新座集会(5) 西岡力氏-2
『西岡力 救う会副会長の講演 その2』
家族会が出来て、最初は訴えても訴えても、銀座でチラシ配りをやっても取ってくれる人が殆どいなくてですね。
冷たかったです。
マスコミの報道も拉致疑惑という事で、産経新聞を除いては大変小さかった。
増元さんが記者会見開いて、あんまり記者が来なかったんで来た人たちに、「こっちから質問がある。拉致と言うのは犯罪じゃないのか?何で扱いが小さいのか?答えてくれ」
記者に質問(笑い声)、逆質問をしていたのを思い出しますけど。
しかしそれでも少しづつ少しづつ全国で救う会が出来て、埼玉もかなり早い時期に出来ましたけども、そして小さな集会をたくさんやって、横田さんたちは今累計で1000回講演をやったと。
全国全部の都道府県を回ったと。
その結果くたくたになって、去年の12月には滋さんは重篤にまでなったし早紀江さんは腕が上がらなくなって、本当に肉体的な限界に来ているわけですけども、しかし世論は少しづつ盛り上がって来たと。
横田めぐみと言う名前を知らない日本人が段々いなくなってきたと。
そしてごく少数の国会議員が当初はごく少数の国会議員の人たちが、西村眞悟さんがめぐみさんの事を最初に取り上げて、そして今の議員連盟じゃなくて前の議員連盟を作ったときに実質的に動いてくれたのは安倍晋三さんとあと中川昭一さんとか何人かの人です。
で、そういう人たちは自民党の中で野中広務さんにみんな睨まれて、というような力関係があって、西村さんは当時は新進党だったかな?
党の幹部にも秘密でめぐみさんの質問をやったと。
党として取り上げるという事になってなかったわけです。
ごく少数の人たちが、都議会議員の土屋たかゆきさんとか、ごく少数の地方議員の人たちが付いてくれた。
しかしそれでも運動をして来て世論が盛り上がったのは、政府は少しづつ変わってきたわけです。
そして2002年の9月17日を迎えて、そこで日朝首脳会談の主要議題の一つが拉致になったんです。
日本政府が分からなかったから、金丸訪朝のときや第一次日朝会談で拉致問題を出さなかったんじゃないんです。
分かっていたけど出さなかった。
じゃあ何が変わったのか?
2002年と90年、91年、92年と。
世論があるか無いかです。
国民が日本人が拉致されていると思って怒っているかどうか?
今は金正日が拉致を認めた後、死んだと言っていますけど、偽の遺骨だったと。
けしからんと。
で、テレビでも各局、そういうふうになると横田さんたちが忙しくなるくらい報道するわけですね。
今は、今日の家族会(総会)のテーマはマスコミの報道をどう自粛させるか?というくらいで(笑い声)、逆の事が議題になるくらいで、何故報道しないのか?と怒る時代じゃなくなった。
世論は最高度に盛り上がっているんです。
今地方議員の会もネットワークが出来ていますし、署名は今600万近く集まっています。
第一の国民の世論という問題は、かつて無い盛り上がりを見せている、いうことです。
じゃあ2番目の政府の毅然たる対応という事ですけれど、2004年の12月に偽の遺骨という事が判明しましたよね?
それ以外、増元るみ子さんが死んだと言う証拠として北朝鮮が出して来たのは死亡診断書だった。
で、田口さんや松木薫さんについては、死亡診断書が出ましたけどもう一つ、交通事故調書という警察が作った書類も出て来たんです。
後もちろん、遺骨がありましたよね?
それら北朝鮮が出してきた死亡の証拠とされるものは、日本政府が全部調査しまして、その結果として8名死亡・2人は入境を確認せず、2人というのは久米さんと曽我さんのお母さんのことですが、この北朝鮮側の説明を裏付ける物は皆無であると。
北朝鮮側の説明を裏付ける物は皆無であると。
北朝鮮側の結論は客観的に立証されておらず、我が方としては全く受け入れられない。
生存者は直ちに帰国させる事が基本であり、これを要求していく。
言う政府方針が出た。
全く受け入れられないと言うのは、家族会・救う会が言ってるんじゃないんです。
日本政府が北朝鮮の主張は全く受け入れられない。
客観的に立証されていない。
生存者は返せと、それが基本だと。
ここまでは良かったと思うんですけども、しかしその後がある。
細田官房長官が発表した後、北朝鮮に対して「迅速且つ誠意ある対応をしろ」と、「それが無い場合は厳しい対応を取らざるを得ない」という有名な制裁の予告の官房長官としての発言をされたんですが、迅速で誠実な対応をしろと言ってるんですね。
北朝鮮は遺骨の鑑定を日本が捏造したと。
めぐみさんは死んでいると、いまだに言ってますよね?
