カテゴリー「燕山の声さん投稿集」の記事

2007年7月19日 (木)

見えないから「闇」だが、その世界は存在する

見えないから「闇」だが、その世界は存在する

 
燕山の声さんの投稿 
投稿日:2007年 7月 4日(水) 0010717m  
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

この一年余り南米から北米、アジア、オセアニア、欧州、そしてアフリカまで(中国燕山を中心に)いわばグレートジャーニーを逆回りして多くの民族に接し感じたことから、北朝鮮・民族の問題を、少し離れた位置から俯瞰してみたい。このHNでの投稿もたぶんこれが最後になるので、板汚しの駄文に少々お付き合いください。

非礼を承知で言えば、アフリカの諸国民族は自分で自分の国を維持管理する能力が不足しているのではないか、一時が万事おおざっぱ・いい加減、よく言えば鷹揚・素朴で、政府レベルの公式アポも庶民レベルの待ち合わせ時間もアナだらけなのである。決め事が決めた通りにちっとも進まない。1960年代の独立以降、無理やり近代国家の体裁を整えようとしているわけだが、今の社会形態なんて欧州に住み着いたコーカソイドが300年前、あるいは100年前の彼らのヒエラルキーの中で考案した折衷案に過ぎず、ここの連中にはもともと馴染まない仕組みなのではと思う。

気候変動で登る木の無くなったアフリカ東部の猿が地面に降ろされ二本足歩行の猿人が現れたのが500万年前、今の我々に通じる種としてのヒトが発生したのは約250万年前のこと。それから何度もアフリカを脱出したがネアンデルタール、ジャワ原人、北京原人など化石だけを残してことごとく絶滅(死滅)していった。そしてほんの約5万年前にアフリカを脱出した、ミトコンドリア・イブの子孫たちのみが、なぜか卓越した適応能力・知恵を持っていて、氷期でも死に絶えず急速な勢いで世界へ広がる(人種の分化はさらにそのあとの出来事だ)。気候変動と部族間殺戮の中での繁栄衰亡を経ながら、生き延びるための「ワル知恵」により長けたものが新天地の逆境の中で生き残ってゆき、そして、本家のアフリカにはホモサピエンスの原型が残ってしまったのではないか、近代国家社会とは無縁の、自然と調和しながら500万年平和に幸せに生きてこられた素朴な姿で。

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世の中を実際に動かしていながら、市井の我々には見えてこない世界がある。旧社会党の北朝鮮への「拉致人選・日本人供出」を私は事実だと思うし、これは参議院選を前に政敵の息の根を止める恰好のネタなのに、自民の議員はだれもこれを口にしたことはない。ヒル次官が先般ドイツの会議で北朝鮮に色仕掛けで篭絡されたのも常識的裏ネタだが、マスコミは決して触れない。なぜだろう。

久間大臣の「しょうがない」の何がそんなに問題なのか、被爆関係者の私にも良く分からない。どうせ騒いでるのは騒ぐのが目的の連中だろ。私には「アメリカは原爆でひでぇことしやがったが、これもまぁ起きてしまったことは前向きに解釈するよう自分を納得させるしかしょうがあるめぇ・・・・」程度の印象しかないし、北朝鮮・中国の今の核のほうがはるかに「問題」だと思うが。以下はこの「しょうがない問題」にからめた今朝の朝日の記事の、過去に「問題になった閣僚発言」リスト;

松尾文相:「(日韓併合は)韓国側にもいくらかの責任がある」
奥野国土庁長官:「(戦前は)白色人種がアジアを植民地にしていたのであり誰が侵略者かといえば白色人種だ、それが日本だけが悪いことにされてしまった」
永野法相環境庁長官:「(南京大虐殺は)でっちあげだと思う」
桜井環境庁長官:「日本も侵略戦争をしようと思って戦ったのではなかった」
江藤総務庁長官:「(日韓併合の)村山発言は誤りだ、植民地時代に日本は良いこともした」
西村政務次官:「日本も核武装したほうがええかもわからんということも検討せなアカンな」
・・・・
これらを「問題発言」としてあげつらうのは朝日の勝手だが、上記旧社会党の日本人奴隷輸出犯罪やヒルの篭絡よりも「問題」だとは、私は思わない。

やや古い本だが、ユダヤ社会の闇の部分を描いた「ダイヤモンドは永遠か」(エドワード・エプスタイン 田中昌太郎)と「赤い盾」(広瀬 隆)という名著がある。「ダイヤモンド・・・」には、保守的な日本伝統文化をデビアスの思惑通りに変え日本を世界屈指のダイヤ消費市場にしたことが「成功例」として冒頭に紹介してあり、「赤い盾」では世界を裏で操るロスチャイルドの闇の深さをうかがい知ることができる。(「ブラッド・ダイアモンド」に描かれた世界は30年以上前からあった周知のこと、しかもあの映画は黒人民族運動に対する偏見のカタマリの犯罪的愚作であり、今この時期にああいうのを作らせた仕掛け人とその背景を我々は見据えるべきだろう)
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日本の明治維新において我々の先代は、ものすごいことをした。奇跡あるいは神がかり的といってよい。自らの意志による封建制から近代国家への急速な大転換が、なぜ日本にだけできたのか、アフリカや中東、アジアの多くの途上国が当時の日本を手本としながらがんばっても、まだどこも成し得ていない。

欧米アングロサクソンたちは当時の日本の変化を注視した。日清戦争の勝利までは単なる驚きだったが、日露戦争からは明らかな憎悪の対象になった。白人の覇権に正面から対抗した日本、そのまましばらく暴走させておいて狂気のジハードまで達した段階で、原爆投下による見せしめ・人体実験を皮切りに、戦後60年かけてじっくりと息の根を止められつつあるのが極東の異端児日本であり、ネオコンの源流につながるユダヤ社会の危険性を悟りながら、あまりに露骨に反応して叩き潰されたのがナチス・ドイツなのかもしれない(当初ユダヤ弾圧を支持あるいは見てみぬ振りする“空気”は反ナチの米、英、仏、露の国民感情の中にも広く存在した)。

先月末の「朝生」を見た。自民と民社のどっちもどっちの掛け合いの中で印象に残ったのが金美鈴氏の「日本人が劣化している」との言葉。 実は、ほぼ同じ趣旨の「日本人の劣化」をあの香山リカ精神科医が最近の朝日新聞のコラムでも指摘していた。「こんな世の中に子供を置いていくのはかわいそう」と父親が3人の子を殺してしまう。昨夜のNHK番組「プロフェッショナル」で365日24時間頑張る世界的外科医に対しアナウンサーが「あなたの気力を支えているものは何か?」と、プロに対しまことに陳腐な質問を平気でする、つまり今の日本人はわざわざ考えないと、あるいは人から教えてもらわないと、生きるモチベーションすら見つからないのか。40億年前の発生のときからずっと、生き物はほっといても生きるようにできている、その本能すら「劣化」しているのか。

社会のさまざまな部分に表と裏(闇)があるが、今の日本の外交・政治は表だけで対応し、政党も上っ面の言葉に過剰反応し国政が停滞し国民全体の大損失が生じても党利・面子を優先し、国民もそれに迎合、一緒に騒ぎ、そんなコップの中の渦に生きがいまで感じてしまうのか。我々の表の現象が「劣化」であれば、その裏に潜むのは、劣化のしくみを仕掛けあとは民族自らによる「愚民化」に任せる、闇の意志である。

個々人の考えに温度差はあって当然なのに、皮相的な差異にこだわるあまり、基本ベクトルを揃えるべき支援者同士がつまらぬ諍いに消耗し運動本来の趣旨から脱線しやすいのも一種退行現象だろうか。明治維新期の日本人の精神風景を、我々はもはや「他国の事例」として学ぶ必要があるのではないか。 

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2007年7月18日 (水)

アフリカから見た中国・北朝鮮、そして我が祖国日本

アフリカから見た中国・北朝鮮、そして我が祖国日本
 
  
投稿者:燕山の声さん   投稿日:2007年 6月20日(水) 
 
