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2006年4月13日 (木)

NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮第一集「個人崇拝への道」(1)

NHKスペシャル
『ドキュメント北朝鮮第一集』を文字化してみました。
貴重な証言だけでもテキストに残しておきたかったので、よかったら、みなさんも参考にしてください。


D11

 
 
 
 
 
 
 ~導入~
<ナレーション>

厚いベールに閉ざされた国、北朝鮮。
個人崇拝による独裁体制は何故今も維持されているのか?
拉致やテロは誰が指示し、何故繰り返されたのか?
そして核兵器開発はどこまで進んでいるのか?
多くの謎が世界を脅かし続けています。

私たちは、北朝鮮の謎を解き明かす手がかりとなる一万二千ページの秘密文書を世界各国から入手しました。旧社会主義国の党幹部や、外交官が間近に接した北朝鮮の実情を克明に記した資料です。
その記述を元に、歴史的事件の渦中にいた当事者200人あまりを取材。
北朝鮮の知られざる姿に迫りました。

3回シリーズの一回目は強固な独裁体制を作り上げたキムイルソン(金日成)の真実です。
その後巨大な権力を手にしていく課程が明らかになりました。

―――~金日成の映像~―――――――――――
我々のやり方でやっているので滅びない。
我が党は世界でも類を見ない「絶対党」なのだ。
――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
建国当初ソビエトから見いだされ指導者となった金日成。
その後個人崇拝を強め、巨大な権力を手にしていく課程が明らかになりました。
いかにしてソビエトの統制を離れ独自の路線を突き進んできたかその軌跡を辿ります。

  ◆映像:証言者との面会の様子

<ナレーション>
2回目は金正日総書記台頭の謎です。
1970年代から80年代にかけて北朝鮮が繰り返した日本人拉致。そして、多くの犠牲者を生んだテロ。
旧東ドイツ秘密文書は、金正日総書記がこの頃、すでに国家の前活動を指揮していたことを明らかにしています。
社会主義では前例がない権力の世襲をどのようにして実現させたのか、その謎に迫ります。

3回目は国際社会を震撼させる核開発です。
核をカードに大国を翻弄する北朝鮮。
映像:六カ国協議の様子

――アメリカ米国務長官――――――――――――――――――
北朝鮮はいつも強硬姿勢を崩さず、我々は譲歩せざるを得ません。
彼らは貧弱なカードを巧みに使いこなします。
――――――――――――――――――――――――――――

北朝鮮との交渉に当たったアメリカの当局者を取材。
瀬戸際外交の裏に隠された、北朝鮮の野望を描きます。

  ━━━━━━━━━━━━
  第一集「個人崇拝への道」
  ━━━━━━━━━━━━

人口およそ2300万の北朝鮮。
首都平壌の中心に金色の巨大な銅像が建っています。
建国の父とされるキムイルソン(金日成)です。
人物の銅像としては世界最大規模と言われます。

  ◆映像:花を捧げる市民

北朝鮮の強固な独裁体制を支えているのは金日成に対する個人崇拝です。
その個人崇拝は、数々のプロパガンダによって築き上げられてきました。

建国の歴史を描いた北朝鮮の記録映画です。

  ◆映像:日本軍を撃退する朝鮮軍

―――映像の朝鮮語ナレーション―――――――――――――――――――
私金日成は、朝鮮人民革命軍に祖国解放のための総攻撃を命令した。
日本帝国主義者に強烈な打撃を与え、退散させた朝鮮人民革命軍によって
我が国の開放は成し遂げられた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
金日成が朝鮮人の軍隊を指揮し、祖国を日本から開放したとしています。
個人崇拝の原点である、この建国の物語は事実なのでしょうか?

私たちは北朝鮮建国に至る経緯を記録した機密文書を独自に入手しました。
朝鮮半島北部を占領したソビエト軍が作成した非公開の内部資料です。文書には金日成の経歴が記されています。金日成は19才の時から、中国東北部、旧満州で抗日ゲリラ活動をしていました。その後、ソビエトのハバロフスクに逃れソビエト極東軍の88旅団に参加しました。記録映画にある朝鮮人民革命軍の記述はありません。88旅団はソビエト軍が養成した朝鮮人と中国人の部隊でした。記録映画では、金日成は朝鮮人民革命軍の司令官とされていますが、ソビエト軍の文書では一部隊の部隊長となっています。

  ◆~モスクワ郊外の映像~

私たちは88旅団を指導指揮していたソビエト極東軍の将校を探し出しました。
ワシーリー・イワーノフ84才。金日成の上官でした。ワシーリーは、88旅団で金日成に様々な戦術を教えました。金日成の主張する朝鮮人の軍隊の存在を即座に否定しました。

  ◆映像:当時の写真

――ワシーリー・イワーノフの証言―――――――――――
金日成の主張には賛成できません。
朝鮮軍など存在しませんでした。
存在しなかった軍隊に金日成は命令したのでしょうか?
――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
日本が統治していた朝鮮半島に侵攻したのはソビエト軍でした。
イワーノフは金日成はこの戦闘にも参加していないと証言しました。

――ワシーリー・イワーノフ(ソビエト極東軍)の証言―――――――――――
キム・イルソンたちは戦争に参加する準備をし、参戦したいとアピールしました。
しかし我々ソビエト軍の司令官は金日成を戦争に参加させませんでした。
彼らは大した貢献ができないと判断したからです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
朝鮮半島北部を占領したソビエト。
友好的な政権をつくろうと考えたスターリンにとって、重要なのは誰を指導者に選ぶかと言うことでした。

  ◆映像:スターリン、メクレル(ソビエト軍特別宣伝部長)の写真

指導者選びの任務を負った一人が、ソビエト軍の特別宣伝部長、グレゴリー・メクレルです。
様々な候補者と面接し、能力だけでなく、ソビエトへの忠誠度を測りました。
ソビエト軍の秘密文書の中に、メクレルの報告書があります。

  ◆映像:外交文書/チョ・マンシクの写真

面接した政治家の一人が、チョ・マンシクです。チョ・マンシクは朝鮮のガンジーと呼ばれた63才の民族主義者。
朝鮮の人々に最も知られた、信望の厚い政治家でした。
しかしメクレルは指導者としてふさわしくないと判断しました。

――メクレルの報告書――――――――――――――――――
チョ・マンシクは反共産主義的である。
表向きはソビエト指導部を支持しているように見えるが、
実際には朝鮮人民とソビエトとの友好に反対している。
彼は我々の信用に値しない。
――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
メクレルも健在でした。
しかし、このあと96才で無くなりました。

  ◆映像:メクレルとの面会の模様。
      取材記者に対してメクレルが日本語で「初めまして」
      「とてもうれしい」「とてもおもしろい」と答える様子

――メクレルの証言―――――――――――――――――――――――――――
私は金日成の能力を確かめるため、朝鮮の情勢に関し、様々な質問をしました。
彼は長年海外で抗日活動を続けていたため、
朝鮮のことは何も知らないと思っていました。
しかし、キム・イルソン(金日成)は私の質問にとても的確に答えました。
朝鮮の情勢に通じている人の答えでした。私はとても満足しました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
メクレルは、キム・イルソン(金日成)の存在を人々にアピールするため、ソビエト軍の歓迎集会を利用しようと考えました。
数万人の観衆を前に、キム・イルソン(金日成)を抗日闘争の英雄として紹介したのです。
このとき33才。しかし人々は意外な反応を示しました。

――カン・インドク(歓迎集会に参加していた)の証言―――――――
キム・イルソン将軍という名前は知られていたため、
かなり年を取った人が出てくると思っていました。
しかし、出てきたのは、単なる若者でした。
人々は騒ぎ始めました。「あれは何だ、偽物じゃないか?」
会場は大変な騒ぎになってしまいました。
――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
偽物説が広がると指導者として受け入れられないのではないか?
懸念を増したメクレルは策略を練りました。

―――メクレル証言――――――――――――――――――――――――――
私はキム・イルソン(金日成)に指示しました。
貴方の故郷に行くと発表しなさい。希望者を一緒に連れて行きなさい。
キム・イルソンは私の指示通り、故郷の訪問をラジオで発表しました。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆画像:故郷訪問の写真

<ナレーション>
故郷の人々と再会するキム・イルソン(金日成)の写真です。
メクレルはこの訪問を新聞でも宣伝し、偽物説を打ち消しました。

メクレルの報告を受けた最高幹部がモスクワに送った秘密文書です。
キム・イルソン(金日成)こそ指導者にふさわしいと結論づけています。

―――(報告書の内容)――――――――――――――――――――――――
キム・イルソンは、日本帝国主義に立ち向かった英雄として有名である。
彼の名は朝鮮人民の幅広い層に知られている。
朝鮮で統一戦線を創設するとき、キム・イルソンを
その指導者に据えるべきである。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
ソビエトが撮影した戦後初の選挙の時の映像です。

  ◆映像:演説するキム・イルソン(金日成)

メクレルから与えられた様々な指示をキム・イルソン(金日成)は忠実に実行に移しました。

ドキュメント北朝鮮第一集(2)

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NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮第一集「個人崇拝への道」(2)

――メクレルの証言―――――――――――――――――――――――――――
私はキム・イルソン(金日成)とあらゆる分野、あらゆる問題で行動を共にしました。
政治や党関連の重要な仕事を一緒に行いました。
取るに足らないようなことでも私たちは常に一緒に行動しました。
私はあらゆる場面でキム・イルソンを助け、キム・イルソンを育て上げたのです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:建国当時の映像

<ナレーション>
1948年9月。
朝鮮民主主義人民共和国の建国です。
キム・イルソン(金日成)は最高指導者として内閣の首相と、党の委員長を兼任しました。

貴重な肉声がアメリカの国立公文書館に残されていました。

―――キム・イルソンの肉声―――――――――――――――――――――――
朝鮮民族の解放者であるソビエト軍と偉大な領導者スターリン大元帥、万歳
解放された朝鮮人民、万歳
朝鮮民主主義人民共和国樹立、万歳
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
建国当時のパレードの映像です。
スターリンとキム・イルソン(金日成)の肖像画が並んで掲げられています。
ここまではソビエトの思惑通りでした。

  ◆朝鮮戦争の映像

38度線で分断された朝鮮半島。
金日成が個人崇拝への道を歩き始めるきっかけは、統一を目ざした朝鮮戦争でした。
1950年6月、北朝鮮は南に一斉攻撃を開始。
二ヶ月後、韓国の9割以上を制圧しました。
開戦直前、キム・イルソン(金日成)はスターリンに<アメリカは介入しない>という判断を伝えていました。
しかしアメリカは参戦し、戦局は一挙に逆転。その後、戦闘は三年に及びました。
100万人以上が犠牲となり、一千万人が離散家族となった朝鮮戦争。

自らの誤った判断で始めたこの戦争をキム・イルソンは権力の強化に利用します。

キム・イルソン(金日成)がアメリカ帝国主義に勝利したという宣伝が始まりました。
巨大な肖像画が勝利集会で掲げられ、『敬愛する指導者』という呼び方が用いられるようになりました

  ◆ソ連系朝鮮人の写真
金日成を称えるプロパガンダを進めたのは、ソビエトから送り込まれたソ連系朝鮮人でした。
ソ連系朝鮮人は、ソビエト軍の指示を受け、党、政府、軍の中枢で金日成を支えました。その数は400人以上にのぼります。

  ◆カザフスタンの映像

<ナレーション>
プロパガンダの中心を担った人物が旧ソビエトのカザフスタンに住んでいました。
チョン・サンジン、87才。
50年代半ばまで北朝鮮で文化宣伝省の次官を務めました。

―――チョン・サンジンの証言――――――――――――――――――――――
当時私たちはソビエトのそのまま北朝鮮に適用したため、
プロパガンダを当然のことだと思っていました。
ソビエトではスターリンが絶対的権威でした。
『北朝鮮でも金日成が同じような権力を持つべきだ』と思っていました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
強化された権威を利用し、キム・イルソン(金日成)は反体制派の粛清を進めます。
最初に標的となったのは副首相のパク・ホニョンでした。
アメリカのスパイとして逮捕され、後に処刑されました。
 ◆パク・ホニョンの映像