拉致問題解決したといまだに言ってますよね?
それで誠意ある対応をしていないわけです。
迅速がいつ迅速なのか?
言う事で去年は24日のたびにいろいろ行動して、半年たって何もしないから3日間炎天下で座り込みをやったりしたわけです。
実はですね。
日本政府の中には拉致問題を担当する部署と言うのがあるんです。
安倍晋三さんが副長官の時に作ったんですが、専門幹事会と言うのがある。
ちょっと専門的に言いますと、日朝国交正常化交渉に関する関係閣僚会議と言うのがありまして、その下に専門幹事会と言うのがある。
閣僚会議の下に専門幹事会と言うのがありまして、トップは官邸の官房副長官で、各省庁の局長クラスが今入っているんですね。
そこで拉致問題について政府の対応を情報交換を話し合うんですが、その17回目の会議が「厳しい対応を取らざるを得ない」という事を言った細田官房長官の平成16年の12月26日、2004年の12月26日に開かれたんですが、その後ですね。
ほぼ1年会議を持ってないんです。
17回目が平成16年12月26日ですが、18回目が翌平成17年の12月6日なんです。
北朝鮮が偽の遺骨を出してきて、誠実な対応を取っていないのに日本政府としてどうするか?を話し合ってないんです。
そこでも見捨てたんじゃないのか?分かってたのに。
偽の遺骨だと分かっていて生存者を返せと言っているという事は、生存者がいると分かっているのに何もしなかった。
という事です。
しかし官房長官が去年の10月に安倍晋三さんに代わったんです。
すると突然会議が活性化するんです。
12月に会議が持たれまして、そしてそこで、今まではですね。
12の省庁が参加していたんですがそれをですね。
9プラスして、宮内庁以外の全ての省庁の代表を出せと、全政府で取り組むべき課題だからといって拡大しまして、専門幹事会の名前も変えて「拉致問題特命チーム」とした。
全省庁から局長クラスが出てきて、特命チームが出来て、そしてその下にですね。
二つの作業グループが(出来た)。
一つは法執行班というのがある。
法律を執行する。
海上保安庁と経済産業省と財務省、これ税金担当ですね。
法務省が入国管理担当、警察庁、金融庁が入ってですね。
法執行班というのが何かと言うと、後でちょっと申し上げますけど、ブッシュ政権が今北朝鮮に金融制裁をかけていますね?
しかしブッシュ政権の担当者に会うと、「我々は制裁はしていない、法を執行しているだけ」
偽札を作ったりテロ資金を扱っていたりする銀行に対しては、アメリカは法に基づいてアメリカの国内の金融機関が取引を停止するという法を執行しているだけだという。
制裁法では無いから交渉の対象ではない。
北朝鮮がテロ行為を止めない限り、法の執行は続くんだとアメリカは言ってるんですけど、同じ単語を実は特命チームの下の法執行班は使っていまして、北朝鮮に対して今ある法律を厳しく執行する。
いう作業が進んでいるんです。
代表的な例を上げますとですね。
昨年の11月の22日に日本政府が朝鮮総連を相手に、628億円を返せという訴訟を起こしています。
日本政府の機関として整理回収機構と言うのがあるんですけども、破綻した金融機関に公的資金が入る。
そしてそこで焦げ付いていた債権を整理回収機構が買い取って、その回収作業をするという機関です。
朝鮮総連系の朝銀信用組合がどんどんと破綻していきまして、最初38あったのが今は7になった。
そのプロセスでなんと合計1兆4千億円の公的資金が投入されたわけです。
一説によると野中さんが面倒見たよと言ったという説が有ります。
週刊誌などに出ていますけど、とにかく1兆4千億が投入されたと。
しかしその内ですね。
約2千億くらいはRCCに回ってきたわけです。
そして朝鮮総連というのはこれは任意団体なんです。
まぁ救う会・家族会と同じですよね?