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   いま南部アフリカにいる。10年ぶりのアフリカは、ずいぶん変わった。1~2枚目の写真のように、白人、混血、黒人が椅子を並べて働き、食堂も混在、それが自然になった。彼ら自身がどんどん変りつつあり、いまだにマンデラの面影を追っているようではこっちが取り残されてしまう。キング牧師のdreamはもうdreamではない。

そういうこの地にあらたな影を落としているのが中国の進出である。中国の資源戦略のターゲットは今アフリカに向いている。ここ数年来の胡錦濤自ら出向いてのトップ外交と援助攻勢が功を奏し中国資本が次々と参入を始めている。目的は二つ、世界の資源覇権への布石と中国人の雇用確保。

3枚目の写真は、南アフリカ航空の香港⇔ヨハネス便のビジネスクラスの座席。この路線だけファーストクラスなみのスーパーシートを使っているのは、中国との関係を南アが特別視している証拠でもある。(ちなみにこの御脚の持ち主も中国女性、彼女のエアチケット代はその下の写真の中国農村部の夫婦の2年分の年収に相当する。)

中国はもともと資源の豊かな国だ、ダブつくくらい。その中国が国内需要量を上回る資源を外地であさっているのは、いまは国内資源を温存しておき、ゆくゆく自国の資源力で世界への覇権力を高めるという、おぞましくも強力・明確な長期国家戦略に基づいている。まず援助と賄賂で相手国のトップを懐柔篭絡し、資源を吸い上げ、労働者は奴隷扱い、反発住民鎮圧のため相手政府に武器を売る。

数百年アフリカを支配してきた白人にも、今の中国のやり方は「えげつない」と映るという。中国資本に雇われた労働者たちが中国の正体に具体的に気付き始めている、「中国人はかつての白人よりもひどい」と。

中国が石油権益を持つスーダンのダルフール虐殺における「死の商人」としての中国政府の役回りは報道されているとおり。かつて日帝にチャンコロと蔑まれた国がいま自国利益のためにアフリカへの侵略とドジンからの搾取を本格化し始めた。ずさんな安全管理で40人以上の死亡事故を起こしながら対策も補償もしなかったザンビアの鉱山では反中国運動がおきている。

中国とアフリカ諸国首脳同士の握手シーンは放映されても、こういう末端部でのよじれ現象はなかなか報道されない。しかし、実際に現場を見て思う、近いうちに中国は手痛いしっぺ返しを食うのではないかと。

では、なぜアフリカなのか。環太平洋圏の目覚めた国々には環境規制・労働基準があり裏技も使いにくい、中国の評判も悪いから、遠く離れたクロンボのドジンの国で保安無視・環境無視・利益最優先のチャイニーズスタンダードによる手前勝手をやり始めたのである。

ベトナム人が中国と華人を毛嫌いしていることは以前触れた。マレーシアは華人隔離収容場所としてシンガポールを造った。インドネシアでは華人による現地人の奴隷扱いが長く続いたが、アジア通貨危機に端を発する住民暴動の際に日ごろの華人たちの傲慢な態度への鬱憤が爆発し、華人への焼き討ち・殺人・レイプが続発する惨事に至った。

かつてマハティールやスハルトが中国に対する日本の謝罪外交をたしなめたのは、危険な中国の言いなりになっている日本へハッパかけた意味合いもある(から大東亜戦争を正当化したい阿保ウヨクはあまりヌカ喜びしないほうが良い、かといって中国・北朝鮮をどうしても叩けぬ間抜けサヨクには何も言えまいが)

かかる獰猛な中国の資源戦略上、当然ながら、北朝鮮も重要なコマの一つとなる。北朝鮮の資源は戦時物資がらみの特殊金属資源が多い。もちろん北朝鮮も自国資源のコマとしての価値を知っている。ロシア、アメリカにとっても北朝鮮はコマなのである(核問題は表向きのダミー議題に過ぎないという見方さえある)、そういう中では拉致事件はコマのためのコマ・・・となる。

・・・じょうだんじゃねぇ、拉致事件をコマにするな!されてたまるか!→というのが我々の立場、だと思う。

ところで、北京オリンピックを控え中国共産党は自国民のマナー改造に躍起になっている。最近、空港の中国人官吏が挨拶するようになった。無愛想な口先だけなの挨拶だが、以前はムッツリして何も言わなかったから進歩である。そして挨拶のついでに紙を放り投げるようによこす、「空港職員の態度に関するアンケート用紙」だった。最後の写真は最近の北京空港の巨大な2列平行下りエスカレ-ター、歩く人は右、立つ人は左のレーンに別々に乗る、いつもゴチャゴチャで、いくら端に立つよう口で言っても埒が明かないから、当局指導の強制分別による左立ち。(右に乗ったら途中で疲れても止まらず歩き続けなければならない、止まると後ろから怒鳴られる、左に乗った人は降りるまで運動の自由は拘束され、左から右へ壁越えするのは違法で射殺か強制送還・収容所送りか、間違えて青森に漂着したり・・・する?)。

こういう「当局による強制指導」による「国民のための精神改善」を日本人は誰しもあながち否定はできまい、背骨の無いクラゲのような自主・自由幻想による放任が腺病質・傷つきやすい子供たちをつくり、優しいだけの打たれ弱い、つまりは生命力の無い、結果的に「不幸」な大人を大量生産した戦後の日本の教育社会の瑕疵の代案を示せない限り。しかしそれにしても、かつてマルコス、スハルトを「開発独裁」と非難しながら今の中国の他国まで巻き込む極めて危険凶暴なる開発独裁に口を閉ざすなら、手前勝手なだけの日本の頓珍サヨクなんざもはや居なくてよい。

当地のスーパーの棚に並ぶ製品の多くが中国製品。中国人と勘違いされて黒人に「ニイハオ」と挨拶されるたびに、アフリカへの中国の浸透力の不気味さを感じる。北朝鮮の運命は中国の匙加減次第、その北朝鮮と中国の関係が今ここの中国と黒人労働者との関係にダブってくる。いま黒人たちの味方になりうるのはむしろ白人たちである。覇権争いといえばそれまでだが、白人資本の間に中国資本つぶしへの動きはある。

そして思う、中国に首根っこを押さえられたまま誰も助けてくれない北朝鮮という国は、世界で最も「孤独」な国なのではないかと。そういう奇形国家中国・北朝鮮に左右のタマを握られて身動き取れない我が祖国日本、中国の後塵を拝しながらにわかにアフリカ援助の見直しを始めたところだが、総連・中国に国の与野党の中枢が侵されているような国に何ができるのか、その資格はありや。

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ジャーナリズム;巨悪を暴き社会へ告発するために自分の命を賭す勇気

燕山の声さん の投稿            投稿日:2007年 6月 4日(月)

 ジャーナリズム;巨悪を暴き社会へ告発するために自分の命を賭す勇気 
 
 
 >日本の 報道に携わっている人たちは「本当に真実」をありのままに、国民に伝えているのか?と考えました。/きわきわさん 

私の中国などの情報や視点が目新しいと感じられるかもしれませんが、現地で具体的に何か仕事・活動をしていれば自然にいろいろ見えてくるもので、日本のマスコミに出ない裏情報も耳に入り目にするし、日本大使館の警視庁・防衛省からの出向書記官(武官)はかなり踏み込んだ治安情報もつかんでいる(まぁそれが連中のシゴトですが)。企業がその国や地域に進出する場合も、投資リスク・治安リスクなど投資環境評価の側面からもその地域の歴史・社会・民族特性などは可能な限り徹底的に調べますから、それなりに詳しくなります、特に商社は相手国のかなりの内情を把握しています(たいてい大使館以上に詳しい)。