―――チョン・サンジンの証言――――――――――――――――――――
金日成は朝鮮戦争に失敗した全ての責任をパク・ホニョンに押しつけました。
疑いの余地は全くありません。
そしてキム・イルソンはそれをきっかけに、パク・ホニョンの派閥を全て粛正したのです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
当時北朝鮮には4つの政治勢力がありました。
  ◆4つの派閥の図
粛正されたパク・ホニョンは国内派、戦時中抗日活動を国内で行ったグループです。
他にソ連系朝鮮人のソ連派。中国で活動した中国派。
キム・イルソンとゲリラ活動を共にしたパルチザン派は最小派閥でした。

  ◆スターリンの葬儀の模様

スターリンの死によってキム・イルソン(金日成)の粛正は更に進みます。
ソビエトの統制がゆるんだのを見て、ソ連派に矛先を向けました。
キム・イルソン(金日成)を支えてきたソ連派は次々に批判され、解任されました。
その後処刑されたり、行方不明になった人も数多くいます。

文化宣伝省の次官を務めたチョン・サンジン。
1955年に解任され出身地カザフスタンに帰りました。
キム・イルソンにスターリンのような権威を与えようとしたプロパガンダが、自らの追放に繋がりました。

―――チョン・サンジンの証言――――――――――――――――――――――
我々ソ連系朝鮮人がいなかったらキム・イルソン(金日成)の個人崇拝は無かったでしょう。
ソ連系朝鮮人がソビエトのスターリンをまねて、キム・イルソン(金日成)の個人崇拝を始めました。
それこそが、現在の北朝鮮の悲劇の原因なのです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
朝鮮戦争が終わった年の翌年のパレードの映像です。
ソビエトの指導者の肖像画は目立ちません。金日成を称える歌が様々な集会で歌われるようになりました。

  ◆解放記念祝賀パレードの映像

歌われた歌詞
 ~あぁその名も懐かし我らが将軍
 ああ、その名も 輝くキム・イルソン将軍~

肖像画は町の至る所に掲げられるようになりました。
 ◆画像:病院、家庭などに掲げられるキム・イルソン(金日成)の肖像画

~モスクワ~
<ナレーション>
金日成の個人崇拝が進む最中、ソビエトは政策を大きく転換します。
共産党第二十回党大会。
第一書記のフルシチョフがスターリンの個人崇拝を批判したのです。
五ヶ月後、モスクワを訪問したキム・イルソン(金日成)。
このときフルシチョフは金日成に個人崇拝を止めるよう求めていたことが今回の取材で明らかになりました。
このときのやり取りを記録したソビエト共産党の内部資料です。

―――内部資料――――――――――――――――――――――――――――
北朝鮮の同士に対して指摘した。朝鮮労働党に深刻な違反が見られる。
キム・イルソン同士の個人崇拝が存在する。
キム・イルソン同士は我々の提言を受け入れた。
欠点を除去する対策をこうじると約束した。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
ソビエトの動きが北朝鮮の反体制派を勢いづけました。
国内派、ソ連派が粛正された後、中国派が密かにクーデターを計画していました。
中国派の幹部が党の会議で金日成を批判。
しかし、事態は思わぬ展開となりました。

  ◆~ソウル・オ・ギワンとの面会シーン~
<ナレーション>
このときの一部始終を目撃していた人がいます。
オ・ギワン、77才。当時北朝鮮で副首相の補佐官を務めていました。
60年代初頭、韓国に亡命しました。

―――オ・ギワンの証言―――――――――――――――――――――――――
中国派のひとりが最初に発言し、個人崇拝を批判しました。
するとキム・イルソンのパルチザン派が大声で罵声を浴びせたため発言を続けられなくなりました。
会場は、騒然となりました。
このため、他の中国派は発言することさえ、できなくなりました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
キム・イルソン(金日成)は事前にクーデターを察知していたのです。
計画に関わった中国派を全員党から除名しました。

再びフルシチョフが動きました。
毛沢東と協議し、北朝鮮に共に特使を派遣。
キム・イルソン(金日成)は除名を一時撤回しました。

しかし翌年、再び中国派を追放。
更に思想調査を行い、不満分子をあぶり出しました。
私たちの入手したソビエトの文書には金日成の激しい弾圧の様子が記されています。

―――ソビエト共産党中央委員会の報告書―――――――――――――――――
国家体制に敵対的な態度を取っているとして、北朝鮮では一月に2000人以上が摘発された。
裁判は公開され、400人以上が公開銃殺の判決を受けた。
大規模な公開銃殺の実施は国にとってマイナスである。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
個人崇拝の行き過ぎを懸念していたソビエト。
しかし、フルシチョフはつよい行動に出ることはありませんでした。

 ◆モスクワの映像

<ナレーション>
何故ソビエトは黙認したのか?
私たちは交渉の末、真相を知るキーパーソンにインタビューすることができました。

元ソビエト共産党中央委員会のワジム・トカチェンコ、74才です。
フルシチョフの時代からゴルバチョフ時代まで、30年以上にわたり共産党の中枢で朝鮮政策に携わりました。
ソビエトの歴代の首相と金日成との会談にも立ち会っています。

―――ワジム・トカチェンコの証言――――――――――――――――――――
当時我々ソビエトは社会主義体制のリーダーでした。
この陣営で何か悪いことが起こればそれはリーダーが悪いと言うことになります。
つまり、我々ソビエトの威信が傷つくのです。
だからソビエトの指導者は北朝鮮の不快な出来事にも目をつぶったのです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ソビエトが目をつぶっている間、北朝鮮では新たなプロパガンダが始まりました。

   ◆映像:チョンリマの銅像

一日に千里を走る伝説の馬、チョンリマからその名をとったチョンリマ(千里馬)運動です。
北朝鮮は大衆を動員して経済の五カ年計画の目標を2年半で達成したと発表しました。

――チョンリマ運動のプロパガンダ映像――――――――――
我が人民は度重なる支援を打開し、千里馬の大進軍を行った。
短時間で新しい歴史を作り上げた。
――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
しかし平壌駐在のソビエト大使は北朝鮮経済の実情を見抜いていました。
北朝鮮では重工業を重視するあまり、生活用品の生産が不足していたのです。
ソビエト大使はモスクワに報告書を送りました。

――――報告書の内容―――――――――――――――――――――――
北朝鮮では綿、衣服、下着、石鹸などが不足している。
地域間の商品交換も欠如し、悪影響を与えている。
医療は最も遅れた分野である。
医者、病院の数が不足し、国民への医薬品の支給がきわめて困難である。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆1959年帰国事業の映像

<ナレーション>
この報告書の翌年から、帰国事業が始まりました。
2年間で7万人以上の在日朝鮮人が地上の楽園と呼ばれた北朝鮮にわたりました。
キム・イルソン自ら帰国者を歓迎しました。
しかしその後多くの人の消息が途絶えました。

当時北朝鮮で副首相の補佐官を務めていたオ・ギワン。
帰国者の受け入れを担当しました。

――オ・ギワンの証言――――――――――――――――――――――――――
北朝鮮では食料も生活必需品も不足していました。
帰国した人たちは、こんな体勢の元で、どうやって暮らすことができるのかと、不満を募らせました。
不満を言う人たちは監獄へと送られました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
キム・イルソンは更に軍備の増強にも着手しました。

――キム・イルソンの演説――――――――――――――――――――――――
我々は戦闘訓練を強化し軍事技術を高め、戦争準備を強化しなければならない。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

◆1962年~全人民の武装化~

<ナレーション>
キム・イルソンは全人民の武装化を提唱。
老人、女性、そして子供にまで武器を持たせ、軍事訓練を受けさせました。

ソビエトの専門家が試算したところ、60年代後半、北朝鮮の軍事費は国家予算の50%を超えました。膨張する軍事費はますます国民の生活を苦しめました。

1060年代、ソビエトと中国との間で社会主義の路線を巡り、激しい対立が始まりました。
西側との平和共存を唱えるフルシチョフ。
革命闘争の継続を訴える毛沢東。

金日成はどちらの側にも組せず、中ソ双方から援助を引き出すことに成功しました。
このときキム・イルソンが打ち出したのが主体思想でした。1965年の事です。

  ◆主体思想塔の映像

  ~政治における自主、経済における自立、国防における自衛~

社会主義の中で、ソビエトにも中国にも頼らない独自の路線を突き進むと宣言しました。

60年代、ソビエト大使館に情報分析官として勤務したドミトリー・カプースチン。
主体思想によってキム・イルソン(金日成)の個人崇拝が確立したと指摘しています。

ドキュメント北朝鮮第一集(3)

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NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮第一集「個人崇拝への道」(3)

ドミトリー・カプースチンの証言 
主体思想はプロパガンダの寄せ集めにすぎません。
ソビエトの影響を受けたキム・イルソンは人を洗脳するプロパガンダの
重要性をよく理解していました。
彼は主体思想を用いて国民の洗脳を始めたのです。
その洗脳はとても速い速度で進み、我々はただただ驚きました。


<ナレーション>
主体思想によって、歴史の書き換えも進みました。
建国の歴史はキム・イルソンへの賛美で彩られるようになりました。
解放直後のソビエト軍の歓迎集会は、『キム・イルソンの歓迎集会』に変えられています。

記録映画でのキム・イルソンの発言  
私キム・イルソン(金日成)は党創建後10月14日に人民にあいさつしました。
私が演題に立つと、群衆の歓呼の声は最高潮に達しました。


<ナレーション> 
人々の反応も、全て熱狂的な歓迎とされ、偽物と疑われたことには触れられていません。

記録映画でのキム・イルソンの発言  
私が帰郷したと聞いて、遠くの村からも人々が列をなしてやってきました。
 

<ナレーション>
故郷訪問の写真も改ざんされています。
当時の写真は左側、キム・イルソン(金日成)を支えたソビエトのメクレルが写っています。
記録映画ではメクレルの存在は消され、朝鮮人に変えられていました。

個人崇拝を確立したキム・イルソン(金日成)
祖国統一を掲げ過激な行動に走ります。

1967年、非武装地帯で南北の衝突が急増。
ソビエトは北朝鮮がそのほとんどを引き起こしていると結論づけました。

翌年1月。北朝鮮の武装ゲリラ31人が、韓国の大統領官邸を襲撃。
武装ゲリラは韓国軍と2週間にわたって銃撃戦を繰り広げ、ほとんどが射殺されました。
ただ一人拘束されたゲリラを尋問した映像を入手しました。

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

   質問:『どんな任務を受けたのか?』

   答え:『大統領官邸にいるパクチョンヒ大統領を銃殺し、
        主要な幹部を撃ち殺す任務です。』

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


<ナレーション>
北朝鮮はパク・チョンヒ大統領を殺害すれば、民衆が蜂起し革命が起きると考えたと見られています。

ワジム・トカチェンコの証言  
――――――――――――――――――――――――――――
我々は、危険だと感じました。
北朝鮮に対するコントロールが効かなくなったからです。
北朝鮮はソビエトを軍事衝突に巻き込む恐れさえありました。
我々は深く考え込みました、何をなすべきかと。

――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
考える間もありませんでした。
二日後、世界を震撼させる出来事が、再び起こりました。
北朝鮮がアメリカの情報船、プエブロ号を拿捕し乗員82人を拘束したのです。
プエブロ号が領海を侵犯したと主張。アメリカの謝罪がなければ、乗員は解放しないと通告しました。
アメリカはプエブロ号は公海にいたと反論。
大統領のジョンソンはプエブロ号を奪還するため、北朝鮮の爆撃も検討しました。
航空母艦三隻と200機以上の戦闘機を出動させました。