だから法人格を持たないわけです。
お金を借りる時は個人で借りるか、総連系の人間の持っている会社で借りるんです。
総連は金を借りていないんです。
しかし日本政府は総連を相手に金を返せと訴訟を起こした。
それはどういうことか?というと実際には総連が借り手だとみなして、名義は違う。
訴えを起した。
厳しく実態を調べて実は総連が借りていたと。
貸し手も総連で、借り手も総連で焦げ付いていると。
おかしな話なんですね。
朝銀信用組合は一応信用組合として法律上は成り立っていますけど、その上に人事だとか方針を決めるのは総連が決めるわけです。
誰に何を貸し出すか?と言う事も最終的には総連が決められるわけです。
朝銀信用組合が総連系の人間や総連系のペーパーカンパニー等に融資をする。
担保は何にするのか?
総連系の民族学校の土地とか、朝鮮総連の中央の土地建物とか、朝鮮出版会館とかですね。
そういうものが担保になっている。
学校は学校で学校法人なわけなんです。
個人は個人なんです。
で信用組合なんですけど、全部その上に総連があってお金が貸し出されて返せない。
不良債権になって信用組合が潰れると預金者保護といって公的資金が入って来る。
善意の預金者を守るというシステムなわけですけど、性善説によって成り立っているわけですけど、意図的に不良債権を作って個人が破産してしまえばそれで済むと。
借りた人のところにですね。
朝日新聞のアエラの記者が行って見ると、裸電球ひとつで6畳一間の所に住んでる人が3億円とか借りてる。
インタビューすると「返す気なんかありませんよ]]と言う。
どこに行ったのか?という事になるわけです。
当然北朝鮮に送金されたんじゃないか?と私は思ってますし、それを実は今までも活字で書いています。
しかしそれを分かっていながら、日本政府は公的資金をどんどん投入してきたわけですけども、安倍さんが官房長官になって法執行班が出来て、突然裁判です。
実際に借りたのは総連だと。
破産した個人じゃないんです。
2千億円を精査して600億、3分の1はそうだと証拠をとって裁判起した。
ある朝鮮総連系の元幹部によりますと全国にある財産は200億円くらいじゃないか?と。
その計算が正しいとすると600億円以上の損害賠償請求をすると言う事はですね。
日本政府は総連の財産を全部差し押さえすると、いう裁判を起しているんです。
そういう法執行が法律に基づいて、あんまり言わないんです。
法律に基づいて執行しているだけだから。
しかし朝鮮総連は今存亡の危機を迎えている。
不正な事をやっていたという事ですからしようが無いんですけど、自業自得だと思うんですけど。
あるいは、この朝鮮総連はですね。
1976年に国税庁の幹部と、当時の社会党の高沢寅雄という国会議員が間に入って国税庁の幹部に会って、そして自分達の税金問題について特権を要求したわけですね。
それが通ったといって自分達のパンフレット等に、税金問題で自分達は治外法権が認められていると言って、5項目の合意があると公然と書いていたわけです。
実際にパチンコ屋さんとか何かが、書類を作るときに朝鮮総連の商工会というところに頼むと書類を作ってくれる。
そして代わりに商工会が税務署に持っていくといってですね。
横に集められて普通の扱いでなくなってくる。
で、何か問題が起きると商工会が税務署に乗り込んでいって「36年お前たちは何をやってきた!」「従軍慰安婦は20万人どうしたんだ!」とかいう話をするわけです。
それでも駄目だとデモ隊が来る。
という事をやって税金を事実上脱税してきたわけです。
で、その代わり日本に払わないで祖国に払いましょうと。
商工会を使えば安くなる、と言って献金をして来たと。
ところが今年の3月にそれが出たわけです。