私はマスコミの専門家ではありませんが、過去に2度それぞれ数ヶ月間、日本マスコミのひどい取材攻勢に晒されるとともに主な報道機関とはひととおり付き合ってきましたから、彼らの実態については普通の人よりは詳しいかもしれません。(もちろん拉致被害者家族会の方々は私なんぞよりずっと、その問題点を肌身にしみて理解されていることと思いますが。)

日本の商業マスコミから真実がなかなか伝わってこない原因は、記事を書いている多くが企業組織の中のサラリーマン記者だということ、大手報道会社が学生のブランド就職口の1つに成り下がっている(NHKの就職試験落ちて朝日へ、朝日落ちてサンケイか共同へ、なんてのがいくらでもいる)ことにもあるのではないか。日本のマスコミの鼻持ちならぬエリート意識は昔からのようで、小学卒の松本清張が就職先の朝日新聞社で低学歴を理由にひどい差別待遇をうけ「社会派の朝日でも実態はこんなものか」と失望したことを自伝「半生の記」の中で触れていたかと思います。

ジャーナリストの真骨頂は「社会の正義のために巨悪の闇を暴くこと」でしょう、特に全体主義社会ではそれが命がけになるからこそ称えられる。昔から、そして今も世界あちこちの紛争地や社会弾圧の下で多くの欧米人ジャーナリストが命がけで挑んでいる、フリーが多く女もいる。アサヒ社員でもサンケイ社員でもなく、一人のジャーナリストとして危険へ飛び込み命がけで事実を告発する。そして何よりそういう本来のジャーナリズムを支える社会文化が欧米にはある。そういう真のジャーナリズムが日本社会には育っていない、そのことをはっきりと示してくれたのが、北朝鮮拉致事件だったのではないか。ベネズエラのチャべスが反政府マスコミを強権で封鎖した。彼の凶暴性は(地元では)前からわかっていたしこれが彼の墓穴になるかもしれないが、「反米左翼」というだけの視点から安易に彼を称えてきた日本の左巻き系マスコミはこれから論調をどう変えるのだろう。

成田で入国を拒否されている魏京生も、まさに命がけで活動している。当局の弾圧受けながら頑張っている中国マスコミ人も少数ながらいる。私は自転車爺さんも好きだがこういう気骨あるタイジンにも拍手を送る。青森に流れ着いた北朝鮮の4人もまさに命を賭しての逃避行だった。社会に寄生し安全地帯に身をおきゴキブリのようにゴソゴソ「革命ごっこ」やってるだけの日本赤軍とは、いずれも次元が違う。

中国共産党員をやや弁護すると、彼らは基本的に(中国人の中では)マジメな連中であり、社会主義体制というのは中央(全人大)決議の流れを汲むコチコチの上意下達式管理体制、いわば「徹底した官僚体制」ですから、交渉の場面で党の方針に逆らう変化球をこっちが投げると彼らはしばしばパニックを起こす、その姿を見ると「宮仕えの心労も大変だな」と気の毒に思うこともある。交渉に派遣され出てくる北朝鮮の木っ端役人の立場も似たような「つらい立場」なのではないか。そして、日本マスコミのサラリーマン特派員の職場環境もこれに近かったりして。

  蒼き星々掲示板 メインボードより

 
 
 
 
 
 
 
 

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一罰百戒・・・といかぬのが中国。百の罪には百罰を課し、而して戒はゼロ。

蒼き星々メインボード への投稿より
 投稿者:燕山の声  投稿日:2007年 7月16日(月)

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  中国野菜の残留農薬が騒がれたが現在は厳しく管理されていて(・・・こと日本向け野菜に関しては)、「いまの中国野菜は日本の国内産よりも『きれい』なくらいだ」と、日本の輸入検疫関係の知人からこのあいだ聞いたばかりだったから。ちょうどアエラで特集やっていたので買って読んでみたら、案の定、今回の問題は農薬野菜よりも養殖・加工品などが主流、しかも米国などでの中国製品騒ぎが日本へ逆流したものだ。

まだ目は離せないが、少なくとも日本向け野菜の残留農薬については、中国はずいぶん変わったのである、いや(イチロー風に言えば)「変えた」のだ、我々日本の消費者が“経済制裁”によって中国人の振る舞いを矯正したのである。前回の残留農薬騒ぎのとき、日本向け野菜輸出が激減した中国政府はすぐに動いた。食品安全衛生に目覚めたからでは(もちろん)ない、右肩上がりの計画経済で下方修正は許されない(=責任者の首が飛ぶ)中国はあわてて、売るために農薬を減らし、有機栽培の技術指導を日本に頼んだのである。

この件で我々は中国人のモラルを変えるために動いたのではない、自分の家族・子供たちの命を守るために買い控えたのである、そしてそのことが、「結果的に相手を変えた」。ここに鍵があり、北朝鮮への制裁の意味もそこにある。

その昔(?)、南米での駐在生活を始めた頃、南米人のいい加減さに苛立つ日が続いた。納期が遅れてもミスっても物を壊しても謝るどころか言い訳ばっかしで、ケロッとしてるからよけいに腹が立つ、私がカッカしていると古株の日本人先輩からよく言われた、「この国で相手を正したかったら、情や倫理を口であれこれ言うよりも、黙って具体的『実害』をあたえること、つまり減給、解雇、契約破棄、損害賠償提訴。」

今回の1枚目の写真は先日中国で弁当のおかずに出た、とっても美味しい川エビとピーマン炒め。なぜ(海でなく)川エビとわかったかって?トンボのヤゴが混ざってたから。トンボのヤゴは加熱しても赤くならず茶色のままだからすぐわかる。これまでイヌもネズミもヘビも食べ(させられ)てきたが、初めてのヤゴには少々びっくりして、それを箸につまんだまま固まっている私に同行の中国人が「ヤゴがいるのは農薬を使っていない証拠だ、安心して食べろ」と言った。

次に2枚目の写真の発泡スチロール容器を見ていただきたい。見かけはまともだがすぐに穴が空きボロボロに破れてしまう、「ひどい粗悪品だな、せっかくのウマいダシ汁が流れ出てしまうじゃないか」と私がぼやいたら中国人曰く、「これは生分解性の発泡スチロール、捨ててもバクテリアが分解し土壌に返る自然にやさしいプラスチック、日本の先端エコ技術が生かされている」自慢の新製品だとのこと。

国家の歴史的大事業オリンピックを控え、少しでもイメージアップを図るための、共産党独裁政権主導による見せ掛けの「エコ政策」である(肝心の大量の廃液・排ガスは垂れ流しのまま・・・)。生分解プラスチックには強度上の問題あるが「環境に配慮する中国」を演出するためにとにかく作る、品質や実効性や消費者のことは考えない。

「日本では素材を変えても品質は絶対に落とせない、落とすと消費者が逃げる、品質を下げずにコストも抑えようとすれば相当な努力と犠牲も必要だが、それを知恵でクリアーしてきた日本はすごい」と日本通の彼は我々を素直に褒めつつ、「中国人にはそれはできない、文化が違う」とも付け加えた。

今の中国人に社会モラルは無い、が、「ゼニ儲け」という古くから染み付いた価値観がある。相手を変えたかったら相手の価値観に仕掛けるのが原則だ。私は何もゼニ儲けが悪いとは思わない、それなりの社会的モラルが生まれるのも経済的余裕があってのこと、かつて松下幸之助も「儲けは善」としたし、今の寄生虫サヨクも企業の儲けに下支えられてこそメシが食えるのだから。

しかるに、相手の正体を無視した自己満足優先の無意味、どころか逆効果なことをやっているのが日中戦争・靖国をめぐる日本のウヨ・サヨの行動ではないか。日本人は右も左も中道もおしなべて、ゼニより倫理観・面子を重んじる精神カルチャーが強い(それも誇るべき日本文化の一つだが)。中国政府のクレームがわかってても靖国参拝賛成派はイジでも(むしろムキになって)参拝させようとし、反対派は同様にイジでも(やはりムキになって)やめさせようと騒ぎを大きくする、中国はそういう日本人の特性を利用しているだけである、ありもしない「中国人民の心情」まででっち上げ、「我々のココロを傷つけた」だの「軍国主義復活」などと、今の中国がよくもまぁいけしゃあしゃあと口にするものだが、そうすることで「自分が得をする」からそうする。つまり日本のウヨもサヨも結果的に中国を利する形で、中国の手のひらで踊っていることになる。