ソビエトは驚愕しました。軍事同盟を結ぶ北朝鮮がアメリカと衝突すれば、全面戦争に発展し、自らも巻き込まれる恐れがあるからです。

ワジム・トカチェンコ
    (当時、ソビエト共産党中央委員会)
――――――――――――――――――――――――――――――――――
「政府、党の中央機関の人間は、誰も睡眠を取ることができませんでした。
誰も家に帰れず、オフィスから出る事ができませんでした。
私たちは正に激流に中にいました。
ぎりぎりの状態で危機を解決しなければならなかったのです。」
 
――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
首相のコスイギンは、不測に事態を防ぐためアメリカのジョンソンに書簡を送りました。

コスイギンの書簡 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――― 大統領閣下、我が国が見るところ、問題を解決する最も確実な方法は、軽率な行動を取らないことです。
北朝鮮に圧力をかけようとする試みは、単に解決を難しくするだけです。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――



<ナレーション>
コスイギンの書簡が届いた二日後、ジョンソンは北朝鮮に交渉を提案。
至急協議したいと呼びかけました。

その二日後キム・イルソン(金日成)の書簡がモスクワに届き、コスイギンを驚かせました。
初刊の内容をソビエト共産党の幹部が記録しています。

――キム・イルソンの書簡―――――――――――――――――――――――――
我々は侵略者に対して反撃を加える準備をしなければなりません。
戦争が起きればソビエト政府は我々と共にアメリカ帝国主義と闘うと確信しています。
その場合総力を動員し、我々に軍事援助を与えてくれることを望みます。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


――ワジム・トカチェンコ(当時、ソビエト共産党中央委員会)―――
北朝鮮は私たちを試しさえしました。
彼らはカミソリの上を渡っていたのです。
一歩間違えれば、本当に戦争になっていました。
北朝鮮は我々から得られるもの全てを搾り取ろうとしたのです。
戦争の危険を顧みずに。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
ソビエトの最高指導者、書記長のブレジネフが説得に乗り出しました。
ブレジネフはキム・イルソンをモスクワに呼びました。
しかし、キム・イルソンは国を離れられないとして、拒否しました。

パンムンジュム(板門店)ではアメリカと北朝鮮の交渉が始まっていました。
交渉の様子をアメリカ側の報道機関が撮影していました。
北朝鮮はアメリカが謝罪しなければ乗員は解放しないと繰り返し主張。
11ヶ月に及ぶ交渉の末、アメリカはついに譲歩しました。


―――◆アメリカ側の発言―――――――――――
私は金正日が用意した書類に今から署名するが、
これは私たちの主張とは異なる文書である。
我々は乗員を自由にするためだけに署名する。
―――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
アメリカは北朝鮮が用意した謝罪文に署名しました。
当時アメリカの国務長官だったニコラス・カッツェンバック。
カッツェンバックは大統領の下でプエブロ号事件の対応に当たりました。

ニコラス・カッツェンバックの証言 
アメリカにとって屈辱的な経験でした。
しかし我々は、乗員を救出する方法を他に知りませんでした。
あのまま続けば、何年もかかったでしょう。
――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
事件発生から11ヶ月後、北朝鮮はようやく乗員を解放しました。
しかし、キム・イルソンはプエブロ号の返還を最後まで拒否しました。

アメリカと北朝鮮との交渉を固唾を呑んで見守っていた人がいます
ロアルド・サベリエフ、76才。サベリエフは当時ソビエト大使館の書記官でした。
その後も20年以上北朝鮮との外交を担当しました。

ロアルド・サベリエフの証言―――――――――――――――  
「その後の北朝鮮の行動原理を考えると、プエブロ号事件は北朝鮮の瀬戸際外交の始まりです。
そうした新たな戦術の始まりなのです。
北朝鮮はこの機会を利用してアメリカ帝国主義と闘っていることを誇示したのです。」
――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
北朝鮮も協議の様子を撮影していました。

――――北朝鮮の記録映像―――――――――――
プエブロ号が我が人民軍に拿捕されて11ヶ月
米国は我々の前にひざまづき、謝罪文に署名した。
―――――――――――――――――――――――

~ピョンヤン~
<ナレーション>
返還を拒否したプエブロ号は戦利品としてピョンヤンに展示されています。
アメリカに勝利したと、金日成の個人崇拝を更に高めています。

――展示場の案内――――――――――――――――――――――
プエブロ号の10分の一の模型です。反米教育に使われています。
米国が侵入すれば絶対に容赦しないことを我々は見せつけました。
――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
北朝鮮の指導者として見いだしたソビエト連邦。
しかし金日成はソビエトの統制を離れ、個人崇拝に基づく独自の独裁体制を築きあげていきました。

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ワジム・トカチェンコ
(当時、ソビエト共産党中央委員会)のことば 

――――――――――――――――――――――――――
北朝鮮はソビエトにとって常に頭痛の種でした。
彼らは主体思想を教え込まれ、目的達成のためには、
どんな手段を用いてもかまわないと考えているのです。
自分の国のためなら、何をしても許されるのです。
私は時折思います。
このような人々と全く関わらない方がいいと。
不用意に関わるとこちらが病気になり、傷つく事になります。

――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
70年代に入ると金日成の個人崇拝は更に強化されました。巨大な銅像が各地に次々に立てられて絶対の忠誠を誓うことが求められました。その一方絶対的権力が、長男金正日に継承する準備が密かに進められていました。
金正日に個人崇拝による独裁体勢は父から息子へ引き継がれて行くことになります。

参考:プエブロ号事件
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NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮  第二集「隠された世襲」(1)
NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮  第三集「核開発を巡る戦慄」(1)


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2006年4月10日 (月)

NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮 第二集「隠された世襲」(1)

ドキュメント北朝鮮 第二集「隠された世襲」
━━━━━━━━━━━━
 第二集「隠された世襲」
━━━━━━━━━━━━

NHKスペシャル
『ドキュメント北朝鮮第二集』を文字化しました。

~導入~
<ナレーション>
厚いベールに閉ざされた国、北朝鮮。
個人崇拝による独裁体制は何故今も維持されているのか?
拉致やテロは誰が指示し、何故繰り返されたのか?
そして核兵器開発はどこまで進んでいるのか?
世界を脅し続けている多くの謎に迫ります。

第二集「隠された世襲」
 

 ◆映像:2006年2月13日祝賀行事の模様

 金正日将軍祝賀を受けたまえ、 栄光をうけたまえ

今年2月、金正日総書記の誕生日を祝う式典です。

64才を迎えた最高指導者は今年も姿を現しませんでした。

金正日総書記は父キム・イルソン(金日成)の後継者として早くから権力の階段を登ってきました。しかしどのように台頭してきたか、その課程は一切明らかにされていません。

その肉声が長く西側に伝えられることはなく、謎の指導者とされてきました。

今回私たちは北朝鮮の権力継承の課程を記録した新たな資料を発見しました。
1500ページにのぼる旧東ドイツの秘密文書です。
平壌に駐在していた外交官達が独自に情報を収集し、その動向を追い続けていたのです。
  ◆映像:東ドイツ関係者の写真

沈黙を続けてきた旧東ドイツの関係者達が今回初めて証言しました。

<元東ドイツ 党国際関係部の関係者の声>
『私たちは社会主義国の中で親子で権力を継承することは
           あるまじきことだと考えていました。』

<ナレーション>
ドキュメント北朝鮮第二集
社会主義国としては前例のない世襲をいかにして成し遂げたのかに迫ります。

タイトル
第二集「隠された世襲」

1970年代、社会主義国の指導者が平壌を訪れたときの映像です。
北朝鮮は社会主義陣営の一員として東側の国々と友好関係を結んでいました。

北朝鮮の建国後、いち早く国交を結んだ東ドイツ。
最高指導者、ホーネッカーはキム・イルソン(金日成)と兄弟と呼びあう仲でした。

平壌にあった東ドイツ大使館です。(大使館の映像)
東ドイツは、同じ分断国家として北朝鮮の行く末を注視してきました。

ピョンヤンに駐在していた外交官の多くが旧東ベルリンで暮らしています。
当時の名簿が残されていなかったため、私たちはおよそ一年かけて彼らを捜しあてました。

クラウス・バーテル(元東ドイツ 副大使)73才です。
1963年から計10年間平壌に駐在し副大使も務めました。、
これまで自ら収集した北朝鮮の情報について一切明らかにしてきませんでしたが、今回初めて取材に応じました。
バーテルは国費留学生として、金正日総合大学で学んだ最初のドイツ人です
大使館では朝鮮労働党の権力構造を分析していました。
しかし友好国の外交官であっても、情報収集は困難を極めたといいます。

――バーテルの証言――――――――――――――――――
全てが秘密でした。
北朝鮮では国家の方針で外国人には情報を明らかにしない、
秘密主義をとっていました。
そうした彼らの態度を私たちは腹立たしく思っていました。
―――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:旧社会主義国の平壌駐在外交官の写真

<ナレーション>
ソビエトやルーマニアなど、平壌に駐在していた社会主義国の外交官です。
バーテルは互いに得た少ない情報を交換しあうことで、北朝鮮の動向を把握していました。

60才を迎えたキム・イルソン(金日成)です。
憲法を改正し、最高指導者である首領としての地位を確立しました。
その絶対的な権力を誰が引き継ぐのか、バーテルは強い関心を持っていました。
キム・イルソン(金日成)が親族を重要な役職に就けていたことに、バーテルは注目しました。

当時作成した秘密報告書です。

◆バーテルの報告書―――――――――――――――――――
キム・イルソン(金日成)の弟にキム・ヨンジュがいる。
彼は党の政治委員会の委員、中央委員会書記、組織指導部長などの
要職をを歴任している。
彼の序列は六位である。
――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
バーテルはキム・ヨンジュをキム・イルソン(金日成)の最も有力な後継者と見ていたのです。

◆バーテルの証言――――――――――――――――――
キム・イルソン(金日成)は北朝鮮という国を自分の作品とみていました。
死んだ後に自分の作品がどうなるのかと、自問自答していたのでしょう。
そして自分の作品を継ぐ人物は信頼できる家族以外ありえないという結論に達したのです。
私たちはそう考えていました。
――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
報告書はキム・イルソン(金日成)の息子については短く触れているだけです。

◆報告書――――――――――――――――――――――
キム・イルソン(金日成)に息子がいる。
彼はキム・イルソン(金日成)の秘書であり、
同時にキム・イルソンを警護する部隊の部隊長である。
――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
その名前すら記されていませんでした。

◆バーテルの証言―――――――――――――――――――
金正日が後継者になるとはまさか想像もしていませんでした。
彼の方法は少なく後継者として議論にも登りませんでした。
―――――――――――――――――――――――――――

報告書は東ドイツをひきいるドイツ社会主義統一党の本部に送られました。
ベルリンでこの報告書を受け取ったのが、国際関係部のホルスト・ジーベックでした。
ジーベックは北朝鮮との外交を19年にわたって担当し、朝鮮労働党と太いパイプを持っていました。

  ◆映像:ドイツ社会主義統一党の建物

◆ホルスト・ジーベックの証言―――――――――――――
私たち社会主義国では、親子の権力継承はあるまじき行為と考えていました。
社会主義者における後継者とは、国家にとって、
政治的に最も能力のある人物が選ばれるべきだと考えていたからです。
―――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
前例のない権力の世襲。
その準備は、すでに始まっていました。
60年代前半軍を視察する親子です。(視察する親子の写真)
キム・イルソン(金日成)は息子が20代の頃から、軍や党の視察に頻繁に同行させていましたが、常に秘密にしていました。

アメリカ

当時の金正日総書記を知る人物がアメリカに住んでいることがわかりました。
キム・イルソン(金日成)一家の家庭教師を務めていた、キム・ヒョンシク(キム・イルソン家族の元家庭教師)です。
亡命後2003年、アメリカに移り住みました。
平壌の大学教授だったキムヒョンスクはキム・イルソン(金日成)の家族にロシア語を教えていました。
若き金正日総書記を直接言葉を交わした貴重な証言者です。

