうではなくて、もし彼らのそういう脅しに屈すればまた次の事をやられる。
あるいは北朝鮮だけでなくてですね。
他の国からもそういう事をやられるかもしれない。
言う事なんであって、それがまさに私がこの問題は安全保障の問題であって、家族の意向というのは2次的な問題だと、いうふうに言ってる事の最大の理由でございます。

もちろんそれはご家族の意向は最大限尊重して貰わなければいけないわけなんですが、そうは言ったって我々古川(了子)さんの訴訟でですね。
政府認定者とそれ以外の人たちとを差別するなというふうに言ってはいるわけですけども、そうは言ったって拉致の可能性のある人という意味ではですね。
我々のリストだけで460人いるわけで、それ以外にも警察に我々のと重なってますが、問い合わせは900くらい人以上いる。
そして問い合わせをして来ない方も相当いるわけで、この人たち全部に家族会と同じように説明するなんて物理的に不可能なんですね。

もちろん特定失踪者のご家族も、もちろん拉致の可能性が高いというふうに思っていられる方でもですね。
やっぱりその一面、ひょっとして日本の国の中でですね。
何かの理由でいてくれないか?という気持ちは皆さん共通であって、我々もそうであってそれで見つかってくれればそれで良いと思ってやっているわけでございます。

そうするとその間を埋める物は何か?と言うと、もしその、例えば説明の仕方とかそういう物がですね。
政府拉致認定者と違っていたとしても、じゃあ実際に北朝鮮の中に誰がいるんだ?どこにいるんだ?という事に付いてはですね。
全く見えないところでも何でも良いからともかく一生懸命探しているという事が分かれば、それはそれでですね。
ある程度は仕方が無いと言うふうになるわけで、問題はそこをしていないという事にある。

増元さんが前にもよく言われますけども、その家族会が出来る前までですね。
我々が見えないところで政府がやっててくれるんだろうというふうに思っていたらば実は何もしていなくて、言う問題がですね。
これがやはり問題の本質であって、国家の意思というものはそういうものでは無い。
安全保障上やっぱり守るためには、ただ食う物を抑えるということは絶対出来ないわけでありまして、こちらから戦っていかなければいけない。

相手側の情報を得てですね。
そして実際にどうやって取り返すのか?具体的な手を打っていくと、言う事の努力をしていかなければいけないという意味でございまして、この福留さんの問題というのはある意味でそういうもののひとつのバロメーターにはなるのでは無いだろうか?と。
これからまた先ですね。
場合によってはよど号グループとか、あるいは場合によったらその警察とか国家機関の方からもですね。
いや実は福留さんはああだったんだこうだったんだと、拉致ではないと言うような情報を流してくる可能性だってあります。

しかしそういう時にですね。
そこで踏みとどまって、ともかくこの人は帰って来て貰わなきゃいけないんだというふうにですね。
やはり国民の意思が結束できるか?と言うのが極めて重要でございますので、このお忙しい中お出で頂いた皆さんには、ぜひともそこをご理解頂きたいというふうに思います。
ありがとうございました。(拍手)

p>TITLE:蒼き星々 掲示板(サブボード)
DATE:2006/06/27 00:10
URL:http://8229.teacup.com/blueribbon/bbs

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2006年6月25日 (日)

福留貴美子さん拉致事件を考える集い(6)

  『大沢茂樹さん(特定失踪者・大沢孝司さんの兄) 特定失踪者家族の紹介と訴え』

★大沢茂樹さん

ただ今ご紹介にあずかりました、私、特定失踪者・大沢孝司のすぐ上の兄で、大沢茂樹と申します。
本日は福留貴美子さんの拉致事件を考える会に参加させて頂きまして、本当にありがとうございます。
今日は私の他に3家族の特定失踪者の家族も見えておりますので、この機会に簡単にご紹介をさせて頂きたいと思いますので、ちょっと前の方へ出て来て下さい。(特定失踪者のご家族が登壇する)

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(写真左より、寺島佐津子さんのご両親、高野美幸さん、大沢茂樹さん)

こちらにおられるご夫婦は昭和54年8月の10日、鎌倉市で花火大会があり、その銀行の親睦旅行を兼ねて花火大会に参加した後、戸塚駅でバスに乗り帰宅途中忽然として行方不明になった寺島佐津子さんのお父さんとお母さんでございます。

★寺島さんのお母様

よろしくお願いします。(ご両親がお二人揃って会釈をされる、会場より拍手)

■公開リスト詳細(検索結果)■

昭和54(1979)年
228
228 氏名 寺島 佐津子 失踪年月日 昭和54(1979)年8月10日
ふりがな てらしま さつこ 生年月日 昭和35(1960)年7月26日
性別 当時の年齢 19
身長 体重
公開 第12次公開
当時の身分 銀行員
特徴
失踪場所 神奈川県横浜市戸塚区
失踪状況 失踪当日、勤務先の支店の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、夜10時に現地解散。同僚と鎌倉駅で別れ、戸塚駅からバスで帰宅途中に行方不明。翌日、自宅近くの草むらからセカンドバッグが見つかる。警察犬の捜査でもここまで来たのは間違いない。

TITLE:特定失踪者問題調査会
DATE:2006/06/24 23:28
URL:http://chosa-kai.jp/cgi-bin/address/list3.cgi

※特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会より引用
http://chosa-kai.jp/index.html

★大沢茂樹さん

私の隣にいる方は昭和51年7月の30日神津島で、大学の友人と遊びに行き、神津島の民宿で忽然と姿を消した高野さんの妹さんでございます。

★高野美幸さん

いつもお世話になっております。
神津島から行方不明になりました高野清文の妹、美幸になります。
藤沢の方は良くお話をさせて頂いていますので、今回はちょっとご挨拶だけという事でありますが、今日は私いつも母の作品をお持ちしておりますけれども、調査会の方で「しおかぜ」という短波放送をしておりまして、最近ですね。
北朝鮮側から妨害電波が入っておりまして、非常に放送の状況が大変な状況なっております。
6月の中旬より対策をとりまして放送の方を再開・再編成と言う事で放送をしていくことになっております。
そのしおかぜの方の支援を致しますサポーターグッズ、タオルとかストラップ・リストバンドなどを販売しておりますので、W杯も近い折、娘さん息子さんに紛れてそういうグッズを使って頂いても良いかと思います。
ご協力の方をよろしくお願い致します。(拍手)

■公開リスト詳細(検索結果)■

昭和51(1976)年
80
80 氏名 高野 清文 失踪年月日 昭和51(1976)年7月30日
ふりがな たかの きよふみ 生年月日 昭和31(1956)年10月31日