かなり厳しく書類を今税務署も見ていると。
厳しく見るといっても、ニュースじゃないですから何も(表に)出ませんが、今までが酷かったですから当たり前のことになった。
・・・その3に続く・・・
新座集会(4) 投稿者:ぴろん 投稿日: 9月 7日(木)12時36分21秒 引用 編集済
『西岡力 救う会副会長の講演 その1』
皆さんこんにちは。(「こんにちは」の声)
お忙しい所、国会議員の先生方も来て頂きまして、嬉しく思っています。
今日はちょっと時間があって1時間くらい話しても良いということなので、今日はですね。
今の増元さんの報告を踏まえてですね。
現状がどうなっているのか?今後どういう展開が予想されるのか?ということを申し上げたいと思うんですが、一言で言いますと拉致問題は勝負の時を迎えた。
いよいよ全面解決が近付いている、いうふうに思っております。
金正日に時間稼ぎを許さない。
彼らが拉致被害者を返さないんであれば、いよいよ締め付けを圧力を強めていく。
と言う事こそ、拉致問題解決への正道だと我々は主張してきましたが、実はその様な体制が今整いつつある。
時間稼ぎをすればするほど彼らは苦しくなる。
その様な体制が今出来つつあると言う事であります。
拉致問題解決のためには3つの条件があるというふうに思って、家族会結成そしてその後に救う会を作って10年になりますが、運動をして参りました。
第一は日本国内の世論の高まりであります。
そして第二はそれを背景とした日本政府の毅然とした対応です。
そして三つ目は同盟国アメリカを始めとする国際社会の支援です。
日本の国内世論、日本政府の毅然たる対応、そして国際社会の支援。
この3つを目指して10年近く運動をしてきました。
ここにいらっしゃる皆さんにも大変助けて頂いてここまで来たわけですけども、今この3つがほぼ揃いつつあるというふうに思っております。
そして日本では今の国内政治の情勢になると、9月に安倍晋三政権が出来る可能性が大変高くなって来ている。
そしてブッシュ政権が後2年半ほど続くと。
韓国でも盧武鉉政権の支持率が十数パーセントに落ちてレームダック化が始まって、来年には韓米同盟・日本との友好関係を大きく支持する保守派の政権に変わる可能性が高まっている。
言う政治情勢であります。
ですから、今言ったこの3つの条件が整えば、そして国際政治情勢も我々の味方になるということですが、先ほど申し上げてきた3つの条件について、一つ一つ見ていきたいと思います。
まず国内世論についてですが、増元さんが先ほど最後の方で仰っていましたが、日本政府は世論が無いと動かなかったんだと、言う事を仰いました。
これは事実です。
というのは、日本政府はではいつ国民が拉致されている事を知ったのか?という事です。
いつから知っていたのか?
日本は北朝鮮の工作員が自由に入っていたけれども、事件直後には分からなかったから救えなかったのか?
という事ですが、実は少なくとも9人の被害者については、日本政府は事件発生直後に北朝鮮による拉致だと分かっていたんです。
分かっていないから手を打てなかったんでは無いんです。
分かっていたけれども見捨てたんです。
日本政府がこの4月にポスターを作りまして、「北朝鮮による拉致を日本は見捨てない」と書いてある。
当たり前の事なんですが、なぜそんな事を書かなくちゃいけないのか?とある理由ですね。
30年経って見捨てないとポスターが出てくるのか?
実は過去に見捨てた経緯があった、という事であります。
読売新聞の2002年の12月20日の夕刊。
読売新聞の2002年の12月20日の夕刊に、驚くべき記事が出ていました。
実は増元さんたちが拉致されたのは1978年の8月ですよね?