◆キム・ヒョンシクの証言―――――――――――――――
彼は大学に入学したときから、キム・イルソンの後継者は自分だと考えにに熱心に尽くしていました。
キム・イルソンが朝出勤するときは、靴を履かせて車に乗せ、夜帰宅するときは、必ず出迎えました。
外国に行くときも同行し、随行員が十分に父を世話していないと強くしかっていました。
キム・イルソン(金日成)もそうした息子に満足していました。
―――――――――――――――――――――――――――
  
◆映像:キム・イルソン(金日成)インドネシア訪問の時の写真、※金正日が同行し共に写っている

<ナレーション>
ソウルにも若いときの金正日を知る人物がいます。
キム・イルソン総合大学の総長を務めたファン・ジャンヨブです。
97年韓国に亡命しました。
後に国際担当の書記となったファン・ジャンヨブは亡命した幹部の中で最も地位の高い人物です。

◆ファン・ジャンヨブの証言――――――――――――――
彼は大学に入る前から、『自分は政治家になる。政治は父、キム・イルソンから教えてもらう』
とはっきり言っていました。
金正日が少しでも権力を握ると、叔父のキム・ヨンジュを追い出すかもしれないと考えました。
しかし、権力の世襲をするとは、まさか想像もしていませんでした。
―――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
キム・イルソン(金日成)の家族に関する報告書を書いた翌年、バーテルはキム・ジョンイル(金正日)という名前を特定し、その台頭についてはじめて報告します。
ハンガリー大使館からもたらされた情報でした。

◆バーテルの報告書(1973年10月1日作成)――――
労働党の総会で人事が議論され、金正日の昇格が取り上げられたとの未確認情報がある。
その情報によれば、金正日は党中央委員会の要職に付き、更に、宣伝扇動部の責任者になった。
―――――――――――――――――――――――――――

◆バーテルの証言―――――――――――――――――――
この情報で、はじめて金正日が党内でその地位を高め始めていると認識しました。
彼が次第に影響力の大きい役職に就いていくと考えました。
後継者として作られていくかもしれないと、我々は予測したのです。
―――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
73年9月、キム・イルソン(金日成)は息子を党の宣伝扇動部の責任者に就任させました。
三〇代前半の姿です
当時彼の活動は外部に一切伏せられていました。
宣伝扇動部は国民の思想統制を担う重要な部署でした。

 ◆映像:1970年代に傍受された北朝鮮の映像

70年代韓国で傍受された北朝鮮の映像です。
宣伝扇動部が進めた思想教育が記録されています。
忠誠心を養うために少年達は、10日以上かけてキム・イルソン(金日成)が少年時代歩んだとされる道を辿らなければなりません。

  ――◆思想教育映像のこどものことば―――
     敬愛するお父さん
     キム・イルソン様を敬い
     私たちは忠誠の心を込めて
     最大の栄光と感謝をささげます。 
  ――――――――――――――――――――

  ◆映像:マスゲームの記録

<ナレーション>
強化されたのがマスゲームです。
これは1958年のマスゲームです。ソビエトのカメラマンが撮影しました。
キム・イルソン(金日成)が北朝鮮に採り入れたマスゲーム。
当時子供達の動きは、単純で、機敏な動作もありません。
全体の統制も取られていませんでした。

しかし70年代、大きな変化がみられます。
マスゲームはキム・イルソンへの忠誠の証と位置づけられ、数万人の子供が、一糸乱れず動くよう命じられました。

当時マスゲームに参加した人の証言です。
2000年韓国に亡命しました。

◆マスゲーム参加者の証言―――――――――――――――

当時のマスゲームの訓練は本当に厳しいものでした。
私は背景版を担当していました。
訓練中はトイレに一切行けません。
ビンに用を
足さねばなりませんでした。
半年間 勉強は全くできませんでした。
―――――――――――――――――――――――――――

◆キムヒョンスクの証言――――――――――――――――

背景版で最も難しいのが、キム・イルソン(金日成)の顔の部分です。
担当する子供達は死ぬ思いで練習します。
失敗してキム・イルソン(金日成)の顔を汚すと家族全員が処罰されるからです。

金正日が思想統制を担当してから、
国家全体、人民の全てがキム・イルソンに対する崇拝を強化しました。

国家体制はこのようにして作られていったのです。
―――――――――――――――――――――――――――

;ナレーション;
70年代中頃に撮影されたとみられる金親子の映像です。
キム・イルソン(金日成)は宣伝扇動部での息子の実績を認め、更に重要なポスト、組織指導部の責任者に抜擢します。

親子間の権力の継承はこのときから本格化していきます。

朝鮮労働党の機関誌『労働新聞』です
  ◆映像:労働新聞の写真。

1974年2月14日、これまで使われたことのない表現が登場しました。
<党中央>、キム・イルソン(金日成)を指す<首領>と並べて用いられました。、
その後党中央の名前で党の重要な指示が出されるようになります。

このころの金正日総書記です。

◆映像:金正日の当時の映像

<党中央>の表現が登場した直前、キム・イルソン(金日成)主席の後継者に選ばれたとしています。
しかし、当時その決定は明らかにされませんでした。

東ドイツも権力継承の動きはつかんでいませんでした。
文化担当官として大使館に勤務していたヘルガ・ピヒトです
ピヒトは60年朝鮮語を学ぶためキム・イルソン(金日成)総合大学に留学、後にホーネッカーの専属通訳を務め、キム・イルソン(金日成)との首脳会談には、すべて立ち会っています。

◆ヘルガピヒトの証言――――――――――――――――――

<党中央>とは不思議な表現でした。
私たちは当時、党の中心部と言う意味ではないか、
または党中央委員会の省略した呼び方ではないかと考えました。
それが一人の人間を指すとは、夢にも思いませんでした。
――――――――――――――――――――――――――――

何故<党中央>という表現を使い、後継者の決定を明らかにしなかったのか?
キム・イルソン(金日成)の側近だったファン・ジャンヨブは、他の社会主義国を気にしたからだと言います。

◆ファン・ジャンヨブの証言―――――――――――――――
社会主義、共産主義を掲げる指導者が、世襲で権力を息子に譲る。
これでは完全に封建制のやり方です。
だから公にすることはできなかったのです。
息子への後継は、既成事実として着々と進めていました。
どうしてそうしたことを表に出せるでしょうか?
――――――――――――――――――――――――――――

このころの金正日総書記の発言をまとめた資料を入手することができました。
労働党の幹部だけに配付されていた内部資料です。

  ◆映像:“キム・ジョンイル 主体革命偉業の完成のために”という文書の画像

そこには、組織指導部を率いる立場から党の幹部に行った講演が記されていました。

◆全国党組織幹部講習会での発言(1974年8月)――――――

党中央の意志はすなわち首領様の意志である。
そして党中央の指導は、首領様の指導を実現するためのものだ
――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
首領であるキム・イルソン(金日成)と同じ権威を持ち、後継者としての活動を始めると宣言したのです。
キム・イルソン(金日成)は息子のライバルであったキム・ヨンジュを政治の表舞台から追放します。
党の実権を掌握した父と共にその支配を国の隅積みまで広げていきます。

  ◆映像:スローガンの書かれたプラカードを持って行進する市民

当時北朝鮮では新たなスローガンが掲げられました。
キム・イルソン(金日成)は生産性を上げるため、思想や技術などの刷新をはかるように指示しました。
大学を出た20台を中心に<三大革命小組員>と呼ばれる若者が全国の職場に配置されました。
しかし、彼らには別の使命が与えられていました。
国内全ての生産現場で党や、警察とは異なる独自の監視網を作ることでした。

およそ20万人の若者達が事実上、金正日親衛隊として活動しました。
地方の集団農場で活動していた親衛隊の一人です。
2002年韓国に亡命しました。
体制に不満を持つ人間を排除するのが任務でした。

◆元三大革命小組員の証言――――――――――――――――
我々は巨大な蜘蛛の巣のような存在でした。全国の農村や家庭にまで入り込み、
人々の考えていることを全て洗いだし、些細な出来事まで中央に報告しました。
<党中央>の意志に反したり、疑問を持つ人間を見つけ出し、直ちに粛正しました。
金正日は国内での権力を固める上で、我々の力を大きく利用したのです。
――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
次の狙いは、建国以来の悲願祖国統一に向けられました。

 ◆映像:韓国パク大統領狙撃事件(1974年8月)

韓国で革命をおこし、政府転覆を謀る対南工作。
70年代北朝鮮は、頻繁に工作活動を繰り返していました。

 ◆映像:ピストルや弾丸他、工作活動の証拠の写真~工作員の手帳

私たちは対南工作を行っていた工作員のメモを入手しました。
メモが書かれたのは76年でした。
対南工作が誰の指示で行われていたか記されていました。

―――――――――――――――――――――――――
 党が命令する任務を正しく遂行するため、
徹頭徹尾、<党中央>の指導のみに、依拠するべきである
 ―――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
指示は、党中央から出ていたのです。

七〇年代に活動していた北朝鮮の元工作員です
韓国に潜入し対南工作をする組織作りを行っていました。

――工作員の証言――――――――――――――――――――
七〇年代半ば、韓国が警備を強化し対南工作が難しくなりました。
そこで、ある命令が出されました。
『北から南へ直接侵入する工作を減らし、日本を経由して侵入する工作をふやせ』
というものでした。
日本を利用した対南工作が本格化しました。
<党中央>の指示でした。
――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>

77年秋から、当時は原因不明とされた日本人拉致が相次ぎます。
政府が認定した政府が認定した被害者は16人に上ります。

北朝鮮の工作員が日本人になりすまして韓国に潜入するために、日本人のパスポートや日本語の教師が必用となり、拉致が行われたと見られています。

70年代後半、日本で対南工作に関わっていた在日朝鮮人に接触することができました。
男性は日本人の拉致には直接関係していないと言います。
日本に留学していた韓国人を北朝鮮に連れ出し、労働党から表彰を受けていました。

ドキュメント北朝鮮第二集(2)

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NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮 第二集「隠された世襲」(2)

  ◆映像:表彰された時の勲章

◆在日朝鮮人の証言―――――――――――――――――――
  金正日の指導に、これっぽっちの疑問も持たない。
  (指導は)すなわち命令、すなわち法律、
  すなわち自分の身を賭してでも成し遂げる。
  これが原則です。無条件貫徹する。
  日本人を拉致することは当たり前。
  革命のためには何でもやるんですからね。
――――――――――――――――――――――――――――

質問:日本人拉致もキム・ジョンイル総書記の指示ですか?