前回の「農薬野菜問題」では嫌中派のみならず広く一般人、さらには(いつもの)親中派も含め「イデオロギーを越えてベクトルをあわせ」一斉に中国野菜をボイコットしたから、靖国が使えないと分かった中国はすぐに動いたのである。もしあのとき日本が「環境・人命への中国人のモラル欠如」を中心に突いていれば、むこうも「旧日本軍の毒ガス」を持ち出し日本側の世論の分断を仕掛けてきただろう。

いずれにせよ、相手を本気で変えたければ、相手の価値観に働きかけねば意味が無い、そういう「実効性」の観点から北朝鮮の「動かし方」を考える必要があるのではないか。

【安明進氏の逮捕】

「中国政府側が準備した宿」に泊まる場合、私はメールも電話もほぼ間違いなく「盗聴」されているものとして対応する。実際、「そうとしか思えない」状況をこれまで何度も経験した。経済開放は進めても思想・治安統制は基本的に北朝鮮と変わらない、軍事独裁全体主義国家の策謀能力を決して侮ってはならない。そういう国であるから、安明進氏の中朝国境での動きを当然ながら中国当局は逐一掌握していたはずで、いままで「泳がせて」おいて今この機に韓国と連携で逮捕・マスコミ公表した背景こそに我々は注意しておくべきだろう。「だから安明進がこれまで言ったことは全部出鱈目だった」というキャンペーンでは今のところなさそうだが。

【日本人の劣化について:雑感追記】

きのう、自宅近くのスーパーマーケットをぶらついていて、野菜コーナーで売っているマンゴが1個500円以上するのに驚いた(私は外地で20~30円以下のものしか食べたことが無い)。その高価なマンゴを小さなこどもたちが取り囲んで指でつついている。マンゴは指で押すとすぐに傷んで売り物にならなくなる。私が子供のころ親から「店では買わないものには触るな!」ときつく言われたものだが、そういう意識が最近は弱くなったらしい、子供たちの親も店員も黙っている。「公」だの「私」だのと大そうに構えるまえに、せめて「内と外の区別」くらいはあってほしい、それがモラルの基本だろうに。(自分の部屋と社会を直接つなぐこのネットという仮想空間も内と外のケジメをなくす元凶の1つかもしれない)

私は団塊世代の10年後の世代にあたる。いつも団塊と比較され「覇気が無い、政治意識が低い、出来も悪い・・・」と言われ続けた我々は高校になると「シラケ鳥」となって開き直った。団塊が頑張って破壊した泥道に続かざるを得ない我々、むやみに頑張らないことを美徳として覚えた。

我々にとって目の上のキノコ雲のような団塊世代だが、今思えば学生運動も音楽文化もフリーセックスも欧米のモノマネと大人数ゆえの集団心理であり、敗戦後の幼少期に染み付いた貧乏性と欧米コンプレックスの裏返しの、クリエーターどころか、所詮は「だらしの無いクレーマー」に過ぎなかった。

先日、若い部下を引き連れての出張から戻った理事が私を呼んで言った。「あの国にはロクなホテルが無いとは聞いていたから、自分にあてがわれた部屋が狭くて暗く窓の外は壁、シャワーしかないのも仕方ないと思ったが、あとで聞いたら若い連中の部屋には窓の外の景色がきれいでバスタブもあったそうだな。自分が若いときは目上の人間に少しでも良い部屋を当てるように気を配ったものだが・・・・」

つまり私に「俺から直接文句言うとヒガんでるみたいだからお前から言っとけ、若い連中をちゃんと教育しろ」ということだった。私は「そりゃまた気が利かぬ連中だ、怪しからん」と相槌を打ちつつ「彼らを育てた親は、あんたら団塊の世代だよ」と心の中で思った。

で、自分の席に戻って考えた。団塊を育てた戦後民主主義のレールが敷かれたのはドッジ・ラインの頃、日本に対する矯正ラインは経済路線だけではなかった、「日本人の精神構造の根本的改造」こそがアングロサクソン連合軍の最重要占領課題だったのだから。そして、それは成功したかに見える、だからイラク占領政策では日本の戦後統治が参考にされた。

ドッジ・ラインはとうに終わったが、日本人の精神改造ラインは今も続いているのではないか。団塊の第3世代たちがスーパーでマンゴをつついている姿を見て、何気なく、ふと、そう感じた次第。 

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2007年5月31日 (木)

最近見たこと思うこと、ご参考までに

最近見たこと思うこと、ご参考までに
   
 ~中国考~         燕山の声さんの投稿

                               2007年5月30日

   人が相手を「好き」「嫌い」で判断するのは当たり前とも言えますが、駆け引きが絡む場合、こと外交戦略レベルでは感情を殺して相手を知る必要がある、相手に勝ちたいならなおさら。中国に世論は無い、市場開放は進めても思想統制は北朝鮮と変わらない(だから私も投稿の発信場所には注意している)、この国の世論なるものはほとんどヤラセと思ってよい、民主勝手な政治的自己主張、とくに体制批判のそれの結末は、天安門事件のとおり。そういう国を相手に感情を「表に出す」のはいかがなものか。

【民族と国家・公民意識】
中国北京空港の入管に書かれた「中国公民」の文字を見て私は違和感を覚えた、なぜ中国「人」でなく中国「公民」なのかと。学校社会科目の「公民」の言葉以外には、1960年代アメリカ黒人たちの「公民権運動」くらいしか思いつかない。

中国人に確認したら「中国公民」とは「中華人民共和国政府に対し国民としての権利を有し義務を負う、今の中国国籍を持つ者」という意味合いだそうで、この公民(国民)意識とは別に、彼らには世界に分布する「華人社会」への強固な帰属意識がある。天安門事件で弾圧され海外に逃れた学生運動家たちの多くが米国の「公民権」を取得し米国人として暮らしているが、華人意識は捨てていない。私の中国人知人の何人かが日本国籍を取得している。その理由を聞いたら「中国より日本のパスポートのほうが外国のビザをとりやすい、海外出張のときに便利だからね」とさらりと言った。日本公民のメリットが無くなれば、また別の国の公民になるのだろうか、華人意識はそのままに。

拉致した日本人たちを「いまの彼らは(朝鮮民主主義人民)共和国の公民である(から日本には戻さない)」と北朝鮮が言った時も同様な違和感を覚えたが、朝鮮民族は中朝国境を越えて中国東北部*にも分布し、そこでは中国公民でありながら言葉・文化の民族アイデンティティーを保持しているから、中国人と同様な公民・民族意識構造が北朝鮮にもあるのかもしれない。

(注*:「中国東北部」は旧満州国にほぼ一致するが、現中国政府は「満州国」のコトバを禁止しており「偽満州国」か「偽満」の表記しか認めず、満州とはマイノリティーの一つとしての「満州民族」をさす) 
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    【民族を分かつもの】

民族意識に内包される華人の国家意識と逆に、国家と民族が交錯する場合。

「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」と言われたユーゴスラビアが世界地図から消えて久しい。1989年ベルリンの壁崩壊は社会主義の頸木から民族を解き、バルカンの世界も混沌に包まれ内戦の流血を伴いながらいくつもの国に分裂・独立した。マケドニア、スロベニア、セルビア、モンテネグロ、グロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナが生まれ、もとからあったギリシャ、アルバニア、ブルガリアを加えて複雑にひしめき、現在国連管理下のコソボが独立すれば10カ国になる。独立前から内包していた多様性がバラバラになっただけのようにも見えるが、国境が定まっても民族と宗教が国境をまたいでいるからややこしい。そしてこのあたり中欧・東欧の社会主義国はロシアよりも中国・北朝鮮と深い交流を持っていた国が少なくない。