当時警察庁の警備部という、北朝鮮関係の取締りなどを担当する公安警察ですが、警察庁の警備局の幹部が読売新聞の取材に応じて、実は24年前自分達は知っていたんだと。
しかしそれを公表しなかった、言う事を話しているわけです。
その幹部というのは読売新聞によりますと、おそらく日本で最初に北朝鮮による連続アベック拉致を確信した人物である、いうように読売新聞は書いている。
連続アベック拉致と言うのは蓮池さんたち、地村さんたち、増元さん・市川さんたちですね。
そして富山で未遂事件がありましたね。
この記事を一部読みますとですね。
1978年7月、福井県警から届いた報告書には、特異事案アベック蒸発事件という表題があった。
小浜市の海岸から七夕の夜に失踪した地村保志さん・富貴恵さんの事件だった。
その一週間程前から東京霞ヶ関の警察庁総合庁舎に泊り込んでいた。
この幹部が。
警察の無線傍受施設が、日本海の真ん中で北朝鮮の工作船が発したと見られる電波を捉え、各県警に沿岸警戒活動を指示していたからである。
北の工作船が来ている。
電波で分かって、警備しろという命令が来て、その幹部は一週間泊り込んだ。
そしたらば、その泊り込んでいたときに小浜でアベックが蒸発したと言う事件が起きたと言う報告が来た。
その後まだあるんです。
それからしばらく経って同じ月の31日に、やはり警戒活動中だった。
つまり電波が分かって船が来ていると。
沿岸警戒をかけていたときに、今度は新潟の柏崎市で蓮池薫さん・祐木子さんが行方不明になった。
海岸近くで若い男女が家出する理由が無い。
机の前に積まれた2冊の報告書を前に、元幹部は背筋に寒い物を感じた。
これは記事のそのままです。
更にその翌月、鹿児島で市川修一さん・増元るみ子さんが失踪。
富山県高岡市でもアベック失踪未遂事件が起きた。
高岡では沿岸を高速で走る不審な船が目撃されていた。
現場に残されていた猿轡を、ゴム製の猿轡が高岡の未遂事件では残されていたんですが。
韓国当局に照会すると、「我が国に不法侵入し死亡した北朝鮮工作員が所持していた物と極めて似ている」という回答が返ってきた。
不安は確信に変わった。
北朝鮮が拉致しています、と言う報告書を書いたと。
それを受け取った上司たちも、これは間違いないと声をそろえた。
言うのが記事に載っています。
工作船が来ているのが分かっていて警戒している時に、アベックが連れていかれたと。
現場に未遂事件では猿轡があって、韓国に照会したらば韓国で発見された物と同じだと分かっていたと言う事です。
じゃあ、その幹部が書いた報告書を誰が握りつぶしたのか?と。
実は78年の8月に拉致があった、7月8月にあったんですね。
次の年の79年の春に警察庁で秘密に会議があった。
関係の4県の担当者が呼ばれた。
つまり鹿児島・福井・富山・新潟ですよね?
各県警の担当者が呼ばれたと。
そしてそこで、電波傍受を秘密にする為に事件を公開しない。
電波傍受を秘密にする為に事件を公開しない事と決定された。
その元幹部が読売新聞に話しています。
分かっていたけれども公開しない事に決めた。
産経新聞が、実は1979年の春に書いてありますけど、次の年の80年の1月に最初の拉致問題の報道をしますよね?
これは、その会議に多分出ていた誰かが、公開しないという原則は余りにもひどいと思って一部情報をリークしたと思います。
産経新聞は書けたんです。
分かっていたけど手を出さない。
6人のアベックと、それから二人の未遂がありますからそれで8人。
もう一人、石川県の宇出津海岸で拉致された久米(裕)さんの事。
久米さんの犯人は捕まっていたと言う事を、ご存知の方は多いと思いますけど。
つまり9人については分かっていた、最初から、という事です。
報告書があるんです。
どこかに、警察庁に。
警察がその方針を変えるのは、その10年後です。
1987年の11月に、大韓機爆破事件が起きたんです。
拉致を分かっていたけれども手を打たなかったら、新たなテロが起きた。
拉致被害者がテロリストの教師になって、テロリストが日本人に化けて日本のパスポートを持って115人空中で爆殺した。
そこで警察は方針を変えて、拉致されていると言う事を、日本が拉致されていると言う事を分かっているという事を公開するんです。
有名な梶山静六答弁が1988年の3月に、大韓機爆破事件の直後に参議院の予算委員会であるわけです。
3組のアベック失踪について、北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚であると、いう答弁をするわけですね。
それは何故そこで出来たのか?と言うと、新しい証拠がそこで出たんじゃないんです。
最初から分かっていたから答弁出来たんです。
金賢姫は蓮池さんや地村さんや増元さんの事を証言していないんです。
田口さんの事は証言している。
それならなんでアベックの事が言えたのか?