  ◆ファン・ジョンヨブ――――――――――――――――――――
   言うまでもありません。
  当時国内外全ての活動は彼の指示によって行われていました。
    
  ――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:2002年9月17日小泉訪朝

金正日総書記は拉致は盲動主義、英雄主義の工作員が行ったとして自らの関与は否定しています。

70年代末、板門店で撮影された写真です。
権力の世襲は最終段階に入っていました。

~ピョンヤン~
<ナレーション>
1980年、ピョンヤンでは10年ぶりの党大会が予定されていました。
党大会は労働党の最高意志決定機関です。
ピョンヤンの外交官の間では、党の最高ポストである総書記に金正日が任命され、後継者として発表されると言う観測が流れていました。

党大会の一月前、中国が後継者の選出についてある見解を発表します。
中国共産党の機関誌『人民日報』です。

  ◆映像:当時の人民日報の写真

中国が後継者の選出についてある見解を発表しました。
二日間に渡って社説を大きく載せました。

◆『人民日報』社説――――――――――――――――――――――――――――――――――

共産主義において一人の指導者が全てを決めることは封建制であり、マルクス主義に完全に反する。
個人が後継者を指定する制度は、最もあるまじき行為である。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
人民日報は後継者を指名することは絶対に認められない。
国を指導する者は、優れた能力と実績が党と人民によって承認されなければならないとしたのです。

  ◆映像:第六回党大会の模様(1980年10月10日)

<ナレーション>
ピョンヤンでは第六回党大会の開催日を迎えました。
労働党の全国の代表3220人が参加し、外国からも来賓が招待されました。

公の場で外国人に姿を見せることがなかったキム・イルソンの長男、ジョンイルがはじめて登場しました。
大会では総書記に選出されませんでした。
東側が予測した後継者の発表は行われませんでした。

  ◆映像:ハンガリーの秘密文書

私たちは党大会の詳細な分析をおこなったハンガリーの秘密文書を入手しました。
大会に出席した情報員が作成したものです。

◆秘密文書―――――――――――――――――――――――――――――――
共産主義初の世襲政権、キム王国が成立するという予測はうらぎられた。
総書記に選らばれなかった理由のひとつは中国にある。
人民日報が、『政権の世襲はマルクス主義に反する』と報じたためである。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ハンガリーの報告から3週間後、キム・ジョンイル(金正日)が後継者になったという情報が
チェコスロバキアの大使から東ドイツ大使館にもたらされます。
労働党幹部から次のような発言を聞いたというものです。

◆労働党幹部の話―――――――――――――――――――――――――――

金正日は優れた指導力を備え、党を指揮する才能を持つ。
彼はこれまで中央と地方の党機構を指揮・管理し、大きな実績を積んでいる。
労働党と人民はこの指導に納得し、運命を託した。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

すぐれた能力を理由に党と人民が指導者として選んだという説明でした。

◆クラウス・バーテルの証言――――――――――――――

彼らのやり方でした。
重要な決定の通達にはこうした手段を使っていました。
外交官の一人に話せばすぐに広まることを知っていたのです。
――――――――――――――――――――――――――

これが北朝鮮による後継者の発表と考えたバーテルらはベルリンに打電しました。

しかしベルリンでは指導者としての資質に疑いの目を向けていました。

~ベルリン~

◆ホルスト・ジーベックの証言――――――――――――――――
金正日の能力に関する北朝鮮側の表現があまりにも大げさでした。
金正日はすぐれた能力を持っている。
党を指揮する才能があるなどと理由を挙げています。
しかし、どれ一つ事実に基づいて証明されていません。
我々は不安を覚えました。
――――――――――――――――――――――――――――
  ~ソウル~
この頃、韓国と北朝鮮との間で経済的格差が開き始めていました。
韓国は70年代後半から輸出産業に力を入れ、急成長を実現。
全斗煥政権が誕生した80年。
韓国統一省は、国民一人あたりのGNPの格差は二倍と推定していました。

北朝鮮では、党中央委員会書記となった金正日同士の下、
八〇年代に先進国入りするという目標が掲げられました。

◆朝鮮中央テレビの宣伝映像――――――――――

我が党が決心すれば、できないことは何もない
党が作戦を立て 命令を下した
もはや勝利も同然だ
―――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
生産現場では、短期間にノルマを達成する200日戦闘が始まりました。
外国に依存せずに自力で全てを達成するという、イデオロギー主体思想が強調され、大量の労働力が投入されました。
完成した施設は積極的に海外に公開されます。

 ◆映像:市民向け健康施設、ランニングマシーンなどの映像

キューバのテレビ局に公開された市民向けの健康施設です。
当時西側で流行していた器具が設置されていました。

 ◆映像:マンギョデ遊技場
およそ2万人の勤労奉仕で作られたとされる巨大な娯楽施設
高さが20メートルもある滑り台など、西側と同じ施設だと強調されました。

83年、北朝鮮は経済成長のデータの発表を突然取りやめました。
翌年東ドイツはその経済運営を批判的に分析しました。

◆北朝鮮との貿易に関する情報~東ドイツの分析~―――――――――
 
1983年北朝鮮の国民経済に大きな問題が浮上している。
対外貿易は前年比、5~10%程度のマイナスと見られている。
北朝鮮ではイデオロギーが最優先とされている。
経済の合理性を十分に考慮しない自己中心的な運営がなされている。
――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
報告書は当時の東ドイツ大使の情報をもとに作成されていました。
平壌に駐在していた、カール・ハインツ・ケルンです。

◆カール・ハインツ・ケルンの証言―――――――――――――――――――――――――
 
北朝鮮の経済政策は非生産的でした。
自己の力で全てをやり通すというイデオロギー、主体思想に基づいて運営されていたのです。
その結果、経済の発展が阻害されました。
全ての国民が、自力で目標を達成できると錯覚していたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
キム・イルソン(金日成)の主体思想を称える高さ170メートルの塔です。
建設におよそ1万人が動員されたとされ、キム・イルソン(金日成)が生きてきた25550日と同じ数の石が積み上げられました。

  ◆画像:完成した主体思想塔を訪れる金親子(1982年4月)

このとき70才を迎えるキム・イルソン(金日成)、。
金正日同士は優れた指導力を発揮したと息子を賞賛します。

この大衆動員を可能にした理由について、東ドイツの外交官が分析していました。
軍の駐在武官ホルスト・ローマンは自ら現場を回り収集しました。

◆ホルスト・ローマンの証言――――――――――――――――――――――――

ある朝鮮人がある朝鮮人が私にこんな発言をしました。
 『よき朝鮮人は4時間の睡眠で20時間働くことができる。
     それが我々が目指すべき理想の朝鮮人である。』

思想教育の結果だと考えました。
当時この国は人口の8割が40才以下でしたが、
生まれてからずっと、思想教育を受けてきたのです。
そのため金正日の指示する党の指示に不平不満を持たないのは当然でした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:オリンピック開催地決定の映像(1988年)

国際的地位の向上を目指す韓国はオリンピックの開催権を獲得します。
お論ピックの準備を進める韓国と北朝鮮との格差は83年、およそ三倍にまで拡大していました。
南の躍進に、金親子はあせりを募らせたとみられています。

  ◆映像:ラングーン事件
     ミャンマーを訪れた韓国大統領全斗煥を狙ったテロの様子。

ミャンマーを訪れた全斗煥を狙ったテロ。
全斗煥は北朝鮮と国交のあるオリンピック参加を呼びかけていました。
ミャンマー政府は北朝鮮の軍の工作員の犯行と断定しました。

東ドイツの文書は当時秘密工作はすべて金正日が指示していたと指摘しています。

2年後の85年、北朝鮮で親子の関係に変化があったとファン・ジャンヨブは証言しています。

ドキュメント北朝鮮 第二集(3)

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NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮 第二集「隠された世襲」(3)

◆ファン・ジャンヨブの証言――――――――――――――

キム・イルソンは我が国の最高指導者はキム・ジョンイルだと語るようになりました。
85年以降のことです。
キム・イルソン(金日成)はうまく自分の権力を息子に委譲しました。
それ以前も親子二人の共同政権でしたが、85年から、
キム・ジョンイルがキム・イルソン(金日成)を上回る存在となったのです。
―――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
これは金親子の指示で当時国際担当書記であったファン・ジャンヨブが東ドイツへ送った書簡です

◆東ドイツへの書簡―――――――――――――――――――
ソウルオリンピックは、単にスポーツの問題ではありません。
朝鮮半島で社会主義と資本主義のどちらが優位か我が国の運命を決める重要な政治的問題です。
オリンピックヘの参加は我々の革命に大きな障害となる2つの朝鮮を認めることになるからです。
社会主義陣営は、一致団結して南の単独開催に反対すべきです。
――――――――――――――――――――――――――――

ベルリンでは、党の幹部が急遽集められ、対応が協議されました。
当時東ドイツは2つの東西両ドイツの共存を認める<2つのドイツ政策>をとっていました。

◆ホルスト・ジーベックの証言――――――――――――――
北朝鮮の政治的立場は理解できました。
しかし同じような分断された国家としては、我々のほうが、現実的でした。
朝鮮半島に2つに国があることは議論の余地がありません。
2つの朝鮮を認めない彼らの考え方は、非現実的でした。
――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
東ドイツがオリンピックボイコットの要請を受けた翌年、最高指導者ホーネッカーが平壌を訪れます。

  ◆映像:ホーネッカーを歓迎する式典の映像

当時東ドイツは経済の立て直しのため、西側の投資を必用としていました。
ホーネッカーとキム・イルソン(金日成)の二人だけの会話を、ヘルガ・ピヒトが通訳しました。

◆ヘルガ・ピヒトの証言――――――――――――――――――

ホーネッカーは、キム・イルソン(金日成)に直接こう伝えました。
 『東ドイツはソウルに選手を派遣しなければならない。
   国家の再建のため、国威発揚のため、ボイコットはできない。』
二人は互いの政治路線を理解し、それを妨げないことだけを確認しました。
そして会談は終わりました。
金正日は無言でした。
―――――――――――――――――――――――――――――

当時北朝鮮は韓国とオリンピックの共同開催を協議していました。
しかし東ドイツは北朝鮮の狙いは他にあると分析していました。

◆朝鮮情勢の発展に関する情報―――――――――――――――
オリンピックに対する北朝鮮のこれまでの発言を判断するに、北朝鮮側に共同開催の意志はない。
彼らの目的はソウルオリンピックの妨害とみられる。
(1987年3月作成・機密文書)
―――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
オリンピックが翌年に迫った87年11月、大韓航空機爆破事件が起こりました。
北朝鮮の秘密工作員キム・ヒョンヒによる犯行でした。

取り調べに対し、自分は拉致された日本人から教育を受けた工作員である。
そして、オリンピック妨害を狙った金正日の指令を受けたと供述しました。
北朝鮮は南の自作自演と関与を強く否定しています。

  ◆映像:ソウルオリンピック開会式の模様

ソウルで第二十四回オリンピックが開催されました。
参加したのは当時史上最多の160の国と地域。
北朝鮮とキューバなどを除く社会主義の国が選手団を派遣しました。
東ドイツは288人の大選手団を送り国の威信を世界に示します。

  ◆映像:クリスティン・オットー、メダル獲得のシーン

オリンピックをきっかけに社会主義国は、相次いで韓国と国交を樹立。
韓国の優位は決定的となります。

  ◆映像:1988年9月建国40周年パレード

<ナレーション>
ソウルオリンピックの一週間前、平壌で建国40周年の式典が行われていました。
国民は、ソウルオリンピックを知らされていませんでした。
式典では社会主義建設の成果が高らかに歌い上げられました。
パレードには100万人の平壌市民が動員されました。

  ◆映像:パレードの様子

このとき、韓国との格差は4倍まで広がっていました。
金親子は友好国である社会主義国を招待しました。
東ドイツが派遣した代表団は5人でした。

  ◆映像:1989年11月
      ベルリンの壁崩壊

翌年ベルリンの壁が崩壊。
冷戦は終結しました。

  ◆映像:拘束されたホーネッカー

東ドイツの最高指導者として君臨したホーネッカー。
市民への発砲を理由に逮捕されました。
後に亡命したチリで死亡します。

  ◆映像:隠れていた場所から引き出されるチャウセスク

壁の崩壊はルーマニアにも伝わりました。
金正日と親交を深めていたチャウセスク
軍による処刑の映像は世界に配信されました。

  ◆映像:北朝鮮の様子

このニュースは北朝鮮では伝えられませんでした。

このとき国内で何が起こっていたのか、その詳細を知る人物が来日しました。
朝鮮人民軍で部隊の指揮を執っていた幹部です。
金正日の動向を間近で目撃していました。

◆朝鮮人民軍元幹部の証言――――――――――――――
東ヨーロッパに留学していた軍人たちが突然粛正されました。
金正日は、自分がルーマニアのチャウセスクと同じように
軍により処刑されるのではないかと恐怖心を抱いたのだと思います。
金正日はこんな言葉を使うようになりました。
『あなた達は私の信任がないと、肉のかたまりのようなものだ。』
忠誠を尽くさない幹部は無慈悲に粛正されました。
新たな強権政治の始まりでした。
――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:人民軍創設60周年記念式典の様子(1992年4月)

<ナレーション>
92年4月人民軍創設60周年の式典です。
金正日総書記は、かつての親衛隊員を軍の幹部の登用。
最高司令官の地位を父キム・イルソン(金日成)から譲り受けていました。
このとき、わずか4秒の肉声を世界ははじめて耳にするのです。

◆金正日の演説―――――――――――
英雄的朝鮮人民軍将校に栄光あれ
――――――――――――――――――
このあと軍が全てに優先する得意な軍事国家を作りあげ、体制の強化に突き進んでいきます。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮  第一集「個人崇拝への道」(1)
NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮  第三集「核開発を巡る戦慄」(1)

◆―――――――――――――――――――――――――◆
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2006年4月 9日 (日)

NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮  第三集「核開発を巡る戦慄」(1)

NHKスペシャル『ドキュメント北朝鮮第三集』を文字化してみました。
D31
 
 
 
 
 
 
 
~導入~
<ナレーション>
厚いベールに閉ざされた国、北朝鮮。
個人崇拝による独裁体制は何故今も維持されているのか?