これらの国々の正確な位置や事情をどれだけの日本人が知っているだろう。そういう私も先月そこを訪れるまでは疎かった。しかし我々が知らなくとも、彼らは日本のことを、我々が彼らを知る以上によく知っている。「世界大戦で破壊されながら努力と技術で世界トップレベルになった、ドイツに似ている国」という日本評をいく度も耳にした。彼らと関わるとき、我々に何が可能なのだろうか。中途半端な理解や同情は禁物、「我々日本人に彼らの心情世界は理解不能」と割り切ってから考えたほうがいい。

バルカンの民族間の言語や血統の違いは、日本国内の地域差とたいして変わらない。彼らを民族に分かつ重要な要素のひとつが、歴史的経緯の違いである。支配者の違い、属する国の違いにより宗教と歴史が異なってしまい、似たような言語・遺伝子を持ちながら同族意識が持てないのである。人は今現在おかれている水平的状態だけでなく、縦方向に延びる時間軸をもっている。過去において同じ時間と精神を共有した記憶は、民族アイデンティティーのタガとなりうる。人は流れゆく時間の中で、他人とともに自分自身も変化しながら今を生きているのである。(写真はコソボ付近)

それを思うと、戦争ですさまじい殺し合いをやり半世紀以上も分離対立の続いた北朝鮮と韓国の融合はもはや実質的に無理なのではないか、違うものが無理をして一緒になる必要も無いだろう、中国の長江の北(呉)と南(越)ではその民族意識が今も大きく違う、言葉も違う、同化する意思もない。北京にいると「越の連中と我々(華人)とは民族が違う」というセリフをしばしば耳にする、お互いに違ったまま共産党支配下での「呉越同舟」に新疆、チベット、満族、朝鮮族などを含めたユーゴスラビア状態が続いているのである。北朝鮮も体制崩壊後は(まずとりあえず)中国の参加に下るほうが現実的だ、今よりマシだろう、血統・言語よりも歴史共有性を考えるなら。

と思っていたら、最近、水面下で韓国と北朝鮮が深く繋がっている場面に何度か出くわして意外な思いをした。その南北連携に(赤軍でも総連でもない)普通の日本人個人商売人が絡んでいたりして、ますますようわからんが、その日本人から「北内部へのアプローチは中国経由よりも韓国経由のほうがたやすい」とも聞いた。前回紹介したあの中国国土地図の写真をもう一度見て欲しい、鶏の肉垂半島に過ぎぬ彼らの共通の敵は有史以来ずっと中国だった、反日だけではなく、反中国の立場でこそ南北朝鮮民族は昔から合体するのである。

中国の「全国人民代表大会(全人大)」、なぁにが人民代表じゃい、選挙の無い独裁共産党員代表者による独裁方針会議を日本のマスコミがわざわざいつも「日本の国会に相当する」とくっつけるのは、2002年9月以前の「朝鮮民主主義人民共和国、え~、北朝鮮では」と同じ構造、言わしめているのは中国政府の圧力である。独裁左翼暴力団の脅しで横並び合体する日本マスコミの腑抜け体質は以前とちっとも変わっていないのである。

【他人と自分の関係】
あえて言う、最近私は中国の共産党独裁体制を、この国にはこの統治方法がとりあえずふさわしいのではと思い始めている、党員のレベルは(国民平均より)はるかに高く国を動かす選ばれしリーダーとしての気概も強い、努力もする(が賄賂も受ける)。路上・食堂あたりかまわずタンを吐き大声で喚きタバコ吸う愚衆を「オリンピックでガイジンいっぱい来るってのに恥ずかしいことするな」と大所高所から指導し北京空港・タクシーをこの4月から全面禁煙にしたのも共産党である。この国に普通の愚民主主義が始まったら、先週の西日本の光化学スモッグも、中国人犯罪もこの程度では収まらなくなる、みなさん、どっちがいい?

ただしこれは華人による華人政治体制の場合。華人による少数民族支配弾圧は別、私は断固反発する、そしてその少数民族には朝鮮族も含まれる。

北アフリカ・マグレブ地域の政府治安当局によるイスラム過激派(ハマス)の取締りに伴う人権弾圧を欧米のアムネスティ・NGOなどは前から強く非難しているが国家外交ベルでの制裁はしない、タテマエは人権擁護を唱えても、本音は、取り締まりが緩んで自国へのテロの波及や難民流入を恐れ、弾圧による治安維持をある程度黙認しているのである、地中海を挟んでその向かいにあるイタリアもフランスもスペインも、そしてアメリカも。

ただし彼らは自国民がさらわれたらその独裁国に戦争を仕掛けて自国民を救う。「風とライオン」の舞台はモロッコだ。
 

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2007年5月28日 (月)

中華から見た東アジア

蒼き星々メインボードへの燕山の声 さんの投稿から
  投稿日:2007年 5月26日(土)  

中華から見た東アジア      燕山の声さん

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  写真は中国であちこちに掲げてある地図。現代中国の形は、右上を向いたニワトリの姿にたとえられる。知人の中国人はこの地図を指差しながら「海南島と台湾(もちろん中国領土)はニワトリの足と卵、そして朝鮮半島はニワトリの下顎の肉垂、それが中国人の一般的捉え方だ」と説明した。「で、日本は?」と私が聞いたら「餌のミミズだよ」と笑いながら言った。

二枚目写真は開きドアに書かれている字。「拉」の原意は「引っばる=pull」。著書「中国の旅」で日本の土下座外交の礎に貢献した本多勝一が「“拉致”などという難解表現つかわずヤマトコトバ“ひとさらい”を使え・・・・」と事件の本質と関係ないコトバの問題で拉致被害者奪還運動を陰湿“感情的”に揶揄したことがあったが、北朝鮮のかかる国家犯罪は「ひとさらい」や「誘拐」ではなく「拉致」がふさわしい。

自分の故郷近くで起きた事件としても気にしていた光市母子殺人事件の、21名弁護団形成については「日本の左翼もここまで落ちたか」とため息すら出る。「死刑廃止という自分の思想運動のために犯罪者をも利用している、弁護団は本当に被告のことを考えているのか」との被害者本村洋氏のコメントにすべては尽きる。私情に囚われ周囲の目が分からなくなった弁護団は自ら墓穴を掘り「敵」の資格すら失った。

しかしこれは拉致事件の“運動を支える空気”に対して私が危惧していることの裏返しでもある。 

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2007年4月 3日 (火)

続いて、南の元属国・ベトナムから中国を通して北の現属国・北朝鮮を考える

演算の声さん投稿

投稿日2007年3月31日

続いて、南の元属国・ベトナムから中国を通して北の現属国・北朝鮮を考える
 
 
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   【民族と国境】
もし我々と同じDNAと文化を持ち日本語を話す「大和族」が国境を越えて朝鮮半島や大陸のあちこちに存在したら、我々の民族意識も少し違ったものになっていたのではないか。

ベトナムの主要民族であるキン(京)族は、中国南部、ラオス、カンボジア、タイにも分布しそこでは「少数民族」として暮らしている。一方、ベトナム国内にも50以上の少数民族がいて、その中には華族、タイ族、クメール族などが含まれる。民族分布は必ずしも国境とは一致しない、それがむしろ当たり前なのだが、国境と民族と言語の分布域が三つともピッタリと一致してしまう世界的に稀有な日本民族にその感覚は理解しにくい。

タイ・ミャンマー国境付近に暮らす山岳民族カレン族の場合のように、平地マジョリティー民族が勝手に引いた国境線によって山岳部マイノリティーたちは分断されしばしば紛争に巻き込まれる。アンデスのプーノ地帯に棲むリャマの群れはペルー・ボリビア国境をノービザで自由に往来していたし、中央を国境線がとおるチチカカ湖に棲むニジマスもフラミンゴもパスポートは持っていない。最近まで紛争地だったチリ・ボリビア国境帯には地雷踏んで片足になったアルパカがいるが、群れ単位で自由に暮らしてきた彼らにとって国境はハタ迷惑もいいところだ。