最初から分かっていたから言えた。
ところがそれでも世論は起きなかった。
なぜならマスコミが今度はそれを無視した。
梶山答弁を朝日新聞も読売新聞も毎日新聞も一行も書かなかった。
無かった事にしたんです。
国会で治安の最高責任者が「日本人が北朝鮮に拉致されている」と言っているのに、書かなかった。
10年間は政府が知っていながら見捨てたと。
後の10年間は政府が答弁をしているのに、少なくとも警察は答弁をしているのに、今度はマスコミが、そして外務省と政治が警察の情報発信を潰したと、言う事です。
梶山答弁はマスコミが書かなかったですね。
そしてその後2年後に金丸訪朝になるわけです。
その時実は金丸さんは金日成と会っているわけです。
2年前に国会で政府の治安の最高責任者が「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚である」と言っている事について、与党の元副総裁と言う人が、それも総理大臣の親書を持って行った人が一言も触れなかった。
有本さんたちは、金丸訪朝団のときに何とか取り上げてもらおうと思って、北朝鮮から来た手紙のコピーを持って金丸さんに会いに行ったけど会ってくれなかったと。
その訪朝団の事務総長の石井さんと言う人の事務所に行って会ったという話がありますけど、分かっているのに取り上げなかったんです、政治家が。
私はあるところで海部元総理と会いましたが、海部元総理は「自分は拉致問題に詳しい」と言うんです。
何故ですか?と聞いたら、自分が総理になったときに警察が来た。
金丸訪朝を前にして警察が、「総理、日朝関係を軽々に動かさないで下さい。拉致問題は深刻です」と言われた。
ブリーフィングを受けたと。
総理大臣はそこで知っていたんです。
しかし、自分の名前で金丸さんに手紙を託していながら、そこに増元るみ子と書かなかったんです。
分かっていたけど手を打たなかった。
分かっていて、北朝鮮と話をする事が出来た。
最高指導者と日本の政治家が会えるときに出さなかった。
小泉訪朝ではなくて、金丸訪朝で主要議題になるべきだったわけです。
それは90年の話です。
1990年。
そしてその91年から92年にかけて8回、今度は外務省が日朝交渉をするわけです。
そこで拉致問題が正式に会談で取り上げられたのは一回だけです。
第三回会談で、田口八重子さんの事が一回だけ取り上げられただけで、先ほど言っていますアベックの事について政府が最初から分かっていたのに、国会でも取り上げているのに、外務省はその8回の会談の中で増元るみ子と言う名前を一度も出さなかったんです。
分かっていないから出さないんではなくて、分かっているけれども見捨てたんです。
北朝鮮がけしからんと言ったんじゃ無い。
出さなかったんです。
この状況を変えたのは何か?というと拉致発生から20年経った1997年、安明進さんの証言の後で横田めぐみさんの拉致が明らかになった。
横田さんのご両親は大変悩まれた。
名前を出して写真などを持って訴えたらば、北朝鮮にいるめぐみがもしかしたら殺されてしまうかもしれない。
20年間はどこにいたのか分からなかったけれども、やっと消息が分かった時に親がやる事が、娘にとってマイナスになると。
危害を加えられたらたまらない。
娘は20年間、「お父さんお母さん、いつ助けに来てくれるの?」と思っていたはずだと。
しかしいろいろ調べてみると過去20年間、拉致が発生して増元さんたちの事は産経新聞の報道があったり、大韓航空機爆破事件があったりして、分かっていたけれども政府は取り組まなかったと。
20年間過ぎていると。
このまま新潟出身のYさんというような形で記者会見をしても、多分マスコミは一過性で一度報道してすぐ終わるだろうと。
そうするとあと20年、何も起きないかもしれない。
親たちはみな死ぬだろうと。
一定のリスクはあるだろうけども、世論に訴える、と言う選択を家族会はした。
横田さんたちがして、そこに、増元さんたちも合流したんです。
20年間は政府が動いてくれるだろうと思って信じて何もしないで待っていた。
特に増元さんたちは産経新聞の報道があって、ある程度分かっていた。
しかし動いたら危ないといわれていたから、動かなかったわけです。
そしたら20年見捨てられていた。
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