拉致やテロは誰が指示し、何故繰り返されたのか?
そして、核兵器開発はどこまで進んでいるのか?
世界を脅し続けている多くの謎に迫ります。

  ◆映像:朝鮮中央テレビ去年2月
  ――――――――――――――――――― 
   我々は自衛のため 核兵器をつくった
  ―――――――――――――――――――

  ◆映像:衛生からの核開発施設の映像

<ナレーション>
核兵器の保有を去年宣言した北朝鮮。
その開発の拠点、ニョンビョン核研究センターです。

衛生がとらえた核施設の数々。
煙突から吹き出る煙。
アメリカは今も原子炉が稼働していると見ています。
北朝鮮はすでに核兵器を1,2個保有し、更にプルトニウムを製造したと考えられています。

  ◆映像:六カ国協議の模様

核の放棄を迫る国際社会。
北朝鮮は強く反発しています。
事態打開の見通しは立っていません。

  ◆映像:キム・イルソン(金日成)金正日の映像

北朝鮮は国際社会と渡り合うために、核兵器開発を密かに進めてきました。

時には核開発のカードを利用し、譲歩を引き出してきました。

アーミテージ元国務次官のことば
――――――――――――――――――
対話をしては、ことばで危機をあおる。
これは、北朝鮮のいつも手口です。
(TOLK、TOLK、、fight、fight)
――――――――――――――――――


ロバート・ガルーチ元国務長官――――――――――
同じ事を繰り返しさせられている気がします。
北朝鮮は同じ交渉を求め、同じ見返りを迫ってきます。
(デジャブ・・)
――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:取材した米ソ、大統領、高官、外交官の映像
   (ゴルバチョフ・カーターも含む)

北朝鮮と直接向き合ってきたアメリカ、ロシアの元大統領60人あまりを取材、その証言から核兵器開発に迫ります。

━━━━━━━━━━━━━
第三集「核開発を巡る戦慄」
━━━━━━━━━━━━━
<ナレーション>
朝10時、空襲警報が鳴り響く平壌。
アメリカの攻撃を想定した防空訓練です。
平壌にある地下鉄です。
深さおよそ150メートル。
核戦争に備えたシェルターとして作られたと言われています。
北朝鮮にはこうした核シェルターが数多くあると見られています。
一方で、自らも核兵器を手にしようと開発を進めてきました。

これまで北朝鮮が何時から核兵器開発を始めたかは謎でした。
キム・イルソンの側近だったファン・ジャンヨブです。
1997年に、韓国に亡命しました。

―――ファン・ジャンヨブ氏の証言―――――――――――
 核兵器開発については話すつもりはなかったのですがー、
―――――――――――――――――――――――――――

核兵器についてはあまり語ってきませんでしたが、今回初めて詳細に証言しました。

―――ファン・ジャンヨブ氏の証言―――――――――――――――
我々はかなり前から、核兵器の開発を始めていました。
1958年に地下にある軍事工場を訪れたとき、
キム・イルソン(金日成)は『核戦争に備えるべきだ』と繰り返し話していました。
すでにその時から計画はあったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:アメリカ核実験の模様、在韓米軍の動き
<ナレーション>
50年代、ソビエトと核兵器開発を競っていたアメリカ。
韓国にも、大量の核兵器を配備します。
60年代の末、その数は、およそ1000発にのぼったと見られています。

キム・イルソン(金日成)にとって、アメリカの驚異に対抗するためには核兵器は無くてはならないものでした。

  ―――ファン・ジャンヨブ氏――――――――――――――
   核を持っていれば、まず韓国を脅かすことができます。
   更に、朝鮮半島を武力で統一する上で、
   何よりもアメリカの介入を抑止する手段となるのです。
  ―――――――――――――――――――――――――――

  ~モスクワ~

<ナレーション>
50年代、北朝鮮にとって重要な援助国であったソビエト。
核開発は、そのソビエトさえも欺きながら始められました。

当時の貴重な映像がロシアに残されていました。

  ◆映像:1956年7月訪ソ時、キム・イルソンの映像
  (ロシア国立映像アーカイブ)
1956年モスクワ郊外の原子力発電所を訪れたときのものです。
このとき、ソビエトとは平和目的の核開発で支援を受ける協定を結んでいました。

しかしすでに、キム・イルソン(金日成)は核兵器開発の野心を抱いていたとファン・ジャンヨブは証言しています。
  
  ◆映像:合同核研究所(ソビエト ドゥブナ)

合同核研究所。
ソビエトは社会主義の国々と共に原子力発電や、放射線医療など、最先端の研究をしていました。
キム・イルソン(金日成)は、核兵器開発に必用な知識や技術を手に入れるため、多くの研究者を送り込みました。

  ◆映像:ニョンビョン核開発センター

7年後の63年、北朝鮮北部の町にソビエトの技術者が招かれました。
山間の土地に平和目的の核施設を建設するためとされました。
ここが現在の核兵器開発の拠点、ニョンビョン核兵器センターです。

  ◆映像:コトロフの写真

建設責任者だったセルゲイ・コトロフ。
原子炉の設計を手がけました。
コトロフ(各研究センター建設責任者)たちがまとめた報告書です。

   ◆映像:報告書

技術を提供した原子炉はIRT2000。
核兵器の製造に必用なプルトニウムを抽出しにくい軽水炉型の原子炉です。
北朝鮮の強い要請で核研究センターは<家具工場>と呼ぶことにしていました。

―――コトロフの証言――――――――――――――――――
核研究センターの存在は北朝鮮でも、極秘とされていました。
外部に一切情報を漏らさないよう、厳重に注意が払われていました。
――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
コトロフによるとニョンビョンには100人を超える北朝鮮の研究者が集められていました。
ほとんどはソビエトの大学などで物理学を学んだ若者でした。

   ◆映像:北朝鮮の若い研究者たちの写真

――――コトロフの証言―――――――――――――――――
私たちは原子炉に関して必用な技術や知識を北朝鮮の研究者たちに教えました。
彼らの水準は驚くほど高いものでした。
最高レベルの教育を受けた、優秀な研究者だったのです。
――――――――――――――――――――――――――――

65年原子炉の建設を終えて、ニョンビョンを去ったソビエトの技術者達。
ここが核兵器開発の拠点になろうとは想像もしていませんでした。

  ◆映像:衛星写真(提供アメリカ地質調査所)

アメリカは60年代からニョンビョン核研究センターを監視してきました。
このころ、偵察衛星がとらえた画像です。
65年の画像には、コトロフ達が建設していた原子炉がとらえられています。
年を追うごとに、新しい施設が、次々に増えていきます。
しかし、アメリカは原子力発電所を建設しているだけだと考えました。

  ◆映像:ドナルド・グレッグ

CIAや政権の中枢で40年にわたって北朝鮮を監視していたドナルド・グレッグ(元CIA-中央情報局-アジア担当)です。

――ドナルド・グレッグの証言――――――――――――― 
北朝鮮に関する諜報活動は、うまくいっていませんでした。
北朝鮮が何を考えどんな能力を持っているのか、
私たちは危険なまでに無知でした。
―――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:CIAの報告書

<ナレーション>
CIAが作成した北朝鮮の核開発に関する350ページの秘密文書です。
はじめてアメリカが懸念を抱いたのは、84年でした。
核兵器の製造に必用なプルトニウムを抽出できる黒煙炉型の原子炉を建設していることに気づいたのです。
一方で更に高度な技術開発が必用だと記しています。
北朝鮮には核兵器開発を進めるだけの能力は、まだ無いと見ていました。
アメリカはソビエトを動かし、北朝鮮を国際機関の監視下におこうとします。

――ドナルド・グレックの証言―――――――――――――――――
私たちはソビエトが原子炉の建設に必用なノウハウを
北朝鮮に教えたことを知っていました。
そこで、NPTに加盟させるよう、ソビエトをけしかけたのです。 
アメリカが北朝鮮と直接話し合うほどの問題ではありませんでした。
―――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
当時、核兵器開発の指揮はキム・イルソンから長男ジョンイルに移りつつあったと見られています。
このときすでにソビエトから警告を受けていました。

――ファンジャンヨブの証言―――――――――――――――
84年に私が国際担当書記になったとき、ソビエトの大使がたびたびやってきて、
『核兵器を大量つくろうとしているようだが、止めた方が良い』と忠告されました。
しかし、金正日にそのことを伝えると、『そんなの無視しなさい』と言われました。
――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
北朝鮮は85年にNPT(核拡散防止条約)に加盟しますが、義務である核査察は受けようとしませんでした。

  ◆映像:世界青年学生祭典(スポーツ大会)の入場行進

ソウルオリンピックの翌年、北朝鮮は世界170国から選手を招き、スポーツ大会を開きました。
この直後冷戦が終結。北朝鮮を支えてきたソビエトは韓国との国交樹立に動きます。

  ◆映像:盧泰愚、ゴルバチョフの握手

その、国交樹立を伝えるためにソビエトのシュワルナゼがピョンヤンを訪れたときのことです。
北朝鮮の外相から衝撃的発言があびせられました。
  
  ◆映像:ソビエト外相(シュワアルナゼ)訪朝(1990年 9月)

――セルゲイ・タラセンコ ソビエト外相補佐官―――――
我々は核兵器開発を急ピッチで進めている。
何が何でも核兵器を完成させてみせる。
ソビエトが韓国と国交樹立するならば、
我々もしかるべき行動を取ると彼らは言いました。
―――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
しかしソビエトは動かず、アメリカにも伝えませんでした。

――ミハイル・ゴルバチョフの証言―――――――――――
北朝鮮の発言を真剣には受け止めませんでした。
なぜなら、あれは我々が外交姿勢を変え始めたことに対する、
単なる感情的な反発だと思ったからです。
それ以外の何物でもありませんでした。
―――――――――――――――――――――――――――

―ワシム・トカチェンコ ソビエト共産党中央委員会 ――
私たちは、北朝鮮の脅しを無視しました。
彼らは我々を攻撃するために
核兵器を製造しているわけではなかったからです
―――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:ソビエト連邦 崩壊(1991年 12月)

翌1991年12月、ソビエト連邦の崩壊で核の傘を失った北朝鮮。
自らの核兵器開発を急ぎました。

――ファン・ジャンヨブの証言 ――――――――――――
小国がどうしたら独立を守り、
生きながらえていけるか、真剣に考えていました。
社会主義国が改革開放に向かう中で、
金正日は体制を維持するために、
どうしても核兵器が必用だったのです。
―――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
核査察を受けようとしない北朝鮮に対し、アメリカは次第に懸念を深め始めます。
89年、CIAの資料には、北朝鮮が核開発を急速に拡大させていると記されています。