【殺されずに消えゆく少数民族たち】
私がベトナム北部の中越国境地帯を初めて訪れたのは今から十数年前のこと、ハノイから山道を三日がかりでたどり着いた深い山あいの交易市場には、様々な民族衣装が混ざり、少数民族たちがそれぞれの個性を主張していた。男も女も眉毛と頭髪を剃る風習のある部族の奇異な風貌は今も強く印象に残っている。しかし今回出会った彼らの幾人かは頭にスカーフを巻きそのスキンヘッドを隠していた。開発による道路・情報網の発達とともに文明浄化が山奥まで押し寄せ、外来文化への同化・均質化がこのまま進めば、閉ざされた山奥ゆえに守られてきた少数民族のその特異性も消えてゆくのだろう。

【中越戦争】
1979年2月17日、20万人の人民解放軍兵士と300機の戦闘機が中国から国境を越えベトナムに攻め込んだ。しかし、長年にわたる対仏・対米戦争で実戦経験を積みソ連製近代武器を備えたベトナム軍は、旧装備で人海戦術だよりの中国軍に深手を負わせ追い返した。中越国境での武力衝突はその後10年続き、両軍合わせ数万人が戦死し、ベトナム住民も1万人が犠牲になった。中越国境が画定したのは2000年代に入ってからである。ベトナムは中越戦争の謝罪を中国に要求しているが中国側は「カンボジアに攻め込んだお前が悪い」と拒否している。ハタからみれば「カンボジア人民を苦しめるポルポトを懲らしめるベトナムを中国が懲らしめようとして反対に懲らしめられた」という按配だが、それまで「化外(けがい)の民」として見下し属国扱いしてきたベトナム・キン族に負けた中国・漢族首脳のショックは大きく、これを機に中国は軍備増強・近代化を推し進めることになるから、中越戦争は日本の安全保障環境にも重大な影響を与えたことになる。

【今とこれから】
中越戦争の背景にはソ連(-ベトナム) vs 中国(-カンボジア-北朝鮮)という中ソ対立構造があった。米ソ対立の代理(ベトナム)戦争のあとに中ソ対立の代理(中越)戦争じゃ、なんだかベトナムは代理戦争ばかりやらされたようだが、自分の立ち位置は一貫してブレていない。先日のハノイ日朝協議も場所提供ついでに日越政府間協議も行われ自国利益もちゃんと押さえている。

この国にも裏世界はある。中国人ほどドギツくないが、共産党独裁の社会主義体制であり地方政治は地元の共産党組織「人民委員会」が支配し、党の同意が無ければ何事も進まない。膨大な援助と企業投資が進む中で党関係者や役人たちの袖の下も広がっている。中国に嫌気がさしてここに逃れてくる日本企業も多いが、この国の本質は中国と大差ないのかもしれない。仏・米・中を何年もかけ執念で打ち払った国だ、したたかでないはずがない。ある商社は「この1年で日本人駐在員7人のうち過労で3人倒れた」と言っていた。

我々がベトナムを「中国よりマシ」と感じるのは、人当たりが柔らかく温厚・真面目(そう)で、親日的な面があるからだろうか。じっさいベトナムでは外国の中で日本人の評判が一番良く、韓国人はまあまあ、中国人は嫌い、アメリカ人に対して年配者はまだ反感が残るが若者はこだわらずにコカコーラも飲む。

ベトナムが他の独裁社会主義国と違う点がある。これまでにスターリンや毛沢東、金日成のような独裁者を出していない。独裁集団はあってもその集団内部でゴニョゴニョ話しながら進めるのがこの国の伝統的やり方であり、ややカリスマ的だったホーチミンも独裁権力を有したことは無く、一時期失脚しかかったことさえある。

強烈な個性は無くとも、自分たちの民族性に根ざした自分なりのやり方で、ベトナムは粘り強く着実に歩みを進めてきた。もつれた対中関係を1992年に修復し、米国とも1995年に国交樹立、同年ASEANに加盟。もともとASEANは東南アジアの防共目的に設立された協定であり、社会主義国ベトナムの参加は驚きをもって受け止められた。

そして今年2007年1月11日、ベトナムはWTOに加盟した。本当のドイモイはこれから始まる。

【そして我が祖国日本】
東南アジアの少数民族の多くは自分の国さえない。朝鮮民族も同じ、古代から中華の属国で今も民族は二つの国境で三つに分断。やたらこっち(大和)を向いて吼えたがる彼らの背後には中国という悪魔のような国を抱えている。海に囲まれ中国と国境を接しなかった自然の恩恵、幸運を我々は感謝したほうがいい。

アジアにはいま、欧米世界に伍す経済・政治力を持つ大国が二つ存在する、日本と中国。その大国の周りに散らばる小国、その小国の狭間で自分の国すらもてない少数民族たち、彼らは中国と日本二つの大国の様子をじっと見ている。幸い、我々日本には(力無くとも心情的な)味方が多い、今はベトナムでさえ日本側にいる、我々は自らに恥じぬ態度で地道に臨めばよい、中国とその属国北朝鮮へのボディーブローは確実に効く。

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まず、ベトナムを考える

蒼き星々掲示板メインボードより

燕山の声さんの投稿より
まず、ベトナムを考える

 
  投稿日: 3月31日(土)
 
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  【ベトナム戦争と日本人】
「また戦争が始まったのう・・・」と親たちが話していたのを覚えている。私が幼稚園の頃の記憶だ。太平洋戦争の終結からまだ20年足らず、朝鮮戦争から10年、当時は「また始まった・・・」と感じるくらい、戦争の記憶がまだ生々しく残っていたのだろう。私の小学校時代はベトナムのニュースといえば戦争だった。ベトコン、北爆、テト攻勢、ベ平連などの言葉は小学生でも知っていた。その戦争が終わって30余年たつ。

対仏独立戦争(第1次インドシナ戦争)に続く対米戦争(第2次インドシナ戦争)が終わり、北軍がサイゴンを占拠、国家統一を果たした後もベトナム人たちはしばらく西側の援助は受けられず(もちろんアメリカは論外)、カンボジアに侵攻して世界から孤立し中国の侵略とも戦い(第3次インドシナ戦争)、戦争で荒れた国家基盤を苦労しながら整えていった。社会主義計画経済の挫折から、全方位外交と市場経済を二本柱とするドイモイ路線に転じ、旧ソ連の影響を抑え、中国、米国とも国交回復した1990年代半ば頃から経済は急速に発展し、今では周辺のアジア諸国とさほど変わらない、まだ決して豊かではないが平穏な自分たちの国を、ベトナム人たちは手に入れた。

最後の宗主国ソ連(ロシア)との関係は今も残るが、政策的影響は殆ど無い。ドイモイ政策で経済が急速に成長する中で、昨年度のベトナムの最大の貿易相手国はかつて殺しあった米国と中国、ついで日本と韓国だ。米国との経済関係は今、貿易摩擦が生じるほどの"深い仲"にある。その対米貿易をウラで支えているのが、かつて難民(ボートピープル)として国土の赤化占領から逃げ出した越系米国人(越僑)たちだ。時代は変わった。今もベトナムは共産党一党独裁体制であり、最終目標が社会主義国家建設設にあることに変わりはなく、目標達成の方便としてドイモイという市場経済政策を一時的に取り込んでいるにすぎない。

しかし、社会主義体制だろうがドイモイだろうが、そういう政治体制の前に、ベトナム人はいつもベトナム人だったとういうこと、対米戦争に限らず抗仏独立戦争時代も対中紛争でも、彼らは彼ら自身であろうとして大国の思惑に抗ってきた。古くは秦・漢への反乱に始まり二千年以上も続いてきた民族独立への戦いと執念。対米戦争でも彼らはアメリカ人が憎かったのではなく、ただ自分たちの国家が欲しかったのだ。長い戦火の記憶は薄れてしまったかのように今は街頭にのんびりとたむろする人たち、一見大人しそうな彼らの気質の中に垣間見る強さとしたたかさ、それが彼らの抵抗運動を支え続けてきたのだろう。