  ◆映像:91年当時のニョンビョン衛星画像 軽水炉、再処理施設

同じ年ニョンビョンをとらえた衛星画像です。
かつてソビエトから技術提供された<軽水炉>の南に北朝鮮が独自に建設した<黒煙炉>が写っています。
川を隔てた南側には、新たな施設の建設が更に進んでいました。
最も大きな建物は、再処理施設。
黒煙炉で燃やした燃料棒からプルトニウムを抽出するための施設と見られていました。

  ◆映像:ジェームス・ベーカー

当時のブッシュ政権で国務長官を務めたジェームス・ベーカー。
北朝鮮に核査察を受けさせるため、ベーカーとブッシュは思い切った手を打ちます。
  

――ブッシュ大統領の演説 ――――――――――――――――
アメリカは世界に配備した、全ての戦術核兵器を撤去します。
―――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
アメリカは韓国に配備した核兵器も撤去することにしました。

――ジェームス・ベーカーの証言 ――――――――――――――

私たちが韓国から核兵器を撤去すれば、
北朝鮮はNPTに違反して
核査察を受ける義務を放棄していると訴えやすくなります。
更に、北朝鮮に核兵器開発を進める口実を与えない狙いもありました。
――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:朝鮮中央テレビ
  タイトル画像~我が国に創設された“自立的な原子力工業基地”~

  ――核研究者の説明――――――――
  我が国の原子力工業は平和目的です
  人民経済の発展に利用されています
  ―――――――――――――――――
<ナレーション>
翌年、核査察の受け入れに合意した北朝鮮。
ニョンビョンの核センターの映像をはじめて公開しました。

IAEA(国際原子力機関)査察 1992年 5月

  ◆映像:ニョンビョン核開発センター

<ナレーション>
92年5月IAEA(国際原子力機関)による査察が始まりました。
黒煙炉ではプルトニウムを抽出できる燃料棒が、すでに取り出されていたことが確認されました。
疑惑の焦点は再処理施設と見られる建物に移りました。

  ◆映像:IAEA報告書

北朝鮮は過去に一度だけ燃料棒から微量のプルトニウムを試験的に抽出したと説明。
しかし、IAEAは北朝鮮の説明が査察の結果と大きく矛盾すると報告します。
プルトニウムをたびたび抽出していた疑いが強まりました。

――◆ジェームス・ベーカーの証言――――――――――
北朝鮮がプルトニウムを抽出していることは明らかでした。
彼らが核兵器を開発しようとしていることを確信しました。
―――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
アメリカは直ちに核廃棄物貯蔵所の査察することをIAEAに要求めます。
ここを調べれば、過去に何回プルトニウムを抽出したかを確認することができるからです。

当時ファン・ジャンヨブは核兵器開発を担当する軍需工業担当の書記があわてる様子を見ていました。

―ファン・ジョンヨブの証言―――――――――――――――
強制査察を受けなくてはならなくなりそうだと、心配していました。
プルトニウムを抽出した痕跡を何とか消そうと核開発廃棄物貯蔵所に土を盛って、植物を植えた
のですが、全て枯れてしまったのです。
更に人工衛星に写らないように、運動場ぐらいの大きな倉庫を建てて隠しました。
そして『ここは軍事施設だから核査察の対象にはならない』と言い張ったのです。
――――――――――――――――――――――――――――

~ワシントン~

北朝鮮を追いつめたかに見えたアメリカ。
しかしこの後、北朝鮮が仕掛ける駆け引きに翻弄されます。
93年1月、核疑惑が深まる中、クリントン政権が対応を引き継ぎました。
北朝鮮との交渉に直接当たった、国務次官補(当時)ロバート・ガルーチ。
そして国務省朝鮮担当部長(当時)チャック・カートマン。

  ◆映像:チームスピリット(1993年 3月)の模様

アメリカは韓国との合同軍事演習=チームスピリットで圧力をかけ、強制査察を受け入れさせようと考えました。
ところが北朝鮮は査察を義務づけたNPT=核拡散防止条約からの脱退を、突然宣言します。

  ◆映像:チャック・カートマン 米国務省 朝鮮担当部長
      ロバート・ガルーチ  米国務省 朝鮮担当部長

――ピョンヤン放送―――――――――――――――
我が国の最高利益を守るために、
やむをえず、NPTから脱会することを宣言する。
――――――――――――――――――――――――

――チャック・カートマン ―――――――――――――――――
チームスピリットは北朝鮮を狙った核攻撃の演習だと
彼らは以前から主張していました。
私たちは、NPT脱退を正当化する口実を
彼らに与えてしまったのです。
――――――――――――――――――――――――――――――


―――ロバート・ガルーチ――――――――――――――――――
北朝鮮は、脱会の際は3ヶ月前に告知するという
NPTの規定を利用し時計をセットしたのです。
残り3ヶ月、私たちは脱退を取り下げさせるため、
関与せざるを得なくなりました。
――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:米朝高官協議(1993年 6月)

<ナレーション>
アメリカと北朝鮮、初めての二国間の高官協議が始まりました。
ガルーチの交渉相手はカン・ソクジュ第一外務次官。
現在も北朝鮮外交のキーパーソンです。
ガルーチはNPT脱会宣言の取り下げと、強制査察の受け入れを求めました。
しかし強い反発を受けます。

『ドキュメント北朝鮮第三集』(2)

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NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮  第三集「核開発を巡る戦慄」(2)

 ◆映像:交渉時の写真

――ロバート・ガルーチ―――――――――――――――――――
彼は言いました。あなた達はIAEAを背後から操っている。
我々を絞め殺そうとしている。
そして、逆に補償を要求してきました。
『アメリカがまず我々に対して安全を保障し、攻撃を計画しないと約束しろ』と。
―――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
協議は暗礁に乗り上げます。

NPT脱退の日が目前に迫る中、カンソクジュ外務次官が動いてきました。

――ガルーチの証言――――――――――――――――――――
私はこういわれました。過去を棚上げにすれば、
未来については協力しても良い。
あなた達にとって、過去と未来とどちらが大切か?
―――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
過去のプルトニウム抽出の疑惑に目をつぶればNPT脱退は取りやめる。
北朝鮮の仕掛けた駆け引きでした。

――ロバート・ガルーチ――――――――――――――――――
過去も大切ですが、差し迫った危険はなかったので、
こだわり続けるのは止めました。
―――――――――――――――――――――――――――――

――チャック・カートマン米 国務省 朝鮮担当部長―――――
私たちはすでに北朝鮮の核兵器開発を確信していました。
もし彼らが、NPTから脱会すれば
開発を推し進めるに違いないと思いました。
―――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
NPT脱会は避けられましたが、強制査察は先送りとなりました。

――チャック・カートマン米 国務省 朝鮮担当部長―――――

彼らは賢く計算高く、利害関係をはっきり理解していました。
北朝鮮は危機のはしごを相手に登らせることができれば
自分たちが強い姿勢に出られることを知っていました。
危機のはしごを降りるタイミングは、
常に自分たちが握っていると考えていたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
瀬戸際までNPT脱退をちらつかせ、アメリカから譲歩を引き出した北朝鮮。
その裏で、核兵器開発を更に進めていきました。

北朝鮮の瀬戸際外交は続きました。
アメリカが経済制裁をほのめかすと、再び危機をあおります。

 ◆映像:韓国KBS 1994年3月

核問題を話し合う南北協議でのことでした。

 ◆映像:朝鮮中央放送ニュース画像~南北会談の模様~
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
北:我々は戦争の準備ができている
  あなたたちはよく考えるべきだ
  ソウルは軍事境界線から遠くない
  戦争になれば、火の海になる

南:ちょっと待て

北:貴方も生き残れない

南:なんてことを言うんだ

北:とにかくよく考えるべきだ

南:宣戦布告をするのか?

北:そちらが言い出したのだ
  寝ぼけているのか

南:戦争で応じるというのか?

北:当然だ!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
当時のアメリカ国防長官ウィリアム・ペリー。
アメリカは北朝鮮に軍事的圧力をかけ牽制します。

――ウィリアム・ペリー(アメリカ国防長官)―――――――
私たちが軍を増強すれば、北朝鮮が対抗して攻撃してくる危険もありました。
しかし、こちらが真剣なことを示した方がむしろ彼らに行動を思いとどまらせ、
軍事衝突の危険が減るだろうと考えたのです。
――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:在韓米軍増強の模様(1994年 4月)

北朝鮮は対決姿勢をあらわにしてきます。
キム・イルソン(金日成)はNHKの取材に応じ、強制査察には断固応じないと主張しました。

 ◆映像:NHKの取材に答えるキム・イルソン(金日成)

キム・イルソンの声
━━━━━━━━━━━━━━━
我々は何も隠していない。
強制査察には断固応じない
もちろん軍事機密はある。
軍事機密を公開する国などない。
━━━━━━━━━━━━━━━

北朝鮮は韓国との軍事境界線の近くに軍を終結させました。
朝鮮人民軍の大尉だったキム・ソンミン、長距離砲の部隊を率いていました。

  ◆映像:軍事境界線付近の地図をみて説明するキム・ソンミン

軍事境界線からソウルまでの距離はわずか40キロ。
韓国お火の海に帰ることはできたと言います。

――キム・ソンミンの証言――――――――――――――――
あのころ、すべての兵士は、長距離砲を
発射するためのロープを一時も離したことはありませんでした。
攻撃命令がでれば、
すぐに韓国に砲弾を撃ち込むことができました。
――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
北朝鮮は更に、危機のレベルをあげていきます。
黒煙路から燃料棒を引き抜き、プルトニウムを抽出する準備を始めたのです。

 ◆映像:ワシントン、ホワイトハウス

ホワイトハウスにペリーと軍の幹部が集まりました。
ペリーは核兵器開発を止めるため、韓国に駐留するアメリカ軍の更なる増強を提案。
急激な増強は戦争を招く危険がありました。

―――トニー・レイク 当時米大統領補佐官―――――――――
あの時軍の軍の増強を提案していなかったら、
その方が無責任だったでしょう。
戦争よりも危険な状況になるのを防ぐためには、
逆に、戦争の選択肢も無視することはできませんでした。
―――――――――――――――――――――――――――――

国防総省は、ニョンビョン核研究センターをピンポイントで先制攻撃する計画も検討していました。

―――ウィリアム・ペリー ――――――――――――――――――
ニョンビョンを爆撃すれば、核兵器に必用なプルトニウムが抽出できなくなります。
核兵器開発を阻止するためにも、施設を確実に破壊する計画を、
私たちは立てていました。
―――――――――――――――――――――――――――――――

~ソウル~
戦争を何とか回避しようと考えた人がいます。
韓国駐在のアメリカ大使、ジェームス・レイニーです。

――ジェームス・レイニ 当時 駐韓米国大使――――――――――
アメリカは苛立って北朝鮮に脅しをかけているだけでした。
しかし彼らの敵対心をあおるだけだと私は考えました。
北朝鮮はプライドをかけて、国を守るために
必ず戦いに出てくるだろうと思っていました。
―――――――――――――――――――――――――――――――

レイニーは、アメリカが戦争を望んでいないことをキム・イルソンに直接伝えようと考えます。
特使として、元大統領のカーターに訪朝を促しました。

  ◆映像:カーターもと米大統領 訪朝(1994年 6月15日)

カーターは民間人の立場でピョンヤンに向かいました。
一方アメリカ政府はいっそう北朝鮮に圧力をかけるため、経済制裁の決議案を国連安保理に提出しました。
北朝鮮は激しく反発します。

   ピョンヤン放送
   ――――――――――――
   朝鮮半島の情勢はついに
   最悪の局面を迎えた
   制裁はすなわち戦争だ
   戦争になれば容赦しない
   ――――――――――――

緊張はピークに達しました。
韓国では全国一斉に防空訓練を実施。
戦争になれば100万人の犠牲者が出ると見られていました。

キムヨンサム 当時韓国大統領―――――――――――――――――
アメリカ二隻の空母と33隻の軍艦を展開し、
いつでも北朝鮮を攻撃できる態勢を取っていました。
韓国は大混乱に陥り、人々は食料の買いだめに走りました。
逃げる場所は何処にもありませんでした。
―――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
経済制裁の決議案を安保理に提出した翌日。
ペリーは大統領のクリントンに、軍の増強に関する詳細な計画を示します。
その規模は、最大で5万人にのぼりました。