彼らは自分たち自身の国でありたかっただけ、そう思ったとき、今から40年前の日本の一部に線香花火のように一時的に燃え盛り落ちていったベトナム反戦平和運動、あれはいったい何だったのかと考えた。

パリ協定で1973年に米軍が撤退した時私は中学生だった。本来なら喜ぶべきベ平連の事務所が閑散として、小田実が憮然とした表情でテレビインタビューに答えていたのが印象に残っている。彼らはベトナムの反戦平和を謳いながら、ベトナム人の独立へ賭けた思いを何も理解してなかったのだろう。"奴隷の平和"を拒否し民族独立のために抗仏戦争を始めたのはベトミンのほうなのだから「反戦平和」とはむしろ仏帝・米帝の言い分だろうに。本当にベトナム人と連帯したつもりなら、米軍を追い出した後の彼らの建国の苦闘を日本の反戦平和学生たちは何かサポートしたのか、そして今何をしているのか、ジジイバンドで反戦歌のノスタルジアに酔う前に。

ニッポンというタコツボの中にいた彼らは米帝・日帝と佐藤政権を批判したかっただけ、米軍に虐殺されるベトコンや農民たちは格好のダシであり、逆にベトコンに捕まり一族まとめ処刑されるサイゴン市民は無視した。ベトナム人たちは日本のそういうタコツボサヨク運動を知らず興味も示さぬ。タコツボのヌシは対米戦が終わったベトナムには背を向け北朝鮮に入れ込んで腐り、堕ち、廃人と化した、これが、頭から入ったタメにする日本的政治運動ごっこの限界だった。

ベ平連の名を知らずとも、1945年8月15日の敗戦とともにホーチミン率いる抗仏独立闘争に火器弾薬を携えて合流し農民兵を訓練しベトナム独立のためにベトミンと共に戦い散っていった多くの残留日本兵たち「ニッポン・ベトミン」のことをベトナム人は忘れず、1986年には8人の元日本兵がベトナム政府から表彰を受けた。いま日本の防衛大学校には十数人のベトナム留学生が在籍している。

日本人はあのベヘーレン的視点から卒業できたのか、自らを総括し、変わったのか。世界中からの情報伝達が質・量・機能ともに桁違いに発達した今日でさえ、イスラエルとヒズボラの戦いを、グローバリズムと南米の左派政権の相次ぐ誕生を、反米二項対立構造に帰納して満足する論評が目に付く。しかしプロの社会評論は民青学生のレポートではない、現実社会は正も負も虚数解もある多項対立構造高次方程式であり簡単ラクチンには解けぬ、「民族・国境を越えた連帯」は言うは易しく美しく、行なうは困難で醜い、それは40年前のベトナム戦争当時も同じだったはずだ。

ベトナムの過去を辿り今の姿を見て感じるのは、日本のこと。世界を語る前に、我々はこれまでそして今、如何にして如何なる日本人であり、あろうとしてきたのかということ。私が外地で他民族と接し、しばしば否応無く意識し考え込まされるのは、彼らとの相対化の中で浮かび上がる自分自身の姿、自分の中の日本人の姿と、そのあり方である。それが定まらなくては答えも考えも定まらぬ、式の解はいくつもあるのだから。

【ベトナム戦争とベトナム人】
あの対米戦争は善が悪に、正が邪に、労働者が資本家に、ベトコンが米帝に、社会主義が資本主義に勝ったのではなく、ある意味で、「北部ベトナム人が南部ベトナム人に勝った」のである。南北に細長いベトナム国土の長さは1600km、日本の津軽半島から大隈半島までの距離に相当し、北部(トンキン:東京)と中部(アンナン:安南)と南部(コーチシナ:交趾支那)とでは気候条件だけでなく、住む人の言葉・風貌とともに気質文化が大きく違う。ベトナムは南北二つ、あるいは南中北三つの国でできているといってよい。

対米戦争のさなか、劣悪な条件下で戦いを続けた北軍将兵らを支えていたのは「義務感と名誉」だった。特に決まった作業を一定時間ずっと継続することにおいて北部の人たちは南部よりも優れているという。北軍の兵士は最後の一人になるまで投降しなかったが、南軍は誰かが逃げるとみんな雪崩をうって逃げ始めて布陣が壊れ米軍が大損害を被ることがよくあった。北の気質は南よりも間違いなく戦闘にむいていた。南が米韓の正規軍を直接大量投入したのに、北は中ソからの武器供与だけで足り、そして勝った。イデオロギーによる南北分断は20年間だ。それよりも長い30年間の社会主義統一体制を経た今も南北の差は変わらない、いや、イデオロギー分断のはるか昔から、南北の民族差異は顕著だったのである。

今も進出企業の労務管理の心得のひとつが「サイゴン(南)は給与、ハノイ(北)は名誉」。南は如才なく融通が効き商業に適し、北は官僚的だが精密さを要する機械産業は北部への進出が望ましい。

戦争当時日本のマスコミ等で多用された「"同じ民族"が敵味方に別れ殺しあう悲劇」という表現も恣意的と言える。南部開放の立役者ベトコンは統一後に北の社会主義政府から冷遇、弾圧された。東西冷戦構造の代理戦争の意味合いは確かにあったがそれもひとつの側面に過ぎない、戦いの主体はベトナム人だった。紀元前からさまざまな強大帝国主義を相手に2000年間戦い続けてきた彼らを、20世紀限定アブクのような東西対立構造のコマのひとつに扱うのは失礼である、現に彼らは東西の双璧国相手に冷戦終結後の今も経済戦で"戦って"いるのだから。

この南北の気質差を生み出した背景の一つとして、1000年以上続いた中国の侵略・虐殺が北部に偏っていたことが関係しているかもしれない。

【漢の侵略】
紀元前1世紀、漢からの侵略支配で夫を殺されたチュン夫人は妹とともに蜂起、象部隊を率いて漢軍と果敢に戦うも力尽き二人とも殺された。それから1000年にわたりベトナムは中国歴代王朝の支配下に置かれることになる。その間もベトナム人たちは何度も反乱蜂起するが悉く潰されていく。遣唐留学生で科挙に合格し唐の官吏となった8世紀奈良時代の日本人阿倍仲麻呂も安南総督としてベトナムの反乱鎮圧にあたっている。チュン姉妹は今も国民の人気が最も高いベトナム抗戦史上の英雄であり、ハノイ、サイゴン(ホーチミン)など各地の街路に「ハイバーチュン(二人のチュン夫人の意)通り」の名がある。

【ベトナムの元寇】
ベトナム史上最大の国難は13世紀における元寇であった。宋を滅ぼした元は東海の日本、そして南へ地続きのベトナムへ狙いを定める。日本の元寇は二度だったがベトナムは三度やられた。1274、81年の文永・弘安の役を二度とも嵐で潰されたフビライは日本進攻をあきらめ、標的をベトナムに絞り体勢を立て直し、1287年に三度目のベトナム攻撃を仕掛けた。迎え撃つ越版北条時宗、チャン・クォック・トアン司令官率いるベトナム軍は、首都(ハノイ)を陥されながら巧妙に権謀・術策をめぐらして反撃に転じついに元軍を殲滅・撃退、かくしてチャンは救国の英雄となる。 

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異文化民族との付き合い

燕山の声 さんの投稿 

   投稿日: 3月12日(月) 

異文化民族との付き合い
  
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先日中国のとある地方都市の食事の席で、その市の党書記が皿のひとつを指差し「何の肉だか分かるか?」とニヤついて私に聞いた。私が「イヌだろ」と平気で食べながら答えたら、彼は少し意外そうな(がっかりした)顔。これまでことさら卑屈に驚いてみせる日本人の反応を楽しんできたのだろうが、今回は残念ながら相手が悪かった、これまでにヘビもワニもピラニアもダチョウもラクダもアルパカもモルモットもアルマジロも食べてきた私は、イヌ肉も珍しい食材の一つにすぎない。添付写真はハノイ市内、先週の日朝協議会場近くの市場にある犬肉売り場。(いま再びワケあってベトナムにいる。ここより海寄りのハイフォンの市場ではこのワン肉にニャン肉も加わる)。

犬はフィリピン、韓国、中国など東アジアでは昔から広く食されてきた。「羊頭狗肉」という言葉もある。日本だって昔話カチカチ山のタヌキ汁のタヌキはイヌ科だし、タヌキが殺した婆さんの人肉を爺さんが(騙されたとはいえ)食べてしまったというオッソロしい話だ。

民族相互理解・尊重の進んだ現代社会では他民族の食文化を自国文化の基準では評しないのが国際マナーのひとつ、せいぜい「これは私の口には合いません、食べたくありません、お願いだから私の口に押し込まないでください、吐きますわよ」とまでは言えてもヨソんちの台所に押しかけ相手に向かって「食うな!」とは言えぬ。その国の主食が人肉なら出された人肉を私は食う、そのかわり彼が日本へ来たら礼としてホヤと鯨刺でもてなす。相手を尊重するとは、相手におもねることではない。

(ちなみに、フランス・シャルルドゴール国際空港税関の「持ち込み禁止品展示棚」には武器や麻薬、希少動植物・昆虫の剥製と一緒に、日本製「くじらの大和煮」の缶詰が並べて置いてある)

               *

>世界中の反日の人たちに問うてみたい。/sauberさん

世界レベルでは好日・尊日・親日が主流ですし、反日・嫌日の人たちも実際に(現在の)日本人と付き合う中で親日に変わる人たちのほうが(その逆よりもずっと)多いので、ご心配なく。隣国の国民と仲が悪いのは珍しくもないし、己れの義を守るためには“嫌われる”覚悟が必要な場合もあるでしょう(人間関係も同じ)。人目を気にするのは日本人の特性の一つですが、それは美点であり弱点でもある。

どうにもタチが悪いのが日本人の中にいる反日でしょうか。この「反日日本人」というのは海外の反体制・レジスタンスとも違う、不思議な存在です。中国人と付き合い始めて最近気づいた、彼らの意識の根底に流れる「華人社会」と「中国公民」の意識の関係をひっくり返すと、反日日本人意識の正体が見えてきそうな気がしていますが、いずれ少し整理してみたく。 

蒼き星々 北朝鮮に拉致された被害者と家族を支援する人の集う掲示板 メインボードより

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2007年3月 5日 (月)

中国共産党は地球を救う?―古き隣人中国を知ろう―

燕山の声 さんの投稿                投稿日: 3月 4日(日)

   発展・膨張を続ける都市に住む人たちの生活費を抑えるために、米や野菜・肉など生活必需一次産品の価格は中央政府の指導で低く抑えられているから、国が豊かになっても農民の収入は一向に増えない。農村と都市の貧富格差の根本原因はここにある。人口の過半数を占める8億人の農民たちは肥料や農薬を買う金にも困り、都会へ出稼ぎに出る。都市住民を支えるために地方農民が貧困を強いられているのである。なんだかひと頃の日本に似ているようで異なるのが、13億人という人口(無戸籍者を加えれば16億とも)。

中国の総人口は今も増え続けている。一人っ子政策も地方農村部では徹底していない。男尊女卑の因習残る田舎では男児ができるまで生みたがるから子供が複数いる家庭は珍しくないが、女児は(金のかかる)学校教育義務を避けるため親が戸籍に載せない。「農村で男児ばかり生まれるのは(おぞましい)間引きのせいだ」というのにはやや誇張があり、戸籍の無い女児を足せば、田舎でも男女同数に近いのである。もちろん間引きも無くはないが(そんなものは明治期の日本では全国にあった)、これから問題になりそうなのが(新医療技術の普及による)胎児性別診断による中絶。

13億の総人口の1割が日本人並みの生活レベルになれば、日本と同等の資源消費大国がひとつ増えることになる。3割がそうなればアメリカがもうひとつできてしまう。資源の大量消費とともに深刻な問題が環境汚染。中国政府も国民も環境への配慮は無いに等しいから発展につきものの環境破壊・汚染はよりひどいものになる。これらを懸念して「中国人民をこれ以上豊かにしてはならない」という物騒な本音が、他国のみならず中国の権力中枢内部にも見え隠れする。

ある党員は語った。「強い統治権力なくして十数億人を束ねるのは不可能、だから、政策への個別批判はある程度許しても政治体制(=共産党独裁)への批判は絶対に許されない。市場・経済開放を進めても思想統制は基本的に北朝鮮と変わらない。」(注:この規定は中国にいる日本のマスコミにも適用されるから、中国発のニュースは朝日でなくとも提灯記事になる)

中国の政治は共産党が握っているから、市長より市の党書記のほうが偉い。首相の温家宝よりも中国共産党総書記の胡錦濤の立場が上(主席)なのも同じ。この磐石の共産党一党独裁体制が仕切る弱者・農民切り捨て政策によって中国も日本もそして世界も、ある意味で救われているのかもしれない。もし仮に独裁のタガが外れ十数億の人民が野放図に豊かさを求め欧米日本並みの消費社会を享受し始めたらどうなるか。70年代初頭にローマクラブが警鐘した「成長の限界」を、図らずも中国が実証することになろう。

破滅へと向かう成長の過程で吐き出される汚染物質の害は我が日本がモロに被ることになる。成田から北京まで2500km、行きに4時間かかる飛行は、北京から成田へ戻る便では3時間である。この時間差は上空を中国から日本に向けて時速100kmの風が吹いていることを意味する。我々は中国に近い風下にいる。風上からやってくるのは春先の黄砂だけではない。(もうすぐ黄砂の季節だ。昨年の黄砂はとくにひどかった。内陸農村地域の砂漠化が拍車をかけているという。)

前回も述べたように、自分の日本人としての立場を差し引いて眺めれば、彼らの考えはそれなりにスジが通っており、外地ではむしろ当たり前の感覚であり、中東アラブ・イスラエルの連中に比べりゃおとなしいくらいだ。彼らの言うとおり、日本人こそが特殊であることに私も異存は無い。そして、こと権謀術策に長けた老獪・中国に対して戦後日本がとってきた単純無垢な反応、すなわち自分の蛸壺的思想立場から「やたらとホメたがる」か「やたらとケナしたがる姿勢は、あまりに子供じみていたといえる。

ここ数年、中国にいる日本人駐在員が心の病から自殺に至るケースが急増し、2004年には海外での国別邦人自殺者数で米国を抜き1位になった。ちっとも履行されない紙切れ同然の契約書、まったく守られない納期・入金、役人へのリベートと公令の朝令暮改、不平・文句を言い募る嫉妬深い労働者など、商習慣・文化の違いで日本からの指示との板ばさみになり苦労する例が多い。近代化で最近は少しマシになったというが、「予定通りに行かないのが中国」「顔は似て心異なる別人種」という心構えで仕事をしないと神経がすり減ってしまう。この国の本質をいま「身をもって」体験している日本人は外交官でも政治家でも評論家でもウヨでもサヨでもなく、この国に放り込まれた生身のサラリーマン駐在員たちかもしれない。

自分の過ちは決して認めず、あるいは開き直って恫喝に転じ、国体護持のためには一部国民の生命生活は虫けら同然に扱う。はじめに北朝鮮を創ったのはソ連だが、その国家統制とメンタリティーは中国のミニチュア版にも思える。そしていま北朝鮮の生命線を握っているのは紛れも無く中国だ(残念ながら)、中国共産党が“その気”になれば北は簡単に瓦解する(北朝鮮の人口約2000万はチベットとウィグルの合計人口に等しく、文革で下放させられた中国人の数、文革で殺された数ともなぜかほぼ一致する、そしてそれは中国総人口の2%にも満たない)。

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