――ダニエル・ポネマン 当時 大統領補佐官――――
戦争か平和か、正に瀬戸際に立たされている、
私は、そう強く感じました。
―――――――――――――――――――――――――

――ウィリアム・ペリー ―――――――――――――――――――
もし何もしなければ、北朝鮮に見くびられる可能性がありました。
だから行動に出た方が良いと思ったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
クリントンが軍の増強に決定を下そうとしたその時、電話が入りました。
ピョンヤンのカーターからでした。
『キム・イルソン(金日成)が核開発を凍結しても良いと言っている。』
そう伝えて電話を切りました。
ホワイトハウスは、ピョンヤンからのCNNの生中継に釘付けになりました。

―― ジミーカーター元大統領 ――― 
キム主席は、米朝協議が再開されれば、
核問題は解決されると言っています。
北朝鮮の提案を受け入れることを
アメリカ政府に期待します。
――――――――――――――――――
<ナレーション>
クリントンは提案を受け入れました。
危機は回避されました。

  ◆映像:キム・イルソン(金日成)死去の報に嘆く市民 (1994年 7月)

翌月、キム・イルソン(金日成)が死去します。
このとき北朝鮮がすでに核兵器を完成させていたことを、ファンジャンヨブは明らかにしました。

――ファン・ジョンヨブ―――――――――――――――――――
93年か、とにかくキム・イルソン(金日成)が無くなる前でした。
核兵器がいくつあるのか知りません。
尋ねたこともありません。
ただ、金正日から直接、聞きました。
『核兵器開発は終えた。その責任者を表彰する。』
――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:米朝枠組み合意 調印 (1994年 10月)

<ナレーション>
核兵器の完成をかくしたまま、北朝鮮はアメリカとの合意を結びました。
核開発を凍結し、いずれ施設を解体することと引き替えに、いくつもの見返りを手にします。

プルトニウムを抽出しにくい軽水炉の提供と重油の供給、アメリカが北朝鮮を核攻撃をしない保障、関係正常化に向けた協議の継続。
北朝鮮の要求が受け入れられました。

  ■軽水炉の提供
  ■重油の供給
  ■北朝鮮を核攻撃しない保障
  ■関係正常化にむけた協議の継続

――ファン・ジョンヨブの証言―――――――――――――――――
金正日は大喜びでした。何もしなくても軽水炉が手にはいるのですから。
電力不足に悩んでいた我々にとっては本当に、大きな成果でした。
アメリカが戦争を仕掛けてくるなんて北朝鮮の幹部は誰一人考えていません。
金正日はアメリカの驚異を口実に、核兵器開発を正当化しているだけです。
―――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
戦争の危機をかいま見た、アメリカ。

――ウィリアム・ペリーの証言――――――――――――――――― 
私たちは北朝鮮に繰り返し核兵器開発の放棄を迫りました。
しかし、どんなに圧力をかけても、
核兵器を持ちたいという彼らの強い意志を
打ち砕くことはできないとわかりました。
―――――――――――――――――――――――――――――――

ニョンビョンでの開発を凍結した北朝鮮。
しかし、核兵器の開発を止めたわけではありませんでした。

―――ファン・ジョンヨブの証言――――――――――――――――
このころから、核の問題については金正日とカン・ソクジュ、二人だけで対応する事になりました。
私は、関わらなくなったのです。
ただ、北朝鮮とアメリカの合意のあと、軍事工業担当の書記がたびたび来ました。
『核兵器がまだ足りないので、あといくつかつくりたい。』
『プルトニウムを買いたいのだか、ロシアに知り合いはいないか?』
と聞かれました。
96年の夏か秋に、彼が再びやってきて、『問題は全て解決した』と言うのです。
『どうしたのか』と聞いたところ、
『核兵器に必用なウランを共同開発する協定をパキスタンと結んだ』
『もうプルトニウムは必要なくなった』と言うことでした。
――――――――――――――――――――――――――――――――

『ドキュメント北朝鮮第三集』(3)

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NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮  第三集「核開発を巡る戦慄」(3)

<ナレーション>
北朝鮮は、核の闇市場に手をのばしていました。

 ◆映像:アブドゥル・カティール・カーン博士

パキスタンのアブドゥル・カーン博士から新たな核開発の技術を手に入れたと見られています。

  ◆映像:遠心分離器(資料写真)

遠心分離器による高濃縮ウランの製造。
大きな設備を必用とせず、地下での開発が可能なため、偵察衛星では捕らえられないと考えられています。
米朝合意から4年たった98年、アメリカが約束した軽水炉の建設や、関係正常化の協議が滞る中、北朝鮮は、ふたたび危機をあおります。
弾道ミサイルテポドンの突然の発射です。

  ◆映像:弾道ミサイルテポドンの発射実験 (1998年8月)

アメリカは北朝鮮の挑発に乗らず、対話に動き出します。
アメリカは北朝鮮に対して食料援助を行いました。
朝鮮半島では韓国の宥和政策のよって、南北の和解ムードが広がりました。

  ◆映像:ウルブライトが、北朝鮮の子供と一緒に踊る様子

そうした中、国務長官ウルブライトがピョンヤンを訪問。
金正日総書記は朝鮮戦争以来、敵対してきた関係の正常化を求めました。

―――ウルブライトとの会談での金正日総書記の発言―――――――――
3時間の話し合いだけでは、50年間の問題は解決できないでしょう。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
アメリカの急速な歩み寄りで、関係改善は進むと北朝鮮は考えていました。
しかし、アメリカの政権交代が、北朝鮮との関係を大きく変えていくことになります。

――ジョージ・ブッシュの演説――――――――――――――――――
北朝鮮は飢える国民に目もくれず、大量破壊兵器で武装し続けている。
彼らとテロリストたちは悪の枢軸だ。
――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
新たに発足したブッシュ政権は、クリントン時代の政策を否定。
強硬姿勢を打ち出しました。
対北朝鮮戦略を練ったのは、去年まで国務副長官を務めた、リチャード・アーミテージです。

――リチャード・アーミテージ―――――――――――――――
クリントン政権の時に北朝鮮は信用できない事がわかりました。
彼らが善意ある行動を取らなければ安全は保障しないと
警告する必用があったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――

アーミテージが作成した報告書です。

 ◆映像:報告書『北朝鮮に対する包括的アプローチ』

――アーミテージの報告書―――――――――――――――――
クリントン政権は北朝鮮に瀬戸際外交がうまくいくことを教えてしまった。
核兵器開発は終わっていない。抑止と封じ込めで、圧力をかけるべきだ。
―――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
アーミテージの下、北朝鮮との交渉に望んだのが、国務次官補のジム・ケリーでした。
2002年、高濃縮ウラン開発の確証を掴んだとして、平壌に飛びます。
交渉相手は、カン・ソクジュ第一外務次官でした。
ケリーの追求に疑惑を認めたとされています。
問題を解決するため、首脳会談と、関係正常化を迫りました。

――ジム・ケリー国務次官補―――――――――――――――――
北朝鮮は94年の米朝合意を恋しがっているだけでした。
しかも、より大きな見返りを狙っていました。
しかし、そのような取引は、北朝鮮が核兵器開発を完全に放棄しない限り絶対にありえません。
――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
北朝鮮の要求をはねつけたアメリカ。
一方で北朝鮮と同時に悪の枢軸と名指ししたイラクへの攻撃準備を進めていました。
北朝鮮は再び、核のカードを切り始めます。
8年間凍結していたニョンビョンの核施設の稼働を再開すると発表。
その後、NPTを脱退しました。

そして去年2月、

 ◆映像:朝鮮中央テレビ(去年2月)
  ――――――――――――――――――――――――――
   我々は自衛のため 核兵器をつくった
   自由と民主主義を守るため、核兵器庫を増やしていく
  ――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:六カ国協議の模様 (去年11月)

<ナレーション>
今アメリカは中国や日本などと共に、対話によって北朝鮮に核の放棄を迫っています。
同時に金融制裁で圧力をかけ、追い詰めようとしています。

北朝鮮は、核兵器保有国となった以上、一歩的な放棄を迫られるのは不当だと主張。
新たな軽水炉の提供を求めています。

――アーミテージ前国務副長官――――――――――――――
私たちは、これまで北朝鮮徒向き合うたび、
譲歩せざるを得ませんでした。
貧弱なカードをとても、巧みに使いこなします。
しかし、私たちは以前ほど、
北朝鮮の瀬戸際外交を恐れてはいません。
――――――――――――――――――――――――――――

―――ジム・ケリー前国務次官補―――――――――――――
北朝鮮が核兵器を放棄しなければ、
将来多くの国々と幅広い関係を結ぶこと不可能です。
そのことを、彼らにはっきりとわからせなくてはいけません。
――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
ニョンビョン核研究センター
今も、北朝鮮の核兵器開発は続いていると見られています。

  ◆映像:ニョンビョンの最新の衛星画像(3月13日撮影)

最新の衛星画像、これまでの10倍の規模を持つ原子炉の開発が進められているとアメリカはみています。更に高濃縮ウランの開発が地下の奥深くでおこなわれている進められて言われています。
アメリカは北朝鮮の核関連物質や技術が拡散する事を恐れています。

  ◆映像:軍隊のパレードの様子

圧力をかけても、対話を求めても、北朝鮮は核開発を止めようとしていません。

―――ロバート・ガルーチ ―――――――――――――――
同じ事が繰り返されているような気がします。
北朝鮮はかつてと同じ交渉を求め、同じ見返りを迫っています。
彼らのひつこい取引は我々にとって不愉快ですが、
つきあい続けるしかありません。
――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:北朝鮮の子供達が軍服を着て、
      キム・イルソンを称える歌を歌いながら行進しているところ

軍が全てに優先する得意な軍事国家、北朝鮮。
核がもたらす危機をいかに回避するか?、
世界はその答えを未だに見いだしきれずにいます。

    
              ~~~終了~~~

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NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮 第一集「個人崇拝への道」(1)
NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮 第二集「隠された世襲」(1)

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2006年4月 5日 (水)

ドキュメント北朝鮮を見て

~3日分を見終わって簡単な感想~

金日成、金正日親子が、いかに狂った指導者であるか、世界一おかしな指導者をソビエトが育成し、その危険性を知りながら、放置し、アメリカは取るに足らない存在として黙殺している間に、北朝鮮という非道国家を存続させ続ける結果となり、そのあまりにも身勝手な行動の<罠>にはまってきたかということを知ることができました。

この番組内容が、北朝鮮の全てではなく、取り扱い方も完璧とは思いませんが、北朝鮮の謎を解き明かす手がかりとなる一万二千ページの秘密文書(旧社会主義国の党幹部や、外交官が間近に接した北朝鮮の実情を克明に記した資料)を世界各国から入手したこと、その記述を元に、歴史的事件の渦中にいた当事者200人あまりを取材、その直接のインタビューを放映したことは、貴重な証言として評価したいと思いました。

3日間の放送には、下記のワジム・トカチェンコ氏の悔恨ともとれる言葉のように、我々が記憶しておくべき証言内容が多く含まれていましたので、少しテキストとして残そうと思います。

<ワジム・トカチェンコ(当時、ソビエト共産党中央委員会)のことば>

「北朝鮮はソビエトにとって常に頭痛の種でした。彼らは主体思想を教え込まれ、目的達成のためには、どんな手段を用いてもかまわないと考えているのです。
自分の国のためなら、何をしても許されるのです。私は時折思います。このような人々と全く関わらない方がいいと。不用意に関わるとこちらが病気になり、傷つく事になります。」

顧みて実近でその姿を黙認してきた日本とは、いったい何だったのだろうと。

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